第五十三話「死戦」

 時刻は23時58分。間桐の屋敷の屋根の上にセイバーは一人佇んでいた。マスターたる少女の最後の命令。それを実行に移すべく、時を待っている。
 後、一分。セイバーは数刻前に感じた少女の体温を思い出し、微笑んだ。
 
「女を抱くと、思い出すな……」

 嘗て、ベオウルフという『呪われた勇者』が居た。彼はヘオロットの宮殿を夜毎に襲う|巨人《ドラゴン》、グレンデルを打ち倒すべく、巨人の住処へと足を運んだ。そこで、彼は武器を持たず、素手のみで巨人と戦った。その結果、彼は巨人の腕をもぎ取り、勝利した。
 けれど、物語はそれで終わりでは無かった。息子を傷つけられた事に激怒したグレンデルの母である魔女が巨人討伐の祝祭に湧く宮殿に乗り込み、王の親友を手に掛ける。友を喪った王は嘆き悲しみ、ベオウルフに魔女の討伐を命じた。
 ベオウルフは仲間と共に再び巨人の住処へと足を運び、そこで彼はグレンデルと再び戦う事になる。そして、彼は戦いの最中、水中へと引き摺り込まれた。
 そこは奇妙な空間だった。水中にありながら、そこだけは水が無く、代わりに一振りの剣があった。彼はその剣を握り締め、自らを連れて来た巨人の首を引き裂いた。
 今度こそ、巨人が絶命した事を確認し、地上に戻ろうとした時、彼はそこで魔女と出遭った……。
 
「美しかった……」

 それは誰にも言えない彼だけの秘密だった。
 グレンデルの母は驚く程美しく、彼は彼女の誘惑に打ち勝つ事が出来なかった。彼は魔女を抱いた。そして、彼は地上に戻ると怪物は両方始末したと嘘の報告をした。
 しかし、その報告を唯一人、虚言であると見抜いていた人物が居た。ロースガール王は彼を褒め称えながらも感じ取っていたのだ。彼が何をしたのかを……。
 だからこそ、彼は自身が生きている限り、ベオウルフがこの地に足を踏み入れる事は無いだろうと確信した。
 そして、時が流れ、ベオウルフは王となった。そして、荒れ狂うドラゴンの話を耳にする。そのドラゴンの正体を彼は直ぐに理解した。それ故に彼は一人で戦う事を望んだ。
 史書にあるベオウルフという英雄の最期は凶暴なドラゴンとの激闘の末の討ち死にである。けれど、彼にとっては少し違う。自らの過ちに対する贖罪。
 ドラゴンはグレンデルの母が産んだ、もう一人の子だった。そして、その父親は……。
 
「さあ、始めるとするか……、我が子よ」

 時刻は0時00分。七日目は終わりを告げ、八日目が始まる。それは同時に終焉の幕が開いた事を意味する。
 天上を見上げると、銀月から伸びる光が見えた。目を凝らすと、それは光で編まれた階段だった。その幻想的な光景にセイバーは微笑み、そして、周囲を取り囲む異様な集団に目を向けた。
 
「どうやら、推測は当たっていたらしいな」
 
 屋敷を取り囲むように無数の影が集まって来る。ソレはこの街の住人であった者達であり、このヴァルプルギスの夜に招かれた魑魅魍魎達である。彼らは屋敷を包囲すると、その身に光を帯びる。
 やがて、光が消え去った時、彼らの姿は一変した。
 可能性はあった。予測もしていた。けれど、セイバーは顔を強張らせた。幾ら、予想していようと、覚悟を決めていようと、この光景を前にして、眉一つ動かさぬ者がどこにいようか……。
 
「趣味が悪いな、キャスター」

 彼は呆れたように言う。彼の瞳に移るのはもう一人の自分の姿。少し、視線を動かせば、同じ光景が無数に広がっている。
 マスターとは違い、サーヴァントはループの周回毎にその都度召喚され、周回の終わりに大聖杯に回収されている。つまり、第四次聖杯戦争のサーヴァント達が夢幻召喚によって、現界していたように、ループの周回毎に死亡したサーヴァント達もまた、キャスターは夢幻召喚によって現界出来るのが道理。
 目の前に広がる光景はそんな彼らの推測を肯定していた。
 千を越えるセイバーの姿がある。
 千を越えるランサーの姿がある。
 千を越えるライダーの姿がある。
 千を越えるアサシンの姿がある。
 千を越えるバーサーカーの姿がある。
 そして、姿形はこの周回での彼と異なるが、千を越えるアーチャーの姿がある。
 彼らはこうなる事を予期していた。それ故にセイバー一人が間桐の屋敷に居残ったのだ。早計八千を越える英霊達の目を逸らす囮となる為に……。
 
「……さらばだ、ライネス」

 静かに呟き、セイバーは自らの胸に手を当てた。
 
「来い、|呪われし勇者の子《ドラゴン・オブ・ベオウルフ》よ!」

 顕現するは巨大なドラゴンはその瞳に自らの父を映す。
 そこにはドラゴンの召喚によって全ての魔力を消費し、既に現界を維持出来なくなり、光の粒子に変わりつつあるセイバーの姿。
 既に、セイバーはライネスとの契約を断っていた。ドラゴンの召喚は契約状態にあればライネスの魔力をも根こそぎ奪い、死に追いやってしまう諸刃の剣だからだ。
 一週目の世界では大聖杯を手中に収めていたキャスターの助力を得ていたが故に慎二はセイバーにドラゴンの召喚を行わせたにも関わらず、彼を現界させ続ける事が出来たが……。
 
「もって、十分か……」

 ライネスは契約を断つ間際、令呪を全て使用した。
 命令は一つ。現界を維持し続ける事。セイバーが消滅すれば、ドラゴンも消滅してしまう。それでは役目を果たす事が出来ない。それ故の策。
 
「暴れろ……」

 セイバーの呟きにドラゴンは雄叫びを上げて応えた。
 彼は思う。自らの子を殺した時の孤独感を……。
 彼がライネスの召喚に応えたのは、愛する者をその手に掛けた苦悩を癒す愛を求めたが故だった。孤独を慰める存在を彼は欲したのだ。
 結局、彼らは傷を舐めあったに過ぎない。セイバーとライネスは互いの孤独を埋め合う為に肌を重ねた。けれど、それは真の愛では無く、それ故に慰めにすらならなかった。
 けれど、絆は確かにあった。自らの罪たるドラゴンを召喚する決意を固め、囮役を買って出たのは偏に彼女の為。先にあるのが希望にしろ、絶望にしろ、彼女が歩む道筋を切り開く為、彼は自らの罪と向かい合ったのだ。
 
 第五十三話「死戦」

 深山町と新都を結ぶ冬木大橋に彼女達は息を顰めていた。とは言え、肉眼や探知魔術では彼女達の存在を確認する事は出来ない。アーチャーの持つ気配遮断の宝具、『ハデスの隠れ兜』によって、彼らは物理的にも魔術的にもその所在を隠蔽されている。
 時刻が0時を回ると同時に彼らは動いた。天を仰ぎ、向かうべき場所が新都にある事を視認すると、足早に橋を渡った。
 橋を渡る途中、深山町に巨大なドラゴンが姿を現し、街を火の海に変えた。同時に無限にも等しいサーヴァントの軍団が深山町に向かって橋を疾走していく。セイバーは見事に囮としての役割を果たしている。
 とは言え、ソレも長くは続かないだろう。セイバーが力尽きるのが先か、敵が囮作戦に気付くのが先かは分からないが、何れは追っ手がやって来る。その追っ手を可能な限り深山町に封じ込める必要がある。その場合、この橋は唯一、新都と深山町を陸路で結んでいるが故に重要なポイントになる。
 橋を通る敵の姿が減った事を確認し、ランサーとライダーが姿を現す。敵は無数に存在し、その上、一人一人がサーヴァントを夢幻召喚している。ここに残り、足止めをする事は避けようの無い死を意味する。
 けれど、二人は自らこの役割を買って出た。
 
「あばよ、バゼット」

 声どころか気配すら感じられない主に向かって、ランサーは呟くように言う。
 
「フラット。凛。クロエ」

 ライダーは渾身の笑顔を浮かべて言う。
 
「頑張ってね」

 二騎の英霊は橋の中央に向かい歩き出す。片や、ケルト神話の大英雄は己が愛槍に光の文字を刻んでいく。片や、フランスが誇る英雄は自らの腰に差した角笛を持ち上げる。
 
「ッハ、敵は八千越えだとよ」
「胸が躍るね」
「敵は全員サーヴァントだとよ」
「血が騒ぐね」
「敵側に俺が千に居て、お前が千人居るんだとよ」
「魂が熱く燃えるね」

 橋を渡り切った時点で時刻は0時五分。二人が橋の中央に辿り着いた時は0時10分。ドラゴンの姿が徐々に光の中に消えていく。
 それは同時に敵の軍団が彼らの下に殺到し始める事を意味している。
 
「ライダー。俺がこの戦いに参加した理由が何か分かるか?」
「何となく」
「言ってみな」
「戦いたいからだろう?」
「その通り! 血湧き肉躍る戦いを望み、俺はバゼットの手を取った! そして、俺はこの戦場を得た!」

 愉悦に顔を歪めるランサーにライダーは少女のような顔を綻ばせた。
 
「それは実に結構だね。楽しい事は良い事だ! 思いっきり、楽しもう!」

 ライダーは自らの|愛馬《ヒッポグリフ》に跨り、角笛を構える。戦いの始まりを高らかに告げる為に……。
 
「さあ、挑んで来たまえ! 君達の相手はケルトの大英雄、クー・フーリンとフランスの大英雄、アストルフォだ!」

 自らに大英雄などと名乗る資格が無い事は百も承知。されど、彼はそう名乗り、ランサーもまた、その事を咎めない。
 
「いくぜ、ライダー! 一匹たりとも通すなよ!」
「合点承知! それじゃあ、いっくよー!!」

 嘗て、それが発動した時はマスターである魔術師達が恐怖に竦む程度であった。しかし、それはライダーが敵を倒す意思の下に発動させたわけでは無かったからに過ぎない。
 今、ライダーは視界を覆う無数の敵を滅ぼし尽くすという意思を持っている。全ては己の主や友の為。彼らが自らの意思を貫き通せるように……。
 
「誰にも、フラット達の邪魔はさせないよ!! 『|恐慌呼び起こせし魔笛《ラ・ブラック・ルナ》』!!」

 大きく息を吸い込み、ライダーは角笛を吹いた。瞬間、角笛の先から放たれたのは龍王の咆哮・巨鳥の雄叫び・神馬の嘶きであった。もはや、それは音というよりも破壊の力そのもの。
 橋に殺到していたサーヴァント達が足を止めたのも仕方の無い事だった。音は壁となり、彼らのそれ以上の進軍を阻んだのだ。
 そして、立ち往生する彼らの前に死神は鎌を振り上げた。
 
「|突き穿つ《ゲイ》――――」

 それはランサーの必殺の構え。大きく逸らされた肉体が意味するものは槍の投擲。
 クー・フーリンという英雄が持つ、至高の宝具。その真価を最大限に発揮する構えである。

「――――|死翔の槍《ボルク》!!」
 
 真紅の極光を纏う槍が放たれる。空中で槍は無数に分裂し、豪雨の如く足踏みするサーヴァント達に降り注ぐ。
 中には防ごうとする者も居るが、理性を失い、宝具の発動すら出来ない彼らに『心臓に必中する』という呪詛が篭められた槍を防ぐ事は出来ない。
 そう、彼らは宝具を使えない。元々、彼らに理性は無く、それ故に指揮官を必要とした。だからこそ、キャスターはわざわざ脆弱な肉体を戦場に晒したのだ。理性無き彼らに宝具の発動は不可能。そんな弱点を彼らは持っていたからだ。
 もっとも、これはライネスの予測に過ぎないものだったが、どうやら彼女の考えは正しかったらしい。ランサーとライダーは心中で彼女に称賛の言葉を送った。
 ライダーの角笛で敵の足を止め、ランサーが殺す。その連携攻撃により、彼らは役目を果たす事に成功した。
 無論、いつまでも続けられる策では無いが、彼らが天へと続く階段の下に辿り着くまでの時間くらいは稼げる筈だ。
 敵はドラゴンの暴虐を受けて尚、無限。実際には数が減っている筈だろうが、視界を覆う彼らの数は到底数え切れるものではない。対して、彼らは二人っきり。一度に殺せる数も五十が精々。
 加えて、何時かは別の新都への侵入経路を発見される可能性も高い。理性が無いが故に橋という唯一の陸路を目指しているが、一人でも川を渡り切って、対岸に辿り着いてしまえば、その時点で彼らは橋での侵入を諦めるだろう。
 それに、ライダーの角笛も何時までも彼らの足を止め続ける事は出来ないだろう。つまり、これは負け戦に他ならない。いずれ、破れるのが必定の戦い。
 にも関わらず、ランサーは嗤う。彼らの侵入を防がねばと思う一方で、早く、この拮抗状態が終わる事を願う。このような一方的な虐殺が終わり、自らの命が燃え尽きるまで、殺到してくる敵と死合いたい。そう、彼は狂気にも等しい感情を高ぶらせている。
 そして、その時はついに来た。ライダーの角笛による音の壁を越え、敵がやって来る。拮抗状態の終わりを感じると同時にランサーは小石を掴み、ライダーの跨る幻馬に当てる。嘶き、飛び上がる幻馬にライダーは慌てふためくが、そんな彼にランサーは言う。
 
「ここまでだ、ライダー。お前はバゼット達の下に向かえ!」
「で、でも!」
「いいから、行け! もう、ここは俺一人で十分だ!」

 迫るは無限の敵。それにたった一人で挑むなど、無謀としか言いようが無い。
 けれど、ライダーは頷いた。ランサーの意思を尊重した。何故なら、彼の祈りは今、ここで叶おうとしているのだから……。
 
「精一杯、楽しみなよ!」
「勿論だぜ!」

 それは一見して無駄な行為にしか見えない。ランサーもライダーと共に離脱した方が作戦としては圧倒的に正しい筈。
 けれど、彼らは条理を無視して自らの意志を貫いた。そして、それは結果的に正しかった。
 上空に逃げるライダーに向かって、幾千のサーヴァント達が同時に動く。
 彼らは理性を持たない。故に、真名を解放する事が必要な宝具を発動する事は出来ない。
 しかし、宝具を発動出来ないだけで、彼らは紛れも無く英霊。特に、セイバーのサーヴァントとして召喚された者達は類稀な筋力を持っている。その力をもって、彼らは剣を投げるべく、体を引き絞る。
 もし、ランサーもライダーと共に逃げていた場合、彼らは無数に降り注ぐ剣群を前に圧殺されていた事だろう。しかし――――、
 
「余所見してんじゃねーよ」

 彼方を飛ぶライダーから彼らの意識は身近に迫る圧倒的殺意によってシフトさせられた。理性が無いが故に、より脅威となる存在に彼らは意識を傾ける。

「さあ、行くぜ!」

 ランサーは吼え、走る。自らの死を確信しながらも、狂気的な笑みを浮べ、その槍を振り上げた。

第五十二話「正体」

「……貴女は誰ですか?」

 ルーラーは鏡に向かい合い問う。その先に見ているのは鏡に映る自分の中に居るパートナー。
 
『私が誰か……、ですか。随分と今更な問い掛けですね』

 自らの内から響く声にルーラーは苦笑する。確かに、今更過ぎる質問だ。けれど、問わずには居られない。彼女の存在があまりにも不可解だからだ。
 カレン・オルテンシア。嘗て、この冬木に居を構えていた神父、言峰綺礼の実子であり、自らに宿る異能、被虐霊媒体質を使い聖堂教会の為に尽くす信心深いシスター。
 彼女はルーラーが憑依した時、冬木市に居なかった。そもそも、彼女は私が憑依した事で、前任者と入れ替わる形で聖杯戦争の監督役となり、生まれて初めてこの街に足を踏み入れたのだ。
 ならば、彼女が一週目の世界で聖杯戦争に巻き込まれ、命を落とすという事態は発生しない筈。ならば、ここに居る彼女は何者なのか? 最も可能性が高いのはヴァルプルギスの夜が招いた魑魅魍魎の一匹が擬態しているというもの。
 だけど……、
 
「仮に貴女がヴァルプルギスの夜に招かれた魑魅魍魎が化けている存在なら、私には分かる。いえ、そもそも、私の憑依対象にはならない筈……」
『私が何者なのか、もう、貴女は分かっている筈』
「……既にヒントは提示されていると?」
『ええ、答えに至る標は既に貴女の中にあります』

 ルーラーは瞼を閉じた。彼女の正体に至る標を見つけ出す為に記憶を検索する。彼女との出会いから今に至るまでの全記憶を検証し、彼女は一つの結論を出す。

「……降参です」
『あらあら、分かりませんか?』

 失望したような声にルーラーは肩を落とした。
 
『仕方ありませんね……』

 少し不満そうな声にルーラーは縮こまった。すると、クスリと内なる声が微笑んだ。ルーラーは困惑した表情で自らの胸元に視線を落とした。
 
『冗談です』
 
 実に愉しそうに内なる声は言った。
 
『貴女の反応があまりにも可愛いので、ついついからかってしまいました』
「せ、性格が悪いですよ……」
『ごめんなさい、ルーラー。何だかんだで、もう24年と少しですから』
「24年……?」
『私がここで、この姿で過ごした時間ですよ』
「なっ!?」

 ルーラーは言葉を失った。
 
『この世界はこの周回で1298回目になるんです。その間、私は最初にイリヤとキャスターに頼まれた通り、本来の私とは全く異なる存在に姿を変え、その人として生きて来ました』
「貴女は……、一体!?」

 ルーラーの問いに内なる声は静かに答えた。
 
『言峰士郎。それが私の名前です』

 第五十二話「正体」

「こ、言峰士郎ですって!?」

 ルーラーは内なる声によって明かされた真実に驚愕の表情を浮かべた。そんな彼女に対して、士郎は平然と言葉を続ける。
 
『別に不思議な事では無いでしょう? むしろ、私以外に貴女が憑依する上で都合の良い人間は他に居ませんし、カレン・オルテンシアとの関係性もこの世界に招かれた人々の中で一番深いのは間違いなく私です』
「し、しかし……」
『まあ、落ち着いて下さい。……と言っても、私の事を御疑いになる気持ちも分かります』
「い、いえ、私は――――」

 慌てふためくルーラーに対して、士郎は穏やかな口調で言った。
 
『正直、私自身、少し驚いているんです』
「どういう事ですか?」
『私の性質はクロエが語った通りです。だから、どうしても誰かに祈られたら、それを叶えずにはいられない。それが、どんなに破滅的な願いであろうと……。けれど、この性分は一生治らないだろうと思っていました』
「……シロウ?」

 士郎の声は震えていた。

『24年です……。その間、私はずっとカレン・オルテンシアとして、彼女達の戦いを見続けて来ました。ずっと、何もせずに……』

 まるで、道に迷った幼子のように声を震わす士郎にルーラーは胸を痛めた。
 
「シロウ。貴女は……」
『強い祈りを抱き、必死に戦う彼女達の姿から、いつの頃からか目を離せなくなっていました……』

 それはまるで懺悔をする咎人のようだった。
 
『ずっと、見て来ました。全ての真実を識っていながら、ただずっと、傍観者に徹していました』
「貴女はその事を悔いているのですね?」

 ルーラーの言葉に士郎は「分からない」と応えた。

『ただ、繰り返し死に行く彼女達を見続けている内に私は自分が分からなくなりました。でも、どうしても彼女達を救う選択が出来なかった。そもそも、そんな力が私には無かったし、イリヤとキャスターの祈りを反故する事も出来ませんでしたから……』

 頬を涙が伝う。けれど、ソレはルーラー自身が零したものでは無かった。
 士郎が泣いている。言峰綺礼によって、聖杯の欠片を埋め込まれ、全てを失った筈の空白の少年が涙を零している。
 
『時間というのは人を少しずつ変えるようですね。二十四年の歳月をカレン・オルテンシアとして過ごし、彼女達の死を見続ける内、私はじっくりと自分の在り方を見つめ直す事が出来ました。自分が如何に罪深い人間なのかを理解しました……。だから、毎日祈りました』

 士郎の嘆きをルーラーは黙って聞き続けた。
 
『矮小な身で誰も彼もを救いたいと願った度し難い愚か者である私を罰して欲しかった。彼女達を救って欲しかった……。だから、貴女が私に憑依した時、心から嬉しかった。神が私の声を聞き届けて下さったのだと……』

 ルーラーは漸く理解した。士郎は人並み外れて信仰心の厚い人物だった。その理由を理解出来た。
 それしか方法が見つからなかったのだ。神に縋る事しか出来なかったのだ。だから、彼女は神に祈り続けた。
 
『私は英霊を憑依させる上でとても都合の良い存在でした』

 士郎は語る。
 
『まず、何よりルーラーというクラスの性質上、信仰心の高い人間が寄り代に選ばれ易い。それに、私はイリヤやクロエと同様に夢幻召喚を使えるのです』
「夢幻召喚を!?」
『驚く事では無いでしょう。義父が私に埋め込んだ聖杯の欠片を通し、私はユスティーツァと繋がっている。故に、イリヤとも繋がりがあるのです。それに、イリヤ同様、私も聖杯を起源とするので、既存の魔術を過程を無視して再現する事が出来ます。故に、イリヤに出来る事ならば、私にも出来るのです。加えて、私は固有結界によって、肉体を変化させる事が出来る。つまり、イリヤ以上に夢幻召喚したサーヴァントの力を万全な状態で発揮させる事が出来るわけです』

 漸く分かった。士郎が如何にルーラーの寄り代に相応しいか……、では無い。
 最初に寄り代とする人間を検索した時、三件がヒットした。そして、その内の一件にイレギュラーがあり、残った二件の内、より信仰心の高い人間が選ばれた。
 その三件とは、士郎とクロエ、そして、イリヤだったのだ。彼女達は皆、夢幻召喚を行える。それはつまり、彼女達がルーラーのクラスを召喚する上で最適な存在だったという事。イレギュラーは恐らく、イリヤ。彼女は黒幕であり、今は既に常時キャスターのサーヴァントを夢幻召喚している状態にある。故にクロエと士郎のどちらかから選ぶしかなかった。
 そして、二人の内、信仰心がある人間は士郎の方。だからこそ、ルーラーは彼女の下に現れた。

「シロウは……、どうしたいのですか?」

 ルーラーは問う。
 
『……私は』

 心の中で士郎は大きく息を吸い込んだ。気配が変わる。彼女は覚悟したのだ。これから、自らにとって大きなモノを壊す覚悟を……。
 ルーラーはただ、黙って彼女の答えを待つ。
 
