第十九話「新たなる力」

 王都トリスタニアを出発して丸一日が経過。南に向かい、馬を何度も乗り換えて走り続けている。向かう先は山間の街ラ・ロシェール。そこから浮遊大陸アルビオンへの定期船が出ている。
 初めは一度学院に戻る予定だった。だけど、ルイズが直接アルビオンへ向かおうと提案してきた。
 万が一を考えたのだ。常識的に考えれば、乗馬訓練は一朝一夕でどうにかなるものではない。だけど、サイトには奇妙な能力が幾つもある。
 最たるものがペルソナだけど、それ以外にも武器を持てば風のように素早く動き、青銅をゼリーのように切り裂くパワーを発揮する不思議な強化能力がある。
 もし、その不思議な力が乗馬の時にも発揮されたら? 一日で馬に乗れるようになる。そんな奇跡をサイトは実現出来る可能性を秘めている。
 
「――――モンモランシー」

 せめて、愛しのモンモランシーに最後の別れを告げたかった。使い魔のヴェルダンデに彼女宛の手紙を託してあるけど、名残惜しさが後を引く。

「ギーシュ!」

 物思いに耽けていると、ルイズが馬を寄せてきた。

「今のペースを維持すれば、後半日程でラ・ロシェールに到着するわ。どうする?」
「……いや、今日はここまでだにしておこうよ。もう、宿を見つけて休もう。この時間だと、馬が潰れても直ぐに替えを用意する事が出来ない。今のペースを維持し続ける事は不可能だよ。それに、僕達の体力もそろそろ限界だ。確か、この道を少し行って右に逸れた先に村があった筈だ」
「……分かったわ」

 王都で入念に下調べを行った甲斐があったというもの。
 ここまでの道中は実に順調だ。
 だけど、無理は禁物。ここまで来ると、もはや王都の威光は届かない。夜間に人気の無い道を進めば野盗や怪物に襲われる可能性もある。
 地図を買った店の主人からの受け売りだけど、ルイズにも出発前に確りと説明した。
 おかげで焦ってはいても、癇癪を起こしたり、反対意見を口にしたりはしてこない。

「あそこだ」

 地図を頼りに進み、遠くにぼんやりとした光を見つけた。
 見晴らしの良い大草原が広がる村。“タルブ”という名で、ブドウの名産地として有名な所だ。ここで採れたブドウを使ったワインは絶品だと好事家達の間で少々有名な場所でもある。

「あれ? ミス・ヴァリエールに、ミスタ・グラモンではありませんか!」

 馬を引きながら宿を探していると、聞き覚えのある声が響いた。

ゼロのペルソナ使い 第十九話「新たな力」

 気が付くと、奇妙な場所に居た。暗い部屋。ベルベットルームとも違う。
 壁は煉瓦のようだ。窓は見当たらない。とりあえず、歩いてみよう。
 かなり広い空間らしい。いくら歩いても、ゴールに辿り着かない。
 
『こんにちは』

 いきなり背後から話し掛けられ、心臓が止まるかと思った。
 振り返ると、そこには青い髪の少女が立っていた。
 どこか、イゴールやアンに似た雰囲気を感じる。

『ずっと、待ってたよ』

 少女は薄く微笑む。

『わたしは……、リシュ。よろしくね、お兄ちゃん』

 リシュと名乗った少女は踊るように歩み寄って来た。
 
『気をつけてね、お兄ちゃん』

 リシュは俺の手を取って、物憂げな表情を浮かべながら言った。

『大きな試練がやって来る』

 リシュの吐息が手の甲に当たる。

『だけど、必要な事。試練を乗り越えた先に真実がある』

 リシュは俺の手の甲に唇を押し付けた。
 途端、激しい頭痛に襲われた。同時に風景が一変した。
 月夜の大草原。そこに見知った後ろ姿が二つ。
 声が聞こえる……。

“アルビオンへの定期船が運航停止状態とはね……”

 ギーシュの声だ。

“足止めを喰らっている暇なんて無いわ。方法を見つけなきゃ!”

 ルイズの声も聞こえる。

“方法と言っても、アルビオンは空に浮かぶ浮遊大陸だ。フライで飛んで行ける高度じゃないし……”
“そうだわ! ギーシュ。貴方のペルソナで何とかならないの? ほら、剣をぶん投げたみたいに私達を――――”
“死んじゃうよ!? 絶対! 間違いなく、死んじゃうから却下!”
“じゃあ、どうするのよ!?”
“一応、明日、ラ・ロシェールに向かおう。なんとか船を出してもらえないか交渉してみるしかないよ。最悪、船を一隻買い取って――――”

 声が遠ざかる。景色も元の暗い部屋に戻ってしまった。
 今の光景が現実のものだとしたら、二人は既にアルビオンへ出発してしまったという事だ。
 
『今のわたしに出来る事はこれが精一杯。いつか、現実の世界で会えたら、その時は――――』

 リシュは俺の手を自分の胸元に引き寄せた。
 彼女の鼓動が手の甲を通じて伝わってくる。不思議な少女、リシュとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“世界”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はリシュとの絆に呼応する様に、“心”の力が高まるのを感じた。

『いってらっしゃい、お兄ちゃん』

 リシュの声が遠ざかっていく。気が付くと、俺はいつも寝る時に使っているソファーの上で横になっていた。
 空は真っ暗だけど、腕時計を確認すると、まだ0時前だった。
 急いで起き上がり、デルフリンガーを手に取る。

『オウ、起き抜けに慌ててどうしたんだよ、相棒?』
「ルイズとギーシュを追い掛ける!」
『ハァ? おいおい、相棒。出発は明日だろ?』
「違う。騙された。アイツラ、俺を置いてとっくに出発してたんだ!」
『なんで、そんな事が今さっきまで寝てた相棒に分かるんだ?』
「上手く説明出来ないけど、夢で見たんだ! 二人がラ・ロシェールって所に向かおうとしている所を!」

 問答をしている時間は無い。尚も喋り続けようとするデルフリンガーを鞘に押し込み、俺は部屋を飛び出した。
 建物から飛び出すと、どこからか女の子の啜り泣く声が聞こえた。
 
「この声……」

 啜り泣く声はどこか聞き覚えがあった。
 急いでルイズ達を追わないといけないのに、俺は声の主の事が気に掛かった。
 声の方に走って行くと、やはりそこには見覚えのある姿があった。
 
「モンモン……?」
「……サイト?」

 啜り泣いていたのはモンモランシーだった。
 彼女の手にはシワクチャになった手紙が握られている。

「サイト……。どうしよう……。ギーシュが死んじゃう……」

 涙をボロボロと零しながら、モンモランシーは言った。
 
「もしかして、その手紙はギーシュから……?」
「……そうよ。ギーシュ。もう、帰って来れないかもって……。極秘の任務を命じられたって……。あ、あなたの事を任せたいって……」

 鼻水を垂れ流し、体を震わせながらモンモランシーは髪の毛を掻き毟った。

「お、おい、モンモン!?」
「ヴェルダンデが運んできたのよ! こ、こんな物まで同封して!」

 そう言って、モンモランシーが掲げて見せたのは一目で高級品と分かる宝石だった。

「こ、こんな高価なもの……。今まで、バラとか香水とかくれた事はあったけど……。ギーシュの家は裕福じゃないのよ! こんな物を気軽に買える程、懐に余裕なんて無い筈なのよ!?」

 モンモランシーが握っている手紙。そこに書いてあったものが何か、読まなくても分かってしまった。
 遺書だ。しかも、モンモランシーに形見の品まで送って……。

「あ、あの野郎……」

 怒りが込み上げてくる。これが映画や漫画の登場人物の事ならカッケーの一言で済ませたかもしれない。
 だけど、アイツは俺の友達だ。モンモランシーを泣かせて、俺を置いて行って、勝手に死のうとしている。それが堪らなく許せない。
 
「……待ってろ、モンモン。俺がアイツの首に縄を括りつけてでも連れて帰って――――」
「ああ、もしかして……」

 いきなり、モンモランシーは空を見上げながら言った。

「ギーシュはルイズと駆け落ちしたのかもしれないわ」
「……は?」

 何を言っているのか、一瞬分からなかった。

「そうよ……。こんな遺書みたいなもの送りつけて、ギーシュはきっと……。そうよ……。この宝石だって、ルイズに買わせた物なんだわ」

 まるで、穢らわしい物に触ってしまったかのように、モンモランシーは宝石を地面に投げ捨てた。

「お、おい、モンモン!?」
「ルイズは公爵家の娘だもの。男爵家であるギーシュの家とは釣り合いが取れない。だから、二人で逃げ出したんだわ」
「何言ってるんだよ、モンモン! ギーシュは――――」
「黙りなさい!!」

 吹き飛ばされた。そうとしか表現出来ない。まるで、蚊を払うかのような動作でモンモランシーは俺を吹き飛ばした。慌ててデルフリンガーを掴み、身体能力を向上させる。
 十メートルは飛んだ。あまりの事に気が動転しそうになる。
 
「お、おい、モンモ……って、あれは!」

 モンモランシーの体から白い霧が噴き出している。
 脳裏に浮かぶ、マリコルヌとの決闘。ミス・ロングビルとの戦い。

「アハ……、アッハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 甦る恐怖の記憶。どうして、モンモランシーが……。
 
「バカみたい……。心配なんてして、鼻水まで流して……、みっともない……。捨てられたのね……。ああ、本当に……」

 精神が錯乱している。俺は必死にモンモランシーの名前を叫んだ。

「バカみたい……」
「後退しろ、サイト!!」

 モンモランシーが白い霧に包まれていく。
 同時に頭上から鋭い声が轟いた。顔を上げると、そこには塔の壁を蹴り、降りて来るクリスの姿があった。
 クリスは壁を強く蹴り、弧を描いて俺の所に降りて来る。

「退がっていろ、サイト!!“シャドウ”が顕現する!!」

 クリスは俺を突き飛ばし、腰に差している日本刀を引き抜いた。

「やはり、封印が解かれてしまったという事か……」
「お、おい、クリス! それって、どういう……」

 直後、モンモランシーの悲鳴と共に霧が一気に吹き上がった。
 浮かび上がる仮面。

『我は影、真なる我……』

 青い鱗。蛇のような細長い胴体。
 それは、まるでお伽話に出て来る龍のようだった。

「逃げろ、サイト!」

 クリスは身をクネラせる巨大な怪物を前に一歩足を踏み出した。

「何言ってるんだ! お前の方こそ逃げろ!」

 クリスはあの怪物の事を何か知っているみたいだ。
 だけど、生身で立ち向かうなんて無茶だ。
 
「ここは俺が――――」
「駄目だ。幾ら、お前の剣技が優れていても、アレの前では無意味なのだ。アレと戦うには相応の“力”が要る! 我が一族が伝えし、この“力”が!!」
 
 轟くように叫び、クリスは左手を天に掲げた。
 すると、彼女の掌に一枚のカードが現れた。

「ま、まさか……」

 見覚えのある仮面が描かれたカードをクリスは握り潰した。

「来い……、ブリュンヒルデ!!」

 瞬間、光と共にクリスの頭上に槍と盾を手にした女性が姿を現した。

「ペ、ペルソナ!?」
「なっ……、なぜ、サイトがペルソナの事を!?」

 驚きのあまり叫ぶと、クリスが目を白黒させた。

「な、何でって、俺も持ってるから――――って、危ない!」

 意識しての行動では無かった。
 クリスが背を向けている隙に青い龍が水の塊を吐き出したのだ。
 その光景を見て、咄嗟に守らなければいけないと思った。すると、掌に馴染み深い感触が現れた。
 現れたカードを握り潰す。

「ローラン!!」

 頭上に白い鎧を身に纏う聖騎士が現れ、クリスの前に躍り出た。
 水と言えど、勢い良く飛んで来たソレは相応の硬度を誇り、俺のペルソナを吹き飛ばした。
 ペルソナの受けたダメージがフィードバックして来る。まるで勢い良く電信柱にでもぶつかったかのような痛みが走る。
 だけど、怯んでいる暇は無い。

「水属性は雷属性に弱いっていうのがRPGのお約束だぜ!! ジオ!!」

 轟く閃光。雷霆が青い龍に向かって迸る。

「やったか!?」

 雷は確かに命中した。ミス・ロングビルとの戦いでは効果が薄かったけど、よく考えてみたら、土属性に雷属性が効き難いっていうのもRPGのお約束だ。
 
「駄目だ、サイト! 逃げろ!」

 クリスの声が響く。直後、雷に打たれた筈の龍が無傷のまま俺に向かって突進してくる。

『飛べ、相棒!!』

 デルフリンガーの叫ぶ声に思考する間も無く従った。飛び上がった瞬間、足元を龍が通り過ぎていった。地面を削りながら奔る龍の背に着地すると、そのままデルフリンガーを突き立て――――、

「硬っ!?」

 龍の鱗は恐ろしい程硬かった。

「サイト!!」

 クリスのペルソナが俺を掴んで龍の背中から遠ざける。
 俺は遠ざかる龍に向かって、再びジオを放った。だけど、やっぱり効いていない。

「ど、どうして……」
「ペルソナ能力は持っていても、知識は無いか……。いいか、サイト。シャドウの中にはスキルを無効化するタイプが存在する。アレはどうやら、雷の属性を無効化するタイプのようだ」
「マ、マジかよ!? 普通、水属性には雷属性だろ!?」
「よく分からんが、奴には物理攻撃も効果が薄そうだな。サイトよ、ジオ以外のスキルは持っていないのか?」
「そ、そう言われても……」

 そもそも、いきなり新しい単語がポンポン出て来て頭の中は絶賛混乱中だ。
 シャドウだとか、スキルだとか、いよいよRPGみたいだ。

「――――って、魔法や怪物がいる時点で、とっくにファンタジーか!」

 再び襲い来る龍の突進を回避しながら、俺はローランの刃で龍の体に斬りつけた。
 デルフリンガーは錆が酷い。武器の質のせいで刃が通らなかった可能性も十分にある。
 そう思ったが故の一撃だったが、やはり鱗に弾かれた。

「ってか、こんな怪物が暴れまわってるっていうのに、どうして誰も出て来ないんだ!?」

 かなり激しく戦っているから、物音だって物凄い。
 幾ら寝入っていても起きるだろ、普通。

「シャドウの発する霧が原因だ」

 クリスが風の魔法を龍に打ち込みながら言った。当然のように無傷で襲い掛かってくる龍に俺はローランの刃をぶつける。
 やっぱり、硬い。

「ど、どういう事だ!?」
「シャドウの霧は抵抗力を持たない者に幻覚を見せる」

 クリスはペルソナに掴まりながら龍から一気に距離を取る。
 そういう戦い方も出来るのか……。

「メイジなら、起きている間は抵抗出来る可能性もある! だが、寝ている間は無防備だ」

 クリスが“ガル”と叫ぶと、彼女のペルソナが疾風を巻き起こした。

「ックソ、効き目が薄いか――――」

 クリスは俺のいる場所まで飛んで来た。

「シャドウの霧による眠りから醒める事は不可能に近い。出来るとしたら、それはペルソナ能力を持つ者か、目覚める素養がある者。もしくは、シャドウの霧にも屈しない強靭な意思を持つ者だ」

 目の前に龍が迫っている。ローランとブリュンヒルデが同時に前に飛び出してガードの姿勢を取った。
 激しい衝撃に全身が痛む。

「だ、大丈夫か、クリス!」
「あ、ああ……。これしきの傷、サムライである私には――――ッ」

 のんびり喋っている余裕は与えてくれないみたいだ。
 龍は巨大な水の塊を隕石のように吐き出してくる。

「受け続けるとヤバイぞ!」

 回避に専念しながら、時折攻撃を加える。だけど、ちっともダメージが通った気がしない。

「もしかして、これがリシュの言っていた……」
「ボケっとするな、サイト!!」
「えっ?」

 俺はクリスに突き飛ばされた。直後、俺の居た場所――――つまり、クリスの居る場所に水の隕石が降り注いだ。

「ぐぁぁああああああ!!」
「クリス!!」

 地面が大きく抉られ、クリスのブリュンヒルデが膝を付いている。
 
「クリス!!」

 クリスは刀を杖にして、体を支えている。だけど、額と口元から血を流し、足がふらついている。

「サイ……、ト」

 崩れ落ちる寸前、クリスの体を抱き止めて、俺は全速力で龍から離れた。
 追い掛けて来る。クリスを安全な場所に運ぼうにも、これでは無理だ。

「もう、いい……。逃げろ、サイト」
「おい、喋るな! 今、安全な場所に――――」
「いいんだ。シャドウと戦う事は我が一族の勤めなのだ。その為に、私はこの国に来た。覚悟は出来ている」

 その言葉にカチンと来た。一族の勤めだか何だか知らないが、こんな華奢な体で碌でも無い覚悟を決めているクリスに腹が立った。
 そして、碌でも無い決意を彼女にさせてしまった俺自身に腹が立った。
 
「サイト。私を置いて、お前は――――」
「ウルサイ……」
「サイト……?」
「ウルサイって言ってるだろ! お姫様の癖に、体を張り過ぎなんだよ、バカ!」
「バ、バカとはなんだ! バカとは!」
「ウルセェ!! バカだ!! どいつもこいつもバカばっかりだ!!」

 ルイズといい、ギーシュといい、クリスといい、どうしてドイツもコイツも自分を蔑ろにするんだ。
 どうして、頼ってくれないんだ。

「ちくしょおおおおおおお!!」

 俺はクリスを地面に降ろし、向かって来る龍に向かい合った。

「な、何をするつもりだ……、逃げろ!!」
「巫山戯んな!! 女の子が命を張ってるのに、男の俺が逃げ出せるわけないだろ!!」

 攻撃が効かないなど、知った事か!
 こうなったら、何が何でもアイツを倒す。そもそも、アイツを倒せなきゃ、モンモランシーが助けられない。
 シャドウの事もペルソナの事も何もかも分からない事だらけだけど、やらなきゃいけない事だけは分かる。

「行くぞ!!」

 デルフリンガーを構える。

『……相棒。狙うなら、目玉や口の中だ。鱗に刃が通らないなら、通りそうな場所を攻撃するしかねーぞ』
「ッハ、簡単に言ってくれるな、チクショウ!」

 研ぎ澄まされた感覚で龍の動きを捉える。龍は巨体の割に機敏だけど、俺の方が素早い。
 決めるならカウンターだ。奴が突進してきたら、ギリギリの所で回避して攻撃を仕掛ける。
 心臓がバクバク言ってる。失敗したら死ぬかもしれない。だけど、やらなきゃ勝てない。
 
“敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ”

 前にミス・ロングビルから出た怪物と戦った時にルイズが言い放った言葉が甦る。
 本当は怖かった癖に、必死に恐怖に抗って敵に立ち向かったルイズの後ろ姿が脳裏に浮かぶ。

“メイジの実力を見たければ、その使い魔を見よ”

 この星にはそんな格言があるらしい。
 なら、ここで俺が恐怖に負けて逃げ出したら、ルイズの実力はその程度のものという事になってしまう。
 そんな事、認められない。

『来るぞ、相棒! タイミングを誤るな!!』
「おう!!」

 龍が顎を開き、迫り来る。
 接触まで三秒……、二秒……、一……秒!

『いまだ、相棒!!』
「でりゃあああああああああああ!!」

 前に踏み込み、飛ぶ。
 まるで、時が停止したかのような感覚。
 怪物の仮面に覆われた顔の向こうに紅く輝く瞳が見えた。

「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 
 デルフリンガーを振るう。グチャリという感触。デルフリンガーの刀身が龍の瞳に突き刺さった。

「うぉっ!?」

 途端、龍が暴れ始めた。痛みに悶えているようだ。
 俺は広場の方へと吹き飛ばされた。デルフリンガーを手放してしまったせいで体が一気に重くなり、体勢を整える事が出来ない。

「クッソ……」

 その時、俺はクリスがペルソナを使って移動する姿を思い出した。
 やってみるか……。

「ローラン!!」

 ローランは俺の呼び掛けに素直に応えてくれた。
 俺の手を掴み、ゆっくりと地面に下ろしてくれた。

「サンキュー」

 ローランにお礼を言って、再び龍に視線を戻す。すると、龍は真っ直ぐに俺を見つめていた。
 轟く咆哮。飛んでくる水の流星群。今の俺では躱し切れない。
 万事休すだ。

「……チクショウ」

 頑張ったつもりだけど、ここまでみたいだ。
 あれを喰らったら、さすがに死んでしま――――……ッ

『どうやら――――』

 瞬きをした瞬間、俺はまた、ベルベットルームに居た。
 この部屋の住人であるアンが薄く微笑みながら分厚い本を広げている。

「――――新たなる力に目覚める時が訪れたようですね」

 そう言って、アンは俺の下に歩み寄ってくる。
 イゴールは相変わらず大きな目をギョロつかせながら口を開いた。

「あなたの力は他者とは違う特別なものだ。空っぽに過ぎないが、同時に無限の可能性を宿している。あなたは一人で複数のペルソナを持ち、それを使い分ける事が出来るのです」

 アンが開いた本から一枚のカードが浮かび上がる。

「これは先刻の戦いで手に入れた“魔術師”のアルカナ。宿るペルソナは――――」

 カードが真っ直ぐに俺の所まで飛んで来て、掴んだ瞬間、俺はベルベットルームから元居た広場に戻された。
 手の中にはベルベットルームで受け取ったカードがある。
 迫り来る水の流星群を前に俺は迷わずカードを握り潰した――――……。

第十八話「暗転」

 トリステイン魔法学院は優秀なメイジ達を教員に据えている。それ故に並の施設よりも防衛力が強固であり、貴重な魔法具や調度品、書物などの保管を任せられている。
 まだ、王立図書館の蔵書を総て調べ終えたわけではないが、折角の機会だ。ここなら王立図書館でもお目に掛かる事の出来ない貴重な蔵書に目を通せる筈。
 早朝、オールド・オスマンに許可を取り、本塔の図書館を訪れた。30メイルを超す本棚は実に圧巻。思わず感動に打ち震えてしまった。

「……さて、どこから手にとってみようかな」

 王立図書館並とはいかないまでも、ここの蔵書数は計り知れない。ここは一つ、テーマを絞って調べる事にしよう。
 視線で本の背表紙をなぞりながら、コレはと思うものを手に取っていく。

『ハルゲギニアの歴史』
『偉大なる始祖ブリミルの足跡』
『大いなる思想の海』
『虚無の伝承』
『古典・イーヴァルディの伝承』
『心と魔法』
『始祖ブリミルの使い魔たち』

 幾つか違う目的の為の書物も手に取ってしまった。

「……まあ、折角の機会だ」

 幸い、アンリエッタ王女が魔法学院に滞在する間は部下に指示さえ飛ばしておけば自由に動ける。
 ここは腰を据えて読書に勤しむとしよう。

 読書に没頭していた私を現実に引き戻したのは外から響いてくる聞き覚えのある声だった。
 いつの間にか空がすっかり茜色に染まっている。手で軽く窓の霜を取り払うと、広場の中央に見知った顔を見つけた。
 サイト君だ。傍に佇む少女にも見覚えがある。あれはクリスティナ姫だ。
 こんな夜更けに二人っきりとは……。
 そう言えば、王宮で二人は親しげに会話をしていたな。クリスティナ姫は穏やかな気性の持ち主で、やたらと権威を振り翳すタイプでもない。
 これは禁断のロマンスが展開しているのかもしれない。実に甘酸っぱい。
 しかし、静観しているわけにもいかない。相手は異国の姫君だ。
 少年少女の色恋沙汰にちょっかいを出して、馬に蹴られる趣味は無いが、万が一という事もある。
 サイト君の立場が危うくなれば、その余波がルイズに向かう可能性も高い。いや、それ以前に国際問題に発展する可能性も零では無い。
 
「どれ、少しお節介を焼くとしようかな」

 読んでいた本を閉じ、小机に置く。中々、目的に見合う内容の本は見つからなかった。
 小さくため息を吐き、長時間座っていたせいで固くなっている体を解す。

「おっと……」
 
 立ち上がった拍子に小机を揺らしてしまい、上に乗っていた本が数冊床に散らばってしまった。
 
「いかんな……」

 貴重な書物を汚したとなっては図書室の利用を許可して下さったオールド・オスマンに申し訳が立たない。
 急いで散らばった書物をかき集めていく。幸い、ページが折れ曲がったり、敗れてしまったものは無かった。

「おや?」
 
 散らばった本の中には、まだ手付かずの本も混ざっていた。
 その内の一冊。偶然開かれたページに私は釘付けになった。

『始祖ブリミルの使い魔たち』

 そこに記されていた内容と嘗ての婚約者の身に最近起きた驚愕の出来事が急速に結びついていく。
 神の左手と呼ばれる使い魔。あらゆる武器を使いこなしたとされる“人間”の使い魔。その左手に刻まれる特殊なルーン。
 その文章を読み上げると同時に脳裏に浮かぶ黒髪の少年。不思議な装束に身を包み、その身に見合わぬ剣技を有する少年。その左手に刻まれた見慣れぬルーン。
 そして、彼を……、人を使い魔にした前代未聞のメイジ。四大系統の呪文が悉く失敗する少女。だが、彼女の失敗は通常の失敗とは少し違う。魔法の発動自体は“爆発”という形で顕現している。
 伝説とされる系統。
 伝説とされる使い魔。
 
「ま、まさか……」

 鼓動が早まる。確認しなければならない。
 もし、この推察が正しいなら、私は遂に見つけた。いや、見つけていた。
 本を小机に放り、私は広場に向かって駈け出した。胸の奥底でドロドロとした感情が鎌首をもたげる。
 邪悪な思い付き。嘗ての婚約者……、しかも、まだ幼い彼女を利用する計略が脳内に組み上がっていく。
 反吐が出る。今直ぐに計画を中止しろと理性が叫ぶ。

「……クハ」

 それも一瞬の事。理性は野望に呑み込まれ、唇の端が無意識の内に吊り上がる。
 王や国への忠誠が薄らいでいく。ルイズやサイト君に感じていた親愛の情が薄れていく。
 代わりに欲望の炎が際限無く燃え上がっていく。

ゼロのペルソナ使い 第十八話「暗転」

 早朝、俺は火の塔に赴き、通い慣れたコルベール先生の研究室の扉をノックした。
 馬に乗る練習をする為には当然ながら馬が必要だ。だけど、学院の馬を借りるには許可が要る。ルイズとギーシュは出発の準備があるからとメモを残し、俺が起きる前に王都に向かってしまった。帰ってくる頃まで待っていたら練習する時間が無い。
 二人を頼れない以上、頼みの綱はコルベール先生だけだ。

「おや、サイト君。朝早くからどうしたんだい?」

 コルベール先生は何かの作業中だったみたいで、額に汗を流していた。
 邪魔をするのも悪いと重い、手短に用件を伝えると、コルベール先生は難しい表情を浮かべた。

「だ、駄目ッスか?」

 コルベール先生なら直ぐに許可をくれると思っていただけに、芳しくない反応を返されて戸惑った。
 コルベール先生が駄目となると、他の数少ない知り合いに頼んでも無駄だろう。

「あの……、俺はどうしても今日中に馬に乗れるようにならないといけないんです!」
「……私からオールド・オスマンに話を通せば、特別に馬を貸す事は出来る。だけど、一人で練習をさせるわけにはいかない。誰か、指導する者が居れば話も違うのだけど、生憎、今日は私も忙しくてね」

 明日の午前中なら時間が取れると言われたけど、明日じゃ遅い。
 指導してくれる人を見つけたら許可を出すと言われ、俺は渋々コルベール先生の研究室を後にした。
 困った。ルイズとギーシュが居ない今、俺が頼れる人間は多くない。
 シエスタはメイドの仕事で忙しそうにしているし、モンモランシーやキュルケとは個人的な頼み事が出来る程親しくない。
 デルフリンガーに乗馬の手解きを頼んだとしても、さすがに指導員が剣では馬を借りる許可を出してもらえないだろう。

「うーん、困ったな」
「どうしたのだ?」

 弱り果てて頭を抱えていると声を掛けられた。顔を上げると、そこにはクリスの顔があり、俺は思わず歓声を上げた。
 頼れる人間がここに居た。

「クリス!」
「な、なんだ?」

 目を白黒させるクリスの手を取り、俺は頭を下げた。

「頼む。俺に馬の乗り方を教えてくれ!」
「……あ、ああ」

 こんな状況だと言うのに、鼻孔を擽る女の子特有の甘い香りに俺は夢見心地になっている。

「馬は乗る者の心をつぶさに感じ取る。常に平常心でいる事が大切だ。おい、聞いているのか?」

 耳元で囁かれ、思わず頬が熱くなる。
 俺は今、クリスと一緒に黒毛の牝馬に跨っている。
 一緒に乗りながら説明した方が効率が良いと、クリスは密着した状態で手取り足取り教えてくれているわけだ。

「集中しろ。今日中に乗れるようにならないといけないんだろう?」
 
 そう言われても、この状況で落ち着ける程、俺は大人じゃない。
 背中越しに感じるクリスの柔らかさや温度に頭は沸騰寸前だ。

「ほら、道を外れてしまったぞ。しっかりしろ、サイト」
「は、はひぃ」
「……もう、昼だな。すこし、休憩にしよう」

 クリスはそう言うと、優雅な身のこなしで馬から飛び降りた。
 ホッとしたような、ガッカリしたような、ちょっと複雑な心境。
 馬を放っておくわけにもいかず、俺はひとっ走りして、食堂でサンドイッチを作ってもらった。シエスタが不在だったから、少し緊張した。
 馬が牧草を貪っている傍らで、俺達もサンドイッチに舌鼓を打つ。新鮮な野菜と肉で作ったマルトーさん特製サンドイッチは今日も絶品だ。
 
「それにしても、どうして今日中に馬に乗れるようにならねばならんのだ? 筋は悪くないが、やはり一朝一夕では無理があると思うぞ」
「……それは」

 口振りからして、クリスはアンリエッタから何も聞いていないみたいだ。
 当然だな。自国民にも気安く口外出来ない内容だ。他国民の……、しかも王女様に話すわけにはいかない。
 
「話せない……、か?」
「……ごめん」

 教えてもらっておいて、事情を何も話せない事に罪悪感を感じる。
 だけど、正直に話すわけにはいかないし、嘘偽りで誤魔化す事も出来ない。
 俺に出来る事は謝る事だけだった。

「……よい。頭を上げろ、サイト」
「クリス……」
「事情がある。それだけ分かれば十分だ。午後もビシバシ鍛えてやるから心しろ」
「あ、ああ! ありがとう、クリス!」

 本当にクリスには幾ら感謝してもし足りない。
 一国の王女様なのに、平民の俺にここまで良くしてくれるなんて、彼女の国の国民はさぞや幸せな事だろう。
 サンドイッチの最後の一つに齧り付きながら、俺はそんな事を思った。
 “クリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナ”コミュのランクが“2”に上がった!
 “運命”のペルソナを生み出す力が増幅された!
 
