第三十六話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に終わりに向かう聖戦

 アインツベルン城の一室でケイネス・エルメロイ・アーチボルトはキャスターとそのマスターであるアインツベルンの魔術師、そして、アインツベルンが雇った傭兵とその部下を前に緊張した様子も無く、実にリラックスした態度で上質な椅子に腰掛けていた。
 ケイネスの背後では彼のサーヴァントたるランサーが控えているが、その存在を注視する者は一人も居ない。一同の視線はケイネスに対してのみ向けられている。

「さて、面白い事になりましたね。ケイネス殿」

 キャスターは仮面の向こう側から性別や年齢と言ったその存在の正体を示す手掛かりを一切開示しない声色で言った。
 ケイネスは唇の端を吊り上げると言った。

「ああ、よもや敵マスターの討伐という聖杯戦争に於いては当然の行為に令呪という褒賞が付くとはな」
「だからこそ、事は迅速に運ばなければならない」

 口を開いたのはアインツベルンの傭兵だった。
 名前は衛宮切嗣。
 魔術師殺しという彼の異名はケイネスの耳にも届いている。
 悪名高き魔術師の面汚しにケイネスは侮蔑の入り混じった視線を向けた。

「ただ事を速めれば良いというものでは無かろう。敵は対魔力を持つセイバーとライダー。キャスターでは相性が悪く、奴らとまともに打ち合えるのはランサーのみだが、ランサー単騎で打ち破れる程容易い相手では無い」

 ケイネスの言葉にランサーは面目無さそうに顔を伏せた。
 その様子を一瞥すらせずにケイネスはキャスターのマスターたるアインツベルンの女を見た。

「ツェツィーリア・フォン・アインツベルンと言ったな?」

 ツェツィーリアとケイネスに名指しされた女は肯定の意味を篭めて小さく頷いた。
 銀色の髪に赤い瞳というアルビノの特徴を持つ彼女の正体がホムンクルスであるとケイネスは即座に看破していたが敢えて問う事はしなかった。
 アインツベルンのマスターがホムンクルスである事は以前ホムンクルスをケイネスが捕えた時に既に承知の事だった。
 アインツベルンの錬金術の腕にはロードの名を冠するケイネスをして舌を巻く程であり、なるほど、聖杯戦争のマスターとなる事も不可能では無いのだろうと納得した。

「此度の戦は我等の同盟に於ける初の戦闘となる。故、後々に遺恨が残り、同盟関係に支障が出ぬ様にしたい。双方の戦闘時に於ける要求を提示しておきたい」

 ツェツィーリアはケイネスの言葉に頷くと口火を切った。

「此方からの要求は二つ。ランサーに前衛で戦って頂く事。そして、私のサーヴァントの助力を受け入れて頂く事です」

 ツェツィーリアの言葉にランサーはピクリと眉を動かしたが、ケイネスが黙しているのを見て再び顔を伏せた。

「私のサーヴァントは御承知の通り、キャスター……即ち、魔術師のサーヴァントです。対魔力を持つ三騎士、並びにライダーのサーヴァントとは相性が悪く、直接的な戦闘も不得手ですから」

 代わりに、とツェツィーリアはケイネスの背後に控えるランサーに視線を向けた。
 ランサーが顔を上げるのを確認すると言った。

「ランサーに対して全力でバックアップを行いたいと考えております。キャスターの魔術によるバックアップを受ければ、ランサーの力は格段にアップする事でしょう」

 ツェツィーリアは確認を取るように隣席に座るキャスターを一瞥した。
 キャスターは仮面は頷き返すとケイネスに対して告げた。

「私の魔術によるバックアップを受け入れて頂けるならばランサーの全ステータスを向上させる事が可能です」
「数値的にはどのくらいかね?」
「現在、ランサーのステータスは筋力B、耐久C、敏捷A+、魔力D、幸運E。私の魔術の恩恵を受け入れて頂ければそれら全ステータスを総じて一ランクから二ランクずつ上昇させる事が可能です」
「なるほど、全ステータスの向上か……。他には何かあるのかね?」
「無論、それだけではありません。ランサーがセイバー、ライダーを相手に戦っている合間、私達は敵マスターに対し攻撃を加えます。そうなれば、セイバー、ライダーの動きは制限され、ランサーの勝率は格段に跳ね上がると考えられます」
「成程、そちらの要求は理解した。では、此方からの要求を言わせてもらおう」

