第二十九話『彼と彼女の月夜語り』

「俺は責任を負わなきゃならない」

 茜色に染まる崖の上で、漆黒のタートルネックとピッタリとしたボトムスに真っ白なローブを羽織った赤髪の青年が山の向こうに沈んでいく太陽を見つめながら顔も向けずに告げた。表情は見えず、彼がどういう気持ちだったのかは分からなかった。

「やはり、私がやろう。お前は……未だ世界に必要な人間だ」

 赤髪の青年の後ろに立っている、線の細い青年が眼をきつく縛りながら言った。歳の頃は二十歳前後といったところか、濃色の狩衣をその身に纏い、長く美しい黒髪を首の後ろで括っている。狩衣を纏う青年の言葉に、赤髪の青年はニハッと笑みを浮かべた。

「アンタの方こそ必要だろ。俺は、アンタみたいに政治的な事とかは出来ない。だから、アンタに頼むんだ。放り出すんじゃない、アンタだから託せるんだ」

 赤髪の青年の言葉に、狩衣を纏う青年は僅かに虚をつかれた顔をすると、辛そうに顔を歪めた。

「託す……か。何と、重たい宿命を背負わせる男よ」

 狩衣の青年の言葉に、赤髪の青年は笑みをスッと引っ込めると、視線を僅かにずらして「すまない……」と呟いた。

「――謝るな。引き受けよう、お主の依頼を。私は……もう老い先短い身だ。次代を担う者達に光を与えてやる事が、先人の努めなのだろうからな」

 狩衣の青年はフッと穏やかな笑みを浮かべると、赤髪の青年に顔を向けた。

「ああ、残りの短き時間の全てをお前の願いに費やそう。だが、その代価を頂くぞ」

 狩衣の青年の言葉に、赤髪の青年はギクッと体を強張らせた。ギギギと音を立てる様に、まるでブリキの玩具の様な動作で汗を滝の様に流しながら、狩衣の青年に向き直った。

「普通、こういう時は無償で引き受けてくれるモノじゃないのか?」

 赤髪の青年の言葉に、狩衣の青年はハッハッハッハと腹の底から笑い声を上げた。

「私がそんなに善人に見えるか?」
「よっぽど度の合ってない眼鏡を三重くらいに重ねれば、見えない事も無い……かな」

 赤髪の青年の言葉に、狩衣の青年はフッと笑みを浮かべた。穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。

「――必ず生きて帰って来い」

 狩衣の青年の口から放たれた言葉に、赤髪の青年は身を強張らせた。

「それが、代価だ」
「それは、…………確かに重いな」
「お前は、自分の中で最も犠牲にしてはいけない者を犠牲にしようとしている。お前が私に重たい運命を背負わせるならば、私はお前にも重たい運命を背負わせよう。必ず、戻って来い。そして……責務を果たせ」

 狩衣の青年の言葉が、赤髪の青年の肩に重く圧し掛かった。あまりにも惨い事を言う――。
 赤髪の青年は、今直ぐにでも目の前の男を殴り倒したくなる衝動に駆られた。そんな事は不可能だと分かっている筈だ、と怒鳴り散らしたい。
 夕日が沈み、月が常闇に染まった雲の無い天空に姿を現した。その真ん丸なお月様を見て、赤髪の青年は顔を歪めた。空に向かって、力の限り大声で吼える。まるで、傷ついた獣の如く、何度も……何度も吼える。

「いいぜ。必ずだ。俺は約束を反故にしたりしない。必ず戻って来る。だから、後の事は任せるぞ」

 赤髪の青年の言葉に、狩衣の青年は薄く笑った。

「ああ、任せろ」
「じゃあ、俺は行くぜ。アイツの事、それに…………子供達の事を頼む」
「ああ、承ったぞ。サウザンドマスターよ」
「頼むぜ、狸爺ぃ」

 お互いに、意地悪そうな笑みを交わし合うと、ナギは姿を消した。

「全く、年寄りに無茶をさせる男よ…………」

 立ち去った男の残影から視線を逸らすと、銀色に輝く満月を見上げた。
 それは、冬の日の出来事だった。チラチラと降り続いていた雪が止み、遠くの大地で、魔力がぶつかり合うのを感じた。
 その時に、全ては始まったのだ。一人の男の、友人との口上だけでの……それでも、何よりも大切な約束を護る為に――。

 関西呪術協会の総本山は、それから連日慌しい毎日を送る事になった。
 総本山の修復と結界の張り直し、総本山の警護の見直しや、目撃者への対処。周辺魔術結社への対応などにも追われ、ネギ達は半ば追い出される形で修学旅行の宿に戻って来ていた。
 ただ一人、エヴァンジェリンは宿には来ていない。彼女は、麻帆良の代表として“関西呪術協会に迫り来た脅威に立ち向かった”という事になり、現在は関西呪術協会の総本山で関西呪術協会の長である近衛詠春と共に、今後の関西呪術協会と関東魔術協会の溝を薄める為の会談を行っている…………という事になっている。

 部屋の扉を誰かがノックした。一冊の本を間に置いて見つめ合っていた和美とのどかは慌てて返事を返して扉を開いた。
 そこに立っていたのはタカミチだった。

「高畑先生……?」

 和美が戸惑いながら名を呼ぶと、タカミチはフッと頷くと口を開いた。

「昨日は災難だったね」
「え? は、はい。って、どうしてそれをッ!?」

 タカミチの言葉に、和美は虚をつかれた顔をした。
 昨日の災難。間違いなく、それは昨日の事件の事だろう。火の玉が襲って来たり、奇妙な本が出現したり、楓が忍者だったり。
 誰も説明してくれないから溢れる疑問を抱えたまま、二人は寝る間も惜しんで論争を重ねていた。
 答えの出ない議論を延々と……。

「ついて来てくれ皆も集まっている」
「皆……?」
「今回の件……それから、これからの君達の事を話す必要があるからね」

 和美は、息を呑んだ。そして理解した。高畑.T.タカミチは昨日の事件に関わっていると。
 そして、連れて来られた部屋に居る面々は一人残らず同じ境遇なんだと。

「ネギっち達も……?」

 和美は、タカミチの部屋で居住まいを正して正座しているネギやアスナ達に目を丸くした。

「それじゃあ、今回の件についての説明をしよう」

 和美がのどかとネギの間に座ると、タカミチが説明を始めた。
 今回の始まりから、上空に現れた魔法陣、高淤加美神、それにネギ達の事も包み隠さずに全てを語った。

「――これが、今回の件の全貌だよ」

 タカミチの説明が終わると、誰も声を発する事は出来なかった。和美は眩暈を感じた。あまりにも馬鹿げた話じゃないか。
 王女様に魔法使いに魔法陣にドラゴンに吸血鬼に生きるか死ぬかの戦い。そのどれもが現実感に乏しく、そのどれもが昨日の事件を体験した和美には受け入れられてしまった。

「じゃあなに、そのフェイトって奴のせいで皆が危険な目に合ったって事?」
「か、和美さん」

 和美の遠慮の無い言葉に、アスナを見ながらのどかが恐々と和美の服の裾を掴んだ。

「下手したら友達が死んでたかもしれないんだよ? アスナの正体がどんな身分だろうと、ネギちゃんが魔法使いだろうと、そんな事友達なんだから別に構わないわよ。だけど、ソレは駄目でしょ! 友達が死にそうになったんだよ!? それを高畑先生は知ってたんだよね? そこのオコジョも、学園長も! 大事な事だったかもしれないけど、私の友達巻き込まないでよ!」

 怒りに満ちた和美の言葉に、タカミチは懸命に表情を殺した。そんな事は分かっていると叫びたかった。誰が自分の生徒をこんな危険な作戦に参加させたいと思うのだろうか。それでも、魔法使いであり、麻帆良の魔法先生であるタカミチには逆らう事など出来ないのだ。
 所詮は言い訳だった。結局、自分はその作戦を止めたりは出来なかったのだから。何度止めるように言っても聞き入れてもらえなかった。だから…………諦めてしまったのだ。
 カモも和美の糾弾に俯きそうになるのを必死に堪えた。

「すまない…………」

 押し殺す様な声で、タカミチが頭を下げた。深く、畳の床に頭を擦り付ける様に。

「それ……卑怯だよ、高畑先生」
「だけど、僕にはこれしか出来ない」
「情け無いね」
「朝倉ッ!!」

 幾らなんでも言い過ぎだ。アスナがキッと和美を睨みつける。
 タカミチがこんな作戦に望んで協力する様な人間か、そんな事は二年以上も担任と生徒として接している自分達なら分かるだろうと。だが、事件の発端が自分の身内だという事が、それ以上の言葉を紡ぐ事を許さなかった。

「うん、分かってる。ごめん、高畑先生。ちょっと、…………ムカつき過ぎた」

 和美は感情の見えない表情で頭を下げた。ネギ達は何も言えなかった。友達が死ぬかもしれない。本当の意味で、クラスメイトの死の危険を感じ取ったのは、クラスメイトと一緒に過ごし、実際に死の恐怖に立ち会った和美達の方なのだと理解して――。

「そ、それにしても、アスナさんが王女様だったなんて驚きですね!」
「そ、そうです! 驚きです!!」

 のどかが必死に話題を変えようと無理矢理な笑顔で言うと、和美に抱き抱えられた状態でそれまで黙っていたさよが彼女の気持ちを察して笑顔を作って話に乗った。

「昔だけどね。国も無くなったし、今は本当にただの神楽坂明日菜」

 ニシシと笑みを浮かべ言うアスナに、のどかとさよはいけない事をしたという表情になった。

「それから、君達はこれからどうする?」

 タカミチは和美とさよ、のどかに顔を向けて尋ねた。

「どうするって?」

 和美が代表して尋ね返すと、タカミチは告げた。

「君達は今回の件で魔術の存在を知った。本来なら、記憶を消去するなりの処置が必要になる」

 記憶を消す。タカミチの口から発せられたあまりにも物騒な言葉に和美は無意識に体を強張らせた。

「だが、君達が事件に関わったのは偶然じゃない」
「偶然じゃないって……?」
「君達には才能がある。魔術の才能だ」
「私達に……魔術の才能が!?」

 驚いて、和美はのどかと顔を見合わせた。

「あの状況下で異常に気がついた事が君達の才能の証明だ。だから、僕は君達に二つの道を示す」
「二つの道……」
「一方は、恐ろしい運命が待ち受けているかもしれない魔術の道。もう一方は、全てを忘れ、再び平穏な日々を取り戻す道」
「どうして、平穏な道だけじゃなくて、危険な道まで示すの?」

 和美が疑問を呈した。平穏な道があるなら、わざわざ危険な道を示す必要は無い筈だ。

「平穏な道というのは君達から記憶を奪う事だ。君達が体験した危機や修学旅行の思い出を消すという事なんだ。ただでさえ、僕達の計画で君達を危難に晒してしまった。この上、更に記憶消去など……」
「気が咎めるって訳ね」

 和美は軽蔑の眼差しをタカミチに向けながら考えてみた。
 魔術の道。冷静にその魅力的な道について考える。だって、魔術だ。絵本や漫画の世界の話が現実に目の前にある。気にならない筈が無い。
 元より、朝倉和美は好奇心旺盛な少女だ。こんな二択、考える余地すら無い。
 例え、理由はどうあれ、こうして選択肢を与えてくれた事には感謝するべきかもしれない。 
 和美が魔術の道を選ぼうと口を開き掛けると、楓が待ったを掛けた。

「和美殿。貴殿がどちらの道を選ぶつもりなのか、そして、その道を選ぶに至った気持ちは分かるでござる。しかし、これは本当に最後の選択なのでござるよ。ここから先、魔術の道に進めば、二度と普通の人間としての暮らしは不可能になるでござる」

 そして、真名が続いた。

「これは、魔術サイドでも一般人サイドでも無い人間としての忠告。魔術の世界を絵本なんかの夢に溢れた世界だとは思わない事だよ。例えば、ある程度の才能はあっても魔術をその歳から修得するのは難しい。教会に口実を与えて何かの拍子に攫われれば、二度と表に出られない体にされる。最悪殺される事もある。血生臭い戦場に駆り出される事もあるし、若手の魔法使いはそういう時に限って日本の特攻兵みたいに捨て駒にされる事もある。よく考えるんだ。どちらにしても、麻帆良に帰るまでは記憶は消せないんだ。時間がある限り悩んだ方がいい」

 真名の言葉に、和観達は表情を凍らせて息を呑んだ。

「私の場合は、コッチよりソッチの世界で生きたいってのに、親やシスターのせいでコッチを強制されてる。だから、ソッチで生きられる可能性があるのは羨ましい事だよ。引き返せる場所で、その時の感情だけで突き進んじゃうのはちょっとアレだよ?」

 美空も、苦々しい表情を浮かべながら忠告した。

「よく考えてくれ。こんな事を言う資格は僕には無いが……。家族の事や、自分の夢の事、そして描いてきた未来の絵に魔術の力は本当に必要なのか……と」

 タカミチの言葉に、和観達は押し黙った。
 引き返せる最後のチャンス。だが、それは同時に進む事の出来る最後のチャンスでもある。
 だが、今の感情のままに答えを出すのは危険だとも理解した。

「少し……考えてみる」
「私も」
「私もです」

 三人の答えに、タカミチは頷いた。

「それじゃあ、済まないけど僕はこれからまた総本山に行かないといけない。もう、事件は起きないだろうから残りの修学旅行を楽しんでいきたまえ。エヴァは今日は未だ無理だけど明日の朝になれば開放される筈だから、一緒に見物が出来る筈だよ。それと……、ネギ君」
「何、タカミチ?」

 突然声を掛けられたネギはキョトンとした顔をした。

「実はね、今度犬上小太郎が麻帆良に行く事になったんだ」

 さりげなく言ったタカミチの言葉が頭の中に染込むまでに数秒掛かった。
 その言葉の意味を理解すると、ネギは眼を見開いた。

「え……ええ!? 何で!?」
「実はね、今回の件と以前のネギ君との共闘の実績を踏まえて、関西呪術協会と関東魔術協会の橋渡し的な意味で小太郎君に関西呪術協会の者として麻帆良に来て貰う事になったんだよ。小太郎君は元々修行や任務なんかがあってキチンと学校に通った事が無いらしくてね。それも踏まえた上での措置だよ」
「小太郎が……麻帆良に」

 ネギは噛み締める様に呟いた。それまでの雰囲気が一新。アスナ達はニヤニヤと顔を隠しながら笑みを浮かべた。どんな状況でも、他人の色恋沙汰は蜜の味だ。

「それでね、この修学旅行が終わったら君達と一緒に新幹線で麻帆良に向かう手筈になってるんだ。それともう一つ。今日の昼頃に総本山にもう一度来て欲しいんだ。君の相続したナギ・スプリングフィールドの別荘に案内してあげるよ。それにはエヴァもついて行く事になっている」
「ねえタカミチ。それって私達もついて行っていい訳?」

 アスナが尋ねると、タカミチは目を丸くした。そして、懐かしそうに笑みを浮かべた。

「お姫様にそう呼ばれるのは久しぶりですね」

 タカミチの言葉に、アスナも目を丸くし、口元に手を当て頬を赤らめながら顔を逸らした。

「嫌だった?」

 横目でタカミチの顔を伺いながら聞いた。

「いいえ」

 タカミチは笑みを浮かべて首を振った。

「敬語は禁止。それと、何時もどおり明日菜君でいいよ」

 安堵の息を洩らすと、アスナは笑みを浮かべて言った。

「分かった。明日菜君達も勿論ネギ君が許可すれば構わないよ」

 タカミチの言葉に、木乃香や刹那もついて行く事になった。

「私も行っていい? ネギっちのお父さんって興味あるし」
「いいですよ。一緒に行きましょう」

 和美が尋ねると、ネギはニッコリと頷いた。
 のどかとさよもついてくる事になり、真名と楓、古菲、美空、超は既に予定を組んであって抜けられないからと言い遠慮した。

 太陽が丁度真上に来た頃、ネギ達は早めの昼食を摂った後に総本山近くでエヴァンジェリンと合流した。小太郎も興味本位でついて来た。さりげなくネギの隣で一緒に歩いている。
 総本山から歩く事二時間。嵐山の奥地にヒッソリと隠れた建造物が見えた。

「なんか秘密の隠れ家みたいねー」
「天文台がありますよ!」

 和美とのどかが称した様に、その建造物の屋上には大きな天文台があり、谷間に埋まっているかの様に地下が深く、森の木々に隠されたその建造物はまさに秘密の隠れ家の様だった。

「京都だからもっと和風かと思ったけど」

 アスナは建造物を見ながら呟いた。

「十年前にナギが失踪する直前に来た時以来だが……。木々が生い茂ってしまっているな」
「ん、どういう事だ?」

 エヴァンジェリンは詠春の言葉に首を傾げた。

「元々、ここはナギの日本に於ける重要な拠点だった。だから、強力な結界が張ってある。ナギが消息を絶って以降は誰も近づけなくなっていた。ただ、所有権は間違いなくネギ・スプリングフィールドに相続されているから、ネギ君が居れば入れる筈だよ」

 詠春はそう言うと、桟橋を渡ってナギ・スプリングフィールドの別荘の入口へと一同を導いた。

「さて、ネギ君。ここが、君の御父上の過ごした別荘だ」

 詠春は優しく微笑んだ。

「ここが……お父さんの過ごした別荘」

 別荘を見上げながら、ネギは搾り出す様な声で呟いた。そっと壁に手を触れる。ざらついた肌触りの壁を愛おしそうに撫でながら、ネギは息を大きく吸い込んだ。
 扉のノブを掴み、押し開いた。扉を潜ると、そこには不思議な空間が広がっていた。見上げるほどの高さを誇る本棚には、分厚く色鮮やかな本が幾つも並んでいる。そのどれもがラテン語やギリシャ語などの外国語で書かれている。階段や梯子が所々にあり、まるで迷路の様に入り組んでいた。
 まるで、導かれる様にネギは別荘の中に入って行った。後ろからアスナ達が続こうとするが、詠春によって止められた。

「もう少しだけ待ってあげてください……」

 その言葉に、好奇心が爆発しそうだった和美達の心が冷えた。自分達にとっては胸の躍る魔法使いの根城でも、ネギにとっては全く違う。行方不明のお父さんの住んでいた別荘なのだ。
 好奇心で荒らしていい場所では決して無いのだと、反省した。だが、一人だけがさっさと中に入ってしまった。エヴァンジェリンだ。エヴァンジェリンは、ネギの隣まで来ると、頭に優しく手を載せた。

「どうだ? 自分の父親の過ごした空間だぞ。そして、ここはお前の空間だ。だから…………我慢する必要は無い」

 その言葉は、最後の一押しだった。エヴァンジェリンは青銀の瞳を輝かせると、冷たい風によって別荘の扉を閉めた。呪文を紡ぎ、一瞬だけ光に包まれると、エヴァンジェリンの体は大人の姿へと変貌した。

「この姿なら、ちょっとは甘え易いだろう?」

 困惑した表情を浮かべるネギに、エヴァンジェリンはニヤリと笑みを浮かべた。
 そして、ソッとネギの頭を抱き締めると、ソファーに移動し、まるで赤子をあやす様な仕草でネギを抱きかかえた。

「エ、エヴァンジェリンさん……」

 顔を真っ赤にして身を捩るネギを、エヴァンジェリンは離さなかった。

「ネギ・スプリングフィールド。今日だけはとっ……特別だ。……ここに居るのは今は私だけだ。今だけは私に甘えろ」

 ネギの瞳が大きく見開かれた。そして、我慢の限界を超えた。
 エヴァンジェリンに抱きつき、肩を震わせてエヴァンジェリンの黒のワンピースに染みを作り出した。
 エヴァンジェリンはその事を気にも掛けずに、ネギの背中をポンポンと優しく叩いた。

「ネギ、お前はもっと他人を頼れ」

 エヴァンジェリンは、高く聳える本棚の本の背表紙を眺めながら呟いた。
 ネギの肩が一瞬震えたのを感じ取った。

「今回の件もそうだが、お前に責任の一端が無いとは言えない。だがな、その責任を必要以上に背負い込む必要は無いぞ」

 エヴァンジェリンはネギの震えた肩に視線を落として言った。

「それとも、それは誤魔化しているのか? 本当は、あの夜の再現を見たくないだけだから」

 ネギの体が面白いくらいに反応した。ビクッと体が震えた。

「心が壊れて、それでも涙を流しながら笑みを浮かべてお前を護り続けた姉の姿が重なるか?」

 エヴァンジェリンの言葉は岩を削る杭の様だった。

「アスナに助けを求めなかったのも、アスナに対してどこまでも負い目を持っているのも、神楽坂明日菜がネカネ・スプリングフィールドに似ていたからか?」

 ネギは息を吸う事が出来なくなった。心臓が大きく跳ね上がり、震えが止まらなくなる。
 違うと否定する事すらままならない。

「お前が必要以上に負い目を持っているのは、本当はアスナに目の前で死なれたくないからじゃないのか? ――あの夜の再現を見たくないから」

 心臓が早鐘を鳴らす。グルグルと頭の中がシェイクされているかの様に眩暈がしてくる。

「今のまま、誤魔化しを続けていれば、いずれはお前の気持ちがアスナにもバレルぞ。それに…………このままなら、お前の成長はここで止まってしまう。魔法使いは精神の強さによって成長する。自分の心を誤魔化している者に成長は望めない」

 エヴァンジェリンの言葉が毒の様にネギの心に染み渡り、苛んだ。

「いい加減、誤魔化すのは止めるんだな。一人でそのトラウマを克服出来ないなら、誰かに頼ってもいいんだ。私でも、木乃香や刹那でも、タカミチでも、……あの黒髪の坊やだってな」

 エヴァンジェリンは強くネギの体を抱き寄せた。

「お前は十歳の子供なんだぞ。少しは大人や周りの年上に甘えろ。子供の甘えは義務みたいなものだ。甘える事を知るからこそ、出来る事や分かる事がある。強くもなれる。甘えない事は強さじゃない。ただの停滞だ」
「エヴァン……ジェリンさん。私は…………」

 ネギの掠れた様な声が聞こえる。
 ネギの呟くような小さな声に耳を傾けながら、エヴァンジェリンはネギの髪を撫で続けた。

「甘える側から甘えられる側に変るまで、誰かに縋ってもいいんだ。わかった……な?」

 クッと笑みを浮かべながら、エヴァンジェリンはツンッとネギのオデコを突っついた。

「さて、そろそろ外で待ちくたびれてるだろう奴等を入れてやろう」

 ネギを離してフッと笑みを浮かべて言うエヴァンジェリンに、ネギは慌てて眼を擦ると、頷いた。

「…………はい!」

 扉を開くと、アスナ達はすぐにネギの泣き腫らして赤くなってしまった目元に気がついたが、誰も何も言わなかった。
 中に入ると、その不思議な空間に和美達は息を呑んだ。別荘の部屋を順番に見て回ると、様々な魔術用品や高級そうな調度品が幾つも置かれていた。

「ネギ!」

 小太郎が適当に開いた部屋の中を覗くとネギを呼んだ。

「どうしたの?」

 ネギが来ると、小太郎は部屋の中をチョイチョイと指差した。

「あ……」

 ネギが部屋を覗くと、そこには沢山の写真が並べられていた。
 アスナ達も部屋に入ると、並べられている写真を見た。

「うわっ、懐かしい写真があるわね……」

 アスナはその内の一枚を手に取った。そこには、幼少期の未だ神楽坂明日菜ではなかった頃のアスナの無表情とその頭に手を乗せるナギとガトウの写真があった。

「ナギ……、ガトウさん…………」

 その写真を手に取って、アスナは噛み締めるように名前を呼んだ。

「これは…………」

 エヴァンジェリンも写真の一つを手に取った。
 それは、エヴァンジェリンとナギが唯一、一緒に並んで写真を撮ったあの雪の村での写真だった。一枚はエヴァンジェリンのロケットの中に入っている。

「お前も…………持っていたのか」

 震えそうになりながら、エヴァンジェリンは微妙な笑みを浮かべ、満面の笑みを浮かべているエヴァンジェリンの頭に手を乗せているナギの写真を愛おしそうに抱き締めた。

「ネギ、これ見てみい」
「え?」

 ナギの写真を見ていたネギに、小太郎が一枚の写真を見せた。

「これって……エドワードさんと……お父さん!?」

 そこには、今と全く変らないエドワードと、満面の笑みを浮かべてVサインをしているネギと同い年くらいのナギの写真があった。

「そう言えば……エドワードさんの弟子だった時期があるんだっけ」
「その頃の写真なんやな」

 自分とは全く違う活発そうな写真の中の少年は、無邪気な笑みを浮かべていた。
 他にも若い頃の詠春の写真を見て刹那と木乃香が語り合い、のどかと和美、さよの三人も適当な写真を眺めた。

「この人がネギさんのお父様ですか」
「かっこいい人ですね」

 さよとのどかの言葉に、ネギは照れた。その後も、しばらくは写真の鑑賞会をした。

「この写真は……」

 ネギが一枚の写真を手に取った。
 そこには、十五歳の頃のナギ・スプリングフィールドとその仲間達の姿が映っていた。

「紅き翼の集合写真ですよ」

 詠春が言った。

「ナギの隣に立っているのはアルビレオ・イマ。反対側に立っているのが若い頃の私で、その隣がガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ。そして、後ろの大男はジャック・ラカン。ナギのすぐ手前に居るのはフィリウス・ゼクト。この方はナギの師匠で、彼が本当の意味で敬意を示したのはこの人くらいなものだったよ」
「お父さんの師匠ですか!?」

 ネギは自分とそう歳の変らない様に見える少年の姿を見て目を丸くした。

「私は会った事ないぞ」

 ネギに顔を向けられてエヴァンジェリンは顔を逸らした。

「ここにあるモノは皆ネギ君、君の物です。写真なりアルバムなりを適当に持ってて構いませんよ。魔道書の類もそれなりのがありますし」
「あ、はい!」

 詠春の言葉にネギは頷いた。
 それから、しばらくは各々で別荘内を散策した。さよとのどかは本棚の本を読もうとして、日本語の本が殆ど無い事に気がついてガッカリした。

「そう言えば、茶々丸さんはどうしたの?」

 アスナはソファーに座りながら目の前の本棚からラテン語の魔道書を手に取っているエヴァンジェリンに尋ねた。

「茶々丸は今は総本山で情報操作を行っている。実を言うと、あの時は茶々丸を呼んでも下手をすると無駄死にさせる事になるから上空に陣が敷かれた時にあの場に呼ばなかったが、昨夜はどうして呼ばなかったのかって怒られてしまったよ」

 クスクスと笑みを浮かべながら言うエヴァンジェリンは、どこか嬉しそうだった。

「本当に、最初の頃に比べると人間らしくなったよ」
「そっか」

 アスナは笑みを浮かべながら立ち上がると、近場の本を一冊手に取った。

「へえ、『古代魔術の理論第四版』なんて読んでたんだ」
「ん? お前…………読めるのか?」

 アスナの手に取っている本はギリシャ語で書かれていた。
 スラスラと読み進めるアスナにエヴァンジェリンは目を丸くした。

「未だ読めるみたい。あ~でも、幾つか忘れてる単語あるなぁ」

 アスナは頭を掻きながらイライラとした様子で言う。

「読めない字は私が教えてやろう。どれだ?」
「ここなんだけどさ……」
「ああ、これは――」

 アスナとエヴァンジェリンが本を読んでいる間、ネギは小太郎と木乃香、刹那、と一緒に写真を整理していた。
 その中には、鍋を囲んで詠春が仕切っている写真などもあった。

「あはは、ネギちゃんのお父さん叱られとるなぁ」
「その隙をついてラカンさんがお肉を食べてますね」
「てか、コッチのあんちゃんは何気に皿に肉がたんまり入っとるで」
「わぁ、タカミチが何だか幼いです」
「あ、ほんまや! 高畑先生可愛ええな~」
「この頃からガトウさんの真似をしていたのですね。髪型もお揃いにして」
「あのおっちゃん強そうやな。一回戦ってみたいで」
「さすがに小太郎でもタカミチには勝てないよ」
「何言ってんねん! 勝負はやってみなけりゃ分からへん!」
「せやけど、高畑先生は凄く強いんやで?」
「咸卦法に居合い拳、つまりは無音拳を巧みに操る魔法世界でも“立派な魔法使い”に今最も近い男と毎週雑誌のグラビアページを飾っている方ですしね」
「え?そうなんですか!?」
「高畑先生がグラビア…………」
「えっと……、お嬢様? 別に水着とか裸とかにはなってませんからね?」
「ほえ!? そ……そんなの当たり前やない。あはは…………」
「笑みが引き攣っとるで?」
「そ……そう言えば、ネギちゃんは高畑先生と昔からのお友達なんよね?」
「え、ええ。昔、素手で滝を割って見せてくれた事もあるんですよ」
「た……滝を素手でか…………。さすがに無理やな……」
「私も素手ではさすがに……。さすが高畑先生ですね」

 そんな感じに喋りながら大量の写真を見つけたダンボールに丁寧にしまっていく。
 ちなみに、エヴァンジェリンとアスナにはそれぞれ数枚写真を渡す事になっていて、その分は別にしてある。

「せや、ネギは明日も京都見学するんだよな?」

 写真をあらかた仕舞い終ると、小太郎が尋ねた。

「うん。ていうか、色々あってちゃんと遊ぶのって明日だけなんだよね」

 ネギが言うと木乃香と刹那もたははと乾いた笑みを浮かべた。

「せ……せやったらその……案内とかあったらちゃんと名所とか行けるやろ?」
「そうだね。だけど、ガイドさんをわざわざ雇うっていうのは…………」

 小太郎の言葉に、ネギが見当はずれな事を言うと、木乃香がクスリと笑みを浮かべた。

「ちゃうで、ネギちゃん。コタ君はネギちゃんに明日自分が案内してあげるって言いたいんや」

 木乃香の言葉に、ネギは体がカッと熱くなるのを感じた。
 小太郎も顔を真っ赤にして「お、おう」と言った。

「じゃ、じゃあ、お願いしていいかな? エヴァンジェリンさんも次は何時外に出られるか分からんないから楽しんで欲しいし」
「え!? ……あ、うん。…………任せとき」

 微妙にガッカリした様子の小太郎に、ネギはキョトンとした顔をした。
 刹那と木乃香は微笑ましげに苦笑いを浮かべた。

「代わりに麻帆良に戻ったら私が小太郎を案内してあげるからね」
「へ? …………お…………おう!!」

 ネギがニッコリしながら言うと、途端に小太郎は大喜びで頷いた。

「分かり易いですね」
「可愛ええなぁ」

 刹那と木乃香の言葉に、ネギは首を傾げているが、小太郎は顔を真っ赤にして木乃香と刹那を睨んだ。
 その頃、タカミチはさよとのどか、和美に魔法について講義を行っていた。

「つまり、魔法を操るにはラテン語やギリシャ語は必須だと……」

 のどかは可愛らしいウサギの絵が描かれている手帳に熱心にメモを取りながら聞いていた。

「その通り。基本的に今一番ポピュラーな魔法は始動キーを使って操る魔法が主流だ。それに、殆どの魔道書はその二つの言語が標準なんだよ。他にもヘブライ語や古代中国語、日本の古代文字なんかもある。象形文字やルーン文字で書かれたのもあるから、覚える事はかなり多いよ」
「うへぇ、そんなに勉強すんのやだなぁ」
「でも、魔法を覚えるためなら頑張れる気がします!!」

 和美がダルそうにしていると、のどかは眼から星が飛び出しそうな勢いで言った。
 その姿につい可愛いと思ってしまった和美は、のどかを抱き締めてソファーに寝転がった。

 夕方頃になり、帰る事になり、小太郎と詠春がネギの持ち帰る魔道書とアルバムを総本山に持ち帰って、郵送する事になった。
 別荘の中で記念写真を撮ると、エヴァンジェリンと小太郎、詠春の三人と別れ、ネギ、アスナ、木乃香、刹那、のどか、さよ、和美は宿への帰路についた。

 翌日、涼しい木々の合間を吹き抜けて髪を攫う風を感じながら、ネギとエヴァンジェリン、茶々丸、アスナ、木乃香、刹那は小太郎と一緒に鞍馬山に来ていた。
 雀の鳴き声に耳を澄ませながら、エヴァンジェリンは講釈を垂れていた。

「ここが彼の有名な源九朗義経が遮那王を名乗っていた時期に預けられた鞍馬寺だな。ここで、遮那王は天狗から八艘飛びを初めとした数多の妖術を学んだとされている」

 小太郎に義経縁の土地を案内させ、観光を堪能しているエヴァンジェリンはご機嫌だった。
 今まで観光ガイドなどで仕入れ続け、何時の日か見に来てやると闘志に燃えた夢が遂に叶い、自分の蓄えてきた知識を披露している。

「でも、実際在り得そうな話よね。天狗だって居たみたいな伝承が幾つもあるしね」

 アスナはご機嫌オーラを放ち続けるエヴァンジェリンを微笑ましそうに見ながら言った。

「八艘飛びなら、ワイもちょっとは出来るで」

 小太郎が不意に言うと、エヴァンジェリンは眼を見開いた。

「何!? 本当か、犬上小太郎!!」
「お、おう」

 ズズイッと押し迫るエヴァンジェリンに若干引きながら小太郎は頷いた。

「前にその…………師匠から習ったんや。昔、師から習ったんだって」

 そう言うと、小太郎は体を僅かに曲げた。息を小さく吐くと、小太郎は鞍馬寺の境内を縦横無尽に跳ね回った。まるで、黒い影が跳び跳ねているかの様に、木の上を駆け上ったり、凄まじい速度で移動している。

「これって、瞬動とは違うんですか?」

 ネギが不思議そうに小太郎の八艘飛びを見ながら首を傾げた。見た事も無い移動方法に戸惑っているのだ。扇の軌跡を描いて移動する影。その動きは全く未知の技術だった。

「あれは体術ですね。気や狗神、魔力を使わずに己が身体能力だけを使っている様です。なるほど、あれは隠密向きの技術ですね。気も魔力も感知されずに高速で移動できるのですから」
「たしか、牛若丸は八艘飛びを使って弁慶に勝ったんやで」

 刹那が八艘飛びの有利性を考察する傍らで、木乃香はネギに牛若丸の八艘飛びについて話した。

「壇ノ浦の戦いでも、義経は船から船へと八艘飛びで渡りながら次々に武勲を立てていったんや」

 木乃香の話を聞きながら、ネギは自動販売機で買ったコーラを口に含んだ。

「ま、あんま使う機会は無い技やけどな」

 戻って来た小太郎は肩を竦めながら言った。

「何せ平安時代の技だからな。さすがに千年の間に人の技術は比較にならない程進歩した。それは、科学という形だったり、魔法という形だったりな。魔力や気を使わなくても、今は高速で移動できる物は数多く存在している。科学技術の進歩は、嘗ては数歩先を行っていた魔法を後少しで追い抜きそうな所まで来ている。転移や天候操作、幻影魔術なども、そう遠くない未来に科学技術によってより、正確に、より安易に、より安全に使える様になるだろうさ」
「ワープに天候操作、ソリッドビジョン、嘗ては眉唾のSF小説の中の世界の話が、科学の力で実現している世の中ですから、そういったのも、もうそう遠くない未来には実現するでしょうね」

 エヴァンジェリンの言葉に、刹那は楽しげに笑みを浮かべながら言った。

「時々、そういった魔法の衰退に繋がる科学の発展を疎む者も居てな。そういった馬鹿の掃除も魔法使いの仕事の一つだ」

 困ったもんだとエヴァンジェリンは肩を竦めた。

「メンドイ奴がおるんやな。せやけど、影分身とか、昔の技も捨てたもんやないで。今でも現役バリバリや」
「そう言えば、小太郎の影分身って不思議だよね。どうやってるの?」

 ネギが尋ねた。

「ん、こう気を練ってやな」

 小太郎は自然体になると、まるでぶれた様に小太郎の体が二人に分裂した。

「こんな感じや」
「こんな感じや」
「うわ…………、小太郎の声がブレて聞こえる」
「うわってなんやねん」
「うわってなんやねん」
「う…………」

 二人の小太郎に睨まれてネギは後退した。

「小太郎…………ちょっと同じ顔で来ないで、不気味だよ」
「…………言うようになったやないか」

 目元をヒクつかせながら一人に戻った小太郎はネギを睨んだ。

「前に散々言ってくれたお返しだよ」

 ふふんとネギは悪戯っぽく笑みを浮かべた。すると、小太郎は面白くなく、ジト目でネギを睨んだ。

「ねちねち根暗な奴やなホンマに! 未だ根に持っとったんかい!?」
「な!? ね……ねちねちって……ひ、人にあれだけ言っておいて……」
「その後助けてやったやろ! それでイーブンや! やり返される謂れは無いで! この、根暗!」
「ま……また言った。また言ったね!! 根暗ってまた!!」

 小太郎の暴言に、ネギはガーッと両手を振り上げて叫んだ。小太郎は勝ち誇った顔で更に続けた。

「おうおう! 何度でも言ったるわ! 根暗! 根暗!」
「やめんか!!」

 さすがに、ネギが涙目になってプルプルと震え始めると、エヴァンジェリンが小太郎の頭に拳骨を落とした。

「痛ッテエエエ!!」
「ネギも、見せて貰って気味悪いとか言うんじゃないわよ」
「あうう……、ごめんなさい」

 ネギの頭をグリグリとしながらアスナが叱りつけた。ガミガミと叱りつけるアスナとエヴァンジェリンに、小太郎とネギはシュンとなってしまった。
 その様子を、茶々丸達は微笑ましげに見ていた。

「それにしても驚きましたね。ネギさんがあんな風に喧嘩するとは」
「歳が近いせいでしょう。ネギさんは十歳ですから」
「せやねぇ。十歳やから…………、え?」

 木乃香は茶々丸の言葉にキョトンとした顔をした。

「あの……茶々丸さん? 何か今……聞き捨てならない事を聞いた様な……」

 刹那が恐る恐る尋ねると、茶々丸は呆気無く言った。

「ネギさんは十歳ですよ。ですから、十三歳の小太郎さんの方が、お二人よりも歳が近いのです。それ故、気安くもあるのでしょう」

 茶々丸の言葉に、木乃香と刹那は目を丸くした。

「って、ほんまにネギちゃんって十歳なん!? 聞いてへんで!?」
「というか、じゃあ何で中等部に!?」

 茶々丸は木乃香と刹那の質問に答えた。基本的にネギが何の目的でそもそも麻帆良に来たのかなどを。

「そ……そうだったんですか。今更ですが、理解しました」
「そっかぁ、ネギちゃん十歳やったんか。なんや、色々と納得がいった気がするで」

 その頃、こってり絞られたネギと小太郎はお互いに謝って頭を押えていた。

「うう……頭が痛い……」
「の……脳天に雷が落ちたかと思ったで……」

 涙目になる二人に、エヴァンジェリンとアスナがギロリと睨みつけた。

「というか、エヴァンジェリンさんとアスナさんのお説教が妙に板に付いているというか……」

 刹那が言うと、茶々丸は事も無げに言った。

「まあ、マスターは600歳超えてますし、アスナさんは実質みそ――ッ!?」

 茶々丸が言い切る前に、茶々丸の目の前にエクスカリバーが真っ直ぐに地面に突き刺さった。
 あまりの事に絶句し固まる三人に向けて、アスナが凄惨な笑みを浮かべて言った。

「それ以上言ったら……ね?」

 ビキビキと拳を握りながら言うアスナに、木乃香と刹那、茶々丸はコクコクと頷いた。
 言った瞬間に殺されると本能が悲鳴を上げている。

「小太郎!」
「へ、へい!!」

 ガクガクと震えている小太郎に、アスナは顔を向けた。

「そろそろお昼だからおいしいお店案内しなさい」
「りょ……了解!!」
「あ、待ってよコタロ~」

 小太郎はアスナに命じられるままに走り出した。ネギは慌てて小太郎を追う。

「年齢の話はタブーですね……」

 刹那が微妙に顔を引き攣らせながら言うと、茶々丸と木乃香はカクカクと頷いた。

 エヴァンジェリンが京会席を所望し、ネギ達は鴨川を下って先斗町にやって来た。
 鴨川を見下ろすかたちでベランダのような場所で豪華な京会席に舌鼓をうつ。

「下に流れる禊川の川のせせらぎが心を落ち着かせるな」

 エヴァンジェリンは新鮮な刺身に口に含む。

「せやけど、良かったんか? その……ワイまでご馳走して貰って……」

 小太郎はわずかに緊張した様に言った。

「構わん。案内の駄賃だ。詰まらん事を言わずにこの美しい景観と料理を堪能しろ」

 優雅な仕草で天ぷらを食べながら言うエヴァンジェリンに、小太郎はお礼を言った。
 とはいえ、さすがに一万円以上も奢られては緊張してしまうというものだった。
 刹那と木乃香は慣れている様で、アスナも珍しそうにしてはいても、気後れはしていなかった。
 ネギだけは、やはり少し気後れしてしまっていた。それに気がついて、エヴァンジェリンは苦笑した。

「気にする必要は無い。どうせ、使う事など殆ど無いんだ。こういう機会にお前達に美味い飯を食べさせるのも悪く無い。私の弟子たるもの、味オンチは頂けないからな。ちゃんと味わって味を学べ」
「は……はい!」

 ネギと小太郎は同時に返事を返すと、漸くスムーズに食べ始めた。

「これなんだろ?」

 ネギは白い不思議な食べ物を箸で取りながら首を傾げた。

「エビか……何やろ?」

 小太郎も試しに口に入れてみた。だが、カリカリとしているが、味わった事の無い味だった。
 不思議そうな顔をする二人に、茶々丸は微笑をもらしながら、味を解析していた。こういう機会に、データベースに京都の料理を登録しておこうと思ったのだ。今度は何時になるか分からない以上、家でくらいは京都を感じてもらう為に。

「せっちゃん、ご飯粒ついとるで?」
「え、本当ですか!? ……不覚です」

 落ち込みながらご飯粒を取ろうと箸を置く刹那を制して、木乃香が刹那の頬についたご飯粒を取ってそのまま口に入れた。

「こ、このちゃん!?」

 顔を真っ赤にして慌てる刹那にクスクス笑みを浮かべながら木乃香は何事もないように食事を続けた。

「順調に進展しているな」
「挙式も近いかしら」
「式には呼んで下さいね」

 その様子を眺めながら、エヴァンジェリンとアスナと茶々丸は口々に言った。

「ちょっと――ッ!!」

 刹那は顔を真っ赤にして騒ぐが、誰も気にも留めなかった。

「あの二人付き合っとるんか」

 小太郎は刺身を食べながら言うと、ネギが顔を寄せてきた。

「うん、とっても仲が良いんだよ」

 微笑みながら言うネギに、小太郎は顔を真っ赤にして
「さ、さよか!」
と言った。

「付き合ってないですよ!!」

 刹那が何かを叫んでいるが、皆食事を続けた。

 再び、観光を再開して、ネギはエヴァンジェリンらと共に小太郎に京都市内を案内されている。
 ネギ達が今居るのは映画村だ。行き交う人達の殆どが仮装を楽しんでいる。ネギ達も思い思いの仮装を楽しんでいた。
 小太郎はすぐに黒い着流しを着て、腰に脇差を差して出てきたのだが、ネギ達が中々出てこないせいで待ち惚けをくらってしまった。
 衣装屋の近くの茶店で団子を食べながら待っていると、エヴァンジェリンと茶々丸とアスナが出て来た。

「ヤッホー、お待たー」
「お待たせしました」
「よーやっと、出て来おった……」

 三十分以上も待たされて団子の串が積み重なって山になっている。お茶を啜りながらエヴァンジェリンとアスナにも団子を勧める。
 茶々丸は食べないのでそのまま茶店の椅子に腰を下ろした。茶々丸は昔の日本の使用人の様な着物に前掛けを着けた格好をしている。

「お、すまんな。……ん、うまい!」

 エヴァンジェリンは団子を一気に平らげると頬を綻ばせた。

「やっぱ、団子は醤油よね~」

 オレンジ色の村娘衣装のアスナが満面の笑みを浮かべて頬張った。

「いやいや、蓬と餡子の巧みなバランスは中々のものだぞ」

 チッチッチと舌を鳴らして、白いゴシックドレスにレースの傘をさしたエヴァンジェリンが緑の蓬の団子を新たに小太郎の皿から取って食べた。外国人二人の団子批評を聞きながら、小太郎は衣装屋に視線を送った。
 丁度、刹那と木乃香も出て来た。刹那は新撰組の衣装を身に纏い、木乃香は豪奢な着物を着ている。まさしく、姫と姫を護る騎士といった様子だ。
 その後ろから、桃色の桜の絵柄の着物を着て、髪を櫛で結い上げたネギが出て来た。
 ちなみに、カモはタカミチと行動しているので今日は一緒に居ない。
 小太郎はついポカンとした表情で眺めていて団子を落としてしまった。その様子を目敏く見つけたアスナとエヴァンジェリンがニヤニヤと笑みを浮かべた。

「どうした、可愛いの一言でも言ってやれ」
「そうよ~。ネギには積極的なモーションが必要よ」
「うっさいわ、おばはん共!!」

 辺りに鈍い音が響いた。

「痛ッ――――」

 頭に大きなタンコブを二つ乗せて小太郎はあまりの痛みに言葉も出なかった。

「ピチピチの“女子中学生”に何言ってんのよ、まったく」
「全くだ。私達は“中学生”だぞ」
「実年齢は三十路と600歳で十分おばはッ――!!」

 最後まで言い切る事無く、修羅の如きの表情を浮かべる二人の鉄拳が真っ直ぐに振り落とされた。

「うおおおおおおっ!!」

 頭を触ると痛いから抑える事も出来ず、小太郎はプルプルと震えながら頭のタンコブに風を送った。

「だ……大丈夫?」

 ネギが心配そうに声を掛けるが、痛すぎて返事を返す事も出来なかった。

「何故、地雷と分かってて足を踏み入れるんでしょう……」

 呆れた様に言う刹那に、木乃香はキランと瞳を輝かせた。

「せっちゃん。押しちゃ駄目って書いてあるボタンが目の前にあったらどないする? 押すやろ?」
「え? 押しませんけど……」
「せやから、せっちゃんには分からないんよ!」
「ええっ!?」

 いきなり突き放す様な事を言われてアタフタする刹那の様子に満足気に笑みを浮かべながら、木乃香はネギ達の近くに行った。

「ウチもお団子食べてええ?」
「え……ええで~」

 まだ痛むのか、頭を押えながら涙目で皿を寄せる小太郎に
「おおきに」
と言って木乃香は団子を頬張った。

「小太郎、お店の人に氷嚢作って貰ったから、頭に乗せるといいよ」
「おう、サンキューな」

 氷水の入った袋を頭に乗せて一息吐く小太郎の横に座って、ネギもお団子を食べた。
 そのネギの姿をチラチラ盗み見ながら小太郎は何かを言おうとしてはネギが首を向けると凄い勢いで反対側を向いた。
 怪訝な顔をするネギに、小太郎はあ~~~~とかう~~~~~とか唸りながら頭を抱えた。

「だ、大丈夫……?」

 頭が痛くて唸っていると思ったネギが心配そうに声を掛けるが、小太郎は頭を抱えたまま唸り続けた。

 扮装写真館で記念写真を撮影して、映画の撮影を見物した。

「お~~!! あれは有名な時代劇俳優じゃないか!! 後で、サイン貰えないかな……」
「後で聞きに行ってみよ」

 目を輝かせながらチャッカリサインを書いて貰うための色紙を用意しているエヴァンジェリンに、木乃香が言った。その後、何とかサインを貰えてホクホクと笑みを浮かべた

「良かったですね、マスター」
「ああ、このサインは汚れがつくと不味いな、ちょっと待ってろ」

 エヴァンジェリンはそう言うと、一瞬だけ路地の暗い影に隠れた。直ぐに戻ってくると、その手には色紙は無かった。

「転移でログハウスに戻した」
「転移って便利よね、私も覚えたいな」

 アスナが呟くと、エヴァンジェリンは肩を竦めた。

「私のは能力に近いんでな。教えられんぞ」
「う~ん、消すのは得意だけど、使うのはからっきしだったしな~」

 アスナはしょぼんとすると、視線の先にある看板を見つけた。

「お! お化け屋敷だ!! あれ行こうよ!」

 駆け出すアスナを追い掛けると、エヴァンジェリンは説明書きを読んだ。

「何々、東映の俳優が演じているリアルな怨霊達があなたを待ってます……。むむ、この俳優は!! 行かねばなるまい!!」
「エヴァンジェリンさんって俳優とかに興味あったんですね」

 刹那はエヴァンジェリンの意外な一面を垣間見た気がして呟いた。

「マスターは時代劇が大好きですから。特に水戸黄門や暴れん坊将軍などの名作はシリーズ全てのビデオやDVDを所有しています」
「エヴァンジェリンさんって、時代劇が好きだったんですか」

 ネギも驚いた様に言った。

「まあ、暇を潰すのにテレビというものは最適ですからね。最近では衛星第二でやっている韓国の冬のソナタというドラマにもハマッっていて、よく夜更かしをなさって少し困っています……」
「そういや、おばはん世代に大人気やもんな。アスナの姉ちゃんもハマるんちゃうか?」
「ねえ小太郎……。君って懲りない人だよね……」

 ネギは背後に忍び寄る阿修羅と小太郎から顔を背けて言った。その直後、この世のものとは思えない断末魔の叫びが轟いた――。
 フラフラしている小太郎に手を貸しながらお化け屋敷に入り、迫真の演技の怨霊達につい肝を冷やした。小太郎がう~う~唸っているせいで微妙に台無しだったが……。

 それから、一行は手裏剣道場に向かった。
 ネギは手裏剣を力いっぱい投げるが、的に届きもしなかった。エヴァンジェリンとアスナは面白がって投げていて、的を手裏剣で粉砕し、店の人に怒られた。
 ナチュラルに他人の振りをしながら、刹那は木乃香に手裏剣の手解きをしている。制服が同じだからあまり意味は無いが……。
 小太郎はネギの隣で手裏剣を構えた。

「へへ、見てろ」

 シュッと手裏剣をブーメランの様に投げると、放物線を描いて見事に的の真ん中に突き刺さった。

「凄い!」

 感激するネギに、小太郎は嬉しくなった。

「よっし、今度はこうや!」

 今度は三枚の手裏剣を一瞬の内に投げる。三枚すべてが違う放物線を描いて的の真ん中に見事に命中し、前から見ると上向きの矢印の様に見えた。

「よ~し、私も!」

 ネギも小太郎の真似をするが、全く掠りもしなかった。

「ほれ、こうするんや」

 ネギの後ろに立つと、小太郎は緊張しながらネギの手裏剣を持つ手に自分の手を添えた。

「ふえ!?」

 驚いて小さく悲鳴を上げるネギに、小太郎は「悪ぃ」と言って離れようとするが、ネギが首を振って留めた。

「ううん。教えて?」
「お、おう!」

 二人して顔を赤くしながら、小太郎はネギの身体を抱き締める様な格好でネギに手裏剣を投げさせた。
 真ん中では無いが、手裏剣は放物線を描いて的の右端ギリギリに命中した。

「やったな。こんな感じや。力むんやのうて、軽く投げればええんや」
「うん」

 ちなみに、茶々丸は的に見事な十字を手裏剣で描いて周囲から喝采を浴びていた――。
 怒られて肩を落としているアスナとエヴァンジェリンと共に、ネギ達は射的や矢場を楽しみ、手相を見てもらった。
 最後に清水焼の体験をする頃には、アスナとエヴァンジェリンも元気を取り戻していた。

 夜――。
 赤い髪の少女と黒い髪の少年が二人並んで歩いている。ネギと小太郎だ。
 空は宵闇に染まり、街灯が光を灯し始めた。二人が歩いているのは宿を少し離れた場所にある渡月橋。夜空には満天の星空が広がり、満月が銀色に輝いていた。

「水面に移る月を見下ろすのも趣きがあるね」

 立ち止まって、橋の下の川に映り込んだ銀色の盆を見下ろしながらネギが呟いた。
 静かに流れる川のせせらぎを聴きながら、微妙に形を変える月の姿を陶然と眺めている。
 小太郎は橋の柵に背中を預けて月を見上げた。

「偽者より、ワイは本物の方が好きや」

 ぶっきらぼうな小太郎の物言いに、ネギはクスリと笑みを洩らした。
 流し目で小太郎を見つめながら、ネギははにかんだ笑みを浮かべた。

「本物の月よりも心に描いた月の方が綺麗なんだよ」

 ネギの言いたい事が、小太郎には分からなかった。小太郎の表情に当惑の色が浮かんでいるのを見ながら、ネギはクスリと微笑を零す。

「今日は楽しかったね」
「…………せやな」

 ネギの言葉に小太郎は小さく息を吐きながら応えた。
 昼間はずっとネギと彼女の友人達に京都中を案内して回った。沢山の寺院や神社を見て回り、映画村で仮装を楽しんで写真を撮影した。
 だが、実際のところ、楽しかったのは確かだけど、小太郎は不満だった。二人で話す時間が殆ど無かったからだ。
 夜になって、ネギ達の泊まっている宿屋に帰ってくると、小太郎は溜息交じりに帰ろうとした。すると、後ろから声を掛けられた。赤い髪の自分より小さな少女が自分を呼び止めた。つい、嬉しくて笑みが零れそうになって顔を背けて、この場所まで歩いて来た。

「ありがとね。小太郎のおかげだよ」

 つい見惚れてしまいそうになる笑みを浮かべる少女に、小太郎は慌てて顔を背けた。

「お、おう。気にすんな」

 素っ気無く返す小太郎に、ネギは小さく頷いた。それからしばらくの間、二人は互いに何も口に出さずに押し黙った。
 実際の所、小太郎は何でもいいから話をしたかったが、何を言えばいいのか分からなかったのだ。ネギは、僅かに顔を俯かせながら物思いに耽っている様だった。
 大きく息を吸い込んで、声を掛け様とした矢先に、ネギが唐突に口を開いた。

「小太郎……」
「ん?」

 ネギは小太郎の名前を呼んだ。小太郎は横目にネギを見た。

「小太郎は、誰かを憎んだ事ってある?」

 ネギの口から、およそ不似合いな言葉が飛び出てきた。
 小太郎は僅かに驚いてネギの顔を見る。それから、思い出す様に呟いた。

「ある…………で」

 小太郎は、過去の痛みに目を細めた。

「俺の師匠で、俺の兄貴で、俺の親父や」
「師匠で、お兄さんで、お父さん?」

 キョトンとするネギに、小太郎は肩を竦めた。

「ワイな、両親の事は知らないんや。ただ、気がついたらアイツとおった。狗神の操る術を教えてもらった。忍術や気の使い方も習った。アイツは、親父で、兄貴やった。いつか、アイツを追い越して、ワイの事を一人前や認めさせるんが夢やったんや」
「……………………」

 小太郎の呟くような言葉に、ネギはジッと黙り込んだまま聞いた。

「冬の日やった…………。アイツはいきなり里を滅ぼした」
「え?」

 小太郎の言葉に、ネギは言葉を失った。

「全滅やった……。ワイだけ生き残って、千草の姉ちゃんに拾われたんや」
「お兄さんは……?」

 ネギが怯えたようなかぼそい口調で尋ねた。小太郎は冷ややかな口調で答えた。

「変な連中と一緒にどこかへ行った。今、何処で何してるんか分からへん。せやけど、ワイは必ずあの野郎をこの手で殺す。そんで、狗神を後世に伝えるんや」
「そっか…………」

 小太郎の言葉に、ネギはただそれだけを呟くと下を向いた。足の先を見つめている。

「お前はどうなんや?」

 小太郎が尋ねると、ネギは少し間を置くと、顔をゆっくりと上げて小太郎を見つめた。ただ、ジッと見つめた。
 小太郎は居心地が悪くなった。動悸が高まり、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「私はね、…………皆が憎いの」
「…………は?」

