第零話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚したら

 幼い少女は目の前の光景を夢だと自分に言い聞かせ続けた。恐怖から逃げる為に、哀しみから逃げる為に。
 少女の目の前で行われている凄惨な行為と聞こえて来る嗚咽は現実では無いと必死に思い続けている。

「ああ、もうちょっとだから待ってなよ。そんなに待たせないからさ」

 死神は気味の悪い薄笑いを浮かべ、少女に言う。
 垂れ流した小水の匂いを気にする余裕すら無い。必死に頭の中で助けを求めた。敬愛する父に、愛する母に。
 初めに父に教わった事など、頭から消し飛んでいた。

『■■■は死を容認する者だ』

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 忍び寄る死神の鎌を間近に感じながら少女は助けを求め続けた。否定し続けた。
 この悪魔の祭壇から自分が救い出される事を祈り続けた。

 ――――一週間前。

「うぅん? これ、何か違うよなぁ」

 首を捻る若い男。男の視線の先には奇妙なオブジェが置かれていた。細長い棒に貫かれた丸い物体が三つ。見た目は茶屋に売ってる団子のようだ。滴り落ちる液体がまるで御手洗団子のタレのようだ。
 彼、雨生龍之介は新たなるステージに立とうともがいていた。
 努力は勿論怠らなかった。古くは全盛期たる中世のヨーロッパの書物から、最新の書物やビデオ、果てはゲームに至るまで、参考に出来る資料は悉く目を通した。

「コレじゃ駄目だ。こんなんじゃ、幼稚園のガキが作る粘土細工以下だ」

 彼は作り上げたオブジェを蹴り飛ばすと、飛び散った液体が絨毯の床を汚す様子にムムッと閃きを覚えた。
 創作とは、ただ作るだけに非ず。龍之介は天啓を得たかのように身震いしてオブジェに手を伸ばした。
 コレだけじゃ足りない。龍之介は絶望した。オブジェを作る過程で材料を使い過ぎてしまったのだ。龍之介は腹立たしさを感じてオブジェを蹴り飛ばした。今度は液体だけではなく、いろいろなものが飛び散った。原型は殆どわからない。微かに歯や爪や毛が他と違う事を色や硬さで主張している程度なものだ。
 三つの巨大な肉塊は材料は人間だった。一つにつき一人。龍之介の創作のための工房と化したこの家の主とその妻、そして、その娘だったものだ。なるべく、死んでしまわないように丁寧かつ慎重に肉体をこそぎ落し、ミキサーで細かく砕いて少しずつ肉団子を作っていき、かれこれ十二時間、苦労して作り上げた一品だったが、もはや龍之介には価値の無いものに成り下がった。

「ってか、まずはデザインだよなぁ。折角なら、一発目は胸に残る素晴らしいモノにしなくっちゃ」

 龍之介はそう決めたと同時に龍之介は家を飛び出した。向かう先は五年振りとなる自宅。

 深夜遅く、両親が完全に寝静まった時間になって、龍之介は裏庭にある土蔵に潜り込んだ。家人にすら放棄された土蔵の中を引っくり返す。
 途中、最初に龍之介に殺人の快楽を教えてくれた姉の変わり果てた姿が眼に入ったが、特に感慨も湧かずに適当な所に捨て置いた。インスピレーションを刺激してくれるようなものがあるのではないかと期待したのだが、あまり胸に響く物は無かった。無駄足だったかと思い、落胆の溜息を吐きかけると、龍之介の目に一冊の朽ちかけの書物を見つけた。大分古い品らしい。
 薄い和綴じで、虫食いだらけのその本は印刷された一般的な本では無く、個人の手書きによる手記らしかった。幕末期に記されたらしい手記を龍之介は学生時代に齧った漢書の知識を元に読み進めた。
 妖術、サタン、式神、人身御供、オカルト的な単語が次から次へと飛び出してくる。龍之介は舌なめずりをしながらコレだ、と思った。ただでさえ、実家の蔵からオカルトめいた書物が出てきただけでもCOOLでFUNKYだというのに、書物の中には今の龍之介の求めるモノが描かれていた。人身御供という時代錯誤な行為も雰囲気という絶妙なスパイスになると龍之介は考えた。

「霊脈……ねぇ。えっと、これは……冬木? 聞いた事無いなぁ。ま、いっか。探せばあるだろ」

 龍之介は古書を片手に姉の遺体を踏み砕き冬木へと向かった。新たなるステージへの第一歩を踏み締める為に。殺人という、一般の人間からはおよそ理解の得られない行為に熟達する為に。

