第一話「召喚するッス!」

 その輝くような笑顔に何度も救われた。あの人がいたから、曲がりなりにも人間の真似事なんぞが出来たんだろう。
 守れなかったもの。捨て去ったもの。切り捨てたもの。その価値に気付く事もなく、最後まで突き進んだ挙句、このザマだ。きっと、この姿を見たら、あの人は怒るに違いない。
 なにをやっているんだ! そう言って、泣いてしまうかもしれない。あれで、結構繊細な所もあったからな……。
「それにしても……」
 溜息が出る。まさか、こんな事が起こるとは思わなかった。
 正義の味方を目指した十数年。守護者として、人類の後始末に奔走した幾星霜。
 一度だって、考えなかった。だって、こんな事が起きると誰が想像出来る?
「ちょっと、アーチャー!! どこに居るんスか!?」
 ポニーテールを揺らしながら、彼女が私を呼んでいる。
 まさか、あの頃よりも更に元気な声を聞く事になるとは思わなかった。あれで、若い頃より落ち着いていたのだという事実に衝撃を覚えたものだ。
 活発な性格は変わらない。ただ、私が知っている彼女よりも若々しい。
「何か用か? マスター」
「……そのマスターっていうの、いい加減止めて欲しいッスよ。背中が痒くなるッス!」
「分かったよ、マスター」
「分かってないじゃないッスか! もう、意地悪ッスね!」
 ああ、こんなやりとりを昔もしていた。
「なに、笑ってるんスか!? わたしは怒ってるんスよ!」
「おお、恐い。頼むから、哀れな従僕を虐めないでほしいな」
「だから、虐められてるのわたしの方ッスよ!?」
 そろそろ爆発する。後三秒……二、一、ドン!
「アーチャー!!!」
「ハッハッハ! 今日も元気だな、タイガ!」
 涙が出る程、このやりとりが嬉しい。
 彼女の名前は藤村大河。私が生前、散々世話になっておきながら、恩も返さずに置き去りにした女性だ。
 

 数時間前――――。
 藤村大河は山篭りをしていた。現役女子高生が山篭りをしていた。その時点で一般常識的観点から見るとおかしいのだが、彼女にとっては平常運転だった。
 剣の修行は山篭りにかぎる! それが彼女の主張だ。
「……お腹すいたよー」
 哀しげにリュックサックの中を覗いている。
 山道を走り回り、竹刀を振る。その結果、お腹が空く。実に自然な流れだ。彼女はそのまま、自然の流れに身を委ね、食料を食べ漁った。その結果、これまた自然の流れで食料が底をついたのだ。
 当然の結果を前に彼女はシクシクと涙を流し、うなだれる。
「お腹が切ないよ―」
 山の動物達はそんな彼女に同情の視線を送る。そして、通り過ぎる。同情はしても、食料は恵まない。それが自然の摂理なのだ。
 ただし、仏様は例外だ。
「チクショー……、ブッダさんには食料分けてあげる癖にー……。手塚治虫の漫画で読んで知ってるんだぞー……」
 限界だ。さすがの彼女も悟った。山を降りよう。そして、ご飯を食べよう。
 だが、ここで一つ大きな問題が発生した。
「……暗くて道が分からない」
 今は夜だという事。そして、彼女はリュックサックに寝袋と食料以外、何も入れずに入山した事。
 黙って朝まで待てばいいものを……。
 彼女は空腹を我慢する事が出来なかった。光源一つ無い山道を勘だけで進んでしまったのだ。
 結果、よく分からない場所に出た。
「うわー、すごい! こんな所に洞窟なんてあったんスね!」
 暗かったせいで、岩の中に突っ込み、その中を通り抜けた事に気付かなかった。
 超常現象をアッサリとスルーして、彼女は生暖かい空気の流れる洞窟を歩く。
 空腹を忘れる程の好奇心が彼女に冒険をさせた。
 驚く程広い洞窟。大河は新聞の一面に自らの写真が掲載される光景を妄想した。
『現役美少女高校生が謎の洞窟を発見!!』
 洞窟の発見程度ではニュースになどならない。だが、彼女はなると思った。
 明らかに異様な空間。まるで、生き物の体内のような薄気味悪さが漂う洞窟を意気揚々と歩いて行く。
 その姿は初めて訪れる遊園地にはしゃぐ小学生のようだ。
「おお、ゴールっスか!?」
 何時間も歩き続けた直後とは思えない程元気いっぱいの声を張り上げ、彼女は広々とした空間に躍り出た。
 その場所は明らかに異常だった。まず、広過ぎる。東京ドームがすっぽり入ってしまう程広い。そして、中央に『|地球のへそ《エアーズロック》』を思わせる小高い丘があり、その中央には禍々しい光の柱がある。
「おお、カッケーっス!」
 その光景を見た第一声がコレだった。
「なんスか、コレ!? よく分からないけど、大発見ぽくないッスか!?」
 心の底から嬉しそうにはしゃぎ回る。
 禍々しいオーラを発する光の柱を『渋谷のハチ公』や『上野の西郷さん』と同列に扱っている。
 ある意味で大物かもしれないと思った者が一人。
「……ふむ、何者かと思えば藤村の家の娘か」
「ほえ?」
 まさか、声を掛けられるとは思っていなかった。
 大河は慌てて振り返る。そこには一人の老人が立っていた。
「えっと……、お爺さんは誰ッスか?」
「誰ッスか……と聞かれれば、間桐臓硯と答えよう」
「間桐さんって、先週の町内ゲートボール大会で優勝した、あの!?」
「その間桐さんじゃ」
 老人はカカと笑みを浮かべながら大河の下へやって来る。
「しかし、あまり感心出来んな。このような場所におなごが一人で来るなど……」
「あー……、ちょっと迷っちゃいまして……」
「なるほど、迷ったか……。ならば、仕方がないな」
「えへへー。そうそう、仕方ないんスよ!」
「ああ、仕方がない。山で遭難したおなごが死体となって発見されても、それは仕方のない事だ。血と獣の歯型を付けた肉の一部を置いておけば、誰もが納得するじゃろう」
「……えっと、すっごく物騒な事を言ってません?」
「いや、至って普通の事を言っているだけだ」
「そ、そうかなー……。なーんか、ヤバイ感じの事を言ってたようなー……」
 それは野生の勘とでも言うべきか、大河は目の前の老人に警戒心を抱いた。
 ジリジリと近づいて来る分だけ後ろに下がる。
「これこれ、どこに行く?」
「いやー……、わたしはここいらで失礼するッスよ」
「それはいかん。いかんぞ、藤村の娘よ。ここを見られたからにはただで帰すわけにもいかん」
 あ、ヤバい展開だ、コレ。そう気付いた瞬間、大河は脱兎のごとく走りだした。出入口に向かって一目散に。
 だが、何故か入って来た方の道が塞がっている。
 初め、大河には何が道を塞いでいるのか分からなかった。だが、近づくにつれ、それが生き物の集合体である事に気付いた。
「あっ……ああ、あ……」
 言葉も出ない。以前、父親の股間にあったものを見た事がある。それとソックリなイヤラシさの塊みたいな生き物がウジャウジャ壁を張っているのだ。
「ほっほっほ。逃しはせんぞ」
 好々爺の如き笑みを浮かべ、危険なオーラを放つ臓硯に大河は涙目だった。
「エ……エッチなのはイヤッス!!」
 とにかく、蟲の大群から離れようと走る大河。だが、どこからともなく蟲は湧いてくる。逃げれば逃げた先、立ち止まれば足元に蟲が現れる。
「ギニャアアアアアア!?」
「ほっほっほ。ほれほれ、捕まってしまうぞ」
 遊ばれている。捕まったら、明らかにマズイ事態なのだが、それでも尚、人生初の老人虐待にトライしたくなる程、大河はムカついた。
「このエロジジイ!! 絶対に許さないッスよ!!」
「ああ、許す必要はない。いきり立つ心根を折る事こそ至高よ」
「何言ってるか分かんないッス!!」
 叫びながら、大河は気付いた。徐々に追い詰められている事実に!
「あ……ああ、ヤバいッス。これは明らかにヤバいッス」
 大河は思った。
 
     誰でもいいから助けて欲しい。
 
              救世主でも、正義の味方でも、この際、仮面ライダーとかウルトラマンとかポケモンマスターでもいいから来て欲しいと!

 その願いを汲み取るものがいた。

 目の前で珍劇を繰り広げる少女の叫び声を禍々しさ全開の光の柱の中で聞き届けた者がいた。
「だれか……、誰かわたしを助けてェェェェェ!!!」
 彼女は知らない事だが、この街には今、魔術師と呼ばれる存在が集まりだしている。
 彼等の目的は一つ。如何なる願いも叶う万能の盃……、『聖杯』を手に入れる事。
 その為の戦いを彼等は『聖杯戦争』と呼ぶ。
 彼等は『聖杯戦争』のシステムを使い、英霊と呼ばれる人類の上位に位置する存在をサーヴァントという枠に嵌めて現世に召喚し、使役する。
 伝説に名を残す英雄達が日本の片隅で激突するという裏の世界の危険度MAXな伝統行事。
 そこに本来、彼女が入り込む余地などなかった。なぜなら、彼女は魔術師ではなく、その才能も無かったからだ。
 だが、ここに『聖杯戦争への参加表明を聞き入れ、マスターの選別を行う者』の本体がある。
 そして、マスター自身の魔力を一切使わずとも召喚に事足りる程の潤沢な魔力が循環している。
 結果、彼女の手に真紅の聖痕が浮かび上がった。そして、陣も無い状態かつ、詠唱すら一言も呟いていない状況で、突風が吹き荒れた。
「ば、馬鹿な!?」
 叫ぶ老人に突風の中心から白と黒の刃が走る。
「……実に乱暴な召喚だが、なるほど。化生の者に追われていては仕方がない」
 突風が止み、大河の前に赤い外套を纏う男が現れた。
「出会いの問答も、名乗りすらも後回しになるが許してくれ、マスター。まずは目の前の害虫を処理するとしよう」
「……よもや、藤村の娘がマスターに選ばれるとは」
「なに?」
 男が老人の言葉に動きを止めた一瞬を突き、老人は地面に染みこむように姿を消した。
「イ、イリュージョン!?」
「ッチ、逃げられたか……」
 男は忌々しげに老人の消えた地面を睨むと大河に向き直った。
「すまない、マスター。初仕事に失敗するとはサーヴァント失格だな」
「えっと……」
 頭を下げる男に大河はドン引きしていた。
 まず、格好が変だ。どんな趣味!? と叫びそうになる。
 次に見た目が明らかに外人だ。日本語が通じるみたいでちょっと安心。
 そして、言ってる言葉の意味が理解出来ない。やっぱり、日本語通じない人かもと思い、悲鳴を上げそうになる。
「……マスター?」
「あ、あの……、失礼するッス!!」
「お、おい、マスター!?」
 エロ生物の壁が消えた道に走って行く大河。だが、直ぐに立ち止まり、戻って来た。
「マ、マスター……?」
 あまりにも奇抜な行動に男は困惑している。
「助けてくれてありがとうございます!」
「え? あ、ああ!」
 ペコリと頭を下げる大河。
 大河はお礼を言える女の子なのだ。
「……マスター。君は……」
「えっと……その、マスターっていうのはわたしの事ッスか?」
「ああ、それ以外に誰が……っと、君はもしかして一般人か?」
「一般人……? うーん、微妙ッスね。親が極道だから一般人とは少し違うかもッス」
「ご、極道……? そ、そうか……。だが、聖杯戦争の事は何も知らない。違うか?」
「正妻戦争? むかし、お父さんを巡ってお母さんと四人の女が争いあったという、あの!?」
「いや、それはどんな状況だ!? ……そうじゃなくて」
 男は『聖杯戦争』について大河に簡単なレクチャーをした。
「なるほどなるほどー」
 大河は男の話を聞き終えると、さっき大河を密かに救った禍々しい光の柱を見て言った。
「よし、ぶっ壊そう!」
 ひどい裏切りだ。さっき、助けてあげた恩を自覚も無く仇で返そうとしている。
「……短絡的過ぎるぞ。確かにそれも解決策ではあるが……」
「なら、何を迷うんスか!?」
 これがあると街が大変な事になる。そう言われたからには街に根を張る任侠者として放ってはおけない。
「これを壊す為には強力な宝具が必要だ。私も用意出来なくはないが……、あいにく魔力が足りない。魔術師ではない君からは魔力を貰う事が出来ないからね。加えて、仮に破壊したとして、その後、魔術協会と聖堂教会が雁首揃えて君を殺しにくるぞ」
「な、なんスか? その物騒ななんちゃら教会って……」
「要は魔術師の世界のマフィアだ。しかも、表世界のマフィアの質の悪さを何倍にも膨らましたような連中だ。ちなみに、君を殺した後は君の家族や友達も殺しかねない。そういう連中だと思ってくれればいい」
「じゃ、じゃあ、どうすればいいんスか!?」
 涙目になる大河に男は言った。
「このまま私との契約を断ち、すぐに監督役の下へ駆け込む。それが最善の道だ」
「この物騒なのは?」
「残るな。だから、監督役に相談でもして街の外へ出る事を勧める」
「で、でも、それじゃあ街のみんなが!!」
「どうせ、他人だろう?」
 男は冷たく言った。
「家族や友人だけなら逃してやれるだろう。それで満足するんだな」
「そ、そんなの――――」
「君がどんなに頑張っても、誰かが犠牲になる。それが君自身や君の知人になるか、赤の他人になるかの違いだけだ。なら、君は君自身を守るべきだろう」
 男は淡々と彼女の取るべき選択を説明する。
 その男の気づかぬ所で大河は拳を握る。
「ウルセェッス!!」
「ほあ!?」
 頬をグーで殴られた。あまりの事に言葉を失う外套の男。
「いいから、みんなを助けられる方法を教えるッス!! ほら、ハリー!! ハリー!!」
「ひ、人の話を聞いていなかったのか? 結局、どちらかが……」
「どっちも犠牲にしない方法を取る!! それ以外は認めないッスよ!!」
「そんな無茶苦茶な道理は通らないぞ、マスター!」
「マスターじゃないッス!!」
 大河は叫ぶように自らの名を口にした。
「わたしには藤村大河っていう、立派な名前があるんス! マスターとかいうこそばゆい名前じゃないッス!!」
 その名を聞いた瞬間、男は顔を歪めた。
 その顔があまりにも哀しそうで、大河は咄嗟に口元を押さえた。
「そ、そんなシュンとしなくても……。いや、わたしも怒って悪かったッス。だから、そんな泣きそうな顔をしなくても……」
「……シ、……いや、アーチャーだ」
「へ?」
「私の事はアーチャーと呼べ」
「お、おう?」
「分かったよ、マスター。君の方針に従おう」
 拍子抜けするくらい素直な言葉。
 呆気に取られる大河。そんな彼女にアーチャーは言った。
「ッフ。君の覚悟を試したんだよ。いいだろう! 全てを救えと言ったな? サーヴァントには相応しいオーダーだ」
 嬉しそうに男は言う。
 大河は完全に置いてけぼりをくらっていた。
「ああ、いいだろう。君の言う通り、全てを救ってやろう。じゃないと、君に認めてもらえないらしいからな」
「えっと……、そこまで怖かったッスか?」
「ああ、怖かった。この世でこんなに恐ろしい事があるのかと思うほどな! まったく、召喚早々サーヴァント虐めとは実に恐ろしいマスターだ」
「い、虐めてなんかいないッスよ!! わ、わたしは優しいマスターッス!!」
 それが二人の出会い。本来、二度と交わる筈の無かった二人の糸が絡み合う。
 まだ、出会わぬ筈の二人。もう、出会わぬ筈の二人。
 彼等の物語が今、はじまる――――……。