 ネギの言葉に、小太郎は耳を疑った。

「何言って…………」
「やっぱり、小太郎と私は違うんだね」

 ネギは視線を小太郎から外した。ボンヤリと虚空を彷徨わせ、溜息を吐いた。

「エヴァンジェリンさんに言われてね、気が付いたんだ。私は、私が原因の癖に、あの日に私を護って死んでいった人達が憎かったんだって…………」

 ネギのそれは、独白だった。小太郎は黙って耳を傾けた。

「自分が許せないとか、そういうんじゃないんだなって、分かった。どうして、私なんかを護って死んじゃったの? っていうのも違う。ただね、私に背負わせないでって思ってたの。私は小さいから…………」

 小太郎が何かを言おうとすると、ネギは首を振って制した。

「年齢や、背の話じゃないの。器の話……。私は自分の事で精一杯なんだよ。誰かの命なんて背負えない」
「…………阿呆やな、自分」

 え? とネギが声を上げる。小太郎は呆れた様に溜息を吐いた。
 何を言い出すかと思えば、そんなのは当然の話なのに――。

「当たり前やろ、そんなの。ワイかてそうや。ワイとお前が違う? んな訳あるかい! 人間一人が背負えるんはな、自分だけなんや。そんなの、器の大きさなんて関係無い。護られて、生かされて……。そんな事より、あの日、あの場所で一緒に死なせてくれた方が良かった。そんなの、ワイかて同じや」
「……………………」

 ネギは言葉を紡げなかった。小太郎はネギの瞳を見つめる。

「せやから、責任を果たすんや。誰かの為じゃない。ワイ自身の為に、敵を討って、死んでいった奴等が確かに存在したんやって証を残す。それで、漸く解放されるから。生かしてくれた奴等から受けた呪縛から、解放されるから」

 小太郎は鼻で笑って見せた。

「綺麗事を並べて安心するのも、汚い言葉で罵って嫌悪するのも、同じ事なんや。だけどな、助ける事は出来るんや」

 小太郎の笑みに、ネギはトクンと胸の内で熱いなにかが込み上げてくるのを感じた。

「お前が倒れそうになったら、ワイが助けたる。そんで、余裕が出来たら感謝してみい。今度こそちゃんと、生かしてくれた奴等に心からな。前に言ったやろ?」
「…………え?」

 小太郎は真っ直ぐにネギの瞳を射抜いた。

「お前が前に踏み出す障害は、ワイが取り除いたるって」

 小太郎の言葉が染み渡る。暖かく、優しく心に安らぎを与える。心臓が高鳴り、夜の冷たい風が心地良く感じる。
 ネギは自然と笑みを零した。

「それって、誰かの受け売り?」

 ネギの言葉に、小太郎は呻いた。どうやら図星らしい。

「結局前を見てなかったんや。自分を残して死んだ奴等の事や、アイツを恨んで。そん時にな、知らないおっさんに言われたんや。『背負ってしまったなら、責務を果たして降ろしてしまえばいい』ってな。何時までも背負ってるんは、背負わせた方にとっても馬鹿らしい事なんやって」

 小太郎は恥しそうに頬を赤く染めながら言った。そんな姿がおかしくて、ネギはクスクスと笑った。
 小太郎が怒るが、そんな事お構い無しに。

「過去は忘れない。それでも、前に向かって歩かないといけない。ねえ、小太郎」
「なんや?」

 笑われた事に憤慨している小太郎にネギはクスリと笑みを浮かべた。

「ううん。何でもない」
「何やそれ……」

 クスクス笑うネギに、小太郎は憤慨する。小太郎が怒る度に、ネギは更に笑う。
 そうしている内に、小太郎も自然と笑い始めた。
 二人して笑い合う。

「小太郎、これから改めてよろしくね」

 小さく拳を握り、ネギは前に突き出した。小太郎も笑みを浮かべて軽く拳を握り、ネギの拳に軽くぶつける。

「よろしく頼むで、ネギ」
「そろそろ宿に戻らなきゃ」
「せやな……。また、明日な」
「うん、また明日」

 二人は今更になって照れながら手を振って別れた。
 部屋に戻ると、何故か真っ青になり力尽きているオコジョと「若いっていいなぁ」と言いながらお茶を飲んでいるアスナとエヴァンジェリンと、そのお茶を淹れている茶々丸と、顔を火照らせながら手を握り合っている木乃香と刹那が居た。
 困惑するネギに、誰も理由は教えてくれなかった。

 翌日の朝、宿で最後の朝食を食べて、3年A組とタカミチ、新田はバスに乗り込んだ。
 タカミチと話す機会を得て、話を聞くと、順調との事だった。フェイトに関しては、麻帆良に帰ってからとはぐらかされ、アスナの表情が僅かに翳ったのをネギは見た。
 京都駅に到着し、京都タワーに登って最後の記念撮影を行う。ネギはアスナと木乃香の間だった。そして、一同は麻帆良学園へと戻って来た。

 修学旅行翌日の深夜、学園都市に存在する巨大な樹――『神木・蟠桃』と呼ばれる、通称世界樹の最深部に存在する遺跡の中央の魔法陣にフェイトは寝かせられていた。
 その隣には濃色の狩衣を身に纏った黒髪の二十歳前後の青年が立っていた。さらにその後ろには真っ白なローブで身を包んでいる黒に近い紺色の髪の青年が立っている。

「どうですか?」

 ローブの青年が狩衣の青年に問い掛ける。

「予想通りの様だ」
「【創られた人】である彼がこの世界(ムンドゥス・ウェトゥス)で過ごすには造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)が必要でした。それが無くなった今、彼はこちらに長く留まれば……」
「それを何とかするのが我等の仕事だ」

 狩衣の青年はそう告げると、朗々と呪文を唱え始めた。

「今年は大発光の周期が早まる程に潤沢な魔力が世界樹に宿っていますし、アレの魔力を使えば……」

 呪文を詠唱し終え、濃色の狩衣の男は魔方陣に膝をつき、掌を魔方陣に添えた。途端、地面に刻まれた魔方陣全体が輝き始めた。
 遺跡全体が光の海に包まれた。地上では一般人の目にも世界樹が発光しているのが目撃されている事だろう。それこそ、世界中の意識を変革させる程の強大な魔力が空間を埋め尽くした。

「これだけの魔力を全て使っても一人分か……」

 徐々に光が収まっていく。フェイトの躯を徐々にナニカが覆い始めた。卵子(からだ)が精子(いのち)を覆う様に――。

「安定してくれればいいのだが……」
「魔素を実体に変換していくのは幻想を現実に変えようとするのと同じ事。かなり危険な賭けですよ」
「分かっている……が、これ以外に救う手が無い」

 二人の男は琥珀のように黄金の繭に包まれたフェイトの様子を見守り続けた――。

第二十八話『破魔の斬撃、戦いの終幕 ――決着を着ける女王の剣――』

 総本山の外の森に現れた巨神と戦うアスナの姿を見て、ネギは思わず飛び出そうとしたが、エヴァンジェリンが制止した。

「どうしてですか、エヴァンジェリンさん!?」
「手を出すな……。アレは神楽坂明日菜(アイツ)の戦いだ。無粋な真似は師として許さん」
「でも――ッ!」

 アスナが巨神の剣によって吹き飛ばされ、真上を通過して巨神と反対側の山の斜面に激突し、巨大なクレーターを作り出した。
 ネギだけでなく、刹那も夕凪と建御雷を構えて飛び出そうとした。

「言った筈だぞ。無粋な真似をするなと」

 底冷えするような声と共に、エヴァンジェリンの手から光の剣が刹那の目の前に伸びた。

「それに見てみろ」

 エヴァンジェリンはアスナがぶつかった山の斜面に視線を向けた。

「あの程度でくたばるような甘い鍛え方を茶々丸がする訳なかろう」

 クレーターからアスナが飛び出した。その手に握る聖剣に眩い光を発しながら。

「お前は神楽坂明日菜が信じられんのか?」
「明日菜さんを……信じる……」

 エヴァンジェリンの言葉に明日菜の言葉が甦った。

『私は自分の意思でネギを助けたの。助けたいと思ったから。だからさ、もっと私を頼って欲しいの』

 ネギは今まで自分が明日菜を巻き込んでしまった引け目を感じていた。だから、自分から明日菜を頼ろうとしなかった。

「神楽坂明日菜(アイツ)はお前にとって何だ? 護らなければいけないか弱い存在か?」
「明日菜さんは……私にとって……」

 もう何度も一緒に苦難を乗り越えて来た。その時間の中で彼女をどういう存在だと自分は思って来たのか……。
 エヴァンジェリンは言った。答えは明日菜の言葉の中にあったと。

「ああ、そうか……」

 ネギはポケットの中から一枚のカードを手に取った。初めて麻帆良学園に来た時に泣いていた自分を助けてくれた存在。危険を承知で一緒にエヴァンジェリンに立ち向かってくれた存在。
 刹那の時は刹那の命を助ける為だった。木乃香の時は木乃香が刹那と共に戦う為に力を欲した為だった。
 なら、明日菜の時はどうだった? 明日菜の時だけは“一緒に戦う為”だったではないか。

「明日菜さんは私の――」
『ピンチなら私を呼んで欲しかったって言ってるの! だって、私はパートナーである前にネギの友達なんだから!』
「――大切な友達で……パートナーなんだ」

 明日菜のカードの上にネギの涙が零れ落ちた。今迄一緒に戦って来たパートナー。今、そのパートナーが懸命に戦っている。自分の思いをぶつけ、フェイトの思いを受け止める為に。
 そんなパートナーに自分のすべき事は助けに行こうとする事じゃない。

「がんばって、明日菜さん!!」

 心の底から応援した。ただ、明日菜の勝利を信じて。

「大丈夫だよ。明日菜君は絶対に勝つ。あの娘が強い事はよく知っているだろう?」

 タカミチがネギの頭に手を置いて優しく言った。ネギは頷いた。ネギだけではない。刹那と木乃香も頷いた。知っているから。神楽坂明日菜は誰よりも強い事を。

「そういえば、茶々丸はどうしたんスか?」

 空気を打ち破るように美空がエヴァンジェリンに尋ねた。

「ん? ああ、茶々丸はクラスの護衛の方に向かわせたよ。あとでこっちに来させるさ。それより、詠春」
「ええ、皆さん、今回の件についてお話しますね」

 詠春の言葉にネギ達は顔を向けた。詠春は今回の事についての説明を始めた。

「まず、何から説明しましょうか……。そうですね、まずは彼女……神楽坂明日菜という少女について話しましょう」

 詠春の言葉にネギ達は固唾を飲んだ。知りたい事はたくさんある。フェイトが言った、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアという名前。それに姫様という言葉。ナギに助けられたという話。疑問はいくらでもあった。

「既にお気づきかと思いますが、彼女はとある国のお姫様でした。彼女は彼女の持つ特別な力……【完全魔法無効化能力】を戦争の道具として扱われていました」
「戦争の……道具?」

 想像もしなかった言葉にネギ達は呆然とした。

「こことは違うもう一つの世界……【魔法世界(ムンドゥス・マギクス)】と呼ばれる世界では昔、大きな戦いがあったのです。彼女の国である【ウェスペルタティア王国】も闘争の渦中にあり、彼女の力は戦争に利用されていたのです。当時、ネギ君の父君であるナギ・スプリングフィールドはその事に憤りを感じていました」
「父さんが……」
「私を含め、ナギが率いたパーティー【紅き翼(アラルブラ)】は当時ウェスペルタティア王国の王都であった【オスティア】を侵攻するヘラス帝国を圧倒的な力で撃退しました。そして、彼女を救い出しました。私達は彼女を彼女の住んでいたお城に送り届けました。ですが、そこに広がっていたのは地獄絵図でした」
「どういう……事なん、お父様?」

 木乃香が恐々と尋ねると、詠春は険しい表情を浮かべた。

「戦争の被害を受け、彼女の住んでいた城も城下町も壊滅していたのです。幼い当時の彼女はそんな惨状を見ても心を折らず……ウェスペルタティア王国を救う為、そして、戦争の切欠を作ってしまった父王の責任を取る為にヘラス帝国に自分を引き渡しました。それで、戦争を一時的に止め、その間に私達に当時、戦争の調停をしようと動いていた彼女の姉であるアリカ・アナルキア・エンテオフュシアを任せ、共に戦争を終わらせてウェスペルタティア王国を救ってくれと頼み……」
「そんな……」

 あまりの事にネギ達は言葉を失ってしまった。明日菜がその当時どんな思いだったのかを想像する事すら出来なかった。

「既にたとえ彼女の力を使ってもウェスペルタティア王国は敗戦に向かっていましたので、已む無く、彼女の引渡しは忌々しい程にすんなりと通りました。ですが、彼女はヘラス帝国の監獄の中から何者かに攫われ、姿を消してしまいました。ヘラス帝国はメセンブリーナ連合が取り返しに来たのだと考え、再び戦争は再開されました。戦争は長きに渡り、私達は彼女の意思を護ろうと新たに仲間になったメンバーとアリカ姫と共に戦争を止めようと動きました。そして、ある組織に行き着きました」
「ある組織……?」

 ネギが尋ねると、答えはタカミチから返って来た。

「【完全なる世界(コズモエンテレケテイア)】という組織だよ。戦争を裏から煽っていたんだ。そして、明日菜君を攫ったのもこの組織だった」
「完全なる……世界」

 ネギが呟くと、詠春が頷き、再び口を開いた。

「そして、ある日、協力者だったメセンブリーナ連合の元老院の下に完全なる世界について報告に向かった時、彼に出会った」
「彼?」

 木乃香が首を傾げた。

「今、明日菜君が戦っている少年だよ」

 タカミチが巨神を操りながらアスナと戦っているフェイトを見ながら言った。

「フェイト……さんですか?」

 ネギが言うと、詠春が頷いた。

「私達は彼に罠に嵌められてしまい、メセンブリーナ連合の反逆者として扱われ、帝国と連合の両方から追われる身となり、その後、捕まってしまったアリカ姫を救出しに【夜の迷宮(ノクティス・ラビリントゥス)】という場所に向かいました。そこには帝国の第三皇女も捕まっており、共に救出して私達の味方になっていただきました。そして、長き戦いの果てに私達は汚名を雪ぎ完全なる世界を追い詰めました。激しい戦いの果て、私達は勝利しました。戦争は終わり、黒幕も倒し、彼女を救いハッピーエンドに終わる……筈でした」
「完全なる世界は滅びていなかったのだな……」

 エヴァンジェリンがどこか哀しげな表情を浮かべながら言った。

「ええ……。私は妻と結婚し、木乃香が産まれていた上、関西呪術協会の長となりナギ達に協力する事が出来ませんでしたが、ナギ達は今度こそ完全なる世界を完全に倒そうと動いていました。ですが、仲間の一人が大怪我を負い、当時、アスナ姫を引き取っていたガトウは殺されてしまいました」

 殺されたという言葉にネギ達は戦慄した。タカミチは拳を強く握り締め過ぎて手から血を流している。

「当時、ガトウの弟子だったタカミチ君はアスナ姫を連れて逃げ、ナギの父君の居るメルディアナ魔法学校に身を潜めました。そして、麻帆良に向かい、心が壊れかけていたアスナ姫の記憶を私の義父である近衛近右衛門が封印し、ただの少女としてアスナ姫は今日まで生きていたのです」
「初めて会った頃、アスナ……いっつも無表情やった。そんな事があったやなんて……」

 木乃香はあまりにも酷い話に涙を流した。刹那もやりきれない思いに顔を俯かせ、美空はまさかクラスメイトにそんな過去があったとは思っておらずショックを受けた表情で固まっていた。

「わたしは……明日菜さんが全てを捨てて得られた平穏を……」
「言うな。さっきの思いはどうした? アイツは過去を思い出して、それでも前を向いているんだ。お前が気にするのは神楽坂明日菜への冒涜になるぞ」
「……そう……ですね。ごめんなさい」

 エヴァンジェリンの言葉を受け、ネギは涙を拭った。

「話を続けましょう。十年前、ナギが行方不明になる寸前の話です」

 詠春の言葉にネギとエヴァンジェリンが肩を揺らした。

「イスタンブールで行方不明になる寸前にナギは――」
「俺の下を訪れた」

 詠春の言葉を遮り、エドワードが言った。

「エドワード……さんの下に?」
「ああ、俺は奴とは旧い知り合いだった――」

 エドワード・ウィンゲイトがナギ・スプリングフィールドと出会ったのは、ナギがまだ魔法学校を中退したばかりの頃だった。気に入らない教師をボコボコにして退学させられたナギはとにかく強い者を探して旅をしていた。その時に出会ったのがエドワードだった。
 嘗ては闘将とも戦神とも名を馳せたエドワード・ウィンゲイトだったが、当時は既に隠居の身となり、コツコツと趣味を作りながら生活していた。その頃は、芸術品の収集に力を入れていた。それを、事もあろうに屋敷ごとナギは雷の魔法で消し炭に変えてしまったのだ。呆然としていたエドワードに、ナギは挑みかかった。
 ここ百数十年掛けて集めていた芸術品の数々が一瞬にして消し飛び、茫然自失となっていたエドワードは、怒りも湧かずにナギを追い払った。軽く欝になったエドワードは、その後も嫉くやって来るナギに嫌気が差した。
 女子供であろうと、殺す気で掛かってくるからには殺す。それこそが、エドワード・ウィンゲイトが最凶の吸血鬼として恐れられ、五百年を生き永らえてきた理由であった。当時七歳になったばかりだったナギにエドワードは告げた『挑むのは構わんが、今日は殺すぞ』と。すると、在ろう事かナギは笑顔で返した。

『なら、死ななかったら俺を弟子にしろ。俺は強くなりたいんだ』

 そうのたまった。唖然となった。人の屋敷を人の苦労して集めた収集品ごと破壊しておきながら、何とも自己中心的な事を言う餓鬼だと、エドワードは苛立った。殺す気で放った紅蓮の龍は宙に浮かんだエドワードの眼下で地上をマグマに変えた。つまらなそうに鼻を鳴らしたエドワードは、その背後に気配を感じて振り返った。
 そこには、杖で空を飛び自分に笑いかける少年の姿があった。エドワードは言った。

『ローブが燃えているぞ』

 と。ナギは慌てて火を消そうとして……杖から手を離してしまった。エドワードは思わず噴出してしまった。落下する少年を自分の手元に転移させ、足首を握り喚く少年を落とすぞと脅して話を聞いた。
 傑作だった。教師をボコボコにして魔法学校を中退した七歳児がよりにもよって一人旅を始め、吸血鬼の根城と知って雷を落として宣戦布告をしたのだ。新しい暇潰しを見つけたと思った。新しい趣味は、弟子を取り育てる事になった。
 そんな感じの出会いだったが、三年後にエドワードは飽きてナギを放り出した。旧き友の伝で、麻帆良へ向かわせてそのままだった。それから数年が経ち、ナギは再びエドワードの下に現れた。一方的な頼み事をされ、スッパリと断ると、ナギは言った。

『多分、アンタの人生の中で一番刺激の強い十数年になるぜ。俺が保証する。暇潰しにはもってこいだ』

 エドワードは鼻で笑いながら言った。

『気が向いたらな』

 と。そして、一年後にエドワードはナギの訃報を聞いた。
 どうせどこかで生きているだろうとは思ったが、旧き友にも頼まれ、ナギの願いを聞き入れる事にした。完全なる世界を潰す為に力を貸した。
 旧き友の指示を受け、エドワードは完全なる世界に入り込んだ。旧き友が考えた設定通りに演じると、面白いほど簡単に事は進んだ。そんな時にエドワードはフェイトと出会った。
 最初はつまらん人形だと思っていたのだが、一つだけ人形のくせに面白い顔をする話題があった。それがアスナの事だった。
 イギリスのロンドンで完全なる世界のメンバーとして活動している時、ちょっとした出会いがあり、エドワード自身、飽きて来た事もあり、完全なる世界の内部調査を止めると旧き友に言うと、最後に一つだけと頼み事をされた。

「――それが今回の件だ。フェイトのアスナへの執着心を利用し、フェイトを捕まえ、フェイトの持つ鍵と情報を手に入れる為に今回の作戦を立案する事になったわけだ」
「話の最中に出た旧き友ってもしかして……」

 木乃香が言うと、エドワードは言った。

「近右衛門だ。奴とも付き合いが長くてな。ま、最初に会ったのは奴がガキの頃だったがな。今でもガキだが……」

 一見すると自分達とそう変わらない年齢に見えるエドワードが近右衛門をガキ扱いするのはとても奇妙に見えた。

「じゃあ、今回のはやっぱりお爺ちゃんが……」
「まあ、奴も不本意な事だった。他に手段も考え付かずに仕方なくな」

 低い声で呟く木乃香にエドワードは冷や汗を流しながら説明を続けた。

 警戒心の強いフェイトに取り入る為に、近右衛門とエドワードは“フェイトをお姫様を救出する騎士”というフェイトの理想の姿を具現化させる事にした。それが、今回の事件の始まりだった。
 アスナが偽の記憶を植えつけられ、籠の鳥にされているという情報をエドワードに流させた。これによって、偽の記憶と偽の感情を持たされたフェイトは憤りを感じ、籠の鳥だったアスナが外の世界を見たいという願いを自分に話した事を思い出した。
 既に鍵があるからアスナの存在は完全なる世界にとってそれほど重要でも無かった。だが、エドワードは言葉巧みにフェイトを煽った。フェイトの信用も勝ち得て、フェイトにエドワードに作戦を任せるように誘導しつつ行動を起させた。
 計画に用いられる四神結界は、風水魔術の応用によって構築された京都を守護する大結界だ。そして、その結界と同じ条件を満たした立地条件と五つの基点、即ちは白虎、青龍、朱雀、玄武、黄龍の基点を置き、平安神宮に存在する黄龍術式をその下を通る龍脈を通して関西呪術協会の儀式場に同じ黄龍術式を刻み込み、京都を護る四神結界を関西呪術協会の総本山に張っているのだ。それを利用した。外に出さない事に特化した四神結界は、まさしくうってつけだった。エドワードが龍脈を操作し、黄龍術式の術式を変更し、四人の魔術師が四つの基点を担当する事で、関西呪術協会の総本山を囲う四神結界をフェイトのみを囲う様にしたのだ。
 ただし、強力な鍵の力を拘束する為の出力を出す為には総本山を囲う四神結界を消し去る必要があった。龍脈から流れる力、つまりは日本そのものの力ともいえるが、それに加えて四聖獣の力を持ってしても、京都と総本山、どちらか一方を解除しなければ力が足りなかった。だが、そんな事をすれば関西呪術協会の人間が反対するのは当然だ。何せ、総本山を護る要ともいえるのは四神結界なのだ。それを解除すれば、侵入者が襲い掛かって来る。かといって、京都の結界を解除するなど言語道断だ。それこそ、風水的に優れ、無数の魔術が組み合わさっているこの街が魔都になってしまう。故に、選んだ手段は関西呪術協会を“敵として手中に収める”という手段だ。面倒な手続きも説得も不要、後々、都合のいい様に記憶を修正する事も出来るからだ。
 朱雀の術式をエドワードが、白虎の術式を詠春が担当する事が決定していた。そして、残りの玄武の術式を担う者として、エヴァンジェリンが、青龍の術式を担う者として千草が選ばれた。
 エヴァンジェリンが水の属性の担当に選ばれたのはただ水の属性である氷を操れるからだけではない。【麻帆良学園都市】の【西洋魔法使い】の【闇の福音】である【エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル】がこの役を担う事に意味があるのだ。
 関西呪術協会を救う為に、麻帆良が力を貸し、西洋魔法使いが重要な役割を担う。これによって、この機会に現在関西呪術協会と関東魔術協会の間にある溝を埋めようという考えなのだ。それだけで埋まる程浅い溝ではないが、ここで【麻帆良】に【単身で攻め込もうとする程、西洋魔法使いを恨んでいる関西呪術協会の者】である【天ヶ崎千草】が【協力したという事実】が重要になってくる。
 これは、分かり易い構図だ。恨んでいた関西呪術協会の人間が西洋魔法使いを許し、西洋魔法使いが関西呪術協会の人間に力を貸す。つまり、現在の関西呪術協会と関東魔術協会の関係の未来図として分かり易く描かれたモノなのだ。関東魔術協会と関西呪術協会の溝を埋める足掛かりを作ったのだ。
 更に、闇の福音が関西呪術協会を救う為に、麻帆良学園の魔法使いとして協力したという事実は、後にエヴァンジェリンが外の世界へ旅立つ為の最初の一歩となるのだ。悪評を、こうした【正義を行った】という実績を積ませる事で消し去ろうという考えなのだ。
 エドワードは巧みにフェイトに怪しまれない様に演技をして洗脳した術師達を使う事でフェイトが動く必要を無くし、フェイトの力によってネギ達を一気に潰されるという恐れを牽制した。龍脈の調整には、関西呪術協会を手中に収めてからでなければ取り掛かれず、その為の時間稼ぎが必要であり、更に、ネギ達の成長を促す為に、それぞれに洗脳した戦力を分配した。そして、全ての条件がクリアされた時、四人がフェイトの四方向に自然と配置される様に演出を行った。

「――ってのが今回の件のあらましだ」

 エドワードが話を終えるとネギ達はどこかぼんやりとした気持ちになっていた。全てが誰かの掌で弄ばれたかのような気分の悪さを感じた。

「っと、どうやら終わったみたいだぞ」

 エドワードの言葉にネギ達がアスナとフェイトの戦場を見ると、巨神の身体が崩れ始めていた。
 巨神の体が完全に消滅して少しして、突然、凄まじい光が弾けた。光の塊が空へと翔け上り、上空に巨大な魔方陣を描いた。

「あれは――ッ!?」

 その魔方陣を見た瞬間、エドワードが声を上げた。瞬間、魔方陣から途轍もなく凶悪な魔力が吹き荒れ始めた――。

 咸卦の光を帯びて更に輝きを増したエクスカリバーを手にアスナは巨神に向かった。茶々丸との修行の中に巨人との戦いなんてものは想定した事が無かったがこれからは取り入れるよう提案する事を頭の片隅で考えながら巨神の振り下ろす拳を避ける。

「巨体の割りに速いわね」

 驚く程滑らかかつ素早い動きにアスナは苦戦を強いられていた。拳が地面に激突すると、地面に巨大な穴が空き、吹き飛んだ地面の土が無数の武具に変化してアスナに襲い掛かる。

「巨神から離れれば消せるけど――ッ」

 無極而太極斬で武具の弾幕を消しながら虚空瞬動で巨神の肉弾攻撃を避ける。弾幕に使われている武具の素材は魔素ではなく土だ。
 アスナの【無極而太極斬(トメー・アルケース・カイ・アナルキアース)】はエクスカリバーの周囲に展開している【完全魔法無効化場(マジック・キャンセル・フィールド)】を刀身に集中し、斬撃に乗せて飛ばす必殺技だ。
 だが、武具に変化させている魔法の構成を破壊しても土に還るだけなために直ぐにまた弾幕の弾丸に再構成されてしまう。弾幕のせいで視界がかなり悪く、巨神の攻撃に何度も直撃を受けそうになった。一撃一撃が必殺の威力を持っている。

「このままだとジリ貧か……」

 一瞬弱気になってしまった。その隙を突いて、巨神の拳がアスナを捉えた。

「――――ッ!?」

 咄嗟に回避するが、僅かに掠り、その衝撃でアスナは地面に叩きつけられてしまった。そこに無数の石の武具が降り注ぐ。アスナの身体に触れたものは元の土に変わるが、そのまま大量の土に覆われたアスナの上に尚も大量の武具が降り注ぎ、エクスカリバーの結界によって更に武具が土に変わりアスナの上に降り積もる。

「まず――ッ、このままじゃ……」

 大量の土に押し潰されそうになり、呼吸も出来ず、アスナの脳裏に諦めの文字が浮かんだ。その時だった――。

『がんばって、明日菜さん!!』

 頭の中に響く念話とは違う、心に響くネギの声が聞こえた。その瞬間、アスナは目を見開き、咸卦の力を爆発させた。 大量の土を吹き飛ばし、頭上に迫る巨神の拳に向かってエクスカリバーに咸卦の力を篭めて振るった。
 エクスカリバーには幾つかの能力がある。一つは術者を包み込む程度の大きさの完全魔法無効化場を常に展開する能力だ。エクスカリバーの完全魔法無効化能力はアスナの能力とは違い、善意、悪意関係無く、あらゆる魔法を打ち消す強力なものだ。そして、もう一つは優秀な媒介としての能力で、魔法や咸卦の力の出力を大幅に高めてくれる。
 エクスカリバーの能力によって増幅された咸卦の斬撃が巨神の腕を両断した。

「がんばって……か。信じて待っててくれるんだ、あのネギが私を信じて……」

 いつもアスナを巻き込んでしまったと自分を卑下していたネギ。そのネギがアスナの勝利を応援し、待っていてくれている。

「パートナーの信頼に応えなくちゃね!」

 心の中に熱い思いが溢れた。アスナは咸卦法の錬度が低い。当然だ、専門的な訓練をしたわけでもなく、ただ出来るかもしれないと思ったら出来たから使っているだけなのだ。
 咸卦法の使い方にムラが多く、魔力と気の消費も早い。

「時間を掛けてられない。一気にいくわよ、フェイト!」

 片腕を失った巨神がバランスを崩し倒れ込んだ。そこにアスナは咸卦の斬撃を放った。

「エクスカリバー(コレ)の持ち主だった王の姓は竜を意味するんだったわね。うん、決めた。エクスカリバーの力で増幅した咸卦の力を飛ばす斬撃。名前は――――【竜王斬】よ!」

 竜王斬を受け、巨神の体は斜めに切り裂かれた。

「僕は……、僕は――ウガアアアアアアアアァァァアアアアアア!!」

 フェイトの雄叫びと共に鍵杖から光が溢れる。巨神の肩から光のロープが何本も伸びて切り落とされた腕の断面を引き寄せ始めた。

「再生――ッ!?」

 アスナは再生される前に倒そうと竜王斬を振るった。突然、地面が捲れ上がり、巨大な壁となった。壁は硬い鉱石に変わり、竜王斬を受け止めた。竜王斬は分厚い高硬度の壁を切り裂いたが、かなり威力を削がれてしまった。巨神は弱まった竜王斬を受け止め、体の再生を終了させた。

「クッ、もう一度――竜王斬!」

 再び斬撃に咸卦の力を篭めて振るうが地面から伸びる壁に防がれてしまう。
 無極而太極斬は巨神には効果が無く、竜王斬は魔法を無効化する力が無い。

「なら、両方を同時に使えばいいじゃん!」

 アスナはエクスカリバーの破魔の結界を刀身に纏わせた。

「これに咸卦の力を更に纏わせ――ッ」

 咸卦の力を刀身に纏わせようとすると、最初に纏わせていた破魔の結界が元の状態に戻ってしまった。

「あっ、この! もう一回!」

 再び結界を刀身に纏わせ、咸卦の力を更に纏わせようとすると、やはり結界が元に戻ってしまった。諦めずにもう一度やろうとすると、巨神の拳が間近まで迫っていた。
 慌てて瞬動で回避するが、衝撃で遠くに跳ね飛ばされてしまった。

「いたたた……。落ち着いて……もう一回!」

 跳ね飛ばされたおかげで距離は取れている。呼吸を整え、神経を集中させる。エクスカリバーが張っている結界をエクスカリバーに集中する。

「この状態を保ちながら……、咸卦の力を刀身に――ッ!」

 巨神がアスナを目指して駆けて来る。今だけは意識から外す。目を閉じて、感覚を研ぎ澄ませる。
 無極而太極斬と竜王斬はエクスカリバーの別々の能力を使う。二つの能力を同時に使うという事は右手と左手で全く異なる絵を描くようなものだ。
 対極の力を慎重に絡み合わせる。破魔の力と破壊の力は別々に分離しようとする。無理だ、どうしても二つを融合させる事が出来ない。そう思った時、不意に閃いた。

「混ぜ合わせる事が出来ないなら……」

 巨神が目の前に迫り、アスナはエクスカリバーを握り締めた。いい加減、咸卦法を維持するための魔力と気が無くなってきた。逃げるという選択肢を破却した。
 大きく息を吐き、最初に咸卦法を刀身に纏わせた。嘗て、主の魔力を喰らい、軍勢をたったの一振りで壊滅させたとされる聖剣は元々の輝きに加え、咸卦の光を帯びて、殊更に輝きを増した。
 迫り来る巨神の拳から逃げる事を止め、迎え撃つ。跳び上がり、巨神の腕に乗った。そのままフェイトの立つ巨神の頭部に向かい、駆け出した。
 巨神の拳が地面に激突した。まるで隕石の落下の如き破壊の音と共に大地が抉れた。足場にしている巨神の腕が盛り上がり、鋭い刃となって真下から襲い掛かってくる。ギリギリの所で跳び上がり、迫り来る巨神の反対の腕の拳を虚空を蹴る事で躱す。
 巨神から離れた場所に着地すると、巨神が右腕を巨大な剣に変えた。
 全身の血が滾る。ここが正念場だ。失敗すれば、自分は巨神の剣に己の剣ごと両断されるだろう。精神を限界まで引き絞る。
 残りの魔力と気を全てエクスカリバーの刀身に纏わせた。収束する光の純度は果てしなく、直視する事は太陽を肉眼で見つめるのと変わらないほどだ。
 巨神は――フェイトはエクスカリバーの輝きに竜王斬が来る事を理解し、巨神の足を止め、目の前に幾重もの壁を作り出した。
 助かる。一度放てば、二度目は無い。魔力も気も底を尽き、自分は死に、愛した少年(フェイト)は取り戻せない。あのまま巨神が剣を振るっていれば、迎撃し、その腕と胴体をも切り裂き、消滅させる事も出来たかもしれない。だが、再び再生する事だろう。
 一撃で巨神を完全の消滅させなければならない。その為に万全の体勢で放つ必要がある。
 臨界点に達した原子炉のような凄まじいエネルギーを放つエクスカリバーにアスナの躯を包み込んでいたエクスカリバーの結界空間を収束させていく。森も空もありとあらゆる景色が白色に変わる。

「“破魔(エクス)――――”」

 刀身も鍔も柄も何もかもが目を焼く光の奔流によって見えなくなっていた。あらゆる魔を無効化させる結界で咸卦の力を乗せた刀身をコーティングした。
 大きく後ろに光の塊を引き絞る。あらゆる防御を無効化させる正しく必殺の一撃。フェイトはその脅威を悟ったのか、巨神の目の前に更なる壁や盾を用意する。その選択は誤りだった。
 この一撃の前では、無敵の盾も絶対の城壁も意味を為さない。アスナは残る体力を全て使い、剣を振るった――。

「――――竜王斬(カリバー)“!!」

 光が爆発した。視界など存在しない。世界が白く塗り潰された。絶待防御を掲げた壁も最強防護を名乗る盾もガラスのように砕け散った。
 正に一振りで470人の軍勢を薙ぎ倒したと云われる “最強の聖剣(エクスカリバー)”の名に相応しい一撃だった。

「う――――あっ?」

 光が収まり、アスナは全身の力が抜けて地面に座り込んでしまった。見上げると、巨神は尚も君臨している。だが、勝負は既についていた。鍵の力によって強化された巨神の躯に一気に皹が広がった。最初に腕が落ち、脚が粉砕し、巨神は大地に還った。

「わたしの……勝ちよ、フェイト」

 声に張りも無くなっていた。フェイトに聞こえているかどうかも自信が無い。

「っていうか、今のでフェイトまで消し飛んだ……なんて事ないわよね?」

 アスナの頭から一気に血の気が引いた。力の入らない躯に鞭を打ち、なんとか立ち上がる。脚が生まれたての小鹿のように震えてしまう。木を支えに巨神の崩れた場所まで歩いて行くと、そこにはフェイトが立っていた。

「フェイト! 良かった……」

 フェイトは間違いなく生きていた。安堵の溜息を吐きながら、アスナは一歩一歩フェイトに近づく。

「さ、フェイト。フェイトの本気を私は打ち破ったわよ? その鍵を渡して、負けを認めなさい」

 エクスカリバーを杖にしながらアスナはフェイトに言った。フェイトは鍵の力で再び魔法を使えるだろう。だが、アレだけの力を持った巨神を倒された直後だ。今の内に自分のペースに持ち込み、フェイトに負けを認めさせなければさすがにもう一回戦は無理だ。

「僕は……負けたんですね」

 フェイトは頭から血を流して、弱々しく微笑みながら負けを認めた。

「これでフェイトは一生私の物よ。文句ある?」
「……僕なんかが……本当に……」

 顔を俯かせるフェイトにアスナは拳を握った。

「目を瞑りなさい」

 ハーッと拳に息を吹きかけるアスナにフェイトは肩を震わせながら言われた通りに目を閉じた。殴られる事を覚悟して待っていると、いつまで経っても痛みは来なかった。
 代わりに、唇に柔らかい感触を感じた。目を丸くするフェイトにアスナは顔を赤らめながら言った。

「フェイトじゃなきゃ……駄目なのよ」

 アスナはフェイトの手を取った。

「ひ、姫様!?」

 アスナはそのまま自分の胸元にフェイトの手を押し当てた。

「分かる? わたしの心臓が高鳴ってるの」

 アスナは柔らかい笑みを浮かべながら言った。フェイトは掌にアスナの鼓動を感じた。

「……分かります。姫様……僕を姫様の……その……、また騎士にしていただけますか?」
「当然よ。フェイトは一生私に付き添いなさい」
「…………Yes, Your Majesty」
「それじゃあ、みんなの所に戻りましょ。さすがに疲れちゃったわ」

 アスナは疲労の限界が来て、フェイトの胸に倒れこんでしまった。フェイトはアスナを横抱きに抱き抱えた。

「僕がお連れしますよ。姫様」
「お願いね、フェイト」
「はい」

 アスナはアーティファクトをカードに戻した。フェイトも鍵杖を回収しようと巨神の残骸の方を見た。

「君は――――ッ」

 そこに予想外の人物が居た。白目と瞳の色を反転させ、巨神の残骸の上に倒れていた鍵杖を握り締めた一人の少女が立っていた。

「月詠、それを返してくれないかい?」

 フェイトは穏かな口調で言った。月詠はニタリと笑みを浮かべた。

「腑抜けましたなぁ、フェイトはん。そんなら、この力はもう要りまへんでっしゃろ? せやからウチが貰ってあげますえ」
「な――っ、それを渡すわけにはいかないよ」

 フェイトは石の釘剣を召喚して月詠に向ける。

「リロケート」
「なっ!?」

 月詠は深い笑みを浮かべながらさっきと反対の場所に居た。

「ずっとあんさん等の戦い見させてもらいました。鍵杖(コレ)の使い方も粗方分かりましたわ。ほな、ウチは退散させていただきます」
「逃げられる思ってるのかい?」
「フェイトはん等はコレの相手をしといてください」

 そう言うと、月詠は鍵杖から光を上空に飛ばした。すると、上空に途轍もなく巨大な魔方陣が出現した。上空に浮かぶ黄金の魔法陣は、複雑な見た事も無い記号や文字が並んでいる。

「コレは――――ッ」
「ほな、ウチはこれで。さいなら、フェイトはん。リロケート」
「待て――ッ!」

 フェイトが叫ぶが月詠は何処かへと姿を消してしまった。

「フェ……イト? どう……したの?」

 いつの間にか気を失っていたらしいアスナが目を覚まし、掠れた声でフェイトに尋ねた。

「少し……問題が起きました。姫様の仲間の下に参ります」

 フェイトはアスナを抱えたまま、森を駆け抜け、総本山へと戻った。アスナを抱えたフェイトの姿を見たネギ達は警戒心を顕にしたが、フェイトは構わずにアスナのパートナーであるネギの下に歩み寄った。

「貴様ッ!」

 刹那が建御雷と夕凪を構えてネギの前に出る。だが、ネギは刹那を静止した。

「待ってください。フェイト……さん。ここにアスナさんを連れて来てくれたという事は、アスナさんが勝ったんですね?」

 ネギが尋ねると、フェイトは穏かな表情でネギを見つめながら頷いた。

「僕は姫様に再び忠誠を誓う機会を頂きました。皆様へのご無礼、謝罪致します」

 フェイトが頭を下げると、ネギは恐縮したが何かを言う前にエドワードが口を挟んだ。

「フェイト、鍵はどうした?」

 エドワードが言うと、フェイトは険しい表情を浮かべた。その様子にネギ達は警戒心を抱いた。

「一瞬の隙を突かれ……、月詠に奪われた」
「月詠にだと!?」

 刹那は月詠の名前に殺気を放った。

「では、あれは月詠が?」

 刹那は上空に浮かぶ巨大な魔方陣を見ながら言った。

「そうです。ただ、何の術式かは……うぐっ」

 フェイトが上空の魔方陣を見ながら言うと、突然苦悶の声を上げて、仰向けに倒れた。

「フェイトさん!?」

 ネギが突然倒れたフェイトに駆け寄ると、エドワードがフェイトの額に手を当てた。

「……大丈夫だ。処置をすれば目を覚ます。それよりだ……」

 エドワードが上空を見上げながら顔を引き攣らせて言った。

「月詠……、あの愚か者め。土地神の召喚陣を置き逃げしていきやがった……」
「エドワード、あの術式が分かるのか?」

 エヴァンジェリンが上空を見上げながらエドワードに尋ねた。

「あれは本当なら千人の術師があの陣を取り囲んで行う儀式用の術式だ。本来は飢饉の時や災害が起きた時、土地を守護する神に呼び掛けを行い、救ってもらおうって術式なんだが……」
「なんだが……? 普通に出て来たら丁重にお帰り願えばいいんじゃないのか?」

 エヴァンジェリンが言うと、エドワードは苦笑いを浮かべた。

「普通は神と対話する為に神の意識の表層だけを呼ぶんだ。そもそも、千人の術師が力を合わせてもその程度しか出来ないからな」
「それで、お前はなんでそんなに顔を引き攣らせてるんだ?」

 エヴァンジェリンが絶望の表情を浮かべているエドワードに恐る恐るといった感じで尋ねた。

「普通の儀式では眠っている神のご機嫌を伺いながら慎重に起すんだ。だが、アレは鍵の力で神を叩き起こすようなもんだ。しかも、表層どころか本体を完全に召喚しちまう程の魔力が篭められてやがる……」
「ちょっと待て……」

 エヴァンジェリンが恐怖に慄くように体を震わせた。エヴァンジェリン以外にも、詠春、刹那、ネギ、フェイトといった漸くエドワードの恐怖している理由を理解した者達は愕然としている。

「じゃあ……なんだ? このままだと、叩き起こされた神が暴れ回るっていうのか? この地で!?」
「まあ、ぶっちゃけるとな」
「えっと……今、どんな状況?」

 アスナがフェイトの腕の中で目を覚ました。

「大丈夫ですか、アスナさん?」

 ぼんやりとした顔のアスナにネギが心配そうに声を掛けた。アスナは笑みを浮かべながらそのおでこに人差し指を突き立てた。

「当然! だけど……」

 そう言って、アスナは上空を見上げた。

「あれって……」
「土地神の召喚の陣だ。しかも……、数多存在する京都の土地神の中でもとびっきり危険な貴船の龍神を召喚する気だ」
「高淤加美神か!?」

 エドワードの言葉に、エヴァンジェリンは目を見開いた。

「エヴァンジェリンさん、タカオカミノカミって一体……?」

 ネギが尋ねると、エヴァンジェリンは顔を顰めた。

「日本の三大龍穴の一つが存在する貴船神社に奉られている水神だ。元は総本山(ココ)で奉られている迦具土神(カグヅチ)の血から生み出たとされる神の一柱でな。祈雨の神であり、同時に丑の刻参りの呪詛神でもある」
「丑の刻参りってアレか!? 丑の刻にカーンカーンって藁人形に釘を打つ……」

 小太郎は恐々と尋ねた。

「まさにそれだ」

 エヴァンジェリンの言葉に、全員が戦慄した。よりにもよって呪詛の神など冗談じゃない。

「アスナさん、あの魔法陣を破壊出来ませんか!?」

 刹那がハッとなってアスナに尋ねるが、アスナも上空の魔法陣を見ながら悔しげに首を振った。

「高過ぎるわよ。あんなとこまで虚空瞬動で移動してたら何時間掛かると思う?」
「なら、私の翼で――ッ!!」

 刹那が提案するが、アスナは尚も首を振った。

「無理、時間が無さ過ぎる……」

 アスナの言葉に、刹那は俯いた。

「召喚されたら終わりだ。アレは祈雨の神だ。あれを倒す訳にもいかない……」

 エドワードが言った。

「倒せるかどうかは別にして、アレは水神ですからね。アレに手を出せば、この地域は干上がってしまう」

 詠春の言葉に、ネギ達は愕然とした。

「じゃ、じゃあ、召喚されたらもう手を出せないって事ですか?」

 ネギが恐怖の色に染まった声で尋ねると、詠春は頷いた。その時、小太郎が思い出した様に叫んだ。

「せや、ネギ! 『千の雷』や!!」
「ふえ?」

 突然の小太郎の言葉に、ネギだけでなく、アスナやエドワード達も顔を向けた。

「前に、ヘルマンのおっさんの“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”の魔法陣に『千の雷』を喰らわして発動を止めたやないか! アレなら、あの魔法陣も破壊出来るんとちゃうか!?」
「魔法で魔法陣の構成を破綻させる気か!? だが、あの魔法陣はかなり複雑だ。破綻させて、もっと恐ろしい魔術が発動する可能性も――ッ」

 エドワードが小太郎のとんでもない意見に眼を剥きながら呟いた。

「ですが、高淤加美神が召喚されれば、私達は手が出せない。無抵抗のまま、召喚された高淤加美神が暴走したら、被害は恐ろしい事になります」

 刹那の言葉に、詠春冷たい汗を流した。

「確かに、召喚者が居ない状態で召喚されれば、高淤加美神は怒り暴れるでしょうね。そうなったら――」
「だが、時間も無い。可能性がコンマ1%でもあるならば懸けるまでだ。全員の最大魔法を一点集中し魔法陣を破綻させる。後は……運任せだな」

 エドワードが黄金の眼を輝かせ、虚空に炎の球を出現させながら言った。

「…………それしか道が無いなら、グダグダ言っていても始まらない」
「あの高度まで向かわせるなら――リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、小柄なる者が打ち鍛えし貫くものよ、我が血を喰らいて我に従え! 万象を穿つ一条の赤の煌きよ、最果てに至る全てを真紅に染め上げ、終幕を告げよ! 其は大神の右腕にして万里を越える滅びの矢とならん!!」

 上空を見上げたエヴァンジェリンは、右手を掲げ、恐ろしく長い詠唱を唱えた。漆黒の闇が収束し、真紅の輝きを灯す。やがて、エヴァンジェリンの魔力によって輝きは増していき、紅く染まった螺旋状の穂先の魔槍が顕現する。邪悪な魔力と巨大すぎる圧力を発するソレは神が振るいし百発百中の槍の模倣。

「”戦神の槍(グングニル)”――――ッ!!」

 呪文を唱え切った途端に空間に亀裂が走った。凄まじい真紅の魔力が、今正に爆発せんと溢れ出している。

「あの高度……残念ですが、私達の術では到達出来ません。ネギ君、頑張って下さい」

 詠春がネギに声を掛けた。ネギは頷くと杖を構えた。瞳を閉じ、全身の魔力を練り上げる。

「頑張れや、ネギ」

 小太郎の声援に笑みを浮かべて頷くと、ネギはキッと頭上の魔法陣を見上げた。

「ラス・テル マ・スキル マギステル! 契約により、我に従え高殿の王! 来れ巨神を滅ぼす燃ゆる立つ雷霆! 百重千重と重なりて走れよ稲妻。『千の雷』!!」

 ネギの詠唱に応える様に、天空を覆う雲が蠢き、雷雲を集め、雷を呼び寄せる。凄まじい威力の雷のエネルギーが上空に顕現した。

「刹那さん、ちょっとお願いがあるんだけど……」

 アスナは刹那に声を掛けた。アスナの言葉に刹那は目を見開くと頷いた。

「分かりました」

 刹那の返事に

「ありがとう」

と返すと、アスナは上空を見上げた。既に、魔法陣は発動間近だった。
 そして――。

「放て――――ッ!!」

 エドワードの轟く様な叫びと同時に、エドワードの真っ直ぐに伸びるビームの様な紅蓮の炎とエドワードの雷の槍とエヴァンジェリンの必中の槍とが同時に放たれた。
 上空から三人の魔法の着弾地点に向けて、魔法陣の反対側からネギが千の雷を落とした。ほぼ同時に、四つの魔法が魔法陣に激突した。あまりにも巨大な衝撃音に大気が弾け跳び、凄まじい爆発が巻き起こった。目も開けられない程の凄まじい魔力の閃光。誰もが成功を確信した。それ程の凄まじい破壊力だった。
 あまりの衝撃に、地上にまで突風が吹き荒れ、立つ事すらままならなかった。ほぼ全ての魔力を出し切ったのかエドワードが洗脳していた関西呪術協会の面々の洗脳が解け、各々が戸惑った様に上空を見上げ始めた。世界を分断するかの様な光の爆発はやがて収束した。

「馬鹿な……」

 それは、誰の呟きだったのだろう。魔法陣は健在だった。だが、僅かに歪の様なモノが出来ている。

「あと、一撃足りない――」

 エドワードの切羽詰った声が響く。だが――。

「もう……魔力が」
「今の一発にすべてを叩き込んだんだぞ……」

 ネギもエヴァンジェリンも、エドワードすら魔力が一気に底をついてしまっていた。

「後一発、あの歪に中てれば術式の構成に破綻が起こる筈なんだ!! クソッ!!」

 後一歩、あまりにも歯痒い。本当に、手を伸ばした先にあるのにほんの僅かに届かない。

「嘘……、これで終わり?」

 ネギは、仮契約に持っていかれ続けた魔力と今の一発で立つ事すらままならなくなり、その場に座り込んでしまった。

「クソッ! こうなったら……木乃香、私と仮契約しろ!! お前の魔力でもう一度グングニルを発動すれば!!」
「駄目だ、もう間に合わん!!」

 エヴァンジェリンの最後の手段も、エドワードの声に遮られた。今から仮契約をして詠唱をしていては間に合わない。その時だった――。
 突如、男の声が響いた。

『契約により、我に従え高殿の王よ。影の地、統ぶる者、スカサハよ。我が手の三十の棘を持つ槍に来れ、巨神を滅ぼす千重の雷。雷神槍“巨神ころし”』

 遥か上空に現れたその真っ白なローブに身を包んだ顔の見えない男は、右手を高らかに魔法陣に掲げると、途轍もなく巨大な雷の槍を作り出した。

「何者だ、アレは!?」

 エヴァンジェリンはその凄まじい力を放つ魔法に眼を見開いた。

「あの呪文……、まさか、『千の雷』と『雷の投擲』の合成魔法!?」

 ネギはあまりの事に呆然とした。ただでさえ、最強レベルの千の雷に更に魔法を合成するなど常識では考えられない。その常識外れな魔法が、発動しようとしている。
 ネギはジッとその魔法を見続けた。男の手から放たれた魔法は、一直線に魔法陣に発生した歪に向かった。
 “巨神ころし”が激突した瞬間、魔法陣全体が波打った。巨大な雷の槍は弾ける事もなく、魔法陣を侵食していく。徐々に、魔法陣を抉っていき、やがて魔法陣を貫通した。

「魔法陣の構成が……破綻した」

 エドワードの言葉に、全員が緊張した。

「上手くこのまま崩壊してくれれば……」

 詠春は額から汗を垂らしながら木乃香を抱き寄せながら唾を飲み込んだ。全員が祈る中、エドワードが地面を踏みつけた。

「クソッ!」
「エドワード……、どうなったんだ?」

 エヴァンジェリンが尋ねると、エドワードは悔しげに言った。

「よりによって最悪だ……」

 上空を見上げるエドワードにつられて、ネギ達も上空を見上げた。すると、謎の男はいつのまにか消え、魔法陣にはまるでガラスをトンカチで叩いた様に無数の細かい皹の様なモノが広がっていた。その皹の奥から凄まじい殺気が降り注いだ。

「嘘……やろ?」

 小太郎は、その存在を知っていた。

「“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”――――ッ」

 カモの絶望の呟きに、ネギはゾッとした。

「嘘……でしょ?」
「ドラゴンブレスって……?」

 木乃香はエヴァンジェリンに尋ねた。

「聖ジョージという聖人が滅ぼしたラシアの悪竜のブレスだ。その毒を纏った滅びの光は街一つを易々と飲み込み消滅させる――」

 エヴァンジェリンはガチガチと歯を鳴らしながら上空の魔法陣を見上げた。

「高淤加美神の脅威が無くなったら、今度はラシアの悪竜か……。余計に被害を拡大させたかもしれんな」

 エドワードは舌を打ちながら魔力を掻き集め始めた。

「ここに居る人間を全員は無理だな……」
「何を考えているんですか?」

 詠春はエドワードの呟きに眉を顰めた。

「転移させられるだけの人間を効果範囲外に逃がす。それしかもう手立ては無い。京都は捨てるぞ」
「そんな!?」

 エドワードの言葉に、ネギと木乃香、美空は愕然とした。

「ワイのせいか……。ワイが余計な事言ったから……」

 小太郎は眼を見開き、カタカタと震えた。

「違う! それは違うよ、小太郎は可能性を見つけてくれたんじゃないか! ソレを活かせなかった……」
「その通りだ。運が悪かった。元々、分の悪い賭けだったんだ。何もしなければ、どちらにせよ京都は滅びていた。それに、責任があるとすれば、この計画を立案した俺達にある……」

 ネギの言葉にエドワードは悔しげに言った。

「女子供が優先だ! エドワード、どれだけ逃がせる!?」

 エヴァンジェリンが尋ねると、エドワードは苦い表情で呟いた。

「魔力がギリギリだ。転移は二人が限度だな……」
「私も一人転移させられるかどうかという所だ……」

 エヴァンジェリンが拳を握り締めながら言った。

「なら、子供達だけでも逃がすぞ」
「待て、神楽坂明日菜と桜咲刹那はどこだ!?」

 エドワードの言葉を遮り、エヴァンジェリンが叫んだ。アスナと刹那の姿が何処にもないのだ。

「え、明日菜さん!? 刹那さん!?」

 ネギが眼を見開いて周囲を見渡すが、二人の姿が何処にも見当たらない。すると、木乃香が突然小さく悲鳴を上げた。

「どうした、木乃香!?」

 エヴァンジェリンが顔を向けて叫ぶと、木乃香が上空を見上げた。そして、ふるえながら指を指した。
 木乃香の指差す先に、小さな影がどんどん高度を上げて魔法陣に迫っていた。

「まさか――ッ!?」

 タカミチは絶句した。

「“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”を無効化する気か!?」

 ネギ達が魔法を放ったと同時に、アスナは刹那に頼んで上空へ飛翔していた。万が一の場合に、少なくとも関西呪術協会の総本山だけでも護れるように――。
 そして――。

「アスナさん、お嬢様に連絡を取りました!! あの術式は“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”だそうです!!」

 アスナを抱き抱えながら凄まじい速度で高度を上げていく刹那は叫ぶ様に言った。
 アスナは引き攣る顔で無理矢理笑みを浮かべた。

「上等じゃない!! 絶対にぶち壊してやるわ!! 刹那さん!!私を全力で魔法陣に向けて投げて!! そしたら直ぐに、地上に向かって!! 全速力で!!」
「分かりました!! 御武運を!!」

 アスナと刹那は同時に咸卦法を発動させた。既に体力も魔力も欠片程度にしか残っていないが、それでも身体を護る分だけ搾り出す。
 アスナは解除した仮契約のカードを右手に握り締めると、左手を刹那の両手に握らせた。グルグルと咸卦の力で増幅された刹那の力によって凄まじい回転が巻き起こる。

「行きますよ――――ッ!!」
「お願い!!」
「でああああああああああああ!!」

 刹那は腕が引き千切れる程の勢いでアスナを魔法陣に向けて投げ飛ばした。そのまま、一気に地上に向かって急降下していく。放り投げられたアスナは、勢いが落ち始めると、カードを上に掲げて叫んだ。

