第一話「死んで生まれて」

 夜の校舎の屋上はとても冷たい。でも、体の震えが止まらない理由は違う。フェンスを乗り越え、眼下に広がる街の夜景の美しさが現実味を奪う。
 情けない。決心した筈なのに、足が竦んでいる。

 “ただ、友達が欲しかっただけだった”

 小学校の頃、親に言われるがままに外で友達と遊ぶ事もしないで塾やお稽古ばかりしていた。放課後に遊びに出掛けた記憶は無い。遠足や林間学校なんかの旅行に行く時の班決めではいつも余って、嫌そうな顔をする同級生の中になんとか入れてもらっていた。
 私立の中学に通うようになっても友達は出来ず、部活動も馴染めずに一年も経たずに止めてしまった。
 学校に行き、帰って来たら塾に行くか、家の中で本を読んだり、漫画を読んだり、パソコンを弄ったり、テレビを観たり、ただ虚しく人生を送っていた。
 俺は耐え切れなくなった。中高一貫校だったのに、別の高校を受験して、再スタートをしても結局、人との付き合い方が分からず、友達が出来なかった。どうにかグループに入れてもらおうとしたけれど、出来たのは虐める側と虐められる側という関係だけだった。勿論、俺は虐められる側だ。
 学校で虐められて、塾で些細なミスで叱られて、家で平均点以上の答案を見せても叱られて、自分は何なんだろうと思った。

 “誰でもいいから友達が欲しかった”

 その日も虐める側の少年に付いていった。いつも殴られて、馬鹿にされて、それでも一番近い距離に居たのがその少年だった。暗い空間の中で囲まれて、少年達の日常でのストレスの発散の為のサンドバッグになって、全身が痛かった。
 家に帰ると、親に叱られた。塾を生まれて初めてズル休みしたからだった。怪我をしている事に親は何も言わなかった。いつもなら、別になんとも思わなかった筈。ちょっとだけ、寂しいと思うくらいだった筈。だけど、全身の激しい痛みで少しだけ心が弱くなっていたのだと思う。

 “疲れちゃった”
 
 深く呼吸をした。目を瞑って、そのままフェンスから手を離す。ただそれだけの作業が酷く難しかった。まるで磁石の様に手はフェンスにくっ付いて離れない。

「情け無いなぁ。最後くらいは潔くしたいのに……」

 苦笑いを浮かべた。それから何分経ったのか分からない。高い金属音が鳴り響き、背中を押してくれた。音に驚き、フェンスから手を離し、バランスを崩した。最後に見たのは『あの少年』だった。

 “どうして、こんな所に来たのだろう?”

 不思議な程に時間がゆっくりに感じた。虐めて来るばかりだった少年が必死な顔をして走って来る。何かを叫んでいる。混乱しているせいか、彼の言葉が理解出来なかった。ただ、彼に一つだけ伝えたい事があった。

「……ありがとう」

 背中を押してくれて……。
 ネットで読んだ事は事実だった。落ちながら、スッと意識が遠のくのを感じ、身を任せた。痛いのはやっぱり嫌だから、即死がいい。気を失っている間に死にたい。

第一話「死んで生まれて」

 俺は生まれ変わった。自覚したのは四歳の時の事。それまでは夢を見ているのだろうと思っていた。最初の頃は――目がまだ開いていなかったから――真っ暗闇が延々と続き、奇妙な音が無数に響くばかりだった。
 ぼんやりと光が見え始め、光に色が現れると、その色を求めた。ここでやはり自分は夢を見ているのだと思った。身体がまったく動かなかったのだ。
 景色がクッキリと見え始めると、だんだんと現実感を覚え始めた。けれど、それも僅かばかりだった。身体はやはり上手く動かせず、時折、驚くほど巨大な人間が自分の身体を抱きかかえるのだ。
 決して、身長の低くなかった俺をやすやすと持ち上げたのは、なんと女性だった。豊かなブロンドの髪と翠色の優しげな瞳が印象的な女性だったが口から零れるのは意味不明な音の羅列だった。それが英語だと理解出来たのが四歳になった日の朝だった。
 俺の新しい――生まれ変わってからは初めての――母親が庭に咲き乱れるバラを見せてくれた。

「happybirthday」

 新しい母親は『Юлий』と刻まれた木の看板が差してある花壇のバラを指差しながら言った。ニッコリと目の前のバラのように華やかな笑みを浮かべる母親に俺は笑みを返した。
 英語だと理解出来なかった理由はここがイギリス――正確にはウェールズ――だった事が大きい。イギリスの英語は地方や階級によって大きく異なる。イギリスほど訛りが酷い国もそうそう無いとまで言われてる。
 俺が英語で短く『ありがとう』を伝えると、母親は感激して父親を呼びに行ってしまった。どうやら、四歳になってもまともに言葉を話せない俺をずいぶんと心配していたらしい。短く挨拶をすると父親は大喜びした。
 英語だとわかって勉強すると、生まれ変わる前の知識と母親――最近はママと呼んでいる――の熱心な教えのおかげで、一年でまともな会話が出来るようになった。しばらくして、あの花壇の看板に刻まれた文字がロシア語で『ユーリィ』と読む事とそれが自分の名前である事を初めて知った。
 六歳になると、日常的な会話に不自由は無くなった。母がロシア人だと聞いて、ロシア語も学ばないといけないのかと不安だったけれど、母は英語が堪能でその必要は無かった。と言っても、母が時々ロシア語を教えようと躍起になるので、ちょっとずつ単語を覚えるようにして、母を喜ばせているけれど。
 俺の新しい母であるソフィーヤはその名の通りまさに知性に富んだ素晴らしい女性だ、と新しい父はいつも言っている。そういう父のジェイコブの事をソーニャはいつも笑顔のチャーミングなジェイクと呼んでいる。
 ソーニャとジェイクは俺の事をとても大切にしてくれている。いつだって、二人の深い愛情を感じる事が出来る。生まれ変わる前の両親の事も嫌いになりきれずに居るけど、ちょっとの事で大袈裟に喜んだり褒めてくれる二人の事を両親と呼べる事を俺は幸せに思っている。
 嘗ての両親の事やクラスメイト達の事は極力考えないようにしている。昔を思い出さないようにするのは簡単な事だった。生前の人生を含めてもこれ以上無い程夢中になれるものが見つかったからだ。

「魔法……、か」

 魔法。生まれ変わる前、ソレは小説や映画の中でしか見た事の無かったファンタジーだった。ソレを両親は当たり前のように使っていた。洋服を畳んだり、鍋を回す日常に密着した呪文から庭先に居る小人を追い払うちょっと乱暴な呪文までその種類は千差万別。
 二人とも魔法を言葉と同じくらい熱心に教えてくれた。二人が喜ぶ顔が見たくて、俺も必死に頑張った。発音の仕方が凄くシビアで難しかったけれど、魔法を使う事事態が楽しくて、モチベーションはいつも上がりっぱなしだった。
 だけど、ここはただ魔法のあるファンタジーな世界じゃなかった。最初に違和感があったのは一つの呪文。
 
『ウィンガーディアム・レビオーサ』

 物体浮遊の呪文だ。この呪文を俺は生前から知っていた。勿論、使った事があるわけじゃない。その呪文は小説の中のものだった。
 ハリーポッターという小説があった。
 世界中に大ブームを起こした、その小説の中にこの呪文は登場する。勿論、この呪文だけなら偶然と考える事も出来た。けれど、物語に登場した呪文はこれだけでは無かった。
 極めつけは十歳の誕生日の日に言われたソーニャの言葉だった。

「来年、ユーリィも魔法学校に入学ね」

 誕生日のプレゼントの包みを開けている俺にソーニャは言った。

「魔法学校?」

 俺が首を傾げると、ジェイクは杖を一振りして、幾つかの羊皮紙をテーブルに運び込んだ。

「11歳になった魔法界の子供は魔法学校に通うのが習わしなんだ」
「ちなみにママとパパはホグワーツ魔法魔術学校だったわ」

 その言葉が決定打となった。ホグワーツ。その名前もまた、ハリーポッターの小説に登場している。主人公のハリーが入学する魔法学校の名前だった。
 興奮があった。
 ハリーポッターを読む事は生前の数少ない楽しみの一つだったし、物語に登場するお菓子や魔法の街に興味津々だったからだ。
 けれど、同じくらい、恐怖があった。
 ハリーポッターは夢と希望に満ち溢れた作品とは言えない面がある。その最たるものがヴォルデモートという悪の魔法使いの存在。
 彼の事は二人の口からも幾度と無く語られた。多くの人を殺し、苦しめた彼の存在はただ平凡に暮らす一般人の命をも脅かす危険がある。それに、彼には多くの信奉者が居た。死喰い人と呼ばれる彼等もまた、ヴォルデモート同様の脅威を齎す。
 今年は1990年。ヴォルデモートがハリーポッターによって滅ぼされるのは1998年の事だから、まだ、ヴォルデモートはどこかで息を顰めている筈。というか、来年、ヴォルデモートは闇の魔術に対する防衛術の教員であるクィリナス・クィレル教諭の後頭部に憑依する筈。
 本の中で一年目に犠牲になった人は居ない。けれど、確実に安全とは言えない。一年目を無事に乗り切ったとして、二年目にはバジリスクが校内を徘徊し、三年目は吸魂鬼に取り囲まれる。四年目には死喰い人が教師に成りすますし、ヴォルデモートが復活してしまう。そこから先は魔法界全体を巻き込んだ戦争の開幕だ。
 かと言って、他の魔法学校に行けばいいかと言われれば安易に頷く事は出来ない。例えば、ダームストラング専門学校やボーバトン魔法アカデミーという学校もあるけれど、魔法界の戦争が開始されたら危険度はホグワーツと変わらない。むしろ、ダームストラングは死喰い人が校長をしている分、より危ないかもしれないし、ボーバトンは小説では男子も居たけれど、映画だと女子校だったから、男の俺だと入学できない可能性がある。
 いや、それは言い訳かもしれない。正直に言えば、危険性はホグワーツに比べたら両校共にずっと安全なのだろう。だけど、物語の舞台であるホグワーツに危険と知りながらも入学したいという気持ちがあるのだ。物語の登場人物達に会いたい。ホグワーツを探検したい。そんな気持ちが理性を覆い隠してしまう。

「ホグワーツに入学したら、初めに組み分けがあるんだ」

 考え込んでいる間、ジェイクはホグワーツの事を懸命に教えてくれていた。慌てて耳を傾けると、ジェイクは羊皮紙に描かれた四つの寮の紋章を指差した。

「ホグワーツには四つの寮があって、僕はハッフルパフで、ソーニャはレイブンクローだった。他にもグリフィンドールとスリザリンという寮がある」
「パパのハッフルパフは優しい人が集まる寮なのよ。そこでパパは首席だったんだから」

 自慢気に言うソーニャにジェイクは顔を赤くしながら頬を緩ませた。いつ見ても熱々な二人だ。

「ママの寮は知恵ある者が選ばれる寮なんだ。僕としてはユーリィにはそっちに入って欲しいかな。ハッフルパフはその……」

 落ち零れの寮って言われてるから、とジェイクが小声で言うのが聞こえた。
 すると、ソーニャはジェイクの頭を優しく抱きしめた。

「落ち零れなもんですか。それは真に人の価値を見る事の出来ない愚か者が広めたデマカセよ。私が知るハッフルパフの生徒は皆誠実で優しく、人の心を思いやる勇気と知恵を併せ持つ人達ばかりだったわ」
「でも……、クィディッチで優勝した事も無いし……」

 ちょっと卑屈になっているジェイクにソーニャは悪戯っぽく微笑んだ。

「あらあら、レイブンクローの私が選んだ貴方が落ち零れの筈が無いわ。『知恵ある者』が選んだ人なのよ?」
「君には叶わないな……」

 クスクスと笑うソーニャにジェイクは降参だと肩を竦めてソーニャの頬にキスをした。生前でもこんな熱愛カップルは見た事が無い。

「ママはどこの寮に入ってもユーリィなら上手くやっていけると思うわ」
「『知恵ある者』の言葉なんだから、間違いないね」

 ニヤリと笑みを浮かべて言うジェイクに俺とソーニャは思わず噴出してしまった。
 丁度その時、チャイムの音が鳴り響いた。

「誰かしら?」

 ソーニャが玄関に行くと、少ししてソーニャが俺を呼んだ。何事かと玄関に顔を出すと、俺は思わず顔を輝かせた。

「アル!!」

 玄関には大きな袋を持ったアルの姿があった。

「やあ、ユーリィ。誕生日おめでとう!」

 ニッコリと笑顔を浮かべるのはアルフォンス・ウォーロック。家が隣で、生まれた年も同じ幼馴染。そして、初めての友達。
 親同士の仲が良く、互いに魔法使いの家系だった事もあって、小さい頃からいつも一緒だった。幼い頃、アルはいつも鼻水を垂らしていて、俺が拭いてあげるのが日常茶飯事だった。今は鼻水こそ垂らさなくなったけど、ちょっと頼りない感じがまるで弟が出来たみたいでどうにも放っておけない。

「ありがとう、アル!」

 感極まって抱きしめると、

「プレゼントが潰れちゃうよ~」

 と情け無い声を出すので仕方なく解放した。

「アル君。丁度お祝いをしていたのよ。上がっていかない? まだ、ケーキが余っているの」
「いいえ、御構い無く。プレゼントだけ今日中に渡したかっただけなので」

 キリッとした顔で言うアルに構わず俺は玄関の鍵を閉めた。

「なんで鍵閉めてるのさ!?」
「いいから、ケーキ一緒に食べようぜ!」

 アルの背中を押しながら言うと、アルは「でも……」と情け無い声を出すがそんなの無視。折角来てくれたんだから、一緒にケーキを食べたい。

「ユーリィもホグワーツに決めたんだ!」

 半ば無理矢理連れ込んだアルがテーブルに広げられた羊皮紙を見るなり言った。

「っていう事はアルもなの?」
「勿論だよ! 僕の両親もホグワーツだからね」
「マチルダとエドワードは二人ともグリフィンドールだったね」

 ジェイクが言うと、アルは元気良く「はい!」と答えた。

「僕もグリフィンドールに入って、立派な勇者になるんだ!」
「はは、アルは勇者っていうより僧侶っぽいけどねー」
「そんな事ないよ!」

 頬を膨らませるアルに思わず噴出した。アルは昔から勇者が大好きだ。小説の中でドラゴンや悪の魔法使いに立ち向かう勇者に憧れている。七歳くらいの時にそろそろ勇者は卒業しろとアルのお父さんのエドワードが説いたのだけど、アルの勇者好きは治らなかった。いっつも庭先で手製の木の剣で稽古をしているのを俺はボーっと眺めているのが好きだった。

「この前も犬に吼えられて泣きべそかいてたくせにー」
「それは忘れてって言ったじゃないか!」

 顔を真っ赤にして起こるアルが面白くて俺はつい笑ってしまった。すると、アルは唇を尖らせて拗ねてしまった。

「ああ、ごめんアル。言い過ぎたよ」

 慌てて謝るけれど、アルは此方を向いてくれなかった。ジェイクとソーニャは微笑むばかりで助けてくれず、一向に顔を向けてくれないアルに段々嫌われてしまったんじゃないかと不安になった。

「アル、本当にごめんなさい。お願いだから許して……」

 思わず声が震えた。すると、アルはびっくりした顔でこっちを向いた。

「な、泣かないでよ、ユーリィ! 今日は君の誕生日なんだから! 僕の方こそ、ごめんよ」
「俺こそ、ごめん……」

 涙を拭いながら謝ると、アルはホッとした様子で持ってきた袋をテーブルに置いた。

「折角だし、開けてみてよ」
「う、うん。随分と大きいね」
「へへ~、凄い物だよ!」

 自信たっぷりなアルの言葉に期待を膨らませながら袋を開くと、中から少し大き目のぬいぐるみが出てきた。

「ぬいぐるみ……?」

 それはアルの部屋にあったウサギのぬいぐるみだった。

「見てて」

 アルがそっとぬいぐるみの頭に手を添えると、なんとぬいぐるみは首を振った。

「動いた!」

 目を丸くする俺にアルは得意そうな顔をして言った。

「僕が魔法を掛けたんだよ! お母さんとお父さんに聞いてね! 本当は去年渡すつもりだったんだけど……」

 そう言えば、去年の誕生日、アルはちょっとションボリしてたっけ。

「凄いよ、アル!」
「本当に凄いな」

 俺がぬいぐるみを抱き締めていると、後ろからジェイクが感心したように言った。

「これはどのくらい保つんだい?」

 ジェイクが尋ねると、アルは恥ずかしそうに頭を掻いた。

「……一ヶ月くらい」
「一ヶ月もかい!?」
「へっ?」

 ジェイクの驚く声にアルは目を丸くした。

「凄いわ、アル君。これだけの呪文が使えるなんて!」

 ソーニャも惜しみない称賛の眼差しをアルに向けている。本当に凄い事なのだろうと俺は改めてぬいぐるみを見た。

「で、でも……、二年間、この呪文ばっかり練習してたのに一ヶ月だけで……」

 その言葉に俺は思わず胸を締め付けられた。

「二年間も……?」
「う、うん。ほら、ユーリィ、ペットが欲しいって言ってたじゃない?」

 アルの言葉に思わず言葉を失った。確かに言った覚えがある。生前、ペットを飼った事が無かったから飼ってみたいとずっと思っていたんだ。だけど、ジェイクからペットはもう少し大きくなってから、と言われて、アルに愚痴を零した事があった。だけど、そんな愚痴をずっと覚えていて、こんな素敵な贈り物を考えてくれていたなんて思ってもみなかった。

「アル……」

 アルはやっぱりグリフィンドールは似合わない。きっと、組み分けではスリザリンになる事だろう。だって、こんなにも狡猾に俺の心を浮き上がらせる。もしも、アルがサラザール・スリザリンの継承者だと言われても、今ならすんなり信じてしまいそうな程に狡猾だ。

「ありがとう、アル! でも、俺こんなに素晴らしい物をプレゼントしてもらって、お返しが……」
「い、いいってば! 僕がしたくてやった事なんだから。ただ喜んでもらえただけで僕は満足だよ」
「本当にありがとう、アル」

 俺は最高の友達を手に入れた。生前、どんなに願っても叶わなかった願いが叶った。だから、俺はホグワーツに行く事を決めた。物語の登場人物に会いたいとか、そんな浮ついた気持ちは吹き飛んでしまった。
 ただ、アルと一緒に居たいと思った。それに、ホグワーツで起こる数々の危機からアルを護らなきゃと思った。
 俺の腕の中で動くうさぎのぬいぐるみに視線を落としながら俺はそう心に誓った。

第二話「ダイアゴン横丁」

 ホグワーツの入学を心に決めた日から丁度一年。11歳の誕生日を迎えた日の朝にホグワーツから手紙が届いた。
 大急ぎでジェイクとソーニャを起こして手紙を開くと、そこには入学案内と学用品のリストが入っていた。

「いよいよ今年か……」

 感慨深そうに言うジェイクにソーニャは目を細めた。

「そうね。後一ヵ月後にはユーリィはホグワーツの寮に入るから、ちょっと……寂しくなるわね」

 そう言われて、初めて両親と離れ離れになる事を自覚した。ずっと一緒に居た。幼稚園や学校には通わずにずっと家で勉強していたから、二人と離れて暮らす事をイメージ出来なかったのだ。途端に寂しくなった。唇を噛み締めて顔を歪めると、ソーニャが頭を撫でてくれた。

「大丈夫。アル君も一緒だから、きっと寂しくないわ。それに、きっとたくさんの友達が出来る。必ずね」
「アルフォンス君のところにもきっと手紙が来ている筈だ。今日、一緒にダイアゴン横丁に行こうじゃないか」
「……うん」

