第二話「英霊召喚」

「――――サーヴァント、キャスター。召喚に応じ、ここに参上した。お前が妾を召喚せし、マスターか?」

 現れたサーヴァントを前に私は歓喜に打ち震えた。何度も大きく頷く。

「うん! 私が貴女のマスターだよ!」

 令呪を見せびらかすように掲げる。キャスターは大海を思わせる澄んだ紺碧の瞳で私を見つめる。まるで私の全てを見透かしているかのような眼差し。
 しばらくして、彼女は腰まで届く長い金髪を指で弄りながら、口を開いた。

「名は?」
「間桐桜!」

 私の名前を口の中で反芻しながら、彼女は周囲に視線を滑らせる。途端、不機嫌そうな表情を浮かべた。

「汚い」

 キャスターは私をさっと抱き上げると歩き出した。

「こんな汚い所には居たくない。行くぞ、桜」

 出口に向かって歩き出す彼女に私は慌てた。

「待って、キャスター! おじさんの召喚がまだ終わってないよ!」
「おじさん?」
「うん! あそこのゾンビっぽい人!」

 私が指差した先を見て、キャスターは露骨に嫌そうな顔をした。おじさんはキャスターに対して警戒心を抱きながら、同時に私を心配している。風俗で働いていると常に相手の関心を自分に向けさせなければならないから、人間の心の機微に敏感になるのだ。一年間、誰よりも身近に居た彼の心など手に取るように分かる。

「気色悪い」

 キャスターは半死人状態のおじさんを見て一言そう言った。色素が完全に抜け落ち、真っ白になった髪。死んだ魚のような片目。蝋人形のように青褪めた肌。一秒後に心臓が停止してもおかしくない状態。親しい間柄である私から見ても気味が悪い。キャスターの感想は至極当然のものだ。私は同意の意を篭めて頷きながら言った。

「気色悪くてもおじさんの召喚が終わるのを待たなきゃダメだよ! 聖杯をゲットして、おじさんの体を元に戻さないといけないんだから!」
「さ、桜ちゃん……?」

 私に喜色悪いと断じられ、若干煤けた表情を浮かべていたおじさんが最後の一言に目を丸くした。

「あの男の体を癒やす為に聖杯を使う気か?」

 キャスターも驚いている。私は親指をグッと上げた。

「イエス! おじさんとはもっと一緒に居たいからね。聖杯は万能なんでしょ? だったら、おじさんの体を元に戻してもらう」
「……勿体無い。望めばどんな願いでも叶える万能の願望器だぞ? 他に無いのか?」

 そう言われても浮かんで来ない。私の望みは強いて言うなら青春を取り戻す事。その為に間桐から逃げ出し、魔術の世界から距離を置きたいと思ってる。その為にサーヴァントが必要だった。逃げ出す為にはそれなりの力が必要だったからだ。だから、キャスターを召喚出来た時点で望みが叶ってしまっている。
 まあ、間桐から逃げ出した後の事を考え、ある程度お金もあった方がいいかもしれないけど、いざとなったら生前みたいに売春すれば問題無い。私の膣や尻の穴は刻印中によってすっかり拡張されているし、テクニックにも自信がある上、この見た目。ロリコン相手にガッポリ稼ぐ自信がある。
 美味しい物をいっぱい食べたいし、高校や大学にも通ってみたい。その為の勉強もしたい。その為に必要なものはお金だけで、それを稼ぐ手段もあるとなれば、正直、願望器に願う事など無い。

「無いね! 強いて言うなら、おじさんと一緒に世界を渡り歩いてみたいかな」

 ワンランク上の人生設計。いろんな国を旅して、様々な経験をする。普通の子供が経験出来ないデラックスな青春を手に入れる。折角手にした二度目の人生なんだし、とびっきりのスパイスを効かせるのも悪く無い。後は風の吹くまま気の向くまま。
 その為にはやっぱりおじさんを助ける必要がある。

「うん。私の願いはおじさんを助ける事だけだよ」
「……嘘は無いようだな。だが、やはり勿体無いと思うぞ」
「しつこいなー。おじさんは確かにストーカーだし、ゾンビだけど、私は大好きなんだよ!」
「さ、桜ちゃん……」

 おじさんがちょっと感動している。やばい、反応が素直過ぎてグッと来る。可愛いなー、もう!

