第二十七話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に漸く気付く愚か者の話

 冬木市郊外にある樹海の中を一台の車が走っていた。
 メルセデス・ベンツ300SLクーペという中々に品のある車体で揺れも少なく、ケイネスはゆったりと車内で寛いでいた。
 国道から樹海に入って早十分程経ち、ケイネスは窓から遠目にぽつんと浮かぶ建造物を捉えた。

――――アインツベルンの隠れ城。

 資料によれば、第一次聖杯戦争の折りに時のアインツベルン頭首が遠坂やマキリと同じ地に拠点を置く事を嫌い、この周辺一体の土地を買占め、建造したと言う。

「あれかね?」

 ケイネスが前を歩く舞弥に問うと、舞弥は頷き返した。

「後十分程で到着致します」

 信号も無ければ他の車も無い林道をベンツは快調に走った。

 舞弥の予告通り、十分後にベンツはアインツベルンの誇る隠れ城へと辿り着いた。

「ほう、これは中々」

 ケイネスは思わず感嘆の声を発した。
 そこにあったのは正しく城だった。
 華々しく、厳かな空気を発するアインツベルンの居城は拠点とするには中々の一品であった。

「さすがはアインツベルンと言ったところかな」
「お褒めの御言葉、感謝致します。さあ、此方へ」

 ベンツで城の入口前まで来ると、舞弥はケイネスを城内へと案内した。
 美術館の様な廊下を進み、玄関ホールの中央階段を登り、更に廊下を進む。
 気を張るランサーとは裏腹にケイネスは実に余裕タップリといった様子で舞弥の後に続いた。
 通されたのは賓客用の一室だった。

「どうぞ、お座り下さい」

 ケイネスは舞弥に引かれた椅子に座ると両手を絡ませながら問うた。

「アインツベルンのマスター、並びにそのサーヴァントたるキャスターは何処に?」
「生憎の所、マスターたるツェツィーリア・フォン・アインツベルン様は現在冬木を離れておられます。明日の昼頃にお戻りになられますので、それまでは私がツェツィーリア様の代理としてお相手させて頂きます。キャスターめはただいま呼んで参ります」

 それだけ告げると舞弥は部屋を退出した。
 入れ替わりに特徴的なメイド服を着た女性が入って来た。
 その手にはティーポットとティーカップ、それに茶菓子が載った盆が持たれている。

「紅茶をお持ち致しました」

 目の前に置かれる紅茶にケイネスは軽く手を振り、満足気に笑みを浮かべるとカップを口元に運んだ。

「ケ、ケイネス殿!」

 毒を盛られる可能性があるとランサーが忠告しようとするとケイネスは空いた手で制した。

「毒も魔術の痕跡も無い」

 口に一口紅茶を含むとケイネスは肩を竦めて見せた。

「失礼致しました……」

 頭を垂れるランサーにケイネスは鼻を鳴らすと同じように茶菓子にも手を軽く振り、一口齧った。

 しばらく待っていると再び舞弥が戻って来た。
 その後ろからは黒いローブを纏った如何わしい装いの者が続いた。
 顔を仮面で隠し、その性別、年齢は分からない。

「キャスターのサーヴァント。ここにまかりこしまして御座います。貴殿がランサーとそのマスターたるケイネス・エルメロイ・アーチボルト殿でよろしいか?」

 男なのか女なのか、老人なのか子供なのか分からない不思議な声色でキャスターは言葉を発した。
 ランサーはケイネスを庇うように双槍を構え、ケイネスもそれを制する事はしなかった。
 ケイネスは立ち上がると胸を反らし言った。

「アーチボルト家九代目頭首・ケイネス・エルメロイ・アーチボルトとは私の事で相違無い。キャスターのサーヴァントよ、我々は貴君らの申し出を受ける事にした」
「……賢明な判断かと思われる。現在、トオサカ、マキリの陣営には其々二騎ずつのサーヴァントが居る。加えて、その組み合わせはおよそ考え得る限り最悪と言えましょう」

 ランサーはケイネスが頷くのを視界に捉えた。
 ランサーも同意見だった。
 遠坂の陣営は狙撃の英霊たるアーチャーと間諜の英霊たるアサシンという実にマスター殺しに特化した組み合わせが同盟を結んでいる。
 マキリの陣営は圧倒的な戦闘能力を誇るセイバーと機動力に優れ、強力無比な宝具を所有するライダーの組み合わせは絡めてこそ不得手な組み合わせに見えるが、その爆発的なまでの攻撃力は脅威という他無い。

「同盟を組むに辺り、お互いに譲れぬ点は御座いましょう。まずはそちらを詰めていくと致しましょうぞ」
「此方に異論は無い」
「では、条件について考える時間も必要でしょう。ケイネス様。お部屋をご用意致しましたので、今宵は其方でお休み下さい。明日、お昼頃にツェツィーリア様もお戻りになられるでしょうから」

