第八話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚したせいで話を聞いてもらえず溝が出来た二人

 振上げられる剣は僅かに木の葉の隙間から零れる月光を反射し、その幻想的な光景にウェイバー・ベルベットは不覚にも見惚れてしまった。隣に座する大男の声も耳には届くが脳には響かない。死神の鎌が自身の首を刈り取るのを呆然と眺めていると、大きな力がウェイバーを持ち上げた。
 鋼同士のぶつかり合う音が鼓膜を揺さ振る。何が起きたのか初めは理解出来なかった。

「貴様、余の言葉が聞こえなんだか?」

 自らのサーヴァントの轟くような声に漸く状況が呑み込めた。セイバーのサーヴァントの剣をウェイバーの従者たるライダーが己が剣により受け止めていた。
 セイバーは無言のまま更なる追撃の体勢を取る。同時に、ライダーとウェイバーの乱入により距離を取っていたランサーもまた、臨戦の体勢を取る。
 ウェイバーは頭を抱えた。このような状況は想定可能だった筈だ。サーヴァント同士の戦場に策も用意せずに乱入するなど愚行としか言い様が無い。何故、と己のサーヴァントに問い掛ける余裕も無いが、それでも脳裏に浮かぶのは何故、という疑問だった。何故、この様な愚行に走ったんだ。
 伝承に名高き征服王がこの様な致命的なミスを犯すなど、そう考え、ウェイバーの脳裏に嫌な考えが過ぎった。この男は己を死なせる為にここに連れて来たのでは無いか、と。元々、これほどの男が己のような矮小な魔術師に従えられて嬉しい筈が無い。わざと死地へ連れ、己を現世に召喚し、隷属しようとしたウェイバーに復讐しようと考えたのではないか。
 空間が歪んでいる。極度の緊張から来る平衡感覚の乱れだ。目の前にはセイバーとランサー。三騎士と呼ばれる七つのクラスの中でも特に優れているとされているクラスが二体。
 己はここで死ぬ。歯がカチカチと鳴る。吐き気がする。これが戦場。

――――舐めていた。

 自らの優秀さを分からせるなんて豪語しておきながら、ウェイバーは恐怖に震えた。

「いかんな。こうも、話が通じぬとは」

 落胆したような声を吐くライダーに対して悪態を吐く余裕も無い。
 吐き気と悪寒で今にも意識が途絶えてしまいそうなのは持ち堪えるのに必死で、口を開く事さえままならない。

「ええい、聞かぬか! 余は――ッ」
「む、マスター。クッ、ランサー、勝負を預ける。いずれ、決着を着けようぞ!」
「ナニッ!? ま、待て、セイバー!」

 ライダーが何かを叫ぼうとした途端、突如セイバーは慌てた様子で場を離脱した。霊体化し、風も無く姿を眩ませたセイバーにランサーは声を張るが、既にセイバーはこの場には居ないらしく、返事が返って来る事は無かった。
 ウェイバーは恐る恐るといった様子でランサーの様子を伺った。その顔を見た瞬間、ウェイバーはひきつけを起こしたかのように動けなくなった。
 
――――大気が凍りついた。

 呼吸すら困難な緊迫感が周囲を支配し、その中心で殺気を放つランサーの形相は尋常では無く、ただの視線が物理的な破壊力を伴い、ウェイバーを射殺さんと睨みつける。

「主よ。二度に渡る失態、申し訳ありません」
『……構わぬ。状況が状況だ。だが、ランサー。そこな愚か者を生かして帰す事だけはまかりならぬ。まったく、愉快だよ、ウェイバー・ベルベット』

 血を吐くばかりに言葉を紡ぐランサーに、虚空から低く地を這うが如き怨嗟の声が降り注いだ。
 愉快と言いながら、その実、その声には愉快さなど微塵も無く、あるのは只管に憎悪の感情のみ。

『何を血迷い、私の手配した聖遺物を盗み出したかと思えば、なるほど、君自らが聖杯戦争に参加する腹であったか』

 ウェイバーはその声の主を知っていた。そして、その憎悪の矛先が自分である事も。

「あ、え……」
『残念だよ、ウェイバー。実に、残念だ。可愛い教え子には幸福に生きて欲しい。私は常日頃よりそう願い続けていたのだがね。君のような凡才は凡才なりに、凡庸な人生を生きられたであろうに』

