第一話「導き」

 吹き抜ける夜気が肌を突き刺す。寒いのは苦手な筈なのに今はこの感触にすら名残惜しさを感じる。後一歩だけ足を前に踏み出せば、それで全てが終わるのに、その一歩が踏み出せない。物心ついたばかりの頃まで遡ってみても、碌な思い出が無い筈なのに、私はどうやら本心では死にたくないらしい。白い溜息を吐き、視線を足元の暗黒から彼方の光へ動かす。そこに私の生まれ育った街がある。夜闇に浮かぶ色鮮やかな光に思わず見惚れてしまう。あの素敵な光景の一部になりたかった。

「……なんてね」

 そんな事は不可能だ。分かり切っていた事。私は一度だって、この世界に溶け込めた事が無い。幼少の頃から友達と何処かに遊びに出掛けた記憶など無いし、遠足や林間学校などの班決めではいつも余って、嫌そうな顔をする同級生の中に何とか入れて貰っていた。陰気臭い性格が原因なのかと思い、自分を変えようと運動部に入部した事もあったけど、結局馴染めず、一年も経たずに辞めてしまった。それでも、どうにかグループに入れてもらおうとしたけれど、出来たのは虐める側と虐められる側という関係だけだった。勿論、私は虐められる側。
 家にも私の居場所は無い。両親は産んでしまった者の最低限の義務として衣食住の面倒を見てくれているし、学校にも通わせてくれるけど、殆ど会話をした事が無い。中学を卒業したらバイトをして一人暮らしをするよう厳命を受けている。私が顔を腫らして帰って来ても関心一つ寄越してくれない。
 後一月で中学も卒業という時になって、漸く私は自分が無価値な人間である事を自覚した。誰にも必要とされず、むしろ目障りな存在としか認識されない邪魔者。生まれて来た事自体が間違いだったのだ。
 だから、死のうと思った。これ以上、家族や周囲の人々に不快感を与えたくない。そう思って、自殺の名所と名高い霊峰を訪れた。ここには野生動物も数多く生息している為に大抵の自殺者は死体を誰かに発見される前に獣の胃袋へと消えていく。最後の最後で食物連鎖に貢献出来る上、死体の処理で面倒を掛けずに済むから自殺を志願する人々に大人気のスポットなのだ。
 
