第二話「戦いが終わって」

第二話「戦いが終わって」

窓辺に立ち、アルと愛の戦いの顛末を見守りながら、私は私自身の事を思い返していた。結局、私は何者なんだろう。ずっと、冴島誠という少年が自分だと信じていた。でも、冴島誠は女の子だった。そして、自分とはまったくの別人だった。
 アルは私をただのユーリィだと言った。でも、ユーリィ・クリアウォーターは男の子であるべきだ。だけど、私はもう、自分を男だと思えない。性同一性障害というものなのかもしれない。今更、男として振舞えと言われても困る。だって、私はアルを……アルフォンス・ウォーロックを愛してしまっている。狂おしい程に彼を求めている。
 彼が私を助けに来てくれた時、嬉しくて仕方がなかった。こんな私の為に彼は命を賭けて救いに来てくれた。彼の命が危険に晒される恐怖よりも、私に対して怒りや憎しみを向けるかもしれないという恐怖よりも、喜びが先に立った。
 今更、アルを愛してはいけない、なんて言われても、無理だ。彼の事を思うだけで胸が苦しい。傍に居たい。一分、一秒だって、私は彼に寄り添いたい。
 私が何者であるか。その疑問に唯一答えられるとしたら、それは――――アルフォンスを愛する者。

「アル……」

 とても、魔法使い同士の戦いとは思えない爆発音の連続にハラハラしていると、空から吸魂鬼が現れた。アルと愛を襲おうとしている。
 無我夢中だった。ヴォルデモートがこの教会を去る前に返してくれた杖をポケットから取り出して、遥か上空に向けて振るう。

「エクスペクト・パトローナム!!」

 初めて使う呪文。だけど、使えないなんて思わない。私にとって、幸せな気持ちとは彼との時間。彼と過ごした一分、一秒が私にとって、何よりの幸福だった。この十五年間で感じてきた幸福な気持ちを杖に篭めると、ウサギの姿をした守護霊が飛び出してきた。
 ウサギ。ホグワーツに入学する前にアルがプレゼントしてくれたぬいぐるみ。彼は初めての魔法でぬいぐるみに命を与えてくれた。私が呟いた、ペットを飼いたいという願いの為に二年間も頑張って練習して、彼は私の願いを叶えてくれた。ナインチェを選んだのも、彼がくれたウサギのぬいぐるみみたいに愛くるしかったから。ウサギフクロウという名前に惹かれたのも理由の一つ。
 ウサギは私にとって、アルへの愛の象徴。私はもう、居ても立っても居られなくなった。
 傍に行きたい。もう、こんな場所に留まってなんて居られない。自分が何者であるかもどうでもいい。教会を出て、駆け寄ると、彼は愛を抱えながら、私に振り向いた。彼の微笑みはあまりにも魅力的だった。よく、私は今までこんなにも魅力溢れる男の子の傍に居て理性を保っていられたものだと思う。だけど、もう我慢の限界。ゆっくりと歩いてくる彼に私も歩み寄る一歩一歩、近づくごとに心臓が飛び跳ねる。

「ユーリィ」

 おだやかで心地良い声。距離にして一メートル。
 耐える事を私は放棄した。距離を自分からゼロにして、彼の唇に自分の唇を重ねた。彼は驚いたように一瞬、目を見開いた後、目を瞑り、私の口の中に舌を入れてきた。拒否する理由は無い。
 自分の中への侵入者を私は丁寧にお持て成しする。歯の裏をなぞって来る彼の唇の感触に脳髄が痺れる。なんて、気持ちが良いんだろう。彼の口の中を私も堪能したい。そう思い、彼の方に舌を入れようとすると、コホンという小さな咳払いが聞こえ、彼は私を遠ざけた。

「あ……」

 名残惜しさと、彼に遠ざけられたショックで、哀れっぽい声を出してしまった。

「邪魔をするようで申し訳無いんだけど、続きは二人っきりの時にやりなさいね」

 ハーマイオニーは呆れたように言った。途端に恥ずかしさが込み上げてきた。顔が真っ赤になる。
 
「ユーリィ」

 ハーマイオニーは私の顔を見つめながら微笑んだ。

「凄く、可愛いわね」
「……ありがとう」

 可愛いのかな。私には分からない。自分の顔の作りが誠とは違っている事は気付いていたけど、可愛いかどうかは自分だと判断出来ない。
 お世辞じゃないといいな。アルに愛して貰えるように、私は可愛くありたい。ヴォルデモート卿には感謝をしないといけないかも。少なくとも、服はとびっきり可愛い。彼のセンスなのだろうか? さすがは天才魔法使い。服飾にまで、その才能は及ぶらしい。
 その彼はというと、私達を穏やかな表情で見つめていた。杖を返して来てくれた時も同じ顔をしていた。