「アデアットッ!!」

 アスナの服が光の粒子となって再構成されていく。麻帆良の指定制服が左右非対称の甲冑鎧に姿を変わっていく。魔力によって編まれた鋼鉄の靴の底に力場を作り、アスナは更に上空へと駆け上っていく。
 右手にエクスカリバーを握り締め、対流圏を駆け上り、徐々に冷たくなっていく空気を咸卦の力で防ぎ、一直線に既に半分近く発動し、魔法陣の向こう側から現れようとしている真紅の瞳を持つナニカに向かって顔を上げる。まだ地上と魔法陣との間の半分程度しか来ていない。

「それでも――――ッ!!」

 フェイトとの戦闘で、咸卦法に回せる魔力も気も殆ど無い。ネギも限界ギリギリまで魔力を搾り出し、もう供給は望めない。

「それでも、やるっきゃない!!」

 幸いな事に“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”は着弾すれば効果範囲は尋常でない広さを誇るが、着弾する寸前は巨大なレーザー光線だ。僅かでも、エクスカリバーで触れさえ出来れば消す事が出来る。
 ドラゴンが真下にブレスを放ってくれれば問題無い。もしも違う方向に放たれたら――――その時は、本当にお終いだ。
 そして、魔法陣は発動した。巨大なドラゴンの顎門が開かれる。それは、世界の黄昏を告げる龍の咆哮だった。あまりにも凄まじいその咆哮は、既に音ではなく衝撃だった。
 魔力が口の中に収束していく――そして。

「そんな――――ッ」

 アスナは愕然とした。ドラゴンは真下ではなく、斜めの方向にある京都に顎門を向けているのだ。

 アスナが諦め掛けた、その時だった。地上のエドワードが、儀式場にあった巨大な布を掴むと、赤眼を輝かせ、炎を生み出すと、その中に布を放り込んだ。すると、上空のアスナの真上に炎が現れ、アスナに布が被さった。

「え? ちょ、何!?」

 アスナがもがくと、再び炎が上空に現れた。エドワードの声が脳裏に響く。

『その布に包まって跳べ!!』

 その声に、咄嗟にアスナは布を体に巻きつけると、次の瞬間にアスナはラシアの悪竜の狙う先に居た。転移するなら魔法陣まで一気にやってくれと言おうとすると――、

『ドラゴンの放つ魔力で場が安定していないんだ。下手に間近に転移させようとすれば、バラけるぞ?』

 アスナは自分の体がバラバラになる様子を想像して顔を青褪めさせた。
 次の瞬間、ドラゴンの口から光が放たれた。
 歯を食い縛りながら、エドワードが魔力を搾り出して結界を生じさせる。アスナがドラゴンブレスを消滅させるまで、ドラゴンブレスの纏う毒から関西呪術協会の総本山を護る為に地面に膝をつきながら、紅蓮の壁を京都の町を護る様に発生させる。光が放たれた瞬間、結界は一瞬だけ毒を遮ると呆気なく粉砕した。
 だが、その一瞬ですべてが終わった。エクスカリバーに激突した瞬間、ドラゴンブレスはガラスが割れる様な音を響かせると、魔法陣とドラゴンごと消滅した。毒も消滅し、周囲に沈黙が降り立った。すると、遠目にアスナが落下しているのが見えた。

「――――ッ! 召喚、神楽坂明日菜!!」

 ネギが咄嗟に仮契約カードの能力の一つである召喚を発動すると、アスナが目の前に召喚された。

「アスナさん!!」

 ネギが声を掛けると、アスナは弱々しく笑みを浮かべた。

「私、凄いでしょ?」

 アスナの言葉に、ネギは一瞬キョトンとすると、すぐに

「はい、とっても凄かったです!!」

と叫んだ。すると、アスナは震える手でネギの額を指差した。

「私は凄いんだから……もっと頼る事。分かった……わね?」

 それっきり、アスナは意識を失ってしまった。だが、アスナが眠っているだけだと確認すると、ネギも視界がグラついた。そして、アスナを抱えたまま眠ってしまった。

「さすがに……私も疲れました」
「ウチもや……」

 全てが終わり、安堵した瞬間に刹那と木乃香も崩れ落ちた。背中を寄せ合い、そのまま疲労に任せて意識を手放した。

「さて、子供達が頑張ったのですから、ここからは大人が頑張りましょう」

 詠春は眠ってしまった少女達に微笑み掛けるとパニックに陥っている呪術師達を見た。

「フェイトの方は俺が処置をしておこう。専門的な処置が必要なんでな。悪いが身柄を預からせてもらう」

 エドワードは額から滝の様に汗を流しながらも言った。

「敵をあの魔法陣のドラゴンにしておけ。俺とフェイトについては記憶を消してある」

 疲労を隠せない様子でありながら言った。

「分かりました。それから、エヴァンジェリンさんには“今回の巨大な魔法陣の発動から京都を護るのに尽力して頂いた事に感謝を示したい”のですが」
「ああ、“感謝されてやる”よ」

 詠春の言葉に、苦笑しながら、エヴァンジェリンは言った。

「さて、もう一踏ん張りですね」
「僕も出来る限りお手伝いしますよ」

 タカミチがニッコリと笑みを浮かべながら言った。

「助かるよ。タカミチ君の手伝いがあれば、色々とスムーズに行くだろうからね」

 詠春は、これからの仕事に苦笑いを浮かべて言った。呪術師達の事や、総本山の修繕、結界の修繕、京都の市民への措置、他にもやる事は無数にある。ここからが大変なのだ。
 詠春は最初の仕事をする為に、混乱する呪術師達の下へ歩いていく。最後に、詠春はチラリと振り返って言った。

「皆さん、お疲れ様でした」

第二十七話『アスナの思い、明日菜の思い』

「よぉタカミチ。火ぃくれねぇか。最後の一服…………って奴だぜ」

 目の前で、大切な人が死のうとしている。腹部に大き過ぎる傷を負った男は、自分のお気に入りの銘柄のタバコを一本咥えると、まだ皺も無かった頃のタカミチのライターで火をつけて、心の底からおいしそうに煙を吸い込んだ。この煙草の臭いは嫌いだった。

「あ――うめえ」

 男はニヤリと笑みを浮かべ、少女と青年に顔を向けた。口からも血が流れ出している。内臓もボロボロだった。もう、どんな名医も魔法も彼の命を救ってくれないだろうと、理解してしまった。

「さあ、行けや。ここは、俺が何とかしとく」

 男はアスナの顔を見ると、血を吐きながらも優しげな笑みを浮べてくれた。

「何だよ、嬢ちゃん。泣いてんのかい? 涙見せるのは……初めてだったな。へへ……、嬉しいねえ」
「師匠……」

 男の様子に、タカミチは震えが止まらなかった。ずっと、詠唱の出来ない自分を育ててくれた師匠。その死に際に、涙を堪えるのに精一杯だった。自分が居たから、泣けなかったのだろう。

「タカミチ、記憶のコトだけどよ。俺のトコは、二度と思い出さない様に念入りに消してくれねぇか?」
「な、何言ってんスか師匠!」

 タカミチは、男のあまりの言葉に叫んだ。

「これからの嬢ちゃんには必要ないモンだ」

 男はそれでも、頼むとタカミチに視線を送った。

「やだ……。フェイトが消えて……、ナギも居なくなって……。おじさんまで――ッ」

 アスナはキュッと男の手を握り締めた。震える手で、涙を流しながら。ふわりと、頭の上に重さを感じた。男の手が、アスナの頭を優しく撫でた。

「幸せになりな、嬢ちゃん。あんたには、その権利がある」

 ガトウの言葉に、アスナは力の限り叫んでいた。

「ヤダッ!! ダメ、ガトウさん!! いなくなっちゃやだ!!」

 アスナの願いをガトウは聞き入れてくれなかった。だから、自分も最後の願いを聞かなかった。この人の事を絶対に忘れない――そう誓った。

 意識を失い、糸の切れた操り人形の様に倒れ込む明日菜の体をネギが支えた。

「明日菜さん!?」

 ネギが血相を変えて呼び掛けるが、明日菜の視線は虚空に彷徨い焦点があっていない。口から涎が一筋流れ、微動だにしない。
 刹那が咸卦法を発動し、夕凪を右手に、上空に七首十六串呂を展開し、更に木乃香との仮契約によって得られた新たなるアーティファクトを左手に握り締めた。
【剣の神・建御雷】――――木乃香と刹那の実家であるここ、関西呪術協会の総本山である【炫毘古社(かがびこのやしろ)】で奉られている【火之炫毘古神(カグツチ)】と呼ばれる火神の血より産み出されし武神である。
 剣の神の名を有するそのアーティファクトは唾の部分に無色の球体が浮かび、柄と刀身が離れている不思議な形状の大剣だった。

「貴様、何をしたッ!!」

 刹那の怒声を受けながらも、フェイト当人すらも困惑していた。

「な、何で? 姫様!」
「稲交尾籠!」

 思わず叫んで駆け寄ろうとしたフェイトに、刹那の七首十六串呂が降り注いだ。瞬時に展開した岩の花弁が防ぎ切る。膠着状態が続いた。唐突にクッという笑い声が響いた。

「暴れるのはいいが、周りにも眼を向けてみたらどうだ?」

 愉快そうに微笑みながら、エドワードが顎を向けた先には、ネギ達を囲む無数の神鳴流剣士と呪術師の姿があった。正面を突破した時の比ではない。この状況で一斉に攻撃されれば、待っているのは全滅だけだ。

「刹那君……」

 タカミチが静かに諭し、刹那は舌を打ち、七首十六串呂を消した。キッとフェイトとエドワードを睨みながら、刹那はソッと明日菜を抱き抱えるネギを護る様に後退した。
 木乃香は明日菜を心配そうに見つめながらも、不安そうに周囲を見渡している。
 美空は殆ど諦めかけて現実逃避を始め、小太郎は刹那の隣にネギと美空を護る様に構えた。千草とタカミチがその後ろを護る様に立つ。

「さて、ご苦労だったな。天ヶ崎千草」

 エドワードの言葉に、ネギ達はギョッとした。何を言っているのかが理解出来ない。思わず、全員が千草に振り返った。千草は肩を竦めながら軽やかにフェイトの前に歩いた。

「どういう事だ、千草!?」

 カッと眼を剥きながら刹那が怒声を上げた。

「姉ちゃん!?」

 小太郎も何が何だか分からないという顔をしている。

「演技やった……ちゅうだけの話や」
「!?」

 愕然とするネギ達を尻目に、千草は一枚の符を取り出してニヤリと笑みを浮かべた。
 エドワードはその黄金の瞳を輝かせ、詠春は右手を掲げた。フェイトは勝利を確信した笑みを浮かべた。

「長かった。漸く、僕は姫様を――ッ!」

 フェイトの愉悦に満ちた声に、エドワードがクッと笑い右手を高らかと優雅に掲げた。

「今、この瞬間に条件は全てクリアした!!」

 身構えるネギ達を尻目に、フェイトは愛情に溢れた眼差しで眠っている明日菜を見た。

「これで――ッ!」
「お前を――」

 すると、エドワードは身構えるネギ達ではなく、フェイトを見ながら呟いた。

「――捕まえたぞ、小僧」

 そして、この場において最も在り得ない声が響いた。フェイトも、ネギ達も眼を見開いた。炎の魔法陣の中から、大きな二つの影が現れたのだ。そして、その影とエドワード、詠春、千草がフェイトの四方向から各々の目の前に魔法陣を展開し取り囲んだ。
 真紅に輝く陰陽道の魔法陣がエドワードの目の前の虚空に浮かんでいる。詠春の前には黄金に輝く魔法陣、千草の前には緑色に輝く魔法陣、そして…………紅蓮の炎の魔法陣から足を踏み出したその女性の目の前には青銀に輝く魔法陣が浮かんでいる。サラサラと流れる金砂の美しく長い髪が風に靡き、彼女の目の前に展開する魔法陣と同じ美しい蒼の瞳。漆黒のドレスに身を包んだ妙齢の女性の名は――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 四色の魔法光が混ざり合い、ドーム状にフェイトを覆っている結界の名は――【四神結界】
 関西呪術協会の地下に刻まれた総本山を護る四神結界の為の黄龍術式を利用し、四神を四人の魔法使いと陰陽師が担当する事で発動させた。

「エヴァンジェリンさん!?」

 驚愕したネギは思わずその名を叫んでいた。居る筈の無い、居て欲しい存在。一緒に来て、一緒に修学旅行を楽しみたいと願ったその女性が、だけど彼女に優しくない世界の為に一緒に来る事の出来なかった女性が、そこに優雅に立っていたのだ。

「ああ、大変だったようだな、お前達」

 優しく、エヴァンジェリンはネギ達に視線を向け笑みを浮かべた。

「久しいな、エドワード・ウィンゲイト」

 そして、戸惑うネギ達を可笑しそうに見た後、エヴァンジェリンは対面に居るエドワードに冷ややかな視線を送った。

「ああ、南海の孤島で一戦交えた時以来だからな」
「強さに執着していた小童が、随分と丸くなってるじゃないか」

 エドワードはその視線を受け流しながら思い出す様に言った。エヴァンジェリンの言葉に、エドワードは鼻で笑って見せた。

「世の中全部が敵だとか言ってた奴に言われたくはないな」

 肩を竦めながら言うエドワードの言葉に、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。そんな二人の様子に、ネギ達は呆気に取られた。

「エヴァンジェリンさん、一体、どういう事なんですか!?」

 ネギが説明を求めると、それまで洗脳されていると思われていた詠春がゆっくりと顔を上げ、少し困ったような、それでいて優し気な笑みを浮かべながら口を開いた。

「私もさっき聞かされたばかりなのだがね。どうやら、最初からこの結末に至る為にお義父さんとエドワード・ウィンゲイトが考えた策だったんだよ」
「全ては、造物主が創り出した世界を滅ぼす程の力を秘めた鍵、その脅威を封じる為だ」
 
 エドワードは言った。

「まあ、色々説明は長くなるから後でじっくり説明してやる。ネギ・スプリングフィールド。俺はお前の父親、ナギ・スプリングフィールドとは旧知でな。まあ、その縁で色々とあったわけだ」
「色々って?」

 ネギが更に詳しく聞こうとした時、拘束されたフェイトが怒りの篭った声が聞こえた。

「どういうつもりだい、エドワード・ウィンゲイト……。まさか、僕達を裏切る気なのかい?」

 フェイトはエドワードに殺気を放ちながら顔を向けていた。

「ああ、その通りだ。もう、やる事が無くなったからな」
「無くなった? 君は吸血鬼というだけで悪と断じ、迫害する人間に怒りを覚え、僕達の造る永遠の園……あらゆる理不尽、アンフェアな不幸のない“楽園”に吸血鬼達を移民させるという願いがあったのではなかったのか!?」

 フェイトの言葉にエヴァンジェリンが噴出した。

「アホか、貴様! この戦闘凶が、そんな殊勝な事を考えるわけが無いだろ! そんなのに騙されたのか!?」

 嘲笑を交えたエヴァンジェリンの言葉にフェイトは不快気に顔を歪めた。

「彼は十年前に僕達の仲間となったその日から今日まで共に願いのために動いてきたんだぞ!」
「お前の願いは黄昏の姫御子が二度と戦争に利用されず、永久(とわ)に幸せに生きられる事だったな」
「そうだ……。なのに、何故このようなまねをするんだい? 君の願いは――」
「アレはその女の言うとおり、ただの嘘だ」
「なんだって……?」

 エドワードの不遜な態度にフェイトは凍りついた。

「500年も生きるとどうにも暇を持余すのでな。旧き友人に力を貸す事にしたんだよ。ま、その仕事も終わって、一つだけ最後にやっとくべき事があってな」
「馬鹿な……。じゃあ、今回の作戦は初めから罠だったというわけかい? とんだ間抜けだな、僕は……」

 自嘲の笑みを浮かべながらフェイトは涙を流した。

「そんじゃ、グランドマスターキーを渡してもらおうか」

 エドワードが結界に拘束されているフェイトに言った。フェイトは顔を俯かせ、エドワードの言葉を無視した。

「大人しく渡せば悪いようにはしな――ッ」

 エドワードは突然後退した。何事かとネギ達がフェイトに顔を向けると、フェイトの手に杖が握られていた。先端に地球儀のような物が取り付けられているフェイト自身の身長と同じくらいの巨大な鍵の形をしていた。

「そいつを大人しく渡してくれないか?」

 エドワードが頬に一筋の汗を流しながら丁寧に頭を下げながら頼むと、フェイトは睨むような視線をエドワードに向けた。

「愚かだね。この程度の結界で“造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)”の力を封じられると本気で思っているのかい?」
「強がるのはやめておけ。お前を拘束しているその結界は四神と呼ばれる強大な力を持つ精霊の力を借りた強力なものだ。抜き身のままではこの世界ではグレートマスターキーといえど、その力は大きく制限される筈だろう?」

 フェイトとエドワードの言葉の端々にネギ達には理解出来ない単語が含まれていた。
 エドワードの言葉にフェイトは嘲笑の笑みを浮かべた。

「愚かだね。この鍵は造物主の創り出した鍵なんだよ? 常識に囚われた時点で君の敗北さ」

 フェイトの言葉と同時にフェイトの持つ鍵杖から光が溢れ出した。

「馬鹿な。大陰陽師・安倍晴明が張った結界だぞ。如何に造物主の力といっても大精霊クラスの力には逆らえまい」

 エドワードの言葉を尻目に鍵杖から迸った光が結界の壁に何度も衝撃を与える。

「あ、あきまへん……。ウチはもう――ッ」

 限界が来たのは結界では無く、結界を維持している人間の方だった。エヴァンジェリン、エドワード、詠春は余裕を保っていたが、元々、気を主体に使う陰陽師である千草の魔力では耐えられなかったのだ。

「なにっ!? 地下の“宝具”からのバックアップを受けている筈だろ!?」

 エドワードが愕然とした表情を浮かべると、千草の顔色がどんどん青褪めていった。

「まずいぞ、エドワード。衝撃が来る度にかなり削られている。バックアップで魔力は十分だが、人間の身で支え続けるのは不可能だ」

 エヴァンジェリンの言葉にエドワードは焦燥感を顕にした。計算違いだ。藤原の血を引く近衛家に伝えられ、現在は総本山の基点として使われている【とある宝具】からのバックアップを受ければ鍵を封じる為に必要な魔力は十分に龍脈から引き出せると踏んでいたのだが、一つ重大な見落としがあった。
 人間の身体を通せる魔力の量の限界値だ。詠春はナギと共に旅をしていた時代に魔力と触れ合う機会があり、魔力を通す容量は十分だった。だが、千草は魔力を扱う専門的な訓練は受けていない。独自にある程度操れるように修練を積んだだけだ。このままでは、千草の肉体が耐え切れず、死んでしまう可能性が高い。

「作戦は……失敗だ」

 エドワードの苦悶に満ちた声と共に千草の魔方陣が壊れた。エドワードが意図的に破壊したのだ。

「あぐっ……」

 千草がフラつき、倒れそうになるのを慌てて小太郎が支えに走った。

「こうなっては最後の策を取るしかない」
「最後の策?」

 フェイトを警戒しながらエヴァンジェリンが尋ねた。

「つまり、魔力無し、詠唱無しで強力な魔法をバンバン使う奴を相手に実力で勝利するって作戦だ」
「それは策じゃないだろッ!」

 エヴァンジェリンが怒鳴った瞬間、光の奔流が収まり、空気が螺旋状に渦巻き、暗雲が天空を包む始めた。

「なに……?」

 それまで話しの急展開についていけずにいたネギ達が呆然と周囲を見渡すと、大地が振動し、石粒や葉が宙に浮かび上がった。
 フェイトの立つ場所から一段と凄まじい波動が放たれ、既に身体がボロボロになっていた千草は気を失い、ネギ達は凄まじい圧迫感に包まれた。
 フェイトは地面を蹴り虚空に浮かんだ。憎悪に満ちた目でエドワードを睨み右手を掲げた。詠唱も無くフェイトの背後の空間が歪み始めた。まるで、水面から顔を出す様に、波紋を空間に広げながら、幾つモノ巨大な石柱が出現し降り注いだ。

「まずい!?」

 カモは、周囲に展開している洗脳された呪術師達を見て叫んだ。

「クッ、この人数を一気に転移など出来んぞ!?」

 焦燥に駆られたエヴァンジェリンの叫びに、ネギ達は戦慄した。

「なら、あの石柱を破壊します。ラス・テル マ・スキル マギステ――」

 呪文を唱え始めたネギの頭を誰かがポンポンと叩いた。

「え?」

 そして、その人物はそのままフェイトを見上げるとその手に握る剣を振るった。

「――無極而太極斬」

 オレンジ色の髪を靡かせた、碧と翠の瞳を持った勇猛果敢な少女が振るった斬撃は、冥府の石柱を一瞬にして消滅させた。剣自体が当っていないにも関らず――。

「あ、明日菜……さん?」

 ネギが呆然とその名を呼ぶと、明日菜はどこか儚げな笑みを浮かべながら口を開いた。

「ネギに言いたい事があるの」
「明日菜さん?」

 ネギに背を向けながら言う明日菜にネギは戸惑った。緊迫した状況だというのに、明日菜は凄く自然体で、それでいて酷く虚ろだった。

「私はネギに巻き込まれてコッチの世界に入ったわけじゃない」
「え?」

 明日菜の言葉に、ネギは戸惑いを見せた。

「私は自分の意思でネギを助けたの。助けたいと思ったから。だからさ、もっと私を頼って欲しいの」
「明日菜……さん?」

 恐る恐る名を呼ぶと、ハァッと拳に息を吹きかけて、ツカツカとネギの前にやって来ると、明日菜はネギの頭に拳骨を落とした。

「あの弓の呪術師と戦ってる時、ピンチなら私を呼んで欲しかったって言ってるの! だって、私はパートナーである前にネギの友達なんだから!」
「明日菜さん――ッ」

 ネギが見上げながら名前を呼ぶと、明日菜は優しい表情を浮かべた。

「それだけ言いたかったの。それじゃあ、気分もすっきりした所で、後はあのバカの目を覚まさせてあげないとね」

 明日菜はそう言うと、ハマノツルギを掲げた。そのまま、ハマノツルギをグルグルと振り回すと、ハマノツルギを地面に突き刺した。

「ガトウさん、貴方に教えてもらった力で、大事なモノを今度こそ溢さないで守り抜きます」

 毅然とした表情でフェイトを見つめるアスナに、ネギ達は眼を見開いた。

「神楽坂明日菜、お前……」

 エヴァンジェリンは、それまで以上に強いナニカを纏うアスナに戸惑った。

「待っててね。早くあのバカの目を覚まさせて、一緒に京都見物しようね、エヴァちゃん」

 思わず見惚れてしまいそうになった。あまりにも美しい笑みを浮かべたアスナは、両手を上げた。

『いいか? 左腕に魔力――、右腕に気……』

 早朝のイスタンブールの港町、そこで幼い頃のアスナはすぐ近くでタカミチに自分の技を教えているガトウの声を聞いていた。

『左腕に魔力……、右腕に……うわっ!』

 タカミチはガトウがやって見せた技を真似たが、相反する力を中々一つに出来ず、魔力と気を暴発させた。

『ダメだダメだ。いいか、タカミチ? 自分を無にしろ。そんな調子じゃ、五年は掛かるぞ』
『ハ、ハイ!』

 自分を無にしろ。自分の全てを失い、何も無い自分になら出来るかもしれない。そう思って、幼いアスナはガトウの言葉通りに左腕に魔力を、右腕に気を集中して混ぜ合わせた――。

「左腕に魔力、右腕に気を――――ッ! 咸卦法、発動ッ!」

 魔力と気の混ざり合った咸卦の力の波動が周囲の空気を弾き飛ばした。ネギ達は愕然としながらアスナを見つめた。咸卦の光が溢れ出すのをアスナは自然体のまま呼吸を落ち着かせて宥めた。咸卦の光がアスナの体を薄っすらと覆う程度にまで落ち着くと、アスナはフェイトに顔を向けた。

「フェイト、わたし、思い出したよ。フェイトの事」

 アスナの言葉に、フェイトは目を見開いた。

「姫様、本当に……?」

 呆然と呟くフェイトに、アスナは笑みを浮かべた。

「フェイト、聞きたい事があるの」
「なん……ですか?」

 喉がカラカラに渇き、フェイトは掠れた声で尋ねた。

「フェイトは“始まりの魔法使い”の仲間なの?」

 アスナの言葉にフェイトは肩を震わせた。アスナの真っ直ぐな視線を受けて、フェイトは後退りした。

「そう……なんだ。じゃあ――」

 アスナは顔を俯かせ、深く深呼吸をした。フェイトは恐ろしい思いを抱いていた。アスナが始まりの魔法使いについて知っているとは思っていなかった。

「ひめ……さ――」
「じゃあ、仕方ないわね。わたしがフェイトを始まりの魔法使いから奪い返す」
「…………へ?」

 フェイトは思わず口をポカンと開けてしまった。エドワードとエヴァンジェリンは面白がる様な表情を浮かべ、詠春とタカミチはフェイトに負けず劣らずの唖然とした顔をしている。ネギ達は事情が理解出来ずに混乱している。

「フェイト……、フェイト・フィディウス・アーウェルンクス!!」

 アスナはニカッと笑みを浮かべてフェイトの名前を呼んだ。

「は、はい!!」

 フェイトは反射的に返事をしていた。アスナは笑顔で

「よろしい!」

と言って、地面に突き刺したハマノツルギを引き抜いた。

「我が真名、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアの名に於いて命ず!! その真の姿を解き放て!!」

 アスナがハマノツルギの刀身に手を置きながら呪文を唱えると、ハマノツルギの刀身の光が弾けた。一気に視界全てが真っ白になり、唐突に光の奔流が止んだ。
 アスナの手にハマノツルギは姿を消し、代わりに黄昏の如く黄金に輝く西洋剣を握り締めていた。アスナは黄金の剣を軽やかに振り回し、地面に突き刺した。

「これが、破魔之剣の真の姿――【決着をつける女王の剣(エクスカリバー)】よ」
「エクス……カリバー?」

 刹那の呆然としたような声が異様なほどに響いた。全員が無言でエクスカリバーを見つめている。
【エクスカリバー】――その名を知らぬ者は居ない程のこの世で最も有名なアーサー王の振るった聖剣。あたかも松明を三十本集めた程の明るさを放ち、その光は仲間達の心を奮い立たせ、敵の眼を射た。あらゆる魔法、あらゆる護りを切り裂き、王に勝利に導き続けた最強の剣。最後の刻に王の忠臣がその剣を王に聖剣を贈った湖の貴婦人に返還したとされる至高の聖剣が、真の姿を取り戻し鼓動していた。

「えっと……、エクスカリバーって、マジ?」

 アスナの握るあまりにも神々しい輝きを放ち、まるで鼓動しているかのように光を波立たせている黄金の剣に魅せられたような表情を浮かべながら美空が恐る恐る尋ねた。

「だって、湖の貴婦人が持ってる筈でしょ? エクスカリバーは……」
「それは数ある伝承の一説だ」

 美空の言葉をエドワードが否定した。美空がギョッとした表情を浮かべるが、エドワードは構わずに続けた。

「エクスカリバーには幾つも諸説が存在する。最も有名なのが、王が決闘で選定の剣を折ってしまい、代わりに【湖の貴婦人(ヴィヴィアン)】の望みを叶える事を誓い、エクスカリバーを頂くというものだが、他にも【妖精の国(アヴァロン)】で鍛えられた、一振りで500人の軍勢を打ち倒したとされる【王者の煌剣(カリバーン)】がエクスカリバーと呼ばれるようになったという説もある。そして、こういう説もある。【魔術師・マーリン】がアーサーを民衆に王と認めさせる為に用意した真の王以外に引き抜く事の出来ない異界(アヴァロン)で鍛えられた選定の剣、それこそがエクスカリバーであり、王の最後の刻にエクスカリバーは蜃気楼の湖に落とされたという説だ」
「まあ、よく分からないけど、これがエクスカリバーなのは間違いないわ」

 アスナが言うと、エヴァンジェリンが目を見開きながら呟いた。

「あの剣は……、あの湖でナギが手に入れた剣じゃないかッ!?」
「え!?」

 エヴァンジェリンの言葉にネギが驚きの声をあげた。エヴァンジェリンに父の話を聞いた時にエヴァンジェリンとナギが麻帆良を訪れる前に最後に向かった謎の湖、そこで手に入れた謎の剣の事を聞いていた。それがアスナの握るエクスカリバーであると聞いて困惑した。

「どうして、ナギが手に入れた剣がアスナのアーティファクトとして――――ッ! もしかして、ネギの従者に渡るように?」
「たぶん、ナギからのメッセージなのかもしれない」

 アスナが言った。ネギとエヴァンジェリンは親しげにナギの事を語るアスナに目を丸くした。

「昔、わたしはナギに助けてもらった事があるの。この剣はきっと、今度はわたしにネギを助けてくれっていうナギからのメッセージなんだと思う」
「アスナさんが……父さんに?」
「だけど、その前にわたしがやりたい事を済ませちゃうね」

 そう言うと、アスナはエクスカリバーの剣先を戸惑いと困惑の表情を浮かべるフェイトに向けた。フェイトはショックを受けた表情を浮かべた。

「フェイト、これは命令よ! このわたしと全身全霊、フェイトの全てを掛けて戦いなさい!」
「ひ、姫様!?」

 フェイトは愕然とした表情になった。

「フェイトが勝ったら、わたしの事を好きにしていいわよ?」
「へ?」

 アスナの発言にその場の全員が凍りついた。

「そうねー、フェイトがしたいならエロい事だっていいわよ?」
「ブハッ!」

 アスナの大胆過ぎる発言にフェイトは思わず噎せ返ってしまった。刹那は反射的に木乃香の耳を塞いで顔を真っ赤にしている。タカミチはネギの耳を塞ぎながら白くなっている。
 美空は面白くなってきたーッ! と興奮し、エヴァンジェリンと詠春は凍りついたままだ。

「その代わり、わたしが勝ったらフェイト! フェイトはわたしのものよ! 始まりの魔法使いなんかに返さない。一生、死ぬまで、わたしに仕えなさい!」
「姫様……」

 アスナの真っ直ぐな目に見つめられて、フェイトは拳を握り締めた。

「僕は――」

 フェイトは嬉しかった。心の底から。目の前に立つアスナは間違いなく自分の知るお姫様だった。そして、お姫様は自分を欲しいと言ってくれた。だからこそ、フェイトは哀しかった。
 ただ、記憶を弄られ、偽者の人生を歩まされているお姫様を救いたいと我武者羅に願っていた時は何も考えずにいられた。だけど、正真正銘のお姫様を前にして、フェイトは現実と言う壁を幻視してしまった。
 自分はお姫様と一緒に居られる存在ではない事を思い出したのだ。フェイトは何度も口を開こうとして、その度に心が痛んだ。言えば、お姫様は二度と自分を欲しいなどとは思わなくなるだろうと理解して――。

「――ぼく……は、造物主(ライフメーカー)が姫様を監視する為に創った……人形なのです」

 フェイトは震えた声で言った。アスナは目を白黒させている。ネギ達も困惑した表情を浮かべている。

「【地】のアーウェルンクス。それが、僕の本当の名前です。僕は造物主が計画を完遂する為に創られた駒。お姫様に警戒されない為にウェスペルタティア王国ペガサス騎士団が第一師団の騎士団長、フィディウスの息子という偽の記憶と偽の心を持たされただけの傀儡なんです……」

 血を吐くような独白を続けるフェイトにアスナは顔を俯かせた。フェイトは哀しみと絶望を感じながら涙を流した。

「その涙も……偽者?」

 アスナが顔を俯かせたまま、フェイトに尋ねた。フェイトは一瞬、何の事だか分からなかった。目元に手を当てて驚いた。自分では、自分が涙を流している事に気が付いていなかったのだ。

「偽者です……。人形に感情などない」
「やっぱり、フェイトだね」

 アスナは肩を震わせながら言った。

「姫様……?」

 顔を上げたアスナは顔を綻ばせていた。フェイトは理解出来ずに戸惑いの表情を浮かべた。

「覚えてる? フェイト、わたしと一緒に会った時、紅茶に砂糖じゃなくて塩を入れたの」
「あ、あれは、姫様が塩と砂糖を一緒に置くから!」

 フェイトは思わず叫んでいた。すると、アスナは嬉しそうに笑った。

「偽者の記憶? 偽者の感情? そんなのどうでもいいわよ。監視してた? それもいいわ、許してあげる。だって、王宮でわたしと一緒に遊んでくれたのも、わたしの為に城下まで花や玩具を買って来てくれたのも、わたしが初めて好きになったのも、フェイトだもん。最初は確かに偽者の記憶と偽者の感情だったのかもしれないね。だけど、わたしと一緒に過ごした日々の記憶は偽者? 今、泣いているのは偽者の感情? フェイトは人形なんかじゃないよ」
「ち、違います! 僕は……造物主に創られた……」

 止めてくれと泣き叫びそうになった。どうして、自分の正体を明かしたのに自分にそんな言葉を掛けてくれるんだ、と。もしかしたら、またお姫様の騎士になれるかもしれない、なんて希望を抱いてしまいそうになる。
 自分は人形なのだ。だから、突き放して欲しい。そう願ったのに、お姫様は逆に抱き寄せようとする。フェイトはアスナから少しでも離れようと後退りした。

「フェイトは人形なんかじゃない。確かに、造物主に創られた存在かもしれないわ。だけど、今は心を持った人間よ。フェイトはフェイト。わたしが言うんだから間違いないわ!」
「やめ……くれ」
「フェイト?」
「止めて……下さい。僕は人形で……、姫様を監視してて……、僕は……」

 フェイトが肩を震わせながら言うと、アスナが大きく溜息を吐いた。

「御託はもういいわ! フェイト、さっさと戦う準備をしなさい」
「え……? ひめ……さま?」
「言ったでしょ? フェイトが勝ったらいくらでも自由にしていいわよ。わたしもフェイトは人形なんだって、諦めてあげるし、自分は人形だなんだって好きなだけ泣き喚いてればいいわ! だけどね、わたしが勝ったら麻帆良に連れて帰る! それで、その腐った根性叩きなおしてやるわ!」

 アスナの怒声にフェイトはアスナの顔を見た。アスナは燐とした表情でフェイトにエクスカリバーの剣先を向けていた。

「僕は……」
「フェイト、久しぶりにアンタの実力を見てあげるわ!」

 アスナはそれ以上の問答を許さず、一気に地面を蹴った。

「クッ!」

 フェイトは咄嗟に飛び上がった。フェイトの立っていた場所にアスナが拳を振るっていた。咸卦の力の篭った拳の勢いで突風が巻き起こった。

「僕を……」

 アスナは再び地面を蹴ると、一気に上空に浮かぶフェイトの目前まで距離を詰めた。フェイトは咄嗟に鍵剣を起動させた。

「リ、リロケート!」

 フェイトの姿が掻き消え、アスナの蹴りが虚空を薙いだ。

「もう――」

 フェイトはアスナの頭上に転移した。泣きじゃくった顔でアスナに向かって叫んだ。

「僕を突き放してくれ――――ッ!」

 フェイトの悲痛な叫びと共にフェイトの握る杖から魔力が溢れ出した。カッとフェイトの瞳が開き、虚空に出現した巨大な岩石の拳がアスナに迫った。アスナはエクスカリバーを振るって消滅させる。

「ウアアァァァアアアアアア!!」

 フェイトの背後の空間が波立ち、凄まじい数の石の槍が出現出現した。

「これは――ッ」

 あまりにも多過ぎる。アスナは地上のネギ達を見て焦燥に駆られた。すると、真っ白なブリザードが吹き上がり、落下しようとしていた石の槍を全て一纏めにすると、凄まじい熱量を持った炎の龍が出現し凍結された石の槍を全て飲み込み消し炭に変えた。驚いて地上を見下ろすと、右手を掲げ、青銀の瞳を輝かせるエヴァンジェリンと、ポケットに手を入れたまま黄金の瞳を輝かせるエドワード・ウィンゲイトの姿があった。

「明日菜君!」

 タカミチの声が響いた。不思議だった。明日菜がずっとどうしようもないほど好きだったタカミチの声が、どこか遠く聞こえた。眼を見開き、胸が痛んだ。

「僕達の事に構う必要は無い! 君は、君の戦いに集中するんだ!!」
「私は――」

 神楽坂明日菜は高畑.T.タカミチを愛していた。心の底から好きだった。鈴のリボンを貰った時の事も、タカミチの煙草を吸う横に立っていた時の事も、全て思い出せる。木乃香に付き合って貰って、タカミチにチョコレートを渡した事も覚えている。だけど、今はタカミチを思う度にあの人の姿が脳裏に再生される。タカミチは、ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグに似ている。本人が自分から似せているのだから当たり前だ。彼の戦闘方法も、煙草を吸うのも、着ている背広のブランドや眼鏡のフレームの形から髪型まで、全てが彼の模倣だ。
 だから、自分はタカミチにガトウを被せて見ていたのか? 違う――。
 アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアはフェイト・フィディウス・アーウェルンクスが好きだった。
 だけど、神楽坂明日菜は――高畑.T.タカミチが好きなのだ。

「私はわたし。わたしは私……」

 上空では、錯乱したフェイトが次々に石の槍や剣を雨の様に降らせているが、エヴァンジェリンが冷気でそれらを一箇所に集め、エドワードが焼却していく。
 アスナは不意に涙が溢れた。アスナは地面に降り立った。

「だって、わたしは私だもん。明日菜として生きてきたのは本当だもん……」

 明日菜の瞳が揺れた。心が掻き乱され、突然、どうしていいか分からなくなった。記憶が甦り、昔の人格と今の人格が融合したのが今のアスナだった。アスナと明日菜、二つの人格が一つになった事で混乱が起きてしまったのだ。
 フェイトの事が好きなアスナとタカミチの事が好きな明日菜。二つの心に揺さぶられたアスナを見て、エヴァンジェリンがタカミチに顔も向けずに告げた。

「タカミチ、お前の口から言え。お前の思いを。ちゃんと、本音で――」

 タカミチはエヴァンジェリンの言葉に、頷いた。
 タカミチはスゥッと息を吸い込み、真っ直ぐに明日菜を見た。愛おしそう、慈しむように。

「明日菜君」

 タカミチは明日菜の名を呼んだ。彼女が、この数年間を生きた名前を。

「僕は、君があやか君や木乃香君達に囲まれながら元気になっていく姿が嬉しかった。君が僕に向けてくれる感情も嬉しかった」

 タカミチの声に、明日菜は顔を上げた。

「僕は……、僕にとって、君は――」

 タカミチは息を更に吸い込んだ。記憶の中の明日菜の姿が甦った。

『え……、プレゼント?』

 小学校に入学するその日、タカミチは鈴の付いたリボンをプレゼントした。髪の毛をそのリボンで結んであげても、アスナは詰まらなそうな顔をしたままだった。

『別に……、嬉しくない。こんなの』
『ハイハイ……』

 アスナの髪を結ぶのはタカミチの役目になった。いつも同じ椅子に座らせて髪を結ってあげていた。
 時が経つにつれて、アスナは感情を表すようになった。特に、あやかと喧嘩してよくボロボロになって帰って来た。

『なんだい、最近ボロボロだね』
『いいんちょってバカがいて、つっかかってくるの、ホントにバカ』

 一緒に過ごす内にアスナは色々な感情を見せるようになった。

『タカミチ、タバコ吸ってよ。落ち着く……』
『アスナ君……、タバコは副流煙って言ってねー、体に悪いよ。僕の身体にも悪い……』

 覚えていない筈なのに、アスナはタバコを吸ってとせがんできた。タカミチは仕方なく吸い始めた。おいしくない。だけど、止められなくなった。アスナの落ち着いた表情とガトウの事を思い出して――。
 アスナがタカミチの家を出て、寮に住む事になった。久しぶりに会った時、アスナはタカミチと呼ばなくなっていた。

『あ……、久しぶり、タカミ……た、高畑さん』

 同室になった木乃香と一緒に挨拶に来て、初めてタカミチを高畑さんと呼んだ。その他人行儀な言葉に少しだけ寂しく思った。
 中学にあがって、いつも笑顔を振り撒くアスナの姿が嬉しかった。

『おー、制服似合ってるねー、アスナ君、木乃香君』
『あ、こんにちはー高畑さん! きょ、今日から私達の担任ですね。今日から、高畑先生って呼ばせてもらいます!』

 初めて会った時とは比べ物にならない程、元気な笑みを見せてくれた。
 今でも一緒に旅をした時間、一緒に住んだ時間、一緒に過ごして来た時間を隅から隅まで思い出せる。
 てっきりすぐに自分の好きな物に替えてしまうと思っていたのに初等部から中等部に上がる時も……彼女はずっと自分のプレゼントしたリボンを付け続けてくれた。

 アスナの頭を優しく撫でながら、タカミチは穏かな笑みを浮かべながら言った。

「本当の……“娘の様に”愛しているよ」

 アスナは体から力が抜ける気分だった。もう、明日菜の思いは叶わない。そう、告げられたのだから。だからこそ、明日菜とアスナが一つになる為に、明日菜は叫んだ。

「高畑先生……。私は、神楽坂明日菜は! 高畑先生が……大好きです!」

 大声で、全身全霊を掛けて叫んでいた。瞳から止め処なく涙を溢れさせて、明日菜は叫んだ。

「鈴のリボンをくれた時の事も、煙草を吸う姿も、高畑先生の全てが大好きです!」
「明日菜さん……」

 ネギは、瞳から溢れ出す涙を止められなかった。

「明日菜……」

 木乃香は、親友の姿を眼に焼き付けた。

「明日菜さん……」

 刹那は、俯きそうになるのを必死に堪えて明日菜を見上げた。

「明日菜……」

 美空は、戸惑いと心配と眼差しを向けた。

「神楽坂明日菜……」

 エヴァンジェリンは、ギュッと拳を握り締めた。そして、タカミチは大きく息を吸い込んだ。

「ありがとう、明日菜君」

 ギッと歯を噛み締めて、タカミチは告げた。

「そして……、すまない」

 明日菜の瞳が見開かれた。涙が止まらない。分かり切っていた事だったのに、心が壊れそうな程辛い。虚空に出現した巨大な岩石の刀剣にも反応しない。炎の龍が、その刀剣に噛み付き、そのまま遠い場所で噛み砕いた。黄金の瞳を輝かせながら、エドワードは明日菜の姿を見た。

「ありがどごじゃいまじだ!!」

 呂律も回っていない。ただ、エクスカリバーだけが輝きを増していく。まるで、主人を元気付けているかのように。涙を拭い、アスナは何度も深呼吸をした。本当は泣き崩れてしまいたかった。
 それでも、懸命に心を震わせてフェイトを見つめた。上空に現れた石柱を切り払う。そして、一瞬だけタカミチの顔を見つめて、フェイトの下へと飛び立った。

 飛び去るアスナを見つめながら、タカミチはポケットから煙草を取り出した。すると、突然現れた炎が煙草に火を点けた。一瞬眼を見開くと、タカミチは穏やかな顔になった。

「ありがとうございます」
「勿体無い奴だな」

 黄金の瞳を輝かせながら、上空に待機させた炎の龍を消してエドワードは呟いた。

「分かっていますよ。でも、あの娘の成長が嬉しいと感じる僕のこの気持ちは……これがきっと親心ってやつなんだと思うんです」
「嫉妬していた奴の言う事か?」

 炎の遠見で覗いていたエドワードの言葉にも、タカミチは笑みを称えたままだった。

「僕は……」

 タカミチはネギの頭に手を乗せた。

「この子達とは並び立てない。それが……悔しいと思ったのは本当ですよ」
「タカミチ?」
「これからの時代は、君達の世代が導くんだ」

 タカミチの言葉に、ネギはよく理解出来なかった。それは、勉強が足りないとか、そういう事じゃないと分かった。

「うん……」

 ただ、そう答えた。その時、まるで大人から渡された様だった。
 時代という名のバトンを――。

 アスナは、カッと眼を見開いた。

「もう、迷わない!」

 アスナはフェイトに斬りかかった。フェイトは眼前に幾つもの頑強な盾や剣を召喚するが、悉くアスナの剣によって消滅していく。そのまま、総本山の壁の向こうの森に向かうアスナとフェイトを見ながら、詠春はクスクスと笑った。

「いやぁ、お姫様も活発になったね」

 微笑を称えながら、詠春は木乃香達も元にやってきた。

「お父様!?」

 木乃香が詠春に抱きついた。

「木乃香、久しぶりだというのに、色々と済まなかったね」

 詠春は優しく木乃香を抱き締めると、その頭を愛おしそうに撫でた。

「刹那君。君もご苦労でしたね」

 詠春が刹那に労わりの言葉を掛けると、刹那は恐縮し跪いた。

「い、いえ! 勿体無き御言葉、恐れ入ります」
「そうかしこまらないでください。この二年間、木乃香の護衛をありがとうございます。私の個人的な頼みに応え、よく頑張ってくれました。苦労をかけましたね」

 詠春の労いの言葉に、刹那は顔を上げた。

「いえっ! お嬢様の護衛は元より私の望みなれば……。勿体無いお言葉です。しかし、申し訳在りません。私は……、末席の身でありながら……」
「仮契約の事ならば……それを問う気は無いよ」

 詠春の言葉に、刹那は驚愕に眼を見開いた。

「君の忠義、本当に感謝しているんだ。組織への忠誠ではなく、木乃香に忠誠を誓ってくれている君だからこそ、木乃香の護衛を頼んだ。君に任せて、本当に良かったと思っているんだ。これからも、よろしくお願いします」

 そう言うと、詠春は頭を下げた。組織の長である者が頭を下げる、それは途轍もない事だ。
 刹那は眼を白黒させ、慌てて頭を上げる様に懇願した。そして、刹那は誓いを立てた。

「長、長に頂いた夕凪とお嬢様に頂いた建御雷に誓い、必ずお嬢様をお守りいたします」
「ええ、よろしくお願いします」
「む~、せっちゃんてば、お嬢様やなくてこのちゃんって呼んでや」

 頬を膨らませながら言う木乃香に
「し、しかし!?」
と詠春の顔を恐々と見ると、クスリと笑みを浮かべて詠春は言った。

「五月蝿い事を言う者も居るでしょうが、構いませんよ。少なくとも、私の前では普段の二人を見せてください」

 ニッコリと笑みを浮かべながら言う、詠春に、刹那は顔を真っ赤にしながら木乃香に顔をあわせて
「このちゃん……」
と小さく呟いた。

「うん、せっちゃん」

 木乃香が返事を返す。

「おい、それよりもいい加減にコイツ等に事の真相を話してやれ」

 そこに、エヴァンジェリンが一喝した。何がどうなっているのか聞きたいが、邪魔をする訳にもいかないし、という表情を浮かべているネギ達に詠春は咳払いをした。

「そうですね。キチンとお話しなければなりませんね」

 そう、詠春が呟いた瞬間だった。アスナとフェイトが向かった先で巨大な魔力が爆発し、巨大な人型が起き上がった。

「ハアアァァァアアアアアッ!!」

 アスナの剣が振り下ろされる。黄金の光を放つ両刃の剣が障害となるあらゆるモノを切り裂き、アスナの拳がフェイトに迫る。正気を失った眼で、狂った様に雄叫びを上げるフェイトに、アスナは眼を細めた。
 明日菜としての自分の気持ちに区切りをつけた。明日菜もアスナも一人のアスナ。今度こそ、ぶれずに一直線に歩み寄る。

「フェイトッ!!」

 上空に飛び上がるフェイトを追い、アスナは森の木の天辺に躍り出た。フェイトは魔獣の如き唸り声を上げると、上空に手を翳した。波紋を広げながら、まるで水中から顔を出す様に、無数の武器が上空を覆い尽くした。刀・槍・斧・鎌・杭・槌ありとあらゆる武装が降り注ぐ。

「武具の豪雨ってとこ?」

 無数の武器がアスナに向かって降り注ぐ。それは、まさしく豪雨だった。銀色の刃が、金の矛先が、その一撃一撃が人を殺す為の武器としての機能をもっている。

「ただ武器を降らすだけじゃ、私には勝てないわよ! 無極而太極斬ッ!!」

 エクスカリバーから放たれる光の波紋が次々に武具の豪雨を消し去って行く。

「本気で来なさい!! アンタの本気を、私にぶつけなさい!!」

 その声が通じたのかは分からない。だが、フェイトはそれまで以上に大きく、力強く吼えた。凄まじい魔力の嵐が爆発する。
 フェイト・フィディウス・アーウェルンクスの本気が来る。それを理解したアスナは笑みを浮かべた。

「それでいいんだよ。本気のアンタを倒さなきゃ、アンタを取り戻せないもん。じゃあ、いこうか、エクスカリバー。私も全力、フェイトの思いの全てを受け止めてみせる」

 黄金の剣の輝きが増す。それは、最早光の塊だった。あまりにも眩い煌きは、上空に浮かぶのとは別の、もう一つの太陽だった。

「来なさい、フェイト!」

 フェイトの魔力がうねる様に広がった。大地が揺れ始めた。地面が割れ、裂け目から二つの巨大な岩石の腕が出現した。そして、徐々に巨大な人型が姿を現した。 土人形(ゴーレム)と呼ぶには大き過ぎる岩石の巨神。そう、まさしく巨神だった。フェイトはその巨神の頭部に降り立つと、鍵杖を巨神の頭部に突き立てた。
 地の魔素で編まれた巨神は腕を剣に変えてアスナに襲い掛かった。アスナはエクスカリバーで巨神の剣を切り裂こうとするが――。

「エクスカリバーを受けて消滅しない――ッ!?」

 巨神の剣はエクスカリバーと衝突していながら、その存在を消す事無く、アスナを吹き飛ばした。あまりにも強烈な力にアスナは凄まじい勢いで総本山の上空を越え、山の斜面に叩きつけられた。
 咸卦法を使っていなかったら木っ端微塵になっていたところだった。全身がバラバラになりそうなほど痛い。それでも、アスナはエクスカリバーを構えて、巨神の下へ飛んだ。

「その巨神には私とエクスカリバーの能力は効かないわけね……。でも、わたしもエクスカリバーも破魔の力だけじゃないのよ!」

 頭から血を流し、息絶え絶えになりながら、アスナは咸卦の光をエクスカリバーに集め始めた。

第二十六話『過去との出会い、黄昏の姫御子と紅き翼』

「ついに来たか。これで、条件は全てクリアした。後は、コマの配置とタイミング……そして、演出だ!」

 エドワードは指を高らかと鳴らした。瞬間、上空に凄まじい熱量を放つ小規模な太陽が発生した。紅蓮の炎の球体から蛇の様に炎の鞭が幾重も飛び出し、虚空を打つ。

「フェイト・アーウェルンクス。お前は上空から奴等の退路を絶て! 更に、左右からは呪術師による弾幕を張れ。残りの者は全員でこの儀式場を取り囲め!」

 エドワードの指示に、フェイトは頷くと本殿に跳び上がった。数百人の呪術師が石畳の左右に展開した。その他の神鳴流、呪術師は全員が儀式場を取り囲む。

「存外、苦戦したらしいな」

 エドワードの背後に炎が吹き上がり、その中から近衛詠春が現れた。顔を俯かせ、ただ静かに立ち尽くしていた。全身には数え切れない程の銃創が見て取れる。
 エドワードが再び指をバチンと鳴らすと、総本山を覆っていたオレンジ色の炎の膜が消え去り、内側に閉じ込められて困り果てていた美空が半泣きで明日菜達と合流するのをエドワードは感じ取っていた。
 少し離れた場所に、エドワードは炎で魔法陣を描き出した。フッとほくそ笑むと、エドワードはそのままズボンのポケットに手を入れて上空を見上げた。エドワードの黄金の瞳が光を帯びて輝くと、上空に存在した巨大な炎球が移動を開始した。本殿を越えた石畳の上空へ――。

 総本山へ突入した明日菜達が長い階段を駆け上る途中で、千草と涙目の美空が合流した。美空は、逃げ出そうとした途端に炎の膜が現れて逃げられなくなり、戻って来れなかったのだ。

「怖かったよ~」

 美空がえぐえぐと明日菜に泣きついているのを

「確かにそりゃ怖いな」

と全員が納得した。何せ、敵の本拠地から出られずに味方と合流も出来ず、何時見つかるか分からないのだ。その恐怖たるや、軽くトラウマになりそうなものだ。
 逃げ腰になりながらも、一人で逃げ出すのも怖く、明日菜にしがみ付きながらも付いて来る。長い階段を登りきると、凄まじく広大な敷地に出た。木乃香と刹那は久しぶりの我が家に複雑な思いだった。何時もならば、関西呪術協会の面々が頭を下げて歓迎する。だというのに、誰も居ない。静か過ぎる広場に違和感すら覚える。直後、上空に炎の球体がゆっくりと姿を本殿の向こうから現した。

「――――ッ!?」

 全員が目を見開くと、上空から巨大な石柱が降り注いだ。

「皆さん、走って!」

 ネギが叫ぶと同時に、全員が駆け出した。背後に凄まじい衝撃を感じながら何とか直撃だけを免れた。だが、背後に巨大な石の柱が何本も立ち、明日菜達の退路は絶たれてしまった。直後、左右に気配を感じた小太郎が叫んだ。

「囲まれとる!」
「――――ッ!?」

 左右から数百人もの呪術師の集団に囲まれていた。更に、上空には小規模な太陽を思わせる炎の球体が動きを止め、明日菜達を見下ろしている。

「ク――、本殿に向かって走ってください!」

 刹那が本殿を指して叫ぶと、ネギ達は揃って頷いて走り出した。瞬間、左右から色取り取りの魔弾が弾幕となって襲い掛かった。それは、最早壁であった。
 魔弾の壁は容赦なく走るネギ達に襲い掛かった。それぞれが剣で、符で、魔術で、狗神で、居合い拳で弾き返すが、その量が半端ではなかった。更に、上空の炎球から触手の様に伸びた炎の鞭がネギ達に襲い掛かる。左右上空の三方向からの同時攻撃。あまりの弾幕の厚さに、ネギ達は動けなくなってしまった。

「クソ――、四天結界独鈷錬殻!!」

 刹那は四つの独鈷杵を放り投げ、全員を囲む三角錐の結界を発動した。

「何て数や……」

 小太郎はあまりの弾幕の厚さに呆然と呟いた。結界の壁が絶えず衝撃を防ぎ続けている。最低でも、左右と上空のどれか一つをどうにかしなければ動くことすらままならない。
 タカミチの背広のポケットに入っていたカモはその様子をジッと眺めると、タカミチを見上げた。
「ああ」
とタカミチは頷き、口を開いた。

「僕が左側の呪術師達を抑える。君達はそのまま真っ直ぐに本殿へ向かってくれ」
「恐らく、それが狙いだろうが、姉貴や姉さん達なら大丈夫だろうからな」

 そう、この状況で考えられる敵の策は一つだけだった。こんな場所で直接的に叩こうともせずに足止めをする理由――。それは、戦力の分散に他ならない。どれか一つを潰さなければ前進は望めない。その為に戦力は分散する。それが狙いだ。
 そして、たった一つだけ攻撃もなく、道も遮断されていない場所がある。それが、前方であり、本殿。おそらくは、本殿を越えた先に親玉が居る。

「なら、上空の炎球を落としていくから。幾らタカミチでも、あれがあったら危ないもん」

 そう言うと、ネギは刹那に顔を向けた。

「刹那さん、私が詠唱を完了させたら結界を解いてもらえますか?」
「んじゃ、左側は任せんで? 右側はワイが潰す」
「は?」

 小太郎の言葉に、明日菜は当惑の声を上げた。と、同時に小太郎は雄叫びを上げた。
 漆黒の毛皮の耳が白くなっていく。髪も白に染まり、腰まで伸びていく。真っ白な尾が延び、牙が伸び、爪が伸び、小太郎は獣化した。

