第二十三話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に夢見る少女と平穏の時間の幕切れ

――――I am the bone of my sword.

 気が付くと、焼け野原に立っていた。火事が起きたらしい、どこか見慣れた風景が一面廃墟に変わっていて、まるで、母親や妹と一緒に見た戦争映画の空爆された街並みの様だった。ポツポツと雨が降り始めた。不思議と冷たさを感じない。周りの火が徐々に雨によって鎮火されていく。あれほど高く燃え上がっていた炎の壁も低くなり、漸く目を焼く赤色は落ち着いた廃墟の色へと変わっていった。
 奇妙な気分だった。これだけの惨状の中で自分だけが原型を留めてこうして立っている事が。この周辺で立っているのは自分だけ、他に生きている人の気配は――――いいや、居た。
 生きている人が居た。自分と同じくらいの年の頃の少年が横たわっている。でも、そう長くは持たない。少年の命の灯はさっきまで赤々と燃えていた炎の如く、まるで同様に雨に鎮火されたとでも言いたいかのように小さく、弱々しくなっていっている。このままでは死んでしまう。必死に叫んだ。誰か、この少年を助けて、と。そして、その祈りは届いた。
 一人の男が歩いて来た。酷く虚ろな表情で廃墟の中をふらふらと歩き、まるで浮浪者のようだった。男はふと少年を見つけ、慌てた様に駆け出した。少年の息を確かめ、酷く嬉しそうな笑みを浮かべると、自分の胸に手を当て、光を取り出した。光をそのまま少年の胸に注ぎ入れると、少年を抱き抱えて歩き出した。

――――Steel is my body, and fire is my blood.

 次の瞬間、少年は先程までの廃墟とは打って変わって清潔感に満ちた、まるで病院の一室のような部屋に居た。

『どこだろう、ここ……』

 少年はキョトンとした顔で頭を左右に振る。そこに居たのは少年だけでは無かった。何人もの子供がベッドに横になっている。きっと、あの火事の中で助けられた子供達だろう。
 どれほどの犠牲者が出たのかは想像も出来ない。だけど、こうして生きている子供達が居てくれた事に何だかホッとした。目の前の光景は酷く目まぐるしく移り変わった。まるで、ビデオを早回しで見ている気分だ。不意に時間の流れがゆっくりになると、少年の下をあの男が尋ねて来た。
 しわくちゃの背広にボサボサの髪はそのままだった。

『率直に聞くんだけど、君はこのまま孤児院に預けられるのと』
 初めて会ったおじさんに引き取られるの、どっちがいいかな?そんな、とんでもない事を男は言い出した。
 常識で言ったらありえない。見ず知らずの男の下に行くなんて、女じゃなくても身の危険を感じてしまうだろう。だけど、少年は無垢な表情であっけらかんと頷いた。
 頷いた少年に対して酷く嬉しそうな表情で男は少年に身支度をするよう言った。自分も手伝おうとするけれどお世辞にもその手際は良いとは言えず、かえって少年の邪魔をしてしまっていた。その様子があまりにもおかしく、少年と一緒になって笑ってしまった。
 荷物が纏め終わり、部屋を出て、しばらく二人は無言で歩いていたけれど、誰も居ない待合室みたいな所で男は突然とんでもない事を少年に打ち明けた。

『ああ、大切な事を言い忘れていたよ。家に来る前に一つだけ、どうしても教えておかないといけない事があるんだ』

 少年が首を傾げると、男は言った。

『僕はね、魔法使いなんだ』

 そんな、魔術師の不文律を鼻で笑うかのような事を平気で口にしたのだ。
 出会って間もない少年に自分は魔術師――正確には魔法使い――と名乗るなんて正気じゃない。
 だけど、

『へえ、爺さん凄いんだな』

 少年は少年でそんなとんでも告白をあっさり受け入れてしまった。
 なんだか焦っている自分が逆に馬鹿馬鹿しくなって来た。

――――I have created over a thousand blades.

