第一話『悪夢』

第一話『悪夢』
 
 そこは死臭漂う地下の聖堂だった。そこに、少年は胸から血を流して立っている。
 彼の前には慇懃な表情を浮かべる神父の姿がある。

『私が選定役だと言っただろう。相応しい人間が居るのならば、喜んで聖杯は譲る。その為に――――、まずはお前の言葉を聴きたいのだ』

 神父は少年の過去を掘り返し、痛みを与えた。
 彼らの眼前に広がるもの。それは生きて見る地獄だった。いくら救いを請われても、頷く事は出来ない。出来る事があるとすれば、それはただ、終わらせる事だけ。
 生かされている死体という矛盾を正に戻す。この地獄を作り上げた悪因に償いをさせる。出来る事があるとすれば、それだけだ。
 神父は語る。それは彼という人間が生み出された因果。運命という名の悪因悪果。
 
『慟哭すべき出来事、非業なる死、過ぎ去ってしまった不幸。本来ならば、それらを元に戻す事など出来はしない。だが――――、ここに例外が存在する』

 神父は甘言を口にする。ここには不可能を可能とする『奇跡』がある、と。
 すべてをやり直す事さえ可能とする万能の願望器。
 人々の祈りを汲み取り、あらゆる奇跡を実現させる聖なる杯を持ってすれば、少年の過去を洗い清める事も出来る。苦しみ、嘆く同朋を救う事も出来る。
 その言葉は麻薬にも等しく、抗いようのない魅力がある。

――――ああ、それでいい。抗う必要などない。だって、あなたは救われるべきだ。

 この場に彼の選択を責める者などいない。否、この世界のどこにも責められる者などいる筈がない。
 彼は十分に苦悩した。後は救われるだけでいい。悪夢から醒めて、穏やかなぬくもりの中で生きる事こそが相応しい。

『――――いらない。そんな事は、望めない』

 少年の言葉に息を呑む。彼は真っ直ぐに『自らの過去』を見て、歯を食い縛りながら、否定した。
 胸が痛い。彼の言葉が、思いが、その姿が……、胸に突き刺さる。

『――――では、お前はどうだ? 小僧は聖杯など要らぬと言う。だが、お前は違うのではないか? お前の目的は聖杯による世界の救罪だ。よもや、英霊であるお前まで、小僧のようにエゴはかざすまい?』

 その問いに狼狽えてしまった。求め続けてきた聖杯が目の前にある。それを得る為だけに私はここにいる。
 拒む理由などない。その為だけに私は時を越えて戦場を駆け抜けたのだから。

『では、交換条件だ。己の目的の為、その手で自らのマスターを殺せ。その暁には聖杯を与えよう』
『え――――?』

 意味が分からなくて、口をポカンと開けたまま、目を見開いた。

『どうした? 迷う事はあるまい。今の小僧ならば、死んだという事にも気付かない内に殺せるぞ。……第一、もはや助からぬ命だ、ここでお前が引導を渡してやるのも情けではないか?』

 神父が少年の下へ道を開く。目の前には地下墓地に通じる扉とその奥で蹲る少年が居る。

『あ……、あ』

 足が勝手に動き始める。吸い込まれるように歩いて行く。神父の前を通り、湿った室内に入って行く。
 そこは地獄だった。この中で、少年はのた打ち回り、自らの闇を切り開かれたのだ。
 なのに、それでも尚、少年は神父の言葉を跳ね除けた。

『あぅ……』

 剣に手を掛ける。足下には苦しげに呻く主の姿。
 苦しんでいる。辛そうに顔を歪めている。
 
『あ……ぁ』

 長かった旅が終わる。自らを代償にして願った祈りが漸く叶う。
 ただ、剣を振り下ろすだけで叶う。

『――――、え?』

 呆然と、足下に転がるモノを見た。
 自分が何をしたのか、理解出来なかった。
 だって、おかしい。だって、そんなつもりはなかった。だって、彼は……、彼は……、かれは……―――――、

『ぁ……ぁぁ、いやぁぁぁぁああああああ!?』

 頭の中が真っ白になった。絶望のあまり、悲鳴を上げた。
 王である事を忘れた。英霊である事を忘れた。サーヴァントである事を忘れた。アーサー王である事を忘れた。
 アルトリアという女として、愛した男を自らの手で殺めた事実に絶叫した。

 ◆

『――――シロウ?』

 彼女はほんの少し思っただけだった。ただ、一瞬だけ、聖杯を求めただけだった。
 その願いは直ぐに消え、彼女は何より少年の命を優先させた……筈だった。
 けれど、魔が入り込む隙があった。たった、一度思うだけで十分だった。
 長く、長く疲労し、磨り減っていた彼女の心は些細な弱さに負けてしまった。

『違う……、嘘だ、シロウ』
 
 息絶えた主に手を伸ばす。その亡骸を抱き上げる姿に嘗ての気高さは何処にも無い。

『――――よくやった、セイバー。その慟哭、聖杯を受け取るに相応しい』
 
 神父が言う。茫然自失となった少女はただ導かれるままに差し出される聖杯に手を伸ばし――――、

『それではツマラン』

 その手を黄金の足に踏み躙られた。

『中々に面白い見世物ではあったが、この女は我のものだ。貴様の愉しみの為に使い潰されては困る』
『……ふむ、別に構わん。だが、飽きたら返せ。今のこの女が聖杯を使い、何を為すか、実に興味深いからな』
『まあ、飽きたらな。それまでは我が愉しむとする。ああ、この小僧も借りるぞ。死体とはいえ、利用価値は十分ある』

 ギルガメッシュ。聖杯戦争という因果の中で彼女と縁深くなった世界最古の英雄王は自失したアルトリアを自室へと引き入れた。そこからは目を覆うばかりの陵辱の日々だった。
 彼は彼女の自我を取り戻させる為、衛宮士郎の死体に仮初の命を与えた。無論、彼を甦らせたわけでは無い。だが、彼女にとって、それは微かな希望となってしまった。
 ギルガメッシュの目論見通り、僅かに自我を取り戻したアルトリアを前にギルガメッシュは何度も何度もシロウを殺した。
 度重なる恋人の死に少女は追い詰められ、男に屈服した。
 強引に唇を奪われ、咄嗟に抵抗しようとすれば……、

『抵抗するのは構わんぞ。だが、あの小僧が――――』

 と返ってくる。そうなれば、もはや抵抗など不可能。
 ただ、憐れみを乞うばかり……。

『やめて……、お願いします。どうか、シロウにこれ以上……』
『ならば、分かっているな?』
『……はい』

 アルトリアの瞳から涙が流れる。ギルガメッシュは彼女の頬に唇を落とすと、そのまま涙を舐め取った。

『セイバー、お前が望むならば何時でもお前達は自由の身となれる。にも関わらず、未だに決断出来ずにいるのか?』

 部屋に入って来た神父が問う。

『無粋な事を言うな、綺礼。貴様も、今は我だけを見ていろ』
 
 抵抗する事も出来ず、ただ絶望に沈んでいくばかりの日々。
 そして、彼女はこう思ってしまった。

『シロウ……。ああ、シロウ。これは夢なのですね。ああ、はやく起きて、あなたに会いたい。あなたの作った食事を食べたい。ああ、あなたを……、あなたを……。あなただけを……』
 
 アルトリアは神父に言った。

『聖杯を下さい』
『ああ、構わんぞ。なあ、ギルガメッシュ?』
『ああ、そろそろ飽きて来たところだ』
『随分とアッサリしているな。あれほど欲していた女だと言うのに』
『手に入らぬが故の美しさだった……、というわけだ。手に入ってしまえば、どうでも良くなる』

 聖杯を彼女に投げ渡し、男達は軽口を叩き合う。
 けれど、彼女にとってはどうでも良い事だった。恋人の死体に近寄り、少女は呟く。

『あなたを……、あなただけを……。ああ、それだけでいい』

 聖杯を掲げ、セイバーは願いを紡いだ。

『聖杯よ……』

 そして、セイバーは聖杯から溢れ出した泥に呑み込まれた……。

『シロウ……、愛しています』

第二話『運命の夜、再び』

第二話『運命の夜、再び』

 ……頭痛がする。瞼を開くと、見慣れた風景が目に映った。

「……廊下? なんだって、こんな場所で……」

 こんがらがった思考を鎮めようと深呼吸をした途端、咳き込んだ。口に当てた手を見下ろすと、赤黒い血がベットリと付着している。
 それで漸く思い出した。この場所で己が殺された事実を。

「アイツ……」

 友人に頼まれた弓道場の掃除を終えて帰ろうとした矢先に校庭で殺し合いを演じる二人の男を目撃した。
 剣と槍。まるで映画の世界から飛び出してきたかのような時代遅れな戦い方に興じる不審人物達。さっさと逃げればいいものを、そのあまりにも異常な光景に圧倒され、立ち尽くし、気づかれた。
 唐突に止んだ剣戟。一対の瞳が真っ直ぐに睨みつけてきた。
 殺される。わけのわからない状況の中でもそれだけは理解出来た。だから、必死になって逃げた。ただ、必死過ぎたのだろう。よりにもよって、校舎の中へ逃げ込んでしまった。
 逃げ場の少ない場所で瞬く間に追い詰められ、青い装いの男が持つ真紅の槍を胸に突き刺された。

「……なんで、生きてるんだ?」

 純粋な疑問。貫かれた筈の場所は心臓のある場所。どんなに頑丈な人間でも、心臓を破られれば生きてはいられない。それなのに、鈍痛こそあるものの、まるで死ぬ気配がない。
 別に死にたいわけでもないけれど、尋常ならざる違和感に不快感が募る。

