第十二話「ビシバシ鍛えてあげるわ!」

 気が付くと、見慣れぬ風景が飛び込んできた。一面に広がる荒野。そこに無数の剣が立っている。
 その中心に立つ自分が妙にシュールだ。

「ここは……」

 ガキンという音がした。違和感を感じて、袖を捲ると、自分の腕から無数の刃が生えていた。
 頭が真っ白になり――――、

「――――うわぁ!?」

 士郎は目を覚ました。
 布団を跳ね飛ばし、慌てて腕を見る。
 大丈夫だ。そこには普通の腕があった。刃なんて、一つも生えていない。
 当たり前の事に酷く安堵した。

「大丈夫!?」

 と、安心したのも束の間、襖を勢い良く開けて、セイバーが現れた。

「セ、セイバー!?」

 ズカズカと中に入り込んで来るセイバーに士郎は慌てた。
 朝の生理現象が発生している為、ちょっと前屈みになる。

「何かあったのかい? もしかして、キャスターに何か――――」
「ち、違うって。ただ、変な夢を見ただけだ」
「変な夢……?」

 膝を折り、心配そうに士郎を見つめるセイバー。
 士郎は今見たばかりの奇妙な夢について語った。すると、セイバーは目を丸くした。

「荒野に……、無数の剣」
「ああ、変な夢だろ?」
「……もしかすると、キャスターが何かしたのかもしれない。その夢に関して、凜に相談した方が良いと思う」
「遠坂にか……」
「どうしたんだい?」
「……いや、実は――――」

 士郎は正直に昨日の凜の部屋でのやり取りを話す事にした。
 元々、セイバーとはじっくり話すつもりでいたから、これも良い機会だろう。
 セイバーは士郎の話を聞き、深々と溜息を零した。

「……士郎君。俺は君を戦わせたくない。今もそう思ってる」
「俺だって、セイバーを戦わせたくない」
 
 しばらく沈黙が続き、互いに微笑み合う。

「……まったく、我侭な子だな」

 困ったように言うセイバーに士郎が唇を尖らせる。

「我侭なのはセイバーだ」
「……まったく、そういう所が子供なんだよ」

 やれやれと肩を竦めるセイバーに士郎はムッとした。

「な、何でだよ! 先に言ってきたのはセイバーだろ!」
「ほら、そうやってムキになるところがますます子供っぽい」
「お、お前な! 泣きべそ掻いてた癖に!」

 鼻息を荒くする士郎にセイバーはニッコリと微笑んだ。

「……君は子供だよ」
「お、俺は――――」
「そして、俺も子供だった……」

 セイバーは吐き捨てるように言った。

「白状するよ。本当は怖かったんだ……」

 セイバーは言った。

「剣を人に向けるのが怖いし、殺されそうになるのだって怖い。戦う度に怖くて怖くて仕方無いんだ」
「なら――――」
「でも、昨日の夜……、君が居なくなっている事に気付いた時はもっと怖かった……」
「セイバー……」
「ねえ、士郎君。あの時、俺がどんなに恐怖したか分かるかい? ライダーを殺そうとした時の恐怖なんて比じゃないくらい、恐ろしかったんだ。君と二度と会えないかもしれない。そう思うと、アーチャーの静止の言葉なんて聞いていられなかった……」

 稽古の真っ最中、突然胸騒ぎに襲われて、士郎の部屋に向かい、そこが空っぽだった時の恐怖は筆舌に尽くし難い。
 そして、彼の部屋から天に伸びる金の糸を見た時、彼に何が起きたのかを理解した。

『キャスター!!』
『待て、セイバー!!』

 飛び出そうとするセイバーを押し留めたのはアーチャーの一喝だった。
 彼は自分が助けに行くから、ここで待っていろとセイバーに告げ、闇夜に飛び出して行った。

『……でも』
 
 待っていられたのは数分程度だった。駆けつけた凜に事情を説明している間も気が気じゃなかった。
 
『ごめん、凜。君を一人にしてしまうけど……、でも』
『……まったく。アンタ達はどうせ言っても聞かないでしょ? さっさと行って、速攻で助けて来なさい!』
『ありがとう、凜!』

 一秒でも早く辿り着こうと、魔力放出のスキルを使った。うろ覚えも良い所だったが、普通に走るより何倍も早く円蔵山へと辿り着く事が出来た。
 辿り着いたソコはまさしく死地だった。訪れた者の死に場所という意味では無い。ここは死そのモノが渦巻く地。
 上空を見上げると、渦巻く死霊が見え、木々の隙間からは怨嗟の声が響く。