「……よし」

 瞼を固く閉じ、勇気を振り絞る。意を決して重心を前に傾けた。一度バランスを崩すと、後は重力が私を死に導いてくれた。

「さようなら」

 最後に一言だけ、誰にともなく呟いた。

 序章

 そして、気が付くと私は暗闇の中を漂っていた。痛みや吐き気は無く、意識もハッキリとしている。直前の記憶も明瞭で、飛び降りた直後、意識がスッと遠のくのを感じた事までハッキリと覚えている。夢とは思えないし、そもそも、あの高さから落下して、命を取り留める事などあり得ないから、もしかすると、ここが死後の世界というものなのかもしれない。恐らくは地獄。他人に不快感ばかり与えて来た罪深い私を罰する為の場所。嘗て無い孤独感と閉塞感が襲い来る。誰にも助けて貰えない事はいつもの事だけれど、私の苦痛を嘲る視線や嫌悪する視線すら無い。
 身動き一つ取れないまま、長い時間が経過した。少しずつ落ち着きを取り戻した私は他にする事も無くて、生前の自らの愚かさを貶める自慰行為に耽り続けた。結局、他人に不快感を与えたくないというのは単なる言い訳に過ぎず、死ねば楽になれると思って私は嫌な現実から逃げ出しただけなのだ。もう、後戻りの出来ないどん詰まりになって、漸く自らの愚かさを悟った。罵倒も嫌悪も与えられるだけ幸福だったのに、その事に気づかず、捨ててしまった。
 今になって、至る所が破かれ、落書きだらけにされた教科書や何度もゴミ捨場に置かれたせいで腐臭が漂うようになってしまった鞄が惜しくなってしまった。あれだって、私にとっては数少ない他者との関わりの証だったのに、霊峰を訪れる道すがら、捨ててしまった。何もかも捨てて初めて、自分の持っていたものに気付いた。遅過ぎるし、愚か過ぎる。後悔が大波となって押し寄せて来る。この暗闇では空を眺めたり、花を見つめたりして、波が引くの待つ事も叶わない。呑み込まれ、翻弄され、新たな後悔の大波に襲われる時を恐れるばかりだ。
 既に死んでいる以上、この絶望の螺旋に終わりは無い。時の概念すら失われ、逃げ出す事も永劫叶わない。その事実が鋭利なナイフとなって突き刺さってくる。殴られるより、石を投げつけられるより、ずっと痛い。馬鹿な私は今更になって生き返りたいなどと願っている。馬鹿は死ななきゃ治らないというが本当だった。
 暗闇から逃れる術は一つだけ。既に死んでいる筈なのにおかしな事だけど、時々猛烈な眠気に襲われる。空腹を感じる事も喉の渇きを感じる事も無いのに、眠気だけは健在で、私はそれを一種の救いにするようになった。眠っている間は色や音を取り戻す事が出来るからだ。この暗闇の中では地響きのような音が延々と響くばかりで、他に何も感じ取る事が出来ない。だから、夢の中で色や音を感じるとホッとする。
 暗闇の世界に囚われてからどのくらいの時間が経過したのか、明確には分からない。時計なんていう便利なアイテムは無いから朝と夜の区別もつかない。夢を見る回数も百を超えた時点で数える事を放棄した。
 思考がどんどん鈍化していく。恐怖も嘆きも闇の中に溶けて消えていく……。

「――――レトラ イモ?」

 意識すら消えて無くなりそうになった時、嫌にハッキリとした声が響いた。

「……え?」

 瞼を開いた途端、黒以外の色彩が飛び込んで来た。色だけじゃない。木々のざわめきや虫の鳴き声が聴覚を刺激する。
 久しぶりに役割を果たした五感が送り込んでくる鮮烈な感覚に私は跳ね起きた。辺りを見回す。どうやら、私は森の中に居るようだ。正確な時刻は分からないけど、夜更けである事だけは分かる。

「レトラ?」

 また、あの声が聞こえた。慌てて声が聞こえた方向に顔を向ける。すると、そこには――――、

「ホァ!?」

 ライオンが居た。いや、似てるけどちょっと違う。鬣があるけど、顔のパーツがネコと言うよりも馬寄りだ。

「な、な、何!?」
「ライ? ……イモ ダリス? ウリ イグルド?」

 流暢に言葉のようなものを喋っている。だけど、意味が全く分からない。

「た、たす……、助けて」

 とにかく恐ろしかった。明らかに獰猛そうな獣が奇妙な言語を操っている。それだけで腰が抜けそう。
 なんとか逃げ出そうと足を動かすけど、力が全く入らない。

「フゥ……」

 獣はゆっくりと私に近づいて来る。暗闇から逃れられたと思ったら、今度は獣の餌になるなどとは思わなかった。
 どうやら、まだ私の地獄巡りは終わっていないらしい。

「――――クルセンドス・パラライサス」

 チカッと奇妙な光が瞬いた。

『……どうかね?』
「へ?」

 いきなり、頭の中に渋い声が響き渡った。

「だ、誰!? なに、これ!? どうなっているの!?」
『どうやら、問題無く言葉が通じているようだな』

 相変わらず、頭の中で響き続ける声はどこか満足気だ。

『さて、少し落ち着きたまえ』
「お、落ち着けって、この状況で!?」

 目の前には血に飢えていそうな猛獣。頭の中には謎の声。
 落ち着けと言われて素直に落ち着ける状況ではない。

『……なるほど、怯えているのだね。安心したまえ、私は草食だ』

 頭の中の声の主が草食だと、どうして安心出来るのかさっぱりだ。

『ほら、この通り』

 その声と共に目の前の猛獣がもふもふと地面の草を食べ始めた。

「も、もしかして、さっきから話し掛けているのはあなた……?」
『そうだよ』

 目の前の猛獣の不思議生物っぷりに頭がパンクしそう。
 
「えっと……、あなたはライオン? それとも、馬?」
『種族について尋ねているのかい? 確か、人は私をホレスと呼んでいる』
「ホレス……?」
 
 そんな動物、聞いた事が無い。まあ、別に動物学者を目指してるわけじゃないから、知らない動物なんて星の数ほど居るだろうけど……、喋る動物が居たら、さすがにテレビで話題になっているだろう。

