第十四話「エピローグ・愛と勇気が勝つストーリー」

第十四話「エピローグ・愛と勇気が勝つストーリー」

 ヴォルデモートとの戦いは一方的だった。ヴォルデモートは何故か死の呪文を使おうとせず、麻痺や武装解除ばかり使って来た。その悉くが僕に迫ると触れる事無く弾かれる。ユーリィの話で聞いた、母さんの守護が働いているんだ。
 長きに渡る因縁の決着としてはあまりにもアッサリとした終幕。
 ダンブルドアの圧倒的な力を前にヴォルデモートは為す術も無く膝を屈した。その瞬間、他の死喰い人達の戦意も喪失し、全員が杖を取り上げられた。これで、逃げられる心配も無い。
 ホッと、安堵の溜息を零すと、ダンブルドアがヴォルデモートに話し掛けた。その声には敵意は無く、まるで、先生が生徒の相談に乗ろうとしているみたい。

「トム。お主はどうして逃げなかったのかね?」

 それは僕にとっても疑問だった。ヴォルデモートには己の不利が分かっていた筈だ。僕の守護を克服する事も出来ず、ニワトコの杖も所有する最強の魔法使いを相手にヴォルデモートはどうして逃げなかったんだろう。
 普通に考えれば、彼は逃げるべきだった。戦力がガタガタになろうと、彼ならば瞬く間に新たな軍団を築けた筈だし、こんなにも不利な状況で戦う事にはならなかった筈だ。

「……ヴォルデモート卿は勇気を賛美する」

 ヴォルデモートは零すように呟いた。

「あの、ジェイコブという男は死を恐れなかった」

 ジェイクの名に僕は胸が締め付けられた。お前が彼の名を口にするな。そう、叫びたかった。
 ダンブルドアが肩に手を置き、僕を抑えなければ、きっと、僕はヴォルデモートに掴み掛かっていた筈。

「ジェイクは勇気を示したんじゃな」
「愛する息子の為、私に死の呪文を唱えた。だが、死の呪文を発動しなかった。あの男は心の底から善だったのだ。そんな男が己の死も顧みず、私に死を与えようと戦った。あの姿を私は賛美する」
「な、何を言ってるんだ。お前がジェイクの勇気を賛美するだって!? 今までだって、お前に立ち向かって死んでいった魔法使いは大勢居た!! 彼らの勇気も賛美したっていうのか!? なら、どうして、お前は――――」

 僕の叫びをヴォルデモートは嘲笑った。

「ただ、立ち向かって来るだけの者をヴォルデモート卿は賛美などしない。死の呪文というのは十分な魔力さえあれば、僅かな憎しみでも発動する呪文なのだ。スクイプでも無ければ、成人した男がただの一度も発動させられないなど、あり得んのだ」

 ヴォルデモートの言葉の真偽を確かめようとダンブルドアを見ると、彼は目を見開いていた。

「なんと……。それは、真か?」
「ああ、真実だ。死の呪文を私は誰よりも理解している。つまり、ジェイクという男は私に憎しみを抱いていなかったのだ。……いや、それは正確では無いな。少なくとも、奴は死の呪文を使う為に憎しみを一切篭めていなかったのだ。ならば、何を篭めていたのか……」

 僕は震えた。見れば、ダンブルドアも慄くような表情を浮かべている。

「ただ、只管に息子を守るという意思を篭めていたのだ。憎しみも怒りも恐怖も無く、あの男は息子を守るという意思のみで私に立ち向かった。敵を倒すという害意も持たず、ただ、守る為に遥かなる強者に立ち向かう。あの姿を勇気と呼ばずに何と称する? 私の配下にも、私の敵にも、あの男のような勇気を示した者は居ない。ただの生贄風情が私の賛美する勇気を示したのだ。ならば、あの男の息子を前に私は臆して逃げるなど出来はしない」
「それが……理由なんじゃな」

 ダンブルドアは深く息を吐いた。

「なんと……、気高き魂の持ち主だったんじゃな。ジェイクをわしは成績の振るわぬ落ち零れの生徒の一人としてしか見ておらんかった」
「僕の両親は……?」

 気がつくと、僕はそんな言葉を口にしていた。
 ジェイクが勇気を示したというなら、僕の両親だって、僕を護る為に命を賭けて戦ったのだから、勇気を示した筈だ。
 ヴォルデモートの賛美など欲しくない筈なのに……。