『こんな場所に――――』

 一秒後、士郎との繋がりが断たれるかもしれない。それが意味するものは士郎の死。
 恐怖のあまり、絶叫しそうになった。
 
『士郎君!!』

 何が起きたのか分からないが、柳洞寺へ続く石段は跡形も無く吹き飛ばされていた。
 デコボコだらけの奇怪な坂道と化した道を突き進む。
 山門があった筈の地点まで辿り着くと、そこに彼が居た。
 アーチャーには叱られたが、抱きとめた士郎が呼吸をしている事に心から安堵した。

「――――って言っても、君は無茶を止めてくれないんだろうけどね」

 セイバーは諦めたように呟く。
 
「俺は……」
「だからさ、士郎君」

 セイバーは言った。
 
「前に君が言ってたように、二人で強くなろう」
「セイバー……?」
「一緒に強くなって、最後まで生き残ろう」
「セイバー……」
「俺も自分の命を大切にする。だから、士郎君も自分の命を大切にすると約束してくれ」
「……えっと」
 
 真っ直ぐに向けられるセイバーの視線から逃れるように士郎は顔を伏せた。
 そんな彼にセイバーは溜息を零す。

「……士郎君。君が俺を守ろうとするのは俺がただの一般人だから? それが正義の味方の勤めだから?」
「それは――――」

 違う。言おうとして、言えなかった。
 セイバーを守りたい。その思いの発端は切嗣から受け継いだ理想にある。
 正義の味方になりたい。だから、弱き者を助け、強き者を挫かねばならない。セイバーを助け、迫る脅威を排除しなければならない。

「俺は――――」
 
 その事を口にする事が出来ない。出来る筈が無い。
 だって、それは――――、セイバーを一人の人間としてじゃなく、単なる救済対象という記号扱いしている事に他ならないのだから……。

「……ああ、そうか」

 思い出すのは彼女達の言葉。

『正義の味方は心に常に愛を持っているものなのだよ』
『貴方がセイバーの意志を無視して暴走してる』

 彼女達は士郎の歪さに気付いていた。だからこそ、そう言ったのだ。
 救うべき対象に目を向けろ。お前は救うべき対象に目を向けていないのだから――――。

「……セイバー」
「士郎君?」
「セイバーは俺が死ぬと嫌なんだよな?」
「え? あ、うん」

 いきなりの質問に途惑いながら答えるセイバー。

「分かった。セイバーが嫌なら俺は死なない」
「士郎君……」
「それでいいんだろ? セイバーが嫌な事はしないよ。だから――――」

 士郎は言った。

「セイバーも俺の嫌な事はしないでくれ」
「……ああ、それは勿論だよ。士郎君が嫌がるような真似はしないさ」
「約束だぞ?」
「ああ、約束だ」

 手を伸ばす士郎にセイバーも応えた。握手を交わしながら、お互いに微笑み合う。
 セイバーは士郎が自分の命を大切にすると約束してくれた事に喜んだ。
 士郎は――――、

 朝食の後、士郎は学校に向う準備途中の凜に頭を下げた。

「……そう。お互いに強くなって、双方が生き残れるよう尽力するって結論に落ち着いたわけね」
「ああ、分かり易く言うと、そうだ。だから、遠坂には迷惑をかけっばなしで申し訳無いんだが、どうか、俺を弟子にしてくれ!」
「まあ、貴方達の擦れ違いが解消されたなら、私としても文句は無いわ。了解。じゃあ、今日の夕方から早速始めましょう」
「ありがとう。本当、遠坂が居てくれて良かった」
「……まったく。どうせ、今日も学校を休むんでしょ? 時間を無駄にしないようにね」
「ああ、分かってる」

 凜と藤ねえが屋敷を出た後、士郎は早速道場でセイバーとの稽古を始めた。
 セイバーは昨夜もアーチャーと打ち合っていたからか、更に腕を上げていた。
 対して、士郎もアーチャーの戦いを間近で見たおかげか、模倣の精度を上げて稽古に臨むことが出来た。
 昼過ぎまで夢中になって稽古を続けた後、いつも通り、イリヤに会いに公園に向った。
 ところが、公園には誰も居なかった。セイバーと二人で探し回ったけれど、どこかに隠れている様子も無い。

