第八話「利用するだけ利用して、ボロ雑巾のように捨ててやるよ」

 目を覚ますと、外は満天の青空が広がっていた。

「良い天気だな……」

 聖杯戦争が始まってからの数時間が嘘のように穏やかな空だ。
 今日、夢を見た。真っ赤な夢。子供達の夢だ。生きたまま、家具や雑貨に変えられた子供達。
 子供達は笑っていた。俺を見て、笑っていた。俺も笑っていた。
 
「……俺は何をしたんだ?」

 蹲って、自分の体を抱き締める。
 瞼を閉じると、夢の情景が鮮明に甦る。臓物や骨が剥き出しになった子供の死体の映像がどうしても消えてくれない。
 俺は彼等を助けられた筈だった。だけど、助けなかった。俺が彼等を殺したんだ。
 考えるべきだった。キャスターの犠牲者が人間であるという事を……。

「……ぅぅ」

 彼等にだって人生があった。友達や家族に囲まれて、幸福な人生を生きる筈だった。
 俺がその未来を奪った。彼等がどんな風に暮らし、笑顔を浮かべていたのかも知らない。
 何も知らない癖に、策略の為などと言って、命を散らせた。

「……それでも、俺は」

 謝る事も出来ない。責めてくれる人も居ない。赦しを与えてくれる人は居ない。

「それでも……、俺は」

 止まれない。立ち止まるなんて許されない。
 だから、いっぱい泣こう。どうせ、俺は最低最悪だ。だから、泣いて全部忘れよう。
 
「……セイバー」

 たっぷり泣いて、鼻を啜っていると、背後から声を掛けられた。
 誰かなんて、声を聞けば直ぐに分かる。

「……起きたのか、ライダー」

 俺が今居るのはアインツベルンの城だ。俺としてはさっさと撤収して姿を眩ませたかったのだが、酒宴の片付けを終えた後、ライダーが突然泊まると言い出したのだ。
 抵抗する気力が湧かず、俺は言われるまま、彼とウェイバーに部屋を用意してしまった。

「いいのか? ウェイバーから離れて……、敵の陣地だってのに」
「かまやせん。お前さんはあやつを殺さんだろう?」
「……どうして、そう思うんだ?」
「だって、お前さん、小僧を利用する気満々だろ」

 言葉を失った。まるで、俺の心を見透かすかのように、ライダーは目を細めた。

「……慣れん事はするもんじゃないぞ、騎士王。あんな稚拙なハニー・トラップに引っ掛かるのは小僧くらいなものだ」
「……はは、バレてたのか」
「お前さんはあくまで王だ。初手やその後の行動から見て、確かにお前さんは権謀術数に優れておるらしい事は分かる。だが、女としては未熟だ。自らの性を武器とする事に慣れておらん」

 当たり前だ。俺は元々男だったわけで、女である事を武器にするのはこれが初めての試みだった。歴戦の英雄であり、一国の王として君臨していたイスカンダルを相手に通用する筈が無かったんだ。
 まったく、身の程知らずな事をしてしまった。

「それで、お前は俺をどうするんだ?」
「どうするとは?」
「殺すのか? 主を篭絡しようとした俺を……」

 奇妙な気分だ。殺されるなら、それも良いかも知れないと思ってる。
 これで、この悪夢が終わるなら、それも……、

「馬鹿も休み休み言え、戯け。余が貴様のような小娘を手に掛ける男に見えるのか?」
「小娘だろうと、俺はサーヴァントだ」
「ああ、そうだな。だが、それでも、貴様は小娘だ」

 ライダーは静かに言った。

「騎士王よ。貴様には確かに王たる資質がある。軍勢を指揮し、必勝の策を講じ、実行する能力がある。だが、その心はやはり、小娘のものだ」

 一応、俺もウェイバーと同じく小僧なんだけどな。

「軍勢を指揮しってのは、どうして分かるんだ?」
「ここからホムンクルス達を撤退させただろ」
「……見てたのか」
「出て行ったのは十五程度だったが、奴等はそれぞれ明確な目的地を目指して走り去って行った。恐らく、別の拠点があるのではないか? そして、そこにもホムンクルス共が駐留している」

