廊下が随分と騒がしい。権威ある魔術協会の総本山で一体どこの馬鹿が暴れまわっているんだろうか?
「ファック……」
響いてくる声の主に心当たりがあり過ぎて、思わず呻いた。
しばらくして、部屋の扉が大きく開かれると同時に手近にあったオレンジを投げつける。
「あいたー!?」
呻き声を上げるのは一人の青年。名はフラット・エスカルドス。
私が抱え込んでいる数多くの問題児の一人だ。
「廊下で騒ぐんじゃない」
「だって、これ見てくださいよ!!」
フラットが見せてきた一冊の書物に私は思わず目を丸くした。
随分と懐かしいものを見つけ出してきたものだ……。
「“聖杯戦争”って、知ってますか?」
知らない筈が無い。もう、十年以上前の話になるが、私はこの戦いに実際に参加した事があるのだ。
「聖杯戦争がどうかしたのか?」
「ここッスよ! ここ!」
フラットが開いたページにはサーヴァントに関する記述があった。
「英霊をサーヴァントにして一緒に戦う! すっげー、燃えるじゃないッスか!」
相変わらずの単細胞振りに溜息しか出て来ない。
「ああ、そうだな。それで?」
「俺、聖杯戦争に参加して来ようと思うんです! まだ、詳しい日程とか知らないんですけど」
馬鹿が馬鹿な事を言っている。
頭を抱えそうになりながら、私は言った。
「無理だ」
「何がですか? グレートビッグベン☆ロンドンスター」
「本人に対して二つ名で呼ぶんじゃない!! しかも、よりにもよって、そんな二つ名を選びおって!! 馬鹿にしてるのか!? いや、絶対に馬鹿にしてるよな!!」
肩で息をしながら顔を手で覆う。
「……聖杯戦争はとっくに終わってるんだよ」
「終わってる?」
「割と最近の話になるんだが……、っていうか、聞いてないのか?」
まあ、分からないでも無いか……。
フラットのガールフレンドは私が抱える問題児の一人であり、あの“聖杯戦争”の関係者の一人だ。
「さて……、私の口から話していいものか……」
「いいと思うよー、マスター・V!」
「ファック! お前達は揃いも揃って……」
陽気な笑顔で部屋に侵入して来た銀髪の少女。フラットのガールフレンドはケタケタと笑いながらフラットに抱きつく。
「ここは逢引の場所じゃないぞ!」
「いいじゃん、いいじゃん! それより、フラットにも話してあげてよ、マスター・Vが体験した聖杯戦争の事」
「……だから、二つ名で呼ぶんじゃない。いいのか?」
「うん! 正直、フラットには知ってて欲しいし……、でも、自分の口から語ろうとすると……どうしても、つっかえちゃうし」
瞳を揺らす少女にフラットが心配そうな顔を向ける。
溜息が出た。そんな言い方をされたら話さざる得ないじゃないか……。
「私も興味があるな」
「お前もか……」
三人目の問題児登場。金髪を靡かせ、背後にメタリックカラーのメイドを侍らせる彼女の名はライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。
嘗ての聖杯戦争が原因で没落の一途を辿ったアーチボルト家の現当主であり、我が部屋に平気な顔して乗り込んでくる問題児達の内の一人だ。
「浮かない顔だな。可愛い妹が兄に顔を見せに来てやったのだぞ? 茶と菓子を用意し、咽び泣きながら歓迎するのが世の理というものではないかね?」
「そんな世の理は存在せん」
本日何度目かになる溜め息を零した後、人数分の紅茶を淹れる為に席を立つ。
この流れはきっと、他のも来る流れだ。
「あら? これは何の集まりかしら?」
四人目登場。
「おや、凛じゃないか。これから兄に過去を赤裸々に語ってもらう所だ。君もどうだ?」
「……面白そうね」
「折角だし、他の二人も呼んだら?」
余計な事を言うな小悪魔!!
