第八話「死神」

第八話「死神」

 必要の部屋の中で俺は父さんと二人になった。こうして、親子で語り合うのは何時以来だろう。
 父さんは険しい表情で黙りこくっている。眉間に皺を寄せて、何を考えているんだろう。親友のジェイクの死を引き合いに出してまで、俺との会話の席を設けたわけをさっさと教えてもらいたい。

「アル」
 
 深く息を吐き、父さんは口を開いた。

「お前は人を殺す事が楽しいんだな」

 それは問い掛けでは無かった。確信を持って告げられた断言。
 自分で分かっていた事だが、実の父親にダイレクトに言われると、さすがに怯んだ。

「俺は……」
「隠さなくてもいい。気持ちは分かる」
「え……?」

 分かるって、どういう事だろう。自分で言うのも何だが、人を殺して楽しい、気持ち良い、爽快だ、なんて思う人間は異常だ。
 そんな異常者の気持ちが分かる人間なんて居る筈が無い。
 同じ、異常者でも無ければ……。

「父さんも……そうだった」
「父さん……も?」
「父さんは昔、【死神】に例えられていた」

 その話は前に聞いた事があった。マッドアイと最初に出会った時、彼は言った。

『お前の父親のエドワード・ヴァン・ライリーはその姓の通り勇敢な男であり、その名の通り善なる者の守護者であった。あまりに苛烈な性格故に孤立気味ではあったが、敵対する闇の魔法使いからは死神と恐れられた強力な闇祓いだ』

 嘗て、父さんは【死神・エドワード・ヴァン・ライリー】と恐れられていた。だけど、それは皆を守ろうとして戦って付いた渾名だ。人の死を喜ぶ俺と同類の筈が無い。
 何度も考えた事だ。善良な夫婦である父さんと母さんから、何で俺みたいな怪物が生まれてしまったんだろうって、何度も考えた。
 俺が幼い頃、父さんは母さんを愛し、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。ヴォルデモートの影が見え始めてから、嘗ての面影らしきものを垣間見せ始めたが、常に理性的で善良であり続けている。

「父さんも人の死を愛していたんだ」

 その告白に俺は言葉を失った。俺とは違い、善良だと思っていた父さん。彼が浮かべていた穏やかな笑顔は偽りのペルソナだったという事なのか。
 
「父さんは相手を殺せるなら誰でも良かった。ただ、一人でも多く殺したかった。正直、死喰い人になろうとした時期もあった」
「……嘘だろ」

 もし、ユーリィが居なかったら、俺は死喰い人の側に立っていた。その確信がある。だって、そっちの方が確実に人を殺せる。
 魔法使いもマグルも殺したいだけ殺せる。

「本当だ。その当時、魔法法執行部の部長だったバーテミウス・クラウチが闇祓いに【死喰い人への殺人行為】を許可した。悪の側に立たなくても、人を堂々と殺せる権利を貰えたんだ。だから、父さんは殺したんだ。死喰い人の中には脅された者も操られていただけの者も居た。女も子供も老人も居た。みんな殺したよ。その度に俺は笑っていた。殺人を最高に楽しいアトラクションだと思っていたんだ。死に瀕した者の悲鳴は高名な指揮者のオーケストラが奏でる演奏にも引けを取らないと確信していた。哀しみや恐怖、怒り、絶望、死に瀕した者が浮かべる表情はどんな著名な画家の絵よりも俺の心を満たした」

 同じだ。ここに至り、俺も確信を持った。父さんは俺と同類だ。いや、俺が父さんの同類なんだ。
 俺達は間違いなく親子だ。どちらも人を殺す事に悦を感じている。俺と同類で無ければ、こうも見事に俺の内面を口にする事は出来ない筈だ。
 だからこそ、分からない。どうして、父さんはそんな恐怖に慄く表情を浮かべているんだ。

