エピローグ「十年後」

 ――――十年後。

「いってきまーす」

 玄関先で手を振る家族に大きく手を振り返しながら、私達は家を出た。今朝も夢見が良くて気分上々。通い慣れた通学路を歩きながら、放課後の予定で盛り上がっていると、遠目に仲良しのクラスメイトの姿が見えた。小学校の頃からの幼馴染だ。
 
「やっほー!」
「おはよう! 美遊!」

 声を掛けると、向こうも私達に気づいたらしく、立ち止まって手を振りながら「おはよう」と返した。その手には英語の単語帳が握られている。

「美遊ってば、相変わらず熱心だねー」

 私が言うと、隣を歩く小悪魔娘がニヒヒと笑みを浮かべながら頬を突いてきた。

「イリヤも頑張らなくちゃね」
「他人事みたいに言っちゃってー。桜だって、油断してると志望校落ちるよー?」

 桜の志望校の偏差値は県内トップクラスだ。油断していると痛い目に合う。

「大丈夫だよ、イリヤ。桜は成績優秀だから」
「そうそう。イリヤは私の心配より自分の心配をしないとだよ」

 成績優秀者の二人は余裕綽々。
 
「姉さんみたいになりたいなら、もっと頑張らなくちゃね」
「分かってますー。センターも近いし、気合を入れ直すわよ」 

 いよいよ高校生活も大詰めに入り、周囲は受験ムード一色。勿論、私も例外では無い。先に夢を叶えた親友の後に続く為にも頑張らないといけない。
 
「学校の先生か……。きっと、イリヤなら間桐先生みたいになれるよ」
「だよね!? 私だって、凜みたいに立派な先生に!」

 美遊に元気付けられ、私は張り切って走り出した。
 
「ま、待ちなさいよ、イリヤ!」
「いきなり走り出さないで……」

 体力無い組でもある二人が抗議の声を上げるけど知った事じゃない。一刻も早く学校で勉強したい。夢を叶える為に。
 
 学校に到着すると、早朝から勉学に励む同級生の姿がチラホラ。
 
「三人共、おはよう」

 教室に入ろうとした途端、声を掛けられた。声の主は振り返らなくても分かる。
 
「おはよう、間桐先生」
「おはよー、凜!」
「おはようございます」

 間桐凛。嘗て、遠坂凛だった少女は異世界で過ごす中で抱いた夢を叶える為に勉学に励み、様々なゴタゴタが漸く解決した五年前に教師になった。
 更に三年前、恋人だった間桐慎二と正式に入籍し、間桐凜となり現在に至る。
 
「イリヤ。何度も言うけど、間桐先生ね?」
「いいじゃん、別にー」
「分別を付けなさい。そんなんじゃ、先生になれないわよ?」

 困ったように言う凜に私はやむなく降参した。
 
「分かりましたー」
「語尾を伸ばさないの!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「……はい」
「よろしい」

 細かい。美人英語教師として評判の凜だけど、小言が多いのが玉に瑕だ。
 
「じゃあ、また後で授業でね。センター試験まで時間が無いんだし、しっかりね」
「はーい!」
「はいの間を伸ばさないの!」
「……はい」

 放課後、私は桜と美遊を引き連れて新都の図書館を訪れた。ここにはありとあらゆる最新版の参考書や問題集が完備されているから受験生にとってありがたい場所。
 シャープペンを絶えず動かしながら、私は只管問題を解いていく。特に数学はより多く解く事で問題解決への糸口を見つける練習をする事が重要だ。
 
「そう言えば、イリヤ」
「なーに?」

 医大の分厚い過去問を解いている美遊が声を掛けて来た。彼女が勉強中に話しかけてくる事は非常に珍しい。
 
「高校卒業したら、フラットさんと入籍するの?」

 思わず噴出してしまった。
 フラットさんこと、フラット・エスカルドスとは私の恋人の事だ。様々な理由で小学生からやり直す事になってしまった私をフラットはずっと待ってくれている。
 小学生とお付き合いをしている変態の汚名を被りながらも私の恋人であり続けてくれている彼には感謝と同情を向けずにはいられない。
 
「さすがに大学に居る間は勉強に集中するつもり。でも、卒業したら即結婚する予定よ。油断してると、あの桃色髪に取られそうで怖いし……」

 桃色髪とは勿論、ライダーことアストルフォの事。奴こそが私にとっての最大の懸案事項。性別は男だけど、あの可愛らしさは油断ならない。

「平気で人の彼氏にキスしてくるし……、気付いたらベッドに潜り込んでたりするし……、時々、奴のスキンシップにフラットが鼻の下伸ばしてる事があるし……」

 奴は中世の人間。しかも、フランス人。ゲイに寛容な国の人。本気を出されると本気で奪われかねない恐ろしい存在だ。
 
「イ、イリヤ……。大変だね……」

 顔を引き攣らせる美遊に私は溜息を零した。
 
「大丈夫よ、美遊。何だかんだ言って、イリヤとアストルフォは仲良しだもの。結婚しても、結局三人一緒なのは変わらない気がするわ」
「それは当然よ。結婚しても、アストルフォとはずっと一緒よ?」

 当然の事を口にしたのに、二人は噴出した。何か、おかしな事を言ったかしら?
 
「それより、二人はどうなのよ?」

 言ってから地雷を踏んだ事に気が付いた。桜は他人の色恋は好きだけど、自分の事に関してはどこまでもネガティブだ。
 
「……雁夜さん以上の人なんて居ないし」

 ボソリと呟くように言われ、私はそれ以上聞けなかった。
 
「み、美遊はどうなの?」
「……イリヤ以上の人なんて居ないし」

 聞かなかった事にしよう。そして、二度と聞かないようにしよう。
 そう心に決めて、私は勉強に戻った。
 
 夜になって、私達は美遊と別れた。彼女の家は私達の家とは反対方向だ。
 私達が今住んでいるのは真新しい作りの武家屋敷。その昔、私はここに一時期だけ住んでいた事がある。もっとも、その当時の記憶は殆ど無いのだけど……。
 玄関を潜ると割烹着姿の我が家の家政婦がお出迎えしてくれた。
 
「お帰りなさい、二人共」
「ただいま、士郎!」
「ただいまー!」

 言峰士郎。嘗て、聖堂教会の代行者だった少年。現在は我が家の家政婦さん。十年前、凜と共に生きる事を決意した彼女は家事能力皆無の私達に代わり、家事全般を一手に引き受けてくれた。
 料理は美味しいし、彼女が干した洗濯物は不思議なほどふかふかで気持ちが良い。彼女自身もまるで天職を手に入れたかのようにこの仕事を気に入っている。
 名前は男の時のままだけど、彼女が肉体を男に戻す事は無かった。理由を聞くと……、
 
「男に戻ると凜に惚れてしまいそうですからね。それでは、あまりにも不義理だ」

 との事。ただ、最近、そんな彼女の過去の真実を知らない憐れな男が彼女にプロポーズをして撃沈するという事件があった。
 困り顔で断る彼女に肩を落とす彼の姿は今でも忘れられない。
 
「御飯はもう出来ていますよ」
「今日のメニューは?」
「良い豆腐を持って来て貰ったので、ソレを調理しました」
「……持って来て貰ったって?」

 首を傾げながら居間に入ると、そこにあの男が座っていた。
 
「やあ、お帰り」

 柳洞一成。円蔵山中腹に存在する柳洞寺の次期住職候補が味噌汁を啜っていた。
 
「相変わらず、士郎の味噌汁は美味いな」
「ありがとう。お代わりはたくさんあるからな」
「うむ、忝い」

 まるで、長年連れ添った夫婦のような空気を醸し出す二人に私はよろめいた。
 
「おっと、どうしたの?」

 倒れそうになる私を抱き止めてくれたのは愛しの旦那様候補ことフラット・エスカルドス。
 
「あの生臭坊主は何で居るの?」
「ああ、一成? なんか、士郎が街中で偶然会って、夕食に誘ったらしいよ?」
「士郎から!?」

 思わず目を剥く私に桜が溜息を零した。
 
「知らなかったの? 柳洞さんがあの後も士郎さんにアプローチを繰り返してて、結構仲良くなってるのよ、あの二人」
「い、一大事じゃない!? わ、私達の士郎が、あんな生臭坊主に!」
「まあまあ、人の幸せにケチをつけるなんてナンセンスだよ、イリヤ」

 そう言ったのは何時の間にか現れたアストルフォ。
 
「そうだぜ。ってか、さっさと入れよ。アイツに飯を全部食われちまうぞ」

 後ろからモードレッドも姿を現した。
 
「ぐぬぬ……」

 渋々、私は居間に入り、フラットの隣に座った。
 
「士郎。俺としては、この味噌汁を毎日でも飲みたいのだが……」
「なら、いつでも遊びに来ていいですよ」

 まだ、大丈夫だ。士郎は天然と鈍感という強力なスキルを保有している。そう簡単に陥落したりしない筈だ。
 
「……では、毎日でも夕食のお相伴に預かろうかな。なに、食事代はちゃんと出すさ。ああ、それと、今度の土曜日は暇かね?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「では、今度出来た屋内プールに二人っきりで……」
「良いですよ。楽しみにしてますね」

 バキッと音がした。何かと思ったら、私が箸を握り潰した音だった。
 嫌だわ。幻聴を聞いて、ちょっと力の加減を間違えたみたい。
 
「イリヤ。現実を見ろ。多分、お前とフラットより先にゴールインするぞ、あの二人」

 隣に座るモードレッドが言った。
 
「何を言ってるのかしら? 私達の士郎があんな生臭坊主なんぞに……」
「いや、士郎さんも満更じゃ無さそうだし……」

 桜の言葉に士郎を見る。驚愕の真実がそこにあった。あの士郎が頬を赤らめている。
 
「あ、あり得ない。だ、だって、士郎だよ? それに、士郎は元々……」
「恋愛に性別なんて関係無いんだよ」

 恐ろしい事を言い出したのは桃色髪の我が宿敵。
 
「という訳で、ちょっと性別の垣根を越えてみない? フラット」
「越えたら殺す」
「って、マイスイートハニーが言ってるから遠慮しときます」
 
 油断も隙もあったもんじゃない。
 
「お前なー。他人の幸せを祝えないなんて、ちょっと、どうかと思うぞ」

 沢庵を啄みながら言うモードレッド。
 
「だってー」
「泣くなよ……」

 だって、士郎はこの十年間ずっと一緒に居た家族なのだ。
 毎日、誰よりも早く目を覚まし、私達の為に朝御飯とお弁当を作ってくれる士郎。いつも、優しく体をゆすって起こしてくれる士郎。洗濯から掃除、風呂焚きまで私達の生活を支えてくれている士郎。
 その士郎が嫁に行く。悪夢でしかない。
 
「別に一成は悪い奴じゃないだろ?」
「そうだけどー」
「だったら、いいじゃねーか。お前だって、いつかはフラットと結婚してこの家を出てくんだろ?」
「……そうだけど」
「だったら、送り出してやれよ。凜の時みたいにさ」

 正直、凜が間桐慎二と結婚して、この家を出て行った時もとても哀しかった。いつでも会えるとは言っても、毎朝一緒に顔を合わせて食事をするという習慣がある私達の中から二人の人間が同時に居なくなるというのは寂しいものだ。
 
「士郎……」

 士郎はこの十年で変わったと思う。より、人間らしくなった感じがする。
 表情も豊かになり、自らの性質とも今ではある程度折り合いがつけられている感じ。その要因の一つは彼女の義理の姉の存在だった。
 聖杯戦争終結後、聖堂教会から事態の収拾の為に派遣されて来た彼女、カレン・オルテンシアは聖堂教会でも特殊な立場にあった。その為か、彼女は士郎に特殊な体質や性質との折り合い方を教授してくれた。
 曰く、聖杯に望む程の祈りとはどんなものであるかを考えなさい、と彼女は士郎に言った。士郎の起源は『聖杯』であり、その在り方を変える必要は無い。けれど、あくまでも自分が聖杯である事を自覚しろと彼女は言った。
 聖杯に捧げる祈り。それは決して軽はずみに口に出来るものでは無い。そのような祈りを捧げられた時だけ、動けば良い。
 数年前に仕事柄の無理が祟り体を壊し、死去した義姉の教えに従い、士郎は今日まで過ごして来た。彼女曰く、聖杯戦争に参加したマスター達が抱いたほどの強い祈りは未だに無いそうだ。
 だから、彼女は近所で評判の『良い人』という立場で生きている。
 祈りと関係の無い親切。彼女はその在り方を真に発揮する時を待ちながら、その性質を優しさという形で発露している。

「……そうだね。それで、士郎が幸せになれるなら……」

 きっと、一成は士郎を幸せにするだろう。
 悔しいけど、それだけは認めざる得ない。だって、彼はとても彼女を愛しているから。
 
「まあ、泣かせるような真似をしたら取り返しに行くとして……」
「おい……」

 呆れたように私を睨むモードレッドに私は別の話を振る事にした。
 
「それより、道場の方はどうなの?」
「ああ、良い感じだぜ。今日も新しい門下生が入った」

 ニヒヒと笑うモードレッドに桜が言った。
 
「現代の剣道をキチンと学んで、必要な資格まで取って、モードレッドは本当に凄いわ」

 瞳をキラキラさせて言う桜。
 彼女の言う通り、モードレッドは凄い。我が家の家系の為に十年前の事件を切欠に懇意となった藤村家の人の力を借り、戸籍を手に入れたかと思うと、あっと言う間に必要な知識と資格を手に入れて、我が家の境内にある道場で剣道教室を開いてしまった。
 最初は外人の金髪美女が開いた怪しげな道場を訪れる者は少なかったけど、士郎の近所付き合いの成果などもあり、徐々に門下生が増え、我が家の重要な資金源の一つとなっている。
 そう、私達のような多国籍の怪し過ぎる一団がこの街に溶け込めているのも、士郎とモードレッドの努力の成果と言える。街を歩けば、士郎の知り合いかモードレッドの門下生が挨拶をしてくれる程だ。
 
「あ、そうそう! 明日も仕事で出掛けてくるからね!」

 アストルフォが言った。
 驚くべき事にアストルフォも仕事をしている。しかも、仕事内容はファッションモデル。街を歩いていた時、彼の美貌にすっかり騙された間抜けなスカウトマンがガールズファッション誌のモデルに起用してしまったのだ。
 家計の助けになるならば、とよく考えずに引き受けたアストルフォにも問題があると思うけど、性別を隠したまま、謎の美少女モデルとして活躍中だ。

「漫画のキャラみたいな生き方よね、貴女」

 桜が呆れたように言う。同感だ。
 
「モデルの仕事って、結構楽しいよ。色んな服が着れるしね」
「でも、性別とかバレないの?」
「会社の人は知ってるもん。でも、重要なのは見栄えだってさ」

 大らかと言って良いのか、てきとうと言えばいいのか……。
 
「俺も明日はバイトで帰りは遅くなるよ。夕食は外で済まして来るから」
「分かりました。お弁当はどうします?」
「それはお願い」
「分かりました」

 うーん。そろそろ、私も本格的に花嫁修業をした方がいいかもしれない。正直、今の私は完全に皆に頼り切ってる。
 お金を稼げるわけじゃないし、家事が出来るわけでもない。大学に入ったら、バイトとかもしてみよう。
 そう、心に誓いながら、私は味噌汁を啜った。実に美味しい。
 
 夕食後、さっさとお風呂に入って、私は桜と一緒に受験勉強の続きを始めた。美遊と同様、桜も医大を目指している。その理由は過去の罪の償いの為だ。
 少しでも多くの人の命を救う仕事がしたい。彼女はそう言って、医大を目指している。それも、お金の掛からない特待生を目指して……。
 モードレッドが仕事を探したのも彼女の大学資金の調達が主な目的だ。とにかく、膨大な金額が必要だと予想され、モードレッドは必死に彼女為に行動している。遠坂、間桐、アインツベルンの財産をあらかた処分して得た賃金にも限りがあるからだ。
 
「桜……」
「なに?」
「頑張ろうね」
「……うん」

 私も負けていられない。私だって、桜よりランクは下がるものの、教師になる為に大学に行く。そこで、必ず特待生になって、奨学金を貰う。
 聖杯戦争とはまた少し違う、受験戦争という名の闘争に私達は必ず勝利する。そして、夢を叶えるのだ。
 
 ◆
 
 夜遅く、間桐凛は電話を掛けていた。最初は慣れなかったけれど、訓練の賜物で使いこなせるようになった。相手は遠い空の下に居る友人。
 
「元気?」
『ああ、元気だとも』

 電話の相手はライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。十年前の戦争終結の後、彼女はバゼットと共に魔術協会に対する聖杯戦争のあらましと状況説明をする為に渡英した。
 一筋縄ではいかなかったようだが、他の面々は誰も彼もが魔術師として半人前、あるいは世間知らず、あるいは能天気だったから、やむなくという感じだった。
 結局、色々とゴタゴタが起きてしまったけれど、五年前に漸く落ち着く目処が立ち、彼女はバゼットと共に旅に出た。
 あの異世界での経験を切欠に彼女は真実を探る楽しさを知ったらしく、様々な遺跡を発掘するフリーランスの|遺跡発掘者《トレジャー・ハンター》になった。
 
「そっちはどうなの?」
『最近、面白い遺跡を発見してな。発掘中だよ』
「面白い遺跡って?」
『どうにも、過去では無く、未来の遺跡らしいのだ』
「未来の? それって、どういう意味?」
『恐らく、何らかの事故があったのだろう。この遺跡は未来からタイムスリップして来たらしいのだ』
「タイムスリップ……?」
『詳しい事はまだ言えんが、魔術だけで無く、科学の力も取り入れられているらしい』
「ふーん。っていうか、この遺跡って、もしかして今……」
『ああ、潜ってる最中だ。バゼットが先行して……っと、戻って来たな』

 ライネスの声が離れて行く。
 
『おいおい、どうしたんだ? 随分と怪我をしているが、トラップにでも引っ掛かったのか?』
『いえ、それが……。非常に不可解な現象と立会いました』
『不可解?』
『何故か……、遺跡の先にエミヤが居たのです』
『はあ?』

 何だろう。凄く気になる会話が聞こえる。耳を澄ましていると、バゼットが語るのが聞こえた。
 
『どうやら、異空間に繋がっていたらしく、学生服を身に纏うマスターと共に居ました。何とか退ける事が出来ましたが、彼らの撤退した後の道を進む事が出来ませんでした』
『異空間か……。一体、何なんだ、ソレは?』
『分かりません。ただ、彼らは『月』という単語を多用していました』
『月か……。興味深いな。この遺跡、徹底的に調査する事としよう。っと、すまないな、凜。待たせてしまった』
「う、ううん。ねえ、今の会話、エミヤって聞こえたんだけど……」
『どうやら、この遺跡は相当特殊らしい。調べ甲斐がある』

 かなり興奮している様子が受話器越しに感じる。
 
「えっと、それよりエミヤの事を……」
『こうとなっては電話をしている暇など無い! すまんが切るぞ! 私も潜ってくる!』
「ちょっ!」

 電話を切られた。昔の冷静な貴女はどこにいったの? 凜はがっくりと肩を落とした。
 
「電話は終わったのかい?」
「うん。ドッと疲れたわ……」
「……電話してて何で疲れるんだ?」
「……とりあえず、夕飯にしましょう」

 気を取り直して、準備していた夕飯を食卓に並べる。
 
「あ、そうだ。慎二にも報告しとかないとね」
「ん? どうしたんだい?」

 首を傾げる彼に私は言った。
 本当なら、電話でライネス達にも報告したかったのだけど……。
 
「赤ちゃんが出来たわ」
「そうか……、って、ええ!?」

 食べていた野菜炒めを口から吹き出して、慎二は立ち上がった。
 
「もう、食事中に立たないの!」
「い、いや、そんな場合じゃなくて! って、ええ!? 本当に!? 僕と凜の!?」
「当たり前でしょ。この子のパパはあなたよ、慎二」

 凜が呆れたように言うと、慎二は慌てた様子でテーブルを回り込み、凜のお腹に耳を当てた。
 
「こ、ここに居るのかい!?」
「い、居るから落ち着いて! まだ、耳を当てても分からないわよ!」
「い、いや、分かるかもしれないじゃないか! い、居るんだよね? ここに僕らの子供が! む、娘かい!? それとも……」
「まだ分からないわよ……。もう、ちょっと落ち着きなさいって」
「こ、これが落ち着いてなんて!」
「落ち着け」
「……はい」

 大人しく自分の席に戻る慎二に凜は微笑んだ。
 
「とにかく、貴方も来年には父親になるんだから、もっとしっかりしてね」
「う、うん!」
「とりあえず、名前を考えないとね。どんなのがいい?」
「えっと、そうだな……」

 夜が更けていく。彼ら彼女らは当たり前のような日常を当たり前に過ごす。
 家族を失った者は新たな家族を手にし、夢を見失っていた者は新たな夢を手にし、彼らは未来を創って行く。
 その様子を彼は見つめていた。太陽が照りつける神殿の奥。
 一人の老いた王が微笑んだ。
 
