第十一話「樹」

 とりあえず、召喚には成功した。アストルフォという英雄について、僕はあまり詳しくないけど、それは追々調べればいい。今は素直に喜んでおこう。これで、イリヤスフィールに一方的に殺されるような展開は回避出来る筈。
 改めて、僕はライダーに向かって言った。

「これから、よろしく! ライダー!」
「此方こそ、よろしくね! マスター!」

 それにしても、このライダー……、凄く可愛い。
 くりくりとした大粒の瞳。瑞々しい肌。八重歯が覗く唇。一分の隙もない完璧な美少女だ。彼女の正体が実は美の概念を結晶化したモノと言われても、僕は全く驚かない。
 正直な話、今ほど女となってしまった事を恨めしく思った事は無い。出来れば、男のまま彼女と出会いたかった。そう思わずには居られない程の美しさだ。

「うん? どうかしたの?」

 ライダーの顔が目と鼻の先に突然現れ、僕はひっくり返りそうになった。

「なーんか、ボーっとしてない?」
「ご、ごめんなさい。つ、つい……、あんまりにも綺麗だから……、見惚れちゃって……」

 僕の言葉にライダーは歓喜の笑みを浮かべた。
 気付いた時には抱き締められていた。
 あまりにも吃驚して、意識が飛びそうになった。だって、女になってからも、こんな風に女の子に抱き締められ事は一度も無い。もっとも、男の子に抱き締められた事も無いけどね。
 目を白黒させている僕にライダーは花が咲いたような可憐な笑みを浮かべて言った。

「えへへー。嬉しい事を言ってくれるじゃないのー!」

 すりすりと頬ずりをしてくるライダー。凄くいい匂い。
 ああ、どうして僕は女になんてなってしまったんだ。折角、可愛い女の子と触れ合っているというのに、今の僕では可愛い小動物やぬいぐるみと接しているような感覚しか抱けない。実に口惜しい。

「……っと、あんまりのんびりもしてられないんだった」
 
 僕はライダーから体を離し、少しだけ土蔵の扉を開いた。すると、案の定、士郎がこっちに向かって来ていた。
 幾ら士郎が魔術師として未熟でも、同じ家の敷地内で英霊召喚なんて大規模な魔術儀式を行っていたらさすがに気付く。

「ライダー。悪いんだけど、ちょっとの間、霊体化していて欲しいんだ」
「えー、どうしてー?」
 
 ちょっと不満そう。

「事情は後で話すからお願い!」
「わ、分かったよ……」

 頬を膨らませながら、ライダーはスーッと光の靄と化して姿を消した。それと同時に僕は魔術回路に魔力を流し込み、掌に炎の球体を生み出した。
 同時に土蔵の扉が大きく開け放たれ、士郎が入って来た。

「樹! なんか、凄い魔力を感じたぞ! 一体、何をしてたんだ!?」
「えっと、新しい魔術の実験をしてたの……」

 嘘ではない。サーヴァントの召喚は全くの初体験であり、僕にとっては正に新しい魔術と言える。

「新しい魔術だって……?」
「うん。これだよ」

 僕はソッと士郎に炎の球体を見せた。

「これは……、ただの火球だろ?」

 まあ、見た目はその通りなんだけど……。

「甘いあま~い! 見ててよ」

 僕は事前に用意しておいたナイフをポケットから取り出し、士郎が静止の声を上げるより早く腕を切り裂いた。

「な、なにしてるの!?」
「何してるんだ!?」

 士郎とライダーの声が重なった。二人共、僕の凶行にびっくりしている。
 
「大丈夫だよ。見ててー!」

 僕は掌の上で踊らせている火球を操り、傷口に向かって飛ばした。

「ちょっ!?」

 ライダーが慌てて止めようとするけど、ちょっと遅い。

「平気平気ー!」

 炎が傷口に触れると同時に奇妙な現象が起こった。
 なんと、炎は僕の肌を焦がすどころか、逆に傷口を塞いでいく。
 二人の呆気に取られている顔がおかしくて、思わず吹き出してしまった。
 
「ふっふっふー! これが僕の新魔術! その名も『再生の炎――リバース・ファイア――』だよ!」

 ネーミングに関しては愛読していた漫画から頂戴した。
 もっとも、新魔術と銘打ってあるが、これは僕が魔術を覚えたその日から使えた魔術だ。ただ、士郎に披露したのが初めてというだけの話。
 別に隠していたわけじゃないんだけど、魔術を覚えたばかりの頃、士郎は自分の魔術の事で頭がいっぱいで、あんまり僕の魔術について説明する機会が無く、その後もわざわざ説明する為の時間を設ける事も無かったまま今に至るというだけの話。
 おじさん曰く、僕の起源は『破壊』と『再生』なのだそうだ。おじさんも似たような起源だったらしいんだけど、僕の方がある意味真っ当で、ある意味極端との事。
 僕の魔術回路は炎を自在に生み出し、そこに僕の意思次第で破壊の力と再生の力のどちらかを持たせる事が出来る。
 
『樹の魔術は既に完成しているみたいだね』

 おじさんは僕の魔術を見て、そう言った。
 士郎に僕の魔術について説明する機会が無かったのも、これが原因の一つだ。
 僕の魔術は起源が色濃く影響している為に複雑な魔術理論を組み上げる事無く、破壊と再生の二つの現象を意思だけで発生させる事が出来るけど、逆に言えばそれしか出来ない。だから、覚えた瞬間に自らの魔術を極めてしまった状態なのだ。それ故、鍛錬も殆ど行って来なかった。当然、士郎から魔術の上達具合を聞く事はあっても、僕の魔術の上達具合を報告する事は無かった。当然だろう。既に上限に達してしまっているのだからね。
 
「どうだい、凄いだろ?」

 フフンと胸を張ると、突然頬に強い衝撃が走った。
 目をパチクリさせながら、僕は士郎を見た。僕の頬を叩いた手を忌々しげに睨みつけている。

「な、何するんだよー!」

 文句を言うと、士郎は険しい表情を浮かべた。

「ふざけるな!」
「……え?」

 怒鳴られた。信じられない。士郎に怒鳴られるなんて経験、今まで無かった。先日の夜歩きの一件でも、こんな風に怒気を僕に向けるなんて事は無かったのに、急にどうしたって言うんだろう。

「ああ、凄いよ。傷を治せるなんて、本当に凄いさ。けど、だからって、いきなり自分の腕を切り裂くなんて、何を考えてるんだ!」

 あまりの事に呆然としている僕に士郎は声を荒げた。
 未だかつて見た事が無いくらい怒ってる。
 
「二度とするな!」
「……ご、ごめんなさい」

 シュンとなる僕に士郎は溜息を零した。

「樹は昔から加減を知らない所があるからな……」
「そ、そんな事は……」
「あるだろ」

 ギロリという擬音がぴったりな目つきで睨まれ、僕はただただ小さくなるばかりだった。

「もっと、理性的に行動しろよ。何かする時は一歩立ち止まって考えるようにしろって、あの藤ねえに注意された事、忘れたとは言わせないぞ」

 返す言葉が無い。視野が狭い自覚は僕にもある。

「まだ小学生の頃、俺が中学生と喧嘩になった時もエアガンと竹刀を持ち出して、相手を袋叩きにした事があっただろ……」
「あ、あったっけ……?」
「あったよ。それがあったから、藤ねえが樹に剣道を教えるの辞めちゃったんだろ」

 実は確りとおぼえている。あの時の大河さんは本当に怖かった。でも、それ以上に恐ろしかった。

『もっと、教えてあげるべき事があったね……』

 そう、苦しそうな顔で呟く大河さんに、僕は嫌われてしまったのではないかと恐れた。結局、僕が今に至るまで、士郎のように彼女を藤ねえと呼べていないのも、その一件が原因だ。

「かと思えば、俺が見てない所で虐めにあって……、どんどんエスカレートしていってるのに何も抵抗しなかったり……」

 そう言えば、中学の頃に一時期虐めを受けていた頃があった。士郎に心配を掛けたくないし、あの頃は友達が欲しくて形振り構っていなかったからなー。
 士郎や慎二くんとはクラスが違ったし、二人共あんまり鋭いタイプじゃなかったから、割りと簡単に隠し通す事が出来た。
 まあ、発覚した時は大変だったけどね……。
 士郎は物理的に暴れ回るし、慎二くんは後一歩で数人の少年少女達の人生を完全に破壊する所だった。
 
「もう少し、物事考えて行動しろよ」
「……ごめんなさい」

 士郎は僕の腕を掴んだ。温かい感触に胸がざわつく。

「傷跡は……、無いか」

 安堵の表情を浮かべ、士郎は腕を離した。

「まったく、女の子の肌に傷を付けるなんて、例えそれが自分の肌であろうと許されないよ?」
「まったくだ」

 ライダーの言葉に士郎が同意とばかりに頷く。
 頷いてから、怪訝そうな表情を浮かべ、士郎はゆっくりとライダーを見た。

「……ん?」
「あ……」
「おっと……」

 士郎は当然のように隣に立っているライダーの存在を今更になって認識し、ギョッとした表情を浮かべている。
 僕はというと、いつの間にか実体化しているライダーに目を丸くし、ライダー自身もヤッベーって顔をしている。

「ど……、どちらさまですか?」
「ボク? ボクはアストルフォ。偉大な――――」
「僕の友達なんだ!」

 ライダーの名乗りを遮り、僕は士郎とライダーの間に割り込んだ。

「と、友達って……」
 
 士郎の視線はライダーの頭から足先に掛けてを往復している。
 ライダーの格好はどう言い繕っても普通じゃない。鎧にマントに剣などを身に着けている人間は現代ニッポンはおろか、海外にだってそうそう居ないだろう。

「コ、コスプレだよ!」
「コスプレ!?」
「そうなんだ! じ、実は彼女とはその……、文通で知り合ったんだけど、急遽日本に来る事が決まって、それでその……」

 嘘に嘘を重ねると段々わけが分からなくなってくる。

「えっと……、そうなんですか?」
「そうなの?」

 士郎に聞かれたライダーが僕に聞く。

「そうなんだよ! 嫌だなー! もしかして、長旅で疲れてるの? ホテルに戻るのが億劫なら、是非うちに泊まっていってよ! 空き部屋ならいっぱいあるからさ! 士郎もいいよね!?」
「い、いや、いいけど……、っていうか、急遽日本に来た文通友達はいいけど……、なんだって、こんな夜中にコスプレなんてしてるんだ? っていうか、思いっきり魔術を見せちゃったけどそれは……」

 なんでこんな時ばっかり鋭いんだよー!
 くっそー、僕が散々アピールしても靡かない癖に、こういう時だけ名探偵になりやがって!

「か、彼女も魔術の世界に関わってる人なんだよ! その……えっと、おじさんの遠縁の親戚でさ! 思い切って、手紙を出したら返事が返って来て――――って、色々あったんだよ! それと、こんな時間になっちゃったのはえっと……、そう! 時差だよ! 時差の関係で到着が遅れちゃったんだ!」
「……えっと、そうなんですか?」
「そうなの?」
「そうなんだよ!」

 思いっきり疑われている気がするけど、とにかく、明日冬木を出るまでは嘘を張り通すしかない。

「……とりあえず、自己紹介しておきますね。俺は衛宮士郎。樹とはまあ……、兄妹みたいなものです」
「エミヤシロ?」
「いや、それだと笑み社に……、じゃなくて、衛宮が苗字で、士郎が名前です」
「ふむふむ、シロウね。了解! 僕はライ――――」
「ア、アーちゃんの自己紹介はもう終わってるよ! ほら、早く部屋に行こうよ!」
「え、ちょっ、マスター?」
「だ、駄目だよ、アーちゃん! コスプレの続きは部屋に行ってからにしようね!」

 とにかく、コレ以上ここに居たら更にボロが出て、最悪、士郎にサーヴァントを召喚した事がバレてしまう。僕は慌ててライダーの手を取り、母屋に向かって走った。

「お、おい、樹!?」

 士郎が何か叫んでいるけど無視だ。
 母屋に上がり、離れの一室に飛び込むと同時に鍵を掛ける。

「いきなりどうしたの?」

 ライダーは苦笑いを浮かべながら問う。

「いや、それよりどうしていきなり実体化しちゃうの!? 霊体化しててって言ったのに!}
「いや、いきなりマスターが自分の腕を切り裂くからでしょ!? ボク、本気でびっくりしたんだからね!」
「そ、それは……僕が悪かったけど……」
「でしょー? ちゃんと反省してよねー!」

 ビシッと僕に向けて指を指して言うライダー。

「わ、分かったけど、でも、こっちにも事情があったんだもん……」
「事情って?」
「あのね――――」

 僕はライダーにこれまでの経緯を語った。
 これから聖杯戦争が始まる事。僕は士郎を聖杯戦争から遠ざけたいと思っている事。でも、士郎を聖杯戦争から遠ざける為には避けて通れない障害が存在する事。その障害の排除の為にライダーの力を借りたいと思っている事。

「もちろん、士郎の安全が確保出来たら、ちゃんと僕も戦うよ。ライダーは願いを叶える為に召喚に応じたんだから、ちゃんとマスターの責任は果たすつもりだよ」
「うーん、なるほどねー」

 僕が話し終えると、ライダーは人差し指を顎に当てながら背後の扉に向かって口を開いた。

「どう思う? シロウ」
「……とりあえず、話は聞かせてもらった」

 扉の鍵がゆっくりと開き、修羅が入って来た。

「か、鍵を掛けておいた筈なんだけど……」
「俺は家主だぞ」

 その通りですね。全部屋の鍵を持ってて当たり前、持ってなくても、鍵くらいなら投影魔術で簡単に作れちゃうんだよね……。

「……ぬ、盗み聞きは悪い事なんだぞー」
「黙ってろ」

 やばい、殺されるかもしれない。
 士郎は般若のような形相のまま部屋に入って来て、僕の前にドスンと座り込んだ。

「まず、一つ一つ聞かせてもらおうか」
「えっと……、何をでしょうか……?」
「まず、聖杯戦争についてだ。なんだか、慎二が言っていた内容と随分違うみたいだからな」
「いや……、さっきのはただのその……コスプレの為の裏設定的なアレであって……その……」
「樹」
「は、はい!」

 士郎が微笑んでいた。
 士郎は微笑んでいる。

「嘘つきは泥棒のはじまりだぞ。正直に話せよな?」
「……はい」

 笑顔なのに、とても恐ろしい。。
 何とか抵抗を試みたけど、総てが無駄に終わった。士郎が僕の嘘を尽く見破り、時にはライダーに確認を取るなどして、僕から洗いざらいの情報を吐かせた。
 僕に結界を張る技術があれば、こんな事にならずに済んだのに……。サーヴァントの召喚は聖杯が自動的に行ってくれるから出来たけど、僕は『破壊』と『再生』以外の魔術が全く使えないのだ……。

「――――話は分かった。ったく、この馬鹿!」

 頭にゲンコツが降り注ぎ、あまりの痛みに悶絶していると、士郎は言った。

「どうして、ちゃんと話してくれなかったんだ! 慎二が参加する聖杯戦争ってのがそんなものだったなんて……」
「し、士郎……。あの……」
「無駄だからな」
「で、でも……」
「こんな話を聞いて、逃げ出す事なんて出来ない」

 絶望感に首を締められていく……。
 ああ、僕は本当に馬鹿だ。自分なりに必死に考えたつもりだったけど、結局最悪のシナリオを辿ってしまった。
 この期に及んで、まだあの時こうしていたら、なんて無駄な事を必死に考えている。