『彼女達を救いたい……。あまねく全てをでは無く、彼女達を救いたいのです』

 それは自らの在り方の否定。あまねく全てを救いたいと願った筈なのに、今の彼女は救うべき対象に優先順位を設けている。その事がどれほどの苦痛を彼女自身に与えているのか、ルーラーには分からなかった。
 けれど、彼女の慟哭を聞き届ける事は出来る。
 
「貴女の願い……、聞き届けました」

 体に光が満ちる。自らの正体を知ったルーラーはもはや、サーヴァントという殻を必要としない。既に、この世界に入り込めた時点でルーラーというクラスは用済みだ。

「……ルーラー?」
「シロウ。いえ、今生のマスターよ」

 ルーラーは士郎の体を離れ、一個の英霊として、彼女に手を差し出した。
 
「貴女の願いは私の願いだ。私も彼女達を救いたい。だから、私は抑止力としてでは無く、貴女のサーヴァントとして、戦いたい」
「ルーラー……」

 士郎は儚げに微笑みながら、彼女の手を取った。
 
「ありがとう、ルーラー」
「共に彼女達を救いましょう」
「……はい」

 出会ってから初めて、直に顔を合わせた二人。互いに微笑み合いながら、その時を待つ。戦いの始まりまで、後二時間……。
 
 間桐慎二は自らを目覚めさせた存在に目を丸くしていた。
 
「ライダー?」
「ふふふ。おやよう、寝坊助さん」

 彼の手には一冊の本。ありとあらゆる魔術を打ち破る英雄・アストルフォの宝具である。彼はこの本を使い、彼を眠りから覚ましたのだ。
 
「僕に何か用かい?」
「……ちょっと、心配でさ」
「心配?」

 慎二は目をパチクリさせた。彼にとって、ライダーはそれほど親しい間柄の人間では無い。そもそも、一週目を含めて、まともに会話をするのはこれが始めてだ。そんな彼がどうして自分を心配するのか、慎二にはサッパリ理解出来なかった。
 
「ほら、さっき吐いちゃってたじゃん? やっぱり、人を食べちゃったって、結構トラウマになってる?」
「……人の傷口を抉りに来たのか?」

 ゲンナリした表情を浮かべる慎二にライダーは「まさか」と応えた。
 
「君は今、何者だい?」

 その質問に慎二は目を見開いた。
 そして……、クスリと微笑んだ。
 
「聊か……、予想外だったな」

 髪をかき上げ、慎二は言った。
 
「気付くとしたら、凛だと思っていたのだがな」

 口調が変化し、気配までも一変させる彼にライダーは軽薄な笑みを浮べて言った。
 
「生憎、今の僕はいつもと違うよ。知らないかな? 僕の伝承を……」

 ライダーは一本の小瓶を手に言った。
 
「理性か……」
「そうさ。これが僕のとっておき。これを飲むと、僕は蒸発した理性を一時的に取り戻せる。だから、今の僕に虚言は通用しない」

 ライダーの鋭い眼光を向けられて尚、慎二は笑みを崩さない。
 
「わざわざ、私の為にとっておきを使ってくれるとは、光栄の至りだ」

 慎二はそう言いながら立ち上がる。
 
「では、その事に敬意を示し、名乗らせて頂こう」

 男は言った。
 
「間桐臓硯。それが私の名だよ、ライダー」

 男の言葉にライダーは眉一つ動かさなかった。
 
「そして、同時に間桐慎二でもある」

 男は問う。
 
「どうして、私の事に気がついたのかね?」

 ライダーは答える。
 
「まず、気になったのは一週目における間桐臓硯の動向だよ。彼は聖杯に対して、並々ならぬ執着心を持っていたらしい。そんな彼が己のサーヴァントに裏切られたからと言って、アッサリと退場するとは思えない」

 それに、とライダーは続ける。
 
「一週目のアサシン、ラシード・ウッディーン・スィナーンは決して軽率な男では無かった筈だよ。何せ、彼は指導者としても一角の人物だったらしいからね」

 ライダーは鋭い眼差しを男に向けながら言う。
 
「そんな彼が自らの主を裏切る時に生半可な真似をするとは思えない。特に相手が狡猾で油断なら無い男であるなら尚更だ」

 ライダーは言う。
 
「だから、僕はこう思ったんだ。スィナーンは臓硯の殺害をキャスターに依頼したのではないか……、とね」
「ほう……」

 男は興味深げに笑みを浮かべた。
 
「だが、キャスターがそう都合良くアサシンの頼みを聞き入れ、同盟相手であるマスターを殺害するかな?」
「キャスターとアサシンが共謀していたとクロエちゃんは言っていた。けれど、そうだとすると、どうしても無視出来ない疑問点が湧く」
「疑問点?」
「そうさ。普通、魔術師が同盟相手に自らを遥かに上回る力量を持つ魔術師のサーヴァントを選ぶ事はあり得ない。何せ、キャスターには策謀に優れた英霊が選らばれる。いつ、自らが裏切られるか分からないからね」
「なるほど、正論だな」
「加えて、キャスターのマスターは他者と同盟を組むタイプでは無かったらしい。とすると、キャスターとアサシンの同盟はマスター同士が締結したものでは無く、サーヴァント同士が勝手に結んだものではないか? と思うわけだよ」

 男は何も言わず、笑みを深めた。
 
「だから、キャスターはアサシンの願いを聞き入れた。より厄介なマスターを排除し、代わりに御し易そうな未熟な魔術師を彼のマスターに据える事はキャスターにとっても利になるからね」
「それで?」
「間桐臓硯は完全に死亡している。そう考えると、奇妙なのはクロエちゃんの発言だ。彼女は彼の生死を不明と称した。つまり、これはイリヤちゃんが知り得ない情報だったわけだ」

 ライダーは疑問を提示した。
 
「何故、イリヤちゃんはその事を知らなかったのか? それはキャスターが黙っていたからだ。ならば、何故、彼は黙っていたのか? その答えは――――」

 ライダーは人差し指を男に突きつけた。
 
「間桐臓硯がキャスターに対して、何らかの取引を持ちかけたか、あるいは……、彼に何かを祈ったかだ」

 その言葉に男は突如哄笑し始めた。
 目を丸くするライダーに男は満面の笑みを浮かべて言う。
 
「素晴らしい! 大正解だ、ライダー! 理性を取り戻したアストルフォはとても聡明だったそうだが、伝承の通りだな」
「お褒めに預かり光栄だよ」

 ライダーが微笑むと男は言った。
 
「そう、私はアサシンに裏切られ、キャスターに殺された。だが、私は死の間際に彼に願ったのだ。『まだ、死にたくない。若かりし頃に戻り、永遠を生きたい』とな。すると、気がついたらこうなっていた。いや、記憶を取り戻した時は実に驚いたよ。自分にこんなにも奇妙な現象が起きている事にね」

 男の言葉にライダーは「だろうね」と言った。
 
「ちなみに、君の事について考える切欠になったのは他にもあるんだ」
「聞かせてくれるかい?」
「勿論だよ。何より気になったのは君がアサシンを召喚出来た事さ」

 ライダーの言葉に男は首を傾げた。
 
「それは、慎二がライネスの肉を喰らったからだろう?」
「違うよ。ライネスも言ってたじゃない、『不可解だ』って」
「どういう意味かな?」

 男は面白がるように問い掛ける。
 
「だって、自己改造っていうスキルは別に魂を書き換えるスキルじゃない。自らの肉体を改造するスキルだ。それに、魔術回路も魂では無く、肉体に根付くものだ。なら、死後の魂を元に生成されたコピーに後付けされたライネスの魔術回路が付属する筈が無い。なら、彼がサーヴァントを召喚出来た理由は他にあるんじゃないか? そう考えたんだよ」
「まったく、大したものだ。またもや、大正解だ。まあ、私の魔術回路も既にボロボロだった。故に魔術行使の際は蟲を回路の代用として使って来た。召喚する度に倒れたのも私の朽ちた回路には荷が重かったからだ」

 惜しみない称賛を送り拍手する男にライダーは問い掛けた。
 
「それで、君はどうするつもりなんだい?」
「どうするとは?」
「慎二として、凛ちゃんを助けるのかい? それとも、臓硯として、自らの望みを叶えるのかな?」

 ライダーの問いに男は答えた。
 
「慎二として凛を助ける。そして、臓硯として、自らの過ちを正す為に戦う」

 その返答にライダーは初めて動揺した。
 そんな彼の様子に男は嬉しそうに微笑む。
 
「睨む君も実に美しかったが、そうした顔も実に愛らしい。男とは思えない程だ」

 そんな軽口を叩きながら、男は言った。
 
「私も昔から邪悪だったわけでは無いのだよ」

 男は言う。
 
「最初は違ったんだ。私はただ……、ユスティーツァと共に……。いや、これは言い訳だな。慎二と魂を同化させた事で臓硯の魂に何らかの影響があったのだろう。とにかく、今の私にとって、この数百年は誤りでしかなかった。こうなる前に死ぬべきだった……。だが、外法に手を染め、生き延びてしまった。その結果、多くの運命を捻じ曲げてしまった。死をもってすら、贖い切れぬ罪だ。だが、せめて私が不幸にしてしまった凛の手助けをしようと思う。その為に、私は私の持つ全てを慎二に委ねる」

 男は――――、臓硯は微笑んだ。
 
「感謝するよ、ライダー。最後にこうして|私《・》の思いを聞いてくれて、本当に感謝している」

 そう言い遺し、彼は瞼を閉ざした。そして、再び開いた時、彼は言った。
 
「胸糞悪いな……」

 そんな彼にライダーは言った。
 
「好きな女の子を守る為なら、少しは我慢しなきゃだよ、慎二」
「……だな。使えるモノは何だって使ってやるさ。それで、少しでも凛の助けになるというなら……」
「その意気さ」

 慎二は自らに同化していた臓硯の魂が消え去るのを感じた。否、自らの中に溶けて行くのを感じた。
 彼が本当に望んでいた祈りを知り、その為に彼が追い求めた悲願を知り、彼の持つあらゆる知識と術を知った。
 少年に苦悩している暇は与えられない。戦うべき時は直ぐそこに……。
 日付が変わるまで、残り一時間――――。

第五十一話「最後の夜」

「まず、この世界の住人達についてだ」

 ライネスが言った。
 
「この世界の住人は一体何者なんだ? まさか、この世界を創る為に冬木市の人間を皆殺しにしたわけではあるまい?」

 そんなゾッとするような事を口にするライネスに対し、クロエは首を横に振った。
 
「勿論、違うわ。この世界の住人達はほぼ、ヴァルプルギスの夜によって招かれた魑魅魍魎達が擬態しているの」
「ほぼ、と言うのは?」
「少なからず、本物が紛れ込んでいるという意味」

 衝撃が奔った。本物が紛れ込んでいる。その言葉が意味するのは……。
 
「言ったでしょ? イリヤは聖杯戦争における犠牲者の存在を無かった事にしたかった。だから、一週目の聖杯戦争で犠牲になった人達をもヴァルプルギスの夜に取り込んだのよ」
「つまり……、それって!」

 驚きに目を瞠る私達に対して、クロエは言った。

「凛、貴女も本物と何人か出会っているわ」

 戦慄が走る。私がマスター以外で接触した人間はかなり限られている。浮ぶのは武家屋敷で共に同じ時間を共有した人々。
 
「キャスターは柳洞寺を拠点にしていた。そして、キャスターはアサシンと……、つまり、間桐臓硯と手を組んでいた。更に、間桐臓硯はアーチャーによって、手駒たる蟲の大部分を滅せられていた。これらが意味する事が何か、分かるわね?」

 分かる。分かってしまう。

「藤村大河。柳洞一成。付け加えるなら、藤村大河の婚約者たる柳洞零観をはじめとした柳洞寺に住まう人々。彼らは皆、死んでいるわ。理由は……、言わなくても分かるでしょ?」
「……喰ったのね? あの妖怪が……」

 間桐臓硯。奴が自らの蟲を作成する為に柳洞寺の人々を生贄にしたのだろう。キャスターと手を組んだ臓硯は柳洞寺の人々を生贄にしたに違いない。
 結婚を間近に控えていた藤村大河の事も……。
 
「……ねえ、一つ質問してもいいかしら?」

 私は努めて冷静な口調で問い掛けた。
 
「何かしら?」
「一週目の世界で間桐臓硯はどうなったの?」

 私は臓硯がとっくに死んでいるものと思っていた。アサシンのマスターも慎二だという事で理解していた。けれど、クロエの言葉で認識に誤りがある事が分かった。
 臓硯は生き抜いていた。しかも、柳洞寺の人々を生贄にする事で力を取り戻していた可能性が高い。
 
「彼はアサシンに見限られたわ」
「みたいね。でも、アサシンでは臓硯を殺し切る事は出来なかった筈よね?」

 一週目のアサシンのサーヴァント、ラシード・ウッディーン・スィナーンは群体を一掃するような術を持っていなかった筈。なら、彼が例え、臓硯を見限り、造反したとしても、臓硯を殺し切る事は出来なかった筈。
 臓硯の肉体を構築しているのは無数の蟲であり、一匹でも逃がせば、臓硯は何度でも甦る。
 
「……正直言うと、分からないのよ」
「分からない?」
「生き延びている可能性は高いわ。けど、分かるのはそれだけよ。この世界に取り込まれた可能性は無いと思う」

 忌々しい。私達が死んでいるのに、あの妖怪だけが生きている。その事実に怒りが湧く。けれど、どうにもならない。
 私は死者で、奴は生者だから……。
 
「……酷い話だわ」

 零すように呟くと、ライネスが肩を竦めた。
 
「それが人生というものだ。それより、住人達の事は分かったが、まだ分からない事が幾つもある」
「何でも聞いて」

 クロエの返答にライネスは問いを投げ掛けた。
 
「まず、この世界はどうやってループしているのか? どんな条件でループするのか? それに、何より――――」

 ライネスは問う。
 
「周回毎に私達は幾度か死を経験した筈。それに、周回毎に記憶をリセットされているようだが……、そんな風に何度も魂の情報を改窮されて、何故、私達の魂は損壊しないんだ? いや、それとも、損壊しているのか? その事を聞きたい」

 思わず感心してしまった。ライネスはどこまでも冷静だ。こんな異常事態に対しても冷静に疑問点を挙げ、謎を解明しようとしている。
 
「一つずつ説明するわ」

 クロエが言った。
 
「まず、この世界のループに関して。このシステムを構築したのはイリヤよ。と言っても、彼女は夢幻召喚したモルガンの知識を利用しただけだけどね」
「魔女・モルガンか……」
「彼女は嘗て、騎士王に仕えていた魔術師・マーリンに師事していた事がある。そのマーリンは時を操る事が出来たのよ。だからこそ、モルガンは十年前、アーサー王と衛宮士郎を再会させる事が出来た。二人は平行世界という壁の他に永い時の隔たりという壁があったけれど、モルガンは平行世界の壁を壊し、マーリンハ永い時の隔たりという壁を壊した。モルガンはそんな彼の術を学んでいた。彼ほどでは無いにしても、ある程度、時間を操る術を心得ていたのよ」

 加えて、とクロエは言った。

「ヴァルプルギスの夜は通常の魔術師の固有結界とは違う。悪魔の異界常識によって成り立つ世界だから」
「……魔女・モルガンの知恵と悪魔の異界常識が組み合わさった結果、構築されたシステムというわけか」
「そんなとこ。正直、どうやって作り上げたのか、詳しい事は説明出来ないわ。あまりにも人智を越え過ぎているもの……」

 ライネスもとくにそれ以上の説明を求めてはいないらしく、アッサリと頷いた。
 
「次に、ループの条件だけど、簡単よ。この世界の住人が全滅する事。それが条件よ」
「ぜ、全滅!?」

 あまりの衝撃に思わず立ち上がる私に対して、イリヤは言った。
 
「例えば、聖杯戦争中に私達が全滅した場合、その時点で時間が最初に巻き戻る。もし、七日目を越えて私達の誰かが生き残っていた場合はキャスターが『ある方法』を使い、皆殺しにする。すると、条件が満たされ、ループシステムが起動し、全てが最初に巻き戻る」
「ある方法って……?」
「それについては最後に話すわ。全ての疑問が解決した後で」
「もったいぶるのね……」
「それなりに聞く方に覚悟が必要な事だからね」

 私が不服に感じていると、ライネスがハッとした表情を浮かべた。
 
「そうか……。前周回でアーチャーが何をしたのか、分かった気がする」
「え!?」

 私とルーラーの声が重なった。
 
「何故、凛とルーラーが記憶を持ち越す事が出来たのか――――」
「ほ、本当に分かったの!?」

 私が問うと、ライネスは頷いた。
 
「恐らくだが、アーチャーはお前達の死を偽装したのではないか?」
「偽装……?」

 首を傾げる私とルーラーにライネスは解説した。
 
「つまり、アーチャーはこの世界のループシステムに関してすら見抜いていたのだろう。そして、乖離剣によって世界を一度滅ぼした。全滅によるシステムの起動を狙ったのだろう。そして、その時に凛とルーラーの死を偽装する為に前もって、凛に宝具を渡していた。恐らく、死を偽装する類のものだろう」

 ライネスは語る。
 
「乖離剣によって、世界は滅びた。だが、凛とルーラーだけは違った。滅びずに、ただ、アーチャーの宝具によって、死を偽装された。故に――――」
「記憶が持ち越された……?」

 ルーラーは慄くように呟いた。
 
「だから、あの時、啓示はアーチャーの行動を止めず、凛さんを守るようにと……」

 ルーラーはぶつぶつと独り言を呟きながら俯いた。
 
「……見えてきたぞ。最後の真実が!」

 ライネスはクロエを見た。
 
「この解が正答や否や、答えろ、クロエ」

 ライネスの言葉にクロエは頷いた。
 
「恐らく、貴女は既に答えに辿り着いている。何故、住人が一度滅ぶ必要があるのか? その理由は簡単よ」

 クロエは言う。
 
「用済みだから」

 その言葉に私は言葉を失った。
 
「よ、用済みって?」
「私達は一人残らず、本物であって、本物では無い。分かり易く例えると、英霊とサーヴァントの関係に近いわ」

 クロエの言葉にライネスは納得気に頷いた。
 
「つまり、私達の魂の本体は別の所にあり、時間がループする度に本体から複製された私達がこの世界に召喚されるというわけだな?」
「御名答」

 クロエとライネスの会話についていこうと私は必死だった。
 
「だからこそ、アーチャーはそこに活路を見出したのよ。本来、全滅する事でしか起動しないループシステム。その発動時に本来、滅びている筈の凛とルーラーが生き残っていた場合、この世界に召喚される新たな複製の代わりに割り込み召喚をする事が出来るのではないか、と」

 驚きのあまり、頭が真っ白になった。

「まさか、そこまで考えて……」
「さすがは人類最古の英雄王。恐らく、こんな真似、他の誰にも出来なかった筈よ」

 クロエの言葉に私は改めて、己の相棒が如何に凄まじい英霊なのかを理解した。
 
「それにしても、まさか、記憶をリセットするんじゃなくて、存在そのものをリセットするとはな」

 ライネスは額に手を当てながら唸るように言った。
 
「だが、おかげで躊躇いは無くなった」

 ライネスは言った。
 
「疑問は大方晴れた。ここからは、今後、どう行動するかを詰めていこう」
「その前に一つ聞きたい」

 口を挟んだのはアーチャーだった。
 
「何かしら?」
「凛達の魂の本体はどこに保存されているんだ? 恐らく、ヴァルプルギスの夜の内側のどこかにある筈だろう?」
「さすがね。その通りよ、アーチャー。凛を含め、全員の魂の本体は――――」

 イリヤは真っ直ぐに天井を指差した。
 
「月にあるわ。天に座す、内と外を結ぶ境界――――、『天の逆月』に」
「なるほど……」

 それっきり、アーチャーは黙ってしまった。彼が何を考えているのかサッパリ分からない。
 
「クロエ。イリヤスフィールの居場所は分かっているのか?」

 ライネスの問いにクロエが頷く。
 
「同じ場所よ」
「……まさか」

 私達は無意識に天井を見た。そして、その先にあるであろう、銀月を幻視した。
 
「月。そこにイリヤとキャスターは居る」

 参った。どうやら、一筋縄ではいかない展開らしい。
 
「月面って……」

 呟いたのはライダー。
 
「ボクは行った事あるけど、あの時は馬車を借りてたからだし……」
「案ずるな。乗り物は我が用意する」
「オオ、それなら安心!」
「それには及ばないわ」

 楽観的な態度を取るライダーにクロエが口を挟んだ。

「どういう事?」

 ライダーが問う。
 
「『天の逆月』への路は七日目が終わると同時に冬木のどこかに現れる。全てをリセットすると同時にその周回で大聖杯に溜まった魔力を回収する為に――――」

 クロエは言う。
 
「むしろ、その時以外は路が開いていない。例え、月面に降り立ったとしても、天の逆月には至れない」
「つまり、七日目が終わるまで、此方から手を出す事は出来ないという事か……」

 ライネスの言葉にクロエが頷く。
 
「ただ、その時が来たら、向こう側からの干渉は今まで以上に大きくなると思う。今までとは違って、私達はこの世界の真実に気付き、彼女達の計画を阻もうとしているから――――」
「これまで、キャスターが例の英霊集団を引き連れて来たみたいにか?」
「あんなものじゃないわ。本来、七日目が終わると同時に始まるのは冬木市の住人に擬態していた魑魅魍魎達にアンリ・マユの一部を憑依させ、破壊の化身に変えた後、生き残りを抹殺するというもの。けれど、今回は違うと思う」
「というと?」
「今までは滅ぼすだけで良かったから極力魔力の消費を抑える為に最小限の魔力で事を成そうとしていた。だけど、今回は下手をすると自分達の所に乗り込んでくるかもしれない。それだけは何としても阻止したい筈。となると、魔力や手札の出し惜しみはしないでしょうね」

 恐ろしい光景が脳裏を過ぎる。無数の魔が私達を取り囲む光景。
 
「話はこれで終わりね」

 クロエが言った。
 
「私達のやるべき事は単純よ。七日目の終わりと同時にどこかに現れる『天の逆月』への路を探し出し、イリヤの下へ向かう事。そして、二人の計画を阻止し、この世界を閉じる事。今日は既に七日目。時刻は二十時十五分。決戦まではまだ三時間ちょっと、猶予があるわ。だから、それまでに各々準備をしておいて」

