朝、目を覚ますと談話室がいつもより騒がしかった。何事だろうかと思って様子を伺っていると、ハリーがやって来た。
「これは何事?」
ハリーもきょとんとした顔をしている。俺が肩を竦めて返すと、アルとロンとネビルが興奮した面持ちでやって来た。
「見たかい!?」
ロンの開口一番の言葉に俺とハリーは首を振った。すると、何をもたもたしているんだ、と言わんばかりに俺達二人を掲示板へと引っ張った。
掲示板には木曜日に飛行訓練の授業があると掲示されていた。だから、みんな色めき立っていたんだ。俺とハリーも負けず劣らず気分が高揚した。
だけど、ハリーの顔には掲示の下の方に視線を動かすと共に失望の色が広がった。
「見てよ。スリザリンとの合同授業だってさ。マルフォイの前で箒に乗って、物笑いの種にされるんだ……」
「大丈夫さ。アイツはいっつも口ではでかい事を言うけど、どうせ口先だけに決まってる」
ガッカリしたように言うハリーにロンが励ます様に言った。
「それにハリーが箒に乗れないなんて、ありえないよ」
俺はロンの言葉に付け足すように言った。
「どうしてそんな事が言えるんだい?」
ハリーは不安そうな顔を向けて来た。どうせ、後でマクゴナガル先生に聞く事になるんだから、今教えてあげても問題無いだろう。
「君のお父さんはグリフィンドールの優秀なチェイサーだったらしいよ。その血を受け継ぐ君ならきっと上手く箒に乗れるさ」
映画だとシーカーだったけど、と思いながら言うと、ハリーは驚いたように俺の顔を凝視した。
「どうして、父さんの事を知ってるの?」
「前に歴代のグリフィンドールのクィディッチの選手についての本を読んだんだ。何てタイトルかは忘れちゃったけど」
適当にごまかしたけど、ハリーは納得してくれたらしく、それ以上追及はされなかった。ただ、少し父親の事が知れて嬉しそうにしている。
それから木曜日が来るまでの間、皆の話題は飛行訓練の事で持ちきりだった。
第六話「飛行訓練」
いよいよ、空を飛ぶ事が出来るんだ。俺も皆に負けず劣らず興奮している。
「レビコーパスがいいのかな。それとも、ウィンガーディアム・レビオーサ? ロコモーターはちょっと違う気がするし……」
俺は再び必要の部屋に居た。この日は呪文の練習をする為の部屋を作った。中は変身術や攻撃呪文のためのガラクタや防御呪文の為に一定のタイミングで多種多様な攻撃を繰り出す人形があり、壁際には様々な呪文書が所狭しと並んでいる。
明日はいよいよ飛行訓練の日だ。明日、ネビルが箒に乗るのに失敗して骨折してしまうという事件が原作にはある。正直言って、もう原作とは全然違う展開というか、パラレルワールドというか、この先の未来が原作通りになるとは思えない。
だって、この時点でハーマイオニーはもうアクシオを取得してるし、俺とアルがハリーやロン、ネビルとルームメイトになってる。だから、本にあるからといって、ネビルが箒から落ちるなんて事があるとは思えない。
だけど、万が一という言葉がある。だから、ネビルが万が一箒から落下したら直ぐに助けて上げられるように物体浮遊系の呪文を丹念に練習している。
「問題は落下中の人体を支えるって所なんだよね……」
無理矢理体の一点に力を掛けて浮上させるレビコーパスだと逆に酷い怪我を負わせてしまう可能性がある。確か、二十メートルの高さから二十五キロの物体を落とした時、七トンもの負荷がかかるらしいから、下手をすると……。
「スプラッターは嫌だし……」
妨害呪文で落下スピードを妨害出来ないかとも考えたけど、あれは対象に纏わりついて動きを阻害する呪文らしく試しに放り投げたビンに掛けてみた結果、ビンは無残に割れてしまった。
「やっぱり、ウィンガーディアム・レビオーサでゆっくり落下させるような感じで受け止めるのがベストかな」
俺は手近なところに倒れている人形に上昇呪文を掛けて飛び上がらせた。
「ウィンガーディアム・レビオーサ」
失敗した。呪文が胸部から腹部に掛けてまでしか掛かっていない。これだと下手をすると首や股関節を傷つけるかもしれない。
「もう一回……」