『まあ、私の存在を識別する為に人が適当につけたものだ。深い意味は無かろう。それより、こんな夜更けにこんな場所に転移してくるとは、何か事情がおありかな?』
「転移……?」
『……ふむ、意識的にここに来たわけでは無いのかね? 転移の術が発動した事は確かなのだが……』

 ホレスは私の周りをグルグルと回り始めた。鼻をヒクヒクさせていて、なんだか可愛い。

『……おや、何とも懐かしい。昔、ここに居た者の魔力だ。どうやら、あの者が君をここに導いたようだ』
「あの者って……?」
『すまないが、個体名は知らぬ。あの者が居た頃、私はまだ幼かったものでね。それよりも、君の事だな。どうやら、かなり遠い所から飛ばされてきたようだ……。今は【概念共有】の【魔術】で意思の疎通を取っているが、君が使っている言語を私は知らない。この大陸の国々の言語は全てマスターしたつもりだから、他大陸から来たのか、それとも……』

 小難しい事をぶつぶつと人の頭の中で呟き続けるホレス。

「えっと……、とりあえず、ここはどこなの?」
『人はこの地を【ザラクの樹海】と呼ぶ。その前は【ラグランジア】という名で呼ばれていたが……ふむ、聞き覚えは無いか』

 私がポカンとした表情を浮かべている事を察したのか、ホレスは困ったように唸った。

『では、アザレアは分かるか? この大陸の中心国家だ』
「アザレア……?」
『……では、バルサーラ大陸の名は? 【バルサーラ】はあらゆる言語で共有されている筈だが……、わからないのか』

 私の鈍い反応に困った様なため息をこぼし、ホレスは尻尾をブンブンと振り回しながら辺りをウロウロし始めた。

『一体、どこから来たんだ? 事情も分からぬまま放り出すわけにもいかぬし……』

 しばらくの間、ホレスは思考に耽り、はたと立ち止まった。

『転移に掛かった時間から距離くらいは掴めるかもしれん。お嬢さん、転移に何秒掛かったか覚えているかな?』
「え、えっと……、そもそも、その転移っていうのがよく分からないんだけど……」
『ここに来る前に亜空間を通った筈だ』
「亜空間って……、あの暗闇の事?」
 
 私は目を覚ます直前まで漂っていた、あの空恐ろしい空間を思い出して身を震わせた。

『そうだ。亜空間内には光も音も無い。引力や斥力といったものも存在しないから、ただ、入り口から出口まで真っ直ぐに移動するのみ。故に内部で経過した時間から君の元居た地点までの距離を計算出来る筈だ』
「えっと……、途中で何度も眠っちゃったから正確には分からないけど……、一週間以上は漂ってたと思う」
『……は?』

 ホレスは私の言葉を聞いて口をあんぐりと開けた。

『ば、馬鹿な! それでは、この星の反対側どころか、遥か天の彼方から来た事になるぞ!?』
「はい?」

 一人で慌てているホレスに私は完全な置いてけぼりをくらった。
 
『発動した魔術は確かに転移だった。だが……』
「えっと、私、なにかおかしな事言っちゃった?」
『言った。だが、直ぐに答えは見つかるまい。とりあえず、移動しよう』
「へ?」

 いきなり方向転換をして、森の奥へ進んでいくホレス。

『ついて来たまえ』
「は、はい」

 見た目は獰猛そうだけど、今、頼れるのは彼だけだ。私は大人しく後に続いた。
 しばらく歩いていると、奇妙な場所に辿り着いた。開けた空間に不自然なくらい綺麗な一軒家がポツリと建っている。