「俺は……ただ、自分の快楽のみを追い求めていた。だから、見ようとしなかった」
「何を……?}
「死喰い人にも家族が居る。友人も居る。恋人や子供だって居る。当たり前の事だ。だけど、俺はその当たり前の事を考えなかった。マチルダと出会い、俺は漸く知ったんだ。俺が殺して来た血染めの道に今尚苦しむ人間が居る事に」
「……でも、そいつらは――――」
「ああ、死喰い人だ。如何なる理由があろうと人々を苦しめる害虫だ。だが、害虫に寄り添う者が全て等しく害虫なわけではない。中には何も知らずにその者を愛していた者も居た。知っていて、その者を善の道へ導こうと奮闘する者も居た。彼らから俺は奪ったんだ。その者達と歩む筈だった未来を奪ったんだ。俺はやろうと思えば捕縛に留める事も出来た。だが、しなかった。自分の欲望を満たす為だけに俺は殺し続けたんだ」

 父さんはテーブルに拳を叩きつけた。テーブルはへこみ、拳からは血が滲む。そんなのは御構い無しに父さんは言った。

「【死神】は実に私に相応しい二つ名だ。だが、お前にはそうなって欲しくない」
「俺は……」
「私はマチルダの愛によって目を醒ます事が出来た。ならば、お前も目を醒ます事が出来る筈だ。ユーリィを愛しているなら、あの子を救いたいなら、己の欲望の為に戦うな。【死神】では誰も救えない。お前は子供の頃言っていたじゃないか。【勇者】になりたいって」

 ああ、分かる。父さんが母さんと出会って自分の殺人への渇望を抑えられた理由はよく分かる。

「ああ、なりたかったよ。ユーリィが傍に居る間は、そう思えた」

 だから、分かる。父さんも母さんが居なくなれば、昔に戻る。殺人への渇望なんてどうでも良くなる程、愛おしい人間が傍に居てくれたなら、俺だってこうはならなかった。
 アイツが傍に居れば、俺は誰も殺さなくて良い。悲鳴も死に顔も殺す感触もアイツの笑顔や声や触り心地と比べたら天と地ほどの差がある。
 
「死神でもいいさ。アイツを結果的に助け出せるなら、過程なんざ、どうでも……」
「そうじゃない」
「え?」

 父さんは悲しそうな顔をして言った。

「言っただろう。死神は誰も救えない、と。ユーリィの心までは助けてやれない。今のままではな……」
「……とう、さん?」

 なんで、知ってるんだ。俺は父さんに教えていない。生前のマコトが心を壊してしまった事も、ユーリィが今、生前のマコトと同じ状態になってしまっているかもしれない事も何も教えていない。

「分かるさ。多分、殆どの皆が気付いている」
「……マジかよ」
「ああ、その上であの子を助けようとしているんだ。生前に何があったとしても、俺はあの子を救いたい。マッドアイもダンブルドアもみんながあの子を救いたがっている。だけど、あの子を救えるのはきっとお前だけだ。なあ、死神である事は誇らしくもなんとも無い事なんだぞ。だって、自分の欲望を垂れ流しにしているだけなんだ。かっこ悪いじゃないか、そんなの。ユーリィにかっこ悪いって、思われてもいいのか?」

 それは、嫌だな……。

「あの子を助けて、あの子にカッコいいって、言ってもらいたいんだろ?」
「……うん。俺、アイツにカッコいいって、言われたいな」
「だったら、死神で居たら駄目だ。お前は父さんのようになっちゃ駄目だ。親友一人救えなかった、こんな駄目親父みたいになっちゃ駄目だ」

 父さんは泣いていた。初めてだった。父さんが俺の前で涙を見せるのは初めての事だった。

「ジェイクが死んでしまった。俺の親友が死んだ。俺を死神から人間にしてくれたのはマチルダだけじゃない。ジェイクやソーニャが俺を友達と言ってくれたおかげなんだ。いいか、アル。友達は大事なんだぞ。確かに、ユーリィの事が好きなら、あの子を最優先にして良い。むしろ、そうするべきだ。だけど、友達も大事にするんだ。ハリーやロンやネビルやハーマイオニーを大事にしなさい。分かったね?」

 ジェイクが死んだ。
 そうだ、ジェイクは死んだんだ。
 もう、ユーリィの家に行っても、ジェイクが迎えてくれる事は無いんだ。
 もう、ジェイクと一緒にキャンプをする事も出来ないんだ。
 もう、ジェイクと一緒に笑い合うユーリィの姿を見れないんだ。