 どのくらい時間が経ったのだろう、少年は男から魔術の手解きを受けていた。と言っても、自分の父親とは比べ物にならない程拙い教え方だ。あの程度なら、きっと自分の方がうまく少年に教えてあげる事が出来るのに、そう不満に思う程だ。
 必死に魔術の修行に打ち込む少年の姿はなんだか今の自分に似ているようでなんだか微笑ましかった。そんな時、男は突然海外に行くと言い出した。まだ幼い少年をほっぽりだして『世界中を冒険してくるよ!』なんて、子供みたいに瞳を輝かせる男に心底呆れてしまった。
 それから時間は加速した。まるでつまらない映画を早回しでみているような感じ。早回しの間は殆ど同じ光景ばかりだった。
 少年がたった一人で留守番している。一人で食事を作って、一人で食べる。時々、騒々しい女性が顔を見せるけど、なんだか凄く寂しい光景が続いた。住んでいる家があまりにも広い武家屋敷だから、余計にそう思うのかもしれない。

――――Unknown to Death.

 月の綺麗な夜に時間の流れがゆるやかとなった。
 男と少年は並びながら縁側に座っている。
 二人して着物を着て、なんだかとっても親子をしている。
 血は繋がっていない筈なのに、二人は不思議な程親子だった。

『子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた』

 そう、男は寂しそうに言った。
 それが酷く気に入らなかった。

『なんだよ、それ。憧れてたって、諦めたのかよ』

 少年も同じ気持ちだったらしく、ムッとした表情で言い返した。
 男はすまなさそうに笑いながら月を見上げた。

『うん。残念だけど、正義の味方っていうのは期間限定でね。大人になると名乗るのが難しくなるものなんだ。そんな事、もっと早くに気付けば良かった』

 納得いかない。そう不満に思っていると、少年は己とは違う見解だったらしい。

『そっか。それじゃしょうがないよな』

 そう、冷たく突き放すように言った。

『そうだね。本当にしょうがない』

 相槌を打つ男は酷く寂しそうな顔をしている。
 もっと言い方があるだろう、そう怒鳴ってやろうと思っていると、少年は言った。

『しょうがないから、俺が代わりになってやるよ。爺さんは大人だからもう無理だろうけどさ、俺なら大丈夫だろ? 任せとけって、爺さんの夢は――――』

 少年の言葉が終わる前に男は微笑んだ。
 少年が何を言いたいのか分かったからだろう。

『ああ、安心した――――』

 そう言って、静かに瞼を閉じた。それがあまりにも自然だったから分からなかった。
 朝になれば起きるんじゃないかと思う程穏かで、それが彼の最後なのだと気付く事が出来なかった。ただ、少年が取り乱しもせず、広い武家屋敷にポツンと住んでいる姿が酷く悲しかった。

――――Nor known to Life.

 時間の流れは加速し、ゆるやかになったのはそれからずいぶんと経ってからの事だった。それまでの少年の人生を一言でまとめるなら、やんちゃ坊主だ。
 少年は正義の味方になろうとしているのだろう。虐められている子がいれば虐めっ子をボコボコに殴り、溺れている子がいれば迷わず飛び込んで一緒に溺れそうになる。そんな場面が途切れ途切れに視界に映りこんだ。どうしようも無く、馬鹿で、どうしようも無く愛おしかった。
 少年は大きくなり、一人の少女と出会った。その少女の姿に思わず呼吸が止まったかのような錯覚に陥った。
 髪の色はまったく違うけれど、その顔や髪に着けているリボンは間違いなく大切な妹のものだった。妹はまるで感情をどこかに置き忘れたかのように無表情だった。まるで人形のようで、見ているのが辛かった。
 だけど、少年と少年の家に遊びに来る女性との交流の中で笑顔を見せ始める。それからの時間は加速しても常に少年の傍に妹が居た。モノクロだった少年の家は色鮮やかな色を持ち始めた。妹と少年はまるで兄弟か恋人同士のように仲睦まじく共に時間を過ごした。

――――Have withstood pain to create many weapons.