「誰か住んでるの?」
『誰か……というのが人を指しているなら、答えは否だ。ここには誰も住んでいない』
「でも、整備が行き届いているみたいだけど?」
『劣化が起きないように魔術が施されているのだよ。内部は嘗て、ここの主が住んでいた時の状態で保存されている』
「……前に住んでいた人と知り合いなの?」
『ああ、よく知っているよ。君をここに飛ばした者と恐らく同一人物だ』
「私をここに……」

 ホレスが玄関の前に立つと、扉が勝手に開いた。

「来たまえ」

 中に導かれた私を待ち受けていたのは、まるでお伽話に出て来るような可愛らしい内装の室内だった。
 温かみのある木材の家具と愛らしい調度品の数々、そして、不思議と目を引く絵画が一つ。

『これは――――』

 ホレスは何故か困惑気な声を上げた。

「どうしたの?」
『内装が変化している……。以前、ここには殆ど物が無かった筈だが……』

 どういう事だろう。部屋は散らかっているという程では無いにしても、物が溢れている。
 内部を散策していると、キッチンやトイレ、お風呂を発見する事が出来た。
 もっとも、キッチンは薪を燃やして使う古典的な物で、お風呂は大きくてピカピカな大理石で出来た桶が一つ。
 
「うわぁ、凄い……」

 キッチンの散策をしていると、隣接していた倉庫の中に大量の食料を発見した。
 どれも新鮮な物ばかりだ。

『……どうやら、君をここに連れて来た者はしばらくここに滞在させるつもりらしい』
「え……、どういう事?」
『この屋敷に施された魔術は状態の保存のみを目的としたものだ。このように、内装を変化させたり、新鮮な食料を補充する為のものではない』
「……その、私をここに連れて来た人が?」
『恐らくな』

 ホレスは私を広々とした部屋に連れて来た。壁には本棚が立ち並び、分厚い書物がビッシリ詰まっている。そして、部屋の真ん中には柔らかいソファー。非常に座り心地が良い。
 
『まず、君の事を色々と聞きたい。構わないかな?』
「う、うん。構わないよ」
『では、幾つか質問するから、順に答えてくれたまえ』

 ホレスの質問は多岐に渡った。まずは名前から始まり、住んでいた街や国の名前、周囲に生息していた動植物の種類、身の回りの雑多な問い掛けなど、質問攻めが終わった時、私は疲労困憊していた。
 漸く開放された事にホッとすると、ホレスはどうやったのか、お茶を淹れてくれた。色合いは紅茶に近い。味はアッサリしていて美味しい。

『人という種族は面白い。単なる葉を意図的に腐らせ、お湯に溶かし込む事で多様な味わいを引き出すなど、私では到底思いつかないよ』

 恐らく、茶葉の作り方を指して言っているのだろう。前に図書館で読んだ本に書いてあった。緑茶や紅茶、烏龍茶は全て、同じ葉を使って作られる。
 違いを生み出すのは発酵の度合い。発酵が浅ければ緑茶となり、深ければ、烏龍茶や紅茶となる。

『さて、ユキネ』

 ユキネは雪音と書く。私の名前だ。正確には、涼白雪音。人並み外れて色白な私にピッタリな名前。

『落ち着いた所で君の現状についてだ。単刀直入に言おう。ここは君が元居た場所とは違う世界だ』
「……はい?」

 いきなり突拍子も無い事を言われて、一瞬ぽかんとしてしまった。彼の言葉をどう受け止めればいいのかさっぱり分からない。

『【異世界】だよ。この星は君の住んでいた【地球】とは異なるものだ』
「い、異世界って……、え?」

 困惑する私の前でホレスは自らの喉を震わせた。

「ファラゼンドス・タグルディルス」

 彼の口から発せられた奇妙な言葉。それと同時にチカリと光が瞬き、目の前で奇妙な現象が発生した。
 机が浮いている。まるで、見えない誰かが持ち上げているかのように、足を地面から離し、空中に浮かんでいる。
 あまりの事に言葉を失い、唖然としている私にホレスは言った。