 とても、残念だ。残念そうとはとても思えない口調でランサーの主、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは言った。
 ウェイバーは頭上から見下ろされているような感覚を受け、恐慌に悲鳴を上げた。想像以上に苛烈な戦場の空気、尋常ならざる憤怒と憎悪。それらはウェイバーの心の防壁を瞬く間に砕き、陵辱し、彼を無防備にした。

『やむを得ぬよな。ウェイバー・ベルベット。君には私が特別に課外授業を受け持ってあげよう。魔術師同士が殺しあうという本当の意味――――その恐怖と苦痛を余す事無く教えてさしあげよう。光栄に思いたまえよ』

 恐怖に震えるウェイバーの肩に大きく力強い温かな手が添えられた。
 それが何であるか、ウェイバーは分かっていながらも、恐怖は更に増大する結果となった。

「おうおう、魔術師よ! 察するに、貴様は――――」

 隣に座る己のサーヴァントが何かを叫んでいる。
 聞こえない。
 聞きたくない。
 このサーヴァントは――――己を殺そうとしたのだから。
 ウェイバーは咄嗟に己に宿る令呪を意識した。これを使えば、この男を殺す事が出来る。いかに伝承にその名を轟かす征服王とて、令呪の縛りに抗う事は出来ない筈だ。生き残る為に必要な事は何だ。ウェイバーは頭の中で想像力を目まぐるしく働かせた。
 己を狙う者は誰だ?
 ケイネス、ランサー、ライダー、セイバー、セイバーのマスター。
 他にも見ている者が居るかもしれない。
 だが、セイバーや他のマスターはライダーが居なければ、殊更、ウェイバーを殺そうとはしないのではないか? そうだ、この場でランサーを殺し、ケイネスを殺せば、後はライダーさえ始末すれば、生き残る事が出来る。
 ウェイバーは暗く瞳を濁らせながら唇の端を吊り上げた。自らの優秀さを知らしめる為に参加したこの聖杯戦争。例え、優勝が出来なくても、ケイネスを、己の師を倒したとなれば、それは既に十分な戦果な筈だ。死の恐怖を目の当たりにし、ウェイバーの心はわずかな間に酷く磨耗していた。
 ライダーはケイネスに対し、ウェイバーを擁護する言葉を紡ぐが、その言葉がウェイバー本人に届く事は無く。ウェイバーは己が令呪に意識を向け、叫んでいた。

「――――臆病者なぞ、役者不足も――ッ」
「ライダー!」
「ッ――――坊主、何を!?」

 突然の事に目を剥くライダーにウェイバーはしてやったりと暗い喜びを感じながら令呪を発動した。

「ランサーを殺せ! お前の全力を持って!」
「坊主……貴様……ヌゥ――――ゥオオオオオオオオオ!!」

 令呪の消失と同時に、凄まじい旋風が巻き起こった。
 計り知れない魔力の放出と共に、熱く乾いた、焼け付くような夜の森であり得ない筈の――まるで、灼熱の砂漠を吹き渡ってきたかのような、轟然と耳元に唸る風が森の木々を薙ぎ倒し、ウェイバーは思わず目を腕で庇った。ざらつく礫を舌に感じ、唾と共に吐き出しながら辺りを見回すと、そこは既に森ではなかった。

「砂漠……?」

 ウェイバーはライダーの宝具たるゴルディアス・ホイールに乗りながら砂漠の中心に居た。隣にはライダーが憂うような眼差しをウェイバーに向けていた。
 ウェイバーは咄嗟にその視線から逃げる様に顔を背け、ライダーはその視線をランサーに向けた。

「これは、余の見込み違いであったか……。いや、令呪の命とあっては、サーヴァントとしては従わぬわけにはいかぬな。ランサーよ、見ての通りだ。この世界、この風景、これこそが、ライダーのサーヴァントにして、征服王の異名を持つイスカンダルが誇る最強宝具・王の軍勢――――アイオニオン・ヘタイロイである!! これを使った以上、もはや、貴様の勝利は無い。最後に問うておこう」