フラットのガールフレンドが余計な事を口走ったせいで、赤い悪魔がその気になってしまった。
しばらくして、悪魔の妹と彼氏が登場。
それなりに広いつもりの部屋が一気に狭くなった。
「あ、手伝います」
溜息混じりに増えた人数分の紅茶を淹れようとすると、唯一の良心が手伝いを申し出てくれた。
悪魔の妹とは思えない健気な性格をしている少女。涙が出て来る。
「さあさあ、聞かせて下さい、プロフェッサー・カリスマ!!」
「話すの止めるぞ!!」
問題児軍団に囲まれながら、私は渋々語り始めた。
恥ずかしくもあり、恐ろしくもあり、悲しくもあり、輝かしくもあった、数日間の物語。
まるで、老人が孫を囲って昔話に興じているかのような感覚を覚える。私も歳を取ったものだ……。
さて、どこから話したものか……。
とりあえず、こう言って、話し始めるとしよう。
「全ては私の愚かな誇大妄想から始まった」
私を囲む問題児達の多くは……というより、フラット以外は皆、聖杯戦争によって運命を大きく歪められた者達だ。
個別に語り聞かせた事は何度かあったが、こうして一堂に会した状態で語るのは初めてだ。
まあ、一人足りていないが……。
『問おう。汝が我を招きしマスターか?』
あの光景を私は生涯忘れる事が無いだろうと確信している。
満月の夜だった。木々がざわめく中、私は彼を召喚した。
私の平凡な運命が終わりを告げ、激動の運命の始まりを告げた夜。
私が召喚したのはライダーのサーヴァント。名は征服王・イスカンダル。
最初は何て恐ろしい奴なんだと思った。そして、次に何ておかしな奴なんだと思った。
彼が最初に口にしたのは『書庫へ案内せい』だったのだ。
夜とは言え、堂々と街中を鎧姿で練り歩き、閉じている書店から本を強奪するとんでもない男。
序盤にして、ランサー、アーチャー、ライダー、バーサーカーという四騎の英霊が揃い踏むという異常事態が発生した。
ランサーと謎のホムンクルスが戦いの火蓋を開け、ライダーが私を連れて戦場に乱入し、アーチャーとバーサーカーが現れた。
思い出すのは光。夜闇を照らす極光。何もかもを呑み込む破壊の力。
私たちは飛んで火に入る夏の虫だったのだ。
セイバーのサーヴァントは我々が一箇所に集まった瞬間を狙い、宝具を発動した。
私は運良く令呪を使い逃走する事が出来たが、ランサーとバーサーカーは巻き込まれて消滅してしまった。
アーチャーだけが怒りの形相を浮べ、セイバー討伐に向ったが、既に逃走した後だった。
『実に見事』
ライダーがそう呟いたのを覚えている。
彼は自分の呼び掛けに応えなかった事を非難しながらも、その戦術と戦略の確かさを称賛した。
セイバーは自らの正体や実力を一切秘匿した状態で二騎の英霊を葬ったのだ。
当時はキャスターかもしれないと思っていた。そして、あの光に恐怖した。
『如何にも、俺がセイバーだ。どうやら、君達も目的は同じらしいな』
初めて顔を合わせたのはキャスターの根城の前だった。
私は拙い錬金術を使い、キャスターの拠点を突き止める事に成功し、浮き足立っていた。
けれど、彼女と出会った時、何もかもが吹き飛んだ。衝撃的だった。
『なるほど、優れたメイガスのようだ』
まるで、男のような言葉遣いをする彼女の顔に思わず見惚れた。
だって、あんなに綺麗な顔の女にそれまで出会った事が無かったんだ。
人形のように無機質では無く、さりとて、アイドルや女優のような美しさとも違う。
『成長途上というわけか……、末恐ろしいな』
出会った当初、私はただただ情け無い姿を晒すばかりだった。
けど、彼女は私に言った。
『君は若い。逃げて、未来に生きるのも一つの選択だ。とても、勇気の要る選択だが、君は将来必ず大物になる』
彼女の言う通り、果たして私は大物となれたのだろうか?