第二話「朝食美味いッス!」

 薄暗い地下室でラッパ型スピーカーから有名歌手の歌声の代わりに罅割れた老人の声が響く。懐古主義者が好む骨董品だが、遠くの場所に居る相手との会話を可能とする正真正銘の魔術礼装である。電話の方がコストの面でも、効率の面でも、利便性の面でも優れているのだが、持ち主である遠坂時臣は敢えてこの魔術礼装を愛用している。現代科学の粋を集めた機械を使うなどナンセンス。
【時代が移り変わろうと、魔術師は旧き物、古き伝統を尊ぶべきだ】
 それが彼の主張である。彼の魔術師としての弟子である言峰綺礼には不可解な心理だ。
『――――というわけだ。まさか、大聖杯のある円蔵山地下で召喚を行う者が居るとは……』
「マキリか……、あるいはアインツベルンか。いずれにしても、大聖杯に細工をされた可能性がある以上、捨て置くわけにはいきませんね」
『うむ。時期尚早かと思うが、サーヴァントを召喚し、調査に向かって頂きたい。下手を打てば、聖杯戦争が根幹から崩れ去る可能性もある』
「承知しました。丁度、今宵は綺礼にサーヴァントの召喚を行ってもらう予定でしたから。……しかし、フフッ」
『どうしたのかね?』
 微笑を零す時臣にスピーカーの向こう側で言峰璃正は眉を顰める。
「いえ、不幸中の幸いとでも言いましょうか……。召喚における不安要素が取り除かれた事に安堵しているのですよ」
『不安要素……?』
「ええ、私が用意した聖遺物で召喚出来る《最強の英霊》を単独行動が可能なスキルを保有するアーチャーのクラスで召喚してしまう憂いが無くなった。大聖杯に近づく暴挙は許し難い。だが、その点に関してのみ、感謝しよう」
 時臣は璃正との通話を終え、傍らに佇む綺礼を見つめた。
「さて、聞いての通りだ。早速、召喚の儀式に取り掛かろう」
「かしこまりました」
 
 ◇

 暗闇の中、呻き声をあげる男が一人。彼が無数の陰茎を模した蟲に体を弄られ、人ではないナニカに変えられていく苦痛に耐えていると、急に痛みが晴れた。
「雁夜。些か事情が変わった。お前には何としても勝ってもらわねばならん」
「……ッハ。顔色が随分と悪いな、臓硯」
 挑発的な眼差しを向けると、いつもなら鼻で笑う老獪が苛立ちの篭った表情を浮かべ、杖で雁夜の背中をついた。すると、体内で蟲が暴れ始め、耐え難い激痛が走った。意識を失う事も許されず、脳内麻薬の分泌も抑制され、人間が感じ得る最大級の痛みが駆け巡る。
 数時間にも、数日にも感じられる数秒後、臓硯は雁夜から杖を離した。
「口を開けろ」
 臓硯は雁夜が救いたいと望む少女の胎内で育った数匹の蟲を雁夜の口に捩じ込んだ。
 朦朧とする意識の中、激しい嘔吐感に襲われパニックを起こす雁夜の口を他の蟲に閉じさせる。
「お前の中に桜とのラインを構築した。これで少しはマシなマスターになれるだろう」
 体内の急激な変化に雁夜の意識は闇へ沈む。

 目を覚ました時、そこは同じ場所だった。意識を失う前と異なる点は二つ。一つは無数の蟲が退去し、床に魔法陣が刻まれている事。もう一つは幼い少女がいる事。
「さく、ら……ちゃん?」
 起き上がると、妙に体の調子が良かった。
「これは……」
「言っただろう。お前の中に桜とのラインを構築した。今、お前の中には桜の魔力が循環しておる」
「桜ちゃんの魔力が……?」
 桜はいつもと変わらぬ諦観の表情のまま小さく頷いた。
「これより、お前にはサーヴァントの召喚を行ってもらう。召喚陣と触媒は用意してある。後は呪文を唱えるのみ」
 臓硯は召喚陣の前に雁夜を立たせた。陣の前には台座が置かれ、その上には小さな木片が置かれている。
「あれは?」
「アーサー王伝説は知っているな?」
「一応、一通りの伝承や伝説、逸話には目を通してる」
「ならば、この木片の価値が分かるはずだ。これは件の伝説に登場する円卓の欠片。サーヴァントの召喚システムについては以前渡した資料にある通りだ。触媒を使えば、召喚する英霊を事前に選別する事が出来る。逆に触媒を使わなければ、召喚者の性質と似通った英霊が召喚される。前者のメリットは言わずもがなだが、後者にもそれなりのメリットがある。自らの性質とサーヴァントの性質が近い故に意思の疎通が図りやすい。前者の場合では、性質が合わない場合があり、それ故に内輪揉めを起こし、自滅する可能性もある。そこで、この触媒だ」
 雁夜は妙に饒舌な臓硯に違和感を感じながら、円卓の欠片を見つめる。
「なるほどな……。これなら、両方のメリットを獲得する事が出来るって事か」
「その通り。ソレを触媒にする事で召喚される英霊は当然、円卓の騎士。アーサーにしろ、ランスロットにしろ、ガウェインにしろ、誰が呼び出されても英霊としては一級品よ。加えて、選別の縛りは円卓の騎士のみ故、その一級品の中から召喚者と最も相性の良いサーヴァントが選ばれる。さて、呪文は覚えているな?」
「当然だ」
「ならば、始めよ」
 雁夜は一歩、召喚陣へ近づいた。

 ◇◆

 サーヴァント召喚の儀式は魔術的儀式の中でも比較的簡素なものだ。令呪と召喚陣があれば、後は呪文を唱えるだけで完了する。
 故に成功率を高める方法は限られている。召喚陣を描くインクには魔力を篭めた宝石を溶かした物を使い、呪文には遠坂家の祖の大師父の名を追加する。
 悪足掻きのようなものだが、一世一代の大勝負だ。失敗の要因は可能な限り取り除かなければならない。
「さて、始めるか」
 時臣は綺礼を壁際まで下がらせると、深く息を吸い込んだ。
 予定では、今宵綺礼にアサシンを召喚させ、頃合いを見てから自身もサーヴァントの召喚を行う手筈だった。不届き者の為に順番が狂ってしまった。痛手という程では無いが、不快ではある。
「……いかんな」
 瞼を閉ざし、意識を完全に切り替える。人間としての遠坂時臣は死に、魔術師としての遠坂時臣が息を吹き返す。体内を巡るは酸素に非ず。大気中を漂うマナがその身を通り抜け、オドを生成し、循環する。
 全身の神経にヤスリを掛けるような慣れ親しんだ痛みを受け流し、右手を陣に翳す。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
 吹き始めるエーテルの嵐に負けまいと、時臣は左手を右腕にそえる。
「|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 召喚陣の向こう側には台座に置かれた触媒がある。嘗て、不死の霊薬を飲んだ蛇の抜け殻。それに導かれるは最強の英霊ただ一人。
 喚び出す事が出来れば、その時点で勝利が確定する程の圧倒的な力の持ち主。仮に単独行動のスキルを持つアーチャーで召喚されれば制御に骨が折れた事だろう。だが、その枠が埋まった今、憂う事は何一つ無い。
「――――|Anfang《セット》」

 時を同じくして、遠坂邸から少し離れた場所にある間桐邸の地下でも雁夜が召喚の呪文を唱えていた。
「――――――――告げる」
 背後で蠢く蟲も、生気を感じさせない少女の瞳も、悍ましい気配を漂わせる老獪の視線も、吐き気がするような激痛も全て意識から遠ざける。
 この瞬間、全てが決まる。失敗したら、この一年間が無駄になり、桜を救う事も出来なくなる。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るベに従い、この意、この理に従うならば応えよ!」
 不可視である筈の魔力が目に見える程の濃度に圧縮されていく。
 そこに何かが現れようとしている。来る――――ッ!
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 
 異なる場所で二人の男が同時に最後の一文を謳い上げる。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」
 眩い光が眼球を焼く。物理的な衝撃を伴う魔力の波動と共に、召喚陣の中央から人影が現れた。

 ◇

「サーヴァント・アヴェンジャー。召喚に応じ、参上した」
 降り立った英霊は昏い瞳を雁夜に向けた。基本のラインナップから外れたクラスを口にする。
「アヴェンジャー……?」
「ほう、復讐者のサーヴァントとは」
 雁夜は呆然と己のサーヴァントを見つめた。己と同じ性質を持つ筈のサーヴァント。それが復讐者。その昏い瞳、醜悪なオーラから目を背けたくなる。
 嘘だ。これは何かの間違いだ。そう、癇癪を起こしたくなる。
 清廉潔白な騎士を望んでいたわけじゃない。そこまで、己を誇れる人間だとは考えていない。だけど、ここまで醜悪なのか?
「……お前の名は?」
「ランスロット。湖のランスロットで御座います」
 その名は愛に狂い、王国を滅びへ導いた裏切りの騎士の名前。騎士物語の最大の汚点。
「お前が……、俺か」
「マスター……?」
「……なんでもない。それより、自己紹介をしないとな。俺の名前は間桐雁夜だ。よろしく頼む」

 ◆

「――――聖杯戦争。至宝で酔わせ、英雄同士を殺し合わせる。実に度し難い……そして、素晴らしい」
 黄金の甲冑を身に付けた赤い瞳の男が時臣を見据える。
「名乗れ、召喚者」
 時臣は膝を折り、頭を垂れた。
「遠坂家五代目当主。名を遠坂時臣と申します」
「時臣、面を上げよ。我は英雄の中の英雄。王の中の王。最強の英霊ギルガメッシュである。この瞬間、貴様の勝利は確定した。栄光も、聖杯も貴様にくれてやる。だが、我の目的の邪魔だけはするな」
 目論見通り、最強の英霊を引き当てた。しかも、暴君と名高き最古の王が聖杯を渡すと言った。良い意味で想定外の事に口元が緩みそうになる。
「……目的とは?」 
 確認しなければならない。決して、このサーヴァントの機嫌を損ねてはならない。
「戦いだ」
 ギルガメッシュは口元を歪めて言う。
「この我こそが最強であると証明する」
「……かしこまりました。決して、王の邪魔立ては致しません事を誓います」
「話が分かるヤツだな。さて……、そこの男は何だ?」
 ギルガメッシュは壁際に背を預ける綺礼を睨んだ。
「どうにも好かんな、その顔」
 苛立ちを覗かせる表情を浮かべるギルガメッシュに時臣は慌てた。
「彼は私の愛弟子に御座います。決して、王に無礼は働きません。むしろ、彼にもサーヴァントを召喚させ、王に助力を――――」
「ならん」
 ギルガメッシュは言った。
「その男は気に食わん。それに、貴様は言ったな。邪魔立てはしないと。その男がサーヴァントを召喚し、我に助力だと? それでは我が戦うべき敵が減るではないか」
「……かしこまりました。彼の召喚は取り止めます」
 予想外だ。まさか、敵が減るから召喚を止めろと言われるとは思わなかった。これでは何のために彼を弟子に取り、鍛え上げたのか分からなくなる。
 だが、ギルガメッシュの機嫌を損ねてまで召喚を強行する事は愚策だ。この英霊の前ではあまねく英霊が劣等種に貶められる。それほどの力を持っている。
 マスターに備わる透視能力が彼のステータスを時臣に知らせる。最強の英霊は最優のクラスであるセイバーで召喚され、あらゆるステータスがアベレージを超えている。負ける要因は一つもない。
「全ては御身の為すがまま、思うがままに……」