「ところで、サイト。一つ、聞きたい事があるのだが……」
「聞きたい事?」

 真剣な面持ちでクリスは言った。

「最近、この学院内で奇妙な出来事は起こらなかったか?」
「奇妙な出来事?」

 奇妙な出来事と言えば、俺がこの星に来てからの出来事は一から十まで全てが奇妙だ。
 平賀才人の奇妙な冒険と銘打って、自伝でも書こうかと思うくらい奇妙な体験をし続けている。
 だけど、クリスが聞きたがっているのはそういう事じゃないのだろう。
 
「……いや、変な質問をして悪かった。さて、午後の訓練を始めよう」
「あ、うん」

 この学院内で起きた“この世界にとっても奇妙な出来事”には二つ心当たりがある。
 だけど、どっちも常識外れ過ぎて、馬鹿正直に話してもキュルケみたいに馬鹿にしているのかと怒られるのが関の山だろう。
 クリスもまさか、あの二つの異形の事を聞いているわけでは無いだろうし、特にミス・ロングビルの一件は口外しない約束をオールド・オスマンと交わしている。
 それ以外となると、ここに来たばかりの俺には分からない。いずれにしても、クリスの期待には応えられないだろう。
 訓練はその後夕暮れまで続いた。俺は少しずつ乗馬に慣れ、今ではクリスの補助無しで乗り回せている。これなら、ルイズとギーシュの任務についていける筈だ。
 喜び勇みながら、俺はクリスにお礼を言い、二人が王都から帰ってくるのを待った。
 だけど、その日、二人は帰ってこなかった――――……。

第十七話『アンリエッタの頼み』

 朝、ルイズが目を覚ます前に寮の隣にある広場でデルフリンガーを振るっていた。
 ここには俺の他にも二人居る。クリスとギーシュだ。

「ええい、上様の名を騙る不届き者め!」

 俺の周りには十体のギーシュのゴーレムが連携を取り合っている。
 それぞれがランスやロングソード、アックス、ハンマーなどを握っている。

「『成敗』!」

 一番遅いハンマーを持ったゴーレムを真っ二つにして、そのまま次々にゴーレムに斬りかかる。
 まるで豆腐を斬ってるみたいな気がする。デルフリンガーの刃は何の抵抗も無くゴーレムの胴体を切り裂く。

「貴様の悪事、明々白々の下に曝されているぞ。もはや、言い逃れは出来まい」

 剣を握ったゴーレムを剣ごとデルフリンガーで真っ二つにする。
 どうやらそれは囮だったらしい。残る全てのゴーレムがいつの間にか俺を囲んでいた。
 同時に仕掛けてくる気らしい、だけど――――ッ。

「もはや、言い訳は不要、断じて許し難い……が、任命した余にも責はある」

 上ががら空きだぜ! 四方八方が塞がれているなら、頭の上を跳び越えてやればいいだけだ。
 一番鈍重そうなゴーレムに向かって俺はその場で跳び上がった。

「所詮は上様の名を騙る不届き者よ、浅はか浅はか!」

 囲っていたのが全てのゴーレムでは無かったらしい。跳び越えようとしたゴーレムの背後に別のゴーレムが居た。
 ゴーレムはショートソードを横薙ぎに振るいながら鈍重そうなゴーレムの背を蹴って俺に向かって飛び掛ってきた。
 どうやら、俺が上に逃げる事は想定内らしいな。敢えて鈍重そうなゴーレムを混ぜて俺の行動を予測したらしい。
 でも、残念だったな。俺はデルフリンガーでショートソードごとゴーレムを切り裂いた。
 飛び上がらせる為に特別に軽量化したらしく、切り裂くと同時に吹っ飛んでしまった。

「天に代わって、成敗する!」

 ゴーレムを操っていたギーシュの首筋にデルフリンガーの刃を向けて、俺は最後の台詞を言い切った。
 か、かっこ良すぎる……。

「よし、じゃあ次は私だな!」

 人が折角余韻に浸ってるってのに、クリスが空気を読まずに割り込んでくる。
 どうして俺達がこんな事をしているのかというと、王宮で話した時代劇にクリスが関心を抱いて、自分でやってみたいと言い出したんだ。
 剣の稽古を一緒にやる約束だったし、時代劇ごっこをしながらやろうって話になった。
 どうせなら本格的にやろうと思って、ギーシュに声を掛けたんだけど、最初はあんまり乗り気じゃなかった。

『一国の姫君に杖を向けるなんて出来るわけが無いだろう』

 呆れた様に言われてしまった。
 稽古という名目上でも杖を他国の王族に向けるなんて真似をすれば実家にも迷惑が掛かると言われてしまった。それでも今はこうして付き合ってくれている。
 朝、最初は俺とクリスだけで剣を交えていた。クリスは予想以上に剣の腕が達者だった。
 俺のスピードやパワーがクリスの技術の前に手も足も出なかった。
 ギーシュはそれを見ていたらしい。前に自分を負かした俺が手も足も出ずに居る様子に居ても立っても居られなかったらしい。

「ちょっと待ちたまえ! 今度は僕が上様をやる番だろう! 王族とはいえ、最初に決めた順番は護って頂かないと! 僕はもうアクダイカン役は嫌だ!」
「む、いいではないか! というより、お前以外にゴーレムを作れる者が居ないのだから仕方あるまい。お前はずっとアクダイカン役をしていろ」
「冗談じゃない、僕だって主人公がいいよ!」

 最初はギーシュが緊張しっぱなしだったけど、今ではこの通りだ。
 ずいぶん仲良くなったもんだな。口喧嘩するくらいに……。

「サイト、君がアクダイカンをやってくれ!」
「やってもいいけど、俺はゴーレムなんて作れないぞ」
「ああもう! どうして君達はゴーレムを作れないんだ!?」
「平民だからです」
「風のトライアングルだが、土系統は苦手だ」
「あんたら何やってんの?」

 そんな事を言い合っていると、冷え切った声が聞こえた。
 ルイズとモンモランシーが引き攣った顔で俺達を見ていた。

「や、やあ、モンモランシー、おはよう」
「よ、よう、ルイズ、おはよう」

 いつの間にかルイズを起しに行かないといけない時間になっていたらしい。
 あまりに楽しくて時間を忘れてしまっていた。

「おはよう……じゃなくて、何やってたのよ?」
「ギーシュ、あなた、一国の姫君になんて口の利き方してんのよ!?」

 ルイズは呆れた様な顔をしているけど、モンモランシーは若干顔色を青褪めさせていた。

「何って、時代劇の真似しながら剣の稽古してたんだよ。昨日、王宮でルイズがお姫さまと話してる時に約束したんだ」
「朝っぱらから大声で変な事を叫んでると思ったら、時代劇って、あんたの国の演劇だっけ?」
「へ、変な事って、時代劇の台詞だよ。かっこいいだろ?」
「……まあ、特に何か言うわけじゃないけど、恥しいから今度からはもっと人の居ない所でやりなさい」
「ご主人様、泣いてもいいですか?」
「鬱陶しいからやめて」

 本当に心が折れそうになった。
 フリッグ舞踏会の時にルイズと距離が近くなったと思ったのに、なんか前よりもキツくなってないかな……。

「っていうか、まず言う事があるんじゃないかしら?」
「使い魔のお仕事をサボってしまい、申し訳ありませんでした」
「よろしい。それにしても、ずいぶん仲良くなったみたいね、クリスと」

 ルイズの目が据わっている。物凄く怖いです。
 とりあえず、隣でモンモランシーに叱られて小さくなってる男に習って謝ろう。

ゼロのペルソナ使い 第十七話『アンリエッタの頼み』

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。二つ名は……『ゼロ』。使い魔の名前は『サイト・ヒラガ』です。種族は……に、『人間』です」

 笑いが巻き起こった。俺達が立っているのは、寮と本塔と土の塔と水の塔に囲まれたアウストリの広場だ。
 魔法学院に在籍している全ての生徒と教師が集まっている。郡服を身に纏った人達も居て、その中にはワルド子爵の姿もある。
 寮を背景に大きな舞台が設えられていて、生徒達は舞台を中心に扇形に並んでいる。
 その中で一区間だけ、隙間が開けられていた。丁度、舞台の目の前だ。そこに、一際大きくて豪奢なテントがある。その中にオールド・オスマンともう一人、この国の王女様であるアンリエッタが椅子に腰掛けている。
 今日は前にギーシュと一緒にコルベール先生から聞いた使い魔の品評会だ。新二年生達が今年召喚した使い魔をアンリエッタに見せるという趣向だ。
 キュルケのサラマンダーは炎を綺麗な帯のように吐き出して、ギーシュのグランモールは教師によって隠された宝石を瞬く間に見つけ出した。他の使い魔達も次々に見事な芸を披露していく。
 横目でルイズの様子を伺うと羞恥に顔を赤らめながらも必死に耐えている。御姫さまの前で決して失敗は出来ないとルイズは何度も口にした。
 クリスを迎えに行ったあの日から一週間弱、俺はクリスとギーシュと一緒に剣の腕を磨きながらルイズに色んな事を仕込まれた。
 礼儀作法、敬語の使い方、文字の読み方、馬の乗り方。どれもいまいち上達しなかったけど、ここで失敗する事は出来ない。俺が失敗すれば、それはルイズの失敗になってしまう。

「サイトの芸を披露致します前に、協力して下さる方を御紹介致しますわ。『青銅』のミスタ・ギーシュ・ド・グラモンです」

 今回の俺の芸の為にギーシュは協力を買って出てくれた。俺の芸をもっと派手に演出する為だ。
 だけど、ギーシュが俺達の為だけに買って出てくれたわけではない事も分かってる。舞台に上がるギーシュの瞳は爛々と燃え上がっている。

「御紹介に与りました、ギーシュ・ド・グラモンです。二つ名は『青銅』。この度はミス・ヴァリエールの使い魔の芸に協力致します事になりました」

 ギーシュが舞台に上がった事で広場に集まった者達はしきりに首を傾げた。ギーシュと俺の仲が良い事を知る者達はどこか面白がる様な顔をしている。

「それでは、これより私の使い魔、サイト・ヒラガの剣技をお見せ致します!」

 俺とギーシュは舞台を降りた。使い魔の芸には炎や雷を伴うものも多いから、舞台の前はかなり広く空間が開けられている。この広さなら申し分ない。
 俺の芸ってのは、つまり剣だ。ペルソナって選択肢もあったんだけど、あれは自分の意思で出そうと思っても出せないんだ。
 いつも、気が付くと出していた。だから、ペルソナを当てにする事が出来ず、迷った挙句に剣技を披露する事にした。
 最初は巻き藁でも斬ろうかと思ってたんだけど、ギーシュは剣技を披露するならもっと派手にした方がいいだろうと、クリエイト・ゴーレムで的を作ってくれる事になった。
 だけど、ただの的じゃない。この一週間弱の間、俺はギーシュとクリスの三人で稽古をしてきた。これはその成果を試す舞台でもあるんだ。だから、ギーシュは本気で来る。
 今まで、俺はギーシュに一度も負けた事が無い。もし、この場で俺が勝った場合、ギーシュは平民に負けた貴族という汚名を背負ってしまう。
 それでも、ギーシュは目の前に立っている。その目が本気で来いと言っている。
 ギーシュは背水の陣を敷いているんだ。負けるわけには行かない状況に身を置いて……。
 俺だって負けられない。俺が負ければ、ルイズが笑われる。そんなのは嫌だ。ルイズの頑張りを俺は知っている。ルイズが誇りの為なら命すら投げ打つほど勇敢な事も知っている。
 なら、そんなルイズの努力や信念を使い魔の俺が穢すわけにはいかないよな!

「いくよ、サイト! 君に敗北という花を手向けよう!」
「ぜってぇ、勝つ!」

 もう、準備は万端だ。デルフリンガーを握り締め、体は今直ぐにでも戦いたいと疼いてる。
 外野が決闘をするつもりなのか、とか騒いでるけど、もう耳には入って来ない。
 目の前の空間にギーシュの魔法によって作られた十体のゴーレムが出現する。以前のゴーレムとはかなり変化している。
 装飾はさらに細かくなり、前の銅像にしか見えなかったワルキューレ達は今や人と見紛う程に出来栄えだ。その手にはシンプルながら美しい装飾が僅かにのぞく剣が握られている。
 準備は出来た。俺とギーシュはルイズを見た。ルイズは右手を上げ、振り下ろした。その瞬間、俺の足元が爆発した。

「な、ニ――――ッ!?」

 足元から土の腕が伸びて来た。事前の打ち合わせじゃ、ゴーレムだけで戦うって言ってたのに、こんなのありか? 俺は舌を打ちながらデルフリンガーで絡み付いてくる土の腕を切り裂いた。
 その間にゴーレム達は距離を詰めてきていた。五体のゴーレムが剣を振るう。四方に逃げ場は無い。なら、定石を踏むまでだな。
 俺は向上した身体能力を利用して、ゴーレム達の頭上高くに跳び上がった。その瞬間、目の前に剣が飛んできた。

「危ねっ!?」

 次々に剣が飛んでくる。どうやら、ギーシュの目の前に立っているワルキューレが地面から次々に生えてくる剣を拾っては投げ、拾っては投げって具合に剣を投擲しているらしい。
 バランスが崩されて、剣を振るおうとしているゴーレム達の真っ只中に落とされてしまった。

『相棒、まずは真下の奴をぶった切れ! 休まず、右だ! 次は左だ! 背後から来るぞ! 右に避けろ! 上から剣が落ちてくるぞ!』

 デルフリンガーの指示の通りにもはや我武者羅と言っていい具合に剣を振り回す。休んでいる暇が無い。ギーシュの奴、殺る気まんまんだ。
 いくら負けるわけにはいかないたって、これはやりすぎだろ! そう思いながら、俺は剣を振るってる内になんだか叫びだしたい気持ちになった。

『地面の下から来るぞ! 左から接近! 右が振り被っているぞ! 真後ろに飛べ! 右から来るぞ!』

 全力で動き続ける中で心が震えてくる。一瞬、ギーシュの顔が視界に入った。汗だくだくの癖に目をギラギラさせながら笑っていやがる。
 ゴーレム達の剣の腕がかなり上がっている。以前までなら剣ごと切り裂いてやる事も出来たのに、剣戟を逸らすなんて、芸当が出来るようになりやがった。
 クリスの剣を見ているおかげだった。俺もギーシュもクリスの卓越した剣技を見ながら少しずつ学び始めたんだ。ただ、力任せに振るえばいいってもんじゃないって事を!
 速さでかく乱しようにも、足元から土の腕が飛び出す度に足止めを喰らう。ゴーレムの腕だけを作り出しているんだ。かなり距離が離れているのにこんな事まで出来るのかよ、魔法。

「ったく、魔法って言えばなんでも許されるとか思ってんじゃねーよ」
「許されるから、メイジは貴族なのだよ、サイト!」

 ゴーレムは十体とも健在だ。二体がギーシュの近くで剣を投擲して、残りの八体が四体ずつ編隊を組んで襲ってくる。
 いい加減、そろそろ数を減らさないと、格好がつかないな。

『相棒、あっちが投げて来たのを投げ返すってのもアリだと思うぜ』
「そっか、その手で行くぞ!」

 動き回りながら回避していた降り注いでくる剣の一本を掴み取る。そのまま、一番手近なゴーレムに向かって投げつけた。
 自分でも驚く程の威力でぶつかった剣はゴーレムに当たると同時に粉砕されてしまった。どうやら、数を量産する為に中身すかすかに作ったらしい。

「この剣全部ただの見せ掛けかよ……」
『相棒、油断するなよ! 中に一本くらいは頑丈なのがあるかもしれねーッ!』

 ってことは、やっぱり避け続けなきゃいけないって事かよ。粉々になったとはいえ、剣がぶつかった衝撃で一瞬だけ動きが鈍ったゴーレムを切り裂きながら俺は思わず呻き声をあげてしまった。
 残りは九体。一体ずつ確実に潰していくしかない。さっきと同じように剣をぶつけて動きを鈍らせて一気に斬りつけた。
 思わず唇の端が吊り上がった。一体消えた事で連携が崩れたんだ。今の内に数を減らす。
 三体目、四体目、五体目とゴーレムを真っ二つにしていくと、ゴーレムの動きが変化した。後衛に回っていた一体が前衛と合流して、四体で連携を取り始めた。だけど、さっきまでのようにはいかない。
 降って来る剣も避ける必要が無くなった。続けざまに降って来るならまだしも、一本一本が間を置いて降って来るなんて、その度に掴み取ってこっちの武器にしてやるだけだ。
 形勢は一気に動き出した。四体の連携はさっきまでより切れ味を増したけど、やはり隙間が大きくなっている。一体一体を確実に切り倒していけば何の問題にもならない。
 最後の一体を切り裂いて、残るはギーシュを護らんと立ち塞がる一体のみ。俺は勝利を確信した。だから、気が付かなかった。
 ギーシュが笑っている事を……。

『相棒、避けろ!』
「“ブレッド”」

 デルフリンガーの叫び声に咄嗟に防御の構えを取った。
 直後、まるで、散乱銃を浴びせられたかのように全身に凄まじい衝撃が走った。

「僕の勝ちだ」

 勝利を確信して、喜悦に満ちた声で噛み締めるように呟くギーシュに俺は言った。

「いいや、相打ちだ」
『そう言うこったな。ま、お前さんも頑張ったぜ』

 デルフリンガーの声を聞くと同時にギーシュは顔を歪めた。
 腹に衝撃を受けて悶絶してるに違いない。俺も全身の痛みに悶絶中だから悶絶してるギーシュが見えないけど、これだけはどうしても言いたい。

「ざまあみろ」
「次は……勝つ」
『ったく、主旨忘れてんだろ、おめーら』
「あ……」

 デルフリンガーの言葉に俺とギーシュは同時に間抜けな声を発した。
 舞台上ではルイズがニッコリと微笑んでいる。
 ルイズは美少女だから、一見すれば聖母の微笑みにも見える。だけど、騙されてはいけない。あれは鬼の微笑だ。

「ギーシュ、あとでお前もルイズの部屋な」
「……ぼ、僕もお仕置きされなきゃ駄目かい?」
「おめーが本気出し過ぎっからだろ」
「仕方ないか……。ああ、勝ちたかったな」
『最後に気を抜いたのがまずかったな。それがなきゃ、相棒がブレットを喰らう寸前に俺様を投げたのが分かっただろうによ』

 最近はもう互いに遠慮が無くなってる。俺もギーシュもお互いが全力を出し合っても相手が絶対に死なないって信じられるからだ。
 一応、ギーシュは剣の刃を潰してるし、俺もギーシュに向かってデルフリンガーを投げた時は柄をぶつけるようにしたけどな。
 そうは言っても、割と狙い通りにいったみたいだ。会場は中々盛り上がってる。
 痛みも引いて、起き上がると、モンモランシーが走り寄って来た。当然、ギーシュの方にだけどさ。

「う、打ち合わせと違うじゃないの! ゴーレムをちょっと動かして、それをサイトが次々に切り裂くだけだって話だったじゃない!」
「いや、男にはやらねばならない事がだね……」
「あんな誰から見ても本気で平民とやり合って負けたりしたら周りにどう思われるか考えなかったの!?」
「でも、負けなかったよ。あのサイトに負けなかったんだよ、僕」
「……あ、相打ちでも駄目でしょ。もう、今度は勝ちなさいよね」
「うん。頑張るよ」
「……ほら、怪我を治してあげるからお腹見せなさいよ。骨とかは……大丈夫そうね」

 ちくしょう、イチャイチャしやがって。
 俺もルイズとイチャイチャしたい。だけど、そんな望みは暗い笑みを浮かべたルイズの顔を見た瞬間に消し飛んだ。

「ぼ、僕悪くないもん……」
「気持ち悪いから止めなさい……」

 呆れられてしまった。

「まったくもう、段取りが滅茶苦茶になっちゃったじゃないの。その上、ブレットをあんな至近距離で受けちゃうなんて、ギーシュに文句言わないと……。スピーチ終えたら直ぐに保健室に連れて行くから動いちゃ駄目よ?」
「は、はい」
「よろしい。じゃあ、ちょっと待ってなさい」

 ルイズは壇上に戻って、スピーチを始めた。受けは悪く無いらしい。
 スピーチを終えたルイズにアンリエッタを始め、何人かがまばらに拍手を送っている。
 アンリエッタがテントから出て口を開いた。

「素晴らしい剣技でしたわ。青銅製のゴーレムを両断し、ブレットを間近で受けて尚反撃に転じる心意気は素晴らしい、とグリフォン隊隊長ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵も感嘆していらっしゃったわ。素晴らしい使い魔をお持ちですね、ミス・ヴァリエール」
「あ、ありがとうございます!」

 アンリエッタの言葉にルイズは心底嬉しそうだ。

「使い魔さん。人の身で使い魔というのは大変でしょうが、使い魔とは主を護り、支えるモノです。その卓越した剣技でミス・ヴァリエールを支えて下さいね」

 このまま寝転んでるわけにはいかないな。
 アンリエッタの言葉に応える為に、デルフリンガーを支えに起き上がった。
 この一週間弱の間、ルイズに教えられた作法や言葉遣いを披露するチャンスだ。
 見ててくれよ、ルイズ。俺はしっかりとやり遂げて見せるぜ。

「勿論にございます。我が剣は主の為にあります。如何なる敵が目の前に立ちはだかろうと、必ずやルイズ……ミス・ヴァリエールを護ってみせます!」

 俺が言い切ると、アンリエッタは満足そうな笑みを浮かべた。
 アンリエッタに俺は約束した。ルイズを護る事を。改めてアンリエッタの前で誓う事で俺の中で何かが煌いた。
 一瞬、視界が真っ暗になった。真っ暗な視界の中に更に真っ黒なナニカが居る。

『我は汝、汝は我。我は汝の心の海より生まれし者也』

 視界は直ぐに元に戻った。ほんの一瞬映ったあのビジョンは一体なんなんだろう、俺はその答えを見つける前に気を失った。
 どうやら、ギーシュとの戦いのダメージは思った以上に大きかったみたいだ。

 目が覚めると、大きな瞳と目が合った。

「どわあっ!?」
「キャッ」

 思わず叫び声を上げると、可愛い悲鳴が聞こえた。
 よく見ると、その瞳はアンリエッタのものだった。

「コラッ! 姫さまに何してんのよ!」
「いや、起きていきなり目の前に目玉があったらビビルって……。っていうか、ここは……保健室? なんで、お姫様がここに?」
「ミスタ・グラモンにこちらに居るとお聞きしましたの。ルイズにお話がありまして」
「そ、そうだったんですか」

 ベッドから起き上がると、ギーシュはルイズの隣に座っていた。
 どうやら、俺よりも軽傷だったらしく、ベッドで寝込む事は無かったようだ。これじゃ、相打ちじゃなくて、完全に俺の負けじゃないか……。

「それで、お話とは?」

 ルイズが口火を切った。

「ふむ、僕は出て行った方がよさそうだね。サイト、怪我を早く治してくれたまえよ? 早く再戦して、今度こそモンモランシーに勝利の報告をしたい」
「ヘッ、今度もボコボコにしてやるぜ!」

 軽口を叩き合う俺達にアンリエッタは目を丸くした。

「随分と仲がよろしいのですね、ミスタ・グラモンと使い魔さんは」
「友人ですから。それでは、アンリエッタ王女殿下。このように殿下と御顔を合わせ、僅かな時を近くで過ごす事が出来、このギーシュ・ド・グラモン恐悦至極に御座います。愚鈍なる身ながら、殿下の為ならばこの命、散らす覚悟は出来て御座います。御用命あらば、なんなりとお申し付け下さい。それでは、失礼致します」
「……お待ち下さい、ミスタ・グラモン」

 堅苦しい口上の後に出て行こうとするギーシュをアンリエッタは止めた。

「……もしよろしければ、貴方もわたくしの話を聞いては頂けませんか?」
「よろしいのですか?」

 小さくアンリエッタは頷くと話し始めた。
 始まりはゲルマニアの皇帝との婚姻だった。
 これについてはルイズと俺は既に知っていたけど、ギーシュは口をポカンと開けたまま凍りついてしまった。
 ギーシュが元に戻るまでまって、話は続いた。
 今、トリステインは危機的状況にあるそうだ。国内では爆弾魔や人攫いが横行し、盗賊フーケも捕まっていない。更に、叛乱分子が裏で動いている事が最近の調査で判明したらしい。
 フーケについてはなんとも言えないけれど、聞いただけでも国内が問題だらけだという事だけは分かった。
 それに加えて、現在、同盟国であるアルビオンが内戦状態になっていて、反乱軍が優勢らしい。
 反乱軍はトリステインと同盟を破棄する考えらしく、反乱軍が勝利した場合、トリステインは窮地に立たされる事になると言う。

「元々、トリステインは大きな国ではありません。帝政ゲルマニア、ガリア王国、アルビオン王国。アルビオンとの同盟を失った場合、この三大国のどこに攻められてもトリステインは敗北するでしょう……」
「その為のゲルマニア皇帝との婚姻なのですね……」

 ギーシュの言葉にアンリエッタは力無く頷いた。
 酷い話だと思った。アンリエッタは俺とそう変わらない歳に見える。
 なのに、国の命運の為に好きでもない男に嫁がないといけない。嫁がなかったら国が滅びてしまうのだから、選択肢すら与えられないんだ。

「その婚姻に一つ問題があるのです」
「それがお話したい事ですか?」
「……ええ」

 アンリエッタは気まずそうに頷いた。

「……この話はここだけにして下さい。もしも他の者にバレたら、ゲルマニアとの婚姻を最悪……破棄されてしまうおそれがありますから」
「どういう事ですか?」

 アンリエッタは答える前に杖を振るった。盗み聞きをされていないかをチェックしているらしい。
 念入りに呪文を唱えて、盗聴や盗撮が出来ないように部屋中に魔法を掛けた。

「私はアルビオンの現王子、ウェールズ・テューダーにその……思いを寄せていました」

 アンリエッタはアルビオンの王子であるウェールズに恋をしていた。何度も秘密の恋文を送りあっていたらしい。
 もしも、その手紙を反乱軍に見つかってしまった場合、ゲルマニアに密告され、婚姻の話は破棄されてしまうかもしれないと言う。
 それだけではなく、隣国の王子と恋文を送り合っていたなどという醜聞が国民に知られれば、王女としてのアンリエッタの求心率は一気に下がる事になる。

「……アルビオンに赴き、恋文を破棄して欲しいのです」

 話を聞いてる内に薄々気付いていたけど、内戦している国に行って手紙を破棄するなんて、幾ら何でも無茶苦茶だ。
 ギーシュとルイズも顔を青褪めさせている。
 だけど、俺はなんとなくこの後どうなるかが分かっていた。
 他の奴だったらどうだか分からないけど、ルイズとギーシュなら、答えは決まってる。

「わかりました。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。この任務をお引き受けいたします」
「右に同じく、この“青銅”のギーシュ・ド・グラモン。王女殿下より賜りましたこの任、見事成功させてみせます」
「……ありがとうございます。本当はこのような事を学生の身である二人に頼むなど正気の沙汰では無いのでしょう」

 アンリエッタは苦渋に満ちた顔で言った。

「ですが、私には真に信用の置ける人間が居ないのです。誰が叛乱分子なのかが分からない。頼れるのはルイズしか居なかったのです」

 ルイズはアンリエッタの言葉に感激している様子だった。
 アンリエッタに頼られた事が嬉しいらしい。
 分かってた事だけど、内戦中の国に侵入するのか……。
 映画なんかで内戦中の国に侵入するものがよくあるけど、実際に自分が行くなんて想像もした事が無い。
 俺は怖くて仕方が無かった。

「ルイズ、そして、ミスタ・グラモン。貴方達の覚悟と言葉がどれほど私の心を揺さぶったか、言葉では伝える事が出来ないでしょう。どうか、お願いします」

 手紙の事は臣下達にも内緒にしてあるらしい。本当にここに居る俺達四人だけの秘密だ。
 アンリエッタの使いの証にと、ルイズはアンリエッタから綺麗な指輪と手紙、それに袋いっぱいの軍資金を預かった。

 アンリエッタが去った後、空気が重かった。
 アンリエッタの前では顔に出さなかったが、二人も恐怖を感じている事が分かった。

「とりあえず、明日はトリスタニアに行かないと」
「え? 直ぐに出発するんじゃないのか?」

 明日出発するのかと思ってたんだけどな。

「あのね、内戦中の国に行くのに準備無しで出かける馬鹿は居ないよ。少なくとも、食料と衣服、それに武装も整えないとまずい。遠征の訓練を実家で受けた経験があるから、必要な物資については僕に任せてほしい。ルイズ、君は図書館でアルビオンまでの経路を幾つか練っておいて欲しい」
「え?」
「経路が一つだけじゃ、妨害工作や不測の事態が起きた時に直ぐに対処が出来ないだろう? 進むのが困難になった場合に備えて、直ぐに経路を変更出来るようにしないといけないんだ」
「分かったわ。やっておく」
「俺は何をすればいいんだ?」
「サイト、君も来るつもりなのかい?」
「え?」