その時の私は彼女の言葉を単なる意地で跳ね除けた。
私とライダーは彼女と共にキャスターの根城に入り、そこで地獄を見た。
地獄の内容については秘密だ。犠牲者達の尊厳の為にも語るわけにはいかない。
ただ、そこは地獄だった。魔術師として、凄惨な状況を幾度も見た私が断言する。
あれほどの地獄は他に無かった。
そして、彼女は涙した。その時だった。私が彼女から目を離せなくなったのは……。
キャスターの根城の前で別れた後、直ぐに彼女はアーチャーに襲われた。
本来は助ける道理なんて無いのだが……、気がつけばライダーに彼女を救うように命じていた。
彼はそんな私の判断を是としてくれたよ。
アーチャーとの戦いの最中、ライダーとセイバーは互いの切り札を切った。
そして、私達は彼女の正体がアーサー王である事を知ったんだ。
ライダーはあの時、酷く不機嫌になっていたよ。
『あのような小娘がアーサー王だと?』
アーサー王の伝承を知っていれば、誰もが思っただろう。
セイバーは……、生身の彼女はどこでも居る普通の女の子だったんだ。
そんな女の子が王という重責を荷い、国を守り、国に滅ぼされた。
それを彼は許せないと言った。
『この上……、静かな眠りを拒絶し何を願っておるのだ?』
ライダーは彼女の祈りを知りたがっていた。
そして、その為にとんでもない暴挙に出た。
『今残っているのは暴れ回っておるキャスターを除くと、セイバー、アーチャー、アサシン、そして、ライダーたる余の四騎にまで絞られたわけだ。ここいらで、一献交し合い、宴を開こうではないか!!』
それは残る全サーヴァントを招いての宴会だった。
アサシンだけは反発したけど、驚くべき事にアーチャーまでもが宴会に参加し、語りに参加した。
そこで明かされたセイバーの祈りは驚くべきものだった。
『美味しい御飯を食べて、遊んで、学んで、働いて、恋人でも作って、子を為して、そして、静かに眠る。それが俺の叶えたい望みだ』
そう、彼女は言った。
普通に生きる事。それが彼女の望みだと知ったライダーは自らの祈りを捨て、彼女の願いを叶える決断を下した。
セイバーの様子がおかしくなったのはその直後だった。
キャスターの討伐に向った私達の前で彼女はキャスターをアーチャー討伐の駒とするべく唆したのだ。
そして、そのまま遠坂邸へと乗り込んでいった。
その時点で彼女は聖杯の汚染が進行していたのだ。
「彼女の過去について私が語るのはフェアじゃない。だから、言える事は……、彼女は聖杯にサーヴァントの魂が満ちる程、精神を汚染されていく状況にあったという事だけだ」
キャスターがアーチャーに討伐された後、彼女は完全に錯乱状態になっていた。
アサシンを笑いながら皆殺しにし、猟奇的な趣味を持つようになった。
恐らく、キャスターの蛮行も彼女の精神汚染の原因の一端を担ったのだろう……。
その時、私とライダーはアーチャーと交戦状態に入っていた。
と言っても、完全に一方的な展開となっていた。
王の軍勢を展開したライダーは決死の思いで戦ったけど、結局……。
「まあ、後一歩のところでアーチャーが強制召喚され、ライダーは消滅を免れた」
まさにギリギリのタイミングだった。
ライダーはアーチャーの危険性を明確に理解し、同時にセイバーを心配した。
その結果、彼が下した決断はセイバーのマスターと接触する事だった。
一度、体を休める為にマッケンジー邸に戻った私達はどうやってセイバーのマスターと接触するかを悩んだ。
ところが、機会は向こうの方からやって来た。
セイバーのマスター、衛宮切嗣が同盟を申し出て来たのだ。
彼と正式な同盟を結んだ後、セイバーがアーチャーに囚われた事を知った。
即座に救出に向かったが、驚いた事にセイバーは自力で脱出に成功していた。
けど、悦んだのも束の間、彼女は自らのマスターの妻の心臓を抉り出した。
『たくさんの人間《おもちゃ》で遊びたいんです。だから、聖杯にお願いするんです。この世の全ての人類を私の玩具にして下さいって』
錯乱状態のセイバーはそう言って、心臓を……アインツベルンが用意した小聖杯を持って逃亡した。
あの時程、絶望に暮れた事は無い。
『このままではイカンだろう。聖杯が如何なるものであれ、あのように錯乱した物の手にあっては……』
そう言って、ライダーはセイバーの討伐を決意した。
彼女を救う。そう言っていた彼が諦めを口にした。その事がどうしても許せなかった。
なんとも自分勝手な事を口走ったものだが、私はどうしても諦め切れなかった。