 ◇◆◇

 それは運命ではない。
 それは偶然ではない。
 一人の少女が巻き起こした嵐に人々は巻き込まれていく。
「アーチャー! この味噌汁美味すぎるッスよ! どうなってるんスか!? わたしの好みにドンピシャッスよ!」
「ははは。喜んで頂けて従者冥利に尽きるよ、タイガ」
 その事に少女自身も気付かない。少女に生前培った技術の粋を集めて朝食を提供しているアーチャーのサーヴァントも気付かない。
 一方は舌に染み渡る美食に酔い痴れ、一方はその笑顔に酔い痴れている。
「アーチャー!」
「なんだ、タイガ?」
「美味しい朝食、ありがとう! ご馳走様!」
「……ああ、お粗末さま」
 幸福な笑顔を浮かべる二人の戦いはもうすぐ始まる。

第三話「出番が来ないッス!」

 その日はたまたま寝付きが良くなかった。いつもなら熟睡している筈の時間に目が覚めてしまった少女は傍らに母の姿が無い事に気付く。
「お母様……?」
 父の姿が無い事は珍しくない。だけど、母はいつでも隣に居た。不安に駆られ、部屋を飛び出す。
 普段、歩き慣れた廊下も夜の暗闇によって昼間と異なる不気味な様相を見せる。
「お母様……。キリツグ……」
 少女は恐怖に怯えた。今にも泣き出してしまいそうな顔でゆっくりと歩き始める。戻って、空っぽの部屋で一人眠る事の方が恐ろしかったから。
 両親の名を飛びながら廊下を歩き続ける。幸い、窓の外から月明かりが差し込み、薄っすらと先を見通す事が出来る。
 歩き慣れた道の途中に両親の姿は無かった。ただ、見知った顔を見つける事が出来た。両親が忙しい時に時折相手をしてくれているメイドだ。
「このような夜更けにどうなさったのですか?」
「お母様が部屋に居ないの! きっと、私に内緒でキリツグと一緒に遊んでいるんだわ!」
 ほっぺを膨らませる少女にメイドは苦笑した。実のところ、彼女は少女と殆ど同い年だ。ただ、彼女はホムンクルスと呼ばれる人造生命体であり、鋳造された時に既に成人の肉体を持たされていただけの事。生まれてから生きる意味や目的を見出す人間とは違い、彼女のようなホムンクルスは初めに己の生をどう使うか決められ、それに沿うように肉体を生成される。
 彼女の生きる目的は少女――――、イリヤスフィールの身の回りの世話をする事。ただ、その為だけに生み出された。彼女はその事に不満を抱いた事など無い。むしろ、自分とは違い、様々な感情を発露するイリヤスフィールの姿に心を満たされてすらいる。
「では、わたくしもお供いたします。恐らく、奥方様は旦那様と御一緒に聖堂にて英霊召喚を行っている筈です。なんでも、予想より早くサーヴァントが揃いつつある為、急遽召喚の日時を早めたのだとか」
「英霊召喚……?」
 メイドはイリヤスフィールの両親が何をしているのか正確に知っていた。ただ、その事を彼女に話してはいけないと誰にも命じられていなかった。
 故にイリヤスフィールが望む答えを口にしてしまった。両親の居場所。両親の為そうとしている事。
「過去の英雄を召喚する儀式でございます。既に三騎士のクラスが埋まってしまって、皆様大慌ての御様子です」
 メイドの話を聞いたイリヤスフィールの顔に浮かぶもの、それは好奇心。英霊召喚という過去に偉業を為した英雄を召喚する大儀式は子供の好奇心を刺激するには十分過ぎる材料だった。
 イリヤスフィールはメイドに聖堂へと案内させる。すると、扉を僅かに開いた先で父が陣を前に片手を突き出していた。
「――――告げる」
 いつもとは違う父の雰囲気。少女は息を呑みながら、父の背中を見つめ、その言葉に耳を傾けた。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 気が付けば、父の真似をしていた。遠くの魔法陣に向けて手を伸ばし、父の発した言葉を繰り返す。
 ただ単に、かっこいいと思ったから真似をしただけだ。それがどのような結果を生み出すかなど考えていない。子供が好奇心に乗せられて父親の真似をしただけに過ぎない。
 その結果――――、
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」
「なんじ、さんだいのことだまをまとうしちてん! よくしのわよりきたれい! てんびんのまもりてよ!」
 拙い言葉で紡がれた呪文は誰にとっても予想外の結末を引き起こした。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは奇跡の存在である。本来、生まれる筈の無い|人工生命体《ホムンクルス》が人間と交わり産んだ究極のホムンクルス。人間でありながら、ホムンクルスとしての側面を持つ、アインツベルン史上最高傑作とされている。
 彼女には特別な力がある。次の【聖杯】として産み落とされ、生まれた瞬間に存在を弄られた彼女には【願望機】としての性質が備わっている。未だ、調整は不十分だが、その性質故に彼女は魔術を行使する際、理論を求めない。ただ、祈りを捧げるだけで魔術を完成させる事が出来る。
 父親の真似事をしながら、彼女は世話係のホムンクルスに聞いた英霊という存在を欲した。
 理由は――――ただ、会いたいから。
 
 生きた魔術回路とまで呼ばれる膨大な魔術回路によって生み出される莫大な魔力と願望機としての性質が合わさり、彼女の好奇心が英霊召喚の儀式を侵食していく。
 既に召喚準備を終え、呪文の詠唱を完了させつつあるマスターに刻まれた刻印が剥がれ落ちていき、代わりに少女の腕に真紅の聖痕が刻まれていった。
 本来ならあり得ないイレギュラー。だが、聖杯戦争において、彼女以上にマスターに相応しい人間など存在しない。例え、大聖杯を穢す悪意が選定条件を歪めようと、彼女が望み、儀式に臨んだ以上、マスターになる資格を最優先で受け取るべきは彼女。
「な、何が起きている!?」
 突然、令呪が消滅した事に慌てふためく父親の姿を無視して、彼女は聖堂内に足を踏み入れる。彼女の視線の先には一人の女が立っていた。
 女もまた、彼女を見つめている。
「サーヴァント・ライダー、アルトリア・ペンドラゴン。召喚に応じ、参上した」
 凛とした表情でライダーはイリヤスフィールに手を伸ばす。
「問おう。貴女が私のマスターか」
 その問いにイリヤスフィールは意識する前に頷いていた。
「そうよ。わたしがあなたを呼んだの!」
 満面の笑みを浮かべるイリヤスフィールにライダーもまた、笑みを零す。
「我が愛馬は雷雲を呑むように駆け、我が剣は万軍を斬り払い、我が槍はあらゆる城壁を打ち破る。貴女の道行きを阻むものは、その悉くを打ち破ろう。ここに契約は完了した」
 その光景を誰も阻む事が出来なかった。吹き荒れる魔力とライダーの発する圧倒的な覇気が口を開きかけた者達の言葉を禁じる。
 契約は完了し、ここに最強の主従が誕生する。
「わたしはイリヤよ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。よろしくね、アルトリア!」
「ええ、よろしくお願いします。妖精のように麗しき我が主よ」

 ◇

 一人の少女が齎した変化は止まらない。蝶の羽ばたきがやがて竜巻を起こすように、人々は嵐の中へ呑まれていく。
 冬木市郊外にある森の中で鶏を絞め殺している少年もその一人。彼もこれから英霊召喚を行う腹積もりだ。
 必死になって書き上げた論文を一笑に付した教師を見返す為、彼は偶然手に入れた聖遺物を手に日本までやって来た。
 資料片手に鶏の血で召喚陣を描いている。
「完成っと!」
 ウェイバー・ベルベットは会心の笑みを浮かべて完成した召喚陣を見下ろした。
 上出来だ。形に歪みは無く、綴りにミスもない。後は呪文を唱えるだけでいい。
 既に五体のサーヴァントが召喚されている事も知らず、残されているクラスがキャスターやアサシン、バーサーカーという一癖も二癖もあるものばかりという事も知らず、喜んでいる。
 魔力を循環させ、意を決して呪文を唱え始める。
「|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 もしも、彼が触媒も持たずに召喚を行っていたら、バーサーカーを召喚してしまい、魔力が枯渇して何も為せぬまま死んでいたかもしれない。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 もしかしたら、冷酷な魔術師を召喚してしまい、無惨な末路を辿ったかもしれない。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 運良く、誠実な魔術師や暗殺者を召喚出来たとしても、血の浅い未熟者には未熟なサーヴァントが選ばれていた事だろう。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ」
 彼は運が良かった。
「天秤の守り手よ――――!」
 エーテルが渦を巻き、その中央に一人の少年が姿を現す。
 彼が偶然手に入れた聖遺物。それは偉大なる王の衣服の切れ端。
 その英霊には魔術師の適正も、暗殺者の適正も、狂戦士の適正さえ無かった。
 何故なら、彼は王。民を束ね、威風堂々と君臨する者。彼にそれらの適正など必要無かった。
「――――君が僕を喚び出した人?」
 ウェイバーはサーヴァントと向き合った時、言おうと思っていたセリフが幾つもあった。
 それが全て消し飛んだ。
 召喚された英霊のあまりの美貌に圧倒されたのだ。
「そ、そうです」
 バカ面下げて、そんな返答しか出来なかった。
「ハハッ。そんなに緊張しないでよ。僕はアレキサンダー。アレクサンドロス3世でもいいよ。勿論、他の名前でも構わない。クラスは|征服者《コンカラー》……、どうやらラインナップからは外れたクラスみたいだ」
 魅惑的な微笑みを浮かべ、ウェイバーの手を握り締める。
「よろしくね、マスター」
「よ、よろしくお願いします」
 その声はまるで鈴の音のように甘く響く。ウェイバーは顔を真っ赤にして、何度も頷いた。
「ところで、一つお願いがあるんだけど」
「な、なに?」
 コンカラーは言った。
「イリアス、どこかにない? どうしても読みたいんだ」
「それなら多分、図書館にでも行けば……」
「なら行こう! よし行こう! すぐに行こう!」
「え、って、まだ夜だぞ!?」
「イリアスが僕を待っている!」
 ウェイバーの手を引っ張り、コンカラーは走り出す。目的地も知らず、ただただ真っ直ぐ走り続ける。
 その先に何が待ち受けているかも考えず、万人を魅了する微笑みを浮かべながら――――。

第四話「正義の味方ッス!」

 アーチャーが現世に召喚されてから早一週間。街はいたって平和だ。まだ、サーヴァントが出揃っていないのだろう。
 今の彼には魔力を補給する手段が無い。霊体化して、魔力の消費を極力抑えるようにしているが、元の器が他の英霊達と比べて小さい為、大規模な戦闘を二回もこなせばストックが底をついてしまう。
 故に取れる手段は限られている。情報を集め、必殺の瞬間を待ち、全ての敵を一撃で仕留める。それしかない。
《彼女もこんな気分だったのかな》
 生前、彼は今と違う立場で聖杯戦争に挑んだ事がある。その頃は魔術師として、未熟者どころか素人に毛が生えた程度のものだった。ひょんな事からマスターになってしまい、召喚したサーヴァントはセイバー。見目麗しい少女だったが、その正体は伝承に名高き騎士の王、アーサー・ペンドラゴン。彼女も彼と同じようにマスターからの魔力供給を受ける事が出来ないまま戦いに身を投じた。
 彼女の苦労が今になって痛い程よく分かる。
《いや、オレは恵まれている方だな。少なくとも、藤ねえは自分から死にに行ったりはしないし……》
 思い付きで山篭りをしたり、いきなり大聖杯をぶっ壊そうと宣ったり、猪突猛進かと思いきや、藤村大河は現状を意外な程冷静に受け止めていた。間桐臓硯にても足も出なかった事をキチンと認め、同じような超常の力を持つ相手に無策で飛び込む事は無謀でしかないと納得している。
 若き日の彼とは大違いだ。彼も危険な事だと理解はしていた。けれど、納得は出来なかった。自分から危地へ飛び込んだ事も一度や二度じゃない。その時のセイバーの心情を思うと頭を抱えたくなる。
《……そう言えば、この辺を一緒に歩いたな》
 過去の記憶は守護者として過ごした長い年月の間に摩耗してしまった。それでも、意外と覚えている事も多い。
 多くの人に助けてもらった癖に、殆どの人の顔に靄がかかっている。そんな人でなしでも、|義父《きりつぐ》の事やセイバーの事、|義姉《イリヤ》の事、|後輩《さくら》の事、そして、藤ねえの事だけは鮮明に思い出せる。
 彼はここで生まれ、ここで育った。高校卒業後は一度も戻る事の無かった故郷。ふとしたきっかけでついつい感慨に耽ってしまう。
《いかんな。切り替えねば……》
 切り捨てた過去に縋る事など許されない。それに、今は為すべき事に集中しなければいけない。
 思い浮かべるのは主たる少女の顔。彼女に不幸な顔など似合わない。いつも幸せな笑顔を浮かべていて欲しい。その為にも思い出に浸ったり、後悔している暇などない。
《……しかし、妙だな》
 聖杯戦争の開幕を待たずして、間桐臓硯の手の者が襲い掛かって来る事を懸念していたのだが、襲撃のないまま今に至る。
 マスターの実家は冬木市に根を張る極道組織。その影響力を警戒しているのかもしれない。
《雷画の爺さんは変わらないな》
 山から降りた直後の事を思い出して、思わず笑ってしまった。