「うん、そうだね。態々相手の望み通りにする必要無いし。小太郎、右側を全員眠らせるのにどのくらい掛かる?」
「一分寄越せ。それで、十分や」

 ネギが杖に魔力を集中しながら尋ねると、小太郎はニヤリと笑みを浮かべて言った。

「やれやれ、大見得を切るね。僕は力技ばかりだから、眠らせるのには時間が掛かるんだが……何とか一分で終わらせよう。そうしたら、全員で先に進もう」
「なら、私も!」

 明日菜が咄嗟に言葉を放つが、刹那が首を振った。

「ああまで密集している場所に突入した場合、視界が悪く同士討ちの危険があります。ですが……小太郎、あれを本当に一分で全員昏倒させられると? 殺さずに?」
「やる言うてんねん。こっから共同戦線なんや、疑うな」

 自分と同じ、真っ白な髪を靡かせる狼人間に、刹那は疑わしげな表情を浮かべた。だが、小太郎はニヤリと笑みを浮かべて軽く返した。
 明日菜は納得がいかなかった。どうして、小太郎にはあんな危険な場所に行かせるのか、と自分には絶対にそんな事を言わないだろうネギに、明日菜は唇を噛み締めた。納得がいかない。

「ラス・テル マ・スキル マギステル。来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐 ――」

 螺旋回転しながら杖の先に魔力が収束していく。雷と風。二つの属性はある意味では同じ属性だ。風の精霊によって生み出される雷。故に、エヴァンジェリンの闇と氷の融合魔法よりも扱い易い。ネギはエヴァンジェリンとの修行で鍛えた魔力操作の技術を活かし、収束を更に強めていく。
 ネギは刹那に顔を向け、頷いた。刹那がコクンと頷くと同時に、結界が解除された。タカミチと小太郎、明日菜、刹那、木乃香、美空がネギを守る様に弾幕を打ち落とす。

「雷の暴風!」

 雷と風の二属性の螺旋の力。上空へ放たれたソレは、凄まじい力によって一気に炎の球体を飲み込み、消滅させた。荒れ狂う雷を纏った螺旋の旋風。思わず息を呑む。それだけの魔法を発動しながら、ネギは息一つ乱していない。

「凄げぇ……」

 天を翔ける龍の如く“雷の暴風”が雲を切り裂く光景に思わず美空が呟いた。その言葉は、全員の感想を代弁していた。明日菜は、嘗ての夜に見た時以上の力を放つ雷の暴風に目を見開き、刹那は決戦奥義クラスのその魔法に感嘆の息を洩らし、木乃香は雷の暴風の輝く螺旋に瞳を輝かせた。タカミチは嘗て見た英雄のソレの姿を幻視した。ただ一人、更に凄まじい対軍勢用の決戦奥義クラスの魔法を見た小太郎だけが真っ直ぐに右側の敵を睨みつける。

「じゃあ、行くで!」
「あ……、ああ!」

 小太郎が飛び出し、一瞬遅れてタカミチも駆け出した。無数に降り注ぐ弾幕の壁に向かって。突入した小太郎は、影分身を発動し、獣化により強化された凄まじい速度によって一気に敵の中に入り込んだ。そして、狗神を無数に解き放ち、次々に意識を落とさせていく。
 タカミチは、猛烈な速度で移動しながら次々に後頭部を手刀で叩き、次々に眠らせて行く。弾幕を張れという命令しか下されて居ない洗脳された呪術師達は、なんの防御も回避もせずに易々と闇に沈んで行った。
 二人が戻ってくるまでに、一分も掛からなかった。ただ、回避も防御もしない木偶を相手には、一秒に数人ずつ倒していくのは楽な作業だった。小太郎はその事に不信を持った。明らかにおかしい。こんな、高畑.T.タカミチを足止めするための策なのに、一切の抵抗をさせないなど在り得ない。足止めになっていない――。
 戻って来た二人の僅かな怪我を木乃香が癒すと、刹那が口を開いた。

「突撃します。皆さん、御武運を――」

 本殿の中に突入した瞬間、ネギ達は炎に包まれた。驚愕する暇すら与えられない一瞬の事だった。熱いと感じる事も無く、次の瞬間にネギ達は広大な広場に立っていた。

「…………え?」

 誰からともなく戸惑う声が聞こえた。そして、僅かに掠れた様な男の声が響いた。

「待っていたぞ」

 そこに立っていたのは、十五、六の外見をした赤髪の少年だった。女性ならば十人が十人呼吸を忘れて見入るだろう美貌を持つ赤い目の少年だ。引き締まった顔つきは鋭さと憂いを同時に秘め、気怠い表情は、次の瞬間には冷酷な殺意に変りそうな危うさを漂わせている。優雅な仕草で笑みを浮かべる少年の真っ白な肌に浮かぶほっそりとした顎から首筋へのラインに、目を逸らしそうになる。
 その時、明日菜は不思議な視線を感じて顔を向けた。赤髪の少年のすぐ隣に、もう一人の銀髪碧眼の見目麗しい少年がジッと視線を送っていた。見た目は赤髪の少年と同じ十五、六程度だろう。線の細い体つきだが、しなやかな身のこなしがその外見に騙されてはいけないといっている。冷ややかな印象を与える少年の瞳は、確かな感情を称えていた。あまりにも美しい二人の少年に、ネギ達は戸惑いを見せた。まさか、こんなにも綺麗な少年達があんな恐ろしい事をしてきたというのだろうか、と信じられなかった。

「フェイト、話したい事があるのだろう? 魔物の召喚までには時間が少しある。少し、話してみるといい」

 エドワードは優雅な仕草で首を向けながら言うと、そのままフェイトの傍を離れた。そして、木乃香が目を見開いた。

「お父様……」

 フェイトの後ろには近衛詠春の姿があったのだ。俯いたまま、濃色の狩衣を纏い、漆黒の髪を短く刈上げた年配の男。木乃香の声にも応じなかった。

「お嬢様……」

 刹那が気遣わしげに声を掛けるが、木乃香は首を振った。

「絶対に助けるんや」

 木乃香は毅然と前向きながら言い放った。ネギは木乃香を心配そうに見上げていたが、大丈夫そうなのを見て前を向くと、フェイトの直ぐ近くに炎の魔法陣が描かれているのを見た。

「エドワード。全く、君の徹底ぷりには呆れるね。ここまでやって未だ戦力を増強するなんて」

 エドワードはほくそ笑んだ。そして、フェイトは真っ直ぐに明日菜を見た。

「この指輪を……覚えてますか?」

 フェイトは、どこか縋る様に明日菜に一つの小さな指輪を見せた。それは、おもちゃの指輪だった。稚拙な作りのそれを、明日菜には見覚えが無かった。

「何よ……何なのよソレ。そんなもの知る訳ないじゃない!」

 突然、敵に見せられたおもちゃの指輪など、知る訳が無い。明日菜がそう断ずると、フェイトは顔を歪ませた。

「やっぱり……違うんだ。姫様は……。偽者め……偽者め偽者め偽者め!! 姫様を返せ!!」

 涙を流しながら、フェイトは激昂した。そのあまりの感情の爆発に、ネギ達は息を呑んだ。

「姫様って誰の事よ……?」

 明日菜が当惑しながら尋ねると、フェイトは歯をギシギシと噛み締めてギッと明日菜を睨み、叫んだ。

「アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。ムンドゥス・マギクスのウェスペルタティア王国の王女だ!!」

 フェイトが憎悪と共にその名を叫んだ瞬間、明日菜はドクンと心臓が跳ねた。そして、今まで以上に強い声が響いた。

『私は……ここに居る。私を……呼んで』

 その瞬間、神楽坂明日菜の意識は途絶えた。真っ暗な闇の中に落ちていく。どこまでも暗い、闇の世界の底へと――。

 まるで、ノイズの混じったテレビを見ている気分だった。自分の知らない自分の体験を追体験している。
 あるお城に住んでいた。何不自由無く、自由も無く。ただ、籠の中で飼い殺しにされていた。お父様は自分を護る為だと言うが、それが真実かどうかを、当時の自分は気づいていた。だって、お父様はお姉様ばかりを愛していて、自分をお父様の住まう王都オスティアから離れた小さな町の城に幽閉しているのだから。
 会いに来る事も滅多に無かった。侍女達はとても優しくしてくれた。給金のためだったり、お父様やお姉様への忠誠の為だったりする事もあるけれど。何人かは自分の事を思ってくれているのだと理解していた。だけど、寂しかった。ずっと、外の世界に憧れていた。初めて出会った時、彼の緊張しきった顔がおかしかった。だって、わざとらしい程ビクビクして、声も震えていて、なのに、自分がちょっと顔を近づけただけで真っ赤になって慌てだして、とっても可愛いと思った。
 ウェスペルタティア王国の皇女は十四歳で自分の専属騎士を選択する。ただ、幾つかの写真の中で、歳が近そうだからと思って選んだ彼は、大当たりだった。なにせ、信じられるだろうか? ちゃんと、金属のプレートに書いてあるし、色も明らかに違うのに、よりにもよって紅茶に塩を入れちゃうのだ。
 自分を姫様と呼ぶ少年。本当は呼ばせているのだけど、そんな細かい事はどうでもいい。綺麗な庭園で一緒に侍女のナターシャがコックのギルバートの作ってくれたサンドイッチを持って来てくれて、フェイトが一々毒見してから渡してくるそれを、小説の中の間接キスってやつなのかな? なんて思いながら食べて、お花を摘んで冠を作ったりした。
 ある日、フェイトは城下町で流行っているおもちゃを買ってきた。外に出られない自分にとって、お父様の用意したおもちゃはどれもつまらなかった。だって、もう何百回以上も遊んだものなのだから。だけど、城下町のおもちゃは素晴らしくドキドキする輝いた宝物だった。
 おもちゃの指輪を使って結婚式ごっこをした時のフェイトの顔ったらなかった。真っ赤になって、小さく縮んで、変な事を口にしながら頭を下げて。多分、その頃だったと思う。フェイトという、閉鎖された世界に舞い降りた白馬の王子様。本当は逆で、自分は王族で彼は騎士なのだけど、フェイトが自分を連れて明るい世界へ連れて行ってくれるんじゃないかと毎日夢見るようになっていた。
 幸せな毎日を過ごしていた。フェイトやナターシャや、アリシア、コーネリア、ナタリー、皆と一緒に遊ぶ毎日が。自分の能力を見て、大人達は怖がったりするのが多かった。なにせ、魔法が効かないなんて、魔法使いにとっては最悪だ。だけど、フェイトはただ感心しながら姫様凄い! ばっかりだ。ちょっとは怖がれ、萎縮しろ! と思ったが、何となく嬉しかった。
 だけど、その頃からフェイトの様子が変わったと思う。剣と魔法に打ち込み始めた。白い翼のアリシアとコーネリアとナタリーが死んでしまったのはその頃だった。大切に育てていた美しい音色の歌を奏でる三羽が同じ日に死んでしまったのだ。原因は老衰だった。それも、普通ならとっくに死んでいた筈の大往生。
 三羽は鳥だ。そんな事ある筈ないだろうと理解していた。だけど、貴女達は私の為に頑張って生きててくれたの? と尋ねていた。答えは返ってこない。返ってくる筈も無い。失って、ポッカリと心に穴が空いて、恐怖を感じた。もしも、フェイトを失ったら私はどうなってしまうのだろう……と。
 だから、ある日のテラスでフェイトに告白した。それが、ちゃんと伝わってるのかは今一分からなかった。だって、砂糖と塩を間違えるような天然だ。でも、彼は誓いを立ててくれた。とうの昔に、自分はこの騎士に恋をしていたのだと理解した。
 だから、あの日。戦争が始まると聞いた日にアスナはナターシャやギルバード、他の従者達やお父様達にまで懇願して回った。まあ、殆どナターシャが駆けずり回ってくれたんだけど――。

『フェイトには絶対に戦争の事を耳に入れさせないで欲しい。代わりに逃げも隠れもせず、最後まで使命を全うしてみせます』

 それが、最後の願いだと誰もが理解していた。逃げたいと思う者は逃げろと言った。何せ、もう滅びのカウントダウンの始まった国だ。居残る必要など無い。だが、殆どの者は逃げてくれなかった。何時もの様に、フェイトに勘付かせない様に振る舞い、あの日を迎えてくれた。突然城の者が居なくなったら気付かれてしまいますよ、と何時も無表情だった侍女長が言った。
 運命の日、フェイトに別れを告げ、城の近衛兵の一人の青年がフェイトを連れ出した。特殊な魔法、アスナの身に余程の事が無い限り眠り続けるだろう魔法を掛けた。それは、もう自分がこの世に居ない。フェイトが自分を助けになんて来れない時になって目覚めるように。

「あ……ぐ、ああああああああああああああああああああああっ!!」

 戦場に送り込まれた自分は戦場を一望できる神殿に刻まれた魔方陣の上に座らされた。両足を鎖で繋がれ、力を無理矢理引き出される苦しみに何度も悲鳴を上げた。どれだけの時間が経過しただろう。終わらない苦しみに心が磨耗し、心が何も感じなくなってきた頃だった。
 再びヘラス帝国が“オスティア回復作戦”とやらで進軍して来た。

「くっ……、来たぞ! 仕方あるまい、また役立ってもらうしかないようだ」
「このような幼子が不憫な……」
「愚か者が、惑わされるな。コレは人ではない、兵器(モノ)と思え。黄昏の姫御子――、オスティアの歴史の中で生まれる度に戦で何千何万の命を吸ってきている……化け物の名前だ」

 人間としてすら扱われず、ただ戦の道具として扱われる日々に自分というものが失われていった。自分には何も無く、何者でも無い。いつしか、そんな思考を繰り返していた。
 ただ奪い、奪われるだけの日々……、そんなある時、現れたのが、あの男だった。巨大な鬼神兵を吹飛ばしてやって来た赤毛の魔王。

「そんなガキまでかつぎ出すこたねぇ。後は俺に任せときな」

 周りの神官はその姿に驚愕していた。

「お、お前は!?」
「紅き翼、千の呪文の……そう!!」

 男は全力でポーズを取ると、大声で名乗りを上げた。

「ナギ・スプリングフィールド!! またの名を、“千の呪文の男(サウザンド・マスター)”!!」
「自分で言ったよコイツ……」
「フフフ、ノリノリですね」

 呆れた様な口調の男と穏やかな口調のナギの仲間らしき男もやって来た。ナギはおもむろに手帳を取り出すと、何とアンチョコを読みながら呪文を詠唱し始めた。アスナは何だコイツ……と疑惑の眼差しを向けた――その瞬間だった。

「行くぜオラァ!! 千の雷!!」

 男の掛け声と共に、天空から稲妻が降り注ぎ、大量の鬼神兵を一瞬にして飲み込み消滅させた。そして、呆れた口調の夕凪と刻印された太刀を持つ男と、重力を操るローブに身を包んだ魔術師が鬼神兵を一気に屠っていく。神官達の歓声が響いた。

「安心しな。俺達が全て終わらせてやる」

 ナギはニヤリと笑みを浮かべて宣言した。

「な……、しかし……」

 神官達はその言葉に戸惑いを見せた。

「敵の数を見たのか!? お前たちに何が……」
「俺を誰だと思ってる、ジジィ!」

 神官の声に、ナギは嘲笑の笑みを浮かべながら言った。

「俺は最強の魔法使いだ」

 魔法学校は中卒だがな、と男は青筋を立てながら神官を睨み言った。

「な――ッ」

 神官が絶句する。

「あんちょこ見ながら呪文を唱えてるあなたが言っても、今一つ説得力がありませんね」

 ふわりとした動きで近寄るローブの男に、ナギは
「あーあーうるせーよ」
と視線を逸らしながら言った。

「それに、アナタ個人の力がいかに強力であろうと、世界を変える事など到底……」
「るせーっつってんだろアル。俺は俺のやりたいよーにやってるだけだバーカ。覚えとけよ? 俺の行動原理は何時だって俺の我侭なんだ。他人がどうこういう筋合いは無えんだよ」

 そう言うと、ナギはアスナの大結界の維持によって乱された体の調和によって吐血した口元の血を拭った。

「よう、嬢ちゃん名前は?」
「ナ、マエ……?」

 アスナは突然現れた男に困惑していた。それと同時に、辛かった。ああ、この男はまるでピンチのお姫様を救う王子様だと思って、どうしてそれがフェイトじゃないんだろうと、理不尽な不満を覚えた。
 アスナの繋がれていた術式の刻まれた鎖をアルが解き放った。

「アスナ……アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア」
「なげーなオイ。けど……アスナか。いい名前だ。よし、アスナ待ってな」

 バサッとローブを翻し、ナギは立ち上がって背中を見せた。

「いくぞアル! 詠春! 敵は雑魚ばかりだ。行動不能で十分だぜ!!」
「はいはい」
「やれやれ」

 ナギが敵に向かって突き進むと、アルはクスクスと笑みを浮かべ、詠春は疲れた様に後を追った。ナギは本当に相手を全滅させた。それこそ、どちらが鬼神なのかと問いたくなる程の圧倒的な火力で――。
 そうして、帝国の二度に渡るとオスティア侵攻は紅き翼の健闘によって失敗に終わり、戦争は終結したかの様に思えた。そんな筈も無いと分かり切っていながら、そう思いたかったのだ。
 アスナは、ナギに連れられて行った。自分のお城へ。酷かった。町は死体に溢れ、ナターシャの苦悶の表情が眼に焼きついた。何度も蹂躙され、丸裸の状態で全身に杭が刺さり、鞭の後や焼印を押し付けた後があり、美しかった黒い髪が滅茶苦茶に乱され、犯され尽くしていた。
 それでも、アスナは膝を折らなかった。

「なんという……」

 詠春の吐き捨てる様な声に、ナギは静かに怒鳴った。

「止めろ! 姫子ちゃんが耐えてんだ。糞の足しにもならねえ事を態々口にすんな」
「……すまない」

 ナギ達を引き連れたアスナは滅茶苦茶にされていた自分の部屋を見た。

「何も残って無い……。フェイト……っ」

 初めて涙が流れた。そして、自分の指に通していた。お守り代わりのフェイトが初めて買って来た城下町で流行しているお飯事のおもちゃの指輪をそっと外した。

「こうなったのは、私のせい。認めなきゃ。私は、責任を果たさなくちゃいけない」
「な!? 皇女殿下!?」

 詠春が眼を剥くと、ナギは恐ろしい形相で詠春を睨み、それからアスナを見下ろした。

「テメエ、それがどういう事か分かって言ってんのか?」

 ナギの恐ろしく低い声にも動じずに、アスナはナギを見返した。

「私はアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。お父様が帝国に逆らった事で始まったこの戦の責は私達にある。私は、お父様の……オスティア王の娘として責任を果たさないといけない」

 そう言うと、アスナは指輪を損壊した机の中で唯一無事だった宝石箱に入れて床下にしまった。

「何だそれ?」
「私の一番大切な人への私の形見。酷いでしょ? 今ね、フェイトは眠ってるの。遠い土地で私の魔法で。これを発見するのは、私が死んだ後。私が死んだ後も、私の事を忘れて欲しくないって我侭。残酷だよね。分かってるけど、でも、フェイトには忘れて欲しくないんだ」

 ナギは舌を打った。凄まじい形相を浮かべ、自分の額を殴りつけた。

「頭がどうにかなりそうなほどムカついてるぜ。せっかく助けた奴をむざむざ死なせに行かせるのかよ!?」
「うんそう。だから、私の代わりにお姉様を助けてあげてくれない?」
「お姉様?」
「そう、アリカ・アナルキア・エンテオフュシア。今、連合と帝国に挟まれているこの国を救う為に調停役となって走り回ってるんだけど、お姉様一人じゃ難しいと思うから。私が、黄昏の姫御子が帝国に引き渡されれば、それで少しは時間が稼げると思う。多分、実験台とかにされるだろうし、戦闘兵器にされるだろうから、向こうで私は自殺する。だから、私が自殺して、帝国と連合が動き出す前にお姉様と協力してこの国を救って。その代わりに、今出来る貴方の望みを何でも叶えてあげるから」

 アスナの言葉に、ナギと詠春はその殺気を抑えきるのに必死だった。なんだこれは……と。どうして、こんなガキが自殺してくるから姉と国を任すなんて平気な顔で言ってんだよ! と怒鳴り散らしたかった。アルですらも、そのアスナの決断にいつもは穏やかな笑みを絶やさない表情に険しい顔を作った。
 自分の大切な人達を殺され、愛してる奴には形見を残して残酷でしょ? と言い、自分の命を踏み台にしろと言う。その決断を否定など出来なかった。
 帝国の進軍、それを停める唯一の機会を得る為に最適な手段だ。紅き翼がアリカ姫と手を取り合い調停の役割を果たせば、もしかしたら――と。そんな縋る様な思いを受けて、こんな残酷な決断を自分の手で下した少女の思いを受けて、ナギは何も言えなかった。

「自殺すんのは、ギリギリまで待ってろ」

 ナギは言った。

「絶対に……絶対にだ。お前を助け出してやる」

 ナギはそれだけを言うと、部屋を出て行った。詠春は、何かを言いたいのを飲み込み、部屋を乱暴に出て行った。最後に残ったアルはアスナに一言だけ言った。

「彼は一度言った事は必ず守ります。だから、命を諦めないで下さいね。明日を、諦めないで下さいね」

 アルはそれだけを言って部屋を出た。
 アスナの身柄は帝国へ移される事になった。元々、帝国の狙いはアスナだったのだ。アスナの身柄を確保した帝国は一時的に休戦表明を出した。そして、アスナは幽閉された。ただ、死を待つだけの監獄へ。
 そこに一人の男が現れた。黒いローブを纏った怪しげな男だった。

「あなたは……誰?」
「私の名か? デュナミスという。小娘、一緒に来てもらうぞ」

 デュナミスが何者なのかは分からない。また、戦争に利用されるのだろう事だけは理解(わ)かった。残っていても、一緒に行っても同じ事。アスナは舌を噛み切ろうとした。その時、ナギの言葉が脳裏に過ぎった。

『絶対に……絶対にだ。お前を助け出してやる』

 アルの言葉が甦った。

『彼は一度言った事は必ず守ります。だから、命を諦めないで下さいね。明日を、諦めないで下さいね』

 僅かな希望。ありえない事だと分かっていながら、アスナはその希望に縋り付いてしまった。ナギが助けてくれるかもしれない、という希望に、もしかすると、またフェイトに会えるかもしれない、という希望に――。

「わかった……」
「素直だな。賢明だ」

 デュナミスは闇の魔素を操りゲートを作り出した。アスナはふらつく足でゲートを通った。そこに居たのは、始まりの魔法使い……恐ろしくも、悲しい人だった。

「黄昏の姫御子……、我が末裔よ。その本来の役割を果たしてもらおう」

 アスナは巨大な祭壇の上に連れて行かれた。そして、巨大なクリスタルの中に閉じ込められた。そして、理解した。自分が縋り付いてしまったのは、希望ではなく、絶望なのだと。
 クリスタルの中に閉じ込められながらも、アスナは世界を見ていた……。アスナの瞼の裏に恐ろしい光景が見えた。先端に魔法世界を象った球体の付いた鍵の様な物を持つ造物主がその力を用いて多くの人々を消し去る光景だった。
 辛く苦しかった。止めて欲しいと何度も心の中で懇願した。そして、あの日がやって来た――。

 悪夢の光景がそこにあった。何故、どうして? 頭の中が混乱した。アスナの捕らえられているウェスペルタティア王国の最も神聖な『墓守人の宮殿』に絶対に居てはいけない人物が居た。それも、最悪な形でだ。
 フェイト・フィディウス・アーウェルンクスがアスナを捕らえ、その力を利用し、多くの人々を消し去った始まりの魔法使いの側として、サウザンドマスターが率いる紅き翼と対面していたのだ。

「やあ“千の呪文の男”また会ったね。これで何度目だい? 僕達もこの半年で君に随分と数を減らされてしまったよ。この辺りでケリにしよう」

 何度心の中で泣き叫んでも、戦いを止める事は出来なかった。褐色の肌の大男は炎を操る赤髪の大男と、詠春は雷を操る拳闘士の少年と、フェイトにどこか似た面影のある少年は水を操る魔術師と、アルは魔素を編んで魔物を生み出すアスナをここに連れて来たデュミナスと、それぞれぶつかり合った。
 そして、フェイトはナギと戦っている。自分の騎士と、自分を助けに来たヒーローが戦っている。フェイトは今迄使っている所を見た事が無かった岩系の魔法を操り、ナギと互角に渡り合っていた。
 僅かな差だった。フェイトは破れ、ナギに首を掴まれて持ち上げられている。

「見事……、理不尽なまでの強さだ……」

 フェイトは全身から血を流し、虫の息だった。

「黄昏の姫御子は……どこだ? 消える前に吐け」

 ナギが言うと、フェイトは狂った様に笑い出した。

「まさか、君は未だに僕が全ての黒幕だと思っているのかい?」
「なんだと……?」

 その時だった。信じられない事が起きた。始まりの魔法使いがフェイトごと、ナギを撃ったのだ。驚愕と絶望に心が塗り潰された。フェイトの体が羽根を撒き散らすように消え去った。
 ナギもナギも胸を撃ち抜かれて重症を負い、始まりの魔法使いは更に“あの鍵”の力を解放して追い討ちを掛けた。
 水を操る魔術師にフィリウスと呼ばれた少年が咄嗟に最高クラスの障壁を展開するが“フィリウスでは”あの力は防げない。案の定、決戦クラスの魔法すら防げる筈の“最強防護(クラティスケー・アイギス)”がガラス同然だった。
 褐色の大男は両腕を失い、紅き翼はフィリウス以外は満身創痍だった。始まりの魔法使いを見て、誰もが絶望に陥る。なのに、ナギは立ち上がった。

「い、いけませんナギ! その身体では!」
「アル、お前の残りの魔力全部で俺の傷を治せ」
「しかし、そんな無茶な治癒ではッ!」
「30分もてば十分だ」
「ですがッ!」

 ナギの無茶を諌めようとアルが声を荒げるが、ナギは耳を貸さなかった。すると、フィリウスがフフと微笑みながら立ち上がった。

「よかろう。ワシもいくぞ、ナギ。ワシが一番、傷が浅い」
「お師匠……」
「ゼクト! たった二人では無理です!」
「ここで奴を止められなければ世界が無に帰すのじゃ。無理でもいくしかなかろう」

 ゼクトは魔力を練りながら言った。

「ナギ、待て! 奴は不味い。奴は別格だ! 死ぬぞッ! 体勢を立て直してだな……」
「バーカ、んなコトしてたら間にあわねーよ。らしくねーな、ジャック」

 ジャックの言葉に軽く返しながらナギはニッと笑みを浮かべた。

「俺は無敵のサウザンドマスターだぜ? 俺は勝つ!! 任せとけ!!」
「ナギッ!!」

 ジャックの制止を振り切り、ナギとフィリウスは始まりの魔法使いに向かって飛び出した。
 ナギとフィリウスは次々に魔法を繰り出した。だが、フィリウスの魔法は悉く打ち消された。

「やはり、ワシでは――ッ!」
「お師匠!!」

 最大の魔法を簡単に掻き消され、フィリウスは一瞬怯んでしまった。その瞬間、フィリウスの身体を無数の魔法が打ち抜いた。

「テメエ――ッ!」

 ナギは全身を魔力で最大まで強化した。人間の限界を遥かに越える速度と力で始まりの魔法使いを殴った。そして、超至近距離で千の雷を放った。
 それでも、始まりの魔法使いは倒れなかった。背後に超巨大な魔方陣を作り出し、狂った様に笑い始めた。この世に存在するありとあらゆる攻撃魔法が放たれる。

「私を倒すか、人間! それもよかろうッ! 全てを満たす解は無い。いずれ、彼等にも絶望の帳が下りる。私を倒して英雄となれ! 羊達の慰めともなろう。だが、夢忘れるな! 貴様も例外では無い!」
「ケッ! しぶてぇ奴だぜ! グダグダ、うるせえええええ!!」
「グオッ!?」

 無数の魔法の豪雨を突破し、ナギの拳が始まりの魔法使いを捉えた。始まりの魔法使いは苦悶の声を上げた。始まりの魔法使いを打ち抜いたナギの拳に篭った強大な魔力は墓守の宮殿の壁を次々に打ち抜き、そのまま遥か下方の大地に激突すると、凄まじい爆発を巻き起こした。

「たとえ、明日世界が滅ぼうと知ろうとも!! あきらめねぇのが、人間ってもんだろうがッ!!」

 ナギは最強の一撃を放つ為、先の曲りくねった自身の杖に魔力を篭め始めた。杖は雷霆を迸らせ、巨大な槍に変化した。

「くっくく……、貴様もいずれ、私の語る”永遠”こそが“全て”の“魂”を救い得る唯一の次善解だと知るだろう」

 全身をナギの放った無数の雷の投擲に撃ち抜かれながら、尚も始まりの魔法使いは笑い続けた。

「人間を――」

 ナギは己の全身全霊を掛け、必殺の一撃を始まりの魔法使いに向けて投げ放った。

「――なめんじゃねえぇぇええええええッ!!」

 墓守の宮殿の天井を一気に最上部まで貫き、始まりの魔法使いを一気に消滅させてしまった。
 アスナが気を保っていられたのはそこまでだった。既にフェイトを失った悲しみと絶望に心は壊れ、景色は白黒にしか映っていなかったが、突然全身を襲った凄まじい苦しみに視界にノイズが走った。僅かに見えるのは、殺された筈のフィリウスが渦巻く光の中に立ち、ナギがボロボロの状態で何かを叫んでいる光景だった。

「悪い……遅くなっちまった。全く、いつもいつもヒーロー失格だな」
「ナ……ギ……?」

 気が付くと、アスナはナギに助け出されていた。周りには砕け散ったクリスタルが転がっている。アスナは紅き翼と共に行動する様になった。
 悲しみと絶望に心を壊されたアスナは感情を失ってしまっていた。嬉しいも怒りも哀しみも楽しさも何も感じなくなってしまった。
 それでも、姉であるアリカ、そしてアリカと婚約したナギ、紅き翼のメンバーの皆と日々を過ごす内、不思議なあたたかさを感じるようになった。ゆっくりと、壊れたパズルを少しずつ嵌め直す様に感情を思い出し始めたある日の事だった。アスナはガトウとタカミチと共に旅をしていた。
 ジャックは傭兵家業に戻り、詠春は京都に皆と一緒に行った時にそのまま式をあげて関西呪術協会の長の娘と結婚した。元々、話があったらしく、今迄は断って来ていたらしいが、戦争も終わりを迎え、改めて受ける事にしたらしい。花嫁の女性はとても美しかった。
 アルは何かを調べると一人去り、ナギはアリカとウェールズの山奥にある故郷に戻った。中退した魔法学校の旧友達や幼馴染達が住む村で、アリカを匿ってもらえるように頼むのだそうだ。
 ある日の事だった。突然、アルから連絡が入った。その内容は驚くべきものだった。倒した筈の、あの大戦の真の黒幕であった始まりの魔法使いが率いた“完全なる世界(コズモエンテレケテイア)”の残党が再び息を吹き返し、活動を再開し始めたらしいのだ。
 数ヵ月後、完全なる世界について調査を行っていたガトウの下にアルが大怪我をしたという情報が入り、ナギが消息不明になった。ガトウは詠春に連絡を入れた。アスナを連れたまま、完全なる世界の情報を追うのは危険だと、詠春の下で匿えないか相談したのだ。結果、アスナは詠春の義父である近衛近右衛門が長を務める関東魔術協会の本部がある埼玉県麻帆良市にある麻帆良学園という学園都市で匿う事になった。
 アスナを連れ、隠れ家を出たガトウ達の前に完全なる世界の刺客が現れた。デュナミスだった。次々に闇の魔素を編み、強力な魔物を生み出すデュナミスを相手にガトウはアスナをタカミチに預け、一人戦った。デュナミスを見事に撃退したガトウだったが、自身も致命傷を負ってしまった。

「よぉタカミチ、火ぃくれねぇか? 最後の一服……って奴だぜ」

 岩に背中をもたれながら、口と腹部から夥しい量の血を流すガトウが咥えたタバコにタカミチに火を点けさせ、大きく吸った。

「あーうめぇ。さあ、行けや。ここは俺が何とかしとく」

 デュナミスは撃退したが、未だに完全なる世界の残党が周辺をうろついていた。
 アスナは首を振った。ここで残して行ったら、間違い無くガトウが死んでしまうから。

「……何だよ、嬢ちゃん。泣いてんのかい? 初めてだな」

 ガトウに言われ、漸くアスナは自分が泣いている事に気が付いた。自覚した途端に哀しみの感情が溢れ出した。溢れ出す涙を止める事が出来なかった。

「へへ……、嬉しいねぇ」
「師匠……」

 タカミチが震えた声で言った。

「タカミチ、前に言った事頼むぜ? んで、俺のトコだけ念入りに消しといてくれねぇか?」
「な、何言ってんスか、師匠!?」
「これからの嬢ちゃんには必要ないモンだ」
「ヤダ……」

 アスナの震えた声にタカミチとガトウが顔を向けた。

「ナギも居なくなって……、おじさんまで……」

 ヤダ、とガトウの手を小さな手で包み込み、アスナは涙を流し続けた。
 アスナの頭にガトウは手を伸ばし、優しく撫でた。

「幸せになりな、嬢ちゃん。あんたにはその権利がある」
「ヤダ……」

 幸せになんてなれなくてもいい。だから――。

「ダメ、ガトーさん! いなくなっちゃやだッ!!」

 アスナはタカミチに抱き抱えられながらも必死にガトウに向かって叫び続けた。愛したフェイトが死んでしまった。自分を助けてくれたヒーロー(ナギ)は行方不明、その上、ガトウまで居なくなったら、今度こそ自分は耐えられない。必死に泣き叫びながらガトウに一緒に来て、と叫び続けた。
 ガトウは腹部から血を溢れさせながら立ち上がると、最後にニッと笑みを見せ、そのままアスナとタカミチから離れ、戦場に向かって行ってしまった。タカミチは涙を流しながらアスナを抱えて逃げ出した。
 逃げて、逃げて、逃げ続けて、タカミチは英国のナギの父の居るウェールズのメルディアナ魔法学院へと逃げ込んだ。アスナもタカミチもガトウの死を嘆き哀しみ、数ヶ月が経過した。
 季節は冬になり、漸く落ち着く事が出来たタカミチはアスナを外に連れ出した。アスナは未だに哀しみを引き摺っていた。それでも、タカミチを元気付けようと、空から降ってきた雪を手に取りながら笑いかけた。
 同じ気持ちを共有するタカミチを慰める事で心の安定をギリギリの所で保っていた。

「ねぇ……、雪だよ」
「ええ、降ってきましたね……」
「……これから、どうするの?」
「日本へ行きます」
「日本……? それで……どうするの?」

 タカミチはアスナの手を握りながら微笑みかけた。

「幸せに暮らすのです。お姫様。全てを忘れて……ね」

 二人は手を繋ぎながら歩いた。雪化粧の景色の中を――。
 タカミチに連れられて、アスナは麻帆良学園にやって来た。そこで、近衛近右衛門という老人に出会い、アスナの記憶は封じられた――。

「ああ……、そうだったんだ。ガトウさんは私を狙った奴に――」

 ノイズの入り混じった光景が徐々に晴れていく。

「タカミチは私の心を護る為に記憶を封じて――」

 真っ暗な空間に、明日菜はアスナと対面していた。

『そう、そしてアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアは神楽坂明日菜になった。ガトウさんのミドルネームのカグラに因んで』
「私は誰なの? 私はアスナだけど明日菜。分かんないよ。わかんない……」
『貴女と私は同じ。貴女も私で私も貴女よ。だって、ちょっとお馬鹿さんになっちゃったけど、貴女は私の理想そのもの。自分の願うままに行動し、助けたい人は助けたいだけ全力で助ける。誰かの泣いてる姿を見たくない。自分の我侭を突き通す。貴女は私と何も違わない。ただ、貴女はアスナとしての時間を忘れて、明日菜として過ごして来ただけ。だから、一つになりましょう。私と貴女は一つだから』
「私と、アスナが一つ……」
『そうだよさあ、行きましょう』

 アスナが明日菜の手を取った瞬間、明日菜の視界は反転した。そして、元の世界へ戻ってきていた。

第二十五話『絆』

 2003年4月23日水曜日の午前九時頃。麻帆良学園の並木道を真っ直ぐに歩く二人の少女の姿があった。

「忘れ物は無いな?」

 600年を生きた古血の吸血鬼の少女は、期待に満ちた瞳を隠し切れず、まるで容姿相応の少女の様に愛らしい笑みを零していた。本人は気が付いていないらしく、自分のカリスマ性は一切失われていないと考えている辺りに、茶々丸は自分の知らない回路が熱を放っている事に気が付いていなかった。
 ただ、只管にウキウキしている愛しい愛しい我が主、闇の眷属であり、血族の居ないただ一人の血統の始祖でありながら、漆黒のゴシックロリータが反則的なまでに似合う不死の魔法使い、童姿の闇の魔王、闇の福音、禍音の使途……その仕草一つ一つを残さずに備え付けられた機能の一つである超高性能カメラと超高性能ビデオによって記録し続けている。その一挙一動にムズムズとしながら、茶々丸は平静を取り繕ってエヴァンジェリンと談笑しながら歩いていた。

「条件付きとはいえ、良かったですね、マスター」

 茶々丸は笑みを零した。主の幸せそうな笑顔に、機械で在る筈なのに心が温まる気分だった。素晴らしい我が主。愛おしい我が主。可愛らしい我が主。貴女の幸せこそが我が幸せなのです、と茶々丸は胸の内で呟いていた。

「フンッ! 私を利用しようなどと百年早い! 早いが、奴とは長い付き合いだしな。少しは手を貸してやるのもやぶさかではない。それに、アイツ等と共に初の修学旅行を楽しむのも悪く無いしな」

 間違いなく、それが全てなのだろう。それを理解しながら、口に出す愚考を完全無欠のメイドである絡繰茶々丸が犯す筈も無かった。

「ええ、その通りです。この機会に恩を売る事も出来ますしね」
「その通りだ! 分かっているじゃないか、さすがは我が従者!」

 茶々丸の答えに満足気に頷くと、茶々丸の背負った鞄に眼を向けた。そこには、寝間着やタオル、シャンプー、石鹸、歯磨きセットにゲームに枕まで入っている。巨大な荷物を持つ事も、主の喜びを思えば全く感じない。
 武装もこの事を言い渡された昨日の昼頃から大学部に赴き、葉加瀬の秘密の研究室からありったけの機材を強奪して装備している。ついでに、超の研究室にあった、標的を原子レベルで分解する、超がノリで作ってしまい、処分しようとしていた“機体番号T-ANK-α3用試作モデル・ハイメガブラスターNK2W”も拝借している。下手をすると、そのまま某国に単身で戦争を仕掛けて勝利出来てしまい兼ねない物騒すぎる武装を身に着けながら、茶々丸は笑みを絶やさなかった。

「それにしても、まさか修学旅行先でも厄介事に巻き込まれるとは……。どうなのだ、お前の弟子の仕上がり具合は?」

 脈絡の無い質問だが、茶々丸は滑らかに答えた。

「明日菜さんはハッキリ言えば異常です。あの方の潜在能力は全くの未知数。未だ、戦闘経験の不足や技術面の不足がありますが、それを補ってあまりある才覚と反応速度、力、速度、動体視力などの規格外なまでな身体能力。彼女はそう遠くない内に最初にマスターやサウザンドマスターのクラスに上がるでしょう」
「だろうな……。魔力や気を打ち消し、召喚された存在は無機物だろうと問答無用で送還する。その上、あの異常過ぎる身体能力だ。加えて、あれの精神は凄まじい。一度死を経験して尚も立ち上がるまでにノータイムだった。あの類稀な真っ直ぐな人格を歪ませる事だけは許すな。分かっているな?」

 エヴァンジェリンは鋭く茶々丸に視線を送った。茶々丸は厳粛に頷き返した。

「承知しております。あの方の在り方は貴重です。このまま、真っ直ぐに大人になれば、彼女は“立派な魔法使い”に至れるでしょう」
「私としては、平和な職業に就かせたいのだがな」

 困ったものだ、とエヴァンジェリンは苦笑した。

「ネギさんの方はどうなのですか?」

 茶々丸が逆に尋ねると、エヴァンジェリンは鼻で笑った。

「アイツは、今は才能だけだ。過去を引き摺り、周りを巻き込んでいる事への負い目で心を責め続けている。あれでは、そう遠くない内に潰れるだろうさ」
「マスター……?」

 エヴァンジェリンの不穏な言葉に、茶々丸は怪訝な顔をした。

「だから、父親の別荘の事を話したのだ。そこで、何も掴めないなら、アイツはそこまでだ。仮に……アイツが心を本当の意味で明かせる奴が居れば話は別だがな。カモの奴は忠告してやったのに未だに本当に眼を向けるべき事を理解していない」

 エヴァンジェリンは忌々しげな表情を浮かべながら呟いた。そのまま、エヴァンジェリンと茶々丸は指定された場所にやって来た。そこは、麻帆良の郊外にある幾つかある魔術の練習場だった。ここで、魔法先生や魔法生徒は己の鍛錬をこなす。練習場に入ると、そこには見知らぬ男が立っていた。青いラインの白い狩衣を着た、腰まで伸びる黒い髪を首の後ろで白い紐で結んでいる。端麗な顔立ちの二十台半ばあたりだろう青年だった。

「ああ、来たか。待っていたぞ、エヴァンジェリンよ」

 穏やかな響きの声だった。漆黒の眼が真っ直ぐにエヴァンジェリンを射抜く。

「お前は……? 見ない顔だが」

 エヴァンジェリンは怪訝な顔をした。当然だろう、十五年もこの地に縛り付けられているのだ。魔法先生ならば、大概は顔見知りだ。いい意味でも、悪い意味でも。そのエヴァンジェリンが見た事も無いのだ。警戒をするなという方が無理な話だ。

「そう警戒しなくてよい。さて、これからお前さんを関西呪術協会に送るのだが、色々と儀式が必要でな。何しろ、お前さんがこの地に留まっているという事にして学園結界と共に他の魔法教師や魔法生徒並びに教会や魔術関係者を騙す訳だからな」
「お前が、それらを全て誤魔化せるというのか?」

 エヴァンジェリンは眼を細めた。正直に言えば、エヴァンジェリンにはどうしたらそんな真似が出来るのか想像も出来なかった。そもそも、目の前の男は怪し過ぎる。このまま信用するなど出来る筈も無い。

「警戒は当然。だが、時間は無いぞ」

 男は目を閉じながら言った。

「先に、説明をしよう。最初に、お前にはエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルであると他人に気付かれないよう認識阻害を掛ける。我が特別製の術式だ。見破られる事は無いだろう。お前さんをエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだと理解した上でないと、お前さんをエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと認識出来ない様にする。そして、学園結界の方は、もう既に誤魔化す準備は出来ている。儀式魔法を発動させた瞬間に、お前さんを転移させる。それで仕舞いだ」
「貴様……本当に何者なんだ?」
「その質問に意味はあるかな?」

 エヴァンジェリンは男の返しに舌を打った。巫山戯ている。言うのは簡単だが、そんな強力な認識阻害などそう簡単には出来ないし、自分が十五年掛けても解読出来なかった術式を誤魔化すなど、並大抵の事ではない。

「そうムッツリするな。とにかく、時間は無い。始めるぞ」
「……わかった。茶々丸、少し下がっていろ」
「了解しました」

 茶々丸は、男を睨みながら下がった。少しでも不穏な動きを見せれば、その瞬間に殺すという意思を持って。

 世界が波紋を広げる様に揺らいだ。瞬間、それまで目に見えぬ壁として周囲一体に偏在していた結界の力が、統制を解かれて乱れながら空気へ溶け込んだ。同時に、それまで結界によって均衡を保たれていた関西呪術協会の総本山の陰陽のバランスが崩れ、中に充満していた濃密な魔力が一気に解放され、眼には見えず、触れることも出来ない力の波動が京都全土に広がった。
 木々は活性化し、ある所では道端に突如花畑が誕生し、ある自動車車線には突如大木が発生した。吹き荒ぶ神秘的なエネルギーを肌で感じながら、一同は互いに頷き合うと、一歩その足を総本山の境界線へと足を踏み入れた。

「いいですか、目的は、総本山。恐らくは大将が居る筈です。目的は、その大将の打倒。その際に現れるだろう存在は、手筈通りに可能な限り無視して下さい。戦闘に陥る場合は、作戦通りに――。私が裏切り者の神鳴流を倒しますから、西洋魔法使いが現れた場合は明日菜さん、それに高畑先生、お願いしますね」
「任せといて!」
「ああ、任せてくれ」

 刹那は、言葉少なめに、それでも確りした返答に満足し、顔を前方に向けた。

「前方に敵影を確認しました。可能な限り、戦闘はせずに体力の温存を心掛けて下さい。それでは、行きます!」

 総本山への道のりは舗装されたコンクリートの道路だった。色取り取りの魔弾や気弾が無数に矢の如く上空から降り注いだ。

「気と魔法の合一……『咸卦法』ッ!」

 直後、タカミチは凄まじいオーラを放ちながら前方に飛び出し、ポケットに手を突っ込んだままという独特のスタイルで凄まじい衝撃波を魔弾の豪雨に向けて放った。驚愕する明日菜達に眼もくれず、タカミチは第二波を目視し再び衝撃波を放った。

「無音拳か、紅き翼のガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグの得意とした技。それに、究極技法の咸卦法まで……。やるじゃねぇか、タカミチ」

 ネギの肩に乗りながら感心した様に呟くカモ。ネギはその魔弾の弾幕の向こう側に無数の神鳴流の軍勢を確認した。杖を回転させ、前方に投げると、その杖に跳び乗り、横を向く感じに座ると、

「加速」

と唱え、タカミチの前に躍り出た。

「ラス・テル マ・スキル マギステル。風の精霊199人、縛鎖となりて敵を捕まえろ。サギタ・マギカ・戒めの風矢!!」

 ネギの乗る杖から、無数の風の矢が飛び出し、前方に展開する神鳴流剣士達を次々に捕縛していく。美空は

「加速装置――ッ!!」

と叫びながら敵兵を跳び越すと、そのまま先を行った。
 刹那は翼を広げて明日菜と木乃香の手を取り、ネギがタカミチを杖に乗せると、そのまま敵の神鳴流の上空を跳び越した。風の戒めを受けながら、それでも魔弾や気弾を放ってくるが、ネギと刹那は重量に耐えるのに必死で迎撃に移れない。

「出でよ、二重の結界!」

 すると、木乃香が二枚の結界符を放ち発動した。エヴァンジェリンとの修行が生かされているのだ。二つの長方形で紅い枠線の複雑な文字や記号の刻まれたエヴァンジェリン特製結界符は光を放ち、拡大化して重なり合いながら回転し、ネギと刹那を守る巨大な防壁となった。

「不味いな……」

 タカミチが呟くと、前方に浮かんでいる黒髪短髪の虚ろな眼をした呪術師の女性の姿があった。女性の右手には長大な紫紺の弓が握られ、左手は弦を引いていた。だが、その左手に矢は添えられていなかった。だが、尋常でない気配と、焦燥に駆られた表情の刹那を見て、ネギは緊急事態である事を感じていた。
 女性が弦を放した直後、金色の矢が出現し、雷の槍となってネギと刹那に襲い掛かった。間一髪の所で落下する様に矢を回避した二人は、そのまま地上に降り立つとそれぞれを降ろして走り出した。
 駆け出すネギ達の上空から、再び何も持たずに弦を持ち、ネギ達に向けて弦を放つ。今度は、蒼と紅の無数の光球が螺旋状に並んだ矢が凄まじい回転をしながら降り注いだ。

「何なのあの人!?」

 明日菜が思わず走りながら悲鳴を上げた。まさか、あんなのまで居るとは想定外だったからだ。

「しまった。洗脳されている以上、どんな者も雑兵に変ると考えましたが、あの方を見る限り、そこまで甘くは無いようですね。さすがに、気配察知等の能力は低下してるでしょうが、技能の低下は無いと見るべきでしょう……」
「せっちゃん、あん人って……」
「ええ、お嬢様が京都に居られた際に華道の稽古を指南されていた方です。あの方は矢を媒介に、詠唱無しに高威力の魔術を扱える。関西呪術協会でも有数の実力者です」
「って、今度は凄いの来た――ッ!!」

 走りながら解説している刹那の言葉を遮る様に、明日菜が悲鳴を上げた。上空を見上げると、弓に掛けている右手の伸ばした人差し指の先から巨大な金色の陰陽様式の魔法陣が展開していた。八卦盤に似た魔法陣は、回転しながらネギ達を向いている。

「まさか……“天狗流星(テング・メテオ)”!? やばい、集まって下さい!!」

 独鈷杵を取り出しながら、ネギ達に血相を変えて叫ぶ刹那に、見た目のやばさも相まって慌てて集まった。

「四天結界独鈷錬殻!!」

 三角錐状の結界が展開すると同時に、女性が弦を放した瞬間、魔法陣が一瞬でビー玉程度の大きさに収縮すると、殆ど対城クラスの魔法砲撃が発動した。金色の破壊が大地を蹂躙する。結界の内側から眺めた破壊の奔流は、世界の終焉すら予感させる恐ろしい力だった。

「何なの……これ?」

 明日菜が呆然と呟くと、刹那が額から汗を流しながら応えた。

「あの方の奥義です。さすがと言いますか……。決戦奥義を使ってくるとは――」

 漸く、破壊の光が消え去った後、周囲は破壊の限りを尽くされ、美麗な景色は見るも無残なまでに崩壊していた。木々は裂け、草木は焼き払われ、大地は抉られ、虫も獣もすべてが死に絶えていた。頭上を見上げれば、今度は銀色の閃光が人差し指の先に集まっている。

「ここで時間を取られるのは不味いですね……」

 刹那が呟くと、ネギが意を決した表情で口を開いた。

「刹那さん、ここは私に任せてください」

 刹那は眼を見開いた。

「しかし…………」
「あの人の相手は飛行能力のある人間でないと……。ここで足止めを喰らう余裕はありませんから――」

 ネギの言いたい事は理解出来る。先に進むには、自分が居なければならない。だが、ネギを一人で置いていくには、相手が悪すぎる。

「大丈夫です。必ず追いつきますから」

 ネギが刹那を真正面に捕らえて告げると、刹那は一瞬眼を閉じて

「分かりました」

と一言搾り出すように呟いた。

「必ず追い掛けて来て下さい。貴女が居なければ、勝率は大幅に下がってしまうのですから」

 ネギは確りと頷いて見せた。直後、女性の放った銀色の閃光が弾け、無数の銀の光球となって虚空に浮かんだ。そして、爆発するように互いを銀色の閃光で結びつけ合い、ネギ達を完全に捕縛した。

「囲まれたッ!?」
「なら、私が――ッ!!」

 刹那が眼を見開くと、明日菜がハマノツルギを握って駆け出そうとする。

「いいえ、私が道を開きます」

 その明日菜を制して、ネギが杖を振るった。

「ラス・テル マ・スキル マギステル! 来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐 “雷の暴風”!」

 銀の捕縛結界を蹴散らし、雷を纏った真横に倒れた様に伸びる竜巻が道を切り開いた。

「行って下さい!」

 ネギが叫ぶと、明日菜がネギを見た。

「信じてるからね」

 その言葉に、ネギは笑みを浮べた。

「はい。待ってて下さいね」

 それだけで、明日菜は満足して走り出した。もう振り返らない。後方はネギに任せたのだ。敵の攻撃を心配する必要も、ネギの身を案じる必要も無い。
 “あの程度の魔術師”にネギは負けないと信じているから。その信頼を見て、刹那はクッと笑みを浮べた。ネギを残す事を心配した自分は、結局ネギを信じていないだけなのだと理解したから。

「お願いします、ネギさん!」

 それだけで、明日菜の後を追った。

「頑張るんだよ、ネギ君」
「ネギちゃん、待ってるで?」
「カモ君も」
「姉貴……」

 タカミチと木乃香はそれだけを言うと、笑みを浮べてそのまま走り出した。ネギに促され、タカミチの肩に乗ったカモは僅かに心配そうに顔を向けたが、去って行った四人に背を向け、ネギは上空に浮かぶ魔弾の射手に顔を向ける。
 虚空に君臨する女王が如く、女性はネギを感情の無い瞳で見下ろしている。

「謝罪は後でします。罰も必ず受けます。だから、今は……貴女を倒します」

 ネギはそう言うと、杖に乗り女性に向かって翔け出した。女性はすかさず、ネギではなく逃げ去った明日菜達に向けて水色の輝く鋭い槍を指先に発生させた。

「ラス・テル マ・スキル マギステル! 影の地、統ぶる者。スカサハの我が手に授けん。三十の棘もつ愛しき槍を。『雷の投擲』!」

 放たれた氷結の矢は、ネギの雷の槍によって相殺された。そのまま、エヴァンジェリンとの修行で鍛えた魔力の操作によって、無数の雷弾を操り、四方八方から女性に襲い掛からせる。
 すると、女性は懐から符を取り出して迫り来る雷弾に向けて回転する様に投げた。それぞれの符が金色に煌き、まるで膜の様に女性を覆って雷弾を防いだ。

「凄い……」

 ネギは思わず感心してしまった。弓による遠距離だけでなく、近距離の防御も凄まじい。エヴァンジェリンが言っていた言葉を思い出した。
『いいか? 魔法使いの基本は固定砲台だ。前面を従者に護らせ、後方から支援する。その為に、遠距離の攻撃に重きを置きたくなるが、むしろ防御力を高める事が最も重要なのだ。何せ、後方支援というのは、味方の前衛からも距離が離れるからな。自分の身を護るくらいは自分でしなければならんのだ』
 目の前の女性は、その後方支援タイプの魔術師の極みと言えた。圧倒的な火力と、自己防衛。ネギは知らず唾を飲み込んでいた。気を引き締め直す。標的をネギに絞った女性の指先に蒼と紅の光球が螺旋構造を描いて出現した。
 まるで、それはテレビや教科書でよく見るDNAの様だと思った。放たれた光球は螺旋回転しながらネギに凄まじい速度で向かう。すかさず真横に回避するネギは目を見開いた。螺旋回転していた光球が弾け、放物線を描きながらネギに迫ってきているのだ。

「追尾型!? ラス・テル マ・スキル マギステル! 風花・風障壁!!」

 風がネギを護る様に渦巻く。風の障壁に着弾した光球が弾けて障壁を貫通して熱を感じさせる。ネギは反撃を試みようと顔を向けた瞬間、既に女性は次の攻撃に移っていた。
 瞬間、ネギを取り囲むように緑色の光球が出現し、弾けた瞬間にまるで膜の様にネギの居る空間を覆った。そして、今度は左手に光の矢を構えている。

「不味い!」

 ネギは焦燥に駆られたまま呪文を詠唱した。

「ラス・テル マ・スキル マギステル! 風の精霊17人、集い来りて敵を射て! サギタ・マギカ、収束・雷の17矢!!」

 矢を緑色の光の壁にぶつけた瞬間、消えたかどうかを確認する暇も惜しんで当てた場所に飛び込んだ。

「え?」

 弾き返された。翠の壁は健在だった。直後、女性の放った光の細く長い矢がネギの右腕を貫通した。そして――、悲鳴を上げる暇も無い。光の矢は翠の壁に激突すると、反射して再びネギに襲い掛かったのだ。

「!?」

 それは、“死へと迷い込む竹林”という術だった。その中に閉じ込められたが最後、狂った様に跳ね回る光の矢に徐々に切り裂かれ、突き刺され死んで行く。
 ネギは翠の球体状の空間で凄まじい速度の銀の閃光を殆ど勘だけで避けていたが、全身が血塗れになり、激痛に顔を歪めていた。ネギはこの術式の唯一の突破口を理解していた。それは、最初に矢が中に入って来た時の事を考えれば一目瞭然だった。