「ックソ、なんだってんだ」

 魔術師としての性か、律儀に痕跡を消して、校舎の外に出る。
 校舎にはもはや誰もいなかった。見上げれば、雲の隙間から眩しい程に美しい月が常と変わらぬ顔を見せる。まるで、さっきまで起きていた出来事が夢幻だったかのように。

「帰ろう」

 考えても分からない事に執着していても仕方がない。普段と何も変わらない帰路を歩き始めた。

 ◆

 家に着いた。明かりが灯っている。

「藤ねえか?」
 
 家には俺以外にも二人の人間が出入りしている。藤ねえはその内の一人だ。
 きっと、帰りが遅くなった事に怒っているのだろう。放課後はすぐに帰るようにキツく言われていたからな。
 少し憂鬱な気分になりながら玄関の扉を開いた。

「……あれ?」
 
 玄関には藤ねえの靴が無かった。

「庭から入ったのかな?」

 藤ねえは人にあれこれ言う癖に時々ズボラな所がある。
 さすがに血塗れの服を見せるわけにはいかない。気づかれないように自室へ移動して服を着替える。
 服の下の状態を確認するのは少し怖かったけれど、そこには何も無かった。穴どころか、傷跡一つない。

「貫かれた筈……、だよな?」

 首を傾げながら居間へ向かう。

「おーい、藤ねえ。家に入る時は玄関から――――」

 居間に入った途端、無視出来ない違和感に襲われた。

「あれ……?」
「どうしました?」

 いつも通りの筈の空間の中で、まるでいつも通りの事のように見知らぬ少女が居座っていた。
 金色の髪、緑の瞳、白い肌……。
 どれもこれもが和風の室内に似つかわしくない筈なのに、どうしてか彼女の存在はこの空間に溶け込んでいる。

「……おかえりなさい、シロウ」
「えっ、うん。ただいま」
 
 咄嗟に返事をしたものの頭の中はごちゃごちゃになっている。
 どうして彼女が自分の名前を知っているのか、そもそも彼女は何者なのか、疑問が山のように湧いてくる。

「シロウ」

 いつの間にか見知らぬ少女は目の前に移動していた。見れば見るほど綺麗な女の子だ。
 まだ、俺は夢の中を漂っているのかもしれない。そう思うほど、彼女の美しさは浮世離れしている。

「ああ、シロウ」

 思わず見惚れていると、彼女は大胆にも抱きついてきた。

「ちょっ!?」

 慌てて引き剥がそうとしたけれど、思いの外力が強い。まるで少女の形をした岩のようだ。

「ああ、シロウ……」

 見上げてくる顔があまりにも嬉しそうで、まるで幸せの絶頂のような笑顔を浮かべるものだから、何も出来なくなった。

「……お前、いったい」

 疑問を口にしようとした途端、唐突に明かりが切れた。次いで、カラカラと奇妙な音が鳴り響く。

「シロウ!」

 急に少女の装いが変化した。青いドレスの上に銀色の甲冑が現れて、俺を抱いたまま窓を突き破った。
 突然の事に驚いていると、金属のぶつかり合う音が響き渡る。
 何事かと目を剥くと、そこには槍を構える男の姿があった。

「お前は……」

 胸に痛みが走る。あの男は間違いなく、俺を槍で貫いたヤツだ。

「……よう、また会ったな」

 男は少女を睨みつける。

「ここまでにしておけよ」

 獰猛な表情を浮かべ、男は大地を蹴る。
 すぐに理解する事が出来た。
 あの男が人の理解の埒外にある存在である事、そして――――、

「なっ……」

 俺に『おかえりなさい』と言った見知らぬ少女がそれ以上の規格外である事を。
 男の繰り出す槍は正に迅雷。視認する事さえ出来ない神速の槍捌きだ。仮に俺があの槍の前に立ったとしても一秒と持たずに全身を貫かれた筈だ。
 その常識はずれの攻撃を少女は見えざる剣で的確に捌いている。
 否、圧倒さえしている。

「嘘だろ……」

 片方は見えないが、二人の持つ武器が交差する度に光が走る。あれが視認出来る程の魔力の猛りである事に気付いた時、勝負は決した。男の片腕が飛んだのだ。
 降り注ぐ鮮血を浴びながら、少女が更なる一撃を加えようとした瞬間、男の姿が忽然と消えた。
 
「えっ……?」
 
 辺りを見回してみても男の気配は欠片も残っていない。

「どうなってるんだ?」
「シロウ!」
「え?」

 少女に手を引かれた。その瞬間、光が降り注いだ。それは確かな質量と膨大な魔力を含む死の豪雨だった。
 まるで爆撃を受けているかのようだ。大地が止め処なく震え続けている。音と光の奔流によって耳は既に機能を停止させ、まともに目を開けている事さえ出来ない。
 死を間近に感じながら、せめて少女の盾ぐらいにはなろうとした。出会ったばかりで、何処の誰かも分からないけれど、俺が『ただいま』と言った時の彼女の表情が脳裏に焼き付いて離れない。

「……大丈夫ですよ、シロウ」

 聞こえない筈の声が聞こえた。
 おかしい。動こうとした体が微動だにしない。
 おかしい。直後に迫る死がいつまで待っても訪れない。
 
「いったい……」

 瞼を開く。そこには硝煙が燻る穴だらけの庭と彼女の笑顔があった。
 一体、どのような神業を持ってすれば可能なのか分からないけれど、彼女はあの魔弾の豪雨を全て凌ぎきったようだ。俺を守りながら……。 

「大丈夫ですよ、シロウ」

 月の明かりが彼女を照らす。その姿はまるで……、まるで御伽噺にでも出て来る女神のようで、思わず見惚れてしまった。

「……君は誰なんだ?」

 知らない筈だ。だけど、どうしてだろう。彼女は何者か聞いた俺に悲しそうな表情を向ける。
 まるで、とても酷い事を言ってしまったかのような……、深い罪悪感を覚える。

「アルトリア」

 彼女は言った。

「アルトリアと申します」
「アルトリア……」

 口の中で彼女の名前を反芻する。

「……聞きたいことが山ほどある」
「ええ、お答えします」
「……けど、その前に言わなきゃいけない事がある」

 不安そうな表情を浮かべるアルトリアに俺は言った。

「ありがとう。助けてくれたんだよな?」
「……いえ、当然の事をしたまでです」

 頬を赤らめる彼女はやはり美しかった。

第三話『違和感』

第三話『違和感』

 聖杯戦争。それは聖杯によって選ばれた七人の魔術師が召喚されたサーヴァントと共に戦う大規模な魔術儀式。
 勝ち抜いた者には如何なる願いでも叶えられる万能の願望器が授与される。だからこそ、参加者に選ばれた者は死に物狂いで勝利を狙う。
 
「とんでもないな……」

 どうやら、俺はその聖杯戦争とやらに巻き込まれてしまったようだ。聖杯によって選ばれた魔術師として、戦わなければならない。

「戸惑うのも無理はありません。私も奇天烈な話をしている自覚はありますから」
「でも、本当なんだろ?」
「ええ、もちろん」

 なら、信じるしかない。アルトリアが嘘を吐いている風には見えないし、さっきの戦いは明らかに人智を超えていた。

「アルトリアは俺に割り振られたサーヴァントって事でいいのか?」
「……私はあなたのサーヴァントです。ええ、それだけは間違いありません。あなたを守り、あなたに聖杯を捧げる。その為に……、その為だけに私はここにいます」
「……そっか」

 改めてアルトリアを見つめると、あまりの美しさに息を呑む。

「シロウ……?」
「……えっと、その」

 見惚れていた事を誤魔化す為にてきとうな話題を考える。

「そう言えば、アルトリアは何かないのか?」
「何か……、とは?」
「ほら、聖杯は万能の願望器なんだろ? それなら、アルトリアは何を願うんだ?」
「……もう、叶っていますよ」
「え?」

 アルトリアは頬を緩ませて言った。

「あなたの傍にいる。それだけが私の望みです」

 真っ直ぐに俺を見ながら、真摯な口調で、そんな冗談みたいな事をアルトリアは言った。
 
「……えっと」

 正直に言えば、わけがわからない。だって、俺がアルトリアと出会って、まだ一時間も経っていない。

「俺達って、前にも会った事があるのか?」
「……ええ」

 しまった。どうやら、俺が一方的に忘れていたようだ。
 泣きそうな表情を浮かべるアルトリアになんて声を掛ければいいか分からない。

「……その、ごめんな」
「いえ、お気になさらないで下さい。ただ、今度はどうか……」
「忘れない! 今度は絶対に忘れない! 約束する!」

 今にも涙が零れそうな彼女の瞳を見ていると、そう言わずにはいられなかった。
 
「……ありがとうございます、シロウ」

 うっとりとした表情を浮かべるアルトリア。なんだか、顔が熱い。
 まったく、どうしたらこんな美人の顔を忘れられるのか、自分で自分の頭の中を見てみたいものだ。

「そっ、それにしても、また襲われたりしたら困るな」
「……大丈夫です、シロウ」

 アルトリアは思い詰めた表情で言った。

「たとえ、どんなに強大な敵が襲い掛かろうと、シロウの事は私が必ず守ります。絶対に……」
「アルトリア……。どうして、そんなに俺の事を……?」
「愛していますから」
「……へ?」

