とりあえず、召喚には成功した。アストルフォという英雄について、僕はあまり詳しくないけど、それは追々調べればいい。今は素直に喜んでおこう。これで、イリヤスフィールに一方的に殺されるような展開は回避出来る筈。
改めて、僕はライダーに向かって言った。
「これから、よろしく! ライダー!」
「此方こそ、よろしくね! マスター!」
それにしても、このライダー……、凄く可愛い。
くりくりとした大粒の瞳。瑞々しい肌。八重歯が覗く唇。一分の隙もない完璧な美少女だ。彼女の正体が実は美の概念を結晶化したモノと言われても、僕は全く驚かない。
正直な話、今ほど女となってしまった事を恨めしく思った事は無い。出来れば、男のまま彼女と出会いたかった。そう思わずには居られない程の美しさだ。
「うん? どうかしたの?」
ライダーの顔が目と鼻の先に突然現れ、僕はひっくり返りそうになった。
「なーんか、ボーっとしてない?」
「ご、ごめんなさい。つ、つい……、あんまりにも綺麗だから……、見惚れちゃって……」
僕の言葉にライダーは歓喜の笑みを浮かべた。
気付いた時には抱き締められていた。
あまりにも吃驚して、意識が飛びそうになった。だって、女になってからも、こんな風に女の子に抱き締められ事は一度も無い。もっとも、男の子に抱き締められた事も無いけどね。
目を白黒させている僕にライダーは花が咲いたような可憐な笑みを浮かべて言った。
「えへへー。嬉しい事を言ってくれるじゃないのー!」
すりすりと頬ずりをしてくるライダー。凄くいい匂い。
ああ、どうして僕は女になんてなってしまったんだ。折角、可愛い女の子と触れ合っているというのに、今の僕では可愛い小動物やぬいぐるみと接しているような感覚しか抱けない。実に口惜しい。
「……っと、あんまりのんびりもしてられないんだった」
僕はライダーから体を離し、少しだけ土蔵の扉を開いた。すると、案の定、士郎がこっちに向かって来ていた。
幾ら士郎が魔術師として未熟でも、同じ家の敷地内で英霊召喚なんて大規模な魔術儀式を行っていたらさすがに気付く。
「ライダー。悪いんだけど、ちょっとの間、霊体化していて欲しいんだ」
「えー、どうしてー?」
ちょっと不満そう。
「事情は後で話すからお願い!」
「わ、分かったよ……」
頬を膨らませながら、ライダーはスーッと光の靄と化して姿を消した。それと同時に僕は魔術回路に魔力を流し込み、掌に炎の球体を生み出した。
同時に土蔵の扉が大きく開け放たれ、士郎が入って来た。
「樹! なんか、凄い魔力を感じたぞ! 一体、何をしてたんだ!?」
「えっと、新しい魔術の実験をしてたの……」
嘘ではない。サーヴァントの召喚は全くの初体験であり、僕にとっては正に新しい魔術と言える。
「新しい魔術だって……?」
「うん。これだよ」
僕はソッと士郎に炎の球体を見せた。
「これは……、ただの火球だろ?」
まあ、見た目はその通りなんだけど……。
「甘いあま~い! 見ててよ」
僕は事前に用意しておいたナイフをポケットから取り出し、士郎が静止の声を上げるより早く腕を切り裂いた。
「な、なにしてるの!?」
「何してるんだ!?」
士郎とライダーの声が重なった。二人共、僕の凶行にびっくりしている。
「大丈夫だよ。見ててー!」
僕は掌の上で踊らせている火球を操り、傷口に向かって飛ばした。
「ちょっ!?」
ライダーが慌てて止めようとするけど、ちょっと遅い。
「平気平気ー!」
炎が傷口に触れると同時に奇妙な現象が起こった。
なんと、炎は僕の肌を焦がすどころか、逆に傷口を塞いでいく。
二人の呆気に取られている顔がおかしくて、思わず吹き出してしまった。
「ふっふっふー! これが僕の新魔術! その名も『再生の炎――リバース・ファイア――』だよ!」
ネーミングに関しては愛読していた漫画から頂戴した。
もっとも、新魔術と銘打ってあるが、これは僕が魔術を覚えたその日から使えた魔術だ。ただ、士郎に披露したのが初めてというだけの話。