「あ、あの……」

 声を掛けようとすると、彼は踵を返し、マッドアイの下に向かった。

「どこへなりとも連れて行け。抵抗はせん」
「……分かった」
 
 マッドアイはヴォルデモートの手を取って杖を振り上げた。

「ま、待って!」

 慌てて呼びとめようとすると、彼は振り向かずに言った。

「……感謝する」

 次の瞬間には彼らの姿は掻き消えてしまった。姿くらましだ。アーサーも彼らを追いかけて姿をくらませた。
 
「君がユーリィ・クリアウォーターか」

 ハンサムな男の人に話しかけられた。誰だろう。見た事の無い人。

「私はシリウス・ブラック。君の話はよく聞いているよ」

 驚いた。彼があのシリウス・ブラックだなんて。映画だともっと野性味に溢れていたんだけど、実際に見る彼はとってもクール。

「……印象が君と直接会う前に二転三転してしまっていたが、まずは礼を言いたい」
「礼……?」
「私は君の証言のおかげでアズカバンの監獄から出る事が出来た。あまり、活躍出来なかったが、ハリーと共に戦う事も出来た。ありがとう」

 私は、彼に対して何て返せばいいんだろう。
 迷っていると、彼は更に続けた。

「それと、素直に尊敬するよ。君以外に、このような結果を齎せた人間は居ない。まさか、あの闇の帝王の心を陥落させてしまうとは……恐れ入る。ジェームズやリリーの敵を討てないのは心残りではあるがね」
「あの人はただ……」
「愛を求めていた。信じ難い話だが……それが事実なんだろうな。魔法界全体がとんだ茶番劇を演じたものだ。誰か一人でも、あいつに愛を教えてやってれば、それで全部解決していたなんてな……」
「シリウスさん……」
「だが、そんな真似が出来る人間はあまりにも稀であり、ヴォルデモートと近しい距離にあった人間の中には一人も居なかったという事なんだろうな」

 シリウスは溜息を零した。

「君も色々大変だったな。だけど、ここからは俺達大人が頑張る番だ。お疲れ様」

 シリウスは私の頭を優しく撫でると、アルに顔を向けた。

「幸せにしてやれよ」
「当然だ。言われるまでもない」

 頬が赤くなるのを感じる。幸せにするって、そういう意味だよね。
 
「ユーリィ」
「ひゃい!?」

 悶々としていると、ダンブルドアが話し掛けて来た。変な返事をしてしまった……。

「わしもお主を尊敬するよ」
「え?」
「わしは愛の力の信奉者じゃった。じゃが、真に理解はしていなかった。その事を痛感したよ。わしはヴォルデモートを君のように救う事が出来なかった」
「先生……」

 ダンブルドアは哀しそうに顔を伏せた。

「わしには機会があった。彼に愛を説く機会がのう。じゃが、わしは彼を疑い、機会をみすみす逃した。あまりにも愚かしい行いをしたと後悔しておるよ。その癖、わしはハリーに重責を担わせようとした。あまりにも罪深い……」

 ダンブルドアはいつもの活力に満ちた姿ではなく、どこか生きる事に疲れた老人を思わせた。

「グリンデルバルトに対しても、家族に対しても……わしは過ちを犯した。過ちだらけの人生じゃな」

 哀しそうに笑うダンブルドアに胸が締め付けられた。
 
「先生……」
「せめて、残り僅かな命……二度と過ちを起こさぬよう生きたいものよ」

 ダンブルドアは顔を上げると、言った。

「何はともあれ……ありがとう。トムを救ってくれた事に感謝する」
「先生……」

 何も声を掛けてあげられないのがもどかしい。でも、私に何も言う資格なんて無い。
 
「先にホグワーツに戻っておるよ。戦いは未だ、完全に終わりを迎えたわけではないのでな」
「先生!」
「お主はもう羽を休めるがよい。シリウスも言ったじゃろう? ここからは大人が頑張る番じゃと。お主が目を向けるべきはわしではない」

 そう言って、ダンブルドアは縛られている死喰い人達に向かって行った。

「この者達もわしが連れて行こう。シリウス、エドワード。子供達の事は任せる」
「お任せを……」

 エドが頷くと、ダンブルドアは死喰い人達と共に姿を消した。
 
「……ユーリィ」

 震えた声。ネビルだ。

「ネビル……」
「ユーリィ……なんだよね?」
「……うん」

 ネビルは深く息を吐いた。

「なんだか、凄く不思議な気分だよ」
「私もだよ。あんまり違和感とかは無いんだけどね……」
「そうなのかい?」
「誠の記憶のおかげかな。女である自分に拒否感とかは無い感じ。でも、やっぱり未だ慣れないな」
「……えっと、凄くその……」
「ん?」
「可愛いよ。うん、凄く可愛い」