 あまりの事に思考がフリーズした。
 
「……えっと、ご迷惑でしょうか?」
「え? いっ、いやいやいやいや!! ご迷惑だなんてとんでもない!!」

 あまりにもストレートな言葉に頭の処理が追いつかない。ただ、アルトリアの悲しむ顔が見たくないと思って、狼狽しながら必死に言葉を探し求める。

「その……、えっと……、何て言うか……」
「……いえ、突飛な事を言って、申し訳ありません」
「いや、謝る事なんてない! ちょっと……、その、驚いただけだ」

 まだ心臓が高鳴っている。アルトリアみたいな美人に『愛している』なんて言われて、嬉しくない男なんていない。
 ただ、その言葉をそのまま受け取る事はアルトリアの気持ちを軽く見ている気がした。

「アルトリア……。その……、悪いけど、俺はあんまりって言うか、殆どアルトリアの事を覚えていないんだ」
「……ええ」
「だから、俺はアルトリアの事を知りたい」
「シロウ……」

 そうだ。まだ、俺はアルトリアの事を何も知らない。だから、彼女の気持ちを受け取る事も出来ない。

「折角、パートナーになるんだ。アルトリアの事をいろいろ教えて欲しい」
「……ええ、なんでも教えます。あなたの知りたい事、私のなにもかも、なんでも」

 ……不埒な事を考えてしまった。ええい、煩悩退散。

「とりあえず、好きな食べ物から教えてくれないか? これでも一家の台所を預かる者なんだ。大抵のリクエストには応えられるぞ」
「……では、和食を」

 随分と大きな括りで返ってきた。ただ、少しホッとした。俺は洋食よりもどちらかと言えば和食が得意だ。それに、和食なら冷蔵庫にあるもので色々と作れる筈だ。

「分かった。それじゃあ用意してくるよ」

 アルトリアは嬉しそうに笑みを零した。ひょっとして、花より団子な女の子なのかもしれない。
 
 ◆

 少し遅めとなった夕飯はアルトリアに大好評だった。それはもう美味しそうに食べてくれた。作り手冥利に尽きるというもの。
 嬉しくなって、追加で二品も作ってしまったけれど、それも全部平らげてくれた。どうやら、サーヴァントの胃袋に限界は無いようだ。

『シロウの料理は実に素晴らしい』
 
 どこか浮世離れした雰囲気のあった彼女がその時ばかりは身近に感じる事が出来た。
 明日も腕によりをかけて作ろう。何はともあれ、アルトリアという女の子について、少し分かった気がする。

「さて、意識を切り替えるか」

 夕飯の片付けを終えた俺は一人で土蔵に来ていた。アルトリアは割り当てた部屋で先に休んでもらっている。
 これからする事は日課になっている鍛錬だ。未熟者が少しでもマシになるよう幼い頃から続けている魔術の訓練。
 
「まずは……」

 意識を内側に向ける。今は人間である衛宮士郎を魔術師に作り変える為の前準備だ。ここから先は一切の雑念を捨てなければ――――、あれ?
 普段と同じ事をしている筈なのに、普段と少し感覚が異なる。
 いつもは何もない場所に一から魔術回路を作り上げている。それなのに、頭の中で銃の撃鉄のようなイメージが浮かんでいる。

「……あれ?」

 一瞬で魔術回路が出来上がった。
 いや……、出来ていた。元からあるモノが浮上してきた感覚だ。

「これは……」

 試しに近くの雑貨に強化の魔術を掛けてみる。
 驚くほどアッサリと成功して驚いた。

「なっ、なんで急に……?」

 調子がいいなんて言葉で片付けられない。今までと勝手が違いすぎる。

「どうなってんだ?」

 心当たりがあるとしたらアルトリアと出会った事。もしくは……、

「槍で刺されたから……?」

 昔、友人から借りた漫画でそんなネタがあった気がする。あれは矢だった気がするし、魔術ではなく波紋だったけど。
 
「なんか、釈然としないな」

 今まで散々苦労してきた事が難なくこなせるようになって、嬉しいというよりも複雑な心境だった。
 
「……寝るか」

 俺は土蔵を後にした。

第四話『季節外れの徒花』

第四話『季節外れの徒花』

 夢を見ている。

――――I am the bone of my sword.

 無数の剣が墓標の如く突き刺さる荒野。
 見上げた曇天の隙間には巨大な歯車が並んでいる。

――――Steel is my body, and fire is my blood.

 知らない筈の風景が頭に浮かぶ。
 
――――I have created over a thousand blades.

 知らない顔が並んでいる。知らない罪が並んでいる。
 
――――Unknown to Death.

 痛みを感じた。見下ろした先には無数の刃。
 内側から貫かれる苦痛は正気を焼き焦がしていく。

――――Nor known to Life.

 さっきから響き渡る祝詞はなんだ? 頭の中に直接流れ込んでくるような不快な感触に吐き気が込み上げてくる。
 立っていられなくなり、無様に転げ回る。

――――Have withstood pain to create many weapons.

 頭を掻き毟りながら咄嗟に掴んだ宝剣の刃に己の顔が映り込む。
 その瞬間、頭が割れそうに痛んだ。
 色素の抜け落ちた髪。火で焼き焦がしたかのような浅黒い肌。赤い衣。

――――Yet, those hands will never hold anything.

 誰だ、お前は……。
  
――――So as I pray…

 ◆

 飛び起きた。ズキズキと痛む頭を押さえながら、必死に呼吸を整える。
 
「なんだ、今の……」

 悲鳴を上げそうになった。一瞬、自分の手が無数の刃に見えた。
 込み上げてくる吐き気に耐えられず、急いでトイレに向かう。
 胃の中身は空っぽで、胃液しか出てこなかった。
 洗面所で口を濯ぐと、鏡に映った自分の姿に言葉を失った。

「……肌が」

 それはほんの一部だった。肌が黒ずんでいる。
 顔を洗っても、色は落ちない。

「……なんだよ、これ」

 擦ってみても落ちない。不気味に感じながら居間に向かった。

「おはようございます、シロウ」

 そこにはアルトリアの姿があった。

「……おはよう、アルトリア。すぐに朝食の準備をするよ」

 台所へ向かい、冷蔵庫を開く。レシピを考え始めると、それなりに気が晴れた。
 いくつか材料を見繕い、料理を始める。作業に没頭していると気分はすっかり良くなった。
 
「お待たせ」

 料理を居間に運ぶと、同時に襖が開いた。

「あれ? 今日はずいぶん静かに入ってきたな、藤ねえ」

 はじめは桜の方だと思った。藤ねえが入ってくる時はいつもドタバタとやかましい。
 それに、今日の彼女はいつもと雰囲気が違う。

「……おはよう、士郎」
「お、おはよう……」

 なんだか、すごく疲れているように見える。

「大丈夫か? なんか、やつれてるぞ」
「え? ……ううん、大丈夫だよ。お姉ちゃんはいつだって元気ハツラツなのだー!」

 明らかに様子がおかしい。
 
「本当に大丈夫か? 今日は学校を休んだ方が……」
「学校……?」
「え?」

 心底不思議そうな顔をする藤ねえに俺は何か変な事を言ったのかと焦りを覚えた。

「あれ? 今日って、日曜だっけ?」
「……ああ、うん。学校だね。そうだよね、行かなきゃ……。セイバーちゃんも折角だから通ってみる?」
「学校ですか……。ええ、可能ならば通ってみたいと思います」

 その会話に俺は頭を抱えそうになった。

「なあ、ちょっと待ってくれ」
「え?」
「どうしたのですか?」

 キョトンとした表情を浮かべる二人を見て、口ごもりそうになる。
 あきらかにおかしい光景なのに、むしろ、その光景をおかしいと思っている自分こそがおかしくなっているのではないかと不安になってきた。

「えっと、二人は知り合いなのか?」
「うん。だって、セイバーちゃんだよ?」
「セイバー……ちゃん?」
「ええ、私の事です。……ですが、タイガ。あなたにもこれからはアルトリアと呼んで欲しい」
「そう? うーん。今まで、ずっとセイバーちゃんって呼んでたから慣れないな―。でも、セイバーちゃん……じゃなくて、アルトリアちゃんがそう言うなら、うん! これからはそう呼ぶね!」
「ありがとうございます」

 どうやら、二人の関係は一朝一夕のものではないようだ。
 聖杯に選ばれた魔術師とサーヴァントの関係よりも密接な関係を藤ねえがどこで彼女と築いたのか大いに疑問だ。
 
「……そう言えば、前に会った事があるんだよな」

 俺は覚えていないけれど、藤ねえは覚えていたと言う事なのかもしれない。
 藤ねえとアルトリアは二人で盛り上がり始めている。
 料理の配膳を終えて、所定の位置に座ると近くにあったリモコンでテレビを点けた。
 
『わくわくざぶーんは毎日がお客様感謝デー! 来て、泳いで、楽しんで! 冬木市最大のレジャー施設でみんなも盛り上がろう!』

 陽気な曲と共にそんな宣伝文句がスピーカーから飛び出してきた。

「わくわくざぶーん……? そんなもの、いつの間に出来たんだ?」

 流行り廃りに疎い事は自覚しているが、テレビのコマーシャルを見る限り、相当大きなレジャー施設のようだ。
 
「ああ、それ? 少し前に出来たばっかりだよ?」

 テレビでコマーシャルが流れる程の施設の存在を知らないのは健全な男子高校生としていかがなものか。
 もう少し、流行に対してアンテナを張っておいたほうがいいかもしれない。
 
 ◆

 食事を終えた後、藤ねえは来た時と打って変わって明るい表情で出て行った。なにがそんなに嬉しいのか、満面の笑顔で『夕飯も楽しみにしてるからね!』と言っていた。
 
「さて、俺も学校に行く準備を始めないとな」

 片付けを終えて部屋に戻ると、制服を取り出す為に箪笥を開いた。

「うわっ、なんだ!?」

 いきなり上から埃が落ちてきた。

「埃!? 掃除は欠かしてないつもりなんだけどな……」

 今日は襖を開け放しておいたほうがいいかもしれない。どうやら、この部屋の中は思った以上に埃が舞っているらしい。
 制服に着替えて、カバンを手に取る。

「……そう言えば、今朝は来なかったな、桜」

 朝は毎日のように通ってくれている後輩の顔を思い出して、少し心配になった。

「まだ時間があるし、様子を見に行ってみるか」

 出掛ける前にアルトリアに声を掛けておこうと思い、居間に向かう。

「シロウ。お出掛けですか?」
「ああ、学校に行ってくるよ。帰りは夕方になる」

 そう言って、玄関に向かう。すると、後ろからアルトリアが追い掛けて来た。
 見送りに来てくれたのかな?

