第三十六話「Answer」

 光が夜空に昇っていく。俺は浴衣のまま草むらで寝転がる親父を叱り付けた。すると、親父はこっちに来いと手を振った。一緒に寝転がれと隣の草むらをポンポン叩く。浴衣が汚れるから嫌だと言うと、親父は笑った。

「また、洗えばいいじゃないか」

 親父の言葉にカチンと来た。この浴衣は買ったばかりなのだ。それに、浴衣は洗うのがとても大変なのだ。
 俺の言葉に親父はまた笑った。クリーニングに出せばいい、などとのたまう親父に蹴りをいれたくなる。そんな無駄遣いを許すわけにはいかない。
 親父は頑固に立ち見を続ける俺を微笑ましげに見つめる。むず痒くなって来て、唇を尖らせていると親父は不意に俺の名を呼んだ。

「士郎……。本当に魔術を習いたいのなら、一つだけ、絶対に覚えておかなきゃいけない事があるんだ。何だか分かるかい?」

 いきなりだった。今まで、魔術を教えてくれと幾らせがんでも頑なに拒否して来た親父がこんな事を言い出すなんて、天変地異の前触れかと思った程だ。
 これはきっと試練なのだ。ちゃんとした正解を言わなきゃ、折角のチャンスが水の泡になってしまう。でも、絶対に覚えておかなきゃいけない事って何だろう。
 眉間に皺を寄せて必死に考え込む俺を親父は静かに見つめている。

「……見つからない事?」
「どうして、そう思うんだい?」
「だって……、魔術は人に気軽に教えちゃいけないものだって、爺さんが言ってた事じゃないか」
「言ったね。でも、不正解」
「……じゃあ、魔術を教えてくれないの?」
「……まあ、完全に不正解ってわけでも無いから、ちゃんと教えてあげるよ」
「本当!?」
「ああ……。だからこそ、これから言う事をちゃんと覚えておくんだ」
「う、うん……」

 親父は言った。

「魔術は争いを呼び込むものだ。だから、人前では使ってはいけないし、制御が難しいものだから、鍛錬を怠ってもいけない。けど、一番大事な事は――――」

 親父は上半身を起き上がらせると、花火を見つめながら言った。

「魔術は自分の為じゃなく、他人の為だけに使うという事だよ」

 ◆

 親父から教わった事は多い。でも、俺はその多くを棄て去る決意を固めた。理想を捨て、ただ一人の為だけに生きようとしている。
 セイバーの為だけに生きる。その為に不要なら、何もかも捨てる。
 親父は言った。魔術は争いを呼び込むものだと……。セイバーを幸せにするなら、争いを遠ざけなければならない。だから、俺はこの戦いが終わったら、魔術を捨てようとさえ考えている。
 多分、親父は笑って許してくれる気がする。でも、同時に寂しがると思う。

「――――親父」

 折角、受け継がせてもらったのに、とんだ親不孝者だけど、それでも――――。

「俺が決めた俺の生き様を見ててくれ!」

 立ちはだかる敵に向って吼える。慎二の魂と融合したアーチャーがその両手に干将・莫耶を投影する。
 慎二が何をしたのか完全に理解出来たわけじゃない。唯一つ分かる事はアイツが後戻りの出来ない決断を下した事実のみ。

「慎二!」
「衛宮!」

 刃と刃がぶつかり合う。干将と莫耶がぶつかり合う。莫耶と干将がぶつかり合う。
 喧嘩なら今までも幾度か経験がある。でも、こんな風に命を奪い合う事になるなんて思ってもみなかった。

「慎二!」

 この戦いは他人の為じゃない。俺自身の為の戦いだ。
 他人の為だけに使えと教えられた魔術を自分の為に使っている。一番大事だと言われた教えを反故にしている。

「慎二!」

 セイバーと一緒に居たい。ただ、それだけの為に俺は親友を殺す。

「慎二!」

 幾度かの攻防で分かった。“再召喚”による影響か、あるいは慎二との融合が原因なのかは分からないが、アーチャーの戦闘能力は明らかに低下している。投影の精度こそ、此方よりも一枚も二枚も上手だが、動きが明らかに鈍い。

「――――ック」

 苦悶の声は慎二のものだ。如何に武器が上等でも、扱い切れなければ宝の持ち腐れだ。 勝てる。そう、確信した直後だった。慎二は致命的な隙を作った。
 踏み込む。慎二を無力化させられれば、セイバーの援護に迎える。逸る思いが士郎の背中を押した。干将を一閃させる。その直前、士郎の眼に慎二の笑みが飛び込んで来た。
 気がつくと、背中に激痛が走っていた。