別に隠していたわけじゃないんだけど、魔術を覚えたばかりの頃、士郎は自分の魔術の事で頭がいっぱいで、あんまり僕の魔術について説明する機会が無く、その後もわざわざ説明する為の時間を設ける事も無かったまま今に至るというだけの話。
おじさん曰く、僕の起源は『破壊』と『再生』なのだそうだ。おじさんも似たような起源だったらしいんだけど、僕の方がある意味真っ当で、ある意味極端との事。
僕の魔術回路は炎を自在に生み出し、そこに僕の意思次第で破壊の力と再生の力のどちらかを持たせる事が出来る。
『樹の魔術は既に完成しているみたいだね』
おじさんは僕の魔術を見て、そう言った。
士郎に僕の魔術について説明する機会が無かったのも、これが原因の一つだ。
僕の魔術は起源が色濃く影響している為に複雑な魔術理論を組み上げる事無く、破壊と再生の二つの現象を意思だけで発生させる事が出来るけど、逆に言えばそれしか出来ない。だから、覚えた瞬間に自らの魔術を極めてしまった状態なのだ。それ故、鍛錬も殆ど行って来なかった。当然、士郎から魔術の上達具合を聞く事はあっても、僕の魔術の上達具合を報告する事は無かった。当然だろう。既に上限に達してしまっているのだからね。
「どうだい、凄いだろ?」
フフンと胸を張ると、突然頬に強い衝撃が走った。
目をパチクリさせながら、僕は士郎を見た。僕の頬を叩いた手を忌々しげに睨みつけている。
「な、何するんだよー!」
文句を言うと、士郎は険しい表情を浮かべた。
「ふざけるな!」
「……え?」
怒鳴られた。信じられない。士郎に怒鳴られるなんて経験、今まで無かった。先日の夜歩きの一件でも、こんな風に怒気を僕に向けるなんて事は無かったのに、急にどうしたって言うんだろう。
「ああ、凄いよ。傷を治せるなんて、本当に凄いさ。けど、だからって、いきなり自分の腕を切り裂くなんて、何を考えてるんだ!」
あまりの事に呆然としている僕に士郎は声を荒げた。
未だかつて見た事が無いくらい怒ってる。
「二度とするな!」
「……ご、ごめんなさい」
シュンとなる僕に士郎は溜息を零した。
「樹は昔から加減を知らない所があるからな……」
「そ、そんな事は……」
「あるだろ」
ギロリという擬音がぴったりな目つきで睨まれ、僕はただただ小さくなるばかりだった。
「もっと、理性的に行動しろよ。何かする時は一歩立ち止まって考えるようにしろって、あの藤ねえに注意された事、忘れたとは言わせないぞ」
返す言葉が無い。視野が狭い自覚は僕にもある。
「まだ小学生の頃、俺が中学生と喧嘩になった時もエアガンと竹刀を持ち出して、相手を袋叩きにした事があっただろ……」
「あ、あったっけ……?」
「あったよ。それがあったから、藤ねえが樹に剣道を教えるの辞めちゃったんだろ」
実は確りとおぼえている。あの時の大河さんは本当に怖かった。でも、それ以上に恐ろしかった。
『もっと、教えてあげるべき事があったね……』
そう、苦しそうな顔で呟く大河さんに、僕は嫌われてしまったのではないかと恐れた。結局、僕が今に至るまで、士郎のように彼女を藤ねえと呼べていないのも、その一件が原因だ。
「かと思えば、俺が見てない所で虐めにあって……、どんどんエスカレートしていってるのに何も抵抗しなかったり……」
そう言えば、中学の頃に一時期虐めを受けていた頃があった。士郎に心配を掛けたくないし、あの頃は友達が欲しくて形振り構っていなかったからなー。
士郎や慎二くんとはクラスが違ったし、二人共あんまり鋭いタイプじゃなかったから、割りと簡単に隠し通す事が出来た。
まあ、発覚した時は大変だったけどね……。
士郎は物理的に暴れ回るし、慎二くんは後一歩で数人の少年少女達の人生を完全に破壊する所だった。
「もう少し、物事考えて行動しろよ」
「……ごめんなさい」
士郎は僕の腕を掴んだ。温かい感触に胸がざわつく。
「傷跡は……、無いか」