第二話「ダイアゴン横丁」
 
 ロンドンに到着したのはお昼時だった。折角だから昼食はダイアゴン横丁で食べようという話になり、入り口のある漏れ鍋を目指し、チャリング・クロス通りを歩いている。しばらくすると、本屋とレコード店の間にあるみすぼらしいパブがあった。ジェイクとエドが最初に入って行き、ソーニャとアルの母のマチルダが続いた。俺はアルと顔を見合わせると恐る恐る中に入った。
 中はまるで浮浪者の溜り場のようだった。酒臭い男がギョロッとした目を向けてくるので、思わずアルの手を握り締めた。アルも怖がっているのだろう、手が凄く冷たかった。

「ユーリィ、アルフォンス君。こっちだ」

 ジェイクの声に慌てて俺達は裏庭に出た。裏庭はあまり広くなく、六人も居るとかなり狭く感じた。ジェイクは俺とアルを呼び寄せた。

「ここにダイアゴン横丁の扉があるんだ。よく覚えておくんだよ? ここを杖で叩くと……」

 ゴミ箱の少し上のレンガをジェイクが杖でつつくと、途端にレンガが勝手に動き出した。思わず歓声を上げた。徐々にアーチが出来上がっていくと、アーチの向こう側に待ち望んだ魔法界の姿があった。

「ようこそ、二人とも」

 ニヤリと笑い、エドが大袈裟な身振りで俺とアルの手を取った。

「ダイアゴン横丁だ!!」

 俺とアルは駆出したくなるのを抑えるのに理性を総動員する必要があった。それ程までに初めて見るダイアゴン横丁は魅力的だった。箒の専門店や魔法薬の問屋などが立ち並び、ペットショップではフクロウが通りを歩く人々に愛嬌を振りまいている。

「最初にお昼にしましょう。オルコットの店でいいわよね?」

 マチルダが言うと、異論は上がらなかった。

「昔、パパ達の同級生だった女性が営んでいるレストランだよ。味は保障する」

 ジェイクの言葉に胸が躍った。
 ジェイクは割と味に煩い方で、ソーニャの料理以外を褒める事は滅多に無い。ずっと昔、俺がソーニャを手伝って初めて手料理を振舞った時に「まだまだ修行が必要だね」と駄目だしされたのは今でも根に持っている。いつかジェイクに美味いと言わせてみせるぞ、と誓って今でもソーニャに料理を習い続けている。
 日常に根付いた魔法は覚えていて損は無いとソーニャが根気強く教えてくれたから、家事に関する呪文はそれなりに使えるようになった。
 実の息子の手料理すら褒めないジェイクが褒める料理だ。きっと美味しいに違いない、と期待に胸を膨らませながら俺達はオルコットのレストランへと向かった。

「僕達はちょっと銀行からお金を卸して来るから先に行っててくれ」

 そう言って、ジェイクとエドとは途中でお別れになった。
 しばらく歩いていると、オルコットの看板が見えた。中に入ると綺麗な装飾に目を引かれた。壁にはたくさんの動く絵があり、天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下がっている。床もふかふかの絨毯で覆われていて、いかにも高級です、と言わんばかりだ。

「ソーニャ!! それに、マチルダ!!」

 中に入って少し待っていると、店の奥からふくよかな体型の女性が出て来た。たっぷりとした栗毛を後ろで纏めて、愛嬌たっぷりの笑みを振りまくその女性にソーニャとマチルダは顔を綻ばせた。

「アニー!!」

 二人は揃って女性の名を呼んだ。アニー・オルコットは二人をその大きな腕で抱き締めると、二人の頬に熱烈なキスをした。

「あらあら、この可愛い子ちゃん達はどなたかしら?」

 二人を放すと、アニーの視線は俺達に向けられた。

「私の息子のユーリィとマチルダの息子のアルフォンス君よ、アニー」
「何て可愛らしいのかしら!! うちの息子とは大違いだわ!!」

 アニーは俺達の頭を撫でながら言った。

「また、そんな事言って。ボリス君が聞いたら怒るわよ?」

 マチルダの言葉にアニーは頬を膨らませた。

「いいんです!! もう、あの子ってば、夏休み以外はちっとも帰って来ないで、夏休みの間も友達の家にお泊りばっかりでちっとも顔を見せてくれないのよ!!」

 ご機嫌斜めになってしまったアニーをソーニャとマチルダがあやしていると、お店の扉が開いた。
 途端にさっきまでの泣き顔が嘘だったかのようにアニーは営業スマイルを浮かべた。

「いらっしゃいませーって、ボリス!!」

 入ってきた男の子を見るなり、アニーは営業スマイルを脱ぎさって、鬼の形相を浮かべた。

「ただいま、母上。お客さん?」

 いかにも気難しそうな顔をした大柄な男の子だった。彼がアニーの息子のボリス・オルコットらしい。

「ただいま、じゃないわ!! もう!! ホグワーツから帰って来たかと思ったら直ぐに飛び出して行っちゃって!!」
「すまないと思ってる。だけど、約束があったんだ」
「言い訳はお止し!! 母さんは凄く寂しかったんだよ!! さあさあ、もうどこにも行かせないからね!!」
「了解。手伝うよ。直ぐに仕度する」
「あ、ちょいとお待ちよ!! 帰って来たばっかりで疲れてるだろう?」
「別に疲れてないよ。それより、お客さんを入り口で放置するのは良くないと思うよ」
「あらま!! そうだったわ。ごめんなさいね、みんな」

 まるで嵐のような人だと思った。冷淡そうな雰囲気を持つボリスとはとても親子に見えない。

「さあさあ、こっちよ!! 後からジェイクとエドも来るんでしょう?」
「ええ、グリンコッツに行ってるの」

 ソーニャが言った。

「じゃあ、とりあえず飲み物を持ってくるわね」
「お願いするわ」

 マチルダが人数分の飲み物を注文すると、アニーは店の奥へと戻って行った。
 アニーが居なくなると、途端に静かになった。

「凄い人だったね」

 アルが目を丸くしながら言った。

「でも、良い人だね」

 俺が言うと、マチルダは「そりゃそうよ」と言った。

「アニーは学生時代から凄く優しくて度胸のあるハッフルパフの優等生だったんだから」
「旦那のシーザーも勇敢だったわ」
「ええ、スリザリンだったのが不思議なくらいの人格者でもあったわ」

 マチルダの言葉にソーニャは咎めるような視線を送った。

「スリザリンは関係無いわ」
「でも、スリザリンから死喰い人が多く出たのは事実じゃない」
「もう、相変わらずスリザリンが嫌いなのね」
「当たり前じゃない!! あの連中のせいでどれだけの人がっ!!」
「はいはい、そこまで!!」

 顔を歪めるマチルダの前にアニーがワインを置いた。

「息子達の前でする話じゃないと思うよ?」

 その言葉にマチルダは俺とアルを見て気まずそうな顔をした。

「ごめんなさい。どうしても、思うところがあるのよ」
「分かっているわ。でも、もうあの時代は終わったんだから、いい加減吹っ切りな!! これでも食って、さ」

 アニーはマチルダの頭を子供をあやすように撫でると、テーブルの真ん中に綺麗に盛り付けられた料理を置いた。

「当店特性の料理をどうぞご堪能あれ」

 笑顔を浮かべるアニーに俺とアルは安堵の溜息を零した。マチルダはスリザリンや闇の勢力の話になると人が変わったように怖くなる。でも、それは仕方の無い事だと俺もアルも分かっている。
 たくさんの人が死んだらしい。親しかった友達や家族が何人も死んで、今でも死んだ人達の夢を見るそうだ。ソーニャも死喰い人やヴォルデモートの話題に触れると怖いほど冷たい目付きになる。

「さあ、気を取り直して、ジェイクとエドはまだだけど、先に乾杯しましょう」

 ソーニャの音頭に俺達は各々の飲み物を掲げた。
 ジェイクとエドが来たのはそれから料理が三品程消化された後だった。
 程よくお腹が満たされて、俺とアルはボリスと話をしていた。

「俺はレイブンクローの三年生だ」
「じゃあ、ママと同じなんだ」
「ユーリィの母上もレイブンクローの出身なのか。なら、後輩になるかもしれんな」

 ボリスは母親のように口数が多い方では無かったけれど、とても優しい性格なのだという事が直ぐにわかった。気難しい顔をしながらも俺達の疑問に確りと答えを返してくれた。ただ、一つ、組み分けの儀式についてを除いて……。

「あれは実際に体験してからのお楽しみだ。その方が思い出に残る。大丈夫だ。痛いとか苦しいとかじゃない」

 そう言った彼は、初めて笑顔を見せてくれた。ニヤリと言う表現がぴったりな、実に悪そうな顔だった。
 
 ボリスにホグワーツでの再開を約束し、俺達はレストランを後にした。最初に制服を作る為にマダム・マルキンの洋装店に向かっている。

「僕達、どの寮に入るのかな……」

 アルが言った。

「同じ所がいいね」
「うん……。僕、出来ればグリフィンドールに入りたいけど、駄目ならレイブンクローがいいな。レイブンクローにはボリスさんが居るし」
「俺もレイブンクローがいいな。少しでも知り合いの多い寮に入りたいし」
「不安だな~。一人っきりでスリザリンに入ったら、僕やっていけるかな~」
「だ、大丈夫だよ」

 元気付けようと言ってはみたものの、俺もアルと同じ気持ちだった。ジェイクとソーニャはスリザリンでも良いと言ってくれたけど、やっぱりちょっと遠慮したいし、知り合いが誰も居ない寮で生活するなんて想像するのも嫌だ。生前の二の舞になるのが目に見えてる。

「二人とも、不安なのはわかるけど、着いたから中に入るぞ」

 エドワードの言葉にいつの間にかマダム・マルキンの洋装店の前まで来ていた事に気が付いた。店頭のショーウィンドウにはクィディッチ用らしきユニフォームやカラフルなローブが飾られている。
 中に入ると、男の子がお婆さんに叱られていた。

「ネビル!! シャンとおし!! ちゃんと測れなくて、ぶかぶかの制服でホグワーツに通う事になってもいいのかい!?」
「うぅ……、ごめんなさい……」

 涙目になってる男の子に俺は心底仰天していた。ネビルという目の前の男の子の事を俺は知っていた。ネビル・ロングボトム。ハリーポッターの物語に登場する主要人物の一人だ。

「おや、みっともないところをお見せして申し訳無いねぇ。ネビル! 私は先に薬問屋に言って買い物をしてるから、採寸が済んだらちゃんと来るんだよ!!」

 そう言うと、おばあさんは俺達に会釈をして去って行った。取り残された男の子は勝手に動き回る巻尺に翻弄されながら心細そうに顔を歪めていた。

「えっと、ネビル……君?」

 俺が声を掛けると、ビックリした様子でネビルは俺を見た。

「えっ……? あの、えっと、君……あの……」
「あ、えっと、初めまして。俺、ユーリィ・クリアウォーター。さっき、おばあさんが君の名前を呼んだのが聞こえたんだ」
「あ、そうなんだ。うわっ」

 俺の言葉に納得したらしいネビルの頭を巻尺がまるでミイラのように包み込んだ。

「ネ、ネビル君!?」

 俺とアルは慌ててネビルに近寄ったけど、巻尺は勝手に離れて行った。

「び、びっくりした……」
「大丈夫かい……?」

 アルは心配そうにネビルを見た。

「えっと……」
「あ、僕はアルフォンス。アルフォンス・ウォーロックだよ」
「あ、僕ネビル。ネビル・ロングボトム」
「……ユーリィ、アル君」

 俺達が互いに自己紹介をしていると、入り口からソーニャが声を掛けてきた。
 いつの間にか知らない女性が一緒に居た。

「ママ達は先に他のお買い物を済ませちゃうから此方のマルキンさんに採寸してもらってね。後で迎えに来るからロングボトム君と仲良くね」
「あ、うん!」
「は~い!」

 ソーニャ達が去って行くと、俺とアルはネビルと同じように巻尺に翻弄されながら採寸を行った。
 その間、ネビルと少しだけ打ち解ける事が出来た。
 初めて出会った原作の登場人物と三人で俺達は一緒の寮になれる事を必死に願った。そうなったら全員グリフィンドールにならなければならないのだけど……。

第三話「出発と別れ」

 マダム・マルキンの洋装店でネビルと別れた俺達は杖を買いにオリバンダー杖店を訪れた。オリバンダーさんは俺とアルの両親の買った杖を全部覚えていて、どの杖がどんな材料で出来ているかを俺とアルに教えてくれた。
 ソーニャの杖は葡萄の木にユニコーンの鬣。ジェイクの杖は樺の木にフェニックスの尾羽。マチルダの杖は木蔦の木にドラゴンの心臓の琴線。エドの杖は柊の木にフェニックスの尾羽。
 今は俺とアルの杖を探してくれている。しばらくして、オリバンダーさんは二つの木箱を持って来た。

「まずはクリアウォーターさんから。この杖を振ってごらんなさい」

 オリバンダーさんに手渡された杖を軽く振ってみると、火花が飛び散って杖が大きく跳ね上がってしまった。

「どうやら違うようじゃな。では、こちらを振ってみてくだされ」

 今度は別の杖を渡された。軽く振ってみると、今度は杖先から柔らかい光が溢れ出した。

「どうやら、決まったようじゃな」

 オリバンダーさんは満足そうに微笑むと、俺から杖を受け取った。

「榛にフェニックスの尾羽。振り易く、妖精の呪文に向いている杖じゃ」

 オリバンダーさんは杖を木箱に戻すと俺に渡してくれた。そのまま、今度はアルの杖を探しに行った。
 しばらくして、オリバンダーさんは三個の木箱を持って来た。

「まずはこれを使ってみなされ」

 手渡された杖をアルが振るうと部屋が爆発したかのような風に包まれた。

「どうやら……これは違うようじゃな」

 散らかった店内を見回しながらオリバンダーさんはアルから杖を取り上げ、別の杖を手渡した。
 今度は近くのランプが割れてしまった。

「これも違う……。では、これを使ってみなさい」
「は、はい……」

 アルの顔に不安の色が浮かんでいる。ちゃんと自分の杖があるのかと不安に思っている。

「アル。頑張って!」

 俺が声を掛けると、アルは曖昧に微笑み杖を振った。すると再び風が轟き、俺の髪はボサボサになってしまった。ソーニャ譲りの栗色のふわふわな髪の毛が見るも無残な事になっている。ソーニャが呪文で髪を整えてくれている間にオリバンダーさんは再び店の奥へ引っ込んでしまった。
 アルは真っ青な顔で店の奥を見つめている。

「アル。きっと、大丈夫だよ」

 アルの手を取ると、酷く冷たかった。緊張しているんだ。
 俺はアルの両手を包み込むように握り締めた。

「大丈夫だよ、アル」

 俺が言うと、アルは僅かに気の緩んだ笑みを浮かべた。
 すると、オリバンダーさんが戻って来た。

「待たせたのう。これじゃ」

 オリバンダーさんが持って来た杖をアルは恐る恐る振った。
 すると、今までとは違い、アルの杖からは柔らかい風が広がった。暖かく、心が和む風だった。

「おお、素晴らしい。その杖は樫の枝にドラゴンの心臓の琴線を芯に使っておる。極めて強力な杖じゃ。使いこなせれば、お主は偉大な魔法使いとなれる事じゃろう」
「えっと、あの……ありがとうございます!」

 アルが頭を下げると、オリバンダーさんは実に愉快そうに笑顔を浮かべ、杖を一振りして店内を片付けた。

「願わくば、君達がその杖を唯一の杖として、添い遂げる事を望んでおるよ」

第三話「出発と別れ」

 最後に気になる言葉を残し、オリバンダーさんは店の奥に引っ込んでしまった。

「あれってどういう意味なのかな?」

 殆どの買い物はソーニャ達が済ませてくれていたので俺達は最後にペットショップに向かっていた。
 ホグワーツに入学するにあたって、フクロウを買って貰える事になったのだ。

「添い遂げられない人が大勢居たのよ」

 アルの言葉に応えたのはマチルダだった。

「多くの魔法使いが闇の魔法使いとの戦いで杖を失ったわ。杖を失う事は魔法使いにとって体の一部を失ったかのような大きな喪失感を伴うの。だから、今日買った杖を大切になさいね」
「はい」
「うん」

 マチルダの言葉に俺達は買ったばかりの杖の入った小箱を見つめた。

 イーロップのふくろう百貨店に到着すると店頭のフクロウ達が一斉に俺達に愛嬌を振り撒き始めた。
 口々に僕を飼って、と叫んでいるようだった。
 中に入って行くと、様々な種類のフクロウが居た。眠っているものや、外のフクロウ達のように愛嬌を振り撒くものも居た。

「迷っちゃうね」

 俺が目移りしてると、アルは一羽のフクロウを見つめていた。

「アルはその子に決めたの?」
「うん……。僕、この子がいい」

 アルが選んだのはオレンジ色の顔面に褐色の大きな丸い眼のオオフクロウだった。オオフクロウはジッとアルを見つめていた。

「目が合ったんだ。今も離さない。きっと、この子は僕が好きなんだ」

 夢中になってオオフクロウを見つめるアルに思わず和んでしまった。なんて可愛い事を言うんだろう。
 つい微笑ましい気持ちになっていると、俺は一羽のフクロウに釘付けになった。

「こ、これは……」

 そのフクロウは信じられない程ふわふわで愛らしい姿をしていた。俺が見つめるとあざといほどに愛らしい仕草で俺を魅了した。

「あざとい……、何てあざとい……、俺、この子が良い」
「ウサギフクロウか、中南米に住む種だな」

 後ろからエドが顔を出して来た。

「ちょっと神経質な性格らしいから、丁寧に育てて上げなきゃいけないよ?」

 ジェイクもいつの間にか俺の後ろに立っていて、近くの店員を呼びつけた。
 俺とアルはそれぞれ選んだフクロウを籠に入れて持って外に出た。

「名前どうしようか」

 アルは首を傾げるオオフクロウを見つめながら言った。

「俺、もう決めた」
「ええ!? もう!? どんな名前?」
「ナインチェ」

 俺が言うとアルは首を傾げた。

「どうして、ナインチェなの?」
「ウサギの絵本の主人公の名前から取ったんだよ」
「そうなんだ。でも、よくそんな名前が直ぐ出て来たね」
「ああ、それは……」
「それは?」

 俺はつい黙ってしまった。理由を言うのはちょっと恥ずかしかったからだ。だけど、俺の些細な抵抗は後ろで聞いていたソーニャにあっと言う間に台無しにされてしまった。

「アル君にもらったぬいぐるみに付けた名前よね?」
「うっ……」

 あっさりばらされて顔が恥ずかしくて俯いてしまった。

「あれに名前付けてたんだ」
「いや、えっと……その……ほら、なんて言うか、愛着が湧くっていうか……」
「今も枕の横に置いてるものね」

 更なるソーニャの追い討ちに俺は真っ赤になった顔を見られないように歩を早めた。ずんずん先に行く俺にあろう事かアルは「嬉しいよ」と言うものだから余計に顔が熱くなってしまった。本当にこの男はグリフィンドールよりスリザリンがお似合いだ。
 胸に抱えた籠の中でナインチェは呆れたようにホーと鳴いた。

「教科書と鍋と……、後、この子も持っていこう」

 アルが一年前にプレゼントしてくれたウサギのぬいぐるみもトランクに詰めた。ジェイクが昔使っていたもので、驚く程たくさんの荷物が詰められるようになっているから、大きなぬいぐるみを入れてもスペースは余裕綽々だ。

