「えっと、ここでいいんだよね?」
俺は地図とプリペット通り四番地と書かれた看板を交互に見比べながら呟いた。
どうやら、無事に目的地に辿り着いたらしい。
俺はハリーの住むダーズリー家を尋ねる為にはるばるウェールズから遠く離れたロンドン郊外のプリペット通りまでやって来た。
事の発端はロンからのフクロウ便だった。よぼよぼのフクロウが持って来た手紙によれば、ハリーからの手紙が一向に来なくて心配だとの事だ。恐らく、ドビーの仕業だろう。
ロンには直ぐに手紙を送った。ハリーは俺が迎えに行くから、軽はずみな真似はしないように、と。
確か、ロンは父親のアーサー・ウィーズリーが密かに改造した車でハリーをダーズリー家から連れ去ろうと計画している筈だ。正直、マグルに発見される危険があるし、やらないにこした事は無いと思う。
ソーニャとジェイクにハリーの家庭環境について話して、場合によってはロンの家に伺うまでの間、ハリーを泊めてもいいか? と聞いたら、二つ返事で了承してくれた。二人共、魔法界を救った英雄であり、俺の友達でもあるところのハリーに会う事が楽しみで仕方ないという様子だった。
アルには秘密にした。アルはエドのおかげである程度マグルの常識にも精通しているけど、電車の乗り方みたいな一般常識を全て理解出来ているとは言えない。あのダーズリー家の人々を相手にそんな魔法族らしい一面を少しでも見せたら面倒な事になる。
「あそこか……」
第一話「屋敷しもべ妖精」
ダーズリー邸はレンガ作りの落ち着いた作りの家だった。普通というものをこよなく愛するダーズリー家らしいと言える。
俺は深く深呼吸をして、扉の横の呼び鈴を鳴らした。しばらく待っていると、ほっそりとした女性が扉を開けて顔を見せた。
「どなたかしら?」
女性はじろりと俺を値踏みするように見つめた。ここで怖気づいてはいけない。
俺は頭を深く下げて言った。
「こんにちは。突然お邪魔して申し訳ありません。俺、ポッター君の友達で、ユーリィ・クリアウォーターと言います」
「あの子の……?」
女性は険しい表情を浮かべると、忌々しそうに俺を睨み付けた。
「そんな子はここには居ませんよ。家を間違えたんでしょうね」
予想通り、かなりガードが固い。だけど、ここで諦めるわけにはいかない。ハリーの為にも、この家の窓枠の為にも。
どうしようかと迷っていると、運良く階段から良く知った顔が降りて来た。
ハリーは俺の顔を見ると、パッと顔を輝かせて降りて来た。
「ユーリィ!!」
どたどたと降りて来るハリーに女性は苛々したように舌を鳴らした。
ハリーはこの家で生まれてからずっと生きて来たんだ。そう思うと、なんだか自分が少し情けなくなった。
ハリーを取り巻く環境は生前の俺より間違い無く酷いものだ。それなのに、ハリーは誠実で優しい人格者に育った。全てから逃げ出して死を選んだ俺とは雲泥の差だ。
俺は少しハリーの事が羨ましくなり、すぐにそんな考えを恥じた。なんて、愚劣で卑しい事を考えるんだろう。俺は首を振ってもやもやする気持ちを打ち消し、ハリーに笑顔を見せた。
「ハリー。こんにちは」
「こんにちは!」
ハリーは予想外な程嬉しそうに俺の手を掴んだ。
「会えて嬉しいよ!」
その言葉に思わずドキッとしてしまった。会えて嬉しいなんて言葉、生前生後合わせても初めて言われた。
いけない、と思いつつも頬が緩んだ。
「俺も嬉しいよ、ハリー」
俺達が再会を喜んでいると、女性が腹立たしげに鼻を鳴らした。
「あ、そうだ」
俺は慌てて背負っていたナップザックを開いた。
中にはウェールズの特産の高級なお菓子を入れていた。
「ダーズリーさん。こちらをどうぞ」
「……あら、……どうも」
女性はお菓子の銘柄を見ると、少しだけ険しさが晴れた感じがした。
「玄関で立ち話も何でしょう。お構いは出来ませんけどね」
そう言って、女性は俺を中に招き入れてくれた。
中に入ると、奥の方から太った男の子が顔を出した。
「あ、お邪魔してます」
俺が頭を下げると、男の子は困惑した表情を浮かべた。ジロジロと値踏みするように見られて、何だか落ち着かない。
それを察してくれたのか、ハリーは俺の手を取って、部屋に連れて来てくれた。
「ごめんね。うちの家族が失礼な態度をとって……」
ハリーは苦々しい表情を浮かべて言った。
「ううん。いきなり訪問したのは俺の方だし、無理ないよ。それより、久しぶりだね、ハリー」
「うん……久しぶり。でも、僕もびっくりしたよ。いきなりだったし、それに……」
「どうしたの……?」
俺が聞くと、ハリーは少し不満そうに言った。
「どうして、僕の手紙に返事をくれないんだい?」
ハリーの言葉に俺は首を振った。
「俺もアルもロンも皆、ハリーに手紙を送ってたよ?」
「え? でも、一通も来てないよ。本当に、誰からも、一通も……」
ドビーが止めてるから、という事は知っているんだけど、それを教えられないのが歯痒い。
今もどこかに居るのかな?