「あ……ああ」

 父さんの涙が俺に漸くその事を実感させた。
 ジェイクが死んだ。もう、この世のどこにも彼は居ない。
 間違いなく言える。俺は彼が大好きだった。もう一人の父親同然に思っていた。
 だって、俺はあの人を生まれた時から知っていたんだ。俺とユーリィは兄弟のように過ごした。父さんと母さんとソーニャとジェイクに囲まれて、四人の愛を受けて育って来た。
 もう、あの頃には戻れない。大切なピースが欠けてしまった。
 
「そっか……」

 分かった。
 俺も分かった。
 父さんが言った事が分かった。

「これが、人の死って奴なのか……」

 漸く、俺は人の命の重さってのに気が付いた。
 ただ、愉しむだけの殺人がどれほど罪深いのかを理解した。
 俺と同じ想いをしている人間が居る。善人であれ、悪人であれ、その者の死には哀しみが付き纏う。

「……ああ、でも、俺は」

 立ち止まれない。立ち止まるわけにはいかない。
 ユーリィを助けるまで、俺はこの足を止めるわけにはいかない。

「そうだ。人の死の重さを知って、その上で戦うんだ。勇者ってのは、勇気ある者の事なんだ。勇猛果敢なる者が住まう寮・グリフィンドールのアルフォンス・ウォーロック。お前は死神には成るな。勇者に成れ。そして、お姫様を救い出すんだ。出来るな?」
「……ああ、やってやるぜ。やってやるさ」
「……よし、みんなの所に戻ろう」
「うん。父さん」
「なんだ?」
「ありがとな、昔話を聞かせてくれてさ」

 父さんは俺の背中を軽く叩くと部屋を出て行った。
 
「ジェイク……。アンタの子は俺が必ず救い出す。だから……、見ててくれよな」

 父さんと連合の会議室になっている変身術の教室に向かっていると、俺達は廊下で座りこんでいるソーニャと母さんに出くわした。

「どうした!?」

 父さんが慌てて駆け寄ると、母さんが言った。

「ナインチェに餌をあげに行こうとしたら、あの子、居なかったのよ」
「ナインチェが?」

 ナインチェはユーリィのペットのウサギフクロウだ。白くてフワフワな可愛い奴。

「あの子が帰ってくるまで……、ナインチェの世話をしようと思ったんだけど……居ないの……」

 ソーニャが掠れた声で言った。

「あ、あの子にまで……な、何かあったんじゃ……」

 涙を零しながら肩を震わせるソーニャを俺は見て居られなかった。
 ソーニャは愛する夫を失い、愛する子を攫われた。その上、ナインチェまで姿を晦まし、完全に取り乱している。

「お、落ち着くんだ。ナインチャは家に居る時もよく勝手に餌を探しに飛んで行くじゃないか。きっと、直ぐに戻って来るさ」

 父さんが何とか落ち着かせようと声を掛けても、ソーニャは泣き止まなかった。

「ジェイクが死んじゃった……。ユーリィまで居なくなっちゃった……。もう、私……やだ……こんなの」
「ユーリィは絶対に助ける!!」
 
 見たくない。

「俺がアイツを救い出す。絶対に、アンタを一人になんかさせない!!」

 ソーニャが泣いてるところを見たくない。
 ユーリィだけじゃない。ユーリィの家族が哀しむなんて嫌だ。

「絶対に助ける!! だから!!」
「アルフォンス君……」

 ソーニャは涙で赤く腫れ上がった目を俺に向けた。

「無理はしちゃ駄目だから……ね?」

 俺は打ちのめされた。どうして、こんな時に俺の心配なんかするんだ。
 アンタは子供の心配だけしてればいいんだ。
 夫を思って哀しんでればいいんだ。

「俺も生きて帰る。父さんも生きて帰る。みんなで、またキャンプに行こう」
「……ええ」

 俺の中で何かが大きく変化した。
 何が変わったかって、聞かれると答え難いが、俺はまるで視界が広がったような気分だった。
 今まで、見えなかったものが見えて来た気がする。
 そう、例えば……俺は、どうしてアイツを信じたんだろう。

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