 ライダーはゆっくりとした動作でゴルディアス・ホイールの御者台を降りると、目の前に尚構えを取り続けるランサーに問いを投げ掛けた。

「ランサーよ、我が軍門に降り、余の配下とならぬか? さすれば、余は貴様を朋友として遇し、世界を征する快悦を共に分かち合う所存である」

 ライダーの言葉をランサーは眉も動かさず無視し、ウェイバーは己の内に生み出た疑念を確信に変えた。ライダーは敵と手を組む気だ。令呪で命じられながら、ランサーが応じていれば、敵と組む気だった。そして、敵と共に己を殺すつもりなのだ。事もあろうに、ウェイバーを辱めたケイネスと共に。
 殺すしかない。僅かに残っていた躊躇逡巡の気持ちも消え去った。殺される前に殺すしかない。その前に、少なくともケイネスだけは殺す。
 体を震わせながら、ウェイバーは心に誓った。
 そんなウェイバーをライダーは哀れむように見つめていた。ライダーはウェイバーがケイネスという存在に恐怖し、令呪を使ったのだと考えていた。それ故に恐怖に震え、令呪を用いて己を隷属させる矮小なるマスターに対し、怒りを感じる事は無く、唯只管に、ライダーはウェイバーを哀れんだ。
 些細な擦れ違いは既にあまりにも強大な溝となり、二人の心を引き離していた。

「返答が無いのは拒否と捉えてよいか?」
「戯言はそこまでにしておく事だな」

 ランサーはライダーの問いを切って捨てた。主たるケイネスの使い魔の気配は消滅している。
 恐らく、この結界空間が外と内とを遮断している為であろう。

『まさか、これは……固有結界か!? 退け、ランサー!!』

 それがケイネスとの最後の通信であった。

――――固有結界。

 魔術に造詣が深いわけではないが、少なくとも、ここが結界空間である事だけは理解出来た。そして、その力の強大さも。
 ランサーの目に映るのはライダーとそのマスターだけではない。ライダーの宝具たる二頭の牡牛の牽く牛車のその後ろに無数の揺らめく影が見える。それら一つ一つが徐々に色を持ち、輪郭を持ち、厚みを備えていく。

「この世界、この景観は我等全員の心象である」

 マスターに与えられる英霊のステータスを見破る透視能力を持たないランサーには分からぬ事だが、そこに並び立つのは一人一人が英霊であった。
 評価不可能なランクA++を超える力を誇る対軍宝具。独立サーヴァントの連続召喚。
 軍神が、マハラジャが、以後に歴代を連ねる王朝の開祖が、ライダーを中心に並び立つ。一人一人が伝説を持つ勇者であり、その出自のみを同じくしている。嘗て、偉大なるアレキサンダー大王と共に並び立ったという出自を。
 ライダーは乗り手の居ない一際大きく精悍で逞しい駿馬に跨り、ランサーのサーヴァントと対峙した。そして、ランサーを圧倒的な数により取り囲んだ。

「蹂躙せよ」

 ライダーの紡ぐ一言に空気が震えた。無数の勇者達の雄叫びが天を突き、地を揺るがした。
 嘗て、アジアを東西に横断した無敵の軍勢がランサー一人を蹂躙せんと、進軍を開始した。
 一人一人が最高クラスの英傑であり、ランク:E-の単独行動スキルを保有するサーヴァントを相手にされど、ランサーはその口に笑みを作った。

「なるほど、セイバーにしろ、ライダーにしろ、礼儀知らずではあっても、その力は本物という事か」

 己が握る双槍を翼の如く広げ、ランサーは蒼天を貫く軍勢の雄叫びを塗り潰すが如く声を上げた。

「我が名はフィオナ騎士団が随一の騎士、ディムルッド・オディナである! いざ、参らん!!」

 全方位から進軍して来る無敵の軍勢を前にランサーは恐怖など無かった。それは、ついさっき使い魔では無く、ラインを通して聞いたマスターの言葉があったからだけでは無い。それを上回る怒り、そして、更にそれを上回る戦場の高揚感がランサーから恐怖と言う感情を蓋い潰した。
 視界に入る敵の数はざっと数えて万を越える。圧倒的などという話ではない。まさに絶望的な戦力差だ。
 剣を持つ者、槍を持つ者、弓を引く者、騎馬に跨る者。数など数えていても仕方は無い。ランサーのサーヴァント、輝く貌のディムルッドは今、単騎にて征服王の軍勢へと駆け出した。

