第一話「召喚」

 吹き抜ける夜気が肌を突き刺す。寒さは苦手な筈なのに今はこの感触にすら名残惜しさを感じる。後一歩だけ足を前に出せばそれで全てが終わる。なのに、その一歩が踏み出せない。あまりにも情けなくて、涙が滲む。決めた筈なのに……。

――――ただ、居場所が欲しかっただけ。

 幼い頃から私は人に嫌われやすく、友達を作る事が出来なかった。小学校でも中学校でも放課後に遊びに出掛けた記憶は無い。遠足や林間学校などの班決めではいつも余って、嫌そうな顔をする同級生の中に何とか入れて貰っていた。陰気臭い性格が原因なのかと思い、自分を変えようと運動部に入部した事もあったけど、結局馴染めず、一年も経たずに辞めてしまった。それでも、どうにかグループに入れてもらおうとしたけれど、出来たのは虐める側と虐められる側という関係だけ。勿論、私は虐められる側。
 家にも私の居場所は無い。両親は産んでしまった者の最低限の義務として衣食住の面倒を見てくれるし、学校にも通わせてくれるけど、殆ど会話をした事が無い。中学を卒業したらバイトをして一人暮らしをするよう厳命を受けている。私が顔を腫らして帰って来ても関心一つ寄越してくれない。
 後一月で中学も卒業という時になって、漸く私は自分が無価値な人間である事を自覚した。誰にも必要とされず、むしろ目障りな存在としか認識されない邪魔者、それが私。生まれてきた事自体が間違いだったのだ。だから――――、死のうと思った。
 これ以上、家族や周囲の人々に不快感を与えたくない。そう思って、自殺の名所と名高い霊峰を訪れた。ここには野生動物も数多く生息している為に大抵の自殺者は死体を誰かに発見される前に獣の胃袋へと消えていく。最後の最後で食物連鎖に貢献出来る上、死体の処理で面倒を掛けずに済むから自殺を志願する人々に大人気のスポットなのだ。
 自殺峠と話題の切り立った崖の先で立ち尽くしながら、必死に呼吸を整える。

「……よし」

 瞼を固く閉じ、勇気を振り絞る。意を決して重心を前に傾けた。一度バランスを崩すと、後は重力が私を死に導いてくれた。

「さようなら」

 最後に一言だけ、誰にともなく呟いた。本屋で読んだ雑誌の記事の通り、落ちながら、スッと意識が遠のくのを感じ、身を任せる。痛いのはやっぱり嫌だから、即死がいい。気を失っている間に死にたい。
 
第一話「召喚」

 異変に気付いたのは暫くしての事だった。私は暗闇の中を漂っていた。意識はハッキリとしている。夢とは思えない。もしかすると、ここが死後の世界というものなのかもしれない。恐らくは地獄。他人に不快感ばかり与えて来た罪深い私を罰する為の場所。嘗て無い孤独感と閉塞感が襲い来る。誰にも助けて貰えない事はいつもの事だけれど、私の苦痛を嘲る視線や嫌悪する視線すら無い。

「馬鹿だな……、私は」

 どれくらいの時間が経ったのだろうか、私は少しだけ落ち着きを取り戻した。死後に生前を振り返る。そんな奇妙な事が起こるとは思わなかったが、他にする事も無い以上、仕方がない。只管、愚かな自分を貶すばかりの自慰行為に耽る事は生前と何ら変わり無いけど、これからはその時間が延々と続く。
 結局、他人に不快感を与えたくないというのは単なる言い訳に過ぎず、死ねば楽になれると思って私は嫌な現実から逃げ出しただけなのだ。もう、後戻りの出来ないどん詰まりになって、漸く自らの愚かさを悟った。罵倒も嫌悪も与えられるだけ幸福だったのに、その事に気づかず、捨ててしまった。
 今になって、至る所が破かれ、落書きだらけにされた教科書や何度もゴミ捨場に置かれたせいで腐臭が漂うようになってしまった鞄が惜しくなってしまった。あれだって、私にとっては数少ない他者との関わりの証だったのに、霊峰を訪れる道すがら、捨ててしまった。
 何もかも捨てて初めて、自分の持っていたものに気付いた。遅過ぎるし、愚か過ぎる。後悔が大波となって押し寄せて来る。この暗闇では空を眺めたり、花を見つめたりして、波が引くの待つ事も叶わない。呑み込まれ、翻弄され、新たな後悔の大波に襲われる時を恐れるばかりだ。
 既に死んでいる以上、この絶望の螺旋に終わりは無い。時の概念すら失われ、逃げ出す事も永劫叶わない。その事実が鋭利なナイフとなって突き刺さってくる。殴られるより、石を投げつけられるより、ずっと痛い。