「俺にもさっぱりだよ。それよりさ、ハリー。うちに泊まりに来る気ない?」
「……え!? ユーリィの家に!?」
「うん。ロンの家に行くまでの間だけ。どうかな?」
「……いいの?」
「もちろん。ママもパパも歓迎してくれるよ」
俺の提案にハリーは乗り気になって頷いた。
この家を抜け出せるのが嬉しくてたまらない様子だ。
その時だった。突然、バチンという大きな音がした。びっくりして顔を向けると、そこには奇妙な生き物が居た。蝙蝠の羽のような耳と垂れ長な鼻、ギョロッとした大粒の瞳の奇天烈な姿をしている。
「屋敷しもべ妖精……?」
「……ドビーにございます」
ドビーはハリーをその大きな瞳で見つめた。
自分の姿が映り込む大きな瞳にハリーは何も言えずに黙り込んだ。
「ハリーポッター。あなた様にお目にかかる日をずっと夢見ておりました。……とても光栄です」
「えっと……、ありがとう」
ハリーは苦笑いを浮かべながら俺に視線を向けた。
ドビーも俺にギョロッとした目を向け、思いつめた様子でハリーに言った。
「ハリーポッター。あなた様はホグワーツへ行ってはいけません」
開口一番のドビーの言葉にハリーは困惑した。無理も無いだろう。突然現れた異形の存在に、現在、ハリーにとっての唯一の拠り所である筈のホグワーツへ行くなと言われて、困惑しない筈が無い。
戸惑うハリーにドビーは畳み掛けるように言葉を重ねた。
「今、ホグワーツには危険が迫っております」
ドビーの言葉にハリーは目を見開いた。
「……君は一体……?」
「ドビーはハリーポッターに警告を申し上げにまいりましたのです。……ドビーは……」
ドビーは瞼を閉じ、よろよろと箪笥に向かって歩き、いきなり箪笥の角に頭をぶつけ始めた。
「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」
ドビーの奇行に一瞬、俺とハリーは凍りついた。
「ま、まって、どうしたの!?」
ハリーが慌てて羽交い絞めにすると、ドビーはしくしくと泣き始めた。
「ドビーは自分をお仕置きしなければならないのです。ドビーはドビーのお仕えする家族の意向に背いてここに来てしまっているのです」
「家族って?」
ハリーの質問には俺が答えた。ドビーに答えさせると、また自分をお仕置きするかもしれないからだ。
「屋敷しもべ妖精は特定の魔法使いを自身の主人として扱うの。その主人や家族に一生涯仕え、日常の家事や雑用などの労働奉仕を行うんだ。家族っていうのは、仕えてる主とその家族の事だよね?」
俺が問い掛けると、ドビーは恐る恐るといった感じに頷いた。酷く怯えているように見える。
「それで、ホグワーツに迫っている危険って何の事かな?」
俺は出来る限り優しい口調を心がけて問い掛けた。
「それは……それは……うぅぅ」
ドビーは必死に恐怖に抗おうとしているけれど、ついに自分の頭を床に叩きつけ始めた。俺は慌ててドビーを抱き抱えるようにして拘束した。
「ごめんね。あんまり騒ぐと、家の人に迷惑だから……」
俺に抱きすくめられて完全に動きを封じられると、ドビーは瞼をきつく閉じて体を震わせた。
「その……、ドビー。どうか、気を悪くしないでほしいんだけどさ」
「き、気を悪くするですって!? そんな事、あり得ません!」
キーキー声で喚き立てるように捲くし立てるドビーにハリーは困り顔で言った。
「……僕はホグワーツに戻らないといけないんだ」
「い、いけません!!」
「新学期に学校に行けないなんて事になったら、僕耐えられないよ。君には分からないだろうけど、ここに……僕の居場所は無いんだ」
ハリーの悲痛な言葉にドビーは大きく首を振った。
「駄目です! なりません! ハリーポッターは安全を保障された場所に居なければなりません!! あなた様は偉大なお方!! この世で失われてはいけない最も尊き命なのです!! ハリーポッターがホグワーツに戻れば死の危険が襲い掛かります!!」
それはドビーにとって血を吐くような言葉だったのだろう。自分をお仕置きしなければならないという本能が頭をどこかにぶつけようと頭をぶんぶんと振り回させている。