「いってきます」

 靴を履いて外に出る。
 アルトリアも一緒に出てきた。

「……えっと」
「どうしました?」
「見送りは玄関まででいいよ」
「見送り?」

 首を傾げるアルトリア。仕草が一々可愛らしい。
 そのまま、彼女は俺の横に並んだ。

「それでは行きましょう」
「行きましょうって……、学校までついて来る気か!?」
「ええ、もちろん」

 当然の事のように言われてしまった。

「いやいや、さすがに学校には連れて行けないぞ」
「どうしてですか?」
「どうしてって……、部外者は校内に入れないんだ。原則として……」
「部外者……」

 アルトリアは悲しそうに俯いてしまった。

「いや、部外者っていうのは、学校ではって意味だぞ!」
「……では、せめて学校の近くまで同行を許して欲しい。いつ敵が現れるか分かりませんから」
「敵って……、あの槍の男……ランサーだっけ? みたいなヤツの事か? まさか、真っ昼間から襲ってなんて来ないだろ」
「可能性が低い事は認めます。だからと言って、あり得ないとは言い切れません。シロウに万が一の事があったら、私は……」
「ああ、分かった! 分かったから、そんな泣きそうな顔をしないでくれ」

 結局、学校までアルトリアと一緒に登校する事になった。
 
「シロウ?」

 分かれ道のところでアルトリアが声を掛けてきた。

「学校はこちらでは?」
「ああ、いいんだ。先に寄りたい所があってさ」
「寄りたい所?」

 アルトリアと共に高級住宅街を進んでいく。
 そして……、一人の少女と出会った。
 雪原を思わせる白い髪と血を思わせる紅い瞳の少女は言った。

「――――ああ、可哀想」

第五話『同工異曲』

第五話『同工異曲』

 ――――ああ、可哀想。

 少女は憐れむように言った。その瞳は真っ直ぐ俺に向けられている。
 戸惑う俺を尻目にアルトリアが前に出た。

「……アインツベルンか」
「知り合いか?」
「敵です」

 アルトリアの言葉に少女は笑みを浮かべる。

「昼間から始める気?」
「……マスター同士が顔を合わせた以上、是非も無い」
「聞きしに勝るイノシシ振りね。そんなんだから、大事な物も守れないのではなくて?」

 少女の言葉が何を意味しているのか、俺にはさっぱり分からない。ただ、アルトリアにとっては看過出来ない言葉だったようだ。
 怒りを滾らせて、鎧を身に纏う。

「おっ、おい、アルトリア? 相手は子供だぞ!」
「……アレはホムンクルスです。見た目通りの年齢ではありませんよ、シロウ」
「ええ、生後3ヶ月。子供というより赤ん坊ね、わたし」

 クスクスと笑う少女に俺は目を丸くした。

「生後3ヶ月って……」
「そういう物なのよ、わたしは。一つの目的の為に作られる人造人間。それがホムンクルスよ、エミヤシロウ」
「……俺の事を知ってるのか?」
「ええ、もちろんよ。知らない筈がないわ。料理が得意なのでしょう? 一度、味わってみたいわ」
「……戯言はそこまでにしておけ」

 アルトリアが動いた。止めようと動いた時には既に手遅れ。彼女の持つ不可視の剣が少女に迫り、そして――――、

「……やめろ」

 唐突に現れた鎧の騎士の剣に止められた。

「……いいのね? セイバー」

 セイバー。たしか、藤ねえがアルトリアの事をそう呼んでいた筈だ。
 ところが、返事をしたのはアルトリアではなく、鎧の騎士だった。

「最悪だ。こんなに最悪な気分は生前にも無かった事だ!」

 吠えるような叫び。

「ああ! 他のヤツにくれてやるくらいなら、オレが殺してやる! 殺してやるぞ! だから、魔力を回せ、マスター!」

 セイバーと呼ばれた騎士が輝ける銀の刃を振り上げる。

「ええ、自由に戦いなさい。わたしはそういうの向いてないから、全部任せるわ。終わったら教えてね」

 そう言うと、少女は俺の方にやって来た。

「貴様!」
「……アンタの相手はオレだろ」
「邪魔をするな!」
「邪魔……、そうかよ!!」

 戦いが始まった。剣と剣のぶつかり合い。膨大な魔力が荒れ狂う暴風となり、今にも吹き飛ばされてしまいそうだ。
 
「セイバーってば、やる気満々ねー」

 ケタケタと笑いながら少女は言った。

「……えっと」

 ホムンクルスとアルトリアは言っていた。生後3ヶ月だと彼女自身が語った。
 だけど、俺の目から見た彼女は普通の少女にしか見えない。とても、得体の知れない人造人間とは思えない。

「改めて、こんにちは」
「あ、うん。こんにちは」
「とりあえず自己紹介をしておくわね。こっちだけがアナタの名前を知っているなんて、不公平だもの」

 少女はスカートの端を摘みながら優雅にお辞儀をした。

「お初にお目に掛かります、エミヤシロウ殿。わたしの名前はフィーネ。フィーネ・フォン・アインツベルン。本来、わたしにはロットナンバー以外に識別の為のワードは用意されていなかったのだけれど、それではあんまりだと|彼《・》が付けてくれたのよ。だから、是非とも親しみを篭めて、フィーネと呼んでちょうだい」
「あ、ああ。その、彼っていうのは?」
「私達のボスというか、リーダーというか……」
「……私達って事は、他にも仲間がいるのか?」
「当然じゃない。ああ、アナタは何も知らないのね」
「どういう意味だ?」

 フィーネはすぐに答えず、アルトリアとセイバーの戦場に視線を向けた。
 
「……残念だけど、ここまでね」
「え?」

 その言葉と共にセイバーの剣が光り始めた。同時にアルトリアの持つ不可視の剣から突風が巻き起こる。
 
「なんだ、これ……」
「宝具よ」
「宝具……?」

 フィーネは答えない。その視線はセイバーに向けられている。
 顔を覆う無骨な兜に亀裂が入った。隠されていた顔が顕になった時、思わず声を上げそうになった。
 そこにはアルトリアとそっくりな顔があった。
 鮮血の如き真紅の輝きがセイバーを中心に広がっていく。その禍々しくも絶大な魔力に空間が悲鳴を上げている。

「あんなの……、アルトリア!!」

 咄嗟に駆け出していた。さっきまでは読み取れなかったセイバーの剣の情報が今ではアッサリと解析出来る。
 アレは王権を示す理の剣。その力の真価は『増幅』にあり、セイバーの持つ莫大な魔力を吸い上げた魔剣が牙を剥けば後には何も残らない。

「逃げろ、アルト――――ッ!?」

 言葉を失った。アルトリアの持つ不可視の剣がその真の姿を晒している。その正体を一目で理解する事が出来た。
 なら、アルトリアの正体は……、

「――――そこまでにしておけ、小娘共」

 雷鳴が轟いた。その男は空から降って来た。そう表現するしかない。雲一つない晴天から雷と共に降りてきた巨躯の男がセイバーとアルトリアの間に立ちはだかる。

「邪魔をするな、ライダー!!」

 猛るセイバーをライダーと呼ばれた大男は「バカモン!」と一喝した。

「このような真昼の住宅街で対軍宝具の撃ち合いなど正気の沙汰ではないぞ」
「関係あるか! オレは貴様等と馴れ合うつもりなどない! 邪神に魅入られ、魔女に誑かされ、貶められた父上の誇りをオレは――――」
「……その為に外道へ堕ちると言うならば、貴様の敵は父上だけでは無くなるぞ」

 睨み合うセイバーとライダー。その間にアルトリアが俺の下へ駆け寄ってきた。

「シロウ! ご無事ですか!?」
「あっ、ああ、俺は大丈夫だけど、この状況は……」

 俺の視線に気付いたのか、ライダーの方が手を振ってきた。

「おう、坊主! すまなかった! ウチのイノシシ娘が突っ走りおってな! 戦いは夜に行うものだと余のマスターも言っておっただろうに」
「黙れ! オレを殺したければ好きにするんだな! その代わり、我が剣の刃は確実に貴様等の首に喰い込むぞ!」

 セイバーの苛烈な言葉にライダーは大きなため息を吐く。

「まったく……。気持ちが分からんでもないが、感情的になっている今の貴様では目的を達成する事なんぞ夢のまた夢というものだぞ」
「なんだと!?」

 その時だった。突然、空から光が降りてきた。

「ほれ見ろ、おいでなすった!」
「あれは……、龍?」

 それは龍を象る魔力の塊だった。その数は九。降り注ぐ魔弾にライダーは問答を止め、セイバーを担ぎ上げた。
 落雷と共に何処からか現れた牛の引くチャリオットに跨り、フィーネの下へ向かう。