彼女を救いたい。そう思って、切嗣と共に策を講じた。
最終的に私達が用意した策は殆ど役に立たなかったが、結果、彼女を救う事には成功した。
けれど、犠牲も大きかった。
「衛宮切嗣はセイバーを救う為に自らを犠牲にしたんだ。そして、娘を彼女に託した」
私はそっとフラットのガールフレンドに視線を向けた。
彼女は今にも泣きそうな顔をしている。
「そして、彼女は彼の願いを叶える為に聖杯に受肉を願ったんだ」
「そ、それで、どうなったんスか!?」
フラットが身を乗り出して聞いて来る。
「……答えは君の直ぐ後ろに立っている」
私の言葉にフラットはキョトンとした表情を浮かべながら振り向く。
そこに彼女は立っていた。手にはいっぱいのお菓子がある。
「アルトリアさん……?」
セイバーはそこに居た。
全てが終わった時からずっと、そこに居る。
「まあ、隠しているわけでも無いからな。色々と悶着があったが、彼女こそがセイバーのサーヴァント。アーサー王だ」
「えっと……、何の話? ウェイバー」
困ったように頬を掻く彼女に肩を竦める。
「昔話をせがまれてな」
「ア、アルトリアさんが……、アーサー王!? ええ!? 時計塔随一のハーレム野郎の奥さんがアーサー王!?」
「最悪な二つ名をアルの前で使うんじゃない!!」
驚愕に顔を歪めるフラットにデコピンを喰らわせると、ガールフレンドが助け起こす。
「……イリヤ。ガールフレンドならキッチリ躾けろ」
「ムリムリ。それに、フラットはこういう所がいいんだもーん」
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。衛宮切嗣が死に際にアルに託した娘もまた、ここに居る。
聖杯に受肉を祈った後、彼女は溢れ出した泥を浴びた。この世全ての悪に汚染された黒い泥を全て身に受けた彼女はしばらく動かなかった。
あの時の数分が私には数時間、数日、数年にも感じられた。
漸く動き出した彼女はこう言った。
『イリヤを助けに行って来るよ、ウェイバー』
全てはアヴァロンのおかげだった。
魔力を流され、起動状態にあったアヴァロンは彼女を汚染しようとする聖杯の呪いを片っ端から浄化した。
結果、彼女は汚染される事無く、受肉を果たしたのだ。
現代に甦ったアーサー王を止められる者は存在しない。
ただでさえ、現代の如何なる魔術も通さぬ絶対的な対魔力を持つ彼女が聖剣と鞘を手に向って来るのだ。
アインツベルンに出来た事は全滅を防ぐ為にイリヤを差し出す事だけだった。
次の聖杯戦争の聖杯の器となるべく調整を受けていたイリヤは寿命を大きく削られていたが、その後知り合った人形師によって、命を存える事が出来た。
帰って来たセイバーは私に言った。
『俺は……君の事が嫌いじゃないよ。でも、君に相応しい人間じゃない』
そう言って、私を振った。
そして……、
『俺のやるべき事はもう無い。だから、最後に君の手で引導を渡してくれないか? 自分でやるのは……ちょっと、怖いんだ』
そんな馬鹿な事を口にした。
だから、私は散々彼女に対して口汚い言葉を発した。
その上、あまり思い出したくないが、無理矢理迫った。
だって、諦め切れなかったんだ。折角、生きている彼女が目の前に居るのに自制している余裕なんて無かった。
『……意外と大胆だな、君』
唇を奪った後、彼女は拒絶する事も無く、おかしそうに笑った。
『……俺は君が思っているような人間じゃないよ? そもそも、女じゃないんだ』
そして、彼女は私に語った。
他の誰にも話していない彼女の秘密。彼の秘密。
正直、彼女の神経が参ってしまったのかと思った。それくらい、話の内容は信じ難いものだった。
もしかしたら、私に諦めさせる為に作り話を語っているのでは、と疑った程だ。
だけど、彼女の瞳に嘘は無かった。
彼女はアーサー王でもあり、ただの青年でもあった。
『君の子供を産んでやるわけにもいかない。そもそも、女として愛してやれるかも分からない。加えて、この身は別の男に愛を捧げた少女のものだ』
肩を竦める彼女に私はその時何も言えなかった。
『だから、俺の事は諦めろ。君には将来、俺なんかよりずっと綺麗な心を持った美人が何人も現れる筈さ。偽物のアーサー王なんかよりずっと良い女がたくさん……』
『……あの涙も偽物なのか?』
私が口にした言葉に彼女はギョッとしたような表情を浮かべた。
『あの時のお前の言葉はアーサーのものだったのか!?』
その時の私はただ悔しがっていただけだった。