「……ん?」

 既に死んでいる筈なのにおかしな事だが、気づくと私は眠っていた。相変わらず真っ暗ながら、意識が冴え冴えとしている。色々と後悔や絶望以外の思考が浮かんでくる。

「……お腹空いたな」

 喉も乾いた。これはとても不味い事だ。既に死んでいる以上、餓死する事は無いだろうけど、空腹の苦しみが延々と続くのは遠慮願いたい。両親と妹が揃って旅行に行った日などはかなり辛かった覚えがある。空っぽの家に取り残され、何もするなと厳命を受けた私は只管空腹と戦った。あの時は公園に赴き、喉を潤す事で耐えられたが、ここにそんな便利な物がある筈も無い。
 もしかすると、ここは餓鬼道という場所なのかもしれない。前に本で読んだのだが、常に飢えと渇きに苦しむ亡者の世界との話だ。
 後悔と絶望に加え、更に恐怖の大波が襲い掛かって来た。

「嫌だ……」

 今更になって、生き返りたいなどと願っている。馬鹿は死ななきゃなおらないというが本当だった。死んで初めて、自分の愚かさを噛み締めている。涙が止まらない。残り僅かな水分を大事にしなければならないのに、愚かにも消費し続けている。
 意識が朦朧となり、全身から力が抜けていく。それでも涙は止まらない。

「……ぁ」

 更に時が流れた。二度ほど意識を失い、涙も枯れ果てた頃、どこからか不思議な声が聞こえて来た。まるで、洞窟内で反響しているかのような声。ハッとして、私は声に意識を集中した。自分以外の声が聞こえる。その事が鳥肌が立つ程嬉しい。声は徐々に大きくなっている。もっと聞きたい。外国語のようだから、意味は良く分からないけど、今まで聞いたどんな音よりも素晴らしいものに感じる。
 声がどんどん近づいて来る。百メートル、五十メートル、十メートル……、一メートル。
 声との距離がゼロになった瞬間、光が蘇った。あまりの眩さに目を開けていられない。それがあまりにも口惜しい。一秒でも早く光を見たい。色を見たい。瞼を擦りながら懸命に瞼を開こうとする私にさっきの声が降り注いだ。相変わらず、意味は分からない。
 漸く、光に目が慣れ始め、ゆっくりと瞼を開くと同時に私は言葉を失った。目の前に息を呑む程美しい少年が立っていた。地獄からいきなり天国に来てしまったのかと思った。宗教画の天使が現実の世界に飛び出してきたかのようだ。
 声はその少年のものだった。少年は人差し指を私のおでこにくっつけ、魅惑の微笑みを浮かべる。息を呑むほどの美しさについ見惚れていた私は直後にやって来た激痛に意識が飛びそうになった。暗黒に対する恐怖が瀬戸際で意識を現実に留める。

「……さて、僕の言葉が分かるか?」

 突然、少年の口から聞き慣れた日本語が飛び出して来た。瞼を瞬かせながら少年の顔をマジマジと見つめる私に少年は鼻を鳴らした。

「トロそうな奴。折角だから最上級の魔獣を召喚したかったのに……」

 溜息を零しながら少年は私の顎に手を添え、顔を持ち上げる。

「見栄えは悪くないか……。仕方が無い、妥協するか……」
「えっと……?」
「行くぞ。ついて来い」
「へ?」

 右も左も分からない状態の私を残し、少年は踵を返してさっさと歩き出してしまった。慌てて後を追い掛けようとして、ふと足元に目を向ける。するとそこには漫画などでよく見掛ける魔法陣のようなものが描かれていた。怪訝に思いつつ、周囲を見回すと自分が今居る場所が広大な聖堂らしき場所の中心部だという事が分かった。それも、日本に点在する雑多な教会の聖堂とはわけが違う。まるで、外国の有名な寺院や城にあるような立派な聖堂。
 ステンドグラスから溢れる色とりどりな陽光に心を奪われていると体に鋭い痛みが走った。全身を火で炙られたかのような激痛。呻き声を上げる以外、指一本動かせない状態の私の頭を少年が踏みつけた。

