第三話「真相」

第三話「真相」

「一つ、いいかしら?」

 ハーマイオニーは眉間に皺を寄せながらジャスパーに声を掛けた。

「なんだい?」

 ジャスパーが向き直ると、ハーマイオニーは言った。

「その話だけど、どこまでが本当なのかしら?」
「は?」

 どういう意味だろう。ジャスパーが長々と語ったユーリィの凄惨な過去は作り話だという事なのか。
 彼女の真意が分からず、俺は困惑した。反対に、ジャスパーは口元に笑みを浮かべている。どういう事だろう。

「……ボクの話は作り話だとでも?」
「違うわ。ただ、ちょっと妙だと思ったのよ。例えば、体育館での冴島誠の行動。幾ら何でも、三百人以上を一人で殺せたとは思えないわ」
「……そうかな? 毒ガスを使ったから、そこまで難しくは無かったんだと思うけど?」
「その毒ガスも妙だわ。狭い密室空間ならいざ知らず、広々とした空間でそこまで強力な効果を発揮出来る毒ガスを素人が市販の材料で作り出せるとは思えない。そんな強力なものを使ったら、冴島誠だって、無事では済まなかった筈だわ。にも関わらず、彼女は学校から軽々と脱出して、その足で遠くまで逃げている。矛盾を感じるのよ、あなたの話には……」
「つまり……?」
「考えられる可能性は二つ。あなたが嘘を並べているだけなのか、あるいは……まだ話していない事がある」

 ハーマイオニーの鋭い推理に俺は目を瞠った。確かに、そう考えるとジャスパーの話には妙な点が多過ぎる。
 例えば、家の裏口の鍵が壊れたまま放置しておくのは不自然だ。幾ら、立て付けが悪くて知らない人間には開けられないと言っても、それで鍵を壊れたまま放置するのはおかしい。
 それに心が壊れたと語った癖にユーリィは自分を抱いた男に好意を持ったり、ジャスパーの家族や真紀に対して哀れみを覚えたり、感情を有しているように語った。
 考えれば、考える程にジャスパーの口にした話はおかしな点が多過ぎる。どういう事だろう。

「凄いね、ハーマイオニーちゃん。ボクとしては悪くないストーリーだと思ったんだけどね」
「肯定するのね。……どうして、わざわざ嘘の話を語ったのかしら? あまりにも意味が分からないのだけど……」
「全てが嘘というわけじゃないよ。まあ、ただ……色々と騙ったのは事実だけどね」
「……お前、何がしたいんだ?」

 意味が分からない。わざわざ長々と創作話を聞かされたという事か? どうして、そんな不必要な真似をするんだ。
 それに、どこからどこまでが本当で、どこからどこまでが嘘なのか分からない。

「まあ、幾つか理由はあるんだよ。まさか、こんなに簡単に見破られるとは思わなかったな。即興にしては悪くない出来だと思ったんだけど」
「いいから、理由を言えよ」

 苛立ちながら言うと、ジャスパーは薄く微笑んだ。

「一つは君にマコちゃんの悪い印象を植え付けたかったんだ」
「は?」

 ジャスパーの言葉に俺は凍り付いた。
 
「そして、その反応を見たかったんだよ。ああ、君だけじゃないよ。他の人達の反応も見たかった。本当に信用出来るかを知る為にね」
「……つまり、試したというわけね?」
「まあ、そうとも言えるね。およそ、愛を向けるには相応しくない女性像を語ったつもりだよ。人を殺す事に罪悪感を感じず、複数の男を知る売女。如何に同情出来る経緯があっても嫌悪感を感じる人物像だ。まさか、こうもアッサリと受け入れられるとは思わなかったよ。おかげでアルフォンス君の事は信頼が置けるようになった」
「どうして、そんな事をしたのかしら?」
「慌てないでよ。ちゃんと答えるさ。まず、ボクが騙った物語の中の真実を口にするなら、彼女が百人以上を殺害した事、それにボクこと【小早川春】の家族を皆殺しにした事も本当だよ。ただ、彼女が絶望などと呼ばれるに至ったのはもっと凄惨で、救いの無い経緯があったんだよ。それを語るには受け入れられる人間を識別する必要があった。例え、何を聞いても彼女を救おうと考える人間が居る事を願い、ボクは賭けに勝った。さあ、行こうか」