練習は中々上手くいかなかった。人体に均等に呪文の効力を振り分けるのは予想以上に難しい。羽ペンくらいの大きさならへっちゃらだけど、さすがに大き過ぎるらしい。
だけど、これ以外に上手く出来る自信が無い。練習あるのみだ。
「ううん、呪文が長いから間に合うかも不安だな……」
問題は山積みだ。
結局、力を均等に振り分けられるようになったのは深夜になってからの事だった。
「あとの問題は呪文が間に合うかどうかと、呪文を狙い通りにネビルに掛けられるかだな……」
ウィンガーディアム・レビオーサの呪文は正直言って長い。発音を間違えては意味が無いからどうしても詠唱に2秒掛かってしまう。それに、ネビルは散々箒に振り回されてから落下した筈だ。タイミングを見計らうのはかなり難しいだろう。
「かと言って、乗ってる最中に掛けたらそれはそれで危ないし……。っていうか、浮かせてる間に暴走した箒がネビルを襲ったらどうしよう……」
考え事をしながら俺は必要の部屋の風呂に入った。練習に集中し過ぎて汗びっしょりで気持ち悪かったのだ。
「骨折したら痛いだろうし、頑張らなきゃね」
甘い香りのお湯に包まれながら俺はついうとうとしながら明日の飛行訓練に思いを馳せた。
「クィディッチはあんまり興味無いけど、アルと箒で散歩とかしてみたいな……」
その後、深夜遅くに帰って来た俺に太った貴婦人の肖像画は責めるような目で見てきたけど何とか通してもらえた。
こっそり部屋に入ると四人はもう眠っていた。静かに自分のベッドに入ろうとしたらアルがお腹を出して眠っているのが目に付いた。
起きませんように、と願いながら布団を直して今度こそ俺はベッドに入って目を閉じた。練習の疲れもあって、あっと言う間に意識が闇に沈んでいった。
朝、目が覚めると他のベッドはみんな空になっていた。寝過ごしたのかと思って時計を確認すると、まだ朝食までたっぷりとは言え無いけれど余裕があった。
欠伸を噛み殺しながら談話室に降りると、皆の目は興奮でギラギラしていた。アル達四人もご他聞に漏れずといった具合だ。アルとロンはハリーにクィディッチの講義をしていて、ネビルはハーマイオニーの箒に乗るコツについての座学レッスンを受けている。周りもみんな似たり寄ったりで、今日の飛行訓練に対するみんなの期待が否応にも伝わって来る。
「ユーリィ!」
アルが真っ先に俺に気が付いて声を掛けてきてくれた。
「おはよう、アル。ハリーとロンもおはよー」
「おはよう、ユーリィ」
「遅いよ! こんな日にのんびり眠ってるなんて!」
「まったくだ!」
まともに挨拶を返してくれたのはハリーだけだった。後の二人と来たら、まるで俺が悪い事をしたかのように責めて来る。
「ごめんごめん。それより、もう朝食の時間じゃない?」
俺が適当に流しながら言うと、アルとロンは責めるような目で見てきたけど相手にしている余裕は無い。昨日の練習で結構カロリーを使ってしまったみたいで、お腹がぺこぺこだ。
「そんなんじゃクィディッチの選手になれないぞ!」
「わかったってば」
食堂に向かう途中も如何に俺が意識に欠けているかを二人はこんこんと語り聞かせてくれたおかげで朝からくたくたになってしまった。
食事が終わると同時にふくろう便がやって来た。俺の所にもウサギフクロウのナインチェがソーニャとジェイクが送ってくれたお菓子の詰め合わせを運んで来てくれた。向かい側に座っているアルの方にもオオフクロウのアーサーがお菓子の詰め合わせを運んで来ている。
「ハリー。ママからお菓子が届いたから後で一緒に食べない?」
隣で心なしか心細そうにしていたので声を掛けると、ハリーは曖昧に笑みを浮かべながら頷いた。
「ネビル、それって何かしら?」
フクロウ便の到来によって、食事の間中断させられていた箒に乗るコツについての座学レッスンを再び中断させられて若干ご機嫌斜めのハーマイオニーが隣でネビルのフクロウが持って来た手のひらサイズのボウルのようなものを指差して尋ねた。
「これ、思い出し玉だ! ばあちゃん、僕が忘れっぽいのを知ってるから……。何か忘れている時はこの玉が教えてくれるんだ。こうやってギュッと握って、中が赤くなると……」
ネビルの言葉が中途半端に止まったので気になって見てみると、ボウルの中は真っ赤になっていた。