 当然ついていくものだと思っていた俺はギーシュの言葉に呆気に取られた。
 見ると、ルイズも目を丸くしてる。だけど、ルイズが目を丸くする理由はギーシュと同じだった。

「サイト、あんたは留守番に決まってるでしょ」
「ちょっと待てよ。なんで俺が留守番なんだ!? ルイズが行くなら、俺も当然行くだろ!」

 俺が言うと、ルイズは呆れた様に言った。

「アンタ、馬乗れないじゃない」

 ルイズの言葉に俺は凍りついた。

「ここからアルビオンまで最短距離を行っても数日は馬の上での生活よ? そんなの無理でしょ」
「の、乗れるようにする! 出発までに絶対!」
「無理よ。散々、この一週間弱の間厳しく仕込んだのに、まともに操れた事が無いじゃない」
「それでも出来る様にする! だから、俺も行く!」

 冗談じゃない。ルイズが行くのに俺がここに残るなんて出来る筈が無い。
 ルイズを護るって決めたんだ。アンリエッタとも約束した。内戦の国に行くなんて、俺が護らなきゃ、誰がルイズを護るってんだよ。

「サイト、これはトリステインの問題なんだ。君には関係無い事なんだよ? 僕達が帰らずにトリステインが戦争になってしまったらどこか別の国に避難すればいいんだ」
「その通りよ。なんなら、むかつくけどキュルケに頼んでおいてあげるわ。とりあえず、命の危険は無いでしょ」

 二人共何を言ってるんだよ。関係無いってどういう事だよ。
 それに、帰らなかったらって何だよ。

「部屋の物、何でも持っていっていいから、換金するなりして自分の星に帰る手段を探しなさい。本当は私が探して送り返そうと思ってたんだけど……」
「ルイズ……」
「ま、まあ、アンタみたいな物覚えの悪い馬鹿な使い魔は要らないから返品したいだけだけど。とにかく、アンタは関係無いんだから、わざわざ来る必要は無いわ」

 ルイズは顔を背けながら言った。ふざけんなよ。
 俺は怒りで頭が真っ白になった。

「関係無いってなんだよ!」
「サイト?」
「ふざけんなよ。なんなんだよ、二人して関係無いって。俺はギーシュ、お前の友達だろ! ルイズ、俺はお前の使い魔だろ! ここで逃げ出せるわけないだろ! ふざけんな!」

 さっきから聞いてれば、自分達は死ぬかもしれない所に行くけど、俺は関係無いから来るなだって、そんな言葉聞きたくない。
 二人が死ぬかもしれない。それなのにここでジッとしてられるわけないだろ。

「ルイズを護るって決めたんだ。俺はルイズの使い魔だぞ。それに、ギーシュ! 友達を見捨てるなんて、出来るわけないだろ!」
「サイト、君の気持ちは嬉しい。だけどね、平民の出る幕じゃないんだよ」
「へ、平民だからどうしたってんだよ! 俺にはペルソナがある。それに剣だって使える!」
「僕と引き分けた程度の剣と自分の意思じゃ出せないペルソナがあるからどうしたって言うんだい?」
「お、俺は……」
「言っておくが、君を殺そうと思えば僕は殺せるよ。忘れてないかい? 君はもう一度マリコルヌに殺されているんだよ? 魔法に対しての対抗手段も無い君じゃ、レビテーションを使われるだけで簡単に殺される。剣が使える? ペルソナが使える? 自惚れるのも大概にしたまえよ、平民!」

 ギーシュのあまりにも冷たい物言いに俺は言葉を失った。
 確かに、俺はマリコルヌに決闘を申し込まれた時、レビテーションで浮かされて何も出来なかった。剣だってまだまだ未熟だし、ペルソナも自分の意思で自由に出す事が出来ない。

「でも、俺はッ!」
「サイト、アンタはこの任務には邪魔なのよ」
「ルイ……ズ?」
「馬に乗れないアンタを連れて行ったら身動きが取り難くなる。ギーシュの言った事も正しいわ。アンタは残ってなさい」
「……やだ」
「は?」
「嫌だ! 俺も行く!」
「だから、馬に乗れないアンタなんか――」
「乗れるようになる! 明日までに絶対に馬に乗れるようになるから、だから――ッ!」
「……わかった」

 俺が必死に懇願すると、ギーシュは言った。

「なら、明日の夕方までに馬に乗れるようになりたまえ。君が見事に馬を乗りこなせるようになっていたなら、君の同行を認めるよ」
「ちょっと、ギーシュ!」

 ルイズがギーシュを咎めるように睨み付けた。だけど、ギーシュは何処吹く風だ。
 上等じゃねーか。やってやるよ、明日までに絶対に馬に乗れるようになってやる。

――――interlude
 サイトが寝静まってから私は隣に座るギーシュを睨み付けた。

「どういうつもりよ、ギーシュ」
「どういうつもりって?」
「サイトに何であんな事を言ったのかって聞いてるのよ!」

 冗談じゃないわ。万が一にもサイトが馬に乗れるようになってしまったらどうするつもりなのよ。
 姫さまから与えられた任務ははっきり言って恐ろしいわ。もちろん、姫さまの御用命ならこの命を散らす覚悟がある。それは本当。
 たとえ死んでも、必ず任務をやり遂げなければならないわ。じゃないと、この国が滅んでしまうかもしれないのだから。
 だけど、サイトを連れて行くわけにはいかない。少し前までなら連れて行くのが当たり前だと思ったかもしれないけれど、今は違うわ。
 初めは平民の使い魔なんて最悪だと思ってた。
 だけど、私が辛い思いをしている時、励ましてくれた。私が“ゼロ”だって事を笑わないでくれた。私の為に命を懸けて戦ってくれた。
 昔みたいに直ぐに癇癪を起さなくなったのはサイトのおかげだわ。
 サイトを家に帰してあげないといけない。フリッグの舞踏会の日に私は決めたの。
 帰せなくても、少なくともこの世界で生きていけるようにしてあげないといけない。
 ペルソナや剣があっても、それだけで生きていける世の中じゃない。だから、礼儀作法や乗馬なんかを教える事にしたわ。物覚えが悪くて中々上手くいかなかったけど……。

『泣かないでくれよ、ルイズ。俺が、何とかするから。あんな怪物なんて簡単に倒して、お前をゼロって馬鹿にする奴も一人残らず倒してやるから』

 サイトのあの言葉、凄く嬉しかったわ。仕事だって文句も言わずにやるし、ちょっと褒めたりしただけでご主人様ご主人様って可愛いところもあるし……。
 サイトは最高の使い魔よ。恥しいから口には出せないけど、私はそう感じてる。
 最高の使い魔の主は最高の主でなくちゃ駄目。最高の主なら、使い魔の望みを叶えて上げなくちゃ。
 私はまだ叶えてない。サイトを家に帰してない。サイトをこの世界で生きられるように出来てない。
 サイトを死なせるわけにはいかないわ。例え、私に出来なくても、クリスやコルベール先生がサイトが帰る方法を見つける手助けをしてくれるかもしれない。
 だから、サイトを連れて行くわけにはいかないわ。なのに、なんで余計な事を言うのよ、この馬鹿は!

「落ち着きたまえ。サイトが起きてしまうよ」
「でも――」
「シッ、外に出よう」

 ギーシュに苛立ちながらも二人で外に出た。
 外はもう真っ暗。所々にある松明の灯りしか光源が無い。

「どうして、あんな余計な事を言うのよ!」
「余計な事?」
「サイトが馬に乗れるようになったらどうするのよ!?」

 私が言うと、ギーシュは呆れたように溜息を吐いた。
 いちいち態度はむかつくわね、この金髪馬鹿。

「君さ、一日で乗馬が上手くなるわけないだろ。それに、怪我は治っていても、今朝はかなりのダメージを与えたんだ。明日は一日動けないさ」

 そう言う事か……。
 何て悪い男なんだろう。希望を持たせといて、実はそれが実現不可能だと理解してる。
 それにしても、思い出したら腹が立ってきたわ。

「そうよ、朝のアレはなんなのよ! 段取りと違うじゃない!サイトにブレットをぶつけるなんて!」
「そ、それは悪かったと思ってるよ。でも、どうしても真剣勝負で勝ちたかったんだ……。普段の稽古じゃ無理だろう? お互いに絶対に負けられない時じゃないとさ。あの時は負ければ君が馬鹿にされるかもしれなかった。だからサイトは本気になってくれた」
「レビテーション一発なんでしょ?」
「君は使えないから知らないだろうけど、レビテーションは発動までに時間が掛かるんだ。サイトの速度ならその間に距離を詰められて終わりだよ。ゴーレムを最初から作った状態で漸くあの戦いが出来るのさ。ゴーレムを作る所から始めてたら、僕はサイトに秒殺されているよ」
「……そうなんだ」
「でも、それは未熟な僕だからだ。サイトは慢心してるように感じるね。せめて、慢心が無ければ連れて行ってもいいと思うんだけどさ」
「慢心?」
「少し前の僕みたいにね。完膚なきまでに負けないとわからないものさ。サイトは化け物二体、それに僕に何度も勝って来てる。一度も負けた事が無いんだ。マリコルヌのレビテーションを除いてね。ああ、後オールド・オスマンにも負けてるか。でも、あれはノーカウントだね」

 ギーシュは苦い笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「サイトは自分が負ける筈が無いと思ってるんだ。本人は気付いて無いけどね。いつも一緒に稽古してる僕やクリスには分かる」
「……モンモランシーには何て言うの?」
「本当の事を言うわけにはいかないし、少しの間帰省する事になったとでも言っておくよ」
「……私もそうするわ」
「お互い、死なないように準備はしっかりしないとね」
「ええ、絶対に成功させなくちゃいけないわ。例え、死んでも……」
「命を惜しむな、名を惜しめ。でも、女の子の命は惜しまないといけないな。君だけは何としても生き残らせてみせるよ。グラモンの名に懸けてね」
「……期待はしないでおくわ」
「君ね……。まあいいや、もう夜も遅いし今日は寝よう。おやすみ、ルイズ」
「ええ、おやすみなさい」

 ギーシュと別れた後、私は心の中で必死に恐怖と戦っていた。
 サイトを死なせるわけにはいかない。そう考えている内に自分が死ぬかもしれないって事を強く実感してしまった。
 サイトの事が無ければ、使命感に身を委ねる事も出来たかもしれないのに、まったく、ご主人様を困らせる悪い使い魔だわ。
 ちゃんと文字や礼儀作法を教えてあげたかったな……。

第十六話『二人のお姫さま』

 俺達は大きな扉の前に立っている。ここまで案内してくれた衛兵の人が出て来るのを待っているんだ。
 俺達が連れて来られたのは謁見の間って部屋の前だ。これからこの国の王女様に会うのかと思うと、やっぱり緊張する。隣のルイズも緊張しているみたいだ。さっきから表情が硬い。
 ワルドは城門で別れたので居ない。城内に平民が武器を携帯するのは許されないみたいで、剣を預けたり、俺の入城の手続きに手間取りそうだったからだ。

「サイト、粗相の無いようにして頂戴ね。相手はこの国の王女様だって事を決して忘れては駄目よ」
「あ、ああ、分かってる」

 ルイズが硬い表情のまま言った。さっきから服の埃を何度も落としたり、髪を直したりと少し神経質になっているみたいだ。
 今から会う相手はこの国の王女様と異国の国の王女様で、二人共一国を治める王族だもんな。俺の星で言うなら、アメリカ大統領と日本の首相に同時に会うようなもんだろうしな。
 しばらくすると、俺達をここまで案内してくれた衛兵の人が出て来た。

「お待たせしました。どうぞ、お入り下さい」

 スマートに一礼をする衛兵に言われて、俺はルイズを見た。ルイズは小さく頷くと、先に中へ入って行った。俺も直ぐに後に続いた。
 中は体育館並みに広かった。ここが所謂『謁見の間』というものらしい。そこに一人の少女が立っていた。真っ白なドレスに身を包んだ、驚く程綺麗な顔立ちの女の子だ。この娘が王女様なんだろうか。

「よく、来てくれたわね、私のお友達」

 見た目に見合う、綺麗な響きの声色だ。王女様はルイズに微笑みかけた。ルイズはと言えば今にも泣き出しそうな感極まった表情を浮かべている。
 ルイズは王女様の前に跪いた。俺も慌ててルイズの真似をして、膝をつくと、ルイズは顔を上げて王女様に言った。

「お久しぶりにございます。このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、恐悦至極にございます」

 二人が談笑しているのをルイズの後ろで待機しながら見ていたけど、少し暇になって来たな。
 欠伸を噛み殺しながら、謁見の間を見渡していると、王女様が俺に気が付いた。

「ルイズ、そちらの方は?」
「サイト・ヒラガと申します。この度、使い魔の召喚の儀にて、私の使い魔として召喚致しました」
「まあ、人を使い魔にするなんて驚きだわ。ああ、ルイズ。貴女はいつも私を驚かせるのね」
「こう見えましても、剣はかなりの腕ですわ」

 話に混ぜてもらえるかと思ったけど、あっと言う間に俺の話題は終わってしまった。二人共、話題があっちにこっちに飛んで、完全に蚊帳の外だ。
 女三人寄れば姦しいとは言うけど、二人でも十分に賑やかだ。女同士の会話に男の居場所なんて無いのは星が違っても同じなんだな。
 しばらくすると、背後の扉がノックされた。王女様とルイズは談笑を止め、王女様が扉に向かって声を掛けた。
 すると、扉が開いて、綺麗な金髪の少女が入って来た。独特な服装と腰に差された見覚えのある形に俺は目を丸くした。
 少女はまるで着物を改造したような服に身を包んでいて、腰には剣をさしている。その形は日本刀のように見えた。
 目付きは少し鋭くて、眉が少し太めの思わず見惚れてしまい程の美人だった。

「アンリエッタ、私の通う学院への迎えが到着したと聞いたのだが」
「ええ、クリス。ここに居る私のお友達が貴女を魔法学院にお連れするわ。ルイズ、彼女がトリステイン魔法学院に編入するクリスよ」
「クリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナだ。よろしく頼む」

 クリスっていうのか。独特な喋り方だな。ルイズは面食らった顔をしながらも流れるような動作でクリスの前に傅いた。

「お初にお目に掛かります。わたくしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。この度は貴女様の御世話役を拝命致しました」
「そう堅苦しくなるな。私の事はクリスで構わない。学院では一介の学生として通うのだからな」

 人好きのする笑みを浮かべながらクリスが言うと、ルイズは戸惑った顔をしながらアンリエッタの顔を伺った。アンリエッタが頷くと、ルイズは少し間を置いてから立ち上がった。

「……わかりました。いえ、わかったわ。よろしく……クリス」

 三人が話している間、俺はどうしてもクリスというお姫様の腰に差してある刀から目が離せなかった。形が似ているだけならデルフリンガーだって片刃だ。
 だけど、握る部分が日本刀のソレとそっくりだ。どうしても、目を離す事が出来なかった。

「ん? そう言えば、先程からそこに立っているが、お前は?」
「あ、俺はサイト・ヒラガと言います。よ、よろしくお願いします」
「これが気になるのか?」

 そう言って、クリスは腰に下げていた日本刀を僅かに持ち上げた。

「……それ、もしかして……その、日本刀ですか?」

 クリスは目を大きく見開いた。

「分かるのか!? という事は、お前、ニホンを知っているのか?」

 クリスの言葉に俺は心臓が飛び出すかと思う程に驚いた。
 この星でニホンという単語を聞く事になるとは思っていなかったからだ。それに、クリスが腰に差しているのは間違いなく日本刀らしい。
 どうなってるんだろう。ここは地球じゃない筈だ。月が二つある事が何よりの証だ。なんで、クリスは日本を知ってるんだ? それに、どうして日本刀を持っているんだ?

「そう言えば、その肌色、その髪、その瞳の色。お前、もしや、サムライか?」
「へ?」

 飛び出した言葉は予想の斜め上をいった。サムライって、侍の事だろうか。
 俺のイメージする侍と言えば、暴れん坊将軍とか、上様とか、松平健とか、徳川吉宗とかだ。

「えっと、せ、『成敗』! ってやつか?」
「……おお、おおおおおおおおおおお!!」

 クリスはパッチリとした瞳から大粒の涙を流し始めた。

「ちょ、ちょっとサイト! な、何て事をしてるのよ!? 一国の王女様を、な、泣かせるなんて!?」

 ルイズのヒステリックな声に俺は何も言い返せなかった。
 なんで泣くんだ。俺は何か悪い事を言ってしまったんだろうか。混乱していると、クリスは首を振った。

「ルイズよ、違うのだ。嬉しいんだよ。よもや、再びサムライと会える日が来ようとは」

 サムライって、俺の事だろうか。俺は伊藤一刀流も二天一流も巌流も使えないんだけど、再びって言うのはどういう事なのだろうか。
 もしかすると、俺は期待に胸を膨らませた。

「あんた、日本人と会った事があるのか!?」

 いや、日本人に限らないかもしれない。むしろ、日本かぶれ野侍好きの外国人かもしれない。
 それでも、もしかすると地球に帰る手掛かりを持っているかもしれない。興奮に胸を躍らせると、いきなりルイズに頭を叩かれた。

「な、何するんだよ!?」
「あんた、本当に止めて。相手は王女様よ、王女様。その意味分かってるわけ?」

 涙目になって訴えるルイズに俺はハッとなった。そうだ、相手は一国の王女様なんだった。
 ルイズに何度も注意されたのに、事が事だっただけに思わず大声で叫んでしまった。

「ご、ごめんなさい」
「ごめんじゃないわ。不敬罪で捕まってもおかしくないんだからね」

 冷や汗が止まらなかった。そう言えば、時代劇でお殿様の前を横切ったからって、切腹させられた親子が居たような居ないような。

「せ、切腹は嫌だ」
「切腹? 確か、サムライは死ぬ時に腹を掻っ捌くのであったな」
「ちょ、ちょっと、サイト!?」
「は、腹って、お腹をですか!? つ、使い魔さん? は、早まってはいけませんよ!」

 クリスは切腹についても知っているらしい。アンリエッタとルイズが顔を青褪めさせているけど、ソレどころじゃない。

「あの、俺は日本から来ました。あ、あの、あなたも地球から?」
「チキュウ……? そう言えば、一度だけ師匠に聞いた事があるな。それは、日本があるという異世界の事か?」
「異世界? そういう言い方もあるのかな。うん。多分、それで間違ってないです」

 話を聞いていると、どうもお姫様自身は地球の出身じゃないらしい。
 俺は落胆を隠せなかった。話を聞くと、クリスの師匠がサムライを名乗っていたらしいけど、去年、病で亡くなってしまったらしい。

「師匠以外にも、このハルケゲニアに居たのだな、サムライが。私は嬉しいぞ。是非、友になってくれないか?」
「え?」
「な、何を仰るのですか、クリスティナ王女殿下」

 一国のお姫様に友にならないか、なんて言われて俺は空いた口が塞がらなかった。
 ルイズが慌てて止めようとしているけど、クリスは構わずに俺の手を取った。

「クリスで良いと言っただろう。サイト、お前も是非、私の事をクリスと呼んでくれ。それで、サイトは勿論、剣を使うのだろう?」
「え? あ、うん」
「では、学院に到着したら、私と手合わせをせんか?」
「え、手合わせって……もしかして、決闘の事?」
「い、いけませんわ! が、学院では貴族同士の決闘は禁止されております!」

 いきなり決闘を申し込むって、可愛い顔して意外と戦闘凶ってやつなのかな。

「何を言う。貴族である前に、私はサムライだ。サムライ同士は出会ったからには試合わねばならぬのだ。それが、サムライの挨拶なのだからな」

 そんな挨拶してるサムライは見た事が無い。少なくとも、ドラマや小説でいきなり出会い頭に決闘するサムライを俺は知らない。もしかして、本当のサムライはそうなんだろうか。

「まあ、驚きましたわ。あなたがクリスがよく話してくれるサムライ。よく分かりませんが、ニホンという国の剣士なのですよね? 確か、剣だけで竜や魔王を退治するという」
「それはサムライじゃなくて、勇者です」

 なんだか少しズレているな。アンリエッタは不思議そうな顔で首を傾げている。

「アンリエッタに中々分かってもらえなくてな。イーヴァルディの勇者を例えにしたんだ」
「ああ、なるほど。確か、世話をしてくれた女の子の為にドラゴンをイーヴァルディが退治しに行くって話だっけ」
「それは逸話の一つだな。他にも、魔王退治の逸話、吸血鬼退治の逸話など様々ある。サムライも似た様なものだと私も師匠から聞いてな」
「サムライはドラゴンとも魔王とも戦わねーよ。っていうか、居るのかよ、魔王」
「居ないわよ! っていうか、だから敬語!」
「あ、ごめん!」
「私に謝ってる場合じゃないでしょ!」
「ル、ルイズ。別に私は気には――」

 ルイズに髪を掴まれて、俺は無理矢理お辞儀をさせられた。ルイズも一緒になって頭を下げている。

「申し訳ありません。使い魔の無礼は主であるわたくしの無礼。どのような罰もお受け致します。」
「か、顔を上げてルイズ。本当に大丈夫だから。こんな事で貴女や貴女の大切な使い魔さんを罰するなどある筈が無いでしょう」

 アンリエッタは慌てた様子でルイズに言った。

「で、ですが……」
「いいのですよ、本当に。さあ、顔を上げてちょうだいな」
「ルイズ。私もお前の学院に通うんだ。どうか、一国の姫としてではなく、私の事をただの学友として扱ってはくれないだろうか」

 クリスが頭を下げると、ルイズは黙り込んでしまった。拳が白くなる程強く握り締めて、大理石の床を睨みつけている。

「……わかりました。いいえ、わかったわ」

 気丈に振舞ってはいるが、王族にタメ口で話す事に恐怖を感じているのが顔を見ただけで嫌という程伝わってくる。
 ルイズは俺にも挨拶するように小声で言ってきた。

「よ、よろしく……頼むよ、クリス」
「ああ、よろしく頼むぞ、ルイズ、サイト。ルイズ、ありがとう」
「……はぅ」
「ル、ルイズ!?」

 クリスが笑いかけながら手を伸ばすと、ルイズは目を回しながら倒れてしまった。慌てて抱きとめると、ルイズは完全に気を失っている。一体どうしたって言うんだ!?
 アンリエッタやクリスが声を掛けても、ルイズは全く起きる気配が無かった。
 水の魔法に長けているアンリエッタが具合を見ると、どうも強い緊張状態が過度なストレスとなってしまったらしい。そう語るアンリエッタは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
 王族にタメ口で話すのが余程緊張したらしいな。それでも、クリスの願いを聞こうと勇気を振り絞ったんだ。

「すまんな、サイト。お前の主に無茶な事を頼んでしまった。だが、どうか許して欲しい。アンリエッタの友であるルイズとどうしても友になりたかったのだ」

 クリスはアンリエッタにルイズの話を聞いていたらしい。アンリエッタがルイズの話をする時、本当に楽しそうに話すものだから、クリスも是非会いたいと思ったそうだ。
 ルイズが目を覚ますまで、謁見の間のソファーにルイズを寝かせて、俺はアンリエッタに言った。

「あの、本当にルイズは罰せられないんですよね? あの、もし不敬罪で罰せられるなら、その……俺だけで」
「使い魔さん、本当に良いのです」

 アンリエッタは寂しそうに微笑んだ。どうしてそんな表情を浮かべるのかが気になった。
 アンリエッタは俺の内心を見透かしたように薄く微笑むと口を開いた。

「……少し、私の話を聞いてくれるかしら? 使い魔さん」
「い、いいですけど」
「私は王女という身分上、あまりお友達を作る機会には恵まれないのよ。だから、ルイズは私にとって掛け替えの無い存在。ずっと会えなくて、凄く寂しかったわ」

 王女様はルイズとの思い出を語った。山で泥まみれになるまで遊んだとか、オークという魔獣に遭遇して、見知らぬ狩人に助けられ、そのまま一晩を過ごしただとか、貝殻を巡って取っ組み合いの喧嘩をしただとか、見た目とは裏腹に結構なお転婆だったらしい。
 だけど、納得した。クリスが言うとおり、アンリエッタがルイズの事を話している間、聞いているこっちまで楽しい気分になれるような楽しげな笑顔を浮かべている。

「私はルイズにあの頃の様に接して欲しい。勿論、昔と今では立場という壁がある事は理解しているわ。それでも、ルイズにまた、あの頃の様に微笑みかけて欲しいと願わずにはいられないのです」

 アンリエッタは薄っすらと涙を浮かべながら言った。

「きっと、ルイズならお姫様の気持ちを分かってくれる。アイツ、意地っ張りで、強がってばっかりだけど……優しいからさ」
「……使い魔さん、貴女はルイズをよく知っているのね。ルイズの事をお願い。護ってあげてちょうだい。あの娘、結構泣き虫だから」
「……はい」

 アンリエッタのルイズへの深い思いが伝わって来た。アンリエッタとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“女帝”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はアンリエッタとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 しばらく、アンリエッタとクリスと話していると、ルイズが目を覚ました。
 ルイズは最初は寝惚けていたけど、アンリエッタの顔を見ると、途端に目を覚ました。

「も、申し訳ありません、姫様。私とした事が、姫様の御前で――」
「待って、ルイズ」

 アンリエッタはルイズの手を握った。ルイズは戸惑った顔をしている。

「ルイズ、どうか、今だけは昔に戻れない?」
「……姫様?」
「お願いよ、ルイズ。私には時間が無いの」
「え?」

 アンリエッタはルイズに自分が近々、帝政ゲルマニアという国の皇帝でアルブレヒト3世という人物と結婚をするって話だ。
 ルイズはショックを受けた顔で凍りついた。

「そんな、ゲルマニアの皇帝と結婚だなんて!?」
「ルイズ、私にはもう自由は無いのです。だから、最後に……私の“自由”の象徴であるあなたに今だけでいいのです。王女と国民ではなく、ただのお友達として接して欲しいの。お願いよ、ルイズ」
「……姫様。わかり……ました」

 俺はクリスと一緒にアンリエッタとルイズから離れた。二人の時間を邪魔しちゃ悪いし、俺は俺でクリスと話がしたかった。

「お姫様ってのも、大変なんだな」
「王族の責務だ。私も覚悟はしているさ。いつかは、顔も知らぬ男と婚姻を結ぶかもしれない。だから、私は今を大切にしたいと思っている。アンリエッタもな」
「そっか……」

 王族の責務なんて、俺には分からない。好きでもない、顔も知らない奴と結婚するなんて、俺だったら絶対に嫌だ。
 でも、可哀想なんて思うのはきっとクリスやアンリエッタにとっては侮辱になるんだろうなって事だけは分かる。
 今を大切にしたい……か。クリスの魔法学院での生活をアンリエッタのルイズとの思い出くらい、楽しかったって思えるようにしたいな。

「クリス、学院でいっぱい楽しい思い出を作ろうぜ。俺、クリスが将来、王の責務って奴で、辛い思いをしても、思い出すだけで力が湧くような、そんな思い出が作れるように、手伝うからさ」
「ありがとう。やはり、サイトはサムライなのだな」
「へ?」
「サイト、改めて頼む。私の友となってくれ」

 クリスはよく分からない事を言いながら握手を求めて来た。本当に変わった御姫さまだな。平民の俺と友達になりたいだなんて。

「あ、ああ、こちらこそ頼むよ。よろしくな、クリス」
「ああ、よろしく頼むぞ」

 俺とクリスは手を握り合った。クリスの掌は剣だこに覆われていた。クリスの剣に対する思いが伝わって来た。クリスとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“運命”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はクリスとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 ルイズとアンリエッタに呼び掛けられるまで、俺はクリスと話した。何度も手合わせしようと言われて、仕方なく、一緒に稽古をする約束をしてしまった。またルイズに怒られそうだ。

ゼロのペルソナ使い 第十六話『二人のお姫さま』

「こやつは上様ではない。上様の名を騙る不埒者じゃ! 斬れ、斬れい!」
「……成敗」

 シャキンと鍔を鳴らして、クリスは静かに呟いた。
 日本刀を構え、今まさに、殺陣が始まろうとしている!

