第三十七話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に始まる最後の激闘

「姉さん、私を殺しに来たんですね」

 桜は微笑みながらそう言った。凛はその言葉に何も言い返さない。口を開けば、震えた声で懇願してしまいそうだからだ。
 元の優しい桜に戻って欲しい。自分の下に帰って来て欲しい。そんな妄言を吐いてしまいそうになるから、何も言わない。
 桜と戦う。そんな事、夢にも思った事は無かった。例え、遠く離れたとしても心は通じ合えると信じていた。だけど、現実は違う。自分は桜の苦しみに気付いてあげられなかった。そして、今、互いにこうして殺し、殺される立場になり、向かい合っている。

「――――桜」

 声の震えを気付かれない為に短く、囁くような声で凛は告げた。

「私は貴女の姉として戦う」

 凛は静かに体内で魔力を循環させた。手の甲に宿る三つの奇跡に意識を集中させる。
 アサシンはもう居ない。アーチャーは単独で目の前の二騎のサーヴァントと戦わなければならないのだ。
 セイバーとライダーは桜とその隣に立つ雁夜を守る様に立ち塞がっている。
 凛は雁夜に顔を向けた。変わり果てた彼の顔を凛はこの時初めて見た。それが桜を救う為の力を得た代償なのだろう事は直ぐに察しがついた。だから、胸中で凛は雁夜に感謝した。
 たった一人でも桜を救おうと動いてくれた存在が居た事に。凛は大きく息を吸うと、令呪の浮かぶ手の甲をアーチャーに向けた。その動作に桜はセイバーとライダーを嗾けるが、二騎の前に十を超える刀剣が降り注ぎ、寸での所で静止する。
 その一瞬の隙を突き、凛は呪文を口にした。

「Anfang. Vertrag. Ein neuer Nagel,Ein neues Geset, Vorbehaltlich eines Sieges versprochen wurde!!」

 凛の持つ三画の内の一画が消滅する。それと同時にアーチャーの体を膨大な魔力が包み込む。
 令呪によるステータスの向上。それだけが凛に出来る最大限の援護だった。アーチャーは両の手に白と黒の夫婦剣を投影し、セイバーとライダーを睥睨した。すると、僅かにセイバーの視線が動いた。
 視線は二騎に向けたまま、アーチャーはセイバーの視線の先の気配を探る。

「二騎のサーヴァントを同時にとは、聊か欲張り過ぎではないか? なあ、アーチャー」

 そう、低く溌剌に月下の下で、赤と黄の槍を握る騎士は言った。

「ランサーか」

 アーチャーの隣にランサーは降り立った。
 以前、郊外の森で刃を交えた時とは雰囲気が異なる事にアーチャーは違和感を覚えた。

「少なからず因縁があるものでな。セイバーの首は我が槍の勲とさせてもらいたい」

 清廉な闘気を纏い、ランサーのサーヴァントは真っ直ぐにセイバーを見つめ言い放った。
 凛は突然の乱入者に戸惑うが、アーチャーは冷静に凛に問うた。

「判断は君に委ねる。マスター」

 その一言で凛の思考は切り替わった。
 桜の姉として、アーチャーのマスターとして、一人の遠坂凛として、凛はアーチャーの背に向かって告げた。

「アーチャー、ライダーを倒しなさい!!」
「了解した、マスター!!」
「感謝するぞ、アーチャーのマスター!!」

 赤と青。二人の騎士は同時に駆け出した。それと同時にライダーとセイバーもまた大地を踏み鳴らし、戦場を駆けた。
 激突の衝撃に凛は吹き飛ばされないよう踏み止まるので精一杯だった。僅かに見えたのは紅の華が咲き乱れ、ライダーの宝具が夜天を疾走する姿のみ。雷鳴を鳴り響かせ、天空を駆るライダーに向け、アーチャーはすかさず弓と螺旋の剣を投影した。
 放たれる螺旋の矢は空間を捩じ切りながらライダーを貫かんと迫るが、ライダーは巧みに宝具を操りアーチャーの矢を難なく避けて見せた。音速を遥かに超えた攻撃を容易く避けるその技量はまさしく騎乗兵の英霊に相応しい技量であったが、既にアーチャーの手には先程とは異なる剣が装填されている。
 紅の歪な矢が一直線にライダーに迫る。ライダーは宝具を翻して回避するが、まるで矢は生きているかのように軌道を変え、再びライダーを追跡する。その間にアーチャーは再びその手に紅の矢を構えている。