彼女と過ごした日々や彼女と交した言葉の数々がまるで全て嘘だったかのように思えたのだ。
だから、彼女を問い詰めた。
そして、彼女は言った。
『あれは確かに俺の涙だった。俺の言葉だったよ……。でも……』
『お前は僕をどう思ってるんだ!?』
その問いに彼女は直ぐに応えなかった。
あの時、否定的な言葉が返って来ていたら、自分はどんな決断をしていたのか分からない。
ただ、あの時彼女はこう言った。
『……言っただろ? 嫌いじゃないよ……』
『それは……、好きって言葉として捉えてもいいのか?』
『いやいや、それは早計だろう。っていうか、言ったじゃないか。俺は男だよ? 確かに、君に対して言葉で表現し難い感情を抱いてはいるよ。俺の覚悟を受け止めてくれた君に対しては……けど』
『……なら、好きにさせてやる』
『……はい?』
自分でも、どうしてあんな決断をしたのか分からない。
当時の私はただただ困惑するばかりだった筈だ。
なのに、私は叫んでいた。
『お前が僕を好きになるようにさせてみせる!! だから、それまで僕の傍に居ろ!!』
『ま、待て、落ち着け、ウェイバー。言っただろ? 俺は……』
『仕方無いじゃないか!! もう、どうしようも無く、好きになっちゃったんだよ!! 責任取れよ!! ずっと、傍に居ろ!!』
その時の彼女の顔は忘れられない。
顔を真っ赤にして、目を見開く彼女の顔。
あの時、私は改めて彼女を愛するようになった。
私の告白を受けて、動揺してくれた彼女を……、私は愛した。
それから十年。二人で奔走する毎日だった。
師であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトの死の要因の一端を担ってしまった私はアーチボルト家の再興に手を貸す事にした。
それと同時に引き取ったイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの体の調整を行う為に様々な方面に頭を下げて回った。
更に、父と兄弟子を聖杯戦争で失った遠坂凛をセイバーの希望で世話する事になり、その上、その過程で固有結界の術者という破格な才能を持つ一般人の少年の事も世話する事になってしまった。
波乱万丈な五年間が過ぎ、漸くアーチボルト家の再興の目処とイリヤの体の調整を行ってくれる封印指定の人形師との接触に成功した私はいつしか魔術協会の名物教師と呼ばれるようになっていた。
英霊を相棒としているが故に様々な悶着もあり、休めぬ毎日が続いた。一度は彼女を引き渡すように言われた事もある。
まあ、その時は彼女が直々に黙らせに行ったが……。それ以来、誰も何も言わなくなった。
魔術が一切通用しない上に時計塔を一撃で消滅させられる受肉した英霊。正に最強だった。
更に月日は流れ、聖杯が再起動したとの一報を受けた。
聖杯戦争終了当時の私には大聖杯を止める程の手腕が無く、彼女の宝具では何が起こるか分からなかった為、霊脈に仕掛けを施し、時間を掛けて停止させる手段を取る他無かった。
だが、それを間桐の老人が取り除き、再起動を果たさせてしまったらしいのだ。
まあ、結局大事には至らなかった。機に乗じて聖杯を狙おうとする輩も居たが、封印指定の執行者、バゼット・フラガ・マクレミッツの協力を得て、聖杯戦争を一気に終結させる事が出来た。
その際、実に奇妙な出会いを果たしたりもした。
兎にも角にも、我々は十年越しとなったが、大聖杯を完全に停止させる事に成功した。
その結果、間桐の老人が急激に老け込み隠居してしまい、その時の縁で間桐の後継者であった間桐桜が私の門下生の一人として加わった。
それから数年。漸く、私達の激動の運命も停滞期に入ったらしく、静かな日々が続いた。
とは言え、フラット、イリヤ、凛、士郎、桜、ライネス他、様々な問題児達を抱え込み、心労は絶えない。
けれど、彼女が居るおかげでめげずに居られる。
大聖杯を停止させた後、私は改めて彼女にプロポーズした。
『……あの可愛かったウェイバーがすっかり立派になっちゃって』
私のプロポーズに苦笑で返した後、彼女は言った。
『十年か……。さすがに……、こうまで一途に思われちゃうとな……』
頬を赤らめながら、視線を逸らす彼女に私は言った。
『愛しているんだ。頼む。私と結婚してくれ!!』
遠まわしな言い方が出来る程、私には余裕が無かった。
だから、直球勝負で告白した。
すると、彼女は困ったような顔をして言った。
