第十三話「余はこれより、アーチャーと同盟を結ぶ」

 仮眠のつもりが深く寝入ってしまっていた。

「今のは……、セイバーの過去か」

 マスターとサーヴァントの間には霊的な繋がりがあり、互いの過去を夢という形で視る事がある。
 けれど、その内容はあまりにも衝撃的過ぎた。到底、直ぐには信じられない程に……。

「……セイバー」

 彼女は初めて会った時から妙な行動が見受けられた。
 アーサー王らしからぬ、子供っぽい言動や行動。
 その理由が聖杯を使った事に由来するとしたら……。

「……情報を整理する必要がある」

 たかが夢と思考を放棄するわけにはいかない。
 あの夢は確かにあった出来事なのだ。
 溢れるような情報量だが、重要なものを幾つかピックアップしてみよう。

「何より重要なのは、聖杯に関してか……」

 あの夢の中で、言峰綺礼は『聖杯が汚染されている』と語った。
 だから、夢の中の僕は聖杯を拒絶した。しかし、セイバーに小聖杯を破壊させた事で僕は脱落者となり、言峰綺礼が勝者となってしまった。その為に既に現界していた聖杯が奴の願いを汲み取ったのだろう。
 衛宮士郎が生まれる切欠となる災厄。その引き金を引いたのは言峰綺礼だったが、元を正せば、その罪の所在は僕自身にある。僕が破壊するべきは小聖杯では無く、聖杯の本体だったのだ。
 
「パラレルワールドの可能性もあるから、断言は出来ないが……。聖杯は汚染されているものと考えた方がいいか……」

 溜息すら出なかった。最後の希望と信じて縋った聖杯。それが使い物にならないと分かったのだ。落胆するなと言う方が無理だ。
 けれど、思考を休ませるわけにはいかない。

「このまま、戦いを続ければ、この世界でも災厄が発生する可能性がある」

 現状、生き残っているサーヴァントは三体。夢の中での第四次聖杯戦争の終盤と同じ顔触れだ。
 運命とでも言うのか、このままでは単なる焼き直しになってしまう。

「……防ぐにしても、まずはセイバーと話をする必要があるな。それに、三竦みの状態では大聖杯にも手を出し難い……。ライダー陣営との同盟はセイバーを救出する為の一時的なものにするつもりだったが……」

 昨夜、セイバーがアーチャーに囚われたという報告をホムンクルスから受けた時点で令呪を発動させようと試みた。
 だが、令呪は発動すらしなかった。何らかの方法で繋がりを断たれたらしく、完全にセイバーとの繋がりを切れ、令呪が休眠状態になってしまったのだ。幸い、彼女を甚振ろうとでもしたのか、魔力を供給するパスまでは断たれておらず、彼女の無事は確認する事が出来たし、令呪を無駄に消費する事にならなかった事は不幸中の幸いだったが、如何にセイバーを救い出すかがネックとなった。
 何故なら、セイバーが自力で脱出する事は不可能だと思われたからだ。その理由は単純明快。ホムンクルスからの報告によれば、セイバーはアーチャーに手も足も出なかったらしい。両者の間には実力の開きが大き過ぎるのだ。
 故に悩んだ末、切嗣はライダー陣営が拠点としているマッケンジー邸を訪れた。取引材料として、情報と……、最悪令呪を提供する予定だったのだが、ライダーは僕に対し『一度だけ殴らせろ』と言って、頬を殴ってきた。相当手加減をしていたのだろう。僕の顔は僅かに腫れただけだった。
 
『あのような小娘を一人矢面に立たせるとは男としてあまりにも情け無い』

 それが彼の言い分だった。同盟を組むにしても、先に気合を入れてやる必要があると踏んだらしい。
 いい迷惑だったが、この程度で同盟を組めるなら安過ぎるくらいだ。
 ライダーが僕を受け入れると、マスターであるウェイバーも警戒しつつ僕を受け入れた。
 主従揃って、甘い考え方だが、その時の僕にとっては何より都合が良かった。
 ところが、同盟を結ぶにあたり、色々と決め事を話している最中、アーチャーが新たに拠点として定めた言峰教会を張らせているホムンクルスから報告があった。
 教会内部で異変が起きている。その一報を受けた時点でホムンクルスにセイバーの逃走手段の準備をさせた。
 元々、何れかの方法でセイバーを救出出来た際に使う逃走手段を複数用意させておいた事が功を奏した。
 結果、ライダー陣営と同盟を結んだ事にあまり意味は無かったが、セイバーを取り戻す事が出来て現在に至る。