 その言葉を最後に私達は一度解散する事になった。と言っても、何かあると困るから、全員、間桐の屋敷の中に居るのだけど……。
 
 私はフラットとイリヤに声を掛けて、屋根の上に上がった。こんな場所に来るのは初めての体験だけど、夜風が中々に心地良い。

「話したい事って?」

 隣に腰掛けるクロエが問う。彼女を挟んで反対側に座るフラットも不思議そうな顔をしている。
 
「聞きたい事があって……」
「聞きたい事?」

 フラットが問う。
 
「二人はいいの? この世界が閉じて……」

 私が問うと、クロエは「勿論」と応え、フラットも「同じく」と応えた。
 
「イリヤを止める。正直、あの子が幸福になれるなら、別に止めなくてもいいかなって思うんだけど、絶対に不幸になっちゃうだろうし……」

 クロエの言葉にフラットが頷く。
 
「っていうか、もう不幸になってるだろうしね。だったら、さっさと止めてあげないと」

 フラットは満天の星空を見上げながら呟くように言った。
 二人はイリヤの為に戦う決意を固めている。
 
「……死ぬのが怖くないの?」

 私は堪らず問い掛けた。この世界を終わらせるという事は私達の完全なる死を意味している。
 だが、少なくとも、この世界が存続する限り、私達はこうして生きられる。
 だと言うのに、二人は表情一つ変えずに応えた。
 
「怖いよ」
「怖いわ」

 それは私と同じ答え。
 
「イリヤちゃんの為だしね」
「でも、イリヤの為だもの」

 それも私と同じ答え。
 
「それに、俺達はもうとっくに死んでるんだろ? だったら、気負う必要なんて無いよ。文字通り、死んだ気で頑張ればいいだけさ」
「夢はいつか覚めるもの。目覚めの時がもう直ぐ来る。ただ、それだけの話よ」

 二人の答えに私は思わず笑ってしまった。
 私は迷っていた。イリヤの事は助けたい。本音を言えば、自分が死んでるのに、世界の事なんてどうでもいい。でも、イリヤは生きている。この世界を閉じても、イリヤの人生は続いていく。だから、この世界を閉じる為に戦う事に躊躇いは無い。
 迷いは彼らの事。フラットやクロエ、ライネス、バゼット。そして、慎二。彼らはどう思っているのか、それだけが気がかりだった。同じ目的の為に戦う仲間達。この一種のコミュニティーを私は掛け替えの無いものだと感じている。だからこそ、彼らの意思を知りたかった。

「凛ちゃんこそ、怖くないの?」
「勿論、怖いわ。だって、アーチャーのおかげで私はやりたい事がたくさん見つかったんだもん。たくさん遊んだり、たくさん勉強したり、夢を叶えたり、結婚したり……、でも」
「でも?」
「イリヤが生きてるなら、あの子が外の世界に戻った時、きっと私の夢を受け継いでくれると思うの」
「……凛」

 しんみりした表情を浮かべるクロエに私は笑いかけた。
 
「こんな風に人に迷惑掛け捲って……。こうなったら、あの子には何が何でも幸せを掴んで貰わなきゃって思うわけよ」
「そうだね。絶対、幸せになってくれなきゃ、困っちゃうよ」

 フラットが微笑みながら言った。
 
「正直、一人だけ、外の世界に放り出すってのも、残酷な事かもしれないけど……」
「まあ、そこはアレよ。人様に迷惑を掛け捲った罰って事でさ。どんなに辛くても、ちゃんと前に進めるように、確り私達であの子の尻を引っ叩いてやりましょう」
「凛ってば、スパルタね」

 クロエは楽しげに笑った。
 
「鬼軍曹殿! 我々はどこまでも貴殿についていきますぞ!」

 冗談めかして言いながら、フラットも笑った。
 つられて、私も笑った。三人の笑い声が夜闇に響き渡る。
 穏やかな時間が過ぎていく。私達にとって、最後の平穏が過ぎ去っていく……。
 
 一方、その頃ライネスは客間でバゼットと対面していた。打ちひしがれた表情を浮かべるバゼットに対して、ライネスは冷たい眼差しを向ける。
 
「情け無いな。封印指定の執行者の肩書きが泣いているぞ?」
「……黙りなさい」

 ライネスの挑発に対して、バゼットの返答は酷く弱々しかった。
 頼みの綱であるランサーはライネスが追い出した。彼はバゼットを説得しようと試みたが、どうにも鬼になり切れなかった。と言うよりも、今の彼女に対して、下手な言葉を掛けられなかった。些細な刺激で彼女の心は崩壊してしまいそうだったからだ。
 それほど、彼女の心は弱まっていた。
 元々、バゼット・フラガ・マクレミッツという女は強靭な肉体を持つ反面、酷く心の弱い人間だ。
 
「この世界を閉じる為に我々は戦わねばならない。君も分かっているのだろう?」

 ライネスの言葉にバゼットは首を横に振った。まるで、子供が駄々を捏ねるように自らの耳を塞ぎ、俯いた。
 そんな彼女の手を耳から無理矢理引き剥がし、ライネスは言う。
 
「逃げるな!」
「何故……?」

 ライネスの叱責の言葉にバゼットは震えた声で問い掛けた。

「私には分からない」

 バゼットが言った。
 
「貴女達の考えがまるで理解出来ない。例え、いつかは終わる夢であろうと、この世界が続く限り、私達は生きていられる。ずっと、生きていられるのに……」

 バゼットは涙を流しながら、ライネスの服を掴んだ。
 
「どうしてですか? どうして、自分で自分を殺すような真似を貴女達は平気で……」
「平気な筈が無いだろう」
「……え?」

 平坦な口調で言うライネスにバゼットは戸惑いの声を上げた。
 
「誰だって、死は恐ろしいさ。だが、この夢は終わらせなければならない。さもなければ、魔王が世を滅ぼしてしまうからな」
「世界なんて……。外の|現実《せかい》なんて、どうでもいい。だって、私達は既に死んでいるのだから……っ!」

 顔を上げて叫ぶバゼットにライネスは鼻を鳴らした。
 
「まあ、正直言って、私も|現実《せかい》なんてどうでもいいよ」

 ライネスの言葉にバゼットは再び戸惑いの声を上げた。
 そんな彼女にライネスは言う。
 
「元々、現実は私にとって苦しいだけのものだった。それに比べたら、この聖杯戦争を繰り返すだけの世界は何て楽なんだろうな……」

 彼女が思い出すのは薄汚い思惑で近づいて来る害虫を相手にしながら潰れそうになる毎日。艱難辛苦の果てにあるのは更なる苦境。
 
「なら、どうして!?」
「けど、ここに居ても楽なだけだ。何も変わらない」
「変わる必要なんて無い! ずっと、この世界で生き続けていればいい! だって、その方が絶対に――――」

 幸福だ。その言葉にライネスは一笑した。
 
「嘘をつくなよ、バゼット・フラガ・マクレミッツ」

 ライネスは言う。
 
「この世界に居たって、別に幸福になんてなれない。停滞したままじゃ、お前は変われない」

 まるで、見透かすような事を言うライネスにバゼットは身震いした。
 
「君の事は聖杯戦争が始まる前に少し調べた。だから、分かるよ、ちょっとだけどな。自分に対して、不信感を抱いてるんだろう? 周りに対して、罪悪感を抱いているんだろう? 自分は皆の期待に応えられない。どんなに努力しても、自分は周りから見放されていく。そんな敗北感が付き纏っているんだろう?」

 黙り込むバゼットにライネスは続ける。
 
「でも、努力するしかない。努力せずに無様に孤立して行く事が耐えられないから、必死に努力してしまう。でも、どんなに努力しても、自分に誇りを持てない……」
「なんで……、貴女は……」
「分かるのかって? 私も同じだからだよ、バゼット。私もそんな惨めさに苛まされて生きて来た。だから、ついついセイバーっていう、自分の惨めさを預けられそうな存在と出会って、心を揺らした事もある」

 正直な話、ライネスも別にこの世界を終わらせなくても良いのではないか、と心のどこかで思っていた。けれど、あまりにも自分と似た存在が間近に居たから、膝を屈する事が出来なくなった。
 自分の弱さを認め、諦められる潔さが少しでもあれば、彼女ももう少し楽な人生を歩めたかもしれない。けれど、彼女はそれが出来ない人間だった。
 そして、それはバゼットに対しても言える事。
 
「どんなに惨めでも、膝を折れない。それが私達だ。そんな私達がこの世界に留まって何になる? ここに救いなんて無い。むしろ、ここに留まれば留まる程、自分の惨めさを実感して、苦しいだけだ。君は永く生きる代わり、ここで延々と苦しみ続けたいのかね?」
「うるさい!」

 バゼットは悲鳴を上げるが如く叫んだ。
 
「黙れ! うるさい! じゃあ、何? 私は結局死ぬ以外に選択肢は無かったって事? どんなに足掻いても、結局は負け犬みたいに生きるしかないって事!?」
「みたい、じゃない。負け犬そのものだ。君も私も、結局は敗者なのだからね。負け犬のまま、ここに引き篭もっていても、結局、その念が在る限り、悩み続けるだけだ」
「うるさい! もう、黙れ! 黙ってくれ! どっちにしても同じなら……、どうせ苦しいだけなら、私はここに居る! 死ぬよりはずっとマシだ!」

 泣き叫びながら、そう言う彼女にライネスは口を開きかけ――――、
 
「ったく、そんなんじゃねーだろ、お前は」

 ランサーがいつしか彼女の隣に立っていた。追い出した筈の彼が現れた事にライネスは聊か動揺したが、敢えて口を閉ざした。
 
「現実が苦しい。自分が弱い。そんな事、生まれた時からテメーは分かってた事だろ?」

 ランサーの言葉にバゼットは息を呑む。
 
「常に気を張ってなきゃ、直ぐにでも手首を切りかねない程、お前は弱い。けど――――」

 ランサーはバゼットの腕を掴み、腰を折り曲げて彼女と目線を合わせて言った。
 
「弱くて、不器用で、それでもお前は努力してきたじゃねーか」
「……貴方に何が分かる」
「分かるさ。お前だって、俺の過去を見たんだろ?」

 ランサーの言葉にバゼットは呼吸を止めた。
 
「俺もお前の過去を見た。だからこそ、お前が必死に足掻いてきた事を知っている。苦しみながら、必死に呼吸をしていた事を知っている。俺はお前の持つ誇り高さを知っている。だから――――」

 お前がお前自身を認めてやらずにどうする?
 そう、問い掛けるランサーにバゼットは体を震わせた。
 
「だって、この世界が閉じたら、私は死体に戻っちゃう……。もう、何も出来ない。もう、頑張れない。苦しみだって、生きていればこその喜びなんだ……。死んだら、それすら感じられなくなる」
「でも、今はまだ、頑張れるだろ?」

 ランサーの問いにバゼットは何も応えなかった。
 
「世界を救うんだ、バゼット。その為に、お前は頑張れる筈だぜ?」
「頑張ったって……、誰も私を認めてなんて……」
「馬鹿野郎」

 ランサーは微笑んだ。微笑みながら、彼女に囁いた。
 
「この俺が認める。それとも、俺に認められるくらいじゃ、不服か?」

 バゼットは首をふるふると横に振った。
 

「そんな筈無い……。だって、貴方は――――」

 私が選んだ。私の理想であり、英雄なのだから……。
 そんな彼女の言葉にランサーは嬉しそうに笑みを深めた。
 
「なら、頑張ろうぜ、バゼット。もう一踏ん張り」
「……はい」

 彼女はもう、大丈夫だ。そう確信したライネスは静かに部屋を出た。そして、自らの相棒の下に向かった。
 彼女に偉そうな高説を垂れながら、震える自分の体が恨めしい。少しだけ、勇気が欲しかった。だから――――、
 
「さてさて、ベオウルフ殿。令呪で私に犯されるのと、合意の上でイチャイチャするのどっちがいい?」
「……ったく、それが淑女の台詞か?」
「仕方あるまい。私も必死なのだよ。恐怖に耐える事に……。それに、男を知らぬまま、この世を去るのも味気ない。ならば、誰よりも勇ましく強い殿方に抱かれておきたい。そう考える事がそれほどおかしな事かね?」

 ライネスの問いにセイバーは静かに「いいや」と首を振った。
 
「俺でいいのか?」
「君だからこそだよ、ベオウルフ。気付かなかったのかね? 私が君を愛してしまっている事に」
「……買い被ってくれて、ありがとよ」

 セイバーはライネスの肩に手を伸ばした。
 
「まあ、その、なんだ? 壊れるなよ?」
「……出来れば、優しくしてくれたまえ。……その、初めてだから」
「……努力する」

 そうして、それぞれの夜が更けていく。最後の戦いの時まで、残り三時間。

第五十話「決意」

「キャスターの祈りは『|この世全ての悪《アンリ・マユ》の生誕』。これは事実よ」

 ライネスが提唱した悪夢のような仮説をクロエは肯定した。息を呑む私達を尻目に彼女は語る。
 
「ただ、イリヤの祈りも叶えようとしている。これもまた、事実なの」
「どういう意味だ?」

 ライネスが問う。
 
「キャスターはアンリ・マユの祈りを叶える為にイリヤを利用した。けれど、そのイリヤの祈りも聞き入れたのよ。だからこそ、こんな奇妙な状態が出来上がっているの」
「つまり?」
「キャスターはまず、イリヤの祈りを叶え、その後、アンリ・マユの祈りを叶えるつもりなのよ。ただし、優先順位はアンリ・マユの祈りの方が上。だから、もし、イリヤの祈りが叶おうが、叶うまいが、関係無く、最後にはアンリ・マユが誕生する」
「……で、具体的にキャスターはどうするつもりなんだ? イリヤスフィールの祈りを叶え、アンリ・マユの祈りをも叶えようとしている事は分かったが、それとこの状況がどう結びつくのか、皆目分からん」

 ライネスが言った。私も同意見だ。今までの話を統合しても、今一理解に苦しむ。
 ヴァルプルギスの夜という固有結界の中で、死者たる私達に聖杯戦争を繰り返させる理由は何なのだろう。
 
「キャスターがこの世界を作り上げた理由は幾つかあるわ。まず、純粋に二つの祈りを叶える為に膨大な魔力が必要だった事。何せ、イリヤの祈りは死者の蘇生を必要とする。それも、複数。これには第一法か第二法、あるいは第三法が必要となるけれど、何れにせよ、『魔法』の力が必要となる。加えて、アンリ・マユの生誕にも莫大な魔力が必要だったの」
「……ちょっと、いいかしら?」

 私は気になる点があり、話を遮った。
 
「何かしら?」
「イリヤの祈りに魔力が必要となる事は理解出来るけど、アンリ・マユの生誕にも魔力が必要なの? だって、士郎は魔術師として未熟だったけど、アンリ・マユを孕めていたじゃない」

 私の提示した疑問にクロエは肩を竦めた。
 
「士郎はあくまでアンリ・マユを生誕させれば良いという考えの下で動いていたの。まあ、それでも破滅的な被害を世界に齎しただろうけど、キャスターの思惑は少し違った」
「違ったって?」
「キャスターはアンリ・マユを完全な状態で誕生させようとしているの。文字通り、この世全ての悪を具現化させる事が出来る状態でアンリ・マユを世に放とうと考えているわけ」
「なっ……」

 あまりの事に私達は言葉を失った。
 アンリ・マユを完全な状態で誕生させるなど、それが意味している事は……。
 
「せ、世界を滅ぼす気か、キャスターは……」

 ライネスが顔を歪めて言った。そして、ハッとした表情でルーラーを見た。
 
「……だから、お前は召喚されたのか」

 ライネスの言葉にルーラーは青褪めた表情で頷いた。
 
「……おかしいとは思っていました。確かに、時間が一定周期でループしていたり、箱庭の世界に参加者達が閉じ込められていたりと、聖杯戦争の枠組みから大きく逸脱した事態が発生していた。それが『|裁定者《ルーラー》』たる私が召喚される切欠だったのだろうと……、そう考えていましたが、イリヤ……、クロエさんの話を聞いている内に違和感を覚えました」

 ルーラーは言った。
 
「だって、聖杯戦争は既に終わっている。なら、その後に誰かが聖杯を使って何かをしようとしたとしても、ルーラーが召喚される事は無い筈なんです。だって、『勝者が聖杯を使い、願いを叶える』という事は聖杯戦争の本来の在り方だからです。そこにルーラーが介入する事はあり得ない」

 なら、どうしてルーラーはここに居るのか、その疑問の答えを彼女は口にした。
 
「私はルーラーでは無かった。ただ、ルーラーという聖杯戦争の枠組みを利用する事でしか、この世界に介入する術が無かっただけ……」

 彼女は言った。
 
「私は抑止力だ。聖杯戦争の規律を守る為に設定された裁定者などではなく、世界の破滅を防ぐ為の防衛システム」

 ルーラーの言葉にクロエが口を開いた。
 
「まあ、ルーラーというクラスの本来の役割からすれば、当然の成り行きね」
「というと?」

 ライネスが問うた。
 
「本来、聖杯戦争は『|天の杯《ヘブンズフィール》』という根源へ至る架け橋を完成させる為の儀式なのよ。けれど、根源への穴を穿つ事は抑止力による粛清対象となる事と同義。故に、始まりの御三家は抑止力の力を御する為にルーラーというクラスを設定した。聖杯戦争の規律を守る裁定者としての役割はルーラーの思考を聖杯戦争本来の目的から目を逸らさせる為に講じられた措置だったの」
「……なるほど」

 ルーラーは苦悩に満ちた表情を浮かべた。
 
「つまり、私はルーラーというクラスを使った事で、本来の自らの役割を誤認していたというわけですか……」
「そういう事になるわ。貴女の役割はキャスターの思惑を阻止する事。アンリ・マユという魔神が世に現界する事を防ぐ事だったの」

 ルーラーは頭を抱えた。自らに本来課せられていた重大な使命を忘却していた事実に愕然としている。
 
「……何と言う事だ」
「まあまあ、そう落ち込まないでよ」

 俯くルーラーにフラットが気安く声を掛けた。

「フラット?」
「まだ、全てが終わったわけじゃない。アンリ・マユはまだ、現界していないんだから、手は残ってるさ。だろ?」

 フラットがクロエを見る。彼女は頷いた。
 
「キャスターが何故、こんな風に時間をループしているのか分かる?」

 私達は首を傾げた。その点については未だ、霧が掛かったままだ。
 
「聖杯戦争という儀式における、サーヴァントの本来の役割を考えれば、分かる事よ」
「サーヴァントの本来の役割?」

 フラットが尋ねた。
 
「不思議に思わなかった? どうして、大聖杯はサーヴァントを召喚したり、聖杯戦争というシステムを運用したり、挙句、願いを叶える事が出来るのか? その為の膨大な魔力がどこから来るのか? その答えがこれ。サーヴァントの役割とは生贄。大聖杯という炉にくべる薪なのよ」
「……つまり、俺達は」

 ランサーは表情を歪めて言った。
 
「大聖杯を運用する為の魔力を絞り取られる為に呼び出されたってのか?」

 ランサーの憎々しげな言葉にイリヤは頷いた。
 
「そうよ。だから、聖杯はサーヴァントが残り一体になるまで現れない。まだ、英霊の魂という高純度な魔力が足りていないから……」
「ッハ! 胸糞の悪い話だな、おい」

 ランサーが声を荒げた。彼の反応は当然のものだ。自らが生贄にされる為だけに呼び出されたなど、容認出来る筈が無い。
 ところが、憤る彼をアーチャーが諌めた。
 
「一々、話の腰を折るな」
「なんだと?」
「黙っていろ。我等が生贄となる為だけに召喚された。その程度の事実で一々目くじらを立てるな。元より、勝者は一人なのだ。敗者は勝者の為に全てを捧げる。それが世の理であろう?」
「……っち」

 ランサーは腹立たしげにソッポを向いた。
 
「話を続けろ、イリヤスフィール」
「う、うん。えっと、キャスターは自らの思惑を果たす為に膨大な魔力を必要とした。時間をループさせた理由の一つがそれなのよ」

 クロエの言葉に身震いした。大よその彼女が言わんとしている事が分かってしまった。
 
「何度も聖杯戦争を繰り返す事で、マスター達に何度も英霊を召喚させ、何度もサーヴァントを大聖杯という炉にくべる。この繰り返しの世界の目的の一つはそうして膨大な魔力を生み出す事」

 頭がどうにかなりそうだった。何度も繰り返された聖杯戦争。その理由がよりにもよって、サーヴァントを何度も生贄にする事だったなんて、冗談じゃない。

「冗談じゃないわ……。何度も助けてもらったのに、私はアーチャーを……」

 苦渋に満ちた表情を浮かべるのは私だけでは無かった。ライネスやフラットも苦虫を噛み潰したような顔をしている。
 
「話を続けろ、イリヤスフィール。正直、同情心がどんどん薄れていって、怒りが込み上げているが、とりあえず、全てを理解するのが先だ」

 睨むライネスにクロエは静かに頷いた。

「時間をループさせているもう一つの理由があるの」
「それは?」

 ライネスが問う。
 
「イリヤの祈りを叶える為にキャスターはある状況を生み出す必要があったの」
「ある状況……?」
「そうよ。イリヤの祈りは全てをやり直す事。その為に必要な事は単なる死者蘇生じゃない」
「どういう意味だ?」
「単純な話よ。ただ死者を甦らせるだけなら、もっと他に簡単な方法があった。それこそ、こうしてキャスターのヴァルプルギスの夜で魂を喚び出し、第三法で固定化させればいい。それが出来るだけの魔力はとっくに溜まっているし、方法もイリヤは知っているの。だって、もともとアインツベルンが聖杯戦争という儀式を考案した理由は失われた第三法を復活させる事。その為の知識はイリヤの中にちゃんとあるの」
「なら、どうして……」

 私が問うと、クロエは言った。
 
「だから、単純に死者を蘇生させるだけじゃ駄目だったのよ。だって、それじゃあ、やり直した事にならないじゃない」

 クロエは言った。
 
「イリヤは今まで、自分や凛の身に降りかかった不幸を無かった事にしたかったの」
「無かった事にって……?」

 私が愕然となって聞くと、彼女は言った。
 
「最初は時間を巻き戻そうと思ったみたい。でも、それも無意味だと直ぐに理解した。だって、結局は一度歩んだ人生の焼き直しを追体験するだけだもの。デウス・エクス・マキナでも居ない限り、イリヤも凛も結局救われない。なら、どうするか……」