「杖は手荷物として持っていた方がいいよね。忘れないようにしなくちゃ。制服は汽車の中で着替えるみたいだし、出しやすいようにした方がいいよね」

 あらかた準備を終え、俺はホグワーツに出発する日を待った。
 家族と離れ離れになるのはとても辛くて、出発日の前日には泣き叫びながらソーニャとジェイクに抱き着いて、二人の間に挟まれながら眠った。二人のぬくもりを決して忘れないように眠っている間も二人の手をギュッと握り締めていた。
 出発日が来て、俺達はエドの運転する車に乗り込んだ。エドはマグル生まれで、生粋の魔法族であるジェイク達がマグルの目からもまともな格好をしているのは彼の見立てのおかげだった。魔法使いのファッションセンスは中世の時代でストップしているらしいとはエドの言葉だ。
 魔法で空間が拡張されているらしく、ステーションワゴンタイプのトヨタ・スプリンターカリブの中はとても快適だった。

「やっぱり車は日本車に限る」

 とエドは常々語っている。元日本人としては少し誇らしい思いだった。
 キングス・クロス駅に到着するとエドとジェイクが俺とアルのトランクとナインチェ達を運んでくれた。
 ちなみにアルのオオフクロウはアーサーという名前が付けられた。モデルはイギリスの国民的英雄であるアーサー王だ。勇者大好きで手製の木剣にエクスカリバーと拙い文字で刻んでいるアルらしい名前だ。

「9と3/4番線はこっちだよ」

 ジェイクとエドに先導され、俺達は駅の構内に入って行った。中はなんだか危なそうな雰囲気があって、俺とアルは手を繋いで親達から離れないように小走りで着いて行った。しばらく歩いていると、9番線と10番線のホームの入り口の丁度中央にある壁に親子連れの三人が突入するのが見えた。

「あそこが入り口だ」

 9と3/4番線への入り口は映画で見たのとは少し違った。映画では柱が入り口になっていたけれど、そこにはただの壁があるだけだった。ぶつかったらかなり痛そうで、不安になってアルを見ると、アルも戸惑った表情を浮かべている。

「最初は不安だろうからパパ達と一緒に行くぞ。まずは僕達だ」

 そう言って、ジェイクは俺の手を取ると壁へと歩いて行った。壁が目の前に迫ると、俺は思わず目を閉じてしまった。ぶつかる。そう思った瞬間、俺は何かを通り抜けた感触を覚えた。
 目を開けると、そこには真っ赤な機関車が停車していた。周りには人がごった返していて、俺はジェイクに促されるままに人ごみの中を歩いた。しばらくすると、後ろからエドとアルがやって来て、その直ぐ後にソーニャとマチルダが現れたけど、俺の視線は目の前の機関車に釘付けだった。
 車体は紅色で、金文字でホグワーツ特急と書いてある。興奮しながら見つめていると誰かにぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさい!}

 謝ると、相手は肩を竦めた。

「人が多いんだ。気をつけたまえよ」

 もったいぶった様な口調で相手の男の子――たぶん、俺と同い年――は去って行った。プラチナブロンドと上品な英語が印象的だった。

「大丈夫かい?」

 アルが心配そうに駆け寄ってきてくれた。

「うん。よそ見しちゃってた」
「早めに来たつもりだったが、もうかなりの人が居るな。二人とも先にコンパートメントを取って来なさい」
「はーい!」

 エドの言葉に俺はアルと一緒にホグワーツ特急の中へと入って行った。中は絨毯が敷かれていて、壁にも見事な細工が施されていた。日本では見た事の無い美しさがあった。
 幾つかのコンパートメントを見て周り、漸く空いている一室を見つける事が出来た。荷物を置いて、窓を開けると、少し離れた所に居るジェイク達に声を掛けた。出発の時間まで一時間あり、俺達はギリギリまで家族との時間を過ごした。
 いよいよ汽車が出発の準備を始めると、俺は名残惜しさを感じながらソーニャとジェイクの頬にキスをした。生前では考えられない行為だけど、十一年間過ごしたクリアウォーターの家では日常茶飯事の事なのでいい加減慣れてしまった。
 アルもエドとマチルダにキスをして別れを告げている。
 最後に窓越しに二人からの抱擁を受けると、丁度、汽車が動き出した。いよいよ出発の時が来たのだ。そして……、別れの時が来たのだ。

「手紙書くからね!!」

 俺は必死に窓の枠から身を乗り出して叫んだ。

「僕、頑張るから!!」

 アルも顔をくしゃくしゃにしながら叫んでいる。家族の顔をが見えなくなり、キングス・クロス駅も見えなくなると、俺は酷く寂しい思いに襲われてアルの隣に座った。

「頑張ろうね」
「うん……」

 唯一の救いは隣に最高の友達が居る事だった。
 

第四話「ホグワーツ魔法魔術学校」

 直ぐに制服に着替えてホグワーツ特急にしばらく揺られていると、俺達はいつの間にかうたた寝していたらしい。コンパートメントの扉が開く音で目が覚めた。

第四話「ホグワーツ魔法魔術学校」

「あ、ごめんよ。起こしちゃった……」

 扉の方に目を向けると、見知った顔が居た。

「あ、君はネビル君?」
「え? あ! マダム・マルキンの洋裁店で会った! えっと……」
「ユーリィだよ。ユーリィ・クリアウォーター。こっちがアルフォンス・ウォーロック」
「あ、ごめん。僕、物覚えが悪くて……」

 ばつの悪そうな顔をするネビルに「気にしてないよ」と言うと、アルも目を覚ました。

「あれ? 僕……。ああ、いつの間にか寝ちゃってたのか」
「おはよう、アル」
「おはよう、ユーリィ。あれ? 君はマダム・マルキンの所で会った……確か、ネビル君だよね?」
「うん」
「どうしたの? 空いているコンパートメントが見つからないのかい?」
「あ、そうじゃないんだ。実はその……僕のペット。ヒキガエルなんだけど……逃げちゃったみたいで」

 そう言えば、ネビルのペットのトレバーは脱走の常習犯だった事を思い出した。今にも泣き出しそうなネビルに俺は微笑み掛けた。

「大丈夫。一緒に探すから元気出して」

 俺が言うと、ネビルはビックリしたように目を丸くした。

「いいの?」
「もちろん」

 俺が笑顔で返すと、ネビルは嬉しそうに顔を綻ばせた。

「もちろん、僕も手伝うからね!」

 アルは慌てたように俺の肩に凭せ掛けていた頭を持ち上げて立ち上がった。すると立ち眩みをしたのか少しふらついた。

「大丈夫?」
「う、うん。大丈夫だよ」
「あ、でもコンパートメントを空にするわけにはいかないな。アルは残っててよ」
「え、でも!」
「カエル一匹探すのにそんな何人も要らないって」

 俺が言うと、アルは渋々頷いた。アルは昔から人が好いから何かしてあげたくて仕方無いのだろう。

「直ぐに戻るよ。ネビル君。君のカエルってどんなの?」
「あ、えっと、ネビルでいいよ。えっとね……」

 ネビルは少し申し訳なさそうにしながらカエルの特徴を教えてくれた。映画で見たのと同じくらい大きいらしい。探すのはそう難しく無いかも。
 俺は手分けをする事にした。見落とす可能性は低いだろうけど、ネビルが見て来た方を俺はもう一度探索する事にした。確か、本や映画だとハーマイオニーがネビルを手伝っていたけど、結局汽車を降りるまで見つからなかったみたいだからもしかしたら貨物室の方に紛れ込んでいるのかもしれないけれど念には念をだ。
 ただ、ここで一つ問題が起きた。俺は基本的にアルと一緒なら平気なんだけど、初めて会った人の前だと人見知りをしてしまって上手く喋れなくなってしまうんだ。ネビルみたいな気弱そうなタイプの子なら問題無いのだけど、さっきぶつかった男の子みたいなタイプを前にするとどうしても駄目なのだ。
 俺は少しの間迷った挙句にコンパートメントに戻った。

「もう見つかったのかい?」
「あ、いや……その……」

 言い難そうにしている俺にアルは何かを悟ったらしく、微笑みながら立ち上がった。

「やっぱり、僕も探しに行くよ。大丈夫、ちょっとの間空けてても問題なんて起きないさ」

 そう言うと、アルは何も聞かずに「行こう」と言ってくれた。頼りになる。俺と同じで人見知りが激しい癖に……。
 隣にアルが居るおかげでどうにか探索を進める事が出来たけど、トレバーは見つからなかった。ネビルに一応トランクと一緒に預けたりしてないか、と確認しようと思って、来た道を引き返していると栗色の髪の女の子がコンパートメントから出て来た。

「あら、こんにちは。あ、ねえ、あなた達ヒキガエルを見なかったかしら? ネビルのカエルが逃げちゃったの」
「ううん。実は俺達も探してたんだけど向こうには居なかったよ。もしかしたらトランクと一緒に貨物室に紛れちゃったんじゃないかって、ネビルに確認しようと思ったんだ」

 俺が言うと、女の子は「じゃあ、ネビルに確認しましょう」と言った。丁度、幾つか先のコンパートメントからネビルが出て来た所だった。

「ネビル!」

 女の子が声を掛けると、ネビルは急ぎ足でやって来た。

「僕のカエル見つかったの!?」

 期待に顔を輝かせるネビルに女の子は申し訳なさそうに首を振った。

「そうじゃないのよ。実は……、えっと」

 女の子は俺達を見ながら口を濁した。

「僕はアルフォンス・ウォーロック。こっちはユーリィ・クリアウォーターだよ」
「私はハーマイオニー・グレンジャーよ。よろしくね」
「うん、よろしく」
「よろしく」

 軽く会釈で答えると、ハーマイオニーは視線をネビルに戻した。

「えっと、実はアルフォンスとユーリィが向こうを見て来てくれたみたいなんだけど居なかったんですって」
「そうなんだ……」

 ネビルはガッカリしたように項垂れた。

「それで、もしかして、トランクと一緒に貨物車に預けちゃったんじゃないかって、ユーリィが」
「ううん。コンパートメントまでは確かに一緒に居たんだ。抱っこしてたから間違い無いよ」
「そっか。じゃあ、どこかには居る筈……って、そうだ」

 アルは閃いたように杖を取り出すと「アクシオ・ネビルのカエル」と唱えた。すると、かなり遠くの方からカエルが勢い良く飛んで来た。

「トレバー!!}

 飛んで来たカエルを顔面でキャッチしたネビルは嬉しそうに声を上げた。

「アル。アクシオが使えたの!?」

 俺は吃驚して聞いた。アクシオは上級生が習う呪文で、かなり難しい筈だ。

「父さんが便利だから覚えておけって。忘れ物とかしてもこれをちゃんと使えれば問題無いってさ」
「うわぁ、いいなー。僕もその呪文覚えたい」
「なら、ネビルも僕達のコンパートメントに来ないかい? まだ、ホグワーツに着くまで少し時間があるみたいだから教えて上げるよ」
「いいの!? 直ぐ荷物を纏めて来るよ!!」

 ネビルは嬉しそうに飛んで行った。その様子があまりにもおかしくて俺はつい噴出してしまった。

「あなた、凄いわね。私、教科書は隅々まで読んだけど、そんな呪文知らなかったわ」

 ハーマイオニーは少し悔しそうに言った。

「アクシオは上級生が習う呪文だからね」

 俺が言うと、ハーマイオニーは「まあ」と目を見開いた。

「私も習いに行っていいかしら?」

 ハーマイオニーが聞くと、アルは「もちろんだよ」と少し嬉しそうに言った。
 ハーマイオニーが荷物を取りに行くのを見て、俺はアルの脇を突いた。

「な、何するの!?」
「ハーマイオニーが可愛いからって、ニヤケ過ぎじゃない?」
「そ、そんな事ないよ」

 口元が緩んでるし、説得力が無い。なんだか面白く無い。

「ほら、僕達は先にコンパートメントに帰ってようよ」

 背中を押されながら渋々コンパートメントに向かって歩いていると、前の方が騒がしくなっていた。

「なんだろう?」

 傍まで来ると、丸っこい男の子が指を押えて泣きべそを掻いていた。

「大丈夫?」

 俺が声を掛けると、男の子はムスッとした顔で「別に……」と言った。

「ちょっと、手を見せてもらえる?」

 俺は杖を出して男の子が差し出す手に向けた。

「エピスキー」

 治癒の呪文を掛けると、傷口にうっすらと膜が出来た。

「応急処置だから、一応大人の人に見せた方がいいかもしれないよ」

 俺が言うと、男の子は「分かった……」と言って一緒に居た男の子達と二言三言話すと前の方の車両に歩いて行った。

「ゴイルが世話になった。感謝するよ」

 言ったのは汽車に乗る前にぶつかった男の子だった。

「あ、ううん。痛そうだったから」
「さっき、ネズミに噛まれたんだ」
「ネズミに? じゃあ、感染症とかが心配だね」

 アルが言うと、男の子は肩を竦めた。

「ホグワーツに着けば優秀な癒者が居るから心配は無用だよ」
「そっか、良かった。じゃあ、俺達は行くね」
「ああ、ホグワーツで会おう」

 男の子達に別れを告げると俺達はコンパートメントに戻った。
 しばらく待っていると、ハーマイオニーとネビルが両手に荷物とお菓子を持って入って来たから簡易的なアルフォンス先生のアクシオ教室が開かれた。 

「とにかく呼び寄せたい物に意識を集中するんだ」

 アルの言葉に従って俺達はお菓子の空き箱を使って練習に励んだけど、汽車がホグズミード駅に着いた時に空き箱を呼び寄せる事が出来たのはハーマイオニーだけだった。

 人ごみの中、何とかはぐれないように暗いプラットホームに降り立つと、空にゆらゆらとランプが浮かんで来た。

「綺麗だねー」

 アルの言葉に俺とネビル、ハーマイオニーは無言で頷いた。夜闇に浮かぶランプの幻想的な光景にいよいよ魔法学校に来たのだという実感を抱いた。
 その時だった。大きなひげ面の男が現れた。あまりにも大きくて俺は声も無く固まってしまった。

「イッチ年生! イッチ年生はこっちだ! おお、ハリー、元気か?」

 男は俺達の後ろの方に居るらしいハリーに笑い掛けた。そこで漸く、目の前の大男がハグリッドなのだと分かった。映画で見るのとは大違いで凄く怖そう。俺達はハグリッドに先導されて歩き始めた。
 真っ暗な狭い小道を滑ったりつまずいたりしながら歩いていると、ハグリッドの足が止まった。

「みんな、ホグワーツがまもなく見えるぞ。この角を曲がったらだ!」
「うぉーっ!」

 一斉に歓声が上がった。狭い小道が唐突に途切れ、広い湖に出た。その向こう側に巨大な城が悠然と聳えていた。大小様々な塔が並び、光り輝く小窓が無数に並ぶホグワーツの古城に誰もが目を奪われた。

「すてき……」

 溜息交じりなハーマイオニーの声が聞こえた。

「すごいや……」

 ネビルの感嘆の声が響いた。

「これがホグワーツなんだ……」

 アルは声を震わせながら言った。

「ホグワーツ……」

 俺の声もみんなに負けないくらい震えていた。あまりの感動に全身が鳥肌を立てている。
 俺達は四人で一つの小船に乗り、小船はハグリッドの掛け声と共に湖面を滑るように進みだした。
 頭上に聳える城を眺めるのに必死で、ハグリッドに言われなければ石の天井に頭を打ち付けてしまいそうだった。
 小船は城の地下の洞窟を潜り、岩肌に沿った船着場に到着した。そこから更に石畳の階段を登り、いよいよ巨大な樫の木の扉が現れた。
 ハグリッドの大きな拳が三度扉を叩き、ついに、ホグワーツの扉が開かれた。

第五話「組み分けの儀式」

 扉の向こうにはエメラルド色のローブを着た女性が待っていた。厳格そのものな顔つきで俺はちょっと苦手なタイプだ。
 彼女がマクゴナガル先生らしい。ハグリッドは引率をマクゴナガル先生に引き継いで去って行った。広々とした玄関ホールを横切り、大理石の階段を上がると、石畳のホールに出た。扉の向こうからは大勢の人の声が聞こえる。どうやら、ここが食堂らしい。きっと、この向こうでは上級生達が既に集まっているに違いない。
 俺達はざわめき声の響く扉の横にある小さな部屋に押し込められた。そこでマクゴナガル先生は簡単な寮についての説明を語ると「静かに待っていなさい」と言い残して部屋を出て行ってしまった。
 いよいよ組み分けの儀式が始まる。部屋の中は口々にどうやって組み分けされるのかを相談し合う声でいっぱいになった。

「きっと試練が出されるんだよ。凄く痛いって、フレッドが言ってた。たぶん、冗談だと思うけど……」

 恐らくロンだろう声が聞こえた。声の方に顔を向けると赤毛の男の子と黒髪の男の子が並んで立っているのが見える。きっと、あの子がハリーポッターだ。凄く不安そうな顔をしている。
 ロンの声が聞こえたらしく、ハーマイオニーは只管呪文集に載っている呪文を暗唱してみんなに不安を募らせている。アルとネビルもその一人で、二人は顔を真っ青にしている。

「だ、大丈夫だよ、二人とも。ただの寮決めの儀式だもの、難しい試練なんてある筈無いってば」

 元気付けるように言うと、二人は曖昧に微笑むだけで足をガクガクさせていた。仕方なく、俺はアルの両手を包み込むように握り締めた。
 昔、漫画で読んだ緊張を解す方法だ。

「大丈夫だよ、アル。大丈夫」

 漸く、アルは少し緊張が解れたらしい。冷たかった手が暖かくなった。ネビルにも同じようにやってあげると、ホッとしたような表情になった。ちょっと恥ずかしいけど、効果覿面だ。ハーマイオニーも俺達のやり取りを見て少し緊張が解れたらしく、呪文の暗唱は止めて何度も深呼吸している。
 そうこうしていると、突然壁の向こうからニュッと白い煙のようなものが漏れ出してきた。一瞬、火事かと思ったけど、直ぐに違う事に気が付いた。壁の向こうから現れたのは各寮のゴースト達だった。ゴースト達は新入生をからかったり、励ましたり、思い思いに語らっていたりと部屋を縦横無尽に飛び回り、皆の視線を釘付けにした。おかげでみんな緊張が解れたらしく、笑顔が戻った。
 それからしばらくして、マクゴナガル先生が戻って来た。

「組み分け儀式がまもなくはじまります。遅れないように付いて来てください」

 厳しい声でマクゴナガル先生が先導し、俺達は玄関ホールに戻って大広間へと足を運んだ。そこで俺達は再び歓声を上げた。素晴らしい、なんて言葉じゃ物足りない光景がそこには広がっていた。

第五話「組み分けの儀式」

 宙に浮かぶ無数の蝋燭。四つのとてつもなく長い机にはキラキラ輝く金色の皿やゴブレットが並び、広場の上座には先生らしき人達の姿がある。上を見上げれば、そこには満天の星空が広がっていて、俺は思わず圧倒されてしまった。

「天井が無いんだ!!」

 ネビルが思わず叫んだ。

「いいえ、本当の空が見えるように魔法がかけられているのよ。ホグワーツの歴史という本に書いてあったわ」
「へー」

 さすが博識だ。俺達は感心したようにハーマイオニーを見た。その本はうちにもあったけど、とても読もうとは思えなかった。広辞苑だって、それよりはずっと読み易い。
 先生達の机と生徒達の机との間にはスペースが設けられていて、そこに俺達は横に広がった。少しして、マクゴナガル先生が椅子を魔法で運んできた。その上にはみすぼらしい帽子が鎮座されている。間違い無い。あれが組み分け帽子なんだ。
 一瞬、広間が水を打ったかのように静まり返った。すると、帽子が勝手に動き出し、なんと歌を口ずさみ始めた。
 グリフィンドール、レイブンクロー。ハッフルパフ、スリザリン。四つの寮を称える歌が響き渡った。
 組み分け帽子の歌が終わると同時に組み分けの儀式は開始された。ABCの順に呼ばれ、Clearwaterの俺の順番はあっと言う間に来てしまった。心臓がドキドキと高鳴り、手には汗が滲んだ。椅子に座る前に周りの同じ新入生達の顔を見回した。みんな不安と期待の入り混じった顔をしている。その中にアルとネビル、ハーマイオニーの顔を見つけた。この時、俺はもうどの寮に入りたいかを決めていた。
 ダイアゴン横丁で出会ったボリスには悪いけれど、どうしてもグリフィンドールに入りたかった。ネビルとハーマイオニーは間違いなくグリフィンドールだろうし、アルも強くグリフィンドールを望んでいる。組み分け帽子は強く願うならば希望を叶えてくれる筈だ。
 俺は帽子を被りながら必死にグリフィンドールに入る事を願った。すると、帽子は囁くような声で話し掛けてきた。