「いや、それは見ていてわかるが、あの程度なら妾がどうにか出来るぞ?」
「……え?」

 彼女はかなりハイエンドな魔術師らしい。なんと、ゾンビ状態のおじさんを元に戻す事も出来るとの事。ついでとばかりに私の胸を軽く突く。それだけで体内に感じていた異物感が掻き消えてしまった。何をしたのかと問うと、体内の蟲の支配権を今のでおじいちゃんから奪い取ったとの事。
 おじいちゃんは憤慨したけど、キャスターが軽く脅すと黙った。争いは同じレベルの者同士の間でしか発生しないと言う。まさにその通り。キャスターとおじいちゃんでは魔術師としての力量に天地程の差が開いているらしい。

「凄い……」

 稚拙と思いながらもそんな感想しか出て来なかった。とにかく、今の短いやり取りの間に私の最大の懸念材料が消滅してしまった。いつおじいちゃんがキレて私の心臓を蟲に食べさせるか分からず、それなりに不安もあったのだ。

「あ、ありがとう」
「別に気にする必要は無い。あのような汚物にマスターの命運を握られている状態は妾にとっても厄介だからな。それに、お前は妾に願いを叶える機会を与えてくれた。その時点で代価は受け取っておる」

 この人、見た目は絶世の美女だけど、中身は実に男らしい。不覚にも禁断の扉を開いてしまいそうになる。ソッチの趣味を持つ女の子とも何度か性交渉を行った事があるけど、別に両刀なわけじゃない。なのに、思わずグラついてしまった。
 よろめきながら瞼を閉じると奇妙な映像が映った。キャスターの姿があり、文章が彼女を中心に飛び交っている。その内の一節が光輝き、私に文章の意味を理解させた。

「カリスマ……?」
「ああ、それは妾の保有スキルだな」

 なるほど、これが彼女のステータスというわけだ。他にも色々とスキルがあるみたい。策謀、異界常識(偽)、高速神言(偽)、陣地作成、道具作成。(偽)って付いているのが多い気がする。真名は空欄だ。

「キャスターの名前は?」
「すまんが教えられん。真名を敵に知られると厄介だからな」
「別に教えたりしないってば」

 私の言葉にキャスターはフーっと溜息を零し、首を横に振る。

「お前に教える気が無くとも、魔術師には知る術が色々とある」

 なるほど、魔術の専門家がそう言うならそうなんだろう。詳しくは分からないけど、とりあえず頷く。

「とにかく、これから時間はたっぷりある。今は無くとも、聖杯を得るまでの間に何か願いを考えておけ」
「う、うん」

 頷く私を抱っこしたまま、キャスターはおじさんに向かって言った。

「それで、お前は桜の何だ? 何を願い、聖杯戦争に参加する気だ?」

 その言葉には敵意が篭っていた。当然だ。彼女はサーヴァント。願いがあるからここに居る。そんな彼女にとって、自分以外のサーヴァントは須らく敵なのだ。敵を召喚しようとしているおじさんに対して、キャスターが警戒心を抱くのは当たり前。
 おじさんも彼女の敵意の意味を理解したのだろう。ゴクリと唾を飲み込みながら、ゆっくりと自分の目的を語り始めた。私を救う為に聖杯戦争に参加しようとしていた事を……。
「なるほど……、つまり、妾と敵対するつもりは無いという事だな?」
「当然だ。君が桜ちゃんの味方である限り、俺も君の味方だ」
「妾が桜を裏切れば、その限りでは無いと……」
「ああ、それも当然だ。その時はお前を殺す。なんだ? いずれ、裏切る腹積もりだったのか?」

 敵意の篭った眼差しを向けるおじさんにキャスターは嗤った。

「裏切る理由が無い。小賢しい事を考える輩であれば傀儡として捨て駒にする事も厭わぬが、桜は実に素直な娘だ。安心しろ。私は桜を裏切らない」
「……いいさ。いざとなったら、俺が桜ちゃんを守るだけだ」

 キャスターの言葉を全く信用していないらしい。自身を睨み付けるおじさんに対して、キャスターは微笑む。

「ああ、それでいい。それがいい。見た目は最悪だが、中身は悪くない。私もお前が桜を裏切らぬ限り、味方で居てやろう」

 剣呑とした雰囲気を漂わせながら、二人は笑い合う。意外と相性が良さそう。

「お前の体は後で治療してやる。召喚するならさっさとしろ。手駒が増えるなら大歓迎だ」
「……ああ」

 戸惑いながら、陣の前に立つ。

「……よし!」

 気を取り直し、おじさんが深く息を吸う。その時になって漸く、私はおじいちゃんの姿が見えなくなっている事に気付いた。
 私の視線の意味に気付いたらしく、キャスターが囁いた。

「逃げたようだ。まあ、目の前であんな会話を聞かされたら、当然と言える」

 そう言えば、裏切る気満々の会話をおじいちゃんの目の前で繰り広げていたのだった。しかも、裏切る為の戦力が既に整っている。逃げるのも当たり前だ。
 まあ、おじいちゃんの事だから、これで終わりって事は無いだろう。

「まあ、仕掛けて来たら返り討ちにするだけだ」

 クスリと微笑むキャスター。実に頼りになる。思わず惚れそうだ。
 兎にも角にも、今はおじさんの召喚を見守ろう。私達が見守る中、おじさんはゆっくりと詠唱を開始した。

 第二話「英霊召喚」

 間桐雁夜がサーヴァントを召喚しようと詠唱を開始した頃、時を同じくして、三人の魔術師が偶然にも召喚を行おうとしていた。
 既にキャスターとアサシン、そして、ランサーの枠が埋まり、残るはセイバー、アーチャー、ライダー、バーサーカーの四枠。
 聖杯戦争の主催者の一角である遠坂家の屋敷の地下では弟子と盟友に見守られながら当主たる男が魔術回路を励起させている。