 クロエは言った。
 
「救いのある世界を求めたのよ」
「どういう意味だ?」

 ライネスが問う。
 
「彼女がこの考えを思いついたのは、前回の聖杯戦争におけるキャスターのサーヴァント、モルガンの事があったからなの」
「つまり?」
「モルガンは大切な妹であるアーサー王の幸福を祈った。そして、彼女を王から一人の少女に変えた少年、衛宮士郎と再会させる為に聖杯戦争に参加したのよ」
「……ん? アーサー王が妹?」
「アーサー王は女の子だったのよ。まあ、そこは今、重要じゃないから置いておいて頂戴」
「お、おう……」

 アーサー王が女の子。そんなとんでもない情報をさらっと言われ、ライネスは大いに戸惑いを見せた。気持ちは分かる。私もエミヤシロウの夢の中でアーサー王が女の子だと知った時は本当に驚いたもの。
 
「モルガンは目的を果たす為に一つの計画を立案した。それが、凛のサーヴァントであったアーチャー、エミヤシロウとアーサー王の鞘を寄り代にアーサー王を聖杯戦争で召喚し、恋仲になった衛宮士郎の居る世界に穴を穿つ事。その計画は見事に成功し、モルガンはアーサー王と衛宮士郎を再会させる事に成功したわ。そして、イリヤはその方法を利用する事を考え付いた」

 眩暈がしてくる。十年前の聖杯戦争。私の人生を滅茶苦茶にした戦い。それが今尚、私達の人生に絡んでくる。

「イリヤの計画は……、誰もが幸福な人生を歩んでいる世界を検索し、その世界に私達の魂を|夢幻召喚《インストール》する事。その為に、まず、彼女はマスターが全員生き残っている状態で七日目を迎える事を望んだの」
「何を言って……」

 理解を大きく超えたクロエの発言にルーラーが目を丸くした。
 
「嘗て、モルガンが目的の世界を検索する為に、嘗て、衛宮士郎がとある事情からその身に宿したアーサー王の鞘、|全て遠き理想郷《アヴァロン》を使ったように、イリヤも目的の世界を見つける為に寄り代を必要としたのよ。それが七日目まで全マスターが生き残っているという状況。それも、極力余計な介入が無い状況で……」
「どういう事?」

 私が問うと、彼女は言った。
 
「要は出来る限り、私達が生きた一週目の世界と同じ状況で、その結末を迎えさせる必要があったのよ。じゃないと、検索した世界に居る私達に私達の魂を完璧にインストールする事が出来ないから」
「待って! お願い、ちょっと、待って!」

 私は溜まらず叫んだ。だって、幾らなんでも無茶苦茶だ。
 頭を整理する時間が欲しい。そんな私の願いとは裏腹にクロエは話を続けた。
 
「第二法と夢幻召喚。この二つを組み合わせれば、彼女の計画は実行可能なのよ。それと、これはイリヤの計画の一部に過ぎないわ」

 やめてくれ。そう、懇願したかった。
 
「まず、マスターが全員生存している世界線へ第二法と夢幻召喚によって移動した後、再びその世界を寄り代に世界を検索する。より、都合の良い世界を探し出して、再び、夢幻召喚し直す為に」
「……冗談やめてよ」
「冗談じゃないのよ。彼女は本気でそう計画しているのよ。最終的にはイリヤの両親が生きていて、イリヤ自身や凛も幸福な人生を歩んでいる。そんな世界線へ移動する事を彼女は望んでいるの。愛する家族やメイドのセラとリズに囲まれ、仲の良い友達に恵まれ、何の悩みも抱かずに生きていく事を彼女は望んでいるのよ」

 真相が明るみになるにつれ、私はまるで奈落の底に引き摺り込まれるような錯覚を覚えた。

「そんな都合の良い話、ある訳無いじゃない……」

 私は心の底で再び怒りの炎が燃え上がるのを感じた。
 
「やり直したいって気持ちも分かるわ。けど、そんな風に世界線を移動したって、本当の意味でやり直せるわけじゃない。この世界で起きた事を無かった事になんか出来ない! ううん、しちゃいけないのよ!」

 気がつくと、私はそう叫んでいた。
 呆気に取られるクロエを尻目に私は思いの丈をぶちまけた。
 
「この世界で起きた事は確かに不幸な事ばっかりだったわ! でも、それでも、この人生を歩んだから、今の私達が居るのよ!? この人生だったから、私達は出会えたのよ!? それとも、イリヤは私との出会いも無かった事にしたかったの!?」

 泣き叫ぶように言う私にクロエは俯いた。
 
「凛は後悔していないの? これまでの人生を振り返って、もっと幸福な人生を歩みたいとは思わないの?」

 クロエが問う。私の答えは決まっている。
 
「思うに決まってるじゃない!」

 苦しかったし、辛かった。もし、全てをやり直して、両親や妹や親友の死を無かった事に出来るなら、そんなの、考えるまでも無い事……。
 
「でも……」

 私は頬を伝う涙を無視して言った。

「やり直す事なんて出来ないわよ。だって、そんな事したら、今までの私を否定する事になるじゃない……。これまでの別れも出会いも苦しみも嘆きも何もかもが……」

 死者の蘇生も、時間の巻き戻しも、都合の良い世界への旅立ちも、望めはしない。
 
「死んだ人間は生き返らないのよ。どんなに辛い過去でも、無かった事になんて出来ないのよ!」
「でも、イリヤの計画はそれを可能とするわ」
「違うわ」

 私は首を振る。イリヤの計画は確かに幸福な人生を得られるかもしれない。けれど、それは全てを無かった事にする事だ。それは全てを嘘にしてしまう。
 頬を伝う涙も、身を引き裂く苦痛も、様々な感情が去来する記憶も……。
 この現実の冷たさも全て、嘘にしてしまう。
 そんなのは嫌だ。もしかすると、これは独り善がりな考えなのかもしれない。私にイリヤの祈りを否定する資格なんて無いのかもしれない。けれど、私は――――、
 
「どんな過去だって、今を生きる私達の確かな礎となってるのよ。不幸だったわ! 苦しかったわ! でも、この人生が誤りだったなんて、思いたくない! 嘘になんてしたくない!」
「凛……」

 クロエはクスリと笑った。
 
「やっぱり、いいわ、貴女。本当に、強くてかっこいいわ」
「別に強くもカッコ良くも無いわよ……。でも、腹は決まったわ」

 私は立ち上がった。
 
「どっちみち、イリヤを止めなきゃ、アンリ・マユが誕生して、世界が滅ぶんでしょ? だったら、一発殴ってでも、止めてみせるわ。そんで、分からせてあげる。私はやり直しなんて望んでない。何があってもイリヤの事を好きで居続けるって」
「……男前だな、嬢ちゃん」

 ニヤニヤとランサーは気持ちの悪い笑みを浮かべて言った。
 
「なによ……」
「いや、マジで良い女だぜ。世界が滅ぶってのも、英雄として放っとくわけにもいかねーし、協力させてもらうぜ。嬢ちゃんがダチに拳をぶち込めるようにな」
「べ、別にぶち込む事が目的ってわけじゃ……」
「へへ、いいじゃねーか。拳を交える友情ってのもアリだと思うぜ?」
「……ありがと」

 私の言葉にランサーは微笑んだ。
 
「バゼットの説得は任せとけ。あいつもさっきは動揺していたが、戦士の末裔だ。大局を見誤る事はしないだろうさ」

 そう言って、彼は部屋から出て行った。バゼットの下に向かったのだろう。
 
「……まだ、話は終わっていないぞ」

 気分を変えようと立ち上がった私にライネスが言った。
 
「確かに、キャスターとイリヤスフィールの目的は分かった。けれど、肝心なこの世界の仕組みについてはまだだ」

 ライネスの言葉に私はハッとした。
 
「詳しく話せ。戦うにしても、情報が無くては話にならん」
「ライネス……」

 私はライネスを見た。ライネスも私を見つめている。
 
「正直、お前とイリヤスフィールの因縁などどうでもいい。イリヤスフィールの願いも理解は出来るがどうでもいい。だが、私の魂を弄んだキャスターの事は断じて許さん」

 ライネスは言った。
 
「私自身の、そして、私の相棒たるセイバーの魂の尊厳を穢したキャスター。その落とし前は必ずつけさせる」

第四十九話「目的」

 今、私は自らの死を追想している。暗闇の中、串刺しにされ、焼かれ、窒息させられ、首を切り落とされた。繰り返される死と共に砕け散った筈の記憶が甦る。それは一週目の記憶。|ギルガメッシュ《アーチャー》を召喚し、イリヤやフラットと出会い、キャスターに挑んだ記憶が甦った。
 同時に一つの事実を私は知った。イリヤが一週目の出来事を語る前、どうして、皆が私に彼女の話を聞くべきではないと言ったのか、その理由も理解出来た。
 
「――――私は」

 溢れ出す記憶に翻弄されながら、私は両腕を掲げ、天を仰いだ。疑問が次々に氷解していき、同時に新たなる絶望が芽を出し、すくすくと成長していく。
 何故、二週目から召喚したアーチャーの姿が変わったのか?
 何故、二週目から私は聖杯に『魔術』の根絶など祈ったのか?
 その理由は単純明快。心を捻じ曲げる出来事があったからだ。希望を胸に抱き、最後の戦いに挑み、勝利した私の心を捻じ曲げたのは――――、
 
「死んでたんだ……。とっくの昔に」

第四十九話「目的」

 私はイリヤの手で殺された。『|この世全ての悪《アンリ・マユ》』の呪いを受け、肉体を滅ぼされ、魂すらも穢された。それが真実。恐らく、キャスターは自身の宝具『ヴァルプルギスの夜』の力で私という死者に仮初の命を与えたのだろう。その時に記憶を操作した。けれど、それは完璧では無かった。そもそも、霊魂に手を加えるのは酷く困難な事だ。まあ、だからこそ私は今、こうして記憶を取り戻す事が出来たのだけど。
 私は繰り返される死の中で心を蝕まれた。その内、心の奥底に眠っていた『魔術』そのものに対する憤りが膨れ上がり、憎しみへと転化したのだ。心を負の感情で満たした私は今のギルガメッシュを召喚する事が出来ず、より成熟し、冷酷さを深めたギルガメッシュを召喚した訳だ。
 
「はは……。まさか、私の末路が人間に食い殺される事とはな」

 どうやら、記憶を取り戻したのは私だけでは無いらしい。ライネスの乾いた笑い声が響く。
 
「すまない……」

 虚ろな表情を浮かべるライネスに慎二が頭を下げる。彼女を一週目で食い殺した張本人である慎二。彼の胸に去来する感情を私は想像する事すら出来ない。
 
「……なあ、私の味を覚えているか? 参考までに聞かせてくれたまえ」

 両目を手で覆いながらライネスが問う。
 
「私の腹は美味かったか? 顔は? 手足は? 性器はどうだった?」

 淡々と尋ねるライネスに慎二は答えなかった。否、答えられなかった。彼はみるみる顔を青褪めさせ、膝を折り、嘔吐した。何度も何度も吐き、胃の中が空になっても、胃液を吐き続けた。
 人の肉を食べた感触を彼は思い出してしまったのだろう。全身を掻き毟りながら悶え苦しむ彼を哀れに思ったのか、ライネスは彼を魔術で眠らせた。
 
「ふざけるな!」

 バゼットが青褪めた表情で壁を殴った。

「私がとうの昔に死んでいるだと!?」
「落ち着け、バゼット。お前らしくもない」

 ランサーが取り乱すバゼットを宥めるように言うと、彼女はキッと彼を睨み付けた。
 
「落ち着け?」

 バゼットは目を見開き、ランサーの手を振り払った。
 
「落ち着ける筈が無い! 死んでいるだなんて……、そんな」

 バゼットは瞳を不安げに揺らしながら、力無く椅子に腰を降ろした。消沈する彼女にランサーは困ったような表情を浮かべている。
 
「紅茶を淹れて来るわ。一度、心を落ち着かせましょう」

 私がそう提案し、部屋を出ると、誰かがついて来た。振り返らなくても分かる。
 
「紅茶くらい、一人で淹れられるわよ?」
「……だろうな」

 アーチャーは肩を竦めながら私が紅茶を淹れている間もずっと傍に居た。
 
「もう、どうしたのよ、アーチャー?」
「……無理をするな」

 アーチャーの一言に体が強張った。

「無理って?」
「泣きたいなら泣けばいい。怒りたいなら怒るがいい。だが、それらを押し殺す事は許さん」
「押し殺してなんて……」
「我の目を誤魔化せるとでも? 凛、お前の心は今、大きく揺れている。自らの死と友の裏切り。動揺するのも致し方無い事だ。ならば、今の内に吐き出しておけ」
「べ、別に……」
「今を逃せば、お前は心に重石を乗せたまま、友と対面する事になる。その果てにあるのは絶望だけだ」
「なら、希望はどこにあるの?」

 私の問い掛けにアーチャーは口を噤んだ。
 
「私、もう死んでるのよ? それも、|友達《イリヤ》に殺されて……」

 頬を涙が伝う。溢れ出した感情を私はアーチャーにぶつけた。
 
「どうして!? 私はイリヤと一緒に幸福な日々を取り戻そうと、頑張ったのよ!?」
「ああ、そうだな」
「何で、イリヤが私を殺すのよ!? 何で、こんな訳の分からない世界まで創って……」

 アーチャーの胸を何度も叩いた。泣き叫び、彼に怒鳴り声を上げた。
 彼は終始口を噤んだまま、私の感情を受け止めてくれた。
 やっとの思いで平静を取り戻した頃には紅茶はすっかり冷めてしまっていた。仕方なく、改めて淹れなおしていると、アーチャーは言った。
 
「希望はある」

 単なる励ましの言葉に過ぎないと分かっていても、私の心はずっと軽くなった。英雄王・ギルガメッシュの言葉には特別な力が宿っている。カリスマという稀有なスキルがどんな絵空事をも相手に信じさせる。
 
「……うん」

 紅茶とお菓子をお盆に載せて、皆が待つ部屋に戻ると、誰もが思いつめたような表情を浮かべていた。
 
「遅かったな」

 ライネスが此方を一瞥して言った。
 
「ちょっとね」
「……まあ、いい。それよりも、一旦、話を整理したい。いいかね?」
「ええ、勿論よ。でも、その前に一口くらいは飲んでちょうだいね」

 ライネスは「ああ」とお盆から紅茶を受け取り、口に運んだ。
 
「貰うぜ」

 ランサーが一言断ってから紅茶をバゼットの下に運んだ。
 
「飲んどけよ」
「……要りません」
「いいから、ほれ」

 押し付けるように紅茶を渡し、ランサーはバゼットを椅子に座らせた。
 
「ボク達も頂こうか、フラット」

 ライダーの言葉にフラットが頷く。
 
「どうぞ」
「ありがとう、凛ちゃん」

 紅茶を受け取り、フラットも椅子に腰掛ける。
 
「ルーラーもどう?」
「ええ、頂きます」

 最後にイリヤにも渡し、全員に紅茶が行き渡った所でライネスが口を開いた。
 
「情報を整理しよう。イリヤスフィール。君に幾つか質問をしたいのだが、よろしいかな?」
「ええ、何でも聞いてちょうだい」
「では、単刀直入に聞こう。まず、我々は全員既に死亡している。この事に間違いは無いか?」

 誰もが息を呑んだ。ライネスの質問はあまりにも直球過ぎる。
 イリヤも驚いたのか、目を大きく見開いてから言った。
 
「……ええ、ここに居るメンバーは一人残らず死亡しているわ」

 その言葉に心が大きく揺さぶられた。予想していた事だが、イリヤの口から断定の言葉が飛び出した事で変えようの無い真実となってしまった。
 私だけではない。質問をした当の本人であるライネスまでもが表情を曇らせている。
 けれど、彼女は誰よりも早く立ち直り、再びイリヤに質問をぶつけた。
 
「全員の記憶の照合も兼ね、全員の死因を聞きたい」
「いいけど……」

 イリヤは戸惑い気に私達を見る。死因の再確認なんて、正気の沙汰じゃない。けど、全員の記憶を照合する事は重要な事だ。
 私が頷くと、イリヤはゆっくりと口火を切った。
 
「まず、ライネスの死因からね。ライネスはキャスターと共謀していたアサシンの手によって殺害され、その肉をアサシンのマスター、間桐慎二に食べられたわ」

 人に食べられるという壮絶な結末を迎えたライネス。彼女の表情が僅かに歪む。
 
「……一つ、新たな情報が飛び出して来たな。アサシンがキャスターと共謀していたというのは事実か?」
「間違いないわ。キャスター本人が語った事だし、そう考えると、セイバーとアーチャーの決戦時に彼らが同時に動いた理由も納得がいくし」

 甦った記憶を追想する。アーチャーがセイバーと決着をつけるべく、戦った時、黒い影が現れた。キャスターの手駒たる佐々木小次郎と共に。
 丁度その時、セイバーがマスターの死亡を口にしたと、その後にアーチャーが語った。
 
「付け加えると、アサシンのサーヴァント、ラシード・ウッディーン・スィナーンの宝具は『フィダーイー』を作り出すというもの。生者の肉体を改造し、自らの手駒とする術よ」
「生者をフィダーイーに……」

 私の視線は無意識の内に慎二を介抱しているアサシンに向いた。
 
「恐るべき事なのだけど、スィナーンによって改造を施され、フィダーイーとなった者はサーヴァントに比肩する能力を持つの。しかも、彼は歴代のハサンが持つスキルや宝具を自らのフィダーイーに付与する事が出来る。例えば、一週目の慎二が自己改造のスキルを付与されたわ。だからこそ、彼はライネスの魔術回路と令呪を手にする事が出来た」
「……幾つか、謎が解けましたな」

 アサシンが呟くように言った。皆の視線が彼に集まる。
 
「何故、前周回でマスターがハサンを召喚したのか。何故、この周回でマスターが私を召喚したのか。そもそも、何故、彼はサーヴァントを召喚出来たのか……」
「サーヴァントの召喚に関しては恐らく、私の魔術回路を得た事が要因だろうな」

 ライネスの言葉にイリヤが頷く。
 
「多分、そうだと思う。けど、彼の自己改造のスキルはランクがとても低くて、得られた魔術回路は微々たるものだったわ。だから、召喚を行う度に中身を一気に持っていかれる」

 合点がいった。衰退した間桐の末裔たる慎二がどうしてサーヴァントを召喚出来たのか、その理由を私は英霊召喚という儀式を行う事で聖杯の魔力が彼に流れ込み、無理矢理回路が抉じ開けられたのだろうと推測していた。
 けれど、実際には違った。彼は一週目で得たライネスの魔術回路を使ったのだ。
 
「この世界はあくまで、一週目の聖杯戦争が一度終結した後に作り出された世界。更に、この間桐慎二は私の魔術回路を持っている」

 ライネスは判明した事実を並べ立て、首を傾げた。
 
「不可解だな……」
「ライネス?」
「……いや、この問いは最後に持っていこう。それより、話を続けてくれたまえ」

 言葉を濁すライネスに眉を顰めながら、イリヤは話を続けた。
 
「次はバゼットの死因ね」

 バゼットが体を強張らせた。封印指定執行者という肩書きから、私は彼女に豪傑というイメージを抱いていたけれど、自らの死という現実に立ち会った彼女は酷く儚げだった。
 傍に付き添うランサーが励ますように彼女の肩を抱く。
 
「バゼットの死因はランサーを庇い、アーチャーの宝具を受けた事が原因よ」

 イリヤは言った。
 
「監視していたキャスターから聞いた話だから、私も直接目撃したわけじゃないのだけど、ランサーはアーチャーとの真っ向勝負で破れたの」
「……私の切り札はアーチャーに通用しなかったのですか?」

 彼女の切り札とは逆光剣・フラガラックの事。光の神・ルーの剣。正真正銘の宝具である。フラガ家は代々この宝具を伝え続けてきた|伝承保菌者《ゴッズ・ホルダー》であり、彼女こそ、フラガ家の当代当主なのだ。
 逆光剣の能力は相手の切り札に対するカウンター。相手が切り札を行使した時、後出しジャンケンのように発動し、因果を捻じ曲げ、『相手が切り札を行使する前に既に死亡していた』という事実を作り出す。如何に強大な力を誇る宝具も発動前に担い手が殺されてしまっては発動しない。
 あまりにも反則的な能力を持つこの宝具をアーチャーは如何にして打ち破ったのか、私達の疑問の答えは実にアッサリとしたものだった。
 
「簡単な話よ。彼は切り札を使わなかった。ただ、それだけの話」
「切り札を出し惜しんだってのか?」

 ランサーは苛立たし気に尋ねた。
 
「アーチャーの宝具は終末剣・エンキ。発動したが最後、世界を滅ぼす大海嘯、『ナピュシュティムの大波』を引き起こして、地上全てを洗い流す。キャスターのヴァルプルギスの夜を一撃で打ち破った終末剣の力を彼は地上で振るおうとは思わなかったみたいね」

 そっと、アーチャーの様子を伺う。彼は無言のまま、紅茶を口にした。
 
「ッハ、世界を滅ぼすか……。スケールがデカイな」

 ランサーは吐き捨てるように言った。
 
「アーチャーにとっての切り札は終末剣のみ。他の宝具は如何に強大な力を持とうとも、彼の切り札となり得ないのよ」
「……なるほど」

 腕を組み、バゼットは不服そうに瞼を閉じた。
 
「……記憶通りというわけですね」

 彼女の体の震えは怒りによるものだと思った。けれど、彼女が再び瞼を開いた時、そこにあったのは恐怖の感情だった。
 彼女が敢えて分かり切った事を聞いた理由は一つ。自らの記憶とイリヤの証言に差異を見出そうとしたのだ。自らの記憶に誤りがあれば、自らの死という現実から目を逸らす事が出来ると考えたのだ。
 
「私は死んでいるのですね……、本当に」

 涙を零す彼女の額にランサーが手を当てた。すると、彼女は意識を失った。
 
「ったく……。嬢ちゃん、悪いが、部屋を一つ借りれるか?」
「上の階の客室でいいかしら?」
「ああ、感謝する」

 静かな寝息を立てるバゼットをランサーが部屋の外に連れ出した。しばらくして、戻って来た彼は言った。
 
「話の腰を折って、悪かったな」
「ううん。彼女の反応は至極当然のものよ。自分が既に死亡しているだなんて、悪夢以外の何者でも無いもの」
「……まあ、アイツもか弱い乙女だったというわけだ」

 肩を竦めるランサー。よく考えてみたら、彼を含め、サーヴァント達は皆、既に死亡している存在だ。同じ立場に立って初めて、彼らが自然体で行動している事の凄まじさを理解出来た。
 自らの死を受け入れて尚、歩を進める事が出来る。それが英雄と呼ばれる存在なのだろう。
 