「ほう、グリフィンドールを望むのかね」
「グリフィンドールがいいです。どうか……」
「そうかね。君はレイブンクローこそが相応しいと思うのだが……」
「お願いします。どうか……」
「ふーむ」

 低い声で組み分け帽子は熟考するように唸った。

「勇気が無いわけではない。そうまで願うならば、よろしい! グリフィンドール!!」

 俺は「ありがとう」と呟きアル達に手を振った。皆も手を振り替えしてくれたのを確認して、グリフィンドールの席へと向かった。机に着くと、赤い髪の背の高い男の子が抱擁で迎えてくれた。

「ようこそ、グリフィンドールへ!!」

 それからも組み分けはどんどん進んで行った。ハーマイオニーとネビルも無事にグリフィンドールに選ばれ、俺の隣でアルの順番を待っている。ハリーポッターがグリフィンドールに決まるとグリフィンドール生はみんな喝采を上げたけど、俺達はそれどころじゃなかった。

「アル。アル、どうかグリフィンドールに……」

 必死に願っていると、ついにアルの番が回って来た。

「グリフィンドール!!」

 帽子に触れるか触れないかというところでアッサリとアルはグリフィンドールに決まった。思わず脱力してしまい、ハーマイオニーに心配された。アルは心底ホッとした顔で俺の隣に座った。

「良かった。みんな同じ寮だったね」

 ネビルの言葉に俺は心底頷いた。

「みんな、これから七年間よろしくね!!」

 俺が言うと、三人はニッコリ笑顔で頷いてくれた。
 それから校長のダンブルドアが一言二言語ると、金の皿やゴブレットにこれでもかという程の豪華な食事が現れた。確か、屋敷しもべ妖精が魔法で運んでくれているんだっけ。シェパーズパイやローストビーフ、俺の大好物がいっぱい並んでいる。皆、飢えた獣のように皿に手を伸ばしているけど、料理は次から次へと継ぎ足されて行って、足りなくなる事は一切無かった。ある程度お腹が満たされると、ネビルが自分の事を語ってくれた。
 八歳の時におじさんに二階から落とされたと聞いた時は思わず心配になってしまった。普通魔法界の子供は七歳で魔法力に目覚めるらしく、ネビルが八歳になるまで魔法力に覚醒しなかった事で周りを相当やきもきさせていたらしい。
 みんなの話を聞いている内に食事の時間は終わった。瞼が重くなる中、ダンブルドアが注意事項を言うのに耳を傾けるのはかなりの難題だった。
 最後に校歌を思い思いの調子で歌った。俺はお気に入りのアニメソングの曲調を真似して歌って見た。フレッドとジョージらしき赤毛の双子がのんびりのんびり歌うものだから寮に向かうまでが凄く長かった。
 最初に抱擁で迎えてくれたのはパーシー・ウィーズリーだったらしい。パーシーに先導され、俺達は眠い眼を擦りながら只管階段を登った。漸く寮の部屋に入った頃には疲労困憊していて、豪華な談話室には目も暮れずにみんなさっさと寝室へ向かってしまった。
 俺は新入生用の寝室の中の一室にアルとネビルと一緒に入った。すると、後から二人組みの男の子が入って来たけれど、誰なのか確認する余裕も無く、寝巻きに着替えると一瞬で夢の世界へ埋没してしまった。
 翌日、目を覚ました時に例の二人と挨拶をした時は俺もアルも吃驚してしまった。
 二人のルームメイトはあのハリーポッターとロン・ウィーズリーだった。
 原作だと二人のルームメイトはネビルとディーン・トーマス、それにシェーマス・フィネガンだった筈だけど、よく考えればこの部屋を最初に決めたのはネビルだった。ディーンとシェーマスがここに入る前に俺達が占拠してしまったらしい。

「俺はユーリィ。ユーリィ・クリアウォーター」
「僕はアルフォンス・ウォーロック。よろしくね」

 お互いに自己紹介を済ませると、俺達は五人揃って談話室へと降りて行った。談話室にはもう数人の生徒が降りてきていた。

「あ、みんな!」

 ハーマイオニーも既に支度を終えていた。

「これから朝食を食べに行くつもりなんだけど、一緒にいかが?」

 ハーマイオニーの後ろには二人の女の子が立っていた。二人とも視線はハリーに釘付けだ。
 食堂に向かう途中で自己紹介をした。二人はハーマイオニーのルームメイトで、ラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチルだそうだ。他の二人は早々に出て行ってしまったらしい。
 八人の大所帯になり、俺達は迷いながらも何とか食堂に辿り着く事が出来た。食堂も人がごった返していて、八人分の席は取れず、やむなく別れて座る事になった。俺はアルと一緒に座って紅茶とフレンチトーストを口に入れた。元日本人としてはここで納豆ご飯を食べたいな~なんて思って小声で注文してみたけど、さすがに無かったらしい。ご飯だけが出て来たのでありがたく頂戴した。
 食べ終わって、皆を待っていると、ネビルとハリー、それにロンだけがやって来た。

「女連中はもう少しお喋りしてるってさ」

 肩を竦めながらロンが言った。

「じゃあ、先に行こうか」

 アルの言葉に頷いて、俺達は最初の授業のある教室へ向かった。
 授業はどれも楽しいばかりとはいかなかった。映画や本で知っていたとはいえ、杖を振る授業は殆ど無くて、 マクゴナガル先生の変身術もフリットウィック先生の呪文学もクィレルの闇の魔術に対する防衛術も全て座学ばっかりだった。
 特にゴーストのビンズ先生の魔法史の授業は意識し続けないとつい意識が飛んでしまうくらいつまらない。
 そんな中、スネイプ先生の魔法薬学はいきなり実習授業となった。元々、理科の実験は得意だったから何とかおできを治す薬の調合に成功出来た。本にある通り、スネイプ先生はハリーに意地悪をしてたけど、リリーの事とか、未来の事を考えると、どうしても好きな子に意地悪しちゃう男の子って感じがして微笑ましく感じてしまった。
 最初の数週間は山のような宿題に追われてあっと言う間に過ぎ去ってしまった。

 俺は無人の部屋に一人居た。

「羊皮紙書き難い……」

 羽ペンと羊皮紙を使って何とか文字を書いているけど、正直言って、書き難いったらなかった。仕方なく、授業が終わった後にボールペンでノートに書きなおしてる。授業の復習にもなるから別にいいんだけど、面倒と言えば面倒だ。アルはあまり気にして無いみたいだけど、生前ノートとボールペンに慣れ親しんだ身としてはやっぱりこの利便性を捨てる気にはなれない。
「それにしても……寮の入り口と同じ階だったんだ……。ここ」
 自由時間に散歩していたらバカのバーナバスがトロールに棍棒で殴られている壁掛けをたまたま見つけたから本当にあるのかわからないけど、とりあえず試して見た。
 何も無い壁の前を行ったり来たりするのは馬鹿っぽいとは思ったけど、どうしても試してみたかった。必要の部屋を。

「勉強部屋って考えながらやったら、結構凄い部屋が出て来ちゃったな……」

 部屋の中は中央に大きな机が置かれていて、引き出しを開けてみると、中には大量の羊皮紙と羽ペンとインクが用意されていた。
 四方の壁には様々な本が並べられていて、欲しいと思うだけで壁から机まで本が飛んでくる。そういう魔法が掛けられてるらしい。
 ここの事は誰にも話ていない。アルやネビルはお人好しだから、この部屋の事を知ったら直ぐにみんなに話してしまうだろうし、そうなると色々とまずい。数年後にこの必要の部屋は不死鳥の騎士団と死喰い人との戦いでかなり大きな意味を持っているから、あまり人に知られていない方がいいのだ。

「まあ、それを差し置いても、ここは便利だから独占したいっていうのもあるんだけど」

 ここ勉強部屋に限らず必要と思えば何でも出してくれる。そう、俺が一番欲しいものを。それは、お風呂だ。

「一段落したし、ひとっぷろ浴びますか……」

 授業の内容を纏め終わり、俺は一度必要の部屋を出た。出る時にばれないよう、秘密の通路を必要だと考えながら出したから、入り口の壁から少し離れた暗い影になっている部分に出口が出た。そのまま、入り口の所まで戻って、誰も来ない事を確かめてからお風呂を出した。
 中に入ると、さっきまで石畳の勉強部屋だった部屋が柔らかい絨毯の敷かれた脱衣場に早変わりしていた。絶対に誰も来ないと分かっているから遠慮無く全裸になって浴場に向かった。湯船の傍に十個の蛇口があって、一つ一つが全く違う色のお湯が出て来る。面白いから全部入れてみた。

「おお……」

 目の前に広がる光景はそう……、レストランのドリンクバーで全てのドリンクを混ぜた時のあれだった。

「まあ、友達居ないし、実際にやった事なかったけど……」

 お風呂の色こそ桃色でファンタジー色たっぷりだけど、臭いも甘くて悪く無いのだけど……。

「これ、お風呂って言えるのかな……」

 桃色の泡が浴槽の中で山になっている。混ぜ過ぎてもはやジュースじゃなくて別の何かになってしまったかのように、お風呂の湯船がもはやただの泡の山になってしまった。

「うーん、失敗かな……。いや、ちょっとずつ泡じゃなくなってるし、待ってればいっか」

 とりあえず、先に体を洗う事にした。切っても切っても肩まで伸びてくる栗毛を洗うのに無駄に時間が掛かって、体の隅々まで洗い終えると、湯船の方も大分落ち着いたらしく、うず高く積もった泡はただの濁り湯に変わっていた。ピンク色なのがただの……という言葉で合っているのかはわからないけれど。

「いやー、快適快適」

 髪を纏めて湯船に入ると温度はちょうど俺好みの温度だった。生まれ変わってからの唯一の不満はお風呂に中々入れない事だった。というか、基本的にシャワーばっかりだった。
 こうやって湯船でゆっくり出来る機会はそうそう無かったのだ。それはホグワーツも変わらず、湯船に入れるのは監督生以上の特権だったりする。

「さて……、これからどうしようかな」

 湯船に顔を付けながら、俺はこれからの事について考える事にした。

「賢者の石、秘密の部屋、ピーター・ペティグリュー、ヴォルデモートの復活、不死鳥の騎士団と死喰い人の戦争、七つの分霊箱……」

 手を出さなければ、きっとダンブルドアの策略でハリーがヴォルデモートを打ち倒す。それから先は平和な世界が続く。けど……。

「問題はその間なんだよね……」

 人が死ぬ。いっぱい死ぬ。その中にアルが居るかもしれない。ソーニャやジェイクが居るかもしれない。
 だから、出来れば四年生になる前に……、

「ヴォルデモートが復活する芽を完全に潰せないかな……」

 自分でも物騒な事を考えている事はわかってる。でも、考えずにはいられなかった。だって、少なくとも知った顔がこれから死ぬのだ。
 同学年だったり、先輩だったり、先生だったり、そういう人がこれから死ぬ。
 正直、誰が死のうがどうでもいい。
 だけど、その中にアル達が居ないとは限らない。だって、原作に明確に生きていると描写されていないからだ。

「必要なのは七つの分霊箱とそれを壊す手段だよね」

 壊す手段は分かっている。バジリスクの牙だ。それを入手するためには何としてもハリーにはバジリスクを倒してもらう必要がある。加えて、バジリスクの死骸から牙を手に入れなければいけない。
 上手く、バジリスクの牙が手に入ったら、次は七つの分霊箱だ。トム・マールヴォロ・リドルの日記、マールヴォロ・ゴーントの指輪、サラザール・スリザリンのロケット、ヘルガ・ハッフルパフのカップ、ロウェナ・レイブンクローの髪飾り、ナギニ、そして、ハリー・ポッター。

「日記は何もしなければ来年、ルシウスからジニーに渡される。指輪はリトル・ハングルトン。架空の村の筈だけど、ある筈だから調べればわかる筈だ。ロケットはシリウスの家。髪飾りは……必要の部屋。ナギニの居場所は分からない。ただ四年目の時点でリトル・ハングルトンに現れるのは確実……」

 問題はレストレンジ家の金庫に隠されているカップ……。それと、

「ハリーにヴォルデモートの死の呪文を浴びてもらう必要がある。それも、リリー・ポッターの防御が無くなった状態で……」

 そこで死んでもらっても構わない。けど、その後に一回は必ずヴォルデモートを殺さないといけない。それもネックだ。

「レストレンジの金庫はトンクスに開けさせるっていう手もあるのかな……。そうなると、彼女と出会う必要がある。一つ一つ回収してどこかに隠しておくのがベストか……。その為には……うぅ」

 頭がくらくらして、俺は慌てて湯船から出た。

「ちょっと……、考え過ぎちゃったかな」

 考えるべき事は一つで十分だった。

「アルは絶対に死なせない」

 だって、俺にとって生前も含めて唯一の……親友だから。

第六話「飛行訓練」

 朝、目を覚ますと談話室がいつもより騒がしかった。何事だろうかと思って様子を伺っていると、ハリーがやって来た。

「これは何事?」

 ハリーもきょとんとした顔をしている。俺が肩を竦めて返すと、アルとロンとネビルが興奮した面持ちでやって来た。

「見たかい!?」

 ロンの開口一番の言葉に俺とハリーは首を振った。すると、何をもたもたしているんだ、と言わんばかりに俺達二人を掲示板へと引っ張った。
 掲示板には木曜日に飛行訓練の授業があると掲示されていた。だから、みんな色めき立っていたんだ。俺とハリーも負けず劣らず気分が高揚した。
 だけど、ハリーの顔には掲示の下の方に視線を動かすと共に失望の色が広がった。

「見てよ。スリザリンとの合同授業だってさ。マルフォイの前で箒に乗って、物笑いの種にされるんだ……」
「大丈夫さ。アイツはいっつも口ではでかい事を言うけど、どうせ口先だけに決まってる」

 ガッカリしたように言うハリーにロンが励ます様に言った。

「それにハリーが箒に乗れないなんて、ありえないよ」

 俺はロンの言葉に付け足すように言った。

「どうしてそんな事が言えるんだい?」

 ハリーは不安そうな顔を向けて来た。どうせ、後でマクゴナガル先生に聞く事になるんだから、今教えてあげても問題無いだろう。

「君のお父さんはグリフィンドールの優秀なチェイサーだったらしいよ。その血を受け継ぐ君ならきっと上手く箒に乗れるさ」

 映画だとシーカーだったけど、と思いながら言うと、ハリーは驚いたように俺の顔を凝視した。

「どうして、父さんの事を知ってるの?」
「前に歴代のグリフィンドールのクィディッチの選手についての本を読んだんだ。何てタイトルかは忘れちゃったけど」

 適当にごまかしたけど、ハリーは納得してくれたらしく、それ以上追及はされなかった。ただ、少し父親の事が知れて嬉しそうにしている。
 それから木曜日が来るまでの間、皆の話題は飛行訓練の事で持ちきりだった。

第六話「飛行訓練」

 いよいよ、空を飛ぶ事が出来るんだ。俺も皆に負けず劣らず興奮している。

「レビコーパスがいいのかな。それとも、ウィンガーディアム・レビオーサ? ロコモーターはちょっと違う気がするし……」

 俺は再び必要の部屋に居た。この日は呪文の練習をする為の部屋を作った。中は変身術や攻撃呪文のためのガラクタや防御呪文の為に一定のタイミングで多種多様な攻撃を繰り出す人形があり、壁際には様々な呪文書が所狭しと並んでいる。
 明日はいよいよ飛行訓練の日だ。明日、ネビルが箒に乗るのに失敗して骨折してしまうという事件が原作にはある。正直言って、もう原作とは全然違う展開というか、パラレルワールドというか、この先の未来が原作通りになるとは思えない。
 だって、この時点でハーマイオニーはもうアクシオを取得してるし、俺とアルがハリーやロン、ネビルとルームメイトになってる。だから、本にあるからといって、ネビルが箒から落ちるなんて事があるとは思えない。
 だけど、万が一という言葉がある。だから、ネビルが万が一箒から落下したら直ぐに助けて上げられるように物体浮遊系の呪文を丹念に練習している。

「問題は落下中の人体を支えるって所なんだよね……」

 無理矢理体の一点に力を掛けて浮上させるレビコーパスだと逆に酷い怪我を負わせてしまう可能性がある。確か、二十メートルの高さから二十五キロの物体を落とした時、七トンもの負荷がかかるらしいから、下手をすると……。

「スプラッターは嫌だし……」

 妨害呪文で落下スピードを妨害出来ないかとも考えたけど、あれは対象に纏わりついて動きを阻害する呪文らしく試しに放り投げたビンに掛けてみた結果、ビンは無残に割れてしまった。

「やっぱり、ウィンガーディアム・レビオーサでゆっくり落下させるような感じで受け止めるのがベストかな」

 俺は手近なところに倒れている人形に上昇呪文を掛けて飛び上がらせた。

「ウィンガーディアム・レビオーサ」

 失敗した。呪文が胸部から腹部に掛けてまでしか掛かっていない。これだと下手をすると首や股関節を傷つけるかもしれない。

「もう一回……」

 練習は中々上手くいかなかった。人体に均等に呪文の効力を振り分けるのは予想以上に難しい。羽ペンくらいの大きさならへっちゃらだけど、さすがに大き過ぎるらしい。
 だけど、これ以外に上手く出来る自信が無い。練習あるのみだ。

「ううん、呪文が長いから間に合うかも不安だな……」

 問題は山積みだ。

 結局、力を均等に振り分けられるようになったのは深夜になってからの事だった。

「あとの問題は呪文が間に合うかどうかと、呪文を狙い通りにネビルに掛けられるかだな……」

 ウィンガーディアム・レビオーサの呪文は正直言って長い。発音を間違えては意味が無いからどうしても詠唱に2秒掛かってしまう。それに、ネビルは散々箒に振り回されてから落下した筈だ。タイミングを見計らうのはかなり難しいだろう。

「かと言って、乗ってる最中に掛けたらそれはそれで危ないし……。っていうか、浮かせてる間に暴走した箒がネビルを襲ったらどうしよう……」

 考え事をしながら俺は必要の部屋の風呂に入った。練習に集中し過ぎて汗びっしょりで気持ち悪かったのだ。

「骨折したら痛いだろうし、頑張らなきゃね」

 甘い香りのお湯に包まれながら俺はついうとうとしながら明日の飛行訓練に思いを馳せた。

「クィディッチはあんまり興味無いけど、アルと箒で散歩とかしてみたいな……」

 その後、深夜遅くに帰って来た俺に太った貴婦人の肖像画は責めるような目で見てきたけど何とか通してもらえた。
 こっそり部屋に入ると四人はもう眠っていた。静かに自分のベッドに入ろうとしたらアルがお腹を出して眠っているのが目に付いた。
 起きませんように、と願いながら布団を直して今度こそ俺はベッドに入って目を閉じた。練習の疲れもあって、あっと言う間に意識が闇に沈んでいった。