 大した推理力だ。だけど、当たり前なのかもしれない。彼は征服王・イスカンダル。ただ、戦いに明け暮れた英雄とは違う。生前はきっと、王として、内や外の様々な敵が巡らす策謀を打ち破って来たに違いない。豪放に見えて、類稀な洞察力を持っている。
 
「なあ、セイバー。お前さんは王であった事を悔いておるのか?」

 馬鹿馬鹿しい質問だ。そもそも、俺は王じゃない。ただの、平凡なサラリーマンだ。

「悔いてる筈が無いだろ?」
「あのような最期を迎えたのにか?」

 カムランの丘の事を言っているのだろう。

「別に……」
「……ならば、何を思い、お前は生きたいと口にしたのだ?」
「生きたいからだよ、ライダー。俺は普通の人生を歩みたいだけなんだ」
「なのに、王であった事を悔いてはいないと?」
「ああ、別にそれは……」

 だって、俺は王じゃないし……。

「悔いていないというなら、お前は王であった己をどう思っておるのだ?」
「どうって……」

 つまり、俺がアーサー王をどう思うかって質問か……。

「アーサー王は精錬にして、潔白な王だった。内乱が頻発し、蛮族が四方から攻めてくるという絶望的な状況を覆し、国に安寧を齎した。けど、最期は国に滅ぼされた。それだけだよ。王が立ち上がらなければ、あの時、国は滅びていた。けど、立ち上がったおかげで滅びなかった。最期は悲惨な末路だったかもしれないけど、それだけは間違い無いよ。だから、悔いる事なんて無いよ」

 それが俺のアーサー王に対する考え方だ。セイバーさんに対してじゃない。アーサー王という存在に対しての考え方。
 だって、彼に非は無かった。妻を愛し、親友を愛し、息子を愛していた。けれど、彼は人である前に王だった。
 だから、彼は妻と親友の不義が明るみになった時、彼等を裁く決断を下した。息子が自らの素性を示した時も彼を後継者に選ばなかった。それが王たる者が取るべき選択だったからだ。
 なら、彼は王にならなければ良かったのだろうか? それは違うと思う。だって、彼が王にならなかったら、ブリテンはとっくに滅んでいた。

「なるほど……。騎士王は国の為に戦った。そこに悔いは無かった。けれど、本当は人としての人生を歩みたかった。何という事だ……」

 ライダーは顔を手で覆った。

「何と言う事だ……、これは。あってはならぬ事だぞ……。こんな小娘が国の安寧の為に身を捧げたのか……。その挙句、自らの子に裏切られ、殺されたのか?」

 天を仰ぐライダー。何だか、凄い勘違いが彼の中で巻き起こっている気がする。
 
「……良かろう」
「えっと……?」

 何が『良かろう』なんだろう?

「聖杯は貴様にくれてやる」
「……え?」
「散々、国の為に走り回った小娘が、普通に生きたいと願ったのだ。ならば、是非も無い。小僧も納得するだろう」
「ま、待てよ! な、なんで、いきなり……」
「いきなりでは無い。貴様が願いを口にした時から考えておった事だ。過去を悔い、やり直しを願うような愚か者であったなら、引っ叩いて矯正してやった事だろう。世界に害悪を齎すような願いならば討ち滅ぼした事だろう。生きて、大望を為そうと言うなら、全身全霊を掛けて競っただろう。だが、小娘がただ、普通の人生を歩みたいと願うなら、どうも出来ん。叶えてやる他無いではないか」

 ライダーの大きな手が俺の頭に乗せられた。

「お前さん、恋人が欲しいと言っていたな? 小僧はどうだ? 貴様が言った通り、あやつは将来、きっと大物になるぞ」
「……ああ、間違い無い。けど、無理だな……」
「むぅ、好みでは無かったか? ハニー・トラップを仕掛けるくらいだ。多少は――――」
「そうじゃないよ、ライダー。そうじゃないんだ……」
「ならば、一体……」

 酷い勘違いをしている目の前の男に俺は深い愛おしさを感じた。
 切嗣さんやアイリスフィールに感じたような温かい感情。
 この世界で初めて、『俺』を助けようとしてくれた人。