「あれは!?」
「本当に人の話を聞いておらんかったのだな!」

 フィーネを横切りざまに回収し、ライダーはそのままチャリオットを浮上させる。
 すると、魔弾はチャリオットを追うように軌道を変えた。

「ナインライブズだ! 撃ち落とせるか!?」
「……ったりまえだ!」

 瞬く間に空の彼方へ飛んでいくチャリオットとそれを追跡する魔弾。
 数瞬後、真紅の極光が天に向って伸びた。

「なっ、なんだったんだ?」
「……どうやら、セイバーとライダーは同盟を結んでいるようですね。気をつけましょう」
「同盟? っていうか、さっきのアレは何だったんだ!?」
「……ナインライブズ。アーチャーの宝具です」
「アーチャー……?」
「とりあえず、一度家に帰りましょう。やはり、聖杯戦争中は外出を控えた方が賢明のようです」
「あっ、ああ……」

 ナインライブズ。それに、アルトリアと同じ顔を持つセイバー。
 頭の中で情報を処理し切れなくなっている。いろいろとアルトリアに聞きたいことがあるけれど、今は大人しく家に帰ろう。
 ここでまた戦闘が起きたら、どんな被害が出るか想像も出来ない。

「……これが聖杯戦争か」

 ◇

 ライダーが戻って来たようだ。無事にフィーネとセイバーを連れ戻してくれたらしい。

「ご苦労だったな、ライダー」
「まったくだ。このジャジャ馬娘と来たら、チャリオットの上で延々文句を垂れおってからに。少しは助けてもらった事に感謝せい!」
「ウルセェ! 誰も頼んでねぇ事を勝手にやった癖に恩着せがましい事をほざいてんじゃねぇ!」

 まったく、喧しい。

「苦労が絶えんようだな」

 |アーチャー《・・・・・》が紅茶を持ってきてくれた。実に気が利く。

「ありがとう、アーチャー。ついでにあのバカ共を黙らせてくれないか?」
「いやはや、一介の弓兵如きにマケドニアの大王と稀代の反逆者の言い争いを止めろと言うのか? 勘弁してくれよ」
「あら、私のサーヴァントは喧嘩の仲裁も出来ないのかしら?」

 肩を竦めるアーチャーに彼のマスターが容赦のない事を言い出す。

「……まったく、サーヴァント使いが荒いマスターだ」
 
 そう言いながら取っ組み合いに発展し掛けているセイバーとライダーの間に割って入るアーチャー。その苦労人振りには同情を禁じ得ない。

「それで、いよいよ今夜から?」
「ああ、ついさっき最後のサーヴァントの召喚が完了した。これで我が陣営の準備も万端というわけだ」

 私の言葉に彼女は瞳の奥で紅蓮の炎を燃やし始めた。

「……ようやく、はっ倒しに行けるわけね。あのバカ……」

 彼女にとって、この戦いは特別だ。

「難儀なものだ。……さて」

 手を二回叩き、寛いでいる各方の注目を集める。

「さて、先走った者もいたが、今宵こそが本番だ」 
「……ランサーのヤツだって」

 セイバーがぼやくように言った。

「ランサーとミス・マクレミッツには威力偵察を頼んだ。おかげで敵が想定以上に厄介である事が分かった。その上で言うが、今後は単騎で動く事を控えて欲しい。賢明なる貴君には理由を言わなくても理解して頂けると判断するが?」
「……喧嘩売ってんのか?」
「反感を買ったのならば謝るが、この程度の言葉遊びを聞き流す事も出来ない状態で戦場に出る事がどういう事か……」
「ウルセェ! 言われなくても分かってる! ……話はマスターが聞いておいてくれ」

 そう言い捨てると、セイバーは部屋を出て行った。彼女のマスターであるフィーネはやれやれと肩を竦めた。

「セイバーったら、可愛いんだから」
「あれを可愛いと言える嬢ちゃんは大物だな……」

 フィーネの言葉にランサーが苦笑いを浮かべた。
 今一度手を二度叩き、一同の意識を切り替える。

「これは魔術協会からの正式な依頼でもある。各々、真面目に行動する事を心掛けるように! 決して! いいか? 決して、勝手な行動を取るんじゃないぞ!」
「知ってますよ、マスター・V! それって、前フリってヤツなんですよね!? 安心して下さい! 分かってますから!」
「ファック! 何も分かっていないだろ、バカモノ!」
「おお、我が兄よ。些か、レディーの前で下品ではないか?」
「……お前達に真面目になれなどと無茶な事を言った事は謝ろう。兎にも角にも今夜だ。各々、開戦までは体を休めておくように」
「了解です、ロード・エルメロイⅡ世」
「了解です! グレートビッグベン☆ロンドンスター!」
「了解だ、女生徒が選ぶ時計塔で一番抱かれたい男な我が兄よ!」
「了解です、絶対領域マジシャン先生!」
「了解よ、プロフェッサー・カリスマ殿」
「了解ですわ、えっと……、えっと……」
「思いつかないのなら無理に言わなくて結構だ、ミス・エーデルフェルト。それと、貴様等は全員死ね!」

 相も変わらず騒がしいバカ弟子共に振り回されながら、今宵の戦いが不安になって来た……。

第六話『少女』

第六話『少女』

 ――――その国には暗黒に閉ざされた時代があった。

 覇王亡き後、ブリテンは混乱の極みにあった。
 諸侯達は我こそが王者であると主張し、相争うばかり。
 その一方で、分裂し、急激に力を失っていくブリテンの地を我が物にせんと、諸外国の異民族達は今が好機とばかりに狙っていた。
 人々は導き手たる王を求めた。 
 人々の求めに応じ、選定の剣を引き抜いた王の名は――――、アーサー・ペンドラゴン。
 騎士の誉れと礼節、勇者の勇気と誠実さを併せ持つ清廉なる王はその手に握る輝きの剣によって、乱世の闇を祓い照らした。
 十の歳月をして不屈。
 十二の会戦を経て尚不敗。
 その勲は無双にして、その誉れは時を越えて尚不朽。
 あの戦場でアルトリアが掲げた剣こそ、彼の王が戦場にて掲げし旗印。
 過去から現在、そして、未来を通じて戦場に散っていく、全ての|兵《つわもの》達が今際の際に抱く『栄光』という名の哀しくも尊きユメ。
 清廉潔白の王。騎士の理想の体現。常勝無敗の覇者。
 それがアルトリアの正体。
 
「……どうしてなんだ?」
「シロウ?」

 彼女の正体が分かると同時に湧き起こった疑問。
 家に戻ってきて、他のなによりも先に俺はその疑問を口にしていた。

「どうして、俺なんだ?」
「……どういう意味ですか?」

 首を傾げる彼女に俺は言った。

「……君は俺に『愛してる』って言ったよな?」

 自分で言っておきながら、現実味がない。そんな言葉を誰かから掛けられたのは初めての事だった。
 その相手が伝説に名を馳せる王だったのだから、ひとしおだ。
 
「ええ、言いましたよ。そして、その言葉に嘘偽りはありません。私はアナタを愛しています。無論、一人の男性として」
「……分からない」

 情けない事を言っている。酷い言葉を口にしている。
 だけど、俺には分からない。彼女の思いを侮辱している事は分かっていても、彼女の気持ちが分からない。

「どうしてなんだ? 俺は別にイケメンってわけでもないし、アーサー王にそんな言葉を掛けてもらえるような人間じゃ……」

 そこまで言って、二の句を告げなくなった。
 アルトリアが泣きそうな顔で睨んできたからだ。

「……私は確かに王として国を治めていた」

 押し殺すような口調で彼女は言った。

「民を守る為に戦って……、戦って……、戦って……」

 声が弱々しくなっていく。

「アルトリア……」

 彼女は涙を零した。

「その事に後悔なんてしていない。それでも……、滅びた祖国を救いたくて、聖杯を求めた……。求めてしまった……」
「アルトリア……?」

 その悔やむような言葉に俺はなんて声を掛ければいいのか分からなかった。

「……間違えた。……間違っていた。分からせてくれたのに……、分かっていたのに……」

 ゆらりと彼女は立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。

「アルトリア……」

 俺の横に座り直して、体を預けてくる。甘い香りが鼻孔を擽った。

「アーサー王は死んだのです、シロウ」
「それは……」
「あの戦いで王は国と共に滅びた。だから、ここにいるのはただのアルトリアです」

 腕に腕を絡めてくる。振り解く事なんて出来なくて、されるがままに抱き締められた。

「私はアナタが欲しい。アナタだけでいい。他には何もいらない」

 押し付けられた胸の感触に脳が痺れる。
 より強まった彼女の香りにクラクラする。
 
「……なんで」

 だけど、頭の隅にこびりついている疑問が頭の靄を晴らす。

「なんで、俺なんだ? 俺は魔術師って言っても未熟者だし、他に大した取り柄も無いような男だぞ」
「アナタの心……」
「心……?」
「その心に私は惹かれた……。一人の女として、生まれて初めて恋をした」

 分からない。

「なんでなんだよ……。俺は昨日お前と出会ったばかりなんだぞ!?」
「……私はアナタと前にも会っています」
「それはいつの事なんだ!? 俺はお前の事を何も覚えていないんだ! 俺には……、俺にはお前の心が分からない!」

 言い過ぎた。頭の中がこんがらがっていて歯止めが効かなかったなんて言い訳にならない。
 
「……ええ、分かっています」

 泣きながら、彼女は言った。

「『王は人の心がわからない』。私に仕えてくれた騎士に言われた言葉です。ええ、人の心を分からない者の心など、誰にも分かってもらえる筈がない……」
「ちっ、違う! 俺はそんなつもりじゃ……」