「どっちにしても、イリヤって子が襲って来るんだろ? それなのに、樹にだけ戦わせるなんて、出来る筈が無いだろ」

 士郎は部屋から出て行く。何をするつもりなのか聞かなくても分かってしまう。

「お、お願いだよ、士郎! それだけは勘弁してよ!」

 必死に足元に縋り付き、頭を床に擦り付ける。

「し、士郎は参加しちゃ駄目なんだよ! お願いだから、召喚しないで! マスターにならないで!」

 顔は涙と鼻水でグチャグチャだ。でも、形振り構っていられなかった。

「お願いします……。お願いだから……、それだけは勘弁して下さい」
「……何でだよ」

 士郎は立ち止まり、僕を見下ろす。

「何で……、そんな……」
「だって……」

 もう、思考がメチャクチャだ。自分が何を考え、何を言おうとしているのかもわからない。

「だって……、聖杯戦争になんて参加したら……」

 駄目だと思った時には遅かった。僕の口は既に動き出してしまっていた。

「士郎が遠くに行っちゃうもん……。正義の味方になって……、僕から離れて行っちゃうもん……!」

 そんな恐ろしく身勝手で浅ましくて、汚らわしい本音を口にしていた。
 僕が必死に士郎を聖杯戦争から遠ざけようとしていた理由……、その根底にあるものはただ……、士郎を手放したくないという我儘だった。

第十二話「開幕の夜」

 気持ち良く熟睡していたと言うのに、突然のけたたましいベル音に叩き起こされた。時計を確認すると、まだ深夜の一時半。こんな時間に電話を掛けてくるような非常識な人間は私の知る限り一人しかいない。
 無視しよう。どうせ、また小言を聞かされるだけだろう。布団を頭から被って、ベルの音をシャットアウトする。まだ微かに音が布団の隙間から入り込んでくるけど、無視出来るレベルだ。

「……って、しつこい!」

 直ぐに止まると思っていたのにベルは止まる事無く、延々十分近く鳴り続けている。
 頭に来た。人の安眠を妨害したツケを払わせてやる。布団を跳ね飛ばし、廊下に置いてある電話の受話器に手を伸ばす。

「うるさいわよ! 今、何時だと思ってるの!?」
「……ふむ、魔術師とは夜に生きる者だと師からは教わったのだが?」
「私はもう布団に入ってたのよ!」
「それはすまなかった。魔術師にあるまじき健康優良児よ。だが、事は急を要するのだ。早寝早起きをもっとうとする学生の鑑である所の君に対して、まことに申し訳なく思うが、少しばかり時間をくれないか?」
 
 相変わらず、人を苛々させる事に掛けては天下一品の腕前を持つ男だ。

「さっさと用件を言いなさい! 簡潔に分かり易くね! くだらない事だったら許さないわよ!?」
「くだらないかどうかは君の考え方次第なのだが、今宵、サーヴァントがほぼ同時に二箇所で召喚された。これで既に五つのクラスが埋まった事になる。残る枠は二つに絞られた。もたもたしていると――――」
「なんですって――――ッ!?」

 ちょっと待ってよ。昨日の夜までは二体だったじゃない!
 なんで、一日の内にそんなに一斉に召喚されているのよ、冗談じゃないわ。

「の、残ってる枠は?」
「それは言えんな。兄弟子として、融通をきかせてやりたいのは山々だが、私は監督役として、総てのマスターに対して公平であらねばならん。こうして、催促の電話を入れる事も本来ならば業務違反なのだ。これ以上の優遇は出来ぬ。だが、例え余っているのがアサシンやバーサーカーでも、君ならば必ず勝利に漕ぎ着ける筈だ」
「うう……」

 言ってる事が正論過ぎて何も言い返せないのが悔しい。

「ああもう、分かったわよ! 今夜中にサーヴァントを召喚すれば問題無いんでしょ!?」
「急ぐのだぞ、凜。遠坂の当主がサーヴァントの召喚を先延ばしにしていて肝心な聖杯戦争への参加資格を取り逃したとあっては末代までの恥だ。それでは師に申し訳が立たん」
「分かってるわよ! 今直ぐ召喚するわよ!」

 ガチャンと受話器を叩き付け、私は大急ぎで地下室に向かった。もう、いつ総てのサーヴァントが揃ってもおかしくない。幸か不幸か、今は私の魔力が一日で一番充実している時間帯だ。
 準備は十全とは言えない。けど、こうなったら四の五の言っている暇は無い。

「ああもう、邪魔!」

 地下の工房には雑多なガラクタがいっぱいだった。少しでも英霊召喚の役に立つものはないかと家中ひっくり返している途中だったのだ。
 とにかく、召喚用の魔法陣の上に散らかっている物を片っ端から脇に避ける。この際、整理整頓は二の次だ。
 大急ぎで召喚陣のチェックを行い、魔術回路を励起させる。
 残る席は後二つ。どのクラスが残っているのかは分からないけど、残り物には福があるって言うし、私はベストを尽くすだけだ。

「さーって、始めますか!」

 腕を捲り、召喚陣の前に立つ。瞼を閉ざし、意識を完全に切り替える。
 人間としての遠坂凛は死に、魔術師としての遠坂凛が息を吹き返す。体内を巡るは酸素に非ず。大気中を漂うマナが私の体を通りぬけ、オドを生成し、循環する。
 全身の神経にヤスリを掛けるような慣れ親しんだ痛みを噛み殺し、ゆっくりと詠唱を開始する。

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ」

 余計な思考が混じらないように集中する。

「降り立つ風には壁を」

 触媒を手に入れる事が出来なかったのは痛手だけど、このくらいの逆境を跳ね除けられないようなら、私は所詮、そこまでだったというだけの話。

「四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 触媒なんて無くても、引き当ててみせる。最強のサーヴァントを!

 ◆

 それはいかなる因果か――――。
 遠坂凛が英霊召喚を行おうと、召喚陣の前に立った丁度その時、衛宮士郎もまた、土蔵の中へと足を踏み入れていた。
 まるで、待ち構えていたかの如く、地面には奇妙な紋章が浮かび上がっている。
 召喚陣の前に立った瞬間、その手の甲には真紅の聖痕が刻まれた。

「――――トレース・オン」

 込み上げてくる怒りを押し殺し、魔術回路を起動する。
 泣きじゃくり、止めてくれと懇願する樹に優しくしてやる事も出来ず、怒りに呑まれたまま声を荒げ、必要な事を聞き出した。
 みっともない事この上ない。アレはただの八つ当たりだった。
 慎二の嘘。
 樹の嘘。
 二人の吐いた嘘に気付けず、あと一歩で取り返しの付かない事になりかけた。
 後一歩で、慎二と樹が殺し合うのを傍観する所だった……。

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ」

 聖杯戦争が十年前の悲劇を生み出した原因だと樹は言っていた。
 ああ、あんな悲劇を生み出すような戦いは絶対に認められない。
 あの炎の中で多くの人が死んでいった。
 死にたくないと嘆く人が居た。
 生きたいと叫ぶ人が居た。
 助けてくれと懇願する人が居た。
 生き残ったからには悲劇を食い止めなければならない。
 
「繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 遠坂凛は召喚陣から噴き出してくる魔力の奔流を前に閉じていた眼を開いた。
 十年前、父が悲願を胸に抱き戦死した戦い。
 待ち望んでいた刻がついにやって来た。
 己を苛む耳鳴りと頭痛を聖杯戦争に対する高揚感で吹き飛ばす。
               
「―――――Anfang」

 超えた。一線を超えたという確かな手応えを感じた。

「――――告げる」

 士郎は吹き荒れるエーテルの嵐を前に拳を強く握りしめた。
 この戦いは絶対に止めなければならない。
 その為には力が居る。

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 聖杯なんてものに興味は無い。

「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 遠坂の悲願、聖杯は必ず手に入れてみせる。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 遠坂邸の地下室と衛宮邸の土蔵が可視化する程の濃密な魔力によって満たされる。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ!」

 引き当ててみせる。私に相応しい、最強最高のサーヴァントを!

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ」

 来い!

「天秤の守り手よ――――!」

 少年と少女は空間を隔て、意思の疎通を図ったわけでもないのに、ほぼ同時に呪文を唱え切った。
 眩い光が眼を焼く。物理的な衝撃を伴う魔力の波動と共に、召喚陣の中央から人影が現れた。

「問おう――――」

 衛宮士郎は光の中から現れた青い衣と銀の鎧の少女の姿に息を呑んだ。

「まず、初めに確認するが――――」

 遠坂凛は召喚陣の中央に出現した紅の衣を身に纏う長身の男に向き合った。

「貴方が――――」
「君が――――」

 異なる場所に同時に出現した二騎の英霊は自らのマスターに問う。

「私のマスターか?」

 ◆

 これで七騎……。
 霊器盤に示された7つの光を見て、神父は微笑んだ。

「随分と機嫌が良さそうだな、綺礼」

 薄暗い地下の礼拝室に金髪の男が音も無く現れ、綺礼の見ている霊器盤に視線を落とした。

「ほう……」
「お前が持ち帰った情報と照らし合わせてみると、実に面白い状況になっている」

 神父は高らかに嗤った。

「聖杯とは……、聖杯戦争とは……、実に度し難い」

 うっすらと涙を溜めながら腹を抱える神父に金髪の男は肩を竦める。

「それよりも、客人が来ているようだぞ?」
「……ああ、彼女か」

 神父は涙を拭い、部屋の隅の階段へ足を向ける。

「ギルガメッシュよ。暫しの間、ゆっくりと寛いでいろ。余計な茶々は入れずに――――、な」
「ああ、言われるまでも無い。一応の慈悲を掛けてやろうかとも思ったが、これほど愉快な見世物をわざわざ台無しにする事もあるまい。人が人を降せば、つまらぬ罪罰で迷おう。そんな物は見ていても面白くも何とも無いが、それが人では無く、化生同士となれば話は別だ」

 ギルガメッシュはどこからか取り出した黄金の盃に真紅のワインを注ぎ込む。

「古来より、獣同士を相争わせる見世物は多くの者を魅了し続けて来た」
「では、我々も古来よりの伝統に乗っ取るとしようではないか」
「ああ、じっくりと見物させてもらおう」

 神父はゆっくりと階段を登る。
 礼拝堂には一人の女が待っていた。

「――――お久しぶりですね」

 女は微かに親愛の感情を滲ませ微笑んだ。
 この女を殺し、サーヴァントを奪う事は容易い。
 初めはそうする予定だった。だが、状況が変わった。
 この女の存在は舞台を大きく盛り上げてくれる事だろう。

「久しいな、バゼット・フラガ・マクレミッツ。用件は承知している」
「では――――」
「ああ、監督として、君をマスターの一人であると認めよう。既にサーヴァントは出揃っている。存分に己が責務を果たすがいい」

 魔術協会所属封印指定執行者よ。この街にはお前の獲物がうようよしている事だろう。存分に暴れ回り、化生共を脅かすが良い。

「君の活躍を楽しみにしている」
「ええ、必ずや聖杯を手に入れてみせます。積もる話もありますが、サーヴァントが出揃ったと聞いては立ち止まっていられません。話はまたいずれ、戦いが終わった後に」
「ああ、頑張りたまえ」

 夜の街へと去って行くバゼットの後ろ姿を神父はずっと見守り続けていた。
 今宵、この街は戦場となる。日常と非日常の境が崩され、多くの嘆きと苦痛が生まれる事だろう。
 その混沌がより大きな混沌を生み出し、私を愉しませてくれる事だろう。

「ああ、楽しみだ」

第十三話「セイバー」

 傍目には僕が彫像のように見えただろう。顔に表情は無く、呼吸が浅過ぎて、胸も殆ど動いていない。蹲ったまま、話し掛けられても反応を返さない僕にライダーは頬を膨らませ、先程から部屋の中をゴロゴロと転がりながら、不平不満をぶち撒けている。
 だけど、僕の内側は外側とは対照的に激しく渦巻いている。

「おーい! マスターってば、おーい! おーいってば!」

 後悔の波に呑み込まれてしまいそうだ。さっきからずっと、あの時ああしていれば……、などという益体も無い事を延々と頭の中で考え続けている。
 もっと、慎重になるべきだった。士郎に気づかれないように万全を期すべきだった。なのに、気ばっかりが急いてしまって、最悪の事態を招いてしまった。
 
「ム・シ・し・な・い・で・よ!」

 いや、そもそもサーヴァントなど召喚せずに慎二くんにイリヤスフィールの事を相談しておけば良かったのでは無いだろうか。彼ならきっと僕達の助けになってくれた筈だ。それなのに、どうして僕は自分一人で突っ走ってしまったのだろうか……。
 いや、答えなら分かっている。僕は士郎の前でいい格好をしたかっただけなのだ。
 僕は士郎を助けたいと……、守りたいと言いながら、他の誰かに士郎が守られる事を良しと出来なかった。他の誰でも無く、僕自身の手で士郎を守りたかったのだ。
 だから、士郎を守ろうとしてくれた慎二くんを頼らなかった。
 だから、士郎を救ってくれたかもしれない遠坂凛から距離を取った。
 衛宮切嗣が士郎を救い、士郎にとっての特別となったように……。
 セイバーが士郎を救い、士郎にとっての特別となったように……。
 遠坂凛が士郎を救い、士郎にとっての特別となったように……。
 僕は僕の手で士郎を救い、士郎にとっての特別になりたかったのだ。
 
「……ぁぁ」

 他の誰かによってでは無く、僕の手で士郎を救い、士郎に感謝されたかったのだ。
 士郎に僕だけを見て欲しかったのだ。

「……ぅぅ」

 最悪だ。酷過ぎる。浅まし過ぎる。
 結局、僕は自分の事ばかり考えていた。だから、誰の手も借りずに自分のエゴを通してしまった。
 あまりの自己嫌悪に頭がおかしくなりそうだ。吐き気が込み上げてくる。

「マ、マスター!?」

 ライダーが駆け寄って来る。心配そうな表情で僕の背中を擦ってくれる。
 考えてみれば、彼女にも酷い事をしてしまった。彼女もサーヴァントである以上、聖杯で叶えたい願いがある筈だ。だけど、彼女の願いは決して叶わない。
 僕は士郎を守りたいだけだ。だから、聖杯自体に興味など無く、ただ、イリヤスフィールを退ける事が出来ればそれでいいと考えていた。僕には最後まで勝ち残る気が更々無かったのだ。
 いや、そもそもそれ以前にこの聖杯戦争の聖杯は既に壊れている。例え、最後まで勝ち残り勝者となっても願いを叶える事は出来ない。
 僕はその事を知っていた。知っていた癖に彼女を召喚した。自らのエゴの為に……。

「ライダー……」
「どうしたの?」

 ライダーを見つめると、彼女はまるで壊れ物に接するかのように慎重な顔つきをしている。どうやら、今の僕の状態はよほど酷い有り様らしい。
 
「……ごめんね」
「え?」

 気が付くと、僕の口は勝手に動き出していた。

「僕は君の願いを叶えてあげる事が出来ないんだ……」

 ああ、僕は何を言っているんだろう。罪悪感に押し潰されそうだからと言って、そんな事を口にしたらライダーに見限られてしまうではないか……。
 分かっているのに僕の口はペラペラと動き続けた。
 僕が聖杯を欲していない事。
 ただ、イリヤスフィールを退ける為だけに彼女を召喚した事。
 あまりにも身勝手極まりない話だ。話し終えた後、僕はとてもじゃないけど彼女の顔を見る事が出来ず、腕の中に顔を隠した。
 怒っているに違いない。殺されてしまうかもしれない。あまりにも理性を逸した行動だった。だけど、もう手遅れだ。僕は何度間違いを犯せば気が済むのだろうか……。