 突然立ち上がり、杖を一振りしてジャスパーは俺をロープの拘束から解放した。

「行くって……どこに?」
「ついてくれば分かるよ。ああ、アルフォンス君とハーマイオニーちゃん。それと、ハリー君だけついて来てくれるかな」

 ジャスパーに指名され、ハリーは呆気に取られた表情を浮かべながら頷いた。

「お、お待ちなさい」

 どんどん扉の方に向かって行くジャスパーをマクゴナガルが呼び止めた。

「どこに行くつもりですか? 今、あなた達を目の届かない場所に行かせるわけには参りません」
「なら、部屋の前までついて来てもらえるかな? ただし、部屋の中に入るのは今言った三人だけだよ」
「何故、その三人だけなのですか?」
「ボクがマコちゃんの真実を知ってもらう必要があると判断したからだよ」
「その選抜に私は落第したというわけですか?」
「残念だけどね」

 マクゴナガルは鼻を大きく膨らまし、ゆっくりと頷いた。

「いいでしょう。どこに行く気かは知りませんが、目的地に着くまでは同行させてもらいます」
「ありがとう、先生」

 スネイプもジャスパーを一瞥すると後に続いた。俺とハーマイオニーも後を追い、ハリーもその後に続く。部屋を出る時にソーニャを見た。意識を失ったまま、母さんに介抱されている。母さんは少し目が腫れていた。さっき、俺が母さんを殺す事を躊躇わないと言った事でショックを与えてしまったのかもしれない。
 申し訳無いとは思うが、母さんに構っている余裕は無い。視線を外し、俺は真っ直ぐにジャスパーを追った。

 ジャスパーに連れて来られたのは必要の部屋だった。ジャスパーは部屋を作り出し、俺とハリーとハーマイオニーを招いた。部屋を作る時に入場制限を設定したらしく、俺達以外が入ろうとすると一瞬で扉が埋まってしまう。マクゴナガルとスネイプは静かに部屋の外で待機した。

「さて、じゃあ始めよ――――」
「ジャスパー」

 ハリーは杖を眉間に当てようとするジャスパーを遮った。

「どうして、僕を誘ったの?」

 ハリーは表情を曇らせながら聞いた。

「僕は君の話を聞いて、正直言うと……気味が悪いと思ったんだ。アルみたいに吹っ切ったわけでも、ハーマイオニーのように冷静な思考で受け止められたわけじゃない」
「ボクが君を誘ったのは君の存在が今後の展開を左右するからだよ」
「僕の存在が……?」
「君の存在は君自身が自覚している以上に重要なんだよ。マコちゃんを救う勇者がアルフォンス君なら、ヴォルデモートを倒し、世界の闇を晴らす英雄は君なのさ。例え、世界がどう変貌しようと、これだけは変わらない」
「僕が……?」
「ヴォルデモートを倒すヴィジョンは見えている。だから、君が例えマコちゃんを嫌悪しようとも君を外す事は出来ない。勿論、あなたの事もね」

 ジャスパーは不意に誰も居ない方に顔を向けた。

「わしは嫌悪などしておらんよ。例え、先ほどの話が事実であったとしても、わしは彼女を救いたいと願っている」

 息が止まりそうになった。一体、いつからそこに居たのか分からない。
 ダンブルドア校長が立っていた。

「あなたの本心はボク如きには分からない。だから、信じるよ。ボクの考えが正しいかを検分してもらう必要もあるしね」
「君はユーリィを救い、ヴォルデモートを倒す算段が既にあるのかね?」
「机上の空論レベルだよ。でも、アルフォンス君やハリー君やハーマイオニーちゃんが手を貸してくれたら、きっと上手くいくと思っている」

 ジャスパーは眉間に杖を当て、記憶を【憂いの篩】へと落とした。

「これがボクの知るマコちゃんの真実だ」

 ジャスパーは言った。

「正直、ボクにもマコちゃんの行動原理がよく分かっていない部分がある」
「どういう意味?」

 ハーマイオニーはチラリとジャスパーに視線を向けながら問い掛けた。

「見れば分かるさ。ボクが恐怖したマコちゃんの真実をこれから君達は目の当たりにするんだからね」
「真実……か、つか、さっきの話は何だったんだよ、マジで」

 未だに長々とジャスパーが作り話を聞かせた理由が分からない。
 真実を聞かせるに値する人間を選別したみたいに言っていたが、どういう事だろう。

「あれは適当に官能小説とかから設定を引っ張って適当に作ったホラ話さ。他にもダンガンロンパのトリックとか、色々混ぜ込んだ即席にしては見事な出来だったと自負しているんだけどね」
「んな事聞きたいんじゃない。どうして、あんな話をしたのかって事をお前はまだちゃんと答えて無いぞ」