「ハリー・ポッター。お前の両親は勇敢だった」

 ヴォルデモートは言った。

「父は私に立ち向かい、母はお前の盾となった。ああ、私は賛美する。二人の勇敢さをな。だが、勇気と勇敢さは違うのだ、ポッター」
「どういう……意味?」
「四書のひとつ『論語』曰く、【徳ある者は必ず言あり。言ある者必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり、勇者必ずしも仁あらず】とある。これが意味する所は【人格が優れた者であれば、その者の言葉は優れているだろう。だが、優れた事を言う者が必ずしも人格者であるとは限らない。人格者には必ず勇気がある。だが、勇敢な者が人格者であるとも限らない】というものだ。お前の父は私に対して憎しみや怒りを糧に戦った。お前の母は私に恐れを抱き、盾となった」

 ヴォルデモートの語るソレは侮辱では無かった。ただ、己に立ち向かう者の在り方を述べているに過ぎない。
 それでも、悔しかった。僕の両親は勇敢だった。勇気を持っていた。僕を守る為に戦った彼らがジェイクに劣るなんて……。

「間違えるでないぞ、ポッター。私にとって、ジェイコブ・クリアウォーターという男の在り方は新鮮なものだった。だからこそ、特別な敬意を払っているに過ぎん。勇気と勇敢さは違うと言ったが、優劣があると言ったわけではない。そうだな……石が敷き詰められた宝石箱の中に一際美しい宝石があったとしよう。それが、勇敢さだ。その中で一つ、色が異なっている物があった。それが勇気だ。美しさに優劣は無く、されども、色の違うソレは特別に思えてしまう。そういう話だ」

 まるで、僕を慰めるように語るヴォルデモートに僕は言葉が出なかった。
 代わりにダンブルドアが僕の気持ちを代弁してくれた。

「お主は……変わったようじゃな」
「……ダンブルドア。お前は昔、私に言ったな。どれだけ取り巻きに囲まれようと、私は孤独だと。今なら、その言葉の意味が分かる」

 ヴォルデモートは唇の端を吊り上げながら言った。

「私は常に敵意と畏敬に囲まれて生きて来た。誰一人、私を思い涙を流す者など居ないと思っていた。まったく、親も親ならば、子も子という事か」

 ヴォルデモートは噛み締めるように言った。

「ユーリィ・クリアウォーターは私を哀れみ、涙を流した。ヴォルデモート卿を哀れむなど、許されぬ事。そう、思っていたのだが……な」

 ヴォルデモートの言葉の意味を僕は量り兼ねていた。ただ、分かる事はユーリィが攫われてからの数日の間にユーリィとヴォルデモートとの間に交流があったという事。
 
「ユーリィはお主に愛を教えたのじゃな……」

 ダンブルドアは恐れるような口調で言った。

「お前達は私を倒し、勝った気でいるのかもしれんが……、貴様らがここに辿り着く前に私はあの親子に負けたのだ。父は勇気を示し、息子は愛を示した。私は……一体、何を求めていたんだろうな」

 疲れたような口調。まるで、憑き物が取れたような表情のヴォルデモート。
 信じられない思いだった。ユーリィは闇の帝王の心を開かせてしまったらしい。

「あやつの涙を見た瞬間、これまで築いて来た全てが無意味に感じられた。あの涙の前にはどのような宝石むくすんで見える」
「……トム」

 ダンブルドアは瞳を潤ませながら言った。

「お主は両親の愛を知らずに孤児院で育った。孤児院では、お主は自身の持つ破格の魔力によって、畏怖された。誰からも愛されず、孤独な少年時代を送り、お主は自己の才覚に呑まれてしまった。じゃが……、お主は飢えておったんじゃな。心の底で、お主は愛を求めておった。それを認めたくないが為に力に溺れ、より愛から遠ざかろうとした。自分を特別な存在と信じる事で、お主は胸の底に抱える孤独感に耐えておったんじゃな……」

 何だよ……それ。僕の全身から力が抜けて行くのを感じる。
 父を殺し、母を殺し、ジェイクを殺し、ドラコを殺し、多くの人間を殺し、多くの人間の人生を破滅に追いやった魔王が、ただの愛を求める哀れな男だっただって?
 じゃあ、誰か一人でも、ヴォルデモートに愛を示してやっていれば、僕の両親は死なずに済んだのか?
 ジェイクもドラコも死なずに済んだのか?