「……ふむふむ、なるほどね」

 ところが返って来たのは穏やかな声だった。

「なら、仕方ないね」

 あまりにも優しげな声だったから、僕は思わず顔を上げた。
 
「いいよ、マスター。一緒にシロウを守ろう」
「え?」

 そのアッケラカンとした物言いに思わず言葉を失った。

「どうしたの?」

 不思議そうに小首を傾げるライダー。
 僕は言葉を取り戻そうと必死になった。

「ど、どうして……?」
「なにが?」
「だって……、ライダーには叶えたい願いがある筈でしょ?」
「うん」
「……だったら、どうして怒らないの?」

 僕の言葉にライダーは当たり前のような顔をして言った。

「だって、マスターには『何でも願いの叶う万能の杯』よりも大切なモノがあるって事でしょ? なら、考えるまでも無いよ」
「何を言って……」
「ボクにも叶えたい願いはある。でも、大切な人を守りたいというマスターの思いを踏み躙って、仮もしそれで聖杯を手に入れたとしても、ボクはボク自身の事が嫌いになっちゃう。だったら、何をより優先すべきかなんて、考えるまでも無いよ」

 そう言って、ライダーは僕の手を包み込むように両手で握った。

「大切な人を守りたいという気持ち。それはとても尊いモノだよ。そして、そんな尊いモノを守る事こそが英雄の役目なんだ。マスター、ボクは英雄なんだ。だから、ボクは君のシロウへの思いを守る」

 どうして、僕は彼女を召喚出来たんだろう……。
 あまりにも僕と彼女は違い過ぎる。
 太陽のような輝きを持つ彼女。それを見上げる根まで腐り果てた雑草。二人を繋ぐものなど、一方的な憧れくらいのものだ。
 
「ライダー……、ありがとう」

 丁度その時、外の土蔵から莫大な魔力の波動を感じた。
 どうやら、士郎がサーヴァントの召喚に成功したらしい。

「ほらほら、想い人が来てしまうよ? 涙を拭いて」
「……うん」

 ライダーのおかげで少しだけ落ち着くことが出来たけど、襖の向こうから現れるであろう士郎のサーヴァントの事を考えると胸が苦しくなる。
 士郎が召喚したサーヴァントは恐らく彼女だろう。その出会いは士郎にとって、死しても尚忘れられない鮮烈な記憶として彼の脳裏に焼きついた筈だ。

「……士郎」

 彼女との出会いによって、彼の運命は決定付けられる。
 例え、彼の心を彼女に奪われなくても、彼の生き様は彼女の在り方によって固定されてしまう。
 士郎がサーヴァントを召喚してしまった以上、もう今まで通りにはならない。例え、勝ち残り、生き延びたとしても、彼は二度と振り向いてくれないだろう。
 
「……ぅ」

 最悪だ。この期に及んで、考えている事がソレだなんて終わっている。
 士郎の未来を心配しているように見せかけて、その実、士郎を手放したくないという自らの欲望ばかりを中心に据えている。

「マスター」

 ライダーがそっと頭を撫でてくれた。

「何を考えこんでいるのか知らないけど、君は一人じゃないんだぜ? 悩みがあるなら相談してごらんよ。ボクは君のサーヴァントなんだからさ」

 優しい言葉に涙が堪え切れなかった。
 丁度その時、襖が開いた。外から士郎が入ってくる。

「樹……」

 涙を服の袖で拭って顔を上げる。そこには士郎の他にもう一人。
 青い衣に銀の鎧。金色の髪に翡翠色の瞳。結い上げた髪や鎧に刻まれた紋章を見るまでも無く、一目で分かった。彼女こそがセイバーなのだと……。
 そのあまりの美しさに思わず見惚れてしまった。アニメ絵では表現し切れないゾッとするような美しさ。
 確かに、この美しさを忘れる事は死を持ってしても不可能だろう。そう、納得してしまう程、彼女は綺麗だ。

「……マスター。彼女は?」

 目と目が合った瞬間、恐怖のあまり身動きが取れなくなった。
 これが世に言う殺気というものなのだろうか……。

「待て、セイバー! 樹は俺の家族なんだ!」
「……詳しい説明をお願いします」
「ああ、説明ならする。だから、とりあえず樹を睨むのは止めてくれ」

 セイバーの視線が逸れ、漸く体の痺れが取れた。

「大丈夫?」

 ライダーは案じるように問いながら、鋭い眼差しをセイバーに向けた。
 無言のまま、セイバーとライダーが睨み合う。まるで、互いの間合いを見計っているかのような剣呑とした空気に士郎が慌てて割って入った。

「セイバー。樹は敵じゃないって言っただろ? ライダーも構えを解いてくれ」

 士郎の言葉にセイバーは大人しく引き下がった。

「ッフン!」

 ライダーは鼻を鳴らしながら渋々といった感じで僕の所に戻って来る。

「……ごほん」

 わざとらしい咳払いをしながら、士郎はセイバーに向き直った。

「とりあえず、きちんと自己紹介から始めよう。俺は士郎。衛宮士郎だ」
「……ぼ、僕は樹です。飯塚……、樹です」

 ライダーはどうやらかなりご立腹らしく、口をへの字に曲げたままセイバーを睨んでいる。セイバーはしばらくの間、僕達の顔を見回した後、ゆっくりと口を開いた。

「……私はセイバーです」

 セイバーはゆっくりと僕の顔を見た。表情は無いけど、さっきよりも圧迫感が少ない。どうやら、殺気を向けられているわけでは無いらしい。

「イツキ……、と言いましたね? 先程は無礼な振る舞いをして申し訳ありませんでした。何分、召喚された直後だったもので、状況の把握をするにも情報が不足していたもので……」
「えっと……?」
「ですが、マスターの反応や貴女の態度を見て、貴女方がとても親しい間柄である事を確信出来ました。まだ、詳しく聞かなければならない事が多々ありますが……、これから協力関係を築くのであれば、どうか先程の無礼を赦して頂けるとありがたい」
「あ……えっと、僕は別にその……。えっと、よ、よろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします」

 思わずドキッとしてしまった。微かに表情が和らいだ彼女の顔はより一層魅力的だった。
 
「……へん! ボクはそう簡単に許してあげないからね!」

 ボーっとしていると、突然ライダーがそんな事を言い出した。

「ラ、ライダー……?」
「構いません。我々がサーヴァントである限り、貴女もいずれは決着をつけなければならない相手だ。此方も慣れ合うつもりはありません」

 再び部屋中に張り詰めた空気が満たされる。
 
「そこまで! 頼むから喧嘩は止めてくれ、二人共」

 既の所で士郎が止めに入る。
 
「ラ、、ライダー」

 僕はそっとライダーの手を引っ張った。

「マスター?」
「……その、セイバーはこれから一緒に戦う仲間だから……、その――――」

 僕の言葉にライダーは頬を膨らませ、盛大な溜息を零した。

「分かったよ。マスターがそう言うなら仕方がないや。ボクの名前はアストルフォ。シャルルマーニュ十二勇士が一人だ!」

 いっそ惚れ惚れとするくらい男前な名乗り口上にセイバーが唖然としている。
 可愛い上にかっこいい。性格も文句無しだし、僕はどうやら大当たりを引いたみたいだ。少なくとも、人としては。

「……なるほど、名乗られた以上、此方も黙しているわけにはいきませんね」

 セイバーは溜息混じりに言った。

「我が名はブリテン王、アルトリア・ペンドラゴン。此度はセイバーのクラスを得て現界した。シャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォ。いずれ決着をつけるその時まで、我が背を貴殿に任せるとしよう」
「任された!」

 二人の英霊は互いの目を見つめ合い、やがて相好を崩した。

「えっと……、盛り上がってるとこ悪いんだけどさ……」

 あまりにも良い雰囲気だったものだから、士郎は非常に申し訳無さそうな表情を浮かべながら口を挟んだ。

「セイバーはつまり……、あのアーサー王って事なのか?」
「恐らく、マスターが考えている通りの存在です。選定の剣を引き抜き、ブリテンを統べる王となったアーサー王。それが私です」
 
 士郎は呆気にとられたような表情を浮かべている。

「……ア、アーサー王って、女の子だったのか」

 まあ、驚く気持ちは凄く良く分かる。最初にFateをプレイしていた時は僕も彼女の正体をアーサー王とは思わず、ジャンヌ・ダルクだと思い込んでいた。
 ライダーとの一線でエクスカリバーが発動し、エクスカリバーの単語でググッて初めて正体を知り驚いたものだ。
 正直、僕の中のエクスカリバーは白いおじさんだったから、アーサー王自体はあんまり詳しくなかったけど、それを切っ掛けに色々と調べたりしたものだ。
 
「驚くのも無理はありません。当時、私は王である為に女である事を隠し、男として通していましたから」
「そ、そうなんだ……」

 士郎は受けた衝撃の大きさにまだ落ち着きを取り戻せずにいるみたいだ。

「ところで、自己紹介も済みましたし、今後の方針について話し合いたいのですが、よろしいですか?」
「あ、ああ、もちろん。でも、その前にお茶を淹れてくるよ。長い話になりそうだし」
「あ、僕が淹れてくるよ!」
「じゃあ、ボクもお手伝いするよー!」
「あ、ありがとう、ライダー」

 ライダーと共に台所へ向かいながら、横目でチラリとセイバーを見た。
 本当に綺麗な顔をしている。見目だけでは無く、中身も人として最高峰だと分かっているからこそ、胸がざわめく。
 純粋な男としての視点で見れていたら、きっと、こんな奇妙な気持ちを抱く事は無かったのだろう。
 どうして、この世界に来てしまったのか?
 どうして、若返ってしまったのか?
 どうして、女になってしまったのか?
 未だに答えは分からない。分かる時が来るのかどうかさえ分からない。
 でもせめて……、男のままで居たかった。
 そうしたらきっと……、こんな嫌な感情を持たずいられたのに……。

第十四話「ファースト・バトル」

「では、貴方には聖杯を勝ち取る意思が無いという事ですか?」

 話が一区切りついた所でセイバーは士郎を睨むように見つめ、固い口調で聞いた。
 彼女は聖杯を求めて召喚に応じたのだ。なのに、聖杯を手に入れるのでは無く、聖杯戦争を止めるために戦うと主張されては文句の一つもあるだろう。
 士郎はただ黙って頷くだけだった。

「……そうですか」
「召喚しておいて、勝手な事を言っているのは分かってる。でも、俺は――――」
「構いませんよ」
「……え?」

 アッサリとした物言いに士郎が拍子抜けしたような表情を浮かべた。

「構いませんって……」
「ですから、構いません。シロウの聖杯戦争に対するスタンスは分かりました」

 不敵な笑みを浮かべ、セイバーは言った。

「ならば私の為すべき事は何も変わらない。シロウも死にたいわけでは無いのでしょう?」
「あ、ああ、それは勿論だ」
「なら、全く問題ありませんね。聖杯戦争において、生き残るという事は即ち、勝利するという事です。犠牲者を出さないよう、迅速に戦いを終わらせれば、シロウの意向にも沿える筈です」

 言っている事はとてつもなく物騒だけど、全くの正論だ。
 聖杯戦争を生き残った者が聖杯を手に入れる。なら、自殺したいわけでも無い限り、結局、やるべき事は何も変わらない。

「あ、ああ……」
「どうしました?」

 歯切れの悪い士郎の返事にセイバーが首を傾げる。

「参加者の中には俺の知り合いも居る。だからその……、マスターの事も出来れば殺さないで欲しいんだ」

 士郎の言葉にセイバーは小さく溜息を零した。

「いいでしょう。それがマスターの方針だと言うのならば従います。ですが、サーヴァントに関しては別です。サーヴァントを倒し尽くさなければ、聖杯戦争は終わらない。それは分かって頂けますね?」
「……ああ」

 士郎は視線をセイバーとライダーの間で泳がせながら、迷うように頷いた。

「それは……、仕方のない事だと理解している」

 本当は理解なんてしていない。そう、顔に書いてある。
 セイバーも士郎の心情を察したのか、困ったような表情を浮かべている。

「シロウ。さすがにサーヴァントも倒すな、などと言われては私にもどうにも出来ない。ただ敵に殺されるのを待つ事しか出来ません。それでは自殺と変わらない」
「……分かってる。俺だって、樹から聖杯戦争の事を聞いて、セイバーを召喚するまでにキチンと考えたんだ」

 士郎は拳を固く握りしめ、決意に満ちた表情を浮かべた。

「十年前の悲劇を繰り返す訳にはいかない。その為にセイバーを喚んだんだ。だから、いざという時、躊躇ったりはしない」
「……今はその言葉を信じるとします」

 セイバーは言った。

「では、今後の方針について話をしましょう」

 セイバーの言葉に一同が頷く。

「兎にも角にも、聖杯戦争というものはその性質上、時間を置く程に犠牲者が出る確立が高まっていきます。故に、シロウの意向に従うならば此方から攻めていく必要があります。敵の情報について、分かっている事はありますか?」

 セイバーの問いに士郎は肩を竦めた。
 セイバーの視線が僕に向う。

「……えっと、僕が知っている範囲だと――――」

 まず、ここで重要なのは僕が既にライダーを召喚しているという事だ。
 桜ちゃんが本来召喚する筈だったクラスを僕が横取りしてしまっている現在、僕の持っている前情報はあまり当てにならない気がする。
 それに僕が知り得ない情報を語っても、その真偽を確かめる事は困難だし、何より、どうしてそんな事を知っているのかと疑われてしまうかもしれない。

「間桐と遠坂、それにアインツベルンのマスターが参戦する事は確実だと思う。特にアインツベルンからはおじさんの娘であるイリヤスフィールがマスターとして現れる可能性は高いと思う」
「……それ以外については?」
「他は……、ごめんなさい」

 思考を巡らせているのか、セイバーは口を閉ざした。
 誰も声を出す者が居なくなり、居間はしんと静まり返った。

「――――これはっ!?」

 突然、セイバーとライダーが立ち上がった。襖を開き、新都の方角に視線を向けている。

「ど、どうしたの?」

 ライダーに尋ねると、彼女は八重歯を見せて微笑った。

「待ち人来るって所かな!」
「シロウ。敵のサーヴァントです」
「なんだって!? まさか、ここに来るのか!?」

 慌てる士郎にセイバーが首を振る。

「いいえ。敵はどうやら無差別に挑発行為を行っているようです。こうまであからさまに気配を振り撒くとは……」
「どうするんだ?」

 士郎の問いにセイバーは顔を上げた。

「決めるのは貴方です、マスター。敵の所在は判明しました。指示を願います」

 セイバーの言葉に士郎は生唾を飲み込んだ。顔に迷いが過ぎっている。

「……如何しますか?」
「戦う」

 士郎は言った。

「行くぞ、セイバー。敵を倒して、一刻も早く、こんな巫山戯た戦いを終わりにするんだ」

 士郎の言葉にセイバーは不敵な笑みを浮かべる。

「了解しました、マスター」
「なら、ボクが送り届けてあげるよ」

 ライダーは踊るように庭へと飛び出し、指をパチンと鳴らした。
 すると、馬の嘶きのような、鳥の鳴き声のような不可思議な戦慄が響き渡り、どこからか奇妙な生き物が姿を現した。