「中々に面白い。さて、次は別の未来を視るとしよう……。ほう、月の聖杯か……」

 王は楽しげに笑い、未来を視る。そこには人々の営みが映っている。彼が愛でる人の理。それを見守る事こそが人類最古の英雄王の努めであるとして……。

最終話「夢の終わり」

 乖離剣によって崩壊を始める『世界』が亀裂から禍々しき真紅の光を迸らせ、呪詛の塊を降らせる。天を往く馬車は針の穴を通す動きで呪詛を交し、天上のステンドグラスを目指す。
 最初は巨大な円形だったステンドグラス。今では大部分が砕け散り、小さな破片を残すのみ。そこに亀裂が走り、光が迸る。
 
「ライダー! 速度を上げろ!」

 エミヤが叫ぶ。弓に次々と矢を番え、避け切れぬと判断した呪詛を打ち払いながら、その眼はステンドグラスの亀裂の先を見ていた。
 遠くの地を見通す英霊・エミヤの鷹の目は亀裂の先に外の世界の光景が広がっている事を捉えていた。その亀裂が広がると共にステンドグラスが崩れていく。恐らく、あのステンドグラスが|この世《ゆめ》と|あの世《げんじつ》を繋ぐ境界線。完全に崩れ落ちたら、手遅れになる。
 
「今の速度が限界なんだ! クソッ、直進出来ればもっと早いのに!」

 ライダーが悔しそうに叫ぶ。
 降り注ぐ呪詛は触れたが最後、一瞬にして呑み込まれ、冒されてしまう。故に馬車は大回りで回避する他無い。
 どうすればいい? エミヤは考える。ステンドグラスの崩壊速度はかなり早い。このままでは間に合わない可能性が高い。となれば、今のように一々呪詛を避けて遠回りしている暇など無い。
 必要なのは道だ。馬車が目的地に向けて直進出来る道を用意する必要がある。その為の手段はある。けれど、その為には固有結界を発動させる必要がある。だが、そうなると狙撃を中断しなければならなくなり、その間、馬車は更に動きを制限されてしまう。下手をすれば回避し切れず、全員お陀仏という可能性もある。

 ――――大丈夫ですよ。

 迷うエミヤの心にそんな声が響いた。
 
 ――――私の力で貴方の投影をサポートします。

 迷っている余裕は無かった。
 
「ライダー! 私が道を切り開く! その道を直進しろ!」
「どうするの!?」

 ライダーの問いに応えず、エミヤは深く息を吸い込んだ。
 自らの内より、一振りの剣を汲み上げる。
 
「トレース・オン」

 本来ならば、固有結界の中でなければ投影出来ない最強カテゴリーの聖剣。本物には及ばぬ紛い物だが、真に迫るソレは英霊・エミヤの禁じて中の禁じてである。
 今、自らの内に潜む『もう一人の自分』の力を借り受け、幻想を紡ぐ。言峰士郎という少女の持つ|能力《ちから》、『|祈りの杯《サング・リアル》』がエミヤの投影をプッシュした。
 顕現したのはエミヤが生前憧れた騎士の剣。遥か遠い理想の輝き。
 十年前の聖杯戦争終結の際とは違い、令呪のサポートも無く、十分な魔力があるわけでも無いが故に、本物には遠く及ばぬ紛い物。されど、道を切り開くには十分な力を持っている。
 エミヤは聖剣を振り上げた。同時にライダーが馬車を空中に静止させた。
 
「|永久に遥か黄金の剣《エクスカリバー・イマージュ》!!」

 ステンドグラスから僅かに逸れた軌道を光が奔る。幾万の呪いが光を前に弾け去った。
 
「往け、ライダー!」
「了解!」

 馬車が奔る。ステンドグラスの亀裂の向こうに見える景色を目指して……。
 
 ――――いけないな。

 聞こえぬ筈の声が響いた。馬車の中、外の景色を眺めていた凜の表情が凍りつく。
 
 ――――君は約束を破った。

 絡みつくような声。
 
 ――――ああ、安心しなさい。他の者は返してあげるよ。

 声と共に馬車が光を帯びる。
 
「な、なんだ!?」

 他の者には聞こえていないらしい。誰も彼もが奇怪な現象に目を剥く。
 
 ――――元より、欲しいのは君だけだ。

「ぁ……、うっ……」
「凜!? どうしたのですか!?」

 様子のおかしい凜にジャンヌが手を伸ばす。
 しかし、その手が凜に触れるより先に彼女の体は光の中に消え去った。彼女だけでは無い。他の者も全て、馬車の内と外から消え去った。
 
「あれ……?」

 目の前が霞んでいく。
 
「どうして……?」

 手を伸ばす。誰も居ない。何も無い。
 さっきまで座っていた筈の馬車の椅子の感触も無くなっている。
 
 ――――この世界は我が体内も同然。目に見えるものも、見えぬものも全て等しく|この世全ての悪《わたし》の一部なのだ。

 声は言う。
 
 ――――お前が息を吸う度、私はお前の中に入り込む。

「……そん、な」

 ――――遠坂凛。お前に選択肢をやろう。最後の選択だ。

 声は言う。
 
 ――――生きたいか?

 声の問いに凜は震えた。もはや、視界は漆黒に染まり、全身の触覚も失われた。自分という存在が酷く希薄になり、それが彼女に恐怖を与えた。
 
 ――――それとも、永劫、この世界に縛り付けられたいか?

 その問いが何を意味しているか、凜には分かっていた。
 ついさっきまでなら、覚悟が出来ていた。けれど……、
 
 ――――英雄王は最後の最後で判断を誤ったな。

 ギルガメッシュは凜に希望を与えてしまった。希望の光は絶望の闇をより一層深くする。凜は声を震わせた。
 
「……いやだ。死にたく……ない」

 生きられる。皆と共に未来を歩いていける。そう信じていたが故に凜の心は揺れ動く。自らの滅びを選択する事が出来なくなる。
 
「や、だ……。わたしは……みんながいる世界に戻って……それで」

 ――――そうだ。願うが良い。さすれば叶う。

「わた、し……」

 ――――それで良いのだ。私の手を取るが良い。さすれば、お前は甦り、全てを手に入れる事が出来る。

「わたし……は」

 ――――この世界を創り上げたのもお前の為だ。我が呪いに抗いし女よ。お前の魂の輝きを私は欲しい。共に歩もうでは無いか。

 凜は手を伸ばした。触れてはならぬ暗黒の闇に手を伸ばした。
 それが意味するのは暗黒神の現界。外の世界に幾億の人の罪業の化身が降臨する。その先にあるのは世界の破滅。
 分かっていて尚、凜は手を伸ばさずに居られなかった。それを罪と断じる事が出来る者が居るだろうか? 背後に迫る絶望から逃れ、目先の幸福に縋りたいと願う事が罪であると誰が断じられようか……。
 
「駄目よ、諦めちゃ」

 また、聞こえる筈の無い声が響いた。
 居る筈が無い。だって、彼女は外の世界に送り出した筈だ。
 
「アンリ・マユ。あなたに凜は渡さない」

 声と共に光が溢れた。
 
「これは……」

 暗闇が晴れ、目の前に不思議な物体が浮んでいた。
 それは剣の鞘だった。
 
「もう少しだけ、頑張って、凜」
「イリ……、ヤ?」

 そこにはイリヤが居た。豪奢なドレスを身に纏った彼女が凜の手に黄金の鞘を触れさせていた。
 
 ――――愚かな。既に外界との繋がりは断った。貴様も凜も私無しでは出られぬ。

「心配には及ばないわ。閉ざされたなら、開けばいいだけだもの」

 イリヤは言った。
 
「英霊・モルガンは嘗て、悪魔の息子に弟子入りし、『悪魔の異界常識』を学んだ。その智慧は妖精郷への入り口を開く事すら可能とする。この世界と現実世界との出入り口を作り出すなんて、彼女にとっては朝飯前よ」

 ――――馬鹿な……。渡さぬ。その娘だけは渡さぬ!

 闇がうねる。されど、黄金の輝きに弾かれる。
 
「無駄よ。|全て遠き理想郷《アヴァロン》の守護下に居る凜に触れる事は誰にも出来ない。例え、幾千幾万幾億の呪いを使おうと、今の彼女は穢せない」

 ――――逃さぬ。遠坂凛よ。お前は私と共に……。

「……わた、しは……帰る。私のまま、みんなの居る世界に……」

 ――――駄目だ。お前は私と共に居るのだ。

「ごめんなさい……、アンリ・マユ」

 ――――嫌だ。

 闇がうねり、イリヤに向かう。しかし……、
 
 ――――何故だ……?
 
 イリヤもまた、黄金の光に身を包み、闇を弾いた。
 
 ――――あり得ぬ。その宝具の守護下に入れるのは一人の筈。

「単純な答えよ」

 イリヤは言った。その手に『二つ目の鞘』を掲げながら。
 
 ――――あり得ぬ。その鞘はこの世に二つと無い筈。

「あるのよ。一人の少年が一人の少女を愛し、救った。その結果、この世界には二つ目の|全て遠き理想郷《アヴァロン》が存在しているの」

 ――――やめろ。

 アンリ・マユの声が木霊する。
 
 ――――凜を連れて行くな。

「駄目よ。凜は私達のもの。貴方になんてあげられないわ」

 ――――やめろ! 戻って来い、凜! お前が望むなら、共に滅びても良い。だから、私と共に……。

「ごめんなさい……」

 アンリ・マユの嘆きの叫びが響き渡る。
 
「行くわよ、凜」
「う、うん」

 イリヤが凜の手を引いて歩き出す。その先にぼんやりと光る円盤が現れた。
 しかし……、
 
 ――――逃がさぬ。

 光が歪む。
 
「往生際の悪いっ」

 再び世界の扉を開こうとするイリヤと凜の周りに闇が立ち塞がる。
 
 ――――行かせぬ。お前は私と共に居ろ。望むなら、全てをやる。友も恋人も家族も全てだ。あらゆる欲望を満たしてやろう。だから……、

「見苦しい」

 アンリ・マユの声を遮るように凛と冴え渡る声が響き、無数の輝きが闇を蹂躙した。
 
「あ、アーチャー?」
「度し難い程に愚かよな、アンリ・マユ」

 そこにギルガメッシュは居た。片腕を無くし、血塗れの姿で彼はそこに居た。
 
「アーチャー! その怪我はどうしたの!?」

 悲鳴を上げる凜にギルガメッシュはほくそ笑んだ。
 
「『今の我』に乖離剣は過ぎた宝物であったらしい。片腕を持っていかれた。だが、お前達が扉を潜るまでくらいならば、この状態でも問題無い」

 ギルガメッシュは言った。
 
「凜は未来に生きるべき者だ。だからこそ、貴様も憧れたのだろう?」

 ギルガメッシュは闇に問う。
 
「ならば、潔く羽ばたかせよ!」

 ギルガメッシュは残った手で乖離剣を握り締める。
 
「往け!」

 乖離剣が唸り、世界が軋みを上げる。
 
「行くわよ、凜!」
「……うん」

 闇の先に光が煌く。凜は走りながら遠のく相棒の背中を見つめた。
 
「アーチャー!」

 光に向かって駆けながら、彼女は叫んだ。
 
「ありがとう!」

 光が視界全てを覆う間際、彼女は彼の声を聞いた。
 
 ――――貴様と過ごした日々、悪くなかった。

 やがて、光が和らぐと、凜とイリヤは広々とした洞窟の中に立っていた。
 
「凜!」

 立ち尽くす凜に真っ先に駆け寄ったのはエミヤだった。
 
「大丈夫だったのか!?」
「う、うん。イリヤが助けてくれたから……」

 そう呟いた瞬間、大地が大きく揺れ動いた。振り返ると、聳える丘の上に黒い太陽が浮んでいた。嘗て、ここに来た時に見たソレとは比べ物にならない程巨大な孔。
 
「皆さん、さがって!」

 ジャンヌの声が響く。
 
「アレの始末は私がつけます」

 その言葉と共に彼女の纏う空気が変貌した。紫眼は黄金色に輝き、強大な魔力が彼女を包み込む。

「全員、私の背後に集まれ!」

 エミヤが叫ぶ。未だ、現状を把握し切れていない一般人を手分けしてマスター達がエミヤの背後に引き摺っていく。
 全員が背後に納まったと同時にエミヤはアイアスの盾を展開した。
 
「最終決定。これより、大聖杯を破壊し、事態の終極を図ります」

 ジャンヌは胸の前で手を組み、膝を折った。
 
 “主よ、この身を委ねます”

 それは彼女が生前、最期に呟いた神への祈り。あらゆる苦痛をあるがままに受け入れ、神の意思に身を委ねるという意の辞世の句。
 彼女の身が生前の終わりを彷彿させる紅蓮の炎に包まれた。
 やがて、炎は彼女の手の中で一本の剣に姿を変える。
 
「さあ、終わりの刻です」

 |紅蓮の聖女《ラ・ピュセル》。それはジャンヌ・ダルクという英霊の魂そのもの。彼女の心象風景を剣として結晶化させた固有結界の亜種たる概念結晶武装。
 聖女は剣を振り上げると共に呟いた。
 
「さようなら、シロウ」

 剣が振り下ろされる。それと共に紅蓮の劫火が暗き闇の孔を焼く。
 それはあらゆる人の罪を赦す浄化の炎。霊的なるものに対し、絶大な力を発揮する慈悲なる暴虐。
 その光景をマスター達は様々な思いで見守った。
 
「これで、全てが終わるのね……」

 聖杯戦争の歴史が幕を閉じる。聖杯戦争によって、数奇な運命を歩む事となった少女は傍らの自らと同じ境遇の少女の手を握る。
 
「終わったね……」
「うん。終わった……」

 やがて、炎が燃え尽きると、跡には何も残っていなかった。聖女の炎は聖杯を織り成す全ての要素をその場から放り去った。
 辺りに沈黙が満ちる。その静けさを破ったのはエミヤだった。
 
「さて、そろそろ時間のようだ」
「アーチャー?」

 彼の言葉に途惑う凜に彼は言った。
 
「私はライダーやモードレッドのように受肉しているわけでは無いのでね。そろそろ、持ち主に肉体を返還しなければならん」
「で、でも……」
「聖杯が消滅した以上、|英霊《わたし》は現世に留まれない。すまんな。これから大変だって時に……」
「アーチャー……」

 申し訳なさそうな表情を浮かべるエミヤに凜は首を振った。
 
「もう、私は誰にも甘えないわ。自分の力で未来を歩く。そう、彼とも約束したから」
「ギルガメッシュか……。生前、奴とは複雑な関係にあったが、それでも強く思う。やっぱり、凄いな」
「何と言っても、最強の英雄王様だもの」
「ははっ、君にそんな風に言われるとは、少し妬けるな」
「アーチャー……」

 エミヤは凜の頭に手を伸ばした。
 
「頑張れよ、遠坂」
「……うん。私は今度こそもう大丈夫。だから、士郎」
 
 凜は満面の笑顔で言った。
 
「ばいばい。今度こそ、さよならよ」
「ああ、さよならだ」

 その言葉と共に英霊・エミヤの魂は消滅した。彼の代わりに彼の寄り代となっていた少女が姿を現し、凜に微笑む。
 
「良いですね。笑顔の別れというのは」
「……まあね。ねえ、士郎」
「何ですか?」
「一緒に来ない?」
「一緒に……、ですか?」

 凜は頷いた。
 
「アンタは自分の在り方が危険だと思ってるんだろうけど、だからって、死ぬのは間違ってると思うの」
「……それで?」
「だから、アンタはその在り方の全てを賭けて、私のたった一つの願いを叶えてよ」

 凜の言葉に士郎は目を丸くし、やがて苦笑した。
 
「では、願いを言って下さい」
「私の友達になってよ」
「……それが貴女の祈りですか?」
「ええ、そうよ。私は貴女と友達になりたい」
「分かりました。その祈り、叶えましょう」

 微笑みながら、士郎は凜の手を取った。
 
「私の名は言峰士郎。丘の上の教会で神父をしています。今はシスターになっちゃいましたけど」

 舌をちょっぴり突き出して、彼女は悪戯っぽく言った。
 
「私は遠坂凛。魔術師やってます」

 凜も笑顔で返した。
 
「これから、よろしくね、士郎」
「ええ、よろしく、凜」

 強く手を握り合うと、士郎が言った。
 
「さあ、貴女を待ってる人が居ますよ」
「うん」

 士郎に促され、凜は立ち尽くす妹の下に向かった。
 
「桜」
「姉さん……」

 姉妹はそれ以上言葉を交す事無く抱き合った。その姿を傍で見守っていた白い少女の下に一人の少年が歩み寄る。
 
「イリヤちゃん」
「フラット……」

 フラット・エスカルドスはイリヤの小さな体を抱き上げた。
 
「イリヤちゃん。今から俺、とっても大切な事を言います。だから、聞いて下さい」
「い、いいけど、降ろしてくれない?」

 高々と持ち上げられた少女は頬を赤らめながら不服そうに言った。
 
「ううん。同じ目線で言いたいんだ。だから、我慢してよ」
「……もう。それで、なにかしら?」

 ジトッと見つめてくるイリヤにフラットは言った。
 
「好きです。俺と結婚を前提にお付き合いして下さい」

 そんな彼の言葉にイリヤは顔を真っ赤に染め上げた。
 予想していた言葉だったけれど、あまりにも直球過ぎて、頭の中が茹ってしまった。
 
「君の事は俺が絶対守ります。だから、お願いします」

 真っ直ぐに見つめてくる彼にイリヤは小さく頷いた。
 
「えっと、不束者ですが、よろしくお願いします……」
「やった!」

 そんな少女の唇にフラットはキスをした。そんな二人の後姿を見守っていたお調子者はこっそり彼に近寄り、二人が離れた瞬間を見計らい行動した。
 
「あっ!」
「ちょっ!?」

 ライダーはフラットとイリヤ、両方の唇を啄んだ。
 
「ふふふ、折角受肉したんだし、ボクも二人と一緒に居させてもらうよ? 駄目って言っても付いてくからね! そんで、二人を守るんだ!」

 ライダーの言葉に二人は噴出した。
 
「駄目なんて、言う筈無いじゃない」
「って言うか、ライダーが一緒に居なきゃ、俺はもう駄目だよ」
「ちょっと、フラット! その発言はさすがに見過ごせないわよ!?」
「ええ!?」

 三人がわいわいと叫ぶ傍ら、ライネスは今後の事を考えていた。
 
「しばらくは面倒事が続くだろうな……」
「でしょうね。まあ、何とかするしか無いでしょう」

 バゼットの言葉にライネスは溜息を零す。
 
「もう、思い切って旅にでも出てみるかな。そんで、良い男でも捕まえて結婚して、幸せになってみるか」
「セイバーの事はいいんですか?」
「彼の事は愛していたさ。けど、過去はもう振り返らない事にした」
「……草葉の陰で泣いてますよ、彼」
「ハッハッハ! セイバーとて、私を本気で愛していたわけでは無い。故に問題無い!」

 ライネスのあっけらかんとした物言いにバゼットは目を丸くした。
 
「変わりましたね、貴女」
「まあ、人間、一度死んだら色々変わるさ。しかも、私達の場合は二回も死んだんだ。いや、それ以上か……。とにかく、自分を見つめ直す良い切欠にはなった」
「確かに……。これ以上無い経験でしたからね。私も少し、自分の生き方を見つめ直してみます」
「それがいい。折角だ。一緒に来ないか?」
「……いいんですか?」
「どうせ、お前も友達なんて居ないだろ?」
「……いや、友達の一人や二人……」
「居ないだろ?」
「……はい」

 俯くバゼットにライネスは高らかに笑った。
 
「私もだ。だから、一人ぼっち同士、一緒に自分の生き方を見つけようじゃないか」
「……そうですね。ただ、もう私達は一人ぼっちじゃないんですから、友達が居ない発言は……」
「ああ、分かっているさ。私も君も実に得難い友を得た。共に苦難を乗り越えた友情はそう簡単に壊れたりしない筈だ」
「そう願いたいものですね」

 互いに肩を震わせ笑い合う二人。
 彼女らから離れた場所で、もう一人。モードレッドは手持ち無沙汰気に桜と凛を見つめていた。
 
「モードレッド」

 桜は凜から離れると、彼女の下に向かった。
 
「桜……、なんだよな?」
「うん。そうよ」
「ちっちゃいな」

 桜を持ち上げ、モードレッドははにかんだ。
 
「可愛いな」
「……ありがとう」

 桜とモードレッド。二人が微笑み合うのを見守りながら、凜は静かに離れた。
 彼女が向かう先に佇むのは一人の少年。
 
「やあ、凜」

 慎二は気まずそうに手を挙げた。
 
「……はは、何て言うか、言葉が見つからないや」

 彼は頬を掻きながら言った。
 
「臓硯の事、全く気付かなかった……ってのは言い訳にならないよな。本当にすまなかった」

 頭を下げる慎二に凜は不満気に鼻を鳴らした。
 
「慎二。私としては謝るより先に言って欲しい言葉があったんだけど……」
「え? えっと、お、おはよう?」
「なんでよ!? そうじゃなくて、分かるでしょ!?」
「え、ええ!?」