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 深山町の端にある雑木林の奥深くでは一人の少年が鶏の生き血を使って描いた魔法陣を前に呪文を唱えている。

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 日本を遠く離れた地では礼拝堂の床に描いた魔法陣を前に一人の男が妻を背に詠唱している。

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 四者の祝詞が陣を通して聖杯へ導かれ、英霊の座へと送られていく。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 それぞれが胸に秘めた野望の成就の為、渾身の魔力を練り上げ、陣へと注いでいく。
 立っている事さえ難しいほどの烈風に耐え、死に行く肉体に渇を入れ、最後の一説を唱え切る。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

 光が工房を、雑木林を、礼拝堂を、地下室を照らす。

 四つの陣の内、最初に人影が現れたのは雑木林の陣だった。その場所で召喚を行った少年は目の前の存在に圧倒され、小便を漏らした。無理も無い事だ。彼が呼び出したのは英霊と呼ばれる存在。人の身でありながら、人の域を超えた者達。歴史にその名を刻む伝説の英雄達なのだ。

「問おう。汝が余を招きしマスターか?」

 燃えるような赤髪の大男が召喚者である少年の胴回り程もある筋骨隆々な腕を彼に差し伸ばす。少年は慌ててその手を取りながら自らの名を名乗る。

「そ、そう! ぼ、ぼぼ、僕が……じゃない、私がお前のマスターで、名前はウェイバーだ! ウェイバー・ベルベット!」

 緊張と恐怖によって少年は呂律が回っていなかった。けれど、精一杯の虚勢を張り、目の前の大男にマスターとしての威厳を見せつけようと無駄な努力をしている。
 そんな彼の思いを余所にライダーとして召喚されたサーヴァントは意気揚々と歩き出した。慌てて追いかけるウェイバーにライダーは問う。

「書庫はどこだ? 案内せい!」
「しょ、書庫?」
「契約は成った! ならば、次は戦の準備だ!」

 前途多難なスタートを切ったウェイバーに遅れる事数刻、地下室の陣から一人の青年が躍り出た。凡庸な顔立ちの青年だが、その腰には身の丈に合わぬ剣を携えている。

「サーヴァント・セイバー、召喚に応じ参上した。問おう。貴殿が私のマスターか」

 雁夜はゴクリと唾を飲み込みながら、現れた青年に向って頷く。

「そうだ。俺は間桐雁夜。お前のマスターだ」

 セイバーは雁夜の顔を見た途端、ギクリとした表情を浮かべた。

「ああ、この顔の事は気にするな。治して貰えるらしいからな」

 セイバーの浮かべた表情の意味を察して、雁夜は振り向きながら言う。すると、彼は僅かに瞠目した。
 セイバーは不思議そうに彼の視線を追った。すると、そこには仮面を被り、外套を纏ったサーヴァントが立っていた。咄嗟にマスターたる半死人の前に飛び出し、腰に提げた聖剣を抜き放つ。

「待った! そいつは敵じゃない!」

 今にも襲い掛かりそうなセイバーに雁夜は慌てた様子で静止の声を上げる。

「し、しかし――――」
「とにかく、ちょっと待ってくれ! 桜ちゃん、これは一体……」

 雁夜が話し掛けたのはまだ年端も行かぬ少女だった。桜と呼ばれた少女は怪訝そうな眼差しを仮面のサーヴァントに向けている。

「ど、どうしたの、キャスター?」
「どうしたもこうしたも無い。いずれ、残り二組となれば雌雄を決する相手だ。わざわざ正体を教えてやる事もあるまい」
「……だってさ、おじさん」
「そ、そっか……」

 苦笑いを浮かべ合う二人。セイバーはマスターである雁夜から彼女とキャスターについて簡単に説明を受けた。キャスターの正体については二人共知らないらしく、凄い魔術師らしいという簡素な説明だった。
 状況を把握出来たところでセイバーは居住まいを正した。

「私の名はアコロン。円卓の騎士が一人です」

 ライダーとセイバーの召喚により、残る枠は二つとなった。そして、礼拝堂の陣からは真紅の衣を纏った英霊が召喚者たる男の前に姿を現していた。

「サーヴァント・アーチャー。召喚に応じ、参上した」

 そして、最後に残った陣からも――――、

「馬鹿な……」

 召喚者、遠坂時臣は陣から現れたサーヴァントを一目見て悟った。失敗したのだ。
 現れたのは絶大な存在感を放つ最強の英霊では無く、素朴とさえ感じる一人の女だった。時代遅れな衣服を身に纏う田舎娘。それが彼女に対して時臣が抱いた第一印象だった。
「お前が……私のサーヴァントか?」

 目的の英霊を呼び出せなかった事に落胆しながら、時臣は問う。すると、彼女は小さく頷いた。

「ええ、私が貴方のサーヴァントよ。クラスはファニーヴァンプ。よろしくね、坊や」

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