 俺は大馬鹿野郎だ。理由が分からなくても、自分を愛してくれている少女に向けていい言葉じゃなかった。そんな事、考えるまでもなく分かる事なのに、彼女を酷く傷つけてしまった。
 
「……だけど、信じて欲しい」
「アルトリア……」
「私はアナタを愛しています。心の底から……。どうか、それだけは……」
「……ああ」

 彼女が嘘や冗談で口にしているわけじゃない事は分かっていた。だけど、理由が分からなくて……、彼女の愛にどう報いていいのかが分からなくて……。

「……アルトリア。君の事をもっと教えて欲しい。アーサー王だった頃の君の事、今の君の事……。もっと、もっと知りたい」

 顔が綺麗だから。愛してくれているから。そんな理由じゃなくて、ちゃんと彼女を知って、俺も彼女を愛したい。
 
「……はい、シロウ」

 ◇
 ◆

「……本当にいい子ね。こんなわけの分からない状況でも、貴女に対して誠実であろうとしているわ」

 魔女の言葉にアルトリアは頷いた。

「かの騎士王をここまで狂わせる理由も分かる気がする。……私にとっての|彼《・》が貴女にとっての坊やなのね」
「……キャスター」
「ええ、これは契約。貴女と私は同じ祈りを掲げてここにいる。厄介な連中が妨害の為に動いているけれど、私と貴女が手を組んで、出来ない事なんて何一つ無いわ」

 空に幾筋もの糸が広がっている。その糸は冬木市の全体を覆い尽くし、全ての人間と繋がっている。
 その糸から伝わる魔力は魔女とアルトリアを囲む五つの影に降ろされている。

「始めましょう、|マスター《・・・・》。私達の聖杯戦争を……」
「……ええ、始めましょう。たとえ、相手が誰であろうと関係ない」

 アルトリアの視線の先には雷を轟かせるチャリオットとその上に乗る7つの騎影。
 
「掛かってくるなら構わない、相手になろう。リン!」

 ◇

 届くはずの無い声が聞こえた。

 ――――掛かってくるなら構わない、相手になろう。リン!

「……バカ」

 泣きそうな声で遠坂凛は呟いた。

「一人で抱え込んで……。挙句の果てにこんなバカな事をして……」

 気付くべきだった。気付ける機会があった。
 あの日……。一人で帰ってきた|セイバー《アルトリア》。
 
「はっ倒してやるから、覚悟してなさい」

第七話『神域』

第七話『神域』

 ――――深夜零時を過ぎた瞬間から、この街は呼吸を止める。

 深夜営業を行っている居酒屋やコンビニエンスストアも光を落とし、受験生や夜勤者も瞼を閉ざす。
 空中に張り巡らされた極細の蜘蛛の巣が伝わる魔力によって姿を現し、街と外を隔てる教会には無数の怨霊が怨嗟の声を上げ始める。
 人口150万人を超える衛星都市は今や――――、

 ――――魔女の神域と化している。

 聖杯戦争の根幹たる大聖杯を中心に広がる龍脈を掌握し、教会と協会の者を含めた全ての住民に糸を張り、魔女は街一つを己の陣地に変えた。

「……魔術協会と聖堂教会の両方に真っ向から喧嘩を売るとは。おかげで貧乏クジを引かされた」

 ロード・エルメロイ二世こと、ウェイバー・ベルベットがゲンナリした表情でつぶやく。
 聖堂教会はこの事態に至るまでに幾人もの代行者を送り込んできた。
 魔術協会も執行者を始めとした武闘派の魔術師を送り込んできた。
 結果として、帰ってきた者は一人もいない。
 当然だろう。所詮、彼らは人間であり、積み重ねた業とて1000年程度。
 対する魔女は神代を生きた最高位の魔術師である。そして、彼女が率いる者達はいずれも劣らぬ怪物ばかり。
 かと言って、聖杯が『この世全ての悪』という極大の呪詛を内包している事実が露見した今、協会も傍観に徹している場合ではないと重い腰を上げた。

「コルキスの魔女メディア。悪辣な女として有名だが、その実力は魔術師というカテゴリー全体を見てもトップクラス。それが約半年も潜伏しながら着々と準備を整え、表舞台に顔を出したのが三ヶ月前の事だったな」

 ライネス・エルメロイ・アーチゾルデが資料を片手にニヤニヤと笑みを浮かべる。

「その時点でほぼ手遅れの状態でした。メディアは既に冬木市全体を神域に変え、停止状態の大聖杯を起動させていた。第六次聖杯戦争を引き起こし、自陣で七騎のサーヴァントを全て揃えてしまうという荒業をやってのけた。残り一体が召喚される寸前に私が『予備システム』を起動した事で聖杯大戦という現在の状態に持ち込む事が出来ましたが……」

 バゼット・フラガ・マクレミッツの言葉にフラット・エスカルドスは下手な口笛を吹いた。

「神代の魔女の領域に入り込んで予備システムを起動するって、簡単に言うけど凄いですね!」
「……フラガの末裔の名は伊達では無いという事ですわね」

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの言葉にバゼットは複雑そうな表情を浮かべ、肩を竦めてみせた。

「今回の依頼を受ける際、魔術協会から異例とも言えるような措置を受けましたから」

 片手を持ち上げながら彼女は言った。そこに在るものが本物ではなく義手である事を知っている者はウェイバー一人だった。
 最高峰の人形師が用意したと言う義手。他にも様々な援助が与えられたらしい。

「……おかげであのバカを止めるチャンスが出来たんだもの。感謝しているわ、バゼット」

 遠坂凛は使い魔を通して冬木市の遠景を見ながら言った。

 ◇

『――――ねえ、士郎』

 持ち場に着いたタイミングでアーチャーの下に主からの念話が届いた。
 やれやれと溜息を零し、弓兵は言う。

「その名で呼ばれても、私としては反応に困るのだが?」

 その名は確かに彼を示す記号の一つではある。だが、彼の真名では無い。

『無銘の正義の味方なんて、呼び難いじゃない』
「ならばクラスで呼べばいい。他の者達もそうしているじゃないか。そもそも、真名は隠すべきものだろう?」

 数奇な運命だとアーチャーは思った。よもや、|この状態《・・・・》になって故郷の地に舞い戻る事になるとはつゆとも思わなかった。そもそも、彼女と契約した直後は冬木市が自身の故郷である事も忘却していた。
 彼の正体は正義の味方という概念を体現する者。個ではなく、群でもない。言ってみれば、幻影のようなもの。それ故に生前の記憶を殆ど失っている。
 正義の味方を志し、歩んだ軌跡だけが彼という人格を形成している。
 そんな彼にとって、衛宮士郎という個としての名は『そういう風に呼ばれていた時代もあった』程度の認識でしかない。幼い頃のニックネームで呼ばれたような感覚だ。 

『私は|衛宮士郎《アンタ》と出会うのがこれで三回目なの……』
「……真面目に考えると頭がおかしくなりそうだな。それで?」
『散々苦労させられたわ』
「みたいだな」
『だから、もう衛宮士郎に対して、遠慮はしないって決めたのよ。私はアンタを無銘の正義の味方なんて呼びたくない。それに、アーチャーとも呼びたくない。だから、士郎って呼ぶ事に決めたの』
「……やれやれ、我儘だな」
『そうよ、知らなかったの? 私は我儘なの』

 知っていたのかもしれない。生憎、彼女と過ごした記憶は朧げだ。
 それでも、少し嬉しくなった。

「……マスター。それならば私の方からも我儘を言わせてくれ」
『なっ……、なに?』
「これからは私も君をリンと呼ばせてもらおう」
『……ええ、いいわよ。それじゃあ、士郎。一発、ブチかましてやって!』
「了解だ、リン!」

 嘗て、この素晴らしき女性と共に過ごした時間があった。
 彼女はまるで輝ける太陽の如く、心を高揚させてくれる。

「では、期待に応えるとしよう」

 木々は腐り落ち、月は蝕まれ、星は堕ちた。
 だが、暗黒如きに居場所を与える気は毛頭ない。

――――I am the bone of my sword.