 慎二は頭を抱えて考え込み始めた。
 本気で悩んでいる彼に痺れを切らし、凜は彼の服の襟を掴んだ。
 
「もう! フラットを見習いなさいよね!」

 そう言って、彼女は彼にキスをした。
 
「な、なんで……」

 彼女が離れた後、彼はそう呟いた。
 
「君は僕の事を……」
「最初は同情だったわよ。臓硯に言った通り」
「なら、どうして……」
「でも、それは以前までの話よ。私の為に命懸けで戦ってくれた貴方はとってもかっこ良かったわ」
「で、でも……、僕は結局単なる道化でしかなくて……」
「まあ、確かに情けなくはあったけど……」
「……なら」
「でも、好きになっちゃったんだもん」

 凜は言った。
 
「臓硯を騙す為にああ言ったけど、私は貴方が好きよ? 慎二」
「り、凜!?」
「だって、あんなに一途に思ってくれる人を嫌いになれる筈が無いじゃない」

 凜は微笑みながら言った。

「私を愛してくれる貴方が好きよ、慎二」
「……僕も君が好きだ。愛してるんだ、凜」
「なら、言ってくれるわよね?」
「僕なんかでいいのかい……?」
「っていうか、慎二じゃないと嫌よ」

 凜の言葉に奮い立ち、慎二は言った。
 
「ぼ、僕と結婚してくれ!」
「……うん、喜んで。って言っても、色々落ち着いて、慎二が結婚出来る年齢になったらだけどね」
「あ、ああ!」

 そして、時は過ぎて往く。彼ら、彼女らの未来が動き出す。

第六十一話「英雄王」

「イリヤ……」
「違うわ、セイバー。私は桜。間桐桜」

 桜の言葉にモードレッドは唇を噛み締めた。
 
「ずっと、騙してたのか?」

 モードレッドが問う。

「言い訳にしか聞こえないと思うけど、私は記憶を改竄されていた。衛宮切嗣とアイリスフィール・フォン・アインツベルンの娘として、順風満帆な人生を歩んだイリヤスフィールという記憶を植えつけられ、私はその記憶が本物だと思い込んでいた」
「じゃあ……、嘘じゃないんだよな?」

 モードレッドは言った。
 
「俺達が過ごした日々は嘘なんかじゃないんだよな……?」

 不安そうに瞳を揺らすモードレッドに桜は小さく頷いた。
 
「なあ……」

 モードレッドは言った。
 
「お前も生き返れよ」
「それは嫌よ」
「どうして?」
「だって、資格が無いんだもの」
「資格?」

 桜は言った。
 
「私は十年前に死んだのよ。体も心もぐちゃぐちゃにされて、大好きだった人も殺された。それに、私は母親をこの手で殺したの」
「母親を……?」
「今思うと、どうしてあんな事をしちゃったのか分からないの……」

 桜は目の前で繰り広げられているギルガメッシュとジャンヌ・ダルクの壮絶な戦いを傍観しながらぽつぽつと語った。
 幼少の頃、親元から離れ、間桐の屋敷に連れて来られた事。蟲蔵で行われた拷問の事。聖杯戦争の最中、家族を敵に回し、母親を殺してしまった事。
 語る内に涙が零れ、体が震えていた。前は平気だった筈なのに……。
 
「サクラ……」

 モードレッドは桜を強く抱き締めた。
 
「きっと、貴女のせいよ……」

 桜は声を震わせて言った。
 
「貴女と過ごした日々があまりにも幸せだったから……。そんな資格なんて無いのに、人を慈しむ心を育んでしまった」
「なんで、そんな事を言うんだよ」
「だって、私は多くの人を殺した。母親まで殺した。姉さんの事だって、散々苦しめた……」
「でも、お前はそれを今、後悔してるんだろ?」
「そうよ……。最低だわ……、私。後悔なんて、する資格無いのに!」

 モードレッドは溜息を零した。
 
「なあ、サクラ。俺の伝承は知ってるよな?」
「……うん」
「俺も父親を殺してるんだ。そんで、その事を後悔してる……」

 モードレッドは言った。
 
「俺も人を大勢殺したし……。何が言いたいかっていうと、俺達は似てるって事だ」
「……私と貴女じゃ違うわ。私は蟲に犯されてよがって、男の精子と女の肉を食べて生きる怪物なのよ。信念をもって、戦った貴女とは違う」
「……同じだよ。俺は俺の欲望の為だけに国を滅ぼしたんだ。怪物って言葉は俺にこそ相応しい」

 モードレッドは桜の髪を撫でた。
 
「それでも、俺達は人間なんだよ、サクラ」
「……私は」
「人間だ。それに、子供だ。俺もお前も未熟過ぎたんだ。だから、他人の操る糸にまんまと引っ掛かった。でも、人間は成長するんだ。子供は大人になるんだ」

 モードレッドは言った。
 
「俺もお前と過ごした日々が楽しかった」

 モードレッドの言葉に桜は瞳を揺らした。
 
「……私だって」
「俺はお前の甘さが好きだった」
「それは……」
「それはきっと、お前の本質だったんだ」

 モードレッドは言った。
 
「記憶を改竄したって言ったよな? でも、その本質までは手を加えて無いんだろ?」
「う、うん……」
「って事は、あの天真爛漫なお前も、あの甘ちゃんなお前も、お前なんだ。俺が好きになったのはお前なんだ。俺が守りたいと思ったのはお前なんだ」

 モードレッドの真摯な言葉に桜は顔を上げ、ジッと彼女の瞳を見つめた。
 
「そんなお前の心が歪んだのはお前のせいじゃない。罪は償わなきゃいけないかもしれない。でも、全てがお前のせいって訳じゃないんだ。今、お前は本当の自分を取り戻しつつある。だったら、後悔したって良いんだよ。それが成長で、自立で、大人になるって事なんだ。お前はお前を歪めた奴等の呪縛から抜け出したんだ」

 それでも、自分が母親を殺した事は事実だ。多くの人の血肉を喰らった事も事実だ。
 
「後悔しちゃいけないんじゃない。後悔すべきなんだ。たくさん、後悔して、たくさん、涙を流して、罪を償うんだ。そして、生きるんだ」
「……無理よ」

 桜は言った。
 
「私の罪は償いきれるものじゃない。死ですら償えない」
「償えるさ」

 モードレッドは言った。
 
「彼らを殺した罪を背負って生きる事。それは償いになる。だって、それは死ぬ事以上に辛くて苦しい事だろ?」
「……そんなの耐えられないわよ」
「でも、耐えなきゃいけないんだよ」

 モードレッドは言った。
 
「殺した相手に許してもらう事なんて一生出来ない。それでも、背負って生きるんだ。そして、幸せを掴むんだ」
「無理よ……、そんなの」
「出来る」
「無理だってば……」
「出来る」
「どうして、そう言い切れるの?」
「だって、お前が幸せになってくれなくちゃ、俺が困る」
「……はい?」

 首を傾げる桜にモードレッドは言った。
 
「俺はお前が大好きだ。だから、どうしても幸せになって欲しい」
「えっと……」
「そんで、お前も俺の事が大好きだろ?」
「そ、それは! ……そうだけど」

 顔を真っ赤にして呟く桜にモードレッドは言った。
 
「なら、大好きな俺のたった一つのお願いを桜は叶えてくれるよな?」

 モードレッドの言葉に桜は言葉を失った。
 酷過ぎる。そんな事を言われたら……。
 
「幸せになってくれ、桜。じゃないと、俺が不幸だ。桜は俺を不幸にして平気なのか?」
「……平気な筈無いじゃない」

 唇を噛み締めて、桜は言った。
 
「大好き! セイバーの事が大好き! 嫌いになんてなれない! ずっと、私と一緒に居てくれて、私を守ってくれたセイバーを不幸になんて……、出来るわけ無いじゃない……」

 桜の言葉に満足そうな笑みを浮べ、モードレッドは立ち上がった。
 
「お前の為なら俺は何だってしてやれる。だから、お前も俺の為に幸せになってくれ」

 その瞬間、彼女が何をするつもりなのか、桜は直感した。
 
「ま、待って! ダメ! 止めて、セイバー!」
「俺の命をお前にくれてやる! だから、生きろ!」

 モードレッドは駆け出した。
 ギルガメッシュとジャンヌ・ダルク。二騎の英霊が繰り広げる激しい戦いの中心に飛び込み、高らかに叫んだ。
 
「|我が終焉の戦場《バトル・オブ・カムラン》!!」

 モードレッドの宝具が展開する。嘗て、王とその息子が殺し合った決戦の舞台が闇の中に浮かび上がる。
 無数の屍を踏み締め、モードレッドは叛逆の証たるクラレントを握り、ジャンヌは白く長い槍を握らされる。
 
「不明。何が起きている!?」
「あるがまま、見るがまま!」

 如何に抑止力と言えど、この宝具の前では無力。
 不死の怪物だろうと、命のストックがあろうと、圧倒的な力を持つ化け物だろうと関係無い。この宝具に囚われた者は両者相打ちの運命を背負わされる。
 
「アーチャーのマスター!」
「モ、モードレッド!?」

 突然の事態に立ち尽くす凜にモードレッドは言った。

「桜を甦らせろ! アイツは幸せにならなきゃいけないんだ!」
「……それは」
「頼む。アイツだって、本当は生きたいんだ! 幸せになりたいんだ! 分かるだろ!? アイツの姉なら、アイツの本心くらい!」

 モードレッドの叫びに凜は目を見開いた。
 
「頼む!」
「……分かったわ」
「……ありがとう」

 モードレッドは剣を大きく振り被った。その動きに呼応するようにジャンヌもまた、槍を振り被る。
 
「警告。今直ぐに宝具の発動を解除しなさい」
「嫌だね。桜の幸せの為にお前は邪魔だ」
「宣告。ならば、力ずくで解除します。死になさい、モードレッド」

 圧倒的なまでの|圧迫感《プレッシャー》。
 本来、この宝具に囚われた時点で全てのステータスやスキル、宝具が無効化される筈。にも関わらず、ジャンヌは膨大な魔力を迸らせ、モードレッドの宝具に軋みを上げさせている。
 
「ば、馬鹿な……」

 あり得ない。破られる筈の無い無敵の宝具と自負しているバトル・オブ・カムランが崩壊を始めている。その光景に愕然となり、モードレッドは唇を噛み締めた。
 桜を助けたい。そう願いながら、叶えられない己の無力さに涙が零れた。
 
「いや、良くやったぞ、モードレッド」

 そんな声が背後から響いた。
 それと同時に飛来したのは一本の美しい槍。ジャンヌの胸に突き刺さったそれは光を迸らせる。
 
「その槍は神に対して、人の自由意志を尊重するよう求め、堕天し、魔と化した者の槍。その槍に貫かれた者は神の意思に寄らぬ人の意思を取り戻す」

 ギルガメッシュの呟きと共に光が収まり、ジャンヌの瞳から黄金の輝きが掻き消えた。
 嘗ての紫眼を取り戻したジャンヌは言った。
 
「感謝します、アーチャー。けれど、時間が無い……。私を殺して下さい」
「断る」
「ありが……、え?」

 ジャンヌはギョッとした表情を浮かべてギルガメッシュを見た。
 
「で、ですが、早くしないとまた、私、抑止力になっちゃいますよ!?」
「だが、しばらくは保つであろう?」
「ですが……」
「問答無用だ。時間が無いのは確かだからな。凜! そこの小娘を生き返らせろ」
「え? あ、はい! えっと、桜!」

 ギルガメッシュに命令され、凜は慌てたように桜に駆け寄った。
 
「姉さん……」
「……あのさ。正直、こんな事言う資格無いの分かってるんだけどさ……」

 自分を見上げる妹に凜は言った。
 
「幸せになって欲しいの……。貴女がこの世界でイリヤとして過ごした時間のように、幸せな時間を、今度はちゃんと間桐桜として過ごして欲しい」
「私は……」
「ごめんね。こんな事、私に言われても迷惑だよね? でも、ライネスにも言われたし、ちょっと我侭になって言ってみるよ」

 凜は言った。
 
「愛してる。生きて欲しい。幸せになって欲しい」
「……私も愛してる。ごめんなさい……、姉さん」
「心から愛しているわ……、桜」

 凜は桜に手を触れた。すると、桜の体は光に包まれ消えた。
 同時に頭上のステンドグラスが割れ、桜の本体が現実の世界へと戻っていく。
 
「これで、私一人になっちゃったな……」

 呟いてから、凜は辺りを見回した。
 
「みんなー!」

 遠くから傷だらけのライダーが走って来た。
 
「大丈夫!? なんか、ボク、いきなり気を失っちゃって……」
「すみません。それ、私がやりました……」
「え、ルーラーが!? なんで!?」

 現れた途端、頭が痛くなる会話を始めるライダーに凜は苦笑いを浮かべた。
 
「ライダー。とりあえず、全部終わったわ」
「全部?」
「フラットとイリヤは生き返って、現実の世界に帰還したの」
「そうなのかい? なんだー、挨拶くらいしてくれもいいのにー」

 唇を突き出して不満を口にするライダーに凜は「ごめん」と呟いた。
 
「私が強制送還しちゃったのよ……」
「凜が?」

 首を傾げながら、ライダーは言った。
 
「まあ、いっか。それより、凜は帰らないの?」
「うん。私はここに残るのよ。そして、この世界を終わらせる」
「どうやって?」
「簡単よ。今の私が死ねば、聖杯はアンリ・マユごと滅びる。だから、アーチャー」

 凜はギルガメッシュに顔を向けた。
 
「私を殺してくれる?」
「断る」
「ありが……、え?」

 ついさっきジャンヌがしたみたいな反応をしてしまった。
 
「えっと……、自殺はちょっと怖いから、出来れば貴方に一思いに……」
「二度も言わせるな。断ると言ったのだ」
「……じゃあ、アーチャー」

 凜は堅い表情を浮かべるエミヤシロウに顔を向ける。
 
「なんだか、再会したばっかりなのに、こんな事を頼むのも何だけど、私を……」
「殺そうとしたら、その前に我がお前を殺すぞ、エミヤシロウ」
「ちょっと!」

 ゲート・オブ・バビロンを展開して言うギルガメッシュに凜の堪忍袋の緒が切れた。
 
「江戸時代の罪人だって、切腹のときは介錯してもらえるのよ!?」
「時間が無いのだから、喚くな」

 拳骨が凜の頭に降り注いだ。
 火花が飛び散ったように感じ、凜は頭を押えながら悶絶した。
 
「お、おい、ギルガメッシュ?」

 エミヤシロウが凛の頭を必死に撫でながら首を傾げる。
 
「君は何を……?」
「これから、凜を外に出す」

 その言葉に凜はハッとした表情を浮かべて立ち上がった。頭の痛みを気にしている余裕なんて無い。
 
「それは駄目!」
「何故だ?」
「そんな事をしたら、アンリ・マユまで……」
「お前、我を馬鹿にしているのか?」
「え?」

 腹立たしげに睨むギルガメッシュに凜は後ずさった。
 
「で、でも、私を出すって事はつまり……」
「凜。お前はまさかと思うが、我よりも賢いつもりでは無かろうな?」
「……はい?」

 ギルガメッシュは言った。
 
「我が貴様のお粗末な頭で懸念している事を考えていないとでも思ったか、戯け! 我が外に出すと言った以上、その程度の事は考慮済みだ!」

 ギルガメッシュの怒声に凜は「ひぃ」と悲鳴を上げた。
 
「いいか? お前は頭が悪いんだ。その事をキチンと自覚しろ! 世間知らずの未熟者が! 無い知恵振り絞って愚かな決断をするんじゃない!」
「そ、そこまで言わなくても……」

 徐々に涙目になる凜にギルガメッシュは言った。
 
「いいから自覚しろ。お前はまだまだ経験不足だ。知識も足らん。だから、生きて、学び、経験を積め」
「アーチャー……?」

 ギルガメッシュは言った。
 
「言っただろう? 希望はあると。お前の未来に立ち塞がる生涯は我が切り払うと」

 ギルガメッシュは微笑んだ。
 
「お前を外に出す。その為の準備は整えてある」

 そう言って、彼はライダーに向き直った。
 
「力を借りるぞ、ライダー」
「……ボクに出来る事なら何でも言ってくれ」

 ギルガメッシュが指を鳴らすと、虚空から光り輝く馬車が現れた。ただし、馬車を牽く獣の姿は無い。
 
「これより、我がこの世界を滅ぼす。その際、一瞬だが現実へ繋がる穴が出来る筈だ。そこにこれを操り飛び込め。出来るな?」
「任せてくれ」

 ライダーの言葉にギルガメッシュは微笑み、エミヤシロウに顔を向けた。
 
「貴様は護衛だ。恐らく、邪魔が入るだろうからな。どんな手を使ってでも凜を守れ」
「……分かった」

 頷くエミヤシロウにギルガメッシュは言った。
 
「今度は中途半端に投げ出すなよ?」
「……ああ、勿論だ」

 彼から目を離すと、ギルガメッシュは今度はジャンヌに顔を向けた。
 
「貴様は貴様の責務を果たせ」
「私の責務……?」
「外側に出た後、聖杯を破壊しろ。七千を越える英霊の魂を喰らった聖杯だ。抑止の後押しがある貴様にしか壊せんだろう」
「……分かりました」

 ジャンヌが頷くと、今度はモードレッドに顔を向ける。
 
「貴様も外へ出ろ」
「俺も……?」
「今の聖杯の魔力ならばサーヴァントを受肉させる事も容易いだろう。それで凜とあの小娘を守れ。恐らく、外に出た後、面倒な輩がこやつらにちょっかいを出してくるだろうからな」
「……分かった」

 ギルガメッシュは瞼を閉ざすと言った。
 
「そういう訳だ、凜。ライダーとモードレッドを受肉させろ。それと、そこの似非シスターも生き返らせておけ」
「……うん」

 凜が軽く手を振ると、モードレッドとライダー、そして、エミヤシロウの体が光り輝いた。
 
「アーチャー」
「なんだ?」
「貴方はどうするの? 一緒に来てくれないの?」

 凜の言葉にギルガメッシュは鼻を鳴らした。
 
「甘えるな。我が貴様のお守りをするのはここまでだ。外の世界に出たら、後は自分の力で生きてゆけ」
「……アーチャー」

 情け無い声を出す凜にギルガメッシュはやれやれと肩を竦めた。
 
「あまり、ガッカリさせるな。お前は強くなった。我の加護など無くとも、今度こそ自分の力で幸福を勝ち取れる筈だ」

 そして、と彼は言った。
 
「精一杯、輝かしい未来を創れ」
「アーチャー?」
「それが我の貴様に対する王としての命令であり、相棒としての頼みであい、サーヴァントとしての嘆願だ」

 ギルガメッシュは凜の頭に手を置いた。
 
「我は先を見通す眼を持っている。空を見上げれば、時を重ねずとも遥か遠い未来を見る事が出来る」

 ギルガメッシュが語る言葉を凜は黙って聞き入った。
 
「――――人類最古の物語。後の世に語り継がれる英雄の責務であり、我の悦び。それは人の世の理を見据え続ける事」

 ギルガメッシュは凜と視線を合わせて言った。
 
「我を興じさせる未来を創るのだぞ、凜」
「……はい」

 凜は言った。
 
「必ず、貴方を魅せてみせます!」

 体を震わせ、涙を流しながら、別れの辛さを必死に抑えつけて凜は言った。
 
「だから、見てて下さい! 王よ!」
「ああ、見ているぞ」

 ギルガメッシュは凜から手を離すと、蔵から一本の剣を取り出した。
 それは彼が持たぬ筈の剣。特徴的な円柱状の刀身を持つ始まりの剣。
 
「どうして、それを……」
「下界で戦っている時に理性を失い畜生に堕ちた無様な我自身から回収した」

 唇の端を吊り上げ、ギルガメッシュは言った。
 
「さあ、馬車に乗り込め! 今より、この世界の幕を下ろす! 目覚めよ、|乖離剣《エア》! 先達者として、後塵を往く者に道を示さねばならぬ!」

 凜は最後に己の相棒の雄姿を眼に焼付け、馬車に乗り込んだ。ジャンヌとモードレッドが後に続き、ライダーが御車台に乗り、エミヤシロウが馬車の天井に上がる。
 
「往け! ライダー!」

 ギルガメッシュの号令に従い、ライダーは馬車を奔らせた。牽くモノの居ない馬車の車輪は虚空を踏みつけ、天に上がる。
 大地が揺らぐ。彼が凜の頭をに触れた時、凜とアンリ・マユの繋がりは断たれた。故にこの世界の真の主が目を覚ましたのだ。
 