 ◇

 大聖杯の眠る洞窟を後にして、山から降りた大河とアーチャーは真っ直ぐに藤村邸へ向かった。
 隣接する武家屋敷が未だもぬけの殻である事に安堵しつつ中に入ると、いきなり怒声を浴びせられた。
 いきなり山篭りをすると言って飛び出したおバカな孫娘に藤村雷画はまる一日掛けて説教をした。終わった頃には隣で霊体のまま聞いていたアーチャー共々グッタリとしてしまい、肝心な事を話せないまま一夜が過ぎた。
 翌日になって、大河が雷画を含む、藤村組の幹部を招集した。また、突飛な事を言い出すのではないかと身構えていた強面の男達に大河は山で起きた事を説明した。
「……とうとう、黄色い救急車を呼ぶ日が来たか」
 沈痛な面持ちで雷画は言った。
「ちょっと!?」
「冗談だ」
 フシャーと立ち上がる大河に雷画は笑い掛けた。
「それより、アーチャーとやら。居るなら顔を見せろ。それが礼儀だろう?」
 普通なら信じない与太話。それを雷画は当たり前のように受け入れた。他の幹部達の中には半信半疑だったり、懐疑的な目を向ける者もいるが、あからさまに嘘と決めつける者もいない。
 アーチャーは少しだけ迷った。彼らに真実を告げる事は大河が決めた事。アーチャーにしてみれば、一般人である彼らに魔術や神秘について教える事はいらぬ危険を招く可能性もあり、気が進まない。ここで姿を見せなければ大河の一人芝居という事で決着する筈だ。
「アーチャー」
 大河はまっすぐにアーチャーを見つめた。その揺らぎのない瞳を見て、アーチャーは降参だとばかりに霊体化を解いた。
 殆どの者が驚いたり、戸惑ったりしている中で、数人の幹部と雷画は顔色一つ変えずにアーチャーを見た。
「……失礼した。あまり、私の存在や魔術について、一般の者に説明する事は――――」
「バカモン!!」
 雷が落ちた。目を白黒させるアーチャーに雷画は言った。
「そんな事より先にする事があるだろう。俺の名前は藤村雷画。大河の祖父で、藤村組の組長をしている」
「あ、ああ。私はアーチャー。マスター……、タイガのサーヴァントだ」
 一気に幼い日へ立ち戻ったような気分。雷画は多少の事なら目を瞑るが、筋の通らない事をした時は本気で怒る。
「アーチャー……か、そいつは本名か?」
 アーチャーは顔を顰めた。
「違います。ただ、サーヴァントは基本的に――――」
「事情があるなら、事情があるの一言でいい! 言い訳をしようとするな!」
「……は、はい」
 理不尽過ぎる物言いなのに、反論する事が出来ない。
 幼き日に刻み込まれたトラウマが今尚彼に対して反抗的態度を取らせてくれない。取るつもりもないが……。
「……ふん、随分と素直だな。いい年した大人がそんなんでどうする!!」
「えぇ……」
 どうしろと言うんだ……。
「まあいい。それより、さっきの大河の話は本当なんだな?」
「え、ええ。全て、彼女の語った通りです」
「そうか……」
 突然、雷画が立ち上がった。他の幹部達も一斉に立ち上がり、アーチャーを取り囲む。
 不穏な空気を感じ、大河が口を開こうとした瞬間、彼らは一斉に頭を下げた。
「感謝するぞ、アーチャー。よくぞ、我が孫娘を救ってくれた」
「……ぁ」
 大河は口をぽかんと開けたまま凍りついた。
「出来の悪い孫だが、それでも俺にとっては命より大切な宝だ。よくぞ……、よくぞッ!」
「あ、頭を上げてくれ。私を召喚したのは彼女だ。彼女は自らの力で窮地を乗り切っただけの事。私は従者として当然の事をしただけなんだ。だから――――」
「……すまん」
 顔を上げると、雷画は幹部達に幾つかの命令を下して追い出した。どうやら、アーチャーの為に食事の席を設けるつもりのようだ。
 断るのも失礼だと感じ、アーチャーは素直に受け入れた。
 
 ◆

 あの後、雷画はアーチャーに聖杯戦争の事を詳しく聞いてきた。
 魔術協会や聖堂教会の事にも触れ、決して軽はずみな真似をしないようにと言い含めておいたが、要らぬ世話だった。彼らも聖杯戦争そのものをどうにか出来るとは考えなかった。代わりに有事の際、民間人を避難させる為の段取りを組み始めた。魔術的な事は分からないにしても、長年街に根を張り続けてきた藤村組には街の人々からの信頼という魔術協会にも、聖堂教会にも無い強みがある。それを活かして、精一杯出来る事をしようとしている。
《彼らの為にも……なんて、青臭い事を考えているな》
 全てに絶望した。この世に真の平和などなく、万人を救う奇跡などない事を知った。それでも突き進んだ果てに信念すら歪めた。
 それでも、目の前に燦々と輝く太陽の光を曇らせたくないと思ってしまった。
 彼女の前でだけは、惨めな姿を晒したくない。だから、この泡沫の如き儚い夢の間だけは若き日の理想に立ち返ろう。
 正義の味方を名乗ろう。
《――――ッ。どうやら、動き出したみたいだな》
 少し離れた場所からあけすけなまでの殺気が放たれた。どうやら、無差別に挑発行為を行っているらしい。
 アーチャーは口元を歪めた。
《さて、存分に手の内を見せてもらうぞ》
 誰が相手だろうと容赦はしない。彼女の期待に応えるべく、無関係な人々に犠牲が及ばぬよう、あらゆる手段を使い、|お前達《サーヴァント》を殺し尽くす。
 |正義の味方《ひとごろし》らしく――――。

第五話「街の人達に大迷惑ッス!」

 市街地から少し離れた港の倉庫街。そこに一人の男が立っている。朱と黄の槍を握り、彼は待ち人の来訪を今や遅しと待っている。
 張り詰めた空気の中、一迅の風が吹く。彼の無差別な挑発行為に乗った英雄の一人が颯爽と現れた。
 浮かべる表情は共に――――、笑顔。
「待ちかねたぞ。どいつもこいつも穴熊を決め込む臆病者ばかりかと不安になっていたところだ」
 |槍の英霊《ランサー》は高揚する心を宥め、眼前に現れた|全身鎧《フルプレート》の騎士に熱い眼差しを向ける。
 軽装の彼と比べて、物々しい程の重武装。策を弄するタイプではなく、明らかに【戦う者】。
「得物を取れ! その間くらいは待ってやる!」
 既に臨戦状態。一足で互いの懐に飛び込める距離。それでいて、全身鎧の騎士は無手のまま。
 主人からは《今の内に攻撃せよ》という命令が下されているが、それは騎士道に反する行い。
 誇り高き騎士の決闘は正々堂々と行われるべきだ。
「――――戯け」
 一拍を置いた後、全身鎧の騎士は無手のままでランサーの懐に飛び込んだ。
 驚きは一瞬。意識するより早く、左手に握る槍を頭上に掲げる。そこに見えない何かがぶつかった。
 ランサーは理解した。なんという勘違い。敵は既に得物を取り、万全の態勢を整えていた。
 咄嗟に右手の槍を振りかぶるが、突き出す前に腹を蹴られた。まるで大砲が直撃したかのような衝撃と共にランサーの体が吹き飛ぶ。
 槍を地面に突き刺して制動を図るが、気付けば三百メートルも飛ばされていた。
「奴は――――ッ」
 敵の位置を見失った。気配を探ろうと集中すると、真横のコンテナが吹き飛び、その向こう側から漆黒の馬が飛び出して来た。
 明らかに普通の馬ではない。夥しい魔力を纏い、疾走して来る魔馬にランサーは構える。その背後から全身鎧の騎士が音もなく忍び寄った。
 気付いた時、既に対応出来る距離ではなく、見えない刃がランサーの背中を抉った。同時に眼前の魔馬がランサーを踏みつける。
『BAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOッ!!!』
 その馬に騎乗し、全身鎧の騎士は突如現れた“別の”黒馬の突進を回避した。
 騎乗しているのは赤い髪の美少年。その後ろに涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている別の少年を乗せ、不敵な笑みを浮かべている。
「ほらほら、マスター。振り落とされたら死んじゃうよ? もっとしっかり捕まって!」
「む、無茶苦茶だ!! お前は無茶苦茶だ!!」
「無茶苦茶上等!! それでこそ、人生は華やくのさ!!」
 相方に容赦せず、愛馬の横腹を蹴る。
「AAAAAAAALaLaLaLaLaLaLaLaLaLaie!」
 二頭の馬が倉庫街を疾走する。その速さはまさに疾風迅雷。互いに距離を取り、走っているだけで大地が形を変えていく。
 コンテナは空中分解を起こし、コンクリートは粉砕していく。ものの数分で瓦礫の山と化した倉庫街から二騎の英霊は飛び出し、海上へと躍り出る。
 一方は迅雷を纏い、一方は疾風を纏う。水の上を平然と闊歩し、遮蔽物が無くなった事で遂に激突する。
 衝突の衝撃は凄まじく、海はまるで嵐のど真ん中の如く荒れ狂う。
 二度目、三度目の激突の余波で高波が生まれ、冬木の街を呑み込もうとする。
「お、おい、街が!!」
 赤き髪の少年の主が悲鳴を上げると、まるで示し合わせたかのように二騎は波の反対側へ回り込み、その波に向かって駆け出した。
「おいおいおいおいおいおいおいおい!?」
 高波を蹂躙し、尚も疾走する二頭の魔馬。
「陸地の近くで戦い続けるのはまずいみたいだね」
 そう言って、更に沖を目指していく。
 
 ――――瞬間、天上から黄金の光が降り注いだ。
「な、な、な、なんだ!?」
 それを見て、英雄達も目を見開く。降り注ぐ無数の光。それは全て宝具の輝きだった。
 天を見上げると、そこに天空を闊歩する騎士の姿があった。
 黄金の鎧を身に纏い、黄金の双剣を握り、黄金の光を背負う黄金の英霊が彼らを見下している。
「小手調べだ。この試練、乗り越えてみせよ」
 その言葉は雷霆と暴風が吹き荒れる中でも不思議と響き、彼らの耳に届いた。
 そして、始まる。一つ一つが最高位の英霊すら一撃で沈黙させる程の膨大な力を持つ宝具。それが雨霰となって降り注ぐ。
 彼らの馬は天空をも翔け抜ける事が出来る。だが、そのあまりの弾幕の厚さに空への退避を許されない。針の穴を抜けるような精密な動きで二頭は死の嵐の中を駆け抜ける。
 些細なミスが即座に存在の消滅と結び付く。だと言うのに、彼らのスピードは些かも落ちない。音速を遥かに超えた超スピードで走り続ける。
 そして、彼らは気付く。
「……誘導されてるね」
 後ろで悲鳴を上げ続けている哀れな主を気にも留めず、赤毛の少年は呟いた。
 数秒後、唐突に死の豪雨が止んだ時、彼らは共に元の倉庫街へ戻って来ていた。
 そこには全身鎧の騎士によって仕留められたかと思われていたランサーの姿もある。どうやら、致命傷を避けていたようだ。
 彼らは皆、一様に天を見上げている。この場において、他の誰よりも警戒しなければいけない相手。無数の宝具を雨のように降らせた黄金の英霊の一挙一動を警戒している。
「――――ッフ」
 空中に当たり前の顔をして立つ黄金の騎士は三騎の英霊を見下ろし、満悦の笑みを浮かべた。
「この戦い自体は良い。実に良い趣向だ!」
 彼は一人一人を見定めるように見つめる。
「一つの至宝を巡り、誉れ高き英雄同士が覇を競い合うとは……、実に素晴らしい! 何故、生前に思いつく事が出来なかったのかと悔しく思う程だ。我は今、嘗て無い喜びに感動している!」
 まるで少年のような笑みを浮かべ、彼は言った。
「古今東西、あらゆる時代、あらゆる国、あらゆる戦場から招かれし英雄達よ!! 出会わぬ筈の者同士が出会い、交わる筈の無かった剣戟を交わす事が出来るこの戦いはまさしく【奇跡】。戦おう。精根尽き果てるまで、己の全てを出し尽くして、戦おうではないか!!」
 喜悦に表情を歪めながら、彼は双剣の柄同士をくっつけた。すると、双剣は形状を歪め、一張の弓に変わった。
「だが、臆病者や策を弄する事しか出来ない雑魚には用がない。故、期限を設ける」
 光の矢を番える彼に地上のサーヴァント達は一斉に構えるが、矢の先を向けられた先は彼らのいる場所ではなく、冬木市の中心にある大橋だった。
「これは試練だ。この宝具は七日の後に街ごと貴様等を呑み込む。如何なる宝具、如何なる魔術を使っても、抗う事は出来ない」
 それが事実だと、彼を見たマスター達は確信した。マスターに与えられるステータス看破の魔眼が教えてくるのだ。彼の弓が評価規格外という超弩級の宝具であると。
「この街や無碍なる民を守りたければ、聖杯で望みを叶えたければ、死にたくなければ挑むがいい。そして……、死ね」
 静寂が満ちる。
 誰も口を開かない。征服者も、その主も、二槍の騎士も、遠くから見ている弓兵や復讐者も言葉を失っている。
 七日以内にこの英霊を殺さなければ、街ごと全てが消えてなくなる。あの無数の宝具や評価規格外というランクを見て、それが単なる偽りだと思う者はいない。
 挑まなければ死ぬ。だが、挑んだとしても――――、
「そうか、ならば貴様から倒すとしよう」
 誰もが思った。この英霊と戦う事は一筋縄ではいかないと。
 だが、その英雄は二の足を踏む他の英霊達を尻目に馬から降りると空を見上げた。
 そして――――、
「……ほう、大した気骨だ」
 空に浮かぶ黄金の騎士に斬りかかった。
 そのまま、二騎の英霊は刃を交えたまま、倉庫街の外れまで飛んで行く。
 高速機動が出来ない飛行宝具を停止し、黄金の英霊は微笑みを浮かべる。
「ライダー……いや、騎士王よ。いつまでも無粋な仮面など付けるな。我を殺したければ、死力を尽くせ」
「抜かしたな、セイバー!!」
 ライダーの仮面が割れ、その美貌を露わにした。獣の如く殺意を燃やし、不可視の剣を振り上げる。
「……まだ、軽い!!」
 一撃で大地を引き裂くライダーの一撃を双剣の片割れで受けて尚、セイバーは不敵な笑みを崩さない。
「そうか! ならば、重くしてやろう!」
 魔力放出のスキルによって、ライダーの剣が一気に圧力を増した。片方だけでは受け切れず、セイバーはもう片方の剣を交差させる。
「嬉しいぞ、ライダー! よくぞ、この戦いに参戦してくれた!」
 セイバーはライダーの剣を巧みに受け流すと、そのまま彼女の首を狙う。
 咄嗟に体ごと捻り回避するライダー。そこへセイバーの膝蹴りが飛ぶ。それを予期していたかの如く、ライダーは不可視の剣で防ぐ。
「これはどうだ?」
 セイバーの背後に揺らぎが生じる。黄金に輝く水面から、複数の宝具が顔を出し、ライダー目掛けて飛来する。
「無数の宝具……いや、それは蔵か?」
 至近距離から音速を超えて飛んでくるAランクオーバーの宝具の嵐を捌きながら、ライダーは目を細める。
「御名答。これは世界がまだ一つだった時代、我が集めた至宝を収めた蔵よ」
「……なるほど。では、御身は――――」
 戦場を徐々に市街地へ近づけながら、二騎の激突は激しさを増していく。
「我は人類最古の英雄王、ギルガメッシュである!!」
 遂に新都の繁華街へ到達してしまった二騎。
 深夜とはいえ、会社で残業しているサラリーマンや24時間営業のコンビニで働くバイト、ビルの軒下で鼾を掻いていた浮浪者はその空前絶後の光景を目の当たりにする。
 地面はおろか、ビルの壁や街灯すら足場に使い、縦横無尽に駆け回る|人外《ばけもの》同士の殺し合いは幸か不幸か無人だったビルを三棟崩壊させても止まらない。
「ライダー!!!」
「セイバー!!!」
 殺意は極限まで膨れ上がり、互いの目には相手の事しか見えなくなった。