「凛!!」

 ハラハラとしながらアーチャーとライダーの戦いを見る凛に無数の蟲が迫った。アーチャーの声に間一髪で凛は防壁を張る事に成功した。魔術刻印によるシングルアクションの障壁形成は自分でも吃驚するくらい上手くいった。だが、喜んでばかりも居られない。
 咄嗟に張った障壁は強度が弱く、迫る鋭い刃を持った蟲の軍勢に対して徐々に罅を入れられている。凛は時臣から護身の為に持たされていた宝石を一つポケットから取り出すと呪文と共に蟲の軍勢目掛けて投げつけた。赤い宝石が砕けると同時に紅蓮の炎が巻き起こり、差し迫る蟲共を焼き尽くしていく。その光景はまるで昨夜の再現の様で凛は胃の内容物が込み上げてくるのを堪えられなかった。

「汚いですね。人様の庭に粗相をするなんて、お行儀が悪いですよ、姉さん」

 吐瀉物を撒き散らす凛に桜の冷たい声が響く。その言葉で蟲を操っているのが桜なのだと理解した。凛は口を袖で拭うと桜を睨み付けた。
 桜の周囲には無数の蟲が滑空している。その隣で雁夜は凛を真っ直ぐに見つめる。やがて、雁夜は意を決したように凛に声を掛けた。

「凛ちゃん」
「雁夜おじさん……」
「今夜は俺も君と戦うよ」

 息を呑む声は誰のものか、凛はただジッと雁夜を見つめた。
 操られているわけでは無い。ただ、彼の瞳に浮かんでいるのは固い決意だけだった。

「俺は桜ちゃんを救う。その為に君が邪魔をするというなら君を倒す」

 雁夜の宣言と共に蟲の数は一気に倍増した。
 桜と雁夜の背後はまるで壁の様に蟲が滑空し、今にも飛び出さんとしている。

「来い!!」

 魔術刻印に魔力を流し込み、ポケットに詰まった宝石を掴み取る。
 その動作に応じる様に蟲の大群は一斉に動き出した。

「燃やし尽くす!!」

 五大要素使い――――アベレージ・ワンの能力を如何なく発揮し、凛は父が長年魔力を篭め続けて来た炎の魔力が宿る宝石の力を次々に解放して行く。
 桜と雁夜の使役する翅刃虫という凶暴な肉食虫は為す術無く凛の炎によって燃やされていく。
 
――――イケる!!

 凛は確信すると同時に大地を踏み鳴らした。
 駆ける。
 炎の魔力は凛の体を包み込み、凛以外の全てを燃やし尽くす。
 けれど……、

「馬鹿ね、姉さん。ここをどこだと思っているの?」

 桜は唇の端を吊り上げて言った。
 それと同時に大地が不気味に隆起した。
 咄嗟に風を操り空中へと退避すると、地面の中から無数の蟲が弾ける様に飛び出して来た。

「ここの……間桐の屋敷の周囲、半径約百メートルは間桐の工房のエリア内。地面の中には間桐の蟲が無数に放たれている」

 その言葉が真実であると証明するかの様に次々に地面が盛り上がり、そこかしこから無数の蟲が飛び出して来る。

「私は誰かに魔術を習うなんて事は無かった」

 桜は吐き捨てる様に言った。
 今まさに魔術を行使している桜の矛盾した言葉に凛は戸惑うが、桜は構わずに言った。

「私はね、姉さん。私を拷問する人達のやり方を見て覚えたのよ。どうすれば蟲を操れるのか、どうすれば人を傷つけられるのか、私は身を持って体験して、学んだのよ。だから、この力は私の痛みそのもの。じっくりと、姉さんにも味合わせてあげるわ!!」