「……幻想種。それが貴女の宝具ですか?」

 セイバーが畏敬の念を籠めてライダーの喚び出した生き物を見つめ問う。

「その通り! 我が盟友にして、神代の獣たるグリフォンの仔、ヒポグリフさ!」

 ライダーの言葉に呼応するようにヒポグリフは雄叫びを上げた。

「さあ、みんな! 共に行こう! ボクらの初陣だよ!」
「みんなって……、樹も連れて行くつもりなのか!?」

 士郎が叫ぶ。何を言ってるんだろう。僕も行くに決っている。

「士郎が戦場に行くのに、待ってられる筈無いでしょ?」
「だ、だって!」
「シロウ」

 血相を帰る士郎にセイバーが口を挟む。

「私とライダーが共に出陣するのならここが無防備になります。むしろ、連れて行った方が安全かもしれません」
「で、でも……」
「ライダー」

 セイバーがライダーに視線を向ける。

「お前のヒポグリフはどこまで飛べる?」
「どこまでも!」
「なら、戦場の遥か上空……、雲の上まで行ってくれ。そこから私は飛び降りる」
「飛び降りるって……、雲の上からか!?」
「問題ありません。そこまで行けば、敵に存在を感知される事も無いでしょう。さあ、行きましょう!」

 尚も言い募ろうとする士郎の背中をライダーが押し、僕達四人はライダーの宝具であるヒポグリフの背中に跨った。
 巨大なヒポグリフの背中は僕達四人が座ってもまだ余る。

「それじゃあ、行っくよー!」

 ライダーの掛け声と同時にヒッポグリフが走りだす。
 猛烈な加速感に僕は目の前のライダーの腰をギュッと掴んだ。
 ちなみに座り順はライダーを戦闘に後続が僕、士郎、セイバーの順。
 幻馬は大地を強く蹴り、一気に飛び上がった。翼を一度羽撃かせると、一瞬にして街が遠退いた。
 気がつけば雲の中に居る。何らかの守りが働いているのか、寒さは殆ど感じない。
 そのまま雲の上まで飛び上がり、僕達の後ろでセイバーが立ち上がる。

「では、行って参ります」
「行って参りますって、本当に行くのか!?」

 士郎が止める間も無く、セイバーは既に飛び降りていた。真っ逆さまに落ちていく彼女に士郎が必死に叫んでいる。
 視力を魔力で強化すると、彼女が真っ直ぐに何かを見つめている事に気がついた。

「アレが……、敵!」

 そこに居たのは青い鎧を身に纏う赤い槍の男だった。
 セイバーの体から青い光が迸り、落下速度が更に加速する。
 魔力放出による加速によって、セイバーの体は音速を超える弾丸と化し、ランサーと思われる存在目掛け、一気に飛び込んでいく。
 ランサーはそんなセイバーを見ても余裕の笑みを浮かべている。
 彼が僕の知る通りの存在なら、自らの宝具で彼女を撃ち落とす事も出来た筈なのに、ただジッと迫り来るセイバーを待ち受けている。
 接触まで、残り二秒! 一……、零!

「セ、セイバー!?」

 士郎が叫ぶ。無理もない。地上はまるで爆破でもされたかのような惨状だ。
 そこは倉庫街だった。無数のコンテナがセイバーの着弾によって粉砕し、吹き飛ばされ、見るも無残な状態になっている。

「見て!」

 僕は思わず叫んだ。
 果たして無事なのか、と危惧している僕達を尻目にセイバーは既に戦闘に入っていた。強化した視力を持ってしても何がなんだか分からない人外染みたスピードとパワー、テクニックによる戦闘。
 
「士郎……」
「な、なんだ?」

 あまりにも凄まじい攻防に唖然としている士郎に僕は言った。

「一応、いつでも令呪を発動出来るようにしておいて」
「令呪……って、これか?」
「うん。相手が宝具を使おうとしたら、それで撤退させて」
「あ、ああ」

 僕らのやり取りを尻目にライダーは戦場とは別の方角に視線を向けていた。

「ライダー?」
「どうやら、観戦者はボク達だけじゃないみたいだよ」
「え?」

 ライダーが視線を向けている先に顔を向ける。すると、そこにはフルフェイスの鎧を身に纏う怪しげな騎士が立っていた。

「あれは……?」

 全く見たことが無い。僕の知る限り、この聖杯戦争に参加するサーヴァントはセイバーとギルガメッシュを除き、全員が軽装だった筈。あんな無骨な鎧を身に纏う英霊なんて……。
 咄嗟にサーヴァントの情報を閲覧出来るマスターの特権を使った。特殊な霊視能力によって、目指したサーヴァントのステータスなどの情報を得る事が出来る――――、筈だった。

「……何も見えない?」

 そのサーヴァントの情報は殆ど閲覧出来なかった。

「誰なの……?」
 
 僕の疑問を余所に謎のサーヴァントは剣を振り上げ、戦場へと駆けて行く。
 三人目の襲来により、戦場は苛烈さを増した。

「セイバー……」

 眼下で戦う彼女を心配する士郎の声が夜闇に溶けていく……。

第十五話「跳梁跋扈」

 セイバーのサーヴァントは因果というものを感じていた。本来、英霊は召喚される都度に記憶をリセットされるものだが、彼女は例外だった。召喚される度、彼女の記憶は彼女の中に留まり続け、蓄積される。
 故に前回の聖杯戦争の記憶も抹消されずに残っており、それ故に現在の状況に対し、因果を感じている。
 自らを召喚したマスターは前回の聖杯戦争におけるマスターの息子であり、初戦の舞台は前回同様に港の倉庫街であり、初戦の相手はこれまた前回と同様にランサーのサーヴァント。
 これを因果と呼ばずに何と言う。

「ッハァ! 空から降ってくるとはド派手な登場じゃねーか、セイバー!」

 獣の如き獰猛な笑みを浮かべるランサーの暴風のような真紅の猛撃を尽く防ぎ切りながら、セイバーも負けじと猛る。
 マスターの方針は勝ち残る上で厄介この上ないが、その在り方は実に好ましい。
 何れにしても、あの二人の少年少女は性格が戦いに適していない。ならば此方がサーヴァントを引き付け、その間にマスターが敵マスターを殺害するという前回のような常勝戦法は元より不可能。
 
「ッハァァァアアアアアア!」

 残された手は一つ。この身は剣の英霊。自らの剣を持って、敵サーヴァントを残らず殲滅するのみ。
 善良な性格のマスターが善良な意思の下に固めた決意。
 それは守るべき価値のあるモノであり、守る為には勝たねばならない。

「ッカァァァアアアア!」

 攻防は開始から既に一分。これほど長い時間を掛けて尚仕留め切れないとは、さすがは聖杯に招かれた選りすぐりの英霊。セイバーは内心舌を巻きながら、更なる猛攻を掛ける。
 対するランサーも空からの襲撃という度肝を抜く参上の仕方をした眼前のセイバーの力量に闘志を際限無く燃え上がらせている。
 マスターからの指示は単純明快。ここに呼び寄せられた英霊達を全力全開で迎え撃ち、情報を入手し、あわよくばそのまま殲滅する事。ならば心行くまで戦うだけだ!
 ルーンによって、最大限まで強化されたこの身と切り結び一歩も退かぬとは、この女は相当な実力者だ。相手にとって不足は無い。
 何度目になるかも分からぬ必殺の一撃を互いにぶつけ合う二騎のサーヴァント。二人の実力は正に拮抗していた。

「ォォォオオオオオオオ!」

 その時、突然第三者の雄叫びが戦場を震わせた。
 セイバーはランサーを警戒しながら襲撃者に視線を向ける。そこには銀の鎧を身に纏い――――、見覚えのある剣を構える騎士の姿があった。

「そ、その剣は――――ッ」

 驚きは一瞬。されど、戦場において一瞬の空白は即ち死を意味する。
 瞬時に接近した襲撃者の斬撃がセイバーの胴体を狙い撃つ。

「――――ック」

 正に神業とランサーは口笛を吹いた。セイバーは完全に対処不能と思われた状況で襲撃者の斬撃を防いだ。まるで、その軌道を剣が通ると分かっていたかの如く、視線を動かすより先に剣を動かし、襲撃者の斬撃を逸らしたのだ。
 未来予知染みた直感によって間一髪命を繋ぎ止めたセイバーは襲撃者から距離を取り、鋭い眼差しを向ける。

「その剣は――――……、お前はまさか!」
「――――まさか、こんな所で再会出来るとは」

 襲撃者の仮面が剥がれていく。そこには禍々しい表情を浮かべたセイバーと瓜二つの顔があった。

「おいおい、どういう事だ?」

 同じ顔を持つ二騎のサーヴァント。互いに握る獲物は『剣』。
 瞬間、ランサーの思考に第三者の思考が割り込む。彼のマスターからの念話だ。
 
『油断しないで下さい。第三次聖杯戦争の資料によると、一つの英霊を違う側面からそれぞれ呼び出して使役したマスターが居たそうです』
『奴等がそうだと?』
『断定は出来ません。偶然、違うマスターが同じ英霊を選んだだけかもしれません。ですが、彼らが敵対していると思い込むのは禁物です。いつ、示し合わせて襲いかかって来てもいいように警戒は怠らないように』
『了解』

 ランサーが二騎から距離を取ろうとした瞬間、戦況は更なる第三者の手によって動いた。

 ◆

『さあ、貴方の実力を見せて貰うわよ? 無銘の正義の味方さん』

 遠坂凜は使い魔越しに自らのサーヴァントへ向けて檄を飛ばす。
 アーチャーのサーヴァントは了解だとばかりに一歩足を前に踏み出し、その鷹の目によって戦場を詳細に観察し、唇の端を吊り上げた。

「では、期待に応えるとしよう」

 彼の左手には弓が、右手には奇妙な螺旋状の刃を持つ剣が現れた。
 彼は弓の弦にその奇怪な剣を矢の如く番えると、引き絞り、一節の呪文を唱えた。

「I am the bone of my sword.」

 剣は瞬く間に細長い矢へと変化を遂げ、アーチャーは三体の英霊が集う戦場へ必殺の一撃を放った。
 音速を凌駕し、矢は一直線に突き進む。彼方から放たれたソレは察知した時点で既に手遅れな距離へ迫り、防ぐ事叶わぬ絶対的な破壊力を放出した。

「……ほう、これを受けて生き残るか」

 アーチャーは既に発射地点から遠く離れた場所に居場所を写していた。
 そこから鷹の目で観察した所、戦場には未だ存命している三騎の姿があった。

「だが、二撃目はどうだ?」

 一撃目をどうにか凌いだらしい三騎の英霊。だが、彼らは全員満身創痍。
 アーチャーは再び矢を番え、戦場へと第二射を放った。
 例え、二撃目を警戒していようと既に致命傷一歩手前の負傷を負っている戦場のサーヴァント達にこれを回避する事など不可能。アーチャーは再び発射地点から移動しながら勝利を確信しほくそ笑んだ。
 だが、直後起こった現象に彼の表情は一変した。

 ◆

 続けざまに放たれた二撃目を前に戦場のサーヴァント達はいずれも絶望とは縁遠い表情を浮かべていた。
 ランサーのサーヴァントは自らのマスターに問う。

『いけるか?』
『……いえ、あの宝具は必殺であっても切り札では無いようです』
『って事は、まだ奥の手があるって事かよ……』

 自らに迫る極光を前に呑気な笑みを浮かべながらランサーは自らの周囲にルーンを刻んでいく。二撃目が当然来るだろうと予測していた彼の周囲には既に十七のルーンが浮かんでいた。
 一方、セイバーのサーヴァントは自らの宝具を包む風の守りを解き放とうとしていた。使えば自らの真名を明かす事になるが、この状況では四の五の言っている暇など無い。

「退けッ、父上!」

 だが、セイバーが解き放った剣を振り上げた瞬間、後方から彼女と瓜二つの顔を持つサーヴァントがセイバーを押し退けて前に出た。

「邪魔してんじゃねェぞ、糞野郎!」

 謎のサーヴァントが掲げるは燦然と輝く至高の宝剣。されど、その刀身が彼女の魔力によって見る間に禍々しく変貌していく。
 光を闇で染め上げ、銀のサーヴァントが吠える。

「我が麗しき父への叛逆!」

 クラレント・ブラッドアーサー。その言葉が意味するものを正しく理解出来る者は言葉を紡いだ当人のみ。
 赤雷を纏いし斬撃が迫り来る光の矢を呑み込み、射手へと迫る。既にそこにはアーチャーの姿は無いが、赤雷の起こした破壊の爪痕は倉庫街から川を隔てた先の新都のビルの屋上を削り、天空へと伸びていった。
 
「おいおい、クラレントだと? それに、父上だぁ?」

 ランサーがセイバーと銀のサーヴァントを見比べながら口をすぼめる。
 血沸き肉踊る戦いは望む所だが、生前殺し合いをした親子の再会の場に立ち会うのは御免だとばかりにランサーは結界用に準備したルーンを発動させた。

「ッハ、勝負は預けるぜ、セイバー!」

 傷を瞬時に癒やし、姿を眩ませ、同時に破壊の嵐を生み出し、ランサーは撤退していった。対魔力を持つ二人の英霊は破壊の嵐を悠然と受け流し、逃げたランサーを追おうとはせず、互いの視線を交える。

「……モードレッド」
「父上……」
 
 あり得ない筈の再会に両者は紡ぐべき言葉を見つけられず睨み合いが続いた。

「……ッチ」

 先に動いたのはモードレッドだった。

「マスターが戻れとよ。また会おうぜ、父上。今度こそ、オレがあんたの――――」

 王座を貰う。霊体化するモードレッドが残した言葉にセイバーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、虚空を見上げた。

「……お前はまだ」

 空を見上げると、マスター達を引き連れたライダーのヒポグリフが降下してくるのが見えた。
 今宵の戦いはこれで終わりのようだ。

 ◆

「おいおい、どこに行く気だ?」

 赤雷により自らの矢を消し飛ばされた事を察知したアーチャーは戦線から離脱しようとしていた。ところが、遥か彼方に居る筈のランサーが目の前に現れた。
 大気を震わせる程の猛烈な殺気を放ち、ランサーは言う。

「こっちはテメェのおかげで不完全燃焼のままなんだ。キッチリ、ツケの精算をしてもらおうじゃねぇか!」
「やれやれ……、どうやら藪をつついて蛇を出してしまったらしい――――いや、犬かな?」
「テメェ……、死ぬ覚悟は出来てるだろうな?」
「生憎だが、マスターを勝利させる事がサーヴァントの仕事だ。死ぬ覚悟などしている暇は無い」
「上等!」

 雄叫びを上げ、青き獣が尋常ならざる速度で疾走する。

「ッハ、好都合だ。一人も落とせぬままではマスターに顔向け出来ぬ所だった!」

 アーチャーはその手に白黒の双剣を出現させ、ランサーの槍を受ける。稲妻の如き切っ先を弾き、尚且つ攻め入ろうとするアーチャーにランサーは嗤った。たかだか弓兵風情という侮りを吹き飛ばす剣捌きだ。
 正解だった。モードレッドがクラレントを発動した瞬間、ランサーはアーチャーの矢を結界で防ぐ必要が無いと判断し、遠見と追跡の為に幾つかのルーンを既に使用としていた。残るルーンで状態を万全なものに戻し、自らを加速させ、一気呵成の勢いでここまで辿り着いたが、努力の甲斐があったというもの。
 
「いいぜ、聞いてやる! 貴様、どこの英霊だ?」
「名乗る名など持ち合わせてはいないさ!}

 交差する青と赤。二騎の激突は空気を震わせ、大地を揺らし、草木を薙ぎ倒した。
 戦いは一見拮抗しているように見えたが、徐々にアーチャーが圧され始めている。
 当然だ。その身は弓兵、敵から距離を取って戦うのが本来の姿。対して敵は槍兵、接近戦こそが彼の本領。
 判断を下したのはアーチャーのマスターだった。彼の切り札については既に聞いている。だが、それを発動させる為には時間が掛かり過ぎる。この接敵している状況ではとてもじゃないが使えない。

『令呪を持って命じる。アーチャー、撤退しなさい!』
「……了解。まったく、イイとこ無しだな」

 肩を竦めながら膨大な魔力と共に姿を消すアーチャーをランサーは不満そうに見つめ呟く。

「またかよ……」

 精魂燃え尽きるまで戦うのが彼の聖杯戦争に掛ける願い。
 だと言うのに、二回連続で不完全燃焼のまま戦いが終わってしまった。
 
「へいへい、わーったよ」

 追い打ちを掛けるようにマスターからの帰還命令が下され、ランサーは舌を打ちながらアーチャーの消えた空間を見つめた。

「次はキッチリ決着をつけような、アーチャー」

 そう言い残すと、彼もまた夜闇の中に姿を消した。

第十六話「狂戦士襲来」

 燃え盛る炎の中にワタシは居た。ボクは只管助けを求めた。アタシは瓦礫から抜けだそうと藻掻いた。俺は怨嗟の声を上げた。けれど、懇願も悲哀も憤怒も憎悪も絶望も……、全て炎に呑み込まれた。
 生きながらに殺された私達は空にぽっかりと空いた黒い穴を見上げる。あそこには炎が届いていない。あそこまで行けば助かる筈だ。そう思うと不思議と体が動いた。虚空を踏み、天へ向かって歩いて行く。
 そこは渦の中心。外側へと通じる穴を穿つ為の螺旋。この世とあの世の境界面。
 そこで死者達は人ならざる者の声を聞く。

――――貴方の望みは?