「……なにしてんの?」

 どうやらアンリエッタとの話は終わったらしい。ルイズは呆れた顔をしている。
 クリスに時代劇の話をしたらやりたいって言い出したんだから仕方ないじゃないか。

「学院に戻ったらまたやろうな、サイトよ」
「おう! ギーシュにゴーレム作ってもらって雑魚役作ってもらって、もっと本格的にやろうぜ!」
「な、何の話をしているの?」
「サイトにサムライが主人公の演劇について聞いていたのだが、実にいいものだ」
「サムライの演劇?」
「ああ、俺の国の演劇でさ――」

 町人に扮して悪い事を企む代官を懲らしめる有名な痛快時代劇の話を簡単にすると、クリスは瞳を輝かせて聞いてくれたのに、ルイズはつまらなそうだ。
 話終えても、なんだか凄い温度差を感じる。
 何と言うか、教室で友達と盛り上がっていたら、何の話? ってクラスの女子が聞いてきて、話してあげると、しらけた顔で去って行ったあの時の感覚に似ている。
 物凄く切ない。ルイズに感想を聞くと、どうでも良さそうな声が返って来た。

「その上様って、一国の王なんでしょ? 町人に扮して護衛も付けないなんて、ちょっとどうかと思うわ」
「一応、お庭番がいつもコッソリと警護してるんだよ。たまに悪事の証拠を掴む為に動いたりしてて、殺陣の時も上様と一緒になって戦うんだ。かっこいいんだぜ!」
「そうなの? まあいいわ。それより、そろそろ学院に戻るからあんたも姫さまに挨拶なさい」
「うん、わかった……」

 もうちょっと反応してくれてもいいんじゃないかな。
 俺の国の事とか、ルイズは興味無いんだろうか。サッサとアンリエッタの所に戻るルイズに一抹の寂しさを感じた。
 すると、肩にクリスの手が置かれた。

「今のお前の気持ち、よく分かるぞ。初めはアンリエッタもサムライの話に全然興味を持ってくれなくてな、凄く寂しかった」
「クリス……」

 凄く切なそうな顔をしている。きっと、アンリエッタにサムライの事を理解してもらおうと頑張ったんだろうな。
 俺も頑張ろう。ルイズに時代劇を理解してもらうために。今はまだ、伝達力が足りない。話し上手くらいになれば、興味を示してくれるかもしれない。
 クリスに時代劇の説明をした事で伝達力がガッツリ上がった気がする。

 ルイズとアンリエッタは最後まで別れを惜しんでいた。クリスの送迎の為に用意された馬車の前で二人が見つめ合ったまま言葉を交わしている。
 馬車の周りには馬車の護衛をする兵士が居た。その中にはあのワルドの姿もあった。

「ワルドさん」
「やあ、また会ったね」

 馬の鬣を撫でているワルドに声を掛けると、ワルドは凛々しい笑みを浮かべて振り返った。

「ワルドさんも一緒に行くんですか?」
「いいや、私は他に任務があるのでね。これから向かうのだが、ルイズに一言くらい声を掛けようと思ってね」

 アンリエッタと話しているルイズを穏かな笑みを浮かべながらワルドは見つめている。
 もしかして、ワルドは今でもルイズの事が好きなのかもしれない。だけど、それを聞くには勇気が足りなかった。
 ワルドは顔を引き締めて俺の両肩に手を置いた。

「サイト、最近は城下が騒がしい。ルイズの事をよろしく頼むよ」
「ワルドさん?」

 最近、トリスタニアでは色々と事件が起きているらしい。
『土くれ』のフーケによる盗難。『爆弾魔』による建造物の爆破事件。他にも、ある日突然、人が行方不明になる事件が起きているらしい。
『土くれ』については俺は複雑な気持ちで話を聞いていた。ミス・ロングビルの事をオールド・オスマンに全てを託しているけど、ワルドの話を聞くと、それで本当に良かったのだろうかと迷いが生じた。
 今まで、被害があったのは裕福な貴族ばかりだったそうだ。だけど、裕福とは言っても、財産を奪われればダメージが無いわけでは無いらしい。
 ある貴族は家宝を盗まれて、それが原因で当主は隠居してしまい、まだ若い子息が後を継ぐ事になってしまい、上手く領地を治める事が出来ずに反乱が起こり、多くの平民が死亡した。
 ミス・ロングビルが心の底から悪人だとは思えない。だけど、実際に犯罪を起して、それで苦しんだ人が居る。本当に俺の選択は間違っていなかったのだろうか? 俺には分からなかった。

「『爆弾魔』については愉快犯の線が濃厚だが、『行方不明事件』については人攫いの可能性がある。万が一という事もあるからね、注意だけは怠らないでくれ」
「ひとさらい……ですか?」

 あんまり聞きなれない言葉だった。ワルドは険しい顔で言った。

「簡単に言えば誘拐だよ。攫われた者は……あまり口にはしたくないが、かなり惨い事になる。警備を強化しているのだが、恥しい話、中々糸口が見えない状況なんだ」

 誘拐事件。テレビでなら見た事があるけど、そんな事件が起きているのか……。
 物騒な話だ。ルイズが攫われないように確り見とかないと。

「あと、最近は街道に奇妙な姿をした魔物が現れるそうなんだ。護衛に着くのは優秀なメイジだから心配は要らないが、遭遇した場合は彼らの言う事をキチンと聞いて、ルイズの事を護ってくれ。頼んだよ」

 ワルドがアンリエッタとの話を終えたルイズの下に向かうと、クリスもアンリエッタに話しかけていて、俺は話し相手が居なくなってしまった。
 欠伸を噛み殺していると、さっき返してもらったばかりのデルフリンガーが声を掛けてきた。

『ようよう、相棒。暇そうだな』
「えっと、デルフリンガーだっけ? そう言えば、お前は喋れたんだったっけ」
『あ、ひっでーな。俺様の事をすっかり忘れていやがったな? ったく、暇そうだから話相手になってやろうと思ったのになー』
「悪かったって。まだ時間掛かりそうだし、話し相手になってくれよ」
『最初からそう素直に言やーいいんだよ』

 俺はルイズとクリスが話を終えるまで、デルフリンガーと適当に喋った。デルフリンガーとの仲が少しだけ深まった気がする。

「それにしても、ルイズとアンリエッタは本当に仲が良いのだな」

 学院に向かう馬車の中でクリスが言った。

「そ、そうかしら?」
「ああ、アンリエッタのあの嬉しそうな顔。私は今まで見た事が無かった。私とアンリエッタは友人ではあるが、国というしがらみからは抜け切れない。正直、友人を最高の笑顔に出来るルイズが羨ましいよ」

 ルイズは真っ直ぐにクリスに見つめられて顔を真っ赤にした。
 何て言うか、クリスって素直なんだよな。こういう事が簡単に言えちゃう辺りがさ。
 俺がそう言うと、クリスは少し感慨深げな顔をして言った。

「師匠にもよく言われたよ。お前は素直だから色々と教え甲斐があると」
「……クリスの師匠の事を教えてくれないか?」

 クリスの師匠。俺と同じ地球出身者であり、去年、病に倒れた人。どんな気持ちで生きてきたんだろう、どんな気持ちで死んだんだろう、俺は少しでも知りたかった。

「師匠は……流浪の旅人だった。ここではない世界から迷い込み、戻る方法を捜し求めていたそうだ。正直な話、それが真実なのかが私には分からない」

 日本はどこにあるんだ? 師匠の言っていた事は真実なのか? クリスは真剣な眼差しで俺にそう問うてきた。

「……本当だよ。異世界っていうより、俺は異星なんだと思ってる。日本は地球っていう星の国の一つなんだ」
「……星だと? 星とは、夜空に瞬く星の事を言っているのか?」

 クリスは疑わしそうな目を向けた。さすがにそう簡単には信じてもらえないらしい。

「そうだよ。俺は地球っていう星に住んでいた。信じてもらえないかもしれないけど、本当だ」
「……いや、信じるよ。目を見れば分かる。お前が嘘をついていない事はな」
「クリス……。クリスの師匠は見た目はどうだったんだ? 俺と同じ様な感じだったのか?」
「ああ、サイトと同じ様に滅多に見ない黒い髪と黒い瞳をしていた」
「やっぱり、日本人なんだな。クリスはどこでその人と出会ったんだ? 俺みたいに召喚されたわけじゃなかったんだろ?」
「ああ、十年ほど前に師匠は故郷への手掛かりを求めて我が国に立ち寄った。その時に我が領地の森で魔物に襲われていた幼い日の私を助けてくれたのだ」

 クリスは懐かしむような表情で語った。
 既に初老に差し掛かっていた身で剣を振るい、瞬く間に魔物を切り捨てた姿は鮮烈だったらしい。
 初老って事は四十歳くらいだったのかな。武士道が好きだったのか……。

「私は彼に礼をする為に身分を明かし、城に招こうとした。だが、彼は私の身分を知っても、名誉や金を要求せず、更には名乗りもせず、その場を立ち去ろうとしたのだ」

 その姿が衝撃的だったと、クリスは言った。

「王族である私に取り入ろうとする者は掃いて捨てる程居る。だが、その正反対の態度を取った者は師匠が初めてだった。彼が何故その様に振舞えるのか、私は不思議で堪らず、素直に尋ねたよ。『褒美が欲しくないのか?』と」

 そう言ったクリスにクリスの師匠はこう言ったらしい。

『そうか、それは凄いな。だが、俺にはお嬢ちゃんの身分なんざ、関係無い。お嬢ちゃんはいずれ、この国の女王様になるんだろう? 同じ様に、この刀の届く範囲が俺の国であり、俺は王なんだよ』

 幼い日のクリスは問い掛けた。

『ここがあなたの国?』
『そう、名も無い国だ。そして、王である俺が俺の国で困っているお嬢ちゃんを助けると決めた。それだけの事だ。だから、お嬢ちゃんは気にする必要なんか無い』

 クリスの話に俺はすっかりと聞き惚れてしまっていた。

「かっこいい……」

 俺は素直にそう思った。だけど、ルイズは不機嫌そうな顔になった。

「どうしたんだよ?」
「……一国の王を名乗るなんて、冗談にしてもやりすぎだと思うわ」

 ちょっとその考えは屈折し過ぎじゃないかな。そう思ったけど、予想外な事にクリスが同意するように頷いた。

「まあ、そう思うだろうな。しかし、幸いにも私は幼くて、彼を不敬だと思う事はなかった。ただ、彼を突き動かすものが何なのか、それを知りたくなって、なかば無理矢理城に招き、彼の説くサムライの生き様に感動してな。弟子入りを志願した。師匠は死の間際まで私に様々な事を教えてくれたよ」
「そっか……。会ってみたかったな」
「過酷の旅のせいで、肉体の年齢を重ねるのがずっと早かったのだろうな。師匠は死ぬ少し前に独り言を呟いた事がある。『帰りたかったな、俺の家に』と。恐らく、私に聞こえていないと思ったのだろうな」

 やっぱり、帰りたかったんだな。帰りたかったのに、帰れなかったんだ。俺はなんだか力が抜けてしまった。
 色々な場所を旅して回り、それでも帰る為の手掛かりを見つける事が出来なかったんだ。俺も同じ様に死ぬのかな。母さんや父さんに会う事も無く、家に帰る事も無く、この星で……。

「サイト……」
「サイトもやはり帰りたいのか?」
「それは……」

 ルイズとクリスが気遣わしげに声を掛けてきた。涙が零れ落ちていたみたいだ。
 帰りたいのか? 俺は……帰りたい。俺の帰る場所は日本しかない。いつかは故郷に帰りたい。

「……帰りたいよ。でも、今は帰れない。帰る方法がわからないし、それに……」
「それに?」
「俺はルイズの使い魔だ。その役目を途中で放り出したくないって気持ちもある」
「サイト……」

第十五話『閃光と魔剣』

 私は今日も王立図書館に来ていた。
 人々の叡智が集められたこの場所の空気が好きだという事もあるが、今は大きな二つの理由でここに居る。
 一つは、例の組織に接触する方法を模索する為、そして、もう一つはこの図書館を脅かす輩を見つけ出す為だ。

「それにしても、ここの蔵書の数はいつ見ても壮観だな」
「ここにある蔵書だけでも世界一つ分の価値はあります」

 私が呟くと、いつの間に居たのか、リーヴルが話しかけて来た。
 それにしても、世界一つ分とは随分と大きく出たものだ。私がそう言うと、リーヴルは詰まらなそうな顔になった。

「ありきたりの貴族の反応ですわね。ワルド様でしたら、ここの蔵書の価値を理解して下さると思ったのに」

 どうやらご機嫌を損ねてしまったらしい。
 私としては、数少ない本好きの友に嫌われたくは無い。どれ、一つご機嫌取りをしておこうか。

「では、ここの蔵書の価値について、ご教授頂けるかね?」
「……情報というものは、人々の試行錯誤の結晶です」

 リーヴルは中々に興味深い話を聞かせてくれた。彼女の言い分はこうだ。
 本とは、人々の試行錯誤の結晶を纏めた物。宝石の様な物であり、その価値は人々の生活に根ざした物から使い道の無い物まで多岐に渡る。
 それらが集まるこの場所は国などという、詰まらない単位で語る事は貧しい発想だと言う。
 例えば、食べられる物と食べられない物はそれを試し、命を落とした多くの者の屍の上に蓄えられた知識だ。食べ物一つ取っても、大きな犠牲を伴っている。その価値が国に劣ると言えるかどうか、私にとっても考えさせる考察だった。

「なるほど、確かに秤に掛ける物を間違えていたようだ。情報というのは確かに大きな力を持っている」

 これを否定する事は出来ない。それこそ、情報一つの為に多くの人間が死に、国が傾く事もある。それが集まれば彼女の言い分にも通りがある。
 リーヴルもどうやら機嫌を直してくれたようだし、無駄な時間では無かったな。
 さて、そろそろ仕事の時間のようだ。リーヴルとテクストは時間外労働はしない主義らしく、いつも通り定時退勤してしまった。
 ふむ、暗闇の中に沈む図書館か、童心に返り胸が高鳴るな。さて、今日はどこを調査するか……。

ゼロのペルソナ使い 第十五話『閃光と魔剣』

 フリッグの舞踏会の翌日、俺とルイズはオールド・オスマンに呼ばれて学院長室に来ていた。ギーシュとモンモランシーも同席している。
 オールド・オスマンは少し疲れた様子で俺達にミス・ロングビルの正体を語った。ルイズとモンモランシーにはあの夜に既に話していたらしい。
 ミス・ロングビルが『土くれ』のフーケという有名な盗賊である事、ミス・ロングビルの処遇については俺達に判断を委ねるという事、ルイズとモンモランシーはオールド・オスマンの判断に従う事にしたという事。
 俺とギーシュは互いに顔を見合わせて、しばらく沈黙した。何が正しいのか、分からなかったからだ。

「ルイズはオールド・オスマンに委ねる事にしたんだな?」

 俺が尋ねると、ルイズは小さく頷いた。俺はこの星の人間じゃない。実際に被害を受けたわけでもない。ここはルイズの判断を信じるべきだろう。

「待ちたまえ」

 俺の考えを見透かしたように、ギーシュが口を挟んだ。

「この件は一人一人が判断するべきだ。オールド・オスマンに委ねるならまだしも、ルイズに委ねるべきではないよ」

 どういう意味だろう。ルイズの判断が間違っているというのだろうか。俺が分かっていない事を察したのだろう、ギーシュは言った。

「ルイズの判断力を見くびっているわけじゃないよ。そうじゃなくて、責任を他人に預けるべきじゃないって話さ」

 ギーシュは言った。ミス・ロングビルは犯罪者だ。オールド・オスマンの言うとおり、心の奥に善があるのかもしれないが、それは事実だ。
 もしも、ミス・ロングビルがオールド・オスマンの期待を裏切り、誰かを苦しませた時、その責任はミス・ロングビルを王宮に突き出さないと決断した俺達にも降り掛かって来る。
 もし、ここでルイズの判断に任せるという形でルイズに責任を背負わせてしまえば、ルイズは最悪、二人分の責任を背負う事になってしまう。誇り高いルイズだからこそ、余計に。

「……分かった。ありがとう、ギーシュ」

 ギーシュが止めてくれて助かった。女の子に自分の責任を押し付けるなんて馬鹿な真似をする所だった。

『“契約”に従い、ご自身の選択に相応の責任を持って頂く事です』

 ベルベットルームでのイゴールの言葉が頭の中で甦った。反芻し、俺は自分を戒める意味でもオールド・オスマンに言った。

「俺もオールド・オスマンに判断を委ねます。これは俺の選択で、この選択の責任は全て俺にあります」
「僕もオールド・オスマンに判断を委ねます。ですが、僕もサイトと同じく、この選択の責任は全て自分で負います」

 オールド・オスマンはゆったりとした動作で頷いた。

「ありがとう。君達一人一人の選択が間違いにならぬよう、儂もミス・ロングビルが二度と過ちを犯さぬ様に注意を払う事を約束しよう」

 俺達は同時に頷くと、オールド・オスマンは満足そうに微笑んだ。

「さて、実はもう一つ、お主等を呼んだ事にはワケがあるんじゃ」

 なんだろう。俺は隣に座るルイズと顔を見合わせた。ルイズも困惑した表情を浮かべている。

「なに、そう固くなる話ではない。そうじゃな、ちと長話が過ぎた。お菓子でも食べて気を落ち着かせてはいかがかね?」

 そう言って、オールド・オスマンは立ち上がると、近くの小机の上に乗ったポットに手を掛けた。ルイズとモンモランシーが慌てた様子で立ち上がった。

「い、いけませんわ。その様な事は私共が!」

 ルイズとモンモランシーがお茶を淹れるのを代わろうとすると、オールド・オスマンは楽しげに笑った。

「なーに、儂はこう見えてもお茶を淹れるのは得意でな。直ぐに淹れるから座っていなさい」

 オールド・オスマンに言われて、ルイズとモンモランシーは渋々といった様子でソファーに戻った。
 オールド・オスマンの一挙一動にハラハラしているルイズは何だか面白い。
 オールド・オスマンはお盆に人数分のカップとポット、それにお菓子の入った缶を載せて戻って来た。

「甘くて美味しいのに驚く程健康に良いという素晴らしいお菓子じゃ。遠慮などせず、好きなだけ食べなさい」

 まるで久しぶりに会いに来た孫にお菓子を勧める爺さんみたいに俺達にお菓子を勧めた。ルイズ達はどうしたものかと困った様子でお菓子とオールド・オスマンを見比べている。
 折角勧めてくれたんだし、俺は一つを手に取って食べてみた。一口噛むと、ほんのりとした甘い味わいが口の中に広がって、凄く美味しい。

「ルイズ、これ凄い美味いぞ!」
「は、はしたないわよ。えっと、では、私も一つ頂きます」

 ルイズも恐る恐るといった様子でオールド・オスマンの出してくれたお菓子を口に入れた。
 ルイズの口にも合ったようだ、頬が少し緩んでいる。ルイズの後にモンモランシーとギーシュもお菓子を貰って食べた。

「お茶もある。好きなだけ食べなさい」

 俺は遠慮なくもらう事にした。ルイズが横目で睨んできているけど、このお菓子は本当に美味い。俺がお茶を飲み干すと、オールド・オスマンが口を開いた。

「実は、お主等のクラスに新しい友人が編入してくる事になったんじゃよ」
「編入、こんな時期にですか?」

 ギーシュが怪訝そうな顔をしてオールド・オスマンに尋ねた。
 ルイズ達のクラスにって事は二年生に編入してくるって事だよな。確かに、編入してくる時期としては奇妙に感じる。

「遠方の国の姫君でな。この件に関しては姫殿下からも彼女の事を宜しく頼むとのお言葉を承ってもってのう」
「一国の姫君が……ですか?」

 ルイズは戸惑った口調で聞き返した。一国のお姫様が留学なんてありえるのかな? ルイズだけでなく、ギーシュやモンモランシーも困惑した顔をしている。
 オールド・オスマンが語るには、その転入生の名前はクリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナというらしい。

「それで……、私達は何をすればいいのですか?」
「クリスティナ姫は明日、トリステインに到着する予定じゃ。そこで、ミス・ヴァリエールにはサイト君と共に彼女を王宮へ迎えに行ってもらいたいんじゃよ」
「私がですか?」
「アンリエッタ姫のたっての希望でのう。なんでも、幼少の頃より親しき仲であるお主にクリスティナ姫の事を頼みたいとの事じゃ。まあ、友人として、良い学院生活を送れるようにそれとなくサポートをして欲しいという事じゃよ」
「……わかりました。明朝、王宮へ向かい、クリスティナ姫殿下のお迎えの任にあたりたいと思います」
「頼んだぞ。ミスタ・グラモン、ミス・モンモランシ。お主等にもクリスティナ姫が編入してきた際にはクラスに溶け込めるように力を貸してあげてくれぬかのう?」

 奇妙な間があった。二人がのろのろと頷くのを見ると、オールド・オスマンは満足気に頷いた。

 学院長室を出ると、三人は重い沈黙が広がった。
 ルイズもギーシュもモンモランシーも三人共難しい顔をしている。お姫様が留学して来るって事はそんなに大変な事なのだろうか。

「オールド・オスマンも厄介な事を任せてくれるね……」

 ギーシュが苦虫を潰したような声で言った。

「どういう意味?」
「サイト、異国の姫君が留学して来るんだ。それも、僕達は姫君の接待をしなければならない。つまり、僕達は姫君とかなり近い距離で接する事になるんだ」
「それが厄介な事なのか?」
「厄介な事なのよ。相手は異国のお姫様。そんな相手を接待だなんて……、お姫様の国に取り入ろうとしていると見られてもおかしくはないわ。そうなったら、将来の出世にも関ってくる」

 ギーシュとモンモランシーはどうしたものかと頭を悩ませている。予想以上に大変な事態らしい。
 ギーシュとモンモランシーとは途中で別れて、俺達はルイズの部屋に戻った。

「サイト、明日は夜明けに王宮に向けて出発するわ。今日はもう寝るから」

 部屋に戻るなり、ご主人様は使い魔にご褒美を下さるらしい。
 それにしても、ルイズはギーシュやモンモランシーと違って、割と余裕があるな。
 俺はルイズの寝具を用意しながら、聞いてみる事にした。

「なあ、ルイズは何でそんな余裕たっぷりなんだ?」
「余裕って?」
「だからさ、ギーシュやモンモランシーはかなり困ってたじゃん。オールド・オスマンのお願い事で」
「まあ、確かにちょっと厄介ではあるわね」
「だろう?」
「でもね、私のは姫様直々の任務なの。姫様に期待されてるんだって思えば、気も引き締まるわよ」

 さすがはご主人様。俺はそれ以上深くは聞かなかった。聞く余裕が無かったとも言える。
 相変わらず、お美しいです、ご主人様。まだ慣れない手付きでルイズを着替えさせながら、何となく、勇気と根気が鍛えられた気がした。

「そう言えば、あんたの剣」
「折れちまったな。綺麗に……」

 オールド・オスマンから貰った俺の相棒は前の戦いで綺麗に真っ二つに折れてしまっていた。
 短い間だったとはいえ、死線を潜り抜けて、愛着があったんだけどな。
 今は俺のソファーの後ろに置いてある。どうしても、捨てる気になれなかったんだ。ルイズもそれを許してくれた。

「明日、王宮に向かう途中であんたの剣を買いましょう」
「いいのか?」
「……必要な物だもの」

 それだけ言うと、着替えを終えたルイズはさっさとベッドに潜り込んでしまった。

 翌日、俺とルイズは夜明け前に学院を出た。
 俺はルイズの腰に手を回しながら変な所を触らないように全神経を集中していた。乗馬経験なんて無い俺は仕方なく、ルイズとタンデムしている。
 出発してから二時間ぶっ通しで走り、王都トリスタニアに到着した頃には俺の尻は尋常じゃない痛みを発していた。

「つか、マジで痛い……」
「情け無いわね。王宮に着くまでにはシャンとしなさいよ?」

 そんな事言われても、痛いものは痛い。蟹股になりながら、ルイズの後を追う。
 しばらく歩いていると、ルイズが突然立ち止まった。

「確か、この近くだった筈なんだけど」

 ルイズはキョロキョロと視線を走らせて何かを探している様子だ。

「あ、あったわ。あの看板の店の小道の先の筈ね」
「あ、おい、危ないぞ!」

 目的の物を見つけ出したらしく、ルイズは前が見えていないらしい。人にぶつかりそうになり、俺は慌ててルイズの手を引いた。
 小さく悲鳴を上げて、ルイズは非難するような目で俺を見た。

「おっと、すまないね。急いでいたもので……、ルイズ?」

 ルイズがぶつかりそうになった男は驚いたように眼を丸くしてルイズを見た。
 灰色の長い髪に一瞬女の人かと思ったけど、顔を見た途端に男だと分かった。髪と同じ色の髭が口元を覆っていた。精悍な顔付きと穏かな眼差しにさぞや女泣かせな男だろうと思った。
 そして、泣かされそうな女が目の前に居る。

「ル、ルイズ?」

 ルイズは頬を薄っすらと赤らめていた。瞳を潤ませ、見た事の無い顔で男を見ていた。

「ワルド様……」
「ああ、一目で分かったよ。随分と大きくなったのだね。そうか、それほどの時が経ったのだな」

 ルイズがワルドと呼んだ男は憂いを秘めた目でルイズを見つめ、頭を撫でた。

「あの時は本当に小さな妖精だったな」
「い、いやですわ。私はもう子供ではないのですよ?」
「すまないね。私にとって、君と過ごした日々は輝いていたのだよ。楽しかった」

 懐かしむように語るワルドにルイズは借りて来た猫のように顔を赤らめて大人しくなってしまった。
 おもしろくない。まるで、恋する乙女のような顔だ。俺にはあんな顔を一度も見せてくれたことが無いのに、道端でぶつかった男に見せるなんてどういう事なんだ。

「おや、君は……」

 ワルドは俺に目を向けると、顔を顰めた。

「すまなかったね。昔の話など持ち出すべきではなかった」

 ワルドの言葉にルイズは傷ついたような表情を浮かべた。

「なぜ、なぜその様な事をおっしゃるのですか?」
「彼にとって、おもしろい事とは言えないだろう。私はこれから王宮に赴かなければならないのでね、これでさらばとさせてもらうよ」
「お、お待ちください。サイトは、この者は私の使い魔です」
「使い魔?」

 どうやら、ワルドは俺達を恋人同士だと勘違いしたらしい。ルイズは慌てて訂正した。
 確かに、恋人ではないけど、こうまでキッパリと否定されると寂しいというか、ガッカリというか……。
 使い魔と聞いて、ワルドは目を丸くした。

「人を使い魔に……」

 ワルドは探るような目付きで俺を見た。鬼気迫るものを感じて、俺は突き上げてきた嫉妬すら忘れて、凍りついた。
 ルイズも様子がおかしいと感じたのか、目を丸くしている。

「まさか……いや、そんな事は……」
「ワルド様?」
「あ、ああ、すまない。人が使い魔になるという話はあまり聞かないものでね。君、もしよければルーンを見せてもらってもいいだろうか?」

 手の甲に浮かんだ俺には読めない文字の羅列を見せると、ワルドは熱に浮かされたように見つめた。

「とても、珍しいルーンだね。そう言えば、ルイズ」

 魔法は使える様になったかい? ワルドはルイズに問い掛けた。
 ルイズは泣きそうな顔になった。魔法を使おうとすると、どんな呪文を唱えても爆発してしまう。
 ルイズの様子を見ていると、否応にも分かってしまった。ルイズは目の前の男が好きなんだって。だから、好きな男に魔法が使えないと話すのが辛いのだろう。

「あ、あの」

 ルイズが泣くのが嫌だ。胸に浮かんだ思いに駆られて、俺は口を挟んでいた。

「お、俺、ルイズの使い魔のサイト・ヒラガです。よ、よろしくお願いします」
「ああ、私はワルド。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドと言うものだ。サイトか、聞き慣れぬ響きだな。装いも見慣れぬ物。遠方の国の者かい?」
「は、はい。日本の東京という所から……」
「ニホン? トウキョウ? 聞いた事が無いな。魔法の方は?」
「あ、俺は貴族じゃないんです。だから、魔法も使えません」
「そうなのかい? しかし、平民といえども、今やヴァリエール家が三女の使い魔。それ相応の礼儀を払わせてもらうよ」

 ワルドは俺の服装を見て、変わった服を着る貴族だと思ったらしい。俺が着ているのはこの世界に着た時に着ていたパーカーだ。やっぱり、この服が一番着心地が良い。
 ルイズを恋する乙女に変えるワルドは正直おもしろくない相手だったが、嫌いになるのは難しい相手でもあった。

「そう言えば、君達はどこへ向かおうとしていたんだい?」
「王宮です。その前に、サイトに剣を買おうと思い、この近くに店があると聞き、向かっておりました」
「武器屋か、それならば確か、この路地を曲がった所にあるピエモンの薬問屋の近くにあったな。サイト、君は剣の目利きは?」

 目利きっていうと、どんな剣がいいのか選べるか? って聞かれたのかな。俺が首を振ると、ワルドは「こっちだ」と言って、路地の奥に向かって進み始めた。

「ワルド様?」
「君達二人では、飾り物を高値で買わされてしまいそうだからね。まだ時間もある事だし、サイトに似合いの剣を見繕ってあげよう」
「そんな、ワルド様にそのようなお手を煩わせるような事は……」
「なに、久しく会った君ともう暫しの間居たいという思いもあるのだよ。学院に通っているのだろう? 君の学院生活を聞かせてはもらえないかい?」

 結局、ルイズが折れて、俺とワルドはルイズの昔話に耳を傾けながら路地に入って行った。
 路地は下水道のような臭いが漂い、とんでもなく臭かった。ルイズも顔を顰めている。
 すると、ワルドは杖を振り、呪文を唱えた。途端に臭い匂いが消え去った。
 歩きながら、ワルドの事も聞かせてもらった。名前は長くて覚えられなかったけど、国に三つしかない衛士隊の一つを纏める隊長らしい。二つ名は『閃光』。風の魔法を得意としているらしい。
 ルイズの昔話を聞いている内に目的のお店に到着した。剣が交差している絵の看板が掛けられている。まさにファンタジーって感じだ。
 薄暗い店内に入ると、かび臭い匂いが鼻をついた。店内には様々な種類の剣や槍、斧、弓などが壁に陳列され、鎧やヘルメット、籠手や盾まで置いてあった。