 冬木に足を踏み入れた龍之介はその剽軽さと謎めいた居住まいから醸し出す余裕と威厳から来る蠱惑的な魅力で誘蛾灯の如く夜遊び中の家出娘を誘うと、深夜の廃棄された工場で早速和綴じの古書の内容を再現する事を試みた。

『儀式殺人』

 その殺人スタイルは龍之介に斬新な刺激を与えた。その上、これまでに培ってきた殺人のノウハウが全て活用出来る。

「最高だ。マジで最高だぜ! もっとだ、もっと殺そう。今度はもっと繊細に、もっと大胆に!」

 龍之介は家出娘の血で描いた和綴じの古書に描かれていた魔法陣をそのままに再び夜の冬木に駆け出した。魔法陣は中々に複雑な形状をしている。もっと繊細に描く為の筆が必要だ。もっと大量のインクが必要だ。そのインクを注ぐ器が必要だ。
 龍之介は獲物を見繕う為に近場の小学校の周囲を徘徊した。昔から、生贄といえば女か子供だ。短絡的な思いつきだが、数人捕獲するのは中々の重労働が予想される。今夜の宴の準備は大変そうだが、それも後の楽しみの為の下準備なのだと思えば苦にならない。
 龍之介は小学校の放課後のチャイムが鳴り響くのを聞くと校門の見える少し離れた場所に潜んだ。見繕うにしても、あまりにどうどうとし過ぎると不審者扱いされる可能性がある。その程度の常識は龍之介も持ち合わせている。
 しばらくすると、二人組の少女が校門を出て来た。他にも数人の子供が校門を出たが、どれもパッとしなかった。龍之介はニヤリと笑みを浮かべると、二匹の獲物の後をゆっくりと追いかけた。しばらく歩くと少女達は一件の小さな家に入って行った。どうやら、あの家が二人の内のどちらかの住まいらしい。龍之介はしばらく家の前で待つ事にした。幸いにも時間を潰すための本は持っている。

「これって、呪文って奴なのかな」

 書物の中の一節を指で撫でながら龍之介は口元に笑みを浮かべた。空が暗くなり、遠くからサラリーマンの男が家へと入ろうとするのと入れ違いに二人の少女の内の一人が外へ出た。龍之介は書物をポケットに仕舞い込むと、颯爽と歩き出した。
 キョトンとした表情を浮かべる黒髪の少女に優しげに微笑むと、その首を掴み、龍之介は玄関に向かって少女の頭を叩き付けた。鈍い音がして、少女は気を失い、家に帰って来たばかりの父親らしき男は何事かと目を丸くしながら飛び出してくる。男はまず初めに龍之介を視界に捉えて怪訝な顔をして、次にグッタリとした様子で地面に倒れる少女を見て目を見開き、龍之介の手が伸び、スタンガンを押し当てられた事で白目を剥いて倒れ伏した。

「あなた!」

 中から若い女が飛び出して来た。龍之介はクロスカウンターを決める勢いでその首筋に拳を振るい、奇妙な呻き声を上げる女にスタンガンを押し当てた。

「はい、いっちょあがり」

 龍之介は少女と男と女を玄関に放り込むと、玄関の扉を閉めた。パーティーの始まりだ。

 少女が目を覚ました時、自分の体が拘束されている事に気が付いた。何事かと考える暇も無く、次に目に飛び込んできたのは一体のミイラだった。
 骨に皮を被せただけのような気味の悪い人型。そして、その隣を見た瞬間、少女は猛烈な吐き気に襲われた。それはまるでマスクを被っているようだった。どす黒く変色し、膨れ上がった人間の顔。あまりにも醜悪なオブジェに少女の心は一瞬にして揺らいだ。普通の人間よりもずっと人の死に対して寛容であるよう教育を受けてきた少女の心は揺らいだ。
 龍之介が家の中に入って一番最初にした事はもう一人の少女を眠らせる事だった。これは簡単に成功した。殺して仕舞わない程度に殴るだけだ。何十人も殺している内に力の加減を体が覚えたのだ。
 次に龍之介は父と母、そして、娘とその友人たる少女を縛り上げ、拘束した。目が覚めるまでは大分時間がある筈。一番広い部屋を探し出して椅子や机をどかす。まずはキャンバスを整える。家具類も何もかもを廊下に放り出して、四人を部屋に運び込むと、龍之介はせっせとチョークで魔法陣の下書きをし始めた。
 これが中々の重労働で、たっぷり数時間掛かってしまった。