 ◆

「……セイバー。その……、どうするんだ?」

 士郎が心配そうに尋ねると、セイバーは僅かに逡巡しながら呟くように応えた。

「戦う事になるでしょうね」
「それは……」

 実の息子と殺し合うという事……。
 港の倉庫街を舞台に繰り広げられた聖杯戦争の開幕戦。セイバーとランサーの激戦に横槍を入れた襲撃者は彼女の実の息子、モードレッドだった。
 アーサー王伝説の終焉。カムランの丘で殺し合った親子が時空を超えて再会し、再び命を奪い合う。
 その運命のあまりの苛酷さに言葉が見つからない。

「だって……、息子なんだろ?」
「ええ……、ですが同時にアレも私も今はサーヴァントです」
「で、でも……」
「マスター。私には何があろうと叶えねばならない願いがある。その為ならば……、我が子を再殺する事も躊躇いません」

 あまりにも苛烈な言葉に士郎は愕然としている。

「駄目だ……、そんなの」
「議論の余地はありません。アレもまた、自らの願いを叶える為に召喚に応じ、主に剣を捧げた筈。聖杯に至る事が出来るのは一組のマスターとサーヴァントのみ。ならば、是非もありません」
「……なんだよ、それ。自分の子供を殺してまで、聖杯なんてものが欲しいのか!?」

 己が欲望を満たす為に実の子を殺す。それは明確な悪であり、正義の味方を志す者にとって、それは到底看過出来ない事。
 士郎は声に怒りを滲ませ、セイバーを睨みつける。

「息子を殺してまで、何を願うってんだ!?」

 声を荒げる士郎に対して、セイバーは冷めた表情を浮かべている。

「……では、どうするのですか?」
「え?」

 セイバーは感情の無い声で問う。

「貴方の望みは聖杯戦争における犠牲者を最低限に抑える事。その為には速やかに敵のサーヴァントを殲滅するしかない。にも関わらず、貴方はサーヴァントを殺す事に異を唱える」

 セイバーの声にも苛立ちの色が見え始めている。

「サーヴァントを殺さずにどうやって聖杯戦争を終わらせるのですか? 代わりにマスターを殺しますか?」
「……は、話し合う事は出来ないのか?」
「話になりませんね。相手は自らの悲願の為に不特定多数の他人を殺す決意を固めた者達ですよ? 今更、何を話し合うと言うのですか?」
「それは……」
「結局、殺し合う以外の道など無い。それが嫌なら……、貴方との契約もここまでだ」
「な……っ」

 士郎は言葉を失っている。だけど、僕にとっては好都合な展開だ。
 士郎の気持ちは僕にも理解出来るけど、言っている事が正しいのはセイバーの方だ。
 聖杯戦争を終わらせる為にはサーヴァントを全て脱落させるしかない。少なくとも、セイバーや士郎が持ち得る知識の中ではコレ以外の方法など見出だせない筈だ。
 もっとも、セイバーが聖杯を諦めない限り、大聖杯そのモノを破壊するなどの反則技も不可能だけど……。

「貴方の人柄は私にとっても好ましいものだ。だが、戦場にまでそのような考えを持ち出されては背中を預ける事など出来ない」
「お、俺は……」
「シロウ。貴方は優しい人間だ。だからこそ、貴方に戦場は似合わない」

 そう言って、少しだけ表情を和らげたセイバーは士郎に告げた。

「でも……、俺はこの戦いを……」
「士郎」

 僕は士郎の言葉を遮るように声を掛けた。
 士郎には悪いけど、この流れを利用させてもらう。頑固な士郎を戦いから引き摺り下ろすチャンスだ。

「もう――――」

 僕が口を開き掛けた直後、突然部屋の明かりが消え、カランカランという音が鳴り響いた。同時に地響きが鳴り、強大な何かが庭へと降って来た。
 一目見た瞬間に分かった。恐れていた事が遂に現実になったのだ。
 浅黒い肌の巨人。その肩に少女は座っている。雪のように白い髪と血のように赤い瞳の愛らしい少女が禍々しい殺意を放ちながら僕達を見つめている。

「な、なんだ!?」
「……こんばんは」

 優雅な足取りで地面に降り立ち、少女は謳うように告げる。

「私の名前はイリヤスフィール。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ずっと、貴方達に会える日を待っていたわ」

 薄く微笑み、イリヤスフィールは巨人へと振り返る。

「さあ、やりなさい、バーサーカー」
「ライダー! シロウとイツキを連れて離脱しろ!」
「了解!」

 僕達が動けずにいる間にサーヴァント達は的確な判断を下し、行動を開始していた。
 セイバーは迫り来るバーサーカーに真っ向から立ち向かい、その隙をついてライダーがヒポグリフを召喚し、僕達を掻っ攫い、上空へと駆け昇る。

「あれが……、バーサーカー」

 我に返り、地上で戦うセイバーとバーサーカーを見て、怖気が走った。
 アレと戦うつもりで居たなんて、何て愚かだったのだろう……。

「本物の化け物だ……」

 セイバーやライダー、ランサーとも違う。正に破壊の化身だ。
 僕達の育った家が崩れていく。怪物が斧剣を振るう度に巻き起こる旋風が壁を崩し、柱を切り裂き、屋根を吹き飛ばしていく。
 僕達の思い出がたくさん詰まった家が秒毎に崩壊していく。

「やめて……」

 おじさんとの思い出が失われていく。

「やめてよ……」

 士郎との思い出が失われていく。

「やめてってば……」

 何をしても振り向いてもらえない僕にとって、この家での思い出だけが士郎を繋ぎ止める唯一の希望だと言うのに、それが壊されてしまったら……。

「ライダー!」

 全てが終わったら、また帰ってくるつもりだった。また、ここで士郎の為に料理を作り、士郎と一緒にいつまでも過ごす筈だった。
 それを壊すなんて、許せる筈が無い。

「オッケー! このままだと、セイバーもやられちゃいそうだしね」

 手の甲が疼く。令呪の一画が消滅し、ライダーの体を中心に膨大な魔力が渦巻く。

「しっかり、捕まっててよ!」

 ヒポグリフが嘶く。目が眩む程の閃光が迸り、刹那の瞬間、僕達は次元の異なる世界へ足を踏み入れた。
 次の瞬間、目の前にバーサーカーの姿が現れ、ヒポグリフはその身を怪物へ叩きつけた。まるで、風船が破裂したかのような光景だった。血潮が舞い、骨肉が撒き散らされている。
 そんな光景を瞬く間に地平の彼方へ置き去りにして、ヒポグリフは再び天空に舞い上がっていた。

「討ち取ったりー!」

 電光石火の早業に地上のセイバーが唖然としている。

「ど、どうなったんだ!? 今のは一体……」

 仰天しているのは士郎も同じ。というか、僕も同じだ。
 まさか、こんなにアッサリとバーサーカーを殺せるなんて思わなかった。

「す、凄いよ、ライダー!」
「へっへへー! もっと、褒めてー」

 セイバーは無事だったけど、今の攻撃に生身の人間が耐えられるとは思えない。直撃を受けなくても、衝撃だけでミンチになっている筈だ。
 期待しながら地上に視線を向ける。

「……うそ」

 イリヤスフィールは生きていた。お穴を穿たれた道場から埃を叩きながら出て来る。
 殺意に満ちた真紅の瞳を此方に向けている。

「ありゃ……、思ったよりシブトイみたいだね、あのデカブツ」

 ライダーが呆れたように呟き、地上を見下ろす。彼女の視線の先には蘇生を完了させたバーサーカーの姿がある。
 バーサーカーの正体はギリシャ神話の大英雄、ヘラクレス。その宝具は十二の試練。かの英雄が乗り越えた試練の数だけ彼は蘇生する。しかも、一度受けた攻撃は通じない上にランクB以下の攻撃は無効化されてしまうというインチキ振りだ。
 今のライダーの攻撃で一回。残り十一回。一回だけなら僕も殺せるけど……。

「やっぱり、バーサーカーを倒すのは無理か……」

 なら、やはり狙うべきはイリヤスフィール。

「回路接続……、完了」

 魔術回路を起動する。狙うは地表。視力を強化し、狙いを定める。
 
「『湧き出す炎――スプリング・ファイア――』!」

 僕が使える魔術は二つ。再生と破壊。僕は破壊の力を持った炎を掌から吐き出した。
 蛇口を緩めるように際限無く炎が飛び出す。例え、水の中でもこの炎は衰えない。
 おじさん曰く、これは呪詛の塊のようなものらしい。だからこそ、あらゆる物理法則に影響されず、対象を焼き尽くす。壁があれば壁をすり抜け、風が吹けば風を無視する。
 魔術に対する影響は実践出来なかったから分からないけど、Fateでイリヤスフィールが魔術を使ったのはHFのラストや士郎を自城に連れて行こうとした時だけだった筈。

「え?」

 ものの数秒で地表に到達した炎はそのままイリヤスフィールを呑み込み炎上していく筈なのに、イリヤの周囲には不可思議な光が広がり、炎の侵入を防いでいる。

『面白い魔術を使うのね』

 甘ったるい声で耳元に囁かれた。
 振り向くと、そこには銀色の光の糸で編まれた鷲が浮かんでいた。

「危ない、イツキ!」

 間一髪、襲い掛かって来た光の鷲をライダーが剣で叩き落としてくれた。
 けれど、次の瞬間、目の前に十を超える光の鷲が姿を現した。

「……これは」
『一度とは言え、バーサーカーを殺せた御褒美に今夜は見逃してあげようと思ったんだけど、もう少しだけ付き合ってあげる』

 どうやら、私は藪をつついて蛇を出してしまったみたいだ。
 光の鷲が一斉に襲い掛かってくる。

「ふん! あんまりボクを甘く見るなよ!」

 慌てて炎で壁を築こうとした僕を抑え、ライダーが一冊の本を取り出した。

「我が宝具、『魔法万能攻略書――ルナ・ブレイクマニュアル――』の力、とくとご覧あれ!」

 瞬間、光の鷲の形状が崩れ、それぞれが一本の銀色の紐になって虚空へと消えていった。

「ボクに魔術は通じないよ」

 あまりの事に言葉が見つからない。バーサーカーの防御を突破する攻撃力とヒポグリフによる飛翔能力、そこに魔術に対する絶対防御が加わり、もはや最強に見えた。

「い、一体幾つ宝具を持ってるの!?」
「うーん、後二つくらいかなー」

 これだけ強力な宝具を披露しておきながら、まだ後二つも切り札を残している。
 その言葉に驚いたのは僕だけでは無かった。

『……ふーん。面白いじゃない』

 またも唐突に現れた光の鷲がイリヤの声を届けた。

『いいわ。今度こそ見逃してあげる。メインディッシュは後に回す事にするわ。でも、逃げようとしたら殺すからね?』

 光の鷲を通してそう言うと、イリヤはバーサーカーを伴い衛宮邸を後にした。

『ばいばい。私に殺されるまで、他の雑魚に殺されちゃダメだよ?』

 そんな物騒な言葉を言い残して……。
 ライダーがヒポグリフを地上に降ろすと、僕は急いで炎を自分の中に戻した。出し入れ自由な所も僕の魔術の不思議なところ。

「……家が」

 炎が消え去った後に残ったのは瓦礫の山だった。言い訳をしておくと、僕の炎は対象以外を燃やさない。受動的にも能動的にも対象以外の物理的干渉が発生しないのだ。

「壊れちゃった……」

 あまりの事に僕は崩れ落ちた。そのまま、意識を手放した。

第十七話「敵対宣告」

 気が付くと、僕は炎に囲まれていた。不思議と熱くない。

「この炎は……、僕の?」

 思い切って触れてみる。まるで風を掴んでいるかのような奇妙な感触。少なくとも火傷の心配は無さそうだ。
 しばらく触れていると誰かの囁き声が聞こえた。耳を澄ますと、その声が炎の中から聞こえている事に気がついた。

「誰か居るの?」

 問い掛けると囁き声が少し大きくなった。

「……助けて欲しいの?」

 意を決して、炎の中に飛び込む。
 すると、目の前に小さな男の子が現れた。どこか怪我をしているのか、しきりに痛がっている。

「だ、大丈夫? どこが痛いの?」

 手を伸ばすと、男の子は煙のように消えてしまった。

「え?」

 戸惑っていると、今度はお婆さんが蹲っていた。
 苦しいと泣き叫んでいる。
 近づくと、お婆さんが蹲っていた場所に何故か若い女性が倒れていた。

「あ、あれ?」

 女性はぶつぶつと何かを呟いている。上手く聞き取れない。

「ど、どうしたんですか?」

 近寄ると、女性の体が地面に染み込むように消えてしまった。

「どうなって……」

 囁き声が次第に大きくなっていく。もはや、それは騒音と化していた。

「な、何なのこれ!?」

 耳を抑えても、声は手をすり抜けて耳の中へと侵入してくる。

「……違う」

 否、この声は――――、僕の中から響いている。
 耳から外した掌を目の前に持ってくる。

「……ぁ」

 掌から炎が漏れ出している。まるでドライアイスのように橙色の気体が地面に零れていく。
 湧き出る炎の向こうには多くの人が居た。

 ◆

 目が覚めて、初めに視界に入ったのはライダーの顔だった。花の咲いたような笑みと共にライダーがダイブしてくる。ああ、これはヤバい。何故か可愛らしい洋服に着替えているライダーだけど、鎧を着ていないとはいえ、人一人分の重量をはたして僕は受け止められるのだろうか……、無理だな。

「むぎゅっ」

 思ったより衝撃は少なかった。布団がクッションになってくれたみたいだ。
 
「マッスター! 起きたー!」

 なんて可愛らしい笑顔。なんだか凄く怖い夢を見た気がしたけど、ライダーの笑顔で一気に気分が軽くなった。

「お、おはよう、ライダー」
「オハヨー!」

 抱き締めたい。今は僕も女の子なわけだし、大丈夫な筈。
 いざっ!