 俺の言葉にジャスパーは少し表情を曇らせた。
 
「真実を話せば、君達はマコちゃんの敵に回る可能性があった。だから、どうしても慎重になる必要があったんだ」
「ユーリィの敵に回るだと……?」
「つまり、そういう内容なのね……」

 チンプンカンプンな俺とは裏腹にハーマイオニーは鋭い洞察力を発揮して言った。

「そういう事だよ。ボクの適当に作り上げた【狂気】とは比較にならない【真の狂気】だ。だけど、ボクは君を信じているよ、アルフォンス君」
「……ジャスパー」
「君なら、ボクとは違い、彼女の狂気を真に理解出来る筈だよ。そして、彼女の狂気を見て尚、彼女を救うと決意してくれる筈だ。そう、信じているんだ。だから、ボクは君に見せるのさ。真相をね」

 俺はゆっくりと篩に近寄った。ユーリィの抱いた真の狂気。
 恐れるな。自分自身に言い聞かせ、俺は篩を覗きこんだ。途端、俺は篩の中に吸い込まれるような感覚に襲われ、記憶の世界へと入って行った。 

 俺は気がつくと見知らぬ場所に居た。風が強い。どこかの建物の屋上らしい。誰かのすすり泣く声が聞こえる。
 視線を向けた先には黒い髪の少女が居た。どうして、俺は以前見た時にこの子の事を男などと勘違いしたのだろう。今、改めて見ると、体つきは間違いなく女だった。
 
「ユーリィ!!」

 俺は居ても立っても居られなかった。駆け寄って、ユーリィの肩に手を掛けようとした。だけど、まるで霞のように俺の手はユーリィの体をすり抜けてしまった。

「無駄だよ。分かるだろう? ここは記憶の世界なんだ」

 分かってる。だけど、ユーリィが泣いてるんだ。
 何も出来ないと分かっていても何かしたい。ユーリィが泣いていると胸が張り裂けそうになる。

「愛って、辛いわよね」

 ハーマイオニーが言った。

「愛している相手が苦しんでいるのに何もしてあげられない。それが過ぎ去った記憶だと分かっていても……」

 俺の心情をそのまま言葉にするハーマイオニーに俺は腹が立った。
 まるで、見透かされているような気分だ。

「黙れ」
「……ごめんなさい」

 愛か……。愛を自覚したせいか、俺はユーリィの苦しむ顔を見るのが前より一層辛くなった。
 笑顔を見たい。ユーリィの表情が晴れるなら、俺は何だってしてやれる。
 俺はユーリィを愛している。狂おしいほどに……。
 
「これは、お前が死んだ直後か?」
「そうだよ。ボクの死体はマコちゃんの近くの手摺りから下を覗けば見える筈さ」
「別に見たくねぇ」

 手摺りを一瞥し、鼻を鳴らすと、ユーリィがゆっくりと起き上がった。
 よろよろと手摺りに近づいていく。
 飛び降りる気がと思い、俺は咄嗟にユーリィの手を掴み、そして、すり抜けた。
 ユーリィはそのまま手摺りを掴み、肩を震わせた。

『どうして……?』

 悲しみに満ちた声。まるで、迷子になった幼子が母を求めて泣き叫ぶように、ユーリィは涙を零し、喚き声を上げた。

『どうして、私を置いていったの!? どうして!? 答えてよ!! どうしてなの!?』
 
 言葉の意味は分からない。ユーリィが生前日本人だったのだと分かっていたのだから、日本語くらい覚えとけば良かったと後悔した。
 ただ、彼女が感情を必死に吐き出そうとしているのが分かる。

『私……捨てられたの?』

 膝を折り、絶望に満ちた声で彼女は呟いた。
 何を言っているのかを知りたい。

「マコちゃんはボクに捨てられたんだと思ったんだ」
「どういう事?」

 ハーマイオニーが聞いた。

「ボクに落ち度があったんだ。ボクは彼女に殆ど何も説明しなかった。やっぱり、ボクはただ逃げただけだったんだ……。改めて、この光景を目で見て確信したよ。彼女を取り残して、ボクは逃げたんだ。ああ、彼女の言葉は正しい。ボクは彼女を捨てたんだ」