「何かを忘れてるって事なんだけど……」
何を忘れたのかを忘れてしまったらしい。何とか思い出そうとネビルが必死になっていると、突然、後ろから手が伸びてきて、ネビルの思い出し玉を掠め取ってしまった。
誰だか確認しようと顔を向ける前にハリーとロンが勢い良く立ち上がった。
何事かと思ったら、そこには汽車で会った男の子の姿があった。
「あ、久しぶりだね」
俺が声を掛けると、ハリーに何か言い掛けていた男の子は目を丸くして俺を見た。
「あ、ああ、この前の……。そう言えば、グリフィンドールだったな」
「うん。それ、思い出し玉っていうんだって」
「そのくらい知ってるさ」
鼻を鳴らして言う男の子に思わず噴出しそうになった。これがドヤ顔というものなんだろうと思う。
「そうなんだ。君……ドラコ君だよね? ドラコ君も持ってるの?」
「僕はこんなもの必要ないさ。こういうのが必要なのはよっぽど愚鈍なお間抜けくらいなもんさ。それと、グリフィンドールが気安く僕の名前を呼ぶんじゃない」
「あ、ごめん。じゃあ、マルフォイ君でいい?」
「ん、いや、まあ、それでいい」
マルフォイは変な顔で頷いた。
「あ、もう授業の時間だからネビルに返して上げてね」
「ん、ああ、ほらよ」
マルフォイはなんだかつまらなそうな顔でネビルに思い出し玉を押し付けるように返した。
「じゃあ、また後でね」
「後で?」
「うん。後で飛行訓練、合同だから」
「ああ、精々無様を晒さないようにするんだね」
「うん。頑張ってみる」
最後までマルフォイは微妙な顔つきで去って行った。
何だったんだろう、あの微妙な顔は……。
「……っていうか、ロンとハリーは何してるの?」
立ち上がったまま、これまた微妙な顔をしている二人に俺は問い掛けた。
いきなり立ち上がった二人に食堂中の視線が集中していてちょっと恥ずかしい。
「いや、うん……授業行こっか……」
ハリーはのろのろと鞄を肩に掛けると言った。
「ユーリィ。何でマルフォイと普通に会話出来るんだ?」
ロンは奇妙な目で俺に問い掛けてきた。
「え?」
「いや、あいつ凄い嫌な奴じゃん。腹立つ事ばっかり言って来るしさ! なのに、なんで普通に会話してんのさ!?」
なんだか怒ってるみたいだ。
「えっと、なんで怒ってるの?」
「だから、なんで、マルフォイみたいな奴と普通に会話してるんだって言ってるのさ! さっきだって、ネビルの思い出し玉を奪おうとしたり、嫌味ばっか言ってきたじゃないか!」
もう授業まで時間が無いのに、ロンはどうにも腹に据えかねるらしい。
「ううん、確かに思い出し玉を勝手に触ったのはいけない事だと思うけど、あのくらいの言葉は嫌味っていうか、まあ、嫌味なのかな? でも、可愛いもんだと思うよ?」
「可愛いだって!? 頭がどうかしちゃったんじゃないのかい!? 愚鈍とかお間抜けとか無様なんて言ってる奴のどこが可愛いのさ!」
「説明し難いけど、そのくらいの言葉なら微笑ましい部類じゃないかな?」
「全然微笑ましくないよ!」
「というか、早くしないと授業始まっちゃうよ」
このままだと授業に本格的に遅刻してしまいかねない。俺は無理矢理話を中断させて荷物を纏めた。食堂にはもう人がまばらにしか残っていない。
「話はまだ済んで無い!」
「歩きながら話そうよ。本当に遅刻しちゃうってば」
アルとハリーとネビルはチラチラこっちを見ながらも助けに入ろうとしない。薄情者め……。
「いいかい、ユーリィ! あいつはスリザリンなんだよ!? そんな奴と……」
「同学年なんだから仲良くしようよ~」
「同学年でもアイツはスリザリンなんだ!」
「スリザリンでも折角同学年になったんだし……」
「君は考えが甘い!」
それから教室に着くまでの間、ロン先生によるスリザリンが如何に邪悪な存在かの講義が延々と続いた。
その間、全く助けに入らなかったアル達に俺は精一杯恨みがましい視線を送ってやった。ごめんなさいって言葉だけじゃ許してやらないぞ。
午後三時半になって、俺達は正面玄関から校庭へと向かった。
この頃にはロンのスリザリン邪悪教室も終礼のベルが鳴り、意識は飛行訓練に向いてくれた。
「楽しみだね、飛行訓練」