「|この世全ての悪《アンリ・マユ》よ。王の決定に逆らおうと言うのならば是非も無い。人類最古の地獄を見せてやろう! さあ、幕引きだ!」

 乖離剣の三つに別れた円柱状の刀身が回転を始める。巨大な魔力がうねり、世界が歪む。
 
「滅び去れ! |天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》!」

第六十話「蘇生」

「なんちゃって」

 心臓を貫かれた少女は舌を突き出して悪戯っぽく呟いた。
 
「こ、これは……!」

 桜の心臓を貫いた慎二の腕が黒く染まっていく。
 呆気に取られている私達を尻目に桜は言う。
 
「この期に及んで、ライネス達を騙すのは非常に心苦しかったのだけど……、まんまと引っ掛かったわね、臓硯」

 違う。あの女は間桐桜などでは無い。
 
「貴様……、桜では無いのか!?」
「当たり前でしょ? 桜はあそこに居るもの」

 女が指差した先にあるのは蹲るイリヤの姿。
 
「唯一の生き残りだった桜は聖杯と成り、死者の願いを汲み取った。多くの者が望んだ事は『聖杯戦争を続ける事』だった」

 女は自分の胸から生えている腕を掴んだ。すると、黒の侵食が一気に進み、慎二……否、臓硯の体を覆い尽くす。
 
「哀しきかな。各々、叶えたい祈りを抱き参加した筈なのに、死の間際に願った事がそれだった。聖杯を得たいと願う欲望と敵を倒したいと願う殺意と生きたいと願う防衛本能が綯い交ぜになり、聖杯を得る為の戦いが目的と摩り替わってしまった」

 女は朗々と語る。

「そして、聖杯は飲み込んだキャスターのサーヴァント、ゲオルク・ファウストの宝具を模倣して、大聖杯の内部にこの世界を創り上げた。無限に聖杯戦争を続ける事が出来る世界」

 慎二の悲鳴が響き渡る。
 
「こ、こんな筈では……! やめろ、やめてくれ! 儂を殺すという事は慎二を殺すという事じゃぞ! それでも良いのか!?」
「別に構わないわ。未だに勘違いしているようだから、教えてあげるけど、私が間桐慎二に抱いていた感情は愛情でも性欲でも無い」
「何を……」
「同情よ。だって、あの人はあまりにも憐れだった。この世界でもそう。常に彼は憐れだった。『私』を救おうと愚かな真似を繰り返し、破滅を繰り返す。憐れで愚かな人。だけど、臓硯。貴方に|聖杯《サクラ》を渡すくらいなら、私は慎二を殺すわ」

 冷たい口調で言い切った女に慎二はその顔を恐怖に引き攣らせた。
 
「やめろ!」

 慎二の体から何かが飛び出した。それは一匹の小さな蟲だった。男性の陰茎を模したような淫靡な形状の蟲。
 その蟲を蹲っていたイリヤが抓み上げた。
 
「何度騙されても、懲りない人……」
「イリヤ……?」

 クロエが戸惑い気に声を掛ける。
 
「違うわ。イリヤは貴女よ。ライネスの推理の間違いの一つ。貴女は多重人格なんかじゃない」
「……え?」

 ポカンとした表情を浮かべるクロエにイリヤは言う。
 
「イリヤの祈り。それは全てを無かった事にする事。フラット・エスカルドスの死によって、絶望したイリヤは彼との記憶や過去の幸福だった頃の記憶全てを抹消する事を願った」
「何を言って……」

 クロエが膝を震わせながら首を振った。
 
「嘘よ。だって、私はクロエ。イリヤじゃ……」
「貴女はイリヤよ。自ら望んで、『|最初《はじめ》から何も持たないアインツベルンの駒』となった」

 クロエ……、イリヤがよろけ、倒れる寸前にエミヤシロウが受け止めた。
 
「嘘よ……」

 うわ言のように呟くイリヤにイリヤを演じていた女が呟く。
 
「それが真実。この世界はあの時死亡した者達の祈りによって出来ている。例えば、私は幸福を願ったわ。哀しい過去を忘れ、友達や家族に囲まれた日々を願った。その結果がこの姿よ。私が|間桐桜《わたし》のままでは叶わない祈りを辻褄合わせとして用意されたこの役に宛がう事で聖杯は叶えた」

 桜の言葉に凜が言葉を重ねる。
 
「フラットの祈りはイリヤの救済。だからこそ、貴方とイリヤは全ての世界で必ず出会い、絆を育んだ。もっとも、そのイリヤは桜が演じる偽物だったのだけど……」
「何だよ……、ソレ」

 愕然とした表情を浮かべるフラットに凜は続けた。
 
「ライネスとバゼットの祈りはさっき言った、戦いの継続。そして、慎二の願いは私の救済」

 淡々と告げられる真実に私達は言葉を失った。
 
「そして、士郎の願いは自らの否定。言峰士郎という『危険物』の抹消を願い、彼女は偽りの記憶と偽りの祈りによって、カレン・オルテンシアを演じ続けた。彼女の場合は本質が『願望機』だから、桜のように記憶の改竄だけで願いを叶える事が出来なかったから、苦肉の策だったみたいね」

 やれやれと肩を竦めながら、凜は話を続ける。
 
「臓硯の祈りは聖杯を手に入れる事。ある意味、一番真っ当な願いだった。だから、彼は彼のままこの世界で機会を伺う機会を与えられた」
「なら、お前の願いは何だ……?」
「聖杯戦争を終わらせる事」

 凜は私の問いに答えると共に自分の胸から慎二の腕を押し出した。
 何時の間にか、黒く染まっていた筈の彼の体は元に戻っている。
 
「だけど、私の願いだけは|聖杯《アンリ・マユ》にとって不都合だった。だって、聖杯戦争を終わらせるという事はつまり、この世界を終わらせる事。それは他の願いが叶えられなくなるという事。だから、アンリ・マユは私に一つの勝負を持ち掛けてきた」
「勝負?」
「私が|真実《ここ》に辿り着けば私の勝ち。辿り着けなければ、私の負け。私が勝てば、この世界を終わらせる鍵が手に入る。負ければ手に入らない。ただそれだけの単純な勝負」
「じゃ、じゃあ……」

 お前はこの世界を終わらせる事が出来るのか?
 私がそう問うより早く、凜は頷いた。
 
「この世界を終わらせる鍵は今、私の手の中にある。単純な話よ。聖杯を掌握していたアンリ・マユの立ち位置に私が納まっただけの事」
「……なんだと?」

 強張った表情でエミヤシロウが前に出た。
 
「それはどういう意味だ?」
「簡単な事よ。私は今、聖杯の支配権を掌握している。つまり、私が滅べば、この世界は終わる」

 理解するまでに時間が掛かった。
 
「それは……」
「ああ、安心してちょうだい。その前にやる事はちゃんとやるから」
「やる事……?」
「貴女達を甦らせる。それが私の最後の仕事」

 第六十話「蘇生」

「私達を甦らせる……、だと?」
「そして、外の世界に送る。それで終わり。私はこの世界と共に滅びる」
「ま、待ってよ! なんで、そんな……」

 血相を変えて言うフラットに凜は微笑んだ。
 
「アンリ・マユが言っていた絶望。さっき、私はアンリ・マユの立ち位置に収まっていると言ったけど、正確にはアンリ・マユと一体化しているのよ」
「アンリ・マユと一体化だと!?」

 目を見開く私に凜は頷いた。
 
「ただし、意思決定権は私にある。私が自らの滅びを選べば、アンリ・マユも滅びる」
「待ってよ……。ちょっと、待ってよ!」

 クロエ……、イリヤが声を荒げた。
 
「何で、凜が滅びなきゃいけないのよ!?」
「だって、それ以外の選択肢が無いもの」

 凜が言った。
 
「仮に私が生きたいと願ったら、アンリ・マユも生きる事になるし、外に出たいと願ったら、アンリ・マユが外に出てしまう。私は皆の祈りを踏み躙り、己の祈りを叶える。その代償として、命を捧げる。ただ、それだけの事よ」
「り、凜……」

 エミヤシロウがうろたえた表情で彼女の名を呼ぶ。
 
「久しぶりの再会なのに、ごめんね。本当はゆっくり話したかったけど、あんまり時間が無いみたい」
「どういう事だ?」

 彼の問いに凜は私達の背後を指差した。。
 
「厄介な人が来ちゃった……」

 凜が指差した先を振り向くと、そこにルーラーが立っていた。
 
「解答取得。事態収拾に向け、行動を開始します」

 様子がおかしい。普段の彼女からは考えられない程冷たい表情を浮かべ、アメジストのように美しかった紫眼が金色に輝いている。
 
「出来れば、彼女達を生き返らせるまで待って欲しいんだけど……」
「不許可。これ以上の『聖杯』の使用は許容出来ません」
「ル、ルーラー?」

 いつもと様子の違う彼女にフラットは怪訝な表情を浮かべ、近づいた。
 
「ストップよ、フラット。そいつは貴方達の知ってるルーラーじゃない」
「……え?」

 凜が指を鳴らすと同時に周囲にズラリと人影が現れた。
 
「これは……」

 誰もが息を呑んだ。そこに現れたのはついさっき、自分達の敵として立ちはだかった理性無きサーヴァント達。
 それぞれがルーラーに対して武器を構えている。
 
「最終勧告。即刻、聖杯の起動を停止しなさい」
「……駄目よ。この子達は外に送り返す」

 凜の返答と同時にルーラーが動いた。迎え撃つべく、サーヴァント達も動き出し……、一瞬にして全滅した。
 
「……は?」

 誰の声か分からない。誰もが同じような表情を浮かべている。
 目の前で起きた現象が理解出来ない。ただ、ルーラーが剣を一振りしただけで、サーヴァントが武器や防具諸共両断され、蹴られただけで胴体が分断された。

「どういう事!? なんで、ルーラーがこんなに強いの!?」

 イリヤが悲鳴を上げる。
 
「別に不思議な事じゃないわ。元々、サーヴァントは英霊本体の力を劣化させたもの。それに対して、彼女はルーラーというサーヴァントの殻を破り、抑止力として、英霊本来の力を発揮している」

 ルーラーという殻を脱ぎ去った抑止力、ジャンヌ・ダルクは凜に向かって歩み寄る。
 
「宣告。貴女を処刑し、事態の鎮圧を図ります」
「駄目だな。それは許さん」

 ジャンヌが真横に飛んだ。直後、彼女の居た空間に無数の刀剣が突き刺さった。
 
「アーチャー!」

 黄金の鎧を身に纏いし最強の英霊が凜とジャンヌの間に降り立つ。
 
「敵が突如動きを止めたのでな。もしやと思って来てみたが……」
「やっぱり、全部お見通しだったわけね」
「当然だ。それより、真実に至ったのならば聞かせろ。お前は何を選択する?」

 黄金の双剣を構え、ジャンヌを睨みながらギルガメッシュが問う。

「皆を甦らせる。そして、この世界を終わらせる!」
「それがお前の選択か?」

 ギルガメッシュの問いに凜は頷いた。
 
「この選択が出来たのはきっと貴方のおかげ。貴方と歩んだ時間があったから、私は強くなれた。でも、もう少しだけ、貴方の力を借りたい! 彼女達を甦らせ、外の世界へ送るまでの時間を稼いで!」

 ギルガメッシュは微笑んだ。
 
「凜よ。お前は強くなった」

 しかし、と彼は言った。
 
「まだまだ未熟よ。お前はまだ、学ぶべき事が山程ある。だがまあ、至らぬ契約者を盛り立てるのも仕事の内だ。ああ、任せておけ。お前が歩むべき道に聳える壁は我が宝物で砕き伏せる」

 ギルガメッシュはその腕に宿る呪印を掲げた。
 
「王律剣・バヴ=イルを使う。我が宝物庫の扉を開けよ」

 彼の背後の空間が揺らぐ。無限に等しい宝具が顔を出し、一斉に矛先をジャンヌに向ける。
 
「自らを抑止と気付きながら、自らの我欲を押し通そうとした貴様には期待していたのだが、やはりこうなったな。凜が歩む未来に障害として立ちはだかると言うのならば是非も無い。貴様はここで倒れろ、不敬!」

 戦いが始まった。抑止として、サーヴァントという枷から解き放たれたジャンヌ・ダルクを相手にギルガメッシュは初めから全開だ。無数の宝具が爆撃の如く彼女に降り注ぎ、同時に無数の拘束宝具が爆心地に向かって伸びていく。
 呆気に取られていると、凜が近づいて来た。
 
「あんまり時間が無いから、さっさと終わらせるわ」

 凜は最初にフラットの手を取った。
 
「フラット。イリヤをお願いね」
「待ってくれ! 君は本当に……」
「ごめんね。皆で一緒に遊びに行く約束は守れそうにない」

 フラットの体が光になって消えた。代わりに頭上のステンドグラスの一部が割れ、そこからフラットが落ちて来た。
 
「あれがフラットの本体か?」

 私が問い掛けると、凜は頷いた。
 それと同時にフラットの落ち往く先に光の扉が開く。
 
「さようなら、フラット」

 フラットの体が光の扉の向こうへ消えた。
 
「次はバゼットね」
「……貴女は怖くないのですか?」

 バゼットが問う。
 
「怖いわ」

 そう、平然とした顔で凜は答えた。
 
「でも、こうなった原因は殆ど私のせいだし、責任は取らなきゃね」

 そう言って、彼女はバゼットの手を取った。バゼットの体がフラットと同じように光に変わり、頭上のステンドグラスの一部が再び割れた。
 
「次はイリヤね」
「り、凜……」

 何かを訴えかけようとしているみたいだが、言葉が見つからないらしい。
 口元をもごもごと動かす彼女に凜は言った。
 
「幸せになってね。今度こそ……」
「凜!」

 イリヤが光に呑み込まれ、ステンドグラスが割れた。
 
「慎二も送ったし、後は貴女ね」

 凜が私の下に向かって来る。
 
「なあ、凜」
「何かしら?」
「私は聞きたい事が山程残っているよ」

 解き明かされていない謎がまだまだ大量に残っている。例えば、間桐桜の事。凜は私で最後と言ったが、まだ、桜が残っている。
 
「彼女の事はどうするんだ?」
「……桜は甦る事を望んでいないの」

 哀しそうに言った。
 
「イリヤとして過ごした時間は確かに楽しかったわ。でも、姉さんが代弁してくれた私の気持ちは本物よ」

 イリヤの姿のまま、桜は座り込んだ状態で呟いた。
 
「甦りたくなんて無い。だって、私の人生は十年前に完結した。なのに、無理矢理墓場から叩き起こされて、正直、迷惑でしかないわ」

 桜の言葉に凜は顔を伏せた。言いたい事が山程あるだろうに、自分の気持ちを押し殺している。
 それが何だか腹立たしかった。
 
「凜。自分の気持ちに正直になれ」
「ライネス……?」
「自分を押し殺しても良い事なんて何も無い」

 思わず笑ってしまった。どの口がほざいているんだろう。
 自分を押し殺して、アーチボルト家の当主の座を継ぎ、こんな場所まで来てしまったけれど、私が本当にしたかった事、成りたかったもの、行きたかった場所はこんなんじゃなかった筈だ。
 
「願い。夢。祈り。それらは全て、欲望と同義だ。皆を甦らせたり、皆の願いを終わらせたり、そんだけ欲望を撒き散らしたんだから、どうせならもう少し、我侭になってもいいと思うぞ」

 視界がぼやけていく。光に包まれる寸前、彼女の声がかすかに響いた。
 
「ありがとう」

 感謝されるいわれは無いが、受け取っておこう。それが彼女に対する私の感謝だ。一度は失った命を二度までも与えてくれた事に感謝している。
 目が覚めると、私は洞窟の中に居た。周りにはイリヤやフラット達の姿の他に見知らぬ人間の姿がチラホラ見える。
 
「凜……」

 イリヤは立ち上がると、聳え立つ高台の向こうに見える禍々しい塔を見つめた。
 
「やっぱり、駄目だよ。凜が居なきゃ、駄目なんだよ」

 彼女は呟いた。
 
「夢幻召喚……。力を貸して、モルガン」

第五十九話「クライマックス再現 ・Ⅰ」

 始まりの刑罰は五種。

『生命刑』
『身体刑』
『自由刑』
『名誉刑』
『財産刑』

 あらゆる罪、底無しの泥、深淵なる闇、逃れ得ぬ悪意の中を流転し続ける。

『名の抹消、住居からの追放、去勢による人権剥奪』
『肉体を呵責し嗜虐する事の溜飲降下』
『あらゆる地位名声を没収する群体総意による抹殺』
『資産財産を凍結する我欲と裁決による嘲笑』

 罰金、拘留、禁固、懲役、死刑を順次執行。次いで、私怨による罪、私欲による罪、無意識を騙る罪、自意識を謳う罪、内乱、勧誘、詐称、窃盗、強盗、誘拐、自傷、強姦、放火、爆破、侵害、過失致死、集団暴力、業務致死、過信による事故、護身による事故、隠蔽を強制。
 益を得る為に犯す。己を満たす為に犯す。愛を得る為に犯す。我欲の為に犯す。奪う。盗む。横領する。詐欺を働く。人を殺す。罪を隠蔽する。
 自らの手を見るがいい。罪に塗れた手を見るがいい。

『……あ』

 五感全てから『呪い』注ぎ込まれている。正視に堪えない闇。認められない醜悪さ。逃げ出したくなる罪。この世全ての『人の罪業』と呼べるものが注ぎ込まれていく。
 この闇に呑み込まれた者は須らく、苦痛と嫌悪によって、自らを滅ぼす。
 融けていく。
 岩をも溶かす紅蓮の流体に融けて行く。

『ァ――――、ア』

 視界が真っ黒に染まった。そして、瞼を開いた先には妹の笑顔があった。

『おはよう、姉さん』

 天蓋付きのふかふかなベッドで目を覚まし、妹が入れてくれたホットミルクを啜る。そうする事が自然であり、当然の事であると確信しながら、『彼女』は妹に笑顔を向ける。

『今日は放課後に一緒に買い物に行く約束だよ? ちゃんと、覚えてる?』
『勿論よ、桜。貴女との約束を忘れる筈が無いじゃない』

 それはあまりにも甘美な時間。健やかに成長した妹と過ごす日々。妹の為に食事やお弁当を作り、妹の勉強や恋の相談事を聞き、妹の為に尽くす日々。
 守りたかった妹。守れなかった妹。|彼女《サクラ》が傍に居てくれる幸せに|彼女《リン》は浸った。けれど、これは|この世全ての悪《アンリ・マユ》の呪いが見せた夢。甘美なままで終わる筈も無く、その時は唐突に訪れた。ついさっきまで、一緒に笑い合っていた妹が死んだ。交通事故だった。車に轢かれて、彼女は即死した。
 そして、再び妹の顔が目に飛び込んで来た。

『おはよう、姉さん』

 最初と同じだ。天蓋付きのふかふかなベッドで目を覚ました。愛らしい微笑みを浮かべる妹の声で目を覚ました。
 その世界でも妹は死んだ。
 次の世界でも妹は死んだ。
 その次の世界でも、そのまた次の世界でも、妹は死んだ。
 死因は様々だけど、凜がどう頑張っても、妹の死を避ける事は出来なかった。それも当然の事。これはアンリ・マユの呪いが見せた悪夢。どう足掻いても絶望するように出来ている。何百、何千と妹の死を目の当たりにしながら、彼女が正気を保ち続ける事が出来た理由は皮肉な事に妹の存在があったから。
 妹の前では立派な姉で居なければならない。何があろうと、妹を守れる強い姉でなければならない。
 ある種の強迫観念に近いものが彼女を正気に留めた。。
 妹が間桐の家に連れて行かれるのをただ傍観してしまった事。妹が間桐の家でどういう扱いを受けているのか、考えすらしなかった事。妹の唯一の希望だった間桐雁夜の命を救えなかった事。妹を死なせてしまった事。
 積み重なった罪の意識が強迫観念となり、彼女に正気を失わせなかった。いっそ、狂ってしまえば楽だった筈なのに、狂えなかった。
  
『……ぇ?』

 唐突に悪夢は終わり、彼女の瞳に映ったのは真紅の燐光と黒く濁ったタールの海、そして、中空に穿たれた『黒い孔』と『贄として捧げられた少女』。

『これは……』

 少女の胸から光が溢れた。実に奇妙な光景。人間の体から無機物が姿を現した。それは黄金の杯だった。
 それが何であるか、彼女には直ぐに分かった。

『聖杯……』

 聖杯戦争を戦い抜いた勝者のみが手にする宝。あらゆる願いを叶える万能の器。多くの者がそれを求め、死んでいった。
 それが今、目の前にある。

『壊さなきゃ……』

 あの時と同じように……。

『終わらせなきゃ……』

 今度こそ……。

『……でも、どうやって?』

 周りを見る。広々とした空洞内に贄の少女と彼女以外の人影は無い。
 聖杯を破壊するにはサーヴァントの力が必要だ。けれど、肝心要であるサーヴァントの姿がどこにも無い。
 アレは壊せない。なら、この先どうなる? あのまま、孔が開いたまま放置したら、どうなってしまう?
 孔からは夥しい量の泥が溢れ出している。あの泥は触れた人間の全身を『呪い』という魔力で汚染し、消化する。そして、死に至る過程での苦痛と恐怖が魔力に変換し、新たなる贄を呪う為に生者を求め続ける。
 触れれば死ぬ呪いの塊。そんな物が溢れ続けたら世界は……、

『……あれ?』

 だけど、よく考えるとおかしい。何故、呪いに触れた筈の彼女は生きているのだろうか? あの泥は掻き出さない限り、触れた者を確実に殺す筈。にも関わらず、何故自分は生きているのだろう? 彼女は自身に起きた不可解な現象に首を傾げた。

 ――――気にする事は無い。

 誰かが言った。

 ――――ただ、目の前の杯に祈りを捧げればいい。それで、君の願いは叶う。

 彼女は声に導かれるように杯の下へ向かう。

 ――――君は何を望む?