 弓に番えるは螺旋の剣。ケルト神話に名を馳せる大英雄フェルグス・マック・ロイが振るいし『|虹霓剣《カラドボルグ》』を彼なりにアレンジしたもの。

「折角だ。派手に行こうじゃないか!」

 撃ち放たれた矢は空間を捻じ曲げながら魔女の領域を突き進む。
 当然の如く、迎撃の為に敵軍のアーチャーが矢を放つ。矢が撃ち落とされる寸前、アーチャーは矢に篭められた幻想を解放した。
 振り抜いた剣光が丘を三つ切り裂いたという、後の時代の数多の英雄達が手にした魔剣・聖剣の原典。
 それが内包する魔力は対軍宝具の一撃にさえ匹敵し、眩い光と爆音があたかも大輪の花火の如く天空を染め上げる。

「さて、次だ!」

 位置を移したアーチャーは新たな矢を弓に番え、再び撃ち放つ。
 繰り返す事、十を数えた頃、|第六次聖杯戦争《聖杯大戦》の火蓋は切られた。
 
 ◇

 空に上がる眩い光。それは此方のアーチャーの動きを牽制すると同時に魔女が張り巡らせた糸を断ち切る狙いが在る。

「……セイバー」

 アルトリアが声を掛けると、セイバーと呼ばれた鎧の騎士が頭を垂れる。

「……ランサー」

 赤と黄の槍を握る騎士もまた、彼女に頭を垂れる。

「……アサシン」

 髑髏の仮面を付けた黒衣の暗殺者もセイバーとランサーに続く。

「……ライダー」

 紫の髪の女は天馬に跨り、アルトリアを無言のまま見つめる。

「……キャスター」

 魔女は眼前に浮かべた水晶に侵入者達の姿を映しながら小さく頷く。

「……アーチャー」

 大英雄はひたすらに敵のアーチャーの矢へ迎撃の矢を放ち続ける。

「――――我が手に聖杯を」

 その言葉を合図にサーヴァント達は戦場へ駆けていく。
 その身に暗黒の加護を受けながら……。

「シロウ……。ああ、シロウ……。待っていて下さい。あと少しで私は……」

 狂気に囚われた王はその身を駆け巡る衝動によって魔女の偽装を払い除ける。
 黒く染まった衣と鎧。その手に握る聖剣も暗黒の輝きを放っている。

「イリヤスフィール……。サクラ……。私はシロウを必ず……」

第八話『大戦』

第八話『大戦』
 
「どいつもこいつも胸躍る益荒男ばかりではないか! なあ、坊主!」
『……もう坊主なんて歳じゃないぞ』

 天馬に跨り、宝石の位を持つ魔眼に見つめられながらライダーのサーヴァントは常と変わらぬ態度で主に語りかけている。
 楽しそうに笑う彼に主であるウェイバー・ベルベットは叱責する事なく彼の話に付き合っている。
 この時間はウェイバーにとって望んでやまなかった一時だった。

「良いではないか! わざわざ貴重な令呪を余の記憶の為に使いおった癖に、今更カッコつけるでないわ!」
『べっ、別に無意味な事をしたわけじゃない。こっちはお前を知ってるのに、また一から始めるなんて非効率だと思ったからだ!』
「相変わらずだな、お前さん』
 
 やれやれと肩を竦めながらもライダーは嬉しそうに微笑む。
 彼は以前もウェイバーに召喚され、聖杯戦争に挑んだ事がある。あの時とくらべて背丈は随分と大きくなった。多くの門下に慕われる姿も見た。
 あの振り回されるばかりだった少年が一軍の長として指揮を取る姿を見る事が出来た事にライダーは喜びを感じている。
 
「ウェイバー・ベルベット! 余は王として、お主の成長ぶりが実に嬉しいぞ!」
『……まだまだだよ、私は』

 その言葉をライダーは謙遜とは受け取らなかった。今なお、更なる高みを目指している男に語るべき言葉は一つ。

「ならば、この戦場で更なる飛躍を遂げよ! 余の臣下ならば無理とは言うまいな!」
『……無論』
「良い! 良いぞ、坊主! ならば余も全力だ! お主の采配をとくと見せよ!」
『……ええ、承りました。我が王よ!』

 ◇

 街を徘徊する影。アサシンのサーヴァントは侵入者たる嘗ての同胞を見つけ出した。

「……貴殿か」

 侵入者たるアサシンは油断なく黒塗りの短剣を構える。

「百貌か……」
「呪腕の……」

 百貌と呪腕。共に同じ名を抱く暗殺教団の頭領。
 共に異教の軍勢と戦った同志であり、今は異なる主を持つサーヴァント。
 語るべき言葉はなく、互いに獲物を向け合う。
 音もなく、気配さえなく、静かな殺し合いが始まった。

 ◇

「……さすがと言うべきか」

 キャスターのサーヴァントは魔女の創り上げた神域に対して感嘆の声を上げた。
 己の魔術理論がほとんど通用しない。

『ですが、どうにかしなければなりません』

 マスターであるルヴィアの言葉にキャスターは思案する。

「大地の理に関しては私の方に分があるようだ。霊脈の方から攻めてみるか」
『頼りにしていますわよ、アパッチ族の戦士ジェロニモ』
「……ああ、任せておけ。君は侵略者共の末裔なれど、何も憂う事なく肩を並べられる稀なる御仁だ。君の為、この異国の地の民の為、私は己が全霊を賭けて神代の魔女に挑もう」

 キャスターの言葉に頬を染めながら、ルヴィアは言った。

『誇り高き方。貴方がわたくしのパートナーになって下さった事、嬉しく思いますわ』
「こちらこそ」

 キャスターは大地に手を当てる。おぞましき感触に嫌悪感を抱きながら、彼はつぶやく。

「精霊よ、我に力を……」

 ◇

 一年を通じて温暖な気候の風光明媚な都市は今や群雄割拠の戦場と化している。
 空には破壊の花火が幾千も打ち上がり、その隙間を縫うように雷を纏う神牛と光を纏う天馬がぶつかり合っている。
 駅前広場では槍使い同士の激闘が繰り広げられ、冬木大橋では鎧の騎士同士が剣を交えている。
 敵の懐に忍び寄ろうと影を往く稀代の暗殺者の下にも迎え撃つべく間諜の英霊が襲いかかり、魔女は神域を蝕む|魔術師《害獣》を排除する為に動く。
 そして……、

「よう、騎士王! アンタの相手は俺だ」

 苛烈な戦場を鼻息混じりで踏み越え、凶暴な獣の如き男がアルトリアの前に現れた。
 
「……貴様一人か?」

 アルトリアは問う。これは彼女にとって想定外の事だった。
 今の彼女は受肉しており、その身に宿る竜の炉心が完全起動している。
 幻想種の頂点たる竜種と同様に彼女は息をする度に極大の魔力を生成する事が出来る。加えて、キャスターのサーヴァントであるメディアが地脈と住民達から魔力を吸い上げている。
 今のアルトリアが保有している魔力量は正に無限。それを敵も理解している筈だ。だからこそ、己を狙うのは他のサーヴァントが脱落した後だと考えていた。

「折角の大一番だ。他の連中に邪魔されたらつまんねーだろ?」

 その瞳に浮かぶ光は戦を楽しむ戦士独特のもの。

「さぁて、喧嘩だ、喧嘩! ぶん殴り合いのお時間だ! どっちか倒れるまでとことんやろうぜ!」

 直後、アルトリアは理解する。これは男の暴走ではなく、此方を翻弄する為の奇策でもなく、ましてや彼我の力を見誤っているわけでもない。
 あくまで戦略に則った布陣。この野蛮な男こそ、アルトリア用の対抗手段。

「――――貴様は」

 無尽の魔力の後押しを受けて尚拮抗されている状況。それが示す男の規格外な力。
 加えて、己の内側に湧き起こる眼の前の男に対する忌避感が男の正体をアルトリアに告げている。

「ああ、自己紹介くらいはしておくべきだよな! 俺はベオウルフだ! さあ、余計な事は考えないで存分にやり合おうぜ!」

 勇者王ベオウルフ。英文学最古の叙事詩たる『ベオウルフ』の主人公であり、後の数多の英雄譚の影響を与えた英雄の中の大英雄。
 かの英雄王と比較しても劣らぬ覇名を持つ勇者王が相手となれば如何に有利な状況にあろうと侮る事は許されない。

「いいね、いいねぇ! 最高だぜ!」

 膨大な魔力のぶつかり合いは大地を割り、天を引き裂いた。

「――――|約束された勝利の剣《エクスカリバー》!!」
「ッハッハッハ!!」

 宝具の真名解放を持ってしても笑いながら襲い掛かってくる怪物にアルトリアは嘗てブリテンに攻め込んできた蛮族達を想起した。
 ここまで来ると笑ってしまう。いつだって、我が道には|理不尽《バケモノ》が立ち塞がる。

「――――これ以上、私の邪魔をするな、蛮族が!!」
「いいぜ、怒りな! 殴って蹴ってさっぱりしようぜ!」

第九話『祭壇』

第九話『祭壇』

 ランサーは敵のランサーと刃を交えながらつまらなそうに舌を打った。
 召喚された事に不満はない。マスターはイイ女で、戦場にも事欠かない。
 だが、どうにも気が乗らない。

「――――ッハ! かの大英雄と武勇を競えるとは」

 対して、相手は実に愉しそうだ。
 二槍を振るう美丈夫。マスターのバゼットが聖杯戦争の過去の記録から彼の正体を洗い出した。
 ディルムッド・オディナ。フィオナ騎士団随一の騎士として有名な男だ。戦場で矛を交える相手としては申し分ない筈だった。
 その瞳が狂気に染まってさえいなければ……。

「誉れ高き赤枝の騎士よ! 我が二槍を受けるがいい!」

 バゼットが聖杯の予備システムを起動した直後、彼は召喚された。暗黒の柱を背に、マスターと死線を潜った。
 どいつもこいつも目が腐り切っていた。

「……なあ」
「見ていて下さい、主よ! 我が槍の冴えを!」

 彼の目はランサーの姿を映していない。そういう風に召喚されたのだ。
 聖杯に穢し尽くされた少女。それが召喚した者が真っ当な英霊である筈がなかった。
 彼女の願い自体は純粋なものだった。壊れたものを必死に直そうとしている。
 それだけの為に狂ったのなら、それは愛嬌だ。
 嘗て、イイ男を独り占めにしたいと声高に叫び、大陸全土を戦乱に巻き込んだ女がいた。そういう女は困りはしても嫌いではない。
 だが、アルトリアは違う。アレは悪意に弄ばれている。
 この戦いの裏には無垢な祈りを捧げる女を玩具にして楽しんでいるクソ野郎が確実に存在している。
 それがどうにも気に入らない。おかげで折角の死合も楽しめない。

「……胸糞悪い」

 ◇

 セイバーのサーヴァントはイライラしていた。本命であるアルトリアの下へ向かう最中に現れた鎧の騎士によって足止めを喰らい、バーサーカーに先を越された。
 おまけに邪魔立てしてきたサーヴァントの鎧には見覚えがあった。