「……お前って、つくづく真っ直ぐだよな」

 慎二がアーチャーの声で呆れたように呟く。背中を切り裂かれた痛みで明滅する意識を耳を欹てる事で必死に維持する。

「お前、昔は喧嘩っ早かったけど、その真っ直ぐな所は今と同じだったよな。だから、お前はいつも怪我だらけ……」

 学習しない奴だ。慎二は溜息混じりに呟く。
 頭にくる。あんなあからさまな虚実を見抜けないなんて、呆れられて当然だ。絶対に負けられない戦いだったのに、一時の衝動に任せて安易に動いてしまった。それが敗因だ。

「あばよ、衛宮」

 助けは来ない。皆、各々の戦場で頑張っている。きっと、こんな醜態を晒しているのは俺だけだろう。
 慎二が干将を振り上げる。

「……し、んじ」

 終わる。終わってしまう。うつ伏せに倒れこんだ今の状態では防ぐ事も避ける事も出来ない。
 一秒後に迫る己の死。俺はその先を思い浮かべた。きっと、俺を殺したら慎二はアルトリアの援護に向う。そして、セイバーを殺す。
 セイバーが死ぬ。そんな可能性を残して死ぬなんて許されない。方法を考えなければならない。この絶望的状況を生き抜く方法を――――、

「――――投影開始」

 刹那にも満たない一瞬の思考で辿り着いた答えは投影。投影したものを現出させる際、その位置をある程度なら操作出来る。俺は慎二の干将の軌道上に三本の剣を投影し、盾にした。
 甲高い金属音が鳴り響く。慎二が虚をつかれたような表情を浮かべている。その隙に俺は体を捻った。激痛が走るが動けない程じゃない。
 傷口に視線を落とすと、そこには無数の刃が犇いていた。

「……ふう」

 よろよろと慎二から距離を取り、俺は静かに息を吐いた。
 背中の傷はかなり深い。徐々に修復されているけど、直ぐに慎二と切り結ぶのは難しい。だから、戦い方を変える必要がある。
 血が減ったせいか、頭がやけに冷静に回る。

「――――投影開始」

 俺は生き残らなければならない。俺が死んだらセイバーが悲しむからだ。セイバーが悲しむ事だけはしちゃいけない。
 いや、言い訳は止そう。俺は生きたいんだ。セイバーと一緒にいつまでも生きていたいんだ。その為に切り捨てる。中学の頃からの親友を斬り捨て、切り捨てる。

「……これは」

 俺の頭上に浮かび上がる八本の刀剣に慎二が目を剥く。

「舐めるな!」

 俺の投影を慎二はアーチャーの投影で迎え撃つ。八本の刀剣を八本の刀剣で撃ち落し、慎二は苦悶の表情を浮かべた。けど、そんな事を気に掛けている暇は無い。再び、種類の違う刀剣を十本投影する。迎え撃つべく、慎二も同数の刀剣を投影して。
 そして、――――壊れた。
 そう称するしかない現象が目の前で起きた。慎二は頭を抱えながら悶え苦しみ始め、全身が歪な形状に変化した。

「な……、なんだ、アレは……」

 理解不能な事態に眩暈がする。白目を剥き、慎二は獣のような雄叫びを上げた。同時に奴の頭上に十数本の刀剣が出現し、飛んで来る。

「ック――――」

 慌てて同数の刀剣を投影し、迎え撃つ。すると、慎二は更に大きな雄叫びを上げ、更に多くの刀剣を投影した。

「し、慎二! お前、一体――――」

 俺の声が聞こえているのか聞こえていないのか分からない。慎二は只管雄叫びを上げて刀剣の投影を繰り返す。徐々にその数が増していく。
 不味いと思った時には既に手遅れ。俺が一度に投影出来る限界数を超えた数の刀剣が飛来する。

「――――ッ」

 撃ち落せるだけ撃ち落し、残りは干将・莫耶で叩き落す。その繰り返しにも限界がある。慎二の風貌は投影を行う度に変化していく。投影を撃ち合い、なんとなくその原因が掴めた気がする。
 俺の投影は所謂普通の投影魔術とは異なるものだ。固有結界という己の心象風景が内包した複製を取り出す。それが俺の投影だ。恐らく、慎二は投影を行う度にアーチャー……、即ち、衛宮士郎の固有結界に侵食を受けているのだろう。
 魔術師ですら無かった慎二が英霊の固有結界に侵食される。そんなの壊れて当たり前だ。肉体の崩壊も恐らくそれが原因だろう。

