第十九話「死神」

 人は思考する生き物だ。そして、その思考は生きている限り変化し続ける。
 どんなに完璧に思考を読み込んでも、必ず想定外の行動を起こす。計略を練る肝はその想定外を最小限に抑える事。
 準備の段階で全ての行動を終了し、本番では一切手を出す事なく目的を達成する。それが計略というものだ。
 理想はアーチャーとライダーの相打ちだった。0.01秒のズレが全てを分けた。もし、アーチャーの矢が0.01秒速く飛来していれば、ライダーはウェイバーがマッケンジー夫妻に手を伸ばす前に無理矢理攻撃範囲からの離脱を図った筈。その結果、夫妻が死亡。彼等の死はウェイバー・ベルベットにアーチャー討伐を決意させた事だろう。
 だが、ライダーの消滅という最優先目標が達成された以上、何も問題ない。
 今、アーチャーは新都のビルの上で標的の消滅を確認している。そこへキャスターは自らの手駒を転移させる。セイバーとモードレッド。二騎の英霊が弛緩した隙をつき、弓兵に襲いかかる。
 アーチャーの首に凶刃が迫る。その刹那、彼のマスターは令呪を発動した。
「――――ッハ、貴様の居所も掴んでおる」
 今、キャスターはかねてより準備していた神殿に身を置いている。街中に張り巡らせた蜘蛛の糸が人間達から|魔力《いのち》を掠め取り、キャスターの大規模な魔術行使を可能にしている。
「道を拓く。進め!」
 セイバーとモードレッドの前に光の門が現れる。魔力を剣に注ぎ込み、その中に躊躇い無く突入する二騎のサーヴァント。
 門を潜り抜けた先は城の内部だった。郊外の森にあるアインツベルン城。そこが今の彼等の拠点になっている。
「放て!!」
 目の前に現れるファニーヴァンプ。彼女が固有結界を展開する間にセイバーとモードレッドがそれぞれの剣を振り下ろす。
「|約束された勝利の剣《エクスカリバー》!!」
「|我が麗しき父への叛逆《クラレント・ブラッドアーサー》!!」
 星光と赤雷が驚き目を見開くファニーヴァンプを呑み込む。
「離脱しろ、母さん!!」
 その直前、傍に控える言峰綺礼が令呪を発動する。
「後は手筈通りに!!」
 咄嗟の判断だった。まさか、宝具を発動寸前の状態で乗り込んでくるとは思わなかった。
 暴虐の嵐に呑み込まれる直前、綺礼は己の判断ミスに顔を顰めながらつぶやく。
「……だが、こんな終わりも悪くない」
 少なくとも、この終わりはとても人間らしい。
 愛する人の為に命を投げ打つ。それは綺礼が望んで止まなかった事。
 嘗て、妻に迎えた女の為には出来なかった。愛してやる事の出来なかった女。
 だが、今この瞬間ならば……、仮初とはいえ、人の心を得られた今なら……、
「クラウディア……、お前の死を悼んでやれる……」
 ファニーヴァンプの死を厭う気持ちをそのまま彼女のものに移し替える。
 なんとも無様で滑稽だが、それが彼の求めたもの。愛してやれなかった妻への愛情。
 言峰綺礼は満足気な笑みを浮かべ、肉塊一つ残らず消滅した。

 その光景にファニーヴァンプの表情が歪む。
「何故……?」
 震える声。昏い光を瞳に宿し、ファニーヴァンプは問う。
「どうして、邪魔をするの?」
 固有結界は完成した。必殺の一撃を躱されたセイバーとモードレッドは空間ごと縫い止められ、身動きが取れない。
 ファニーヴァンプはセイバーの頬を叩いた。
「私は愛する子等を理想郷に導きたいだけなのよ? みんな、幸せになれるのよ? どうして、邪魔をするの?」
 何度も何度も彼女はセイバーを叩いた。人形には目もくれず、《人間》であるセイバーの頬を何度も叩く。
 その姿はまるで癇癪を起こした幼子のようだ。
「誰も傷つけられない。誰もが笑顔でいられる幸福な世界。そこに何の不満があるというの!?」
「お前の事が気に入らないからだ」
 身も蓋もない言い方にファニーヴァンプは絶句する。彼女の前にはあの魔女がいた。
「私はお前みたいに綺麗事ばかり並べ立てる輩が一番嫌いだ」
「何を言って……」
「飾り立てるな。貴様は人類全ての幸福を祈っているわけじゃない。ただ、自分が追放された楽園に帰りたいだけだろ」
「違うわ! 私は――――」
「お前と良く似た男を知っているよ。騎士道だとか、王道だとか、綺麗事を並べ立て、無垢な娘を修羅道に追いやった悪魔……。貴様等はただの悪党よりも数段質が悪い」