安堵の表情を浮かべ、士郎は腕を離した。
「まったく、女の子の肌に傷を付けるなんて、例えそれが自分の肌であろうと許されないよ?」
「まったくだ」
ライダーの言葉に士郎が同意とばかりに頷く。
頷いてから、怪訝そうな表情を浮かべ、士郎はゆっくりとライダーを見た。
「……ん?」
「あ……」
「おっと……」
士郎は当然のように隣に立っているライダーの存在を今更になって認識し、ギョッとした表情を浮かべている。
僕はというと、いつの間にか実体化しているライダーに目を丸くし、ライダー自身もヤッベーって顔をしている。
「ど……、どちらさまですか?」
「ボク? ボクはアストルフォ。偉大な――――」
「僕の友達なんだ!」
ライダーの名乗りを遮り、僕は士郎とライダーの間に割り込んだ。
「と、友達って……」
士郎の視線はライダーの頭から足先に掛けてを往復している。
ライダーの格好はどう言い繕っても普通じゃない。鎧にマントに剣などを身に着けている人間は現代ニッポンはおろか、海外にだってそうそう居ないだろう。
「コ、コスプレだよ!」
「コスプレ!?」
「そうなんだ! じ、実は彼女とはその……、文通で知り合ったんだけど、急遽日本に来る事が決まって、それでその……」
嘘に嘘を重ねると段々わけが分からなくなってくる。
「えっと……、そうなんですか?」
「そうなの?」
士郎に聞かれたライダーが僕に聞く。
「そうなんだよ! 嫌だなー! もしかして、長旅で疲れてるの? ホテルに戻るのが億劫なら、是非うちに泊まっていってよ! 空き部屋ならいっぱいあるからさ! 士郎もいいよね!?」
「い、いや、いいけど……、っていうか、急遽日本に来た文通友達はいいけど……、なんだって、こんな夜中にコスプレなんてしてるんだ? っていうか、思いっきり魔術を見せちゃったけどそれは……」
なんでこんな時ばっかり鋭いんだよー!
くっそー、僕が散々アピールしても靡かない癖に、こういう時だけ名探偵になりやがって!
「か、彼女も魔術の世界に関わってる人なんだよ! その……えっと、おじさんの遠縁の親戚でさ! 思い切って、手紙を出したら返事が返って来て――――って、色々あったんだよ! それと、こんな時間になっちゃったのはえっと……、そう! 時差だよ! 時差の関係で到着が遅れちゃったんだ!」
「……えっと、そうなんですか?」
「そうなの?」
「そうなんだよ!」
思いっきり疑われている気がするけど、とにかく、明日冬木を出るまでは嘘を張り通すしかない。
「……とりあえず、自己紹介しておきますね。俺は衛宮士郎。樹とはまあ……、兄妹みたいなものです」
「エミヤシロ?」
「いや、それだと笑み社に……、じゃなくて、衛宮が苗字で、士郎が名前です」
「ふむふむ、シロウね。了解! 僕はライ――――」
「ア、アーちゃんの自己紹介はもう終わってるよ! ほら、早く部屋に行こうよ!」
「え、ちょっ、マスター?」
「だ、駄目だよ、アーちゃん! コスプレの続きは部屋に行ってからにしようね!」
とにかく、コレ以上ここに居たら更にボロが出て、最悪、士郎にサーヴァントを召喚した事がバレてしまう。僕は慌ててライダーの手を取り、母屋に向かって走った。
「お、おい、樹!?」
士郎が何か叫んでいるけど無視だ。
母屋に上がり、離れの一室に飛び込むと同時に鍵を掛ける。
「いきなりどうしたの?」
ライダーは苦笑いを浮かべながら問う。
「いや、それよりどうしていきなり実体化しちゃうの!? 霊体化しててって言ったのに!}
「いや、いきなりマスターが自分の腕を切り裂くからでしょ!? ボク、本気でびっくりしたんだからね!」
「そ、それは……僕が悪かったけど……」
「でしょー? ちゃんと反省してよねー!」
ビシッと僕に向けて指を指して言うライダー。
「わ、分かったけど、でも、こっちにも事情があったんだもん……」
「事情って?」
「あのね――――」
僕はライダーにこれまでの経緯を語った。