「これで、ヨシッと!」

 額から流れる汗を服の袖で拭い、龍之介はキャンバスに描かれた下書きを見て満足気に笑みを浮かべた。
 すると、丁度良くインクとパレットの素材が目を覚ました。生贄の方はまだ眠りが深いらしい。眠っている所を起こすのも悪いかと思い、龍之介はノコギリとトンカチと大きな釘を用意して起きたばかりの男の下へ向かった。

「おっはよー!」

 龍之介が満面の笑みを浮かべて挨拶すると、男は戸惑ったような表情を見せたが、直ぐに自分が縛られている事に気が付くと憤慨した様子で喚き始めた。
 龍之介は罵声のBGMを聞きながらおもむろに包丁を男のコメカミに当てた。

「何をする気だ!?」

 恐怖に顔を引き攣らせる男に龍之介は答えなかった。ここから先は匠の世界なのだ。意識を研ぎ澄まし、ゆっくりと包丁を皮膚に差し入れる。絶叫が響き渡り、朦朧としていた男の妻が完全に目を覚まし、目の前の凄惨な光景に悲鳴を上げた。龍之介はその悲鳴を楽しそうに耳にしながら、男の頭皮を削ぎ続けた。
 溢れる血飛沫と香る鉄錆の臭いに気分が盛り上がり、龍之介は鼻歌を歌った。

「さてさて、お次はコレ」

 そう言いながら、龍之介は男の頭蓋に釘を軽く差し、トンカチで叩き始めた。絶叫と悲鳴のコーラスはもはや止んでいた。女は気を失い、男は呻き声を微かに上げる程度だ。
 つまらない、そう感じながらも龍之介は作業を続けた。頭蓋を釘で少しずつ割っていき、やがて無数の穴が開けられると、龍之介はノコギリで頭蓋に開いた穴を広げていき、天井部分を取り外した。溢れる血潮と脳味噌に龍之介はやり遂げたという歓喜の笑みを浮かべた。包丁で血管や神経を一気に切り裂いていく。男は最後に大きく目を見開いて絶命した。
 脳味噌を取り外し、目玉も取り外し、口や眼孔を接着剤で固めると、今度はインクの準備に取り掛かった。注射器を用意し、女の腕の血管に差し込むと、女が微かに呻いた。
 龍之介は意識に入れることすらなく、集中して血液をボウルに移し変えていく。手間と時間を掛けながら更に数時間、女の体は骨と皮だけになり、すっかりと血の気を失っていた。当然だろう、女の血は龍之介が全て抜き取ったのだから。龍之介はボウルやコップに注ぎいれた女の血を次々に空になった男の頭蓋に注ぎ込んだ。どんどんとどこかへ吸収されていってしまうが、しばらくするとそれも収まり始めた。鼻から血が流れ落ちてきた時は焦りを覚えたけれど、そこも接着剤で固める事で事無きを得た。

「あとは、筆だな」

 龍之介はすっかり変わり果てた女の腕を鋸で切り落とすと、そこに接着剤で女の髪を貼り付けた。丁寧に作り上げた筆は中々に傑作で龍之介は恍惚の笑みを浮かべた。

「さぁて、描くぞぉ!」

 筆先を男の頭蓋に突っ込み、女の血というインクをしっかりと染込ませて下書きに向かって筆を滑らせる。
 ゆっくり、ゆっくりと。
 インクがすっかりどす黒い個体に変わる頃になると、魔法陣はすっかり完成した。

「完成だ!」

 龍之介は歓声を上げた。
 完璧だった。火の打ち所の無い完璧な魔法陣だ。後はしばらく前から目を覚ましている二人の少女を生贄にして呪文を唱えるだけだ。

「いやぁ、待たせちゃってごめんね。漸く、準備が出来たところなんだよねぇ」

 龍之介がゆっくりと近づくと、二人の少女は恐怖に引き攣った表情を浮かべて体を揺り動かした。逃げようともがいているらしいが、完全に体が拘束されている状態では滑稽な踊りを踊っているようにしか見えない。

「とりあえず、一人は生贄、一人は餌って所かな」

 龍之介はまるで遊園地の乗り物の受付をしている好青年の如く爽やかな笑みを浮べ、インクと筆とパレットの素材の娘を魔法陣の上に置いた。

「やっぱりさ、折角悪魔を召喚するんだから、何も無しってんじゃ、つまんないだろう?」

 龍之介はタオルで猿轡を噛まされた少女に語りかけるように言った。

「ほら、こうやって、悪魔の召喚の儀式なんてやるわけだし、万が一本当に悪魔とか出てきちゃったらさ、何のお持て成しも無しに茶飲み話なんてかっこ悪いだろう? だからさ、君には出て来た悪魔さんに殺されてほしいんだ。ね?」