 朝、目が覚めると他のベッドはみんな空になっていた。寝過ごしたのかと思って時計を確認すると、まだ朝食までたっぷりとは言え無いけれど余裕があった。
 欠伸を噛み殺しながら談話室に降りると、皆の目は興奮でギラギラしていた。アル達四人もご他聞に漏れずといった具合だ。アルとロンはハリーにクィディッチの講義をしていて、ネビルはハーマイオニーの箒に乗るコツについての座学レッスンを受けている。周りもみんな似たり寄ったりで、今日の飛行訓練に対するみんなの期待が否応にも伝わって来る。

「ユーリィ!」

 アルが真っ先に俺に気が付いて声を掛けてきてくれた。

「おはよう、アル。ハリーとロンもおはよー」
「おはよう、ユーリィ」
「遅いよ! こんな日にのんびり眠ってるなんて!」
「まったくだ!」

 まともに挨拶を返してくれたのはハリーだけだった。後の二人と来たら、まるで俺が悪い事をしたかのように責めて来る。

「ごめんごめん。それより、もう朝食の時間じゃない?」

 俺が適当に流しながら言うと、アルとロンは責めるような目で見てきたけど相手にしている余裕は無い。昨日の練習で結構カロリーを使ってしまったみたいで、お腹がぺこぺこだ。

「そんなんじゃクィディッチの選手になれないぞ!」
「わかったってば」

 食堂に向かう途中も如何に俺が意識に欠けているかを二人はこんこんと語り聞かせてくれたおかげで朝からくたくたになってしまった。

 食事が終わると同時にふくろう便がやって来た。俺の所にもウサギフクロウのナインチェがソーニャとジェイクが送ってくれたお菓子の詰め合わせを運んで来てくれた。向かい側に座っているアルの方にもオオフクロウのアーサーがお菓子の詰め合わせを運んで来ている。

「ハリー。ママからお菓子が届いたから後で一緒に食べない?」

 隣で心なしか心細そうにしていたので声を掛けると、ハリーは曖昧に笑みを浮かべながら頷いた。

「ネビル、それって何かしら?」

 フクロウ便の到来によって、食事の間中断させられていた箒に乗るコツについての座学レッスンを再び中断させられて若干ご機嫌斜めのハーマイオニーが隣でネビルのフクロウが持って来た手のひらサイズのボウルのようなものを指差して尋ねた。

「これ、思い出し玉だ! ばあちゃん、僕が忘れっぽいのを知ってるから……。何か忘れている時はこの玉が教えてくれるんだ。こうやってギュッと握って、中が赤くなると……」

 ネビルの言葉が中途半端に止まったので気になって見てみると、ボウルの中は真っ赤になっていた。

「何かを忘れてるって事なんだけど……」

 何を忘れたのかを忘れてしまったらしい。何とか思い出そうとネビルが必死になっていると、突然、後ろから手が伸びてきて、ネビルの思い出し玉を掠め取ってしまった。
 誰だか確認しようと顔を向ける前にハリーとロンが勢い良く立ち上がった。
 何事かと思ったら、そこには汽車で会った男の子の姿があった。

「あ、久しぶりだね」

 俺が声を掛けると、ハリーに何か言い掛けていた男の子は目を丸くして俺を見た。

「あ、ああ、この前の……。そう言えば、グリフィンドールだったな」
「うん。それ、思い出し玉っていうんだって」
「そのくらい知ってるさ」

 鼻を鳴らして言う男の子に思わず噴出しそうになった。これがドヤ顔というものなんだろうと思う。

「そうなんだ。君……ドラコ君だよね? ドラコ君も持ってるの?」
「僕はこんなもの必要ないさ。こういうのが必要なのはよっぽど愚鈍なお間抜けくらいなもんさ。それと、グリフィンドールが気安く僕の名前を呼ぶんじゃない」
「あ、ごめん。じゃあ、マルフォイ君でいい?」
「ん、いや、まあ、それでいい」

 マルフォイは変な顔で頷いた。

「あ、もう授業の時間だからネビルに返して上げてね」
「ん、ああ、ほらよ」

 マルフォイはなんだかつまらなそうな顔でネビルに思い出し玉を押し付けるように返した。

「じゃあ、また後でね」
「後で?」
「うん。後で飛行訓練、合同だから」
「ああ、精々無様を晒さないようにするんだね」
「うん。頑張ってみる」 

 最後までマルフォイは微妙な顔つきで去って行った。
 何だったんだろう、あの微妙な顔は……。

「……っていうか、ロンとハリーは何してるの?」

 立ち上がったまま、これまた微妙な顔をしている二人に俺は問い掛けた。
 いきなり立ち上がった二人に食堂中の視線が集中していてちょっと恥ずかしい。

「いや、うん……授業行こっか……」

 ハリーはのろのろと鞄を肩に掛けると言った。

「ユーリィ。何でマルフォイと普通に会話出来るんだ?」

 ロンは奇妙な目で俺に問い掛けてきた。

「え?」
「いや、あいつ凄い嫌な奴じゃん。腹立つ事ばっかり言って来るしさ! なのに、なんで普通に会話してんのさ!?」

 なんだか怒ってるみたいだ。

「えっと、なんで怒ってるの?」
「だから、なんで、マルフォイみたいな奴と普通に会話してるんだって言ってるのさ! さっきだって、ネビルの思い出し玉を奪おうとしたり、嫌味ばっか言ってきたじゃないか!」

 もう授業まで時間が無いのに、ロンはどうにも腹に据えかねるらしい。

「ううん、確かに思い出し玉を勝手に触ったのはいけない事だと思うけど、あのくらいの言葉は嫌味っていうか、まあ、嫌味なのかな? でも、可愛いもんだと思うよ?」
「可愛いだって!? 頭がどうかしちゃったんじゃないのかい!? 愚鈍とかお間抜けとか無様なんて言ってる奴のどこが可愛いのさ!」
「説明し難いけど、そのくらいの言葉なら微笑ましい部類じゃないかな?」
「全然微笑ましくないよ!」
「というか、早くしないと授業始まっちゃうよ」

 このままだと授業に本格的に遅刻してしまいかねない。俺は無理矢理話を中断させて荷物を纏めた。食堂にはもう人がまばらにしか残っていない。

「話はまだ済んで無い!」
「歩きながら話そうよ。本当に遅刻しちゃうってば」

 アルとハリーとネビルはチラチラこっちを見ながらも助けに入ろうとしない。薄情者め……。

「いいかい、ユーリィ! あいつはスリザリンなんだよ!? そんな奴と……」
「同学年なんだから仲良くしようよ~」
「同学年でもアイツはスリザリンなんだ!」
「スリザリンでも折角同学年になったんだし……」
「君は考えが甘い!」

 それから教室に着くまでの間、ロン先生によるスリザリンが如何に邪悪な存在かの講義が延々と続いた。
 その間、全く助けに入らなかったアル達に俺は精一杯恨みがましい視線を送ってやった。ごめんなさいって言葉だけじゃ許してやらないぞ。

 午後三時半になって、俺達は正面玄関から校庭へと向かった。
 この頃にはロンのスリザリン邪悪教室も終礼のベルが鳴り、意識は飛行訓練に向いてくれた。

「楽しみだね、飛行訓練」

 アルが声を掛けてきたけど応えてあげない。

「えっと、その、わ、悪かったってば」

 慌てたようにアルが謝るけどまだまだ許してなんてあげない。

「もう、ごめんってばー」

 アルの困った顔を見ながら俺はすいすいと先へと歩を進めた。
 すると、アルの声が急に鋭くなった。

「なんだい。ちゃんと謝ってるのに! だいたい、君がロンと口論になったのは僕のせいじゃないだろ!」
「え?」

 振り返ると、アルは不機嫌そうな顔をしていた。やり過ぎてしまったみたいだ。俺は慌てて頭を下げた。

「ごめん。許して……」
「もういいよ! さっさと行くよ!」
「う、うん」

 ずんずん進んでいくアルを追いかけながら俺は校庭に出た。
 アルの機嫌も箒を見ると同時に良くなり、どうにか嫌われずに済んだ。心底安堵していると、白髪の女性がやって来た。マダム・フーチだ。
 フーチは鷹のような黄色い目で生徒達を睨むように見回すと、

「何をボヤボヤしているのですか!!」

 と開口一番に雷を落とした。

「みんな、箒のそばに立って。さあ、早く!」

 慌ててみんな箒の横に立った。
 足元の箒を見てみると、かなりささくれが酷い。染みのようなものまである。あんまり丹念には手入れされていないみたいだ。

「右手を箒の上に突き出して、上がれ! と言うのです。さあ!」

 みんな一斉に「上がれ!」と叫んだ。アルとハリー、マルフォイは直ぐに箒が手に収まった。ロンはちょっと勢いがあり過ぎて顔を打ち付けている。ハーマイオニーとネビルの箒は地面をごろごろしている。
 俺は深呼吸をした。確か、箒は怖がったり、自信無さそうにしていると応えてくれないらしい。馬と同じなのだろう。乗った事無いけど……。

「上がれ」

 落ち着いて言うと、箒は少しゆっくり目だったけれど手に治まってくれた。何事も平常心が必要という事らしい。

「ネビル。一回深呼吸して、落ち着いてゆっくりと言ってごらん」

 おろおろしているネビルにアドバイスを言うと、ネビルはこくこくと頷き、深く深呼吸をしてゆっくりと言った。すると、箒はゆっくりとネビルの手に収まった。ネビルが成功させると、ハーマイオニーや他の皆も次々に成功させていった。
 たぶん、ネビルが出来たなら出来る筈と緊張が解れたのだろう。
 全員の手に箒が握られているのを確認すると、フーチは箒のずれない跨り方を実演して見せてくれた。一人一人握り方の指摘を受けた。
 全員が正しい跨り方を覚えた所でフーチ先生は笛を一回吹いた。いよいよ空を飛ぶときだろう。俺は万が一に備えて、いつでも杖を取り出せるようにそっとポケットの中に手を伸ばした。

「さあ、このように私が笛を吹いたら地面を強く蹴って! 握り方は忘れて居ませんね? 落ちないようにしっかりと握りなさい。二メートル浮上したら前屈みになって降りてくるように! 笛を吹いたらですよ? いいですね? 一、二の――――」

 その時だった。ネビルの箒だけがまるでコルクの栓が抜けたように飛び上がった。
 映画で見た時とは全然違う。箒はただ真っ直ぐに飛び上がり続け、ネビルの悲鳴が轟いた。
 杖を出して、ネビルに向けた。ネビルの手が箒を掴んでいられなくなったらしく、ネビルの体は箒から離れた。
 チャンスは一回しかない。練習したとはいえ、人体を対象にするのは初めてだ。だけど、高さは20メートル近くある。落ちたら骨折どころじゃないかもしれない。
 迷っている暇は無かった。

「ウィンガーディアム・レビオーサ」

 箒を放り投げ、ネビルの落下地点に向かって走りながら杖に神経を集中させた。いきなり全身を停止させたら怪我をさせてしまう。ゆっくりと速度を落とすように、少しずつ浮遊呪文の力で落下の力を包み込むようにする。
 だけど、その時想定していた事態が起きた。
 制御を外れた箒がネビルの方に向きを変えたのだ。

「くぅ――――」

 呪文を停止させた。まだ、ネビルの体は俺の頭上五メートルの所にあるけれど仕方ない。
 ネビルの体は一気に速度を上げて落下した。間一髪で箒はネビルの体を傷つけなかったけれど、もう呪文を再度発動する暇は無い。
 落下するネビルの体にしがみ付くように受け止めた。その瞬間、信じられない激痛が走り、そこで、俺の意識は無くなってしまった。

第七話「行動と結果」

 誰かの声が聞こえた。必死に俺の名前を呼んでいる。
 重たい瞼を開くと、そこには知らない女性とアルの顔があった。アルは泣いていた。

「……アル、どうしたの?」

 怪我でもしたのだろうか? アルの泣き虫癖は九歳くらいで治った筈だから、どこか酷い怪我をしているのかもしれない。

「だい、じょうぶ?」

 何故か喉が上手く動かせない。

「あまり喋らない事です。大丈夫じゃないのはあなたの方なんですからね!」

 女性は怒っているみたいだった。どうしてだろう?
 思わず咳き込むと、酷い吐き気がした。鼻をつく鉄錆に似た臭いに思わず顔を顰めた。
 俺はどうやら地面に横たわっているらしい。横を見ると、ハリーやロン、ハーマイオニーが心配そうに俺を見つめている。
 それで思い出した。俺は確か、落下するネビルに浮遊呪文を掛けたんだけど、箒がネビルに向かってきたから呪文を解いてネビルの体を受け止めたんだ。
 どうやら、そのせいで気を失っていたらしい。

「……ネビルは大丈夫なの?」

 俺が尋ねると、アルは顔を更に歪めながら頷いた。

「大丈夫だよ。ユーリィが受け止めてあげたおかげで怪我一つないよ」
「良かった……」

 これで怪我をさせてたらとんだ間抜けだ。思い出し玉が必要になってしまう。
 安堵すると、他にも大勢の人が俺を取り囲んでいる事に気がついた。グリフィンドール生だけじゃなく、スリザリン生まで苦い表情を浮かべている。

「あの後……どうなったの?」

 アルに尋ねると、俺の治療をしてくれているらしい女性が厳しい目つきを向けてきた。俺が黙りこくると、アルがゆっくりと語ってくれた。

「ユーリィが気を失った後、フーチ先生が二人の容態を確かめたんだ。ネビルは無傷で気を失っただけだったんだけど……」

 声が震えていた。

「君、君の方は血を吐いたんだ。骨折して、骨が内臓を傷つけたみたいで……。それで、動かすわけにもいかなくて、ハーマイオニーがマダム・ボンフリーを呼びに行ってくれたんだ。その間、フーチ先生が誰も君に触れるなって言って、僕、何にも出来なくて……」

 泣きじゃくるアルに声を掛けてあげたかったけど、俺は喉にボンフリーの杖が当てられて喋れなかった。凄い吐き気がして、口から血の塊が飛び出した。周りで見ていた皆の悲鳴が聞こえた。自分で見てもちょっと嫌な光景だ。
 痛みが無いのはたぶんボンフリーが何かしてくれたんだろう。

「飛行訓練は……?」

 何とか喋れるようになって、俺は聞いた。
 またもやボンフリーに睨まれてしまった。

「中止さ。当たり前だろう?」

 その言葉に俺はとんでもない事をしてしまったと実感した。まさか、中止になるとは思っていなかった。この様子だと、ハリーとマルフォイのいざこざも起きていないみたいだ。このままだと、ハリーのシーカー選抜の話が無くなってしまう。だけど、どうにも出来ない。

「ごめん……なさい」

 酷い事をしてしまった。ハリーはシーカーとして活躍して皆に生き残った男の子としてだけではなく、一人の男として認めてもらえるようになるのに、その機会を奪ってしまった。

「謝るなよ……」

 俺は堪え切れずに涙を零してしまった。卑怯だし、泣き虫は嫌われると分かっているのに泣いてしまった。
 馬鹿だった。もっと良い方法があった筈なのに……。

第七話「行動と結果」

 ボンフリーの治療のおかげで俺は何とか一人で立ち上がれるようになった。

「一日は様子を見る必要があります。今日は保健室のベッドで寝てもらいますからね」
「はい……」

 ボンフリーに言われて、俺は力無く頷いた。時間を巻き戻すことは出来ない。ハリーがシーカーになるチャンスを俺は潰してしまった。

「ユーリィ。すみません、先生。僕、ユーリィに付いて行ってもいいですか?」
「……ええ、構わないでしょう。どちらにせよ、授業は終わりにします。次回の飛行訓練は来週です。今日の事をみんな教訓となさい。箒に乗るという事は常に危険と隣り合わせな行為であると今回の事で理解出来た筈ですからね。以上! 箒は次の授業で使うのでそのままで結構です」

 そう締め括ると、フーチはマクゴナガルに説明に行くと言って去って行った。
 俺はもう一人で歩けたんだけど、アルが肩を貸してくれたから素直に甘える事にした。アルの体温を感じる事で漸く少しの安心感を得る事が出来たし、まだ吐き気が酷かったからだ。
 保健室にはアルだけじゃなくて、ハリーとロン、ネビル、ハーマイオニーも着いて来てくれた。罪悪感は未だに収まらないけど、少しだけ嬉しかった。生まれ変わる前は、怪我をしても心配してくれる人は誰も居なかったから、こんな自業自得の怪我の事で心配してくれるみんなの気持ちが嬉しかった。

「ネビルは平気……?」

 ベッドの横で青い顔をしているネビルに問い掛けた。もしかして、どこか怪我をしているのを隠しているのかもしれない。

「怪我を隠してるならちゃんと……」
「違うよ」

 ネビルは首を振った。

「ごめん。僕……、僕のせいで……」
「別にネビルのせいじゃないよ。もっと上手く助けられた筈なのに……、あれは俺自身のミスだよ」
「そんな事無いよ。君のおかげで僕……」
「その通りですよ、ユーリィ・クリアウォーター」

 ネビルの言葉に被せるように、保健室にマクゴナガルが入って来た。

「フーチ先生から話は聞きました。誰よりも早く的確な判断を下し、見事な浮遊呪文でロングボトムを救ったと褒めてらしたわ。その事でグリフィンドールに五点与えます。自分を卑下してはいけませんよ。あなたはロングボトムの命を救ったのですから」

 俺はネビルを見た。ネビルはうんうんと首を勢い良く振っている。

「ユーリィ。私達、ネビルが落ちる時、ただ見てる事しか出来なかったの。だから、本当に凄いと思うの」

 ハーマイオニーが言った。

「……ありがとう……ございます」
「でもさ……」
「アル……?」

 アルは俺の手を握って言った。

「あんまり、無茶はしないでよね。頼むからさ……」
「……うん」

 顔をくしゃくしゃに歪めるアルに俺は何も言えなかった。ただ、凄く心配してくれたんだ、という事だけは伝わって来た。

「ありがとう……。みんなもありがとう。それと、ごめんね。もう直ぐ夕食の時間でしょ? 俺はもう大丈夫だから」
「ううん。もうちょっとここに居るよ」

 ハリーが言った。

「僕達に出来る事があったら何でも言ってよ」
「ありがとう。でも、本当に大丈夫だからさ。俺のせいで皆が夕飯を逃したりしたら、そっちの方が困るよ」

 俺がそう言うと、ハリー達はそれでも迷うような表情を浮かべたけれど、マクゴナガル先生の「あまり大人数が居ても落ち着かないでしょう」という言葉で保健室を後にした。
 ただ、アルとネビルだけはここに残ると言い張り、マクゴナガル先生も折れた。二人は凄く思いつめた表情で俺を見ていて、なんだか逆に心配になってしまった。

「アル。俺、もう全然大丈夫だからさ。ネビルも気にしないでよ」
「大丈夫なんかじゃないよ!」

 俺の言葉にアルは怒ったように言った。思わず体を竦ませると、アルは申し分けなさそうな顔をして謝った。

「ごめんよ。でも、本当にあの時は君が死んじゃうんじゃないかって、本気で思ったんだ。君、酷い状態だったんだよ? 口から血を吐いて、全然動かなくて……」

 その時の光景を思い出したのか、アルはまた目じりに涙を溜めた。

「本当にごめんよ。僕、本当にドジで……」

 ネビルもまた泣き出してしまった。このままだとボンフリーに怒られてしまう。それに、正直、体が凄く重く感じるのだけど、このまま二人の泣き顔を見ているのはもっと堪える。
 仕方なく、俺はダルイ体を起こして二人の頭を撫でた。

「大丈夫だよ。俺は大丈夫。だから、二人とも泣かないで」

 二人が泣き止むまで俺は延々と二人の頭を撫で続けた。
 しばらく経って、ボンフリーが薬を持ってくると、目を丸くした。

「まあまあ、この二人はお見舞いのために残ったのではなかったかしら?」

 二人は泣き疲れて眠ってしまっていた。まるで子供みたいだな、と思ったけど、良く考えたら子供だった。まだ十一歳だ。

「ごめんなさい、マダム・ボンフリー。二人も色々あって疲れてたみたいで……」
「でしょうとも。大怪我をしたあなたのベッドを占拠するくらいですからね」
「あ、いえ、ベッドで寝かせたのは俺で……。それに、俺はもう平気ですから」