「よかったー! もう、ボク達、すっごく心配したんだからねー」

 両手を布団から出してライダーの背中に回そうとした所でライダーが離れてしまった。このやり場のない両の手をどうしたらいいんだ。

「どうしたの?」
「な、なんでもないよー」

 のっそりと布団から出る。

「あれ?」

 そう言えば、ここはどこだろう。少なくとも僕や士郎の部屋とは違う。というか、衛宮邸にこんな部屋は無い。
 扉を押し開け、外に出る。すると、漸く見覚えのある景色が飛び込んで来た。

「ここは――――」
「ああ! 起きたのね、樹ちゃん!」

 眩しいくらいの笑顔と共に大河さんがやって来る。
 そう、ここは彼女の家だ。

「もう、心配したのよ! 士郎がセイバーちゃんやライダーちゃんと一緒に飛び込んで来て、『樹を助けてくれ!』って必死に頼んでくるんだもの。貴方達の家は吹き飛んでるし……」

 その言葉を聞いて、漸く僕は昨日の事を思い出した。たった一夜の内に僕の家は瓦礫の山となってしまった。

「僕の家……」

 やばい……、涙が出て来た。

「今朝早く業者の人達が来たんだけど、地中に不発弾が埋まってたんですって! そんな事あるのねー」

 普通は無いよ。多分、教会の人達なんだと思うけど、神秘の隠匿の為とは言え、ちょっとテキトウ過ぎると思う。

「原因が原因だから、色々と調査が必要なんですって。だから、立ち入りも禁止みたいなの、一応、瓦礫から通帳とか色々と運び出して貰えたから、後で貴女も確認してね。お洋服とかも無事だった物は持って来て貰えたから」
「洋服が!?」

 おじさんが買ってくれた洋服が残っているかもしれない。そう聞くと、沈み込んでいた気持ちが少しだけ楽になる。
 ちなみに、これは後で知った事なんだけど、僕達の財産を運び出して貰えた理由は決して教会の人達のサービス精神が旺盛だったからでは無く、彼らを藤村組の人達が総出で囲って脅したらしい。如何に神秘に携わる者であろうと怖いものは怖いという事だろう。
 
「とりあえず、調査っていうのが終わったら、お爺ちゃんが建て直してくれるって言ってたから安心してね」
「ほ、ほんと!?」
「もちろん! だからほら、涙を拭いて」
「は、はい……」

 おじさんや士郎と一緒に過ごした家。建て直しても、一度壊れてしまった物は取り戻せない。それでも、あの土地でまた暮らせる事が堪らなく嬉しい。

「良かったねー」
「う、うん」

 その後、大河さんに連れられて、三人で大広間に向かった。
 そこには士郎がすっかり疲れ果てた様子で座っていた。

「ど、どうしたの?」
「樹! だ、大丈夫なのか!? どこか痛い所は無いか!?」

 思わず心配になって声を掛けると、士郎は血相を変えて僕の所に駆け寄って来た。

「だ、大丈夫だよ。士郎の方こそ、なんだか疲れてるみたいだけど……」
「俺の事はどうでもいい。そんな事より、本当にどこも痛くないのか? 気分が悪いとかは?」
「な、無いよ。全然問題無い」
「本当か?」
「う、うん」
「……そうか」

 深々と息を吐きながら、士郎は床に座り込んだ。

「だ、大丈夫?」
「ああ……」

 ぐったりとしている。

「だから言ったのに……。ほら、樹ちゃんは大丈夫だから、一度寝たほうがいいわよ」
「え? 寝てないの!?」

 昨夜あれほどの戦いがあり、そうでなくてもサーヴァントを召喚したのだ。僕が倒れたのもサーヴァントの召喚や宝具の発動に相当魔力を奪われた事が原因だ。宝具こそ使っていないとはいえ、士郎も疲労がかなり蓄積している筈。

「は、早く寝なきゃ駄目だよ!」
「……本当に大丈夫なんだな?」
「ぼ、僕? うん、僕なら全然大丈夫だから、ね?」
「……ああ」

 うとうとしている士郎に肩を貸しながら、大河さんが士郎の為に用意してくれた部屋に連れて行く。布団に入るとあっという間に寝息を立て始めた。相当疲れていたらしい。

「大丈夫かな……」
「大丈夫よ。ただの寝不足だもの。大変だったのよー。『樹は大丈夫なのか!?』とか、『どっか怪我したのかも』とか、大丈夫だから寝なさいって言っても聞かないの。ちゃんとお医者さんに診てもらって太鼓判を押してもらったのに、樹ちゃんの事になると本当に心配性なんだから」
「えへへ……」

 多分、誰かが目の前で倒れたら、士郎は同じように心配すると思う。けど、僕の事を取り乱すくらい心配してくれた事がヤバイくらい嬉しい。

「も、もう、仕方ないなー、士郎は」
「物凄く頬がゆるゆるだねー」

 ライダーがクスクス笑いながら言った。

「それにしても、樹ちゃんに外国人のお友達が二人も居たなんてビックリしたわ」
「え? あ、うん」

 ああ、そういう風に誤魔化してたんだ。セイバーとライダーについては既に説明済みっぽいから、合わせる事にした。

「コスプレだっけ? 樹ちゃんにそんな趣味があったなんてねー。折角のパーティー中にあんな事があって残念だったわね……」

 思わず吹き出しかけた。そう言えば、最初に士郎にライダーの事を紹介する時、咄嗟にコスプレ仲間と誤魔化したんだった。
 ライダーやセイバーの私服を用意する暇なんて無かったから、大河さんの家に飛び込んだ時も当然二人は甲冑姿。きっと、士郎は咄嗟に僕が吐いた嘘を採用して誤魔化したのだろう。それにしても、コスプレが趣味って……、自業自得だけど酷い設定がついたものだ。ただでさえ痛い奴と思われているのに、倍プッシュだよ……。
 大河さんは僕達の昼食を用意してもらう為に厨房に顔を出して来ると言って先に行ってしまった。僕達はノロノロと食堂の方に向う。藤村邸には藤村組の構成員がかなりの数常駐している為に食堂が存在する。

「そう言えば、セイバーは……?」

 項垂れながら、今朝から顔を見ていないセイバーについてライダーに尋ねる。

「セイバーなら出掛けているよ」
「出掛けたって、どこに?」

 ライダーは言った。

「モードレッドのとこ」
「……はい?」

 ちょっと、言ってる意味が分からない。

「あ、士郎には内緒ね。ちょっとした散策だって言ってあるから」
「いや、ちょっと待って! なんでいきなり!?」
「今朝方、向こうからこっちに挑発して来てね。ここを戦場にするわけにもいかないからってさ」

 そう言って、ライダーは突然玄関口の方を見た。

「あっ、帰って来た」
「え?」

 ライダーの言葉の通り、玄関の方からセイバーが普通に歩いて来た。表情は固いけど、怪我をしている様子は無い。服装はライダーと同じく可愛らしい装い。

「セイバー! 大丈夫だったの!?」
「そちらこそ、大丈夫なのですか?」

 慌てて駆け寄ると、セイバーは僅かに表情を和らげて僕を気遣ってくれた。

「うん。僕は全然平気。それより……」
「ああ……」

 セイバーはチラリとライダーを見て、それから溜息を零した。

「そう言えば、イツキに対しては口止めをしていませんでしたね」

 セイバーは再び表情を引き締めて口を開いた。

「イツキ……。マトウシンジから言伝を預かりました」

 セイバーの口から慎二くんの名前が出た瞬間、心臓を鷲掴みにされたような気分になった。

「ど、どうして、慎二くんから……? だって、セイバーはモードレッドに……」
「モードレッドの主が彼だったのです」
「し、慎二くんは何て……?」

 彼は僕達が聖杯戦争に巻き込まれないように必死に動いてくれていた。なのに、僕がサーヴァントを召喚した為に士郎もセイバーを召喚する事になり、結果、彼の思いを踏み躙ってしまった。
 きっと、彼は怒っている筈だ……。

「……彼からの言伝はこうです。『大方の事情は分かっている。だから、人の好意を完全に無視した挙句、サーヴァントを召喚した事に対して、とやかく言うつもりは無い。けど、こうなった以上は敵同士だ。僕は絶対に聖杯を手に入れなければならない。だから、お前達もちゃんと覚悟を決めておけよ、馬鹿共』と……」

 淡々とした口調で再生される慎二くんの言葉。彼の真意までは分からないけど、僕が打った手は悪手の中でも最悪の部類だったようだ。
 お前達も覚悟を決めろと僕達の親友は言う。それはつまり、彼は既に覚悟を決めているという事。そして、この場合の覚悟とは――――、殺し殺される覚悟を意味する。

第十八話「群雄割拠」

 冬木市郊外にある寂れた洋館にバゼット・フラガ・マクレミッツは自らの工房を築いていた。ランサーの助力によって、神殿とは呼べないまでも、それに匹敵する規模の陣地を形成する事が出来た。
 広々とした館の中の一室で彼女は調査資料の作成に取り掛かっている。

「……二体のサーヴァントの真名が判明し、アーチャーの実力もある程度差し図る事が出来た」

 昨夜の戦闘で大きな戦果を上げる事が出来た。
 此方は宝具を発動せず、真名も暴かれていない。ルーン魔術から真名を推察される可能性も無くはないが、ヒントがそれだけならば候補が山のように存在する。
 対して、此方は敵陣のサーヴァントの情報を期待以上に集められた。

「アーサー王にモードレッドか……」

 どちらも名の知れた英雄だ。だが、それ故に能力や宝具をある程度推察出来る。
 
「この二騎に関しては勝ち筋が見えた。だが、問題はアーチャー……」

 アーチャーの放った矢はAランク相当の破壊力を持っていた。にも関わらず、そのどちらもアーチャーにとって切り札となり得ぬものだった。
 ランサーの戦闘中、アーチャーのマスターが令呪を発動した事から、恐らく、あの時点では条件が整わなかったようだが、彼には何らかの奥の手が存在する筈。
 整わなかった条件というのが単に接近戦では効果を発揮しない類のものだったのか、それとも発動までに時間を要するのか、はたまた別の要因があるのかは分からない。ただ一つ言える事は決して侮って良い相手では無いという事だ。
 
「……いずれにしても、情報がまだまだ少な過ぎますね。アーチャーを潰さない限り、最初の手は使えませんし、暫くは息を潜め、他陣営の動きを見るとしましょう」

 ◆

「アーチャー」
「なんだね?」
「一つ聞きたいんだけどさ……」

 私は目の前に広がる御馳走の数々に目を白黒させながら傍らで給仕に勤しむアーチャーに問う。

「なにこれ?」
「料理だ」

 うん、それは分かっている。

「誰が作ったの?」
「私に決っているだろう。この屋敷には君と私しかいない。君が作っていないなら、答えは聞くまでも無かろう」

 やれやれ、と酷く癇に障る仕草で肩を竦めて見せるアーチャー。

「昨夜は大量の魔力を消費したからな。そうでなくても、丸一日眠っていたらお腹が空くだろう? マスターの精神状態を保つ事もサーヴァントの大切な役割だからね。勝手ながら、用意させてもらったよ」
「……私は給仕をしてもらう為にサーヴァントを喚び出したわけじゃないんだけど?」
「無論、サーヴァントに求められる最優先事項はマスターを聖杯戦争の勝者とする為の戦闘能力や技巧などだ。だが、物は考えようだぞ、マスター。戦闘のついでに給仕もさせてしまえばいい。サーヴァントとは本来『召使』という意味だ。存分に酷使するがいい」

 ちょっと引いた。半端じゃない奴隷根性だ。一体、この男は生前どんな生活を営んでいたのだろうか、非常に気になる。

「……貴方って、生前も誰かの従者だったりしたの?」
「ああ、一時だが執事の仕事に就いた事があった……、気がする」

 気がするとは随分と曖昧な言い回しだ。だけど、これは彼の英霊としての性質上、致し方無い事らしい。
 アーチャーの真名は『無銘』。彼は己を人類種の意思が抱く『正義の味方』という概念がヒトの形を得て起動した存在だと言う。
 とは言っても、彼には彼の人生や名前がちゃんとあったらしい。だけど、英霊となった彼は一人の人間では無く、『正義の味方』の体現者であり、代弁者となった。そして、その瞬間から彼の個としての記録は失われてしまっているそうだ。
 ただ、完全に全ての記録が抹消されたわけではなく、彼が『正義の味方』に至るまでの経験や人格を形成するに至った経緯が曖昧ながら残っているとの事。
 それは悲しい事じゃないのか? そう尋ねた私に彼は『なりたいモノになった。ただ、それだけの事だ』なんて、アッサリとした言葉を返して来た。

「この料理もその時に磨いたものってわけ?」

 フォークで柔らかいお肉を突き刺しながら問う。

「……いや、料理は趣味が高じた結果だ」

 思わず吹き出しそうになる答えが返って来た。
 私の反応が気に障ったのか、アーチャーはムスッとした表情を浮かべる。

「私も一応は人間だったのだ。それなりに目指していたモノや理想があった」
「貴方って、料理人でも目指していたの?」
「いや……、私が目指していたモノは前にも言ったように正義の味方だった。料理は……、理想があった。だが、どうやっても理想に追い付くことは出来なかった」
「……これでも理想には程遠いってわけ?」

 正直、食べた感想は『美味しい』の一言だ。よくよく観察してみると、栄養のバランスにも配慮が為されている。これより美味しいとなると、どんだけ理想が高いんだって話になる。
 それにしても、気になることが幾つかある。

「これとかどう見ても日本料理に見えるんだけど……」

 筑前煮をつまみながらアーチャーを見る。パッと見た感じでは分からないけど、東洋人らしい顔立ちをしている。

「もしかして、貴方って日本出身だったりする?」
「……その可能性は高いかもしれない。一通り、街を見て回ったが、どこか懐かしい感じがした。ひょっとしたら、私はこの街の出身だったりするかもしれんな」
「あはは……、それは無いでしょ」
「まあ、もしかしたら……、という話だ」

 アーチャーは近代の英雄との事だけど、この近辺で彼のような存在の話は聞いた事が無い。と言うか、宝具を投影魔術で創り出したり、数キロ離れた先の敵に矢を放ったりするようなトンデモ存在がこんな近場にいて貯まるか!
 
「しかし、満足してもらえたようだな。実に喜ばしい」

 アーチャーは米粒一つたりとも残っていない皿を見て、満足そうに微笑んだ。

「……悔しいけど、美味しかったわ。ご馳走様」
「ふふふ、明日の朝食も楽しみにしておきたまえ。君の胃袋を満足させるレシピは百通り揃っている」
「……いや、私は朝食べないし」

 言った瞬間、私はアーチャーの地雷を踏んでしまったらしい事に気がついた。

「……いいかね? 食事とは家庭医学の基礎にして、最重要要素なのだ。特に朝食を疎かにする事は――――」

 難しい表情を浮かべ、いきなり朝食の大切さを説教し始めるアーチャー。
 魔力が足りる限り、無数に宝具を投影出来たり、長距離から超火力の攻撃を行使出来たり、接近戦を挑まれてもランサーと互角に渡り合えるという戦闘能力に関しては大満足な彼だけど、人格面がちょっと変だ。

「わ、分かったわよ。朝食をちゃんと食べればいいんでしょ?」
「……ふむ、分かって貰えたのならばなりよりだ。マスターには心身共に健康で居てもらわねばならない。無論、君に不調があろうと勝利する事に変わりはないが、折角勝利しても勝鬨を上げられないというは……、どうにも締まらないからな」

 溜息が出そうになる。頼もしい事この上ないけど、視点がちょっとズレてる。

「……とりあえず、料理の話はここまで。それよりも、今後の方針について話をしましょう」

 このままでは埒があかない。私は無理矢理話の軌道修正を行った。
 アーチャーは表情を引き締めて……、皿を片付け始める。

「片付けは後にしてくれない?」
「いや……、せめて水にだけは浸けさせてくれないか? 油汚れは中々頑固だから――――」
「分かったわよ! 好きにしなさい!」

 頭が痛くなってくる。本当に生前の彼がどんな人間だったのかが凄く気になる。

「待たせたな。さあ、話を始めよう」

 台所から戻って来たアーチャーに私は深い溜息を零してやった。

「とりあえず、魔力は十分に回復したから、夜は街に出て敵のマスターを探すわ」
「積極的だな」
「穴蔵に引き篭もって、ちまちま情報を集めるなんて性に合わないもの。見敵即成敗よ!」
「了解した。昨夜は無様を晒したが、次こそは君のサーヴァントとして相応しい戦果を挙げてみせよう」
「ええ、期待しているわ」
「では、早速出掛けるかね?」
「そうね。丸一日寝ちゃったから、元気が有り余っているし、いっちょ暴れてやりますか!」
「ふむ、これは今宵遭遇するかもしれんマスターに同情を禁じえんな」
「馬鹿な事言ってないで、行くわよ、アーチャー!」
「了解だ、マスター」

 私のサーヴァントは日常面では癖があるけど、戦闘面においては頼もしい事この上ない。遠坂家の悲願は私が必ず遂げてみせる。この相棒と共に!