『私は……』

 全てを取り戻したい。

 ――――なら、祈るといい。

 声の導きに従い、彼女は杯に手を伸ばす。

『みんなを生き返らせて……』

 “そして、彼女の祈りは叶えられた”
 
 第五次聖杯戦争における被害者だけでは無い。第四次聖杯戦争で死亡した者達までが一人残らず甦り、空洞内に所狭しと佇んでいた。

「ちょっと待て!」

 私の言葉にライネスが声を荒げた。
 
「どうかしたの?」
「全員が甦っただと!? どういう事だ!?」
「言葉通りよ。『遠坂凛』は聖杯に願い、全員を生き返らせた。貴女の事もよ、ライネス」

 ライネスだけで無く、他の面々も困惑した表情を浮かべている。
 
「生き返らせた……、だと? なら、この状況は一体なんだ!?」
「生き返らせた後に色々とあったのよ」
「色々って?」

 フラットが問う。私は言った。
 
「殺し合いよ」
「こ、殺し合い?」

 クロエが目を見開く。
 
「驚く事じゃないでしょ? だって、貴女も含め、聖杯戦争のマスター達は人を殺して聖杯を手に入れる為にこの地に遥々やって来た」

 私は言った。
 
「目の前に完全起動した聖杯があり、加えて、直ぐ近くに『ついさっきまで殺し合っていた敵』が居る。殺し合いが起きない方がおかしかったのよ」

 私は口元に笑みを浮かべて言った。
 
「酷い有り様だったわ。最初に引き金を引いたのは誰だったかしら?」
「ど、どうなったんだ?」
「どうなったって?」
「殺し合いが起きて、結局どうなったのかと聞いているんだ!」

 激昂するライネスに私は言った。
 
「全滅よ」
「……え?」
「中には殺し合いを止めようとした人も居た。雁夜さんやお父様もその内の一人。でも、彼らも結局殺し合いに身を投じた」
「何故だ……?」
「守るべき人の為よ」
「何だと?」

 私は言った。
 
「殺し合いを止めようとする人って、それなりに強い意思を持つ人なのよ。だから、そうせざる得ない状況になったら人を容易く葬り去る。結局、誰も殺さずに死んだのは臆病者や状況を理解出来ない愚か者ばかり」

 私の言葉に怯えた表情を浮かべ、クロエが呟いた。
 
「……全滅って言ったけど、凜は? 貴女はどうなったの?」
「『遠坂凛』は死んだわ。私を除いて、皆が死んだ。でも、私は生き残った。寄ってたかって、皆が私を守ってくれたから……」
「な、何を言ってるの? 結局、凜は生き残ったって事?」
「違うわ。言ったでしょ? 彼女は死んだわ」

 皆の表情が面白いくらい変化する。
 
「お前は誰だ?」

 第五十九話「クライマックス再現」

「私が誰か? 誰だと思う? ねえ、ずっと黙ってるけど、貴方なら分かるんじゃない? ねえ、アーチャー」

 凜と瓜二つな顔を持つ女が問う。エミヤシロウの顔が強張る。どうやら、彼には彼女の正体に心当たりがあるらしい。
 
「エミヤシロウ。この女は何者だ?」

 私が問うと、彼は恐怖の表情を浮かべた。

「私と貴方は殆ど面識が無いけれど、貴方と『私』には面識がある筈よ?」

 薄く微笑む彼女にエミヤシロウは声を震わせて言った。
 
「さくら……?」
「偉いわ、アーチャー。正解よ」

 さくら。その三文字の意味を理解するまでに少し時間が掛かった。
 仕方無いだろう。今までに開示された情報を全て照合したとしても、彼女の名前に到達する事は不可能だ。何故なら、彼女は十年前に死亡しているからだ。
 
「改めて、自己紹介するわね。私の名は『間桐桜』。この愉快で素敵な『おもちゃ箱』の創造主の一人。つまり、貴女達の言う『黒幕』よ」
「馬鹿な……。お前は十年前に死亡した筈だ! それに、その顔……」
「ライネス。混乱しているのは分かるけど、もう少し頭を働かせなさい。さっき、言ったでしょ? 『遠坂凛は聖杯で第四次聖杯戦争と第五次聖杯戦争における被害者を一人残らず甦らせた』って」

 ああ、そうだ。あまりにも愚かな質問をしてしまった。

「姉さんが関係無い一般人まで甦らせておいて、|愛する妹《わたし》を甦らせないわけが無いでしょ? 後、私は姉さんの妹よ? 似ていて当然じゃない」

 理屈は分かる。けれど、やはりおかしい。
 
「お前が間桐桜だとして、この状況を作り出した理由は何だ!?」

 間桐桜が死亡したのは十年前の第四次聖杯戦争中。彼女にとって、無関係な筈の第五次聖杯戦争の参加者達を巻き込み、この世界を作り上げる理由が分からない。
 
「私が創造主の一人として参加した理由は単純よ? 自分勝手で我侭な姉さんにお仕置きする為」
「……は?」

 意味が分からない。他にも彼女の言葉には注視すべき点が幾つもあったが、なによりも彼女の動機が理解出来ない。
 
「だって、私は生き返らせて欲しくなんて無かった」

 桜は言った。
 
「それに、姉さんのせいで私はまた、雁夜さんを失った」

 冷たい声だ。彼女の怒りと憎しみを感じる。
 
「だから、あの人の提案に乗ったのよ。人の命を弄んだ罪を償わせる為に」
「桜!」

 エミヤシロウが声を荒げた。
 
「一体、君はどうして……」
「えっと……、今、言ったばかりなんだけど……」

 桜は困ったように眉を顰めた。
 
「言っておくけど、貴方が生前に知り合った間桐桜と私は別物よ?」
「し、しかし……」
「面倒な人ね」

 桜は溜息を零した。
 
「昔の女の面影を重ねられる方の身にもなって欲しいわ」
「桜……」

 哀しそうに彼は彼女の名を呟いた。
 哀れに思うが、今は彼のセンチメンタルな感傷に付き合っている暇が無い。
 
「桜。お前の言う『あの人』とは誰の事だ? それに、お前は自分自身を『創造主の一人』と言ったな? 他にも居るのか?」
「分からないの? さっきも言ったけど、貴女は大した名探偵振りだったわ。貴女の推理は殆ど正解だったもの。姉さんやイリヤに関しては……」

 桜は言った。
 
「だから、今の私の発言を下地に組み込んで、更にもう一歩、真実へ踏み込んでごらんなさいよ」

 桜の発言を踏まえ、私は再び推理を組み直す事にした。

『遠坂凛は第四次聖杯戦争と第五次聖杯戦争の犠牲者を全て甦らせた』
『蘇生後、犠牲者達は殺し合い、全滅した』
『黒幕は複数存在する』
『間桐桜は黒幕の一人』
『イリヤと凜に関しては推理通り』

 これらが意味するのは、容疑者が一気に増加した事とイリヤと凜が黒幕の候補から外れた事。
 いや、もう一つあった。
 
『私は黒幕の正体を挙げる事が出来る』

 その条件は揃っていると桜は言った。
 
「この奇怪な状況を作り上げる黒幕の正体……」

 考えるべきは黒幕が掲げる目的だ。
 桜は凜に対する報復と言った。
 アンリ・マユがそうした彼女の祈りを汲み取って叶えたのかもしれない。
 けれど、彼女は『あの人』という言葉を使った。アンリ・マユという怪物に対して、『あの人』などという言葉を使うのは違和感がある。
 
「この世界を作り上げる目的……」

 分からない。
 
「仕方無いから、ヒントをあげる」

 桜が言った。
 
「この世界は『私』や『あの人』や『アンリ・マユ』がこうしたくて創ったわけじゃない。私はただ、姉さんが絶望する姿を見たかった。アンリ・マユはただ、呪いに耐え抜いた姉さんの希望が見たかった。つまり、『黒幕』である私達は誰もこんな世界を望んでいなかったわけ」

 飲み込むまでに時間が掛かった。
 分かった。そういう事だったのか……。
 この世界が桜達の意思によるもので無いなら、考えつく答えはただ一つ。
「この世界を創ったのは……、私達?」

 桜は言った。
 
「大正解」

 微笑みながら、彼女は言う。
 
「死亡する直前、貴女達は皆、一様に願ったわ。『まだ、死にたくない。もっと、生きたい』と。だから、この世界が出来た。聖杯が記録した聖杯戦争の始まりから終わりまでを延々と繰り返す、この無意味な世界を創ったのは貴女達全員の総意」

 桜は穏やかな笑みと共に言った。
 
「そして、その度に姉さんを絶望させる為に手を加えて来たのは私」

 桜は手でピストルの形を作り、言った。
 
「希望の光が輝けば輝く程、絶望は深くなる。だから、そうなるように手を回した。人形劇のシナリオに背く狼藉者は私が無理矢理舞台から引き摺り下ろした」

 愉しそうに語る彼女に私は恐怖を感じた。
 
「アンリ・マユは姉さんが私の与える絶望的展開に負けないよう祈りながら、現界の為の魔力を集め続けた。希望を手にこの世界を閉ざす姉さんを待ち望みながら、彼は世界を滅ぼす為の準備をし続けた」
「矛盾しているな……」
「そうよ。彼は矛盾を抱えている。その原因は姉さん。『この世全ての罪業』を注ぎ込まれて尚、全ての救済を聖杯に求めた姉さんをアンリ・マユは『希望』と称したわ。あらゆる絶望を覆す希望と。自らが抱けなかったソレが自らの現界を阻み、討ち滅ぼす事を彼は祈っている」

 クロエの言葉を思い出した。彼女曰く、|この世全ての悪《アンリ・マユ》はゾロアスター教の邪神そのものではなく、そうあれと願われた一人の少年だったらしい。
 その少年が抱けなかった希望を凜は抱いていた。それを見た|少年《アンリ・マユ》が何を思ったか、私には理解が及ばない。けれど、それが心の矛盾を作り上げた。
 
「そして、『あの人』は聖杯そのものを欲した」

 桜の言葉と共に彼女の胸から腕が生えた。
 
「こうして、私から聖杯を掠め取る機会を伺う為に……」

 自分の胸から生えた腕を平気そうな顔で見下ろしながら彼女は言った。
 
「ねえ、お爺様」
「漸く、手に入った」

 桜の背後には慎二が居た。けれど、様子がおかしい。髪の一部が白くなっている。肌もどこか黒く変色している。
 
「この瞬間を待ち望んでおったぞ! |聖杯《おまえ》に手が届く、この瞬間を!」

第五十八話「クライマックス推理」

 やかましい程の笑い声が辺り一面に鳴り響く。声の主は私だ。複雑に絡み合っていた糸が漸く解けたような、実に爽快な気分だ。

「謎が解けた」

 これまでの推理は全て、『そう考えれば筋が通る』というだけのもので、言ってみれば、『こじつけ』に『こじつけ』を重ねた暴論だった。正直、違和感満載でどうにも納得がいかなかった。
 私が自らの死という事実を受け入れて尚、こうして敵の本拠地まで乗り込んだ理由もコレだ。『真実』。私が求めていたのはそれだけだった。その為にバゼットを炊き付け、凜やクロエに同調し、皆を扇動してここまで辿り着いた。

「なるほど、前提からして、間違っていたというわけか」
「ラ、ライネス……?」

 目の前で起きた現象に目を奪われていたバゼットが私を戸惑いの眼差しで見る。どうやら、まだ、気付いていないらしい。
 ほぼ、正解が提示されているにも関わらず、答えを導き出せたのは私だけのようだ。悪くない気分だ。
 
「漸く、全てのピースが埋まるべき所に埋まったよ。黒幕は『イリヤスフィール』では無い。そこに居る『遠坂凜』だ」

 誰もが間抜けな表情を浮かべる。実に気分が良い。世のミステリー小説に登場する名探偵達はきっと、謎解きをする時、このような感慨に耽っているのだろう。
 実に甘美だ。
 
「ライネス。貴女、何を言ってるの?」

 クロエが問う。私は言った。
 
「真相だよ。さあ、聞いてくれたまえ、これが私の出した結論だ」

 最初に感じた違和感は『遠坂凛』と『ルーラー』が前周回の記憶を持ち越した事。私は当時、提示されていた情報を下に一つの仮説を立てた。
 即ち、『|アーチャー《ギルガメッシュ》が二人の死を偽装した事で二人は『情報ごと魂』を新たな周回へ持ち越した』という説だ。皆は異論を挟まずに納得してくれたが、この仮説を提言した当人である私自身は納得し切れていなかった。
 この仮説には大きな穴があるからだ。
 
「穴って?」

 フラットが青褪めた表情で問う。
 
「この仮説には幾つか前提条件が必要となる」
「前提条件?」

 バゼットが問う。

「分からないか? 如何に死を偽装し、周回が終わる毎に行われる|再起動《リセット》を免れたとしても、次の周回に情報を持ち越す為には関門がある」
「関門って?」

 クロエが問う。
 
「周回が終わった段階でその周回の情報を保有した魂を維持出来たとしよう。それを次の周回にどうやって持ち越す? 考えられる方法は三つだ」

 私は拳を丸めた状態から人差し指だけを持ち上げた。
 
「一つ目は新たな周回が始まった時に、再び実体化する事。だが、クロエの話を聞く限り、これはあり得ない。何故なら、これの条件は周回毎に魂が|再利用《リサイクル》されている事だからだ。クロエの話によれば、『周回毎に全ての複製された魂は破棄される』との事。ならば、次の周回が始まったとしても、既にそこには新たに複製された魂があり、凜は『遠坂凛』として実体化する事が出来ない」

 ならば、と中指を持ち上げる。
 
「二つ目。一つ目の案と重なるが、新たな周回が始まった時、既に存在している複製された魂を排除し、立場を乗っ取る案だ。だが、これは凜の言葉が否定する。凜は『気が付いたら新たな周回の遠坂凛になっていた』と言っていた」

 では、と薬指を持ち上げる。
 
「三つ目だ。これは一つ目や二つ目とは大きく異なるが、要は情報を本体の魂に持ち帰り、その後、複製された魂にも持ち帰った情報を与えるというものだ。だが、これも周回毎に魂が破棄されるのならば成立しない」

 手を下ろし、肩を竦める。
 
「魂が周回毎に破棄されるという事は、『複製された魂』と『本体』の関係は『一方通行』なものという事。複製された魂が本体に干渉する事は出来ないという事だ」
「でも、凜とルーラーは現に……」

 クロエの言葉に私は一つの事実を付け加えた。
 
「それと言峰士郎だな」
「あっ」

 一同の視線がエミヤシロウに集まる。彼は状況が掴めていないのか、困惑した表情を浮かべている。彼や言峰士郎の言によれば、彼が夢幻召喚されたのはライダーが敵側で召喚された彼を倒した直後。最低限の意思疎通は出来たのだろうが、全ての事情を説明する時間は無かった筈だ。
 本当なら山程の疑問があるのだろうが、それを胸中に押し留めている彼の我慢強さは称賛に値する。
 
「一度、話を整理しよう。この世界で周回を跨ぎ、記憶を持ち越す事が出来たのは『遠坂凛』、『ルーラー』、『言峰士郎』の三人と『黒幕側の人物』だ」

 私は言った。
 
「では、何故、彼らは記憶を持ち越す事が出来たのか? 一人ずつ考えてみよう。まずは、言峰士郎からだ」

 彼女の場合は簡単だ。黒幕側の人間から干渉を受けたからに他ならない。
 本来、キャスターのマスターとして存在する筈の言峰士郎。だが、黒幕側はキャスターの存在を隠蔽する為にそのマスターであった彼女の事も隠蔽する必要があった。それが存在しない筈の言峰教会のシスター、カレン・オルテンシアの登場の理由だ。
 干渉した理由は恐らく、周回が始まる毎に彼女にカレンという人物を演じるよう命じるより、彼女の特異な性質を鑑見れば、彼女に記憶を持ち越させ、自らの意思で演技してもらう方がずっと効率的だからだろう。

「では、次にルーラーだ」

 彼女の場合はかなり特殊だ。そもそも、彼女の正体は『|抑止の使者《ルーラー》』ではなく、『|抑止力《カウンターガーディアン》』そのものであり、この世界の外側の意思が送り込んで来た異物だ。
 『ルーラー』という『クラス』を寄り代にした事で彼女はこの世界の法則に縛られていたが、異物である事に変わりはない。つまり、彼女は他のサーヴァント達のように逐一周回毎に再召喚される事は無い筈なのだ。
 ならば、どうやって彼女は周回を跨ぎ、幾度も再召喚を繰り返しているのか? その答えは恐らく言峰士郎にある。彼女はルーラーの寄り代に選ばれた理由を『夢幻召喚が行えるから』だと考えたようだが、私の考えは違う。
 ルーラーは『周回を跨ぐ事が出来る人物を寄り代に選定した』のだと私は考えている。最初の寄り代候補とされた三人とは、イリヤスフィールとクロエ、言峰士郎の三人では無く、『黒幕として扱われていたイリヤスフィール』と『黒幕から干渉を受けた言峰士郎』、そして、『遠坂凛』の三名の事だ。
 そう考えると、ルーラーが周回を跨げる理由も分かってくる。
 恐らく、言峰士郎は記憶を持ち越す為に周回毎に魂を破棄されずに次の周回へ送られている。ルーラーはそんな彼女を道標にして、周回を跨いでいるのだろう。
 
「さて、だとすると実に奇妙な存在が居るな?」

 私の言葉に誰もがギクリとした表情を浮かべた。
 
「実に奇妙な話じゃないか? 他の記憶を持ち越す事が出来た者達は須らく黒幕から干渉を受けている。にも関わらず、『遠坂凛』はただ、死を偽装しただけで記憶を持ち越す事が出来た……」

 私の言葉の意味が理解出来たのだろう。クロエとフラットに至っては恐怖の表情を浮かべている。
 
「ギルガメッシュは全てを理解していた。|黒幕《アンリ・マユ》はそう言っていたな? その意味もここまで来れば分かるだろう?」
「まさか、ギルガメッシュは凜ちゃんが……」

 フラットが慄くように呟く。

「そうだ。凜が黒幕だという真実に至っていた!」
「待って! あり得ないわ!」

 クロエが声を荒げた。
 
「何故だ?」

 私が問う。
 
「だって、もしも彼が貴女の言う真実に至っていたとしたら、彼が凜を救おうとする筈が無い!」

 クロエは断言した。
 
「確かに、この周回の彼は優しい人だわ。だけど、前周回の彼は違う。まさに暴君と言って差し支えの無い人物なの! もし、凜が黒幕だと彼が知っていたのなら、凜の記憶を次の周回に持ち越すなんて真似はしなかった筈だわ! むしろ、彼女に怒りをぶつけていた筈!」
「それでどうにかなるなら、彼はそうしていたかもな」
「え?」

 私の言葉にクロエは戸惑いの表情を浮かべた。
 
「確かに、暴君だったのだろうな。だが、それでも彼はギルガメッシュだ。この周回の彼を見ても、唯人如きでは計り知れない叡智を持っている。凜を殺す事で世界を閉じる事が出来るなら、彼はそうしたかもしれない。だが、実際は違う。凜を殺しても、結局、彼女は次の周回に移動するだけだ。それでは、結局、彼女は新たにギルガメッシュを召喚するだけだ」

 むしろ、と私は続けた。
 
「暴君だからこそ、それが許せないのだろう。幾度も、自らの魂を弄ばれる事を屈辱と感じたに違いない。だからこそ、彼は凜に記憶を持ち越させた。そして、彼女自身の手で世界を閉ざすよう道を示した」

 私の言葉にクロエは納得し切れなかったのか、「でも」と口を開いた。
 
「そこまで分かっていたなら、どうして彼は凜にその事を告げなかったの?」
「己の魂を弄んだ事に対しての怒りが彼女に試練を課すという形で現れたのかもしれない。考えてもみろ。必死に追い求めた真実が『自らが黒幕だったという真実』だったら、君ならどうだ?」
「それは――――ッ」
「絶望的だろう? まあ、実際の真意は分からんがな」
「でも、そんなの貴女の推測でしか……」