「……次はフラットね」

 フラットが頷くと、イリヤは言った。
 
「フラットの死因は……正直、分からないの」
「分からない?」

 私は首を傾げた。この中で唯一、全ての情報を握っている筈のイリヤが分からない、とはどういう事だろうか。
 その答えはフラットの口から飛び出した。
 
「……俺の体はモルガンが治してくれた。けど、その後に何故か再発した。まあ、十中八九、キャスターの仕業だろうね。君を追い詰める為に……」
「……やっぱり、そういう事よね。大方、呪いを掛けたかなんかでしょうね」
「なるほどね。フラットはイリヤにとって誰よりも尊い人だった。だからこそ、その死に打ちのめされて、あんな暴挙に出た……」

 私が呟くように言うと、イリヤは暗い表情を浮かべ、頷いた。
 
「ついさっきまで元気だったフラットがいきなり苦しみだして、血を吐いたの。本当に恐ろしかったわ。過程はどうあれ、これで全て上手くいくと思った矢先だったのに……」

 その時の恐怖を思い出したのか、イリヤは体を震わせた。
 
「全て……か、やっぱり」
「フラット?」

 不意にフラットが立ち上がった。途惑う私達を尻目に彼はイリヤの目の前に立ち、ジッと、彼女の瞳を覗きこんだ。
 
「やっぱり、君はクロエだね?」

 フラットは言った。
 
「クロエ? 待って、フラット。クロエは数年前に既に死亡してるって、さっきイリヤが……」
「そうじゃないよ、凛ちゃん。彼女はイリヤちゃんが心の内に秘めていたもう一人の人格さ。俺と公園で語り合ったクロエというイリヤちゃんの交代人格。だろ?」

 フラットの言葉にイリヤはニヤリと笑みを浮かべた。
 
「大正解。凄いわ、フラット。よく分かったわね?」
「まあ、記憶が戻った時点で違和感を覚えてたんだけど、それが今、確信に変わったところだよ」

 フラットは言った。
 
「『全て上手くいくと思った矢先』……。これは、君が公園で話してくれた計画の事を言ってるんだろ? イリヤちゃんを救う。その為の条件は揃っていた。夢幻召喚したモルガンによる再調整と凛ちゃんという希望が君の祈りを叶えてくれる筈だった」
「そうよ。けど、最後の最後でキャスターが台無しにした」

 イリヤ……、クロエは怒りを滲ませて言った。
 
「奴はフラットが死に、絶望に呑まれたイリヤにこう言った。『全てをやり直したいとは思わないかね?』ってね」
「全てを……やり直すって……」

 脳裏にイリヤの最後の言葉がフラッシュバックした。
 
『安心して頂戴。上手くいけば、私も貴女も全てを取り戻せる。そう、キャスターが教えてくれたの』

 彼女はそう言った。全てを取り戻せる、と。
 その言葉の意味を私は今になって理解した。つまり、彼女は……、
 
「待て! 全てをやり直す、というのは分かる。それを聖杯に願う気持ちもだ! だが、ならばこの状況は何だ!?」

 ライネスが声を荒げた。
 そうだ。イリヤの祈りが全てをやり直す事であるなら、この状況は実に不可解だ。何の為に死者である私達をヴァルプルギスの夜という箱庭に閉じ込めて、同じ時を繰り返させる必要があるというのか。
 私達は疑問の答えを求め、クロエを見た。
 
「順序立てて説明するわ。彼女達の計画はあまりにも複雑だから、一から説明させてちょうだい」

 じれったく思いながらも私達は頷いた。
 
「キャスターと出会う前、フラットが突然死した直後、イリヤが思い浮かべたのは凛の事だったわ」
「私?」
「そうよ。イリヤは恐怖したのよ。フラットが死んだ以上、もう、残っているのは凛だけ。でも、彼女は自分から離れていってしまうかもしれない。その可能性に怯えたの」
「ど、どうして……」
「だって、イリヤは貴女の大切な人を殺したんだもの」

 クロエの言葉に目を見開いた。
 目を背けていた事実。イリヤが慎二を殺したという事実を私は今になって直視する事になった。

「で、でも、それでも、私は絶対……」
「……うん。イリヤも信じようとしてた。でも、どうしても負い目を感じてしまった。それが凛との離別を想起させ、恐怖を招いた。そして、キャスターにそこを利用されてしまった」
「イリヤ……」

 どうして、信じてくれなかったんだろう。
 慎二を殺した事に対する怒りや憎しみが無かったとは言えない。けれど、私はそれでもイリヤの事が好きだった。今でもその思いは変わらない。
 怒りや憎しみ以上の愛情がある。それに、そもそも、慎二を直接殺したのは夢幻召喚によって、イリヤに憑依し、彼女の肉体を乗っ取ったモルガンであり、彼女が彼を殺したのも、彼が彼女を殺そうとしたからだ。
 イリヤに非なんて無い。その事を私はちゃんと理解出来ていた。理解出来るだけの力を私はアーチャーと共に歩む中で身に着けた。
 だから、信じて欲しかった。どんな甘言を弄されようと、私を信じて欲しかった。
 
「聖杯戦争に参加する以前から、私という交代人格を生み出す程、彼女は心を病んでいた。イリヤは愛情に飢えていたの……。だけど、一番身近に接していたメイドのセラが感情を殺され、相棒だったバーサーカーが泥に飲み込まれて、心がボロボロだったのよ……。そんなあの子にとって、あなた達は正に心の支えだったのよ」
「でも、信じて欲しかったわ……」

 私の言葉にクロエは俯いた。 
 
「ごめんね、凛……」

 記憶を取り戻した弊害だろう。顔が同じでも、心は違う筈なのに、イリヤが泣きそうな顔をしていると思うと、それ以上、怒る事が出来なかった。
 
「話を続けてもらえる? クロエ」
「……ええ。イリヤはフラットを甦らせると同時に、凛から奪ってしまった慎二の事も救いたかった。それに、この聖杯戦争で死亡した他のマスターの事も」
「何故だ? 話を聞いていると、私やバゼットはイリヤスフィールと面識すら無い様子だったが?」

 ライネスが尋ねた。
 
「もう、疲れ果ててたのよ。元々、あの子は聖杯戦争によって、自分と同じような目に合う人を作らない為に聖杯戦争のシステムを破壊する事を目的としていたの……。まあ、私が唆したのもあるんだけど。本当は誰とも争ったりしたくなかったのよ……」
「……別に、私達の死因にイリヤスフィールは関わって居ない筈だが?」
「でも、聖杯戦争には関わっている。聖杯戦争で不幸になる人を作りたくないと願っていたあの子は他の参加者の事も救いたかったのよ。ううん、というより、居なかった事にしたかったの」
「居なかった事に?」
「つまり、聖杯戦争で不幸になった人なんて、居ないって事にしたかったのよ。その為に、全てをやり直すという祈りを抱いたの」
「つまり、私達は子供の我侭に付き合わされているわけか……。自分の思い通りの展開にならないと嫌だと言うわけだ」
「……まあ、そう言う事ね。キャスターに唆された事も要因の一つではあるのだけど、彼女の意思も少なからずあったわ」

 ライネスは深く溜息を零すと、紅茶を一口飲み、再度口を開いた。
 
「それで、肝心な事がまだだ。一体、イリヤスフィールはどうやって、全てをやり直そうとしているんだ? 正直、奴の行動は不可解過ぎる」

 ライネスの言葉にクロエは答えた。
 
「そもそも、キャスターの思惑は士郎と同じものなの」
「どういう事?」

 私は大聖杯前での士郎との出会いを思い出しながら尋ねた。
 
「キャスター……、ファウストの生涯に関しては様々な諸説があるのだけど、その中に悪魔と一体になったというものがあるの。何が言いたいかというと、彼は悪魔そのものなのよ」
「……つまり、悪意の塊って意味?」
「違うな。凛、悪魔に関して、お前の認識は間違っている」
「どういう事?」
「悪魔とは結果はどうあれ、憑いた人間の苦悩を理解し、取り除こうとする架空要素の事だ。そこに明確な善悪は無い。まあ、憑依状態が長引くと、悪魔は人体を自らに近づけようとして、結果、肉体の崩壊を招くから、決して良いものでは無いがな」
「ちなみに、ファウストはその悪魔による変質に耐え抜き、一体化した異端なの。こういう事例は稀とはいえ、報告があるわ。そして、ここからが本題なのだけど、ファウストの精神性は悪魔に近いものなのよ。それ故に他者の苦悩を理解し、取り除こうとする。彼が士郎を大聖杯に接続したのも、それが理由なのよ。彼は士郎から苦悩を取り除こうとしただけだった。だけど、そこで問題が発生した」
「問題って?」

 私が訪ねると、イリヤは言った。

「士郎が大聖杯内部のアンリ・マユの祈りを聞き入れたように、ファウストもまた、その願いを聞き入れた。そして、厄介な事にファウストには士郎と違って、自らの行動が及ぼす結果を考えるという思考が存在しないのよ」
「つまり、士郎は世界の破滅を予測して、私に討たれる事を良しとしたけど……」
「そう、ファウストは良しとしなかった。彼は何としても、アンリ・マユの祈りを叶えようと動いた。その結果、彼は士郎を捨て、イリヤを唆した」
「つまり……、この現状は……」

 ライネスは額から汗を流しながら、
 
「|この世の全ての悪《アンリ・マユ》生誕のプロセスの一つというわけか……?」

 そんな、ゾッとするような事を彼女は口にした。

幕間「始まりと終わりの物語」 パートfinal

「一つ。私にはどうしても気になる事があった」

 遠坂凛が丘を登り切った先で少年は待ち受けていた。黒い髪、暗い肌色、琥珀色の瞳、幼げな顔立ち。嘗ての相棒の若かりし頃の姿とはかなり差異が見受けられる。
 けれど、『彼』は間違いなく『彼』だ。
 
「死の間際、父は自らを『空っぽ』だと言った。だが、そうなると奇妙な点があった」

 少年、言峰士郎は静かに語る。
 
「私は父に聖杯の欠片を埋め込まれた。そうする事で記憶や思想をリセットしようとしたらしい」
「……あの似非神父、本当に碌な事しないわね」
「まったくだな。どうやら、彼は私を自らの鏡像にしようと考えていたらしい」
「鏡像?」

 凛が首を傾げると、士郎は薄く微笑んだ。

「衛宮切嗣が育てた『私』は彼の遺志を受け継ぎ、正義の味方となった。ならば、同じ条件で育てれば、『私』に自らの悪性を受け継がせる事が出来ると考えたらしい」
「何の為に?」
「彼は悩んでいたのだよ。自らの悪性について」
「悩んでいた……?」

 それは凛にとって衝撃的な事実だった。自らの愉悦の為に凛の父親である遠坂時臣を惨殺し、相方であったアサシンのサーヴァントを使い潰し、平凡に生きる筈だった士郎の人生を歪めた男。
 彼が悩んでいたなどという話、到底信じる事は出来ない。そんな凛の思いを察してか、士郎は肩を竦めた。
 
「悩んでいたのだよ。だから、彼は聖堂教会に身を置きながら、聖杯から聖痕を授かった」
「どういう事?」
「この街には他にも魔術師が居た。にも関わらず、彼は聖杯戦争が始まるよりも随分と早く、令呪を授かっていたらしい。その理由は彼の祈りの切実さにあったのだ。彼は自らの悪性を識るより前から自らの異常性には気付いていた」
「つまり?」

 勿体振った言い回しに、凛は苛立ちを覚えながら先を促した。
 
「人が美しいと思うべきものを愛でる事が出来ず、人が疎むべきものに執着してしまう自らの異常性に彼は幼い頃から苦しんでいた。彼が恐ろしい悪性を抱きながら、同時に誰もが認める敬謙なキリスト教徒であった理由もそこにある。彼は神に祈っていたのだよ。自らの悪性から解放される事を――――」
「……綺礼」

 今は亡き兄弟子の苦悩を凛は初めて知り、眉間に皺を寄せた。
 もし、彼の悩みに気付いてあげる事が出来ていたら、きっと、彼の運命だけでなく、士郎の運命や凛自身の運命も大きく変わっていたに違いない。
 彼が自らの悪性を受け入れる事無く、別の道を歩ませる事が出来たかもしれない。もしかしたら、凛は『間桐桜』では無く、『遠坂凛』を今も名乗る事が出来ていたかもしれない。傍らには父と綺礼の姿があり、一流の魔術師として聖杯戦争に参加していたかもしれない。
 
「彼は自らの悪性を識った後も答えを求め続けていた」
「答え?」
「何故、このような怪物が慈悲深き僧侶であった父から生まれてしまったのか? 自らの悪性はどこから湧き出すのか? 自らの悪性、その本質は何なのか? 彼は常に疑問を抱いていた。そして、答えを指し示す導き手を欲していたのだよ」
「そして、彼は選んだのね……」
「そう。彼は私を自らの導き手として選んだ。自らの鏡像として私を育て、私を観察する事で自らの悪性の本質を探ろうとした。その結果が……」
「『空っぽ』って訳ね」
「彼の表情は絶望に彩られていたよ。彼を長年苦しませていた自身の悪性、その正体が単なる『無』であった事に……」
「けど、あなたは綺礼の出した結論に疑念を抱いた。そうね?」

 士郎は称賛の眼差しを凛に向けた。
 
「その通り。確かに、私は感情の起伏が乏しく、将来の夢なども持ち合わせていない。けれど、私が彼を観察した限り、彼が『空っぽ』だったとは到底思えなかった。彼が持つ悪性は異端ではあったが、『空っぽ』という言葉とは掛け離れたものだった」
「それで、あなたはどうしたの?」
「疑問の答えを求めた。彼の死に胸を悼める事も出来ぬ親不孝者だが、私はこれでも神の信奉者なのでね。父の死の間際の苦悩を取り払ってやらねばと思った次第だ」

 そこに感情は無い。彼はただ、教会の信徒だからという理由で動いているだけだ。その在り方はまるで与えられた命令を実行するだけの機械のようで薄気味が悪かった。
 
「聖杯戦争の監督役に任じられ、便利そうだからと、サーヴァントを召喚したのだが、現れたキャスターは私の疑問の答えを共に探ろうと提案してくれた。だから、私は全てを彼に委ねる事にした。何分、私は魔術に疎くてね。父が教えようとしてくれた事もあったのだが、彼は指導者としては聊か……」

 言葉を濁す彼に凛は曖昧に微笑んだ。
 
「確かに、綺礼が誰かにものを教える姿って想像が出来ないわ」

 凛の言葉に士郎も微笑む。
 
「まあ、キャスターがいきなり、私を大聖杯と一体化させようとした事には驚いたがね」
「……はい?」
「いや、あそこまで驚いたのは後にも先にも無かったよ。キャスター曰く、私の肉体は聖杯の欠片によって変容しているらしいのだ」
「変容って?」
「詳しくは分からない。キャスターが言うには聖杯の欠片を取り込んだ事で私の起源が変異した為に肉体がそれに合うよう変容したとの事らしい」
「起源が変異って?}
「どうも、私の起源は『聖杯』らしい。イリヤスフィールと同じだよ。ただ、彼女と違って、私の肉体は所詮、人間。起源の変異とそれに伴う肉体の変容によって、精神が異常をきたしたらしいのだ。起源に引き摺られ、他者の願望を叶える以外の思考が出来なくなってしまったのだ」
「それって……」
「いや、同情には及ばんぞ? 私は何も感じない。悪意も善意も苦痛も愉悦も全て等しく無だ。ただ、誰かが私に祈るなら、それを叶える。それだけだ」

 凛は言葉を失った。自らを不幸だと呪った事がある。イリヤの境遇を不幸だと嘆いた事がある。けれど、彼の境遇は彼女達の比では無かった。
 彼は人間性を奪われたのだ。ただ、一人の人間の疑問を解き明かす為の道具として、人生を歪められ、精神と肉体を作り変えられた。その状況に苦しむ事も出来ないなど、あまりにも残酷だ。
 
「まあ、このキャスターの推測は大聖杯と一体化した時に事実だと証明されたよ」

 士郎は微笑む。
 
「|この世全ての悪《アンリ・マユ》の悪性を起源としていれば、父も絶望に塗れて死ぬ事は無かったのだろうが……。大聖杯と接続した後も私はアンリ・マユと一体化はしなかった。ただ、彼の声を聞き、力の一部を借り受ける事が出来るようになっただけだったよ」
「アンリ・マユの声ですって……?」

 凛の問いに士郎は頷いた。
 
「正直、私としては答えを得られた事で満足だった。それで、父の絶望を晴らす事は出来たからね。彼の祈りは完遂した。けれど、アンリ・マユは私に聖杯を取れと願った。彼は生まれたがっているのだよ。だから、私は叶える事にした」
「叶える事にしたって……」

 凛は目を見開いた。そう言えば、嘗ての相棒の夢を見た時、彼の声はこんなにも高くは無かった気がする。それに、こんなにも幼げな顔立ちでは無かった気がする。
 
「ねえ、あなたって、男性よね?」
「ああ、少し前まではそうだったよ」

 少し前までは、その言葉に凛は後ずさった。
 
「あ、あなた、まさか……」
「いや、別にそういう性癖があるとかじゃないぞ。ただ、子を宿すには男の身では難しいのでな」
「そ、そういう問題じゃ無いでしょ!?」
「いや、そういう問題だよ。言っただろう? 私には何も無いのだ。男女の区別も無い。ただ、祈りを叶える為だけに存在しているのだからね。そして、私は彼の祈りを聞き入れた。その為に私は全身全霊を尽くす。さっきも言ったが、私の起源は『聖杯』だ。そして、私の魔術回路はある一つの魔術に特化したものなのだよ」

 凛はハッとした表情で呟いた。
 
「固有結界……」
「大正解。衛宮士郎が固有結界『|無限の剣製《アンリミテッド・ブレイド・ワークス》』を使えたように、私も使えるのだよ。ただ、彼のように戦闘に特化した代物では無いがね」
「一体……」
「私の固有結界『|祈りの杯《サング・リアル》』は祈りを叶える事に特化したものだ。請われた願いを聞き入れた時、その為に必要な奇跡を起こす。この場合、私の肉体を男性から女性へと作り変え、アンリ・マユの母胎とする事」
「あ、あなた……」

 開いた口が塞がらない。彼、いや、彼女の在り方はあまりにも異常だった。衛宮士郎も歪んだ思想の持ち主だったけれど、言峰士郎の思想の歪み具合は彼の比では無い。
 赤の他人の祈りを叶える為に自らの性別を変えるなど、狂人の発想だ。恐らく、アンリ・マユが祈らずとも、見知らぬ誰かが彼に従順な恋人や奴隷を求めたら、士郎はその為に自らを作り変え、その者に奉仕しただろう。
 それが願望機たる聖杯を起源とした言峰士郎の存在理由だから。
 
「ただ、君の考えも理解は出来る。アンリ・マユが世に出れば、世界を未曾有の災害が襲うだろう。それを止めたいのだろう?」

 心境をズバリ言い当てられた凛は小さく頷いた。
 
「だが、私としてもアンリ・マユの祈りを叶える為に尽くさねばならない。故、止めたければ私を殺すといい。彼の為に抵抗はするが、アーチャーならば問題無く処理出来るだろう」

 淡々と語る士郎に凛は恐怖した。彼の物言いには自らの命を惜しむ気持ちが一欠けらも無い。
 彼は人間では無い。聖杯が人の身を象り、一定のコミュニケーション能力を持っただけの存在だ。きっと、イリヤが聖杯として完成したら、彼のようになってしまうのだろう。

「それで、あなたはいいの?」
「アンリ・マユを産み落としてやれなくなるのは辛いよ。彼の祈りを叶えられないという事だからね。だが、まあ、仕方が無い」
「自分の命は? 惜しくないの?」
「惜しくないよ。そもそも、私は私自身に何一つ価値を見出していない。言っただろう? 私にとって、他者の祈りが唯一価値あるものなのだよ。だから、私にとって、君の祈りは実に価値あるものだ。故、君に殺されるなら、私としては……うん、幸福と言えるね」

 言葉が出ない。自らの破滅すら意に介さぬ異常者に対して、向ける言葉を凛は持っていない。
 助けを求めるように傍らに立つアーチャーを見ると、彼は冷めた表情を浮かべていた。
 
「貴様は実につまらないな。人とは未来を想像し、創造するもの。故に、一人一人に価値がある。だが、貴様は未来に何も思わない、何も創らない。確かに貴様の言う通りだ。貴様に生きる価値は無い」

 冷たくそう言い放つ彼に士郎は嬉しそうな笑みを浮かべた。
 
「私をそこまで理解してくれる人が居るとは意外だったよ。うん、君と出会えた事は他者の祈り関係無く、嬉しいよ」
「……え?」
「さあ、私を殺してくれ、アーチャー。それで、全てが終わるよ」

 今は女性だからだろうか、士郎の浮かべる微笑がまるで慈母のように見えた。
 それが酷く違和感のある光景だった。彼が何も感じないと言うなら、何故、彼はアーチャーに理解された事を喜んでいるのだろうか、その答えは……。
 
「待って!」

 アーチャーが双剣を振り上げる刹那、凛は叫んだ。
 
「あなた、嘘吐いてる!」
「嘘?」
「感情が無いなんて、嘘よ! あなた、さっき、言ってたじゃない! 感情の起伏が|乏しい《・・・》って! そうよ、あなたは感情を持っていないんじゃない、乏しいだけ! なら、あなたにも望みがある筈よ!」
「困ったな。君は私の命を惜しんでいるのかね?」

 士郎が尋ねると、凛は頭を悩ませた。
 
「惜しんでいる……っていうより、納得がいかない。だって、あなたは根っからの悪人ってわけじゃないし……。もし、本当は生きたい癖に、他人の祈りに振り回されて、死を選ぼうとしているなら……」
「しまったな。君は魔術師としては優し過ぎるよ。君が私の行動に疑問を抱いているようだったから、その答えを教えようと思って語ったのだが……」
「答えなさいよ! あなたの祈りは何?」

 士郎は頬を掻きながら曖昧に微笑んだ。
 
「いや、これを私の祈りと言っていいのか分からないのだが……」
「言いなさいよ!」

 詰め寄る凛に士郎はたじろぎながら恥じ入るような口調で呟いた。
 
「全世界の人々の祈りを叶えたいのだ」
「……は?」

 あまりにも壮大な祈りに凛は目を丸くした。
 アーチャーすらも言葉を失い、口をポカンと開けている。
 
「予想通りの反応だな……。でも、叶えたいのだよ。善人も悪人も老人も幼子も男も女も全ての人類の祈りを叶えたいのだ」
「そ、それは……」
「不可能な事は重々承知しているよ。でも、奇跡を願う者が居るなら、叶えてあげたいのだよ。例え、それが善意によるものであろうと、悪意によるものであろうと、その人が叶えたいと願う祈りを聞いてあげたい。叶えてあげたい。それが私の願いだ」