「わしは何と……愚かだったんじゃ」

 ダンブルドアは涙を零した。

「わしはお主を信じなかった。常に観察し、疑い続けておった。お主が本当に求めている物が何かも知らずに何と、愚かな……」

 辺りはいつの間にか静かになっていた。全ての戦いが終わり、連合も死喰い人もみんな、ダンブルドアの声に耳を傾けている。
 死喰い人達はまるで、魂が抜け落ちたような顔をしている。当然だろう。自分達の信じていた闇の帝王の正体を知ってしまったのだから。
 口を開くのも躊躇われる空気の中、突如、耳を劈くような爆発音が鳴り響いた。何事かと上空を見上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
 アルとユーリィが戦っている。アルは箒も無く空を飛び、二人は互いに銃やミサイルを撃ち合っている。魔法が飛び交うファンタジーの世界において、あまりにも血生臭い硝煙と銃弾の乱舞に僕達は呆気に取られた。

「……奴が【絶望】か」
「然様」
「……どういう事ですか?」

 アルと戦っているのはユーリィ……否、ジャスパー。彼は希望である筈だ。
 二人の言葉の意味を量り兼ねていると、ダンブルドアが教えてくれた。ユーリィとジャスパーの真実について。
 アルはこの事を知っているのか。そう尋ねると、ダンブルドアは頷いた。彼は自力で解答に辿り着いたらしい。正に愛の力によって。
 ダンブルドアの推理では、今戦っているのは冴島誠という少女が生み出した殺人鬼の交代人格。戦いの行く末がどうなるのか分からない。手助けをするべきなのか、それとも、二人で最期まで戦わせるべきなのか。迷っていると、突如、上空から吸魂鬼が現れた。
 どうやら、ヴォルデモートが上空に待機させていたらしい。ヴォルデモートの敗北によって、吸魂鬼の制御が効かなくなり、襲い掛かってきたらしい。吸魂鬼はジャスパー目掛けて殺到して行く。

「エクスペクト――――」

 気がつけば、体が勝手に動いていた。急転する事態に混乱する中、ユーリィの体を覆おうとする吸魂鬼を祓わなければという本能が働いた。

「パトローナム!!」

 まだ、一度も成功させた事の無い呪文。ユーリィの話では、僕は三年生で修得したらしいけど、実際に吸魂鬼と戦うのはこれが初めてで、練習の時は一度も完璧な守護霊を作り出す事が出来なかった。
 だから、僕の守護霊はずっと牡鹿だと信じていた。
 ユーリィの話では、父さんと同じ牡鹿の守護霊を使う筈だった。だけど、杖から飛び出したのは牡鹿ではなく、巨大な蛇だった。
 バジリスク……エグレだ。
 涙が零れた。エグレが吸魂鬼を蹴散らしていく。力強くて、美しい、蛇の王。僕が死なせてしまった、僕の友達。

「エグレ……」

 ダンブルドアと教会から飛び出してきたウサギの守護霊の援護によって、吸魂鬼はあらかた片付いた。だけど、一匹の吸魂鬼が守護霊の襲撃から逃れ、ジャスパーに襲いかかった。
 すると、ヴォルデモートが立ち上がり、僕の杖を取り上げた。エグレの姿が消えて行く。咄嗟にヴォルデモートに掴みかかろうと睨みつけると、ヴォルデモートは呪文を唱えた。
 逃げるためでも、攻撃するためでも無く、護る為の呪文を唱えた。

「エクスペクト・パトローナム」

 杖から一匹のひ弱な蛇が姿を現した。蛇は吸魂鬼を押し返し、その隙にアルがジャスパーの手を掴んだ。押し返された吸魂鬼は不死鳥とウサギの守護霊によって退散させられ、アルがジャスパーを抱きながら地上に降りて来た。

「ポッター」

 ヴォルデモートは僕の名を呼ぶと、杖をアッサリと返して来た。
 そして、それっきり大人しくなり、その視線は教会に向けられていた。
 彼の視線の後を追うと、教会から一人の少女が駆けて来た。黒い髪の可愛い女の子。誰なのか、直ぐに分かった。
 ジャスパーを抱き抱えたまま、アルは少女に向かって駆けて行く。

「トム……、あまりにも多くの罪を重ね、己の魂すら切り裂いてしまったお主はこれから、辛い日々を送る事になるじゃろう」

 ダンブルドアは言った。

「じゃが、お主がユーリィに教えられた愛を深く胸に刻み続けておる限り、いつの日か、お主の魂は救われる事じゃろう」
「……どうだかな」

 ヴォルデモートはジッと唇を重ね合うアルとユーリィを見つめていた。

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