 苦悶に満ちた表情でジャスパーは言葉を紡いだ。

『……私がレイプされて……、もう処女じゃないから? ママ達みたいに……、私の事を要らなくなっちゃったの?』
 
 翻訳しろと目で訴えると、ジャスパーは苦しそうに顔を歪めた。

「……わしに任せよ」

 それまで黙っていたダンブルドアが杖を振るった。

「すると、景色が一瞬ブレた」
「何をしたの?」

 ジャスパーが問い掛けると、ダンブルドアは言った。

「少々、弄らせてもらった」

 ダンブルドアの言葉と同時にユーリィが呟いた。

『……私がレイプされて……、もう処女じゃないから? ママ達みたいに……、私の事を要らなくなっちゃったの?』

 ユーリィの言葉が分かる。ユーリィの言葉が英語で再生された。
 
「ユーリィ……」

 言葉を分かるようにしてくれたダンブルドアに感謝の言葉を告げる余裕も無い。
 ユーリィの嘆きの言葉が胸に突き刺さった。

『答えてよ……。お願い……、答えて……』

 物言わぬ死体となった恋人を見下ろしながら呟き続ける彼女から俺は視線を逸らす事が出来なかった。
 どうして、俺はそこに居ないんだ。どうして、ユーリィが苦悩しているのに、何もしてやれないんだ。
 異世界の、それも過去の話だとは分かっていても、そう思わずには居られない。

「君は凄いね」

 ジャスパーが言った。

「ボクには見てられないよ、この光景は……。なのに、君はまったく目を逸らそうとしない。本当に凄いよ……」

 自嘲するジャスパーを相手する気にもならない。
 自虐に付き合う余裕など俺には無い。

『……ハハッ』

 突然、ユーリィは肩を振るわせて嗤い始めた。

『アハハハハハハハハハハハハハハハ!!』

 狂ったように嗤うユーリィ。感情の箍が外れてしまったみたいに目からは涙を零しながら嗤い続けている。
 あまりにも痛々しい姿。今直ぐにでも抱き締めたい。そうしなければ、取り返しがつかなくなる。今、この少女を孤独にしてはいけない。
 理性的な考え方で無い事は分かっている。それでも、俺は確信があった。
 ああ、確かにジャスパーはとんでもない間違いを犯した。例え、何があろうと、ユーリィを孤独にしてはいけなかったんだ。

『ハハッ!! アッハハハハハハハハハハ!!』

 壊れていく。人間の精神が壊れゆく姿を俺達は目の当たりにしている。
 頭を抱え、髪を振り乱し、涙を溢れさせ、それでも顔には満面の笑みが張り付いている。
 感情と言う感情全ての爆発。やがて、それが鎮まると、ユーリィは静かに動き出した。真っ赤に腫れ上がった目と狂気に彩られた表情で屋上から階段を降りていく。
 一階に到達すると、ジャスパーの死体に目も暮れず、彼女は学校の敷地を出た。ふらふらとした足取りで辿り着いたのは小さな家。玄関を開くと、ユーリィを待っていたのは母親からの罵声だった。

『今日、塾の先生からまた電話が来たのよ!? また、サボって!! どうして、アンタはそうなのよ!? 高い月謝を払ってやってんのよ!? 少しは瑠璃を見習いなさい!! アンタ、姉なのに勉強も運動も妹に負けて悔しくないの!? 本当に駄目な子なんだから!! まったく、アンタなんて産むんじゃなかったわよ。この親不幸者』

 言葉も出なかった。ユーリィの姿がこの女には見えていないのか? 涙で腫れ上がった目が見えないのか? 産まなきゃ良かったなんて言葉、どうして使えるんだ?
 あまりにも自分の常識と掛け離れた言葉を使う女を俺は母さんやソーニャと同列の母親とはとても思いたくなかった。
 母親は鼻を鳴らし、踵を返して家の奥へ引っ込んだ。
 ユーリィはゆっくりと靴を脱ぎ、家の中に入って行く。