 凛はうろたえた。士郎が口にする祈りはあまりにも壮大過ぎる。正義の味方になりたいという願いの方がまだ現実味がある。
 善人と悪人の願いを両方叶えるなど、矛盾がある。その矛盾がある限り、士郎の祈りは叶わない。それを知りながらも願う彼女の顔はとても優しく穏やかで、凛は圧倒された。
 
「いや、実にすまない。君を誤解していたよ。君はもっと魔術師らしい人間だと思い込んでいた。こんな役割を押し付けて、実に心苦しいよ。だが、すまないな、アンリ・マユの為に自害は出来ないんだよ。だから、君の手で終わらせて欲しい」
「ま、待ちなさいよ! だって、願いがあるんでしょ!? 壮大過ぎて、いまいちピンと来ないけど、願いがあるなら、生きたいと思いなさいよ!}
「いや、私が生きてると、アンリ・マユが生まれて世界が終わるしな……」
「だったら、アンリ・マユの祈りなんて……」
「それは駄目だよ。彼は他の誰よりも先に私に祈った。祈りに優先順位はつけられないから、順番くらいは守らないといかん」
「じゅ、順番って……」
「私とて、常識は弁えているよ。悪性の祈りを叶える事は世に害を為す結果にしかならない。けれど、私はそれでも叶えてしまう。だから、私はここで死んでおいた方が良いのだよ」

 そう言って、微笑む士郎に凛は後ずさる。
 
「だって、あなたは……」
「凛。私は善人でも悪人でも無い。単なる道具同然だ。ただ、祈りを叶える為の機械に過ぎない。その機能を停止させるだけだ。君が罪悪感を覚える必要は無い」
「き、機能って、そんな事――――」
「優しい君に一つだけ教えてあげよう。道具は使い手次第で善にも悪にもなる。それを区別するのは人間の意志だ。それが私には欠落している。だから、悪にも手を貸す。この世全ての悪を孕む今の私は間違いなく悪人だ。だから、躊躇う必要は無いよ」

 優しく諭すように語り掛ける士郎に凛は更に後ずさる。
 
「無理よ。だって、そんな……」
「君には守りたい人が居るんだろう? それは私では無い筈だ」

 その言葉と共に浮んだのはイリヤの顔だった。彼女が自らの帰りを待っている。
 
「……酷いわ。そんな事言うくらいなら、最初から悪の親玉を演じててよ」
「うん、反省しているよ。いや、まさか聖杯戦争の勝利者がここまで優しい人間とは思わなくてね。君には残酷な事をしてしまった。本当にすまないと思っている」
「謝らないでよ……。私はこれから、あなたを殺すのよ?」
「それが私の願いでもある。繰り返すが、君に罪は無い。むしろ、世界を救う救世主となるんだ。誇りなさい」
「……誇れるわけが無いわ。士郎、あなたとは別の出会い方をしたかった。そして、友達になりたかった……」
「ああ、嬉しいな。叶うなら、今度は君と……。いや、止めておこう」

 凛は涙を流した。相手が最低最悪の悪党だったら良かったのに。
 
「アーチャー。お願い……」
「承った。言峰士郎と言ったな?」
「うん」
「前言を撤回しよう。貴様をつまらぬと言ったが、あれは嘘だ。全人類の祈りを叶えたいなど、実に身の程知らずな願いだ。だが、そのような大望を真剣に抱く貴様は実に面白い。貴様の紡ぐ未来も見てみたかった」
「……ありがとう」

 双剣を振り上げるアーチャーに士郎はまるで恋する乙女のように頬を赤らめながら礼を言った。
 
「良い笑顔だ。では、さらばだ」

 アーチャーは剣を振り下ろした。士郎の首が切り落とされる姿を私は目を逸らさずに見続けた。そんな事でしか、罪を贖う方法が見つからなかったから。
 アーチャーは切り落とした首を恭しく抱え、私の下に戻って来た。
 
「抱えていろ。これから、最後の仕上げを行う」
「う、うん」

 士郎の首。手渡されたソレを私は震えながら抱き抱えた。切断面から溢れる血に立ち眩みを起こし掛けながら、必死に意識を保ち続ける。
 これから、最後の仕上げを行うのだ。聖杯を破壊するという、最後の仕上げを……。
 
「終わりにして、アーチャー。もう、二度と聖杯が悲劇を齎さないように徹底的に破壊し――――」
「凛」
 
 令呪に魔力を流し込み、アーチャーに最後の別れを告げようとした凛の耳に誰かの声が響いた。
 その一瞬が全てを分けた。凛の視線がアーチャーから入り口付近で手を上げる『少女』に移った瞬間、凛は何かに覆われた。
 
「凛!」

 アーチャーが双剣を振り上げ、凛を覆う泥を切り裂こうとするが、彼の胸に突如空洞が空いた。
 
「これは――――」

 アーチャーが抵抗する間も無く、穴は一気に膨れ上がり、アーチャーを呑み込んだ。虚空に浮ぶ穴に手を伸ばしながら、入り口から少女はゆうゆうと丘を登る。
 
「ごめんね、凛。でも、駄目なのよ。まだ、聖杯を破壊するわけにはいかない」

 イリヤは泥の塊に頭を下げる。
 
「でも、安心して頂戴。上手くいけば、私も貴女も全てを取り戻せる。そう、キャスターが教えてくれたの」

 瞳に暗い光を灯しながら、イリヤは恍惚の表情を浮かべて言った。
 
「さあ、始めましょう、キャスター。全ての悪夢を終わらせる為に! ヴァルプルギスの夜を!」

幕間「始まりと終わりの物語」 パート15

 暗闇の洞窟を鞄片手に歩き続ける。生々しい生命の息吹が満ちる通路をひた歩く。重苦しい空気がのしかかって来る。比喩では無く、本当に重い。視覚化出来る程の濃厚な魔力が洞窟の奥から流れ込んできているのだ。私とアーチャーは周囲に気を配りながら前を往く。
 この先に最後の敵が待ち受けている。キャスターを倒せば、全てが終わる。モルガンのお陰で後顧の憂いは晴れた。フラットは快復に向かい、イリヤも魂の崩壊を免れた。
 これで漸く、全てに決着をつける事が出来る。この戦いに勝てば全て上手くいく。聖杯を使い、イリヤの体を癒し、大聖杯を破壊する。それで、聖杯戦争の歴史は幕を閉じる。
 完璧だ。非の打ち所の無い輝かしい未来が待っている。その筈なのに、何故か心がざわついた。

「……未だ、迷いは断ち切れぬか?」

 アーチャーが見透かしたように問う。

「別に、そんなんじゃないわ。ただ……」

 咄嗟に否定の言葉を口にするけど、先が続かない。脳裏にチラつく映像が私の歩を鈍らせる。
 
 ――――関係無い。

 自分に言い聞かせる。例え、イリヤが|兄さん《シンジ》を殺したのだとしても、それは彼女に憑依したモルガンがした事だ。イリヤ自身に罪は無い。
 兄さんは聖杯戦争に参加して戦い、その結果、敗北した。ただ、それだけの事だ。非があるとすれば、それは兄さんの方にある。
 大きく息を吐き、兄さんの映像を脳裏から打ち消すと、今度は別の映像が浮んで来た。それは一人の少年の映像。この先に待ち受けているであろう少年。名は言峰士郎。キャスターのマスターだ。柳洞寺で一戦を交えた時、彼は自らをそう名乗った。その顔は十年前、私の相棒だったアーチャーのサーヴァント、衛宮士郎の若かりし頃と瓜二つだった。
 言峰の姓を聞いた瞬間、ある程度、彼の辿ったこれまでの経緯に察しはついたけれど、動揺を隠す事は出来なかった。そんな私を守ってくれたライダーは私とアーチャーを逃がす為に宝具を使い、消滅した。
 |恐慌呼び起こせし魔笛《ラ・ブラック・ルナ》は魔力を大量消費する類の宝具では無い筈だが、フラットからの魔力供給を自ら遮断していた彼にとっては致命的だった。戦闘を一時的にストップさせる魔笛の音色が響く刹那、私達は戦場を離脱する事が出来た。
 この先に言峰士郎が居る。倒すべき敵として、私を待ち受けている。私はずっと前から彼に会ってみたかった。どこかに居る筈だと分かっていたからだ。でも、まさかこんな風に出会う事になるとは思っていなかった。思いは複雑だけど、頭を振って、迷いを吹っ切る。
 彼は|アーチャー《エミヤシロウ》じゃない。それに、例え、相手が|アーチャー《エミヤシロウ》だろうと、戦うからには勝つだけだ。今の私の相棒は|アーチャー《エミヤシロウ》じゃない。隣に並び立つのは人類最古の英雄王・ギルガメッシュなのだ。

「ねえ、アーチャー。貴方と過ごした一週間。短かったけど、それなりに楽しかったわ」
「ッハ! 言うようになったな。だがまあ、我もそれなりに愉しめた」

 彼との思い出は少ないながらも濃密だ。傲慢不遜。その癖、とても優しい彼と出会ってからの一週間が私を大きく変えた。暗闇から無理矢理眩い光の下に連れ出され、私は様々な初体験をした。
 楽しかった。イリヤやフラットとの出会いも彼が居たからこそ。そんな彼との別れの時も近づいている。
 
「……凛。良いのだな?」

 アーチャーが問う。そこに秘められている様々な問いに私は迷い無く頷く。
 兄さんの顔。言峰士郎の顔。ライダーの顔。次々に浮ぶ、彼らの映像を振り払い、たった一人の友達を思う。

「うん。だって、あの子に大見得切っちゃったしね」

 ヴァルプルギスの夜は驚異的な力を持っている。下手をすれば死ぬかもしれない。例え、この戦いに無事勝利出来たとしても、ギルガメッシュとは別れなければならない。
 けれど、私は戦う。そして、勝利する。だって、イリヤと約束したから。
 
『私は絶対に帰って来る。だから、待っててね。全部終わったら、今度こそ、一緒にプールに行きましょう。プールだけじゃない。いっぱい、色んな事をして遊びましょう』

 嬉しそうに頷く彼女の顔が瞼の裏に焼き付いている。彼女の笑顔があれば、私は迷わない。
 多くの人が狂い、そして、死んだ。全ての惨劇の元凶、聖杯戦争は今日、私の手で終わらせる。それで漸く、私もイリヤも解放される。この呪われた運命から解放される。

「確かに、大見得切ったからには完遂せねばなるまい。王たるもの、有言実行でなければならぬ」

 私はアーチャーと共に再び歩き出す。暗い場所。冷たい空気。静かな水音。やがて、視界が広がる。暗闇を抜けたその先に広大な空間が広がっていた。
 果ての無い天蓋と、嘗て見た黒い孔。あれこそ、戦いの始まりにして、終着点。二百年の長きに渡り稼動し続けてきたシステムがそこにある。
 見た目はエアーズロックのようだが、その上部は大きく陥没していて、巨大な魔法陣が敷設されている筈。それこそが大聖杯と呼ばれるものの正体だ。
 最中に至る中心。円冠回廊。心臓世界。天の杯。計測不能なまでの魔力を孕むソレは名に恥じぬ異界を創り上げている。
 そして、その中央から黒い柱が天に向かって伸びている。空間内を照らすのは黒い柱が発する魔力の波動。

「アレが|この世の全ての悪《アンリ・マユ》……」

 大聖杯に満ちている魔力はまさに無尽。世界中の魔術師がこぞって好き放題に魔力を汲み上げたとしても、決して尽きぬ貯蔵量。あれだけあれば、確かにあらゆる願いを叶える事が出来る筈だ。
 コレを今、キャスターが手中に収めている。その事実に息を呑む。動悸が激しくなり、額に汗が滲む。緊張と恐怖が胸の内で渦巻いている。

「恐れるな、凛。お前にはこの我がついているのだからな。覚えているか? 貴様と初めて対面した時に我が告げた言葉を」
「……ええ、勿論よ。『喜ぶがいいぞ、小娘。この瞬間、貴様の勝利は確定した』って」

 胸を張り、高らかに言った。似てたかな? 視線を向けると、彼は笑っていた。
 
「その通りだ。貴様の勝利はとうの昔に確定している。この我、人類最古の英雄王・ギルガメッシュを召喚した時点でな!!」

 そう、恐れる必要なんて無い。私には最強の相棒がついている。

「ええ、そうよね。こんなのただの消化試合でしかないわ。さっさと終わらせて、あの子を安心させてあげましょう」

 頭上を見上げる。そこに彼は居た。
 いつぞや見た、別世界の彼とは色々と差異がある。赤銅色の髪は黒く染まり、その肌もどす黒く染まっている。けれど、変わらぬ色の瞳が私を見下ろしている。
 思わず溜息が出る。
 
「こういう出会い方はしたくなかったわ。まったく、あの腐れ神父は余計な事しかないわね、本当に……」

 私の父を殺し、衛宮士郎となる可能性を秘めた少年を自らの娯楽の為に育てたという兄弟子、言峰綺礼は既に死去しているらしい。好き放題した挙句、仕返しすらさせないとは本当にどこまでも嫌な奴だ。
 けど、死んでしまったなら仕方が無い。死人に対してとやかく言うのは全くの無駄だ。そんな余裕があるなら、その分を生者に向けるべきだろう。
 
「さあ、決着をつけましょう」

 アーチャーが無言で私の前に出る。瞬間、声が響いた。
 
「|いと美しき世界《とき》よ、|永劫な《とま》れ!」

 世界が塗り替えられていく。漆黒の太陽はそのままに、壁や天蓋は消え失せ、代わりに夜天の空と草原が広がる。
 
「逃げずに立ち向かう君達の勇気を称え、精一杯のもてなしをさせてもらうよ」

 声はどこからともなく聞こえて来る。
 
「ッハ! 今こそ、決着の時だ、キャスター! 我をガッカリさせるなよ?」

 アーチャーが双剣を抜き放つ。同時に、彼の背後の揺らぎから次々に宝具が飛び出す。最初に飛び出して来たのは黄金の舟、|天翔る王の御座《ヴィマーナ》。次に飛び出して来た鎖によって、私の体はヴィマーナの上に連れて行かれ、その後現れた複数の宝具がヴィマーナを中心として、大神殿に匹敵する結界を構築した。見た目はヴィマーナに後天的に刻まれた小規模な魔法陣の周りを剣や槍、ナイフ、槌が取り囲んでいる。一つ一つが計り知れない魔力を含有する守護の宝具であり、どれか一つあるだけで鉄壁の防壁を築く事が出来る。それがおよそ三十。
 ヴィマーナが浮き上がると同時にアーチャーが動き出す。草原には柳洞寺の時と同じく、異形の姿を象る亡霊達が居る。彼らは楽しげに歌い、踊っていたが、アーチャーが動くと同時に一斉に動きを止め、アーチャーを見た。
 直後、亡霊達は一斉にアーチャーに襲い掛かった。
 
「ッハハハハハハハハハハ!」

 哄笑はアーチャーの口から発せられている。狂気染みた笑い声を響かせ、アーチャーは巨大な剣を振るう。到底、人が振るうには適さない、巨大過ぎる剣。嘗て、ドラゴンを相手に振るいし、その翠の剣の名はイガリマ。メソポタミア神話の戦いを司る女神ザババが振るいし、斬山剣。山を斬るに相応しき巨大な剣は一振りで亡霊達を薙ぎ払う。
 
「かような雑種共を嗾け、我を倒せるとでも思ったか?」

 アーチャーが浮かべる嘲笑に対し、亡霊達の動きが止まる。
 
「なるほど、英雄王を相手に彼らでは荷が重いか……」

 再び、キャスターの声が響き渡る。
 
「やはり、出し惜しみをして良い相手では無いらしい。彼らの力を借りるとしよう」
「彼ら……?」

 私の疑問の応えは黒い柱の下から現れた。
 
「あれは――――ッ!」

 そこに現れたのは二十八の人影。その内、私が知るのは七名のみ。けれど、その七名の正体が、残る二十一人の正体を暴くヒントとなった。
 私が知る七人。それは、前回の聖杯戦争に参加したサーヴァント達。
 
「嘘でしょ……」

 そこには|アーチャー《エミヤシロウ》の姿がある。そこには|アサシン《ハサン》の姿がある。

「これまで、聖杯が役目を果たせぬまま、聖杯戦争は五度目に縺れ込んだ。その度に炉にくべられ、消費される筈だった彼らの魂は大聖杯の中で眠り続けていたのだよ。我が宝具は死者の魂を呼び起こす。どうかね? 壮観だろう。今、聖杯戦争史上に名を連ねる歴戦の勇者達が並び立っているのだ!」

 そう、そこに並び立つ二十八人は全員がサーヴァント。一人一人が一騎当千の実力者であり、伝説にその名を遺す勇者達。
 これがキャスターの切り札。|セイバー《ベオウルフ》が|とんでもないもの《ドラゴン》を隠し持っていたように、キャスターもまた、とんでもない切り札を用意していた。

「さて、これなら君をガッカリさせる事もあるまい?」

 キャスターの問いにアーチャーの返答はシンプルな一言だった。
 
「……ガッカリだ、キャスター」

 その一言と共に百を越える宝具がアーチャーの蔵から打ち出された。
 しかし――――、
 
「いやいや、強がらなくていいよ。如何に君が強くても、彼らは一人一人が名のある英霊だ。魔術師達がこぞって勝利を目指し召喚した最強のサーヴァント達だ。それが二十八体だ。しかも、彼らは今、大聖杯から無尽の魔力を供給されている。それが何を意味するか、君になら分かる筈だよ?」

 キャスターが言葉を区切ると同時に閃光が奔った。複数の大軍宝具が同時に放たれたのだ。アーチャーの無数の宝具が瞬く間に灰燼に帰していく。
 にも関わらず、アーチャーの表情に聊かの動揺も見当たらない。ただただ、つまらなそうに目を細めている。
 
「雑兵ばかりでは無い。それだけは認めてやろう。カルナ、ゲオルギウス、アキレウス、ジークフリート。確かに、名だたる英雄達だ」
「負けを認める気になったのかい?」

 キャスターの問いにアーチャーは鼻を鳴らした。
 
「惜しいだけだ。奴等に理性があれば、まだ愉しめただろうにな」
「……何を言って」

 アーチャーは無言で天を指差した。つられて上空を見上げると、そこには満天の夜景が広がっている。けど、それが何だと言うのだろう?
 私が首を傾げていると、突然、キャスターの焦燥に駆られた叫び声が木霊した。
 
「アーチャーを殺せ! 今直ぐに!」

 キャスターの命令を受け、サーヴァント達が動き出す。対して、アーチャーは呟いた。
 
「つまらん幕引きだったな」

 そこから先は一瞬だった。王の財宝を最大展開したアーチャーは飛行宝具によって天に昇り、追って来る四人のライダーと飛行能力を保有する幾人かのサーヴァントを相手に巨大な石弓を放った。
 矢はドラゴンを象る光に覆われていた。アーチャーを追撃しようとしていたサーヴァント達はまるで生きているかのように襲い来る矢の対処に動きを一瞬縫い止められ、刹那、無数の拘束宝具が彼らを縛り上げた。
 地上から大軍・対城が放たれ、それらを幾重にも展開した盾の宝具で易々と防ぎ切ったアーチャーはお返しとばかりに無限の宝具を地上にばら撒き、その間にお黄金の双剣の形状を変化させた。
 双剣の柄同士が融合し、弓を形作る。
 
「さあ、雑種共よ、天を仰ぐが良い」

 弓の先に奇怪な陣が描かれ、矢が放たれる。それを地上のサーヴァント達は易々と回避する。理性を失って尚、それを脅威と感じ取った彼らは迎撃では無く、回避という選択肢を取った。その選択に何の意味も無い事を知りもせずに……。
 その矢はただの照準に過ぎない。その事を彼らは知らなかった。アーチャーの切り札とは、その矢では無く、遥か上空、衛星軌道上に展開された『|終末剣《エンキ》』である事を知らなかった。
 この固有結界の外、遥か衛星軌道上でソレは輝きを増した。その現象が多くの人工衛星によって目撃され、世界を大いに騒がせている事を私はこの時、まだ知らなかった。
 衛星軌道上で世界を賑わせているのは七つの光。それはイリヤやフラットが幾度も目撃した上空の光であり、それこそがアーチャーの持つ切り札だったのだ。
 
「さあ、滅びの火は満ちた!」

 アーチャーは高らかに叫ぶ。それは警告では無く、宣告。逃れ得ぬ、滅びの決定を告げる言葉だった。
 
「来たれ、ナピシュテムの大波よ!」

 衛星軌道上の『滅びの星』が矢となって地上に墜ちる。やがて、円蔵山へ到達すると、そのまま矢は空中消滅し、そして、私達の居る固有結界の内部へと出現し、地上にぶつかる間も無く、空中で四散した。
 呆気に取られる私達の前で四散した矢の光が突如、巨大な魔法陣を展開した。同時に空間が割れ、ノアの洪水の逸話の原型となった大海嘯、ギルガメッシュ叙事詩の語るナピシュテムの大波がヴァルプルギスの夜を呑み込む。

「識れ、雑種共。これが世界を滅ぼすという事だ! 凡百の英霊風情が、理性すら持たずにこの英雄王に歯向かった愚を呪え!」

 己が全魔力を解放した一撃。それは正に、人類最古の英雄王が誇る最強。もはや、指一本動かせない状態にありながら、アーチャーは勝利者の義務として、哄笑する。
 そして、世界は再び塗り替えられた。元の世界に戻って来た私達は大聖杯の下で立ち竦む言峰士郎の下へ向かう。全ての決着をつける為に……。

幕間「始まりと終わりの物語」 パート14

 気がつくと、太陽が真上に上っていた。眠るつもりなんて無かったのに、私はフラットが眠るベッドを枕に意識を手放していたらしい。
 フラットの苦悶に呻く声が響く。意識を失う前と彼の容態が一変している。土気色だった顔は紅潮し、汗ばんでいる。肌に触れてみると。火傷しそうな程熱い。
 
「フラット!」

 ヒザががくがくした。立ち上がりかけていた足を折り、近くのボウルに手を伸ばす。駄目だ、氷が完全に溶けてしまっている。
 急いで氷を取りにキッチンに向かう。涙で視界が曇ってしまい、しょっちゅう壁にぶつかりながらボウルに氷水を張り、急いで戻る。
 