アルが声を掛けてきたけど応えてあげない。
「えっと、その、わ、悪かったってば」
慌てたようにアルが謝るけどまだまだ許してなんてあげない。
「もう、ごめんってばー」
アルの困った顔を見ながら俺はすいすいと先へと歩を進めた。
すると、アルの声が急に鋭くなった。
「なんだい。ちゃんと謝ってるのに! だいたい、君がロンと口論になったのは僕のせいじゃないだろ!」
「え?」
振り返ると、アルは不機嫌そうな顔をしていた。やり過ぎてしまったみたいだ。俺は慌てて頭を下げた。
「ごめん。許して……」
「もういいよ! さっさと行くよ!」
「う、うん」
ずんずん進んでいくアルを追いかけながら俺は校庭に出た。
アルの機嫌も箒を見ると同時に良くなり、どうにか嫌われずに済んだ。心底安堵していると、白髪の女性がやって来た。マダム・フーチだ。
フーチは鷹のような黄色い目で生徒達を睨むように見回すと、
「何をボヤボヤしているのですか!!」
と開口一番に雷を落とした。
「みんな、箒のそばに立って。さあ、早く!」
慌ててみんな箒の横に立った。
足元の箒を見てみると、かなりささくれが酷い。染みのようなものまである。あんまり丹念には手入れされていないみたいだ。
「右手を箒の上に突き出して、上がれ! と言うのです。さあ!」
みんな一斉に「上がれ!」と叫んだ。アルとハリー、マルフォイは直ぐに箒が手に収まった。ロンはちょっと勢いがあり過ぎて顔を打ち付けている。ハーマイオニーとネビルの箒は地面をごろごろしている。
俺は深呼吸をした。確か、箒は怖がったり、自信無さそうにしていると応えてくれないらしい。馬と同じなのだろう。乗った事無いけど……。
「上がれ」
落ち着いて言うと、箒は少しゆっくり目だったけれど手に治まってくれた。何事も平常心が必要という事らしい。
「ネビル。一回深呼吸して、落ち着いてゆっくりと言ってごらん」
おろおろしているネビルにアドバイスを言うと、ネビルはこくこくと頷き、深く深呼吸をしてゆっくりと言った。すると、箒はゆっくりとネビルの手に収まった。ネビルが成功させると、ハーマイオニーや他の皆も次々に成功させていった。
たぶん、ネビルが出来たなら出来る筈と緊張が解れたのだろう。
全員の手に箒が握られているのを確認すると、フーチは箒のずれない跨り方を実演して見せてくれた。一人一人握り方の指摘を受けた。
全員が正しい跨り方を覚えた所でフーチ先生は笛を一回吹いた。いよいよ空を飛ぶときだろう。俺は万が一に備えて、いつでも杖を取り出せるようにそっとポケットの中に手を伸ばした。
「さあ、このように私が笛を吹いたら地面を強く蹴って! 握り方は忘れて居ませんね? 落ちないようにしっかりと握りなさい。二メートル浮上したら前屈みになって降りてくるように! 笛を吹いたらですよ? いいですね? 一、二の――――」
その時だった。ネビルの箒だけがまるでコルクの栓が抜けたように飛び上がった。
映画で見た時とは全然違う。箒はただ真っ直ぐに飛び上がり続け、ネビルの悲鳴が轟いた。
杖を出して、ネビルに向けた。ネビルの手が箒を掴んでいられなくなったらしく、ネビルの体は箒から離れた。
チャンスは一回しかない。練習したとはいえ、人体を対象にするのは初めてだ。だけど、高さは20メートル近くある。落ちたら骨折どころじゃないかもしれない。
迷っている暇は無かった。
「ウィンガーディアム・レビオーサ」
箒を放り投げ、ネビルの落下地点に向かって走りながら杖に神経を集中させた。いきなり全身を停止させたら怪我をさせてしまう。ゆっくりと速度を落とすように、少しずつ浮遊呪文の力で落下の力を包み込むようにする。
だけど、その時想定していた事態が起きた。
制御を外れた箒がネビルの方に向きを変えたのだ。
「くぅ――――」
呪文を停止させた。まだ、ネビルの体は俺の頭上五メートルの所にあるけれど仕方ない。
ネビルの体は一気に速度を上げて落下した。間一髪で箒はネビルの体を傷つけなかったけれど、もう呪文を再度発動する暇は無い。
落下するネビルの体にしがみ付くように受け止めた。その瞬間、信じられない激痛が走り、そこで、俺の意識は無くなってしまった。