 ケイネスは言った。

「ランサーの前衛、並びにキャスターの助力は受け入れよう。代わりに此方から要求するものは一つだけ、褒賞たる令呪の権利が欲しい」

 ケイネスの大胆不敵な言葉に驚きの声を上げたのは誰あろうランサーだった。
 当然だろう、令呪とは聖杯戦争の結末をも左右する強力なカードだ。
 聖杯戦争の参加者ならば追加の令呪という褒賞は誰もが保有したいと考えるだろう。
 キャスターとて例外では無い筈だ。
 後々、共闘の末に褒賞の所有権を争う事になろうとも、今、敢えてそれを口にするのは愚行でしかない。
 ケイネスが考えが読めず、ランサーは思わず声を上げそうになるが、それを制するかの様にキャスターが口を開いた。

「その要求、御受け致しましょう」
「なんだと……?」

 思わずランサーは顔を上げてキャスターを見た。
 キャスターの表情は見えないが、マスターやその仲間達に異論は無いらしい。
 それがあまりにも不可解であり、ランサーは思わず頭を抱えそうになった。

「ほう、この要求を呑むか……。まあよい、なれば早々に作戦を練るとしようか」

 ケイネスの言葉に応じ、主に口を開くのはやはりキャスターであった。
 その時点でランサーは一つの仮説を立てた。
 アインツベルンのマスターは傀儡となっているのではないか? というものだ。
 キャスターは魔術と姦計に優れた英雄がそのクラスに該当する。
 その姦計の手が及ぶのは何も敵陣のマスターやサーヴァントだけとは限らないのかもしれない。
 そう考え、ランサーは警戒心を高めた。
 そう、その姦計の手が伸びるのは何も敵だけとは限らないのだから……。

 会談が終わり、ケイネスが席を立つと、ランサーは後に続いた。
 部屋に戻るとランサーは堪らず口火を切った。

「ケイネス殿。やはり、キャスターは信用出来ませぬ」

 ランサーの言葉にケイネスは無言を貫いた。
 ランサーは尚もケイネスの名を呼んだ。
 すると、ケイネスはゆっくりと口を開いた。

「お前は私の判断を信用出来ぬと言うのかね?」

 ケイネスの言葉にランサーは言葉が詰まった。

「……簡単な話だ」

 ランサーが黙したまま顔を伏せるのを見ると、ケイネスは朗々と語った。

「奴等は我々が不利になる事をしないという確信があるのだ。尤も、最後は分からぬが、残るサーヴァントがお前とキャスターのみになるまでは奴らは決して裏切らない」
「その根拠とは……?」
「それをお前に話すと思うか?」

 ケイネスは冷たい眼差しをランサーに向けた。

「私の決断を信用出来ぬとほざく者に対し、これ以上話す事は無い。この期に及んで私の決断の根拠を要求するような愚か者には特にな」

 ケイネスの言葉にランサーは慌てて謝罪の言葉を重ねた。
 ケイネスは再び口を開く事無く瞑目した。
 沈黙が続き、ランサーはけれど姿を消そうとはしなかった。
 ケイネスが苛立った視線を向けると、ランサーは意を決した様子で口を開いた。

「ケイネス殿。少し、話を致しませぬか?」
「話だと?」

 ケイネスは意外そうに眉を僅かに上げた。

「私は貴殿の事を知りたいのです。何を思い、何を願い、この聖杯戦争に参加したのか」

 ランサーの瞳は真っ直ぐにケイネスの瞳を捉え、ケイネスはしばらくの間無言を貫いたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「何を言い出すかと思えば」