 ◆

 ああ、あの馬鹿共は本当に……。
 僕が必死に戦いから遠ざけようと頑張った苦労を一瞬で水の泡にしてくれた脳天気共に対する怒りが収まらない。

『本当に困った奴等だよ。僕が支払ったお金や労力をどうしてくれるんだって話』
「気持ちは分かるが、集中しろよ」

 アヴェンジャーが遠目に見える赤い主従を眺めながら肩に載せた僕の使い魔に向けて言う。
 やはりと言うべきか、遠坂凛は堂々とサーヴァントと共に夜の街で現れた。恐らく、自らを囮にして敵を誘き出すつもりなのだろう。
 アレはそういう輩だ。どんな搦手を使おうとも、力任せに打ち破ってくる筈だ。

『……ッハ、だったら真正面から挑むだけだ。このやり場のない憤りの捌け口にしてやる!』
「八つ当たりもここまで来るといっそ清々しいな、オイ」
『いいから、行くぞ!』
「りょーかい。いっちょ、派手にぶちかましてやるぜ!」

 アヴェンジャーが飛び出す。派手に真紅の魔力を撒き散らしながら、真っ直ぐに遠坂凜とアーチャーの下へ。
 視線が交わる。アーチャーはどこからか弓矢を取り出し、迫り来るセイバーに向けて矢を放つ。一息に放たれた矢は十を超える。そのどれもが必殺の威力を誇り――――、

「ウザッてぇ!」

 アヴェンジャーはその尽くを撃ち落とし、尚も速度を緩めない。

「よう、テメェが昨夜の横槍野郎か!」

 相手がアーチャーと分かるや、アヴェンジャーは殺意を漲らせ、一気に距離を詰める。 アーチャーは白黒の双剣を取り出し、アヴェンジャーの剣戟を受け止める。

「……いきなりヒットとは、我が主の引きの強さは天下一品だな」

 セイバーの猛撃を防ぎながら軽口を叩くアーチャー。

「ッハ、弓兵の癖にやるじゃねーか!」

 だが、初戦は弓兵。本来ならばセイバークラスで喚び出される筈の剣と共に歩んだ英霊であるアヴェンジャーとは力量に明確な差がある。

「アーチャー!」

 遠坂凛が青白い光を放つ宝石を投げ放った。
 直後、アーチャーの眼前に青白い障壁が出現し、アヴェンジャーの剣を一瞬阻む。

『アヴェンジャー!』
「わーってる!」

 確実に何かを仕掛けてくる。僕が使い魔越しに声を荒げると、アヴェンジャーは吠えるように応え、青白い障壁を粉砕した。

「お、おいおい!?」

 瞬間、アヴェンジャーは目の前の光景に言葉を失った。
 自らを取り囲むように無数の宝剣、聖剣、魔剣の類が迫って来るのだ。

『避けろ、アヴェンジャー!』

 瞬間、視界がホワイトアウトした。激しい衝撃によって使い魔との接続が途切れたのだ。同時に手の甲が焼け付くように痛む。
 激しい嘔吐感に襲われながら、必死に意識を留め、戦場に配置してある別の使い魔に意識を飛ばす。
 開いた新たな瞳に映った光景は凄惨の一言だった。核弾頭でも落ちたのかと思うほど、激しい爆発の跡があった。
 上空からは奇妙な粒子が延々と降り注いでいる。何かと思って視線を上に向けると、周囲のオフィスビルの窓ガラスが尽く粉砕している。

『お、おいおい、アヴェンジャーは無事なんだろうな……』

 あまりの光景に思わず不安を零すと、その言葉に憤るが如く、莫大な魔力が上空から落下してくる。爆心地の中心に降り立ったのはアヴェンジャー。

『あんなの喰らって無事だったのかよ!?』

 あまりの事に絶句していると、目の前で再び戦闘が始まった。

「ッハ、上出来だぜ、マスター!」
「仕留めたと思ったのだが、そうそう簡単にはいかんか!」

 互いに闘志を漲らせながら激突する二騎。
 その二人から遠く離れた場所では翠の光に覆われた遠坂凛の姿。

『……ったく、あれが純粋培養の魔術師って奴かよ。あんな化け物同士の戦いに手が出せるなんて……』

 まったくもって、イライラするぜ。

『アヴェンジャー……、勝てよ。僕らは負けるわけにはいかないんだ』

第十九話「赤と青の同盟」

 戦況は一気にアヴェンジャーへと傾いていく。本来、距離を取って戦うタイプのアーチャーが接近戦を得意とする英霊と真っ向から斬り合うなど論外であり、とっておきの奇策も破られてしまった以上、後はジリ貧だ。
 勝負は決した。後は追い詰めて、主従纏めて首を切り落とすのみだ。

「誇れ! このオレの手に掛かり殺される事を! そして、恥じるがいい! 最初の脱落者となる己の無力さを!」

 猛るアヴェンジャー。対するアーチャーは何を思ったか、突然自らの双剣をアヴェンジャー目掛けて投げつけた。渾身の力で投げ放たれた双剣は回転しながら弧を描き、アヴェンジャーに襲い掛かる。

「ッハ、自棄を起こしたか?」

 岩盤すら砕く必殺の一撃を軽々と打ち払い、アヴェンジャーはアーチャーに止めの一撃を振り下ろす。

「……また、ソレか?」

 アーチャーが攻撃を防ぐ為に取り出した獲物はさっき投げ捨てた白黒の双剣と同じ物だった。さっき、アーチャーが使い捨ての爆弾として使った無数の剣の中には目の前の双剣よりも遥かに優れた獲物が数多くあった。にも関わらず、この状況で選んだ獲物がソレとは解せない。
 極限の戦闘状態の中、アヴェンジャーは思考する。
 そのモノの幻想を解き放つ事で宝具を一度限りの爆弾とする『壊れた幻想』。サーヴァントにとって、禁忌とも言えるその行為を乱発するサーヴァント。
 昨夜の戦闘においても、今宵の戦闘においても、使われた宝具はどれも一級品だった。宝具はサーヴァント一体につき1つか二つ、多くとも五つが限度だと言うのに、その法則を完全に無視している。
 そんな特異なサーヴァントがこの土壇場で選んだ獲物。ソレがただの二流品などあり得ない。

「心技、泰山ニ至リ」

 双剣の片割れを振り上げるアーチャー。瞬間、背後から風切り音が響く。
 
「――――ッチ」

 アヴェンジャーは野生の獣が如き嗅覚で背後からの斬撃を躱し、同時に眼前に迫る刃を打ち砕く。

「―――心技、黄河ヲ渡ル」

 だが、それで終わりでは無い。アーチャーが握る獲物は双剣。即ち、背後にもアーチャーの手元にも、まだもう一振りが存在する。
 前後からの挟撃を凌いだ直後のアヴェンジャーは完全に体勢を崩している。
 迫り来る陰陽剣の片割れ。同時に迫るツガイの刃。もはや、避ける事も防ぐ事もままならない。

「――――舐めんなよ」

 怪物。その光景を目にした者達は総じてアヴェンジャーをそう評した。
 アヴェンジャーは姿勢を崩した状態のまま、前後からの攻撃をまたも防ぎ切った。不可能を可能としたのだ。
 だが、それがどうした? アーチャーはほくそ笑む。無理な体勢のまま、更に無理な挙動をしたが為にアヴェンジャーは今度こそ進退窮まった。彼女にもはや次は無い。

「仕舞だ」

 全ての剣を打ち砕かれたアーチャーの手には新たな双剣が握られている。宝具を次々に使い捨てにしていく異端の英霊。その在り方に英霊として吐き気を覚えながら、アヴェンジャーは自らの死を覚悟した。

 その光景を使い魔越しに見ていた間桐慎二は必死に自らのサーヴァントの窮地を救う方法を模索した。時間にして、一秒にも満たない刹那の思考。それが導き出したものは直前にアヴェンジャーが起こした奇跡。
 躱せる筈の無い攻撃をアヴェンジャーは躱してみせた。あの光景を反芻する。
 あの奇跡はやはり、アヴェンジャー単体には起こせなかった筈だ。彼女の能力を疑っているわけではないが、不可能な事は不可能なのだ。ならば、あの奇跡は一体何だったのか? その答えに至った瞬間、彼は叫んでいた。

「戻って来い、アヴェンジャー!」

 さっきは分からなかった。彼にとって、魔術とは他人の手を借りるもの。使い魔の使用も祖父である臓硯が用意した刻印蟲を飲み込む事で、自動的に行われる。他人が作った銃に他人が作った弾丸を籠めて、ただ引き金を引くだけだった。
 だから、彼自身の手による魔術行為はさっきの『令呪の発動』が初めてだったのだ。
 莫大な魔力と共に目の前に出現する傷ついたアヴェンジャーに慎二は声を掛ける。

「……負けちゃったな」

 一瞬、体を切り刻まれるかと思う程の濃密な殺気を向けられたが、アヴェンジャーは鼻を鳴らすと武装を解いた。
 慎二の妹、桜に借りた清楚な装い。早朝に挨拶を交わしたアヴェンジャーの父が着ていたオシャレ着とは正反対の出で立ちだ。双方の性格と装いがあまりにもチグハグだったから、その時は思わず微笑ってしまいそうになった。

「次は負けない」
「ああ、期待してるよ。君を助けられるのは後一回だ」
「……シンジ」
「ん?」
「次は勝つ」
「ああ、頼むよ」

 アヴェンジャーは舌を鳴らしながら部屋を出た。
 
「……何が後一回だよ」

 令呪の残り一画が何の為にあるのか、知らない筈が無い。だが、あの男は己が窮地に陥れば、確実に最後の令呪を使うだろう。そのくらいの事は短い付き合いの中で分かっている。

「ウゼェ……」

 光の少ない家。住んでいるのは生にしがみつく醜悪な妖怪と二人の子供。
 
「……忌々しい」

 あの地下空間を見ていると人間という種に対する嫌悪感が際限無く募っていく。

「腹が立つ……」

 間桐慎二はこの戦いで死ぬつもりだ。無論、それは負けを覚悟しているわけじゃない。あの男は勝っても負けても死ぬ気でいる。
 アレはどこまでも普通の人間だ。ただ、神秘に対する知識を有しているだけの小市民に過ぎない。こんな吐き気を催すような穢らわしい館に住んでいながら、その性根は恐ろしい程に真っ直ぐであり、善悪で言うならば善に傾いている人間だ。恐らく、アレが事ある毎に話す友人の影響なのだろう。曰く、度し難い程の愚か者であり、底抜けのお人好しなのだそうだ。
 そんなどこまでも普通の男が地下の惨状に何も思う所が無い筈が無い。昨夜など、眠っているのか奇声を上げる練習をしているのか分からない程、アレは自らの罪業に苛まされていた。
 既に限界に達している。アレが正気を保っているのはただ『妹を妖怪の手から解き放つ』という役割を真っ当しなければならないという義務感を抱いているからだ。それが叶ってしまえば、後は……。
 
「クソッ……」

 そういう人間が一番嫌いだ。己の役割を果たすために己を捨てている。そんな者はもはや人間とは言えない。ただの機械だ。ただの……、

「似ても似つかない癖に……」

 一人に出来ない。どこからそんな感情が湧いてくるのか自分でも理解が出来ないが、何故かアレから離れるという選択肢を手に取る事が出来ない。
 
「……いいぜ。取ってやるよ、マスター。オレにとっても聖杯は必要だ」

 だが、あの妖怪には渡さない。他の誰にも渡さない。
 折角勝ち取った王座をどうして他人に譲らねばならない?

「だから、お前も……」

 ◆

 敵が撤退したのを見届けたアーチャーは得意気な表情を私に向けて来た。

「面目躍如といった所だな」
「自分で言うか……」

 思わず呆れてしまった。けど、敵に二つの令呪を使わせた事は大きな戦果だ。

「次は仕留めるわよ?」
「ああ、二度も仕留め損なってはスナイパーの名折れだ。それにしても、今夜は大漁だな」

 アーチャーが再び双剣を創り出す。どうやら、今の戦闘をジックリ観察していたらしい青き槍使いが空から降ってくる。

「いや、まさか偵察中に再会出来るとは思わなかったぜ」

 空気が歪む程の殺意を漲らせながら、ランサーは真紅の槍を構える。

「ハハ、感動の再会という奴だな。では、前回の決着をつけるとしよう」

 両者は互いに戦闘態勢に移行する。
 この状況はマズイ……。
 アーチャーは既に激しい戦闘を終えたばかりだ。その上、相手には此方の手札を殆ど晒してしまっている。切り札を使う暇も恐らく無いだろう。
 奇策は恐らく通じない。だが、真っ向勝負では分が悪い。

「……だったら」

 私が不利を覆すだけだ。サーヴァントとマスターは一心同体。片方に足りないものがあるなら、もう片方が補えばいい。
 敵はサーヴァント。出し惜しみはしない。

「アーチャー!」

 私の声が開演のベルとなった。
 赤と青の激突が大地を揺るがす。

「悪いが今日は取らせてもらうぜ、貴様の首級!」
「……嘘」

 戦況はあまりにも一方的だった。前回の焼き直しなどトンデモナイ。
 
「まさか、手を抜いていた……?」

 ランサーの猛撃をアーチャーは防ぎ切れずに一方的に嬲られている。昨夜は渡り合えていたというのに……。

「こうなったら――――」
「いえ、ここまでです」

 虎の子の宝石を取り出そうとした瞬間、衝撃と共に私の意識はブラックアウトした。

 ◆

 正直、目を覚ます事が出来るとは思っていなかった。瞼を開くと、目の前にはランサーの顔があり、私の体は奇妙な光の文字に包まれている。

「……ルーン?」

 良かった。とりあえず、言葉は発せられるようだ。

「待ってな。マスターを呼んでくる」

 そう言って、ランサーは席を立った。
 扉を開けると誰かを招き入れる。入って来たのは赤い髪の女だった。

「初めまして、遠坂家の当主、遠坂凛。私はバゼット・フラガ・マクレミッツ。魔術協会所属の封印指定執行者です」
「執行者ですって……?」

 ああ、これは非常にマズイ展開だ。封印指定の執行者といえば、時計塔でもトップ3に入る厄介者だ。彼らの仕事は希少な能力を持った魔術師を保護という名目で拉致監禁し、魔術研究のサンプルとするモノ。
 