 二人が眠ってしまったから、浮遊呪文を使って二人をベッドに寝かせて、俺は椅子に腰掛けていた。

「なりません! 病人が椅子に座って、見舞い人がベッドを占領するなど言語道断です。さあ、二人とも起きなさい!」

 ボンフリーのあまりの剣幕に俺は何も言えなかった。アルとネビルは心底申し分けなさそうにしていたけど、怒り心頭のボンフリーに追い出されてしまった。ボンフリーの怒りの矛先は俺にも向けられて、特別苦い薬を飲まされて、「さっさと寝なさい!」とピシャリと叱られてしまった。

 翌朝、何とかボンフリーに許可を得て退院すると、グリフィンドールの談話室に向かう途中でアル達の声が聞こえた。

「あ! アル! みんなもおはよー!」

 俺が声を掛けると、アルの他にもハリー、ロン、それから何故かマルフォイと取り巻きの二人が振り向いた。

「ユーリィ! もう大丈夫なのかい?」

 ハリーが開口一番に言った。

「うん。もうばっちりだよ。昨日は心配かけてごめんね。ところで何を話してたの?」
「あ、いや……」

 俺が尋ねると、アル達は口を濁した。

「ん? それにしても良かった」
「何が?」

 とロン。

「マルフォイ君達と仲良くなれたんだね」
「はい?」

 皆一斉に不可解そうな表情を浮かべた。息ぴったりだ。
 正直、ハリーがシーカーになれなくなった時点でもう取り返しがつかないし、この時点でマルフォイとハリーが仲良くなるのは良い事だと思う。

「いや、僕達は別に……」

 アルは歯切れ悪そうに言った。

「じゃあ、折角だし一緒にご飯食べに行こうよ。皆もまだでしょ?」
「僕達は結構だ」
「あ、もう食べ終わってたんだ。ごめんね、余計な事言っちゃって」
「いや、そうじゃなくて……」

 マルフォイはなんだか疲れた顔をしている。

「大丈夫? なんだか、顔色良く無いよ? ちゃんと食べた?」
「……もういい。とにかく、僕達は行く。ポッター、逃げるなよ?」
「あれ? みんなでどっか遊びに行くの?」

 映画だとかなりピリピリした関係だったけど、思った以上に仲が良さそう。
 マルフォイは最後に何故か凄く微妙な顔をして去って行った。

「じゃあ、俺達はご飯食べに行こうよ。……何その顔?」

 振り返ると、アル達までもが凄く微妙な顔をしていた。

「いや……うん。行こうか」
「なんだろう……、凄い……なんていうか、なんだろう……」
「もういいや……」

 なんだか凄い突き放されたような言い方をされた。

「ええ!? な、なんで!?」
「いや、うん。もう、いいよ。うん」

 何故だろう、凄く馬鹿にされている気がする。

「もう、なんなの!?」
「ほら、ご飯行こうよ」

 ハリーが凄く疲れた顔をして言った。本当に何なのだろうか、この扱いは……。

 夜、俺はまた必要の部屋に居た。幸か不幸か、昨日は飛行訓練で授業が終わりだったから、授業を欠席するという事にはならなかった。一日分を取り戻すとなると骨だけど、一日の復習だけで済むなら楽なものだ。宿題と授業の復習を終わらせると、俺はまた風呂に入った。
 昨日は入れなかったから最高に気持ちが良かった。ついつい長風呂をしてしまって、慌てて寮に戻ろうとしたら、歩く途中でなにやら丸いものが地面に横たわっていた。

「……ネビル?」

 よく見ると、それはネビルだった。揺すって起こすと、ネビルはぼんやりとした顔で辺りを見回した。

「あれ? ここは……?」
「ここは廊下だよ。どうして、こんな所で寝てるの?」
「ああ、そうだ。僕、合い言葉を忘れちゃったんだ。それで、中に入れなくて……」
「そうだったんだ……。じゃあ、一緒に戻ろう」
「うん。……あ、体の方は大丈夫?」
「全然問題無いよ。本当にね。だから、もう気にしないで」
「……うん」

 ネビルの表情が暗くなってしまったので、俺はとりあえず頭を撫でて上げた。お菓子でも持ってれば良かったんだけど……。

「あれ?」
「どうしたの?」

 ネビルは鼻をくんくんさせている。

「なんだか、甘い良い臭いがする」

 やばい。お風呂出たばっかりだから、まだ石鹸の臭いが取れていないのかもしれない。

「き、気のせいだよ。それより、早く戻ろ――――」

 言い切る前に、突然、目の前で太った貴婦人の絵が開いた。こんな時間に外を出歩いているのを見られるのは拙い。慌ててネビルを引っ張って、身を隠すと、中からアルとロン、ハリーの三人が出て来て、その後ろからハーマイオニーも姿を現した。四人揃ってどこに行くんだろう?
 声を掛けるべきか迷っていると四人は歩き出してしまった。

「どこに行くのかな?」

 俺が首を傾げていると、ネビルは心底不思議そうな顔をしていた。

「この臭い、ユーリィからする……?」
「も、もう、気にしないでってば! それより、早く戻ろうよ」

 アル達も気になるけど、とりあえずネビルを寮に入れて上げないと……。
 そう思って、太った貴婦人の前まで行くと、そこには空っぽの額縁があるだけだった。
 どうやら、太った貴婦人は夜のお散歩に出かけてしまったらしい。

「困ったね……」

 俺が言うと、ネビルもおろおろし始めた。どうやら、臭いの事は忘れてくれたらしい。

「とりあえず待ってようか。フィルチさんが見回りに来るかもしれないし、そしたら事情を話して入れてもらえるかも」
「ええ、罰則を受けちゃうかも……」
「その時はその時だよ」

 とりあえず、俺達は額縁の前で腰掛けた。幸か不幸か、管理人のフィルチも彼のペットのノリスも来なかった。
 しばらく待っていると、太った貴婦人が帰って来た。

「あらあら、またあなたね? こんな夜更けまで戻って来ないのは感心しないわよ」
「ごめんなさい」

 太った貴婦人の説教を聴いていると、遠くからどたどたと誰かが走ってくる音が聞こえた。振り返ると、アル達が息せき切らせて走って来るのが見えた。

「あ、みんな! おかえりー!」
「まあまあ、あなた達もこんな時間まで――――」
「いいから、豚の鼻!!」
「はいはい……」

 先頭のハリーが荒息混じりに怒鳴るように合い言葉を言うと、太った貴婦人は不満そうにみんなを通した。
 アルもハリーもロンもハーマイオニーも信じられないくらい青い顔をしていた。談話室に入ると、みんなソファーに腰掛けて息を整えている。
 あまりにも尋常じゃない様子なので、とりあえず俺は紅茶を入れて皆に飲ませた。
 ネビルも心配そうに皆を見つめている。

「ネビル。ここは大丈夫だから先に寝ちゃいな。もう夜も遅いし」
「でも……」
「ここは俺に任せてさ。ね?」
「……うん」

 ネビルが部屋に戻るのを確認してロンに紅茶を渡すと、ロンは一気に紅茶を飲み干して荒々しく息を吐いた。

「一体!! あんな怪物を閉じ込めておくなんて、一体連中は何を考えてるんだ!?」

 ああ、三頭犬の部屋に行ったのか……。
 四人はあれこれと部屋について議論を交わしている。それにしても、運命というべきなのか、それとも実はダンブルドアが手を回したのか、ハリー達はしっかりフラッフィーを見つけたらしい。
 フラッフィーに食べられちゃうような万が一が無くて心底安心した。

「みんな、禁じられた廊下に行ったんだ」

 俺が言うと、みんな議論を止めてギクリとした顔を向けて来た。

「な、なんで知ってるの?」

 アルが聞いてきた。

「いや、君達が言ってる三頭犬みたいな危険な生き物が居る部屋なんて、そこしか考えられないし……」

 俺の言葉に納得したらしく、四人は一斉に溜息を零した。

「私、もう寝る」
「僕達も……」

 ぐったりしながら部屋に戻るハーマイオニーにおやすみを言って、俺達も部屋に戻った。

第八話「トロール」

 ハロウィーンの朝がやって来た。お城中でパンプキンケーキを焼く臭いが漂っている。今日のご馳走が楽しみだ。
 パーティーに胸を躍らせながら俺達はフリットウィック先生の呪文学の教室に向かった。今日はいよいよ実践的な授業が開始されるとあって、みんな興奮した面持ちだ。

「さあ! 今まで練習して来たしなやかな手首の動かし方を思い出して! ビューン、ヒョイ、ですよ! いいですか? 呪文の発音も正確に! 呪文の発音を間違えると、術は正しく発動しませんからね!」

 授業は二人一組で行う事になった。俺はアルとパートナーになって練習した。と言っても、今日やるのは浮遊呪文だ。ネビルを助けるために何十回も練習したからお茶の子さいさいだった。

「ウィンガーディアム・レビオーサ」

 俺は床に転がっている本に呪文を掛けて部屋中を行ったり来たりさせた。
 アルも少し梃子摺ったけれど、直ぐにコツを掴んで自分の羽ペンをゆらゆら浮かばせている。
 少し離れた席でハーマイオニーも羽ペンをゆらゆらさせながらロンに指導している。
 ハリーの方を見て見ると、シェーマスが何故か羽ペンに火を付けていて、帽子で慌てて消火作業にあたっていた。

「おお! グレンジャーさん、クリアウォーター君、ウォーロック君。お見事!」

 フリットウィック先生は浮遊呪文を成功させた俺達三人に一点ずつくれて授業は終わった。教室の外で皆を待っていると、ハーマイオニーとロンが口論していた。

「どうしたの?」

 アルが聞くと、どうやらロンが癇癪を起こしたらしかった。

「私はロンの発音の仕方を指摘してあげただけよ」

 つんけんと言うハーマイオニーにロンは忌々しげな眼差しを向けて低く唸った。

「ほらほら、ハロウィンのご馳走が待ってるよ、ロン」

 なんだか微妙な空気になって来たから俺はロンの背中を押しながら大広間へ向かった。
 大広間に到着すると、アッと驚く光景が広がっていた。天井を無数の蝙蝠が飛び交い、ジャックランタンがふわふわといつもの蝋燭の代わりに大広間を明るく照らしている。
 テーブルには金の皿が並べられていて、素晴らしいご馳走が並んでいた。
 不機嫌だったロンもこの光景を前にスタンスを保っては居られずに顔を綻ばせた。席がどんどん埋まっていくので、慌てて六人分の席を確保すると、突然、大広間の扉が勢い良く開け放たれた。その向こうからクィレルが姿を現した。恐怖に慄く彼の口からトロール進入の一報が告げられると、大広間はたちまちパニックとなった。アル達も例外では無く、慌てて立ち上がって状況を理解しようと議論を交わしている。
 そんな中、俺の視線はクィレルのターバンに向いていた。

――――あれ、今ここで浮遊呪文で取り払ったらどうなるかな?

 あのターバンの下にはヴォルデモートの顔がある筈。ここでそれを晒せば、第一巻の最終章を待たずにここで事件解決する気がする。
 でも、ヴォルデモートの存在を隠す為に身に付けているターバンに何も呪文対策をしていないとも思えない。下手をすると、俺がちょっかいを掛けた事がばれて、ヴォルデモートに目を付けられるかも……。そうなると、俺の周りの人間にも危害を加えられる可能性がある。
 安易に行動に移る事は出来なかった。迷っている間にダンブルドアが紫の爆竹で混乱する生徒達を黙らせ、監督生に生徒達を寮まで引率するように言った。

「ユーリィ。僕達も急ごう」

 アルに手を引かれて、俺は人ごみの中、引率しているパーシーの後を追った。振り返ると、クィレルの姿は無くなっていた。きっと、禁じられた廊下に向かったんだ。
 後悔が胸を過ぎった。これで、良かったのだろうか?
 この機会を逃せば、次にクィレルを倒す機会が巡ってくるのは禁じられた森でのユニコーン殺害事件と賢者の石の保管場所でのハリーとクィレルの決闘の時だけだ。だけど、その機会が来るかも分からない。例えば、ハリー達が禁じられた森に行かなかったら? 例えば、ハリー達がクィレルの賢者の石強奪決行日に全ての謎を明らかに出来なかったら?
 賢者の石を巡る事件を一番安全に解決出来たとすれば、今をおいて、他になかったのかもしれない。
 保身に走ってしまった。やるべき事をやらなかった。その後悔の念に俺は足が震えた。

「ユーリィ!」
 
 眩暈がして、俺は脚を縺れさせてしまった。その拍子に、繋いでいたアルの手を離してしまった。

「ユーリィ!」

 アルが人ごみに流されて遠ざかっていく。
 周りは他寮の生徒でごった返していてグリフィンドールの寮へ向かう道からどんどん遠ざかってしまった。
 何とか人ごみから脱出すると、中世の魔法使いの醜い銅像があった。ここは三階らしい。

「まだ……、間に合うかな……」
 
 さっきは怖気づいてしまった。だけど、クィレルをこのままにはしておけない。万が一にもクィレルが賢者の石を取ってしまったら、この時点でヴォルデモートが復活してしまう。
 そうなったら、今のハリーではヴォルデモートを倒せない。
 
「やらなきゃ……」
 
 俺は深く息を吸うと、四階の禁じられた廊下を目指した。

第八話「トロール」

 一番の近道は人がごった返していたから、一度二階に降りてかなり遠回りをしなくてはいけなかった。
 二階の廊下を走っていると、突然、低い地響きが聞こえた。鼻をつく悪臭が漂い、何だろう、と廊下の突き当たりに目を向けると、そこに信じられないくらい大きな体付きをした怪物が居た。ゴツゴツとした墓石のような灰色の肌にココナッツのような小さな頭。腕と足は巨木のように太い。
 俺は慌てて息を顰めた。トロールだ。
 トロールは荒い息をしながら歩いている。時折、子供が癇癪を起こしたみたいに手に握っている棍棒を振り回して廊下の調度品を破壊している。
 本だと女子トイレの方に居た筈なのに、トロールと遭遇してしまうなんて運が悪いなんてレベルじゃない。
 逃げなきゃ……、そう思って後ずさろうとした瞬間、背後から自分を呼ぶ声が聞こえた。
 振り返ると、そこに居たのはネビルだった。

「な、なんで……」
 
 どうして、ネビルがここに居るんだろう。俺は頭が混乱して一瞬、背後に迫るトロールの存在を忘れてしまった。
 ネビルの悲鳴に漸く我に返ると、トロールはもう目と鼻の先まで近づいていた。トロールの小さい眼が俺を捉えている。身の毛のよだつ恐怖に俺は足が竦んで動けなくなってしまった。
 声もまともに出せなかった。まるで囁くような声しか出ない。逃げて、逃げて、とネビルに伝えようと口を動かすけど、とても彼の耳まで届く大きさじゃない。
 
「あ、ああ……ああ……」

 悲鳴すら上げられない。俺はまるでスローモーションのようにトロールが振り上げた棍棒を見つめていた。
 まるでひきつけを起こしてしまったかのように痙攣する体は俺のコントロールを一切受け付けてくれなかった。
 死んじゃうんだ。そう思った瞬間、

「ウィンガーディアム・レビオーサ!!」

 ネビルの声が響いた。棍棒は俺に当たる寸前にトロールの手からすっぽ抜けて宙に浮かんだ。

「逃げて!!」
 
 ネビルの声に俺は漸く体の自由を取り戻した。足は相変わらずふらついてしまうけれど、よろよろとネビルの下に歩くことが出来た。

「ネビル……」
「逃げよう……」

 俺は一瞬、この少年が本当にネビル・ロングボトムなのかと疑ってしまった。
 それほど、ネビルは勇敢な男に早変わりしてしまっていたのだ。
 俺の手を取って、ネビルは駆出した。だけど、後ろからはトロールが素手のまま追いかけて来る。俺はまだ上手く走れない。このままだと、ネビルまであのトロールに殺されてしまう。

「ネビル。俺を置いて行って……。このままじゃ、君まで……」
「やだ!!」
 
 俺が言葉を言い切る前にネビルは叫ぶように言った。

「僕、僕だって戦えるんだ!」

 ネビルは俺の手を離すと、大声で叫びながらトロールに向かって走り出してしまった。

「ネビル!!}

 俺は悲鳴を上げた。ネビルが殺されてしまう。俺のせいで。
 俺は無我夢中で杖をトロールに向けた。
 トロールに有効な呪文なんて分からない。ただ、攻撃呪文のカテゴリーで唯一頭に残っている呪文がある。
 謎のプリンスで出て来た、スネイプのオリジナル・スペル。

「セクタムセンプラ!!」
 
 呪文は初めて使ったというのに、自分でも驚くほど見事に成功した。ネビルに振り下ろそうとしたトロールの腕をセクタムセンプラの呪文は真っ二つに両断した。ネビルはあっけに取られた表情を浮かべているけれど、この機会を逃すわけにはいかなかった。
 トロールは腕を失った痛みに悶え暴れだしてしまったのだ。 
 俺はネビルの下に駆け寄りながら必死に呪文を唱え続けた。

「セクタムセンプラ!! セクタムセンプラ!! セクタムセンプラ!!」

 二つ目のセクタムセンプラはトロールの足を吹き飛ばし、三つ目はトロールの胸に大きな裂傷を作り出し、四つ目は無事な方の肩を削った。
 獣のような唸り声と共に倒れ付すトロールに再び呪文を唱えようとした瞬間、トロールが残った腕を我武者羅に振り回した。
 そのせいで、ネビルは壁まで吹き飛ばされてしまった。

「ネビル!! ――――ッ!! この!! セクタムセンプラ!!」
 
 俺はトロールが動かなくなるまで延々と呪文を唱え続けた。
 漸く、虫の息すらしなくなったトロールを尻目にネビルの下へ歩み寄った。
 ネビルはうめき声を上げていたけれど、何とか無事だったようだ。

「ああ、ネビル。何て無茶な事をするの!? 死んでたかもしれないのに!!」
 
 俺は頭がどうにかなりそうだった。後一歩の所でネビルが死んでいたかもしれないのだ。

「普段泣き虫の癖に、どうしてあんな無茶するんだ!!」

 俺は涙が止まらなかった。こんな責めるような言い方をしたくないのに、理性がまともに働いてくれなかった。
 
「だって……」

 ネビルは苦しげに目を細めながら言った。

「先に助けてくれたのはユーリィだよ。僕、弱虫だけど……でも、助けたかったんだ」
 
 そう言って、ネビルは気を失ってしまった。

「ネビル!!」

 意識を失ってしまったネビルに声を掛けていると、廊下の先からバタバタと足音が聞こえた。ここでの騒ぎを誰かが聞きつけたらしい。
 マクゴナガルとスネイプ、それにクィレルが駆け寄ってきた。三人はトロールの惨殺死体を見ると、ハッとした表情を浮かべ、それから俺とネビルに顔を向けた。