 ――――その瞬間を|狙撃手《スナイパー》は見逃さなかった。
 彼らの位置から数キロ離れた所でアーチャーのサーヴァントは一節の呪文を唱える。
「――――|I am《我が》 |the bone《骨子は》 of |my sword《捻れ狂う》.」
 手の内に生み出される螺旋の刃を持つ剣が細く、細く、歪んでいく。
 一本の矢の如く圧縮された剣を弦に番え、アーチャーはその真名を口にした。
「|偽・螺旋剣《カラドボルグⅡ》――――ッ」
 空間を捩じ切りながら矢はセイバーとライダーの戦場へ向かう。
 だが、飛来する宝具に対して、どちらの英霊も危機感を感じさせる表情を浮かべていない。
「不快な真似を……」
 その宝具をライダーが叩き落とそうとする寸前、セイバーが押し留めた。
「待て、騎士王」
 セイバーが矢に向けて手を伸ばすと、その先に七枚の花弁が広がった。
 トロイア戦争の折、大英雄の投擲を防いだ最強の守り。その原典の前に螺旋の矢は動きを止める。その瞬間、光が迸り、花弁を大きく軋ませた。
 宝具に内包されている神秘を一気に放出させるサーヴァントの奥の手。アーチャーが必殺を目論んだ一撃はセイバーの|花弁《たて》を二枚散らせただけで終わった。
「――――ふん、くだらん真似を」
 既に姿を眩ませたアーチャーに一切の関心を持たず、セイバーはライダーを見つめる。
「興が削がれてしまったな」
 残念そうに呟き、セイバーは双剣を背中の鞘に戻した。
 だが、ライダーは動かない。一見隙だらけに見えるが、油断して襲いかかれば一瞬で勝負が決する。そう、彼女の直感が囁き続けているからだ。
「今宵は楽しかったぞ、騎士王。また、相見える時を楽しみにしている」
 そう言って、セイバーは姿を消した。霊体化したわけではなく、完全に存在を眩ませた。
「……七日後か」
 セイバーが宣言した超弩級宝具の発動期限、それは彼女にとっても意味のある数字だった。
「その時は我が宝具の真髄を披露してやろう」
 彼女が召喚されて六日。七日後には十三日間が経過する。その時こそ、彼女の最強の切り札が覚醒する。

第六話「遠坂さんの家も大変そうッス!」

 通信用の魔術礼装から響く言峰璃正からの苦言を遠坂時臣は沈痛な面持ちで聞いていた。
 発端は昨夜のサーヴァント戦。ランサーによる無差別な挑発行為から始まった一連の戦いは倉庫街のみならず、新都の繁華街やビル郡にも多大な被害を与えた。
 目撃者の数も多く、戦闘終了と共に聖堂教会と魔術協会が揃って隠蔽活動に奔走する事になった。
『――――港の倉庫街が全壊した事で、貿易会社はもちろん、小売業者や物流業者にも多大な損害が出た。それに、ビル三棟が崩壊した事で幾つかの大企業が独自に調査隊を送り込もうとしている。警察組織や自衛隊まで動き始めている始末だ』
 どちらの組織も国の中枢深くに根を張っている。それでも、隠蔽が儘ならない程の被害が出てしまった。
 その大部分の責任が時臣の召喚したサーヴァントに起因する。倉庫街はともかく、新都に被害を齎したのは他でもないセイバーだ。
『時臣君。これ以上は庇い切れん』
 父の代から親しくしている恩人の言葉を時臣は重く受け止めた。
 かの王の不興を買わぬ為に臣下の礼を示し、行動を縛る真似は一切しなかった。その結果がこのザマだ。
 セイバーの力があれば、勝利は揺るがない。だが、魔術師として最低限守らなければならないルールを破る事は遠坂家の沽券にも関わる。
「……申し訳ありません。サーヴァントにはキツく言い含めておきますので」
『頼むぞ。この手で君を罰したくはない』
「お心添え、感謝致します」
 通信を終え、時臣は眉間に皺を寄せながら令呪に視線を落とした。
 三度に限り、サーヴァントに対して如何なる命令でも従わせる事が出来る絶対命令権。
 これを使い、セイバーに戒めの鎖を付与する。恐らく、彼も反抗するだろうが、結局はサーヴァントだ。令呪には逆らえないし、マスターを失う事の危険性は熟知している筈。安易に裏切るような真似はしないだろう。
「――――ほう、令呪を使う気か」
 時臣は目を見開いた。
 いったい、いつからそこに居たのか分からない。セイバーは部屋の壁に背を預け、愉しげな笑みを浮かべていた。
「遠慮する必要はない。使うがいい」
「……英雄王」
 自害すら強要出来る令呪の発動はサーヴァントにとって不快な事である筈。にも関わらず、彼の表情には余裕がある。
 時臣はゴクリと唾を飲み込むと、励起状態の令呪を鎮めた。
「なんだ、使わないのか?」
 時臣は静かに頭を下げた。
「御無礼を働いた事、伏してお詫び申し上げます」
 その言葉にセイバーは鼻を鳴らした。
「つまらん。お前は実につまらない男だ。確かに、我に令呪など効かん。三つ全てを使い潰したところで指一本の自由すら奪えん。だが、そのくらいの気骨を見せて欲しかった」
「申し訳ありません」
「責めてはいないぞ、時臣。ただ、つまらん。そう言っただけだ」
 セイバーは時臣から視線を外すと、わざわざ扉を開けて出て行った。
 去り際に、
「お前の意を汲んで、暫しの間は大人しくしておいてやる」
 そう言い残して……。
 時臣は不思議と空虚な気分に陥っていた。まるで、父親に見放された子供のような心境になり、体が震えた。
「……私は」
 
 ◇

 一週間前――――。
 セイバーを召喚した翌日、時臣は彼に頭を下げた。
「どうか、御身の力をお貸し頂きたい」
 大聖杯の下で行われた英霊召喚。その調査を行う為にはサーヴァントの対策が不可欠であり、サーヴァントに対抗する為にはサーヴァントの力が必要だった。
 機嫌を損ねないよう、慎重に言葉を選びながら調査への協力を要請すると、セイバーはあっけなく引き受けてくれた。
「大聖杯……。この戦いのシステムの根幹には我も興味がある。それに召喚者の頼み事とあっては無碍にも出来ぬ。何処へなりとも連れて行くが良い。貴様の身の安全は我が保証しよう」
 その頼もしい言葉の通り、セイバーは大聖杯へ向かう道中、片時も時臣の傍を離れず周囲を警戒した。思いがけず好意的な態度に時臣は内心で驚きつつも嬉しく思った。
 サーヴァントを使役する上で一番警戒しなければいけない事は裏切りだ。過去、三度の戦いの中でも自身のサーヴァントに反逆され殺されたマスターがいた。
 人類最古の王という主人への忠誠心から最も縁遠い存在を召喚すると決めた時点で信頼関係を築く事など不可能だと考えていた。
 故にこれは嬉しい誤算というものだ。
「随分と面倒な場所にあるのだな……」
 山道から外れ、獣道を進む最中、セイバーはぶつくさと文句を言い始めた。
「申し訳ありません。今、道を開きますので……」
「構わん。それよりも蟲共が騒がしいな」
 そう呟くと、彼の背後に黄金の波紋が生じた。そこから一本の剣が姿を見せる。
「穢らわしい」
 剣を振ると、どこからか罅割れた悲鳴が轟いた。
 刀身に極大の呪詛を纏う剣は蟲共の主が伸ばす触手を断ち、そのラインを辿って侵食していき群体に死を振りまいた。
「……マキリの老獪か」
「さっさと行くぞ」
 数百年を生きた妖怪を事も無げに殺したセイバーは足を止める時臣に声を掛けた。
「……ええ、参りましょう」
 地下に降りると、その生暖かい空気にセイバーは顔を顰め、二人分の清浄な空気の泡を創り出した。
 水中や宇宙空間でさえ快適に過ごす事を可能とする宝具に感嘆の声を上げる時臣。
 長い道のりの中、セイバーは時臣の反応を楽しむ為に様々な宝具を展開した。
 堅物を飛び上がる程驚かせたり、真っ青になる程怖がらせたり、面白い反応を引き出す為に湯水の如く宝具を使った。
 おかげで洞窟内はサーヴァントですら迂闊に立ち入る事の出来ない異界が出来上がってしまった。
「……え、英雄王。帰り道は大丈夫なのですか……?」
 背後には無数の眼球や触手が蠢いている。その向こう側には最高級の宝石で作られた彫刻や落ちたら二度と這い上がれない大迷宮への入り口だとか、とんでもない物がゴロゴロと転がっている。
「案ずるな。帰りはもっと面白い事をしてやる」
「……か、感謝致します」
 明らかに浮かない顔をする時臣を見て、セイバーは実に楽しそうな笑みを浮かべた。
「さて、そろそろ見えてくる頃合いか?」
「ええ、その筈ですが……ッ」
 唐突に空間が広がり、その先に聳え立つ黒い光の柱を見て、時臣は言葉を失った。
 禍々しい呪いの渦。清廉である筈の大聖杯が異常をきたしていた。
「……こ、これは」
 真っ先に思い浮かべたのはここで英霊召喚を行った何者かの事。
「一体、何を……」
 その隣でセイバーは舌を打った。
「度し難い……」
 セイバーは蔵から幾つかの宝具を取り出した。
「ど、どうされるおつもりですか?」
「知れたこと。折角の血沸き肉踊る戦いの舞台に無粋な要素など要らぬ」
 セイバーの目は大聖杯に起きている現象の正体を完璧に看破していた。
「まさか、破壊するつもりですか!?」
「戯け、それでは折角の戦いが始まる前に終わってしまうではないか。そうではない。それに、このままではお前の願いも叶わぬだろう」
 そう言って、セイバーは次々に宝具を展開した。
「コレの中では紛い物とはいえ、魔王が胎動している。それが聖杯を穢しているものの正体だ」
「魔王……?」
「|この世全ての悪《アンリ・マユ》だ」
「……それはゾロアスター教の?」
「その紛い物だ。だが、紛い物なりに本物になろうとした結果、人類数十億を殺す呪いの塊に変化したようだ。まったく、人間という輩はいつの時代も変わらんな。見たくないモノからは目を背け、背負いたくないモノは他者に押し付ける。どこまでも我侭な生き物よ」
 蔑むようにセイバーは暗黒の柱の先を見つめる。
「その果てがコレだ。哀れなものよ。そうあれと望まれ、成った後は疎まれる」
 暗黒の柱の中でナニカが悲鳴をあげた。
「この|聖杯戦争《きせき》に感謝する事だな、アンリ・マユよ。貴様の前には|王《オレ》がいる。我が|人類の欲望《キサマ》を律してやる」 
 世界がまだ、一つだった時代。神々は人間という種を律する為の|装置《おう》を|創り《うみ》出した。
 人は弱い。自らの欲望さえ支配する事が出来ず、ふとした切っ掛けで同族すら殺す。
 自己の幸福を願いながら、他者に不幸を押し付ける。
 だから、彼は君臨したのだ。人類最古の王として――――。
「眠るがいい、悪性を望まれた者よ。この我が許す」
 暗黒の柱に黄金の光が広がっていく。禍々しさは神聖な輝きによって払拭され、洞窟内を清浄な空気が満たす。
 本来の機能を取り戻した聖杯を前に時臣は立ち尽くした。
 聖杯に干渉する事など、現代の魔術師には不可能な芸当だ。それを事も無げに……。