『これが【魔術】だよ。正確には、【風の魔法】の一つ。【物体浮遊】だ』
「魔術って……」

 ゴクリと唾を飲み込み、私は目の前の【存在しない筈の事象】に目を奪われた。だって、それはお伽話の中だけのもの。誰もが一度は夢見て、やがてその存在が架空のものだと悟る。
 私も何度か夢見た事がある。ある日突然、不思議な力に目覚めて皆に好かれる素敵な存在に生まれ変われると信じていた時期があった。

「嘘でしょ……? 何か、トリックがあるんでしょ?」
『こうして君と私が言葉に頼らぬ会話を成立させている事自体、魔術による恩恵なのだよ。【概念共有】という【精神の魔法】の一つだ』

 そうだった。今、こうしてホレスと会話をしている事自体があり得ない事。まず、人間と動物だし、耳じゃなくて、もっと内側……、脳で直接彼の言葉を拾っている。
 一体、どんなトリックを使えば、そんな事が出来るというのか、私には納得のいく説明をつけるだけの知識も知恵も無い。

『君の世界には無い技術だろう?』
「うん……」

 まだ、完全に納得出来たわけじゃない。だけど、こうして、目の前で見せられた以上、少なくとも魔術については実在している事を認めなければならない。

『直ぐに納得する必要は無いよ。ただ、これからはソレを前提に話を進めさせて欲しい。君には人里に出る前に色々な知識を身に付けてもらう必要があるからね』
「色々な知識……?」
『まずは言葉だ。この大陸で最もポピュラーな言語を覚えてもらう。その次は地理、文化、歴史を学んでもらう。最後に魔術だ』

 ホレスの言葉と共に本棚から幾つもの本が飛び出してきた。

『アザレア語を覚えておけば、少なくとも、この大陸内では不自由せずに済む筈だ。【始まりの言葉】とも言われていてね。他大陸の言語も元を辿ればアザレア語に行き着くと言われている』

 勝手に話を進めていくホレスに私は困ってしまった。何もかもが嫌になって飛び降り自殺を決行したと言うのに、何の因果か生き延びてしまい、わけの分からない場所でわけの分からない生き物にわけの分からない事を教えられている。
 こんな奇妙な状況で冷静さを保っていられる程、私の心は強くない。頭の中は殆どパニック状態だ。聞きたい事が山程あるのに、何を聞けばいいのか分からない。ホレスの導きにただ従っているだけでいいのかどうかも分からない。
 もっとも、何を聞いたところで、他に選択肢など無い。あの暗闇を経験した今、もう一度自殺を試みる勇気など無いし、再び邪魔される可能性もある。ホレスが語る私をこの場所に導いた存在。一体、何者なんだろう……。

『……どうやら、疲れているようだね』

 反応が鈍い事を察して、ホレスは本を棚に戻した。

『寝室に案内しよう。今夜はたっぷり眠るといい』

 彼に案内された寝室はこじんまりとしたものだったけど、ベッドは極めて清潔で、ふかふかだった。

「ホレス」
『なんだい?』

 馬と獅子を掛け合わせたような奇妙な生き物と会話をしている。しかも、彼の声は私の脳に直接響く。その不思議な感覚に慣れる時が果たして来るのだろうか。
 布団に腰掛けながら、私は彼の瞳をジッと見つめた。

「どうして、あなたは私に良くしてくれるの?」
『……不思議な事を聞くな。困っている者が居たら、手を差し伸べるものだろう?』

 当然の事のようにホレスはそう返して来た。

『さあ、お眠り。明日は少し忙しいぞ』
「……うん」

 動物の言葉を聞いたのは生まれて初めての事だけど、これだけは断言出来ると思う。
 道徳心溢れる彼の行動は動物界でも極めて稀なものだろう。人間だって、早々彼のような行動を率先して取る者は稀な筈だ。
 少なくとも、今まで、私の周りに彼のようなモノは人であろうと、動物であろうと存在しなかった。