「フラット……。死なないで、フラット……」

 泣きながら彼の名前を呼び続ける。何度も何度も体を拭い、氷嚢を変える。
 他に出来る事が何も無い。悔しさで頭がおかしくなりそう。
 
「フラット……」

 やはり、夢幻召喚でモルガンを憑依させ、治療を開始した方が良い気がしてくる。手遅れになる前に。約束を破ってしまう事になるけど、それでフラットが生きられるなら、何を躊躇う必要があるの?
 氷嚢はあっと言う間に溶けてしまう。私は何度も何度もキッチンと部屋とを往復した。
 何度目かの往復の途中で私は再び意識を手放してしまった。まるで、ナルコレプシーに罹ってしまったみたい。外が暗くなっている。慌てて部屋に戻ると、フラットの顔が真っ赤になっていた。尋常じゃない量の汗を流している。
 極めて強力な毒に対して、フラットの刻印が彼を生かそうと粘っているけれど、純粋な生命力の枯渇や魔術的なダメージと違い、毒に対しては刻印もあまり役に立たない。生命力を底上げし、命を無理矢理永らえさせる事しか出来ない。残された時間は僅かだ。

「フラット……」

 どうして、こんな状態の彼を残して意識を失ってしまったのだろう。壊れかけている事なんて言い訳にならない。

「もう、待ってられない……」

 窓の外を見ても、みんなが戻って来る気配は無い。そもそも、まだ半数以上のサーヴァントが残っている現状を一日でひっくり返し、勝利するなんて土台無理な話だったんだ。
 彼を救うには決断するしかない。約束を違えて、彼を救う。もう、迷ってる時間なんて無い。フラットの死はもう間近に迫っている。
 
「絶対、死なせない……」

 魔術回路を励起させる。死も崩壊も怖くない。だって、愛する人の為にこの命を使えるのだから、悔いなんて残る筈が無い。
 躊躇い無く、私は刻印へと魔力を流し込み、その瞬間、異変が起きた。
 突然、屋敷の周囲を覆っていた守りが消え去ったのだ。アーチャーが張った強力な結界が解除された。
 
「戻って来た!」

 そう思った。凛が約束を守り、聖杯を持ち帰ったに違いない。
 彼女は本当に一日で聖杯戦争を終わらせてしまったのだ。凄いなんて言葉じゃ足りない。私は急いで窓から彼女の存在を確かめようと身を乗り出した。
 
「……あ」

 違った。窓の外に居たのは凛では無かった。
 よく考えたら分かる事だけど、そもそも、此度の聖杯戦争における聖杯の器は私自身だ。凛が勝利したなら、その事を誰よりも早く私は察知する事が出来る。
 二度に渡る意識の消失。その理由は何も壊れかけている事が原因では無かった。ただ、壊れかけているから、その理由に気付けなかっただけ。
 意識すると分かる。最初にランサー。次に……、ライダー。
 涙が零れた。ライダーが死んだ。彼の魂が私の中にある。
 
「ライダー……」

 心は眩く輝き、彼の浮かべる笑顔は万人の心を潤す。誰よりも美しく、誰よりも優しい英雄が死んだ。
 今、私の中にあるのはセイバーとランサー、ライダーの魂のみ。まだ、アサシンとキャスターは堕ちていない。
 どちらが殺したんだろう。アーチャーは無事だろうか? 溢れる疑問の答えはきっと、屋敷の前に立つ男が知っている筈。
 そこに居たのは容貌から察するにアサシン。そして、それを従えるように立つ人影が一つ。
 
「人の部屋に勝手に入り込むとは非常識な奴だ」
 
 アサシンを従えるのは青い髪の少年だった。少年は言う。
 
「さて、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。君が持つ小聖杯とそこに居るであろう男の命を頂くよ」
「誰が渡すもんですか……」

 憎しみが胸を焦がす。ライダーを殺したのはあの男かもしれない。そう思うと、凶暴な感情が湧き上がる。

「抵抗しても良いよ。けど、果たして君一人でサーヴァントに抗えるかな?」

 少年が後ろに退いた。同時にアサシンが向かって来る。
 迷っている暇など無かった。
 
「……だめ、だ。イリ、ヤちゃ……ん」

 掠れた声。フラットが荒く息をしながら言った。
 
「それ、だけは……やめて、く……れ」
「……ごめん」

 私は刻印に魔力を流し込んだ。
 塗り潰されていく。まるで、私というキャンバスに描かれた薄色を使った絵が原色のペンキで塗り潰されていくみたい。
 
「――――夢幻召喚」

 ああ、これは確かにアーチャーの言う通りだ。
 二度目の夢幻召喚。それが意味するのは完全なる崩壊。もう、後戻りする事は出来ない。魔女・モルガンを憑依させ、私はフラットの下に向かう。
 彼の瞳に映る私の容貌は大きく変貌していた。髪の色だけじゃない。瞳の色まで変わっている。息が荒くなり、震えが止まらない。
 けたたましい音が響く。それが何の音か直ぐには分からなかった。窓に迫る黒い影からフラットを護る為に結界を張った時、それが私自身の発する悲鳴だと気付いた。
 
「……イリ、ヤ」

 フラットが呻き声を上げながら、誰かの名前を呼ぶ。
 
――――あれ? フラットって、誰の事だっけ?
 
 分からない。今、誰かの名前を思い浮かべた気がしたけど、それがどんな名前だったかも分からない。
 何かが壊れていく。様々な景色が浮んでは消えていく。プカプカと水面に浮んでは消えていく泡のように、色々なものが消えていく。
 
「――――ワタシは」

 分からない。ワタシが誰で、ここがどこで、何をするべきなのかが全く分からない。
 
「少し、落ち着いた方がいいか」

 息を整える。記憶の欠落については一旦置き、まずは現状を整理する事から始めよう。
 現在、ワタシは戦闘状態にあるようだ。ベッドに横たわる青年を守るように結界を張っている事から、彼が保護対象であると仮定する。状態はあまり芳しく無い。治療を施さなければもって、あと一時間といったところ。
 彼から情報を得るにしても、まずは彼を回復させなければならない。その為には眼前に迫る脅威を排除する必要がある。
 
「一つ、問う」

 わらわは黒衣を纏う男に問う。
 
「貴様は妾の敵で相違無いか?」
「……何を今更」

 黒衣の男は黒塗りの剣を振り上げる。
 
「ならば、死ね」

 首を切り落とす。どうやら、薬と呪術によって肉体と精神を改造されているらしいが、妾の敵では無い。
 
「術は問題無く使えるな。むぅ、これは……」

 肉体と霊体に齟齬を感じる。妾という霊体を別の肉体に無理矢理憑依させたようだ。
 
「……妾、死んでる?」

 落ち着け。落ち着くのだ。単なる幽体剥離かもしれん。
 
「……妾の霊体、弄られてる?」

 落ち着け。落ち着くのだ。記憶が欠落している理由は分かった。恐らく、妾の霊体をこの肉体に憑依させる際、妾の記憶を消去したのだろう。他にも色々と弄られているが、それらはこの肉体に憑依させ易くする為の細工のようだ。
 
「……ますます、この男から情報を聞き出さねばならんな」

 その為にも、この状況を打破する必要がある。気配から察するに敵は二十。
 
「いや、二十二か……」

 巧妙に隠しているが、遠方から此方を伺う存在が二つある。内、一つは明らかに人間では無い。
 
「まずは雑魚を片付けるか」

 数が多かろうが、魔術に対する守りを持たない者など敵では無い。周囲に散開する気配を呪術で一掃する。血流を操作するだけで人間は簡単に死ぬ。
 殺した者の中には子供や老人、女も混ざっている。服装も黒衣の内側はそれぞれバラバラだ。まるで、適当に見繕った人間を無理矢理兵士に仕立てたかのよう……。
 
「まあ、効率が良い事は否定せんが、質が悪過ぎるな」

 この分なら、残る二人も苦せず殺せるだろう。
 
「……ならば、捕らえるか」

 そうすれば、彼らから情報を得られるかもしれない。魔術に対する耐性を持たないならば、拷問をする必要すら無い。
 
「うむ、そうしよう。ここに来い、名も知らぬ者達よ」

 この肉体自体は悪く無い。理論を無視して魔術を再現するという規格外の能力を保有している。その上、外部から無尽蔵に魔力を供給されている。五つの魔法はさすがに不可能だろうが、それに近い奇跡なら幾らでも再現出来そうだ。
 逃げ出そうとする正体不明の二人を強制的に転移させ、同時に拘束する。
 
「これは……」

 青い髪の青年と老人。人外は老人の方らしい。
 
「まあ、とりあえず貴様の記憶を覗かせろ」

 抵抗しようともがく青年の頭に手を置く。すると、面白い情報が次々に入って来た。
 聖杯戦争。万能の願望機。七人の魔術師と七騎のサーヴァント。
 セイバーのサーヴァント、ベオウルフ。マスターはライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。
 アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュ。マスターは遠坂凛。
 ランサーのサーヴァント、クー・フーリン。マスターはバゼット・フラガ・マクレミッツ。
 ライダーのサーヴァント、アストルフォ。マスターはフラット・エスカルドス。
 アサシンのサーヴァント、ラシード・ウッディーン・スィナーン。マスターは間桐臓硯――――訂正、現在は間桐慎二。
 キャスターのサーヴァント、ファウスト。マスターは言峰士郎。
 バーサーカーのサーヴァント、ヘラクレス。マスターはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 現状、セイバーとランサーは消滅。アーチャーとライダーは共にキャスターの宝具、ヴァルプルギスの夜にて戦闘中。アサシンとキャスターは共闘関係にあり、アサシンはイリヤスフィールが所有する小聖杯の奪取、及び、ライダーのマスターの討伐を目的として動いている。
 
「なるほど、この肉体の主はイリヤスフィールというのか……。無茶な小娘だな。英霊の魂を自らに憑依させるとは」

 自身の真名には至らぬまでも、幾らか情報を得られた事に安堵した。
 
「よしよし、良い仕事をしたぞ。褒美だ。安らかに死ね」
「や、やめ――――」

 安楽死させてやろうと頭に手を置こうとした瞬間、アサシンのサーヴァントから光が溢れた。
 世界が塗り替えられていく。
 
「おお、固有結界とは珍しい」

 感想としてはただそれだけだった。魔法に匹敵する魔術師の奥義。それを一介の暗殺者が再現した事には素直に感動するが、それだけだ。
 見果てぬ砂塵も抜けるような青空も取り囲む無数の暗殺者も妾の心を動かすには足りない。何故なら、この者達は魔術に対しての心得が無い。聖杯戦争に参加するにあたり、聖杯から提供された情報くらいは学んでいるようだが、それだけでは妾の術に対抗する事は出来ない。
 如何に霊体であろうと、眼球を蒸発させれば動きが鈍るし、脳味噌に僅かな傷を負わせるだけで肉体のあらゆる機能が停止する。数など幾ら揃えても意味が無い。百人居るなら百人同時に殺せばいいだけの事。それが出来るのが魔術師であり、妾だ。
 
「貴様、一体……」

 アサシンが慄くような表情を妾に向ける。青年の方は虚ろな表情のまま妾に襲い掛かるので、脳を焼いて始末する。
 
「いや、すまんな。妾もよく分からん」

 アサシンの脳を破壊し、消滅させると同時に結界が消える。
 
「さてさて、少年よ。今、治療してやる故、もう少しの辛抱だ――――っと、千客万来よな」

 何かが近づいて来る。
 
「さすがに、これ以上は少年がもたぬな……」

 さて、どうしよう。
 
「まあ、必要な情報はあの青髪の少年から貰ったしな。よし、見捨てるか」

 イリヤスフィールにとっては大切な存在かもしれんが、妾には関係無い。
 まずは自分の真名を探るとしよう。どうやら、イリヤスフィールの魂は妾の魂によって傷つき、壊れてしまったようだが、サルベージ出来なくも無い。
 
「ふふふ、妾に不可能は無い。よし、厄介なのが来る前に退散しよう」

――――ちょっと待って!

「おお、バックアップがあったのか! 中々、考えているではないか、イリヤスフィールよ」

――――ああ、もう、だから言ったのに! やっぱりこうなった……。

「憤っている所悪いが、とりあえず、話は場所を移してから……」

――――いいえ、ここで話すわ。今、ここに向かってるのは敵じゃないし。

「お主にとってはそうでも、妾にとってはどうか分からぬ」

――――待って! なら、せめてフラットを治してからにして!

「いやいや、さすがの妾でも少年の治療には時間が……っと、お主が話し掛けるから……」
「イリヤ!」

 窓から少女が飛び込んで来た。妾を見るなり、少女は口元を手で覆い、目を見開いた。厄介な事になりそうだ。
 
「うむ。逃げよう」
「逃がすと思うか?」
「い、いつの間に……」
 
 気配遮断スキルどころでは無かった。魔力も臭いも何も感じなかった。
 
「身隠しの布か?」
「まあ、それに近いものだ。それより、やはりこうなったか……」
「やはりって、どういう事!?」

 少女が喚き立てる。
 
「見て分からぬか? イリヤスフィールはあれほど忠告したにも関わらず、夢幻召喚を使い、モルガンを憑依させた。その結果、モルガンに肉体を乗っ取られたというわけだ」
「妾って、モルガンだったのか……」

 妾の言葉にアーチャーは目を細めた。
 
「なるほど、記憶が欠落しているらしいな」
「そういう事だ。不憫であろう?」

 アーチャーは無言で妾の首筋に刃をあてがった。冗談の通じぬ男だ。
 
「待ってよ……」

 少女が口を開く。恐らく、アーチャーのマスター。名は遠坂凛と言ったか……。
 
「イリヤの肉体が乗っ取られたってどういう事よ!? 返してよ! イリヤの肉体をイリヤに返しなさいよ!」
「待て待て、それはちょっと理不尽では無いか? そもそも、妾が自分から乗っ取ったわけでは無いぞ。イリヤスフィールが夢幻召喚なる術で妾の魂を憑依させた事が全ての原因だ。はっきり言って、妾に非は無いぞ」
「まあ、確かにその通りだな」

 アーチャーが妾の言葉に同意した。当然だ。妾は何も間違った事を言っていないのだからな。
 
「で、でも……」
「いや、まあ、返せと言うなら返さん事も無いが……」
「え?」

 何故、意外そうな顔をするのだろう。
 
「妾とて、突然召喚されて迷惑をしておるのだ。夢幻召喚とかいうはた迷惑な術を作った愚か者に文句の一つも言いたいが……」
「で、でも、折角、生き返ったんだし、未練とかは無いの!?」
「……お主は返して欲しいのか欲しくないのかどっちなのだ?」
「いや、返して欲しいけど……」

 なんとも難儀な性格の少女だ。
 
「そもそも、妾は別に生き返ったわけでは無い。それに、この夢幻召喚とやらは永続的に英霊の魂を憑依させる術では無いしな。一応、タイムリミットが設定されておるし、それ以上憑依状態が続けば肉体が滅ぶだけだ。それに、別段、現世で何かしたいという欲求も湧かぬ。どうやら、妾には未練や後悔といったものが無いらしい」

 自分でも意外だが、これは本当だ。魔女モルガンが妾の真名だとすれば、幾らでも未練や後悔がありそうなものだが、全く湧いて来ないのだ。
 
「まあ、知りたい事は全て分かったし、返してやるさ。イリヤスフィールの魂はバックアップが取れてるようだし、サルベージの必要は無かろう。少年の方もささっと治療してやるから、しばし待て」
「えっと……」

 少女は途惑っている。まだ、何かあるのだろうか?
 
「どうした?」
「いや、随分と親切だなって……」
「……確かに、妾は何故、こんなに親切にしておるのだ? 人の魂を道具扱いしおった小娘相手に……」

 実に不思議だ。親切にする理由が全く浮ばない。
 にも関わらず、妾はせっせと少年の治療を進める。あっと言う間に少年の顔色は良くなっていく。
 
「……いや、不思議だ。何となく、イリヤスフィールの為に動きたくなった。これは……」

 答えは出なかった。実に不可解だ。よもや、妾は子供好きだったのだろうか? 記憶が欠落しておるから、確かな事は言えぬが、意識というより、無意識がイリヤスフィールを救えと命じたように思える。
 妾、無意識に子供の味方をする程、子供が大好きだったのだろうか……。
 
「いや、そういう感じでは無かったな……。まあ、良い」

――――とりあえず、イリヤスフィールよ。二度と、夢幻召喚などという他者の魂を弄ぶ邪法に手を染めるでないぞ。
――――は、はい……。ごめんなさい。

 さて、そろそろ時間だ。意識が遠のくに連れ、徐々に記憶が甦っていく。改竄された魂が元の状態に戻りつつあるのだ。
 そして、分かった。何故、妾がイリヤスフィールに手を貸したのか、その理由、それは彼女がイリヤスフィールだったからだ。もっと言えば、嘗ての相棒、衛宮切嗣とその妻、アイリスフィールの娘だからだ。
 
――――失敗したのか、切嗣……。

幕間「始まりと終わりの物語」 パート13

 あれ、ここはどこだろう? 目が覚めると、私は霧の中に居た。前も後ろも何も見えない。皆はどこに居るんだろう? 心の中の友人に問い掛けてみても、答えが返って来ない。
 途端、不安に駆られ、私は走り出した。すると、後ろから何かが手を掴んで来た。言い知れぬ恐怖を感じ、私は悲鳴を上げた。
 頬に衝撃が奔り、同時に霧が晴れた。目の前には凛が居た。
 
「イリヤ!」

 凛は不安そうに私を見つめている。
 何だか、前後の記憶が曖昧だ。一体、眠る前に何があったのかしら。
 
「ねえ、ここはどこ?」

 私の問いに凛は余計、不安そうな表情を浮かべた。
 
「ここは間桐の屋敷よ。覚えてないの?」
「えっと……」

 曖昧に口を濁す私を見て、凛は苦々しい表情を受けべた。
 
「やっぱり、英霊を憑依させるなんて無茶だったのよ!」

 大きな声に身が竦んだ。
 
「あ、ごめん……」

 謝る凛に私は首を横に振る。
 
「みんなは?」
「フラットは二階の兄さんの部屋で寝かせてる……。ライダーとアーチャーは外で作業中。メイドの片方がフラットと一緒で、もう片方は別室に居るわ」」
「フラット! そうだわ、フラットは大丈夫なの!? 彼、毒を受けてたのよ! 早く、治療してあげなきゃ!」
「待ちなさい!」

 凛は立ち上がろうとする私の両肩を掴んだ。
 
「今、自分がどんな状態か分かってるの!?」
「え?」

 意味が分からない。私はピンピンしている。一刻も早く、フラットの所に行きたい。こんな所で問答をしてる暇なんて無い。
 
「凛! 私、早くフラットに会いたいの!」
「じゃあ、約束して!」
「約束?」

 凛は肩に手を乗せたまま言った。
 
「絶対に、あの夢幻召喚とかいうのを使わないで」
「夢幻召喚……?」

 首を傾げる私に凛は瞳を揺らした。
 
「ほら、記憶が曖昧になってる……。貴女、今、壊れかけてるって自覚あるの!?」

 凛の言葉の意味が分からなかった。壊れかけてる? 誰の事を言ってるんだろう。私は逆に凛の事が心配になってきた。言葉に脈絡が無さ過ぎる。
 
「凛。あなた、疲れてるんじゃない?」
「違う! じゃあ、あの時何があったか言ってみなさいよ!」
「あの時って?」
「ドラゴンが現れた時の事よ」

 ドラゴン。覚えている。突然、城に現れたドラゴンと私達は戦った。
 あれ?
 