 ◆

 彼は律する側の者だ。令呪が効かぬ事など想定の内。
 それでも時臣にはソレしかなかった。縋っていた。
 何もしなくても勝利が転がり込んでくる。それを見越して英雄王を召喚した筈なのに、まるで激流の中を流され続けているような現状に虚脱感を覚えている。
 長年の研鑽も、代々伝わる魔術も、定石を踏まえて練った作戦すら必要とされない。
 偉大なる王に必要とされない。挙句、つまらないと失望された。
 まるで、子供が憧れのヒーローから侮蔑の視線を向けられたかのように時臣の心は苛まされた。

 人は光を求めずには要られない。|一度《ひとたび》英雄王の輝きに目を奪われた者は逃れる事など出来ない。
「――――私はッ」
 時臣は扉を開いた。廊下の向こうに王の背中が見える。彼は立ち止まり、時臣の言葉を待った。
「セイバー!!」
「なんだ?」
「この戦いは私の戦いだ」
「それで?」
「これ以上、勝手な真似は許さない。戦いたいと言うのなら、戦いの場は私が用意する!」
「……そうか」
 セイバーは振り向いた。そこにさっきまでの失望の色はない。
 ただ、満足気な笑みを浮かべていた。
「ならば、期待しているぞ。我に相応しい決戦の舞台を用意せよ」
 そう言って、姿を晦ますセイバーに時臣は言った。
「おまかせを……」

第七話「間桐さんの家はもっと大変な事になってたッス!」

 血に塗れた男が歩いている。背中には男と少女。血は彼らのものだ。
 数十分程前、突然二人の身に異変が起きた。体全体に奇妙なへこみが生まれ、夥しい量の血を吐いた。
「……私には手に負えぬ」
 間桐雁夜と間桐桜の体内には間桐臓硯の眷属である蟲が入り込み、肉体と同化していた。その蟲が一斉に消滅したのだ。湖の乙女に魔術の手解きを受け、多少の心得はあるものの、ここまで肉体が欠損していては手の施しようがない。おまけにマスターである雁夜の魔術回路は完全に機能を失っていて、彼への魔力供給も止まっている。このままではいずれ消滅するだろう。そうなれば、二人の命が尽きてしまう。未だに命を繋ぎ留めていられるのも彼が常に治癒魔術をかけ続けているからだ。時間がない。彼に出来る事は一つだった。
 新都の高台に位置する教会の前で彼は二人を降ろす。
 しばらく待つと、中から初老の男性が顔を出した。
「――――よもや、サーヴァントがここを訪れるとはな」
 深いシワの刻まれた顔を強張らせながら、言峰璃正は地面に転がる二人を見た。
「彼らは?」
「私のマスターとその庇護下にある娘だ」
 アヴェンジャーは地面に跪いた。
「どうか、彼らを救って欲しい」
 その言葉に璃正神父は言葉を失う。
 言峰教会は聖杯戦争を監督する為に聖堂教会によって建てられた。その役目の一つに脱落したマスターの保護という名目も確かにある。だが、実際に教会を利用した者は未だ嘗て一人もいない。
 しかも、サーヴァントが保護を求めるなど前代未聞。
「……それは出来ない。教会が保護する者はあくまでも聖杯戦争から脱落したものに限られる」
「ならば、この場で自害する。だから、どうか!」
 彼は|復讐者《アヴェンジャー》という忌まわしいクラスを得てまで現界した。それは叶えるべき願いがあるからだ。
 それでも、彼は騎士だった。雁夜から召喚に至るまでの事情を聞き、桜の身に起きた悲劇を知り、その二人が何も為せぬまま死ぬ事を容認出来るほどの残忍さは持ち合わせていなかった。二人をこのまま死なせるくらいなら、己の願いなどどうでもいい。この仮初の命を捧げる事も厭わない。
 必死に頭を地面に擦り付ける彼を見て、璃正は唸り声をあげた。
「……君が自害したとしても、二人を救う事は出来ない」
「何故……?」
「手の施しようがないからだ。むしろ、彼らは何故生きている? 素人目にも死体にしか見えない。特に男の方は死後数ヶ月と言われても信じてしまう程だ」
 言峰璃正も英霊という超越者が命を捧げてまで懇願する助命の言葉を無碍にしたくはなかった。だが、聖堂教会の秘跡は肉体を救うものではなく、魂を救うためのもの。ここまで損壊した肉体を修復する事など不可能だ。
「……頼む。他に頼れる者がいないのだ」
「頼むと言われてもな……」
 困り果てた表情を浮かべる璃正にアヴェンジャーはゆっくりと立ち上がった。
「……分かった。すまないな、迷惑をかけた」
 他にあてなど無い。だが、ここに居ても二人を救う事は出来ない。
 この上は他のサーヴァントと接触し、助命を請う他ないが……。
「――――待て、マキリのサーヴァント」
 マキリという言葉に覚えはないが、サーヴァントはこの場に彼一人。振り返ると、カソックに身を包む年若い青年が立っていた。
「綺礼……?」
 綺礼はアヴェンジャーの足元に転がる雁夜の体に手を当てた。
「……なるほど、これは重症だ。だが、多少の延命措置ならば取れる」
「本当か!?」
 綺礼は慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、頷いた。
「私の部屋に連れて行こう。そこで処置を施す」
 そう言うと、綺礼は雁夜の体を持ち上げて教会の方に戻っていく。
「ま、待て、綺礼!」
「どうしました?」
 慌てて呼び止める璃正。綺礼は立ち止まり、首だけを彼に向けた。
「そ、その者はまだ脱落したわけではない。今、教会の中に入れるわけには……」
「父上」
 綺礼は聖杯戦争のルールと倫理感の狭間で揺れている父親に微笑みかける。
「まだ、サーヴァントは出揃っていません。正式にスタートした後ならばともかく、今の段階でそこまで厳しい対応をする必要は無いのでは?」
「……一部の例外を認めれば、監督役としての地位の失墜にも繋がる。それは聖杯戦争に混乱を招きかねん」
「それでも、私には目の前で傷つく者を、そして、その者の為に頭を下げる者を無碍に扱う事は出来ません。ルールよりも尊ぶべきものは人としての倫理や道徳であるべきではありませんか? それが主の教えでもある筈です」
 その慈悲に満ちた言葉に璃正は唸る。聖杯戦争のルールを監督役が破れば、参加者達を律する事も出来なくなる。それは聖杯戦争による被害の拡大を招く可能性がある。
 そうなれば、数え切れぬ程の犠牲者が出る事だろう。
 息子の真っ当な主張を聞き入れてやりたい。だが、それは後の悲劇を容認する事になる。そんな事は許されない。
「……駄目だ」
「そうですか……。では、こうしましょう」
 綺礼は遠くにある新都のホテルを指差した。
「|教会《ココ》を使わなければいい。ホテルの一室を借り、そこで治療しましょう。少し待っていてくれ、サーヴァント。今、車を取ってくる」
「お、おい、綺礼!」
「父上。人を助けない理由を考えるより、人を助ける方法を考える方が素敵だとは思いませんか?」
 その言葉に璃正は何も返す事が出来なかった。
「……【われわれはみな汚れた人のようになり、われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである。われわれはみな木の葉のように枯れ、われわれの不義は風のようにわれわれを吹き去る】」
 イザヤ書第64章6節にある言葉。その意味は義のありか。正しい事をしたからといって、義は得られない。義は主の内にあり、人は自然によって義となる事は叶わず、主が人を義とするのだ。
 璃正は自らの考えを誤りだとは思わない。だが、同時に綺礼の考えも正しいものだと感じている。
 ならば、義はどちらにある? その応えなど、ちっぽけな人間風情には分からない。ならば、主に委ねる他はない。
「――――さあ、後部座席に二人を」
 車を取ってきた息子に璃正は言った。
「……ホテルの部屋は取っておく」
「お願いします、父上」
 車を走らせる事数十分。アヴェンジャーは自らの消滅が近い事を感じていた。
「もう少し耐えろ」
「……ああ」
 ホテルの駐車場にたどり着くと、アヴァンジャーは隠蔽の魔術を自身に施した。
 綺礼がルームキーを受け取り、部屋に到着すると二人をベッドに寝かせた。
「……さて、まずは間桐雁夜の方からだな」
 それは実に奇妙な光景だった。綺礼の手が雁夜の体内に沈んでいく。
「驚いたな。霊媒治療の心得があるのか……」
 霊体を繕う事で肉体を治療する特殊な魔術によって、雁夜の表情は劇的によくなった。
「……魔術回路の修復は不可能だが、君に魔力を供給するラインの修繕程度ならば可能だろう」
 言葉通り、少し経つとアヴェンジャーは雁夜から魔力を供給され始めた。
「見事な腕だ……だが、大丈夫なのか? 今の状態で私に魔力を送るなど……」
「そこまで大きな問題はない。そもそも、彼は彼女から送られてくる魔力を君に送っているだけのパイプ役に過ぎないからな」
 雁夜の施術が終わると、綺礼は直ぐに桜の施術へ移った。
 陽が昇り、その陽が落ち、再び昇った頃、ようやく二人の施術は完了した。
「――――私に出来る事はやった。当面は大丈夫な筈だ」
「かたじけない!!」
 アヴェンジャーは涙を流した。綺礼が見ず知らずの筈の二人を救う姿、寝る間も惜しむその献身振りに感動していた。
「……では、約定通り私は」
 自害するつもりで自らの愛剣を取り出すアヴェンジャー。すると、綺礼はその手を掴んだ。
「愚かな真似は止せ、アヴェンジャー」
「し、しかし、それが約定であった筈……」
「それは父上との話だろう。私には関係の無い事だ」
 綺礼は言った。
「勘違いをするな。彼らはまだ助かったわけではない。肉体の損傷をある程度修復する事は出来た。だが、命の危険が遠ざかったわけではない」
 その言葉通り、施術が終わったというのに二人が目を覚ます様子はない。
「どういう事……、ですか?」
「一命を取り留めたに過ぎないという事だ。だが、彼等の肉体と魂は常人と比べてあまりにも脆い。これ以上手を加える事は出来ない。彼等を救うにはそれこそ……、|神の奇跡《せいはい》に縋る他ないのだ」
 アヴェンジャーは綺礼の言葉に目を見開いた。
「……私が救った者を死なせてくれるなよ、サー・ランスロット」
 アヴェンジャーは頭を垂れた。
「感謝……、致します」
 
 ◆
 
 それが一週間程前の事。あの後、アヴェンジャーは屋敷の地下に二人を連れ帰った。
「マスター……。そして、サクラ。待っていて欲しい。私が聖杯を手に入れる……、その時を」
 誓いをここに……。
 聖者によって齎された奇跡を無駄にはしない。必ず、この哀れな者達を救ってみせる。
 例え、如何なる者が相手であっても負けるわけにはいかない。
 それが無数の宝具を持つ謎多き英霊であろうと、それが嘗て仕えた王であろうと……。

第八話「なんだか怖いッス!」

 拠点である郊外の森に聳え立つ城に戻ったライダーは弾丸と化した自らのマスターを受け止め、抱きかかえた。
「おかえり、ライダー!」
「ただいまもどりました、マスター」
 雪のように白い髪。ルビーのような真紅の瞳。妖精のような愛らしい顔立ち。彼女がライダーのマスターだ。名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 イリヤスフィールはライダーの返事が気に入らず、プクーっと頬を膨らませた。
「マスターじゃないよ! イリヤはイリヤだよ!」
 そんな愛らしい仕草にライダーは負けを認める。
「申し訳ありません、イリヤ。どうか、機嫌を直して欲しい」
「じゃあ、お馬さんになって!」
「仰せのままに」
 ライダーは四つん這いになると、イリヤを乗せて歩き出した。
「はいよー、ラムレイ!」
「ヒヒーン!」
 この可愛らしいマスターをライダーがアインツベルンの城から攫ったのが数日前の事……。