「外からの攻撃なら。でも……」

 外から破壊しようにも、自分は中に居るのだ。その上、外には味方は居ない。ネギは一対一で相手をするべきでは無かったのだと理解した。そして、苦悶を浮かべながら倒れ込み、銀の閃光が襲い掛かる瞬間に、無意識に呟いていた――。

「たす……けて」

 その、掠れた弱々しい声を、たった一人が聞きつけていた。ガラスの割れた様な音が響き、ぼやけた視界の緑が消え去り、自分の体を誰かが抱えていた。

「ったく、後方支援の魔法使いが一人で戦おうとか無茶苦茶やで?」

 あまり優しいとは言えない言葉だったが、その声の響きに、ネギは安堵の笑みを浮かべ……おでこに衝撃を受けた。

「痛ッ!?」
「何ニヤけてんねん、きしょいで?」
「……………………」

 痛みを訴えると、返ってきたのは冷たい声だった。薄っすらと眼を開くと、痛みで苦悶の声を上げた。ギシリと微かな音が聞こえた。それは、小太郎の歯を噛み締める音だった。

「血、流し過ぎや。アホたれ」

 口元を指で拭われ、優しく抱き締められた。

「ちょっとだけ我慢しとれ。すぐ、木乃香の姉ちゃんとこ連れてったるからな」
「うん……」

 痛みに頭がポゥっとなりながら、ネギはそれだけを言うと意識を手放した。
 小太郎は、ネギ達が女性と出会う少し前に千草と合流しようとしていた。千草の方も、小太郎の気配を察して向かって来ていた。そして、刹那からの念話を受けた千草はそのまま刹那達を援護する為に追いかけ、小太郎がネギの援護をする為に走って来たのだ。ギリギリで間に合ったとはいえ、ネギの体はアチコチに穴が空いてしまっていた。
 頭に血が昇り、沸騰した様に熱を持ち、ガンガンと痛くなった。怒りのあまりに視界が揺らいだ。上空に浮かぶ女性は、再び銀色の光の矢を弦に番えて二人を狙っていた。
 ドガッという打撃音が響いた――。

「後ろがお留守やで?」

 崩れ落ちる様に意識を失い落下する女性を抱き止めた小太郎が呟いた。洗脳されているが故に、気配を察知するなどの感覚的な行動は取れなかったのだ。視界に映らない完全な死角からの不意打ちだった。女性を抱き抱えているもう一人の影分身である小太郎の視線の先、森の中にはもう一人の小太郎が狗神を放った状態のまま右手を掲げて立っていた。女性を抱き止めた影分身と狗神を放った影分身を消し、ネギを抱えたまま駆けだした。

 流れ往く景色を尻目に、明日菜達は走り続けていた。既に何十、何百の呪術師や神鳴流を空を跳び、千草の木属性の拘束でやり過ごしている。明日菜達が敢えて舗装された道を走っているのは、千草のバックアップを最大限に活用する為だ。森の木々の合間を縫って行くと、時間が掛かる上に直ぐに疲弊してしまう。更に、明日菜達が目立つ事で、森の中の千草の存在が気付かれる事無く、援護を容易くしているのだ。総本山が目視出来る地点に到達した時、炎の塊が飛来した。明日菜がすかさず斬りかかろうとした瞬間、炎の球は弾け、巨大な“大”文字を描き出した。

「これは、“京都大文字焼き”!?」

 刹那が叫ぶと同時に、タカミチが居合い拳によって大文字を吹き消した。土煙が舞い上がった先に、スラリとした人影があった。真紅の袴に白の着物、濡れた様に艶やかな黒髪は腰まで伸びているのを白い紐で首の後ろにて結わいている。その右手には一振りの太刀が握られ、光の灯らない瞳がジッと明日菜達を見つめていた。
 刹那の眼が見開かれる。声も出ないほどの驚愕に、精神がおいついてこないのだ。

「せっちゃんの……お師匠様?」

 木乃香が呆然とした様に呟くと、明日菜達はギョッとした。

「あれが……刹那さんの師匠?」

 鋭い眼差しだが、その美貌は類稀だった。柔和という言葉が似合わない、その気品は洗脳されている状態で尚も揺らぐ事が無く、その存在は、圧倒的なまでに場を支配していた。
 刹那の師匠は、その白き柄の太刀を振り上げた。刹那は反応が一瞬遅れてしまう。その前面にタカミチが飛び出した。だが、刹那の師匠の放った斬撃を防ぐ術をタカミチは持っていなかった。舌を打つと、視界に新たな影が現れた。
 バキンッというガラスの割れた様な音が響き渡る。ハマノツルギによって、刹那の師匠の斬撃が破壊された音だ。

「行って、皆。この人は、私がやる」

 明日菜は、両手でハマノツルギを構えながら宣言した。

「待ってください! 母上は長の警護担当をしている程の実力者なのです。ここは、私が!」
「駄目。お母さんと刃を交えるのは論外よ。大丈夫、負けないし、怪我もさせない。時間を稼いだら全力で逃げるから」

 刹那の声を遮り、明日菜は威風堂々の構えで言った。

「明日菜君。なら、ここは僕が引き受ける。彼女の実力は君よりも……」

 タカミチが全てを言い切る前に、明日菜は頷いていた。

「分かってます。でも、ここから先、まだ現れていない西洋魔法使いや、裏切り者の神鳴流が待ってます。高畑先生抜きじゃ……勝てないと思います」

 明日菜の考えに、タカミチは

「それでも……」

と明日菜に声を掛けようとした。だが、明日菜は薄っすらと優雅に微笑んだ。

「それに、こういう瞬間はこれから何度も来ると思います。その時に、何時でも誰かを頼れる状況とは限らないんです。だから、今は少しでも経験を積みたい……って、茶々丸さんの教えそのまんまですけど」

 にゃははと笑みを浮かべながらも刹那の師匠に対敵する明日菜を、タカミチは呆然と、眩しい者を見るかの様に眺めた。ゾクゾクする、神楽坂明日菜という少女の強さに。圧倒的と分かっていながら、それに立ち向かおうとするその姿に、嘗ての英雄達の姿を幻視させた。
 ああ、やっぱり僕とは格が違う。溜飲を下げる。神楽坂明日菜の心の高揚に反応して輝きを増すハマノツルギ。
 オレンジ色の髪の少女は、まさしく今、嘗て自分の憧れた英雄に助けられていた少女ではなく、一人の戦士として存在しているのだ。英雄と呼ばれる存在になれるだろう器がある。自分ではどうあっても到達不可能な領域に、彼女は僅か数ヶ月に足を踏み入れたのだ。
 “新しい時代で活躍する者(ケンデバイオス)”……なんて眩しい。近右衛門の嘗て言っていた言葉が理解出来た。時代は、動いているのだと。
 最早、サウザンドマスター率いる“紅き翼”さえも過去の存在なのだ。新たな時代は、新たな世代が切り開く。自分は、そこから漏れてしまっているのだ。胸がギシリと痛んだ。羨ましい、そんな感情が恥しい。羨望の眼差しで見るなど間違っている。それが分かっていても、タカミチにはその情動を抑えるしかなかった。

「分かった。必ず、無理はしない事を約束してくれ。危険を感じたら即座に逃げる。分かったね?」

 タカミチは、心の内を必死に覆い隠しながら言った。明日菜は、そんなタカミチの内心も知らずに、愛しい人からの言葉を笑顔で受け取った。

「明日菜さん、構いません。母上を倒して下さい。母上とて、こういう事態は常に覚悟している筈ですから」

 刹那が言うと、明日菜は首を振った。

「違う、間違ってるわよ、刹那さん。覚悟がどうとか関係無いの。私が怪我を負わせないって言ったのは、むざむざ洗脳されて私の前に現れたこの人の為で言ってるんじゃない。私は、お母さんを傷つけられて、刹那さんが悲しむのが嫌なの。それだけよ。私の我侭。覚えといて、私の行動原理は何時だって、私の我侭なんだから!」

 明日菜がニヤリと笑みを浮かべた瞬間、ハマノツルギの光は閃光の如く輝きを強めた。まるで、それは地上の太陽の様だった。

「明日菜、せっちゃんのお母様を頼んだで?」
「まっかせなさ~い! 木乃香も、お父さんやお母さんを助ける為に走りなさい。必ず追いついて、木乃香を助けに行くから」

 お互いに満面の笑みを交わし合う。それは、親友同士だからこそ通じ合うモノ。言葉の裏に、お互いの複雑な心を全て認め合い、互いを信じ、互いにエールを送り合う。
 刹那達が先を行こうとした瞬間、太刀を振るおうとした刹那の師匠の太刀を明日菜が凄まじい威力の斬撃で押えた。否、吹飛ばした。茶々丸の選択した、明日菜に最も適した剣技とは、日本の“技で切る”ではなく、“力で斬る”というものだった。その圧倒的な常識外れの馬鹿力と、常識外れのスピードと、常識外れの動体視力と、常識外れの反応速度。そして、神楽坂明日菜の剣技の特徴は剣と蹴り、拳を操る特異なものだった。
 吹飛ばした刹那の師匠を、そのまま体を一回転させて遠心力の加わった恐ろしい威力の斬撃によって追撃する。卓越した剣技を持つ刹那の師匠はそれを受け流すが、あまりの威力に衝撃を殺しきれず、耐え切れずに距離を離した。螺旋回転する斬撃が放たれる。

「無駄ッ!」

 バキンッ! という音と共に斬撃が破壊され、明日菜はただ真っ直ぐに刹那の師匠に迫った。軸足である右脚で刹那の師匠の手前の地面を蹴りつける。ガクンと明日菜の体が沈みこみ、刹那の師匠の迎撃の斬撃が逸れる。そのまま明日菜は逆立ちになって刹那の師匠の顎を蹴り上げる。それでも怯みもせずに刹那の師匠は隙を作った明日菜の胴を真横に凪ごうと太刀を振るった。だが、太刀は虚空を切り裂く。
 明日菜は逆立ちの状態で跳び上がっていた。重たそうな甲冑を着ながら、まるで軽業師の如く。そのまま背後を取った明日菜は、振り返り様に百花繚乱を放つのを真正面から受け止めた。
 つい、顎蹴っちゃったけど、後で、謝ろう……。気の斬撃が、明日菜に当った瞬間にそよ風に変ってしまう。明日菜は暢気な事を考えながら、刹那の師匠の太刀にハマノツルギを叩き込む。そのまま、息もつかせずにハマノツルギを連続で叩きつける。閃光の軌跡が無数に残影を残しながら明日菜は刹那の師匠を押していく。

「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 疾風怒濤の連続攻撃、その一つ一つの斬撃がシャレにならない威力を誇る。
 巧みに太刀が折れないように立ち回れる刹那の師匠の技術が凄まじいと理解出来る程に、神楽坂明日菜の怒涛の斬撃は怖気の走る程だった。ハマノツルギが振るわれる度に、その衝撃波が大地を蹂躙し、木々を抉り、空気を破裂させる。ドラムを叩いているかの様な空気の破裂音が絶え間なく続いている。
 瞬動を用いて距離を離す刹那の師匠に、尚も明日菜は追撃する。洗脳されていなければ、明日菜の能力の弱点を突き、攻略も出来ただろうが、技能だけで知力や気配察知などの能力がなくなってしまった刹那の師匠は、神楽坂明日菜にとって敵では無かった。放たれる奥義級の技も意味を成さず、決戦奥義すらも明日菜に傷一つ負わせられない。魔術や気を直接使っている限り、神楽坂明日菜に勝利する事は出来ない。魔術や気を、現実に存在する魔法と関係の無いものでコーティングする程度ですら現在の明日菜を相手ならば攻略は可能だが、知性の働かない刹那の師匠はその考えに至れなかった。

「これが、茶々丸さんと一緒に作った……私の必殺技!」

 叫びながら、光の奔流と化しているハマノツルギを後ろで振り被った。あまりにも眩しい光は、森の木々の合間を縫い、漆黒の闇を照らし尽くした。ネギから供給される魔力。そして、神楽坂明日菜の所有する魔力、それらをただ感覚的に、理論も何も無く、ただ茶々丸に言われるままに何度も練習して作り上げた現在、神楽坂明日菜が仕えるたった一つの“型”。
 右脚を前に踏み込み、両手で振り被ったハマノツルギに魔力を流し、全力で振り切った。収束されている訳でもなく、ただ暴れ回る凶暴な光の斬撃が地面を抉りながら眼にも留まらぬ速さで一気に刹那の師匠に迫る。制御が一切利かず、周りに味方が居た場合、巻き込む可能性が高くて絶対に使えない諸刃の剣。
 ただ適当に篭められた魔力は量もランダムで、威力の強弱にも落差の激しいとんでもなく未完成な、だが明日菜の放てる最強必殺奥義だった。刹那の師匠は、ランダムな動きの光の斬撃を回避するが、ソニックムーブが発生し、体は切り裂かれ、体勢は完全に崩れていた。

「ごめんな……さいッ!」

 そして、跳び上がった明日菜の拳が深々と刹那の師匠の腹部に埋め込まれ、刹那の師匠は意識を失った。何せ、障壁が全く意味を成さず、水の膜を割った程度の抵抗すら出来なかったからだ。

「うん、強くなってる」

 拳を握り締め、しみじみと自分の勝利を心に刻んだ。

「さて、行かなくちゃ」
「お~いッ!!」

 走り出そうとした明日菜の背中に、僅かに高い少年の声が掛けられた。明日菜が振り向くと、そこにはネギを抱き抱えて走る犬上小太郎の姿があった。犬上小太郎が近づいて来て、ネギの姿を確認すると、明日菜は小太郎を殺意を篭めた眼で睨んだ。

「違う。ワイやない」
「アンタ……、そっか。思い出したわ。ごめん」

 明日菜は小太郎の顔を見て、湯豆腐屋で会った少年だと思い出した。

「ネギ……」

 体中から夥しい量の血を流すネギの姿に、明日菜は唇を噛んだ。小太郎に抱き抱えられながら、苦悶を浮かべるネギに明日菜は険しい顔をするとその頬に手を当てた。

「頑張ったんだね、ネギ。なら、私ももっと頑張らなきゃね」

 明日菜は先行した刹那達の向かった方向を向いた。

「小太郎……だったわね?」
「ああ」
「私は明日菜。神楽坂明日菜よ。ネギをちゃんと抱えてなさい。落としたら……承知しないわ」

 感情を高ぶらせ、ハマノツルギの輝きを強める。その姿に、犬上小太郎は眼を見開きながら頷いた。

「ああ」

 小太郎の返事に明日菜は頷くと、駆け出した。慌てて、小太郎も後を追う。走りながら、途中で現れた敵を、明日菜は一人残らずハマノツルギの峰で殴り飛ばした。ネギを抱き抱える小太郎に敵が行かない様に。
 ネギの体の傷を見て、苛立ちを覚えた。信頼して残したのは自分の判断だ。そして、その判断を間違っているとは思っていない。思っていないが……怒りを覚えた。自分に対して、敵に対して、そして……ネギに対しても。
 ネギが負けるなんて思っては居なかった。だが、負けた。それが許せなかった。勝てないなら、自分を頼って欲しかった。だって、ネギは自分を召喚出来たのだから。こんな風になる前に、自分の迷惑なんて考えずに、召喚して欲しかった。だから、これは八つ当たりだ。敵の生死も確認せずに、凶暴な破壊力の斬撃を振るい続ける。
 あの夜に、一人で戦おうとしていた少女に無理矢理加勢したのは自分だ。ネギは巻き込んだと思っているのだろうが、実際はカモの言葉を聞いて、受け入れて、助けようとしたのは自分の意思なのだ。あの日の決意が、ネギに届いていなかった。それが、明日菜の心を傷つけた。

「ふざけんな……」
「?」

 明日菜の呟きに、小太郎が首を傾げた。

「フザケルナアアアアアアッ!!」

 明日菜は耐え切れずに絶叫しながら、更に勢いの増した斬撃を振るった。明日菜の怒りの形相に、小太郎は眼を見開いた。何を怒っているのか分からない。ひょっとすると、ネギが傷つけられたからかもしれない。多分そうなのだろうと、小太郎は適当に考えて追求しなかった。
 怒りのままに敵を蹴散らしながら全速力で道を駆け抜けた明日菜と小太郎は、総本山のすぐ手前で、固まっている刹那達に追いついた。そこには、刹那と対敵する二刀流の神鳴流、月詠の姿があった――。

 闇夜に浮かぶ満月の様な二つの眼。白いフリフリの沢山ついたゴシックロリータを着た、二振りの太刀を握る眼鏡の少女はこれから始まる、待ち焦がれていた先輩である刹那の師匠刹那との戦闘に、頬を上気させ、狂気を瞳に宿し、全身を電流が走るかの様な快感に酔い痴れていた。
 月詠は総本山の眼前で刹那達を待ち受けていた。総本山は薄っすらとオレンジ色の壁に覆われていた。やって来た刹那達は、月詠の二刀流と、狂気に満ちた瞳を見た瞬間に理解した。
 裏切り者の神鳴流――。刹那が一歩前に足を踏み出した。表情の消えた顔で、冷徹に月詠を睨みつける。

「お前が裏切り者か――?」

 底冷えする程冷たい響きの声が響く。それが、刹那の口から発せられたものだと木乃香達が理解するのに間が在った。月詠は怖気の走る様な気味の悪い口を半月状に開いた笑みを浮かべた。ダランと腕を垂らした様な状態で右手に夕凪を握り、月詠を睨む。

「先輩。刹那先輩」

 熱に浮かされた様な蕩ける様に甘い響きの声。全身に鳥肌が立ちそうなほど気色の悪い声だった。夕凪に似た僅かに夕凪より短い太刀を右手に、七首十六串呂の一刀と同じ程度の長さの短刀を左手に握り、眼が普通の状態に戻った。

「うふふふ。この時が来るのを心待ちにしていましたわ。セ・ン・パ・イ」
「先輩?」

 木乃香が首を傾げると、月詠は詰まらなそうな視線を木乃香に向けた。その瞳はどす黒く濁り、得体の知れない感情が灯っていた。すると、木乃香達の後方から凄まじい速度で迫る金色のナニカが視界の内に現れた。ハマノツルギを振るう神楽坂明日菜と、その後方に続く犬上小太郎と抱えられたネギ・スプリングフィールドだ。明日菜は立ち止まっている木乃香達に合流した。

「どうしたの? アイツは……」

 明日菜は月詠の握る太刀と短刀を見て眼を見開いた。小太郎も鋭い眼差しを向けるが、すぐに顔を逸らし、聞いていた特徴と一致する木乃香に顔を向けた。

「アンタが木乃香の姉ちゃんか?」
「ネギちゃん!」

 小太郎が尋ねると、木乃香は目を見開いた。ネギの血塗れの体に血相を変えて東風の檜扇を開いた。ネギと分かれてから十分以上経過している。ネギが何時頃怪我をしたのかは分からない。木乃香のアーティファクト、“南風の末広”は三十分以内ならば怪我以外の状態異常を回復させる。そして、“東風の檜扇”は“三分以内”に負った即死以外の傷を完全に修復する。そう、肝心の怪我を治す方の東風の檜扇の制限時間はたったの三分なのだ。

「小太郎君……やね? ネギちゃんが怪我してからここまで来るのにどんくらい掛かった?」

 木乃香が尋ねると、小太郎は意味が分からなかったが、必要がある事なのだろうと悟り直ぐに応えた。

「即効で倒してからここまで一直線に走り続けたさかい、まだ三分経ったくらいやないかな……」
「それなら、完全治癒は無理でも……」

 木乃香はすぐさま東風の檜扇に魔力を流した。数分程度の後れならば、効果は薄まるが発動は出来る。小太郎がネギを地面に寝かせると、深く息を吸って呪文を唱えた。詠唱する呪文は、エヴァンジェリンがカモと共に考え出した木乃香専用の呪文だ。

「氣吹戸大祓 高天原爾神留坐 神漏伎神漏彌命以 皇神等前爾白久 苦患吾友乎 護惠比幸給閉止 藤原朝臣近衛木乃香能 生魂乎宇豆乃幣帛爾 備奉事乎諸聞食 」

 “氣吹戸”の神は、生命の力を……即ちは氣を吹き込む神であり、再誕の意味を持たせている。更に、大祓詞の出だしをアレンジし、五摂家の一つであり、近衛家の先々代……つまりは近衛近右衛門の先代がこの国の長を務めた事もある事を取り入れ、天照大神を始めとする皇室の祖先神を取り入れている。
 そして、呪文の意味は――《ああ、偉大なる神々よ、我が盟友に施しを頂きたい。代償と致しましては、近衛木乃香の生命の力(氣)を貴品として、捧げます事をお誓い申し上げます。どうか、お受け取りになって下さい》――というものだ。
 平安時代末期の公卿にして、関白である藤原忠通の子である正二位・摂政・関白・左大臣・贈正一位太政大臣の藤原基実が、久安6年に、8歳で正五位下左近衛少将に叙任された事によって、『近衛家』という呼び名が始まった事を考え、本姓は『藤原』であるという名乗りを取り入れ“藤原朝臣近衛木乃香能”と呪文に取り入れられた。この、本姓と苗字は別のものであり、本姓が藤原、苗字が近衛であり、“藤原朝臣近衛木乃香”というのは、近衛木乃香の“真名”なのだ。
 金色の光が木乃香の体を包み込み、その光はやがて木乃香の手にある東風の檜扇へと萃まりだし、その光がネギを包み込んだ。傷跡に光が集中し、眩しいほどに輝くと、僅かに傷跡を残しながらも、大方の傷が塞がった、ネギの表情からも苦悶が若干薄れた感じだ。
 大規模な回復魔術に、木乃香は肩で息をしながらもハンカチを取り出してネギの顔を拭った。ネギの瞼が僅かに動いた。

「あ……っ」

 薄っすらと目を開いたネギの目に、木乃香と小太郎の安堵の笑顔が映った。

「木乃香さん……。それに、小太郎も。木乃香さんが治療してくれたんですね? ありがとうございます」
「いいえ。せやけど、まだ傷跡残ってるんや。このまま残すは良くないさかい、全部終わったらちゃんと直そうなぁ?」
「はい」

 木乃香が優しい手つきでネギの頭を撫でると、ネギは気持ち良さそうに目を細めた。

「小太郎もありがとう」

 ネギが笑みを浮かべてお礼を言うと、小太郎は
「オウ」
とだけ言うと、肩で明日菜を指した。

「あっちの姉ちゃんにもお礼言っとけよ? ワイがお前運んどる最中、来る奴一人残らず叩きのめしてくれたんやからな」

 ネギは目を見開いた。明日菜との修行は殆ど別々で、それほど明日菜が強くなっているとは思っていなかったからだ。

「ありがとうございます明日菜さん。それとごめんなさい、信じていただいたのに、負けてしまいました」

 俯くネギに、明日菜は思いっきり拳骨を落とした。

「アグッ!?」
「ちょっ!?」
「何しとんの明日菜!?」

 いきなりの明日菜の暴挙に、小太郎と木乃香は驚いて声を上げた。ネギは全身の痛みと相まって気絶してしまった。が、明日菜は気付いていなかった。

「あのね! ありがとう……じゃないわよ全く! アンタ、私の事なんだと思ってるわけ!? 最初の時だって巻き込む云々言ってさ! そんなん、ネギだってお父さんの皺寄せが来ちゃっただけじゃん! なのに、こっちが自分の意思で助けるって決めたのに人の気持ち華麗にスルーしてくれちゃってさ! 今回だってそうよ! そんな怪我する前に私の事呼べばいいじゃん! 何の為の仮契約よ! 私の身を護る為の装備と魔力供給じゃないでしょ!? そんなんじゃどっちが従者か分かんないじゃない! きぃ~~~~~~っ!!」

 明日菜が一気に捲くし立てると、恐る恐る小太郎が手を上げた。

「あ、あの……」
「何よ!」

 ギンッと睨みつける明日菜に、若干引きながら小太郎は遠慮がちに言った。

「ネギの奴……気絶しとるで?」
「え……?」

 騒いでいる明日菜達を背に、刹那とタカミチは彼女たちを護る様に立っていた。

「五月蝿いお人達どすなぁ」

 ネギの無事を確認し安堵していた刹那は、月詠の言葉に再び心を冷やした。

「高畑先生、下がってください」
「しかし……」
「これは、神鳴流の問題です。この裏切り者だけは、私の手で……」

 タカミチは息を呑んだ。その少女から発せられたとは到底思えない濃厚な殺意に――。肌がびりびりと斬りつけられるかの様に空気が緊張し、気温が急激に下がったかの様な錯覚を受けた。ネットリとした憎悪が、舌を乾かせる。

「名を名乗れ――」

 刹那が口火を切ると、月詠は悦に浮かされた笑みを浮かべた。その瞳には、刹那に名を尋ねられた事に対する底知れぬ喜びを讃えていた。

「――二刀流剣士、月詠」

 心の底から喜びを表現する様に、月詠は自分の名を名乗り上げた。

「そう名乗るか、ならば……、覚悟は出来ているな!」

 刹那の怒声が響き渡る。そのあまりの殺気に、眠っていたネギも目を覚まし、全員が声も出せずに押し黙った。ただ、刹那の一挙一動を見守るだけとなった。

「皆さんは後ろに。こいつを倒せば、もう最後の戦いになりますから、一斉に突入しましょう。しばしお待ちを。まぁ、結界が張られています。どちらにしても、こいつを倒さないと先には進めないでしょうから、少々お待ちを――」

 刹那は振り返らず言った。そして、七首十六串呂を上空に展開し、瞳孔の開いた眼差しを月詠に向けた。

「京都神鳴流・刹那の師匠刹那の名に於いて、月詠ッ! 貴様をこの場で処刑する!」

 直後、空気が弾けとんだ。動いたのはほぼ同時、ギィィィィィンという金属のぶつかり合う甲高い音が鳴り響き耳が痛くなる。

「この数日の間がどれほど長く感じられた事か……。目の前に旨そうなお肉をぶらさげられてずっと“待て”ですもん」

 鍔迫り合いをしながら、熱に浮かされた瞳を潤ませて月詠は舐める様に刹那を見つめながら言った。刹那は舌を打ち、月詠を弾き飛ばす。弾き飛ばされた月詠は頬を火照らせながら長い方の太刀の刃を舐め上げる。

「もう……ずぅっとお預けくろてて……ウチ……ウチもう……我慢できひん」

 ハァハァと荒く息を吐きながら、怖気の走る妖気を放ち、月詠は刹那を見つめた。

「センパイ。刹那センパイ。ウチを満足させて下さい。センパイが満足させてくれへんかったら。ウチ……周りにおる木偶まで斬ってまいそうですぅ――」

 刹那は月詠の醜悪な感情を受け流し、再び白目と瞳の色の反転した月詠の目を睨みつけた。

「参るッ!」

 刹那が弾ける様に月詠に攻め込む。月詠はゾクゾクする体中に走る快感に身を振るわせながら刹那の夕凪を受け止めた。刹那は真っ白に輝く翼を展開し、凄まじい速度で月詠を攻め立てた。刹那の飛行速度は修行によって格段に飛躍し、走るよりも何倍も速くなっていた。
 月詠は狂気の笑い声を上げながら、刹那の怒涛の攻撃を防ぎ続けた。夕凪と同時に、七首十六串呂の十六本の七首が緩急をつけて月詠に襲い掛かるが、月詠は太刀と短刀を巧みに操り防ぎきる。
 月詠……これほどとは! 月詠の技量は凄まじく、並みの才覚ではないと刹那は理解した。故に惜しい、それだけの才覚を持っていれば、必ずや大成していただろう。だが、近衛木乃香を裏切った時点で、月詠の運命は決まっているのだ。

「さすがセンパイ。師が良かったんですな~。正道の神鳴流の剣捌きに、実戦に裏打ちされた見事な技量。センパイに勝てる人など、この世界にもそうはおらんでしょう?」

 月詠の言葉に、刹那はつい笑ってしまった。

「いいや、私より強い者など幾らでも居る。世界が狭いな、月詠!」

 刹那の鋭い斬撃が刹那の言葉に戸惑う月詠の懐に侵入する。間一髪で背後に回避した月詠に向け、上空から七首十六串呂の六本が波状攻撃を仕掛け、それを更に後方に移動しながら躱していく。直後、全身に鳥肌が立った。本能のままに転ぶように真横に避ける。すると、後方から七首十六串呂のイが凄まじい速度で月詠の居た空間を貫いた。
 月詠は立ち上がろうと地面に手を突くと、突然影に覆われ上空を見上げた。

「雷光剣!」

 炸裂する雷の斬撃。月詠の体を破壊の光が蹂躙していく。必死に効果範囲から離脱した月詠に七首十六串呂が四方八方から飛来する。十分な加速距離を持って最高速度に達した十六本の七首が月詠を串刺しにしようとする。

「クッ――!」

 月詠は太刀と短刀を巧みに振るい全てを叩き落とすが、その表情には苦悶の色が走った。そこに、休む暇も与えずに刹那が夕凪を振るった。
 それは剣士としての極致。右に振るえば斬岩剣。左に振るえば、斬空閃が跳び、曲線を描いて月詠を攻め立てる。すべての動きが技となる。距離を離した瞬間に、斬鉄閃の螺旋を描く斬撃が追撃し、その瞬間に刹那は距離を縮める。凄まじい手数と、凄まじい力と、凄まじい技。防御から他への行動を一切許さぬ怒涛の攻め。明日菜の力押しの攻めではなく、技術による隙の無い攻めだった。

「こんな――ッ!?」

 月詠はあまりの事態に焦燥に駆られた。翼によって底上げされた速度、更に、刹那が麻帆良に行く前に見た時の技量を遥かに越えた技量。刹那の実力は、月詠の想像を遥かに凌駕していた。

「センパイッ!」

 それでも、月詠は攻めに転じようと短剣を突き出し――。刹那は七首十六串呂のイを左手に引き寄せた。そのまま、神速の斬撃を振るった。

「――秘剣・飛燕抜刀霞斬り」

 一瞬で左右の夕凪と七首十六串呂・イによって生じた凄まじい数の攻撃回数に、月詠の左手は切り裂かれ、凄まじい量の血が噴出した。明日菜達は何も口に出来なかった。あまりにも壮絶な戦いに――。

「あは……アハハハハハハハハハハハ!! 楽しいッ!! ウチ、とっても楽しいですわぁセンパイッ!!」

 月詠はまるで気が触れたかの様に笑い出した。月詠は瞳の狂気の光を強めた。

「二刀連続斬鉄閃――ッ!」

 月詠は笑みを深め、直後、振るう太刀と短刀から連続で螺旋回転する斬鉄閃を刹那に対して放った。大地を抉り、空気を巻き込んだ螺旋回転の大量の斬撃刹那は上空に飛翔して回避する。

「空中に逃げても無駄ですぅ。斬光閃!」

 月詠の太刀から、上空の刹那に向けて光の属性を纏った斬撃が放たれる。あまりの弾速に刹那は避ける事が出来ずに受け止めた。その一瞬の隙を突いて、月詠は太刀を刹那の翼に振り落とそうとしていた。

「――――ッ!」

 刹那は咄嗟に翼を消し、回転しながら月詠の太刀を夕凪で受けた。そのまま、月詠の斬撃の衝撃を利用して一気に地上に降り立つと、七首十六串呂を落下してくる月詠に射出した。矢の如く打ち出される七首十六串呂は、半分をカクカクと複雑な動きをさせ、半分を月詠まで一直線に最短距離を向かわせた。月詠は虚空を蹴り、一気に遠くの場所に降り立つ。

「ここからですぅ。ウチの本気、見たって下さい」

 言うと、月詠の姿がブレた。直後、月詠は四人になり、それぞれが刹那を見つめていた。

「影分身まで修めているのか――ッ!?」

 刹那は驚愕に目を見開いた。

「行きますえ?」

 直後、四人の月詠は散開した。

「ウチの技は神鳴流だけやないんです」

 そう言うと、一番左の月詠が符を取り出した。

「符術か!」
「『輝く金閣寺の壁面』」

 金色の光が爆発し、刹那と四人の月詠を黄金の光の壁が包囲した。

「なんだと!?」

 光は強さを増し、光の奔流によって、自分の手元すら見えなくなってしまった。

「斬岩剣」

 声のする方向に夕凪を振るい何とか凌ぐ。四方向からランダムに攻め立てる月詠に、刹那は為す術を持たなかった。だが、月詠は攻撃の手を休めない。

「『百鬼夜行』」

 今度は、四方八方に気配が現れ、斬撃ではない力の弱い攻撃が一気に増加した。
 斬っても斬っても気配は消えない。

「『三十三間堂の通し矢』」
「まだあるのか!?」

 薄っすらと光の奔流の中に、風を斬る音が聞こえた。勘のままに七首十六串呂を円盤状に展開すると、光の弓矢が七首十六串呂に激突した。

「こんな……」

 刹那の表情に苦悶の色が走る。あまりにも分が悪い。視界の無い状況下で、四方八方から攻め立てられる。想像を絶する苦境だった。不意に、木乃香の笑顔が浮かんだ。光の弓矢が突き刺さり、激痛に視界が歪む。
 ――お嬢様、お嬢様……お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様――このちゃんッ!!
 厳しく接する親は護ってくれず、疎まれ続けた自分を認めてくれた近衛木乃香という少女。自分の白い翼を認めてくれた、明日菜とネギと木乃香。
 刹那は自分が嫌いだった。だけど、近衛木乃香は好きだと言ってくれた。明日菜とネギも自分の翼を嫌悪する事なく、認めてくれた。
 刹那の目が見開かれた。月詠だけではなく、正体不明の大量の気配と弓矢による狙撃を同時に視界零の状態で防ぎ続ける。全身の感覚を研ぎ澄ませ、無心に太刀を振るい続ける。
 只管に心を静める。エヴァンジェリンとの修行。その中で培ってきたモノは飛行速度の向上や技の精度だけではない。心の修行。何の為にやるのかはよく分かっていない。それでも、その修行は活かされている。
 怒りに惑わされるな。心を鎮めろ――。視界の見えない中で、刹那は七首十六串呂を操り、謎の気配を消し去っていく。
 なんだろう。時間の経過も分からなくなっていた。不意に、自分の中に流れる二つの流れを感じ取った。一方は、自分の使う気の流れだと理解していた。もう一方はどこか知らない所から流れ込んできていた。僅かな量だ。
 剣を無心に振るう事で辿り着いた“無想”。そうして漸く理解出来た。

「ああ、これはネギさんの魔力だ。仮契約の絆から流れ込んできているんだ」

 二つの流れを汲み上げる。ネギから流れてくる魔力を呼び水にして、半妖の血が……眠っていた刹那の強大な妖怪としての魔力が呼び覚まされた。バチバチと、電流が走った様に体が痛み、動きが鈍る。そこに、月詠は容赦なく攻め立てた。正体不明の気配や、光の弓矢の攻撃を受けながら、刹那は二つの相反する力を両手に掬い上げた。
 左手には魔力を。右手には氣を――。

「感謝してやるぞ、月詠」

 刹那の呟きに、月詠が動揺しているのが何となく分かった。両手の相反する力を祈るように合わせる。

「私は、今更なる一歩を踏み出した!」

 凄まじい力の奔流に、囲っていた黄金の結界が滅びた。デフォルトされた可愛らしい百鬼夜行の妖怪達も刹那の咸卦の力に吹飛ばされ、消滅した。

「マジか……、咸卦法だと!?」

 遠くでカモの言葉が聞こえた。タカミチの使っていた力と同じ名前。恐らく、エヴァンジェリンの修行の意味はコレだったのだろう。
 元々、氣を操る事に長けていた神鳴流である刹那。加えて、妖怪の血は人間以上に魔力を操る力が強い。人間としての刹那と、妖怪としての刹那。半人半妖の二つの相反する面を持つ存在。だが、そこに居たのは間違いなく一人の桜咲刹那だった。

「そうだった。私はここまで到達出来たんだ。足りなかったのは、自分。自分が自分を認めていなかったんだ。だけど、私は私を認める。だって、このちゃんや、明日菜さんやネギさんが認めてくれたから」

 小さく呟きながら、刹那は両目に指を押し当て、着けていたカラーコンタクトレンズを外した。翼を広げ、息を吸い込む。白い瞳に白い翼。本来ならばその黒髪も雪の様な白である筈だったが、コチラは染めてしまっている為に仕方ない。

「このちゃんの前で、私は決して負けんッ!」

 夕凪に雷が迸る。固まっていた月詠はキッと刹那を睨みつけて、歯を鳴らしながらも何とか笑みを浮かべて刹那に切り掛かった。だが、飛び掛った三人の月詠は、一瞬の間に刹那によってバラバラに解体され、霧の様に消えてしまった。

「アハ……さすがセンパイやわぁ。こんな……こんな楽しい決闘が出来て、ウチは幸せですぅ」

 口調を平静を保っている様にしているようだが、その表情や掠れてどもった口調は、月詠の恐怖を隠しきれなかった。
「決闘?」
と刹那は一歩前に足を踏み出しながら嘲笑する様に首を傾げた。

「勘違いするな。これは、決闘じゃない。ただの……処刑だ」

 そう呟くと、上空から咸卦の力によって更に加速した七首十六串呂が月詠の頭上に飛来した。咄嗟に回避しようとした月詠の体が動きを止める。絶句し、目を見開いた月詠は口を振るわせた。

「影……縫い」

 ガチガチと歯を鳴らして全身を震わせている月詠の影に、七首十六串呂の内のハとニが突き刺さっていた。そして、上空には残りの十四本が浮遊している。
 刹那は左手を掲げると、七首十六串呂は稲妻を帯電させた。

「稲交尾籠(イナツルビノカマタ)」

 月詠の周囲を七首十六串呂は旋回し、網の様に月詠の体を覆った。そして、影を捉えていた七首も浮上し、上空にすべての七首が飛び上がり、一気に月詠の足元に突き刺さった。
 軌跡が雷を纏い月詠を縛る籠となっている。“稲交尾”とは稲妻の異名である。稲妻の捕縛結界。七首十六串呂を得た刹那の師匠刹那の新たなオリジナルの技だった。
 夕凪をカチャリと鳴らし、刹那は一歩一歩身動きの取れない月詠に近づいて行く。白い瞳は冷徹な雪結晶を思わせた。恐怖に声が出なくなり、月詠は首を振る事で命乞いをするしかなかった。

「だめ……、駄目やせっちゃん!!」

 木乃香の叫び声が響く。刹那のしようとしている事を止め様と走り出した。だが、刹那の師匠刹那は止まらない。神鳴流を裏切り、よりにもよって木乃香を狙う輩についた愚か者を、許す事など不可能だった。気も何も覆わせていない夕凪を振り上げる。

「見苦しいぞ。貴様も神鳴流ならば、この期に及んで命乞いなどするな」

 冷徹な声には、一切の感情が見えなかった。ただ、身内の恥を叱っているだけだった。稲妻の籠に高速され、全身を雷撃に曝されながら、刹那の剣がギラリと輝く様を見て、月詠の瞳に絶望が広がった。
 これから自分は殺されるのだと、月詠は理解した。冗談じゃない。そう思った。ただ、自分は刹那と戦いたかっただけなのだ。戦いなど殆ど無く、ただ鍛えるだけの毎日。そんな生活に飽きて、彼らについただけなのだ。偶々、近衛木乃香を狙う立場になったが、そんな事で自分が殺されるなど冗談じゃない。月詠は必死に稲妻の高速を破ろうと身もだえた。

「――――死ね」

 刹那が夕凪を振り下ろした。銀色の軌跡が、月詠の白い肌へと向かい、ピタリと止まった。刹那と月詠の間に、一人の少女が割って入ったのだ。

「お嬢……様?」

 木乃香が、両手を広げて月詠を護る様に立っていた。月詠も、呆然と木乃香を見つめている。

「駄目や……せっちゃん」
「退いて下さい、お嬢様」

 刹那はキッと木乃香を見つめながら言った。

「駄目と言ったんや。ウチの言葉が聞こえなかったん?」

 刹那は驚いた様に目を見開いた。木乃香に、こんな風な口を利かれた事がなかったからだ。支配者が支配する者に告げる様な言い方だった。木乃香は真っ直ぐに刹那を睨んでいた。漆黒の瞳はどこまで深く、吸い込まれそうな程美しい。息が出来なくなる。自分の存在がやけに小さく感じられた。

「せっちゃん。ウチの言葉が聞こえなかったん?」

 木乃香の言葉に、刹那は口を一文字にキュッと結び、首を振った。

「退いて下さい。この愚か者はこの場で――」
「殺す……そう言うつもりなら、ウチは退かない」

 刹那は歯を噛み締めた。どうして邪魔をするんだと涙が溢れた。神鳴流を裏切り、近衛木乃香に刃を向けた。刹那の師匠刹那が、全てを懸けて木乃香を護る為に鍛え続けた神鳴流を裏切って、刹那の師匠刹那を認めてくれた、永遠に守り通したいと願った、どんな災厄も障害も取り除いてみせると誓った木乃香を狙う輩と手を組んだ。自分の全てである神鳴流の者が自分の全てよりも大事な木乃香を狙った。
 許しておける筈が無い――。

「退いて……下さいッ!」
「退かない!」

 震える声で叫んだ刹那に、木乃香は負けじと声を張り上げた。刹那は目を見開き、近衛木乃香を見た。
 刹那は夕凪を落としてしまった。歯をカチカチと鳴らし、首を左右に振った。

「泣かないで……」

 震えた声で、幼児の様に馬鹿みたいに首を振って言った。

「泣かないで……、このちゃん……」

 刹那を睨みながら、木乃香は涙を滴らせていた。

「どうして分かってくれへんの?」

 木乃香も震えた声で尋ねた。

「そんな事して欲しいなんて、そんな事願うと思ってるん?」

 刹那は首を振った。違う! と、叫びながら。

「ウチがどうして止めたか……、せっちゃんは分かってくれへんの?」

 木乃香の声に、刹那はただ呆然と立ち尽くしていた。掴んだものが、手から離れていくような、喪失感を覚えた。

「ヤダ……。ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ……」

 駄々っ子の様に刹那は首を振りながら嫌だ嫌だと泣き叫んだ。木乃香は、ネギに顔を向ける。木乃香の言いたい事が、何となく理解出来て、ネギは一枚のカードを取り出した。
 ネギは瞳を閉じて、息をスゥ―ッと吸い込んだ。

「契約の精霊よ、ここに我が従者との契約を満了させ、従者には新たなる主を与える――。契約の光よ、二人の間に新たな絆を刻む魔法陣を描け――」

 刹那の姿が映し出された仮契約のカードが光を放ち始めた。やがて、まるで縫い物が解けていくように、光の糸が木乃香と刹那の足元へ向かう。刹那の纏っていた衣装も、七首十六串呂も光の粒子になり、そのまま光の糸へ吸い込まれて溶け消えた。
 木乃香と当惑する刹那の足元に、通常の仮契約とは僅かに違う紋章が描かれていた。“契約継承”の魔法陣だ。木乃香は目を細めると、戸惑っている刹那の頬を両手で優しく覆い、そのまま――刹那の唇に自分の唇を重ねた。
 目を見開いた刹那は、そのままゆっくりと瞳を閉じて、唇に感じる近衛木乃香を確りと刻みこんだ。光が二人を殊更強く照らし、やがて、一枚のカードが二人の間に舞い降りた。
 絵柄に変化が起きていた。七首十六串呂は姿を消し、変わりに一本の大剣を握る刹那の姿が描かれている。その刹那の瞳も髪もが美しい雪のような白銀で、称号が“翼ある剣士”から“姫君の守護者”へと変化していた。

「嫌いになるって思った?」

 木乃香が小首を僅かに傾けながら、刹那に尋ねた。顔を真っ赤にした刹那は、あうあうと言葉にならない事を言っている。

「馬鹿やね。本当に……せっちゃんは馬鹿や。ウチはせっちゃんの事大好きや。ホンマに大好きや。覚えてる?」
「え……?」

 刹那は戸惑ったように首を傾げた。

「ずっと昔。ウチが未だ麻帆良に行く前や。一緒に映画村で撮影を観て、そん時に約束した」
「覚えてるよ。覚えてる……大事な約束。大人になっても仲よぉなれたらここでチューすんのって」

 刹那はグシャグシャに顔を歪ませながら言った。

「せや。場所は違うけど、約束護ったね。せっちゃん、ウチはせっちゃんが大好きや。せやから、一緒に遊んで、一緒に笑ってっていう生活が大好きや。こんな風に戦う事になっても、一緒に力を合わせたい。でも……でもや。ウチはせっちゃんに傷ついて欲しくない。他の誰が怪我をするより、せっちゃんが傷つくんが、ウチは一番嫌や。せやから……人を殺さんで。人を殺したら、せっちゃんの心が傷ついてまう。そんなん……嫌やから――」

 そう言うと、木乃香は刹那を抱き締めた。刹那は、その弱々しくも強い力を感じて腕を回し、自分も抱き締め返した。

「ウチもこのちゃんが傷つくんは嫌や。護りたいんや。護らせて。このちゃん……大好きなんや!!」

 泣きながら、刹那は叫んだ。

「ん。ウチも、大好きやで。せっちゃん」

 それから、長い間二人は抱き合っていた。明日菜も、タカミチも、ネギも小太郎も、笑みを浮かべながらその幕間の光景を眺めた。しばらくして、離れた二人は、不意に月詠の姿が無くなっている事に気がついた。
 契約の継承の際に、七首十六串呂が一旦消え去った事で捕縛結界が解け、月詠は逃走したのだ。だが、どうでもよく感じた。たとえ、逃げたとしても月詠の行く場所など最早無い。いずれ、関西呪術協会が始末をつけるだろう。
 自分達のすべき事は、ここからなのだ。刹那はオレンジ色の結界が張られた総本山を見つめた。不意に、その結界が消失した。

「入って来い――。という事らしいね」

 タカミチが言うと、刹那とネギが頷いた。

「一応、自己紹介しとくで。犬上小太郎や。よろしくな」

 小太郎が、自己紹介すると、タカミチはニッコリと笑みを浮かべた。

「久しぶりだね、改めて、高畑.T.タカミチだ。よろしく頼むよ」

 以前は追う者と追われる者だった。なのに今は共に肩を並べて戦おうとしている。そんな状況に小太郎とタカミチは互いに苦笑いを浮かべた。

「近衛木乃香や。よろしくなぁ」

 木乃香もニッコリと笑みを浮かべて自己紹介した。

「刹那の師匠刹那。よろしく頼む」

 フッと刹那も笑い掛けた。戦いの前に、互いを認識し合う。二回目とは言え、前回も名前すら交換していなかった間柄で、これからいよいよ決戦に挑むのだ。
 無事に帰って来れるか分からない。それでも、連携を取り、必ず無事に帰るために、心を合わせる。

「行きましょう……」

 ネギが言うと、明日菜達は頷き、総本山の入口へと歩き出した。

第二十四話『京都争乱』

 眼が覚めると、ネギは体がやけに重く感じた。不安に心が揺らいでいた。今日、襲撃するのは敵の本陣なのだ。コンコンという音を聞き、顔を向ける。窓の向こうに、一本の杖が定期的に窓を叩いていた。
 杖は昨夜の内に呼んであった。埼玉県から京都府への遠距離飛行をこなしながらも、杖は確りとネギの元に辿り着き、一晩中窓をコンコンと叩いていたのだ。呪文によって眠ったネギ達は全く気がつかず、慌てて窓に駆け寄ると、窓を開き、冷たい風を感じながら杖を部屋に向かい入れた。杖はネギの目の前で静止した。杖の中心部を掴むと、ネギはやわらかく笑みを浮べた。

「長旅、ご苦労様」

 抱く様にしながら、杖に頬を当て、ネギは深呼吸をした。僅かに、ネギの体は震えていた。

「お父さん……」

 どこに居るのかも判らない父親を思いながら、ネギは大き過ぎる杖を畳の上に置き、鞄の中を探った。小ポケットに入れておいた指輪を身に着け、三枚のカードを取り出した。
 神楽坂明日菜、桜咲刹那、近衛木乃香。三人の仮契約の証であるカード。

「私って、何しに麻帆良に来たんだろう。平和に暮らしていたエヴァンジェリンさんを怒らせて、千草さんを挑発して、明日菜さんを巻き込んで、木乃香さんを巻き込んで、小太郎を巻き込んで……。卒業試験の指令に応える所か、逆に危険に曝して……」

 自分を嘲笑する様に呟きながら、溜息を零した。自分の体を見て気分が悪くなった。こんな事は初めてだった。馬鹿らしくなったのだ。女の体になってまで、ここに来て自分がやった事は何だったのかと自問して――。
 寂しい、そう感じた。誰でもいいから縋りたいと…………。

 午前七時半に、ネギは起きた明日菜、木乃香、刹那の三人と共にホテル嵐山の食堂に他のクラスメイト達と集まり正座をしながら号令を待っていた。新田とタカミチが今日の日程を話している。タカミチは僅かに顔つきが堅い事を、ネギ達は見抜いていた。真名の方は僅かに疲れが見えていたが、それでも超と談笑する余裕はあった。
 古菲は緊張した面持ちをして、楓にからかわれていた。楓にしても、古菲の緊張を解しながら、体内の気を整えている。
 明日菜はボーッとしている様子だが、頭の中では何度も茶々丸に教えてもらった事を反芻していた。今までの突発的な戦いと違い、自分達から仕掛けるのだ。少女達はそれぞれ緊張しながらも心を戦いに向けていた。
 豪勢な食事を味気なく感じながら、ごちそうさまをすると、奈良へ向かうバスにクラスメイト達が乗るのを見ながら“自分達が居ない事を当然と思う”ようにカモが魔法を掛けた。認識阻害の応用だ。
 タカミチは、騒がしい少女達を新田一人に任せる事に心苦しさを感じたが、残った少女達に顔を向けた。

「それじゃあ、行こうか」

 覚悟の有無を問う必要は無かった。タカミチが手配したもう一つのバスが来ると、そのバスの運転手にカモが幻術を掛けた。

「これで、半日後まで適当に時間を潰して戻って来る筈ッス」

 カモの言葉に頷くと、タカミチが最初に入り運転席に収まった。ネギが大き過ぎる杖を抱えながら入り、刹那は夕凪と七首十六串呂・イを手に袴姿でバスに乗り込んだ。その次に明日菜がハマノツルギを右手に入り、東風の檜扇と南風の末広を持った狩衣姿の木乃香が乗り込んだ後に、セブンリーグブーツを履いたまるで隠密の様に修道服で全身を隠した美空が乗り込んだ。
 バスは、後ろがパーティースペースで中央に机があり、その周りに最後部席と窓枠より僅かに低い背の椅子が横に並んでいる。明日菜達は窓を開くと、カーテンを結んだ。バスを襲撃される可能性が高い事を考慮し、即座に外に飛び出す為だ。
 カモが視覚防御の結界を張ると、それぞれ椅子に座り、何時でも戦闘出来る状態にした。バスは真っ直ぐに西に向かって走った。

「改めて、総本山の地形について話しておきます」

 刹那はそう言うと、総本山の周辺の地図を見せた。ネットで落とした衛星写真は総本山を写さないが、刹那が手書きで足りない部分を描き足したのだ。嵐山の山中に位置し、左右を丘に挟まれ、北に烏ヶ岳を眺め、南には地図の上に封印の湖と描き込まれていた。それぞれの丘、山、湖の上には色の違うサインペンでそれぞれに大きな文字が書き込まれていた。北の烏ヶ岳に黒で玄武。東の丘に緑で青龍砂、西の丘に白で白虎砂、そして南の封印の湖には赤で朱雀と書かれていた。

「関西呪術協会の総本山は、風水魔術の“背山臨水を左右から砂で守る”というのを汲んでいます。京都の四神結界と同じ物を関西呪術協会に張る為にこの地に総本山は置かれているんです。京都全体の場合は、北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とされています。更に、総本山のそれぞれの地点に祠が置かれているのですが、犬上小太郎にはコレの破壊をお願いしてあります」

 刹那の言葉に、アスナがキョトンとした顔で尋ねた。

「すると……どうなるの?」
「結界が崩れます。ただ、祠は結界内にあるので、結界に反応してしまう可能性のある我々には出来ない事であり、関西呪術協会の犬上小太郎と天ヶ崎千草にしか出来ない事なんです」

 刹那は若干、視線をネギに送りながら応えた。ネギが僅かに俯くのを見て、胸を痛めながらも、刹那は最善の手を打ったのだと自分を励ました。

「結界が崩れるタイミングは私が分かります。崩れた瞬間に結界内に突入します。犬上小太郎には、東の丘の祠を破壊してもらう手筈になっていますので、そのまま合流してもらい、総本山の正面玄関から一気に襲撃します」

 地図の総本山の東側を指差しながら刹那が言った。

「正面玄関って……、大胆不敵と言うか何と言うか……」

 美空は刹那の大胆な作戦に呆れた様な、感心した様な顔で頬を苦笑しながら掻いた。

「突入の際に、春日さんには敵の状況を探って来て頂きたいのですが……」

 刹那が遠慮がちに言うと、美空は肩を竦めながら了承した。

「分かってるって。戦闘開始になったら、私が出来るのは敵の翻弄だけだしね。本当は逃げたいけど、さすがにクラスメイト全員の命が懸かってる状況で逃走出来る程神経太くないから信用してちょ」

 美空の戯けた調子の応えにフッと微笑を洩らしながら、刹那は頷いた。

「天ヶ崎千草は?」
「彼女には、突入時の援護をしてもらう事になっています。結界内に入る時に森の中に潜んでもらい、そのまま突入と同時に激突した時に、道を切り開き易くする為に――」

 刹那がそう言った、丁度その時、タカミチがバスに備え付けられていたマイクで総本山の結界外周に到着した事を報せた。

「襲撃は無かったね」

 明日菜が言うと、ネギが頷いた。

「このバス自体にも刹那さんとカモ君が色々と細工をしていますから、遠見では発見されなかったのでしょう。間違いなく、結界が崩れたら洗脳された神鳴流剣士や呪術師、サムライマスターが来ます。警戒して下さい」
「うん」

 ネギの言葉に、明日菜はハマノツルギを強く握り締めた。所有者の心に応える様に、ハマノツルギの眩しい輝きが更に強まった。爛々と輝き、明日菜の頭にチクリと痛みが走った。

「痛ッ――」
「どうしたん?」

 木乃香が心配そうに尋ねると、明日菜は

「なんでもない」
と応えた。

『呼んで……』

 まるで、ノイズの酷いラジオから聞こえる様に、遠い場所から叫んでいる様な声が一瞬だけ響いた。
 またあの声だ。明日菜は、ハマノツルギを握っていると時折聞こえる不思議な声を頭を振って掻き消した。今は、それどころではないと。
 刹那は七首十六串呂を全刀展開し、空中に待機させた。それぞれの太刀が、刹那の気に呼応して僅かに震えると、まるで時間が静止したかの様にピタリと固まった。
 裏切り者の神鳴流。見つけ出して必ず殺す。冷徹な表情の内に苛烈な炎を宿した刹那は、神鳴流を裏切り、木乃香に刃を向ける二刀流の神鳴流使いの剣士に対し憎悪と殺意を爛々と燃え上がらせていた。
 木乃香は両手に東風の檜扇と南風の末広を持ちながら、父と子供の頃からよくしてくれた皆の事を思い、一刻も早く救い出したいと願っていた。そして、それとは別に心のどこかで激しい何かが渦巻いているのを理解していた。ハッキリとソレを怒りと断言する事は出来なかった。ただ、漠然と心の中に何かが渦巻いているのだ。
 一瞬だけ、木乃香の眼差しが強くなり、そのまま小さく息を吸い吐いた。

「お父様……」

 顔を上げて、結界が消滅するのを待った。
 タカミチは、神経を集中していた。

「左手に魔力を、右手に気を集中させる……」

 相反する二つの力を集中させる。左手に魔力を、右手に気を集め、結界が破れるのを待った。
 美空は、肩を落としていた。本当ならば、こんな命を懸けた戦場になんぞ立ちたくないというのが本音だ。だが、さすがにクラスメイト全員の命が懸かってしまっては逃げられない。
 数名程度なら逃げ出そうとも思うのだが……。それでも、完全に敗北すると確信すれば逃げるつもりだった。自分の命が第一であるし、刹那もそれは了承している。それにしてもと、美空は刹那を見た。