『今、何時だと思ってるんだ?』

 少し広めの――この家の中では――部屋でテレビを見ている男が言った。恐らく、父親だ。

『九時だぞ。まったく、塾を休んで夜遊びか? そんな金、どこにあるんだ? まったく、他所様に顔向け出来ない事をしてるんじゃないだろうな?』

 何だよ、これ……。
 親が子を見る目つきとは思えなかった。父さんやジェイクは決してこんな目で俺達を見たりしない。まるで、自分の家に救う害虫を見るみたいな嫌悪感に溢れた目。
 こんな目とユーリィは向き合ってきたというのか……。
 ユーリィは何も言わずに部屋を出た。すると、丁度部屋から出て来た少女と出会った。小柄なユーリィよりも更に小柄な体躯の少女。髪もボサボサで肌も荒れ気味なユーリィと比べると洗練された女らしさを持っている。

『あ、帰って来たんだ。もう、またその格好? 学ランで学校行くとか正気と思えないよ。ほんっとーに、恥ずかしいんだから、止めてよ!! もう、こんな姉が居るなんて、クラスメイトに知られたらこっちが迷惑するんだから!! 気違いなんじゃないの!? そんな格好平気でするなんてさ!!』

 呆気に取られたのは俺だけじゃなかったらしい。ハーマイオニーは信じられないという表情を浮かべているし、ハリーも表情を曇らせている。
 実の姉に嫌悪感がありありと浮かんだ視線を向け、少女はユーリィを押し退けて父親の居る部屋に向かった。すると、父親の先程とは打って変わった明るい声が響き、ユーリィはクスリと嗤った。

『アハハッ』

 そして、ユーリィは台所にやって来た。台所にはあの母親が居た。
 母親は料理に夢中でユーリィの存在に気付いていない。
 漸く気付いたのは、ユーリィがキッチンの引き出しを開いた時だった。

『アンタ、何してんのよ』

 そう問い掛ける母親にユーリィは答えず、彼女は包丁を取り出すと、迷いの無い動作で彼女の腹部に包丁を突き刺した。
 顔には満面の笑顔。驚愕に満ちた表情で倒れ込む母親の口を近くにあった雑巾で塞ぎ、二度、三度とユーリィは包丁をつき立てた。やがて、母親が動かなくなるのを見届けると、ユーリィは微笑んだまま、台所を出た。
 向かった先は父親が居た部屋。父親は娘と一緒に楽しそうにテレビを観ている。同じ娘に対するとは思えない程、露骨な態度の変わりように驚きすら覚える。そんな彼にユーリィはソッと近づいた。
 足音に気がついた父親はユーリィの全身の返り血に驚愕の表情を浮かべた。そんな彼の首に躊躇い無くユーリィは包丁を振るう。妹は何が起きたのか理解出来ず、目を見開いて首から血を流す父親を見つめている。父親は奇妙な呼吸音を発しながら。首を押えて床に転がった。そんな彼をユーリィは包丁で何度も刺した。何度も何度も刺して殺した。
 その段になって、漸く妹は現実を認識した。姉が父親を惨殺したのだと理解し、必死に逃げ出そうと部屋の出入り口を目指して走ろうとした。
 よほど、慌てていたのだろう。絨毯に足を取られ、妹は転倒してしまった。

『待って!! 待ってよ!! お、怒ってるの!? だ、だって、私悪くないじゃない!! あ、アンタが変な格好したりするから!!』

 妹は必死に叫んだ。死の間際の絶叫が響く。

『止めて!! 止めてよ!! 何考えてるのよ!?』

 ユーリィはそうした妹の命乞いに一切耳を貸さなかった。
 逃げ出そうとする妹の足を包丁で突き刺し、叫び出そうとする妹の口をさっき母親を殺した時に使った雑巾で塞いだ。
 包丁で小さな体が動かなくなるまで何度も何度も突き刺し、ユーリィは満面の笑顔で妹を殺した。

『ハハハ。アッハハハハハ!!』

 テレビ延々と父娘が見ていたテレビ番組の明るい声が響き続けている。
 物言わぬ死体となった家族の体から、ユーリィはゆっくりと首を切り取った。あまりにも惨い光景が広がり、ハーマイオニーは口元を押え、ハリーが寄り添った。彼の表情も青褪めている。
 ユーリィは両親と妹の頭部をゆっくり慎重に二階の自室に運ぶと、自分のベッドに置いた。