「教会で召集を掛けられた時の事を覚えてる?」
「ああ、覚えておるが?」
「あの時、神父はキャスターのマスターについても言及していたよな?」
「ああ、確か、雨生龍之介とかいう小僧だったか?」
「そうだよ。そして、彼は魔術師じゃないらしい」

 ライダーは首を捻った。

「それが何か重要なのか? さっきの話との繋がりが見えんが……」
「アサシンのマスター、言峰綺礼は教会の人間だ」
「……何が言いたい?」

 俺は言った。

「俺のマスターが言っていた。言峰綺礼は心に深い闇を持っているって。雨生龍之介は知っての通り、殺人を快楽と感じる異常者だ」
「それが一体……」
「この街には魔術師が大勢居る。遠坂の協力者や間桐の協力者達だ。他にも聖杯戦争での神秘の漏洩を防ぐ為に協会から派遣された魔術師も滞在している。彼等を差し置いて、どうして、一般人やよりにもよって、教会の神父がマスターに選ばれるんだ?」
「……何が言いたい?」
「聖杯は本来、根源へ至る為の架け橋だ。万能の願望機というのは、聖杯本来の機能の副産物に過ぎない。聖杯が求めているのは根源へ至る事を願う優秀な魔術師である筈なんだ。にも関わらず、殺人鬼や心に闇を抱えた神父を選んだのは何故だ?」
「……まさか、聖杯に異常が起きているとでも言いたいのか?」

 頷くと、ライダーは首を振った。

「何を馬鹿な……」
「俺も馬鹿な考えだと思うさ。でも、俺の直感が囁くんだよ。きっと、聖杯は俺達の願いを叶えてくれないってさ」
「……ならば、貴様は何故戦うのだ?」
「それがマスターの願いだからだ」

 そうだ。それが俺の戦う理由だ。

「願いが叶わないかもしれない。それを知っていて、お前さんのマスターは聖杯を望むのか?」
「マスターは知らないよ。だって、言ってないからな」
「……何故だ?」
「だって、意味が無い。マスターにとって、聖杯は唯一の希望なんだ。だから、俺の言葉を信じてくれるとは思えない。それに、例え、信じてくれたとしても……」

 切嗣さんの顔を思い浮かべながら言った。

「彼は止まれないと思う。実際に、その目で聖杯の真実を見なければ……。それに、もし、彼がここで聖杯を諦めたら、また、別の希望を捜し求めにいくだろう。大切なモノを置き去りにして……、修羅の道を往くだろう……。それは駄目だ。彼には待っている人が居る。俺はその子と約束したんだ。必ず、皆で帰ってくるって……。だけど、俺は決して帰れない。だから、せめて、マスターだけは……」

 それが俺の望みだ。
 マリアや多くのホムンクルスを犠牲にし、子供達を皆殺しにした俺の望み。

「もう、他の希望など要らない。彼にそう思い知らせないといけないんだ。彼女の下に帰って、二人で幸せに生きる為に……、その為に俺は彼を――――」

 酷い矛盾だ。だけど、俺にはそれ以外の方法が思いつかない。

「絶望させる。抗う全てを皆殺しにして、マスターに絶望という真実を突きつける。彼に彼女以外の生きる支柱を作らせない為に……」
「セイバー……、お前は」

 顔を歪めるライダーに俺は思わず笑った。

「殺しとくなら今だぞ、ライダー。俺はお前の事も殺す。その為なら、ウェイバーやお前達が住処にしているマッケンジー邸の夫妻も利用する」
「……本気なのだな?」
「ああ、本気だよ。分かっただろ? 俺は最低なんだ。最低で最悪で愚かで……」
「余を殺すのに、小僧やマッケンジー夫妻を利用する必要は無い」
「……ライダー?」

 ライダーは俺の頭を乱暴に撫でた。

「余を殺したければ殺せ。利用したければ利用しろ。抵抗はせん……」
「な、何を言って……」
「聖杯が本当に異常をきたしているのかどうか、それは分からん。だが、お前さんは本気でそう思っている。ならば、好きにするが良い。どちらにせよ、余が貴様に聖杯をくれてやる事に変わりは無い」
「なんで……」