「刹那も中々やるなぁ」

 素直に感心していたのだ。ここまでの戦略と戦術を組み立てたのは、殆ど刹那だ。タカミチは手回しなどに奔走していて、策を練るのに口を出す余裕は無かったし、出す機会があっても出さなかった。

「何か変だねぇ」

 カモの様子もおかしいと感じていた。そもそも、最初の作戦の襲撃を待つというのも、カモの言葉を真っ直ぐに受け入れ過ぎたからだ。その後、コチラから攻める策について、カモは何も口出しをしなかった。

「なぁんか、落とし穴がある気がするなぁ」

 美空は逃走ルートなども総本山の偵察ついでに確認しようと決意した。
 ネギは、一刻も早く結界の崩れるのを願っていた。それはつまり、小太郎が無事に任務を遂行した事を示すからだ。ネギは、小太郎がこの戦いに参加するのが嫌だった。仮契約を解除されたと聞いた時、最初に感じたのは寂しさだったが、不思議と怒りは感じなかった。
 小太郎を、自分の戦いに巻き込みたくなかったからだ。それなのに、今再び同じ戦場に立とうとしている。それが、途轍もなく辛かった。だが、そう思いながらも、ネギの追い詰められた心のどこかが望んでいた。小太郎に会いたいと――。
 同い年の男の子の友達は本国にも確かに居た。だが、自分をサウザンドマスターの息子として何処か特別扱いをしていた。本当の意味で、自分を一人のネギ・スプリングフィールドとして扱ってくれたのはアーニャくらいのものだった。ネギは心のどこかで、小太郎を特別視していた。

 一方その頃、真名達が奈良に到着し、皆が大仏見学をしている途中、警戒していた真名の目の前に男は現れた。冷たい汗を流しながら、目の前の男が放つ冷徹な殺意を受けながらも勇敢に笑って見せた。

「神鳴流かい?」

 真名が問い掛けると、答えも言わずに男は持っていた長い太刀を真名の首を刈り取らんと振るった。徹夜と、一晩中止む事無く攻撃してきた敵の相手に疲れていた真名は反応が遅れてしまった。

「――――ッ!」

 殺される。死を直感した真名の前に大きな手裏剣が飛来した。

「ぼーっとしていては駄目でござるよ」

 ニヒッと笑みを浮かべ、楓は真名を抱えると跳躍して距離を取った。

「唯者ではないな……」
「当然でござろう。あの御仁こそ、関西呪術協会の長、サムライマスター・近衛詠春でござる」
「なんだと!?」

 真名は驚きを隠せなかった。言われてみれば、昔、紅き翼の写真が載っている雑誌を読んだ時に見た近衛詠春の姿に目の前の男は若干老けてはいるものの、かなり似ている事に気が付いた。
 全く想像していなかった展開だ。想像出来る筈も無い。これは下策だと断言出来るからだ。敵の目的は、ほぼ全員が総本山に向かっている。ここに居る生徒達の存在意義など、ハッキリ言って人質程度だ。確かに、雪広財閥の令嬢も居るが、それで近衛詠春を差し向けるなど意味が分からない。人質にするならば、有効な策は数だ。こんな、一騎当千の単騎を向けるなど、意味が無い。それも、人質として使うには、タイミングが大切なのだ。こんな風に警護をしている人間の前に姿を現す理由は無い。
 真名が戸惑っていると、その隙に、詠春が動いた。詠春の太刀が三日月の如き軌跡を描いて真名の首を刎ねようと迫る。

「真名ッ!」
「問題無いッ!」

 真名は冷静にその手に握る銃身を盾にして剣戟を防いだ。

「まったく、敵は何を考えているでござるか……。サムライマスターをコッチに寄越すなど……」

 楓は、風の噂で聞いたサムライマスターの伝説を思い出しながら舌打ちをした。曰く、雷鳴を纏う剣は山を両断し、曰く、豪風を纏う剣は海を分断させると言う。疾風迅雷、抜山倒海。風の如く疾く、雷の如く迅い。力は山を抜き、技は海を倒す。無敵無類の侍。

「奴は任せろ。さっきは遅れを取ったが、もう大丈夫だ」
「真名……」
「信じろ」

 楓はしばし真名の顔を見つめ、やがて顔を伏せ、その場を去った。戦力をここに集中しているわけにもいかないからだ。
 真名ならば大丈夫。楓は彼女を信じ、己の戦場へ向かった。
 その途中、他の面々にサムライマスターの襲来を報告すると、超が真っ先に反応を返した。

「サムライマスターが襲来したのはいいとして、今、サムライマスターはどこネ?」

 超は冷静に、されど訝しげに周囲を見渡しながら尋ねた。

「真名が相手をしているでござる」
「さすがに一対一はまずいネ。了解ヨ。こっちで何とかしてみるネ」
「頼むでござる」

 超との連絡が切れると同時に古菲の姿が見えた。

「アイヤー、何だかやばい気配がそこらじゅうからするアルよ」

 ムムム、と難しい顔をしている古菲に楓は肩をそっと叩いて、穏かに笑みを浮かべながら言った。

「古菲殿。拙者達の役目はそう難しい事では無いでござるよ。只、クラスの皆を護る。それだけでござる」
「分かり易いアル!」

 楓の表情には焦りがあったが、古菲は敢えて気にせずに声を張った。
 その視線の向こうには特に危険な気を放つ存在が居る。
 その危険な存在と対峙しながら、真名は勇敢に銃を構えていた。

「私の為すべき事は単純明快だ。私達はそうはいかないだろうが、皆には修学旅行を最後まで何も知らずに楽しんで貰おう」

 真名は最強の侍を相手に不適な笑みを称えて言い放った。

 宮崎のどかは戸惑っていた。明日菜や木乃香、刹那、美空、タカミチ、そしてネギの六人がバスに乗っていない事に気がつき、夕映にその事を話してもそれが当然の様な返事しか返って来なかったのだ。ハルナや他の友人達に尋ねても同じだった。
 いち早く外に抜け出して、不安になった心を落ち着かせようとベンチに座っていると、胸の奥が熱くなった。

「なんだろう……」

 直後、突然目の前に一冊の本が現れた。

「え!?」

 のどかは目を見開いた。見覚えのある本だった。それは、以前に見た夢の中に出てきた本だったのだ。

「違う……アレは夢じゃなかった……?」

 目の前に、確かに本は存在していた。分厚く、水面の様に揺らめく青銀の輝きを持つ四つ角に銀の細工をあしらった表紙の本だ。本は鎖で閉じられていて、中央の禍々しい髑髏のアクセサリーによって封印されていた。のどかは恐る恐るその髑髏に指を近づけると、声が響いた。

「宮崎!」
「本屋さん!」

 声の主は朝倉和美と相坂さよの二人だった。さよの人形を抱えながら駆け寄ってくる和美に驚いたのどかはそのまま髑髏のアクセサリーに触れてしまった。

『Έχει εγκριθεί η έναρξη ακολουθίας. Ο σύζυγός μου και η μητρική γλώσσα θα μεταφραστεί σε γλώσσα σας.』

 不思議な声と共にアクセサリーがバチンと音を立てて粉々になり、鎖が弾け飛んで、光の粒子へ変ると、ページが一枚だけ開いた。

「何語……? っていうか、大丈夫、宮崎!?」

 和美が心配そうに声を掛けると、のどかはゆっくりと頷いた。

「これって何なの?」

 和美が尋ねると、のどかは戸惑い気に本に顔を向けた。

「よく……分かりません。前に、ネギさんと一緒に図書館島を歩いていた時に迷い込んだ場所で貰った本だと思うんですが……、夢だと思ってたのに」

 のどかの説明がいまいちよく理解出来なかったが、次の瞬間、本のページが再び開いた。そこには不可思議な文が記されていた。

【この本は一体!? どうして浮いているんですか!? いえ、そんな事よりものどかさんは大丈夫でしょうか!?】
【なんか変だわ。何がどうって言えないけど、何か変!! それに、この本は何なの!? やばい臭いがぷんぷんするわ!!】

 心配そうにのどかを見つめる二人の心を写し取ったかのような文章。ご丁寧に二人のイラストまで描かれている。まるで、絵本のよう。
 不思議に思っていると、和観がギョッとした表情を浮かべた。
 丁度、本にも新たな一文が追加される。

【何、あれ!? 火の塊!?】

 和美はのどかを右手に、さよを左手に抱えると全力で走り出した。文屋として、毎日走り回っているおかげで、明日菜、美空に次ぐスピードを誇る和美だったが、人間一人を抱えて走るのは辛かった。だが、何とか炎が地面に着弾する前に効果範囲の外に出る事が出来た。

「何なのよ、一体……」

 和美は、バスを降りた時から様子のおかしかったのどかが心配になり、のどかが何かを聞いている様子だったので、のどかに何かを尋ねられていたクラスメイト達に何を尋ねられたのかを聞いた。すると、明日菜達がどうして居ないのかと問われたらしい事が分かった。
 何を当たり前の事をと思うと、さよが不思議そうに言ったのだ。

『そういえば、どうして明日菜さん達いらっしゃらないんでしょう?』

 当たり前でしょ? と言うと、さよが『どうして当たり前なんですか? 居ない理由が分かりません』と言われ、和美も当たり前だと思うのに説明できないという矛盾を覚えた。すると、当たり前では無い事にも気がつき、さよと同じく、そんな事を聞いていたのどかに話を聞きたくなってのどかの行き先を聞いて外に出たのだ。
 すると、のどかの目の前に突然本が現れて、それをのどかが触ろうとしていた。咄嗟に、直感で触るなと叫ぼうとしたが、遅かった。
 不吉な予感を感じさせる本に意識を奪われ、気がつくと、空に炎の塊が現れた。
 頭の中は混乱状態だ。訳の分からない本と謎の炎。だけど、疑問に対して深く考えをめぐらせている余裕は無かった。
 突然、拳銃の音が響いた。爆発の音と、今の拳銃の音に驚いた人々が徐々に集まりだした。

「こりゃぁ、ちょいっと不味いっぽいねぇ」

 両手にのどかとさよを抱えたままの和美が呟くと、唐突に誰かに抱えられて凄まじい重力に襲われた。しばらく呼吸が停止していると、目を開けた瞬間に和美は息を呑んだ。
 そこは東大寺の天井だったのだ。

「ここって……。って、楓!?」

 自分を抱えている人物の顔を見て、和美は驚愕した。

「いやぁ、まさかのどか殿と和美殿まで魔術サイドとは思わなかったでござるよ」
「魔術サイド?」

 楓の洩らした単語に、和美は咄嗟に食いついた。楓は

「これは失言でござったか……」

と困り顔をしたが、和美は鋭い眼差しで楓に迫った。

「ねぇ、あの炎は何だった訳? それに、さっきのって銃声? そもそも、魔術サイドってどういう事?」

 和美はのどかを抱えたまま楓を問い詰めた。抱えられているのどかは

「はにゅ~~」

とか

「助けて~~」

とか騒いでいるが、和美は全く気付かなかった。

「それは……」

 楓が言い辛そうにしていると、楓の携帯が鳴った。

「ちょっと済まないでござる」

 楓は和美に頭を下げると、携帯を受けた。

「ああ、真名でござるか。あい分かった」

 携帯を切ると、楓は和美に向き直った。

「失礼!」

 再び、和美が何かを言う前に和美の手からのどかを掠め取ると、右腕にのどかを、左腕にさよを抱いた和美を抱えて楓は跳んだ。その間に、何発かの銃声が響いた。

「ど、どうなってるの~~~~!?」

 和美は思わず叫んでいた。のどかはあまりの事態に目を丸くして固まっている。さよは

「はわわ~~、ジェットコースターみたいです~~」

と乗った事も無いだろうに大はしゃぎだった。
 楓がスタッと着地したのは、奈良公園の中心部だった。

「ちょっと、楓説明しなさいよ!」

 解放された和美が不満全開で怒鳴るが、楓は和美を尻目に、どこからか飛来した千本をキャッチした。

「隠密も居るでござるか。しからば、『影分身の術』!」

 右手で印を切ると、楓の姿がぼやけ、一瞬にして数十人の楓が現れた。

「え、ええ~~~~!?」

 和美とのどか、さよはあまりの事態に仰天して叫び声を上げた。

「ちょっと待ってるでござるよ。掃除するでござるから」

 そう言うと、数十人の楓は一瞬で跳び去り、木々の合間に消えてしまった。

「ど、どうなってるんですか~~?」

 のどかが怯えた様に和美を見上げた。

「和美さん、怖いです~~」
「あぁ、よしよし二人共。大丈夫よ~、怖くない怖くない。私が護ってあげるからねぇ」

 和美は怖がる二人の不安を取り除こうと、そう言ったが、現状を全く把握しきれていないのが歯痒かった。

「何が起きてるのよ……」

 争乱の渦に包まれている京の町から離れた場所で、当の仕掛け人は悠々と茶を啜っていた。

「あん? どうして、サムライマスターを向こうに差し向けたか?」

 現在、奈良に居る生徒達に向けた神鳴流、及び呪術師達以外の四分の一を侵入者の迎撃に向けている。エドワードは、炎の遠見の魔法でその様子を眺めていた。フェイトは、そんなエドワードの考えが読めずに尋ねた。

「そうだよ。サムライマスターを向こうにやる必要は無かった」
「向こうにも中々に厄介なのが居る。その証拠にサムライマスターは互角の戦いをさせられているだろう? あのマジックガンナーは中々の逸材だ。それに、奴をサムライマスターと戦わせていても、数で押している呪術師や神鳴流共は残った数人に防ぎ切られている。奴をコッチに寄越させるのは上策ではない」
「あの少女は何者なんだい?」

 フェイトはサムライマスターと戦っている褐色肌の少女を見て訝しんだ。

「油断のならない奴さ」

 エドワードは口元にニヤついた笑みが浮かべた。エドワードは以前纏っていたローブを脱いでいた。美しく整った顔立ちに長い濡れた様に艶めく睫。切れ長の眼に浮かぶ宝石を思わせる黄金の瞳。死人を想わせるかの様な白磁の如き肌は、見る者をゾッとさせる。線の細い体つきだというのに、エドワードには弱々しいという言葉が似合わなかった。真紅の血を思わせる赤髪は僅かにウェーブがかかった長髪だ。
 煙の出ない炎の先を見つめながら、エドワードはフェイトに顔を向けずに口を開いた。

「これは、ゲームだ。敵を完全無欠の敗北に陥れる為のな。実際、俺かお前のどちらかが出れば、戦いは終了するだろうさ。だが、それでは面白くないだろう?」
「な!?」

 フェイトは絶句した。これまで、散々策を練る必要があると言いながら、普通にやれば勝利が揺るがないから遊んでいるなどと言っているのだ。それこそ、逆に敗北の可能性を作っているのではないかという疑いを隠すことは出来なくなった。

「勘違いするな。ゲームと言ったが、所詮はワンサイドだ。勝利は決定している。ならば、その勝利までの過程で遊んでいるまでだ。奴等を疲弊させ、最大戦力を抑え込み、最後の最後で全軍を投入して囲む。俺とお前が戦う事になったらゲームは負け。戦わずに勝利すれば勝ち。つまり、そういう事だ」

 フェイトは、エドワードの言葉に溜息を洩らした。人の命をゲームの駒にして遊んでいるのだ、この男は。洗脳した兵士に戦わせ、自分は高みの見物。まるで、テレビゲームだと、フェイトは思った。人形を操り、迫り来る者達を迎撃させる。自分は一切手を汚さず、一切労力を消費せず。

「それに、これならばお前がお姫様を傷つける事も無くなるだろう?」

 その言葉に、つい自然と笑みを浮べている事にフェイトは気がついた。自分が、姫様と戦いたくないと思っている事をお見通しなのだ。そして、その為にも、こんな回りくどい作戦を講じてくれたのだ。
 内心、密かに感謝の意を零しながら、フェイトは部屋を出て行った。出て行ったフェイトの閉じた襖を眺めながら、エドワードは嘲笑の笑みを浮べていた。

「さて、ここまでは完璧だ。後は、あの女だな。総本山でならば、召喚が可能な手筈だ。面白くなってきたな」

 起き上がり、拳を握り締めながら、エドワードは凄惨な笑みを浮べた。エドワードは瞳を閉じると、念話を送った。返ってきた返事に、舌を打つ。

「手間取っているのか。少し、時間を稼ぐ必要があるな。――月詠、来い」

 エドワードは、目の前に炎を爆発させた。炎は部屋のあちらこちらに飛び散るが、どこにも焦げ跡一つ付かなかった。そして、爆発した炎の跡に、月詠の姿があった。

「はわ~、お呼びどすか~?」

 のんびりした口調の月詠に、エドワードは鼻を鳴らした。

「出番だ。道を開く。全力で奴等と交戦しろ」

 命令を下すと、エドワードは腕を掲げ、人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばした。その先に、炎のゲートが構築され、襲撃者の姿が映し出されていた。月詠は、ようやくの戦いに狂気的な笑みを浮べた。

「行って来ます~」

 振り返りもせずに、月詠は二刀を持って炎のゲートを駆け抜けた。その瞳は、興奮のあまりに白目と瞳の白と黒が逆転していた。
 気を爆発させ、畳を吹飛ばした月詠を鼻で笑いながら、エドワードは四散した畳や舞った埃を炎で焼き尽くし、炎球を浮べて戦場を眺めた。

「手筈は整った。炎と樹、風と氷、そして、大地の力。その五つの力が揃わねばならん。月詠が上手く時間を稼げは良いが……さて」

 残りのクリアすべき条件は、たったの三つ。

「それまで、お前はせいぜい遊んでいろ」

 炎の球が映し出す光景は、近衛詠春と褐色の肌の少女――――真名の激突の様子だった。

 奈良の町を眼にも留まらぬ速度で疾走する二つの影。まるで、DNAの螺旋構造の如き動きで交差する度にけたたましい激突音を響かせ、空気を破裂させ、大地を抉り、壁を粉砕し、窓ガラスを割り、それでも尚、人々にその存在を気付かせない。
 “サムライマスター・近衛詠春”の握る退魔に特化した特殊銀製の刃を持つ太刀と褐色肌の少女の拳銃が金属音を響かせながら互いを喰らい尽くそうとばかりに互いを攻め立てる。両者は無言のまま刃と銃を構えている。詠春は高層ビルの壁を蹴り、一気に駆け上がりながらも何度も激突しながら屋上へ上がり、そのまま落下しながら真名目掛け、刀を振り上げ、激突した衝撃で距離を離す。

「……妙だね。どうにも」

 真名は攻撃の衝撃に痺れる手を軽く振りながら先程から付き纏う違和感について考えていた。
 戦闘開始から、詠春はこちらを殺す機会が何度もあったにも関わらず、ただの一度も決定打を打って来ない。操られ、論理的に思考出来ないにしても妙だ。

「まあ、そっちが手加減してくれるというなら是非も無いね」

 真名は決着をつけるべく、己の内に潜む禁忌の力を呼び起こした。

「悪いが、コレを使う以上、手加減は出来ないよ」

 瞬間、真名の姿は霞の如く消失した。

第二十三話『意外な参謀』

「天ヶ崎……千草」

 ネギが呆然とその名を呼ぶと、千草はニッコリと頷いた。

「さいですぅ。お久しぶりどすなぁ。京都にようお越やしたなぁ。にしても……」

 ニョホッと千草は口元に広がる止まらぬニヤケ顔を右手で隠した。

「小太郎も何時の間にか……。大人になったんやなぁ」
「ハァ!?」

 小太郎は素っ頓狂な声を上げた。

「いやぁ、何時までも子供や思うとったのに、意外と早かったなぁ。ちょっと、意外な相手やったけど……頑張りや」
「ちょっと待てや! 何をキモイ勘違いしとるねん!?」

 千草の言っている言葉の意味がいまいち理解出来ずに、キョトンとした顔をしているネギとは対象的に、小太郎は顔を真っ赤にして立ち上がった。

「第一、ワイは別にコイツの事なんて今の今迄一度も思い出してへんかったんや! 忘れとったのにいきなり現れて、ワイの湯豆腐冷めるやないか。訳分からんで、ほんまに」
「忘れてた? へぇ、忘れてたんだ」
「え? あ、あの……」

 背後から忍び寄る殺意の波動に、小太郎の全身の皮膚が逆立った。呼吸が出来なくなり、躯全体に麻酔を掛けられた様に痺れて指一本すら動かせない。肌寒い様な錯覚を受けるネギの無表情に、小太郎は後退りした。

「いや、これは何と言うか……」
「コッチは、誰かさんが何も言わずに去って行って、すっごく心配してたのに……。手紙くらい送れた筈じゃないのかな? 学園の寮なら調べれば住所なんて簡単に判るんだし。なのに、ちっとも連絡しないでさ……」

 俯いて、ブツブツと呟きながら一歩一歩近づいてくるネギに、小太郎はダラダラと滝の様に汗を流した。

「お、落ち着け! い、今のは言葉の綾というかやな……。連絡せんかったんは、悪かった。せやから、な? ちょっと、落ち着こうや」
「落ち着け? 落ち着いてるよ、私」
「どこがやねん!? 眼が据わってるで自分!?」

 小太郎が思わず突っ込みを入れると、ギロリとネギは小太郎を睨み付けた。

「はいはい、ストップだ。とりあえず、ここまで」

 そこでタカミチが止めに入った。さすがに、これ以上は今日の予定に関るし、食事が取れず、店側にも迷惑が掛かるからだ。

「せやせや。痴話喧嘩はそのへんにしときやぁ。そうや、ええ事思いつきましたわぁ」

 コンコンと軽く小太郎の頭を叩くと、千草はタカミチに何事かを耳打ちした。

「いや、しかしそれは……」
「せやけど、二人共言いたい事があるやろうし。お願いしますわ」
「ううん、新田先生、どうしましょうか」

 千草の提案に難色を示すタカミチは、新田に顔を向けた。

「不純異性交遊は認められない。なんて言うほど、私はヤボではないよ。どうやら、久しぶりに会えた様子だしね。未だ、四泊五日の修学旅行の初日だ。節度を持ってくれさえすれば、彼が同席する事に異論は無いよ」
「話が分かるお人やわぁ。あんさん、お名前は?」
「新田と申します。こちらは、高畑.T.タカミチ先生。貴女のお名前を尋ねてもよろしいですかな?」
「勿論ですわ。ウチは、天ヶ崎千草言います。よろしゅうお頼み申しますぅ」

 新田の手を握りながら頭を下げる千草に、新田は一瞬だけ見惚れてしまい、咳払いをした。

「ああ、新田先生が赤くなってる~!」
「可愛い~~!!」
「新田先生真っ赤か~~!」

 桜子や裕奈、史伽が囃し立てると、新田は再び咳払いをした。

「いや、美しい女性に見惚れてしまうのは仕方の無い事だ」
「お上手どすなぁ」

 新田が素直に失態を認めると、千草は優雅な仕草でオホホと口元に手を当てながら微笑んだ。タカミチは、ネギと小太郎をとても複雑な表情で見た後に、眉間に皺を寄せて溜息を吐くと、手を叩いた。

「それじゃあ、皆、席に着こうか。時間がおしているからね」

 未だ、少女達は好奇心に満ちた表情で眺めているが、タカミチに言われ、自分のお腹が背中とくっつきそうなほどお腹が空いている事を思い出して、素直に従った。
 千草が新田と一緒に、店員の女性に何かを話すと、店員の女性は笑みを浮べながら頷いていた。しばらくすると、自分の食べていた席のお鍋が持ち上げられて小太郎は目を剥いた。

「ワイの湯豆腐!?」

 小太郎が叫ぶと、千草がやんわりと微笑みを浮べて言った。

「大丈夫やで。ウチ等、皆さんと一緒に食べる事になったさかい。ほな、行こか」
「へ……?」

 一瞬、千草が何を言ったのかが理解出来なかった。千草に促されるがままに、少女達と共に歩き、何時の間にか戸惑った顔をしているネギと他の席と若干離れた場所で相席していた。

「ね、姉ちゃん?」

 小太郎が戸惑い気に、新田と談笑をしている千草に話し掛けようとすると、千草は耳元で囁いた。

「頑張りや」
「は!?」

 千草はそのまま、空いた明日菜と木乃香、刹那の座っている四人席のネギの座るべき椅子に座った。

「お久しぶりどすな、御三方」
「天ヶ崎……千草」

 刹那は、仮契約のカードを取り出し、殺気を周囲には洩らさずに、千草にのみ向けて放った。

「かなんわれてしもたんえな。その節は、ほんまに申し訳おまへなんだ。お詫びのしよけもおまへん。ほんまに、申し訳おまへん」

 刹那は眉を顰め、明日菜は千草の京都弁の意味が分からないのと、年上の女性に頭を下げられた状態に当惑していたが、木乃香は真っ直ぐに謝罪を受け止めた。

「天ヶ崎千草はん。うちは、三人の親友をあんはん傷つけた事は許せまへん。どすけど、感謝もしていますわ。うちは、あんさんと出会う事で、わての進むべき道が見えたんどすさかい。その謝罪、受け入れまひょ」

 木乃香は、東京に出てかなり薄まった普段の京都弁の混じった言葉では無く、完全に京都弁の自身の言葉で謝罪を受け入れた。

「しかし、お嬢様……」

 刹那が言葉を発しようとすると、木乃香は首を振った。そして、やんごとなき存在のみの放てる気を纏い、逆らう事の出来ない天上から響くかの様な響きの声で口を開いた。

「天ヶ崎千草はん。あんさんは、よう二度とわいらを傷つけへんと誓いまっしゃろか?」

 木乃香が真っ直ぐに千草の瞳を見て尋ねると、千草は頷いた。腰を曲げ、深く。

「誓います」
「その言葉、信じまんねん。決して、齟齬にせいでおくれやす」
「おおきにどした。近衛木乃香お嬢様」

 再び、千草が頭を下げると、木乃香は笑みを浮べた。明日菜を含め、周囲に居た少女達や小太郎とネギ、新田やタカミチまでもが唖然とした表情を浮べていた。

「木乃香……、極道みたい……」

 明日菜がボソリと呟くと、木乃香はビシッと石化した。

「あ・す・なぁ?」

 ギギギギと音を立てながら木乃香が顔を向けると、明日菜は震えながら刹那に縋り慰められた。内心頷いてしまった面々も慌てて顔を背けた。ほぼ全員だった……。
 何の話かは気になったが、聞くのがかなり怖いから聞きたくないという結論に達したのだ。

「にしても、あの後どうしてたの?」

 しばらくして立ち直った明日菜が尋ねた。

「えっとやね――」

 千草は口を開いた。

「ごめんね……」
「あん?」

 クラスメイト達から少し離れた場所に座ったネギと小太郎は、お互いに気まずそうにしていたが、唐突にネギが頭を下げた。小太郎が怪訝な顔をして眉を顰めると、ネギは深く息を吸った。

「何だか、頭の中が滅茶苦茶で、どうしたらいいか分からなくて……。もし会ったら、お礼を言うつもりだったのに……あんな態度とって、その……ごめんなさい」

 ネギが再び頭を下げると、小太郎は眼を見開いた。

「や、やめや! そ、その、ワイも悪かった。ほ、ほんまは忘れたなんて、嘘や。その、聞いてくれや」

 立ち上がって、テーブルに手をつけながら乗り出す様に、小太郎はネギに顔を向けた。周囲の女子達が

「おお――ッ!!」

と歓声を上げているが無視した。

「あの後な……、実は、そのまま京都に帰って来てたんや。千草の姉ちゃんと住んどる、協会の寮にな。したらその……千草の姉ちゃんが帰って来てたんや」

「ウチなぁ、あの後色々と駆けずり回ったんよ。ウチ、小太郎の保護者なんよ。ウチが勝手して、勝手に死ぬだけで済むなら簡単やったんねんけど」

 千草は、麻帆良学園を脱出した後に、真っ直ぐに関西呪術協会に戻った。長に謁見すると、頭の冷えた千草は自分がこの先どうなるかを想像した。死刑をされようが、魔術の実験の披見体にされようが、自分の事ならどうでも良かった。
 問題は、小太郎の存在だった。問題をややこしくしたのは小太郎自身だった。友人や世話になった者達に頼み込み、小太郎の事を頼んで回ると、驚いた事に誰も彼もが了承してくれた。
 千草は、子供の頃から関西呪術協会に所属していて、旧友達は殆どの面々が同じ様に大戦で両親や兄弟を失った人間ばかりであり、近衛近右衛門に対しての怒りは在ったのだ。たまたま、今回は千草だったが、自分達だったかもしれないと、千草の旧友の何人かが呟いた。
 西洋魔法使いへの不満というよりも、原因たる惨劇の引き金を引いた近衛近右衛門に対しての不満の方が大きく、彼らは千草への処遇の恩赦を申し立てたのだ。詠春はその嘆願を聞き入れた。
 否、聞き入れざる得なかった。関西呪術協会の長として、配下の者達の不満は無視出来ないレベルだったのだ。組織は、上だけでは成り立たない。下の者が不満を爆発させ四散すれば、関西呪術協会という長き歴史を持つ魔術結社といえど、一瞬で没落する。
 首都であった頃から京都を任せられ、京都周辺のみを守護していた時代から、関東魔術協会という存在を手にした近右衛門によって、日本全国を治めるまでに至った組織である。
 あるが故に、没落させるわけにはいかないのだ。日本の魔術結社の殆どを配下に置いてしまった時点で、関西呪術協会は最強を誇り続けなければならないのだ。さもなければ、関西呪術協会が崩壊した後、燻っていた魔術結社は一斉に蜂起し、自分達の組織を頂点に据えようと、戦が起こる。間違いなく一般人も巻き込まれ、日本は魔界と化すだろう。
 木乃香を襲った罪を軽くしなければならない、それは、木乃香の命を軽んじかねない危険性も存在した。かと言って、このまま千草を罰した場合、恐らく関西呪術協会は崩壊するだろう。
 詠春は、苦渋の選択の末に、組織の未来を選んだのだ。そこに、小太郎の独断行動が起きた。千草は、小太郎には何も報せないつもりで、全てが終わるまで小太郎に会わなかった。それが問題だった。小太郎は千草の消息を探りに関西呪術協会を飛び出してしまった。
 そして……、事もあろうに、“西洋魔法使い(ネギ)と共に戦ってしまった”のだ。事態は、まさしく混沌(カオス)だった。
 西洋魔法使いへの恨みを晴らした千草の保護児童である小太郎が、麻帆良に不法侵入して麻帆良の魔法使いと共に戦ったのだ。千草の気持ちを思って、恩赦を申し立ててくれた者達も戸惑い、恩赦の成立が一時的に宙に浮いたのだ。
 ここで、更に近衛詠春に何者かの干渉があった。謎の男がやって来たのは、数週間前の事だった。詠春は男と部屋に篭ると、千草を呼び出した。

「――そしたら、いきなり恩赦を受け付けてもらえる様になったんよ。まあ、ちょっと条件付きやけど。小太郎も含めてな」

 千草は肩を竦めながら、大まかに事実を若干オブラートに包んで語った。特に、木乃香の目の前で先代の批判など口に出来ず、その部分を厳重に覆った。

「その謎の男ってさ、なんか気にならない?」

 明日菜は運ばれて来た湯豆腐鍋から自分の分をよそいながら言った。

「確かに。長がそう簡単に、意見を聞き入れるというのは……妙ですね」

 刹那も湯豆腐をよそい、木乃香の分もよそいながら呟いた。

「確かに気になるッスね」
「あ、カモ。って、何、人の湯豆腐食べてるのよ!!」

 突然、自分の直ぐ近くで聞こえたカモの声に顔を向けると、カモは当然の様にお箸を持って、明日菜の湯豆腐を突っついていた。

「大丈夫ッスよ~、ちゃんと石鹸で手洗って、地面触らない様にしながら来やしたから」

 そう言うと、カモは洗面所を指差した。

「器用な……、というか、そういう問題じゃな~~~~~い!!」
「落ち着いてください」

 刹那は明日菜に呆れたように言った。
 刹那の冷たい態度に明日菜は木乃香に縋りついた。

「私、最近こんなんばっか~~」
「ほらほら、ウチの湯豆腐あげるさかい、ほれ、あ~~ん」
「あ~~ん」
「何やってるんですか、明日菜さん!!」

 木乃香が明日菜に湯豆腐を食べさせてあげようとすると、刹那が何時の間にか抜刀した七首十六串呂・イを頬にペタペタと叩きつけた。

「いや……刹那さん。これはシャレにならねぇって言いますか」
「黙れ。お嬢様にあ~んして貰うなんぞ、例え相手が誰であろうと許さん」

 ギランッと瞳を光らせながら、殺気を漲らせた刹那はドスの効いた声を発した。あまりにも恐ろしく、クラスの面々は顔を背け、アデアットのコスチュームが見られなかったのが不幸中の幸いだった――。

「おい、向こうの姉ちゃん。あれ、やばくないんか?」

 湯豆腐に箸をつけながら、殺気を漲らせる刹那に呆れた視線を送る小太郎の言葉に、ネギは苦笑いを浮べた。

「一応、魔力カットしてるんだけど……、刹那さんの魔力で持続しちゃってる」

 ネギはガックリと肩を落とした。

「大変やな。にしても、お前の方はどうしてたんや?」
「別に……」

 ネギはプイッと顔を背けた。

「って、おい! 機嫌未だ治ってへんのかい!?」
「機嫌悪いんじゃないもん」
「悪いやろ!? ってか、人の湯豆腐さりげに持ってくな!」

 ネギの小皿には、小太郎の分の湯豆腐まで入っていた。

「ん」
「あん?」

 ネギは、小太郎の分の湯豆腐を器用にお箸で抓むと、小太郎に向けた。

「なんや?」
「あ~ん」
「へ!?」

 周囲がどよめいた。小太郎は思考回路が停止した。
 何時の間にか、口の中に柔らかくて美味しい豆腐の味が充満していた。

「って、あれ!? ワイ、今何した!?」

 自分のした事が分からなかった。混乱している自分を、ネギはキョトンとした顔をして見ている。

「キョトンとするな! 何してん自分!?」
「え? いや、お詫びにって。木乃香さんが教えてくれたの。日本では、お詫びの時にあ~んってするんだって。さっき、木乃香さんが明日菜さんにしてるの見て思い出したの」

 得意気に言うネギに、小太郎は頭をテーブルにぶつけた。

「何やソレ!? てか、間違っとるで!! ソレはお詫びやない、ご褒美や!! って、ワイ何言い出してんねん!?」

「おお、アレこそノリつっこみ。成長したなぁ、小太郎」
「ノリつっこみ違うからアレ……」

 嘘っぽい涙をハンカチで拭いながら寝惚けた事を言う千草に呆れながら、明日菜は自分の湯豆腐を我が物顔で喰っている馬鹿野郎(カモ)をポカンと殴った。

「痛っ!? 何するんスか、姉さん!!」
「何するんスか、姉さん!! じゃないわよ! 人の湯豆腐勝手にパクパクと~~!! 大体、何でここに居るのよ!? 御主人様は向こう!」
「アンタ鬼ッスか!?」

 既に異相空間の様な場所を指差す明日菜に、カモは血を吐きかねない勢いで怒鳴った。

「うっ……、確かに、あそこに介入はしたくない。てか、小太郎っての、ちょっとちっこいけど、ネギとはお似合いな感じよね」
「ああ、二度と会わないだろうと思っていたのに……」

 カモはガックリと項垂れた。

「ええやないの~。若い二人が甘酸っぱい青春を送る。これ、自然の摂理なり。まぁ、ちょっと禁断な香りもするんやけどなぁ」
「お前は知ってて息子にそんな残酷な運命背負わせんのか!?」

 カモは絶叫した。慌てて明日菜がカモを被さるように隠す。
 周りで、何人かの少女がカモの声に反応してしまった。

「アンタ、あほ!? それとも、馬鹿!?」
「うう……、面目無ぇ」

 自分の存在が異端であると忘れた行動を取るカモに、明日菜が小声で自分の腕の中に隠したカモに怒鳴ると、カモは項垂れていた。

「そ、そこまで落ち込まなくても……」
「せやせや、恋愛に年の差も国の違いも宗派の違いも、性別も関係あらへんがな」

 オールヒットは不味いだろうが……。ホームランじゃねえか、馬鹿野郎。言葉無き突っ込みをしながら、真っ白になってカモは倒れ伏した。

「え? ちょっと、カモ!? ヤバッ!? ほ、ほうら、私の湯豆腐上げるよ~」
「ちょっと、いいかい?」

 沈んでしまったカモに、自分の湯豆腐を抓んで上げようとする明日菜の横に、タカミチが椅子を持ってやってきた。

「た、たた……タカ、ミチ? 先生!?」

 明日菜は突然、真横に現れた“どんな舞台・映画・ドラマ(海外含む)に出ている俳優よりも渋くかっこいい(明日菜視点)”タカミチの登場に、カモの事を忘れて、カモの体を押し潰し、蕩け切った表情でフラフラ揺れ始めた。

「ん?」

 タカミチは、明日菜のおかしな様子に冷や汗を流した。

「フィルター掛かっとるなぁ、明日菜アイ」

 木乃香は明日菜の姿を微笑ましげに見守った。

「何ですか明日菜アイって……。しかし、本当に、どうしたらアソコまで年の差がある人相手にああなれるのでしょうか。確かに、高畑先生は素敵だと思いますが……」

 刹那は、心底不思議そうに首を傾げた。

「フッ、それはお前が木乃香の姉さんに対して感じている思いと一緒さ」

 ギュギュギュっと明日菜の腕と胸の狭間からカモが抜け出しながら言った。

「な、何の事を!? って……、生きてたんですね、カモさん」

 カモの言葉に慌てた刹那は、ヨレヨレのカモに水を飲ませた。

「何とかな……」

 水を飲んで落ち着いたカモは溜息を吐いた。

「さすがに、死ぬかと思ったぜ……」
「あはは……」
「ところで、いいか? 人ってのは、禁忌が好きなのさ。やっちゃいけないって事は進んでやりたがる。恋愛なんざ、まさにソレが色濃く出るもんさ」
「何を知った顔で語ってるんだ、四足小動物が……」

 人間の恋愛について語るオコジョに刹那は苦虫を噛み潰した表情になった。

「人生経験は豊富なんだぜ?」
「オコジョ生経験だろ」
「……酷いッスよ、刹那の姉さん」

 刹那の無情な言葉に、カモは落ち込んでしまった。

「それよりも、今後の事について、今の内に話しちまおう」

 何とか立ち直ると、カモは話を切り替えた。

「問題は、敵が誰か……って事だな。関西呪術協会の者なのか、それとも、別の何者か。状況が状況だ。どんなに低い可能性も吟味して、在り得ない、そういう考えは捨てるべきだろうな」
「まさかッ!」

 刹那は咄嗟に千草に視線を向けた。

「ちゃうちゃう。ウチと小太郎は、今日が謹慎明けやねん」
「は?」

 千草が手を振りながら否定すると、刹那はキョトンとした。

「どうやら本当らしい。いや、済みませんね、疑ってしまって」

 タカミチは、この件で千草に話し掛けたらしく、素直に謝罪し頭を下げた。

「ええんどすぅ。過去の事もありますし。疑われても仕方おまへん。せやけどなぁ、ウチも小太郎もその件に関しては分からへんのどす。これから、本山に挨拶に行く予定どすから、その時に様子を見て連絡しますよって」

 千草がやんわりと笑みを浮べながら言うと、カモは声を張り上げた。今度は何時の間にか結界を張っている。

「待った。お前はともかく、小太郎があんな真似、操られてでもなけりゃ、加担する筈がない。そのくらいは、一緒に戦った仲だから分かる。黙って調査魔法を使わせてもらったが、洗脳の形跡は無かった。だから、小太郎の保護者であるお前も信じる。だから、協力してくれ!」

 カモは、小太郎を嫌いな訳ではない。むしろ、打算抜きで他人の為に戦える人間は稀であり、小太郎を大いに評価していた。その戦闘の才能、稀有な能力。ネギとの関係が怪しくさえなければ、むしろ仲良くなりたいとさえ思う程だ。

「協力……どすか?」
「ああ」

 カモはニヤリと笑った。

「おいしいね、湯豆腐」
「せ、せやな! 美味いで! さすが老舗や!」

 ニコニコしながらパクパク食べていくネギを前に、小太郎はガチガチに緊張していた。
 小太郎はソロッと、湯豆腐が運ばれるネギの口元に目を向けた。
 ネギが冷静になってくると、小太郎の頭も冷えてきた。あの夜の事を思い出し、さっきのあ~んを思い出し、ネギの顔がまともに見れなくなっていた。ネギの小皿が空になるのを見た。

「えっと、小皿貸せや。取ったる」
「え? うん、ありがとう」

 ネギから小皿を受け取り、鍋に入った湯豆腐をお玉で小皿に移す。

「量、多いね」

 ネギが鍋の中の湯豆腐を見ながら言った。

「そ、そっか?」
「そうだよ。これって二人分なのかな? 他のテーブルとあまり変わらない気がするけど」
「あれ? ワイの座っとった場所のをそのまんま運んで来たんとちゃうんかな?」
「多いよ。食べきれるかな?」
「任せろや。こんくらい、ヘッチャラやで」

 そこで、店員のお姉さんが田楽を運んで来た。

「お、田楽や! って、四つあるな。こりゃ、ほんまに四人前みたいやで」
「でん……がく?」
「せや、田楽や。こら、美味いで~。炙って塗って、炙って外はカリカリ中身は甘いんやで~」

 小太郎が絶賛すると、ネギは思いっきりパクッと田楽を口に入れた。ネギの瞳がこれ以上ない程輝いた。

「美味しい! 凄く美味しいよ!」

 ネギの幸せそうな顔に、小太郎は顔を真っ赤にしながら誤魔化す様に自分も田楽を手に取った。

「せやろ~。味噌がええ仕事してくれますねんって」

 一口齧ると、カリカリな表面と中の味噌の甘味に頬が緩む。

「甘くていい臭い!」
「眼で楽しんで、鼻で楽しんで、口の中で楽しむ三段固め! まさに無敵のコンボやで!」

 腕を交差させたガッツポーズを取りながら叫んだ。

「な、なぁ、お前ってその……か、彼氏とかって」
「え、何?」

 カモが何かを叫んでいるのに注意が逸れ、小太郎の言葉はネギに届いていなかった。

「いや……、何でもあらへん」

 何言い出そうとしてるんやワイは~~!! と悶絶しながら小太郎は水をがぶ飲みした。その様子を、あやかと和美、さよ、裕奈の四人がジッと見守っていた。

「むむ、あれは少年の方の片思いって線が強そうだね」

 裕奈は両手を双眼鏡に見立てて構えながら言った。

「あら、そうですの? ネギさんも、何だか何時もとは違う様子ですし……」
「いやいや委員長。あれは恋する乙女の目じゃないぜ~。あ~あ、少年、慌ててるねぇ」

 和美があやかの言葉に首を振りながら様子を観察して言った。

「でもいいですねぇ。ああいう甘酸っぱい感じ! 成仏する前に一回くらい経験したいですねぇ」
「いやいや、そういうシャレにならない事言わないでさっちゃん……」

 ポテポテとテーブルの上を歩きながら田楽を口に運んで言うさよに、和美はゲンナリしながら懇願した。

「と言いますか、この人形はどうなっているんですの? さよさんが憑依してるから動く……というのは、百歩譲っていいとして、何故、食事が出来るのですか?」

 あやかはさよ人形に憑依したままのさよの両脇に手を差し入れて持ち上げた。

「うひゃひゃい!? 止めて下さい~~」
「委員長! さっちゃん虐めないでよ! ほぅら、怖くないよ~」
「かじゅみしゃ~~ん!」

 助け出されたさよが和美に抱きつく。

「い、虐めてるつもりは……。しかし、申し訳ありませんわ。無礼が過ぎました」

 ギロッとあやかを睨む和美に、あやかは頭を下げた。

「ほら、さよさん。私の田楽を差し上げます。これで、許しては頂けませんか?」
「え、いいんですか? わ~い!」
「時々、さよちゃんが私達の数十倍年上だって忘れそうになるわ~」

 実際は六十歳越えているんだよな~、と思いながらも、裕奈はネギと小太郎を見た。

「でも、なんかむかつくな~」
「何がですの?」
「ポッと出て来た奴が、ネギっちと仲良くしてんの、なんかヤダ。むかつく、ぶっ飛ばしたい」
「裕奈?」

 和美は怪訝な顔をしながら物騒な事を言う裕奈に声を掛けた。

「何あれ。私の友達なのに」
「そう言えば、部活動のお友達が皆彼氏を作っちゃったんだっけ」
「ブッ!!」

 和美が思い出した様に言うと、裕奈は水を噴出した。

「なるほど。お友達が次々と男に取られちゃって寂しいんだよ~! っていう訳ですわね」

 苦笑いを浮べながら言うあやかに、裕奈はプイッと顔を背けた。

「ええい、私は男が嫌いじゃ~~!!」
「嫌な意味に捉えられかねないから、そういう事を叫ぶな、ファザコン!!」

 和美が怒鳴ると、裕奈が泣き叫びながらネギと小太郎に特攻を掛けようとするのを、あやかと和美が全力で止めた。

「そういうのは無し~~!」

 和美が裕奈の腰に抱きついた。

「落ち着いてください裕奈さん!」

 あやかが裕奈を羽交い絞めにする。

「だって~、男に取られるくらいなら~」
「変な方向に目覚めるな!」
「そっちの道は修羅道ですわ、裕奈さん!」
「子供好き過ぎて3K(綺麗・金持ち・カッコイイ)プラス優しいの最強男振りまくってる委員長には言われたくない~~!」
「それとこれとは関係ありません」
「静粛に!」

 騒いでいると、新田の怒鳴り声が響いた。

「ええ、そろそろ移動の時間が迫っている。大体、全員食べ終わっているようだし、後十分で出るから用意をしなさい。これより、午後の予定を話します。ええ、この後は――」

 新田の声を聞きながら、小太郎は溜息を吐きそうになった。

「後十分か……」

 呟いたのはネギだった。

「あん?」

 小太郎が顔を上げると、ネギが小太郎を真っ直ぐに見つめていた。

「折角会えたのに、もう少しお話したかったなって思って……」

 小太郎は嬉しさに鼻の穴が僅かに膨らんでしまい顔を背けた。

「ま、未だ京都居るんやろ?」

 小太郎が尋ねると、ネギは頷いた。

「うん。四泊五日の旅行だからね。今日この後、両足院で座禅体験するの」
「座禅体験って、物好きやな……」

 予約をしてお金を払ってまで座禅をする意味が分からないと小太郎は呆れた様な顔をした。

「うぅん、日本文化は面白いのが多いよね。キュウリに蜂蜜をつけてメロン味って言ったり」
「それは文化やない……。それより、お前、携帯持ってるんか?」
「持ってないよ」
「さ、さよか……」

 小太郎はガックリしてしまった。ネギは、荷物を纏めて
「ごめん」
と一言入れると、席を立った。どこに行くのかと見届けようとすると、ネギが嫌な顔をするので慌てて視線を外すと、視界の隅でネギがトイレに入るのが見えた。
 その後、何人かの少女達がトイレに消えては出て、しばらくしてからネギが戻って来た。

「それじゃあ、そろそろ時間だから」

 ネギが少し淋しそうに言うと、小太郎は恐る恐る口を開いた。

「ああ……。その、ま、またな?」
「うん。またね、小太郎」

 小太郎の言葉に、ネギは笑顔で返した。

「お、おう!」

 若干、舞い上がりそうになるのを必死に抑え、小太郎は明日菜達に混じりながら手を振るのに振り替えしながらボゥっとしていた。

「あれまぁ、顔真っ赤やねぇ」
「ッ!?」

 ニョホホと笑みを浮べながら背後に立つ千草に、小太郎はビクッとして振り向いた。

「そんな、小太郎にハッピーニュースや!」
「なんや?」
「未だ、ネギちゃんとお別れやないって事や。一旦、謹慎中の仮住まいに戻るで」
「は? 本山に挨拶は?」
「その前に、やる事が出来たんや」
「やる事?」

 小太郎が尋ねるが、千草はニッコリと笑みを浮べるだけだった――。

「――以上です」

 現在、ネギ、木乃香、明日菜、刹那、真名、美空、カモの六人と一匹は、彼女達の宿泊する“ホテル嵐山”のネギと明日菜、木乃香、刹那の四人部屋に集まっていた。畳の座敷の上でお茶を飲み、備え付けのお菓子の八橋を食べながら、カモが口を開いた。

「刹那の姉さんの式からの情報によれば、総本山は何者かに落とされたという可能性が極めて高いッス」

 カモの言葉に全員に緊張が走った。

「式が消える瞬間に微かにですが詠唱が聞こえました。確か『ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト』と。恐らく、西洋魔法使いでしょう」
「間違いないな。そいつは恐らく始動キーだ。それと、天ヶ崎千草からちょいっと気になる情報が入った」
「気になる情報?」

 明日菜が尋ねた。

「どうも若い神鳴流剣士が街中を西洋人と一緒に歩いている姿を目撃したらしい」
「西洋魔法使いと神鳴流剣士が手を組んでいるというのですか!?」

 刹那は愕然としながら呟いた。

「その可能性が高い。その剣士の名前は月詠というらしい。実力は若手の中でも抜きん出ているらしいが、性格に難があると問題視されているらしい」

 刹那は呆然としていた。在り得ない。それが気持ちだ。神鳴流は、関西呪術協会の創設当初から存在した、陰陽寮の陰陽師と侍が共に手を携えて生み出した至高の剣技であり、最も、日本という国に誇りを持っている流派だ。
 西洋の“叩き切る”では、生み出されない。日本の“斬り裂く”によって、生まれた技。西洋魔術の“特化型魔術様式”では、生み出されない。東洋魔術の“応用型魔術様式”によって、生み出された術。日本独自の“技”と“術”が一つとなった“技術”。
 日本でしか生み出される事の無い、完全無欠最強無敵の“京都神鳴流”。
 ただ、主への忠誠心から近衛木乃香と共に西洋魔法使いの巣窟とも呼べる麻帆良学園で、西洋魔法使いと共に手を取り合っている刹那の言える事では無いのかもしれないが、日本に誇りを持つ神鳴流の剣士が、西洋魔法使いと手を組んで、関西呪術協会の長の娘である近衛木乃香を襲撃するなど尋常ではない。関西呪術協会の者が、関西呪術協会の者達だけで組んで襲い掛かるなら、まだ分かるが、西洋魔法使いと手を組むなど本末転倒だ。

「組織としては、西洋魔法使いと手を組む事は、在り得ない。なら、考え方を変えやしょう。個人として考えた場合なら、本当に在り得ない事か?」
「そういう事ですか! つまり、月詠という者は――」
「裏切ったんだね、仲間を」

 真名が言うと、刹那は激怒した。同じ神鳴流を担う者が、木乃香を襲う者と手を組む等、許しておける所業ではない。

「とりあえず、話を戻すよ? 刹那の式から得られた情報から考えるに、西洋魔法使いが個人、もしくは複数の集団で、関西呪術協会を占拠したと。だとすれば、関西呪術協会の者は洗脳されていると考えるのが自然だね」

 真名が言うと、刹那とカモ、ネギと木乃香も深刻そうに頷いた。困惑しているのは、明日菜と美空だった。

「なんで? もしかしたら、身動き取れなくなってるとかじゃ――」

 明日菜が首を傾げながら言うと、木乃香が首を振った。

「さっき、せっちゃんが見張りが立っていた言うてたやん」
「確かに、見張りは敵のメンバーの擬態……という可能性もありますが、バスでの添乗員さんへの洗脳の件と照らした場合、敵に精神作用系の魔法を使える存在が居るのは確かです。なら、態々手札を切ってまで、そんな事をする必要は無い。だって、洗脳をした人間を使えばいいんですから」

 刹那の言葉に、明日菜は顔を青褪めさせた。

「まぁ、珍しい事じゃない。麻帆良だってやってる事なんだよ。洗脳や記憶の消去は」
「え?」

 真名が事も無げにぼやくと、明日菜は目を剥いた。

「真名!」

 刹那が怒鳴ると、真名はフッと微笑を洩らした。

「余計な事を言うなって? そうでもないだろ。神楽坂明日菜はもう、コッチの側の人間だ。こういう事も教えて置いた方がいい」

 真名と刹那の会話に、明日菜は真名の言葉が真実なのだと悟った。明日菜は、自分達がどれだけ恐ろしい事を言っているのか分かっているのかと、疑問に思った。記憶を操作する。それがどれ程恐ろしい事か、何となく分かった。不思議な程に恐怖を感じる。どうして、これほど心の底から恐怖が沸き上がるのか不思議だった。

「そんな事……」
「魔法使いは、自分達の神秘を隠匿する。別におかしな話じゃないんス」

 ショックを受けている明日菜に、カモは呻く様に言った。

「カモ……?」

 明日菜は戸惑い気にカモを見た。

「隠すには理由があるんス」
「人の心を弄る理由って何よ」

 明日菜の口調には、とげとげしい調子が隠し切れなかった。

「明日菜さん。異能を知る事は、即ち、異能を惹き寄せる事でもあるんです」

 ネギが気まずそうに言った。

「あ……」

 ネギに言われ、明日菜はこれまでの戦いを思い出した。今迄の何も知らなかった頃の生活が、魔を知った瞬間から激変した。僅かな間に、何度命を懸けた戦いが起きただろう。

「一般人が、我々の存在を知った場合、特例を除いて記憶の消去を行う。そうしなければ、人々の平穏を護るのは難しい。理由は他にもあるが、それが一番大きいッスね」

 カモの言葉に、明日菜は押し黙った。

「とにかくだ! 関西呪術協会が落ちた。こっからは、それを前提に作戦を練る。最初のバスガイドによる警告。あれは、間違い無く俺達の余裕を失くす策だ。多分、今夜も動きがあるが、本格的に動くとすれば、三日目だ」

 カモは話を変える為に、あえて強い口調で断言した。真名と刹那が頷いた。木乃香はハッとなり、俯いてしまい、ネギと明日菜が寄り添うように肩を抱いた。

「え? 何で、そんな断言出来ちゃうんスか?」

 美空だけが驚いて眼を見開くと、ネギが顔を向けた。

「あの警告。わざわざ、警告を促して、私達に警戒心を抱かせる理由は、考えられるのは、コチラを疲弊させるという策です。それ以外に、あんな真似をする必要は無い。不意打ちをすればいい話なのですから」

 不意打ちは、確実に先手を取れ、尚且つ万全な状態で襲撃する事が出来る有効な戦術だ。それを、態々“警告”という形で台無しにした以上、それ意外に考えられる策は無い。僅かに、先に不意打ちをして、ソレを警告にすれば良かったのではないか? そう、ネギは言ってから考えた――。
 ネギの説明に、刹那が続く。

「そして、警戒心を抱かせ疲弊させる策だとすれば、夜中も寝かせないと見るのが正しいでしょうね。三日目は、自由行動日です。私達はバラけざる得ません。その時を狙うのは必然というもの」

 警戒させて疲弊させるならば、疲弊した頃合を見計らい襲い掛かる。当たり前だが、その為には、一瞬たりとも休息を与えては意味がなくなる。

「恐らく、使うのは関西呪術協会の者だろうな。かと言って、その策だと断定し、夜に見張りだけを交代でして、他は眠る……というのも拙いだろうな」

 真名の言葉に、カモが首を振った。

「こっちにはタカミチが居る。例え敵が来ても、全員が起きて、戦闘準備する為の時間は稼げる筈だ。出来る限り、体力を温存したい、姉貴達は休んでくだせぇ」
「ちょっと待って! 高畑先生にそんな危険な事……」

 明日菜が不安げな声を発する。気持ちを察したネギが首を振った。

「タカミチは、プロです。こういう任務もある筈ですから、そこまで負担にはならない筈です」

 明日菜はわずかに逡巡しながらも頷いた。

「そんじゃ、今夜は各々方、疲れを取って下せぇ」

 そう言って、カモは解散を促した。美空は肩を回しながら疲れた様に部屋を出て、真名は武器の手入れをすると言って部屋に戻っていった。
 刹那も考え事があると、部屋を出て行ってしまい、残されたネギと明日菜、木乃香の三人は、お風呂の準備をすると、温泉に向かっていた。