『パパ、ママ、瑠璃。少し、待っててね』

 ニコニコと言うと、ユーリィは妹の部屋に向かった。瑠璃の部屋はユーリィの部屋とは比べ物にならない程、物に溢れ、女らしい部屋だった。
 ユーリィは瑠璃の洋服を漁り、いくつか見繕うと部屋を出てシャワーを浴びた。体から血を洗い流し、新しい洋服を着た。
 ほかほかと湯気を漂わせながら、ユーリィは夜の街へと出歩いた。片手にはナップザック。中には包丁が三つ。空いている方の手には一枚の紙。

『一番近いのは……上谷君の家だね』
 
 楽しそうにユーリィは一路、上谷の家に向かった。上谷の家もユーリィの家とあまり変わらない小さな家だった。インターホンを鳴らし、夜更けの尋ね人に迷惑そうな表情で対応しようとした女性をユーリィは刺した。悲鳴を上げさせない為に喉を深く突き刺した。何が起きたのか分からずに居る彼女にユーリィは楽しそうに包丁を突き刺した。
 やがて、異常に気がついたのか、男が現れると、目の前の光景に凍りつく男に向かってユーリィは走り出した。

『アハハッ』

 満面の笑顔で男を突き刺し、ユーリィは苦悶の声を上げる男の体をメッタ刺しにした。ユーリィは家の中をゆっくりと徘徊した。
 家には肝心の上谷君とやらの他にも二人の兄弟が居た。勉強机に向かっていた少女は入って来たのが父親だと思い、追い出そうと声を上げながら振り向き、喉を切り裂かれた。そして、ユーリィは彼女も再びメッタ刺しにする。同じ作業を残る二人にも行う。

『お着替えしなきゃ』

 ユーリィはそう言うと、躊躇い無く服を脱ぎ捨てて、その家の少女の服を物色した。
 お気に入りの一着を見繕うと、皆殺しにした一家の風呂でシャワーを浴び、新しい服に着替えた。

『次は尼崎さんの家が近いかな』

 そうして、殺人鬼となったユーリィは街を練り歩く。
 初めは単純な殺し方ばかりだった。家で到着すると、インターホンを鳴らし、家主が出て来た所を不意打ちする。そして、声を出させないように慎重に事を運び、一家を皆殺しにして男女を問わず、お気に入りの服を持っている人間から服を失敬し、シャワーを浴びて着替える。その繰り返し。
 変化したのは六人目の家族。その家は母と息子の二人暮らしだった。ユーリィは息子を直ぐには殺さなかった。殺した母親をリビングに運び、部屋で勉強に勤しむ息子の背後に忍び寄り、その腕に包丁をつき立てた。その際、口をタオルで押える事は忘れない。暴れる少年の反対の腕も躊躇無く切り裂いて、少年が痛みに呻く様を楽しそうに見つめながら両足を包丁で切り裂いた。
 両腕両足を切り裂かれながらも、少年は生きていた。少年の口をガムテープで塞ぎ、痛みに悶える彼に構わず、彼の腕を引っ張り、母親の遺体が横たわるリビングへ連れて来た。
 母親の死体を見た瞬間、少年はガムテープで口を塞がれながら絶叫した。声無き絶叫を楽しそうに堪能すると、ユーリィは言った。

『但馬君。いつも私にゲームをさせるよね。出来なかったら罰ゲーム。便器の水でうがいをしたり、下半身裸で授業を受けたり、色々させたよね? だから、今日はあなたにゲームをしてもらう事にしたの。ねえ、まだ左腕は少しは動かせるよね?』

 わざと浅く切り裂いたらしく、左腕は辛うじて動いた。リビングに引き摺られる間、但馬は必死に左腕で抵抗を試みていた。
 
『お母さんにあなたが立派な男の子になった事を証明してあげようよ』
 
 そう言って、ユーリィは椅子に但馬を座らせると、下半身を露出させた。必死に抵抗の叫びを上げようとするが、口はガムテープで塞がれていて何も喋れない。鼻から息が噴出す音だけが間抜けに響き渡る。

『じゃあ、ゲームの説明をするね。お母さんにあなたの精子を掛けて上げるの。制限時間は五分だよ。男の子はそのくらいあればいけるんだよね? 山根君と田所君と四十万君と油井君と長谷川君が教えてくれたよ。私の処女を奪って、何度も何度も……』