 ケイネスは備え付けのポットの下へ歩き、カップに紅茶を注いだ。
 椅子に戻ると、紅茶の香りを嗅ぎ、ゆっくりと視線をランサーに向けた。

「ならば、貴様から話して聞かせよ」

 ケイネスは一口紅茶を啜ると言った。

「貴様の話に私が語るだけの価値があったならば聞かせてやろう」
「御意」

 ランサーは頭を垂れると語った。
 嘗ての己の過去と己が胸に抱く悲願をランサーはケイネスに語り聞かせた。

 ディルムッド・オディナという英雄が居た。
 フィアナ騎士団随一の俊足を持ち、二振りの剣と二振りの槍を手に戦場を駆ける勇者であった。
 彼は誰に対しても優しさを持って接し、どの様な苦境にも挫ける事無く己が力で打破しようとする胆力があった。
 それ故に彼は多くの友を持ち、フィアナ騎士団の団長フィン・マックールからも強く信頼されていた。
 誉れ高き男、ディムルッドの人生に影を落としたのはフィンの胸に去来した寂しさであった。
 フィンは妻と死別して久しく、新たな妻を求めた。
 フィンの息子であり、ディムルッドの友でもあったアシーンという男は父の為に一人の若く美しい女性を見繕った。
 女性の名はグラニア。
 エリンの王コーマックの娘である彼女にフィンは一目惚れをした。
 フィンは間も無く彼女に求婚し、彼女の父であるコーマックは一も二も無く受け入れた。
 当時、既に伝説的な英雄であったフィンの妻となる事は大変な名誉であったからだ。
 だが、肝心のグラニアはフィンとの婚約を望んではいなかった。
 フィンは既に老齢に差し掛かっていて、グラニアは老人に体を許す事が我慢ならなかったのだ。
 グラニアの思いとは裏腹に婚約の話は順当に進んでいき、ついに結婚式の日が近づいた。
 フィンは己が最も信頼する二人の騎士、アシーンとディルムッドにグラニアを迎えに行くよう命じた。
 グラニアと対面したアシーンとディムルッドは嫌がるグラニアを説得しようと言葉を重ねたが、グラニアは断固とした態度を取り続けた。
 そして、ついに彼女はこのような事を言い出した。

『二人の内のどちらでも構いません。私を連れて逃げなさい』

 彼女の言葉にアシーンは父を裏切れぬし、義母となる女性を誑かすわけにはいかぬと拒絶した。
 ディムルッドも唯一無二の主たるフィンを裏切る事は出来ぬと拒絶した。
 グラニアは尚も執拗に二人に迫った。
 そして、終にはディムルッドの誓った誓約を利用する事を思いついた。
 女性の命令には逆らわないという制約の為にディムルッドは已む無くグラニアの願いを聞き入れた。
 アシーンはディムルッドに同情し、父を説得しようと動くが、フィンは息子の言葉に聞く耳を持たず、ディムルッドの捜索に乗り出した。
 ディムルッドはフィンの率いる騎士団によって幾度も窮地に立たされるが、その度に己が力で窮地を乗り越え、十六年という長い年月をグラニアと共に過ごした。
 その頃にはフィンもディムルッドの行いを許していた。
 しかし、フィンは内心では未だディムルッドを許してはいなかった。
 彼は言葉巧みにディムルッドを狩りに連れて行き、そこでディムルッドが殺してはならないという誓約を持つ猪に彼を襲わせた。
 ただの猪では無く、強大な力を持つその獣にディムルッドは致命傷を受けた。
 そんな彼にフィンは救いの手を差し伸べる振りをするばかりで彼を助けはしなかった。
 終生の折、ディムルッドは思った。
 
――――ああ、私は許されてなどいなかったのだ。

 と。

「それで、貴様は何を願うのだ?」

 ケイネスは問うた。
 誓約を利用し、ディムルッドを利用したグラニアも彼を卑劣な罠で殺害したフィンも恨んで余りある相手だ。
 当然、ランサーの真の願いはその恨み辛みの中にある事だろうとケイネスは考えた。
 だが、返って来た答えはケイネスの想像の範疇外のものだった。