「はぁ、折角の修学旅行が台無しよね……」

 明日菜がションボリしながら言うと、木乃香が俯いてしまった。

「あ……、ごめん」

 明日菜は申し訳無さそうに謝った。木乃香は、実家や父親が襲われて、無事かどうかも分からないのだ。無事だとしても、洗脳されている。最早、修学旅行どころではないのだろう。
 ネギの方も気分が落ち込んでいた。お昼に小太郎と再会し、和美や裕奈達に小太郎の事を聞かれ、困りながらも、少し浮かれていたのは確かだった。
 浮かれてなんて居られる状況ではないのに、と落ち込んでいると、明日菜が突然

「そうだっ!」

と声を張り上げた。

「どうしたんですか!?」

 驚いて顔を上げると、何時の間にか明日菜に手を取られ、真名の部屋と美空の部屋を叩いて二人を呼ぶと、明日菜は自分達の部屋に戻って来た。

「ネギ、カードで刹那さんを呼んで」

 明日菜の突然の指示に戸惑いながら、ネギはカードを使って念話を刹那に送った。刹那は何事かと慌てた様子だったが、直ぐに部屋に戻って来た。どうやら、屋上に居たらしい。

「それで、どうしたんだい?」

 真名が武器の手入れ中に呼び出され、幾分か不機嫌そうにしながら尋ねると、明日菜は毅然とした表情で言った。

「明日、関西呪術協会の総本山を攻めましょう」

 空気が固まった。真名ですらも眼を見張り、信じられない者を見る眼で明日菜を見た。自分が何を言ったのか理解出来ているのか? そう思いながらも、誰も口に出せなかった。
 周りの反応が芳しくないと感じたのか、明日菜は慌てて言葉を続けた。

「だ、だってさ! 相手の本拠地が分かってて、疲弊させる作戦だってのも分かってるんでしょ? なら、疲弊する前に、態々襲撃されるの待ってるなんて意味分からないじゃん!」

 明日菜の言葉は、恐ろしく的を射ていた。むしろ、どうして自分達は敵の襲撃を態々待とうとしていたんだろうかと不思議に思った程だ。

「確かに……。だが、クラスの皆はどうするんだい?」
「それは……」

 そこまでは考えていなかったらしい。ただ、単純に待ってるより攻めた方がいいんじゃないかと思っただけなのだ。明日菜が困った顔をしていると小さな舌を打つ音が聞こえた。

「?」

 明日菜がキョトンとした顔をしていると、真名と刹那が口を開いた。

「確かに、襲撃を態々待つのは下策だね。むしろ、明日は皆が固まって動く。なら、守りは分散しなくていい。動くなら、明日か」
「一番の実力者である高畑先生に残ってもらいましょう」
「タカミチだけで大丈夫かな?」

 ネギが不安そうな顔で呟いた。実力ではこの中の誰よりも上なのは確かだ。だが、一人では限界がある。

「楓や古菲さんに力を借りましょう」

 刹那が言った。

「な!?」

 ネギや、明日菜、美空も目を見開いた。

「ちょっと待って! くーふぇ達まで魔法関係者なの!?」

 明日菜が堪らず叫ぶと、刹那は首を振った。

「違います。ですが、古菲さんは一般人の中では間違いなく最強。並みの魔術師や剣士では、到底太刀打ちできない力を持っています。それに楓は甲賀の中忍。守りを任せる人間は多い方がいい」
「ならば、超にも協力を要請しよう。あいつなら、最適な防衛手段を講じてくれる筈だ。都合のいい事に、アイツは楓や古菲とは違ってコチラの側だ」
「そうなの!?」

 真名の何気なく口にした言葉に、明日菜は驚愕した。
 ネギは、迷っていた。関係者だというなら、超にならば救援要請をする事も仕方ない。だが、関係者で無い楓や古菲にコチラの事を話すのには抵抗があった。だが、同時に悟ってもいた。そんな迷いを持っている場合では無く、取れるならあらゆる手段を講じなければならないと。

「どうしよう、カモ君」

 ネギは助けを求める様に、カモに声を掛けた。ネギは助けを求める様に、カモに声を掛けると、カモはブツブツと何かを喋っていた。

「カモ君……?」

 ネギが恐る恐る声を掛けると、カモは目を見開き、驚いた様に姿勢を正した。

「ど、どうしたんスか? 姉貴」
「え? あのさ、楓さんや古菲さん。それに、超さんに強力を頼もうと思っているんだけど」

 ネギが答えると、カモは苦虫を噛んだ表情になった。しばらく、カモは考え込むように顔を俯かせた。

「それが、最善なら」

 カモが顔を上げて、それだけを言った。

「なら、とりあえず三人に強力を要請しよう。それと、高畑先生には襲撃する方に入ってもらおう」

 真名の言葉に刹那が首を傾げた。

「高畑先生には残ってもらって皆を護ってもらう方がいいんじゃないか?」
「いや、今回の作戦の肝は襲撃をどれだけ迅速に成功させるかに掛かっている。幾ら防衛に戦力を傾けても、時間が経つにつれて疲弊してしまう。ならば、いっその事最強戦力である高畑先生には襲撃に向かってもらった方がいい。その為にも高畑先生には体力を温存してもらおう。今夜の見張りは私がする」
「真名さん!?」

 ネギが眼を見張ると、真名はフッと笑みを浮べた。

「明日、私は防衛にまわるよ。なに、これでも戦場で戦った経験もある。みんなを必ず守ってみせるさ」

 真名の言葉に、ネギは真っ直ぐに真名を見た。

「お願い……出来ますか?」
「出来ますか? じゃないだろう、こういう時は、お願いします、だ」

 クールな笑みを浮かべ、真名は武器を取ってくると部屋を出た。

「頼りになるわね、龍宮さん」
「真名は、経験、実力共に私よりも上です。今晩の護りは彼女だけでも大丈夫でしょう」
「刹那さんよりも!?」

 明日菜は刹那の言葉に目を丸くした。刹那の実力を知っているからこそ、それ以上の実力者という事に安心感を覚えた。

「それなら、私達は明日に備えなきゃね。まずは、楓ちゃんやくーふぇ、超さんに協力を要請しに行きましょう!」

 明日菜が宣言すると、ネギや木乃香、刹那、美空は頷いた。話すなら同じタイミングがいいだろうと、まずは先にお風呂に入る事になった。

 お風呂場に着くと、都合良く三人が他のルームメイトと共に入っていた。刹那が三人にそれぞれ密かに声を掛けて、風呂上りに部屋に来る様に頼むと、古菲は首を傾げていたが、楓は僅かに目を開き、超は僅かに眼を細めて頷いた。
 二人共、只事では無いのだろうと悟ったのだった。その様子を、のどかが不思議そうな顔で見ていた事には、誰も気付いては居なかった。ネギは、バスの中での続きとばかりにあやかに窘められながらも、小太郎の事を聞いてくる裕奈や和美に苦笑いを浮べつつ、明日の事を考えていた。敵の本陣を襲撃する。作戦として、襲撃を待つよりも有効であるのは理解している。だが、同時に間違いなくただではすまない事も分かってしまっていた。
 間違いなく、罠が何重にも張り巡らされているだろう。もしかしたら、父親と肩を並べる程の実力者である、サムライマスターとも戦う事になるかもしれない。不安に押し潰されそうになった。

「どうしたのネギっち。もしかして……私達しつこかった?」

 和美がヤッベーという顔で頭を下げた事で我に返った。

「ち、違いますよ。ちょっと、考え事があって……」
「あ、それって小太郎の事~?」
「違いますよ~」

 和美の好奇心に満ちた瞳に乾いた笑みを浮べつつ、ネギは決意を固めた。
 何があっても、明日は負けられない。勝たなければならないのだ。敵のボスを倒さなければ、防衛戦も何時まで続くか分からない。長引かせる事も出来ないのだ。勝利の為なら、何でもする覚悟を決めた。
 例え、相手をこの手で殺す事になったとしても、この腕がもがれようとも、負ける事だけは許されないのだ。目の前の、大切な友達の命を守る為に――。
 防水仕様でもあるらしく、人形なのに浮き輪で湯船をプカプカ浮いてまき絵と一緒にお喋りをしているさよに眼を向けて何となく心が癒えた気がした。

 部屋に戻ると、楓、古菲、超の三人がやって来た。刹那が代表して説明を行った。楓と古菲には、まず魔法使いの事から始まり、麻帆良の事、現在の状況についての原因から経緯に至るまで、全てを包み隠さずに。

「解せぬでござるな」

 話を聞いた楓は薄っすらと眼を開いて睨む様に刹那の顔を見た。

「というと?」

 刹那が尋ねた。

「魔法云々はいいとするでござる。問題は、この様な事態が一生徒である刹那や真名に想定可能であったという事実でござる。なれば、学園側が想定出来ないのは道理ではないと考えられるでござるが?」

 楓の考えている事は、何人かを除いて全員が思っていた事だった。実は、あれから学園側に連絡を入れてあった。だが、反応は芳しくなかった。タカミチが居るのだから問題無いだろう。そんな世迷言を聞かされたのだ。
 サムライマスターと激突する恐れのある状況で、タカミチが居る事はそこまで救いにはならない。

「学園側の考えは分からない。とにかく、まずは戦略から考えましょう」
「私はあまり活躍出来ないと思うネ。今回はあまり特別なの持ってきてないヨ」

 刹那が自分を戦力と考えているのを理解し、超は困り顔で言った。

「そうですか……。では、有事の際にそれとなく皆の誘導をお願いします」
「了解ネ。京都の地理にはちょっと疎いから、後で色々と聞くと思うがいいか?」

 超が真剣な表情で刹那を見ると、刹那は頷いた。

「とにかく、真名と楓、古菲には皆の警護を。超には、有事の際に誘導を頼む」

 刹那が言うと、真名、楓、古菲、超の四人は頷いて答えた。

「本山へは、私、春日さん、明日菜さん、ネギさん、高畑先生で襲撃します。その際は――」
「待って!」

 刹那が戦術の話に移行しようとすると、木乃香が待ったを掛けた。

「お嬢様!?」
「せっちゃん、まさかウチを置いてく言うんやないよね?」

 木乃香は厳しい眼差しで刹那を睨んだ。

「それは……」
「確かに、ウチは戦闘は出来へん。せやけど、回復は出来る。それに、最低限の防御の術はエヴァちゃんが教えてくれたんや。足手纏いにはならへん」

 刹那は歯噛みした。木乃香を連れて行くには、場所が危険過ぎた。確かに、木乃香を連れて行けば勝率は上がるが、もしも木乃香に何かがあれば、例え勝っても意味がなくなる。
 木乃香在っての自分なのだ。その木乃香を戦場に連れて行くなど、正気を失いかねない程辛い選択だ。だが、木乃香の決意は決して揺らがないとも理解出来てしまった。

「わかりました。ですが、決して単独にならない様に。必ず誰かと……後方支援になるネギさんと一緒に居て下さい。ネギさん」

 木乃香が頷くのを見ると、刹那はネギに顔を向けた。

「お願いします」

 ネギが頷くのを確認すると、大きく息を吸い吐いた。心を落ち着かせ、戦術の話に移行した。

「神鳴流の相手は私がします。何人居るか判りませんが、長……サムライマスターも私が相対します。恐らく、この中でサムライマスターとまともに立ち会えるとすれば、私だけでしょう」

 それは驕りでも何でもない、事実だった。刹那だけが神鳴流を知っている。つまり、他の者よりはまだ戦えるという事なのだ。決して、勝てない。ただ、僅かに時間を稼ぐ事は可能だと言うだけなのだ。

「そして、明日菜さんは西洋魔法使いをお願いします。明日菜さんの能力なら、ただ真っ直ぐ走って近づいて斬って下さい。簡単に言いましたが、それはある意味奥義でもあります。無茶な様ですが、明日菜さんだから頼める事です。お願いできますか?」

 刹那は、無謀な事を頼んでいると理解していた。関西呪術協会の総本山を落とす程の魔法使いだ、もし勝利するとすれば、それは戦闘開始直後に真正面から突撃し、一切速度を緩めずに敵を斬るしかない。
 一瞬の迷いも許されないこの行為を、明日菜だからこそ刹那は頼むのだ。明日菜の能力は少し考えるだけで、簡単に対策を練る事が出来てしまう。だが、対策を練る間も与えずに、最初に敵が攻撃した瞬間の隙を狙えば、勝利の可能性を掴み取れる。
 それが、明日菜には出来ると、刹那は信じたのだ。明日菜は、刹那の説明を聞き、全て理解した上で頷いた。

「出来る。やるわ。茶々丸さんとの修行は無駄じゃないって証明してあげる」

 ニヤリと勇敢な笑みを浮べながら、明日菜は言った。刹那は頷くと、ネギと美空に顔を向けた。

「春日さん、どのくらい戦えますか?」
「うう……、やっぱ私も戦わなきゃ駄目?」

 この期に及んで、そんな事を言い出す美空に、全員から冷たい視線が集中した。

「じょ、冗談さ~。やだなぁもう! あ、私の戦力ね。って……ぶっちゃけ、私って逃げ足だけなんだよね。アデアット」

 慌てて頭を掻きながら、美空はポケットからカードを取り出して呪文を唱えた。

「“千里靴(セブンリーグブーツ)”さ。てか、まさかこんなとこで正体がバレるとはなぁ」

 溜息混じりに、美空は千里靴を見せた。

「靴?」

 明日菜が不思議そうに見つめると、ネギとカモが眼を見開いた。真名も、信じられないという表情だ。

「セ、セブンリーグブーツ!?」

 ネギとカモが同時に叫んでいた。セブンリーグブーツといえば、一説では七リーグ(35キロメートル)を一足で移動し、一説では次元を横断するという。アーサー王伝説や、ファウスト、眠れる森の美女、フランス童話などにも度々登場する、“靴”のアーティファクトとしては、天を翔ける“ヘルメスの黄金靴(タラリア)”と並ぶ最上級の宝具だ。

「どうしたのネギ!?」

 いきなり叫びだしたネギに、明日菜は吃驚しながら尋ねた。

「だ、だって、セブンリーグブーツって言えば……」

 パクパクと口を開きながら、少しずつネギが説明をすると、明日菜達も目を見開いた。

「そ、そんな凄いのなの!?」
「凄いなんてもんじゃないですよ! 神話クラスのアーティファクトですよ!?」

 ネギが興奮しながら言うと、美空は困った顔をした。

「そんなに凄くは無いんだけどね。確かに、七リーグを一瞬で移動出来るんだけどさ。それやると、私が潰れたトマトになっちゃうんだよね……」
「それで、戦闘の方はどうなんだい?」

 真名は僅かに美空の靴に興味を残しながらも、冷静に尋ねた。

「んとね、魔法はあんまし。でも、十字教の術式はちょっとは習ってるよ」
「十字教の?」

 木乃香がキョトンとした顔をすると、美空は頷くと
「ちょい待ってて」
と言って部屋を出た。
 戻ってくると、幾つ物大きさの違う十字架の入った袋を持ってきた。

「私はカトリックの宗派でさ。シスターシャークティから習った術式なんだけどね。基本的に退魔の術式だから、対人で使えるのは“劣化・十字架挙栄祭(ラ・クルシフィキションeasy)”の中でも“磔術式”だけ。だから、そんなに期待しないでね」
「磔か。一瞬でも動きを止められるなら、使い様はあるな」

 真名は聞いた美空の戦力を分析しながら呟いた。刹那は少し考えると、ネギに顔を向けた。

「ネギさん。ネギさんの最大魔法は“千の雷”でしたね?」

 確認する様に、刹那がネギに尋ねた。ネギは頷くが、表情は芳しくなかった。

「使えますが――」
「いえ、効果範囲の広さを考慮して、恐らく使う可能性は低いですが、一応という事で」

 刹那が言うと、ネギは安堵の表情を浮べて頷いた。それから、ずっと黙り込んでいるカモに刹那は顔を向けた。

「そう言う事でどうでしょうか? カモさん」

 刹那が尋ねると、カモは頷いた。

「それでいいと思うが、もう一つだけ。そこに、小太郎と千草を襲撃の班に加えてくれ」
「え?」

 カモの言葉に、ネギが思わず呟いた。

「そう言えば、協力を要請していましたね。あの二人が襲撃の際に加わってくれるなら――」
「待ってください!!」

 刹那が何かを言おうとする前に、血相を変えたネギが待ったを掛けた。刹那が怪訝な表情を浮べると、ネギはキッとカモを睨んだ。

「どういう事、カモ君?」
「姉貴?」

 様子のおかしいネギに、カモは恐る恐る声を掛けると、ネギは怒りを顕にしていた。

「どうして……、どうして小太郎に協力なんて頼んだの!?」
「どうしてって……。それは単純に戦力になるだろうと――」

 ネギは歯を噛み締めながらギンッと視線を鋭くしてカモに歩み寄り、その体を握り上げた。

「痛ッつ」

 カモの苦悶の声に、ネギは我に返った。

「あ、ごめん。そう……だよね。今、小太郎の力が借りられるならその方がいいんだよね。関西呪術協会の危機なんだし、小太郎達と協力するのは間違いじゃなくて……」

 ブツブツ呟きながら、ネギはへたり込んでしまった。そのまま俯いてしまったネギに、明日菜と木乃香が心配そうに近寄ると、刹那がネギが落として呆然としているカモを拾い上げた。

「俺っちは……。姉貴、すまねぇ。本当に……何してんだ俺」
「カモさん?」

 様子のおかしいカモに、刹那が不審げに見ると、カモはハッとなった。

「あ、ああ。大丈夫ッスよ刹那の姉さん。あとちょいの辛抱なんだ。とにかく、小太郎の方は俺っちが連絡しておきやす」

 そう言うと、カモは刹那の手から飛び降りて、そのまま部屋を出て行ってしまった。意気消沈した様子に刹那は心配になった。
 その後、真名はタカミチと見張りを変わる為に屋上に向かった。ついでに作戦について説明をしておくと言った。古菲は現状を掴みきれていない様子だったが、戦う心構えだけはしておくと言うと、そのまま部屋に戻った。
 楓と超は、刹那から明日の見学地の詳細な地形を聞き、部屋に戻ってそれぞれシュミレートをすると言って、部屋に戻っていった。美空は、溜息を吐きながら、トボトボと部屋を出て行った。
 残ったネギ達四人は、明日に備えてもう眠る事にした。時々、部屋の外が五月蝿くなると新田の怒鳴り声が聞こえたが、それでなくとも眼が冴えてしまい、ネギが眠りの魔法を唱えて、四人は眠りについた。

『そうか、ならば作戦を練り直す必要があるな。やはり、イレギュラーは発生したか。だが、問題無い。奴も準備を終えて既に京都に入っている。あん? ああ、問題無い。それよりも、天ヶ崎千草は確かに使えるんだろうな? そうか。ならば、手筈通りにな』
「未だ、休まないのかい?」

 部屋に入って来たフェイトに、エドワードは念話を終了させた。

「ああ、そろそろ休むさ。それよりも、放った刺客はどうだった?」

 エドワードが尋ねると、フェイトが険しい表情になった。

「遠距離からの狙撃で誰一人到達出来ていない。三十人は送ったんだけどね」
「まぁ、警戒心を持続させるだけならば問題無いだろうが……。もう五十程送れ。それで、迎撃手段が狙撃だけなら……奴等はココに明日攻め込んでくると考えた方がいいな」
「何故だい?」

 フェイトが尋ねると、エドワードは答えた。

「簡単だ。迎撃手段が数を増やしても一通りしか無いならば、可能性として、一人が見張りをし、他は戦闘の準備の為に休んでいると考えるのが必然。ならば、何故備えているか。襲撃を待っているのでは無く、コチラの動きを読んで逆にここを襲撃しようと考えているからだろうよ。ならば、コチラは相応の出迎えをしてやらねばな」

 ククッと笑いながら、右手で顔を半分隠し、エドワードは鋭く笑みを浮べた。

「掛かって来るなら構わない。歓迎してやるまでだ」

 そのエドワードの様子に、フェイトはクスリと笑みを浮かべ、部屋を出た。

「さて、多少のイレギュラーは入ったが、このままでも問題は無い。後、クリアすべきは位置とアレの召喚だな」

 エドワードはとある人物に念話を送った。

『おい、アレはちゃんと喚べるんだろうな? そうか、やはり本山内でなければ難しいようだな。ならば、確りとやれ』

 念話で短いやり取りをすると、エドワードは念話を切り、笑みを浮べた。

「さて、若干早まったが、ゲームの始まりだ」

 夜はゆっくりと過ぎて行く。

第二十二話『京都の再会』

 深夜遅く、森の木々がざわめく一角に三人の少年と少女が木の上の太い枝の上に立っていた。一人は眼鏡を掛けた真っ白なゴシックロリータを着た少女。一人は月明りにその美しい銀髪を濡らす少年。最後の一人は、薄汚い灰色のローブの合間から、血の様な真紅に濡れた髪と金色の眼が僅かに覗く。

「理解出来ないね。何故、この様な回りくどい手段を取るんだい?」

 まるで、どこぞの王に仕える騎士の様な服装をしている白髪の少年はジロリとローブを被った、金色の眼の少年を睨みつけた。

「おいおい、俺は確実に勝てる戦法を取っているだけだぜ?」

 金色の眼の少年がニヤつく様に言うと、白髪の少年は睨みを強めた。

「コチラには鍵があるんだ。力で押せば勝利は容易い筈だが?」
「馬鹿言え。アッチには、例の剣があるんだぞ? 未だに使いこなせてはいない様だが、警戒するに越した事は無い。だろう?」
「やれやれ、心配のし過ぎだと思うのだがね」

 白髪の少年が肩を竦めると、金色の眼の少年は鼻で笑った。

「無思慮な者が、怠惰の言い訳にする台詞だな。戦略だけでは、確実に勝利を呼び込む事は出来無い事も分からないのか?」
「戦術を戦略でカバーは出来るが、戦略を戦術でカバーをする事は出来ないという言葉もあるよ? 君は、戦術が戦略を越えられると言うのかい?」
「違うな、間違っているぞ。戦略と戦術は両方を巧みに操る事が重要なのだ。最終の目標に向けての戦力の配分、そして、目標に至る標ごとの策を練る。勝利を引き寄せる網の目は細かく強い方が良い」
「策士、策に溺れなければいいがね」
「その言葉の語源を知っているか? 曹操の知を巧みに利用した諸葛孔明の言葉だ。要は読み合いに負けた者が敗北する。向こうに優秀な軍師が居るならば、敗北も在り得るだろうが、居るのは十代の小娘と、策を使えぬ出来損ないだ」
「成る程、溺れる事は無いという訳か」
「その通りだ」

 金色の眼の少年は、森の先に見える光の灯る神社の様な場所に目を向けた。関西呪術協会の総本山である。

「関西呪術協会をまず落とす。四神結界と京都魔法陣の権限を奪い取り、奴等を京都に閉じ込め、最初に“警告”し、奴等に心を休める暇を与えずに疲弊させる。奴等の修学旅行の日程は既に調べている。恐らくは、警戒し友人を守る為に戦力を分散させるだろう。厄介なのは神鳴流とマジックガンナー、それにあの……黄昏の姫御子だ」

 白髪の少年から殺気が噴出した。歯を噛み締めながら、その瞳に狂気の色を称えて唸った。

「先輩はウチに下さいますぅ?」
「ああ、神鳴流は任せるぞ。アレの術式は厄介だからな」

 眼鏡の少女がホワホワした様子で言葉を発すると、金色の眼の少年はニヤリと笑みを浮かべて言った。

「俺は高畑.T.タカミチをやる」
「勝てるのかい?」
「俺を誰だと思っている? 元・ウェスペルタティア王国の聖騎士殿」

 少年は金の瞳をギラリと輝かせた。右手で前髪をかき上げ、見下す様に白髪の少年に視線を向けた。白髪の少年はフッと笑みを浮べた。

「君が負ける姿は到底想像出来ないな。古き血の吸血鬼――――エドワード・ウィンゲイト」

 エドワードはクスリと笑った。

「お前はネギ・スプリングフィールドと近衛木乃香だ。魔力タンクを奪えば、お前の目的の女の戦力も激減する。それなら、傷つける事なく捕らえられるだろう?」
「確かに――。必ず、解放してみせる……、姫様」

 決意を篭めた表情で関西呪術協会を睨みつける。

「まずは、最初の条件をクリアするぞ。関西呪術協会を落とす」
「やるからには、短時間で決めないとね」
「仮にも、サムライマスターと謳われた男だ。近衛詠春が動く前に決めるぞ」

 エドワードの言葉に、白髪の少年は黙って頷く。

「月詠、お前は残っていろ。魔術による掃討戦だ。お前の出る幕は無い」

 エドワードの言葉に、眼鏡の少女――月詠は不満気な顔をした。

「つまらへんなぁ」
「そうむくれるな。お前には、後々に活躍してもらうさ」

 月詠から眼を離すと、エドワードは口元を歪めた。瞬間、エドワードの眼前に小さな炎の球が発生する。

「初撃は任せろ。結界を破壊すると同時に呪術協会に混乱を巻き起こす。その間に侵入、一人残らず石化させろ。近衛詠春が現れた場合は殺すな。石化も却下だ。四神結界や京都魔法陣の権限を移譲させるからな」
「二つの権限は君が所有するのかい?」

 白髪の少年は怪訝な顔をした。

「不服か? お前は鍵の制御だけで限界であろう? ならば、俺が所有するのが自然な流れ。まさか、魔術師でもない月詠に渡す気か? それこそ、正気では無いぞ」

 エドワードの言葉に、白髪の少年は肩を竦めた。

「まさか、不服など無いさ。確認をしたまでの事。では、行こうか」
「ああ――フッ」

 エドワードは右手を掲げた。炎の球が一気に収縮し、ビー玉並みの大きさになると、まるで銃弾の如き速度で関西呪術協会に向けて放たれた。
 空間を歪め、空気が捩れ曲がっている。唐突に、炎の弾丸は動きを止めた。目に見えない壁に阻まれた炎の弾丸は、壁を突破しようともがく。不可視の壁は衝撃によって歪み、まるでガラスをハンマーで殴ったかの様に真っ白な無数の罅が広がった。螺旋回転をしながら、まるでドリルの様に関西呪術協会の教会に張られた結界が削られていく。
 関西呪術協会の、いち早く気がついた者も、呆然とその様子を眺めていた。不可視の結界に広がる大きな真っ白の皹を――。

「砕け散れ――」

 エドワードがニヤリと笑うと、一気に結界が破られた。バキンッ! というガラスの割れた様な音が、関西呪術協会のある御山の全域に響き渡った。
 関西呪術協会の結界は崩壊し、瞬間、関西呪術協会にパニックが巻き起こった。関西呪術協会の総本山の結界が破られるなど、誰にも想像する事すら出来なかったのだ。関西呪術協会の奥にある、長の部屋で、慌てながら報告をした巫女に礼を述べると、詠春は小さく溜息を吐いた。

「来たか」

 独り呟くと、詠春は立ち上がった。大きく息を吸い込み、感情を殺す。
 自身の太刀を握り、詠春は歩き出した。周囲に響き渡る悲鳴。歩く先々で、石化した仲間達の姿を発見し、詠春は静かに怒る。
 外に出ると、そこには二人の少年が立っていた。詠春は殺意を漲らせる。

「ここを関西呪術協会と知っての狼藉か!!」

 詠春の怒声に篭められた憎悪と殺意に、エドワードは笑みを浮べた。

「さて、役者が違うぞ、無理はするな。俺達の目的は二つだ。京都を守護する“四神結界”と“京都魔法陣”、二つの使用権限を寄越せ。さもなければ――」

 エドワードは指を鳴らした。

「これだけで、石化した者達の肉体を滅ぼすぞ」
「巫山戯るな。ここに居る者は、とうに死など覚悟している。その程度の脅しに屈すると思うか!? 例え、皆が殺され様とも、私が貴様等――」

 瞬間、詠春の姿が消えた。甲高い金属のぶつかり合う音が響く。詠春の何時の間にか抜刀した剣と、何時の間にか現れた月詠の二振りの剣が激突していた。

「裏切りますか、月詠!」
「ご覧の通りどすぅ」

 頭上に迫る炎を回避し、詠春は距離を取った。

「ならば、町の人間ならどうだ?」
「何……?」

 エドワードが口を開くと、詠春は眉を顰めた。

「俺達ならば、京都の町を滅ぼす事も可能だ。京都魔法陣や四神結界を残ったお前一人で操れるなら別だが?」

 エドワードの言葉に、詠春は歯を噛み締めた。

「不可能だよなぁ? お前は魔術師では無い。ただの剣士に過ぎない。お前一人では、京都の民は護れない。どうする? 京都を見殺しにするのか? 正気か? 関西呪術協会の長、近衛詠春よぉぉ!」
「君は……、何者だ?」

 詠春は屈辱に歪んだ表情を浮べながら尋ねた。

「名乗る必要は無い。寄越せ、結界と魔法陣の使用権限!」

 詠春の敗北だった。非の打ち所の無い、完全無欠の敗北だった。仲間は全員石化され、自分一人では叶わない。京都の民を護る選択肢は一つだった――。

「無理だ。どちらも、権限の移譲には膨大な時間が掛かってしまう。それに、京都の魔法陣を全て、関西呪術協会が保有している訳ではないんだ」
「何だって?」

 白髪の少年は、詠春の言葉の真偽を探ろうと眼を細めた。

「だろうな。ま、予想は出来ていた」
「……どういう事だい?」

 金色の眼の少年の言葉に、白髪の少年は怪訝な顔をした。

「簡単な事だ。近衛詠春が関西呪術協会の長の座に着いたのは、ここ数年の事だ。元より、コイツは魔術師では無く剣士だ。そんなのに、京都を護る魔術の全権を預ける事を良しとはしないだろう」
「なっ!? では、この襲撃の意味は――」
「いいや、ある」

 エドワードの言葉に、白髪の少年が食って掛かろうとするが、エドワードはその切っ先を制して言葉を続けた。

「まず、これで関西呪術協会の機能は停止した。救援の要請をするにも、これで近衛詠春を石化させてしまえば、かなり遅れる事になる。最早、関西呪術協会という、最も現実となりうる第三者による強襲の可能性は消え去った。四神結界や、京都魔法陣も恐れる必要は無くなった。だが、これだけでは態々ココを襲撃した意味は無い。これより、俺達はココを拠点とする」
「ココを……関西呪術協会を拠点にすると言うのかい!?」

 白髪の少年は、あまりの事に驚愕した。

「その通りだ。この場所を拠点とする。フェイト、まずは近衛詠春を石化させろ」
「あ、ああ……」

 エドワードに言われるがままに、詠春にフェイトと言われた少年は石化の魔法を発動した。

「ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト。小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ。その光、我が手に宿し、災いなる眼差しで射よ。『石化の邪眼』」

 瞬時に、詠春の体が灰色の岩へと変化していく。石像となった詠春は憤怒の表情を浮かべていた。

「後は、使えそうなのを何人か選び出して洗脳するぞ」
「そこまでする必要があるのかい?」
「何、コイツ等を使って疲弊させる程度の事だ。それに、誘導や罠を仕掛ける等、使い道は無限にある。爆弾を腹に巻かせて、奴等に特攻させるという手もあるな」
「……君は恐ろしい男だね」

 フェイトはエドワードから顔を背ける様に、待たせていた月詠の居る方へと跳んだ。

「冷徹に成り切れていないな。だが、ここまではミスは無い。初期の条件は全てクリアされた!」

 フェイトが立ち去った後に、エドワードは一人呟くと、近衛詠春の石像の前に立った。

「壊しちまうのもいいが、元・英雄様の石像を部屋に飾るってのも悪くねぇ」

 そう言うと、エドワードは炎の転移魔法を発動し、周囲の石像を呪術協会内へ転送した。

「後は、イレギュラーが無ければ問題は無い」

 ネギ達の修学旅行の前日、関西呪術協会は落ちた――。

 早朝、まだ日は昇りきっていない時間にも関らず、ネギと明日菜と木乃香の三人は起きて朝食を食べていた。ピザトーストにコーンスープだけという簡単なものだった。
 今日から四泊五日の京都への修学旅行なのだ。あやかの提案で外国人の多い3年A組は日本の古都である京都にしようという事になったのだ。
 麻帆良学園の修学旅行は生徒の自主性を重んじられている。目的地は沖縄や北海道、京都などの国内以外にも、イタリア、ドイツ、合衆国、ハワイなどの海外も選択が可能だ。引率は担任のタカミチと国語の担当教師であり生活指導の新田だ。
 大宮駅に九時に集合で、時間はたっぷりあるのだが、自然と三人は目を覚ましてしまっていた。朝食を食べ終えた後、木乃香とネギが手早く洗い物を済ますと、ガスや電気、水道のチェックを済ませ、忘れ物が無いかを入念にチェックすると、戸締りを確りと確認して駅に向かう前にエヴァンジェリンの宅へ向かった。
 エヴァンジェリンのログハウスに到着すると、茶々丸とエヴァンジェリンが三人を出迎えてくれた。カモはタカミチと用事があると言って昨夜から居ない。刹那は龍宮真名と用事があるからと既に発っていた。

「そんな顔をするな。精々、楽しんで来い。一生は永いが、子供の頃の友との一時々々というのは存外に大切な至宝となる。こうしたイベントを心に刻んで来い」

 改めて、エヴァンジェリンと一緒に行けないのだと再確認し、ネギ達は涙が出そうになった。友達との一時を大事にしろと言うのなら、エヴァンジェリンが一緒でなければ駄目だ。
 その三人の思いが分かるからこそ、エヴァンジェリンはニヤリと笑みを浮べた。

「お前達は幸か不幸か分からぬが、私とは長い付き合いになるんだ。私がココから出られるようになったら、幾らでも付き合って貰うぞ?」
「マスターは京都に行ってみたくて仕方なく、昨晩も枕を涙で濡らし――」
「黙ってろ!」
「あ、うん……、あう……いけません、マスター……はぁん……そんなに巻かれては……ああ……」

 余計な事を口走る茶々丸を黙らせる為に、エヴァンジェリンは茶々丸の後頭部にネジを巻いた。

「と、とにかくだ。ネギ、京都にはお前の父親の使っていた別荘がある筈だ。お前が相続している筈だからな、行ってみろ。詠春には連絡をしておいてやる。ナギの使っていた机や椅子、もしかしたら日記やポエムなんかがあったりしてな」

 クスクスと笑うと、エヴァンジェリンはネギの頭に手を乗せた。

「お前の親父の名残がある筈だ。時間を見つけて行って来い。それで、ちょっとは泣いて来い。お前がちょっとでも成長して帰ってくる事を願っているぞ」

 フッと笑みを浮べて言うエヴァンジェリンに、ネギは涙腺が耐え切れずに涙を溢れさせた。

「エ、エヴァンジェリンさん……。一杯……、一杯お土産買ってきます!!」
「もう、何でエヴァちゃん一緒に行けないのよ~~!」
「いっぱい写真撮って見せてあげるから……せやから、うう……」

 共に命を懸けて戦い、ほぼ毎日の様に魔法や剣を教え、勉強を一緒にして、この一ヶ月間で、エヴァンジェリンとの関係は密接になっていた。本当ならば一緒に行きたい。そう思っても、エヴァンジェリンを連れ出すことは出来ない。

「……はぁ。何も、泣く事はないだろう? 師匠として、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが命じる、楽しんで来い。一杯、思い出を作って来い。沢山、学んで来い。ただし、勉強は怠るなよ?」

 エヴァンジェリンは、前日にネギ達に宿題を与えていた。数学と英語の宿題であり、毎日一時間分のプリントを教師に頼んで作って貰ったのだ。
 思い出した明日菜は呻いた。

「うう……、修学旅行なのに~」
「“修学”旅行だからだろうが……。まあ、そんなに難しいのじゃないさ。今までの復習問題ばかりだ。後は、向こうで回る寺や神社を頭に刻め。歴史を肌で感じろ。魔法使いなら、“歴史の価値”という存在(モノ)を知って来るんだ。それはとても大切な事だからな」

 エヴァンジェリンはログハウスの時計に視線を送った。

「もう、そろそろ行かないとな。もしも、問題が起きたらカモとタカミチの指示を絶対に守れ。いいな? それとネギ、お前にコレを渡しておこう」

 エヴァンジェリンの差し出した手には一個の見事な細工の指輪があった。

「魔法発動体だ。お前の指に合わせてある。杖を常時持ち歩いている訳にもいかんからな。前々から作っていたんだが、昨夜、完成した」
「エヴァンジェリンさん……」

 受け取ったネギは涙を止める事が出来なかった。自分の為に作ってくれた指輪をギュッと握り締める。嬉しさに体全体で喜びを示したかった。一緒に行けない悲しさで胸が張り裂けそうだった。

「ごめんなさい。ごめんなさい……、エヴァンジェリンさん」

 謝りだしたネギに、エヴァンジェリンは小さく息を吐いた。封印されている理由が自分の父だから、それが理由だろうと察して、エヴァンジェリンは右手でネギのオデコにデコピンをした。手加減をしたデコピンだったが、ネギは呆然とした。

「恨みはある。だがな、お前は関係無いんだ。お前が私の友を名乗るなら、そんな下らない事で謝るな、馬鹿弟子が」

 こうまで泣かれるとは思っていなかった。たかだか、修学旅行に一緒に行けない程度で――。エヴァンジェリンは余裕を取り繕う為に必死だった。
 自分と一緒に思い出を作りたい。そう思ってくれる少女達と、自分も思い出を作りたかった。この先、少女達は大人になる。今は、エヴァンジェリンと友達であっても、魔法使いの社会に出れば、この温かい時間が続くとは限らない。むしろ、終わってしまう可能性が高い。もしも、自分と一緒に居てくれるのだとしても、自分は時の流れから外れた存在である。少女達が年を取り、老衰していく姿を見るのは自分なのだ。若いまま、友の死を見取る。だからこそ、一つでも思い出を作りたかった。
 一生、抱いていられる思い出を――。自分のためにこんな風に泣いてくれる存在など、もう二度と現れないかもしれないから。ギュッと、エヴァンジェリンの体を明日菜が抱き締めた。

「絶対、いつかエヴァちゃんと旅行に行く。文句を言う奴は正義だろうと悪だろうとぶっ倒す。それが出来るくらい強くなるから……待っててね」

 エヴァンジェリンの顔が歪みそうになった。声が震えない様に慎重に口を開き、出てきたのはたったの一言だった。

「ああ、期待している……」
「ネギさん、木乃香さん、そして、明日菜さん。行ってらっしゃいませ。どうか、楽しんで来てください」

 茶々丸が深く頭を下げると、今度は明日菜は茶々丸の体を抱き締めた。

「茶々丸さん。行って来ます」

 茶々丸と一番接点の多い明日菜は、茶々丸とも一緒に修学旅行に行きたかった。だが、茶々丸がエヴァンジェリンと共に居る事を選んだのなら、何も言えなかった。
 ただ、抱き締めた。

「お土産、いっぱい買って来る。写真、いっぱい撮ってくる、行って来ます……、師匠」
「明日菜さん、行ってらっしゃいませ」

 ネギは右手の人差し指にエヴァンジェリンから貰った指輪を装着した。三人はエヴァンジェリンと茶々丸に手を振りながらログハウスを離れた。三人の姿が見えなくなった後、エヴァンジェリンは小さく呟いた。

「行きたかったな……。アイツ等となら、多分、楽しかった」
「多分では、無いと思います。間違いなく、楽しいでしょうね。マスター、大丈夫です。明日菜さんも、ネギさんも、木乃香さんも、刹那さんも強くなります。才に恵まれ、精神がとてもお強い方々です。いつか、あの方達がマスターを解放してくれます。そうすれば……」
「ああ、期待してしまうな。ナギが実際に生きているか分からないが……。いい女と結婚したようだ。息子……いや、今は娘かな? 娘はアイツとは比べ物にならないほど素直だ。きっと、母親の遺伝だぞ、アレは」
「マスター」
「母親……か。私には、一生縁の無いモノだな」

 淋しそうなエヴァンジェリンに、茶々丸は声を掛けられなかった。ネギにも母親が居る。それはつまり、ナギは一人の女を選び、結婚し、子を産んだという事だ。
 もし、生きていたとしても、もう、自分の居場所はナギの下には無いのだ。それを理解しているからこそ、エヴァンジェリンの気持ちを茶々丸は知ることが出来なかった。
 自分が機械である事をこれほど恨めしく思う事はありませんね。茶々丸は、エヴァンジェリンの為に今夜はご馳走を作ろうと決意した。

 麻帆良学園の学園内を通る電車に揺られる事一時間ちょっと。ネギと明日菜、木乃香の三人は大宮駅に到着した。既に、タカミチと新田、それに生徒達の殆どが集合していた。

「おはようございま~~す!」
「おはよ~~~!」
「おっは~~~!」

 ネギ達が手を振りながら近づくと、少女達も手を振り返した。

「おはよう、ネギ君、明日菜君、木乃香君。向こうに荷物を置いて集まっていてくれ。後、一時間あるから、朝食が未だなら、そこの食堂で食べてきてもいいし、売店でジュースやサンドイッチを買って来てもいいけど、あまり離れないようにね」

 タカミチは出席ボードの三人の名前の欄にチェックを入れながら言うと、ニコッと笑みを浮べた。ちなみに、大きな荷物は既に旅館に郵送されている。

「そう言えば、今更だけど、私達って関西地方に行って問題とかないの?」

 明日菜はフと思い出して言った。天ヶ崎千草の来襲した時に語った、東西の確執をおぼろげに覚えていたのだ。

「カモ君が言うには、大丈夫だそうです。西の木乃香さんのお父さんであるサムライマスター、近衛詠春さんが抑えてくださっているからって」
「お父様……」

 木乃香は複雑な表情をした。自分の父親の本当の仕事を知り、まだ、心の整理が出来ていなかったのだ。
 ネギは前日にカモが話した事を思い出した。
『前に、ちょっとした機会がありやして、近衛詠春が上手く配下の手綱を握れる様になったと聞きやした。だから、修学旅行は大丈夫ッスよ』
 “ちょっとした機会”というのが気になったが、ネギは特に気にしなかった。

「ネギさんは、乗り物酔いはするのですか?」

 クラスメイトの少女達の中に入って談笑に興じていると、あやかがネギに尋ねた。

「あまりしません。日本に来る時に飛行機や電車に長時間乗りましたけど、体調は崩しませんでしたから」
「迷って泣きべそはかいてたけどね~」
「あ、明日菜さん!」

 意地悪を言う明日菜に、ネギが頬を膨らませると、明日菜は
「ごめんごめん」
とニハハと笑いながら頭を下げた。
 全く、謝られた気がしなかったが、ネギは溜息交じりに許すと、超と五月、古菲、葉加瀬が売っていた肉まんをお詫びにと明日菜が買い一緒に食べた。頬が落ちるほどにおいしかった。
 時間が来て、タカミチの号令に従って新幹線に乗り込むと、刹那がギリギリでやって来た。

「あ、危なかった……」

 かなり時間ギリギリに、龍宮真名と共に到着した刹那は木乃香の隣に座り、木乃香からポカリと肉まんを受け取った。

「ありがとうございます、お嬢様」

 木乃香は瞳を輝かせて喜ぶ刹那に、慈愛に満ちた笑みを浮べる。肉まんをあっと言う間に食べ終えると、ペットボトルいっぱいに入っていたポカリを一気に飲み干して、ようやく一息を入れた。

「刹那さん、どうして遅くなったの?」

 明日菜が尋ねる。

「それが、真名と一緒に特別な装備を受け取りに行っていたのですが、発注していた業者と少し口論になりまして……」
「特別な装備って?ていうか、受注した業者と口論ってどういう事?」

 明日菜が怪訝な顔をすると、刹那は律儀に答えた。

「カモさんの話では、長が配下を完全に抑え切ったとの事ですが、何しろ、関西呪術協会の呪術師や剣士は数が多く、周辺の“魔術結社(マジックキャバル)”からも干渉が無いとは言い切れませんので、念には念を……と。業者というのは、魔術製品を取り扱う専門の業者が存在するんです。私の場合は、あまり関西地区の魔術製品の業者は頼れないので、この学園の魔法使いが発注しているのと同じ、英国に拠点を持つ魔法製品の業者である“OMC”という業者です。最近、ロンドンに吸血鬼の被害が出ているらしく、エヴァンジェリンさんの事で余計な事を言われ、ついカッとなりまして…………」

 思い出したのか、刹那は傍目に分かる程イラついた顔をした。

「ロンドンで吸血鬼!?」

 ネギが眼を見開くと、刹那は頷いた。

「なんでも、かなり猟奇的な殺人を行っているそうです。ロンドンの魔法使い達が討伐に乗り出したそうなのですが、詳しい事は分からないそうでした。だから、ここに居る吸血鬼も暴れるかもしれないから監視は確りと、問題が起きたら躾をしましょう。躾道具は取り揃えております……躾だ? 巫山戯た事を……」

 目に見えて殺意を漲らせる刹那を木乃香が必死に宥めるが、刹那の怒りは分かった。

「ちょっと待ってよ! 躾って何!?」

 明日菜も眼に怒りを湛えて不満を露わにしている。

「あの業者とは、付き合い方を考えた方がいいかもしれませんね」

 刹那は眼を鋭く尖らせながら言った。

「……………………」

 ネギは黙り込んだ。エヴァンジェリンを侮辱された事に怒りを感じているが、それ以上に気に掛かる事があった。

「あの……、ロンドンでの吸血鬼騒動というのは、事実なんですか?」

 ネギが尋ねると、刹那は頷いた。

「ええ、一般人も巻き込まれているそうです。ロンドン駐留の魔法使いが動いているらしいのですが詳しい情報は入っていないようでした」
「アーニャ……」

 ネギが心配しているのは、アーニャの事だった。ロンドンといえば、アーニャの修行の地である。そこで事件が起きている。
 吸血鬼を悪とは言わない。エヴァンジェリンを知っているから。だが、もしもアーニャも、件の吸血鬼の件に関っていたらと思うと、心配で仕方がなかった。
 アーニャは炎を操る戦闘に特化した魔術師だ。自分よりも半年早く修行に旅立った彼女は、後二ヶ月程度で修行が終わる筈だ。実力を身に付けていたとしたら、実戦に投入される可能性も少なくは無い。

「アーニャ? ネギさんのご友人ですか?」

 刹那が尋ねると、ネギは頷いた。

「アーニャは、ロンドンに修行に行った……私の親友なんです。私よりも半年早く修行に旅立っているので、実戦投入される可能性も少なくなくて……」
「それは……」

 刹那は言葉を選んだ。

「恐らくは大丈夫でしょう。ロンドンは優秀な魔法使いが特に多い。さすがに、修行中の見習いまで投入させなければならない程の事態にはなりませんよ。吸血鬼は単体だそうですし、専門機関が動かなくとも、対吸血鬼用術式は魔法使いの間でも構築されていますから」
「そう……、ですよね」

 ネギは窓の外を流れる景色を見ながら呟いた。

 東京駅で一度乗り換え、アナウンスが『次の名古屋には――』と流れている頃、明日菜はタカミチと自由行動の日に一緒に回る約束を取り付ける事に成功していた。

「おめでとうございます、明日菜さん」

 明日菜の頑張りに感動しながら祝福するネギに、幸せの絶頂と言う感じに蕩け切っている明日菜はわけの分からない事を言いながら頷いた。
 ネギはその後、裕奈に誘われてカードゲームに興じた。

「“クリムゾンVS”ですか?」
「そ、最近流行してるネットワークゲームをモデルに作られたカードゲームで今社会現象にも発展してるカードゲームよ。ふふ~ん、ネギっちとやる為に、ネギっち用に初心者デッキを組んであるんだぁ。プレゼント!」
「え、いいんですか? ありがとうございます!」

 “黄昏の仲間達デッキ”というのを渡されたネギは、裕奈に教えられながら、綾瀬夕映と対戦した。隣ではまき絵と風香が後ろの亜子と史伽にそれぞれ茶々を入れられながら対戦していた。

「それ出しちゃえば?」
「黙って亜子。真剣勝負なんだから、お菓子懸けてるから言っちゃだめー!」
「お姉ちゃん、ソコにはソレ! ソレですよソレ!」
「え~~!? ココだったらコレだよ~~!!」

 賑やかな状態で、カードゲームに興じていると瞬く間に時間は過ぎていった。

「いきます、1st“微笑の洗礼”、2nd“焼き尽くす蒼炎”、3rd“なんですと!”! GENERAL“志乃恐怖”!」
「なんですそれは!?」

 盾中心の夕映のデッキは、ネギの“志乃恐怖コンボ”によって、為すすべなく撃沈された。

 京都駅に到着すると、タカミチが点呼を取っていた。

「タカミチ、どうしたの?」
「え、何がだい?」

 ネギはどこか青い顔をしているタカミチを心配して声を掛けた。

「何だか顔色が悪いよ?」

 心配そうに見つめるネギにタカミチはどこか無理のある笑みを浮べると
「大丈夫だよ」
と言って、新田と話すためにネギから離れてしまった。
 カモの姿も見当たらず、ネギは漠然とした不安を抱いた。タカミチと新田の引率で駅構内からバスターミナルに出て、バスに全員が乗り込み、カラオケやクイズ大会をしながら、最初の目的地である清水寺に向かう途中で事は起きた。
 空間が凍結したかのようだった。青白い光が一瞬煌いたと思った瞬間にバスは停止していた。運が良かったのか、車の通りが少なく、車線も多い道だった。
 ネギと木乃香、タカミチ、明日菜、刹那、真名、和美、さよ、のどか、美空、ザジ以外の全員の動きが完全に静止しているのだ。突然の事に戸惑うのどかや和美に、突然タカミチと真名、刹那が立ち上がり、一瞬でネギ、木乃香、明日菜、美空以外を眠らせた。

「私も出来れば寝ちゃいたいんですけど……」

 美空が何かを言っているが、彼女がポケットから取り出した一枚のカードによってネギ達は美空が魔法生徒である事を理解した。驚いたが何かを口にする前に事態は動いた。

「貴様……、何者だ?」

 真名が鋭い視線を送りながら、どこからか取り出した銃を添乗員のお姉さんに向けていた。

「ちょっと、龍宮さん!?」

 明日菜が眼を見張るが、タカミチが首を振った。

「違うな、操られている……」

 タカミチは警戒心を露わにしながら、どこか壊れた表情を浮べる添乗員のお姉さんに視線を向けた。
『警告だ。我々は常にお前達を狙っている。お前達は警戒を緩める事を許されない。東京には帰ろうとしない事だ。さすれば、そうだな、新幹線諸共に吹飛ばしてやろう。さて、どれほどの死体の山が出来るかな?』
 添乗員のお姉さんの口から、僅かに掠れた高い声が響き、一方的に喋ると凍結していた時間が動き出し、添乗員のお姉さんは僅かに戸惑った様子だったが、何事も無かった様にバスは清水寺に向かった。ネギと木乃香、明日菜の三人は顔を真っ青にしていたが、刹那が首を振った。

「今は、何も出来ません。警戒を緩めない様に。清水寺についたら、高畑先生と相談しましょう。ああは言いましたが、いきなり襲い掛かる事は無い筈です。私達が警戒を怠らなければですが――」

 そう言うと、刹那は僅かに窓を開き、一枚の符を放った。

「オン」

 呪文を唱えると、バスの上にちび刹那が現れ、吹飛ばされない様に頑張りながら周囲の警戒を行った。

 清水寺に到着すると、長い階段を登り見晴台で楓が弁慶の錫杖を持ち上げて観光客から脚光を浴びているのを尻目に、ネギ、明日菜、木乃香、刹那、真名、美空はタカミチの下に集まっていた。タカミチの肩から飛び出したカモがネギの肩に飛び移った。

「カモ君!」
「おや、オコジョ妖精かい?」

 真名は興味深そうに尋ねた。

「私の親友なんです」

 ネギが僅かに得意気に言うと、カモはフッと笑みを浮べた。

「それにしても驚いたわね。龍宮さんと美空が魔術サイドだったなんて」
「うぅん、私はどっちかって言えば宗教サイドなんだけどね」
「え、でも、仮契約は魔法でしょ?」

 明日菜が美空に尋ねると、美空は答えに窮した。
 実際、師匠が宗教サイドの人間であるというだけで、神に対する信仰心など欠片も持ち合わせていない自分は魔術サイドの人間とも言えるからだ。

「今は、その話は後にしよう。済まないが、事は緊急だ。カモ君、さっき話した事を」

 タカミチが明日菜と美空の話を遮ると、カモに話を促した。

「ああ、全員、よく聞いてくだせぇ。真名の姉さんも、学園に帰ったら、給金弾んで貰えるように手配しやすから……」
「ああ、さすがにこの事態では仕方ない。力は貸すさ。元々、予想出来た事だしな。装備は揃えている」

 真名の言葉に、カモは満足気に頷いた。真名の戦闘能力は刹那と同レベルかそれ以上だと聞いていた。現時点では、タカミチの次に強い。

「とりあえず、現状の把握から……。既に最悪な状況だと理解して下せぇ。後手に回っちまった。現状、何時襲撃があってもおかしくない。それと、恐らく、関西呪術協会が落ちている可能性が高いッス」
「なっ!?」
「え!?」

 木乃香と刹那は絶句した。

「言葉遊びをする気は無いッスから、聞いて下せぇ。ここは京都だ。京都の町は四方を司る精獣による結界が張られているんス。東西南北と中央に存在する神社に基点が置かれる“四神結界”ッス。南方の城南宮に“朱雀”、西方の松尾大社に“白虎”、東方の八坂神社に“蒼竜”、北方の賀茂別雷神社に“玄武”、そして、中央の平安神宮に“黄龍”の術式が基点として刻まれているんス。それを管理しているのが――」
「関西呪術協会……。だが、詠春さんがそうそう後れをとるとは考え難いが……」

 タカミチは難しい顔をして言った。

「だが、結界を管理している関西呪術協会の長が俺達を攻撃する襲撃者に気付かない筈が無い。清水寺に到着しても、関西呪術協会から何のリアクションも無いとなると、そう考えた方がいいッス。だが、だとしたら事態はいよいよ深刻ッス……」
「どういう事?」

 ネギが尋ねると、カモは顔を引き攣らせた。

「京都の町は、その町並み自体が一種の魔法陣になってるんスよ。その他にも、過去に刻まれた大魔術の魔法陣が至る所に存在する。もしも、これらの魔法陣の使用権が敵に渡っていたとしたら――」
「どうなんのよ……」

 明日菜は唾を飲み込みながら尋ねた。

「はっきり言って、勝率0%の戦いを強いられるんス。出来る事と言えば、とにかく自分の命を最優先に、逃走だけに全力を尽くす。それでも、逃げ切る事の出来る可能性は0.1%以下ッス。結界の術式も相手に奪われていた場合は、更に下がる……」
「京都の結界は、侵入する事を拒むよりも、外に逃がさない事に特化していると聞きますからね」

 刹那は苦虫を噛んだ様な顔をしながら呟いた。

「とにかく、まずは確認が先だ」
「では、私の式を飛ばしましょう」
「頼むぜ、刹那の姉さん」

 刹那は頷くと懐から呪符を取り出して呪文を唱えた。呪符が煙を出し始め、煙の中から紙の燕が飛び出した。

「あれ? ちびせつなちゃんじゃないの?」

 明日菜が首を傾げると、刹那は苦笑いを浮かべた。

「今回は偵察なので、速度重視の式にしました。ちびせつなでは時間が掛かってしまうので」
「そうなんだ」
「とりあえず、刹那の姉さんの式からの報告が来るまでは解散だな。結界を解きやスから、それぞれ待って下さい。強襲に関しては、警戒は怠らない様に、最悪、サムライマスターと渡り合えるレベルの人間だと覚悟し、敵わないと感じたら直ぐに逃げる事。これを忘れない様に」