 ◇

 イリヤがサーヴァントを召喚した後、アインツベルンは大騒ぎになった。
 彼女の両親やアインツベルンの当主は揃って令呪を捨てろと迫った。父親にサーヴァントを預け、大人しくしていろ、と。
「イヤ! イヤったらイヤ! ライダーはわたしのライダーなの! キリツグにもあげないの!」
 だが、イリヤは譲らなかった。自分のモノを誰にも渡したくないという幼子にありがちな我侭を口にした。
 そして、他ならぬライダー自身がイリヤの主張を認めた。
「その通りだ。私のマスターは彼女であり、お前達ではない」
 アハト翁はやむなくホムンクルス達にライダーの制圧を命じた。ライダーさえ大人しくなれば、後はどうとでもなる。そう考えた。
 だが、サーヴァントにも比肩する力を持つ筈のホムンクルス達が束になってもライダーには敵わなかった。いや、敵にすらならなかった。
 |冬木市《大聖杯》から遠く離れた|異国《この》の地ではまともに|供給《うしろだて》を受ける事も出来ず、マスターからの|供給《しえん》だけでは現界を維持する事がやっとな筈。にも関わらず、ライダーは十全に力を発揮した。
 ライダーの内には竜の炉心と呼ばれる特殊な臓器がある。それは少量の魔力でも莫大な力を生み出す事が可能な魔力の増幅装置。それにイリヤの莫大な魔力が流れこむ事で現界はおろか、宝具の発動すら可能とした。
 加えて、本来サーヴァントに貶められた英霊の力は大幅に劣化する筈なのだが、ライダーは通常よりも劣化が抑えられていた。
 彼女の知名度が最も高い欧州で召喚されたからなのか、召喚者が|イリヤスフィール《聖杯》だったからなのか、召喚時に莫大な魔力を注ぎ込まれたからなのか、明確な理由は分からない。
 一つだけ、確かに言える事がある。それはアハト翁にとって完全な誤算であった事。
 複数の強力な宝具を持つ事自体は彼にとっても喜ばしい事だった。だが、彼女にはそれらの宝具と比較しても遜色のない強力なスキルがあった。
 それが《|死者行軍《ワイルド・ハント》》。
 ライダーは死者の霊や精霊を操る事が出来る。精霊としての側面を持つホムンクルスも例外ではなく、彼女達は一斉に彼女に傅いた。
 その光景を見て、アハト翁は愕然となる。自らが鋳造した|者達《ホムンクルス》が手元から離れていく。まるで、真に忠誠を誓うべき王を見つけたかのように……。
「さて、行きましょうか、マスター」
「うん! って、どこに?」
「我々の戦場へ」
 彼女は無数のホムンクルス達を引き連れて歩き出した。
「ま、待て、お前達!」
 アハト翁の叫びに耳を貸す者は一人もいない。鋳造中のホムンクルスと融合しようとしていた自然霊や廃棄された筈の者達もその軍勢に加わろうとしている。
「――――待て!」
 その行軍を止めたのは彼女のマスターの父親だった。
「何か用か?」
「イリヤを連れては行かせない!」
 そう言って、銃を構える姿は滑稽以外のなにものでもない。
「それでは私に傷ひとつつける事は出来んぞ、|魔術師《メイガス》」
「……僕はその子の父親だ」
 ライダーはおおまかに状況を理解していた。本来、召喚を行う筈だったのは目の前の男であり、イリヤがマスターになってしまった事は手違いである事を。
 それでも、一度契約を結んだ以上、他の者に仕える気はない。
「そこを退け」
「退かない!」
 睨み合う二人。その間に挟まれたイリヤは泣いてしまった。
 怖かったのだ。いつもと違う父親の顔、穏やかに接してくれたライダーの苛立つ顔が……。
 何者も泣く子と地頭には勝てない。なんとかあやそうとするが、ロクに子供の世話をした事がないライダーには難しかった。
 そこに一人の女が現れる。イリヤとそっくりな顔立ちの女がイリヤを抱きかかえ、頭を撫でた。
「大丈夫。大丈夫よ、イリヤ。怖くない。なーんにも、怖くない」
 すると、イリヤの涙は引っ込んだ。母親に抱きつき、切嗣とライダーを睨む。
「二人共怖い顔イヤ!」
「うっ……、すまない」
「わ、悪かったよ、イリヤ」
 揃って頭を下げる二人にイリヤは憤慨した様子のままだ。
「……えっと、とりあえず落ち着かない? イリヤも、切嗣も、ライダーも。ほら、お茶でも飲みましょう」
 イリヤの母、アイリスフィールの提案に二人は渋々頷いた。

 ライダー達が話し合いをしている最中、アハト翁はホムンクルス達への命令権を奪い返そうと画策したが、悉く失敗し、その果てに地下室で幽閉されてしまった。
 その事をライダー以外が知らぬまま、話は進んでいく。
 イリヤとライダーを説得する為に切嗣は賢明に言葉を重ねた。彼のこれまでの人生の中でこれほど多くの言葉を喋った記憶はない。それ程、必死だった。
「イリヤは魔術の事を何も知らない。戦いに参加する事は――――」
 だが、イリヤはいつの間にか眠ってしまい、聞いていたライダーの表情も冷め切っていた。
 言葉が尽きてきた頃を見計らい、ライダーは言う。
「言いたい事はそれだけか?」
「なっ……」
 気付けば夜が明けていた。数時間にも及ぶ説得は何の成果も挙げられなかった。
 ライダーはイリヤ以外の主を持つ気などなく、目を覚ましたイリヤも切嗣とアイリスフィールが何を言っても譲らない。
 その後も切嗣の怒声が何度も響き、最後には涙を流して懇願までした。それでも、二人の意思は少しも揺らがなかった。
「話がそれだけなら、私達は行く」
「ま、待ってくれ!!」
 娘を連れ去ろうとする女に切嗣を縋った。
「……キリツグとやら。貴殿がマスターの身を案じる気持ちは分かった。ならば、ついて来るがいい。元よりマスターには傷一つ負わせる気など無いが、それならば安心出来よう」
 結局、マスター権はイリヤが維持したまま、ライダー達は冬木に入った。冬の城の地下に当主を置き去りにしたまま……。

 ◆

 今、この城にはアインツベルンの城から連れて来たホムンクルス達が跋扈している。ライダーの命令を受け、ホムンクルス達は独自に動いて日本までやって来た。
 他にも|現地《ココ》に到着するまでの間に引き入れた亡霊達も蠢いている。
「あっ、サムライだ! おーい、サムライ!」
「おや、これはこれは。相変わらず、仲睦まじい事で」
 藍色の陣羽織を羽織った美剣士が《幼子を背中に乗せて四つん這いになっている主人》に些かの動揺も見せず挨拶をした。
「なかむつまじいって?」
「仲良しという事だ」
 サムライの言葉にイリヤは顔を輝かせた。
「そうなんだよ! イリヤとライダーは仲良しなの! ねー!」
 天真爛漫なマスターの笑顔にライダーも笑顔で応える。その姿に侍は目を細めた。
 なんと……■■■■光景だ。
「では、私はこの辺で失礼する」
「バイバーイ!」
 |馬《ライダー》に跨がりながら手を振るイリヤに侍は手を振り返した。
「……くわばらくわばら。さて、仕事をするか」

第九話「こ、これってデートッスか?」

 昨夜の戦いで七騎中の四騎を捕捉する事が出来たが、アーチャーの顔色は芳しくなかった。彼は解析の魔術によって彼等の正体を正確に見破っていた。それ故に絶望的な気分に陥っている。
 特にセイバーとライダーは最悪だ。
『……見た目は違うが、あれは間違いなく|英雄王《ギルガメッシュ》と|騎士王《アルトリア》だ。しかも、明らかに私が知る彼等よりも強い』
 生前体験した聖杯戦争で彼は彼等と出会っている。片や敵として、片や相棒として戦った。
 ギルガメッシュにあそこまでの武勇は無かった筈。無数の宝具を繰り出す|王の財宝《ゲート・オブ・バビロン》や世界を引き裂く|乖離剣《エア》だけでも厄介だと言うのに、唯一欠けていた白兵戦能力まで有しているとなると手がつけられない。
 アルトリアにしても、宝具は|聖剣《エクスカリバー》と|風王結界《インビジブル・エア》だけの筈。それがライダーとして現界した為か、|騎乗宝具《ラムレイ》まで持ち出している。それに召喚の触媒に使われた|聖剣の鞘《アヴァロン》もある筈だ。破壊力抜群の大軍宝具に抜群の機動力、更に究極の絶対防御まで持っている。
『どうしろと言うんだ……ッ! ランサーとあの赤髪のサーヴァントだけならやりようもあるが……。あの二人に関してはお手上げだ』
 英霊となった今でも彼等との実力は天と地ほどもある。必殺を見込んだ|偽・螺旋剣《カラドボルグⅡ》も完璧に防がれてしまった。あれ以上の高火力となると、それこそ|彼女《アルトリア》の聖剣を持ち出すほかないが、ただでさえ消滅覚悟で挑まねばならぬ上、今の魔力供給を受けられない状態では生成途中で力尽きてしまう。
 かくなる上はマスターを狙うしかないが、それも容易では無かろう。
 出来れば潰し合ってくれると助かる。幸い、アルトリアはギルガメッシュの暴虐を食い止めようと動いてくれそうだ。そこで上手いこと事を運べば……。
『……しかし、大きかったな』
 彼の知る彼女はもう少し慎ましやかな体つきだった。
『って、何を考えているんだ! ええい、煩悩退散! そうだ、セイバーはあの体つきだからいいんじゃないか! ボンキュッボンなセイバーなど……って、いやいや』
 あの体つきは衝撃的過ぎた。一体、何があったらああなるのかさっぱり分からない。そもそも、アルトリアは聖剣を抜いた日から成長が止まっている筈。
 あんなナイスバディーになれるわけがない。
『偽物か! ……いや、エクスカリバーにアヴァロンにラムレイ持ってて偽物は無いか』
 アーチャーがけしからんわがままボディで登場したアルトリアの事で悶々としていると、マスターの声が聞こえてきた。どうやら、彼を呼んでいるようだ。
「――――どうした、タイガ」
「あ、いたいた! 実は必要な物があって買い物に行かなくちゃいけなくて……」
 今、二人は藤村雷画が所有する物件の一つに身を寄せている。藤村組を極力巻き込まない為だ。
 新都の少し外れにある一軒家で、生活に必要な物は揃えられていた筈。
「そのくらいなら私が買ってくる。今、街は非常に危険な状態なんだ。君を無闇に外出させるわけにはいかない」
「で、でも……」
 何故か、大河は顔を赤らめた。
「どうしたんだ? まさか、風邪か!? そ、それはいけない。今直ぐベッドに――――」
「ああいや、違うッス。あの……その……」
 歯切れの悪い大河にアーチャーは首を傾げた。
「風邪じゃないならどうしたんだ?」
「あーもう、ニブチン!」
 大河はぼそぼそと小声で買いに行く品の名称を口にした。途端、アーチャーの顔も真っ赤になった。
 そして、真っ白になった。
「あ……そ、そうだな。必要だな。う、うん、仕方無いな」
 女性の体質上避けようのない事態だ。だが、家族同然の女性のそういう部分をあまり知りたくなかった。いや、使っているに決まっているのだが、想像出来なかった。
「さすがにアーチャーにもどれを買えばいいかとかは……」
「分かる筈ないだろ!!」
 家事全般をつつがなくこなすアーチャーにも出来ない事や知らない事は山程ある。
「……分かった、商店街に行こう。だが、くれぐれも用心してくれ。薬局……、でいいのか?」
「……ッス」
 
 ◆

 徒歩十分の場所にある出来たばかりのデパートを二人は歩いている。
 瞬時に対応が出来るよう、アーチャーも実体化した状態だ。長身かつ、白髪かつ、褐色の肌。目立つ事この上ない容貌のアーチャーに道行く人々の視線が突き刺さる。
「……ううむ、そこまで私の顔は変なのか?」
「変というか……、変わってるのは間違いないッスね」
「……それを変というのだよ、マスター」
 ガックリと肩を落とすアーチャーに大河は苦笑いを浮かべる。
「でも、かっこいいと思うッスよ?」
「え?」
 ちょっと嬉しそうなアーチャー。
「なんというか、ホストみたいで!」
「ホ、ホスト?」
 さっきよりも更に落ち込むアーチャー。
「……はやく、家に帰ろう」
 若干、泣きそうな顔で言うアーチャー。
「えっと……、ほら、元気出して欲しいなー! そ、そうだ! 美味しいパフェのお店があるの! そこ行ってみないッスか?」
 うなだれるアーチャーの背中を押しながら大河は言った。
「い、いや、君の安全の為にも寄り道をしている暇は……
「甘いもの食べて、嫌なこと忘れるッスよ! ホラホラ!」
 大河がアーチャーを連れ込んだのは今女性誌で話題沸騰中の人気カフェテリア。甘くて美味しいパフェが特徴のお店。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「二人でお願いします!」
 席に案内されると、大河は自分とアーチャーの分のパフェを注文した。
「……君はいつも強引だな」
「えー、そうッスか?」
 本当に変わらない。悩んだり、困ったり、悲しんだりしている時、彼女はいつも強引に立ち直らせる。
「なんか、アーチャーの中のわたしって、大分失礼なイメージが固まってないッスか?」
 ジトっとした目で見られ、アーチャーは誤魔化すように咳払いをした。
「さて、何のことやら」
「あー、あからさまに誤魔化して!」
 騒いでいると、店員がパフェを運んできた。
 大河は何故かパフェよりも店員に視線を送っている。
「あー、やっぱり藤村じゃん!」
「オ、オトコ!?」
 ポカンという音と共に大河の頭に大きなコブが出来上がった。
「次、そう呼んだら殴るからね? ネコ! 私は蛍塚ネコ! ドゥーユーアンダースタン?」
「殴ってるじゃん……、既に!」
 アーチャーは彼女に見覚えがある気がした。遠い昔、会ったことがあるような……。
「それで、そっちのハンサムは誰なの? 彼氏?」
「ち、違うわよ! こ、この人はアーチャーっていって、それでえっと、うちで一緒に暮らしてるだけのアレなの!」
「同棲してんの!?」
「ち、ちが……わないけど、違うよ!」
「違わないんじゃん! うわー、零くんが泣くぞ、これは……」
「もう、違うって言ってるでしょ! このトンチンカン!」
「ト、トンチンカン?」
 段々、大河がヒートアップし始めた。ネコの方もまずいと感じたらしく、宥めようとするがうまくいかない。
「もう、怒った! おもてに出ろい!」
「あー……ちょっと、待て、タイガ」
 立ち上がろうとするタイガの腕を掴み、アーチャーは咳払いをした。
「喧嘩はよくないな。友達なんだろ? 仲良くするべきだ」
 内心、苦笑しながらアーチャーは大河を諭した。
 昔、同じ事をそっくりそのまま彼女に言われた事がある。クラスメイトと喧嘩した時の事だ。
《士郎! 喧嘩はダメよ。友達なんでしょ? 仲良くしなきゃ!》
 大河は言葉を詰まらせると、渋々椅子に座り直した。
 その様子にネコは感心した様子を見せる。
「……あー、うん。からかって悪かったね、藤村」
「もういいよ……。それより、どうしてネコはこんな所でバイトしてるの? お店は?」
「今日は定休日。だから、知り合いの手伝いしてんのよ。っていうか、あんたこそ、こんな時間にこんな場所に居ていいわけ? 学校は?」
「へへーん。今は長期休暇中でーす。ちょっと前まで同じ学校通ってたんだから分かるでしょ?」
「そーだった、そーだった! いやー、学校辞めてそんなに経ってない筈なんだけど、忘れてるもんだねー」
 話に花が咲き始めた頃、店長がゴホンと咳払いをした。
「あ、いっけね。仕事に戻るわ。ゆっくりしていきなよ、藤村。それから、えっと……、アーチャーさん?」
「ああ、ありがとう」
 二人の会話を聞いている内にアーチャーは彼女の事を朧げながら思い出した。
 確か、彼女の実家は酒屋だった筈だ。そこで彼はバイトをしていた。
 色々と世話になった筈なのに忘れていた事を申し訳なく思う。大河とは学生時代からの親友同士で、急性アルコール中毒か何かを起こしたとかで自主退学したそうだ。
「ぅぅ……、なんかごめんなさい。もう、ネコのヤツ……」
「いや、構わないさ。それにしても、普段の君はそう喋るんだな」
 召喚された時から今に至るまで、彼女はいつも語尾に「ッス」という言葉をつけている。可愛らしいが、どうにも違和感がある。
「いや、アーチャーは一応年上なわけだし……」
 敬語のつもりだったのか……。アーチャーは少し驚いた。
「別に気にする必要はない。君が喋り易い口調で喋ってくれればそれでいいさ」
「……そ、そう? わかった! じゃあ、普通に話すね」
 ネコの置いていったパフェを食べながら、アーチャーは大河から色々な話を聞いた。
 聖杯戦争とは全く関係の無い、学校での生活や友達との事を……。
 彼の知らない藤村大河を教えてもらった。
 思いがけずのんびりとした時間を過ごした二人がカフェテリアを出た頃にはすっかり空が茜色に染まっていた。
「いかんな。暗くなる前に帰ろう」
 アーチャーは大河の手を引いて歩き出した。すると、近くのゲームショップの扉が開き、中から一人の少年が出てきた。
「――――ったく、どうして僕がこんな使いっ走りみたいな事を……。しかも、ゲームだなんて、くだらない」
 その少年を見た途端、アーチャーは険しい表情を浮かべた。少年の方も急に目を見開き、アーチャーを見た。
「サ、サーヴァント……?」
「え? どうして、その事を……」
 アーチャーは咄嗟に大河を背中に隠した。
「……マスター。敵が現れた」