 ケイネスは「ふむ」と口元に手を当てながらランサーを一瞥した。

「よかろう。案内してくれたまえ」
「此方です」

 舞弥の後にケイネスとランサーは続き、豪華な内装の部屋へと通された。
 舞弥が去ると、ケイネスはランサーを一瞥した。

「ランサー。分かっているとは思うが警戒を解くでないぞ。ここはキャスターの根城。キャスターには陣地形成というスキルがあるというからな」

 言うと同時にケイネスは腰にある壺を床に置いた。
 中から銀色に煌く月霊髄液が零れ出し、ケイネスが呪文を唱えると部屋の隅々へと散開した。

「ランサー。月霊髄液が魔力の流れを探知した。指示する場所を破魔の紅薔薇にて断て」
「了解致しました」

 キャスターが施したらしい魔術の仕掛けをランサーは悉く断ち切った。
 一仕事終えたランサーの表情には不快感がありありと浮かんでいた。

「同盟を結ぶ相手にこのような姑息な真似を……」
「何を言っている」

 憤慨するランサーとは打って変わり、ケイネスは余裕の表情で言った。

「相手はキャスター。魔術師の英霊だ。この程度は歓迎の趣向の内だろう。それよりも私は少し疲れた。休むから貴様は霊体化し周囲を警戒しろ」
「了解致しました」

 姿を消すランサーを尻目にケイネスは備え付けられていたベッドに横になった。
 霊体化した状態でベッドに眠るケイネスの顔を見つめ、ランサーは歯痒い思いに囚われた。
 己の不甲斐なさ故に主は愛する婚約者を敵に囚われ、この様に敵対する者の力を借りねばならぬ状況に陥った。
 最早、彼から信頼を勝ち得る事は出来ないのかもしれない。
 それでも、必ずや彼の手に聖杯を……、そうランサーは胸に誓った。

 明朝になり、ランサーは自分に流れる魔力の供給がストップしたのを感じた。

「ソラウ殿……」

 ランサーは拳を握り締め、ソラウの死を悼み、ケイネスにその旨を伝えるべく彼を起こした。
 ランサーがソラウの死を告げると、ケイネスは一言、

「そうか……」

 とだけ呟き、ランサーに手を差し伸べた。

「魔力のラインを繋ぎなおさねばならぬ。我が詠唱に応じよ」

 言うと、ケイネスは魔術回路を起動し、朗々と呪文を呟き始めた。
 ケイネスとランサーとの間に繋がるラインが増強されたのをランサーは感じ取った。
 魔力の供給に滞りは無く、その旨を告げるとケイネスは再びベッドに横たわり瞼を閉じた。

「私は疲れた。もうしばし眠る。警戒の方を任せたぞ」
「ハッ」

 ランサーは頭を垂れ応えた。再び眠る主に対し、ランサーは跪いた。

「申し訳ありません……、主」

 涙を零し、ランサーは謝罪する。
 ランサーは思った。

――――主は今、何を思っているのだろう。

 ランサーにはケイネスの気持ちが分からなかった。
 愛する人を失い悲しんでおられるのか、己の判断を悔やんでおられるのか、魔術師として冷徹なる己を肯定しておられるのか、どれだけ考えても、彼の思いを察する事が出来ない。
 そして、唐突にランサーは気が付いた。
 己が今まで一度としてケイネスを見ていなかったという事実に。
 忠義を尽くす。
 それがランサーの願いだった。
 故にランサーにとって主とは己が願いを叶える為の云わば偶像であった。
 彼に己の思いを分かってもらえないと嘆いた事がある。
 だが、己はどうだったのだろうか?
 ケイネスがどういう人物で、何を思い、何を願い、この聖杯戦争に参加したのか、それすら己は知らないではないか。
 ランサーは愕然とした。

「ああ、だから私は主に信用してもらえないのか……」

 漸く気が付いた。
 こんな、もうどうしょうもない状況になって、漸く……。
 主に信用されたいなら、まず、己が主を信じなければならなかったのだ。
 ランサーは乾いた笑い声を発した。

「とんだ愚か者だな……私は」

 ランサーは一滴の涙を零し、再び霊体化した。
 己の愚かさを呪いながら……。

 アインツベルンの森の一角に寂れた小屋があった。
 元は何に使われてたのかは定かでは無いが、そこに数人の男女が集まっていた。

「舞弥。奴の様子はどうだ?」

 キャスターの魔術によって、髪型を変えられた秋山勲を名乗る切嗣は舞弥に問うた。

「今のところ、問題は無いかと。キャスターの調整したホムンクルスに上手く騙されてくれている様です」
「それは重畳。よし、お前達」

 切嗣はその場に居合わせる残りの二人に顔を向けた。
 そこに居るのは傍目にはどう見ても切嗣とアイリスフィールにしか見えない二人組だった。

「お前達はこれから魔術師殺し・衛宮切嗣と聖杯の担い手・ツェツィーリア・フォン・アインツベルンとしてケイネスと接触してもらう。奴を上手く動かす事が僕達の勝利の鍵となる。上手くやってくれ」
「了解」