 そう言うと、カモは何時の間にか張っていた結界を解除した。スゥーッと何かが四散する気配を感じた途端に、あやか達がネギ達に近寄って来た。
 カモはネギのリュックサックの中に忍び込んだ。ネギ達は互いにアイコンタクトを取ると、適当に友人達と談笑し始めた。その顔に浮かんだ緊張が解かれる事は無かった。

「これが噂の飛び降りるアレ!」
「誰か飛び降りれっ!」
「では、拙者が!」
「おやめなさい!」

 裕奈が見晴台に出て叫ぶと、風香が叫び、楓が飛び降りようとするのをあやかが体を張って止めた。

「ここが、清水寺の本堂。いわゆる『清水の舞台』ですね。これは本来、本尊の観音様に能や踊りを楽しんでもらうための装置であり、国宝に指定されています。有名な『清水の舞台から飛び降りたつもりで……』の言葉どおり江戸時代実際に234件もの飛び降り事件が記録されていますが、生存率は85%と意外に高く……」
「うわっ! 変な人が居るよ!?」

 夕映が自身の知識を披露すると、裕奈が割りと失礼な事を言った。

「夕映は神社仏閣仏像マニアだからねぇ。興味持った事への探究心は、図書館探検部でも随一だよ」

 ハルナがニシシと笑いながら説明すると、周囲の皆は同じ事を考えた。このくらい勉強も頑張ればいいのに、と。
 全員で集合写真を撮ると、ネギは明日菜達や裕奈、あやか、のどか達と一緒に写真を沢山撮った。どこか硬い表情のネギ達に、裕奈やハルナは怪訝な顔をした。

「どうしたの、ネギっち? 何か表情硬いよ~?」
「分かった! 修学旅行楽しみで寝れなかったんでしょ~」

 裕奈が心配そうに言うと、ハルナがニャハ~とネギの頬を突っついた。ネギは曖昧に笑みを浮べながら頷いて見せると、気を取り直した。
 危険な状況ではあっても、裕奈達は関係が無く、むしろこの状況は自分達にこそあるのだと思い出した。
 いつも自分が原因だな、と俯きそうになるのを必死に我慢して、ネギは傍目には分からない上手な作り笑いを作った。
 命を懸けてもチップとして足りない。この数ヶ月間、既に命を懸けた戦いは何度も繰り返した。迷うなんて許されない。そんな余裕があるなら、皆を守る為に全力を尽くさないといけない。心が冷えていく。責任を感じるのを後回しにする。迷いを捨てる。何度も繰り返し、殆ど間も置かずに命を狙われ。自分のせいで他人がその度に巻き込まれて、ネギはどこか壊れ始めていた。
 迷いを唯一打ち明けられる存在であるカモが最近、ネギの傍を離れがちになった事が原因だった。明日菜やエヴァンジェリンにも心の深い場所は打ち明けられない。ネギの心は追い詰められていた。徐々に……。

「どうやら、カモさんの推測は当たってしまった様ですね……」

 刹那は式を通して森の木の枝の上から関西呪術協会を眺めていた。視線の向こうでは、最低人数の見張りが居るだけで様子におかしな点は見られない。
 だからこそ、おかしい。今日は、京都に関西呪術協会の長の娘である木乃香が帰って来ているのだ。なのに、何も特別な様子が見られないのは明らかに妙だ。

「――――ッ!?」

 突然、式との繋がりが切れた。どうやら、式が破壊されたらしい。

 同時刻、関西呪術協会の森の木の枝の上にフェイトが千切れた呪符を手に取りながらエドワードに念話を送っていた。

『どうして、わざわざ異変を教えたんだい?』

 フェイトの念話を受け取ったエドワードは、関西呪術協会の大広間で横向きに寝転がっていた。フェイトが尋ねると、エドワードは満足気に笑みを浮べた。

「これで、奴等はここを俺達が拠点にしていると理解出来た筈だ。そして、力の差を見せ付けた。空間凍結とバスガイドを操っての警告だけじゃ、奴等の警戒心を最大まで上げる事は出来ないだろう?」
「態々警戒を促す為に?」
「そうだ。これで、最大まで警戒心を強めた奴等は、常に緊張状態を強いられる。小娘共の精神力で何時まで保つかな」

 ククッと笑みを浮べると、エドワードは起き上がった。

「一人、適当な術者を夜の宿に走らせるぞ。深夜に襲撃があれば、奴等は眠る事も出来なくなる筈だ。睡眠を取れない場合、人間の集中力や思考力は激減する。体力や反応速度も大幅に下がる。明日は団体行動だった筈だ。明日の夜も同様に一人送る。そして……、後日の自由行動日、攻めるぞ。分担は先に言った通りだ。だが、勝とうとするな。奴等を引き込むのだ。関西呪術協会の総本山へ」
「簡単に言うが、そう都合良く誘いに乗るかい? 敵の拠点だと教えていながら……」
「来る。そういう精神状態に陥らせるのだ。敵の全員が一箇所に集まろうとしている。そこが敵の本拠地だ。自分達も集合出来る。ここで終わりにする。そういう心理が働く筈だ。だからこそ、分散している明後日に行動を起すんだ。二日間の徹夜に、常時緊張状態を強いられれば、一刻も早い解決を望む筈だからな」
「関西呪術協会の者に深夜襲わせるのは、謎の敵ではなく、呪術協会が襲撃している可能性を示唆する訳だね。そうすれば、近衛木乃香の存在がある。近衛詠春と接触出来ればなんとかなる。そういう考えを持たせるのも狙いの一つだね」

 フェイトの言葉に、エドワードは満足気に頷いた。

「ここに誘い込む事で、呪術協会の人間を人質にし、尚且つ戦力とする事が出来る。お前や月詠、そして俺の戦力もある。これで、チェックメイトだ」

 音羽の滝でクラス全員が縁結びの水を飲もうと押し合いをして、一般の観光客の人達に迷惑を掛けた事で新田先生に怒られたネギ達一行は、そのままバスで北上して南禅寺へと向かった。

「……………………」

 ネギは無言で睨んでいた。

「えっと……、お、お久しぶりやな!」

 目の前で湯豆腐を取り皿に取って食べる寸前だった犬上小太郎は、冷や汗をダラダラと流していた。

「久しぶりだね、小太郎」

 南禅寺を見学し、昼になって高畑と新田の引率の下、ネギ達一同は南禅寺の直ぐ傍にある湯豆腐の老舗に入った。テーブルに案内されている途中、発見したのだ。湯豆腐をおいしそうに食べている犬上小太郎を――。
 ネギは、別れも告げずに一方的に去った癖に、こんな所で幸せそうな顔をして湯豆腐を食べている小太郎に無性に理不尽な怒りを感じた。スッと、列を離れて小太郎の下に行くと、他の少女達は何事かと言う調子で様子を眺めていた。
 名前を呼ぶと、不思議そうに顔を向けた小太郎は、冷たい表情で自分を見下ろしている少女の存在に驚愕のあまり口元に運んでいた湯豆腐をポロリと落としてしまった。ネギの聞いた事もない様な冷たい声の響きに、少女達は戸惑いながら、それでも好奇心に満ちた表情で眺めていた。
 新田の怒声も、色恋沙汰に敏感な少女達の前にはなすすべなく、二人の引率教師は困った顔をした。数十人の少女達が通路で固まっているのは、普通に迷惑だが、店員の女性達は咎める視線というよりも、好奇心に満ちた表情を浮べている。

「えっと、どうしてここに居る……のですか?」

 あんまりにも吃驚したので、小太郎はつい敬語になってしまい、それがネギの神経を逆撫でした。

「ど・う・し・て? 修学旅行だからだよ。それより、私、君に言いたい事があるんだぁ」

 目元がピクピクと動いている。カモはリュックサックの中で怯えていた。
 小太郎の背筋に冷たい汗が流れる。

「いや……、あの……、あの時は……」

 声が裏返ってしまった。ギロッと、ネギは小太郎を睨みつけた。

「ヒッ!?」

 小太郎は折角、ご馳走を食べに来たのに、いきなり追い詰められた状況に陥り泣きそうになった。

「あれまぁ、久しぶりやないの」

 すると、ネギの背後から何処かで聞いた事のある声が聞こえた。

「あ、貴女は!」
「お久しぶりやね。ネギ・スプリングフィールドちゃん?」

 そこに立っていたのは、天ヶ崎千草だった。

第二十一話『さよ人形』

 沢山の店舗が立ち並ぶ若者の街、そこが原宿だ。ネギはこの日、木乃香と二人っきりで買い物に来ていた。明日菜はコンクール用の絵を仕上げなければならず、刹那は剣道部に顔を出している。
 最近、二人共エヴァンジェリンのログハウスでの修行に時間を割き過ぎていて、各々の部活動に支障が出てしまったのだ。木乃香とネギが買い物に出掛けたのも、エヴァンジェリンがこの日の修行を休みにしたからだ。

「エヴァちゃん、やっぱ一緒に行けへんのかなぁ」

 人混みの多い竹下通りの脇道に一角で、木乃香は呟いた。木乃香はエヴァンジェリンが封印によって学業の一環である筈の後数日に迫る修学旅行に一緒に行けない事に不満を感じていた。それはネギも一緒で、この時ばかりは融通の効かない呪いを掛けた父親に不満を持った。

「そうは言っても、封印云々無しでもエヴァンジェリンを外に出すのは危険なんスよ?」

 ネギの背負っているリュックサックの中からカモが顔を出して肩を竦めながら言った。

「いいッスか? 姉貴も姉さんもエヴァンジェリンと親しい関係だからこそ言える事なんスよ? 例えばの話――」

 カモは手を上げた。

「刑務所から脱獄した連続殺人鬼がいきなり自分の街に現れたら……、姉貴ならどう思いやスか?」
「それは……」

 怖いと思う。だが、それを口に出すことは憚られた。木乃香も俯いた。

「恐怖を感じた人間の行動は二つ。逃げるか……、恐怖の対象を抹消するかのどっちかだ」

 カモの言葉は理解出来る。嫌な例えだが、ゴキブリや鼠が民家に出たら、悲鳴を上げるかその場で殺すかのどちらかしかない。誰も好き好んでゴキブリや鼠を放って置いたりはしないだろう。逃げた者も逃げた後に、ゴキブリや鼠を退治する為に罠を仕掛ける。
 エヴァンジェリンが麻帆良という檻から出れば、恐怖を感じた人間が襲い掛かり、逃げた者も罠を張る。その上、フィオナの様に恨みを持つ者が襲い掛かる可能性も高い。冷静に考えれば、エヴァンジェリンを外に出すのは尋常ならざる愚かな行為であると言う外無い――。
 親しいから一緒に旅行に行きたい。その願いはとても強いが、その為にエヴァンジェリンをみすみす危険な場所に連れて行くなど冗談では済まない。

「麻帆良が匿っているんだ。匿っていながら外に出したとなれば、麻帆良にも責任を問われる。最低でも、二度とエヴァンジェリンを匿う事は出来なくなるんスよ。そしたら、二度と会えなくなる可能性だってあるんス。確かに、俺ッチだって、エヴァンジェリンとはもう結構親しくなったつもりッス。ま、自惚れってのもあるかもッスけど。エヴァンジェリンの事をちゃんと考えるなら、ここは我慢するんス。まあ――」

 カモはしょんぼりしてしまった二人を元気付ける為にニッと笑みを浮べた。

「お二人がもっと修行して、誰もエヴァンジェリンの事に口出し出来ないくらい強くなったら、それから、エヴァンジェリンの汚名をそそげば、ちゃんと一緒に自由に出掛ける様になるッスよ。その為にも、魔法使いになる道を選んだなら毎日一歩一歩確実に頑張るんスよ?」

 穏やかに、諭す様に語り掛けるカモに、ネギと木乃香は決意に満ちた目で頷いた。そんな二人に満足気に笑みを浮べると、カモは前方に人影が現れたのでリュックサックの中に隠れた。
 この日の二人の格好は、木乃香は白の長袖のTシャツに黒のプルオーバーと木乃香の長く絹のようなで美しい黒髪によく似合うキュートな格好で、黒のニーソックスに黒のウエッジサンダルを履いている。
 ネギは黒のキャミソールに明るいピンク色のヘンリーパーカーを着て、紺色のぴったりしたジーンズを履いている。
 ネギが実際はどうあれ、見た目には二人は間違いなく美少女だ。金髪に肌を焼いた高校生の少年達が目を付けるのは仕方の無い事だった。

「ねぇねぇ、君達何してんの?」

 三人組の少年の一人がネギと木乃香に声を掛けた。突然見知らぬ年上の男性に声を掛けられた二人は戸惑いを隠せずに声が出せなかった。

「へぇ、珍しい色だね。うん、君の髪凄い綺麗だね、顔も凄く可愛いよ」

 少年の一人が腰を屈めながらネギの顔を真っ直ぐに見ながら言った。

「わっ! 君の髪凄いキレーッ! ねぇねぇ、君達彼氏とか居るの?」

 最後の一人がそんな事を言い出した。二人は慌てて首を振ると、少年達は微かに笑みを浮べた。

「ホントに? 意外だなぁ、ねぇねぇ、君達は何を買いに来たの?」

 少年達の言葉は、木乃香とネギから退却しようという行動を制限していた。乱暴な態度でくるならば問題では無い。ネギは杖を使わなくても、この日はスカートではないから風の強化魔法を発動して少年三人程度瞬殺出来る。だが、少年達は決して木乃香とネギに乱暴な態度はとっていない。馴れ馴れしい感じもするが、僅かに一歩引いた感じで優しく木乃香とネギを褒めながら二人の買い物の目的を聞きだすと、自分達のお薦めの店に案内した。
 実はこの日は間近に迫る明日菜の誕生日のプレゼントと修学旅行用の洋服や雑貨を買うのが目的だったのだ。さすがに、下着に関しては黙秘したが、少年達は言葉巧みに二人を洋服店に連れて行き、自分達で選んだり、木乃香とネギ自身が選んだ服を褒め称えた。
 二人の警戒心は何時の間にかすっかりと解けてしまい、少年達は二人と一緒にクレープを食べたり、最近の有名な俳優やアイドルの事を、そういう知識の乏しい二人に説明して感心させた。沢山買い物をして、少年達が遠慮する二人に構わずに袋を持つと、空が赤く染まる頃に何ともなしに少年の一人が口を開いた。

「今日は楽しかったね。二人共疲れてない?」
「少しだけ……」
「結構歩いたからなぁ。雄二さんも猛さんも、翔太さんも今日はほんまにありがとうございました」
「ありがとうございました」

 ネギと木乃香がお礼を言うと、少年達の瞳がまるで獲物を狙う猛獣の様にギラついたのを、ネギと木乃香は気が付かなかった。カモは、このまま何事もなけりゃいっか、と最初こそ警戒したが、いざとなれば一般人相手に遅れをとることはないし、ごみごみした街だから地理に明るい人間の案内は悪く無いと特にネギに注意する事は無かったが、少年達は悪意を巧みに隠して木乃香とネギを家に誘いだし、さすがに焦った。
 ネギも木乃香も人を簡単に信じ過ぎてしまう。美徳でもあるが、将来の事を考えると矯正する必要がある。本当はゆっくりと殺意や人の剥き出しの感情慣らしていくつもりだったが、さすがに男のそういう方向の“悪意”は未だ早いと思い木乃香に念話を送ろうとした。
 少なくとも、ネギは未だ十歳なのだ。年上の彼氏でも出来ない限りは未だ言うつもりは無い。というよりも言いたくない。もうかれこれネギが女体化の薬を飲み始めて早半年が経過している。少女のネギもまぁ可愛らしいが、元々少年であるネギには少年として幸せになって欲しいというのが願いだ。
 明日菜にしろ木乃香にしろ刹那にしろ、素晴らしい女性が揃っている。ここまで魅力的な少女達に囲まれ、且つ幼馴染の少女に好かれているのだ。これで男に走ったら血を吐く自信があるとカモは乾いた笑みを浮べた。
 微妙に危険な奴も居たが、奴とは二度と会うまいさ、などと馬鹿な事を考えたと頭を振り、木乃香に念話を送ろうとした時だった。

「あれぇ? ネギっちに木乃香じゃん。どったの?」

 何故か胸にどこかで見た事のある気のする人形を抱えた朝倉和美が男三人に囲まれた二人に手を振りながら口には振って居る右手で持っているチョコレートバナナのクリームたっぷりクレープのクリームが付いている。

「和美さん!」
「和美も買い物なん?」
「そだよ―。じゃーん、見てみてさよちゃん人形!」

 和美はクレープを一気に食べきると、少年達を無視して胸に抱えた言われてみれば確かにそうだと確信出来る白い髪にさよと同じ制服を着せられたさよによく似た可愛らしい人形だった。

「これがどないしたん?」

 木乃香がキョトンと首を傾げると、少年達が和美に声を掛けた。

「や、やぁ、君はこの娘達のお友達?」

 男の一人、特に背が高く、耳にシルバーのピアスを着けている雄二という男の言葉を、和美は全く耳に入れなかった。

「実はさっき――」

 自分達の話を聞かない和美の態度に少年達は焦れ始めた。
 カモは僅かに笑みを浮べた。少年達の狙いは読めている。恐らくは和美も読めているのだろう。だからこそ、少年達の化けの皮を剥がして逃走しようとしているのだろうと推測出来た。
 和美は少年達を石ころ程の感心も寄せずにネギにさよ人形を見せていた。ネギもさよ人形に興味を惹かれたらしく、眼を輝かせている。

「人の話無視するってのはどうかな」

 苛立ちが限界に達した少年の一人が、先程までとは違う低い声で言った。和美はそれを聞き流して全く反応しない。
 ネギはネギでさよ人形を渡されてさよ人形の両手を動かすのに夢中だった。

「ネギっち人形とか好き?」
「いえその……テディベアが昔あったんですが、今は失くしちゃいまして……」
「そうなんだ――」

 和美とそんな感じに会話を交わし、少年達の事をスッカリ忘れてしまっていた。木乃香もさよ人形に興味津々で少年達の事は完全に頭の中から消えていた。
 やがて、一番背の小さな少年がついにキレてしまった。

「おい、人の話聞いてんのかよ! コッチが下手に出てるからっていい加減に――」
「んじゃ、私達は帰るんで、さよならー」
「は……? え? って、おい!」

 和美は突然振り返ると少年が目を丸くしながら何かを言おうとする前にさっさと木乃香とネギの手を引っ張って歩き出した。木乃香とネギは戸惑いながらも少年達に別れを告げた。
 しばらく呆然としていた少年達は和美達が離れて行くのを見て、漸く正気を取り戻した。

「ちょっと待てよ! こっちは朝から付き合ってやってたんだぞ!?」

 一番背の小さな少年が苛立ちを篭めた声で怒鳴った。

「お前等も何か言えよ!」

 しつこく食い下がる少年が怒鳴るが、他の少年達は肩を竦めた。

「これはもう失敗だろ。諦めようぜ?」

 これ以上食い下がっても仕方ないだろ? と言外に告げる真ん中の背の少年に、食い下がる少年はムッとなった。

「うるせえな! な、木乃香ちゃん。ちょっとでいいんだよ。そだ、メルアドだけでも……」
「しつこい男ね!」

 和美の言葉に、食い下がる少年は固まった。

「後ろの二人見習いなさいよね! ガツガツし過ぎ、モテないわよ?」

 和美の言葉は少年の胸に鋭い槍となって突き刺さった。三人のメンバーの中で、何故か自分一人だけが悉くナンパに失敗するからだ。
 今日はに限っては、憐れんだ二人が一緒に三人で一緒にナンパをしてくれたのだ。和美の言葉の槍が少年のガラスのハートを易々と打ち砕いた。

「か、和美さすがに言い過ぎやと……」

 木乃香はさすがに心配になって振り向くが、少年は真っ白になって二人の友人に慰められていた。ネギは強化せずに早歩きを続けたせいか、若干息切れしていて、息を整えようと深呼吸をしていたので話を聞いていなかった為、何が起きてるのか理解出来ていなかった。
 真っ白になってしまった少年を抱えながら、二人の少年は木乃香とネギに頭を下げた。

「ごめんね、二人共すっげえ可愛いからちょっとマジになり過ぎたわ」
「えっと、ネギちゃん。も、もし良かったら俺とメールアドレスを……」
「ごめんなさい。私、今携帯電話持ってなくて……」

 頭を掻きながら木乃香に頭を下げる少年の隣でネギにメルアドを聞こうとした少年は、ネギの一言に崩れ落ちた。ネギは前に貰った携帯を貰った数時間後に壊してしまい、その後別にいいやと思い買っていなかったのだ。崩れ落ちた少年にネギが手を差し伸べると、少年は顔を綻ばせた。

「またさ、今度会えたら一緒に買い物しようぜ? あ、俺のメールアドレスと電話番号コレなんだけど、良かったら……」
「ありがとうございます。今日は本当に助かりました。猛さん、ありがとうございます」

 ネギが真ん中の背の少年、猛の渡した名刺の様な紙を受け取ると、ニッコリと笑みを浮べた。
 猛は真っ赤になりながらデレデレと笑みを浮かべ、真っ白なままの少年に肩を貸すと、木乃香に手を振る少年と一緒に去って行った。

「ネギっちやるわね。あそこまで完全に落とすとは……侮り難し」

 戦慄の表情を浮かべながら言う和美の言葉に、カモは顔を引き攣らせていた。

「明日菜へのプレゼント?」

 三人は山手線に乗って新宿に来た。本日の最大の目的である間近に迫った明日菜への誕生日プレゼントを買う為だ。
 明日菜への誕生日プレゼントは自分達だけで選びたいと思い、猛達には黙っていたのだ。和美はそれを聞くとノリノリで二人に付いてきた。今は財布の中身を確認している。

「うん、お札もあるし大丈夫」

 三人は西口から駅を出てヨドバシカメラに向かって歩いていた。

「そう言えば、このさよさん人形は一体……?」

 ネギは抱き抱えているさよ人形の事で疑問を和美に投げ掛けた。

「んっとね、さっき原宿で歩いてた時なんだけど――」

 和美はその日、さよの事で悩んでいた。折角友達になったのだから、色々な所に連れて行ってあげたいと思うのだが、さよは地縛霊であり、麻帆良を離れる事が出来ないのだ。
 間近には修学旅行が迫っているし、是非ともさよにも参加させてあげたい。そう強く思い悩んでいた。
 とにかく修学旅行の準備はしないといけないと、考え事をしたいからという事もあって一人で原宿にやって来たのだ。洋服や雑貨をあらかた揃えると、宅急便で部屋に送って貰えるようにしてからブラブラと歩いていた。
 すると、唐突に裏道を歩いている時に声を掛けられたのだ。何とも怪しい格好の男だった。
 紫の外套を頭から被り、まるで占い師か呪い師のようだった。

「君、悩んでるな?」

 ヤベェ、和美の脳裏に浮かんだ言葉はソレだった。無視して歩き去ろうとすると、一瞬で男は和美の正面に回りこんだ。

「え!?」

 目を丸くしていると、男はさよ人形をどこからか取り出した。

「私はさすらいの占い師だ。君は幽霊の友達がいるな?」

 心臓が跳ねた。何故そんな事を知っているんだ、その思いに和美は口をパクパクとさせながら麻痺した様に動けなくなった。

「何故知ってるか、占い師だからだ。それより、その娘を君は助けたいと思ってるな?」

 あまりにも怪しい男だったが、和美は無視する気になれなくなっていた。恐る恐る頷くと、男は満足気に頷いた。

「友達思いでいい娘だ。そんな君にコレをプレゼントしよう」

 少年は懐からさよに良く似た可愛い人形を取り出した。

「これは……?」

 戸惑いながら和美が聞くと、男は言った。

「君のお友達をその中に憑依させるんだ。そうすれば、色んな所に連れて行ける。優しい君とそのお友達の為にプレゼントさ」

 そう言った後に、謎の男は一枚の不思議な模様の描かれたカードを和美に渡した。

「これが君と君のお友達との絆になってくれる筈だ。それではさらば!」

「――てな具合に訳分からん内にコレを手渡されてた訳よ」

 そう言って和美はさよ人形を指差し、ポケットから男に渡されたカードを取り出した。

「一応調べたんだけどね。盗聴器とかは付いてなかったからさ。帰ったら試してみようと思ってるの。さよちゃんと修学旅行行きたいしね」

 そう語る和美を前に、木乃香とネギ、カモは息を飲んでいた。

「ネギちゃん、あのカードからなんや……変な感じがするんやけど」
「ええ、魔力を持っています。それに、さよさんの事を知っているって……、どういう事でしょう」

 ネギは和美の手にあるカードを注意深く観察した。もしも危ない術式ならば、無理矢理にでも奪わないといけない。
『あのカードは、恐らく契約のカードッスね』
『契約の……?』
 カモが念話で言った。ネギが戸惑い気に尋ねると、カモは語り始めた。
『あのカードに記された術式を見るに、“守護霊契約(ガーディアン・スピリット)”の術式が刻まれてるッスね』
『ガーディアン・スピリット?』
 木乃香が念話で尋ねた。
『簡単に言えば霊体を守護霊、つまり使い魔にする為の術式ッス。しかし、何者ッスかね。術式に変な部分も見られねぇし。成程、あれなら相坂さよを麻帆良学園から連れ出せる。それに、人型の人形ってのは昔から呪い等の身代わりに使われる程、真に迫るんスよ。でも、憑依術式の、それも“憑依兵装(オートマティスム)”を素人に使えるものか? いや、あれだけ精密な憑依術式用に設計されている人形なら……面白いな』
 後半は独り言の様にブツブツと呟きだしたカモに、木乃香とネギは顔を見合わせた。
『で、でも、危険じゃないかな? 魔法関係に和美さんが関るのは……』
『て、言いやしても……。相坂さよを滅殺する訳にも……』
『当たり前だよ!』
『当たり前や!』
『……………………』
 怒られた事にカモは微妙に理不尽だと思いながらも言葉を続けた。
『相坂さよをどうにかしない以上、この件に関してはどうなろうが同じなんスよ。まぁ、心霊魔術に関しては民間にも結構広まってるんスよ。だから、それに関しちゃそこまで問題は無いッスよ』
『え? 心霊魔術ってそんな一般的なの?』
 さすがに魔法は隠匿するモノだと教えられてきたネギは驚いた。
『丑の刻参りとかにしろ、キチンとした方式が普通にネットとか書物で流れてやスしね。ちょっとしたマニアなら結構使い方なら知ってるッスよ』
『え、それって結構不味いんやないの?』
 木乃香が恐る恐る言うと、カモは首を振った。
『全く問題無いッスよ。使い方は分かっても、気や魔力の使い方は専門的に学ばなければ修得はほぼ不可能ッス。それに、あの人形みたいに、道具も特別な製法とかが必要なんス。だから、一般人には使えないのが普通なんスよ。まぁ、何にしても相坂さよという幽霊が身近に居る以上、ある程度は許容するしか……』
 カモの言葉は諦めに近い響きがあった。相坂さよをどうにか出来ない以上、幽霊の存在を認めるレベルの神秘の露出は容認する他無い。
『てか、幽霊の席そのままにしてるくらいッスから、学園側が色々手を回してくれると思うッスよ。ま、何の力も無い人間霊を守護霊にしてるからって、そうそう問題事は起きやせんよ。元々心霊は魔法使いでも感知が難しいッスしね。憑依術式に関しちゃ……そう言わなきゃそうそう分かんねぇし、それに、一般人相手ならロボで通せばいいッスよ』
 カモの語りを聞いていると、和美が首を傾げていた。

「どうしたの二人共? いきなり黙り込んじゃって」

 木乃香とネギは慌てて誤魔化すと、ヨドバシカメラの店内に入って行った。和美はカメラを興味深そうに見ていたが、木乃香とネギはMDプレイヤーを見ていた。

「これなんか明日菜さんにピッタリじゃないですか?」

 ネギはオレンジ色の光沢のある真四角のMDプレイヤーを手に取って木乃香に見せた。シンプルなデザインで、濃いオレンジ色の線が幾つか中心よりやや上に走っている。

「ええねぇ。値段は……一万八千円」

 木乃香は自分の財布を除いて俯いてしまった。明日菜への誕生日プレゼントは自分が貯めたお小遣いを使うつもりだった。
 さすがに親友の誕生日プレゼントに祖父のブラックカードを使う気にはなれなかったのだが、さすがに値段が高過ぎた。

「べ、別のを見ましょうか……」

 ネギもさすがに値段に驚いてMDプレイヤーを元の場所に戻した。買えない事も無いが、修学旅行のお金が無くなってしまう。
 結局、その後ルミネや丸井も見て周り、木乃香とネギ、和美の三人でお金を出し合って細工の見事なオルゴールを買い求めた。蓋を開けると美しい旋律が奏でられる。前に木乃香が見ていたクラシック音楽の番組を退屈そうに
「変えていいでしょ~、アニメ観たいよ~!」
と駄々を捏ねていたが、一曲だけ興味深そうに聴いていたのがあったのだ。
 “魔王”――有名なシューベルトの作曲したその曲の詩は、詩人のゲーテの『魔王』から採られている。ハンノキの王の娘の物語であり、ハンノキとは精霊王を意味する。オーケストラの奏でる旋律は、迫力があり、どこか恐ろしげな響きがあった。
 男性の歌手の歌声に、その時の明日菜は聞入っていた。それが、渋いおじ様の歌声だったからなのかは定かでは無いが、とにかく明日菜がクラシックに興味を持つのはいい事だと木乃香は思い、ネギと和美に相談した結果これに決定したのだ。
 値段は少し張ったが、三人で出し合ったので無茶な値段では無かった。
 空が茜色に染まり、すっかり遅くなってしまって麻帆良学園に帰って来ると、木乃香が携帯電話で連絡した明日菜と刹那が迎えに来てくれた。

「もう、お腹空いたわよ!」
「お嬢様、あまり遅くなられないよう。昼間は大丈夫でしょうが、夜は麻帆良の外は危険です」

 明日菜がお腹を鳴らし、刹那がグチグチと小声を言う。寮に到着すると、和美はさっさと四人に手を振ると自室に帰ってしまった。さっそく、人形にさよを入れてみようと考えているらしい。
 木乃香とネギは既に運び込まれていた荷物の整理を二人に手伝って貰った。二人は明日買い物に行く。その間に、誕生日の準備を行う予定だ。

 翌日、夕方に帰ってきた明日菜は眼を見開いていた。豪華な食事に大きなチョコレートケーキ、それにネギと木乃香、和美の買ったプレゼントを貰った時は涙ぐんでいた。
 あやかやエヴァンジェリン、クラスの面々も入って来てはプレゼントを渡していき、部屋の中は明日菜の誕生日プレゼントで溢れてしまった。

「誕生日おめでとー、明日菜!」

 上手く人形に憑依させる事に成功させたらしい和美が人形のさよと一緒に入って来ると、人形に入ったさよは一躍人気者となった。あまりにも可愛らしく、主役の明日菜を差し置いて人気を独占し、若干拗ねてしまった明日菜に気が付いた面々は慌てて慰め、さよは明日菜に抱き抱えられ、パーティーは賑やかに楽しげに終わった。

第二十話『寂しがり屋の幽霊少女』

 1940年といえば、第二次世界大戦が激化する一方であった時代だった。当時、五摂家の当主であった“近衛文麿”は内閣総理大臣だった。この年の九月二十七日に日独伊三国同盟が締結され、正式に“日本”はこの世界を舞台にした大戦に参加したのである。
 この年、後に近衛家の当主となり、麻帆良学園の学園長となる近衛近右衛門が大切な存在を失った年でもあった。“相坂さよ”という一人の少女が居た。当時の連続殺人犯によって殺害され、現在の三年A組の教室で血塗れの状態で発見されたのだった――。 

 この学校には幽霊が居る――、そんな噂は大体の学校に存在する。学校の七不思議の一つであったり、教室の隅や、体育館の倉庫にひっそりと潜んでいたり。だけど間違いなく、麻帆良学園本校女子中等学校の3-Aの教室には幽霊が居る。誰にも気付かれる事なく、数十年もの間この地に縛られる。そんな幽霊が――。

 実力テストから数日、エヴァンジェリンは教科書としていたドミニコ会異端審問官、ヤーコプ・シュプレンゲルとハインリヒ・クラーメルの共同著書である『魔女の槌』の内容を噛み砕きながら説明していた。魔法使いの歴史を知る事は精神的な意味や教養的な意味で意義がある事だ、と考えたからだ。
 だが、書物から目を離し、肝心の生徒に目を向けると、エヴァンジェリンの視線の先にはログハウスの一室の机の上に頭を乗せてグースカピーと鼾を掻く明日菜が居た。
 ピキピキと青筋を立てるエヴァンジェリンに慌てて刹那と木乃香、ネギが明日菜を起そうとするが、幸せそうな寝顔でベタな寝言を呟いている明日菜は全く目を覚まさず、いつもの様にエヴァンジェリンの拳骨が落ちる。涙声で抗議する明日菜にエヴァンジェリンが説教をするのは最早日常となっていた。基本的にエヴァンジェリンは戦闘訓練と勉強を平日は日にちで分け、土日は午前と午後に分けていた。
 肝心の修行内容はというと、明日菜はとにかく剣術を学ぶ事だった。神鳴流他、二天一流、伊藤派一刀流、巌流などの著名な剣術家のデータを持つ茶々丸が明日菜に合った剣術を新たに選別、創作して伝授している。毎日毎日同じ動作を数千単位で繰り返させ、最後の一時間で実戦練習をさせる。日曜日の午後は完全に模擬戦オンリーだ。明日菜の身体能力は常人の範疇に無く、ネギの魔力によるバックアップがあれば茶々丸と手加減していたとはいえ真剣勝負で互角に戦えるレベルなのだ。剣術をキチンと修めれば間違いなく化けるだろうというエヴァンジェリンとカモ、双方一致の意見だった。
 刹那の修行は基本的に三つで、それを時間を三等分して行っている。一つ目の修行は飛行訓練だ。翼を使って本格的に戦う業を身に付ける。修行の方法は至って簡単で、林の中を翔け巡るのだ。徐々に速度を上げていくのだが、全速力で翔け回るにはまだまだ先になりそうだというのが刹那のこの修行に対する感想だった。二つ目の修行は七首十六串呂と夕凪による変則多刀流の修行だ。基本的に本体である小太刀のイを使う二刀流の修行をして、更にロ・ハ・ニと数を増やした場合の戦術を研究するというものだ。飛行訓練の後の休憩という感じで考える作業だった。三つ目の修行は何故か座禅だった。刹那自身何をしてるのか分からないが、エヴァンジェリンは『心を無にしろ』としか言わなかった。何の為の修行なのか聞いても『試験的なものだから確証は無い』と言って答えてくれず、何となく疑わしく感じていたが素直に従っていた。
 木乃香とネギは一緒に魔法の勉強中だ。木乃香は回復系統や結界系統などの後方支援型魔法使いを目指し、ネギは雷と風と光の攻撃魔法に加えてエヴァンジェリンの氷の魔法も教わりながら固定砲台型魔法使いを目指して勉強をしている。エヴァンジェリン直々に魔法を実演し、詠唱の意味を解説しながら二人にやらせる。

「いいかネギ・スプリングフィールド、私の後に唱えろ! サギタ・マギカ、連弾・氷の37矢!」

 エヴァンジェリンが氷の魔弾を放つのを見ると、ネギも杖を構えた。

「サギタ・マギカ、氷の37矢!」

 ネギの杖から氷の魔弾が放たれ、エヴァンジェリンの魔弾が軌跡を変えてネギの魔弾に迫る。

「『氷楯』!」

 エヴァンジェリンが障壁を張ると、ネギの魔弾を越えたエヴァンジェリンの魔弾が激突した。

「なんだそのチンケな魔法は!」

 エヴァンジェリンの言葉にネギはムッとなった。

「でも私は風の魔法が得意で氷の魔法は……」
「ばっくぁもぉ~~~~~んッ!!」

 言い訳をしようとするネギにエヴァンジェリンの雷が落ちた。心臓がバクバクし、涙目になってオロオロするネギに再び雷が落ちる。

「一々メソメソするんじゃない!!」
「ご、ごめんなさい!」
「お前の師匠は誰だ? この闇と氷の魔法を得意とするエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだな。もちろん、炎も風も貴様より使えるが」
「は、はい!」
「なのに弟子の貴様がそんなものでは師匠の私の恥じではないかーっ!」
「わ、わかりました頑張ります~~」

 ネギに魔法の練習を再開させてから、エヴァンジェリンは木乃香の方に顔を向けた。

「プラクテ ピギ・ナル 『火よ、灯れ』」

 木乃香は初心者用の玩具の様な杖を振り下ろした。杖先に小さな火が灯る。

「魔力のコントロールがかなり雑だな」

 エヴァンジェリンの言葉に木乃香がガックリと肩を落とした。

「僅かにだが魔力の流れを掴んでいるんだ。もっと、その流れを意識しながらやってみろ。今みたいに力任せじゃなくてな」

 木乃香はフィオナが襲撃して来た夜に明日菜を治癒する為に東風の檜扇に必死に魔力を流し続けた。そのおかげで、魔力の流れをなんとなくだが掴めていた。

「うん、わかったえ、エヴァちゃん」

 木乃香は素直に頷いて目を閉じながら自分の中の魔力の流れを感じる。
 エヴァンジェリンは二人に修行を続けているように言うと、刹那の下に向かった。
 刹那は座禅をしていた。心を無にする修行だ。

「巧く掴めよ桜咲刹那。一度タカミチの修行を見てやったからな。効率の良い修行方法は構築済みだ。第一段階を越せば、或いは手に入れられるかもしれん。究極技法……気と魔法の合一“咸卦法”が――」

 ニヤリと笑みを浮べると、遠くで爆音の鳴り響く明日菜と茶々丸の修行の場に目を向けた。

「後は神楽坂明日菜か。そもそも、アイツは何者なんだ? どう考えなくてもおかしい。あそこまでイレギュラーな能力を持った存在が自然発生するなど――。色々調べてみるか」

 それからしばらく経ったある日の出来事だった。
 ネギが明日菜、木乃香、刹那の三人と学校に来ると教室に入った途端にいつも通っている教室の筈なのに違和感を感じた。隣を見ると、木乃香も怪訝な顔をしている。

「どうしたの、木乃香、ネギ?」

 突然立ち止まった二人に、明日菜は首を傾げて尋ねた。刹那も眉を顰めた。

「いえ、何となく違和感があって」
「上手く言えへんねんけど……あれ?」

 ネギと木乃香の言葉に、刹那と明日菜は顔を見合わせながら首を傾げた。

「ほぅ、気が付いたか。元々、近衛木乃香はESP能力がかなり発達していたが、私の下での修行でそれが強化されたのだな。良い傾向だ。ネギ・スプリングフィールドも近衛木乃香の能力に引き摺られて強化されたんだろう。ずっと一緒に修行させて来たが、思わぬ副産物だ」

 後ろから入って来たエヴァンジェリンの言葉にネギを除く三人が首を傾げた。
『ESP……、つまり超感覚知覚は認知型の魔法能力の事なんです』
 席に向かいながら、念話でネギはESPについて三人に説明した。
 “ESP(extrasensoria perception)”は多くの魔法使いが備えている能力であり、他人の心を読んだり、特定の魔力を感知したり、観察されている事を逆に感じ取ったり、近辺の人間の気配を感じ取ったり、霊的な存在を感じ取ったり、幻術を見破ったり、術者の存在とその位置を特定したりと、実に様々な超感覚知覚の事を言うのである。
 ESPと称される認知型の魔法能力は様々な事物を生成させたり、変動させたり、消滅させたりする作用型の魔法能力に比べずっと地味だが、とても重要且つ基本的な魔法能力なのである。
『今、こうして念話をしていますけど、通常、念話はESPでしか感知出来ない霊的な媒体を相互に発し、また捉える事で成立するんです。今こうして出来ているのはパクティオーカードが本来はESPでしか感知出来ない霊的な媒体を知覚させてくれているから出来るんです』

「おい、そろそろ授業が始まるぞ」

 タカミチが入って来て、エヴァンジェリンがネギに言った。説明は粗方終わっていたので、ネギは念話を切った。明日菜はまだ上手く理解出来ないらしく、首をしきりに傾げているのが見える。
 エヴァンジェリンはネギに悪戯っぽい笑みを浮かべながら小声で囁いた。

「お前達二人が存在を感じた事で、奴の感知難易度が大幅に下がった筈だ。このクラスは素質のあるのが多いからな、面白い事になるぞ」
「え? それって、どういう……」

 ネギがエヴァンジェリンの言葉について詳しく聞こうとすると、タカミチが大きく咳払いをした。私語を慎みなさい、という無言の圧力を感じて、ネギは已む無くエヴァンジェリンに聞くのを諦めたが、エヴァンジェリンは尚も可笑しそうに笑みを浮かべていた。その笑みはどこか嬉しそうだった。
 明日菜を無視してエヴァンジェリンはさっさと机に座ってしまった。

 その日の放課後、朝倉和美は一日中付き纏った違和感が拭いきれなかった。

「何なのよ、この違和感」

 イライラと机を叩きながら髪を掻き毟り、和美は舌を打った。気になる事は追求せずに入られない性分である和美は、付き纏う違和感に苛立ちが隠せなかった。

「何なの……?」

 いつも持ち歩いている自慢のカメラを片手に、夕闇に染まる教室に和美は戻ってきていた。

「何か、何が、何処に?」

 教室中にシャッターを切る。隅々まで撮影し、眼を細めて嘗め回すように教室中を眺め回す。

「何処かに違和感がある筈。何処に――」

 次々にフィルムに部屋の様子を納めていく。
 寮に急いで帰ると、すぐさま同室の桜子に適当にただいまを言って黒いカーテンで暗室を作り、写真を現像した。和美はデジタルカメラも常に持ち歩いているが、基本的にはフィルムカメラを使っている。デジタルの写真は合成が可能であり、紛れもない真実を写せるのはフィルムカメラだけだと信じているからだ。
 慎重に液に浸し、徐々に写真の現像が完了する。現像が終了すると、和美は暗室を出て居間に戻った。

「ねぇ、どうしたの和美ぃ?」
「ちょっと待って……」

 首を傾げる桜子に頭を下げながら、和美は現像した写真を次々に確かめていく。そして――。

「これっ!」

 一枚の写真にソレは写っていた。

「って、何コレ!?」

 和美は素っ頓狂な声を発した。驚いた桜子が横から覗き込むと、あまりの衝撃に声も出せずに固まってしまった。

「し、心霊写真だ~~!!」

 そこに写っていたのは――火の玉を漂わせ、恐ろしげな表情を浮べる学生服を着た幽霊だった。

 翌日、その写真を使って和美は新聞を作り上げた。恐ろし気な写真の掲載された新聞の一面に麻帆良学園本校女子中等学校の生徒達は大はしゃぎだった。
 常に胸躍るイベントを渇望している中学生達にとって、幽霊の存在は素晴らしく魅力的な若い力の発散の矛先となった。怖がる鳴滝姉妹を柿崎美砂と椎名桜子が面白がって心霊写真を見せつけ、綾瀬夕映は黒酢トマトという怪しい飲み物飲みながら真剣な表情でマジマジと写真を見ていた。

「あれは本物だと思うのです。何と言いますか――リアリティがあるです」
「わ~ん、私幽霊とが苦手なのに~。あんなの写さないでよ和美!」

 裕奈が涙目で抗議するが、和美は瞳を輝かせながらニヤリと笑った。

「このスクープはマジ! 本気と書いてね。幽霊は居た。調べはついてるの! 出席番号1番相坂さよちゃん!!」
「相坂さん……ですか?」

 後ろに居たネギが尋ねると、和美はクルリと一回転してポケットからノートを取り出した。

「そっの通り~! 1940年に15歳の若さで死んだ女の子」
「それが、この幽霊写真なん?」

 ネギの隣の木乃香が驚いて目を見開きながら尋ねた。

「間違いないよ。調査した限り、この幽霊の目撃談は少ないけど確かにあったわ」

 そう言うと、和美はポケットから一枚の写真を取り出した。

「学年の名簿にあったのを拝借したんだけどさ。こんな娘」

 どれどれ? と明日菜達が写真を除きこむと、そこには少し青っぽい長い銀髪の穏やかな表情を浮べる可愛らしい少女の写真だった。制服が今のとは違い、少し古いデザインだった。

「わぁ、可愛い娘ねぇ」

 明日菜が言うと、あやかも横から覗き込んだ。

「あらまぁ、何て可愛らしい。先程出席番号一番と言われましたわよね、朝倉さん?」

 よくぞ聞いてくれました!と和美は大袈裟に頷いた。

「その通り! この娘の席は私達の教室に未だあるのよ!」

 教室に行くと、和美は自分の隣の席で一番前の列の一番左の行の机を指差した。

「今迄なんでか誰も触れてこなかったけど、あたしの隣が何で空席なのかって不思議に思わない?」
「そう言えば、確かにこの席って今迄触れてこなかったというか……。不思議と気にならなかったと言いますか――」
「なんでなんやろ?」

 あやかは戸惑う様に和美の隣の席を見つめながら言うと、木乃香も不思議そうな顔をしながら首を傾げた。
 その瞬間だった。突如、教室が揺れ始めたのだ。地響きが轟き、教室中の机や椅子が浮き上がり始めたのだ。空気が張り詰めた直後に弾け、少女達はパニックを起した。
 悲鳴が響き渡る。“騒がしい霊(ポルターガイスト)”の発生に、少女達は恐怖した。直前の朝倉和美の発行した相坂さよの心霊写真と、今現在進行形で発生している有名過ぎる霊障を結びつけるのは容易かった。全速力で教室から出ようとする少女達は押し合いになってしまっている。

「本当に、幽霊。アハッ、とんでもない特ダネだわ!」

 カメラを構えながら、獰猛な獣の如き鋭い目をしながら撮影していく。

「クク……、力の制御が出来ていないらしいな」

 教室の後ろの扉の僅かな隙間から中を覗き、エヴァンジェリンは愉快そうに笑みを浮べた。

「もしかしたら、こんなチャンスは二度と訪れないかもしれんぞ? 頑張れ」

 そう、呟いたエヴァンジェリンの顔はどこまでも真摯だった。ネギと刹那、木乃香、明日菜の四人は外に逃げ出そうとする少女達を掻き分けてなんとか中に残る事が出来た。暴れ狂う机と椅子の嵐は教室を破壊し続けている。
 黒板には椅子がめり込み、窓ガラスには『お友達になって下さい』という文字が何故か真っ赤なナニカで所狭しと書き込まれていた。

「ネギ、アレはやばくない?」

 あまりにも危険な香りが芳醇過ぎる教室の惨状に、明日菜は涙目で震えながら尋ねた。

「お友達――、殺して私達を幽霊にする気か!?」
「そういう意味のお友達なの!? いや~~~~!!」

 刹那の戦慄の表情を浮べての言葉に、明日菜は頭を抱えて悲鳴を上げた。さすがの明日菜もそんなお友達はお断りだ。
 朝倉和美はカメラのシャッターを切り続けていた。何度も写真を撮って画像を確認すると、徐々に和美は確信を持ち始めた。

「やっぱりこの娘――」

 そこには、泣きべそをかきながら両手を振り回したり、頭を下げたりしている相坂さよの姿が映しだされていた。

「さよちゃん!」

 和美は大きく息を吸うと、幽霊の名を叫んだ。明日菜、刹那はギョッとして和美を見た。和美はカメラのシャッターを何回か切ると、ある誰も居ない方向に緊張気味に口を開いた。

「そこに……、居るの?」

 和美の声に反応した様に、和美の視線の先の更に先のカーテンが僅かに揺れた。

「居るんだね。ねぇ、お友達が欲しいの?」

 和美の問い掛けに答えるように、真っ赤な文字が窓ガラスに浮かび上がった。
『お友達が欲しいです』
 かなり恐ろしげなオーラを放つ文字だったが、和美は特に気にする事も無かった。

「なら、私が友達にねってあげる! だから、姿を見せて!」

 和美の言葉に、それまで黙っていた明日菜達が目を剥いたが、和美は譲らなかった。

「姿を見せて、相坂さよちゃん」
「朝倉! ヤバイって、連れて行かれちゃうって!」

 明日菜がギャーギャーと騒ぐが、和美は完全に無視を決め込んだ。ショックを受ける明日菜を尻目に、和美は再び姿の見えないさよに声を掛け続けた。

「姿を見せてよ。さよちゃん!」

 ジャーナリストとしての知りたいという欲もあるが、和美が抱いているそれよりも大きな思いは別の気持ちだった。

「ずっと……隣の席だったのにね」

 知らなかった。気付いてすら居なかった。デジタルカメラの画像に視線を落とす。涙を流しながら必死に自分をアピールする少女の姿があった。
 話がしたかった。ずっと、教室で一人で誰にも気付かれずに居た少女。

「お願い、姿を見せて!」

 和美の悲痛な叫びに、木乃香はネギの耳元に囁いた。

「ネギちゃん、魔法でなんとかならへん?」

 木乃香は視線を真っ直ぐに和美の少し前の空間に向けていた。

「何とかしてあげたいです。でも、そういう魔法は詳しくなくて……」

 ネギは焦れた表情を浮かべながら言った。ネギも何とかしたかった。ネギと木乃香には見えているのだ。涙を流しながら、和美に自分の姿をアピールしている少女の姿が――。
 そこでネギはハッと思い出した。それは、魔法学校の魔法学の授業だった。大抵の生徒がぼーっとしていたり、内職をしていたり、居眠りをしているようなつまらない授業だったが、ネギはちゃんと聞いていた。
 ある日の授業の内容は精霊などの霊的存在についてだった。
 霊的存在は、その存在を人が感じればそれだけ力を増す。例えばの話、精霊にとって“名”は特別な意味を持つ。精霊は本来、この世のあらゆるモノの守護たる存在。だが、本来、姿形を持たぬ故に名も無き存在なのである。人間は姿無き精霊の存在を感じ、信じ、その想いが絆となり精霊に力を与えるのだ。名を授かるという事、それ即ち存在を認められるという事。精霊が成長する為の第一歩とされている。

「存在を人が感じる事――それが、精霊……、霊的存在と人との絆となるって聞いた事があります」
「存在を感じる……」

 呟くと、ネギと木乃香は和美の隣に立った。

「ウチも話がしたい、さよちゃん!」
「私も一緒にお話がしたいです、さよさん!」

 名前を呼ぶたび、相坂さよの姿がネギの目にハッキリとしだした。和美の眼にもおぼろげな存在を感じ取る事ができた。
 和美はニッと笑みを浮べると、さよの名前を叫んだ。その姿に、刹那と明日菜も頷き合ってさよの名前を呼んだ。

「さよちゃん!」
「さよさん!」

 中の様子を伺っていた少女達も、恐る恐る中に入って来た。勇気を振り絞り、あやかが大きく息を吸ってさよの名を呼んだ。名前を呼ぶ度にさよの姿が実体化していく、その事に気が付くと誰も彼もがさよの名前を呼んだ。
 名前は個の存在を肯定するモノだ。名前を呼ばれる、それは、存在を認められている事に他ならない。現れたのは、泣きじゃくる一人の少女だった。

「違うんです~~。ちょっと気付いてもらおうと思って頑張ったら机とか椅子が飛び上がっちゃったんです~~」

 手をブンブンと振り回しながら叫ぶさよに、教室中で息を飲む音がした。和美はニッコリと笑みを浮べた。

「ごめんね、気付くの遅くなっちゃって」
「ふえ?」

 さよが両手で眼を擦りながら顔を上げると、和美はさよの目の前で膝を折った。

「私の名前は朝倉和美。ねぇ、友達が欲しいんだよね?」

 和美が尋ねると、さよは驚いた様に眼を見開いた。

「私が見えるんですか?」
「うん!」

 和美が肯定すると、信じられないとさよは瞳を潤ませた。

「わ、わわわ私……えーと、あのっ! 他の人とお話しするの……幽霊になってから初めてで! だって今迄どんなに霊感の強い人でも私の事気が付いてくれないし、地縛霊だからここから動けないし、えっと、えっと!」
「落ち着きなって。さよちゃんがここに居るって、私は今感じてるからさ」

 カメラを下げて、和美は確りとさよの瞳を捉えた。

「さよちゃん、相坂さよちゃんはここに居る! 私の目の前にちゃんと居るって分かってるよ」

 ニッと笑みを浮べながら和美はさよに触れようと手を伸ばしたが、手はさよの体をすり抜けてしまった。

「あ……」

 手を戻して俯く和美に、さよはニッコリと笑みを浮べた。

「あの、つまり私が言いたいのは――気が付いてくれて、とっても嬉しいです!!」

 フワッとした、柔らかな優しい笑みだった。

「私もさよちゃんに会えてとっても嬉しいよ」

 ニッコリと笑みを浮べて言う和美に、さよは俯いた。

「その……ほ、本当ですか? こんなに暗くて存在感の無い私なんかに?」

 白い天冠を着けて火の玉を漂わせながら自信無さ気に涙目で尋ねるさよに和美は苦笑した。

「あはは……」
「す、すいません私なんかもう死んだ方が……」
「いや、もうさよちゃん死んでるし……。意外とテンション高いね」

 呆れた様な口調で言うが、声の調子や和美の表情は心底面白がっている様子が誰の眼にも見て取れた。落ち着いたさよと和美が話している様子を三年A組の生徒達は固唾を呑んで見守っていた。

「じゃあ、皆に気付いて欲しくて頑張ったらポルターガイストが発生しちゃったと……」
「はい……ごめんなさい」
「いやいや、さよちゃんが謝る事じゃないよ。むしろ、私は面白いモノ見せてもらえてラッキーって感じだったし」
「私、もう誰かに気付いてもらえるのなんて諦めてたんですが、最近このまま成仏しちゃったら淋しいなって考える様になったんです」
「じょ、成仏ね……」
「はい、せめてこの世の思い出……作ってから成仏したいって。昨日の夜に和美さんが写真を沢山撮ってて、今日の朝になったら私の写真が新聞に載ってたから、それで……」
「それで頑張ったらこうなったと……」

 タハハと笑いながら和美が辺りを見渡すと、壁や天井に机や椅子がめり込み、窓ガラスはほぼ全壊していた。

「あれ?、でも、生きてる時の記憶とかもあるんでしょ?」

 和美が尋ねると、さよはどよ~んとした空気を発しだした。

「それが、あまりにも長く地縛霊してるんで忘れちゃいました。何で死んだかも……」
「そうなんだ……」
「そんな私なので、この世での思い出って何も無いんです。友達作ったり、部活したり、恋をしたり……。だから楽しい思いで一杯作ってあの世に行けたらなぁって」
「さよちゃん……」

 和美はさよの言葉の節々から感じる淋しさを感じ取って胸が痛くなった。無性に抱き締めてあげたくなった。出来ない事に対する苛立ちが湧き上がる。

「友達になろうよ」
「え……?」
「私だけじゃないよ。立って、さぁ」

 触れないと分かっていながら、和美は手を差し伸べた。恐る恐る立ち上がったさよは、ニッコリと笑みを浮べるクラスメイト達に眼を見開いた。
 緊張で声が震えてしまいながら、確りと一言一言噛み締めるように口を開いた。

「わたし、みなさんと……楽しい思い出が欲しいです! 私と……と、友達になってください!!」

 さよの声が教室中に響いた。

「もちろんOKだよ」

 和美が片目を閉じながらニカッと笑みを浮べて言うと、ネギも明日菜も木乃香も刹那もあやかやのどか、夕映達、三年A組の生徒達は頷いていた。

「私達だって、友達一人でも多い方が楽しい思いで作れるとおもうしね」
「み、みなさん。ありがとうございます。ありがとうございます……和美さん」
「良かったね」

 頭を下げるさよに笑いかける。

「でも、どうしよっかこの教室の惨状……」

 誰かの呟きに、少女達は呻いた。片付けるのは並の労力では無いだろう。
 その後、教室の片付けに追われる少女達にさよが謝る姿を羨ましげに見ていたら明日菜にサボるな! と言われて箒を持たされるエヴァンジェリンの姿があった。