 クロエが言う。この後に及んで、そんな言葉が出て来るとは驚きだ。なら、別の根拠を提示するとしよう。
 私が抱いた違和感は他にもある。例えば、凜の話にあった前周回でイリヤスフィールの名を名乗った少女の事だ。
 私はさっきまで凜が抱いていた少女に歩み寄った。呆然とした表情を浮かべる彼女に私は言った。
 
「君からも証言して欲しい。君は誰だ?」
「……イリヤス……、フィール」

 自信無さ気に彼女は言った。けれど、これで良い。
 
「そうだ。君はイリヤスフィールだ。偽物などでは無い。正真正銘の本物だ」
「な、何を言ってるの!?」

 クロエが声を荒げた。
 
「その子はイリヤじゃない! あの子が作り上げた人形よ!?」

 頭上のステンドグラスの中央で眠る少女を指差し、クロエは言った。
 
「そうだ。ただし、正確じゃない。あの子はイリヤスフィールの本体であり、彼女はその複製。私達と同じだ! 君自身が言った事だぞ! 我々の魂の本体はここにあると! 『天の逆月』にあると!」
「何を言って……」
「解離性同一性障害」

 私の言葉にクロエは凍り付いた。
 
「君はイリヤがその病を患っていると教えてくれたな。では、解離性同一性障害とはどういった病なのか? そこに焦点を合わせてみよう」

 私は言った。
 
「解離性障害とは患者本人にとって堪えられない状況を『|離人症《ディパーソナライゼーション》』のように『それは自分の事では無い』と感じたり、もしくは、『解離性健忘』などのように、その状況下における記憶や感情を切り離し、思い出せなくする事で自身の心を守る為に引き起こされる障害だ」

 そして、と私は続けた。
 
「解離性同一性障害はそれらの症状が更に深刻化した時に起こるもので、切り離した筈の記憶や感情が勝手に成長し、別の人格となって現れる症状を指す」

 私はクロエを見た。
 
「ここで重要なのはクロエ、君がイリヤスフィールの何を元にして成長したのか、という点だ。君達はクロエという人格の正体を『イリヤスフィールが作り上げたイマジナリーフレンドがそのまま交代人格に変化したもの』と考えていたらしいな? 恐らく、そこに間違いは無いだろう。だが、どの時点で交代人格に変化したのかは理解出来ていない」
「どういう意味……?」

 クロエは恐怖に駆られた表情で私を見た。
 
「恐らく、イリヤスフィールとクロエが分離したのは聖杯戦争の終盤だ。フラット・エスカルドスが死亡した時、二人は分離した」
「ま、待ってくれ! そんな筈無いよ!」

 フラットが堪らず口を挟んで来た。
 
「だって、俺はクロエちゃんと会話した事があるんだ! 海辺の公園で……」
「それはイリヤスフィール本人だ」
「……え?」

 私の言葉に衝撃を受けたのか、フラットは気勢を削がれたように声を萎めた。
 
「でも……、俺は確かに別人だと……」
「感じた。違うな。お前が勝手に勘違いして、それをイリヤスフィールは利用したんだ」
「なっ!?」

 フラットは私の言葉に絶句した。
 
「忠告してやろう。女という生き物は須らく女優だ。家族内であろうと、友人同士であろうと、恋人同士であろうと、相手に応じたキャラクターを演じ分けているものだ」
「そ、そんな事……」
「女に理想を見過ぎだな」

 私は言った。
 
「建前と本音」
「え?」

 首を傾げるフラットに私は言った。
 
「普通に考えてみろ。少なからず好意を寄せている相手に隠すべき本音を容易に暴露出来るか?」

 私の問いに彼は押し黙った。
 
「イリヤスフィールは救いの手を求めていた。だが、その本音を出すのは躊躇われた。何故なら、フラット、君に対して彼女は『助けを求めるばかりの憐れな女』と思われたくなかったんだ」
「そ、そんな!」
「家庭環境のせいもある。誰かに甘える事を知らない人間は強い人間であり続けなければならないと思う傾向がある。何故なら、弱さを見せても甘えられないからだ。むしろ、弱さを見せれば痛めつけられてきた筈だ。だから、『弱い事は悪い事であり、情け無い事なのだ』と思うようになる」
「そんな……」

 肩を落とす彼に同情しながら私は話を続けた。
 
「だから、彼女にとって、君が『寝起きで演技をする余裕が無い彼女』に違和感を持った事は非常に都合が良かった。クロエと名付けたイマジナリーフレンドを演じて、君に助けを求める事が出来たからだ」

 私の言葉に彼は俯いた。何を考えているのかは分からないが、そこは複雑な恋の悩みだ。私には理解が及ばないから無視する事にする。
 
「さて、私がイリヤスフィールとクロエの分離のタイミングを聖杯戦争の終盤であると考えた理由は単純だ。前周回でのイリヤスフィールの様子とクロエの様子、加えて、一週目の話。これらを統合すると、クロエはイリヤスフィールがこれまで経験して来た記憶全てを元に構築された人格だと考えられる」
「全ての記憶!?」

 誰もが言葉を失った。
 
「だからこそ、イリヤスフィールは天真爛漫な少女として、前周回を過ごした訳だ。全ての記憶を失い、零の状態になってしまった彼女はこの世界で妄想を自身の記憶と誤認して過ごしていたのだろうさ」
「う、嘘だ。そんな筈……」

 クロエは首を横に振りながら呟いた。
 
「だが、君自身が語った一週目の話の冒頭のイリヤスフィールと君自身の性格は非常に良く似ているぞ。そして、今のイリヤスフィールとイマジナリーフレンドであった頃の君の性格もとても良く似ている」
「で、でも! だとしても、どうして分離なんて……」
「言っただろう? フラットが死亡したからだ。彼女は彼に好意を抱いていた。だが、そんな彼が死んだ。その時の彼女の精神的苦痛は計り知れない。何せ、漸く手に入れた『自分を助けようとしてくれた人』であり、『愛した人』であり、『愛してくれた人』なのだからな。そして、そこにキャスターはつけ込んだのだろう」
「キャスター……? でも、彼は……」

 クロエの言葉を私は手で静止した。
 
「死んだ。だが、何時死んだかはアンリ・マユも言っていなかっただろう?」
「それは……」
「キャスターは確かに行動していたのだ。恐らく、イリヤスフィールの下に奴が向かった所までは真実なのだろう。だが、その後が違った」
「どういう意味?」
「そもそも、悪魔は人間を甘やかす存在だ。そんな性質を持ったキャスターがイリヤスフィールに悪意に満ちた言葉を囁き、こんな大舞台を作り上げるとは考え難い」
「つまり……?」
「こう考えれば辻褄が合う。イリヤスフィールには悪意に満ちた言葉など必要無かったのだ」

 私は『解離性障害』担当委員会の議長スピーゲルの言葉を引用する事にした。彼はこう言っている。

『解離性障害に不可欠な精神機能障害は広く誤解されている。これはアイデンティティ、記憶、意識の統合に関するさまざまな見地の統合の失敗である。問題は複数の人格をもつということではなく、ひとつの人格すら持てないということなのだ』

 この言葉が意味するのは別人格を持つ事は自己の人格すら保てない状態に陥っているという事だ。

「つまり、イリヤスフィールには何も意思が無かった。それ所か、彼女には判断能力などが欠落していた可能性が高い」
「じゃ、じゃあ……」

 クロエが力なく呟く。私は言った。

「恐らく、キャスターはイリヤスフィールを使い、聖杯を起動しようとしたのだろう。そして、そこから状況が変化したと考えられる」
「変化?」

 フラットが問う。

「十年前の第四次聖杯戦争の結末を思い出してみろ。凜が言っていただろう? 最後の刻、聖杯が起動した時、聖杯からは泥が漏れ出した、と」

 私は言った。

「つまりだ。大聖杯の中身……、|この世全ての悪《アンリ・マユ》が聖杯を通じて一部が外に流れ出したのだ。それが一週目のアーチャーと凜に襲い掛かった。そして、そこから全てが歪んだ」
「どういう意味?」

 クロエが問う。
 
「アンリ・マユが言っていただろう? 凛を穢し尽くす事が出来なかった、と。つまり、凜は泥によっては死ななかったのだ。だが、歪んだ。恐らく、クロエがイリヤスフィールの言葉だと思い込まされていた『全てを取り戻せる』という言葉は凜のものだ」
「そんなの、確証が無いじゃない!」
「だが、凜以外にその時点で思考能力を持った者は他に居ない。アーチャーは呑み込まれ、イリヤは意思を失い、キャスターはアンリ・マユ曰く、滅んだ。恐らく、キャスターもアーチャーと同時に泥に呑み込まれたのだろうな」
「でも、全部憶測じゃない! イリヤの事だって……」
「だが、全ての辻褄は合う。まあ、真実は本人の口から聞けばいい」

 私は離れた場所で一人呆然と、自らの胸に突き立てられた奇怪な形状の短剣を見下ろしている凜に視線を向けた。
 彼女は薄く微笑むと顔を上げ、私を見た。
 
「大正解。大した名探偵振りね、ライネス。まあ、色々と間違ってる部分もあるけど……」
「なら、説明してもらえるかな? 私が間違えた部分も含め、全ての事の真相を」
「ええ、良いわよ。正直、皆に多大な迷惑を掛けちゃったし……。とりあえず、白状するわ。私が黒幕よ」

 彼女はそう、軽い口調で語り始めた。

第五十七話「真実へ至る道筋」

 一方、その頃地上では戦いが続いていた。
 孤軍奮闘。四方八方を敵に囲まれ、味方は居ない。それに、既に凛達が天の逆月に辿り着いている以上、無理に戦いを続ける必要は無い。それでも、アーチャーは戦い続けていた。
 それは何かを待っているかのような戦い方だった。
 
「……さっさと出せ」

 そもそも、彼は切り札を温存している。終末剣・エンキ。その発動条件は既に満たされている上、発動すれば、全ての敵を一掃する事も可能。
 ならば、彼は何を待っているのか? それを知る者は本人以外に誰も居ない。
 
「試してみるか……」

 アーチャーは周囲に散開しているサーヴァント集団目掛け、一斉に宝具を打ち出した。ほぼ全ての敵が打ち出された宝具を躱す。だが、全てが追尾性能を持った武器であり、初撃を躱した者達も追撃を受けて消滅していく。
 一方で、追撃すら躱す者も居れば、宝具を使う者も現れだしている。
 戦いの最中に気がついた事だが、奴等は学習している。ならば、此方が切り札を使えば、向こうもそれに抗うべく切り札を切ってくるかもしれない。
 危険な賭けだ。失敗すれば、全ての希望が潰える可能性がある。
 
「だが、リスクを怖れていては未来など掴めはしない!」

 アーチャーは意を決して双剣の形状を変化させる。双方の柄同士を合体させ、一個の弓とする。
 
「分かる筈だ。少なくとも貴様等は――――」

 アーチャーは無様な醜態を晒す|自分自身《ギルガメッシュ》達を見下ろす。
 
「この脅威に抗いたくば、出すが良い!」

 弦を引き絞る。同時に弓の先に魔法陣が展開する。
 アーチャーが誇る最強の宝具が発動した。弦より放たれた一本の矢が地面に突き刺さると同時に光へ転じて天空へ昇る。代わりに衛星軌道上に浮ぶ七つの光が一本の巨大な光の剣と成って降りて来る。
 終末剣・エンキは上空破裂すると巨大な魔法陣を展開した。一瞬後、魔法陣は空間を巻き込んで崩壊した。まるで、ガラスをハンマーで叩き割ったかのように崩れた空間の向こうから巨大な波が押し寄せてくる。
 ナピシュテムの大波が冬木の街を洗い流していく。波に巻き込まれたサーヴァント達も次々に消滅していく。その中で一体のサーヴァントが遂にアーチャーの目的とするモノを取り出した。

「ソレを待っていた」

 第五十七話「真実へ至る道筋」

「|この世全ての悪《アンリ・マユ》だと!? まさか、手遅れだったのか!?」

 ライネスが声を荒げる。彼女はまだ冷静な方だ。ただの直感を正解と返され、私は動揺のあまり口がきけなくなっている。
 アンリ・マユ。私達はコイツが産まれるのを阻止する為にここに来た。けれど、間に合わなかった。アンリ・マユは既に産まれてしまっている。
 滅ぶ。世界が滅んでしまう。
 
「ライネス。早とちりはいけないな」
「早とちり……?」
「そうだとも。私は未だ、現世に生まれ落ちていない。大聖杯の中で孵化の時を待つ雛鳥も同然だ」
「なら、何故、貴様はここに居る!?」
「簡単な話さ。ここが大聖杯の中だからだよ」
「……は?」

 何を言ってるんだ。ここは大聖杯の中などでは無く、キャスターの固有結界の中の筈だ。それが大前提だった筈だ。
 
「前提がまず間違っているな」

 まるで、私の心を読んだかのようにアンリ・マユは言った。
 
「ここはキャスターの固有結界の中などでは無い。そもそも、キャスターはとうの昔に消滅している」
「な、なんだと!?」

 ライネスはクロエを睨み付けた。
 
「どういう事だ!?」
「わ、分からないわよ! だって、私は……」
「そう、クロエを責めるな。彼女は私が与えた情報を鵜呑みにしただけなのだからね」

 アンリ・マユの言葉にクロエは青褪めた。

「どういう事?」
「言った通りだ。お前の記憶は私があの人形を通して与えたものに過ぎない。ああ、安心したまえ。殆どの記憶は本物だ」
「ほとんど……、ですって?」
「私にとって、都合の悪い情報だけはカットさせてもらったよ。怖いのが一人紛れ込んでいるからね」
「怖いの……?」

 私が問うと、アンリ・マユはニヤリと嗤った。
 
「性質の悪い奴が一人居るだろう? 今はまだ、本人の意識が確りしてるからいいが、アレが私に気がついたらその時点で終わりだ」

 咄嗟に頭に浮んだのはアーチャーだったけれど、クロエの言葉がその考えを否定した。
 
「ルーラーね?」
「正確にはジャンヌ・ダルク。アレは危険だ。とても、危険だ。言っておくが、私にとってだけじゃないぞ? 君達にとっても、あれは災厄でしかない」
「馬鹿言わないで。ルーラーは私達の味方よ」

 私はアンリ・マユのくだらない戯言を切って捨てた。けれど、彼は動じた様子を見せずに言う。
 
「|抑止力《アレ》は個では無く、群を優先するものだ。果たして、アレが本性を現した時、君達はアレを堂々と味方と断言出来るかな?」
「戯言を並べるな、アンリ・マユ」

 エミヤが前に出る。彼の姿を見た途端、アンリ・マユは嗤った。
 
「それにしても、本当に彼は凄いな。さすがは遠坂凛のサーヴァントだ!」

 哄笑するアンリ・マユに私は眉を顰めた。
 
「分からないのかい? ギルガメッシュは全てを理解している。私の事も、ルーラーの事も、全てだ! だからこそ、彼はエミヤという英霊を切り札として用意した。ああ、全く、感動してしまうよ!」
「えっと……」

 私は助けを求めるようにエミヤを見た。すると、彼は言った。
 
「なるほど、私も今漸く理解出来た。何故、私だったのか……」
「どういう事……?」
「作れ、エミヤシロウ。そして、彼女に渡せ」

 二人のやり取りの意味を私は理解出来なかった。ギルガメッシュが士郎にエミヤを夢幻召喚させた理由は一番親和性が高かったからじゃないの?
 他にも理由があるとしたら、それは何?
 
「|投影開始《トレース・オン》」

 エミヤが投影した物は酷く奇怪な形状の短剣だった。到底、物を切る事に適しているとは思えない薄さと形状の刃が柄から伸びている。
 それが何かを問おうとした途端、エミヤは奔り出した。しかし、
 
「駄目だな、エミヤシロウ」

 アンリ・マユが指を鳴らすと同時に地面に広がる暗闇が私とイリヤ、そして、アンリ・マユ自身を隔離するように持ち上がり、壁となった。
 壁にぶつかりそうになる寸前、エミヤは足を止めた。
 
「これは……」
「御存知の通りだ。ソレに触れれば、君の魂はたちまち穢れ、私の一部となる。それが嫌なら、大人しく、ソレを凜に渡せ」
「何のつもりだ……」
「私は知りたいのだよ」

 アンリ・マユは言った。
 
「『この世全ての悪』という正しく絶望の権化を個が持つ希望の光が討ち滅ぼせるかどうかを!」
「何を言って……」
「如何なる絶望にも負けぬ希望の光。その存在を私は知りたい!」

 アンリ・マユは狂気に彩られた表情を浮かべ、私を見た。
 
「遠坂凛。お前ならば持っているのかもしれない! 『 』が欲したモノを! さあ、エミヤシロウ! ソレを遠坂凛に渡せ! それ以外に救済の道は無いぞ」

 エミヤは険しい表情を浮かべながら短剣を壁に向かって放り投げた。すると、壁は短剣を素通りさせた。
 足下に転がる刃に眼を白黒させる私にアンリ・マユは表情を和らげて言った。
 
「ソレは魔女・メディアの宝具。裏切りの魔女の象徴。嘗て、エミヤシロウが経験した第五次聖杯戦争におけるキャスターのサーヴァントのものだ」
「魔女・メディアの短剣……」

 恐る恐る掴むと、その刃が秘めた強大な魔力に驚いた。
 
「ちょ、ちょっと待ってよ。私、宝具なんて……」
「問題無い。殺傷能力は無いに等しいが、その刃は真名解放せずとも力を有している。ただ、突き刺すだけで良い。それで、あらゆる魔術契約を破戒する事が出来る」
「あらゆる魔術契約を?」
「そうだ。それを使えば、私とイリヤ本体との契約は断たれる。それはつまり、イリヤの解放を意味する。分かるかね? 私にその刃を突き立てる事が出来れば、君はイリヤを救えるのだ! 悲願が叶うのだ!」
「な、なんで……」
「どうしたのかね? これは君にとって願っても無い事だろう?」
「どうして、私にチャンスを与えるの……?」
「言っただろう。私は見たいのだよ」
「希望を?」
「そうだ」

 理解出来ない。この世全ての悪が何を言っているんだ。
 
「意味が分からないわ」
「だろうな。正直、私もよく分かっていない」
「はい?」

 とぼけた返答に私は思わず首を傾げた。
 
「この世界を作り上げてから、私はこれまで様々な人間の姿を借り、君達を見て来た」

 アンリ・マユは顔に手をあてた。すると、彼の顔が高校の担任教師の顔に変貌した。時々しか通えなかったけれど、その度に家で出来る私専用の課題を作ってくれた先生。
 驚き目を瞠る私を尻目に再びアンリ・マユの顔が変わる。今度は前周回で会った新海士郎の顔。思えば、彼はあり得ない存在だった。だって、士郎は言峰の姓を得て、別に存在している。
 アンリ・マユの顔は次々に変わり、最後に元のキャスターの顔に戻った。
 
「それで思ったのだよ。私は本当に人間だったのだろうか? とね」
「どういう意味?」 

 私が問うと、アンリ・マユは言った。
 
「私は本物の|邪神《アンリ・マユ》では無い。そうあれと望まれた単なる人間だった。けれど、私は数多くの苦痛に苛まされ、最後には人々に望まれたとおりの悪の権化に成った。だが、この世界で過ごす内、不意に思ったのだよ」
「何を?」
「本当は違う道があったんじゃないか? ってね」

 驚きに目を瞠る。
 
「あなた……」
「さあ、無駄話はここまでにしよう。君の旅もこれで漸く終わるんだ。真実に至り、祈りを叶えたくば、構えなさい」

 私は言われるがままにエミヤが投影した剣を構えた。

「さあ、挑むが良い! 希望を胸に、私の絶望に!」

 奔った。無我夢中でアンリ・マユに向かう。反撃を予想して、油断無く、アンリ・マユの動きを見ながら、ひた走る。そして……、
 
「……なんで」

 私は辿り着いた。何の反撃も受けず、この場所まで……。
 
「どうした? 私を倒すのだろう?」

 嫌な予感がした。これは罠なのかもしれない。もしかしたら、この刃を突き立てる事で何か、取り返しのつかない事が起こるのかもしれない。

「怖いのか?」
「ち、違う!」
「違わないな。お前は怖れている。これは罠では無いか? とな」

 胸中を言い当てられて、私は動揺した。
 
「それは……」
「教えてやろう。私にそれを突き立てれば、お前は私を滅ぼし、真実に至る。その先に深い絶望を見るだろう」
「深い……、絶望?」

 私は後ろを振り向いた。共にここまで歩んで来た仲間達を見る。
 
「違う。彼らは関係無い。絶望はお前だけのものだ。ソレを乗り越えられるか否か、それを私は知りたい。さあ、示すが良い!」

 両手を広げ、私に無防備な姿を晒すアンリ・マユ。私は何故か、彼の言葉が真実だと感じた。そう、彼を滅した先に絶望が待ち受けているという真実を私は直感した。
 だけど、それが私だけの絶望であるという彼の言葉もまた、同時に真実であると感じた。だから、迷わない。これはきっと、最初で最後のチャンスだ。
 イリヤを救い、この世界を閉じる最後のチャンス。
 だから、私は迷いを振り払い、短剣を突き立てた。そして、私は知った。
 