 やがて、再び時の流れが緩やかになり、少年は更に成長していた。少年は暗い土蔵の中で一人の騎士と対面していた。
 その姿に思わず見惚れてしまった。その姿がただ無情で、どこまでも凛々しくて、そして、あまりにも美しかったから……。
 戦いが始まった。
 それがどういう戦いなのかはもうよく分かっている。聖杯戦争が始まったのだ。時々ゆっくりと時間が進むかと思えば、何が何やら分からない程に時間が加速したりもする。
 その中で印象深いと感じたのは己の存在だ。遠坂凛は金色のサーヴァントと共に在った。弓を持っていたからアーチャーのクラスなのだろう。どうにも己はアーチャーと縁があるらしい。ただ、アーチャーが彼では無い事が残念だったような、ホッとした様な不思議な気分。
 綺礼が生きていたのは嬉しいような残念なような、不思議な気分だった。少年と己、そして、綺礼が三人で森を駆けているのは後ろに迫る魔獣を見なければどこか滑稽だった。
 少年のセイバーはどこまでも気高くて、どこまでも強かった。だけど、少年が未熟なせいで宝具を最後の一回しか使えなかった。遠坂凛のアーチャーは悪い奴じゃないけど、とっても唯我独尊で、だけどとても強かった。自分を最強だと名乗り上げ、弱っているとはいえ、セイバーが居るのにバーサーカーに単騎で戦いを挑むのはちょっと馬鹿っぽくて、でも凄くかっこ良かった。
 不思議だったのは魔獣を従えるサーヴァントだった。正体が何故か見えなかった。その主の姿もまるでそこだけがモザイク処理されているみたいに見えない。
 少年や遠坂凛がソレの主の名前を言ってもそこだけが聞き取れない。ただ、魔獣使いと共にもう一体のサーヴァントが居て、そのサーヴァントは姿も分かるし、クラスもわかった。
 綺麗な女性のライダーだ。戦いの終結はアーチャーが宝具を使って円蔵山の五分の一ごと魔獣を吹き飛ばして、セイバーがライダーを止め、少年が魔獣使いの主を殺した。
 少年は慟哭し、そのあまりにも悲しそうな声に自分も泣いてしまった。遠坂凛も泣いている。
 残されたライダーが少年を殺そうとするのをセイバーが止めて、アーチャーが止めを刺した。
 凄く激しい戦いが終わって、魔獣使いが消えた後、残されたセイバーとアーチャーは雌雄を決しようとしていた時に綺礼が現れた。
 綺礼の眼は凄く怖かった。髪は真っ白になっていて、眼は黒く染まっていた。そして、胸の辺りから嫌な魔力を発していた。
 酷い悪夢を見ているかの様な光景だった。
 少年と少女が必死に戦って倒してきたサーヴァント達が綺礼の胸から零れる黒い魔力の塊から現れて襲って来る。赤槍のランサー、黒い巨体のバーサーカー、いかにもな格好の魔女や侍。それに魔獣使いと一緒に居たライダー。魔獣使いの魔獣のように復活したサーヴァント達に生気は無く、全身が黒く染められていた。
 セイバーとアーチャー、それに遠坂凛と少年も全力を尽くして戦った。結果を言えば少年と少女の勝利だった。
 セイバーとアーチャーも現界ギリギリまで削られながら生きていた。でも、綺礼は死んでしまった。
 狂ったように吼える綺礼の姿が見たくなくて目を背けている内にセイバーが彼を両断した。変わり果てた綺礼の姿に泣き叫んだ。
 早く終わってくれと、こんなのもう見たくないと、だけど時間は流れ続ける。最後、セイバーとアーチャーはギリギリの状態で互いの剣をぶつけ合い、セイバーが勝利した。

――――Yet, those hands will never hold anything.

 聖杯戦争は終結し、再び時間は加速した。次に緩やかになったのは禍々しい洞窟の中だった。
 大人びた遠坂凛が居る。
 黒い髪の男性が居る。
 白い髪の少女が居る。
 少年は謝り続けている。
 白い髪の少女は少年を慰め、禍々しい魔力の渦に足を踏み入れていく。酷い光景だ。
 少女は少年にとって大切な家族だというのに……。

――――So as I pray

 時間は再び加速する。それまでの比じゃないくらいに時間は飛んだ。
 その間、垣間見たのは延々と戦場ばかりだった。
 少年は髪の色も眼の色も変わっていた。その姿は紛れもなく己の召喚したアーチャーの姿だった。
 アーチャーは英霊では無かった。小さな村を絶望から救う為に世界に死後の己を明け渡してしまったのだ。
 抑止の守護者として招かれる事を条件にアーチャーは村を絶体絶命の危機から救えるだけの力を得た。

――――“unlimited blade works”.