「これは、どういう事ですか!?」

 顔面蒼白なマクゴナガルが怒鳴るように言った。
 声には怒りが滲んでいる。 
 だけど、俺はそれどころじゃなかった。

「先生。ネビルが……。ネビルが……」

 一刻も早く、ネビルをボンフリーの下へ連れて行かなければならない。
 俺の意思を汲み取ったのか、スネイプが歩み寄ってきた。

「まずはロングボトムを保健室に運びましょう。尋問はその後でもよろしいかと」
「……そうですね。セブルス、ロングボトムをお願いしますわ」
「承った」

 スネイプはネビルを抱き抱えると、さっさと歩き出してしまった。
 俺も慌てて後を追おうとしたけれど、足が縺れて動けなかった。

「……クィレル先生……は駄目ですね」
 
 マクゴナガルは廊下の傍で吐いているクィレルから目を背けて俺の手を取った。

「辛いでしょうけど……あなたも治療が必要です。保健室まで歩けますね?」
「……はい」

 保健室に着くと、ネビルは静かな寝息を立てて眠っていた。俺もボンフリーの治療を受けた。外傷が無い代わりに体が酷く衰弱していた。

「闇の魔術の行使に体が耐えられなかったのだろう」

 治療が終わると、スネイプが鋭い眼差しを向けて来た。
 俺が使った呪文が何なのかをスネイプは見抜いているのだ。

「闇の魔術ですって!? クリアウォーター。説明してもらえるのでしょうね?」
「……はい」

 俺はネビルに視線を向けてから頷いた。

「俺、グリフィンドールの人達と逸れてしまったんです」
「……まあ、あの混乱の中では」

 マクゴナガルは苦々しい表情を浮かべて言った。

「それで、何とか戻ろうと思って、別の階段で上がろうと思ったんです。元の階段は人が多過ぎて……」

 嘘ばっかりでは無い。元の階段に戻れなかったのは事実だ。

「そこで、あのトロールに会って……」
「ロングボトムも一緒だったのですね?」
「いえ、ネビルは……一緒じゃなかったです。たぶん、俺がはぐれた事に気が付いて、追いかけてきてくれたんだと思います……」
「なるほど……」
「それで、トロールの前で俺、怖くて動けなくなって……そうしたら、ネビルが浮遊呪文で助けてくれたんです」
「どういう事ですか?」

 マクゴナガルの質問に俺はネビルの驚く程勇敢な行動を説明した。
 マクゴナガルは「まあ」と驚いたようにネビルを見た。

「それで、一緒に逃げたんですけど、俺……足が竦んでて……。俺を置いていくように言ったんですけど、そしたら、ネビルがトロールに向かって行ってしまって……」
「それで、あの呪文を使ったのはお前か?」

 行ったのはスネイプだった。俺が頷くと、スネイプの視線は更に鋭くなった。

「前に……その、何かの本で読んだんです。その……落書きだったんですけど」
「落書き……?」
「あ、はい……」
「それはどこで見たのだ?」
「それが……その、忘れてしまって……」

 スネイプは無言で睨み付けてきた。本で読んだのは本当だし、落書きとして、読んだのも本当だ。もっとも、それは原作で、という枕詞がつくのだけど。
 スネイプはしばらく睨んできたけれど、それ以上は追求してこなかった。

「その……、戦うための呪文と書いてあったので、無我夢中で唱えたんです。とにかく、無我夢中で……」
「なるほど……。わかりました。……トロールと戦って、生き残れたのはただ運が良かったからです。それを忘れないように」
 
 そう言って、マクゴナガルは立ち上がった。

「しかし、ロングボトムは実に……愚かで、そして、勇敢でした。グリフィンドールに五点を与えましょう。それから、あなたの幸運に対しても五点。今日はゆっくりと休みなさい」
「……はい」

 マクゴナガルが去った後、スネイプは俺を見て言った。

「あの呪文は闇の魔術に属するものだ。無闇に使うでないぞ」
「……はい。肝に銘じます。スネイプ先生」

 スネイプが去ると、俺はどっと疲れが出て、保健室のベッドに倒れるようにもぐりこむと、そのまま眠りに落ちた。
 ただ、一つ意識を手放す寸前、俺は酷く後悔した。

――――失敗した……。

第九話「ハグリッド」

 目を覚ました時、最初に目に入ったのはアルの顔だった。なんだか、最近も同じような事があった気がする。
 また、泣いてる。また、心配を掛けてしまったらしい。

「ごめんね、アル」
「だから……、謝るなよ。また、無茶して……馬鹿野郎」

 アルは俺の手を握り締めると大きく溜息を零した。家に居た頃、毎日のように手作りの剣で素振りをしていたせいか、アルの手は大きくてごつごつしている。
 昔は俺の方が背も高かったのに、どんどん俺より男の子らしくなっていく。俺はやらなきゃいけない事もまともに出来無い軟弱者なままなのに、ちょっと、羨ましいな。

「ユーリィ」
 
 声の方に首を向けると、ネビルが立っていた。ネビルの隣にはハリーとロン、ハーマイオニーの姿もある。

「ネビル」

 俺は体を起こしてネビルの体を見た。

「もう、大丈夫なの?」
「うん。僕はばっちりだよ」
「そっか……。ネビル、昨日はその……」
「待って」
「……え?」

 謝ろうと思って口を開き掛けると、ネビルは両手を前に突き出して待ったを掛けた。

「ごめんよ」
「え?」

 訳が分からなかった。頭を下げるネビルに俺はただただ戸惑うばかりだった。
 謝るべきは俺の方なのに、どうして、ネビルが頭を下げているのだろう。

「僕、ユーリィの役に立ちたかったんだ。なのに、僕、全然役に立たないで気絶しちゃって……」
「何を言ってるのさ!? ネビルが助けてくれなかったら俺……」

 あの瞬間を思い出すと震えが走った。トロールの棍棒が振り下ろされようとしている時、俺は指一本、まともに自分の意思で動かす事が出来なかったのだから。
 ネビルが居なければ、俺はあの瞬間に死んでいた。
 俺はネビルの手を取って頭を下げた。

「本当にありがとう。ネビルが居てくれて助かった。本当にかっこ良かったよ」
「え、ええ!?」

 ネビルが慌てふためく姿がおかしくて思わず噴出しそうになると、コホンと咳払いが聞こえた。顔を向けると、アルが何か言いたそうにしていた。

「さっき、マダム・ボンフリーが目が覚めたら退院していいって言ってたよ」
「そっか、ありがとう」
「大丈夫?」

 俺がベッドから降りようとすると、ハーマイオニーが手助けしてくれた。
 
「それにしても、トロールをやっつけるなんてやるじゃん!」

 ロンは興奮した面持ちで言った。

「ネビルにも聞いたんだけど、倒したのはユーリィだって言うじゃないか!」
「えっと、無我夢中であんまり覚えて無いんだ……」
「もう、ロン!」

 俺が困っているのを見るに見かねたのか、ハーマイオニーが仲裁に入ってくれた。

「何だよ、ハーマイオニー」
「ちょっと、デリカシーが足りないんじゃなくて? ユーリィは後一歩で命を落とす所だったのよ? それを根掘り葉掘り聞こうとするなんて!」
「別にちょっと聞いただけじゃないか!」

 なんだか雲行きが怪しくなって来た。二人とも喧嘩腰になってしまっている。止めに入ろうと口を開き掛けると、ハリーが待ったを掛けた。

「僕が止めるよ。病み上がりなんだし、先に食堂に行ってて」
「大丈夫?」
「何とかしてみるよ」

 ハリーは若干疲れたように微笑みながら二人の仲裁に入って行った。
 俺はアルに引っ張られるように保健室を後にした。
 
第九話「ハグリッド」

 十一月に入り、夕食時の食堂ではみんながいよいよ始まるクィディッチ・シーズンの到来に湧きあがっていた。明日の土曜日にはグリフィンドールとスリザリンの試合がある。
 グリフィンドールのシーカーは見知らぬ六年生だった。

「明日、グリフィンドールが勝てば寮対抗総合二位になる。絶対に勝ってもらわないとね」

 ロンは自分ならどういう作戦を練るか、とハリーに熱心に説明している。ハリーも初めてのクィディッチの試合に興奮しているのか、ロンの説明を一字一句聞き逃すまいとしている。
 俺もネビルと一緒にアルの熱心な説明に聴き入っている。

「なんとね、クィディッチには七百も反則があるんだ。しかも、その全部が1473年の世界選手権で起きたんだ」
「な、七百も反則を犯すって、凄いね……」
「まったくさ! そう言えば、知ってるかい? 元々、金のスニッチは1100年代に流行したスニジェット狩りに端を発してるんだ」

 スニジェットって、何だろう?

「スニジェットって、保護鳥の?」

 ネビルが首を傾げながら言った。

「ネビル。スニジェットって何なの?」
「え? あ、それはね!」

 ネビルはなんだか得意そうに説明してくれた。どうやら、人に頼られるのが嬉しくて仕方ないらしい。
 ネビルの説明を聞きながら、彼は先生に向いているかもしれない、と思った。
 ネビル曰く、スニジェットというのは正式にはゴールデン・スニジェットというらしい。完璧にまん丸で、非常に鋭く長い嘴を持ち、ルビーの様な目をしているとてもすばやい鳥だそうだ。スニジェットは羽と目が珍重され、高値で取引されていたらしく、そのせいで乱獲され絶滅の危機に瀕したそうだ。

「そ、そうなんだ。それでね!」

 アルは少しあせったように口を開いた。

「スニジェット狩りのスタンスがそのままクィディッチの試合に持ち込まれたんだ。当時はスニジェットを殺した側にポイントが入るってルールだったんだ」

 吃驚するほど野蛮な話だ。

「だけど、スニジェットの数があまりにも少なくなって、当時の魔法評議会委員長のエルフリダ・クラッグがスニジェットの使用を法で禁じて、保護法を設立したんだ。その後、スニジェットの代わりにゴドリックの谷のポーマン・ライトっていう魔法使いに金のスニッチ作りを依頼したんだ。エルフリダとポーマンはまさに、今のクィディッチの真の誕生に貢献した偉大な人物というわけさ」

 それからもアルのクィディッチ講座は延々と続けられた。
 ネビルは途中で寝息を立て始めたので先に寮に返して、マンツーマンで話を聞いていたら談話室でそのまま朝を迎えてしまった。
 俺は同じく朝を迎えてしまったハリーに苦笑いを浮かべると、ハリーもやつれた笑顔を向けてくれた。
 ぐったりしながら、夜通し語り続けた癖に元気満々なアルとロンのクィディッチオタク二人組の後に続いてクィディッチの試合を見に行ったのだけど、俺もハリーも殆ど試合内容を覚えていなかった。結局、試合はスリザリンの勝利で幕を閉じたけれど、俺にはそれに対して罪悪感を感じる余裕すらなかった。
 只管眠かったのだ。その日の夜は俺もハリーもベッドに一目散に向かった。アルとロンがベッドに腰掛けて今日の敗因について語っているのを見て、ハリーは言った。

「なんで、あの二人……あんな元気なの?」

 少しうんざり気味な声だった。
 長い付き合いになるけれど、アルがこんなにもクィディッチを愛していたなんて知らなかった。クリスマスの贈り物に迷わなくて済みそうだ。そう考えながら、俺は二日ぶりの眠りに落ちた。
 翌日、起きたのはみんな揃って遅刻ギリギリだった。

 午前中の授業が終わると、ハリーの提案でハグリッドの小屋を訪れる事になった。前に誘われた時、俺の事も誘おうと考えてくれていたみたいなんだけど、丁度、俺が保健室から戻ったばかりだったので延期にしたらしい。申し訳無いと思いつつもハリーの気持ちが嬉しかった。
 ハグリッドに会うのは食堂以外では二回目だ。
 前回はここに来たばかりの時の事で、そのあまりの巨体に恐怖してしまった。だけど、映画や本で彼が如何に優しい人柄かを知っているので、今回は大丈夫な筈だと自分に言い聞かせた。
 午後の授業が終わり、俺達は校庭を横切って禁じられた森の端にあるハグリッドの小屋へ向かった。メンバーは俺とアル、ハリー、ロン、ネビルの五人だ。ハーマイオニーも誘おうという話になったんだけど、ロンが嫌そうな顔をするものだから、ハーマイオニーと喧嘩になりそうな雰囲気で、仕方なく、今回は見送る形になってしまった。
 本当なら、トロールとの戦いの中でハーマイオニーはハリーとロンの親友となる筈だったんだけど、それが無かったせいなのか、ロンとハーマイオニーの間には未だに溝があった。ロン以外の面々はハーマイオニーとの仲は良好なのだけど、ロンにとって彼女は不倶戴天の敵といった感じらしい。
 つい溜息を零してしまった。どうにも、俺のやる事は裏目にばかりなっている気がする。下手に仲を取り持とうとしたせいで溝が深まりはしないものの埋まりもしない。ハリーもシーカーになれないし、どうしてこう上手くいかないのだろう。

「大丈夫?」

 歩きながら悩んでいると、ハリーが声を掛けて来た。

「うん。ありがとう」
「調子が悪いなら無理しない方がいいよ? アルがまた心配すると思うし」
「……うん」
「もちろん、僕も心配するしね」
「あ、ありがと……」

 一瞬、ドキッとしてしまった。こんな風に心配してもらえるなんて、生前ではあり得なかった事だ。
 上手く行かない事ばかりだけど、悪い事ばかりじゃないらしい。

「二人とも! ハグリッドの小屋が見えたよ!」

 ロンの声に顔を向けると、煙突からぷかぷかと煙を吹かす大きな小屋が見えた。
 まるで絵本に出てきそうな可愛らしい小屋だった。大きさは可愛いというには大き過ぎたけど。
 ハリーが代表してノックをすると、中から巨大な熊……もとい、ハグリッドが現れた。とてつもない巨体で、俺は一瞬トロールを思い出してアルの服を握り締めてしまった。
 すると、アルは俺の手を握って「大丈夫だよ」と言ってくれた。じんわりと体中に安心感が広がり、漸く俺はまともにハグリッドを見る事が出来た。
 中に入ると、いきなり犬が吼えて来た。巨大なボアーハウンド犬が唸り声を上げて俺達を睨んで来る。

「退がれ、ファング! 退がれ!」

 ハグリッドが一括するとファングは大人しくなった。ハグリッドと見比べるとかなり小さく見えるけど、単体で見るとまるで熊みたいだ。人も簡単に丸呑みにしてしまいそう。
 
「くつろいでくれや」

 ハグリッドがファングを放すと、途端にファングはロンに襲い掛かった……と思ったら、ロンの顔をペロペロと舐め始めた。見た目とは裏腹にとっても人懐っこいらしい。
 見た目には味見をしているようにしか見えないけど……。
 獣に襲われた被害者にしか見えないロンが嬉しそうに笑っているのが凄い。
 俺はロンとファングから視線を外して小屋の内部を見回した。天井には雉やハムが紐で吊るされていて、暖炉にはヤカンが置かれていてお湯が沸騰している。
 ハリーは俺達の事をハグリッドに紹介してくれた。

「こっちはロンです」
「ウィーズリー家の子だな。え? お前さんの双子の兄貴達を森から追い払うのに俺は人生の半分を費やしているようなもんだ」
 
 からからと笑いながら言うハグリッドにロンもおかしそうに笑っている。

「こっちはネビルです」
「えっと、僕、ネビル・ロングボトムです」
「ロングボトム……そうか、お前さんが」

 ハリーがネビルを紹介すると、ハグリッドはネビルの頭をわしわしと掴むように撫でた。
 ネビルは突然の事にびっくりしておろおろしている。

「お前さんの両親の事はよう知っとる。二人とも、実に勇敢な魔法使いだった。聞いとるぞ。ハロウィンの日に進入したトロールと戦ったそうだな。え? お前さんにはしっかりとフランクとアリスの血が流れとるんだな」

 感慨深そうに言うハグリッドにネビルは泣きそうな顔で「うん……」と頷いた。事情を知らないハリー達も優しく微笑んでいる。

「で、こっちはアルフォンス・ウォーロック」
「こ、こんにちは」

 アルは少し緊張気味に挨拶した。

「ほう、エドワードの倅か」
「父さんの事も?」
「おお、よく知っとるぞ。グリフィンドールのクィディッチチームのビーターだったからな。ハリーの親父さん同様最高の選手だったぞ」

 びっくり。ハリーのお父さんとエドワードが同じチームだったなんて。

「アルのパパと僕のパパ、同じチームだったんだ」

 ハリーは目を見開いてアルを見つめた。

「僕、知らなかった。クィディッチの選手だったっていうのは聞いてたんだけど……」

 アルもハリーを不思議そうに見つめている。

「不思議なもんだな。親同士がクィディッチのチームメイトで、子供の代でまた友達になるってな。ま、エドワードの方が年下だったから普段つるむ事はあんまり無かったみたいだけどな」
「そうだったんだ」
「そんで、そっちの子は?」

 ハグリッドは俺を指差して聞いて来た。忘れられてるのかと思ったからちょっとホッとした。

「こっちはユーリィです。ユーリィ・クリアウォーター」
「ああ、お前さんはソフィーヤ・アクロフの子だな? 母さんを知っとるぞ」
「ママを?」
「ああ、随分と探究心が旺盛でな。禁じられた森について調べようと何度も侵入を試みては俺が追い出したもんだ。そっちのロンの兄貴達と同様に俺を困らせてくれたもんだ」
「ママ……」

 フレッドとジョージと同列に扱われているソーニャに対して俺は苦笑いを浮かべた。
 昔はとんだお転婆娘だったらしい事はジェイクに聞いた事があったけど、今のソーニャと比べるとあまり実感が湧かなかった。だけど、こうして第三者に言われると、本当にお転婆だったんだな、と実感する。

「にしても、お前さんは若い頃のソフィーヤにそっくりだな」
「え? そうかな……?」
「ああ、容姿なんて瓜二つだぞ。それに、聞いとるぞ、お前さん、中々暴れまわっとるそうじゃないか」
「あ、暴れまわってるって……?」
「なんでも、箒から墜落した同級生をキャッチしたとか、そっちのネビルと一緒にトロールと戦ったとか」
「墜落したのも僕なんだよ」

 どこか得意そうにネビルは言った。それにしても、暴れまわってるって……。

「お前さんは禁じられた森に忍び込もうとして、俺を困らせるんじゃねーぞ。いいな?」
「は、はい……」
 
 ハグリッドの目は真剣そのものだった。よっぽどソーニャに困らされたらしい……。
 それから、俺達はハグリッドに皆の親達について話を聞いた。
 ハリーの父さんのジェームズがいかに優秀なチェイサーだったかをハグリッドが語るとハリーは心底嬉しそうに笑い、必ず自分もクィディッチの選手になると誓った。
 すると、アルとロンもクィディッチの選手になると言って、ハリーにライバル宣言をした。三人ともギラギラした目でお互いを睨むと、ニッと笑って手を叩きあった。
 ハリーの母さんの話になると、ハリー達にとって以外な話を聞く事となった。確か、本の中だとこの話をハリーが聞くのは本当に最後の方だった筈だ。
 リリー・エバンスとセブルス・スネイプの話だ。

「スネイプ先生とリリーは同じ故郷出身でな。昔は仲が良かったんだ」
「そうなの!?」

 自分の事を憎んでいるとさえ感じていたスネイプと母との昔話にハリーは心底驚いている様子だった。

「ただな、その……やはりスリザリンだから、グリフィンドールの仲間にリリーはスネイプ先生との付き合いをやめるよう言われたんだ」
「え、それは……」

 ハリー達の視線がわずかに俺に向けられたのを感じた。なんでだろう?