「わしの息子達を買いに来たのか?」

 店内を見て回っていると、店の奥から男が出て来た。筋骨隆々のまるでアメフトの選手のような体付きの大男だった。

「む、息子?」
「わしが鍛えた武器や防具だ。わしにとっては子供同然だ。おや、珍しい事もありますな。貴族の方がこのような場所に足を運ばれるとは」

 店主はワルドとルイズの格好を見て、居住まいを正した。

「客よ。サイトに持たせる剣を買いに来たの」
「そうですか……。見たところ、あまり鍛えていらっしゃらないようにお目見え致しますが?」

 店主は俺を値踏みするように見ながら言った。

「こう見えても、剣を振るわせればそれなりよ」
『それなり? そんな、ひょろひょろ坊主にゃ、玩具の剣がお似合いだろうが』

 誰だよ、失礼だな。確かに、剣なんてここに来るまで握った事も無かったけど、実際にちゃんと戦えたんだぞ。そう思って、店内を見渡したけど、誰も口を開いていなかった。

「おいこら、デル公。客に向かって、何て口の利き方しやがるんだ」
『五月蝿えよ。身の程知らずにご大層な剣渡して、無責任に戦場なんぞに放り出してみろ、一番に死ぬのはそういう奴だ。俺様は優しさで言ってんだぜ?』

 まるで、スピーカーを通しているような妙な響きの声のする方に行くと、そこには一本の剣が立て掛けられていた。柄が剣が喋る度に動いている。さすがファンタジーだ、剣も喋るのかよ。

「インテリジェンス・ソード。随分と珍しい物を置いているな」
「口の悪い剣ね」

 ワルドは興味を惹かれた様子だが、ルイズは不快そうに顔を歪めた。

『おい、悪い事は言わねーからよ、模造剣で我慢しとけよ。そんな若い美空で命散らせるなんざ、阿呆なだけだぜ?』
「……なら、お前が教えてくれよ」
『ああ?』
「お前がさ、俺に剣を教えてくれよ。俺、一応剣で戦った事があるんだ。でも、剣を習った事が無いんだ。お前、剣なんだし、剣術とか分かるだろ?」
『はあ? 冗談じゃねーよ。お前さんみたいなひよっこになんで俺様が……』
「駄目よ、サイト」

 俺はなんとか剣を説得しようとしていると、ルイズが口を挟んできた。

「なんで?」
「なんで、じゃないわよ。そんな口の悪い剣。それに、錆だらけじゃない。そんな剣を使い魔に持たせるなんて、貴族としての品格が疑われるわ。その剣は却下よ」

 ルイズの言葉に俺は何も言い返せなかった。口を利くなんて、面白そうだし、なによりも剣に剣術を教えてもらえるなら、俺にとっては一石二鳥なんだ。
 だけど、ルイズの貴族としての品格を汚すわけにもいかない。ただでさえ、学院の奴等に馬鹿にされているのに、世話になって、色々とご褒美いっぱいの生活を送らせてくれてるルイズを更に馬鹿にする口実を奴等に与える訳にはいかない。
 後ろ髪を引かれながら、俺は剣を諦める事にした。だが、ワルドが口を挟んだ。

「待ちたまえ。確かに、ルイズの言い分も分かる。だが、サイトの言い分も間違っていない。ルイズ、インテリジェンス・ソードの存在する理由はなんだか分かるかい?」
「インテリジェンス・ソードの存在する理由……ですか?」」
「ああ、インテリジェンス・ソードはね、主の目となり、鼻となる事が出来るんだ。例えば、多くの敵に囲まれ、自分の目だけでは敵の動きを判別出来ない事態に陥った時、インテリジェンス・ソードならば敵の位置や敵の動きを剣に教えてもらえる。それに、剣を持ったばかりの者が戦場に出る際には、どう戦えばいいのか、どう動けばいいのかをインテリジェンス・ソードに教えてもらう事も出来る。さっき、サイトの言ったように、剣術を教えてもらう事も出来る」

 それに、とワルドは言った。

「一本に絞る必要も無いだろう。この剣ともう一本、見栄えの良い剣を買えばいい。それに、確かに口は悪いようだが、言っている事は正論だ。インテリジェンス・ソードの中には主を戦へと駆り立てる魔剣、邪剣などがあると聞くが、戦に出るなとその剣は言った。この剣ならば、サイトをきちんとした剣士にしてくれる筈だ」

 ルイズは剣を見て、溜息を吐いた。

「ワルド様がそう仰るなら……。仕方ないわね、出費が大きいけど、二本買いましょう」
『おいこら! 何勝手に決めてやがる! 俺様はこんな小便臭いガキに振るわれるなんざ――ッ』
「ま、いいじゃん。ちゃんと俺も鍛えるからよ」

 剣を持ち上げてみると、再びあの力が溢れて来た。軽く、縦横斜めに振るってみると、驚くくらいしっくりきた。

『驚いたぜ……。お前さん、使い手なのか。わかったよ。お前さん、俺を買いな。いっぱしの剣士に育ててやっからよ』
「使い手?」

 何の事だろう。聞いてみようと思って声を掛けようとすると、ルイズに呼ばれた。

「その剣の値札見せてちょうだい。……ずいぶん安いわね。なんか、余計に不安だけど、まあいいわ。これならもう一本くらい買えそう」
「今の動きは中々のものだね。体格以上に……。そうだね、この剣はどうだろうか?」

 ワルドは壁に掛けられていた一本の剣を手に取った。飾り気があまり無い長剣だ。

「うーん、もっと見栄えが良い物がいいですわ」

 ルイズは不満そうだった。確かに、茶色い柄の地味な剣だ。

「あら、こっちに良さそうなのがあるじゃない」

 ルイズは壁に掛けられた、柄にも刀身にも宝石の散りばめられた豪奢な剣を手に取った。
 派手でルイズが好みそうな剣だったが、ワルドは首を振った。

「ルイズ。それは観賞用の剣だよ。好事家向けの物だ。戦闘に使ったりすれば、数回剣を交えただけで折れてしまうよ。ルイズ、剣というのは派手であればいいというものではない。己の技量、身体能力、そして何よりも実用性に合う物を選ばねば意味が無いんだ。見たところ、この店にある剣でサイトに見合う剣はあの喋る剣とこのロングソードくらいだ。身体能力だけあっても、技量が追いつかねば、剣は敵よりも先に己に、更には己の護ろうとした者に牙を剥く」
『嬢ちゃん。その貴族の旦那の言う事を聞いときな。見栄を張るために観賞用の剣を腰に下げるなんざ、余計に間抜けだぜ』

 ワルドと剣の言葉はもっともな事だった。さすがに、観賞用の剣で戦うには勇気が足りない。
 ルイズも渋々頷いた。

「店主、この二本を頂くから会計をお願い」
「あいよ。インテリジェンス・ソード、銘は『デルフリンガー』だ。こいつは50エキュー。それに、こっちのロングソードは200エキュー。合わせて、250エキューになります」
「サイト、財布を頂戴」
「おう。ありがとな、ルイズ」
「必要な物だもの」

 ルイズに買ってもらった剣を早速着けてみる事にした。
 ロングソードはギリギリ腰に下げる事が出来たけど、デルフリンガーはロングソードよりも長くて、背中に背負うしかなかった。

「へへ、どうだ?」

 剣を装備すると、なんだか気分が高揚した。

「もう、恥しいから浮かれないでよ。ま、まあ、悪く無いわね」
「サンキュー。ワルドさんもありがとうございました」
「礼には及ばないよ。昔、ルイズは私の許婚だった」
「許婚?」
「昔の話だがね。親同士の口約束だよ。だけどね、私はルイズの幸せを願っている。どうか、その剣をルイズを悲しませない為に振るって欲しい。ルイズの事を頼んだよ」

 初め、ワルドはルイズに俺の知らない顔をさせる嫌な奴だと思った。
 でも、ワルドは王宮でも高い地位の貴族だって聞いたけど、話してみると、気さくでルイズの事を本当に大事にしているんだって事も知る事が出来た。
 俺はワルドに選んでもらった剣に密かに誓おうと思う。ルイズを絶対に泣かせない。ルイズを泣かせる奴は誰だろうと、この剣でぶっ倒す。誰であっても……。

「はい!」

 ワルドは手を差し伸べてきた。俺はワルドの手を握り返した。ワルドとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“剛毅”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はワルドとの絆に呼応する様に、“心”の力が高まるのを感じた。

『おい、相棒』
「相棒?」
『お前さんの事さ。まだまだ未熟も未熟だが、これからよろしく頼むぜ』

 デルフリンガーは相変わらず口が悪いけど、俺の事を相棒と呼んでくれた。
 認めてくれたって事で、いいんだよな?

「ああ、よろしく頼むぜ、『デルフリンガー』」
『いっちょ、お前さんを鍛えてやるよ。ありがたく思えよ? 剣に剣を教えてもらえるなんざ、そうそうあるもんじゃねー』

 俺はデルフリンガーを鞘から抜いて、軽く振ってみた。相変わらず、不思議な力が漲ってくる。それだけではない。なんだろう、オールド・オスマンに貰った剣以上に自分の体の一部のように感じられる。
 口の悪い新たな相棒『デルフリンガー』との間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“正義”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺は『デルフリンガー』との絆に呼応する様に、“心”の力が高まるのを感じた。

「デル公が認めるとはな。おい、お前さん、お得意様向けのサービスをしてやる」
「お得意様向けのサービス?」
「暇な時に素材を持って来い。ありきたりのもんじゃつまらん。わしがうろたえるような珍品を持って来い。そしたら、伊達なもんを作ってやる。ま、作るもんによっちゃ、素材の種類や数はそれぞれだがな。こっちに素材がある程度貯まったら、わしが特注の武器や防具を作ってやる。ただし、何を作るかはわしの勝手じゃがな」

 なんだそりゃ、俺は店主の言葉を頭の隅に置きながら曖昧に頷いた。俺にはロングソードとデルフリンガーがあるんだし、わざわざ素材を持って来て、武器を作ってもらう必要なんて無いと思うんだけどな。
 店を出ると、ちょうどいい時間になっていた。俺達は王宮へ向かった。

第十四話『フリッグの舞踏会』

 王立図書館――――。
 ここには、何千年も前から現代に至るまでに出版された数多くの本が貯蔵されている。
 トリステイン王国に三つある衛士隊の一つである“グリフォン隊”の隊長を務める私、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは調べ物をする為にここに来ていた。
 私には悲願があり、その為の調べ物だ。数ヶ月前、私は私の悲願を実現しようとしている組織を知った。
 レコン・キスタ。“聖地”を奪還せんと動く、アルビオン王国の革命軍。どうしても繋がりが欲しい。その為には、それ相応の価値が私になければならない。

「さて……、どうしたものかな」
「何をお探しですか? ミスタ・ワルド」

 適当な本を手に取り、読んでいた私に濃い緑髪の縁の太い眼鏡を掛けた女性が話し掛けてきた。
 彼女の名前は、リーヴル。その隣には、彼女の使い魔のテクストが立っている。

「やあ、ミスタ・ワルド」

 相変わらず、テクストは可愛い外見に似合わない渋い声だ。この声に、少なからず憧れを抱く者は少なくない。
 時々、使い魔が話せる様になるルーンが刻まれる事がある。かなり珍しいルーンだ。

「ああ、少しね。どうしたんだい? 話し掛けてくるなんて、珍しいじゃないか」
「その……、最近、図書館に幽霊の目撃証言があって、陽が沈んだ後、ご利用になるお客様にご忠告を……」
「幽霊?」

 何を言い出すかと思えば、あまりにも突飛な言葉に私は苦笑してしまった。だが、一笑していい事なのだろうか? 少し考えれば、幽霊など存在しないのは当然。
 幽霊は存在しない。なのに、幽霊の目撃証言がある。つまり、“幽霊”は居る。だが、それがよく言う所の死者の想念が具現化したモノとは違うとしたら……。

「何かを見間違えたのではないかい?」

 私が確認する様に尋ねると、彼女は少し思案して頷いた。

「もちろん、重要な文献を狙った盗賊の線も在りますし、ただの愉快犯の可能性もあります」
「どちらにしても、あまり放っておいていい話ではないな……。ここには、機密文書も保存されている、少し、調べてもいいかね?」
「よろしいのですか?」
「私は衛士隊の隊長だからね。国の経営する図書館に怪しい人物が居ると知りながら放逐する事は出来ないさ」

 どうも、幽霊が現れるのは夜だけの事らしい。私は夜を待つ事にした。

 夜になると、図書館は静まり返っていた。突然、ドスンと、何かが落ちる音がした。

「ほあっ!?」

 私は急ぎ、地面に耳を付けて、誰かの足音が聞こえないかを確認した。うむ、何の音も聞こえない。どうやら、本が落ちただけらしい。まったく、人騒がせな……。
 私は服に付いた埃を払いながら乱れた息を整えた。まずは、一階を探索してみよう。

「……何も居ないな」

 私はガッカリして、ホッと息を吐いた。うむ、居なかったからには仕方ない。そろそろ帰ろうか、いやいや、まだ二階が残っている。
 私は杖を握り締め、二階へと上がる階段を登った。夜の冷気で思わず体が震えた。む、鍛錬が不足しているらしいな。鍛えなおさないといけない。
 結局、二階にも誰も、何も居なかった。だが、目撃証言が出ている以上、これでお仕舞いにする訳にはいかない。

「明日、出直すか」

 私は王立図書館を後にした――。

ゼロのペルソナ使い 第十四話『フリッグの舞踏会』

 暗い世界に居た。まるで、光も届かない深い井戸の底に落ちてしまったかの様に真っ暗。さっきまで、ギーシュと学院の広場で殴り合いをしていた筈なのに……。
 自分の体だけが何故かハッキリと見える。
 ここはどこだ、俺はどうしたんだ、幾つ物疑問が湧く中で、不意にどこからともなく声が響いた。

『我は汝、汝は我』

 誰だ? 聞いた事の無い声が聞いた事のある言葉を口にしている。そうだ、これはオーディンが最初に現れた時に聞こえた言葉と同じだ。

『我は汝の心の海より出でし者也。汝、我の助けを欲するならば喚ぶがよい。我は汝に力を貸そう』

 誰なんだ。俺は姿無き声に向かって叫んだ。真っ暗な世界で、声の主が微笑んだ様な気がした。

『我は――――。汝が我を必要とする時、再び見えようぞ』

 待ってくれ、聞こえない! もう一度、お前の名前を――!
 突然、俺の視界に光が溢れた。真っ青な空に向かって、俺は手を伸ばしていた。俺は寝ていたらしい。
 隣でギーシュが眠っている。夢だったのだろうか、俺は胸に不思議な温かさを感じた。

「なんだったんだ、今の夢」

 ただの夢と言い捨てる事は出来なかった。ベルベットルームの例があるし、夢だからと馬鹿に出来ない。
 俺が考え事をしていると、隣でギーシュが動く気配を感じた。どうやら、ギーシュも目を覚ましたらしい。

「ん……、どうやら眠っていたらしいね」

 ギーシュは寝惚けた目を擦りながら起き上がった。

「そう言えば、君を使用人の寮に案内する約束だったね。行こうか」

 欠伸を噛み殺しながら言うギーシュに頷きながら俺は考え続けたが、結局何も分からなかった。
 使用人の寮は学院の本塔の裏手にあった。学生寮よりもずっと小さい。学生寮の前にコルベールが居た。
 何をしてるんだろう、俺はコルベールに声を掛けた。コルベールは振り返ると、穏かに微笑みかけてきた。

「やあ、ミスタ・グラモンにサイト君。こんな所で、どうしたんだい?」
「あ、コルベール先生!」
「おはようございます、ミスタ・コルベール。サイト君に使用人用の風呂の場所まで案内してたんですよ」
「使用人のお風呂は中に入って右の奥だよ」
「ありがとうございます、ミスタ・コルベール」
「コルベール先生はここで何をしてたんスか?」
「私は今度の催し物の件で使用人達に色々と話があってね」

 コルベールの話を聞くと、来週のラーグの曜日にこの国のお姫様がこの学院を訪問するらしい。その時に、使い魔の品評会も行われるそうだ。
 コルベールはその件で使用人達に会場の手配、料理の配膳、その他諸々の伝達をしに来たらしい。

「なんと! アンリエッタ姫殿下がこの学院に!?」

 ギーシュが感激した声で言った。俺もお姫様ってのには興味がある。
 ラーグの曜日って事は、十日後か……。結構、時間があるな。
 コルベールと別れた後、俺は目を輝かせながらお姫様の説明をするギーシュの話を聞きながら使用人の風呂場を探した。よっぽど美人なお姫様らしい、モンモランシーが聞いたら血の海に沈まされそうな事まで言ってる。
 使用人の風呂場はコルベールの言うとおり、すぐに見つかった。だけど、中に入ると、俺の意気は消沈してしまった。サウナ式だった。

「サウナ式なんて、入った気にならないよ……」
「ん? サウナ式って、蒸気式だよ? ここは」
「その蒸気式ってのが、俺の国だとサウナ式って言うんだよ。けど、サウナ式なんてなぁ」

 ガッカリだ。久々に湯船に浸かれると思ったのに……。
 俺が暗くなっていると、ギーシュが仕方ないな、と言った。

「貴族用の風呂に案内してあげるよ」
「いいのかよ?」
「問題無いさ。今の時間なら誰も入ってないだろうし、湯船じゃなくちゃ嫌なんだろ? 僕も地面に寝転がって泥だらけだから一緒に入ろうじゃないか」

 ギーシュの申し出を俺は受ける事にした。やっぱり、サウナ風呂じゃ不満があるし、貴族用の風呂に興味がある。
 それに、友情を深めるのに裸の付き合いは必須だろう。俺とギーシュは一端別れて、着替えを持って女子寮の前で待ち合わせる事にした。
 貴族用の風呂は男子寮と女子寮と本塔の三箇所にあって、それぞれ男子風呂、女子風呂、教員用風呂に分かれているらしい。
 ルイズの部屋に一端戻って、ルイズに買ってもらった服の上下と下着を持って、俺は女子寮の前でギーシュを待った。
 しばらく待って、ギーシュがやって来た。

「やあ、待たせたね。行こうか」

 ギーシュに連れられて、俺は男子寮にやって来た。女子寮とあまり変わらない感じだ。
 違うのは、女子寮には女子ばかりなのに対して、当然だけど、男子寮は男子ばかりだという事だ。寮の一階の大広間を横切って、俺は貴族用の大浴場にやって来た。

「うわっ、広いな」

 俺は浴場のあまりの広さに圧倒された。日本の銭湯よりずっと広い。湯船なんかプールみたいだ。

「湯船は専門の使用人が数時間毎に清掃して湯を張り替えているんだ」

 今は丁度、お昼の清掃が終了したばかりらしい。俺達が入って来ると、中で清掃用具の片付けをしていたメイドがそそくさと出て行き、その時に清掃が終了した事を教えてくれた。

「お湯はどうやって沸かしたんだ? 電気も無いのに」

 地球なら電気やガスで自動的にお湯を沸かしてくれるけど、ここにはそんな設備は無い。
 使用人は火の魔法が使えない筈だしと俺が言うと、ギーシュは言った。

「電気? なんだい、それは? 湯船は底に埋め込まれている魔石で沸かしているんだよ」
「魔石?」
「精霊石とも言うがね。火石と言って、火薬などに使われたりもするんだが、高位のメイジが上手く細工をすれば湯船を常に適度な温度に維持させるなんて事も出来る」

 浴場には案の定、他には誰も居なかった。俺はギーシュに精霊石の事を聞きながら、服を脱いで湯船に浸かった。
 石鹸があった事には少し驚いた。タオルなんかは常に備え付けられていて、俺はそこから体を洗う為に一枚借りた。
 ギーシュの話では、精霊石には他に風、水、土の石があって、それぞれに先住の力が宿っているそうだ。ギーシュの話を聞いて、俺は知識が増えた気がした。
 何となく、常識知らずから一歩抜け出る事が出来た気がする。

「それにしてもヌクいな……」

 お湯の温かさになんだか瞼が重くなった。

「ううん、やっぱり風呂は気持ちが良いね」
「まったくだぜ」

 二人揃って目を細めながら湯船に浸かっていると、なんだか眠くなって来た――。

 目を開けると、何故かシエスタが居た。嗅ぎ慣れた香り漂うここは、保健室?

「なんで、俺はまた保健室に?」
「サイトさん、貴族用のお風呂でのぼせてたんですよ? ミスタ・グラモンと一緒に……」

 シエスタは何故か顔を赤くしながら言った。

「えっと、また着替えさせてもらっちゃった?」
「……えっと、はい」

 俺は自分の顔が真っ赤になっている事に気付いていた。心臓が早鐘を打ってる。
 親しい女の子に全部見られてしまった。恥しさのあまり、地面に穴を掘ってそのまま埋まってしまいたくなった。
 一週間眠りっぱなしだった時もシエスタに着替えさせてもらったらしいけど、あの時はシエスタが何とも無い顔をしていたから気にならなかったけど、顔を赤らめられるとどうしても意識してしまう。

「ひ、貧相なもん見せてごめん」
「い、いえ、サイトさんの十分大きかったですよ!」
「何の話をしてるんだ君達……」

 隣のベッドから呆れた声が聞こえてきた。ギーシュが居た。

「き、聞いてたの?」
「隣に寝てるんだから、聞きたくなくても聞こえるよ! それより、もう夕方近い、そろそろ起きないと舞踏会の準備が間に合わなくなってしまうよ」
「俺には関係無いし、もうちょっと寝てるよ。体がだるいし」
「使い魔とはいえ、従者なのだから主人のエスコートなんかをキッチリこなさないと駄目だよ。パーティー用の衣装が無いのなら、僕のを貸してもいいよ?」
「エ、エスコート? 俺、舞踏会なんて経験無いし……」
「なら、練習すべきだね。何度も言うが、君はあくまでもルイズの使い魔なんだよ? 使い魔は主人に永遠に仕えなければならない。なら、仕事は早い内に覚えるべきだ。いいかい? これは僕が君を友と思うからこその助言なんだ。君はルイズがルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだという事をきっちり理解しなければならないよ」
「どういう意味だ?」

 ギーシュは呆れた様に溜息を吐いた。

「馬鹿か、君は……。つまり、ルイズはヴァリエール家の娘って事だよ。いいかい? ルイズの家は由緒正しき王家に使える公爵家なんだ」

 俺はギーシュの説明を聞いてもチンプンカンプンだった。俺の様子を見て、ギーシュは忌々しそうに頭を掻き毟った。

「だから、そんな名門貴族であるヴァリエール家の令嬢の使い魔が平民で、しかも礼節やマナーを知らない粗暴な人間だなんて、愉快に思う貴族はそうそう居ないよ。下手をすると、畜生以下の扱いをされるかもしれないんだ!」

 ガーッと怒鳴るギーシュに俺は渋々了解した。

「でも、さすがに畜生以下って事は……」

 俺が言うと、シエスタが気まずげに口を挟んだ。

「サイトさん。ミスタ・グラモンの仰る事は大袈裟では無いんですよ? お仕事をまともに出来ない使用人なんて価値がありません。ですが、サイトさんの場合は使い魔ですので……」

 シエスタが苦々しい顔で言うと、ギーシュが言った。

「いつでも解雇出来る使用人とは違うからね。仕事が出来なくても安易に放逐出来ない。だけどわざわざ仕事も出来ない役立たずに人間扱いしてやる通りは無い。食事は豚の餌。服も与えられず、ボロ雑巾の様に……」
「そんな事……」

 俺は喘ぐ様に言った。ギーシュもシエスタも冗談を言っている顔じゃない。本気で心配している顔だ。
 俺は冷や水を浴びせ掛けられた様な気分だった。ルイズの使い魔になってから、それなりに悪く無い生活だった。ギーシュの言った事を今迄一度も考えた事が無かった。

「まあ、君の場合はペルソナがあるし、剣の腕もある。そこまで絶望する事は無いけどね」

 ギーシュが項垂れた俺を元気付ける様に言った。

「それに、お仕事が勤まる様に頑張ってお勉強すればいいんですよ。私でよければ、何でもお手伝いしますから、元気を出して下さい」

 ギーシュとシエスタの心遣いに俺は涙ぐみそうになった。それにしても正直言えば甘く見ていた。仕事が出来ないと人間扱いすらされなくなるなんて、思ってもみなかった。

「まあ、背筋は真っ直ぐ、寡黙に、礼儀正しく、常に主を立てる。これだけ頭に入れておきたまえよ」
「簡単に言ってくれるよ、まったく……」

 俺はベッドから起き上がると、肩を落としながら言った――――。

 夜になって、俺はギーシュに黒の背広に似た衣装を借りて、ルイズの部屋の前に立っていた。
 これからフリッグの舞踏会が始まる。俺は何となく緊張しながらルイズの部屋に入った。部屋に入った途端、なんだかいつもと違う甘い香りがした。

「もう、どこほっつき回ってたのよ!」

 部屋に入るなり、ルイズの怒鳴り声が飛んできた。身を竦ませながら部屋に入ると、ルイズは驚く程可愛くなっていた。
 元々凄く可愛かったけど、今のルイズはまるで天使か妖精の様だ。
 長い桃色がかった髪をバレッタにまとめて、白のパーティードレスに身を包んでいる。肘までの白い手袋がルイズの高貴さをいやになるぐらい演出し、胸元の開いたドレスがつくりの小さい顔を宝石の様に輝かせている。
 思わず息を呑んで、俺はルイズに見惚れていた。ルイズはポカンとした顔をしている俺に不機嫌そうに顔を歪めた。

「何か、言う事は無いのかしら?」

 ルイズに言われて、俺は慌てて何かを言おうと考えを巡らせた。何も思い浮かばない。俺はテンパリ過ぎて上手く考える事が出来ずに居た。

「まったくもう! ご主人様が着飾ってるのよ? 感想の一つも無いわけ?」

 俺は必死に考えた。今のルイズをなんと褒めようかと。でも、どんな言葉も薄っぺらく感じてしまう。それほど、ルイズは綺麗だった。

「き、綺麗だ。可愛い! そ、それに……とにかく綺麗だ!」

 自分で言ってて馬鹿っぽかった。もうちょっと捻りを加えろよと自分でも思う。
 恐る恐るルイズの顔を伺うと、ルイズは苦笑いを浮かべていた。

「ま、合格にしてあげるわ。あんたから言い出したんだから、ちゃんとエスコートしなさいよね?」
「お、おう!」

 最初に俺が舞踏会の時にエスコートするよ、と言った時、ルイズは鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな妙な顔をした。
 でも、意外にアッサリとルイズは了承してくれた。絶対に恥を掻かせないでよね、と睨まれたけど……。
 ギーシュに借りた黒のスーツに似た衣装を着て、俺はご主人様の手を取った。

「それではご主人様、参りましょうか」

 俺は腹を決めてルイズと一緒に舞踏会の会場に向かった。会場は活気に溢れていて、ルイズを連れて階段を上がるとご馳走の香りや香水の香りが混じった臭いがした。
 ランプやシャンデリアに火が灯っていて、なのに不思議と熱くなかった。

「ヴァリエール公爵家が御息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおなぁぁぁぁりぃぃぃぃ!」

 階段を登り終えて、ホールの壮麗な扉を抜けると、扉の横に控えていた呼び出しの騎士がルイズの到着を高らかに告げた。
 これで俺の仕事は終わりだ。なんだ、思ったより楽勝だったじゃないか。ガチガチに緊張しながらだったけど、ここまでルイズを無事に送り届ける事が出来た。俺は自分の仕事に満足しながらルイズに言った。

「それではお嬢様、使い魔は控えております」

 最後の仕上げだからと俺は大袈裟な動作で頭を下げた。心配して損したぜ、このくらいなら、俺だって出来るんだ。
 俺は得意気になりながら顔を上げると、ルイズは呆れた様な表情を浮かべていた。なんだ、俺はどっか駄目だったのか?