 嗜虐の笑みを浮かべ、桜は蟲を嗾けた。
 その数は一目で数えられる量では無く、凛にして見れば、まるで暗闇に覆い尽くされるようなものだった。

「桜の痛みを分かってあげたい。でも、私は倒れるわけにはいかないのよ」

 凛は宝石をばら撒き、全ての宝石の魔力を解放した。
 紅蓮の炎はまるで龍のようだった。
 紅蓮の大蛇が蜷局を巻いて蠢き、無数の蟲を焼き払っていく。
 闇夜を真昼の如く照らす煉獄の炎に桜は思わず後ずさった。

「こんな……ッ」
「あんまりお姉ちゃんを嘗めるんじゃないわよ!!」

 凛が叫ぶと同時に地中から新たな蟲が湧き出す。
 雁夜が使役する翅刃虫だ。
 動揺する桜とは裏腹に雁夜は冷静に凛を狙っている。
 それが戦闘経験の差なのだろう。
 雁夜は今までマスターとして幾度もサーヴァント同士の戦いをその目に焼き付けて来た。
 今更、この程度の現象は雁夜にとって驚くに値しない。
 
――――強い。

 初戦闘。
 その上、まだまだ未熟な駆け出し魔術師とはいえ、遠坂時臣という一流の魔術師に仕込まれ、彼が永い時を掛けて用意した礼装を使っているにも関わらず攻め込む事が出来ないのは雁夜の存在があるからに他ならない。凛の瞳には桜と雁夜の使役する蟲がそれぞれどちらのものなのかが手に取るように分かった。何故なら、蟲の動きが全く違うからだ。
 桜の蟲は攻めるのを急いて常に一直線にしか凛を狙わない。反対に雁夜は縦横無尽に蟲を動かす。ただ、一直線に向かってくるだけならば幾らでも対処は出来るが、こうも複雑な動きをされている状況下で冷静に思考出来る程凛は戦闘慣れをしていない。
 宝石のストックには限りがある。その前に勝負を着けなければ敗北するのは己の方。凛は意を決し、切り札に手を掛けた。

 凛の戦いを背景にアーチャーは己の戦いに集中していた。
 凛が真に危険ならばラインを通じて分かる。
 それだけに注意を払い、アーチャーは更なる矢を上空に向けて放った。
 これで十。
 追尾性の矢のみを悉く宝具の疾走で撃ち落し、それ以外の行為力の矢は軽やかに回避する。

「妙だな……」

 アーチャーはライダーが令呪によって従わされていると考えていた。
 元々のライダーの性格は直接対面したわけではないから又聞きだが、アサシン曰く、豪放磊落であり、衛宮の屋敷に現れた彼の様相とはあまりにも懸け離れていた。
 加えて、アサシンの評価ではライダーは進んで主替えに賛同するタイプでは無かったらしい。
 だからこそ、ライダーはただの傀儡だと考えていた。
 だが、この動きは傀儡の出来る動きでは無い。
 
――――違う。こいつは……ッ!

 その時だった。
 背後の凛の戦場で一際強大な炎が立ち昇った。
 紅蓮の大蛇が鎌首を擡げ、桜と雁夜を襲おうとしている。
 それを止めようと、ライダーは凛の戦場目掛け、雷鳴を轟かせ疾走した。
 アーチャーはそうはさせんと一息の内に五つの矢を投影し発射した。
 その矢を避けようともせず、ライダーは獰猛な眼差しをアーチャーに向けた。