「それでも、アーチャーは難敵だ。セイバーですら、手も足も出なかった以上、ライダーと共同で討伐に向かったとしても果たして……」

 他にも問題は山積みだ。
 仮にアーチャーを斃し、大聖杯の下へ向かったとして、大聖杯をどうやって解体するかがネックだ。
 それに、大聖杯を解体するとなれば、御三家はおろか、魔術協会や聖堂教会も黙ってはいないだろう。
 何より、イリヤの身が心配だ。大聖杯が解体されれば、イリヤは次期聖杯候補としての価値を失う。そうなれば、裏切り者の僕達の変わりに罪を償わされるかもしれない。

「……それだけは」

 拳を握り締め、壁を叩く。
 夢の中ではアインツベルンの手先として、衛宮士郎を付け狙いながら、彼の優しさに触れ、人としての幸せを掴み掛けていた。
 その可能性すら潰える選択を自分に出来るのか?

「だが、やらねば聖杯から泥が溢れ出す……」

 正義の味方が選択するべきは多くの人命。そうでなくとも、娘一人の為に犠牲にして良い数では無い。
 しかし……、

「……まずはセイバーに話を聞こう」

 結局、出した答えは結論を先延ばしにする事。
 あまりにも情け無い話だ。けれど、容易に答えを出せる問題では無い。

「……ここまで、弱くなっていたのか」

 セイバーに戦場を任せきりにしていたツケが回って来た。
 弱りゆくアイリを看病しながら、安全な場所で指示を出すだけの現状がいつしか僕の牙を丸めていたらしい。
 額に手を当てながら、セイバーとアイリの部屋に向かう。
 
「セイバー、少し話が……」

 部屋に入った途端、言葉を失った。
 何が起きているのか、一瞬、理解出来なかった。
 目に映るのは鮮烈な赤。出所は愛する妻の胸元。

「……なに、を」

 セイバーが脈打つ真紅の塊を大切そうに抱えている。
 それがアイリの心臓である事に気付いたのは一瞬後だった。

「何をしているんだ、セイバー?」

 感情を殺す。今、取り乱すわけにはいかない。
 状況を正確に見極め、対処しなければならない。
 
 アイリがセイバーに殺された。

 その事実を飲み下し、セイバーに問う。

「……エヘヘ。綺麗ですよねー」

 その瞳を見た瞬間に解ってしまった。
 彼女と合流した時は報告にあったような錯乱振りは見受けなかった。
 それを僕は勝手に落ち着いたのだろうと解釈した。
 とんでもない勘違いだ。セイバーは完全に正気を失っている。瞳に宿るのは根深い狂気の光のみ。
 アイリが心配していた通りになった。彼女は言っていた。

『セイバーは無理を重ねているわ。このままじゃ、あの子はいずれ壊れてしまう気がする……』

 アイリはセイバーに会いたがっていた。彼女を慰めたいと僕に懇願した。
 けれど、僕はそれを許さなかった。
 勝利の為にセイバーとアイリの接点を出来るだけ作りたくなかったからだ。
 けれど、それが完全に裏目に出た。
 セイバーを救えたとすれば、それはアイリを置いて他に居ない。そのアイリをセイバーは殺した。
 それはつまり、後戻りの出来ないところまで、彼女の狂気が心を満たしてしまった事に他ならない。

「……それをどうする気なんだ?」
「使うに決まってるじゃないですかー。だって、これは聖杯ですよ? 何でも願いを叶えてくれる魔法の杯なんですよ?」
「わかってるよ。僕が聞きたいのはそういう事じゃない。君はそれが純粋に願いを叶える物では無いと知っている筈だ」

 僕の言葉にセイバーはうんうんと頷いた。

「でも、俺の願いはちゃんと叶えてくれる筈です!」
「……普通に生きたい、だったな? けど、その聖杯では……」
「違いますよー。嫌だなー。そんなつまらない願いに聖杯を使ったりしませんよー」