第十話「バカだ! バカがいるッス!」

 どちらも動くことが出来なかった。夕暮れ時とはいえ、周囲には大勢の人がいる。アーチャーの見た目と緊迫した雰囲気につられて徐々に増えてきてさえいる。
「なになに、女の子の取り合い?」
「うっわー、どっちも外国人?」
「あっちの人、カッコいい!」
「えー、白髪じゃん。結構歳かもよ?」
「えっ、あの女の子、どう見ても高校生くらいよね? つ、通報するべき?」
「あっちの子、結構可愛くない?」
「女の子みたい!」
「あれって、藤村さんじゃない?」
「嘘でしょ。あの冬木の虎に彼氏!?」
 気が付けば人だかりが出来上がっていた。
「お、おい……」
 少年は意を決した様子で口を開いた。
「場所を移さないか?」
「……そうだな」
 アーチャーもその意見に賛成だった。このままでは戦う云々以前の問題だ。どうやら、タイガの事を知っている者も居るらしく、このままでは情報が駄々漏れだ。
 だが、一つ問題がある。
「……取り囲まれているな」
 取り巻きの殆どが女性で、色恋沙汰に色めき立っている。これでは身動きが取れない。なんという食いつきの良さ。まるでピラニアだ。
 というか、通報しないで欲しい。アーチャーは切に願った。曲がりなりにもサーヴァントが警察に捕まるなどあってはならない。他のサーヴァント達に示しがつかない。
「――――ほう、こんな場所にサーヴァントがいるとはな」
 突然、頭上から降り注いだ声に少年はビクリと体を震わせた。その声に聞き覚えがあったからだ。
 だが、すぐに首を傾げた。ここはデパート。別に吹き抜けではなく、少し高いとはいえ、頭上には普通に天井がある筈だ。
「ん? んん!?」
 声の方に顔を向けると、何故か神輿に乗ったセイバーがいた。
「……え?」
「え、神輿? え?」
 アーチャーとタイガも目の前で起きている事に理解が追いつかない。
 野次馬根性全開の取り巻き達も目を点にしている。
「ふっふっふ、なんだ? その惚けた反応は! 英雄王の凱旋であるぞ! ええい、頭が高い! 控えぃ! 控えおろう!」
 少年を除く全ての人間が察した。
――――あ、この外国人、時代劇を見たな。
 実に愉しそうに神輿の上でふんぞり返っている。
 神輿の下では見覚えのある学生服を来た男子十人が汗を流しながら「ワッセイ! ワッセイ!」と叫んでいる。
「……な、何してるの? 零ちゃん」
「おお、三代目!」
 どうやら、タイガの知り合いが混じっていたようだ。
「いや、この方が神輿を見たいと言うのでな。祭り用の神輿を出したのだが、乗ってみたいと言うのでね。こうして、友人達と担ぎ上げている次第だ」
 言っている言葉の意味が分かるが全然理解出来ない。
「いやいや、神輿って人が乗っていいものなの!?」
「はっはっは! 小娘よ、教えておいてやる」
 英雄の中の英雄、王の中の王……である筈のバカは言った。
「神輿とは神が座する騎馬なのだ。故にこの我が乗る事は至極当然の事なのだ!」
「……という事だそうだ」
「へー……そうなんだー」
 呆気に取られるタイガ。
 アーチャーと少年は呆れたような表情を浮かべている。
――――このバカは何を言ってるんだ?
 二人の心は一つだった。
「で、でもでも、デパートに神輿で入るのは店の人に迷惑なんじゃ……」
「案ずるな。このデパートの経営権ならさっき買い取った!」
 そう言って、セイバーは近くの家電量販店を指差した。
 その店頭に置かれたテレビでお昼のニュースが流れている。冬木市のローカル番組《冬木ニュース》。
 キャスターの男が原稿を読み上げている。
「たったいま入ったニュースです。冬木市内の大型デパートのオーナーが今日付けで替わり、名称も変更される事になりました。新しい名称は《ギルガメッシュ》というものだそうで、これは古代メソポタミア文明の――――」
 開いた口が塞がらない。
「つまり、このデパートは我の物だ! 従って、神輿で入場しても何の問題も無い!」
「嘘だろ、お前!?」
「何やってんだ!?」
 少年とアーチャーは同時に叫んでいた。
「え、神輿でデパートに入りたいからデパートを買ったって事?」
「逆だ。デパートを買ったから、その祝いに神輿で行進している最中だったのだ」
「じゃ、じゃあ、どうしてデパートを買ったの?」
「知れたこと。……我はこの時代をいたく気に入ったのだ」
「え?」
 セイバーは語りだした。
「――――漫画、ゲーム、アニメ、玩具! この時代の人間が創り出した娯楽は実に素晴らしい! 週刊少年ジャンプなど、思わず聖杯に来週号を読ませてくれと願いそうになった程だ!」
「おいバカ止めろ!」
 どこまで本気なのか分からないが、そんな事に聖杯を使われるなど溜まったものじゃない。
「金なら腐る程あるが、いざ買いに行くとなるといろんな店をハシゴしなくてはならない。それは面倒だ。故に、このデパートを買ったのだ!」
「……えぇ」
 店ごと買い占める。誰もが一度は妄想した事がある筈だ。だが、それを実戦する馬鹿野郎はそうそういない。
 しかも、それをデパートで……。
「――――ん? んん!? おい、小僧。その手に持っている物はなんだ?」
 呆れていると、セイバーは神輿から飛び降りて、少年の荷物を奪い取った。
「お、おい、それはコンカラーに頼まれた物で……」
「コンカラー……、あの小僧か。っふ、《スーパーファミコン》を買うとは……」
 セイバーは神輿に向き直った。
「神輿はもう良い。撤収せよ! これが給料だ」
 そう言って、零観に分厚い札束を押し付けるとセイバーは輝くような顔で少年達に言った。
「さあ、行くぞ!」
「どこに?」
「決まっていよう。貴様らの拠点へだ!」
「いやいやいやいやいやいやいや」
「マッケンジー邸だったな。さっさと行くぞ! おい、アーチャー! 貴様も来い!」
「なんで知ってんの!?」
「我は全知全能なのだ。分かったら黙って歩け! ウェイバー・ベルベット!」
 答えになってない。ウェイバーは真っ青な顔で喚き立てるが、「やかましい」と殴られ、アーチャーに向かって放り投げられた。
「担いでこい」
「……あ、ああ」
 流されていいものか迷ったが、下手に逆らい戦闘になるのもまずい。
 アーチャーは気を失った気の毒な敵マスターを抱えながらセイバーの後を追った。
「キャー、お姫様だっこよ!」
「なんか耽美ー!」
「っていうか、あっちの神輿王子も超イケてない!?」
 周囲の声から必死に意識を逸らす。聞いていると心が折れそうになる……。

 ◇

 マッケンジー邸に到着した頃には空はすっかり暗くなっていた。
 家主に断りもなくズカズカと家の中へ入って行くセイバー。
「お、おい! ちょっと待てよ!」
 ウェイバーが慌てて後を追う。アーチャーとタイガは顔を見合わせた。
「つ、ついて来ちゃったけど、どうする?」
「……あの様子では戦いにはならないと思うが」
 アーチャーは首をひねった。
 彼の知る英雄王も常人離れした性格だったが、あのセイバーも中々のものだ。
「悪い人じゃないっぽいけど……、変わった人っぽいね」
「ああ、そうだな」
 あの英雄王が道化を演じるとは考えにくい。つまり、アレは恐らくヤツの素だ。
「我々も入ろう」
 虎穴に入らずんば虎児を得ず。完全無欠最強無敵の英雄王だろうと、勝たなければいけないのだ。
 降って湧いた戦闘以外での接触の機会。少しでも情報を引き出してみせる。
 アーチャーは気を引き締めて玄関の扉を潜った。
「お邪魔します」
「お、おじゃましまーす」
 二人が入ると、階段の上を見上げていた老婆が「あらあら」と頭を下げた。
「今日はお客様がいっぱいね。ウェイバーちゃんったら、友達を呼ぶなら連絡してくれればいいのに。ゆっくりしていってちょうだい」
 そう言って、キッチンの方へ老婆は歩いて行った。
 階段を登ると、扉が一箇所開いていた。中に入ると、あの赤髪の少年とセイバーが睨み合っていた。
「……さて、始めようか」
 両者の間には不穏な空気が漂っている。
「な、何が始まるの……?」
 タイガは不安そうに呟いた。
「まずは桃太郎電鉄で勝負!」
「乗った!」
 セイバーはスーパーファミコンのカセットを掲げた。
 そこには《桃太郎電鉄Ⅱ》と書いてある。
「……っと、これは四人対戦が可能だったな。我と貴様、そして、アーチャー。後一人……、少し待っていろ!」
 そう言って、セイバーは窓から外に飛び出していった。
「え!? お、おい、どこに!?」
 どこからか取り出した黄金の船で空の彼方へ飛んで行くセイバー。
「フ、フリーダム過ぎるだろ、アイツ……」
 ウェイバーは頭を抱える。
「っふ、王として、あの奔放さは見習うべきかもしれないね」
 赤髪の少年はクスクスと笑った。
「……うわぁ」
 その笑顔にタイガは見惚れてしまった。
「あ、あの!」
 ズンズンと近づいていき、タイガはその手を握る。
「お名前を教えて下さい!」
「お、おい、何してるんだ!?」
 アーチャーは慌てて二人を引き剥がしたが、タイガはジタバタ暴れながら赤髪の少年に近づこうとする。
「これは魅了か!? 貴様……ッ」
 タイガに投影した対魔力を持つ小さな首飾りを掛けながら、アーチャーは少年を睨みつけた。
 その眼光を受け流し、少年は魅惑的なほほえみを浮かべる。
「ふふ、君のマスターも可愛いね。けど、ちょっと無防備過ぎるな。言っておくけど、僕は悪くないよ? ただ、顔が良すぎるだけだもの」
「あれ……、わたし、今どうしたんだっけ……?」
 首飾りの対魔力の効果で魅了の効果が遮断され、タイガは正気を取り戻した。
 当惑するタイガに少年は微笑みかける。
「はじめまして、お嬢さん。僕は僕はアレキサンダー。アレクサンドロス3世でもいいよ。勿論、他の名前でもね」
「アレキ……サンダー……?」
「お、おい! おいおいおいおい! 何をいきなり名乗ってるんだ!?」
 あっさりと真名を明かしたアレキサンダーにアーチャーが驚くよりも早く、ウェイバーが絶叫した。
「何をって、名前を聞かれたから答えたまでさ」
「いやいや、敵だぞ! この子もマスターで、僕達の敵なんだぞ!?」
「あはは。プリプリしないで落ち着きなよ、マスター。ほら、リラックスリラックス」
「お前のせいだぁぁぁぁ!!」
 ウェイバーが叫ぶと同時に部屋の中に二つの影が飛び込んできた。
「待たせたな! 四人目を用意したぞ!」
 セイバーが言った。彼の隣には見覚えのある女性が幼子を抱えて立っている。
「って、ラ、ララ、ライダー!?」
 ウェイバーはムンクの叫びのようなポーズを取って悲鳴を上げた。
 そこにはセイバーと激戦を繰り広げたライダーの姿があった。
「あはは、変なかおー」
 彼女に抱えられている白い髪の少女はケタケタと笑った。
 その少女を見て、アーチャーは言葉を失った。
 彼女もまた、彼の記憶に色濃く刻まれた人物の一人。姿形も彼の記憶と殆ど変わりない。
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。彼の生前の義姉は彼の生前の相棒に抱かれ、満面の笑顔を浮かべていた。
「では、今度こそ始めるとしよう。《桃太郎電鉄》を!」
「……どうしてこうなった?」
 ウェイバーの呟きが虚しく響いた。