「最終的にスネイプ先生とリリーの仲は決裂してしまった。まあ、互いに譲れないものがあったんだろうよ。だがな、スリザリンだからとか、グリフィンドールだからとか、そういうもんで仲良しだった奴らが敵同士になるっちゅうのは、まあ、考えもんなのかもしれんな。お前さんの母さんを見てたら、余計にそう思ったもんだ」
「ママを?」
「ああ、ソフィーヤは……まあ、何と言うか変わり者だったちゅうかな……。寮の違いに頓着しない娘だった」
「ユーリィは本当にソフィーヤおばさんに似たんだね」

 アルはしみじみとした感じで言った。

「奴さん、あまりにも自然に他寮の生徒とも接するもんだから、スリザリンの生徒でさえ、面倒とか、変人とか、頭おかしいとか思っても嫌いにはなれんかった」
「ひ、人のママを頭おかしいって言わないで!!」

 あまりにも酷いソーニャの評価に俺は思わず叫んでしまった。 
 だけど、アル達ときたら俺を見て納得したように頷きおった。

「すまんすまん。しかしな、例えグリフィンドールとスリザリンがいがみ合ってる中であってもソフィーヤがノコノコ現れると不思議とみんな喧嘩をする気がなくなるんだ。みんな、疲れた顔をして去って行く」
「ねえ、それは褒めてるのかな? 貶してるのかな?」

 俺は少しムカッとしながら言ったけど、またしても皆、俺を見て納得したような顔になった。どういう事なんだろう。

「もちろん、褒めとるんだ。最終的に、先生達の間ではソフィーヤは喧嘩仲裁の最終兵器とまで言われとったんだぞ」
「あんまりかっこ良くない……」
「でも、僕らがマルフォイと喧嘩になりそうになった時、ユーリィが来ると……なんか、もうどうでも良くなって来るよね」
 
 ハリーはどこか疲れたように言った。

「うん。喧嘩するにもモチベーションがいるからね」

 アルが言った。これは褒められてるのだろうか、貶められているのだろうか、どっちなんだろう。
 結局、なんだか納得できない流れのままこの日はハグリッドの小屋を後にする事になった。
 ポケットにはハグリッドがお土産にくれた信じられないくらい固いロックケーキをこれでもかという程入れて……。

第十話「クリスマス」

 目が覚めると、窓の外に一面の銀世界が広がっていた。
 寒さのせいでいつもより早く起きてしまったらしい。アル達はまだ夢の中だ。
 折角だから俺は必要の部屋でお風呂に入る事にした。今日はミルクのように真っ白な濁り湯を浴槽に張った。温泉の湯のように絡みつく粘度の高い湯を全身で浴びながら俺はクリスマスの事を考えた。
 クリスマスの休暇は一端家に帰る事が出来る。ソーニャとジェイクに久しぶりに会えるのが凄く楽しみだった。毎年、ソーニャの焼いたクリスマスケーキをアルの家族と一緒に囲んで歌を歌ってご馳走に舌包みを打つのが我が家の伝統だ。
 二人と別れてからまだ三ヶ月ちょっとしか経っていないというのに、もうずいぶんと声を聞いていない気がする。早く、二人の顔が見たかった。
 
第十話「クリスマス」

 お風呂から上がり、暖炉にあたりながら必要の部屋から拝借して来た本を読んでいると、寝室からアル達が降りて来た。

「おはよう、四人とも」

 俺が声を掛けると、四人は欠伸混じりに返事を返して来てくれた。時計を見て見ると、かなりのんびりしていたつもりだったけど、朝食の時間まではたっぷり余裕がある。

「早いね、ユーリィ」

 ハリーは暖炉の前のソファーに腰掛けながら言った。

「寒くて、目が覚めちゃった」

 俺達はしばらく暖炉の炎を見つめながらのんびりと朝の時間を過ごした。
 食堂を食べに一階まで降りて来ると、校庭でフレッドとジョージが雪遊びをしているのが見えた。巨大な雪だるまが暴れまわっていて、二人が魔法を掛けた雪玉で攻撃している。

「うおーっ、面白そう!」
 
 アルとロンは我先に飛び出して行った。

「えっ、ちょっと、朝ごはんは!?」
「後で行くから先に行ってて!」

 二人はフレットとジョージと一緒に雪遊びを始めてしまった。隣を見ると、ハリーとネビルもそわそわしている。

「俺、サンドイッチかなにかもらって来るから、二人も混ざって来たら? 授業まで時間あるし」
「いいの!?」

 二人は嬉しそうに駆出して行った。
 雪でじゃれ合う皆を横目に俺は食堂に向かった。朝ごはんはもう用意されていた。途中でハーマイオニーと会って、彼女も一緒にみんなの分の朝食を運んでくれた。
 お盆にカボチャジュース八人分とサンドイッチを八人分持って来ると、六人はまだ遊んでいた。
 俺が声を掛けるとみんなぐっしょり濡れながら走って来た。

「もう、風邪ひいちゃうわよ?」

 ハーマイオニーは杖を振るってハリーとロンの水気を飛ばした。俺もハーマイオニーにならってアルとネビルの水気を払って上げると、フレッドとジョージが次は自分の番だとばかりにスタンバイしていた。俺とハーマイオニーは溜息混じりに二人の水気も飛ばしてやると、みんなサンドイッチとカボチャジュースを一瞬で胃袋に収めてまた駆け出していってしまった。
 
「みんな、寒くないのかな?」
「元気よねー」

 授業の始まる時間まで俺とハーマイオニーは他愛無い話をしながら雪玉をぶつけ合って再びびしょぬれになっていく六人に溜息を零した。

 いよいよクリスマスまで後数日と迫り、その晩、俺は一時帰宅の準備をしていた。
 授業の道具とかはわざわざ持ち帰らないから小さなナップザックに全て収まった。
 明日はいよいよホグワーツ特急に乗ってジェイクとソーニャの待つウェールズに帰る事が出来る。それが楽しみで仕方が無かった。
 帰り支度が終わり、談話室に降りるとハリーとロンがチェスをしていた。魔法でまるで生きているかのように動くチェスの駒にハリーは翻弄されっぱなしでロンの連勝状態だったけど、生きている駒が動いているのを見るだけで十分に見応えがあった。しばらく二人の戦いを観戦した後、俺は図書室に行くと言って寮を出た。まだ就寝時間にはたっぷりと余裕がある。

「そろそろ、本腰を入れないといけないよね……」

 必要の部屋はウィンガーディアム・レビオーサの練習をした時と同じ部屋を作った。
 クィレルを倒すチャンスは後二回。だけど、そのチャンスが巡ってくるかは確証が無い。特に一回目のチャンスである禁じられた森でのユニコーン殺害事件は余程の運が無ければ遭遇出来ないだろう。
 二回目のチャンスは一回目に比べれば日にちの特定が容易いし、遭遇する可能性も極めて高い。六月にダンブルドアがホグワーツを留守にする日だ。だけど、これも確実では無い。

「もう、いっその事ダンブルドアに手紙でも送っちゃおうかな? でも、スネイプがもうクィレルの事気づいてるみたいだし、それでダンブルドアが動かないなら、やっぱり現行犯逮捕が必要なのかな……」
 
 考えれば考える程どうすればいいのか分からなくなってきた。
 結局、答えが出せないまま俺は風呂に入って、そのままベッドで眠った。

 翌日、城に残るハリーとロンにしばしの別れを告げると、俺はホグズミード駅からホグワーツ特急に乗り込んだ。
 コンパートメントには俺の他にアルとネビルが同席している。
 ハーマイオニーはルームメイトのラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチルと同じコンパートメントに居るみたいで、ガールズトークに勤しんでいる様子だ。
 俺はというと、アルとネビルがチェスの対戦をしているのを横から観戦している。今の所、アルとネビルの戦績は五分五分といったところだ。
 のんびりとした時間が過ぎて行き、ホグワーツ特急はロンドンのキングス・クロス駅に到着した。
 駅に到着すると、ジェイクとソーニャがエドとマチルダと共に待って居てくれた。

「ママ! パパ!」

 俺が駆け寄るとジェイクが抱き抱えてくれた。

「おかえり、ユーリィ。ちょっと大きくなったんじゃないか?」
「帰ったら身長を測ってみましょうね」
「うん!」

 ジェイクが俺を降ろすと、アルとネビルが後ろから歩いて来た。

「ただいま、母さん!」
「おかえりなさい、アル。そっちの子は?」

 マチルダはアルの頬にキスをするとネビルに顔を向けた。

「ネビルって言うんだ。ネビル・ロングボトム。ホグワーツで友達になったんだ」
「まあ、そうなの。よろしくね、ネビル君」
「は、はい!」

 緊張気味に応えるネビルの下に一人の老婆がやって来た。

「ネビル!」

 しわくしゃな顔の老婆を見た瞬間、ネビルはヒッと悲鳴を上げた。

「ばあちゃん!」
「ばあちゃん! じゃない! まったく、いつまで待たせるんだい!?」

 かんかんに怒っている老婆にネビルはすっかり縮こまってしまっている。

「あの、ごめんなさい」

 俺は堪らず老婆に声を掛けた。

「おや、どちらさまかね?」
「あの、俺、ネビルの友達のユーリィ・クリアウォーターです。その、俺がネビルを家族に紹介したくて引き留めてしまったんです。だから、その……ネビルを怒らないであげてください」
「僕からもお願いします」
 
 アルも俺の隣で頭を下げた。すると、老婆は驚いたような顔で俺とアルを見た。

「おやおや」

 段々と老婆の顔は驚きから喜びの顔へと変化した。

「ネビル。友達が出来たんだねぇ。そうかいそうかい。学校は楽しいかったのかい?」
「う、うん! 僕、ユーリィに何度も助けてもらったんだよ!」
「おやま、そりゃあネビルが迷惑掛けちまったみたいで……」
「いいえ。ネビルに助けられたのは俺の方です」
「そうなのかい? でも、この子は知ってるだろうけど臆病でのろまだからねぇ、心配しとったんだよ」
「そんな事ないです!」

 俺は思わず声を張り上げてしまった。
 老婆は驚いたように目を見開いた。

「あ、ごめんなさい。でも、ネビルは臆病でものろまでもないですよ。凄く勇敢なんです」

 俺がきっぱりと言い切ると、老婆はポカンとした顔で俺を見た。

「勇敢だって? この子がかい?」
「ええ、そうです」

 自信たっぷりに応えると、老婆はまた嬉しそうに笑った。

「そうかい。この子が勇敢……か。そうかい。良い友達に恵まれたみたいだねぇ、ネビルや」
「うん!」

 間髪いれずに応えるネビルに俺は照れくさくなってしまった。
 その後、ネビル達と別れて俺達は帰路に着いた。
 帰りのエドの運転する車の中で俺とアルは学校で起きた様々な出来事についてソーニャ達に話した。だけど、話しても話しても話し足らなくて、食事の時間もずっと話し続けた。
 ほんの少し離れていただけなのに、二人に聞いて欲しい事がたくさんある。
 その日は久しぶりに二人にたっぷりと甘えて、二人のベッドで二人に挟まれて横になった。

 クリスマスの前日。俺は魔法界の通販のカタログを見ていた。クリスマスの贈り物を考える為だ。贈る相手はもちろん、アル、ネビル、ハリー、ロン、ハーマイオニーの五人だ。
 ソーニャとジェイク、それにエドとマチルダ用は当日に俺が夕食を用意する約束をしている。必要の部屋はなんと料理の修業の部屋まで用意してくれて、密かに練習をつんでいたのだ。
 ホグワーツから帰って来てから料理の手伝いをして、俺の料理のスキルを見て貰って、任せても大丈夫と許可をもらえた。
 ベッドで転がりながら考えて漸く五人に贈るプレゼントを決める事が出来た。直ぐに注文書を書いてウサギフクロウのナインチェに届けてもらった。
 ナインチェはいつも正確に仕事をこなしてくれる。最初はあざといくらいのあの可愛らしさに目が眩んで買ってもらったのだけど大正解だった。可愛いだけじゃなく、仕事も出来るまさにパーフェクトガールだ。ナインチェの姿が空の向こうに消えるのを見送ると、俺は庭に出た。一面銀色に輝く雪庭にはソーニャが魔法で作った様々な雪像が並んでいる。俺の一番のお気に入りはウサギの雪像だ。
 ソーニャがアルからプレゼントされた俺のウサギのぬいぐるみをモデルに精巧に作り上げてくれたのだ。
 毎年雪が降るとうちの庭は雪像の展示場となるから周辺のマグル達もよく見学に来る。といっても、さすがに庭の中には入って来ないけど。
 冬の間、俺はこの雪像達を眺めながらのんびり過ごすのが大好きだった。しばらくして、アルが遊びに来たので二人で一緒にボーっとして過ごした。

「そう言えば、勇者の修行はいいの? 剣でえいやーって」

 俺が聞くと、アルはチッチッチと人差し指を振った。

「勇者はただ剣を振り回すばっかりじゃないんだよ」
「じゃあ、もうやらないの?」
「いいや、もっと強くなるために修行はするさ」
「相変わらず勇者が好きだねー」
「好きっていうより、目標かな……」
「目標?」
「うん。僕は強い男になりたいんだ。物語の勇者みたいに強い男に!」

 いつの頃からだろう。アルが勇者に憧れを持ち始めたのは……。
 
 クリスマス当日。目が覚めるとベッドの足下にはたくさんの箱があった。去年よりも少し多くなったプレゼントを早速開いた。
 一番上に置かれていたのはロンからのチャドリー・キャノンズの伝記だった。チャドリー・キャノンズはロンのお気に入りのクィディッチチームでどうやらこの機会に布教しようという腹積もりらしい。
 二つ目の箱はハーマイオニーからのお菓子の詰め合わせだった。色々な種類のお菓子が箱の中いっぱいに入っている。
 三つ目の箱はハリーからのチェス盤だった。小さくて持ち運びしやすい。
 四つ目の箱はネビルからのマフラーだった。ネビルのおばあちゃんがネビルが世話になったから、とお礼に編んでくれたらしい。
 五つ目の箱はアルからの贈り物はスニーコスコープだった。スニーコスコープが回転を始めたらとにかく逃げろ、と大文字で箱の底に書いてあった。

「これは……、ソーニャとジェイクからかな?」

 最後の箱は一際大きくて重かった。
 包み紙を破るのも重労働で一体なにが入っているのかと思って蓋を開けると、俺は思わずあっと叫んでしまった。
 中に入っていたのは箒だった。

「マ、ママ! パパ!」

 俺は箒を手に取ると俺は一階の居間に駆け込んだ。
 エドに繋いで貰ったらしいマグルのテレビを見ながら寛いでいた二人は駆け込んできた俺を見るとニッコリと微笑んだ。

「おお、どうだ? ニンバス競技用箒会社のニンバス2000。最新式だよ」
「ユーリィもそろそろ自分用の箒を持たないといけないからジェイクと相談して買ったのよ。学校には二年生からしか持っていけないけど、家でも練習出来るようにって」
「エドとマチルダもアル君に買ったそうだから、二人で空中散歩にでも行って来たらどうだ?」

 俺は二人から飛行して良い場所と高度なんかの説明を聞いて直ぐに居ても立ってもいれずに外に飛び出した。
 箒を持って庭を横切ってアルの家に向かうと、アルも家から箒を持って飛び出して来た。

「アル!」
「ユーリィ!」

 お互いにお揃いのニンバス2000を見せ合うと家の直ぐ裏にある山に駆け込んだ。そんなに大きくない山だけど、ここにはジェイク達の両親やジェイク達本人が様々な魔法を掛けてマグルが絶対に入り込まないようになってる。ホグワーツに入学する前の期間はずっとここで魔法の練習をしていた。
 
「最初は父さん、去年出来たばかりのフライト・アンド・バーカー社のツィガー90がいいんじゃないか? って言ったらしいんだ。でも、母さんが反対したんだ。ちゃんと歴史ある会社の出している箒の方が信頼できるって」
 
 アルと話しながら山を登ると、一時間くらいして深い谷になっている場所に辿り着いた。
 ここがジェイク達の言っていた箒の練習場だ。

「夕食の材料を買いに行かないとだから、お昼までには戻らなきゃ」
「そう言えば、ユーリィが作るんだよね?」
「うん。密かに練習してたんだー」
「いつの間に? ホグワーツで練習なんか出来ないだろ?」
「だから秘密だってば。今夜、楽しみにしててよ」
「う、うん……」

 怪訝な顔をするアルの背中を押して、俺は箒に跨った。
 学校のボロボロのシューティング・スターとは大違いだった。まったく思い通りに動いてくれないシューティング・スターに比べて、ニンバス2000は俺の意思を完璧に反映してくれる。
 アルもしきりに興奮した笑顔を浮かべていて、さっきの話はすっかり忘れてくれたみたいだ。
 二人で思う存分空の散歩を楽しむと、ついつい時間を忘れてしまった。
 気が付くと一時を回っていて、俺は慌てて下山して材料を買いに走った。近くのマーケットに行くと、アルが荷物を半分持ってくれた。かなりの量を買ったから大助かりだった。
 家に帰るともう三時を回っていて、俺が大慌てで料理を始めた。未成年の内は学外で杖の使用を厳しく禁止しているから、全部手作業で行わなければいけない。
 完成した頃には七時を回ってしまった。シチューの味を確認すると、まずまずといった感じ。アルは味が濃い方が好みなのを知っていたから少し濃い目の味付けにしてある。
 サラダも綺麗に盛り付けられた。ローストターキーはさすがに作れなくて、代わりにタンドリーチキンやローストビーフで代用した。
 テーブルに並べると中々に豪勢なディナーが出来上がった。外でイルミネーションの飾りつけをしている皆を呼ぼうと思った丁度その時、パンのタイマーが鳴った。
 オーブンを開くとイメージ通りにはいかず、膨らみ方も今一で、ショックを与えて型から外した時に焼成時間が足りなかったのか、ケービングを起こしてしまった。

「ううん。イーストが足りなかったのかな……? でも、ちゃんと本に書いてある通りに粉と混ぜたのに……。活性化させるお湯の温度が低かったのかな……? うう、もう作りなおしてる時間無いのに……」

 すると、別のオーブンに入れていたフランスパンのタイマーが鳴った。
 我が家には料理好きのソーニャがこだわりにこだわって購入した高性能なオーブンが三つある。
 慌ててオーブンから出すと、こんがりと焼けたフランスパンが出て来た。
 クープを入れる時にあんまり上手くいかなくて、ちょっと開きが歪になってしまったけれど、食パンとは違ってちゃんと焼く事が出来た。
 焼き立てのパンをテーブルに持って行くと、アル達が部屋に入って来た。
 アルはテーブルの上の料理を見ると歓声を上げた。ソーニャ達もいっぱい褒めてくれて、つい頬が緩んでしまった。
 ケーキが焼き上がるまではまだ時間があるから焼き上がりを待たずにパーティーを始めた。
 窓の外を見ると、アル達が飾りつけたイルミネーションが雪像とあいまって幻想的な光景を作り出している。
 
「食パン、失敗しちゃった……」
「パンまで作るのは予想外だし、味は悪くないわよ?」
 
 俺が食パンをガッカリした目で見ていると、マチルダが呆れたように一口食べて言った。

「でも、ちょっとじゃりっとするわね。捏ねる時に上手く材料が混ざってないわ。それに、捏ね上げ温度もちょっと高かったんじゃないかしら?」
「うん。だから、ホイロ時間がしっかり取れなかったんだ」
「最初に粉と材料を混ぜる時に中に空気を含ませるように……」

 ソーニャは料理については中々シビアだ。褒めてもくれるけど、駄目なところはしっかり駄目だししてくれる。おかげで失敗した原因が分かった。

「ありがとう、ママ。次は絶対上手に作ってみせるよ!」
「その意気よ。でも、本当にびっくりしたわ。料理の腕がぐっと上がってるんですもの」
「えへへ、ホグワーツの料理の本でしっかり勉強したんだー」

 エドやジェイクも美味い美味いと言って食べてくれた。少し硬めのフルーツケーキもまずまずの味で、俺の五人へのクリスマスプレゼントはどうやらまずまずの成功をおさめられたらしい。
 その夜はまたソーニャとジェイクに挟まれて眠った。二人の臭いを嗅いでいると凄く安心出来る。
 クリスマスの休暇が終わると、俺はまた泣いてしまった。二人との別れは身を裂かれるくらい辛い。アルや再開したネビルとハーマイオニーと一緒に談笑しながらホグワーツを目指す間も後ろ髪をひかれる思いだった。
 だけど、その思いも学校に帰ってハリーとロンと再会した途端に吹き飛んでしまった。

「ねえ、ユーリィ。ハーマイオニー。ニコラス・フラメルって知ってる?」
 
 そのハリーの言葉によって……。