 最後は加速する時間の中で親しげに話をしていた男に裏切られて牢獄に入れられ、末世の階段を登った。
 一歩登るごとに恐怖が倍増する。行かないで、止めて、逃げて、そう叫ぶが、アーチャーには届かない。
 アーチャーは首に縄を掛けられる最中もあの余裕を伺わせる笑みを見せた。

『アイツ、気にしないといいな』

 最後の言葉は裏切った親友に宛てただろう言葉だった。
 そして、凜は眼を覚ました――――。

 遠坂家の台所は今やサーヴァントの独壇場であった。

「ハサン、ソレを取ってくれ」
「ほれ」

 アレとかソレで意志を通じ合っている己がサーヴァントと妹弟子のサーヴァントに綺礼は微妙な表情を浮かべた。
 主から奇異の眼で見られていると知ってか知らずかアサシンはアーチャーの調理を手伝いながらふとこんな事を言い出した。

「エミヤ、頼みがあるのだが」
「頼み?」
「ああ、実は――」

 アサシンが言い切る前に階上から突然凜の泣き声が響いた。
 アーチャーは迷い無く霊体化すると天井をすり抜けて凜の部屋に向かった。
 アサシンもその後に続き、綺礼も読んでいた資料を手放し部屋を飛び出した。

「凜、何があった!?」

 アーチャーとアサシンが部屋に実体化すると凜は泣きながらアーチャーに枕を投げつけた。
 枕だけじゃない、手近にある物を滅茶苦茶に投げ続けた。
 アーチャーは困惑した顔で投げつけられる物が壊れないようにキャッチをしては手近な机に置いた。

「お、落ち着いてくだされ、お嬢様!」

 アサシンは宥めようと必死に言葉を探すが、稚児をあやした事すら経験に無いアサシンには無理と言う他無かった。

「お、落ち着くんだ凜! な、何があったんだ!?」

 泣き喚きながらいよいよ投げる物が無くなり、机を持ち上げようとする凜にアーチャーは慌てて駆け寄った。
 ちょうど、部屋の中に綺礼が入って来た。

「何事だ、凜!」

 すると、今度はアーチャーをポカポカと叩いていた手を休め、綺礼を見ながら凜は更に泣いてしまった。
 アーチャー、アサシン、綺礼の三人はどうすればいいのだ、と互いに顔を見合わせうろたえた。

「り、凜、プ、プリンを作ってやる。大きいやつだ。だから、泣き止んでくれんか?」

 アーチャーは食べ物で宥めようとするが柳に風といった具合に凜は泣き止まなかった。

「お、お嬢様、ア、アサシンめが芸を!」

 アサシンは混乱しているのか己が武装たるダークと呼ばれるナイフでジャグリングを始めた。

「凜、レ、レディーたるもの人前で安易に泣くのはだな……」

 綺礼はわけのわからない説教を始めた。

「何をしているんだね?」

 大の男が三人もあたふたしている光景に後からやって来た時臣は呆れた表情を浮かべた。

「まったく、もう少し余裕を持ちたまえ」

 生前に覚えた凜の好物のお菓子を並べ立てるアーチャー。
 ダークを今や十本も使いジャグリングをするアサシン。
 真面目な顔をして淑女のなんたるかを朗々と騙り続ける綺礼。
 三人共余裕を持って優雅たれを信条とする遠坂家の者としては些か以上に余裕が足りていなかった。時臣はそっと凜に近寄り、声を掛けた。

「凜、そのように大きな声で泣くなど感心しないな。何か嫌な夢でも見たのかい?」

 時臣の声を聞いて漸く落ち着いたのか、凜はぐずりながらも時臣に向かって小さく頷いた。

「アーチャーが……」
「アーチャーがどうかしたのかい?」

 問い掛けながら、時臣は凜が見た夢に当りをつけていた。
 サーヴァントとマスターはラインを通じて互いの過去を夢に見る事があると聞く。
 英雄の過去など子供にはあまり愉しくない内容が殆どだろう。
 責任を追及する事では無いが、娘を泣かせたアーチャーに若干の憤りを感じた。