 真っ直ぐに言われて、私はたじろいだ。

「あ、ありがとう」
「えっと、つまり……その……」
「ネビル?」
「ごめん。何だか、上手く言葉が出て来ないんだ。僕……」
「……ありがとう」

 ネビルは私の変化に途惑っているんだ。だけど、私を気遣って、戸惑いを必死に隠そうとしている。
 相変わらず優しい人。

「ネビルも助けに来てくれたんだよね。本当にありがとう」

 ネビルはお礼を言われて恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしながら頷いた。

「うん。僕……君を助けたかったんだ」
「ありがとう、ネビル」
「……ユーリィ」
「なぁに?」

 ネビルは口ごもりながら言った。

「ううん。何でも無い」
「ネビル?」
「それより、ロンも何か言いたいみたいだよ」
「あ、うん」

 ネビルに半ば押し切られる形で私はロンの前に立った。ロンはネビルを一睨みすると、困ったような顔を浮かべた。

「僕さ……、君に色々と迷惑を掛けてたじゃん」
「そんな事……」
「あるよ。僕のせいで、君は何度も酷い目に合った。だから、この戦いで少しでも償えるかと期待してたんだ。だけど、君ってば、肝心の敵の親玉を一人で倒しちゃってるんだもんな」
「償う事なんて無いよ。だって、ロンは全然悪くないんだもん。今だって、助けに来てくれて、凄く嬉しいよ」
「……君がそういう人だから、余計に辛いんだよ」
「え?」

 ロンは深々と溜息を零した。

「君を傷つける事がどれだけ罪深い事なのかを思い知らせてくれるよ。本当にすまなかった」
「ロン……」
「僕が時間を取るわけにはいかないから、そろそろ戻ってやれよ。一人で敵地に乗り込んじゃうくらい、君の事が好きで好きで仕方無い奴が居るんだ。ダンブルドアも言ってただろ? 君が目を向けるべきなのは僕達じゃない。ハリー達みたいに、二人だけの世界を堪能しなよ」
「……ロン」
「ハハッ、ネビルも言ったけど、君、本当に可愛いよ。性格だけじゃなくて、見た目までそう来ると、僕もちょっと揺らいじゃうな。そうなると、血を見る事になりそうだ。主に僕のね。それは怖いから、早く行ってくれ」
「う、うん」

 途惑いながら、ロンに押される形で私はアルの下に戻った。アルは愛を抱いたまま、ハーマイオニーとハリーと一緒にいた。足下には……ダリウスの遺体。

「ダリウス……」

 まるで、眠っているだけみたいに見える。今にも目を覚まして、冗談を飛ばしながらアルを訓練に誘い出しそうな、安らかな表情。
 彼の遺体を見つめるアルの瞳はとても辛そう。

「アル……」
「ったく、好き勝手やった挙句にアッサリ死にやがって……」

 アルは片手だけで愛の体――――つまり、私の元の体を支えると、杖を振るった。

「アクシオ。コルト・ガバメント」

 すると、黒光りする銃が飛んで来て、アルはダリウスの胸に置いた。

「アンタの事、許したわけじゃないけどよ……まあ、ゆっくり休めよな」

 アルはそれっきり、ダリウスから視線を外して私を見た。
 
「色々、話したい事があるんだけどな。まずは、こいつをどうにかしないとな」

 アルがかすかに愛の体を揺すった。

「うん」
「私達もホグワーツに戻りましょう。いつまでも、ここでグズグズしていても仕方が無いわ。学校の方がどうなっているかも気になるし」

 ハーマイオニーの提案で私達はホグワーツに戻った。すると、そこには夥しい巨人や狼男の死体があった。死喰い人らしき人達の死体もある。でも、幸いな事に生徒達の死体は見当たらない。
 マクゴナガル先生やスネイプ先生を初めとした、学校に残った連合の面々が奮闘したらしい。ヴォルデモートや主力となる戦力を欠いた死喰い人達は一方的にやられてしまったみたい。
 ちなみに、どうしてマッドアイ達が援護に駆けつける事が出来たのかっていう疑問の答えはマルフォイ夫妻のおかげだった。息子を死なせたヴォルデモートに対して、夫妻は嘗ての主君に対する恐れから完全に脱し、密かに情報収集の為にハリーを尾行させていたドビーから情報を掴んだ彼らはマッドアイ達に情報を伝えると、連合の一員として死喰い人達と戦ったそうだ。
 彼らに何てお詫びをすればいいんだろう。彼らの息子を死なせてしまった原因は私にもある。彼らの抱く絶望は計り知れない。
 
「言わない方がいいわ」

 ハーマイオニーは言った。

「彼らは怒りの矛先をヴォルデモートに向けた。だから、彼らの憎しみはこの戦いで完遂したのよ。なのに、また蒸し返したりしたら、いたずらに彼らを苦しめる事になる」

 ハーマイオニーの言葉に、私は迷いながら彼らと対面した。そして、ファイア・ボルトを返した。
 夫妻はとてもやつれていた。嘆きと哀しみに満ちた表情を浮かべている。
 謝るのは簡単だ。だけど、それで彼らを苦しめるなんて出来ない。だって、彼らはどんなに私を憎んでも、手を出す事が出来ない。元死喰い人という立場が許すという選択を彼らに強要してしまう。
 だから、私は何も言えなかった。二人と分かれる時、二人がファイア・ボルトを大切そうに眺めている姿に胸が締め付けられた。
 その直ぐ後に誠が目を覚ましたという話を聞いて、私は保健室で誠と会い、愛の事を託された。ロックハート先生が誠に忘却呪文を掛け、愛が目を覚ました。
 忙しく動き回り、気がつくと、空が茜色に染まっていた。

 私はまだ、ママに会っていない。

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