「ああ、勘違いしないように。私は貴女を協会に連行する為に連れて来たわけではありません」
「だったら、何の為に私を殺さずに連れて来たのかしら?」
 
 文字通り手も足も出ない状況だけど、精神まで屈するわけにはいかない。
 挑発的な物言いで返すと、バゼットは冷淡な口調で言った。

「単刀直入に言います。遠坂凛。私と同盟を結びなさい。無論、多少不利な条件を呑んでもらいますが、命と安全は保証します」
「不利……、ね。条件っていうのは?」
「今後、私の方針に従う事。そして、聖杯入手後に聖杯を協会へ移譲する事。この二点です」

 巫山戯るな。思わず怒鳴りつけそうになった。
 バゼットの口にした条件を呑むという事は即ち、バゼットの言いように動き回らされるという事だ。その挙句に聖杯まで協会に移譲しなければならないなど、冗談ではない。
 
「お断りよ。私は私以外の誰にも従うつもりは無い。殺したければ殺しなさい」
「……なるほど、命よりもプライドを優先するわけですね」

 バゼットはやれやれと呆れたように肩を竦めた。

「では、此方が譲歩するとしましょう」
「え?」

 即刻殺されると思いきや、バゼットは妙な事を言い出した。
 ここまで詰んだ状態の私を相手に譲歩するなど、意味が分からない。

「……こうしましょう。一先ず、聖杯に関しては後回しにします。方針に関しても貴女の意見を取り入れる事を約束しましょう」
「……何が目的なの?」

 私の問いにバゼットは一枚の書類を掲げてみせた。

「私は協会からこの地にて召喚される第七百二十六号聖杯の調査と確保を依頼されています。その一環として、今日一日、この街の事を調べて回ったのですが……」

 歯切れが悪い。執行者ともあろう者が言い淀むなど、碌な事ではあるまい。

「何か異常でも?」
「……異常などというレベルの話ではありません」

 嫌な予感がする。ああ、聞きたくない。

「協会から渡された資料と伝より得た情報から、私は円蔵山の地下へ潜りました」
「円蔵山の地下って……、まさか、大聖杯の下に!?」

 あまりの事に言葉も無い。
 けど、そんな私にバゼットは追い打ちを掛けてくる。

「大聖杯は禍々しい魔力を発していた。あんなモノが作動してしまえば、恐ろしい災厄が撒き散らされる。恐らく、十年前に起きたという新都の大火災もソレが原因です。……ですが、アレは単独で何とか出来るモノじゃない」

 深刻そうな面持ちで告げるバゼットに私は言葉を失った。
 大聖杯に異常が起きている。それはつまり、聖杯戦争そのものが既に破綻しているという事だ。

「……嘘でしょ?」
「なんなら、後で見に行きますか? 恐らく、その方が話も進めやすいでしょうし」

 十年待った私の聖杯戦争が開始直後に……。

「本当なのね?」
「嘘ではありません。だからこそ、貴女との同盟を求めている。始まりの御三家の当主である貴女の知識が必要だ。それに、現在確認が出来ているサーヴァントの内、殆どは私とランサーだけで殲滅出来ますが、アインツベルンのサーヴァントがあまりにも別格で、正直、倒すビジョンが浮かばない。貴女のサーヴァントは多芸のようですから、力を借りる事が出来れば勝率が一気に跳ね上がる」
「……一応、返事は大聖杯を確認してからでいいかしら?」
「構いません。貴女は聡い。アレを一目見れば、貴女の方から私に協力を求める事でしょう」
 
 最悪だ。何が最悪って、この女は決して嘘を吐いていないからだ。
 ああ、頭が痛くなってきた。

第二十話「世界」

 拘束が解かれ、身動きが取れるようになったものの、未だに私の体には幾つかのルーンが張り付いている。追跡と魔力封じ、そして死の刻印。
 四面楚歌とはこの事だ。逃げ出す手段を封じられ、万が一逃げ出せたとしても死が待ち受ける。
 仕方なく、私はバゼットの後に続いて円蔵山を目指している。彼女の言葉が真実であるなら、私は聖杯戦争の一参加者から冬木市の管理者に立ち戻らなければならない。

「……はぁ」

 アーチャーは周囲の警戒を行っている。私が人質に取られているせいで言いように使われている。それが堪らなくムカつく。
 
「……到着です」

 石畳の階段を前にバゼットが足を止める。見上げた先には柳洞寺の山門が見える。
 いつもと変わらぬ静かな佇まいだ。どうやら、聖杯戦争が始まった今でも、この場所に目立った影響は無いらしい。

「行きますよ?」
「え、ええ……」

 バゼットに続き、階段へと足を向ける。
 その時だった。

「――――そこで止まれ」

 ほんの数秒前までは誰も居なかった筈の石階段の上に一人の男が立っていた。
 金色の髪を風で揺らしながら、禍々しい鮮血の如き真紅の瞳を私達に向けている。
 瞬時にアーチャーとランサーが私達の前に躍り出て警戒態勢を取る。

「ここより先に足を踏み入れる事はこの我が許さん」
「……貴様は?」
「疾く消えろ」

 それが私の意識が途絶える寸前に聞こえた最後の言葉。正直、何をされたのか理解出来なかった。抵抗する暇すら与えられずに私はこの日、二度目の敗北を経験した。

 目が覚めた時、最初に映った光景がアーチャーの背中だった事に心底安堵した。
 
「……また、生きてたみたいね」
「奇跡だな」

 敗北がそのまま死を意味する筈の聖杯戦争。にも関わらず、二度に渡る敗北を経験しながら、私は今も生きている。アーチャーも無事だ。コレは幸運な部類なのだろう。
 薄暗い部屋だが見覚えがある。ここはバゼットの拠点だ。

「それで……、バゼットは?」
「ここに居ますよ」

 声はアーチャーとは反対の方向から聞こえた。
 バゼットは涼しい顔をしながらコーヒーを啜っている。

「……何が起きたの?」
「分かりません」

 恥を忍んで尋ねた疑問の答えは実にシンプルだった。

「私達は円蔵山へ足を踏み入れ、謎の人物によって強制的に意識を刈り取られた。アーチャーとランサーの証言によると、彼らも戦いにすらならずに敗北したそうです」
「……嘘でしょ?」
「本当です。彼らも何が起きたのか分からないと言っています。疑うのなら、自らのサーヴァントに問い質してみるといい」

 私がアーチャーに視線を向けると、彼は申し訳無さそうに表情を曇らせた。

「すまない。不甲斐ない話だが、私達も何をされたのかが分からなかった。気が付くと、私達は円蔵山から遠く離れた田園区域に移動させられていた」
「……アイツって、サーヴァント?」
「恐らく……。だが、確証が持てなかった。アレには確かな実体があった」
「けど……、アレは明らかに人間を超えた存在。死徒とも違う。なにより、アレは大聖杯の事を知っていた。だからこそ、大聖杯の調査に乗り出そうとしていた私達を止めたのでしょう」

 アーチャーとバゼットの言葉によって、謎が更に深まった気がする。

「ともかく、現在、ランサーに円蔵山の調査を命じてあります。彼が帰って来たら――――、と噂をすればなんとやら」

 バゼットが窓を開くと、そこからランサーが入って来た。

「どうでした?」
「どうもうこうも……、アレはヤベェ……」

 ランサーは険しい表情を浮かべながら円蔵山の方角を見た。

「アレは神殿なんて生易しいレベルじゃねぇぞ。山が丸々異界化していた。踏み込めば、人間だろうとサーヴァントだろうとただでは済まん」
「あの男の仕業?」

 私の問いにランサーは頷いた。

「だろうな……。恐らく、何らかの宝具だろう」
「では、貴方はあの男がサーヴァントだと?」
「当たり前だ。ただの人間に出来る芸当じゃない」

 あの男がサーヴァントだったのなら、私達が瞬殺された事にも若干の説明がつけられる。つまり、私達がやられたのも宝具による攻撃を受けたからに違いない。
 宝具とは、英霊が生前身に付けていた技術や武器だけでなく、その伝承が結晶化したモノも存在する。そうしたモノの中には魔術では再現不可能な魔法に匹敵する程の理不尽な能力を持つものも数多く存在すると言う。
 
「……あの男がサーヴァントだとして、その正体に心当たりがある人はいる?」

 三人の表情はいずれもノーと言っている。

「円蔵山全体を異界化する程の大規模結界宝具。更に、ランサーとアーチャーに気取られる事も無く眼前に出現した能力。そこから推察するしかありませんが……」
「サッパリね。そういう宝具や能力を単体で持つ英霊なら幾つか候補があるけど……」
「……結界を宝具とする英霊は大抵が王侯貴族やいずれかの組織のトップを務めた者。自らの領地を持っていた者が結界宝具という形で自らの領地を展開するという話ならば聞いた事がある」

 バゼットの言葉にアーチャーが唸る。

「だが、気配や姿を隠すという能力は王侯貴族というより、暗殺者やそれに類する存在にこそ相応しい能力だ」

 あの男の能力と宝具はあまりにもチグハグだ。

「……何者なのよ、あの男」

 私の問い掛けは虚しく響き、返る事なく消えていった。

 ◆

 布団でグッスリと眠っている士郎の横顔を見続ける事三時間。

「……思ったより飽きないな」

 セイバーとライダーは昼間の内に地形を把握すると言って、ヒポグリフに乗って今頃遊覧飛行中だ。
 昼間の内から攻め込まれるような事は無いと思うけど、サーヴァント不在の間は念の為に外出を避けるべきだというセイバーの意見を尊重し、僕はずっと士郎の寝顔観察に勤しんでいる。
 他にもやる事があるだろう、と言われるかもしれないけど、僕の魔術回路は一点特化タイプの為に使い魔を作ったり、遠見をするなどといった器用な真似が出来ないし、ここはあくまで他所様の家だから、無断でウロウロするわけにもいかない。
 結果、延々と士郎の寝顔を見ているくらいしかやる事が無い。
 けど、思いの外飽きない。

「可愛いな……」

 時々、ムズがるように渋い表情を浮かべる辺りが最高だ。
 ちっちゃい頃、おじさんと三人で川の字で眠っていた頃と殆ど変わらない寝顔。
 ツンツンの髪を触ってみる。

「……んん」

 顔をクシャッとさせて、嫌そうに顔を動かす士郎。

「ほれほれー」

 ほっぺをツンツン。

「……ウゥゥン」

 眉間に皺を寄せて唸る士郎。

「……うへへ」

 ああ、癖になりそうだ。
 それから更に二時間。空が茜色に染まり始めた頃、セイバーとライダーが帰って来た。二人共、今朝より仲良くなっているみたいだ。

「……昨夜は気にしていませんでしたが、雲の上の光景を見るという機会は今まで無かったので、中々見応えがありました」

 やや興奮気味に言うセイバー。
 確かに、ヒポグリフに乗って雲の上を遊覧飛行する機会など滅多に……というか、普通は絶対に無い。

「ラ、ライダー」
「いいよ! 後で士郎が起きたら遊覧飛行に行こうか!」
「いいの!? やったー!」

 僕も昨夜は他の事で頭がいっぱいで空を見上げる余裕なんて無かったから凄く楽しみだ。

「まあ、二人には一度気晴らしの機会があった方が良さそうですしね」

 一瞬、反対されるかと思ったけど、セイバーはアッサリと遊覧飛行を許してくれた。
 
「……雲の上まで上がってしまえば、アーチャーに狙撃される事も無いでしょう。今宵は他陣営の動きを見るに徹するとして、折角ですから満天の星空を堪能するとしましょうか」

 今朝までの彼女と比べると随分気前が良い提案だ。

「どうしました?」

 態度が顔に出てしまっていたらしい。セイバーはクスリと微笑みながら問う。

「えっと……」

 怒られないかな?

「その……、セイバーは反対するかもと思ったから……」
「ええ、本音を言えば、聖杯戦争中に何と悠長な事を――――、とも思っています」

 やっぱり。でも、それならどうして許してくれたんだろう?

「ですが、戦いに明け暮れるばかりでは何れ疲弊してしまう。休める内は気力、体力の回復に努める事も戦いにおいては重要です」
「なるほどー」
「と言う訳で!」

 ライダーがパンと手を叩いて、士郎の布団を引剥がした。

「な、なんだぁぁああ!?」

 ライダーの突然の暴挙に士郎が飛び起きる。

「さあさあ、シロウ! 寝ている場合じゃないぜー?」
「て、敵襲か!?」
「遊覧飛行さ!」
「はぁぁあ?」

 うん。士郎ってば、大混乱。

 ◇

「凄い……」

 雲の上へ出た瞬間、僕達は歓声を上げた。セイバーでさえ、あまりの美しさに目を大きく見開いている。
 今、僕達の視界には満天の星空が広がっている。

「す、すげぇ」

 士郎は感動に打ち震えているみたい。無理も無いよ。こんなに美しい光景を見たのは生まれて初めてかもしれない。飛行機に乗っても、肉眼でコレを見る事など絶対に出来ない。

「ライダー。もっと、上へは行けないの?」
「行ってみる?」
「行ってみたい!」
「よーっし! 行ける所まで行くぞー!」
「おー!」

 ライダーの掛け声に応えるようにヒポグリフは大きく嘶くと、虚空を蹴り、更なる高度へと駆け上がっていく。
 空がぐんぐんと近づいて来る。飛行機が飛ぶ高度よりも遥かに高い場所へ!

「うわぁ……」

 言葉が出ない。
 シャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォ。士郎の寝顔を眺める合間、僕は彼女の伝説を『狂えるオルランド』を通じて知った。
 彼女は親友の理性を取り戻す為、月へと向かった事があるそうだ。

「ライダー」
「なんだい?」
「君がローランの理性を取り戻すために月に向かった時もこの光景を見たの?」
「ああ、見たよ。この素晴らしい光景を! 時代は違えど、この光景は不変だ! 僕らの棲まう惑星の美しさは不変だよ!」

 僕らの視界に映るのは星の海ばかりではない。
 僕達が住む星。地球の姿がある。

「……ち、地球は青かった」
「ああ、それ僕が言いたかった!」

 もしも宇宙に行ったら言ってみたい言葉ベスト3の一つを先に士郎に言われてしまった。
 ここは正確にはまだ宇宙と呼ぶ場所では無いけど、それでも、地球の青さや巨大さが良く分かる場所まで来ていた。

「……ずっとここに居たら、聖杯戦争なんて関係無いね」
「いや、それは……」
「分かってるけどさ……、でも……」

 ずっとここに居たい。この美しい光景と士郎とライダーとセイバーが居るこの時間を永遠にしたい。この超越した感動を共有した四人といつまでも一緒に居たい。
 
「僕……、ここに居たいな……」

 叶わない願いだと分かっていても、口にしたくなる。

「ああ……、ここにはそう思わせるだけの素晴らしさがある」

 セイバーが言った。

「ここからでは……、日本が……、とても小さく見える。きっと、我がブリテンも……、こんな風に……」

 きっと、歴史上の宇宙飛行士達が羨ましがる事間違いなしだ。
 この素敵な光景を分厚いガラス越しではなく、肉眼で見る事など、僕達以外の誰にも出来ないのだから……。

「あはは……、何でだろう……、涙が出て来た」
「……俺も」
「ボクも……」

 きっと、元の世界の地球もこんな風に美しいのだろう。
 どうして、この世界に来てしまったのかは今も分からない。きっと、これからも分からない。だけど……、この世界も僕の世界だ。

「ライダー」
「なーに?」
「ありがとう」
「うん。どういたしまして」

 不思議な気持ち。今まで、漠然と死にたくないと思って生きてきた。
 今は違う。ああ、ずっと生きていきたい。
 世界はこんなにも美しいのだから、少しでも長い時をこの世界で歩んでいきたい。
 士郎と一緒に……。ライダーやセイバー、大河さんや慎二くん、桜ちゃんと一緒に……。