「私は今度こそ、忠義を全うしたいのです」
「忠義だと……?」

 理解し難いその言葉にケイネスは眉を顰めた。

「私は生前に己の主に対する忠義を全うする事が出来ませんでした。騎士として、私はそれが我慢ならないのです」
「虚言を弄するつもりか」

 ケイネスの鋭い言葉にランサーは首を振った。

「嘘偽り無き私の思いです」
「その様な妄言を私に信じろというのか? 忠義を全うしたいなどと」
「確かに、理解しては頂けないかもしれません。ですが、騎士にとって、忠義とはそれだけ価値があるものなのです」

 曇り無い瞳でそう告げるランサーにケイネスは鼻を鳴らした。
 ケイネスには到底理解が及ばなかった。
 見返りを求めない忠誠など無い。
 打算の無い忠義など無い。
 人が誰かに付き従うのはそこに己の利があるが故だ。
 利の無い忠義など信じる事は出来ない。
 それが魔術協会という魔窟に身を置き続けたケイネス・エルメロイ・アーチボルトが出す結論だった。
 しかし、

「価値がある……か」

 ケイネスは口の中で転がすように言った。

「では、貴様は忠義によって褒賞を得たいのではなく、忠義そのものこそを褒賞と言いたいのか?」

 ランサーが頷くのを見て、ケイネスは瞑目した。
 ランサーは願った。
 主が理解してくれる事をでは無く、主が己を信じてくれる事を。

「……私は武勇が欲しかったのだ」

 ケイネスはそう、ゆっくりと口にした。
 ランサーはハッとした表情を浮かべ、神妙に耳を傾けた。

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトという男は一言で言えば天才だった。
 幼少の頃から他者よりも一歩抜きん出ていたケイネスに手に入ら無い物は無く、敢えて聖杯に望むような願いなど持ち合わせてはいなかった。
 ならば、彼が何故聖杯戦争などという危険な戦に臨んだのか?
 その答えは酷く単純だった。
 彼はただ一つ、未だ持たぬ武勇を欲したのだ。

「武勇……」

 主の口から発せられたあまりにも意外な言葉にランサーは思わずオウム返しをしてしまった。

「そうだ。私は欲しいだけの名声を得て来た。だが、ただ一つ、私が持ち得ないものがあった」
「それが、武勇であると?」

 ケイネスは頷いた。

「忠義を全うする事が貴様の願いだと言うなら、此度の戦では決して敗北は許さぬ。今度こそ、その忠義を持って私に武勇を国へ持ち帰らせるのだ」
「御意!」

 ケイネスの命にランサーは深く頭を下げた。
 今、この瞬間に己は主と真の意味で繋がる事が出来たと感じた。
 そう、主たるケイネスもまた、聖杯に願う祈りなど無く、あるのはただ純粋な勝利に対する渇望のみ。
 
――――キャスターの思惑、ケイネス殿の思案、分からぬ事は山あれど、マスターの騎士たる己が為すべき事は一つだけ――――主に勝利の栄冠を。

 時計の短針が8時を指し示すのを遠坂凛は己の布団から這い出て確認した。
 終わらぬ悪夢を見続け、凛の心は酷く消耗し、瞳は虚ろとなっていた。

「凛、入っても構わないかい?」

 部屋をノックする音が聞こえ、続けて凛の最も苦手とする男の声が聞こえた。
 凛は僅かに顔を顰めながら「どうぞ」と言った。
 案の定、入って来たのは父でもアーチャーでも無く、言峰綺礼だった。
 綺礼は凛の顔を見ると凛に向かってハンカチを差し出した。

「まずは涙を拭え。レディーは早々人前で涙を見せるものではないよ」

 綺礼の言葉にいつもの凛ならば激昂しただろうが、今の凛はそうした覇気が微塵も残されていなかった。
 無言のまま、虚ろに室内に視線を巡らせる凛に綺礼は苦笑を洩らした。