 但馬は狂ったように鼻息を荒くした。体を揺すり、その度に激痛に苦悶した。

『さあ、タイマーがスタートしたよ。失敗したら、あなたの鼻も塞いじゃうから、頑張って!! 窒息は苦しいと思うよ?』

 ユーリィの言葉に但馬は狂ったように露出した自分の性器をしごき始めた。母親の死体の前で、母親に向かって、同級生の虐めていた女に脅されながら、必死に自慰をした。
 
『ハイ!! 五分経過ー!! 残念だったね!! あんまり、こういうシチュエーションだと興奮出来ない人なんだ、但馬君って』

 明るい声で言いながら、ユーリィはガムテープを手に取った。
 但馬は必死に体を揺らし、ユーリィから逃げようともがく。芋虫のように床を這いずる但馬にユーリィは容易く追い付き、始めに目を塞いだ。そして、一度口のガムテープを剥がすと、但馬が何か言う前に口の中にトイレの水を浸したティッシュを大量に詰め込んだ。
 再び口にガムテープをグルグルと巻くと、ハナにもトイレの水を染み込ませたティッシュを被せ、ガムテープでグルグル巻きにした。
 呼吸が止まり、苦しみもがく但馬を楽しそうに見つめ、やがて動かなくなると、ユーリィは但馬の母親から財布を失敬した。

『ちょっと、道具を使ってみようかな』

 狂気に満ちた殺人鬼は殺人行為と言う作業に娯楽を求め始めた。
 殺人の流れも手馴れ始め、手際良く一家皆殺しを続けた。幼稚園生や赤ん坊や老人も関係無く、みんな殺した。
 時には家族に家族を殺させたりもした。【見せしめ】という行為が如何に効果的なのかをユーリィに教えたのは十番目の一家だった。
 ユーリィは狂いながらもどこか冷静だった。殺し難い家は後回しにした。例えば、マンション暮らしや警備のしっかりした家は後回し。
 十六番目の一家を皆殺しにした時、夜が明けた。夜の九時から始めた殺人漫遊によって、この時点でユーリィは既に百人以上を惨殺していた。 
 ユーリィは十七番目の一家にハルの家族を選んだ。フリフリの白いワンピースを身に着け、同じ手段で家に入り込み、恋人の家族を皆殺しにした。
 ハルの家族は久しぶりに何の趣向も凝らさずに殺した。恋人の家族を弄ぶ事を忌避したのかは分からない。ユーリィは血塗れの服でハルの生前使っていた部屋に入り、ハルのベッドに寝転がった。そして、そこで自慰行為に耽り、二度絶頂を迎え、満足すると家に戻った。
 自宅は咽返るような血の臭いで満ちていた。その中を悠然と歩き、家族の生首が待つ自室に戻ると、ユーリィは安らかな寝息を立てて眠り始めた。
 目が覚めた時、ユーリィの家の周りには警察がたくさん居た。ユーリィを逮捕しに来たのかと思ったが、どうやら違ったらしい。警察はハルの家に出入りしている。きっと、ハルの一家の死体が見つかって、大騒ぎになっているのだろう。ユーリィは色々な家から拝借し、パンパンになった財布を手に、可愛い服を妹から失敬し、こっそりと家を出た。家の裏の塀を越え、裏のマンションの裏庭から正面に回り、堂々と外に出ると、ユーリィは夜を待った。そして、第二夜が開始された。
 朝を迎えると、ユーリィはもう家には戻らなかった。街中にサイレンが響き渡っていた。ユーリィはカラオケボックスで眠った。目を醒ますと、町中で雑誌を見つけた。自分の住む街の名前と連続殺人事件の文字。開いてみると、ハルの顔写真と彼の家の写真があった。そして、カラオケ店の写真も……。
 どうやら、昨夜発行された雑誌らしい。