「ついて来いと言った筈だぞ。何をグズグズしているんだ、ノロマ」

 応えられずにいると、少年は溜息を零した。同時に痛みがスーっと引いた。

「この程度の呪にも抵抗出来ないなんて……。人化している魔獣か、あるいは魔人かと期待したのだがな……」

 日本語の筈なのに言葉の意味がいまいちよく分からない。よろめきながら立ち上がると少年は再び歩き出した。

「二度も手を煩わせるな」

 高圧的な物言い。けど、またあの痛みに襲われるのは嫌だ。信じられないくらい痛かった。一体、どうやってあんな痛みを私に与えたのか分からないけど、今は従った方が良さそうだ。自殺をして、暗闇の中を漂って、気がついたら美少年に脅迫されている現状。正直、わけがわからない。
 少年の後に続き、聖堂の外に出ると、そこには黒い髪の青年が待ち構えていた。少年のような際立った美しさは無いけど、その代わりに彼の顔には精悍さが溢れている。
 少年もそうだけど、明らかに日本人じゃない。徐々に冷静さを取り戻しつつある脳が現状を少しずつ整理し始めている。同時に数多の疑問が湧き出す。まず、ここが何処なのかという疑問。彼らが何者なのかという疑問。他にもいろいろ。
 何より疑問なのは私の生死についてだ。崖から飛び降りたにしては体に目立った傷は無いし、服にも汚れ一つ無い。こうして思考する事や五感を働かせる事も出来る。まさか、夢だったという事は無いと思うけど、私には少なからず妄想癖があるから断言する事も出来ない。

「――――るのかい?」
「え?」

 突然、爽やか青年が顔を近づけて来た。吃驚して目を丸くする私に青年は呆れたように溜息を吐いた。

「聞いてるのかと言ったんだ。どうやら、肝は座っているらしい」
「えっと……」

 何が何だか分からず首を傾げる私に青年は再び溜息を零す。

「とりあえず、移動するからついて来い」
「は、はい」

 気が付くと、さっきの少年は居なくなっていた。青年の後に続き、廊下を歩く。床には絨毯が敷かれていて、壁面には美しい絵画が飾られている。テレビで見た外国の宮殿みたいな内装だ。思わず視線をキョロキョロさせていると青年が咳払いをした。いつの間にか距離が離れている。慌てて追い掛けると、青年は再び溜息と共に歩き出す。今度はしっかりとついて行った。
 連れて来られたのはこれまた豪奢な内装の一室。青年が軽く手を振ると、驚くべき事が起こった。なんと、部屋の隅にあった椅子が二組浮き上がったのだ。椅子はふわふわと私達の下にやって来る。やっぱり、私は死んでいて、ここは死後の世界なのかもしれない。だって、普通の人間は軽く手を振っただけで物を空中に浮かばせる事なんて出来ない筈だ。
 ポカンとしている私に青年は再び咳払いをした。ハッとした表情を浮かべる私に青年は座るよう促す。慌てて椅子に腰掛けると青年ももう一つの椅子に座った。

「さて……」

 青年は眉間に皺を寄せ、視線を彷徨わせた後、ゆっくりと話し始めた。

「まずは自己紹介といこう。私はルッツだ。ルッツ・エックバルト。このシュヴァルツシルト家に仕えている」
「あ……えっと……」
「焦らなくていい。まずは君の名前を教えてくれ」

 ルッツと名乗った爽やか青年は辛抱強く私が落ち着くのを待っている。ゆっくりと深呼吸をしてから私は名乗った。

「……真理です。渡瀬真理と言います」

 あまり人と話す機会に恵まれない人生を送っていたから、こうして誰かと二人っきりで会話をすると緊張で声が震えてしまう。それが相手を不快にしてしまうと分かっていても、中々直せない。

「ワタセマリー? 変わった名前だな」
「あ、ち、ちが……、名前は真理……です。あの、渡瀬は苗字でして……」
「なるほど……。ワタセのマリーか……。名はありふれているが、性は聞き覚えが無いな。国はどこだ?」
「えっと、日本です……」
「ニホン……? やはり、聞き覚えがないな」