「ああ、そういう事か……」

 アンリ・マユの仮面が剥がれていく。
 私は絶望に呑み込まれた。真実という名の絶望に……。
 ただ、一つだけ疑問がある。
 
「一体、いつから……?」

第五十六話「最強」

 それがルーラーの言う奥の手の正体。
 
「相変わらず、無茶をするな、凛」

 現れたのは紅の外套を身に纏う弓の英霊。その顔、その姿、その声は紛れも無く、嘗て、共に戦場を駆け抜けた相棒。
 けれど、あり得ない。
 
「凛!」

 クロエが叫ぶ。振り返ると、彼女は乱入者に向かって疾走を開始していた。騎士はバゼットが見張っている。
 
「ま、待て、私は!」
「問答無用! |人形《イリヤ》を使って、同情心を煽ろうとした直後に嘗ての相棒を使い油断を誘う! やり口がえげつないにも程があるわ!」
「違う! 私は――――」
「|射殺す百頭《ナインライブス》!!」

 一気呵成に責めるクロエに乱入者は堪らず後退し、声を荒げた。
 
「ルーラーから聞いてないのか!?」
「奥の手があるとは聞いた! けど、この状況で『君』が救援に駆けつけるなどという状況はあり得ない!」

 ライネスが断言する。

「敵に知られたくなかったからとは言え、情報を隠匿し過ぎだ、ルーラー!」

 頭を抱え、乱入者は言った。
 
「分かった! 証拠を見せる!」
「証拠……?」

 乱入者の言葉にクロエは一瞬、刃を止める。
 
「夢幻召喚を解く。それで、誤解も解けるだろう」
「夢幻召喚……? って、やっぱり敵じゃない! 私以外に此方の勢力で夢幻召喚を出来る人間は居ないんだから!」
「居るんだ! だから、少し待て!」

 乱入者の体が光に包まれる。やがて、姿を現したのは……、
 
「カレン!?」

 銀色の豊かな髪と金色の瞳。そこに立っていたのは確かにカレン・オルテンシアだった。
 
「何と言う役立たず振りですか、衛宮士郎」

 大袈裟な溜息を零し、彼女は私達を見た。
 
「仕方がありませんね。私からキチンと説明を……、あら?」

 やれやれと肩を竦めながら話し始めようとするカレンにクロエが剣の矛先を向けた。
 
「カレンはルーラーの寄り代よ。そんな彼女がエミヤシロウを夢幻召喚しているなんて、道理が合わない」
「いえ、ですから、その説明を今から……」
「そう言って、時間を稼ぐつもりね?」

 聞く耳持たぬとばかりに刃を振り上げるクロエ。
 カレンは溜息を零し、言った。
 
「私は言峰士郎です」
「は?」

 赤い柄の奇妙な短剣でクロエの剣を受け止めながら、カレンは言った。
 不可解な彼女の言葉にクロエは目を見開き、その隙にカレンは距離を取る。
 
「元々、この世界にカレン・オルテンシアは存在していないのです。キャスターはイリヤの祈りの為に私をこの世界に取り込まねばならなかった。けれど、同時にキャスターのマスターであった私をそのままの状態にしておくわけにもいきませんでした。何故なら、ここには既にキャスターとそのマスターの代理品である|人形《イリヤ》と|騎士《モードレッド》が居たからです。故に彼らは私に命じました。言峰士郎という正体を秘匿し、カレン・オルテンシアという人物として、この世界の住人を演じろ、と」

 早口で捲くし立てるように言うカレン……、否、士郎にクロエは呆気にとられた表情を浮かべ、刃を下ろした。
 
「ちなみに、カレンは私の義父、言峰綺礼の実子です。直接、会った事はありませんが、知人から彼女の事は僅かですが、聞いていたので、その通りに演じてきたわけです」

 士郎は言う。
 
「私が何故、この姿をしているのか? その疑問の答えは私の固有結界にあります。『|祈りの杯《サング・リアル》』は他者の祈りに呼応し、私の肉体を作り変える。キャスターの祈りによって、私は仮初の姿であるカレン・オルテンシアのソレに変化しました。嘗て、アンリ・マユを孕む為に女の肉体に変化した時のように」
「な、なるほど……」

 徐々に士郎の言葉はゆったりとしたものに変わり始めた。
 
「私が夢幻召喚を使えるのは起源がイリヤやクロエと同じ『聖杯』だからだ。私は魔術を過程を無視して完成させ、発動させる事が出来るのです」

 士郎は言う。
 
「後、ルーラーに関してですが、彼女は正確にはルーラーでは無かったのです」
「ん? どういう意味だ?」

 ライネスが問う。彼女の説明の仕方があまりにも必死そうだったから、気勢が削がれたらしい。
 
「ルーラーは抑止の使者では無く、抑止そのものなのです。本来、彼女に寄り代は必要無い。滅びを招く根源を消し去る現象。それが彼女の正体です。その事に気がついた時、私達は分離しました。そして、私はアーチャーから身隠しの宝具を借り受け、姿を隠していました」
「ア、アーチャーは知っていたの!?」

 驚く私に士郎は頷いた。
 
「私達の事で彼に判断を仰ぎたかったのです。その結果、彼は私に姿を隠すよう命じました。そして、可能であれば衛宮士郎の魂を敵から奪い取り、夢幻召喚せよと……」
「ア、アーチャーの策だったの!?」

 私が声を張ると、士郎は頷いた。
 
「衛宮士郎と私は始まりを同じくする者同士。私の祈りの杯の能力と合わせれば、彼の力を万全な状態で発揮させる事が出来ると睨んだのです。結果は上々。一切の劣化無く、彼を顕現させる事が出来ました」

 どこか自慢げに胸を逸らす彼女に私は違和感を感じた。
 
「貴女……、本当に士郎なの?」
「ええ、嘘ではありませんよ?」
「でも、何て言うか……」
「言いたい事は分かります」

 頬を掻きながら、士郎は言った。
 
「二十四年間……」
「え?」
「それが私がここでカレンとして過ごした時間です」
「に、二十四年……!?」

 その告白に私達は衝撃を受けた。
 
「さすがに、それだけの時間、女として過ごしていたら、仕草や思考も女性よりになりますよ。もう、男として生きた時間より大分長くなってしまいましたからね……。それに、それだけ生きてると、色々と変わるものみたいです。信じて貰えるか分かりませんが、今の私は自らの意思で貴女方を救いたいと願っています」

 この世界で二十四年もの時間が経過している事。カレンの変化。
 アッサリと呑み込む事は出来ない大き過ぎる事実に私は言葉を失った。
 
「とまあ、これで説明は終わりです。あまり、ここで時間を掛けてもいられないでしょう? 先に進みましょう。夢幻召喚・衛宮士郎」

 光に包まれ、士郎の姿が衛宮士郎の姿に変化する。
 
「えっと……」

 私が言葉を捜して視線を泳がせていると、衛宮士郎はゴホンと咳払いした。
 
「話したい事は色々とあるが、今は先を進もう。君達が疑い深いばっかりに余計な時間を掛けてしまった」
「いや、アンタ達がちゃんと事前に説明しなかったのが悪いんじゃない!」
「その事で私を責めるのは筋違いだぞ、凛。そもそも、私もついさっき夢幻召喚された時に初めて事情を知ったのだ。まったく、何でこの世界の私はあんな事になってるんだ……」

 まあ、自分が女の子になってて、|赤ちゃん《アンリ・マユ》産もうとしたりしてるなんて、彼にとってはツッコミ所が満載なのだろう。
 頭を抱える彼に同情しながら、私は視線を彼から外した。彼が敵で無いなら、今はより優先すべき人物が居る。
 
「イリヤ!」

 嘗ての相棒と再会出来た事は確かに嬉しい。けど、正直言って、前周回や今週回で私は彼と戦い過ぎた。彼を最初に殺した時点で私は彼を慕う資格を失っている。
 それに、今、彼との再会を喜んでしまうと、それで満足してしまう恐れがあった。私の運命を捻じ曲げた十年前の闘争。その中で唯一、光り輝いていた時間。私とお父様と綺礼とアーチャーとアサシンで食卓を囲んでいた時間。あの頃を思い出し、私は満足してしまうのが怖かった。
 今、満足したら、イリヤを救う気力が失せてしまう気がする。それだけは駄目だ。あの子は何が何でも救わなければならない。心に余計な椅子は作らない。座らせるのは一人だけだ。
 私が思うべきは一人だけだ。
 
「イリヤ!!」

 体を震わせ、蹲るイリヤに駆け寄る。
 
「大丈夫!?」
「り、凛……?」

 誰かが離れるように叫ぶ。けれど、離れたくない。今、この子から離れたくない。
 
「わ、私……」
「イリヤ!」

 私は彼女を抱き締めた。彼女の正体が人形であろうと、何らかの罠が張られていようと、そんな事は関係無い。
 イリヤが泣いている。なら、泣き止ませてあげなきゃいけない。守ってあげなきゃいけない。その結果、私自身が死ぬ事になろうとも……。
 
「凛……?」
「私が守るわ……」
「え?」
「イリヤは私が守る。本物も偽物も全部。イリヤを泣かせるなら誰だろうと容赦はしない。誰だろうと叩きのめすわ」

 だから……。
 私はイリヤから手を離し、暗闇の向こうに視線を向ける。
 
「出て来なさい、キャスター!! イリヤは返してもらうわ!!」

 叫ぶと同時に暗闇が晴れた。そこに現れたのは巨大なステンドグラス。
 中央には……、
 
「イリヤ!!」

 そこにイリヤが居た。今度こそ、本物のイリヤがそこに居る。

「素晴らしい!!」

 拍手の音が鳴り響く。
 
「やはり、君はここまで辿り着いたな」

 音の方に顔を向けると、そこには衛宮士郎によって射抜かれた筈のキャスターの姿があった。
 
「あんた、不死身?」

 私の問いにキャスターは微笑むばかり。
 
「最初は君の相棒が英雄王・ギルガメッシュだからだと思っていた。君自身には何の取り得も無く、此度の戦争の参加者の中でも最もお粗末な能力を持ったマスターだからね。けれど、違った」

 キャスターは言う。
 
「どんな戦況であれ、君は常に勝利し続けて来た。信じられないよ。どんな不利な状況にあってもだ! 君は勝利の女神に愛されているとしか思えないよ!」

 キャスターの言葉を私は鼻で嗤った。
 
「勝利の女神に愛されていたら、私はもっとマシな人生を歩んでいたわよ」
「そう思うかね?」
「どういう意味?」

 キャスターの物言いに私は首を傾げる。
 
「君はこの状況を望んでいたのでは無いかね?」
「はあ? そんな訳ないでしょ。十年も蟲に犯される日々を送るなんて……」
「妹の苦しみ」

 キャスターの言葉に私は言葉を失った。
 心の中の深い部分を弄られたような気分だった。
 
「君は知っていた筈だ。本物の間桐桜が第四次聖杯戦争を生き抜いた場合、どうなるのかを」
「な、何を……」
「君は妹が味わう筈の苦しみを背負う事で、苦痛を共有し、彼女の慰めとしたかったのではないかね?」

 馬鹿な事を言うな。そう言おうとして、声が出なかった。
 
「君はやろうと思えば間桐の家を出る事も出来た筈だ。だが、それを良しとしなかった。妹が別の世界で耐え抜いた苦しみから逃げる事は妹から逃げる事だと思ったからだ」
「ふ、ふざけた事を……」
「本当に素晴らしいよ。こんな人間は恐らく他に居ない。蟲に犯され、醜い男達に拷問され、子供が与えられるべき全てを奪われながら、その高潔さを一切失わずに此処に居る」

 何なんだ。いきなり、私を褒めて、動揺でも誘っているのだろうか?
 
「君は苦しかった。不幸だった。そう口にしながら、実のところ、まったく心が折れていない」
「好き勝手言わないでくれない? 私は本当に気が狂いそうな日々を送って……」
「ああ、常人ならばな! 本質を捻じ曲げられていただろう。気が狂っていただろう。どんなに心優しき娘も勇猛果敢な少年も心に深い闇を抱いた筈だよ。だが、君はどうだ?」
「はあ?」
「同じ境遇のイリヤスフィールが解離性同一性障害という病を発症したのに対して、君は一切、心の病を発症していない! それ所か、君を苦しめる張本人である間桐慎二や間桐鶴野に対して同情心すら抱いていた」
「あ、アンタは何が言いたいのよ?」
「称賛だよ! 君と言う『人間』に対する惜しみない称賛を送っているのだよ。口で何を言おうと、君は常に勝者だった。何故、二週目以降、君が姿の違う英雄王を召喚したのか? その理由を君達はネガティブに捉えているようだが、違う」
「違うって……?」
「君は|この世全ての悪《アンリ・マユ》に呑まれて尚、染まらなかった。それどころか、この世界の仕組みに無意識に気付いていた。だからこそ、君はこの世界そのものを滅ぼすという意思を抱き、世界を滅ぼす力を有した乖離剣を持つ英雄王を呼び出した」
「何を言って……」
「魔術を根本から滅ぼしたい。そう、願うに至った根源はこの世界の仕組みに無意識に気付いていたからだよ。憎しみが理由などでは無くね。まあ、君自身が勘違いしてしまったのは全くの笑い話だが……」

 何を言っているのか理解出来ない。私は……、
 
「だからこそ、君は此処に居る。今回だけでは無かったよ。この世界の真実に触れる寸前まで行った事は何度もあった。そして、偶然とは言え、この世界に穴を穿ち、ルーラーという侵入者を引き入れたのも君だ」

 キャスターは言う。
 
「故に私は君に対して敬意を示そう。遠坂凛。最強のマスター。絶対の勝者よ!」
「……アンタ、誰?」

 そんな言葉が私の口から無意識に飛び出した。
 違い過ぎる。私の知っているキャスターというサーヴァントの人物像と目の前のキャスターの人物像があまりにも食い違っている。
 
「分かるだろう?」

 キャスターは微笑む。その口振りは確信に満ちている。
 
「……|この世全ての悪《アンリ・マユ》?」

 戸惑いがちに呟いた言葉にそいつは心底嬉しそうな表情を浮かべて頷いた。

「大正解」

第五十五話「再会」

 一瞬の暗闇の後、私達は不可思議な空間に立っていた。無数のクリスタルが浮ぶ広々とした空間。足下には闇が広がっている。
 
「これは……」

 クリスタルの一つを見つめ、ライネスが目を瞠る。私達もつられて彼女が覗いているクリスタルに目を向ける。そこには私が居た。
 正確に言うと、ライネスと向かい合い、魔術戦を繰り広げている私が居る。
 
「これって、まさか!」

 急いで他のクリスタルを覗き込む。そこには別の景色が封じ込まれていた。
 
「別の周回の映像……?」

 バゼットが呟く。
 
「間違い無いわ。だって、私は一週目で直接ライネスと出会ってない。それに、こんな風に魔術戦をした事も……」

 クリスタルの中で私は宝石魔術と蟲を使い戦っている。こんな戦い方、私は知らない。きっと、この世界では両方の魔術を使うに至る何かがあったのだろう。
 一つ一つのクリスタルに私達の戦いの記憶が封じられている。
 
「でも、あんまり魔力は感じないな」

 ライネスが言う。
 
「恐らく、ここに封じ込められているのは記録だけなのでしょう。サーヴァントから回収した魔力は別に……」

 バゼットの言葉が中途半端に途切れた。理由は問うまでも無い。敵襲だ。
 奥の方から人影が現れた。
 
「ライダーにアサシン。それに、バーサーカーね」

 現れたのは第四次聖杯戦争のサーヴァント達。彼らは虚ろな表情を浮かべ、各々の武器を構えている。
 
「来たか」

 慎二が前に出る。
 
「なら、計画通りにいくとしよう。ここは任せるぞ」

 ライネスの言葉に慎二が頷く。
 
「やれ、アサシン!」
「了解!」

 アサシンが構える。それに呼応するように敵陣の三騎が疾走を始める。

「集え、我が同胞よ!」

 アサシンを中心に光が溢れ出す。固有結界の発動によって、彼と慎二の姿が敵陣の三騎と共に消える。
 
「行くわよ!」

 私の号令にフラット、ライネス、バゼット、ルーラー、それに何時の間にか合流を果たしていたライダーが頷く。どうやら、私が無我夢中に階段を駆け上がっている途中で追いついていたらしい。
 敵が現れた方角に向かって奔る。
 
「三騎だけか……。恐らく、この先に残りが待ち受けているな」
「こっちが読んでいたように、向こうもこっちの動向を読んでいたというわけね」

 敵が差し向けてきたのは第四次聖杯戦争に参加したサーヴァント達の中でも白兵戦に向かない者達だ。ここから先、恐らくセイバーとランサー、そして、アーチャーが待っている。
 
「ここから先、何としても凛とクロエをイリヤさんの下へ辿り着かせます。その為の壁は私達が排除します」

 ルーラーとライダーが先頭を走る。私とフラットがその後に続き、クロエとバゼットが最後尾。
 
「ここら辺で準備しておくべきね……、夢幻召喚・ヘラクレス!」

 光に包まれ、クロエの肌が黒ずみ、体を皮製の甲冑が包み込み。
 
「クロエ! これ使って!」
「ありがとう!」

 ライダーが腰に差した細身の剣をクロエに投げ渡す。クロエは器用にキャッチして周囲を警戒する。
 クリスタルの広間をひた走る私達の前に突然、一本の矢が飛んで来た。
 
「アーチャーか!?」

 ルーラーが弾いた矢の形状を見て、ライネスが声を荒げる。
 矢は剣を細長くしたような形状だった。その特徴的な矢の持ち主は間違いなく、アーチャーのサーヴァント、エミヤシロウ。
 
「来る! ライダー!」

 フラットの声にライダーが応じる。

「分かってるさ!」

 暗闇の向こうから二つの影が疾走して来る。セイバーとランサーだ。
 二騎を迎え撃つ形でライダーはヒッポグリフを召喚し、跨ると同時に飛んだ。セイバーとランサーの頭上を越え、その向こうへ――――。
 
「行くぞ、ヒッポグリフ! 一撃で仕留める!」

 彼の手には見慣れぬ手綱が握られていた。それは本来彼が持ち得ぬ筈の宝具である。
 名は『|騎英の手綱《ベルレフォーン》』。英雄・ペルセウスが怪物・メドゥーサを退治した時に得た|天馬《ペガサス》を使役する為の魔法の手綱である。
 何故、彼がそんな宝具を所有しているのか? その疑問の答えは彼の傍にこの世全ての財宝を手にした王が居た事。事前にアーチャーはライダーにコレを貸し与えていたのだ。ヒッポグリフという幻想種の性能を余す事無く引き出す為に。
 
「令呪をもって、命じる!」

 ただし、それを使うには条件があった。そもそも、担い手では無いライダーがソレを使うには力を引き出す為に何らかの手段を講じる必要があった。
 その答えがコレだ。
 
「『|騎英の手綱《ベルレフォーン》』を使いこなせ!」

 それが条理を覆す為の一手。残り二画の内の一画を使い、ライダーの宝具発動をプッシュした。
 膨大な魔力を纏い、ヒッポグリフが疾走する。その間に迫り来たセイバーとランサーをルーラーとクロエが迎え撃つ。
 
「|射殺す百頭《ナインライブス》!!」

 ライダーから借り受けた細身の剣で大英雄・ヘラクレスの奥義を放つ。同時に九つの斬撃を放つ必殺技を受け、セイバーは咄嗟に大きく後退した。
 その隙を見計らい、クロエは続けざまにルーラーが打ち合っているランサー目掛け、射殺す百頭を放つ。防御が一歩遅れたランサーの腕が舞い、そこにルーラーが攻め入り、援護するべく近づいて来たセイバーをクロエが迎え撃つ。
 そして、遠くからライダーが戻って来た。騎英の手綱によって、攻撃力を極限まで高めたヒッポグリフの疾走を前にアーチャーは一撃で消滅したらしい。
 正直、少し複雑な心境だけど、我侭言っていられる状況じゃない。嘗ての相棒であろうと、敵なら容赦無く打ち砕く。その為の策を練って来た。
 
「|騎英の手綱《ベルレフォーン》!!」
「|射殺す百頭《ナインライブス》!!」

 クロエは射殺す百頭をもって、セイバーを弾き、瞬時にルーラーが張った守護の下に入る。直後、ライダーが膨大な魔力を纏い、セイバーとランサーをヒッポグリフで踏み砕く。
 フラットの令呪は騎英の手綱を使いこなせというもの。まだ、その効果は持続している。それでも、効力が弱まっているのか、未だに二騎の英霊は健在だった。
 
「使い切っちゃった……。でも、ここからはボクが引き受けるよ、クロエ!」

 疲弊したヒッポグリフから降り、ライダーは己が槍を構える。
 
「任せたわ!」

 クロエはライダーと入れ替わるように私達の下に戻って来た。
 
「行こう」

 ライネスの言葉に頷き、私達は走り出す。今はマスターしかいない。ここから先、サーヴァントの力を借りられない以上、慎重に進む必要がある。
 
「それにしても、ルーラーが言ってた奥の手って何なのかしら?」

 クロエが首を傾げる。それはこの作戦が始まる前の事。
 予想通りに事が進んだ場合、こうしてマスターだけの状態になってしまう事を私達は懸念していた。その場合の対策を練っている時、ルーラーが言ったのだ。
 