「やはり、貴様――ッ」

 アーチャーが言い切る前にライダーの体が光が迸った。
 光は矢を包み込み、アーチャーを取り込み、凛の放った炎の龍を呑み込んだ。

「やはり、貴様は操られてなど居なかったのだな」

 アーチャーは果て無き蒼穹の続く砂漠にライダーと対面して立ち、言った。

「いやいや、正気を取り戻したのはつい先刻の事だがな」

 ライダーは快活に笑いながら肩を竦めて見せた。

「主を殺されながら、尚付き従うと言うのか……?」

 アーチャーの問いにライダーは嗤った。

「そこまで殊勝であるように余が見えると申すか?」

 豪快に笑うライダーにアーチャーは首を振った。

「ならば、何故だ? 恨んでいるのではないのか?」

 アーチャーの問いにライダーは鼻を鳴らした。

「坊主を死なせたのは余の失態だ。配下を死なせた時、その罪は誰にあると思う? 敵か? 配下自身か? 否、その罪の在り所は采配者たる王――――即ち余にあるのだ。故に己を恥じ、己に憤怒する事はあれ、敵を恨むなどあり得ぬ!! まあ、怒りはするがな」

 片目を閉じ、茶目っ気たっぷりに言うライダーにアーチャーは思わず呆れてしまった。
 器がでかいというレベルでは無い。 

「さあ、言葉を重ねるのもここまでとしようではないか!! 余の真意を知りたくば勝つが良い!! だが、容易には勝たせぬぞ。貴様が挑むは征服王イスカンダルたる余が誇る最強宝具――――王の軍勢である。だが、恐れずして掛かって来るが良い!!」

 ランサーとセイバーの戦闘はまさに演舞の様だった。
 もっとも、見えていればの話ではあるが……。

「さすがに早いな、ランサー」
「貴殿も随分と動きのキレが良いではないか」

 二人は開戦の時点で既に音速を超えて動いている。
 人間の目では視認する事が叶わぬ超常の戦いに空気は震え、大地は罅割れる。剣と槍がぶつかり合う度に空気が悲鳴を上げ、二人が動く度に周囲の樹木が、家屋の塀が、コンクリートの地面が粉砕する。
 剣の英霊と槍の英霊。両者の実力は完全に拮抗していた。キャスターの魔術による恩恵を受けたランサーのステータスは幸運と魔力を除き、軒並みAランクに届き、敏捷性に至っては最高値であるA++だ。だが、人の魂を捕食した桜から雁夜を経由して供給される許容量を超える強大な魔力を得て、更に無毀なる湖光の恩恵を身に受けるセイバーのステータスもまた軒並みAランク。
 筋力と耐久、敏捷性に至ってはA++に届いている。圧倒的な戦闘力を保有するセイバーに対してランサーが拮抗している理由は一重に相性の良さだった。ランサーの破魔の紅薔薇はセイバーの無毀なる湖光と打ち合う度に無毀なる湖光の力を一々解除するのだ。
テータスの上昇と低下を繰り返し、セイバーは強烈な不快感と共にランサーを攻め落とす事が出来ずに居る。
 耐久のステータスの上ではセイバーに軍配が上がるが、ランサーの破魔の紅薔薇の前では耐久と言うステータスに意味は無く、セイバーは僅かに上回る筋力を武器にランサーとの相性の悪さを埋めているのが現状だ。この勝負の決着は武の勝る方が勝つ。それを理解するが故にセイバーとランサーは互いに獰猛な笑みを浮かべる。
 時空の壁を越えて対峙する二人の騎士は互いに互いの武を心中で称え、その上で勝利を掴もうと敵の間合いに踏み込み合う。

「嬉しいぞ、セイバー!! お前が強者である事が俺は嬉しい!!」
「私もだ、ランサー!! 否、フィオナ騎士団随一の騎士ディムルッド・オディナよ!! 私は騎士の王の円卓の一、湖のランスロット!!」

 破壊の嵐と化しながら、セイバーの名乗りにランサーは豪笑した。

「ああ、円卓が一の騎士、ランスロットよ。貴殿の剣に誉れあれ!!」

 二人の速度は果て無く加速する。

「私は主の望みを成就させる!!」
「俺は主に勝利の栄冠を捧げる!!」

 二人は同時に同じ言葉を叫んだ。

「それが、我が望み!!」

 互いに哄笑し、互いに必殺の一撃を振るう。

「これで、三度目の決戦だ。今宵こそは決着を着けようぞ!!」
「臨む所!!」

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