 おかしい、さっきから流暢な日本語を喋っている癖に日本が分からないなんてあり得ない。もしかすると、私をからかっているのかもしれない。

「どの辺にあるんだ?」
「えっと……、中国の隣の島国です……」
「中国?」
「えっと、チャイナの事です」
「チャイナ……? やはり、聞き覚えが無いな。後で世界地図を広げてみるとしよう。それより、先に君の現在の立場について話すとしよう。色々と混乱しているだろう?」
「は、はい……」

 からかわれているのだとしても、こんな風に優しい口調で話し掛けられたのは生まれて初めてかもしれない。一秒後には豹変して罵倒を浴びせてくるかもしれないけど、それだって、あの暗闇を経験した今では幸福な事に思える。だから、彼がどんな言葉を発しても私は受け入れる所存だ。

「君はアルベルト・ウルリヒ・フォン・シュヴァルツシルト様によって召喚され、契約を結んだ。つまり、君はアルベルト様に生涯使える使い魔となったんだ」
「つ、使い魔……?」
「分かり易く言うと、君は坊ちゃまの奴隷になったんだよ」

第一話「召喚」」への8件のフィードバック

  1. うん。主人公暗いですね。
    でも実際いそうですね。悲しいことですけど。
    どうしてこんなことになっちゃうんでしょうか。私も人付き合いは苦手ですけど、こんな風に周りから嫌悪されたことなんて無かった。
    とても幸福なことですね。

    何だか突然召喚されて使い魔、奴隷だってゼロの使い魔をおもいだしますが果たして…。
    この先どんな展開を迎えるのか。

    • オリジナルの方は今までの反省を活かして丁寧に進めていこうと思ってます(∩´∀`)∩
      なので、かなりおそーい更新になります(;・∀・)

  2. あれ?ハーメルンから霜花さんの名前が消えてる。
    退会しました?

    それとアルカディアでのfate作品完結したらすぐ消えてあの時は驚きました。
    せめて何日後に消去します。霜花の部屋をよろしくとかメッセージが欲しかったです。

    • 突然消してしまった事、申し訳ありませんでしたm(_ _)m
      実は……、ちょっと評価サイト様などで作品の傾向がArcadia様に相応しくないという意見をチラホラ見まして……。
      中途半端に終わらせる事だけはしたくなかったもので、ご迷惑と思いつつも完結まで作品を置かせて頂いてしまいました……。
      本当に申し訳ありませんでした。。。
      ちょっと、TS系の執筆は自粛しようと思ってます・゚・(つД`)・゚・

      ハーメルン様の方は退会したわけではなく、ちょっと作品の手直しなどしておりまして、ちょっと非公開にしております。
      雨龍龍之介がバーサーカーを召喚したらの第一部を始め、文章を色々と訂正したりしております。
      訂正し終わったら、ゆっくりと再掲載していき、公開設定にしようと思ってます(∩´∀`)∩
      一応、雨龍龍之介がバーサーカーを召喚したらの第一部は訂正が終わっております。ハーメルン様掲載時より読みやすくなったかと……。

  3. 最近音沙汰がないですけど大丈夫ですか。
    何もなければ良いのですけど。

    久しぶりに上のコメントを読みましたけど…。
    何だかTSものは好き嫌い分かれますからいろいろ言われるでしょうけど、私は貴方の作品が好きですよ。
    次の更新を首を長くして待ってます。

    • コメントありがとうございます・w・ンシ
      ちょっと、オリジナルの小説の執筆をしておりまして……。
      中々思うように文章が決まらず、サイトにアップ出来てない感じですね・w・;;
      作品を気に入って頂けて凄く嬉しいです!!
      これからも頑張って執筆していこうと思います!!

  4. ようやく作品を読み終えました、トランスセクシャルの鬱屈した最初の自分からどのように吹っ切れてカタルシスが起きるかが好きでこの系統の作品を多く作ってくださる霜花さんの作品を一気に読んでしましました。
    更新ゆっくりしてってね

    • 感想ありがとうございます(∩´∀`)∩
      今現在も執筆したり、改定したりを繰り返してます・w・ン
      更新が大分のんびりになっていますが、これからもよろしくお願いします(*´σー`)

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