 ウェイバーはその光景をただ呆然と眺めていた。己のサーヴァントの宝具の凄まじさに圧倒されたのではない。勿論、それもあるが、それ以上にウェイバーの心を震わせ、魅せたのはランサーのサーヴァントであった。ランサーのサーヴァントは無数の軍勢に取り囲まれながら既に十分もの間戦い続けている。
 音速を超える槍撃、稲妻の如き斬撃、暴雨の如き矢、鉄をも砕く斧。それらを圧倒的な俊敏により躱し、己の宝具を振るい続けている。聖杯戦争に参加するマスターに与えられる特殊能力たるサーヴァントのステータスを看破する透化の能力はサーヴァントそれぞれの能力をウェイバーに教えてくれる。マスター不在な為か、その能力は軒並み低い。
 逆に最高クラスのマスターを持つランサーのステータスは特に敏捷が他を圧倒している。そうなったのは対人ではなく、大軍宝具故であろうか、ライダーの最強宝具はその最強たる所以の物量の数を活かし切れずに居た。ライダーの号令により形を変えても、ランサーを捉える事が出来ずに居る。弓を引く英傑はされど音速を越え同志の合間を縫い移動し続けるランサーを狙う事が出来ず、剣、槍、斧、槌を握る者は一人残らずランサーの動きを捉え切れない。
 相手が敏捷のステータスが低い英霊であれば、こうはならなかっただろう。常識を超えた速度で移動し続け、決して癒えぬ傷を負わされ、鎧を貫通され、徐々に英傑達の数は減ってゆく。歴史に名を残す英傑がその身を霧散させていく様をライダーは無表情で見つめていた。

「聖杯に選ばれし英傑。これほどか……」

 あり得ざる会合。
 あり得ざる戦い。
 それが故に起こるあり得ざる状況。

――――それは、神話の再現と言っても過言では無いだろう。

 砂塵の中を音速で駆け抜けるランサーの姿はもはやウェイバーには翡翠色の風にしか見えず、風が通り抜ければ人が死ぬ。
 屈強なる男の体に無数の穴が開き、重厚な鎧を纏う者が胸に小さな穴を空け、そこから血を流している。

「だが、ここまでよな」

 ライダーの言葉にウェイバーは不思議に思うと、視界の中でついに一人の剣士の刃がランサーに届いた。
 圧倒的な物量とはそれだけで脅威。既に三騎士たるセイバー、そして、双剣を振るうキャスターと戦い、能力が低下しているとはいえ、無数のサーヴァントを相手に戦い続け、ランサーは確実に疲弊していた。徐々に矢はランサーを捉え、斬撃や槍撃はランサーに血を流させ始めた。
 眼に見えて動きの悪くなるランサーにウェイバーは勝利を確信し、そして――――。

「え……?」

 突如、ランサーの姿が消失した。霧のように姿を消したランサーにサーヴァント達も戸惑いを見せている。

「令呪による強制召喚か……。なるほど、初めからそのつもりであったか……」

 ライダーの重い口調にウェイバーは漸く事態を飲み込み、歯噛みした。取り逃がした、と。残りの令呪は二つであり、一つで己のサーヴァントに自害を命じなければならない。なれば、残る一つで確実にランサーとケイネスの双方を仕留めなければならない。その上、それまでは目の前で馬に跨る己を殺そうと企む殺戮者と共に在らねばならない。
 ウェイバーはその事に恐怖し、打ち震えた。その様子にライダーは気が抜けたのだろうと考え、苦笑しながら固有結界を解除した。

「返るぞ、坊主」
「…………ああ」

 互いの心を知らぬまま、ライダーとウェイバーの初戦は終わりを告げた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。