「私達……? あれ? 誰かと一緒に戦ったような……」
「モードレッド! 貴女はそう呼んでいたわ」
「……えっと」

 思い出せない。おかしい。ドラゴンが現れて、アーチャーの舟に乗り、逃げ出そうとした所までは覚えているのに、その後の事が酷く曖昧だ。断片的な事しか思い出せない。
 不安に駆られた私は涙を零した。
 
「凛……。私、どうしちゃったの? 何で、思い出せないの?」
「……イリヤ」

 凛は私を強く抱き締めた。そして、そのまま語り始めた。あのドラゴンが現れてからの経緯を事細かく。
 私は夢幻召喚という魔術によって、前回の聖杯戦争で召喚されたキャスターのサーヴァント、モルガンを自らに憑依させたらしい。そして、彼女の宝具であるモードレッドを召喚し、共にドラゴンに挑んだそうだ。
 アーチャーにドラゴンの主人であるセイバーの討伐を任せ、私はモードレッドと共に戦った。私は自分自身の小聖杯としての能力をフルに使い、モードレッドと連携して只管時間を稼ぐに徹したみたい。
 あらゆる魔術を無効化させる絶対的な対魔力を持つドラゴンを相手に私は転移や強化の魔術を駆使してモードレッドを援護した。
 結果的に言えば、私達は勝利を収める事に成功した。私達が死ぬ前にアーチャーがセイバーを討伐してくれたのだ。その結果、寄り代たる主人を失ったドラゴンも消滅し、燃え盛る森をモードレッドの宝具で消し飛ばした後、私達は一旦、間桐邸に身を寄せる事となった。
 その道中で私に異変が起きたらしい。私の言葉が支離滅裂になり、夢幻召喚が解除され、モードレッドも消滅した。どうやら、ドラゴンと同じく、主人であるモルガンが存在しない状態ではモードレッドは現界する事が出来ないらしい。
 アーチャーの私見によれば、私の内側は大分酷い状態らしい。英霊の魂を憑依させるという無茶をした結果がこの様という訳だ。
 
「貴女は今、時限爆弾のスイッチが入ってしまった状態なのよ……。だから、大人しくしてて。絶対に助けるから」

 凛は言った。
 
「アーチャーとライダーも納得してくれてる」
「納得って……?」
「今日中に聖杯を手に入れるわ」
「……え?」

 大胆不敵な凛の発現に私は目を丸くした。
 
「聖杯で貴女の身体を治す。これから、私達全員がその方針の下で動く」

 丁度その時、部屋の扉が開かれた。
 
「準備が出来た。我が蔵にある一級品の宝具でこの屋敷を包囲した。これで何者もこの領域を侵す事は出来ない」

 アーチャーの後ろにはライダーの姿もある。彼は私を見るや否や駆け寄って来た。
 
「目が覚めたんだね! 大丈夫? 痛い所は無い?」
「う、うん。大丈夫よ、ライダー」
「……本当に?」
「え、ええ」

 何だか、随分と彼の笑顔を見ていない気がする。天真爛漫な彼の笑顔は心のもやもやを取り払う力があるのに……。
 ライダーは疑わしそうに私の表情を見つめ、それから溜息を零した。
 
「無理だけは絶対に駄目だからね……」
「う、うん」

 ライダーはそう言うと部屋を出て行ってしまった。不安が過ぎる。
 
「フラット。凛。フラットは上の階に居るのよね?」
「……ええ」

 凛の表情が暗くなった。不吉な予感に私は部屋を飛び出していた。前に来た時に階段の場所は把握している。転がるように階段を駆け上がり、一番近くの開きっぱなしの扉から中に入る。
 すると、そこにはライダーとリーゼリットの姿があった。二人はベッドに視線を落としている。
 
「フラット……?」

 言葉を失った。一瞬、死体では無いかと思った。土気色の顔に苦悶の表情を浮かべている。
 よろよろと近づく私にライダーが場所を空けてくれた。胸に耳を押し当てると、心音の小ささに悲鳴を上げそうになった。呼吸も荒く、いつ死んでもおかしくない状態に見える。
 
「は、早く……、早く治療をしなきゃ……」

 震えながら私は追い掛けてきた凛に縋った。
 
「お願い、凛。フラットを助けて」
「……ごめん、イリヤ。私には無理。アーチャーにも……」

 頭を下げる私に凛は申し訳なさそうに言った。
 
「どうして……? アーチャーには色んな宝具があるんでしょ!?」
「あるにはあるが……」
 
 アーチャーは歯切れ悪く言った。
 
「今の小僧の状態では我の宝具に耐えられん。何しろ、生命力が弱まり過ぎているからな。心を壊し、廃人となるか、あるいは一線を越え死徒となるかのどちらかだろう」
「でも!」
「イリヤちゃん……」

 食い下がろうとする私をライダーが引き剥がした。
 
「フラットはどっちも嫌だって言ったの……。俺は人間として死にたいって……」

 涙を浮かべながら言うライダーに私は耳を塞いだ。
 
「聞きたくない! 死ぬって何よ!? 私の事、好きって言ったじゃない!? なら、どうして――――」
「イリヤちゃん!」

 ライダーの怒鳴る声に私は言葉を紡げなくなった。
 
「フラットの気持ちを考えてよ。一番苦しいのはフラットなんだよ!?」

 ライダーが怒っている。その事実がフラットの死をより現実的にした。
 
「嫌だ……」
「イリヤちゃん。お願いだよ。傍に居て、手を握ってあげてくれ」

 私は為す術無く、ベッドの横に膝をつき、彼の手を握った。
 
「本当に救う手立ては無いの……?」

 私は自らに問い掛けるように呟いた。きっと、ある筈だ。彼ほどの善人がこんな所で苦しんで死ぬなんて理不尽、許される筈が無い。きっと、救う方法がどこかにある筈。

「……そうだ」

 一つある。どうして、直ぐに思いつかなかったんだろう。私は以前、彼の容態に気付いた時に彼を救おうとした。それはつまり、あの時の私は彼を救えるという確信があったという事に他ならない。
 
「夢幻召喚で、もう一度モルガンを召喚すれば……」
「駄目!!」

 立ち上がり、再び夢幻召喚を行おうとした私を凛が押さえつけた。そこにライダーが不思議な本を手に立ちはだかる。
 
「やっぱり、使おうとしたわね……」
「させないよ、イリヤちゃん」
「どうして!?」

 魔術回路を起動する事が出来ない。まるで、スイッチをコンクリートで固められてしまったみたいだ。
 
「今、ボクの本で君の魔術回路を封じてるんだ。絶対に君に夢幻召喚をさせない為にね」
「どうして!? だって、モルガンの力なら、きっとフラットを救える!」
「でも、君は今度こそ完全に壊れてしまう……」

 ライダーの言葉に私は息を呑んだ。
 
「あくまで、アーチャーの私見だけど、君はドラゴンとの戦いで力を使い過ぎたんだ。そのせいで、君の中身は今滅茶苦茶になってる。その上、更に夢幻召喚をしたら、今度こそ、完全に壊れてしまう可能性が高いって……」
「でも、フラットを救えるならいいじゃない! ライダーはフラットのサーヴァントなんでしょ!? 私の事より、彼を優先して!」
「出来ないよ……」
「どうして!?」
「だって、それがフラットの祈りだもの。フラットは君の命と自分の命を秤に掛けて、君の命を取ったんだ。だったら、彼のサーヴァントであるボクは彼の意思を尊重するしかない」
「そんなの――――」
「言ったでしょ? フラットの気持ちを考えてってさ」

 私は二の句を告げなくなった。足下がふらつく。倒れ込むように膝を折り、フラットの頬に手を伸ばす。
 彼が死んでしまう。悪夢のような現実に私は涙を流した。壊れるなら、壊れてしまいたい。彼を失って、私だけが生き延びて、それでどうなるというの?
 
「イリヤ。一つだけ、彼を救う方法があるわ」
「……凛?」

 凛の言葉に私はハッとした表情を浮かべて彼女を見る。
 
「聖杯なら、フラットの事も救える筈。だからこそ、私達は今日中に決着をつけるつもり」
「り、凛!」

 私は彼女のスカートにしがみついた。
 
「本当に? フラットを助けてくれるの?」
「ええ、嘘なんて吐かない。その為にも私達は全力を尽くしたい。だから、一つ約束して欲しいのよ」
「約束……?」

 凛は言った。
 
「絶対に早まった真似をしないで。夢幻召喚をしないって、皆に誓ってちょうだい。その約束があれば、私達は安心して戦える。聖杯を手に入れる事が出来る」

 誰かに後ろから抱き締められた。甘い香りがする。きっと、ライダーだ。
 
「ごめんね、脅かすような事ばっかり言っちゃってさ。でも、お願いだから、自分の命を軽んじる真似はしないで。きっと、二人共救ってみせるからさ」
「ライダー……」

 ライダーのぬくもりを感じ、私は小さく頷いた。
 
「約束する……。だから、お願い……、フラットを助けて、みんな」
「ああ、承った」

 応えたのはアーチャーだった。
 
「我が命を違えるなよ? 貴様は生きるのだ。さすれば、活路は我が必ず切り開く」

 そう言って、彼は部屋を出て行く。
 
「イリヤ。絶対に貴女を救ってみせる。フラットの事も。だから、もう少しだけ我慢してて」

 凛はそう言うと、アーチャーの後に続く。
 
「絶対、二人共助けるから、待ってて」

 ライダーは私から身体を離し、凛の後に続いて出て行く。
 
「イリヤ。私も行って来る。セラ、暴れるから、違う部屋で寝てる。でも、大丈夫だから、心配いらない。待っててね」

 リーゼリットも出て行ってしまった。残されたのは私とフラットだけ。
 彼の傍に寄り添い、近くのお盆に載せてあるボウルから氷水で冷やした手ぬぐいを手に取り、彼の顔を軽く拭う。
 
「……みんな、ありがとう」

幕間「始まりと終わりの物語」 パート12

 イリヤスフィールは人間では無い。さりとて、ホムンクルスでも無い。人間とホムンクルスとの間に生まれた奇跡の存在、それがイリヤスフィールという少女だ。
 アインツベルンの当主、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンはそんな彼女を『最高傑作』と呼んだ。彼女ならば、未だ嘗て無い程完璧な『聖杯の器』となれる筈だ。そう確信した彼の手によって、イリヤスフィールは母の母胎にいる間から様々な魔術的調整を受けるに至った。全てはアインツベルンの悲願、|天の杯《ヘブンズフィール》に至る為。
 しかし、前回の聖杯戦争でアインツベルンのマスターが召喚したサーヴァントが全てをぶち壊しにした。稀代の魔術師・モルガンはイリヤスフィールの肉体の再調整を行い、彼女が聖杯の器としてでは無く、人間として生きられるようにしてしまった。
 ところが、彼女は一つのミスを犯した。いや、もしかすると、遠い未来に訪れるであろう危機に瀕した時、イリヤスフィールが自らを守れるようにと思い、敢えて残したのかもしれない。イリヤスフィールの内には小聖杯の機能が残されていた。
 結局、アインツベルンに連れ戻されてしまったイリヤスフィールは再び調整を受ける事となり、今に至る。
 もし、モルガンがイリヤスフィールの内から小聖杯の機能を完全に取り除いていれば、あるいは両親と共に死ぬ事が出来たのかもしれない。それが、彼女にとっての幸福だったのかもしれない。
 けれど、彼女は生きている。そして、今、戦っている。
 
 モルガンの知識が私の中に流れ込んで来る。それはとても不思議な気分だった。まるで、初めて読む筈の小説の内容が既に頭の中に入っているみたいな不思議な感覚。疑問を抱くと、その答えが直ぐに湧いて来る。今、何をすればいいのかが分かる。
 モルガンの知恵が私という存在の使い方を教えてくれる。願望機たる聖杯を身に宿す私の魔術回路は『祈りを叶える』事に特化している。その力をフルに発揮すれば、ありとあらゆる魔術を理論を無視して再現する事が可能となる。
 必要とされる要素は二つ。一つは再現する魔術に要する魔力。もう一つはイメージする事。
 叶えたい祈りを強固にイメージする事で私の魔術回路はイメージと一致する魔術を――例え、ソレが未知の理論によるものであろうと――再現する。

「じゃあ、三人共、私に捕まって!」

 ライダー達が待つアーチャーの黄金の舟に私は移動したいと願った。すると、私の魔術回路は転移の魔術を再現する。ドラゴンの炎による空間の歪みを物ともせず、私達は舟へと降り立つ。
 驚きに目を瞠る凛とライダーに微笑み掛け、ライダーの傍で苦悶の表情を浮かべるフラットに視線を向ける。さっきまで分からなかった事が分かる。彼の容態が如何に危険な状態にあるかが分かる。
 
「フラット。直ぐに助けるから、もう少しだけ待ってて」

 彼はとても強力な毒を受けている。このままでは一日と保たずに死を迎えてしまうだろう。けれど、今の私なら彼を癒す事が出来る。だけど、今は駄目だ。今、優先すべきは地上の脅威を排除する事。
 アレの狙いは明白だ。私達を皆殺しにする事。理由は単純明快。アレの主がサーヴァントだからだ。それ以外にココにドラゴンが襲来する理由が無い。
 アレの狙いが私達を皆殺しにする事である以上、アーチャーを囮にして逃げる事に意味は無い。彼一人ではあのドラゴンを倒す事は出来ないだろうし、彼が居なければ私達に勝機は無い。
 戦うのは今だ。この状況こそが私達が生き延びる唯一にして絶対のチャンス。
 
「じゃあ、行くよ、モードレッド」
「オーケー。えっと、イリヤでいいよな?」
「うん」

 モードレッドは腰に差す鞘から輝く剣を抜き放つ。煌く銀光。その剣は一点の曇り無く輝いている。
 
「たまには英雄らしい事をしてみるのも悪くねぇ。行くぜ、イリヤ!」
「うん!」

 二人で同時に舟から飛び降りる。慌てて止めようとする凛とライダーに一言だけ。
 
「行ってきます!」

 ちょっとコンビニに行って来る。そんな風に聞こえるよう、明るい声で言った。
 落下しながらついつい笑みが零れる。可愛いドレスを身に纏い、魔法で戦う今の私はまるで、父と一緒に見たアニメの魔法少女みたいだ。
 
 ――――魔法少女……、なんだろう?
 ――――何だっていいよ! 今、凄く気分が良いわ。何の不安も無い。全てが上手くいくって気がするの。

 世界が色鮮やかに輝いて見える。キラキラしていて、まるで万華鏡を覗いているみたい。それか、昔、まだ小学校に通っていた頃に理科の授業で見たプリズム。
 
 ――――思いついた。プリズム・イリヤって言うのはどう?
 ――――もう一捻り欲しいかなー。
 ――――じゃあ、プリズマってどうかしら?
 ――――プリズマ?
 ――――ほら、理科の先生が言ってたじゃない。ちょっとした雑談で、プリズムと良く似たイタリアの言葉で、虹を意味してるって。虹の魔法少女なんて素敵じゃない?
 ――――いいね!
 ――――じゃあ、魔法少女プリズマ・イリヤに決定! 
 
 私は抑制が効かない程の高揚感に包まれていた。その理由は何となく察しがついている。憑依させているモルガンの魂が歓喜しているからだ。彼女の時間は願いが叶った直後で停滞している。
 妹を幸福にする。その願いが叶った事で彼女は喝采を上げている。その感情が私に伝わって来ているのだ。
 
「アハッ! とっても素敵な気分だわ」
「お、おいおい、今からドラゴンに挑むってのに、随分余裕だな」
「大丈夫よ。私達はきっと勝てる。あんな図体ばっかりでかいトカゲになんかに負けたりしない!」
「ッハ! 頼もしい事だな」
「じゃあ、一気に飛ぶよ、モードレッド!」
「おう!」

 イメージする。大空を舞うイメージ。鳥のように、自由自在に空を飛び回るイメージ。難しくなんて無い。だって――――、
 
 ――――魔法少女が空を飛ぶなんて当たり前!

 今の私は魔法少女。だから、空を飛ぶ事だってお茶の子さいさいよ。
 私のイメージが魔術回路を通して現実に展開する。私とモードレッドの背中に美しい光で編まれた翼が産まれる。
 
「お、おお!? 何か生えた!?」
「翼を乗り物だと思って操って! 出来る筈よ。貴女には優秀な騎乗スキルがあるのだから」
「いやいや、騎乗スキルとか関係無いだろ、コレ!」

 そう言いながらも、モードレッドは必死に背中に生えた光の双翼を羽ばたかせる。その動作に実の所、意味は無い。翼自体が空を飛ぶというイメージを強固にする為のただのイミテーションに過ぎない。重要なのはイメージだ。大空を羽ばたくイメージが飛行の魔術を成功に導く。

「くっそ、これ難しいぞ!?」

 モードレッドが錐揉み回転しながら落下していく。
 
「ちょ、ちょっと、どこに行くの!?」

 慌てて追い掛ける。しかし、重量が大きいせいか、モードレッドの落下速度が速い。このままだと距離を離される一方だ。
 だから、イメージする。さっき、アーチャーがライダーとフラットを鎖で引き寄せたアーチャーの姿をイメージする。
 
「掴まって!」

 掌から光で編まれた鎖が飛び出す。鎖は瞬く間にモードレッドの身体を絡め取ると、私のイメージに従い、縮んでいく。私とモードレッドの距離から零になる。
 
「ッハハ、何でもありだな」

 呆れたように私を見るモードレッド。
 
「このまま行くよ!」

 イメージする。作るのは足場。虚空に不動の足場を作り出すイメージ。空気が凝縮され、イメージ通りの足場が出来る。
 私はその足場を強く蹴った。それと同時に魔力を放出する。
 モードレッドの言う通り、今の私は何でもありだ。小聖杯としての機能と魔女・モルガンの業が合わさり、ありとあらゆる不可能が可能となる。
 
「アーチャー!」
「馬鹿者! 直ぐに凛達の下に戻れ!」

 アーチャーは傷だらけだった。でも、生きている。ドラゴンという圧倒的過ぎる強者を前にして、生き延びている事実が彼の強さと偉大さを証明している。
 ドラゴンという種は伝承によって姿が異なる。翼を持つものもいれば、持たないものもいる。手足を持つものもいれば、持たないものもいる。
 ドラゴンとは初め、蛇であった。原始宗教において、神として崇められていた蛇が悪魔の象徴に貶められた時、蛇は新たな神の使い、天使に抗うべく、翼を手に入れた。そして、戦う為に牙と爪を手に入れた。頭部には強さの象徴たる角を生やし、あらゆる幻想種の頂点に立つもの、それがドラゴンである。
 ドラゴンの強さはその姿によって量られる。角と翼を生やし、爪と牙を持つ、あのドラゴンはおよそ、ドラゴンの特徴とされるものを全て持ち合わせている。
 それはつまり、あのドラゴンがあらゆる伝承の中でもトップクラスにカテゴライズされる種である証。
 
「でも、負けない!」

 恐れは一欠けらも無かった。まだ、奇妙な高揚感は続いている。
 頭は冴え冴えとしていて、何をするべきかが全て把握出来ている。
 
「逃げんか、馬鹿者!」
 ドラゴンの顎が開かれると同時にアーチャーが私達の下に駆けつけてくる。
 私は彼にとって敵である筈なのに、どうしてこんなにも彼は必死になるのだろう? 不思議で仕方が無いけど、今は気にしている暇が無い。
 
「アーチャー。一緒に戦うわ」
「不要だ! さっさと離脱しろ、クソ!」

 ドラゴンの炎を吐き出す。それに対抗すべく、アーチャーは盾の宝具を展開する。
 
「アーチャー。あなた、一人であのドラゴンに勝てるの?」

 その不躾とも言える問いにアーチャーは「無論だ」と返した。
 けれど、私は首を横に振る。
 
「嘘ね。勝てないと分かってるから、私達を逃がすために全力を尽くしてる。そうでしょ?」

 今度は答えが返って来なかった。
 
「それは私達が加わっても同じ事。だから、あなたは私達に帰れと言う」

 そう、私達が加わっても、あのドラゴンには決して敵わない。これは動かしようのない事実だ。だけど、それがイコール敗北を意味しているわけでは無い。

「でも、勝つ手段はある」
「……無理だ。貴様はコレの主を倒そうと画策しているのだろう? だが、主の方へ向かおうとすれば、コレは確実に気付く。コレに背を向けるという事は死を意味するぞ。それに、これほどマナが淀み、空間が歪んでいる状況では我が宝具をもってしても見つける事は出来ん」
「大丈夫。如何に淀もうと、魔力である以上、今の私になら御しきれる。主の居場所を見つけるくらい、お茶の子さいさいよ」
「……ならば、何故ここに来た? 直接、主の下に向かえば良かったではないか」
「だって、私とモードレッドじゃ、彼には敵わないもの」

 それが結論。必要なのは役割分担だ。
 
「あのドラゴンを召喚した犯人は多分、セイバーよ」

 確証があるわけではない。そもそも、彼はドラゴンを討伐する側の人間だった筈。だけど、ドラゴンに纏わる逸話を持つ英霊は今、ステータスが判明しているサーヴァントの中では彼だけだ。
 未だに遭遇した事の無いランサーも犯人の候補ではあるものの、犯人がセイバーであった場合、私達ではどうあっても勝てない。
 あのドラゴンがサーヴァントの宝具である以上、主であるサーヴァントを倒せば消滅する筈だ。その為にもセイバーを倒せる人に向かってもらう必要がある。
 
「……お前達でコレの相手をすると言うのか?」

 ドラゴンの炎を防ぎ切った盾は直後、まるでクッキーのように崩れ去った。
 
「絶対に勝てない。けど、命を賭ければ時間稼ぎなら出来ると思う」
「……そうか」

 アーチャーは迫り来るドラゴンの尾を巨大な紅の剣で防ぐ。
 
「イリヤスフィール」
「なに?」
「お前は凛を好きか?」

 唐突な質問。けれど、ドラゴンに向かって無数の宝具を放ちながら問うアーチャーの瞳はとても真剣だった。
 
「……うん。凛の事は好きよ? けど、それが――――」
「なら、何としても生き延びろ。そして、凛の友達になれ」
「……えっと?」

 アーチャーは途惑う私を尻目に言葉を続ける。その間にもドラゴンを相手に無数の宝具を放ち続ける。
 
「凛は引っ込み思案に見えるが、その内には強い芯がある。だが、長い幽閉生活や苛烈な調教を受けたが為に自分が分からなくなっているのだ」

 アーチャーは羽をはためかせ迫ろうとするドラゴンの眼前に山の如き大きな槌と槍を降らせた。そこに無数の鎖や布が殺到する。
 
「我も昔、似たような時期があった。絶対的な力を有するが故に我は誰の事も理解する事が出来ず、誰にも理解を得られず、自分というものが分からなくなっていた。それを救ったのは友の存在だった。奴は我という存在を理解し、我もまた、奴を理解する事が出来た。そして、我は自分というものを取り戻す事が出来た」

 ドラゴンの爪が伸びる。そこに桜色の光を放つ盾が現れる。
 
「凛にも友の存在が必要だ。互いに互いを理解し合える友がな。お前ならば、そんな存在になれる筈だ」

 アーチャーの言葉は私の心を大きく揺らした。
 けれど、それは無理だ。
 
「アーチャー。私は……」
「故にこれは命令だ」

 アーチャーが私達を取り囲むように盾を何重にも展開する。そして、その向こうで光が溢れた。
 壊れた幻想。アーチャーがドラゴンに向かって放った無数の宝具が一斉に幻想を解放したのだ。
 
「生きろ、イリヤスフィール。そして、凛の友となれ。その為ならば、この英雄王・ギルガメッシュが活路を見出してやる」
「アーチャー……」
「モードレッドよ」

 言葉を失う私を尻目にアーチャーはモードレッドに言葉の矛先を向ける。
 
「これを使え」

 アーチャーは背後の揺らぎから次々に宝具を取り出した。
 
「貴様のステータスを底上げ出来る筈だ。貴様も英雄を名乗るからには使いこなしてみせろ」
「ッハ、大盤振る舞いだな、王様」
「財宝は使ってこそ。これもまた、友から教わった事だ」

 アーチャーは私にも夥しい量の宝具を押し付けてきた。それらを装着するのを確認し、アーチャーはドラゴンを見た。
 無数の宝具による一斉爆発を受けたドラゴンは尚も健在だった。多少のダメージは受けたようだが、その戦意は些かも衰えていない。むしろ、怒りを滾らせているように見える。
 
「イリヤスフィール。貴様は生きて、凛に多くを教えろ。そして、凛からも多くを教われ。英雄王の命をよもや聞けぬとは言わさん」
「……うん」

 私は頷きながらサーヴァントの気配がする方角を指差した。
 
「あっちにサーヴァントが潜んでる。お願いね、アーチャー」
「ああ、直ぐに終わらせる。それまで、決して死ぬな」

 アーチャーはそれだけを言い残すと、あっと言う間に私が指差した方角目掛け飛んで行った。
 残された私達は改めてドラゴンを見る。
 
「ッハハ、コイツ相手に時間稼ぎとは……」
「無理・無茶・無謀は承知の上よ! でも、やるの! 行くわよ、モードレッド!」
「はいはい」

 ドラゴンが雄叫びを上げる。けれど、今の私に恐怖は無い。奇妙な高揚感とは別に、新たな感情が私を突き動かす。

 ――――生きたい。

 純粋な思いが私を後押しする。私は必要とされている。その事が私の中で革命を起こしたらしい。今まで、心の奥底に仕舞いこんでいた筈の願望が胸を満たす程に広がった。