『今日はどうしようかな』

 町中はパトカーが徘徊していた。もう、今までみたいにはいかないだろう。
 昨夜は一気に二十の家族を皆殺しにした。警察はどうやら殺害されているのがユーリィの通う学校の生徒の家族だと断定したらしい。
 ユーリィは仕方なく、この日は無関係の人間を殺す事にした。この頃にはもうユーリィは人を殺す事自体を楽しんでいた。ユーリィの行動は彼女の意思とは無関係に警察を撹乱した。
 警察はターゲットにされている人間の関係性が掴めないせいか、街中に警察を配備した。そして、ユーリィは生まれ故郷を出た。
 殺せる人間が居たら殺す。徐々にその手口は残虐性を増していき、相手を出来る限り苦しめて殺そうとするようになった。愛する子供の内臓を摘出し、その親に食べさせたり、その逆に親の体をバラバラにして、子供に食べさせたりした。
 俺は否応にも嘗て、ユーリィがクラウチに受けた拷問の内容を思い出していた。

「……同じだ」

 ユーリィが今、行っている事はユーリィが磔の呪文によって受けた拷問と同じだった。
 つまり、そういう事だったのだ。あの拷問の幻惑はユーリィが生前に行った殺人そのものだったのだ。
 前に、父さんが言っていた。

【磔の呪文は確かに幻惑を見せる事もあるが、ユーリィのあれはあまりにも……。クラウチはよほど磔の呪文に精通していたらしいな】

 それは大いなる間違いだった。ユーリィに磔の呪文があれほど効果を発揮した理由はユーリィの生前の行為によるリアリティーだったのだ。
 記憶は延々と続いた。毎日毎日、ユーリィは人を殺した。いつしか、指名手配され、雑誌などでも取り上げられるに至った。問題なのは、雑誌や指名手配の写真とユーリィの容貌がすっかり変わってしまっていた事だ。
 暗い顔の短髪の少女は長い黒髪をはためかせる明るい笑顔の女性になっていた。やがて、長い月日が経った。
 ある日、ユーリィは生まれ故郷に戻って来た。中断していた初期のターゲットを殺すためだった。
 一晩に二十の家族を皆殺しにした。ただ、最後の一家の長男だけは殺せなかった。
 彼はあのユーリィをレイプした男の一人だった。ユーリィに頭を下げた少年だった。彼を殺そうとした瞬間、不意にユーリィは涙を零した。

『もう、いいや……』

 少年の両腕を突き刺した後、涙を零しながらユーリィは少年を放置した。
 そして、そのまま学校に向かった。
 無断で学校の敷地に入り、階段を上がっていく。屋上に辿り着くと、軽い足取りで端まで行った。閉鎖された学校の施錠された屋上は実に静かだった。

『冴島!!』

 屋上の沈黙を一人の少年が破った。あの少年だ。

『あ、長谷川君』
『お、お前……お前は!!』
『ばいばい、長谷川君。私、彼に会いに行くの』
『彼って……小早川の事か!? お前、アイツの事も殺したのか!?』
『そうだよ。私が殺したの。なんで、殺しちゃったのか忘れちゃったけどね』

 ケラケラと嗤うユーリィに長谷川は怒りに満ちた顔を浮かべた。

『お前はたくさんの人を殺した!!』
『うん。凄く楽しかった』
『この人殺し!! お前は悪魔だ!!』
『うん。きっと、そうだね』
『お、お前は……お前は!!』
『そろそろ行くね。バイバイ』

 そう言って、ユーリィは柵を乗り越えた。

『待てよ!! 何で、何でだ!?』

 長谷川は叫んだ。

『どうして、俺を殺さなかったんだ!!』

 その言葉にユーリィは少し迷ってから言った。

『だって、私を助けようとしてくれて、本当に助けてくれたのはあなただけだったから……』
『……冴島』
『ありがとう、長谷川君』

 最後にニッコリと微笑み、ユーリィは仰向けになるように遥か地面目掛けて倒れるように落下した。
 そして、記憶の再生は終わりを迎えた。
 誰も言葉を発しない。想像を絶するユーリィの狂気に誰もが慄いている。
 俺はどうなんだろう。この光景を見て、俺は何を思ったのだろう。全てを呑み込むのに少し時間が掛かった。
 そして、俺は言った。

「じゃあ、ユーリィを助ける作戦会議を始めるか……」

 まともに考えると、俺は相当頭のおかしい人間なのかもしれない。
 それでも、俺はやっぱりユーリィが好きだ。
 この思いは結局何も変わらなかった。ただ、ジャスパーが俺達以外に見せようとしなかった理由は分かった気がする。

「ヴォルデモートからも、アイツ自身の狂気からも助けてやらないとな……」

 ユーリィを助けるという事はただ奪い返せばいいわけじゃない。
 俺は腹を括る事にした。

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