 友の為、国の為、そうして悪魔は善人の皮を被り勇者を謀殺し、その妻を騙し孕ませた。生まれ落ちた子には国の命運を背負わせ、少女として得られた筈の幸福まで奪い去った。
 悪党ならば悪党らしくしていろ。善人の皮など被るな。
「死ね。貴様の存在は虫酸が走る」
 聖剣や魔剣が殺到する。アーチャーのサーヴァントだ。
 キャスターはそれらに目もくれない。今のキャスターに傷を負わせたければ、対界宝具を持ってくるほかない。
 彼女は一振りの短剣を握り締め、ファニーヴァンプの首を切り裂いた。
「嘘よ……。こんなの……、うそ」
 禍々しい魔女の瞳が彼女を見つめている。
 終わってしまう。こんな女の為に私の夢が散っていく。
 許さない。お前だけは絶対に許さない。
「――――《|原罪を知れ《エツ・ハ=ダアト・トーブ・ヴラ》》」
 彼女の手の中に黄金の輝きを持つ物体が現れる。
 それは禁断の果実。嘗て、蛇に唆された彼女が口にした《原罪》。
 彼女自身、この宝具を畏怖している。本当なら、絶対に使いたくなかった。それでも、この女の事だけは許せなかった。
 その実は人の心の奥底に眠る原罪を喚び起こす。混ざりモノであろうと、抗う事は出来ない。
 人間である以上、決して捨て去る事の出来ないモノ。
 その名は――――、《|好奇心《ちえ》》。
 キャスターはその果実に魅入られてしまった。
 |全て遠き理想郷《アヴァロン》の加護は持ち主を七次元上に存在する妖精郷に退避させる事で現存する五つの魔法や並行世界からのトランスライナーをも寄せ付けず、六次元までの交信も遮断する絶対防御。それすら、果実の魅了を遮断する事は出来なかった。
 何故なら、それは神が育てた果実。如何なる次元に身を置こうとも、《視て》しまえば手遅れだ。
 理性や思考が働く余地などない。それを口に入れる事が最優先になってしまう。
 未だ、モードレッドとセイバーはファニーヴァンプの固有結界によって身動きを封じられ、その光景を止める事が出来なかった。
 キャスターはアヴァロンを解除し、その果実に手を伸ばす。口の中に入れた瞬間、キャスターの体は崩壊を始める。
 禁断の果実を口にする事は神への反逆に他ならない。一度は楽園からの追放によって赦された。だが、二度目はない。
 それは抑止の力によく似ていた。世界そのものが彼女の存在を否定する。
「母上!?」
「モルガン!!」
 キャスターのサーヴァントは願いを持って、この戦いに参加した。
 どうしても叶えなければならない望みがあった。
 悪魔によって修羅の道を歩かされた哀れな少女。愛する末妹が末期に抱いた願い。運命によって導かれ、出会った男との再会。その為に|憎き悪魔《マーリン》の手を借りた。時の狭間で待つ少女の為に平行世界との間に門を開き、愛する男と再会させる。その為に聖杯を求めた。
 だが、消え行く彼女が思ったのは自らのマスターの未来。彼女の為に出来る事はした。例え、ここで消えても彼女が人並みに生きる為の手筈は整えた。それでも、彼女の願いを叶えてあげたかった。
「さくら……。幸福に……」
 ファニーヴァンプとキャスターが消滅する。それと共にモードレッドも消滅した。
 セイバーは誰もいなくなった空間に一人取り残され、膝を折った。
「……モル、ガン」
 漸く再会出来た人。愛する女性が目の前で死んだ。
 失意に暮れる彼に追い打ちをかけるが如く、そこに死神が忍び寄る。
 アーチャーのサーヴァントが黒の短刀を振り下ろした。
 鮮血が舞う。
「アー、チャー……」
 セイバーはすんでのところで片腕を犠牲にし、回避した。
 魔力を聖剣に注ぎ込む。
 今の状況で剣技の競い合いなどしては結果が見えている。
 ならば――――、
「守りきれるか?」
 ここには奴のマスターが残っている。
 例え、この身に致命傷を受けても、この一撃は必ず発動させる。
 その気勢を受けて尚、アーチャーはマスターの下に向かおうとしない。
「|約束された《エクス》――――!!」
 振り上げられる究極の聖剣。
「その剣は……」
 アーチャーは干将莫邪と呼ばれる陰と陽の夫婦剣を振りかぶる。
「――――|勝利の剣《カリバー》!!」