 男の言葉に少女はくぐもった悲鳴を上げた。それがおかしくてたまらない様子で龍之介は笑った。そして、魔法陣の上で倒れこみ、汚水を垂れ流す少女にネイルガンを持って近づいた。

「駄目じゃないか、おしっこなんてしちゃ。せっかく描いたのにずれちゃうだろう?」

 粗相をした少女を叱りながら龍之介は少女を縛るロープを切ると、逃げ出そうとする少女を捕まえて、その右手を床に押し付けた。ネイルガンをその手にゆっくりと近づけ、引き金を引いた。
 少女の悲鳴が響く。ネイルガンから打ち出された釘は少女の手を床に縫いつけた。龍之介はそれから更に何度も釘を打ち、少女の手を沢山の釘で完全に縫いとめた。

「はい、右手終わり。次、左手ね」

 少女の左手も同じように縫いとめる。手の次は足。足の次は腰、次は肩、次は太腿。全身を縫いつけ終わると、全身を苛む痛みに苦悶の声を上げる少女に龍之介は愉快そうな笑みを零しながら和綴じの書物を開く。

「さぁて、こっからだ」
 両手を擦り合わせ、龍之介は大きく深呼吸をした。ここまでやったのだから、最後までしっかりと決めないとかっこ悪い。
 気合を入れて、書物に記された悪魔の召喚の呪文を龍之介は読み上げた。

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。っと、これで五回? 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する。これでいいんだっけ」

 その言葉を耳にした瞬間、餌にする少女の悲鳴が止まった。不思議に思って視線を向けると、少女は目を見開いて驚愕の表情を浮かべている。
 龍之介は首を傾げながら呪文の続きを唱えた。

「えっと、次は――――痛ッ!」

 龍之介の高揚した気分に鋭い痛みが水を差した。右手の甲に何の前触れも無く、まるで焼印か劇薬を浴びせかけられでもしたかのような痛みが走った。直ぐに収まったものの、痺れるような痛みの余韻はしばらく残り、何ごとかと目を向けると、そこには奇妙な刺青が刻まれていた。
 こんな刺青に心当たりの無い龍之介は不思議に思いながらも悪魔召喚の儀式の途中である事を思い出し、呪文を再開した。

「――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ! なんか、気分盛り上がってくるなぁ、こういう感じの台詞ってさぁ」

 同意を求めるかのように龍之介は餌の少女に顔を向けるが、少女は顔を俯かせ、ピクリとも動く様子が無い。
 鼻を鳴らし、龍之介は続きを唱えた。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 呪文の意味などよくわかってはいないが、その効果は視覚によって感じられた。なんと、龍之介の描いた魔法陣が光を放ち始めたのだ。冗談半分の悪魔召喚が真実味を帯び始め、否応にも龍之介のテンションは上がった。龍之介はあまりの興奮に思わず和綴じの書物を落としてしまった。慌てて拾い上げると、書物は別のページを開いていた。
 そこには妙な文章が記されていた。

「えっと、なになに? 力足りぬ者を従える者なれば唱えよ――、えっと、されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」

 その瞬間、部屋の雰囲気は一新した。先ほどまでの魔法陣から零れる光は真紅なれど、どこか清浄な輝きであると感じられた。
 しかし、今部屋の中を満たす光は暗く、おどろおどろしい空気を発していた。だが、龍之介はそんな事お構いなしに最後の一説を唱えた。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」

 瞬間、光が爆発した。部屋の中からすべての色が消え、全ての音が消え、一瞬の内に元に戻った。先程と違うのは一点のみ。
 巨大な影が魔法陣の中心に立っていた。ギョロリと飛び出した目と脂ぎった頬、そして、土気色の肌はさしずめムンクの叫びのようだと感じた。

「えっと、アンタ……悪魔さん?」

 龍之介はローブを何重にも重ね着したような奇妙な出で立ちの長躯の男に声を掛けた。そして、細長い、それでいて強大な力を秘める腕が伸び、龍之介を壁に叩き付けた。
 何が起きたのか理解が出来ずに居ると、男はまるで獣の如く吼え、部屋の壁を無茶苦茶に殴り始めた。その様は錯乱しているようだった。龍之介がゆっくりと立ち上がり、何とか声を掛けようとすると、男は龍之介に向かって飛び掛って来た。
 あまりにも強大な力の乗った拳によって、龍之介の顔面は弾け飛んだ。死の直前、龍之介が見たのは男の向こうに赤い光が溢れる光景だった――――。

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