『俺でいいの? 前にも話したけど、俺は……』
『君じゃないと駄目なんだ!! だから、頼む!! 俺と――――』
『わ、分かった!! 分かったから……、もうあんまり、その……、恥ずかしいだろ』
唇を尖らせる彼女に私は歓喜しながら抱きついた。
ああ、実に恥ずかしい思い出だ。あの後、全員にからかわれた。
フラットなんぞは聖杯戦争の事情も知らない癖に協会中に話を広め、私の形見を狭くした。
「まったく……」
私は部屋に集った一同を見渡す。
聖杯戦争の始まりの御三家の末裔が勢揃いしているだけでも異常な光景だ。
そこにライネスや士郎という問題児が加わり、私の周囲は毎日が賑やか過ぎる程に賑やかだ。
「さあ、話は終わりだ。フラット。他に気になる事があればガールフレンドに聞け。私は話し疲れた」
「はーい!」
深刻な話も多々あった筈なのだが、問題児達は暗い表情を一切見せない。
あの戦いで両親を失ったイリヤ。
父と兄弟子、そして、魔術刻印を失った凛。
当主が死に、没落の一途を辿るアーチボルト家の当主の座を押し付けられたライネス。
青春を奪われた桜。
最初に出会った時、彼女達はいずれも暗い表情を浮かべていた。
「……良い表情をするようになったな」
呟くと、アルが「そうだね……」と同調した。
「初めは君を散々敵視していたな」
「当然だよ。俺はイリヤの母と凛の父を殺した張本人なんだから」
彼女達に対して、私達に出来た事は殆ど無かった。
ただ、彼女達の為に出来る事を探して、奔走するばかりだった。
彼女達が今のような笑顔を向けてくれるようになったのは何時の頃からだっただろうか……。
「……俺の罪は決して赦されるものじゃない。だから、彼女達に殺されても文句は言えない」
「そんな事は……」
「あるよ。君だって、ライネスや凛に対して同じ事を思ってるだろ?」
図星だった。ケイネスの死の要因の一端を担った事や凛の兄弟子を殺した事。
彼女達から恨まれる理由は十分にあった。
「だけど、彼女達は今、俺達と笑顔で接してくれている。彼女達がどんな葛藤を抱いているかは分からないけど……」
アルは私の手を取って言った。
「きっと、あの時死を選んでいたら、彼女達の笑顔を見る事は出来なかった。逃げずに留まれたのは君が俺を捕まえていてくれたおかげだ……」
アルは目を細めた。それは合図だった。
軽いキスをした後に彼女は言った。
「俺を愛してくれてありがとう、ウェイバー。子供を作ってやる事は出来ないけど、俺の残りの人生は全て君のものだ」
「……ああ、そして、私の人生は君のものだ」
抱き合っていると、扉の向こうに気配を感じた。
アルから離れ、扉に向って魔弾を放つ。すると、蜘蛛の子を散らすように問題児共が逃げていく。
「アイツ等は……」
「アハハ……、皆、愉快な性格になっちゃったね」
「全部、フラットのせいだ。そうに違いない!! 私はちゃんと教えてきたつもりだ!!」
魔術師としての在り方を懇切丁寧に教えてきた自覚がある。
あんな風に陽気な性格になったのは私の責任じゃない。
「どうかなー。君って、意外と熱血な所があるしねー。そういう所、ライダーと似てるもん。きっと、フラットもイリヤも凛も桜も士郎もライネスも皆、君の影響を受けたんだよ」
「止めてくれ……。私はあそこまでお馬鹿じゃなかった筈だ」
「いいや、お馬鹿だったよ」
アルは苦笑しながら言う。
「だって、俺なんかを好きになって、あんな無茶を繰り返したんだもん。そんな君を見て、彼等は育ったんだ。だから、ぜーんぶ、君のせいだよ」
「……酷い言われようだな。だが、まあ……悪くは無いか。少なくとも、悪人は一人も居ない」
それで良しとしよう。
「ついでに言っとくと、俺が君に惚れちゃったのも君のせいだ。だから、ちゃんと責任取ってくれよ?」
「ああ、勿論だ。……けど、まだ明るいか」
「良いじゃないか。そういうのも盛り上がる」
「……せめて、仕事が終わるまでは待ってくれ」
「了解。奥さんらしく、君の為に美味しいクッキーでも焼いて待っているよ」
「ああ、ありがたいな。君の料理は年々美味しくなっていく」
「練習したからね。君への愛の証としてさ」
「……本当にありがたいな」
もう一度、彼女の唇を啄んだ。
「愛しているよ、アル」
「ああ、俺も……、結崎或《ユイザキ アル》も君を愛しているよ」
互いに笑みを浮かべる。
始まりは“偽りの憧れ”と“偽りの好意”だった。けれど、今、二人の間にあるのは確かな“愛”だ。
「本当に……、愛している」