「アーチャーがね、上っちゃダメって、行っちゃヤダって言ったのに、行っちゃうの……。帰って来てって言ったのに!!」
「私の最期を見たのか……」

 凜の言葉にアーチャーは顔を顰めた。

「すまなかったな」

 アーチャーが謝ると凜は余計に泣きそうになった。

「なんで、逃げなかったの!?」
「凜……」
「アーチャー、なら、逃げ、ぅぐ、られたでしょ?」
「逃げる理由が無かったんだ。凜、私の過去を見たのならば分かるだろう? 私がどれほど度し難い愚か者であったか。あれほど私に相応しい末路は無かったんだ」

 アーチャーは肩を竦めながら言った。
 凜はそれが嫌で堪らなくなり、アーチャーに「馬鹿!」と叫んだ。

「何が相応しい末路なのよ!? あんな、友達に裏切られて……」
「裏切られたわけじゃない。あれは私の自業自得というものだ。それに、彼の判断はあの場では最善だった。皆の憎悪の矛先が私に全て向かう事であれ以上戦火が広がるのを抑える必要があったんだ」
「アーチャーは――――」

 凜は口をパクパクさせるが感情が溢れ過ぎて言葉を発する事が出来なくなってしまった。
 怒りのあまりに癇癪を上げ、アーチャーはそんな凜を必死に宥めようと髪を梳く。

「すまないな、凜。嫌な思いをさせて……」
「謝らないでよ……」

 泣きじゃくる凜に綺礼はいつの間に淹れたのか紅茶を差し出した。

「飲むといい。気分が落ち着く」

 綺礼が言うと、凜は再び泣いた。
 綺礼は困惑した表情を浮かべながらハンカチを凜に差し出した。

「眼の周りが赤くなってしまっているぞ。涙を拭え、凜」
「綺礼……死んじゃった」
「はあ?」
「髪、真っ白になって、胸から黒いの流して、死んじゃった!」
「い、いや、死んでないぞ、凜」

 綺礼は凜の言葉に思わずアーチャーに視線を向けながら宥めるように言った。

「でも、死んじゃった! 綺礼が、死んじゃ、や、だ……」

 しゃくり上げながら言う凜の言葉に綺礼は眼を見開いた。
 そして、硬い笑みを浮かべると凜に言った。

「安心しろ、凜。私は死なない。少なくとも、お前の前では決してな」
「ほんとに?」
「ああ、本当だ」

 凜が落ち着くのを待って、綺礼は意地の悪い笑みを浮かべた。
 アサシンは悟った、これは何かをするつもりだ、と。

「しかし、嬉しいな、凜」
「え?」
「まさか」

 ククッと綺礼は笑みを浮かべながら言った。

「それほどまでに君が私を好いていたとはな」

 そう、満面の笑みで言った。
 アーチャーは思わず親指を上げた。
 アサシンは呆れた様におでこを押さえた。
 時臣は今日の凜の修行について考えていた。

「う、五月蝿い!! このどぐされ神父!!」

 顔を真っ赤にする凜を見てアーチャーと綺礼は愉快そうに笑った。
 アサシンは呆れて朝食の準備に戻って行った。
 時臣はもう大丈夫だな、と部屋を出て行った。

 遅れてしまった朝食の準備を進めていると、アーチャーは思い出したように隣で箸の準備をするアサシンに問い掛けた。

「そう言えば、さっき何を言いかけていたんだ?」
「ん?」
「ほら、凜の泣き声が聞こえる前」
「ああ、ちょっと頼み事をと思ってな」
「頼み事? 何だね?」
「ああ、私に料理を教授願えぬかとな」
「料理を?」

 意外そうな口調で言うアーチャーにアサシンは頷いた。

「どうしていきなり?」

 アーチャーが尋ねるとアサシンは食卓で待つ時臣、凜、綺礼の三人に視線を向けて言った。

「お前の料理は素晴らしい。お前の料理を食べている時は時臣殿もお嬢様も主も皆一様に晴れやかな顔をしておられる」
「それは褒め言葉として受け取っておくが……」
「ああ、褒め言葉だ。私はな、それが羨ましいのだ」
「羨ましい?」
「ああ、私は生前、誰かのああした顔を見た事が無かった。見るものと言えば、恐怖や憎悪、悲哀、といった負の感情ばかりだ。だから――――」
「了承した。ならば、時間のある時にでも教鞭を振るわせて貰うとしよう」