「らしくないな、凛」
「……何がですか?」

 少し苛立った声で凛は問うた。
 綺麗は言った。

「いつもの君ならばとうに飛び出していただろう。くよくよ悩むなど、全くもって君らしくない」
「何が言いたいんですか?」

 凛は睨むような目付きで綺礼を見た。
 綺礼は口元を緩め言った。

「ただ、黙って閉じ篭っている事が君の為すべき事なのかね?」

 綺礼の言葉に凛は胸に湧き上がる感情を押し留める事が出来なかった。
 突き上げる衝動に任せ、凛は綺礼に向かって吠えた。

「じゃあ、どうすればいいって言うの!?」

 凛の激昂に綺礼は黙したまま凛を見返した。
 答えを返さない綺礼に凛は叫んだ。

「答えてよ!! 教えてよ!! 私はどうすればいいの!?」
「そんな事は知らぬよ」

 そう、綺礼は突き放す様に言った。

「…………え?」

 凛は戸惑いの声を発した。
 答えをくれると甘い期待をしていただけに綺礼の言葉はあまりにも予想外だった。
 綺礼は呆気に取られた表情を浮かべる凛に微笑を零した。

「それは他の誰かが出すべき答えでは無い。凛、君自身が出さねばならんのだ。だが、ヒントくらいならば言えよう」

 綺礼は凛の傍まで歩くと、膝を折って凛に目線を合わせた。

「己が望みに正直になれ。私から言える事はそれだけだ。迷うのは君が君自身の出した答えから目を逸らしているからに過ぎない。導師の娘として、魔術師として、そういった柵を一度忘れて、一人の遠坂凛に立ち戻ってみるがいい」

 綺礼の言葉に凛はハッとした表情を浮かべた。

「時臣氏は間桐桜を君に殺させるつもりだ」

 綺礼は語った。
 時臣の企てた策略と間桐桜の現状について。
 凛はその事実の衝撃に必死に耐えた。
 そして、綺礼の語った言葉の一つ一つを噛み締めた。

「答えを出すのは己自身以外にはあり得ない。親の敷くレールすらも己の選択肢の一つに過ぎぬのだ。それを努々忘れぬ事だ」
「……ありがとうございます」
「何、ただの老婆心だよ。アサシンは願っていた。凛、君の人生が幸福なものとなる事を……。精々、後悔しない道を歩む事だ」

 そう言い残し、綺礼は部屋から立ち去って行った。
 凛は涙を拭い、ベッドから立ち上がった。
 既に、凛の胸に去来する思いは一つに定まっていた。
 
――――桜を助けなきゃ。

 それが凛の下した結論だった。夢の中で、未来の凛とアーチャーは桜を切り捨てた。現実でも、父は桜を切り捨てた。何が正しいのか、何が間違っているのか、今の凛には判断が出来なかった。だから、自分の正しいと思った事をする事にした。
 一階へと降り立ち、居間に向かう。そこには己のサーヴァントと父が待っていた。

「凛、綺礼から言伝は聞いたな?」

 時臣の問いに凛は頷いた。時臣は凛とした表情を浮かべる凛に満足気に微笑み、視線をアーチャーに向けた。アーチャーは感情の見えない顔で凛を真っ直ぐに見つめている。
 凛もまた、アーチャーを真っ直ぐに見つめ返した。そして、確りとした口調で己がサーヴァントに告げた。

「アーチャー。桜を助けるわ。だから、アンタの力を寄越しなさい」

 凛の言葉に時臣は瞠目した。
 アーチャーもまた驚いた表情を浮かべている。

「凛。桜を助けると言うのは、桜を討伐しないと言う事か?」

 険しい表情を浮かべ、時臣は低い声で問うた。
 されど、凛は臆した様子も無く、確りと時臣の視線を捉え、胸を張って答えを返した。

「その通りです」
「凛。桜は魔術師として重大なルール違反を行ったのだ」

 時臣は言った。

「魔術師とは人の倫理の外にある存在だ。故にこそ、己が定めた掟を厳守しなければならない。桜はそれを怠り外道に堕ちた。外道に堕ちた魔術師を排斥する事は土地の管理者の責務であり、それが肉親であるならば尚更放任してはならない」
「それでも、私は桜を救います」
「凛。桜は下手をすれば魔術協会によって粛清されるかもしれない運命にある。救いの手を伸ばす事でその粛清の手がお前に伸びる可能性もある。そうなれば遠坂の家名までが穢れる事になるのだぞ」
「分かっています」