「今更忠義の騎士を名乗ろうってのか?」

 セイバーの問に騎士は答えない。それが一層セイバーの苛立ちを加速させた。

「だんまりかよ」
『落ち着きなよ、セイバー』

 主人であるフィーネの声が脳裏に響く。

『ランサーが言ってたでしょ。彼らは正気を失っている。狂気染みた妄執に取り憑かれ、それ以外の全てが腐り落ちている。理想もない、思想もない。それ故に彼らは妄執だけを糧に行動する。そんなもの相手に会話が成立する筈もないわ』
「……わかってるんだよ、そんな事は」
『なら、為すべき事をなさい。目の前の敵を駆逐する。シンプルでしょ?』
「ああ、そうだな」

 憎悪も憤怒も抜け落ちた。

「……サー・ランスロット。今、終わらせてやるよ」

 セイバーには彼の妄執の正体が分かっていた。だからこそ、苛立っていた。
 アーサー王に対する負い目。円卓に不和の種を植え、破滅の引き金を引き、カムランにも間に合わなかった。
 だから、彼はアルトリアの為にここにいる。騎士として、彼女の為だけに戦う決意。
 もしかしたら、そこに立っていたのは己だったかもしれない。王の責務を忘れ、一人の少女として愛に狂うアルトリアを一心不乱に支え続ける。
 間違っている事は分かっている。それでも、羨ましく思った。

「覚める前に眠っとけ」

 きっと、ランスロットは幸福な夢の中にいる。ならば、夢心地のまま葬り去ってやろう。
 
『……セイバー。もし、貴女が望むのなら、私は構わないのよ?』
「変な気を回してんじゃねぇよ。正気のまま見るには……、コイツの夢は居心地が良過ぎる」

 ◇

 魔女は戦場を俯瞰しながら溜息を零した。

「セイバーとランサーは劣勢。アサシンに至っては既に半数の個体が消滅。ライダーとアルトリアも攻め切れずにいる……」

 中々に優れた布陣だ。特にベオウルフは敵ながら賢い選択だった。
 
「……まあ、どっちでもいいのだけど」

 魔女は嗤う。

「贄の数が揃えばそれでいい。それで漸く……、フフ」

 禍々しい光を宿す瞳で魔女は天を見上げる。

――――深夜零時を過ぎた瞬間から、この街は呼吸を止める。

 深夜営業を行っている居酒屋やコンビニエンスストアも光を落とし、受験生や夜勤者も瞼を閉ざす。
 空中に張り巡らされた極細の蜘蛛の巣が伝わる魔力によって姿を現し、街と外を隔てる教会には無数の怨霊が怨嗟の声を上げ始める。

――――眠る者達は導であり、怨霊は円環を覆い隠す為のもの。

 さあ、存分に殺し合うがいい。その度に流れる血の雨を大地は啜り、完成へ近付いていく。

第十話『嗤う鉄心』

第十話『嗤う鉄心』

 ――――罅割れていく。

 俺は……、オレは……、私は……、オレは……。
 目まぐるしく移り変わる風景。そのどれもが地獄を映していた。
 街を覆い尽くす業火。中東で起きた紛争。疫病で苦しむ幼子。魔術の実験台にされた人々。死にたくないと涙を流す死徒。
 救いを求める人々の手を払い除けて、命の重さを量で計る。それを正義と謡い、酔い痴れる。

 ――――ああ、これが■にとっての日常だ。

 男の声が聞こえる。

『アレは間桐の後継者として、実験台にされ続けてきた。間桐臓硯がどのような教育を施したかは想像に難くない』

 吐き気がする。腸が煮えくり返る。
 どうして、気づけなかった。隠そうとしていたから? だから、救いを求め続けていた事に気づけなかった事は仕方がない?
 膨らみ続ける憎悪は脳髄を焼き焦がしていく。
 彼女はいつも笑顔を浮かべていた。穏やかで優しい、心安らぐ笑顔。その下に如何なる苦痛を味わっているかも知らず、当然のように甘受していた。
 そうだ。気づけていた筈だ。少し考えれば届いていた筈の真実から、衛宮士郎は目を背け続けてきた。

 ――――理想があった。大切な人がいた。歩み続ける背を押してくれる過去があった。
 
 その光景は眠る度に再生される。
 正義の味方。その理想の為に悪を排除する。
 たとえ、どんなに大切なモノでも、例外などありえない。

『シロウ』

 少女の声が聞こえる。

『怒らないよ。何があったか知らないけど、わたしはシロウをきらわない。シロウがなにをしたって、わたしはシロウの味方をしてあげる』

 その言葉に心が大きく揺れ動いた。それは知らなかった言葉。当たり前の事なのに、それまで頭に浮かばなかった言葉。

『好きな子の事を守るなんて当たり前だよ? そんなのわたしだって知ってるんだから』

 誰かの味方。顔も知らない不特定多数ではなく、守りたいモノの味方をする動機を彼女はアッサリと口にした。
 正しい選択がどちらなのか、考えずとも分かる。いや、分からなければならない。
 人という生物を名乗るつもりなら当たり前のように彼女の言葉を受け入れるべきだった。
 だけど、出来なかった。己を生かすモノ。生かしてきてくれたモノに背を向ける事は出来なかった。

 ――――心を静かに、鉄に変えた。

 それで衛宮士郎という人間は終りを迎えた。喉元まで迫っていた胃液も、煮え立った腸も、瞼を伝う涙も、なにもかも止まった。
 残ったモノは枯れ果てた心と己を突き動かす|衝動《りそう》のみ――――。

『ああ、可哀想――――』

 女の声が聞こえた。

『これまでも、これからも、そうして自分を騙し続け、狂い続け、壊れていくのですね』

 言葉とは裏腹に妙に嬉しそうな声だ。

 ――――崩れていく。壊れていく。腐り落ちていく。

 ◆

 起きた直後に胃液をぶち撒けた。それでも足らぬとばかりに吐き気が際限なく込み上げてくる。
 トイレに向かう余裕もなく、外に飛び出して吐き続けた。
 頭を掻き毟り、窓ガラスに映る己の姿に愕然となった。

「……これが、オレ?」

 一部の髪の色素が抜け落ち、肌の変色が広がっている。
 目眩がした。視界がブレ、剣の墓標が映り込む。

「なんだよ、これ……。なんなんだよ!?」

 怒鳴り散らしても心は晴れない。夢に見た光景が脳裏に焼き付いている。
 あの男の言葉も、彼女の言葉も、あの女の言葉もすべて覚えている。
 だけど、知らない。あんな男も、あんな女も……、フィーネに似た彼女も知らない。

「……誰なんだ」

 よろけながら歩いていると、目の前に見知った顔があった。

「セイバー……?」

 溢れるように口から出た言葉にアルトリアは目を見開いた。

「思い出したのですか!?」

 駆け寄ってくる。
 
「……誰だ、お前」

 セイバーがどうしてここにいる? わくわくざぶーんが出来た時期に彼女が存命している筈がない。

「シ、シロウ……?」

 頭が割れそうに痛い。

「誰なんだ、お前は!」
「どっ、どうしたのですか!? 私はアルトリアです!」
「嘘を吐くな!!」

 怒りと共に手の先から双剣が現れた。
 ソレが己が創り上げたモノだと理解するまでに一時を要し、震えが走った。
 投影魔術。投影六拍。干将莫邪。宝具。固有結界。
 脳裏に蘇る己の魔術の真髄。魔術理論『世界卵』によって内と外をひっくり返す大禁忌。

「……オレは誰だ?」
「シロウ!」

 セイバーと同じ顔をして、彼女の名を騙る女に抱き締められた。
 瞬間、視界にノイズが走った。
 黒く染まった衣と鎧。暗黒の極光を纏う剣。

「――――ッ」

 気付けば彼女を突き飛ばしていた。干将の刀身がかすり、血を垂れ流しながら呆然とした表情を浮かべる女に驚くほど感情が湧かない。
 彼女に背を向けて、オレは走り始めた。

「待って……、待って下さい、シロウ!!」

 背後で声が聞こえるが、どうでもいい。
 ぐちゃぐちゃになった思考をまとめて捨て去り、行動の指針を定義する。
 脚部を強化して、瞬く間に新都と深山町を繋ぐ橋へたどり着いた。

「……なんだ。また、これか」

 それは見慣れた風景だった。一見して穏やかな風景に溶け込んでいる悪意。

「しまった。折角隙だらけだったのだから殺しておけばよかったな」
 
 何がどうして彼女がこんな事をしているのか分からない。
 だが、理由はどうあれ彼女の行為は容認出来ない。

「さてさて……」

 対魔術用の短剣を投影する。己に掛けられた偽装を解きほぐし、いつもの格好に戻る。

「……しかし、アヴェンジャーとは」

 堪らず嗤ってしまった。

「今更、何に復讐しろと言うんだか」

 道徳を見切り、親愛を蔑み、生きる屍となったオレには今更だ。
 
「とりあえず、蜘蛛の巣を突きに行ってみるか」

 ――――どうして?

 アルトリアは立ち上がる事が出来ずにいた。
 分からなかったからだ。記憶を取り戻した彼がどうして去っていくのか、理解が出来なかった。
 
「……イヤだ」

 涙が溢れてくる。
 分からない。分かりたくない。

「怒っているのですか……? 嫌いになったのですか……?」

 まるで別人のように冷たい表情を浮かべたシロウ。
 だけど、別人の筈がない。

「どうして……、シロウ」