 呆然となりながら聞く俺にライダーはニッと笑って言った。

「これが余だという事だ」
「……意味が分からない」
「気にするな。お前はただ、真っ直ぐに聖杯を目指せば良い。余は勝手にお前の味方をする。それだけだ」
「……意味分かんないよ」

 本当に意味が分からない。
 殺すって言ってるのに……、どうして、優しくするんだよ。
 
「まあ、礼をしたくなったら伽の相手でもするが良い」
「と、伽!?」

 一気に頭が茹った。つい、昨日の夢を思い出してしまう。
 
「だ、駄目! 駄目に決まってるだろ!! き、君のなんて挿いる訳無い!!」
「……はぁ? 何を言っとるんだ?」
「……へ?」
「余はただ、貴様の生前の話を聞かせよと申しただけだ。騎士王の伝承を本人の口から聞くのも一興と思った故な。……よもや、貴様」

 顔が真っ赤になった。とんでもない勘違いをしてしまった。

「う、うるさい! 違うぞ!! 変な事なんて考えて無いからな!!」
「ハッハッハ!! 貴様がその気なら、そっちでも良いぞ?」
「違うってば!!」
「違うとは何が違うのだ? ほれ、申してみよ。貴様、今、何を想像しておるのだ?」
「う、うるさい!! 黙れ!! 死ね!! 消えろ!!」
「ハッハッハ!! 貴様に聖杯をくれてやるまで、死ぬわけにはいかんなー」
「黙れっての、この!!」

 手近にあった花瓶を投げると、ライダーはひょいと躱した。
 丁度その時、部屋の扉が開いた。入って来たウェイバーは飛んで来た花瓶に目を剥いた。

「な、なな、何だ!?」
「おお、起きたか小僧!」
「ラ、ライダー!! お、お前、何したんだよ!? セイバーがあり得ないくらい怖い形相になってるぞ!!」
「ハッハッハ!! 生娘をからかい過ぎたかのう」
「黙れ、このバカ!!」

 花瓶の土台を投げると、ライダーは片手で弾き飛ばし、高らかに笑った。
 悔しくて地団太を踏むと、ライダーは言った。

「その意気だ、セイバー。うじうじしとっても始まらん。勝利を得たいならば、つまらぬ事に拘るな」
「何の話だ?」
「単に、余がセイバーに味方するというだけの話だ」
「……はい?」

 目を白黒させるウェイバーにライダーはごにょごにょと耳打ちをした。
 ガーッとライダーに掴み掛かるウェイバーをライダーが片手で持ち上げながらあやしている。
 俺はと言うと、穴があったら入りたい気分だった。溜息を零すと、部屋の中で電子音が鳴り響いた。

「な、なんだ?」

 目を丸くするウェイバーを尻目に俺は部屋の中央のテーブルに載っている無線機を手に取った。

「……どうした?」
『セイバー、僕だ。キャスターを捕捉した。場所は新都の廃ビル。アーチャー陣営に対する仕掛けも準備完了だ』
「……分かりました。直ぐに出撃します」
『ああ、頼むぞ、セイバー』
「はい……、貴方達に必ずや勝利を……」

 無線機を置くと、俺はライダーとウェイバーを見た。

「俺は勝つ為なら手段を選ばないつもりだ。邪魔をするなら、即座に切り捨てるぞ」
「ああ、好きにするが良い」

 ライダーは不敵に笑った。困惑するウェイバーの背中を叩き、踵を返す。

「新都であったな。往くぞ、セイバー。まずはキャスターの討伐だ」
「……ああ、そうだな。まずは……、キャスターからだ」

 そして、その次はアーチャー。その次は……、

「馬鹿な男だ……。本当に、馬鹿な男だ……」

 宝具である戦車を呼び出すライダーの背中を見ながら、俺は拳を強く握り締めた。
 俺がアーチャーの陣営にする事を知れば、きっと、こいつも考えを改める事だろう。
 構わない。そうなったら、ウェイバーを人質にするだけだ。そして、こいつの首を刎ねるだけだ。
 簡単な話だ。簡単な話な筈なのに……、

「利用するだけだ……。利用するだけ利用して、ボロ雑巾のように捨ててやるよ……」

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