 凛は言った。

「遠坂の次代頭首として真に決断すべきは桜を討伐する事なのでしょう。ですが、私は遠坂の頭首である前に、魔術師である前に、あの子の……桜の姉なのです」

 凛の言葉に時臣は瞑目した。
 そんな時臣に対し、凛は言った。

「魔術師であるより、遠坂の頭首であるより、私はあの子の姉でありたい」

 凛は言葉を発すると同時に何か、体を縛っていた錘が取れるのを感じた。きっと、己はアーチャーの知る遠坂凛にはなれないだろう。父の望む遠坂凛にはなれないだろう。己が理想とした遠坂凛にはなれないだろう。だけど、これでいい。
 凛は晴れ晴れとした表情で告げた。

「私は桜を助けます。アーチャー、今一度言うわ」

 凛は視線をアーチャーに向けた。
 アーチャーは黙したまま、真っ直ぐに凛を見返した。

「私に力を寄越しなさい。あの子を救う為に」
「その決断に後悔は無いか?」

 アーチャーの問いに凛は笑みを持って返答した。

「当然よ。だって、大好きなんだもん!! 桜を――――」

 凛は胸に募った思いの丈を吐き出す様に言った。

「好きな子の事を守るのは当たり前でしょ」

 アーチャーは目を見開いた。
 凛の言葉に忘れていた最後の記憶が蘇った。
 あの日、あの小さな公園で、あの小さな姉が己に教えてくれた誰もが当たり前に知っている、己が受け入れる事の出来なかった答え。

『好きな子の事を守るのは当たり前でしょ。そんなの、わたしだって知ってるんだから』

 そう、何かを味方する事の動機を彼女は教えてくれたのに、そんな事すら理解出来なかった。
 
――――違う。理解出来なかったのでは無い。理解したく無かったのだ。

 本当は判っていた。
 今まで守ってきたモノと、あの時守りたいと願ったモノ。そのどちらが正しくて、どちらが間違っているのか、そんな判断くらい出来ていた。だけど、己が選んだのは前者だった。
 己を生かすもの。己を生かしてくれたものに背を向ける事が出来なかった。信じたものを曲げる事は出来なかった。救えなかったものの為にも、これ以上、救われぬものを出してはならない。そんな言葉で本心を覆い隠し、彼女を殺した。

「――――ああ、好きな子を守るのは当たり前の事だ。そんなの、私だって知っているさ」

 アーチャーは言った。

「でしょ? だから――――」
「ああ、私の力は君の力だ。存分に振るうが良い。そして、思う存分、彼女を助けたまえ」

 偉そうに、アーチャーはそう告げた。

「ええ、思う存分こき使ってあげるわ。行くわよ、アーチャー!!」
「ああ、行こう、マスター」

 アーチャーは凛を抱えた。
 時臣は諦めた様に溜息を零した。

「生きて帰って来なさい」

 それだけを告げ、瞼を閉ざした。

「ありがとうございます、お父様」

 凛が戦場に出る事にも口を挟まずに居てくれた父に感謝しながら凛はアーチャーと共に立ち去った。

「行きましたか」

 凛と入れ替わりに部屋には綺礼が入って来た。

「君は凛に何と言って説得したのかね?」

 時臣はジロリと綺礼を睨み付けた。
 綺礼は肩を竦めて見せた。

「桜は助からない。どうあってもだ。あそこまで、壊れてしまってはな……」

 綺礼は時臣の言葉に応えなかった。
 ただヒッソリと、居間の入り口に佇み、時臣の言葉に耳を傾けた。

「凛は桜を殺すだろう。だからこそ、せめていざ手を汚す段になる前に覚悟を決めさせてやりたかった……」
「ですが、御息女はきっとどの様な言葉を重ねようとも同じ結論に至ったと思います」
「……ああ、そうだな。厳しいが、これも凛の為か」

 時臣は窓からアーチャーと凛の飛び去る姿を見つめた。
 そして……、

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