これから聖杯戦争が始まる事。僕は士郎を聖杯戦争から遠ざけたいと思っている事。でも、士郎を聖杯戦争から遠ざける為には避けて通れない障害が存在する事。その障害の排除の為にライダーの力を借りたいと思っている事。
「もちろん、士郎の安全が確保出来たら、ちゃんと僕も戦うよ。ライダーは願いを叶える為に召喚に応じたんだから、ちゃんとマスターの責任は果たすつもりだよ」
「うーん、なるほどねー」
僕が話し終えると、ライダーは人差し指を顎に当てながら背後の扉に向かって口を開いた。
「どう思う? シロウ」
「……とりあえず、話は聞かせてもらった」
扉の鍵がゆっくりと開き、修羅が入って来た。
「か、鍵を掛けておいた筈なんだけど……」
「俺は家主だぞ」
その通りですね。全部屋の鍵を持ってて当たり前、持ってなくても、鍵くらいなら投影魔術で簡単に作れちゃうんだよね……。
「……ぬ、盗み聞きは悪い事なんだぞー」
「黙ってろ」
やばい、殺されるかもしれない。
士郎は般若のような形相のまま部屋に入って来て、僕の前にドスンと座り込んだ。
「まず、一つ一つ聞かせてもらおうか」
「えっと……、何をでしょうか……?」
「まず、聖杯戦争についてだ。なんだか、慎二が言っていた内容と随分違うみたいだからな」
「いや……、さっきのはただのその……コスプレの為の裏設定的なアレであって……その……」
「樹」
「は、はい!」
士郎が微笑んでいた。
士郎は微笑んでいる。
「嘘つきは泥棒のはじまりだぞ。正直に話せよな?」
「……はい」
笑顔なのに、とても恐ろしい。。
何とか抵抗を試みたけど、総てが無駄に終わった。士郎が僕の嘘を尽く見破り、時にはライダーに確認を取るなどして、僕から洗いざらいの情報を吐かせた。
僕に結界を張る技術があれば、こんな事にならずに済んだのに……。サーヴァントの召喚は聖杯が自動的に行ってくれるから出来たけど、僕は『破壊』と『再生』以外の魔術が全く使えないのだ……。
「――――話は分かった。ったく、この馬鹿!」
頭にゲンコツが降り注ぎ、あまりの痛みに悶絶していると、士郎は言った。
「どうして、ちゃんと話してくれなかったんだ! 慎二が参加する聖杯戦争ってのがそんなものだったなんて……」
「し、士郎……。あの……」
「無駄だからな」
「で、でも……」
「こんな話を聞いて、逃げ出す事なんて出来ない」
絶望感に首を締められていく……。
ああ、僕は本当に馬鹿だ。自分なりに必死に考えたつもりだったけど、結局最悪のシナリオを辿ってしまった。
この期に及んで、まだあの時こうしていたら、なんて無駄な事を必死に考えている。
「どっちにしても、イリヤって子が襲って来るんだろ? それなのに、樹にだけ戦わせるなんて、出来る筈が無いだろ」
士郎は部屋から出て行く。何をするつもりなのか聞かなくても分かってしまう。
「お、お願いだよ、士郎! それだけは勘弁してよ!」
必死に足元に縋り付き、頭を床に擦り付ける。
「し、士郎は参加しちゃ駄目なんだよ! お願いだから、召喚しないで! マスターにならないで!」
顔は涙と鼻水でグチャグチャだ。でも、形振り構っていられなかった。
「お願いします……。お願いだから……、それだけは勘弁して下さい」
「……何でだよ」
士郎は立ち止まり、僕を見下ろす。
「何で……、そんな……」
「だって……」
もう、思考がメチャクチャだ。自分が何を考え、何を言おうとしているのかもわからない。
「だって……、聖杯戦争になんて参加したら……」
駄目だと思った時には遅かった。僕の口は既に動き出してしまっていた。
「士郎が遠くに行っちゃうもん……。正義の味方になって……、僕から離れて行っちゃうもん……!」
そんな恐ろしく身勝手で浅ましくて、汚らわしい本音を口にしていた。
僕が必死に士郎を聖杯戦争から遠ざけようとしていた理由……、その根底にあるものはただ……、士郎を手放したくないという我儘だった。