 狂気に満ちた笑みを浮かべるセイバー。

「なら、君は何を願うつもりなんだ?」

 セイバーに問う。

「簡単ですよ。もっと、たくさんの人間《おもちゃ》で遊びたいんです。だから、聖杯にお願いするんです。この世の全ての人類を私の玩具にして下さいって」

 そんな馬鹿げた事を彼女は満面の笑みを浮かべて言った。

「……それは看過出来んな」

 そう言ったのはいつの間にか室内に現れたライダーだった。

「貴様が一人の少女として生きたいと願うなら、余は聖杯を貴様にくれてやるつもりだった。だが、そのような野望を抱かれてはな」

 腰に差した剣を手に取り、ライダーは言う。

「アハハー、俺に敵うとでも思ってるのー?」
「生憎、錯乱している小娘相手に不覚を取るほど耄碌はしておらんさ」

 そう呟くや否や、ライダーは瞬時にセイバーとの距離を詰めた。
 目を丸くするセイバーの胸元にライダーが手を伸ばす。

「……駄目だよ」

 突風が吹き荒れる。
 セイバーが風王結界を解き放ったのだ。一瞬の隙を突き、セイバーは窓から外へ飛び出す。

「これは誰にもあげない。俺の物だ。私が使うんだ」
「待て、セイバー!!」

 令呪を発動しようとして舌を打った。彼女との繋がりは断たれたままだ。直ぐに繋ぎ直そうと思っていたのだが、合流してから移動中は周囲の警戒でそれどころでは無く、拠点に辿り着いた後はセイバーがアイリの下を離れようとしなかった為に出来なかった。
 少し待って、落ち着いてから繋ぎ直そうと、その間に仮眠を取った結果がこれだ。
 魔力の供給自体に問題は無いからと、これほど重要な事を後回しにした自分の迂闊さに頭が痛くなる。

「お、おい、どうなってんだよ、これ!?」

 後から入って来たウェイバーが叫ぶ。

「どうもこうも無い。どうやら、あやつの心は既に壊れてしまっておるようだ」
「何を言って……」

 ライダーはセイバーが飛び出していった窓の外を眺めて言った。

「このままではイカンだろう。聖杯が如何なるものであれ、あのように錯乱した物の手にあっては……」

 その通りだ。既に聖杯には四騎の英霊の魂が取り込まれている。
 未だ起動していない状態とはいえ、何が起きても不思議では無い。
 
「ど、どうする気なんだよ?」
「決まっておるだろ。セイバーを斃す」
「なんだって!?」

 ウェイバーはライダーの言葉に取り乱した。

「な、何言ってんだよ!? セイバーを助ける筈だろ!? どうして、アイツを斃すだなんて――――」
「それしか無いのだ。良いか、坊主。既に事は急を要する事態に陥っておる。同じ王として、一人の男として、あの小娘を救ってやりたい気持ちは確かにある」

 だがな、とライダーは諭すように言った。

「王である前に、男である前に、余は英霊なのだ。世界の破滅を水際で防ぐが英霊の役割だ。余はこれより本来の在り方に立ち戻り、あやつを斃す。それで仕舞いだ」
「そ、そんな……、そんな事」
「ここまでだ、坊主。状況がこうなってしまった以上、もはや聖杯戦争は終わりだ。貴様は故郷に帰れ」
「なんだよ……、それ」

 ウェイバーは歯を食い縛りながらライダーを睨み付けた。

「お前らしくないぞ!! 何を諦めているんだ!? 一度、アイツを救うと決めたなら、救えよ!! 途中で自分の言葉を翻すなよ!! ぼ、僕が憧れたライダーって、サーヴァントはそんな諦めの良い奴じゃないぞ!!」

 真っ向から糾弾するウェイバーにライダーは僅かに微笑んだ。

「ああ、そうだ。征服王イスカンダルは貴様の思うとおりの英雄だ」
「だったら――――」
「だが、今の余は多くの者に憧れを抱かせた英雄では無い」

 ライダーはウェイバーから顔を背けて言った。

「あの小娘を救う事はもはや誰にも叶わぬ。アイリスフィールと言ったな? その娘が死んだ時点で可能性は潰えたのだ。救うなら、もっと早く、その娘をセイバーと引き合わせるべきだった。だが、全ては手遅れだ。余はただの英霊として、自ら決めた事すら守れず、あの小娘を打ち滅ぼす。すまんな……」
「あ、謝るなよ……。ふざけんなよ……。ふざけんな……。何だよ、これ……」

 壁に背を預け、倒れ込むウェイバー。

「切嗣よ。貴様も異論は無いな? 聖杯も余が破壊する」
「……ああ、すまないな」

 ライダーは窓の外に戦車を呼び出した。
 御車台に乗り込むライダーにウェイバーはぼそりと呟く。

「……これから、お前はどうする気なんだ?」
「……まずはセイバーを追う」
「それで? セイバーに勝てるのか? お前の宝具……、対城宝具であるエクスカリバーを持つセイバーとはあんまり相性が良く無いだろ?」

 ウェイバーの言葉にライダーは微笑んだ。

「坊主。そこまで見据えられるようになったか……。ああ、その通りだ。余ではあやつに勝てぬかもしれん」
「なら、どうするんだ?」
「決まっておる。戦力を整えるのだ」
「どうやって?」

 ライダーは渋い顔をしながら言った。

「余はこれより、アーチャーと同盟を結ぶ」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。