『その時は大丈夫です。とっておきの切り札があります』

 他ならぬルーラーの言葉故に信じたけれど、その詳細については明かしてもらえなかった。可能なら、隠し通して奥の手として温存したかったからだ。
 だけど、この状況になってしまった。ルーラーの言う切り札が何なのか分からない以上、頼り切るわけにもいかない。
 
「凛!」

 クロエの叫びに思考を中断し、私は慌てて顔を上げた。
 
「イリヤ!」
「違う。アレはイリヤが作り上げた人形よ!」

 立っていたのは大人の姿をしたイリヤ。クロエ曰く、イリヤが作り出した人形。キャスターのサーヴァントとそのマスターの代理品であり、この聖杯戦争に干渉する為の道具であり、彼女が自らの憧れを元に構築した理想。

「悪いけど、邪魔をするなら排除するわ」

 クロエが前に躍り出る。その隣にバゼットが球体を宙に浮かせながら並び立つ。

「……助けて、セイバー」
「ああ、任せておけ、イリヤ。お前の事は必ず俺が守ってやる」

 我が目を疑った。そこに居たのは自分の体を抱き締めて怯える少女とそんな彼女を守ろうと剣を構える騎士だった。
 
「イ、イリヤ……?」
「くそっ! どうしてだ!? どうして、こんな――――」

 騎士は決死の表情を浮かべ、己が剣を振り被った。
 
「退いて、凛!」
「待って! 何だか様子が!」
「言ってる場合じゃないぞ、凛!」

 クロエが騎士を迎え撃ち、ライネスが私の手を取って後ろに引っ張った。
 
「悪いけど、立ち止まるわけにはいかないのよ!」
「させるかってんだ! 誰だろうと、イリヤは殺させん!」

 そのあまりにも鬼気迫る表情と剣戟にクロエは瞬く間に劣勢に立たされた。
 
「ッハアアアアアアアアアア!」

 刹那、バゼットが切り結ぶ二人を無視してイリヤの下に向かう。
 
「させるか!! |我が麗しき父への叛逆《クラレント・ブラッドアーサー》!!」

 騎士がクロエを蹴り飛ばし、振り向き様に魔剣を振るう。
 その矛先に立つバゼットは口元に笑みを浮べ、呟いた。
 
「|後より出て先に断つ者《アンサラー》」

 光に飲み込まれる直前、バゼットは己が周囲を舞う球体に拳を打ちつけた。
 
「|斬り抉る戦神の剣《フラガラック》!!」

 それは実に不可解な光景だった。破壊の極光に飲み込まれた筈のバゼットは無傷。対して、必殺の一撃を放ったセイバーは胸に穴を穿たれ即死した。
 
「い、いや、セイバー!」

 慌てたように光に還る騎士に駆け寄るイリヤ。
 
「だ、駄目よ、バゼット!」

 私が止める間も無く、彼女はイリヤの頭を粉砕した。
 
「こんな物に時間を割いている暇は無い。一々、感傷に浸るべきではありませんよ、凛」

 あまりにも冷たい言葉だが、それは確かに冷静な判断によるものだった。
 私達の目的はあくまで本物のイリヤ。だったら、偽物に構っている暇は――――、
 
「あ、あれ? ここは……、どうして!?」
「な、なんだと……?」

 あり得ない声が響いた。顔を向けた先に戸惑いの表情を浮かべる|人形《イリヤ》と|騎士《セイバー》の姿。
 
「い、今、私……、あ、頭を……」

 体を震わせるイリヤを騎士が抱き締める。
 
「だ、大丈夫だ、イリヤ。大丈夫だから」

 落ち着かせようと、主の背中を撫でる騎士。
 
「何なんだよ」

 騎士が吼える。
 
「何で、こんな――――」
「待ってよ……。おかしいわ」

 私は再度戦闘態勢に入るクロエとバゼットの前に躍り出た。
 
「待って! ちょっと、話をさせて!」
「危ない!」

 クロエが叫び、私を押し倒した。
 
「お前達は一体、何なんだ!!」

 騎士が剣を振り下ろし、叫んだ。
 
「どうして、死んだ筈のお前達が居るんだ!? それに、どうして、死んだ筈の私達が……、答えろ!!」

 不可解。この状況を示す言葉はそれ以外に思いつかない。
 
「おいおい、モードレッド。そんな風に無駄口を叩いちゃ駄目じゃないか」

 その声にセイバーは顔を強張らせた。
 現れたのは黒い髪の男。顔には深い皺が刻まれている。
 
「じゃないと、また、お仕置きをしないといけなくなるじゃないか」
「や、やだ……」

 イリヤが震える。
 嫌な予感がした。次の瞬間に何か良くない事が起こる。そう直感し、私は駆け出した。
 
「イリヤ!!」
「今回はどう死にたい? 大丈夫。君の命はまだ後千個以上ある。安心して、死になさい」
「た、助けて……」
「イリヤ!!」

 私を抱き止めるクロエが憎い。今、目の前で何が起きているのかを理解していないのだろうか? 止めなきゃいけない。このままじゃ、イリヤが――――、
 
「あれはイリヤじゃないわ! 正気に戻りなさい!」

 クロエの言葉と同時にイリヤの体が無数の剣の刺し貫かれた。
 
「イリ……、ヤ……?」
 
 死んだ。目の前でイリヤが死んだ。視界が真っ赤に染まる。あまりの怒りにどうにかなりそうだった。
 
「キャスター! き、貴様!」
「おいおい、剣を向ける相手が違うよ、セイバー。だが、仕方無い。もう一度、お仕置きだ」
「や、やめろ!!」

 私の直ぐ傍のクリスタルが壊れ、キャスターの前でイリヤが唐突に姿を現した。血を一滴も流していない。けれど、その顔には絶望が色濃く浮んでいる。
 
「今度は四肢をもぎ取ってあげよう。痛い死に方をすれば、少しは利口な判断が出来るようになるだろう?」
「やめて……。お願い……」

 イリヤの懇願も虚しく、彼女の四肢が見えない何かに捻り切られた。
 
「あ、ああ……」

 騎士は体を震わせながら私達に剣を向ける。
 
「こ、殺すから……。こいつらを皆殺しにするから……。だから、もうイリヤを……」
「そうそう。ちゃんと言う事を聞いてくれれば、私も君達を虐めたりしないんだよ」

 悪魔の囁き。己が主が幾度も殺されるという地獄の中、それを止める唯一の手立てを教え込む。騎士は雄叫びを上げながら刃を振るう。
 
「……一体、何が起きている」

 ライネスも状況を掴めないのか、困惑した表情を浮かべている。けれど、状況は切迫している。あまり考えている時間は無い。
 騎士は己の主を救う為に防御を捨てている。自らの命を使い潰してでも、私達を殺す気でいる。
 
「イリヤ……」

 分かるのはイリヤと騎士がキャスターに脅迫されているという事。
 
「助けなきゃ……」
「待て、凛! クロエが言っていただろう。アレは人形だ! 本物では無い!」
「だからって、見過ごせって言うの!? あんな風に怯えてる子を!」
「演技かもしれんだろう! いや、むしろ、その可能性が高い。此方の同情心を煽ろうと言う魂胆なのだろうな!」

 ライネスの言葉は理に叶っている。私の考えは感情的なものだ。ここは彼女の意見に従った方が――――、
 
「助けて……。誰か、お願い……」
「ああ、駄目だわ」

 無理だ。あの子を見捨てる事が私には出来ない。
 だって、あの子はイリヤだ。あの涙も声もイリヤのものだ。だって、クロエが言っていた。あの子はイリヤの憧れを元に作り上げた理想だと……。
 つまり、あの子はイリヤが思う理想的な人生を歩んで来たイリヤ自身なのだ。
 
「ごめん、ライネス。私、助けに行って来る」
「お、おい!」

 ライネスの体を押し退け、私は走る。

「イリヤ!!」
「……凛?」

 涙を浮かべ、イリヤは私を見た。
 
「あ、危ない!!」

 イリヤが叫ぶ。咄嗟に転がり、私は間一髪の所で銀色の光を躱した。
 そこに居たのは柳洞寺の門番。名は佐々木小次郎。
 
「悪い子だ、イリヤ。また、お仕置きをしなければならないな」
「ま、待ちなさい!」

 私は咄嗟に叫び、小次郎から視線を外してしまった。
 刹那、時が止まったような感覚に陥った。酷く緩やかな時間の流れの中で、小次郎が私の首目掛け、刀を振り下ろすのが見えた。
 ああ、私はここで終わりなんだ。そう、思った瞬間、聞こえ無い筈の言葉を聞いた。
 
 “君らしくも無い。諦めるのが早いぞ”

「……え?」

 死を目前としながら、私はあまりにも予想外なその声に間抜けな声を出してしまった。
 
「ちょっ――――」

 遥か遠くから無数の矢が飛んで来た。矢は私を避け、小次郎を一瞬で肉塊に変えた。そして、続けざまにイリヤの傍に立つキャスターを串刺しにした。
 
「ま、まさか……」

 こんな事が出来る人物を私は二人しか知らない。内一人は外で私達の為に奮闘してくれている筈……。
 
「ど、どうして……?」

 振り向いた先に立っていたのは――――。

第五十四話「階段へ」

 思わず溜息が出た。
 
「どうしたの?」

 不思議そうに私の顔を覗き込むクロエに私は曖昧に微笑んだ。
 
「大方、この階段を登り切れるかどうか、案じているのだろう?」

 私の心境をズバリ言い当てたのはアーチャー。まさしくその通り。私の胸中で渦巻く不安の種は頭上に伸びる光の階段。月まで届いているでろう、その階段を私は登る切れる気がしなかった。
 
「大丈夫よ、凛。アレは実際に衛星軌道上の月まで伸びている訳じゃないの。『天の逆月』へ至る為の入り口だから、多少は登らないと行けないだろうけど……」

 分かってる。さすがに、衛星軌道上まで徒歩で行く事を不安視しているわけじゃない。私が不安視しているのは……、
 
「体力的な問題だ」
「はい?」
「だから、体力的な問題だ」

 アーチャーの言葉にクロエは可愛く小首を傾げる。
 
「私、運動神経鈍くて……」
「……なるほど」

 呆れたように目を細めるクロエ。肩身が狭い……。
 まったく、どうして階段なのかしら。エスカレーターとか、エレベーターとかじゃ駄目なのかしら。不満を心中で並べ立てていると、フラットが私の肩をポンと叩いた。
 
「大丈夫。無理そうなら、俺が背負ってあげるからさ」
「ありがとう。でも、何とか、頼らずに済むよう、頑張るわ」

 頬をパンと叩いて、気合を入れる。階段くらいで弱音を吐いてる場合じゃない。これから私はイリヤの尻を叩きに行かなきゃいけないのだから……。
 
「準備はいいわね? みんな」

 フラット、クロエ、ライネス、バゼット、慎二、ルーラー、アサシン。それぞれが頷くのを確認し、私は最後にアーチャーに顔を向けた。

「そろそろ、時間のようだ」

 彼の見つめる先、遠くの空に一筋の光が見える。恐らく、ライダーだ。限界を察し、作戦通りに離脱したのだろう。
 私達の視線はバゼットに集まる。バゼットは呆れたように苦笑いを浮べ、首を横に振った。誰もが予想していた通り、ランサーはあの場に残ったらしい。
 誰も彼を非難したりはしない。ランサーとて、英霊であり、サーヴァントだ。何がマスターにとって都合が良いかを最優先に考えた筈。その結果、彼はライダーと共に離脱する事を良しとせず、あの場に残った。
 
「行きましょう」

 バゼットの号令に皆が頷き、冬木ハイアットホテルの入り口から中に入っていく。
 私は擦れ違い様にアーチャーに声を掛けた。
 
「ありがとう。あなたと出会えた事は私の運命の中で一番の奇跡だったわ」
「……いいや、それは違う」

 凛の言葉を否定し、アーチャーは言った。
 
「お前の運命はまだ決していない」
「アーチャー……?」
「まずは、己が意思を貫いて来るがいい。何者にも、お前の邪魔はさせん」

 双剣を抜き放ち、アーチャーは言う。
 
「往け。我がマスターよ。そして、一つだけ頭に刻み込め」
「なに?」
「お前の運命に如何なる暗雲が立ち込めていようと、臆するな。お前には我がついている。それを忘れるな」

 心が震えた。全身に力が湧いて来る。アーチャーの言葉は私が無意識に感じていた怖れや不安を拭い去った。
 私には彼が居る。史上最強の大英雄が私と共にあり、私の為に力を振るってくれる。なら、何を怖れよと? 何を不安に思えと? 圧倒的な光を放つ存在が私を支えてくれているおかげで、如何なる闇も私の心に存在出来ない。
 
「行って来るわ、アーチャー!」
「ああ、行って来い、凛」

 私は最後に彼の姿を眼に焼き付ける為に振り返った。そこに在るのは無限を従え、やって来る自らの未来へ刃を構える彼の姿。
 もう一度、心の中で感謝の言葉を告げ、私は今度こそ振り返らずに皆の後を追った。
 
「|Anfang《セット》――――」

 魔術回路を起動し、刻印に魔力を流し込む。階段に到達すると同時に私は羽根が生えたかのように軽い足取りで登り始めた。
 
「遅いぞ、凛」

 ライネスは私が追いつくのを確認すると同時に速度を上げた。他の皆も全身を魔力で強化し、スピードを上げていく。
 
「大丈夫ですか?」

 ルーラーが問う。
 
「うん。私は大丈夫よ、ルーラー」

 キッパリと言う私に彼女は驚いたように目を丸くした。
 
「それが本来の貴女なのですね……」
「え?」

 首を傾げる私にルーラーは「いえ」と首を振って、顔を背けた。
 
「急ぎましょう、凛」
「ええ!」

 階段を登り切り、屋上に出ると同時に私達は目の前の光景に圧倒された。
 天へ繋がる光の階段。そのあまりの美しさに言葉を失い、眼下で繰り広げられる戦いに鳥肌が立った。
 地上ではアーチャーが一人、無限を相手に戦っている。無限の武器と無双の技と無敵の力で……。
 
「行くわよ、みんな!」

 私は皆の意識を無理矢理地上から引き剥がした。地上を案じる理由は無い。あそこには彼が居る。なら、誰も私達を追ってなどこれない。
 いち早く、光の階段に足を掛けた私を見て、皆も徐々に階段に向かって歩き出した。けれど、その足取りは重い。地上に群がる敵の軍勢に意識を裂かれてしまっている。
 
「問題無いわ」
「凛?」
「地上はアーチャーに任せた。なら、何の問題も無い。彼が負ける事なんてあり得ないわ」
「し、しかし……、あの数だぞ」

 珍しく、ライネスが声を震わせている。けれど……、
 
「アーチャーは負けない!」

 私は断言した。
 
「相手が無限だろうと関係無いわ。だから、私達は私達のやるべき事をするの!」
「……分かった」

 階段を駆け上がる。強化した肉体で猛スピードで駆け上がる。
 手摺りも無く、足場も狭い光の階段。けれど、恐怖は無い。私は私の意志を貫く。その為にこんな場所で手間取っている暇は無い。
 イリヤに会う。そして、彼女を助ける。もし、彼女がここから出るのを嫌がっても、尻を引っ叩いてでも追い出す。だって、ここに彼女の幸福なんて無い。
 
「イリヤ……」

 脳裏に浮ぶのは彼女とフラットを探して歩き回った時の事。不安でいっぱいの顔をする彼女の為に力を尽くしたいと思った。
 あの時だって、そうだった。大聖杯の前で呪いに飲み込まれる寸前、私は見た。不安で身を震わせるイリヤの姿を――――。
 
「イリヤ!」

 今まで、誰かを助けられた事なんて無かった。
 十年前、友達が両親共々、殺人鬼に殺されるのを黙って見ている事しか出来なかった。妹が苦しんでいる事も知らずに手遅れになるまで何もしなかった。
 母も父も守れなかった。兄弟子が道を踏み外すのを止められなかった。士郎が綺礼に攫われる事態を予期する事も出来なかった。
 慎二を死なせてしまった、イリヤを止める事も出来なかった。

「イリヤ!」

 でも、今度は絶対助ける。今までとは違う。ただ、成り行きに任せ、倒れ行く人々の姿を傍観していた今までとは違う。
 今は確かな意思がある。アーチャーと共に過ごす中で培った意思がある。
 イリヤを救いたいという意思がある。
 
「イリヤ!!」

 突然、景色が一変した。
 
 第五十四話「階段へ」

 彼の周囲には不思議な香が漂っていた。際限無く群がる魑魅魍魎達は香の誘惑に嵌り、自らに課せられた目的を見失う。
 無間地獄に垂れた一筋の蜘蛛の糸。そこを往く者共を排除せよ。そんな、主に命じられた役割を見失い、彼らは集う。
 試しに数えようとして、止めた。千や二千では無い。万を越える軍勢。それらが見据えるは一の勇。もはや、それは戦いでは無く、単なる虐殺に過ぎない。そもそも、一人の人間を殺すなら、三人も居れば事足りる。不安なら、十人程度用意しておけばいい。それで、どんな勇猛な勇者も膝を屈する。
 にも関わらず、万を越える軍勢が一人を殺す為だけに集結した理由は一つ。
 
「本来であれば、群の頭をすげ替えるが定石なのだが……、それは凛の仕事だからな」

 王はやれやれと肩を竦める。
 
「虫けらの駆除など、王の仕事では無いのだがな。まあ、仕方あるまい。今の我はサーヴァントだ。マスターの為、下働きに徹するとしよう」

 王がその赤眼をもって、軍勢を睨み付ける。それぞれの個が無双の英雄の皮を被っているにも関わらず、加えて、元々理性すら持たぬ癖に彼らは恐怖に竦んだ。
 目の前の圧倒的な脅威に対し、彼らはそれぞれ周囲に協調を呼び掛ける。眼前の敵は個では到底太刀打ち叶わぬと本能が警鐘を鳴らしているが故に。
 
「反魂の香など、こやつ等には過ぎた贅だが……、まあ、未来への投資としておくか」
 
 軍勢が動く。強大な脅威に対して、彼らは蒸発した筈の理性の一部を取り戻す。闇雲に向かって行くだけでは勝てぬ。結束し、自らの武器の性能を最大限に発揮せねばならぬ。彼らはそう思考し――――、
 
「では、死ぬが良い」

 死んだ。王の言葉通りに彼らは死んだ。虚空から現れる無数の剣、槍、斧、槌、鎌によって、百を越える軍勢が死んだ。
 瞬間、彼らの思考は一瞬にして白紙に戻る。あの怪物を前に思考を巡らせる余裕など無い。一斉に攻撃を仕掛け、数で圧倒する。
 殺到する集団に対して、アーチャーのサーヴァントは跳んだ。真上への跳躍。それはあまりにも愚策だった。空中で人間は自由に動く事が出来ない。軍勢の武器の矛先が空中を舞う彼に向く。そして――――、
 
「ッハ!」

 アーチャーは空中で再び、跳躍した。殺到した槍や剣がぶつかり合う金属音のみが響き、理性無き彼らの視線は条理を覆すアーチャーの挙動に向けられた。
 そして、気付く。アーチャーの足に見慣れぬ飾りが付随している事に。それは黄金の翼。英雄・ペルセウスがヘルメスより賜った天空を自在に駆け回る宝具。名をタラリアという。
 空中を駆るアーチャーに地上を這い回る彼らが抗う術は無い。
 
「燃え尽きろ」

 彼が取り出したのは剣。赤く輝くルーンが刻まれた剣。彼が振るうと、剣は赤々と燃え上がり、地上の軍勢を焼き尽くした。
 
「砕き伏せよ」

 次いで彼が取り出したるは雷を纏う巨大な槌。融解し、マグマと化した大地を平然と疾走するサーヴァント達を迎え撃つ。
 それは凛達がまだ冬木ハイアットホテルの階段を登っている間に起きた出来事である。あまりにも圧倒的な力の差。もはや、無限という言葉は無意味。このまま戦いが続けば、彼らは為す術無くアーチャーに滅ぼされるだろう。
 
「ほう……」

 変化は突然だった。
 
「キャスターめ。いよいよ焦り始めたか」

 軍団の動きに変化が生じた。ライダー達が一斉に己がヒッポグリフを召喚し、アーチャー達が飛行宝具を取り出したのだ。
 
「少しは面白くなって来たな」

 嗤い、アーチャーは背中から翼を生やした。透き通るような白い翼。それは勇者・イカロスが父・ダイダロスより賜りし大いなる翼。一度、翼を羽ばたかせれば、音速を遥かに凌駕するスピードで天を舞う。
 戦場は地上から天空へと移り、更なる激化の一途を辿る。