「片手で振れる程、軽くない!!」
 聖剣の一撃が繰り出される直前、アーチャーはセイバーの懐に飛び込み、その腕を切り裂いた。腕と共に宙を舞うエクスカリバー。
 両腕を失い、完全に無防備となったセイバーの腹部に干将を突き立てる。
「終わりだ」
 トドメの一撃。セイバーの首を刎ねる為にアーチャーは莫耶を振りかぶる。
 その瞬間、彼は寒気を覚えた。
 落ちてくる聖剣。その鏡面の如き刀身にソレは映り込んでいた。
 いる筈の無い存在。八番目の敵。それは白い骸骨の面を被り、歪な程大きな腕を掲げていた。
 アーチャーは咄嗟に干将莫邪を放棄し、セイバーから離れる。
「――――キ、カンのスるどいヤツだ」
 その光景はあまりにも異様だった。虚ろな表情を浮かべるセイバー。その胸から、偽りの心臓が掴みだされる。
 アーチャーは確信する。見た目こそ、敗退した筈のアサシンに似ているが、全く別の個体だと。
 あのアサシンを彼は知っている。
 最も純粋にして、最も単純化された呪詛。中東に伝わる魔術、《呪いの手》。それを宝具の域にまで昇華させた|山の翁《ハサン・サッバーハ》。
「……|妄想心音《サバーニーヤ》。間桐臓硯が動き出したか……」
 ハサンの名を持つ者は十八人。アサシンのサーヴァントはその中からランダムに選び抜かれる。
 触媒となるものは召喚者自身。彼を喚び出した者は十中八九、嘗ての戦いと同じくあの老獪だろう。
 そもそも、このタイミングで新たなるアサシンを持ち出してくる存在など他に考えられない。
「……ほう、私を知っているかのような口振りだな。それに、主殿の事まで……」
 さっきまでとは一転して流暢になった口調。アーチャーは油断無く、新たに創り出した双剣を構える。
「……ふむ。ここは引くとしよう」
「待て!!」
 撤退するハサン。咄嗟に追い掛けるが、一度視界から外れた彼を捉える事は鷹の目を持つアーチャーにも至難だった。
 なにしろ、彼の持つ気配遮断のスキルは|最高ランク《A+》。アーチャーは舌打ちをした。
「切嗣の下に戻るか……」
 彼はファニーヴァンプが倒れ、洗脳が解かれた直後、妻と娘を連れて城を出た。今頃は離れた場所にある廃屋に身を隠している筈だ。
 嫌な予感がする。アーチャーは急いだ。
 だが、その予感は道半ばで的中する。突然、切嗣とのラインが切れた。それが意味するものは……、
「切嗣!!」
 廃屋に辿り着いた時、そこにあったものは死体だった。心臓を引きぬかれ、絶命している切嗣の死体。
 アーチャーは一緒に居た筈のアイリスフィールとイリヤスフィールの姿を探す。だが、二人の姿はどこにも見えない。
「イリヤ……」
 双剣を地面に落とすアーチャー。その耳に幼子の泣き叫ぶ声が届いた。
 窓から飛び出し、その声の方角に向かうと、そこには血に塗れたイリヤの姿があった。
 一瞬、その血が彼女のものかと錯覚したが、それが違う事にすぐに気がついた。
 彼女の前には倒れこみ、心臓の部位から血を流すアイリスフィールの姿があった。
 そして、そのすぐ傍にヤツがいる。
 一瞬で投影した弓から矢を放つ。アイリスフィールの心臓を握り、イリヤスフィールに手を下そうとするハサンを退ける。
 再び姿を晦ます彼を警戒しながら、アーチャーはイリヤに近づいた。
「……アーチャー」
 泣き叫ぶイリヤ。アーチャーは彼女を抱き上げた。
「すまない。ここはまだ危険だ。移動するぞ」
「でも……、お母様とキリツグが……」
 泣きじゃくるイリヤのおでこに手を当てる。
「すまない」
 魔術で眠らせ、アーチャーはそのまま森から移動した。
 
 その後ろ姿をハサンと共に見つめる影があった。
「……|アーチャー《ヤツ》を取り逃がした事は失態だぞ、アサシンよ」
「面目次第もございません」
「諸共に始末するつもりであったが、厄介な者を残してしまったな……」
「その事ですが、少々面白い事を考えました」
 ハサンは切嗣の心臓を喰らい、得た情報を主に告げる。
「なんと……、なんと数奇な……」
 その情報は数百年を生きた妖怪を驚かせるに十分なものだった。
「これで漸くだ。漸く、我が悲願を達成する事が出来る」

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