「えっと、どっか駄目だった?」

 俺が小声で聞くと、ルイズは首を振った。じゃあ、なんで呆れた顔してるんだよ、俺は唇を尖らせて言った。

「気を利かせなさいよね。ほら、私……その、ゼロだから、躍る相手居ないのよ……だから……」

 ボソボソと言うルイズの声が上手く聞き取れなかった。

「え、なに? もうちょっと大きな声で言ってくれよ」

 すると、ルイズは大きな溜息を吐いた。

「わたくしと一曲踊ってくださいませんこと。ジェントルマン」

 俺は一瞬聞き間違いかとルイズの顔をまじまじと見た。ルイズは少し顔を赤らめながら黙っている。

「ダ、ダンス踊った事ないんだけど……」
「今日は私に合わせなさい。でも、私の使い魔なんだから、ダンスくらい、躍れる様になりなさいよ?」
「ど、努力します」

 俺は緊張しながらルイズの手を取った。なんだか、夢の世界に居るみたいだ。煌びやかに着飾る少年少女達が踊る中に居て、俺の相手は息を呑む程綺麗な妖精だ。

「もう直ぐ音楽が変わるから、右腕を私の腰に回して、左手は握り合ったまま」

 俺は茹蛸の様に顔を真っ赤にしながら必死にルイズの指示に従った。へ、変な場所触らない様に気をつけないと……。
 ルイズの左腕が俺の肩に回された。ち、近いって! 俺はあわあわしながら小声で言うと、ルイズにシャンとしなさい、と怒られた。
 “大きな河”という名前らしい曲が流れてきて、ルイズに誘われるままに俺は踊った。ルイズの脚を踏まない様に必死だった。
 だから、ルイズが俺の名前を呼んでる事にしばらく気付かなかった。

「サイト!」
「な、なに?」

 俺は吃驚して尋ね返した。

「故郷に帰りたい?」
「……え?」

 俺は思わず足を止めてしまった。その拍子にルイズが俺の胸に倒れこんできた。慌てて謝るとルイズにテラスに連れて来られた。

「ありがとう」

 ルイズはテラスに着くなり俺に言った。俺が目を丸くすると、ルイズは花が咲いた様に顔を綻ばせた。

「『泣かないでくれよ、ルイズ。俺が、何とかするから。あんな怪物なんて簡単に倒して、お前をゼロって馬鹿にする奴も一人残らず倒してやるから』!」

 ルイズが突然、低い声で言った。俺は恥しさのあまりテラスから飛び降りたくなった。

「やめて! 恥しくて死にたくなるから!」

 俺が悲鳴を上げると、ルイズは笑った。

「嬉しかったわ。だから、ありがとう」

 俺は何て返せばいいか分からなくて黙り込んだ。

「サイト、故郷に帰りたい?」
「……そりゃあ、家族とか友達も居るし。でも、帰える方法なんて見当もつかないし……。だから、ルイズの使い魔として頑張るよ」

 俺が言うとルイズは頬を染めた。けど、すぐに顔を顰めた。

「躍るわよ」
「へ?」

 ルイズが俺の手を取ってフロアに歩き出した。俺はルイズの考えがわからず混乱した。
 その翌日、俺は筋肉痛で動けなくなった……。

第十三話『ボーイ・ミーツ・ボーイ』

 目の前が真っ暗になって、気が付くと俺はベルベットルームから追い出されていた。突然、目の前が明るくなって、思わずよろけてしまう。窓の外から差し込んだ光が、もう朝である事を教えてくれた。

「そうだ、扉!」

 俺は慌てて振り返った。そこには、青白い光を放つ扉が壁に、まるで額縁に飾られた絵画の様に浮かんでいた。
 俺は扉に手を伸ばそうとしたけど、邪魔が入った。

「あら、また会ったわね、ルイズの使い魔」

 声に振り返ると、そこには褐色の肌と紅蓮の髪が印象的な胸の大きな女が居た。確か、名前はキュルケ。キュルケは胡散臭そうに俺を見ていた。

「貴方、壁に向かって何をしてるの?」

 キュルケの言葉に俺はベルベットルームの扉を見た。だけど、やはり扉は浮かんだままだ。

「この扉、見えないのか?」
「扉……? 何の話?」

 キュルケには見えてないのか。俺は何でもない、と誤魔化した。
 キュルケは呆れた様に肩を竦めた。

「ねえ、前に聞いた話だけど……」
「前に聞いた話……っていうと、食堂で話した時の事か?」
「そう……。ねえ、あれって本当だったの?」
「どうして……」

 あの時、キュルケは少しも信じようとしなかった。なのに、どういう心変わりだろう。
 キュルケは頭を掻きながら、どこか苦い表情を浮かべて言った。

「昨日、黒い怪物と戦ってたのは貴方達?」
「え? ああ、見てたのか? なら、助けに来てくれよな……」
「そう、黒い怪物って言って、理解出来るって事はやっぱりそうなんだ」
「何の話だ?」

 キュルケは何を考えてるんだろう。俺は首を傾げた。

「その様子だと、知らないみたいね。昨日の夕方、私は友達の子と食堂に向かってたわ。だけど、どういう訳か、意識を失ってた。その友達の子っていうのが、私を起してくれたんだけど、彼女も少しの間動けなかったって……」
「どういう事なんだ?」
「スリープ・クラウドって知ってるかしら?」

 キュルケの言葉に俺は首を振った。響きから、もしかしたら呪文の事かもしれないとは思ったけど、どういう呪文なのかまったく分からない。

「眠りを誘う、水系統の呪文よ。その効果は使用したメイジの力量を上回る水のメイジで無ければ逆らえない。さっき話した、私の友達の子は水のトライアングルなんだけど、その子ですら、解呪するのに時間が掛かったわ」

 どういう事なんだ、誰かがキュルケを眠らせたって事なのか?

「私達以外にも、使用人達や先生方、他の生徒達も眠らされていた。ただでさえ、トライアングルを眠らせる程のスリープ・クラウドをそんな大人数に同時に掛けるなんて、並のメイジに出来る事じゃないわ」

 キュルケが何を言いたいのか、俺にも薄々だけど分かってきた気がする。

「私はその友達……タバサって言うんだけど、タバサと一緒に外を見たわ。そしたら、そこにあの怪物が居た。誰かと戦ってるみたいだって事は分かったけど、それが誰だか分からなかった。確かめ様にも、下手に動けなかったし……」
「そのスリープ・クラウドって魔法を使った犯人がどこかに居るかもしれないって思ったからか?」
「ええ、案外、賢いじゃない。そう、私もタバサも並の雑魚には負けない自信がある。だけど、相手が並の雑魚じゃなくて、スクウェアクラスのメイジなら話は別。自分から殺されにノコニコ歩き回る趣味は無いわ」
「で? なんで、俺だと思ったんだ?」
「そんなの当然の帰結よ。怪物と戦っているナニカは私達の知らない“力”を使っていた。なら、その力を持つ者は誰かしら? そう考えた時、一番に頭に浮かんだのは貴方だった。何故って? この学院で貴方は異質だからよ。ルイズに召喚された、貴族を敬うっていう、平民にとっての当たり前が当たり前じゃない平民。それに、前に貴方に聞いた話を統合すれば、話はより明確になったわ。だから、カマを掛けてみたわけ。違うなら、怪物って単語に首を傾げるでしょ? 怪物が居た時間、使用人達は眠ったままだったんだから――」

 キュルケの洞察力に俺は舌を巻いていた。まるで、小説やドラマの中の探偵の様だ。

「この前は悪かったわ」
「え?」

 キュルケが突然頭を下げた。

「貴方の言ってた事は真実だった。なのに、私は信じないで、貴方を侮辱したわ。これでも、礼儀は弁えてるつもり。許してくれるかしら?」

 俺は驚いていた。キュルケは会っていきなり人の名前を馬鹿にしたり、人の言葉を信じないで敵意を向けてきたりしたから、実の所、苦手だった。
 だけど、今のキュルケは何となく親しみが湧いた。口元が綻んだ。

「ああ、別にいいよ。えっと、キュルケ?」

 キュルケはクスクスと笑った。

「合ってるわよ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。でも、“微熱”のキュルケとだけ、覚えておいてくれればいいわ。改めて、よろしくね」

 キュルケが右手を差し出してきた。俺は自然とその手に同じく右手を差し出した。

「サイト・ヒラガだ。こっちこそ、よろしく」

 キュルケの体温が握った掌に伝わって来る。温かい、これが微熱のキュルケの温度なんだな。
 キュルケの微熱を感じながら、キュルケとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“悪魔”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はキュルケとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 今度、友達の事を紹介するわ、そう言って、キュルケは去って行った。去り際に階段を降りながらキュルケは言った。

「貴方、思ったよりもいい男みたいね。ちょっと、微熱が疼いちゃったわ」
「な、なに言って!」

 高らかに笑いながらキュルケは階段を降りて行った。何だか、最後に一気にくたびれてしまった気がする。
 そろそろルイズを起した方がいいな。今日は“フリッグの舞踏会”がある筈だ。舞踏会なんて、俺は行った事が無いけど、準備に相当な時間が掛かる様な気がする。特に女の子は。
 着替えたいけど、着替えがどこにあるか分からないし、先に顔を洗う為の水を汲んで来よう。
 俺はキュルケが去って行った跡を追う様に、階段を降りた――。

 外に出ると、昨日の戦闘の爪痕は一切無かった。

「オールド・オスマンが直したのかな?」
「どうしたんですか、サイトさん?」
「ほあっ!?」

 突然、背後から声を掛けられて、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。振り返ると、シエスタが呆気に取られた表情で俺を見ていた。

「あ、シエスタ! あ、その、ちょっと吃驚してさ」
「変なサイトさん」

 シエスタはクスクス笑った。なんだかむしょうに恥しい。

「それにしても、目を覚まされたんですね。また、お倒れになったって聞いて、吃驚しちゃいましたよ」
「えっと、心配してくれた?」

 俺が言うと、シエスタは腰に手を当てて立腹した様子で言った。

「当たり前です。何があったか、私は一介の使用人ですから気軽に聞いたりは出来ませんけど、ミス・ヴァリエールがとても心配なさってました。あまり、無理をなさらないで下さいね?」

 最後は本当に心配そうに言ってくれた。俺は嬉しくなって、笑みがこぼれた。

「うん。ありがと、シエスタ」
「……さあ、お仕事に戻りましょう」

 シエスタも穏かな笑みを返してくれた。そうだ、今の内に言っておきたい事があったんだ。

「ちょっと待って」
「なんですか?」

 俺はシエスタを呼び止めた。改めて言おうとすると、なんだか気恥ずかしい感じがする。
 だけど、ちゃんと言わないといけない。

「ここに来てから、シエスタには本当に世話になったからさ……。本当にありがとう」

 頭を下げた。仕事を教えてもらったり、倒れている間、介護をしてもらったり、本当に恩がたくさんある。

「あ、頭を上げてください! 全然、大した事はしてないんですから!」

 シエスタがあわあわ言いながら懇願してきた。
 俺はその様子をもっと見て居たかったけど、困らせても仕方ない。顔を上げて、もう一回、お礼を言った。

「シエスタ、何か困った事があったら言って欲しい。俺に何が出来るか分からないけど、何が何でもシエスタを助けるからさ」

 俺はシエスタの目を真っ直ぐに見ながら言った。

「……ありがとうございます。ふふ……、困った時に助けに来るだなんて、まるで“イーヴァルディ”の勇者の様ですね」
「“イーヴァルディ”?」
「知らないんですか!?」

 俺が首を傾げると、シエスタは酷く驚いた顔をした。
 俺はイーヴァルディについて尋ねてみた。
 シエスタは丁寧に教えてくれた。

「ハルケギニアで一番有名な英雄譚なんです。勇者イーヴァルディは始祖ブリミルの加護を受けて、“左手”に剣を、“右手”に槍を持ち、竜や悪魔、亜人に怪物、様々な敵を打ち倒すんです。伝承に口伝、詩吟、芝居、人形劇と、バリエーションも豊富なんですよ」
「なんだか面白そうだな。もっと、教えてよ!」

 俺が言うと、シエスタは困った様な顔をした。

「実は、私が知っているのは、幼い頃に両親に読んでもらった童話の中のイーヴァルディなんです。イーヴァルディには本当にたくさんの物語があって、私が知っているのは、イーヴァルディの有名な物語の竜退治だけなんです」

 シエスタは少し恥しそうに言った。

「その物語はどんな話なの?」

 俺は聞いた。なんだか、とても気になった。
 俺の心のどこかが叫んでいた。聞くべきだ、と。

「えっとですね。イーヴァルディはとある村に立ち寄るんです。そこで、とてもお腹を空かせたイーヴァルディはルーという少女にパイを貰うんです。そして、村で体を休めていました。すると、その村に竜が現れるんです。竜はルーを攫いました。イーヴァルディはパイをくれただけの少女を救おうと、皆の反対を振り切って、恐怖に苛まされながら、竜を退治しようと、竜の住処に向かうんです。村の長がイーヴァルディに一本の剣をくれました。イーヴァルディはその剣を持って、竜の住処に乗り込み、竜と対峙しました。何度も傷つき、倒れるイーヴァルディは最後、竜の炎に焼かれそうになるんです」

 俺は不思議な感じだった。自分の事じゃないのに、どこかこそばゆく、そして、どこか嬉しい気持ちになっていた。

「だけど、村長にもらった剣が光を放ち、そして、光に包まれた剣は竜の炎を跳ね返すのです。見事にルーを救い出したイーヴァルディは再び旅に出ます。ルーと共に――」

 まさしく勇者の物語って感じだ、俺は思った。女の子を助ける為に竜と戦う勇者か、俺の星にもそういうゲームがあったな。

「イーヴァルディか……」
「図書館に行けば、多分、本があるとおもいますよ。ミス・ヴァリエールに頼んでみたらいかがですか?」

 この星の字は読めないんだけど……、この際、勉強してみるか。

「そうだな。ありがと、シエスタ」
「そろそろ、お仕事に戻りませんと」
「ああ、ごめんな。でも、シエスタ、さっきの、本気だから」
「……その時は、期待しちゃいますね」

 シエスタは穏かに微笑みながら言った。どうやら、俺の言葉を信じてくれたらしい。
 シエスタの信頼を感じた。シエスタとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“恋愛”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はシエスタとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 シエスタと一緒に水場に向かった。水を汲んで、シエスタと別れた俺はその場を後にした。

「あら、サイトじゃない! もう、起きてたの!?」

 女子寮の階段を上がっていると、モンモンが目を丸くしながら俺を階段の上から見下ろしていた。

「あ、モンモン」
「だ・れ・が、モンモンよ! ちゃんと、ミス・モンモランシーって呼びなさい!」
「へいへい」
「……はぁ。もういいわ。それより、ギーシュは起きた?」

 諦めた様に溜息を吐き、モンモランシーは不安げに尋ねてきた。

「俺が起きた時はまだ寝てたよ。今はどうかな……」

 モンモランシーはそう、と元気無く呟くと、階段を降りて行った。

「夜までには目が覚めるといいな」

 俺が言うと、モンモランシーは苦笑しながら行ってしまった。
 俺もルイズの部屋に急ぐか――――……。

ゼロのペルソナ使い 第十三話『ボーイ・ミーツ・ボーイ』

 部屋に入ると、俺のご主人様は未だ寝ていた。キュルケやモンモランシーはとっくに起きてるのに寝坊助め。
 俺の荷物の所に、昨日買った服が袋に入ったまま置いてあった。中から適当なのを選んで着る。
 白のインナーに青いジャケット、それにカーキ色のパンツだ。結構イケてると思う。
 病人服は畳んでソファーの上に置く。水を張った桶をルイズのベッドの近くの小机に置いて、俺はルイズに声を掛けた。

「うにゅ……。ワルド様……」

 ワルド様って誰だろう……。肩を揺らすが、全然起きる気配が無い。よっぽど熟睡してるらしい。けど、今日は舞踏会なんだから、早く起きて準備をしないとまずいんじゃないか?
 俺は心を鬼にして、掛け布団を一気に取り払った。

「キャアアアアアアアアアアアアア!!」

 耳が痛くなるほどの絶叫をして、ルイズは目を覚ました。

「にゃ、にゃにするのよ!」

 俺から掛け布団を慌てて引っ手繰ると、フルフル震えながら涙目で俺を睨みながらルイズは言った。
 凄く可愛いけど、いつまでも見てる場合じゃない。

「ルイズが起きないからだよ。とっとと、顔を洗おうぜ?」
「あ、あんたねぇぇ! って、あら? どうして、あんた起きてるの?」

 ルイズは小首を傾げながらしばらく唸っていると、突然、顔を青褪めさせた。

「って、私ってば、何日寝ちゃったの!? もしかして、一週間!? 舞踏会は? 授業は? いやあああああああ!」

 何か、勘違いしてるらしい。このまま見てても凄く楽しいけど、俺はルイズを宥めた。

「落ち着け、俺が早く目を覚ましただけだ。今日がフリッグの舞踏会だよ」
「あ、あら、そうなの?」

 ルイズは顔を赤らめながらコホンと咳払いをした。

「い、今のは忘れなさいね」
「凄く面白かったけど?」
「わ・す・れ・な・さ・い!」

 どこからか鞭なんて持ち出しながら言うルイズ。俺は慌てて頷いた。

「りょ、了解です」

 それから、ルイズの顔を水に浸したタオルで拭い、また、下着を脱がせて、服を着せた。
 相変わらず、健全な男子高校生に刺激的な朝を送らせてくれるご主人様だ……。

「そう言えば、アンタ、お風呂の場所は分かってる?」
「いいや、知らないけど?」
「使用人の寮の一階にあるわ。行ってらっしゃい」
「……つまり、臭うと?」
「……ちょっとね」

 俺は項垂れながら了解した。ここは女子寮で、ルイズの部屋に来るまでに女の子と何人も擦れ違った。その間、何人かの少女が鼻を抓んだのは、つまりそういう事か?
 シエスタやモンモランシー、キュルケはそんな素振り見せなかったのに……。
 俺は風呂場に向かう事にした。女子寮を出て、使用人の寮を探し歩いていると、声を掛けられた。

「やあ、サイト」

 そこには、なんと、ギーシュが居た。

「ギーシュ!? もう、目を覚ましたのか!?」
「ついさっきね。一体、あれからどのくらい経ったんだい?」
「今日はフリッグの舞踏会がある日だ」
「つまり、一日しか寝てないのか……。意外だな、君の時は一週間も寝ていたのに」
「俺の時はベルベットルームに招かれたりしてたから、そのせいかもしれないな」
「ベルベットルームか。僕は招かれなかったようだね。まあいい、それより、モンモランシーの無事を確かめないと……」

 心配そうな表情のギーシュに、さっきモンモランシーと話した事を話した。

「そうか、怪我は無かったんだね? 外出中なら、外を探したほうがいいか……」
「ところでさ、ちょっと頼みがあるんだけど」

 俺が言うと、ギーシュはなんだい? と俺の方を向いた。

「使用人の寮ってどこにあるか分かるか?」
「使用人の寮? 君は、ルイズの部屋で寝泊りするんじゃなかったのかい?」
「そうだけど、風呂がさ……」
「ああ、なるほどね」

 ギーシュは納得した様に頷いた。

「分かった。案内するよ。だけど、僕も一つ、君にお願いがあるんだ」
「なんだ?」

 ギーシュからの頼み事なんて意外だった。だけど、ギーシュの言った頼み事の内容はもっと意外だった。

「サイト、一発、僕を殴ってくれないかい?」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待ってくれ! いきなり、なんでだよ!?」

 ペルソナの覚醒で頭のネジが一本飛び出てしまったのだろうか、ギーシュは訳の分からない事を言い出した。
 ギーシュは俺の目を見ながら頼む、と言ってきた。俺はギーシュの真剣な表情に息を呑んだ。

「サイト、聞いて欲しい事があるんだ……」
「なんだよ?」

 ギーシュは大きく息を吐くと、苦い表情を浮かべた。

「僕は君を友達だと思ってる」

 俺は思わず顔が火照った。面と向かって、友達と言われると、なんだか少し、照れ臭い。
 だけど、ギーシュは首を振った。

「違ったんだ。僕は……、白状するとね、僕は君を見下していたんだ。ルイズの事も……」

 ギーシュの独白に俺は自分でも驚く程動じていなかった。
 俺は知っていたんだ。ギーシュはやっぱり貴族で俺の事をどこか見下してた。だけど、それでもギーシュは俺に親しげに話しかけてくれた。だから、そんな事は別に気にしてなかった。
 ギーシュは違ったらしい。拳を強く握りしめながら言った。

「あの時、僕は怖かったんだ。怖くて、なのに、あの怪物にサイトとルイズは立ち向かった。その姿がかっこいいって思ったんだ。それと同時に、平民の癖に、ゼロの癖にって僻んだ。どうしようも無いほど情け無い事を考えたんだ……」
「ギーシュ……」
「僕は君とちゃんと友達になりたい。対等になりたいんだ。だから、君の拳で僕の情け無い所を吹飛ばして欲しいんだ」

 ギーシュは真摯な眼差しで言った。俺は思わず笑ってしまった。
 どこが情け無いんだよ、こんなカッコいい奴、俺は他に知らない。
 俺は拳を握り締めた。ギーシュは両手をだらんと下げた。だけど、それじゃ駄目だ。

「何してんだよ。お前も拳を握れよ」
「何を言ってるんだ? 僕には君を殴る理由が……」
「対等になるんだろ?」
「……ああ、君はやはり変な奴だ」
「お前に言われたくねーよ」

 俺とギーシュは互いに笑い合った。そして、ギーシュも拳を握った。
 静かな広場には他にも暇を潰している生徒達が居た。フリッグ舞踏会があるからか、授業は休みらしい。
 外野は居るけど、今の俺には目の前の馬鹿の事しか目に入ってなかった。手の中にカードが現れるのを感じた。
 俺は当然の様に、そのカードを握り潰した。ギーシュも手の中のカードを握り潰したらしい。
 俺とギーシュの左手から光が溢れて、俺達の頭上でローランとオリヴィエが睨み合った。
 外野の声はもう何も届かない。握った拳を思いっきり振上げて、俺とギーシュは同時に走った。
 頬にとんでもない衝撃が走った。だけど、俺もギーシュも吹飛ばされずに踏み止まった。
 互いに拳を相手の頬に叩き込みながら、互いに笑い合って、そのまま地面に大の字で倒れこんだ。
 頭上を見上げると、ローランとオリヴィエが消え去った。

「これから、よろしく頼むよ。サイト」
「ああ、よろしくな、ギーシュ」

 俺達は互いの拳をコツンとぶつけあった。
 ギーシュは爽やかな笑みを浮かべている……。ギーシュと、本当の意味で対等になれた気がした。
 “ギーシュ・ド・グラモン”コミュのランクが“2”に上がった!
 “魔術師”のペルソナを生み出す力が増幅された!

第十二話『運命』

「なんか、俺も限界みたいだ……」

 そう言って、私の使い魔は意識を失ってしまった。まあ、あれだけの戦いの後だから仕方ないか、私は倒れたサイトの頬を突いた。意外と柔らかいわね。
 ミス・ロングビルも意識を失ったらしい。これからどうなるんだろう、私は一抹の不安を覚えていた。
 ハーフエルフの少女に会う事になってしまった。自分で望んだ事だけど、その事を考えると体が震える。
 詳しい事情もよく分からない。ミス・ロングビルが怪物になってしまった事も含めて、なにも分からない。

「それにしても、どうしてこんな大事件が起きているのに先生達が誰も助けに来てくれなかったのかしら?」

 モンモランシーが不機嫌そうに言った。確かにおかしいわね、これだけの事が起きたのだから、先生達も気付いた筈よね。どうなっているのかしら?
 私はミス・ロングビルを介抱しているオールド・オスマンを見た。オールド・オスマンは薬を盛られたと言っていた。誰に? もしかして、他の先生達も薬を盛られたから出て来なかったの?

「儂がここに来る途中、何者かがスリープ・クラウドを使用した痕跡があった」

 スリープ・クラウド、それは水の系統魔法で、対象を眠らせる効果がある。

「つまり、皆、眠らされていたというのですか?」
「何者かは分からぬが、ミス・ロングビルがあの様な姿になってしまった事もその何者かの作為によるものかもしれぬ」
「ですが、スリープ・クラウドは術者のレベルを上回れば耐えられる筈ですわ! この学院の先生方の中には、水のスクウェアもいらっしゃいますでしょう?」

 モンモランシーの言葉に私も頷いた。そう、スリープ・クラウドは強力な力を持ったメイジならば耐えられる筈だ。

「確かに、スリープ・クラウドは術者を上回る実力を持つメイジならば、耐える事も出来るじゃろう。つまり、相当な実力を持つメイジの犯行という事じゃ」
「そんな強力なメイジが学院に侵入してるというのですか!?」

 私は学院を振り返って全身に震えが走った。サイトも気を失っている。学院の皆は眠っている。ここで動けるのは私とモンモランシーとオールド・オスマンだけという事になる。
 モンモランシーも状況を理解したらしく、ギーシュを強く抱きしめながら怯えた表情で学院を見た。
 今や、トリステイン魔法学院は安全な学び舎では無い。得体の知れないものが徘徊している、そう思うと怖くてしかたがなかった。

「そう緊張せんでもよい。見よ、学院に灯りが戻って来ておる」

 確かに、学院の塔から光が見え始めた。恐らく、スリープ・クラウドで眠らされた人達が目を覚ましたのだろう。
 最悪でも、私達だけで事に当らなければならない、という事にはならないだろう。安堵のあまり、私は地面にへたり込んでしまった。

「もう、ご主人様の事ほうって寝ちゃって……」

 静かに眠っているサイトの頬を八つ当たり気味に抓りながら私は呟いた。

「それより、そろそろ学院に戻らない? ギーシュとその平み……サイトと、それにミス・ロングビルも保健室に運ばないと」

 モンモランシーの意見に、私達は気絶してしまった三人を保健室に運んだ。
 ちなみに、私はその……、あんまり魔法を使うのが上手じゃないから、仕方なく、本当に不本意だけど、オールド・オスマンにレビテーションをサイトに掛けてもらった。
 保健室にはマリコルヌが未だ眠っている。なんだか、起きる気配が全くないのが不気味だ。

「ミス・ロングビルはちゃんと目を覚ますのかしら」
「ミスタ・グランドプレが眠ったままの理由が分からぬ以上は何とも言えんのう……」

 私が呟くと、オールド・オスマンは空いているベッドの一つにミス・ロングビルを降ろして言った。

「じゃが、少なくともサイト君は目を覚ました。じゃから、ミスタ・グラモンも必ず目を覚ますじゃろうて」

 オールド・オスマンはギーシュを寝かせて不安そうにギーシュの頬を撫でているモンモランシーに言った。
 オールド・オスマンの言葉に少しだけ安堵の表情を浮かべたようだ。

「どうして、ギーシュはペルソナを覚醒したのかしら……」
「ルイズ、そのペルソナって、結局何なの?」

 私が呟くと、モンモランシーが口を開いた。
 オールド・オスマンを伺うと、オールド・オスマンは静かに頷いた。

「ミス・モンモランシには知る権利があるじゃろう。さて、長い話になるでな、ここじゃとあまり話には向かぬじゃろうて、学院長室まで来てくれるかね?」

 オールド・オスマンに言われて、私とモンモランシーは本塔の頂上にある学院長室にやって来た。
 途中、目を擦ったり、ボーッとした使用人や生徒達を見掛けた。
 私はソファーに座りながら、隣で学院長からモンモランシーが説明を受けているのを頭の片隅で聞いていた。

「ギーシュは大丈夫なんですか? ペルソナなんて、得体の知れない力に目覚めて……」

 モンモランシーは不安げにオールド・オスマンに聞いた。

「それは分からぬ。分からぬ以上、あまり使わぬ方がいいじゃろう。目を覚ましたら、ミスタ・グラモンにも言っておかねばならぬな」
「きつく言っておきます!」

 モンモランシーは頷きながら答えた。

「さて、聞きたい事があるのではないかね?」

 オールド・オスマンの言葉に、私は考えていた疑問を口にした。

「オールド・オスマンに薬を盛ったのはミス・ロングビルですか?」
「……え?」

 私の言葉にモンモランシーが目を丸くした。

「だって、侵入したかもしれない謎の存在はスリープ・クラウドで皆を眠らせたのよ? なのに、オールド・オスマンだけは違う方法で眠らされた。なら、犯人が違うと考えるのが自然じゃない? そして、そんな事をする可能性のある人物は……」
「でも、オールド・オスマンの実力はトリステイン王国でも指折りよ? 先生方をスリープ・クラウドで眠らせる程の実力者でも、オールド・オスマンを眠らせる事は出来なかったんじゃないかしら? だから、仕方なく薬で眠らせる事にしたって可能性も……」

 確かにその可能性もある。だけど、問題なのはオールド・オスマンの眠らされた方法だ。

「オールド・オスマンはどうやって薬を盛られたのかしら?」
「それは、紅茶とか、飲み物に混ぜたり……」

 モンモランシーも気付いたようだ。そう、オールド・オスマンに紅茶を淹れる仕事をしているのは、秘書であるミス・ロングビルだ。ミス・ロングビルなら、怪しまれずに薬を紅茶に入れる事が出来る。

「でも、どうしてミス・ロングビルがそんな事をするのよ?」
「それは……」

 それは私にも分からなかった。ただ、どうしても私には全てが謎の人物の仕込みだとは思えなかったのだ。あの時、怪物の殻を通して、ミス・ロングビルの本音に触れたからこそ、少なからず、ミス・ロングビルの意思も存在した気がするのだ。
 私が黙っていると、モンモランシーが突然声を上げた。

「ど、どうしたの!?」
「ル、ルイズ! わ、私、大変な事を思いついたかもしれないわ!」

 モンモランシーは表情を青褪めさせながら言った。一体、どうしたというのかしら?

「落ち着いて、モンモランシー。一体、何を思いついたのよ?」

 モンモランシーを落ち着かせてから尋ねると、モンモランシーは驚くべき事を言った。

「もしかして、ミス・ロングビルって、少し前にトリステイン王国を騒がせていた怪盗の“土くれ”のフーケなんじゃない?」
「な、なにを言ってるの、モンモランシー! 幾ら何でも……それは」
「私、聞いた事があるの。土くれは30メイルもの巨大なゴーレムを作りだせるって」

 モンモランシーの言葉に、私は黒い怪物になる前に私達の前に現れた巨大な土のゴーレムを思い出した。まさか、本当にミス・ロングビルが土くれのフーケ?