「そう言えば、昨日、変な事言ってたよな」
「ああ、確か、夜中は出歩いちゃ駄目、とか」

 あの時のイリヤは様子がどこかおかしかった。

「どうして、イリヤはあんな事を言い出したんだっけ……」
「確か、士郎君がライダーを倒した事を彼女に話してから様子が変わった気がするよ」

 そうだ。あの瞬間、それまでの楽しげな雰囲気が一変したのを覚えている。

「……とりあえず、買出しだけしてから帰ろう」

 考えても分からない。次に会った時に聞いてみよう。
 士郎はやむなく公園を出て、商店街に向った。

「そう言えば、今日は特売の日だ。ちょっと、奮発してみるかな」
「いいねー」

 二人で商店街を練り歩いていると、ついつい財布の口が緩んだ。
 その結果……、

「買っちゃった……」

 思わず手が震えた。
 士郎の持つ袋の中には子牛のフィレ肉が入っている。高くて希少なだけで、そんなに味が変わらないフィレ肉をついつい肉屋のおっちゃんの口車に乗せられて買わされてしまった。
 普段よりは安いものの、アルバイト一日分が吹っ飛んでしまった。
 だが、クヨクヨしていても仕方が無い。これも何かの運命だ。折角だし、今日はフルコースメニューに挑戦してみるとしよう。
 そうと決まれば、前菜とデザートとチーズも用意しよう。

「だ、大奮発だね、士郎君」

 高級なチーズを買う士郎に目を丸くするセイバー。

「今日は特別だ」

 最後にデザートを買いにケーキ屋フルールに向うと、奇妙ないでたちの女が居た。
 どこかの制服だろうか? 全身をスッポリと覆う白い服。
 女はケーキ屋の売り子のお姉さんを困惑させている。どうやら、出したお金が日本円では無く、フランだったらしい。
 見過ごすのも後味が悪い。

「あの――――」

 声を掛けて、目を丸くした。振り向いた女の瞳の色は血のような赤色だった。
 僅かに見えるふんわりとした髪の色は銀。
 特徴的過ぎる二つの要素。

「もしかして、イリヤのお姉さんですか……?」
「……違う」

 違った……。恥ずかしくてのた打ち回りたくなった。

「わたし、イリヤのお姉さんじゃない。イリヤのメイド」
「……そ、そうなんだ。俺は衛宮士郎って言うんだ。イリヤから聞いてないか?」
「……シ、ロウ?」
「あ、ああ、そう。シロウだ」
「……知ってる」

 お姉さんじゃなくて、メイドだった。
 ナイチンゲールみたいな格好はどうやら、彼女のメイド服だったらしい。カタコトな彼女と苦労しながらコミュニケーションを取り、とりあえず、彼女のフランを残っている僅かな日本円と交換した。

「……ありがとう。セラとイリヤが喜ぶ」

 ケーキを買えた事で喜んでいるらしい。表情も声も感情が殆ど見えないけれど……。

「えっと……、イリヤは元気か?」
「……元気。だけど、ちょっと焦ってるみたい」
「焦ってる?」
「変なのが徘徊してる。シロウも気をつけたまえ。見つかったら、終わりだから」
「それって、どういう……」
「……帰る。シロウ、ありがとう」

 最後に意味深な言葉を残して、女は去って行った。

「な、なんかよく分からないけど、そっちも気をつけろよ!」
「……うん。バイバイ」

 女の後姿が見えなくなった後、士郎は大切な事を思い出した。
 フランと日本円を交換したせいで、デザートを買うお金が残っていない。

「……しまった」
「どんまい、どんまい。ホットケーキミックスがあったし、それでいいんじゃないかな? 良い事したんだから、落ち込む事無いって」
「あ、ああ、うん。そうだな……、デザートにはホットケーキを作るか」

 気を取り直して、帰路につく。
 家に到着すると、士郎はさっそく調理に取り掛かった。大掛かりな作業になるからとセイバーが手伝いを申し出たのだが、追い出されてしまった。
 どうやら、一人で作りたいらしい。鼻歌混じりだった。