本当なら、屋敷しもべ妖精の身で話してはいけない事なのだろう。
「でも、僕は……!!」
俺は叫び出しそうなハリーの口に人差し指を当てた。
困惑するハリーをよそに、俺はドビーを抱き締めながら問い掛けた。
「ホグワーツに危険が迫っているのは本当なんだね?」
「……そうでございます」
ドビーはハッとした表情で再び自分を罰しようともがき始めた。
こうなると、もはや発作のようなものに見えた。
「でも、誰がどうやってホグワーツに危険を齎すのかは言えない……」
「……そうなのでございます」
ドビーはじわりと涙を浮かべた。そして、バチンという音と共に俺の腕の中から姿を消し、直ぐ目の前に再び姿を現した。
「ハリーポッター。どうか、ホグワーツに行かないと約束して下さい」
「出来ない……。出来ないよ、僕。ホグワーツに行かないなんて、そんなの……」
「……友達からの手紙や贈り物が来なければ、孤独に思いホグワーツへの未練が無くなると思ったのに……」
ドビーの零すように呟いた言葉にハリーは大きく反応した。
「それは、どういう事? 君が僕に手紙が届かないようにしていたの?」
険しい顔で問い詰めるハリーにドビーは哀しそうな顔をした。
「仕方なかったのでございます。ドビーはなんとしても、ハリーポッターをお守りしなければなりませんでした」
「だからって……!!」
「待って」
ドビーに掴みかかりそうになるハリーを俺は寸での所で押し留めた。
「でも……でも!!」
「待って、ハリー。それに、ドビーも」
ドビーは俺に不安と苛立ちの篭った視線を向けてきた。
俺はドビーにとって、自分の計画を台無しにした悪魔に見えているのかもしれない。
「ドビー。君の話を俺はダンブルドア校長先生に話してみる」
「……はえ?」
ドビーは大きな目を更に大きく見開いた。
「知ってるだろうけど、ダンブルドア校長先生は例のあの人すら手が出せなかった偉大な魔法使いなんだ。ダンブルドア校長先生が脅威を察して動いて下さるなら、いかなる脅威も脅威では無くなる。ドビーが脅威を教えてくれたおかげで、ハリーはホグワーツに行っても安全が保障されるんだよ」
「し、しかし……、如何にアルバス・ダンブルドアと言えど……」
「もう一度言うよ、ドビー。ダンブルドア校長先生は全盛期の例のあの人すら手が出せなかった偉大な魔法使いなんだ」
「しかし……」
「何が不安なの?」
「こんな卑しい……屋敷しもべ妖精の言葉を……あの偉大なるアルバス・ダンブルドアが取り合って下さりますでしょうか?」
ドビーは今度は不安と恐怖の入り混じった目で見つめてきた。
「大丈夫だよ。ダンブルドア校長先生はあらゆる人や種族の言葉を聞き、吟味して下さる。ハリーの為に動いてくれた君の言葉をダンブルドア校長先生は必ず聞いてくれる」
俺の言葉にドビーは深く瞼を閉じた。
「……約束……していただけますか?」
ドビーは大粒の涙を零しながら問うて来た。
「必ずや、アルバス・ダンブルドアにこのドビーめの言葉を伝えてくださると……」
「約束する」
俺はドビーの骨ばった手を両手で包み込みながら言った。
「君の言葉を必ずダンブルドア校長先生に伝える」
「あ……ああ、なんと……こんな……卑しい屋敷しもべ妖精などに……魔法使いのお方が……約束……約束を……ああ」
ドビーは突然、ハリーの机の上に登り、そこに置いてあった鋏を手に取ると、自分の手の甲に振り下ろそうとした。
「だ、駄目だ!!}
ハリーは咄嗟に動き、ドビーの手を掴み取った。
「駄目だよ、ドビー!」
「離してください!! ドビーは悪い子なのでございます!!」
ハリーはドビーを抱き抱えて、自分にお仕置きを出来ないように拘束した。
ドビーはハリーの腕の中で暴れ回った。
「ドビー。必ずダンブルドア校長先生に伝えるから、もう……」
ドビーはハリーと俺に目を向けた。そして、泣きながら震える声で言った。
「……秘密の部屋……が……開かれます」
それだけを言い残し、バチンという音と共にドビーの姿は消え去った。
「秘密の部屋……?」
ハリーはドビーに言い残した言葉に首を傾げた。