「二人共、見事な洞察力じゃな」

 オールド・オスマンの声に私とモンモランシーは驚いてしまった。オールド・オスマンが居る事を忘れてしまっていたらしい。
 オールド・オスマンはしきりに感心した様子で何度も頷いた。

「もはや、君達には隠しても詮無き事じゃろう。さよう、儂に薬を盛ったのはミス・ロングビルじゃ。そして、ミス・ロングビルは土くれのフーケという名で怪盗をしておった」
「じゃあ、犯罪者だって分かっていて学院に招き入れたというんですか!?」

 私は愕然となった。犯罪者と知りながら秘書にするなんて……。私にはオールド・オスマンの考えが分からなかった。

「言い訳に聞こえるじゃろうが、最初から彼女がフーケじゃと、確信していたわけではなかったんじゃ。それなりに疑っておった事は否定せんがのう」
「どうして、秘書にしようと思ったんですか?」

 モンモランシーが尋ねた。

「元々、儂は彼女がフーケであるという確証を得る為に秘書にしたんじゃよ。そして、確証を得られた」
「なら、何故、衛兵に突き出さなかったんですか?」

 私が訪ねると、オールド・オスマンは深く息を吐いた。

「儂は気付いてしまったんじゃよ。彼女の中の善にのう」
「善……ですか?」
「さよう、善じゃ。彼女が心の底から悪であるならば、儂も迷う事無く衛兵に突き出したじゃろう。じゃが、彼女は学院に来てからは真面目に働き、給金の殆どを仕送りに当てておった。自分では殆ど使わずにのう。儂は考えたんじゃよ、このまま、ミス・ロングビルを怪盗から足を洗わせる事が出来るのではないか、とな」
「だからといって!」
「勿論、彼女に全幅の信頼を置く事は出来んかった。だからこそ、彼女も儂を完全に信じてはくれんかったのかもしれんがのう……」

 オールド・オスマンは自嘲気味に言った。

「常に儂の使い魔にミス・ロングビルの動向を探らせておったんじゃよ。この学院に居る限り、彼女は儂の監視から逃れる事は出来んかった」
「なら、どうして薬を盛られたりなんか……」

 モンモランシーが言うと、オールド・オスマンはバツの悪そうな顔をした。

「実は、もう直ぐこの学院に姫様が来るんじゃが、その件で色々と忙しくてのう……。つい、気が揺るんでしまっとったんじゃ」
「姫様って……、アンリエッタ姫殿下が!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。だって、姫様が学院に来るなんて聞いてない。
 アンリエッタ姫殿下はこのトリステイン王国のお姫様で、私の幼馴染でもある。
 一緒に宮殿の中庭で蝶を追いかけて泥だらけになったのは今ではいい思い出だ。今では恐れ多くてとてもじゃないけど出来ないけど、取っ組み合いの喧嘩もした事がある。私にとって、姫様は大切な人なのだ。

「さよう、ヘイムダルの週の初めにアンリエッタ姫殿下は帝政ゲルマニアを訪問する予定なんじゃが、その帰りにこの学院を訪問する事になったんじゃ。その為、色々とイベントの準備など忙しくてのう」
「イベントって何をやるんですか?」

 モンモランシーが尋ねた。

「使い魔の品評会を開こうかと考えておるんじゃよ。明日のフリッグの舞踏会の時に発表するつもりじゃ」
「つ、使い魔の品評会ですか……?」

 私はガックリと肩を落とした。私の使い魔と言えば、サイトの事だけど、十中八九馬鹿にされる事が目に見えている。
 姫様の前で恥をかかされる事になるなんて耐えられない。

「どうしたのよ? 暗い顔して」

 モンモランシーが私の顔を覗きこみながら言った。

「暗くもなるわよ。姫様の前で恥を掻くんだから……」

 私が言うと、モンモランシーは肩を竦めた。

「サイトは強いじゃない。それに、ルイズ、貴女の事を必死に護ってた。私は悪く無いと思うわよ? 貴女の使い魔」
「わ、私だって、サイトが弱いとか、そういう事考えて言ってるわけじゃないわよ!」

 そう、サイトは弱くない。疾風の様に速く走れるし、力も強い、それにペルソナ能力なんて、とんでもない力を持っている。だけど、やっぱり平民だ。
 大衆の面前で、姫様の前で、私の使い魔は平民です、なんていう光景を想像すると絶望しそうになる……。

「まあ、種族は何ですか、って聞かれて、種族は平民です、とは答え難いわよね……」

 モンモランシーが苦笑いを浮かべながら言った。他人事だと思って、このアマ。

「使い魔の魅力を如何に引き出すか、それも主人の大切な仕事じゃよ。よく、サイト君と相談してみなさい」
「うう……、わかりました」

 ペルソナか剣の腕でも披露させようかしら、私がそんな事を考えていると、突然、モンモランシーが素っ頓狂な声を上げた。

「な、なに!?」
「た、大変よ! 明日はフリッグの舞踏会なのに、ギーシュが目を覚まさなかったらどうしよう!?」

 そう言えば、サイトも使い魔として頑張ってるし、ご褒美に私のドレス姿を拝ませてあげようかと思ってたのに、サイト、また一週間も眠り続けるのかしら……。

「本当にすまんのう。二人の治癒に必要な水の秘薬の代金は全て儂が持つ。それに、表立った褒章はやれんのじゃが、儂個人から褒美を出そう」

 頭を下げるオールド・オスマンに私とモンモランシーは溜息を吐いた。オールド・オスマンにこんな事を言われてしまっては憤慨する事も出来やしない。

「それよりもオールド・オスマン。ミス・ロングビルの事ですが……、やはりフーケである事は……」
「それについては儂は何も言えんよ。お主等の判断に任せる。ミス・ロングビルのして来た事は安易に許してよいものではない。とはいえ、儂は彼女に更生の機会を与えたいと願っておる。じゃが、それをお主等にまで押し付ける事は出来ぬからのう」

 私達の答えなんて知っているだろうに、オールド・オスマンは人が悪い。

「罪は償わなければならないと思います……」

 モンモランシーが言った。

「ですが、更生の機会を与えるべきというオールド・オスマンのお考えも一理あると思います。ですから、判断はオールド・オスマンに委ねますわ」
「私も同意見ですわ」

 モンモランシーの言葉に私も続いた。

「二人共、ありがとう」

 オールド・オスマンは再び、深々と頭を下げた。私はモンモランシーと顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
 本当は納得出来ていない。けど、ミス・ロングビルの声を聞いてしまった私達には、ただ何も考えずに衛兵に突き出すなんて事は出来なかった――――……。

ゼロのペルソナ使い 第十二話『運命』

「また、この天井か……」

 見慣れてきた石造りの保健室の天井を見上げながら呟いた。
 どのくらい寝ていたのだろうか、外は真っ暗で部屋の中も真っ暗だ。前は一週間も眠り続けていたらしいし、今回もそのくらい寝ちゃったかな……。
 俺はベッドから起き上がった。思ったよりも体は硬くなってなかった。立ち上がって、歩いても問題は無さそうだ。
 隣のベッドを見ると、ギーシュが寝かされていた。俺とギーシュは前に俺が着せられていた病人用のバスローブみたいな服を着せられていた。

「服は……無いか」

 前にシエスタが俺の服を仕舞ってくれていた引き出しを開けてみるけど、中には何も無かった。
 他の引き出しを開けてみると、腕時計が入っていた。ちなみに遠出になるからMP3や携帯電話とかはルイズの部屋に置いて来てある。この星じゃ、財布や携帯電話も役に立たないしな。
 腕時計を見ると、時間は深夜の二時だった。

「あれ? 日付が一日しか変わってない……?」

 俺の腕時計はソーラー式で、多機能な腕時計だ。時間は地球と変わらないらしく、そのままの設定にしてある。
 日付の所を見ると、服を買いに行った日の翌日になっていた。壊れている様子も無いし、まさか、一年が経ったわけでもあるまい。

「意外と早くに目が覚めたな……」

 呟いた瞬間、俺は突然、手にナニカを持っていた。
 俺は突然、手の中に現れたナニカを見た。それはペルソナに目覚めた時にイゴールに渡された鍵だった。

「どうして、これが……」

 今の今迄、完全に忘れていた。青白い光沢を持った不思議な鍵だ。
 鍵はぼんやりと光を放っていた。

『いよいよ始まりましたな……。では、しばしお時間を拝借すると致しましょうか……』

 俺の手の中に在る“契約者の鍵”の光が一層強くなった。鍵を包み込む光が細く糸の様に保健室の出口に向かって伸びた。
 俺は導かれる様に光の糸を追った。保健室を出ると、本塔の入口の方に光は伸びていた。
 外に出ると、光は女子寮に向かって伸びていた。女子寮の階段を登り、ルイズの部屋のあるフロアまでやって来ると、そこに見慣れない青白い光を放つ奇妙な扉があった。
 今迄、何度かこのフロアを歩いたけど、こんな扉を見たのは初めてだ。俺はゴクリと喉を鳴らしながら、ソッと扉に近づいた。
 扉の目の前に立つと、扉にはドアノブが無い事に気が付いた。戸惑っていると、手の中の鍵が勝手に動き出した。鍵の動きに釣られて、俺は扉に手をついた。
 直後、俺はあの部屋に居た。青白い不思議な部屋、ベルベットルームだ。

「お待ちしておりました」

 イゴールがいつもの様にソファーに座りながら手を組んで俺を見ていた。
 イゴールはおもむろに話し始めた。

「貴方に訪れる災難……、それは既に人々の“運命”を狂わせながら迫りつつある……。ですが、恐れる事はございません。貴方は既に、抗う為の“力”をお持ちだ。いよいよ、その“ペルソナ”……、使いこなす時が訪れたようですな」

 フフ、とイゴールは不気味な笑みを浮かべながら言った。訪れる災難、それはマリコルヌの時の豚の怪物や、ロングビルの紫の化け物の事だろうか?
 イゴールの背後に黙して立っていたアンが口を開いた。

「さながら荒波の航海の如く、あなたは困難な旅路を歩む事となるでしょう。そして、大いなる謎に挑む事になる。残念ですが、現在の貴方では、まだ真実へと連なる道筋を見つける事はお出来になれません。だからこそ、貴方は知るべきなのです。貴方の力の性質、それは護る事――。その為に貴方は“運命”によって、特別な力を受け取られた」

 アンが冷淡な声で言った。“特別な力”とは、何の事だろう、そう考えていると、アンは俺の心を読んだかの様に語り始めた。

「貴方が受け取られた力、それは数字の“ゼロ”のようなもの……。からっぽに過ぎず、されども無限の可能性を宿す力。それは、正しく心を育めば、どのような試練にも戦い得る“切り札”となる力……」

 アンは冷たい眼差しを俺に向けながら話を続けた。

「それは貴方様御自身の力でございません。あくまでも、仮初めの力。ですが、貴方様が真に絆を育まれれば、あるいは……」

 その時、僅かにだけど、アンの瞳に温かさを感じた気がした。
 イゴールが口を開いた。

「さて……、いよいよ私も忙しくなりますな。私の役割……、それは、“新たなペルソナ”を生み出す事。お持ちの“ペルソナカード”を複数掛け合わせ、一つの新たな姿へと転生させる……。言わば“ペルソナの合体”でございます」

 複数のペルソナ? 俺は目を丸くした。ペルソナって、複数も持てる物なのか、俺はまじまじとイゴールを見た。
 イゴールは愉快そうに嗤った。

「貴方はお一人で複数の“ペルソナ”を持ち、それらを使い分ける事が出来るのです。そして、敵を倒した時、貴方には見える筈だ……。自分の得た“可能性の芽”が、手札としてね。時にそれらは、酷く捉え辛い事もある……。しかし、恐れず掴み取るのです」

 可能性の芽を掴み取る、俺にはよく分からなかった。

「カードを手に入れられたなら、是非ともこちらへお持ち下さい。しかも、貴方がコミュニティをお持ちなら、ペルソナは更に強い力を得る事でしょう……。貴方の力は、それによって育ってゆく……。よくよく心しておかれるが良いでしょう」

 確か、ルイズとのコミュニティである“愚者”のコミュとギーシュとのコミュニティである“魔術師”のコミュ、オールド・オスマンとのコミュニティである“隠者”のコミュ、それにコルベールとのコミュニティである“刑死者”のコミュを持っている。
 “愚者”、“魔術師”、“隠者”、“刑死者”のペルソナを合体で生み出す時、更に強い力を得る様だ……。
 イゴールとアンが頷き合って、アンが俺の所にやって来た。俺の目の前までやって来ると、どこからともなく、重厚で綺麗な細工が施された一冊の本を取り出した。

「こちらにあるますのが“ペルソナ全書”でございます。貴方様がお持ちのペルソナを登録される事で、それをいつでも引き出す事が出来る仕組みとなっております。ご利用の際は、私に申し付けてくださいませ」

 そう言って、アンは定位置に戻って行った。ペルソナ全書というのは、ゲームをセーブするメモリーカードみたいなものらしい。

「さて、私からは以上でございます。ですが……、お聞きになりたい事がおありのようだ」

 イゴールは俺の考えを見透かした様子で言った。聞きたい事は山のようにある。だけど、なにから聞けばいいか分からなかった。
 ここは……ベルベットルームとは一体なんなのか、そもそも、イゴールとアンは何者なんだ?

「ここは意識と無意識の狭間をたゆたう部屋でございます。そして、私共はこの部屋の住民……」

 よく分からない答えを返された。じゃあ、ペルソナとは何なんだ?

「“ペルソナ”とは、心の奥底に潜む、神や悪魔の如き、もう1人の自分を呼び出す力なのでございます。神の様に、慈愛に満ちた自分……、悪魔の様に、残酷な自分……、人は、様々な仮面を着けて生きるものでございましょう? 今の貴方様の姿も、無数の仮面の一つに過ぎないのです。ペルソナもまた、数多くある貴方様の姿の一つなのでございます」

 なんとなく、今のイゴールの話は分かる気がした。
 親の前に居る時の自分、婆ちゃんや爺ちゃんの前に居る自分、先生の前に居る自分、友達の前に居る自分、ルイズの前に居る自分、どれも同じ自分だと言い切る事は出来ない気がした。
 じゃあ、ローランはどんな自分なんだ? ローランの勇ましい姿を思い浮かべながら、俺は首を捻った。

「さて、そろそろお時間のようでございます。次からはご自分の意思で扉を開けて、こちらへ参られるがよろしい。ではその時まで、ごきげんよう」

 いつの間にかルイズの部屋のあるフロアの壁の前に立ち尽くしていた。後ろを振り返ると、青白い光を放つ不思議な扉は変わらずにそこに存在していた。
 窓を見ると、既に朝日が上っていた――――……。

第十一話『オリヴィエ』

 トリステイン魔法学院に戻って来た僕がまず初めに感じたのは、あまりにも静かだという事だった。今は夕食の時間の筈。いつもはこの時間、生徒達や使用人が忙しく歩き回っている筈だ。
 訝しみつつ、食堂のある本塔に向かった僕達の目の前で突然地面が捲れ上がり、あっと言う間に巨大な人型のゴーレムが出来上がった。

「ゴ、ゴーレム……?」

 僕のワルキューレとは比較にならない密度と大きさだ。
 僕は最大で七体のワルキューレを造り出し、動かす事が出来る。だけど、それはワルキューレの中身が空洞だからだ。中身までしっかり造ってしまうと、ワルキューレを一体造り出す事で限界だ。それに重量が大き過ぎて、まともに動かす事も出来なくなる。
 こんな巨大なゴーレムを造り出すなんて、一体、何者なんだ。僕は思わず息を呑んだ。ドットやラインには不可能だ。トライアングル……、ひょっとすると、スクウェアかもしれない。
 学院の教師が作ったのだろうか? 一体、何の為に……。
 不思議に思っていると、どこからか、声が聞こえた。何かを必死に否定する声だった。

「ルイズ!」

 ジテンシャ、とかいう妙な道具をコルベール先生の研究室に置きに行ったサイトが戻って来た。
 サイトは土のゴーレムに驚いている様だ。それはそうだろう。こんな巨大なゴーレムを見るのは僕だって始めての経験だ。
 女性の悲鳴の様な悲痛な叫びが聞こえた。声の方を向くと、そこには苦しみ悶える一人の女性が居た。ローブを目深に被っている為、その正体は分からない。
 僕は女性の体から白い靄が出ている事に気が付いた。ふと、どこかでその光景を見た事があるような気がした。一体、どこで? 思い出して、僕は愕然とした。

「ちょっと待ちたまえ、これってあの時と……」

 そうだ。一週間前のヴェストリの広場だ。あの広場で、僕は同じものを見た。マリコルヌの体から白い靄が噴出してきた。そして、その後にあの豚の様な怪物に襲われたのだ。
 ゴーレムの上で悶える女性のローブが捲れ上がり、その正体が分かった。ミス・ロングビルだ。
 どうして、ミス。ロングビルがゴーレムの上に居るんだ。僕は訳が分からなかった。
 モンモランシーが悲鳴を上げた。とにかく、モンモランシーを護らないと……。
 モンモランシーに手を伸ばそうとして、現れた怪物に恐怖し、凍りついた。
 50メイルを越える未知の材質で構成された超巨大ゴーレムが闇夜に紅い瞳を輝かせていた。
 怖かった。直ぐにでも逃げ出したかった。サイトやモンモランシーだって怖くて震えている。そうだ、こんな化け物を相手にするなんて馬鹿げている。
 一人だけ、僕に踏み出せない一歩を踏み出す影があった。
 ルイズだった。
 ルイズはあんなにも恐ろしい怪物に立ち向かった。愕然とした。いつも、魔法の才能ゼロの無能メイジと嘲笑われていた彼女が勇敢にもゴーレムに挑んだ。

『情け無いよな、まったく』

 ――――ッ!? 突然、どこからか声が聞こえた。直ぐ近くから聞こえている様な、とても遠くから聞こえている様な不思議な声だった。
 声はどこかで聞いた事がある気がした。とても嫌な気分になった。
 どうしてか分からないけど、この声をあまり聞きたくないと思った。

『怖くて怖くて仕方ない。元帥の息子が情け無いよな』

 謎の声の言葉が胸に突き刺さった。
 怪物を目にした時、恐怖に怯え、逃げ出す事ばかりを考えた。
 グラモン家の男である僕が、名を惜しまず、命を惜しんでしまった……。

『ルイズはかっこいいな。魔法も使えないのに、女の子なのに、それに比べて僕は……』

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 ルイズの叫びを聞いた途端、僕は息が出来なくなった。そうだ、逃げ出そうなんて、僕は何を考えていたんだ。
 サイトもルイズの言葉に胸を撃たれたらしい。怪物に立ち向かおうと、足を踏み出した。
 そうだ、こうしては居られない。僕も、ルイズとサイトと共に……。

『敵いっこないよ。あんな巨大なゴーレムを相手に勝てる筈が無い』

 黙れ! 僕は謎の声に怒りを覚えた。まるで僕が考えているみたいな口ぶりで勝手な事を言って、僕を侮辱する気なのか、一体何者だ!
 僕は声の主を探そうと周囲を見渡した。近くに居たのはモンモランシーだけだった。恐怖に顔を青褪めさせ、震えていた。
 そうだ、何をやっているんだ。まず、モンモランシーを逃がさないと駄目じゃないか。そうだ、戦う事も大事だけど、モンモランシーが怪我をしたら大変だ。

『モンモランシーを言い訳にして、やっぱり逃げようとしてるじゃないか』

 僕はモンモランシーの名前を呼ぼうとして凍りついた。僕は、モンモランシーを逃がそうと……それが、言い訳だっていうのか?
 違う、僕は逃げようとしてるんじゃない。ただ、モンモランシーは水のメイジなんだ。戦いには向いてないんだ。だから、逃がさないといけないんだ。

『ルイズは魔法が使えない。サイトは平民だよ』

 ルイズは失敗魔法とはいえ、爆発で戦闘が可能だ。それに、サイトはただの平民じゃない。

『そうそう、全力を出した僕を負かせる程に強いよね』

 ……そうだよ。サイトは僕よりも強いんだ。ペルソナとか言う、不思議な力まで持ってるんだ。

『生意気だよね。平民の癖に、貴族の僕を負かすなんてさ』

 ああ、……まったくだ。

『ゼロのルイズも、魔法を碌に使えないおちこぼれの癖にかっこつけて、生意気だよね』

 そうだ。生意気だよ、ゼロのルイズの癖に……。僕は逃げ出そうとしたのに、無能な癖に分を弁えないであんな怪物に挑んで、本当に生意気だ。

「離れるぞ!」

 サイトがルイズを抱き抱えて叫んだ。ああ、逃げる気になったのか、そうだよ、それでいいんだ。
 あんな怪物から逃げたって、仕方ないんだ……。

『ゼロや平民がかっこつけるなと言うんだ。まったく、動けなかった僕がまるで臆病者に映ってしまうじゃないか』

 怪物から逃げて、学院の正門まで来た所でサイトが立ち止まった。
 何をしているんだ。怪物は直ぐに来てしまうじゃないか。

『早く逃げないと……』

「このまま、奴を学院の外まで誘き寄せよう」

 誘き出す……? 何を言っているんだ、逃げるんじゃなかったのか?

「そうね……。せめて、学院の外に連れ出せれば……」

 ルイズまで訳の分からない事を言い出した。まさか、あの怪物を学院から遠ざける為に僕達で囮になろうというのか、巫山戯るな!
 そんな真似、出来る筈が無いだろ。怪物に追いつかれたら、死んでしまうんだぞ。

「何言ってるのよ! 冗談じゃないわ。あんな怪物の囮になれって言うの!?」

 モンモランシーが言った。そうだ、その通りだ。

「三人は隠れてろ」

 サイトはそう言うと怪物に青白い稲妻を放った。魔法なのだろうか、サイトが魔法を……?
 あれもペルソナの力なんだろうか……。ただの平民があんな力を……、羨ましい。

『そうだ、僕が負けたのはあの力のせいなんだ』

 欲しいな、あの力――。

『欲しいかい、力が?』

 ああ、欲しいね。そうしたら、みっともない姿を曝さなくて済むし、あんな平民ニモマケナクテスム。

『なら、目を閉じて、感情に身を任せてごらん』

 僕は言われるがままに目を閉じた。ああ、力が漲っていく感じがする。僕の内側から、ナニカ、凄い力を持ったナニカが飛び出した気がする。
 ああ、この力があれば、誰にも負けない。あの生意気な平民を叩きのめしてやれる。
 女の子達だって、今迄以上に好きになってくれる筈だ。この力があれば、父上や兄上達だって――ッ!

 突然、数度の爆発が起きた。不意に僕の意識が浮上した。いつの間にか、僕は濃い霧の様なものに包まれていた。その濃霧の一角に切れ目があった。その向こうにルイズが居た。
 ルイズは泣いていた。どうして、不思議に思っていると、ルイズの声が聞こえた。
 僕は愕然とした。怖かっただって? なら、どうしてあんな怪物に立ち向かったりしたんだ? 僕は理解出来なかった。そして、ルイズの言葉に叩きのめされた。
 自分を変える為に、泣くほど怖かった癖に、立ち向かっただって? 僕の頭は冷水を浴びせられた様に一気に冷めた。そして、自分の愚かな考えに身を震わせた。
 何を考えているんだ、僕は……。妬んだり、羨んだり、見下したり、どうしてそんな事を考えてしまったのか、僕は自分が恐ろしくなった。
 そして、巨大なナニカが直ぐ傍に居る事に気が付いた。見上げると、そこには巨大な影が揺らめいていた。あまりにもおぞましい影だった。

『我は影、真なる我……』

「はは……なんだ、これは。これが僕なのか。こんな醜いのが」

 それは蟲の様にも見えた。気持ちの悪い無数の足のある蟲。こんなのが、僕……。

「ギーシュ!」
「ギーシュ、どこに居るの!?」
「ギーシュ、返事をしなさいよ!」

 声が聞こえた。力強く、温かい響きのサイトの声。愛しいモンモランシーの鈴を転がす様な美しい声、そして、ルイズの声――。

『敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!』

 はは……そうだ。眼を背けちゃいけない。情け無い、僕自身の事をどんなに必死に否定しても意味なんて無いんだ。眼を逸らさずにそんな自分が嫌なら、自分を変えればいいんだ。

『我はか……』

 そうだよ、ルイズが示してくれたじゃないか、あんな怪物、誰だって怖いんだ。それでも立ち向かう為に一歩を踏み出す事が重要なんだって事を――。
 そうだ、自分を変える為に僕も一歩を踏み出すんだ。ああ、認めよう。あの怪物に恐怖した。ルイズとサイトを見下してた。勇敢に立ち向かう二人に嫉妬した。僕はとってもかっこ悪い。
 だけど!

「一歩踏み出して、僕も変わるんだ!」

 二人のように、かっこよく、強敵に立ち向かうんだ――ッ!

 決意した瞬間、僕は手の中に不思議な温かさを感じた。
 手の中を覗くと、そこには一枚のカードがあった。不思議な仮面の様な絵柄が描かれている掌サイズのカードだ。
 カードを裏返すと、そこには深淵の闇が広がっていて、僕の脳裏に声が響いた――。

『我は――』

 心臓が早鐘を打ち、僕は全身の鳥肌が立つ感覚を覚えた。

『――汝、汝は我』

 声の響きが変わった――ッ!

 どうして、“これ”を僕が持っているのか分からない。

『双眸見開きて……汝、今こそ解き放て……』

 カードに描かれている闇を見つめていると、そこには僕の姿が映っていた。僕は息を呑みながら、知らず、呟いていた。

「ペ……ル…………ソ……ナ!」

 ただ、僕は自分を変えたい。その思いを抱きながら、気付けば手の中のカードを握りつぶしていた。
 目の眩む様な光が溢れ出して闇夜の草原を照らし出した。光の向こうで、サイトとルイズが目を丸くして僕を見ている。
 僕も君達みたいにかっこよくなりたいんだ。

「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 一際強く、光が爆発した瞬間、僕の内側から飛び出した気味の悪いナニカの姿が一変していた。
 頭上を見上げた先には、サイトのローランに似た巨人が居た。
 その容姿はあまりにも美しく、その手には黄金の鍔と水晶の柄を持つ剣が握られている。
 緑の長い髪に端整な顔立ちで、僕は思わず見惚れてしまった。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者、オリヴィエ也。我、汝の盾とならん……。我、汝に安らぎを与えん……』

 頭ではなく、本能で理解した。僕は今、困難に立ち向かう為のもう一人の人格、ペルソナを手に入れた。
 今日、ここで僕は変わるんだ。
 巨大なゴーレムを睨み付ける。やっぱり怖い。でも、僕は踏み出す!

「僕は、ギーシュ。ギーシュ・ド・グラモンだ。この名を心に刻んで逝くがいい!」

ゼロのペルソナ使い 第十一話『オリヴィエ』

 白い靄が突然掻き消えた。ギーシュがそこに居た。だけど、そこに居たのはギーシュだけではなかった。ギーシュの頭上に浮遊する緑の髪の剣士が君臨していた。
 それが何なのか、俺には直ぐに分かった。ペルソナだ。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者、オリヴィエ也。我、汝の盾とならん……。我、汝に安らぎを与えん……』

 ローランが現れた時に聞こえた声に似た声が聞こえた。

「僕は、ギーシュ。ギーシュ・ド・グラモンだ。この名を心に刻んで逝くがいい!」
「ギーシュ、どうして……」

 ペルソナを使えるんだ、俺が言うと、ギーシュは力無く笑った。

「どうも、僕は情け無い男らしい。ただ、情け無い男なりに頑張ろうと思ったのさ」
「よくわかんねぇよ」

 ギーシュの言っている意味が俺には理解出来なかった。
 どうしてギーシュがペルソナを覚醒したのか分からないけど、俺は深く考える余裕が無かった。
 まだ、怪物は健在なんだ。ギーシュがペルソナに目覚めた事に注意が逸れて、直ぐ近くまで怪物が来ている事に気がつかなかった。

「サイト、あいつが!」

 ルイズの声でようやくギーシュから目を離して怪物が直ぐ近くまで迫ってきている事に気が付いた。
 俺はルイズを抱えてギーシュとモンモランシーの下に走った。
 近くに来ると、ギーシュが酷く憔悴していた。

「ギーシュ、どうしたんだよ、お前!?」

 モンモランシーが必死に杖を振るいながら呪文を唱え続けているが、ギーシュの額からは止め処なく汗が流れ続ける。どう見ても体に異常をきたしている。

「サイト、君はどうして平気なんだい?」

 肩で息をしながら途切れ途切れにギーシュが言った。

「平気って?」
「まるで、魔法を使い過ぎた時みたいだ……」

 どういう事だろう、俺は最初にローランを出した時、こんな風にはならなかった。
 違う、確かに戦っている時は大丈夫だったけど、俺も一週間眠り続けていた。

「多分、覚醒のショックのせいだと思う。俺が一週間も寝てたのはそのせいだって、イゴールがベルベットルームで言ってた気がするんだ」
「そうなのかい? しかし、あまり長く意識を保って居られそうにないな……」

 ギーシュは苦しげに胸を抑えた。無理をさせると危険だ。

「ギーシュ、モンモランシーと一緒に逃げろ。今のお前じゃ……」
「ああ、確かに足手纏いになってしまうね、このザマでは……」

 ギーシュは杖を握り締めて怪物に顔を向けた。何をするつもりなんだ、そう尋ねようとすると、ギーシュは不適な笑みを浮かべた。

「だから、一撃だけ……。それで駄目なら、後は君達に任せるとするよ」
「な、何を言ってるの、ギーシュ! 貴方、今、酷い顔してるのよ!?」

 モンモランシーが瞳に涙を溢れさせながら叫んだ。その通りだ。ギーシュは今にも倒れてしまいそうな程、顔を青褪めさせてフラフラしている。

「問答をしている時間は与えてくれないようだ」

 ギーシュの言葉にハッとなり、振り返ると、そこには既に怪物が迫っていた。

「クッ、止まりなさいよ!」

 ルイズが杖を振るった。怪物の目の前で大きな爆発が発生して、怪物が動きを止めた。

「この一撃に……全てを賭ける! さあ、怪物君、君の進撃は――――」

 ギーシュがバラの造花を模した杖を振上げると、頭上に浮かぶペルソナも同時に剣を振り被った。

「――――そこまでだ!」

 ギーシュの怒号と同時に、ペルソナが剣を怪物に向かって投げ飛ばした。
 あまりにも威力が大きく、剣が巻き起こした烈風に俺達は吹き飛ばされそうになった。
 銘はオートクレール。怪物の心臓部に激突した。そのあまりの衝撃に爆発でも起きたかの様な破壊音が鳴り響き、怪物の体が深く抉れた。
 そして、俺は見た! ギーシュが倒れこみ、ペルソナが消滅して、剣も消えてしまったが、怪物の抉れた場所にナニカが潜んでいるのを――ッ!

「ヌアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 ジオじゃ威力が足りない。拳を振るうには距離が遠過ぎる。切り裂かれた胸部は恐ろしい速さで再生を開始している。
 なら、方法は一つだけだ。考えるより先に体は動いていた。裂帛の気合と共に、切り裂かれた怪物の胸部に狙いを定め、オールド・オスマンに貰った剣を投擲した。
 剣が手を離れた途端に全身に凄まじい疲労感が襲って来た。何とか、倒れずに怪物から目を逸らさなかった。

「いっけええええええええええええええええええええ!」

 剣は再生中の怪物の黒光りする表面を貫いた。そして、中に潜んでいるナニカに到達したらしい、おぞましい悲鳴が周囲に響き渡った。
 怪物の再生が停止した。だが、怪物は崩れずに形を保っている。まだ、怪物を倒せていないんだ。俺は体に鞭を打って、残る力を振り絞ろうとしたけど、体は言う事を聞かず、ローランが姿を消してしまった。
 後一歩だというのに……。俺が歯を食い縛りながら絶望に打ちひしがれていると、俺の目の前に小さな影が躍り出た。

「お願い、当って! ファイアー・ボール!」

 怪物の腹部が爆発した。衝撃が怪物の全身に波紋の様に広がり、怪物の全身が一気に罅割れた。
 一気に崩れ落ちる怪物の中から、ナニカが弾かれた様に俺達の近くまで落ちてきた。それを見た途端、俺は目を丸くした。
 ソレは生き物だった。全身が紫で、秤の様な物を背負い、胴色のハンマーを握り締めている黒い鎧を身に纏った不気味な生き物だった。

「な、なにこれ?」

 ルイズも目を丸くしている。ルイズにも分からないらしい、試しにギーシュを抱き締めているモンモランシーに顔を向けると、モンモランシーも分からないと首を振った。
 ソレは突然、目を見開いた。俺達を見つけると、手に持ったハンマーを振上げて、襲って来た。

「なに、すんのよ! ファイアー・ボール!」

 見事にソレを爆発で吹飛ばしたルイズは、更に追撃を加えようと杖を振るった。

『家族を返して……』

 また、あの声が聞こえた。あまりにも寂しくて、胸を締め付ける様な声だった。

「ミス・ロングビル……?」

『家を返して……、家族を返して……、故郷に帰りたい……、寂しい……、助けて……、誰か助けて……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……』

 ルイズが声を掛けると、怪物からロングビルの声がまた聞こえた。途中からは、まるで念仏の様に嫌だ、嫌だと繰り返し始めた。
 なにがそんなに嫌なのだろうか、俺達はどうしたらいいのか分からなかった。

「ミス・ロングビル!」

 突然、正門の方から老人の声が聞こえた。驚いて、顔を向けると、そこには腕から血を流したオールド・オスマンが杖に縋るようにしながら立っていた。

「オ、オールド・オスマン!? どうなさったんですか、その傷は!?」

 ルイズが悲鳴を上げた。モンモランシーは慌ててギーシュを地面に寝かせて治療をしようと駆け寄ったが、オールド・オスマンはやんわりと首を振った。

「儂の事はよい。それよりも、すまなかったのう。どうも、薬を盛られてしまったようでな。動けるようになるまで時間が掛かってしもうた。お主達を危険な目に合わせてしまった。どうか、許して欲しい……」

 オールド・オスマンは深々と頭を下げた。俺はどうしたらいいのか分からず、ルイズに顔を向けた。
 ルイズも戸惑っていたが、直ぐにオールド・オスマンに顔を上げるように言った。モンモランシーも酷く恐縮している。目上の人間にこんな風に頭を下げられるなんて、なんだかむず痒かった。

「オールド・オスマン、一体なにが起きているのですか? アレは一体? それに、ミス。ロングビルは……?」

 ルイズが矢継ぎ早に質問をするが、オールド・オスマンは少し待っておくれ、と言った。

「なにが起きているのか、その全貌は儂にも分からんのじゃ。恐らく、ミス・ロングビルに起きたのは、あの夜、ミスタ・グランドプレに起きた事と同じじゃろうが、それが何なのかは儂にも分からぬ。お主等から、また話を聞かねばならんじゃろう。じゃが、その前にミス・ロングビルをどうにかせねばならん」

 オールド・オスマンは紫の怪物に向かって杖を構えた。怪物は未だに嫌だ、嫌だと叫び続けている。
 オールド・オスマンは杖を油断無く構えながら、ゆっくりと怪物に近づいた。ルイズとモンモランシーが止めようとするが、オールド・オスマンは首を振って、二人を制止した。

「ミス・ロングビル、なにがそんなに嫌なのかね?」

 オールド・オスマンが穏かな声で尋ねた。

『嫌だ……、嫌だ……。ティファを嫌いになりたくない……。ティファを恨みたくない……』

 ティファというのは誰の事だろう、俺は声がオールド・オスマンの質問に答えた事に軽い驚きを覚えながら思った。

「ティファというのは、お主が仕送りをしている者の事かね?」

『……そう。可愛いティファ……。私の大切な宝物……。たった一人しかいない、大切な妹……』

「儂はお主を助けたいと願っておる」

『…………』

 オールド・オスマンの言葉に、怪物は沈黙した。そして、オールド・オスマンは驚くべき行動に出た。なんと、杖を捨てたのだ。

「オールド・オスマン!?」

 ルイズとモンモランシーが絶叫した。メイジが杖を捨てるという事は無防備になるという事だ。それも、あんなに恐ろしげな怪物の前で――――。

「儂にお主を助けさせてくれぬか?」

 オールド・オスマンが怪物に手を伸ばした。

『う、うるさい! 貴様に何が分かる! 私は平和に暮らしちゃいけないんだ!』

 怪物がハンマーでオールド・オスマンを振り払って、オールド・オスマンから離れて叫んだ。
 どういう意味何だ、俺には理解出来なかった。平和に暮しちゃいけないって、どういう意味なんだ?

「その様な事は無い。誰にでも平和を甘受する権利はある」

『うるさい! 私はいつだって牙を砥いでなきゃいけないんだ! でなきゃ……、ティファを護れない……』

 声は震えていた。オールド・オスマンが言った。

「ならば、ティファとやらの事も儂が……」

『無理さ! だって、あの娘は特別なんだ! ハーフエルフなんだよ!』

 ハーフエルフ、その単語にルイズとモンモランシーは悲鳴を上げた。青褪めた表情で怪物を見ている。

「ハーフエルフって?」

 俺が尋ねると、ルイズは震えながら答えた。エルフというのは、とても恐ろしい力を持つ砂漠に住むという民の事らしい。
 ルイズもモンモランシーも怯えている。

「そんなに恐ろしいのか、エルフって?」

 俺が呟くと、怪物が怒りに満ちた怒号を上げた。

『あの娘は恐ろしくなんかない! 誰よりも可愛くて、誰よりも優しい娘なんだ!』

「お主がそう言うのであれば、そうなんじゃろうな」

 オールド・オスマンは穏かな声で言った。ルイズとモンモランシーが絶句した。

「な、なにを言ってるんですか、オールド・オスマン! エルフは恐ろしい存在です! いくらミス・ロングビルの言葉でも……」
「確かに、エルフとは恐ろしい存在じゃ。儂等には仕えぬ先住の魔法を使い、儂等人間と幾度と無く、歴史の中で血で血を洗う争いをしてきた」
「なら――――ッ!」
「じゃが、それで全てのエルフが悪しき者と断ずる事は出来ん。ミス・ヴァリエール、ミス・モンモランシ。人の中にも他者を傷つける者は居る。逆に、エルフの中にも心優しき者が居るかもしれん。そうは思わんかね?」

 ルイズとモンモランシーは黙ってしまった。納得出来ていない表情だったが、オールド・オスマンに言われて、必死に考えているようだ。

「サイト君、お主はどう思うかね?」
「お、俺ですか?」

 オールド・オスマンに突然振られて、俺は慌てて考えた。恐ろしい存在とルイズとモンモランシーは言う。きっと、それがこの星の“人間”の常識なんだろう。
 俺は怪物を見た。怪物……ロングビルはハーフエルフのティファという人を優しい子と言った。

「俺にはエルフってのがどんなのなのか、そんなの分からない。でも、ロングビルさんは直接そのティファってハーフエルフ? の子と触れ合って、実感して、それで優しい子だって言ったんですよね? なら、そのティファって子の事は信じていいんじゃないですか?」
「サイト! そんな簡単な話じゃないのよ! エルフっていうのは……」
「ルイズはエルフに会った事があるのか?」

 俺が聞くと、ルイズは言葉に詰まった様で低く唸った。

「俺も会った事無い。だから、会った事がある人の意見を信じるしかないじゃん」
「その通りじゃ、儂等は実際にはエルフという種族について、あまり詳しくは無い。エルフを危険な種族と断じるのは、必ずしも正しいとは言えんのじゃ。もっとも、だからといって、エルフという種族が安全な種族だと断じる事も出来ぬがのう」

 オールド・オスマンは俺とルイズ、モンモランシーの顔を順に追いながらに言った。
 オールド・オスマンは怪物に顔を向けた。

「儂はミス・ロングビルを信じておる。そして、ミス・ロングビルが信じた者の事も儂は信じようと思う」

『…………』

 怪物は何も喋らなかった。ただ、呆然とオールド・オスマンを見つめていた。

「ミス・ヴァリエール、ミス・モンモランシ、そして、サイト君。今宵の事は誰にも語らんで欲しい」

 オールド・オスマンの言葉にルイズとモンモランシーは躊躇っている感じだった。俺には分からない葛藤があるらしい。

「ルイズ」
「何よ……?」

 俺が声を掛けると、ルイズは不機嫌そうに返事をした。

「別に、直ぐにティファって子を信じる必要は無いと思う。ただ、オールド・オスマンみたいにロングビルさんを信じたらいいと思う。それか、ロングビルさんを信じるオールド・オスマンを信じるってんでもいいんじゃないか?」
「……オールド・オスマン、ハーフエルフを学院に招こうというおつもりですか?」

 ルイズが怯えた表情を浮かべながら尋ねた。モンモランシーも同じ様な表情を浮かべている。

「場合によっては、そうなるかもしれんのう」
「それは……」

 ルイズとモンモランシーは自分の震える体を抱きしめる様にしながら必死に正気を保とうとしていた。

「オールド・オスマン、幾ら何でも、それは難しいんじゃないですか?」

 俺は堪らなくなって、オールド・オスマンに言った。

「ルイズやモンモランシーみたいに怯える奴だって居るだろうし、その子が安全な子でも、攻撃しようとするのだっているんじゃないですか?」
「確かにそうかもしれんな。当然、ここに招くとすればそれなりの措置は取る事になるじゃろう。エルフの特徴である長い耳を隠すなどでな。それに、当然じゃが、いきなり学院に招くという訳にはいかん。その前に儂自らその子に会って、話をする。そして、しかと見極めた上で判断するつもりじゃ」

 オールド・オスマンの言葉にルイズとモンモランシーは思い詰めた表情を浮かべた。
 どうしたんだろう、不思議に思っていると、ルイズとモンモランシーが同時に言った。

「その時は、私もご一緒します!」
「その時は、どうか私も連れて行って下さい!」

 ルイズとモンモランシーはお互いに驚いた表情で顔を見合わせた。だが、直ぐにお互いに不適に笑って頷き合った。

「オールド・オスマン。この件について黙秘せよと仰いましたが、それはここに居る私、ミス・モンモランシ、サイト・ヒラガを除く誰にも教えないという事ですよね?」
「うむ」

 ルイズは緊張した面持ちでオールド・オスマンに言った。オールド・オスマンは小さく頷いた。
 ルイズは物怖じしながらも必死に虚勢を張りながら言った。

「では、私達には知る者として責任があると思いますわ」
「ミス・ヴァリエールの言う通りです。私達もそのティファという人物を見極めねばなりませんわ」

 俺は二人の様子をただ呆然と眺めていた。口を出せる雰囲気では無いし、成り行きを見守る以外に出来る事も無い。

「それはハーフエルフと直接対面するという事じゃぞ? 仮に、ティファという娘がミス・ロングビルの言う優しい子が虚言であった場合、エルフと戦う事になるかもしれぬ。それでもかの?」

 オールド・オスマンの言葉にルイズとモンモランシーは低く唸った。やはり、エルフという存在に対面するのは怖いんだろう。

「それなら、モンモランシーは僕が護るよ」
「ギーシュ!?」

 なんと、ギーシュは起きていたらしい。今にも気を失いそうだと言いながらも、話を聞いていたらしい。

「エルフ……僕も怖い。だけど、モンモランシー、君の事は護ってみせるよ」
「ルイズの事は俺が護るし、それなら問題ないだろ? オールド・オスマン」

 俺とギーシュが言うと、オールド・オスマンは愉快そうに笑った。

「生徒の成長を間近で見る事が出来るのは、この職でしか味わう事の出来ぬ至上の喜びじゃな」

 オールド・オスマンは同行を許してくれた。ルイズとモンモランシーは怯えた表情を浮かべていたが、それでも決意を秘めた眼差しをしていた。

「そろそろ、本気で限界だ……。後は、よろしく頼むよ……」
「あ、ギーシュ!」

 ギーシュは完全に気を失ってしまった。モンモランシーは慌ててギーシュに寄り添って治癒の魔法を唱えた。

「ま、あんたのペルソナには期待してあげるわよ」
「そうかい、使うなって言われてるんだけどな……」

 まだ、怯えた表情を浮かべていたが、それでもルイズは皮肉を言えるくらいには持ち直したらしい。

「ミス・ロングビル、そういう訳じゃ。儂を……いや、儂等を信じてくれぬか? お主が信じた少女ならば、儂等も必ずや信じる事が出来る筈じゃ。お主の事も、ティファとやらの事も儂に任せてくれぬか?」

 オールド・オスマンは怪物の前で膝を折り、頭を下げた。

「この通りじゃ」

 その瞬間、怪物の額に亀裂が走った。亀裂は瞬く間に怪物の全身に広がり、一気に砕け散った。
 怪物の居た場所に涙で頬を濡らしたロングビルが居た――――……。

第十話『主従』

ゼロのペルソナ使い 第十話『主従』

 闇夜に二つの赤い光が浮かんでいる。逃げなきゃいけないって分かっているのに、俺の体は動いてくれない。
 怪物は恐ろしい程に巨大で、俺の目の間に立ちはだかっている。ソレが動くなんて信じられない。信じたくない。喉がからからに渇いて、恐怖のあまり涙を流してしまった。
 本能が逃げろと叫び、体は怖いと悲鳴を上げ、頭は逃げても無駄だと悟っている。
 これはもう逃げるとか戦うとかいう以前の問題だ。出会ってしまえば、後は一方的に殺されるだけ。怪物は、ゆらりと揺らめいた。

『家族を返して……』

 そんな声が聞こえた。とても寂しそうで、胸が締め付けられるような響きの声が聞こえた。

「この声……、ミス・ロングビル?」

 ルイズが呟く様に言った。

「そうよ、助けなきゃ! ミス・ロングビルを助けなきゃ! あの怪物を倒せば、マリコルヌの時みたいに……」

 何を言っているんだ? 俺は愕然としながらルイズの声を聞いていた。ルイズはこの怪物の脅威が理解出来ないのだろうか? 倒すなんて不可能だ。今直ぐ逃げなきゃいけないのに、ルイズは俺の背後から飛び出して杖を振るった。

「ファイアー・ボール!」

 ルイズが呪文を唱えると、怪物の目の前の空間が爆発した。突然の爆発に、怪物が動きを止めた。逃げるなら今しかない。
 俺はルイズの手を掴んだ。

「に、逃げるぞ、ルイズ!」
「馬鹿言わないで! あそこにはミス・ロングビルが居るのよ!? それに、本塔には沢山の人達が居る。戦わなきゃ!」

 俺は目を見張った。どうして、あの怪物を前にそんな事が言えるんだろう。俺は怪物を前にして怖かった。ただ、怖かった。
 とにかく逃げ出したくて、なのに体が動かなかった。戦うなんて選択肢は端から除外していた。なのに、ルイズは戦うと言っている。自分より背の小さな女の子が戦うと言っている。

「ル、ルイズ! あんなでかいのに勝てるわけないよ! 仕方ないじゃないか、あんな怪物から逃げたって、誰も責めたりしないよ!」

 ギーシュが顔を青褪めさせながら叫んだ。それは自分に言い聞かせているようでもあった。
 モンモランシーもギーシュの言葉に頷いている。一刻も早く、この場を離れたいと思っているんだ。俺だって、今直ぐにでも逃げたい。
 だけど、ルイズは言った。

「だったら、あんた達は逃げなさいよ! 私、ゼロでも……、それでも貴族だもん!」
「そんなの分かってるよ。だけど、貴族だからって何だよ! あんなのと戦えるわけ無いだろ!」

 俺は必死に叫んだ。頼むから一緒に逃げてくれと懇願した。あんなのを相手に戦える筈が無い。逃げるしかないんだ。

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 俺はルイズの意思の硬さに息を呑んだ。なんて、かっこいいんだ。俺は思った。
 俺の背後で、ギーシュとモンモランシーが息を呑む音が聞こえた。
 俺は無性に自分が情けなくなった。平和な日本で生きていた俺がこんな怪物と戦うなんて、怖いと思っても仕方ないじゃないか。そう思っていた。
 だけど、女の子がこれ程勇ましく戦おうとしているのに、逃げ出せるわけがない。

「俺……情けねぇ……」

 ドクンと心臓が大きく跳ねた。全身に力が漲り始める。剣を握った左手の甲が輝いているのが見えた。なんだ、これ……。
 怪物が動くのを感じて見上げると、怪物は巨大な右腕を振上げていた。
 このままじゃ、ルイズも俺も殺される。そう感じながら、俺は気が付くとルイズの前に躍り出ていた。
 振るえる足腰に渇を入れて、ルイズを護ろうと両手を広げる。
 すると、眼前にタロットカードに似たデザインのカードが、ふっと現れた。
 俺は導かれる様にカードを手に取った。見覚えのあるカードだった。そうだ、ヴェストリの広場で豚の怪物と戦った時に見たカードだ。
 心臓が痛い程高鳴っている。これしかない。オールド・オスマンには使うなと言われたけど、ルイズを護る為にはコレを使うしかないんだ。
 俺は己の魂に潜む、困難に立ち向かう為の人格の鎧を呼び出す為、そのカードを思いっきり握りつぶした――――ッ!

「ペルソナ!!」

 振り下ろされる怪物の右腕を俺の内から飛び出した鎧の巨人が受け止めていた。
 全身に鋭い痛みを感じた。どうやら、ローランが受けたダメージのフィードバックを受けたらしい。あまりの衝撃に息が詰まった。痛い、痛過ぎる。だけど、俺は怪物から目を離さなかった。

「ルイズ! 少し離れるぞ!」

 俺は肩で息をしながらルイズの手を取った。ルイズは呆然とした表情を浮かべながら俺を見た。

「だ、大丈夫……?」
「あんまり、大丈夫じゃない。全身が痛いよ……」

 力無く笑いながら、俺はルイズの返事を待たずにルイズを抱き上げて駆け出した。ルイズが文句を言おうとしたが、俺は無視してギーシュとモンモランシーに声を掛けた。

「離れるぞ!」
「……あ、ああ」
「え、ええ……」

 ギーシュは暗い表情を浮かべながら頷いた。モンモランシーは呆けた表情を浮かべながら頷いた。
 正門の所まで戻って来ると、俺はルイズを地面に降ろした。
 正門と本塔はかなり離れているのだが、本塔のすぐ傍に立っている怪物はとても巨大で、直ぐ近くの様に錯覚してしまう程だった。
 怪物は俺達の方に向かって来ていた。ルイズの失敗魔法の爆発や俺のペルソナを見て、どうやら俺達を敵と認識したらしい。
 怪物はノロノロとした動作だったが、歩幅があまりにも大きく、ほんの数歩歩いただけでここまで来てしまいそうだ。

「このまま、奴を学院の外まで誘き寄せよう」

 俺が言うと、ルイズが頷いた。

「そうね……。せめて、学院の外に連れ出せれば……」

 すると、モンモランシーがヒステリックな声を上げた。

「何言ってるのよ! 冗談じゃないわ。あんな怪物の囮になれって言うの!?」
「三人は隠れてろ」
「……え?」

 俺が言うと、ルイズが目を丸くした。自分も囮になるつもりだったらしい。

「モンモン、ルイズの事、頼む」
「ちょ、サイト・ヒラガ!?」

 戸惑うモンモランシーにルイズを預けて、俺は駆け出した。何だかさっきよちも力が漲っている気がした。
 とりあえず、俺に集中させないといけないな。遠距離から攻撃する手段を考えていると、突然、自分の中の何かが弾けた――ッ!
 刹那、俺の脳裏に映像が映った。ローランが青白い雷撃を放つ光景だ。俺はその光景をなぞる様に、剣を握ったまま、右手を振り被った。それと同時に、ローランも右手に握る聖なる輝きを秘めた剣を天高く掲げた。
 雷鳴が轟く。青白い稲妻の光が闇夜の広場を照らし出した。

「喰らい――――」

 俺は右腕を全力で怪物に向けて振り下ろした。俺の動きに連動して、ローランも聖剣・デュランダルを振り下ろした。
 細く青白い雷光が怪物に向かい、一直線に迸る。

「――――やがれ!」

 ローランより放たれた青白い雷は怪物に直撃した。

「『ジオ』ッ!」

 バチバチと音を立て、雷が怪物の表面を焼いた。少しは効いたと思う。
 咄嗟に脳裏に閃いて使った『ジオ』という雷の力。ペルソナ能力の一部なのだろうか、俺は得体の知れない能力に恐怖や嫌悪を覚えず、ただ、ひたすら興奮していた。

「すげぇ……」

 これなら、注意を引くだけじゃなくて、勝てるかもしれない。
 俺は口元を歪めながら怪物を見た。相当鈍いんだろうか。表面が焼けて、煙が出ているというのに、悲鳴を上げる事も、唸り声を上げる事もせず、怪物は何事も無かったかのように再びのそのそと動き始めた。
 舌を打ちながら、俺はさっきと同じ様に右腕を振上げた。

「ジオ!」

 巨体で動きもノロい怪物はローランの槍から伸びた青白い閃光をまともに受けた。

「――――ッ! 少しは立ち止まるくらいしろよな」

 ジオは怪物の表面を再び焼いたが、怪物は気にする事無く俺の方に向かって来る。
 俺は当初の予定通り、正門を潜って外に出た。
 怪物はトリステイン魔法学院の重厚な白い壁を破壊しながら俺について来る。広い草原は月以外に光源が無く、真っ暗だった。冷たい風が草木を撫でて掠り合う音を響かせる。

「にしても、でけぇ……」

 まるで、特撮の巨大化した怪人を相手にしている様な気分だ。怪物が少し動いただけで、地面は大きく抉れて、草木は薙ぎ倒され、突風が吹き荒れる。近づくのは自殺行為だ。

『お父様……、お母様……』

「……?」

 怪物の体の何処からか、声が響いた。ルイズはロングビルの声だって言ってたけど、どういう事なんだ……?
 そう言えば、怪物が現れる前、ロングビルは巨大なゴーレムの上で何かを必死に否定していた。マリコルヌも怪物が現れる前に感情を爆発させていた。
 この怪物は一体何なんだろう、考えても全く答えは出て来なかった。怪物が腕を振上げて、俺は湧き出す疑問を振り払って、必死に逃げ出した。
 当ったら、確実に死んでしまう。全速力で走り回らないと怪物の巨大な拳からは逃れられない。
 少し呼吸が荒くなってきた。不思議な力も無限に力を与えてくれるわけじゃないようだ。とにかく、攻撃するしかない。
 怪物から逃げながらジオを放ち続ける。少しずつ表面を焼いてダメージを負わせているけど、限界は此方の方が早そうだ。ジオを撃つ度に力が抜けていく。それに気が付いたのは、足元に石に躓いて転んでしまった時だった。
 息がまったく整わなくなっていた。ジオを放つ度に体の中から何かが抜けている感覚を覚えた。どうやら、ジオを使う度に何かを消費していたらしい。

「そういや、オールド・オスマンが言ってたっけ……」

『等価交換というのは魔法にも当て嵌まる。魔法には精神力を使う。何も使わずに振るえる力なんぞ、信用せん方が良い。静かに、密やかに、最も大切なモノを奪うかもしれん』

 あの時は適当に聞き流していたけど、どうやら本当に何かを奪われているらしい。
 けど、止めるわけにはいかない。怪物を倒すには、これしかないんだから。俺は再び怪物にジオを放とうと腕を振上げた。すると、怪物の体から黒い煙の様な物が湧き出した。

「なんだ!?」

 目を丸くしていると、煙が怪物の目の前の虚空に集まって、巨大な岩石に姿を変えた。どうやら、煙の様な物は怪物の体が砂になった物だったらしい。
 怪物が岩石を撃ち出した。俺は慌てて逃げ出した。間一髪で回避すると、岩石が衝突した地面が大きく抉れてクレーターになってしまった。

「あ、あんなのが当ったら……」

 俺は背筋に寒気を感じた。怪物が再び同じ攻撃をしようとしていた。同じものを何度も撃たれたら避けきれなくなる。俺は必死に考えた。このままだと、いつかは殺されてしまう。
 その時だった。怪物の体が突然爆発した。何が起きたのか、俺には直ぐに分かった。

「止めろ、ルイズ! 早く逃げろ!」

 俺が叫ぶと、ルイズの怒声が轟いた。

「巫山戯るんじゃないわよ! 使い魔だけに戦わせて、コソコソ隠れてるわけにいかないじゃない!」
「馬鹿野郎! そんな事言ってる場合じゃない、逃げろ!」

 怪物がのっそりとルイズの方に体を向けた。ルイズの失敗魔法の爆発で右腕の肩の部分が大きく抉れている。どうやら、ルイズの方が危険と判断したらしい。
 俺は注意を引く為にジオを放った。だけど、怪物は俺に見向きもしないでルイズに向かって行く。

「ちくしょう! 俺を見やがれ!」

 必死に叫ぶが、怪物は一直線にルイズに向かって行く。ルイズは必死に魔法を放つが、上手く怪物に命中しない。俺はルイズに向かって駆け出した。このままじゃ、ルイズが殺されてしまう。

「ルイズ!」

 必死にルイズの下に駆けつけた。怪物は直ぐ目の前に来ていた。俺はルイズの体を抱えると、自分でも信じられない様な凄まじい速さで怪物の股下を一気に潜り抜けた。
 怪物から距離を取ってルイズを地面に降ろすと、俺は我慢が出来ずにルイズの頬を叩いていた。

「馬鹿野郎、死ぬ気か! お前!」

 乾いた音が響き渡り、ルイズは呆気に取られた様な表情を浮かべた。

「もう少しで死ぬ所だったじゃねぇか! 俺が間に合わなかったらどうなってたと思ってんだ!」

 俺は涙を溢れさせながら怒鳴りつけた。もう少しで、ルイズが死ぬ所だった。それが、とても恐ろしかった。まだ、会って間もない筈なのに、とても掛け替えの無い存在に感じられて、その存在があと少しでこの世から消えてしまいそうだった事を実感して肩が震えた。
 すると、ルイズの目からも涙がぽろぽろと零れた。

「な、泣くなよ……」
「あ、あんただって泣いてるじゃない……。わ、私だって、こわ、怖かったわよ。ほんとに、怖かったんだから……」

 ルイズは止め処無く涙を溢れさせた。

「だったら、どうして戦うなんて言ったんだよ! 怖かったんなら、最初から逃げれば良かったじゃないか!」

 俺が言うと、ルイズは首を振った。

「悔しかったの……」
「え……?」
「いつも、皆にゼロゼロって馬鹿にされてたの。それが悔しくて……。あいつを倒して、ミス・ロングビルを助ければ、もう誰もゼロのルイズって馬鹿にしないって思ったの……。それに、あそこで逃げ出したら、またゼロのルイズだから逃げたって言われるから……」

 俺は愕然とした。ゼロのルイズって馬鹿にされてたのは知っていたけど、ルイズがこんなに追い詰められてたなんて知らなかった。
 意思が硬い? かっこいい? 馬鹿野郎、俺は自分自身を殴りつけてやりたかった。違う、ルイズはそんなに強くないんだ。
 肩を震わせて泣きじゃくるルイズを見て、俺はそれを嫌という程理解した。本当は、こんな命を掛けた戦いなんて嫌いな、普通の女の子なんだ。
 俺はルイズを慰めたかった。優しい言葉を掛けて、何でも言う事を聞いて、笑顔にしてあげたかった。だけど、それを目の前の怪物は許してくれなかった。
 俺はルイズを抱えて飛ぶ様に離れた。泣きじゃくるルイズの事を護らないと、そう思う程に力が漲った。

「泣かないでくれよ、ルイズ。俺が、何とかするから。あんな怪物なんて簡単に倒して、お前をゼロって馬鹿にする奴も一人残らず倒してやるから」

 俺は学院まで戻って来ていた。ルイズを降ろして、俺はルイズの肩に手を掛けた。

「だから、泣かないでくれよ」

 俺はローランを見上げた。薄っすらと透けてぼんやりとしているローランの姿を。
 遠くからジオを放っているだけじゃ勝てない。ローランの持つ聖剣で直接斬りつければ、もっと効果的にダメージを与えられる気がする。
 俺は駆け出した。近づいたら危険だって、分かっているけど、俺にはこれ以外に考え付かなかった。だけど、怪物に辿り着く前に俺は怪物が振上げた脚によって発生した突風でルイズの下まで吹き飛ばされてしまった。
 地面に叩きつけられて体全体が酷く痛い。本当なら、痛いだけじゃ済まない気もするけど、とにかく痛くて泣きそうだった。それでも、立ち上がった。

「も、もういい! これ以上やったら、サイトが死んじゃう!」

 ルイズが顔をくしゃくしゃに歪めながら叫んだ。俺はルイズの言葉に逆に自分を奮い立たせた。
 その時だった。遥か後方から悲鳴の様な声が響いたのは。ギョッとなり、振り返ると、そこには信じられない光景があった。
 そこには、ギーシュとモンモランシーが居た筈だ。なのに、ギーシュの姿は見えなくなっていた……白い靄のせいで――――……。