「……慎二」

 呼び掛けても、慎二は獣のような唸り声を上げるばかりだ。

「俺はセイバーの為だけに生きると決めたんだ。だから……、お前を殺す」

 決意を口にすると同時に慎二との思い出が頭の中を駆け巡った。一緒に遊んだ記憶。一緒に喧嘩をした記憶。一緒に勉強した記憶。一緒に部活動に勤しんだ記憶。
 涙が溢れ出し、声が震える。

「……ごめん、慎二」

 俺がそう呟くと、一瞬だけ慎二の雄叫びが止んだ。咄嗟にアイツの顔を見ると、どこか笑っているように見えた。

 ――――謝るなよ、衛宮。

 慎二は桜の為に戦っている。桜は俺にとっても大切な家族だ。だけど、俺は桜を選ばなかった。桜を敵として倒そうとすらしている。
 正義とは人の数だけ存在すると人は言う。俺がセイバーの為だけの正義の味方になったのと同じように、慎二は桜の為だけの正義の味方になったんだ。どっちも正義で、どっちも悪なのだ。だから、謝る必要なんて無いし、謝ってはいけないんだ。桜や慎二を切り捨て、セイバーだけを選んだ癖に、そんな己を否定する言葉を口にするなど許される筈が無い。

「……いくぞ、慎二」

 深く息を吸う。慎二の投影の数はもはや俺の限界を遥かに上回っている。このままでは圧殺されてしまうのが落ちだ。だから――――、

「――――I am the bone of my sword.」

 慎二が俺の限界を超えるというなら、俺も俺自身の限界を超えよう。
 花弁が花開く。熾天覆う七つの円環。アーチャーが知る限りの最強の守りを眼前に展開し、慎二の投影を防ぐ。その間に呪文を唱え続ける。
 方法は既に分かっている。魔力もキャスターから十分な量を供給してもらっている。

「――――Steel is my body, and fire is my blood.」

 昔、まだ切嗣が生きていた頃、俺の世界は衛宮邸の敷地が全てだった。あの頃はただ、あの場所を守れればそれでいいと思っていた。だけど、大人になるにつれ、俺の世界はどんどん広がって行った。そして、同時に理想と現実の食い違いにも気付き始めた。

「――――I have created over a thousand blades.」

 思わず笑ってしまう。結局、俺は身の回りの人々の事すら救えていない。美綴の事、桜の事、慎二の事、誰も救えていない。
 本当に救わなければならなかったものから目を逸らし続けた結果がこれだ。もっと早くに気付くべきだった。俺が救えるものなどほんの一握りに過ぎず、それだって、全身全霊を掛けて挑まなければならないものだと言う事を……。

「――――Unaware of loss.Nor aware of gain」

 壊れていく。あふれ出す魔力が俺という存在を叩き壊していく。
 たった一人、救う為に背負う痛みがこれだ。

「――――With stood pain to create weapons for one.waiting for one’s arrival」

 狭窄な俺が救えるものなど限られている。そして、救うべき存在は既に決まっている。 人は何よりも大切にしなければならないモノの席を心の中心に据えている。多くの人はそこに自ら座る。けど、俺の心のその席は十年前から空っぽだった。だけど……、

「――――Dwell in this heart is only one.」

 今はそこにアイツが座っている。誰よりも愛おしくて、誰よりも幸せにしたい存在が俺の心の中心に居座っている。
 セイバーを救う。セイバーと生きる。これは――――、その為だけの世界。

「My fate was――――“Unlimited Blade Works”」

 真名を口にした途端、何もかもが砕け散り、何もかもが再構築された。
 炎が走る。燃え盛る炎が境界を造り出し、世界を塗り替えていく。後に視界に広がるは見果てぬ荒野。無数の剣が整然と立ち並ぶ世界。
 これが衛宮士郎の世界。生命の息遣いを感じさせない剣だけが眠る墓場。無限に剣を内包した固有結界。

「終わりだ」

 もう、さっきのような失態は繰り返さない。慎二が撃ち出す無数の剣群を悉く撃ち落し、俺は一歩ずつ慎二に近づいていく。変わり果てた嘗ての友を前に足が止めた。
 アーチャーは既に自らの悲願を遂げ、役目を終えている。別れの言葉も告げてある。
 だから、俺は慎二に対して言った。

「じゃあな、慎二」

 首を切り落とし、俺は慎二を殺した……。

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