 アーチャーの言葉にアサシンは仮面の向こう側で笑みを浮かべた。
 アーチャーはその事に気付かぬまま料理に戻った。

「感謝するぞ、エミヤ」

 フッと笑みを浮かべるアーチャーが差し出す料理をアサシンは食卓に運んだ。
 アーチャーの料理は今日も好評だ。
 あの常に硬い表情を崩さない時臣や綺礼までもがいつもよりも穏かな顔をして見えるのもこの料理のおかげだろう。

――――本当に、羨ましい……。

「アサシン!」
「なんでございますか? お嬢様」

 凜に呼びかけられ、アサシンは振り向いた。

「ねえ、アサシンとアーチャーも一緒に食べない?」

 凜の言葉にアサシンは首を振った。

「いいえ、私共サーヴァントは食事を必要とはしませんので……」
「私が一緒に食べたいの!」
「お、お嬢様……」

 アサシンは助けを求めるように綺礼を見た。

「好きにするがいい」

 我関せずと言ったご様子だ。
 時臣を見る。

「君の主は綺礼だ。それに、アーチャーの主は凜だ。私は口を挟まぬよ」

 こちらも相変わらず戦略についての話以外ではマスターとサーヴァントの関係には我関せずを貫いていらっしゃる。

「アーチャー、お前からも……」
「主からの命では致し方ない」
「お前……」

 アサシンはアーチャーの裏切りに愕然とした。

「何、私の料理を食してみろ。まずはそれが指南の第一歩だ。どういう味のものを作るか、それは結構重要だぞ」

 アーチャーはククッと笑いながら言う。
 アサシンは降参だとばかりに項垂れ、準備の出来た食卓にアーチャーと共に椅子を運び座った。
 そして、

「何ですかな、お嬢様?」

 いただきます、と凜が言った後、何故か凜はアサシンの顔をジッと見つめていた。
 顔を逸らしても、視線はジッとアサシンに向いている。

「ほら、アサシン」

 凜は言った。

「早く食べましょう」

 好奇心に満ちた声で言った。
 それで分かった。
 ああ、なるほど、つまりお嬢様は……。

「あまり、食卓にお見せ出来る顔ではありませぬ故……」

 アサシンはわずかに仮面をずらし、顔で口元を覆いながら一口アーチャーの料理を口に含んだ。
 凜が至極残念そうな顔をしているが、そんな事は今はどうでもいい。

「口に合ったか? アサシン。……ああいや、その様子ならば問題無いな」

 アーチャーの言葉は殆ど耳に入らなかった。
 アサシンはパクパクと箸を休めずにアーチャーの作った料理を口に運んでいる。
 一心不乱なその様はいつかの光景を思い出すようだった。

「アサシンってば、何だかんだでアーチャーの御飯食べたかったんじゃない」

 その様子を凜はニヤニヤと笑いながら観察した。
 アサシンは思った。

――――これが、料理というものか……。

 生前は薬や最低限の水だけで生きて来たアサシンはアーチャーの料理をじっくりと味わった。

 朝食が終わり、アーチャーは凜と共に凜の部屋に居た。

「どうやら、気分はもう良いようだな」

 アーチャーの言葉に凜は頷いた。

「ええ、もう大丈夫よ」
「それは何よりだ。君に涙は似合わないからね」
「ふんだ。それより、聞きたい事があるんだけど」
「何だね?」
「アーチャーの夢の中で聖杯戦争の頃のがあったんだけど……」
「聖杯戦争当時のか……、あまり覚えていないのだが」
「アーチャー、魔獣使いのサーヴァントを覚えてる?」
「……は?」

 凜の言葉にアーチャーは凍りついた。

「ほら、黒い魔獣に追われて森の中をアーチャーと大きな私と綺礼が……」
「すまない。覚えていない」
「え?」

 凜は首を傾げるが、アーチャーは酷くうろたえた表情を浮かべた。

「記憶が磨耗しているせいか、思い出せないな。まあ、大した事では無かったんだろうさ。それより、そろそろ修行の時間だぞ、凜」
「あ、本当だ! 急がなきゃ!」

 慌しく部屋を出て行く凜を見送りながらアーチャーはコメカミに手を当てた。

「魔獣使い……?」

 ――――■■、もし■が悪い人になったら。
 アーチャーは頭を振るった。
 どうせ、思い出せないならば大した事じゃない筈だ。
 そう気を取り直し、部屋を出た。

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