「……料理が相当好きらしいな、士郎君」

 フルコースを一人で作るなんて、セイバーには到底不可能な所業だ。

「剣を握るより、包丁を握っている方が似合ってるな、彼は……」
「そうね。私もそう思うわ」
「り、凜!?」

 キッチンをこっそり覗き込んでいると、背後から凜が声を掛けて来た。

「まったく、魔術の鍛錬の準備の為にこっちは走り回ったっていうのに……。まあ、今夜は御馳走を作るみたいだし、勘弁してやるとしますか」

 呆れたように肩を竦める凜。

「それにしても、士郎君は何故急にフルコースなど……」
「フルコース……? え、なに、アイツ、フルコース作ってるの?」

 呆れ顔が困惑顔に変化した。

「アイツ、ほんとにどうしちゃったの?」
「それがサッパリなんだ。急にフルコースを作るだなんて言い出して……。そんなに特売が嬉しかったのだろうか……」
「特売にテンションが上がってフルコース作るって……。アイツ、魔術師より料理人を目指すべきなんじゃ……」
「ああ、それは良い考えだな。士郎君の料理は何と言うか……、食べていて落ち着くし、何より美味しい。料理で人を救えば、それも正義の味方と言えるような気がする」
「何よ、正義の味方って?」
「ああ、それは――――」
「あらら、セイバーちゃんってば、士郎から聞いたの?」

 凜と話し込んでいると、いつの間にか藤ねえが目の前に居た。

「あ、おかえりなさい、藤村さん」
「はい、ただいま、セイバーちゃん。それより、士郎がその事を話すなんて意外ね。あの子ってば、照れ屋だから、あんまり夢について他人に話したがらないのよ」
「夢……、ですか?」

 凜が問う。

「そうよー。士郎は正義の味方に憧れてるの。思い出すなー」
「先生は士郎がまだ子供だった頃の事も御存知なんですか?」
「うん。あの子がこの家に来た時から知ってるの。……聞きたい?」
「是非!」
「お願いします!」
「では、話してしんぜよー!」

 藤ねえは懐かしむように幼い頃の士郎の話を語った。

「今でこそ、ちょっと捻くれた部分もあるけど、昔は本当に可愛かったんだよー。人の事を欠片も疑わなくて、お願いすれば何でも二つ返事で引き受けてくれるの!」
「ふむふむ」
「それで、それで?」
「でもねー、妙に頑固な部分も当時からあったんだー。一度決めた事は中々変えなかったり……」
「ああ、それは分かるな」
「うんうん。そういう所あるわね」
「その辺りは切嗣さんと正反対だったなー」
「切嗣さんって、士郎のお父さんですよね?」
「そうだよー。切嗣さんは何でもオッケーな人だったの。良い事も悪い事も人それぞれケッセラッセラって感じ。人生はなるようになるさって人だったわ」

 凜は僅かに驚いた顔をしている。

「そのくせ、困ってる人が居たら迷わず飛び出して行って、何とかしちゃうの! 士郎もそんな切嗣さんの後を追い掛けて、真似ばっかり。まあ、士郎の場合、切嗣さんより善悪がハッキリしてたから、悪い事は駄目だ、許さん! って、町の虐めっ子をバンバン懲らしめてたわ」
「その頃から士郎君は正義の味方だったんだね……」

 その話は知らなかった。ゲームの内容もそこまで詳しくは覚えていないし、お風呂場での会話でもその話は出なかった。
 その後も藤ねえから士郎の過去話を色々聞き、凜とセイバーは彼の新たな一面を知った。
 大分時間が過ぎ、漸くフルコースの準備が整った後、士郎は折角だからとルール通りの食べ方をしようと提案。
 藤ねえは面倒な事を嫌がり、直ぐに食べたいと抗議したが、凜とセイバーは賛成した。折角のフルコースをいつも通り適当に食べては勿体無い。
 いつもの団欒に一工夫が加わり、楽しい一夜が過ぎた。
 食事が終り、藤ねえが帰宅した後、凜が士郎に一つの問いを投げ掛けた。

「士郎はどうして正義の味方になりたかったの?」

 その問いに応えたのはセイバーだった。

「お父さんの夢を受け継いだんだよね?」

 士郎はしばらくの沈黙の後、頷いた。

「……ああ、そうだよ」

 答えながら、士郎が脳裏に浮かべたのは炎の記憶だった。
 そして、父の後ろ姿。
 
「……それじゃあ、遠坂」
「はいはい、分かってるわよ」

 凜は何故かポケットからメガネを取り出した。

「ビシバシ鍛えてあげるわ!」

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