 そう、切嗣の姿をしたホムンクルスは切嗣とまったく同じ声で答えた。

「かしこまりました」

 アイリスフィールの姿をしたホムンクルスもまた、アイリスフィールの声で答えた。

「……ありがとう」

 切嗣は零すように呟いた。
 舞弥は驚き目を瞠るが、男女のホムンクルスはクスリと笑った。

「我々は貴方と……そして、アイリスフィールの為に生み出されたホムンクルスです。感謝の言葉などいりません」

 と、男のホムンクルスは言った。

「どうか、アイリスフィールを幸せにしてあげて下さい。それが、我々の願いです。衛宮切嗣。例え、貴方がどの様な意図を持って参加したとしても、我等が母、モルガンによって手を加えられた今、我々は貴方を非難しません」

 と、女のホムンクルスは言った。

「どうか、我等の同朋に人としての幸せを」

 男のホムンクルスの言葉に切嗣は目を見開いた。
 切嗣はキャスターの作り上げたホムンクルスをただの道具として考えていた。
 さっきの言葉とて、物言わぬ道具に対し、馬鹿げた感傷に過ぎぬものだった。
 だが、何だこれは?
 まるで、感情を持っているかのように喋る目の前の男女のホムンクルスに切嗣は声を失った。

「ああ、どうか心配なさらず。我等のコレは我等の基となったユスティーツァの残滓に過ぎません。ある程度、自身で行動出来るようにとモルガンが調整したのです」

 と、女のホムンクルスは言った。

「我等の自我はとても希薄です。モルガンによって設定された命令以外は辛うじてユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンの意志を反映させる事が出来る程度。故、我等の願いというのは正確ではありませんね」

 男のホムンクルスの言葉に切嗣は困惑した顔をした。
 女のホムンクルスはおかしそうに微笑むと言った。

「つまり、アイリスフィールの幸せを望むのはユスティーツァの意志という事です。尤も、彼女はあくまで天の杯――――ヘブンズフィールに至る事を第一として願っています。モルガンがそこの所を調整し、優先度を下げたが為に我等は同朋、アイリスフィールの幸せを願えるわけですが」

 苦笑いを浮かべる女のホムンクルスに切嗣は息を呑んだ。
 迷いが生じてしまった。
 キャスターによって、アイリスフィールとイリヤスフィールは存命出来るようになった。
 キャスターの策によって、勝利もほぼ揺るがぬものとなった。
 自分達は一般人として紛れ、その間に残りの参加者達に潰し合いをさせる。
 身代わりであるホムンクルスに自分達を演じさせる事で自分達の存在を完全に眩ませるという徹底振りだ。
 その為にわざわざ二体のホムンクルスを冬の城から共に連れ立ったのだ。
 ホムンクルス達が死んだとしても自分達の安全は保証される。
 イギリスから来日した秋山一家として誰に見咎められる事も無く、平穏に時間を過ごす事が出来る。
 そして、最後の一人になれば、キャスターには一度限りだが、確実に敵を殺す宝具がある。
 つまり、待てばいいのだ。
 残り一人になるまで待ち続ける。
 それで勝利は確定する。
 ただ、その際に気を付けなければならないのは聖堂教会に所属していたマスターの存在だ。
 言峰綺礼。その来歴や在り方から切嗣が最も警戒しているマスターであり、切嗣達にとって、最も厄介な立ち位置に居るマスターだ。
 何故なら、聖堂教会にはサーヴァントの生死を確認する事が出来る魔術具がある。
 言峰綺礼は聖堂教会から魔術協会に移ったと聞くがそれを額面通りに受け取るわけにはいかない。
 キャスターは魔術によってサーヴァントとしての気配を断ち、魔術具にも引っ掛からないよう手段を講じてはいるが油断は出来ない。
 言峰綺礼は何としても消さなければならない。
 故にランサーという手駒を手に入れる策を講じた。
 その為にホムンクルス達には多大な労働を強いている。
 更に、これからは命の危険も孕む事になる。
 この様に、アイリスフィールの幸せを願える彼等、彼女等を犠牲にして良いものか、嘗ての魔術師殺し・衛宮切嗣ならば決して考えなかったであろう考えを思い浮かべ、切嗣は深く悩んだ。

「悩む必要は無い」

 切嗣は己と同じ声を発するホムンクルスの声にハッとした表情を浮かべた。

「我等は我等の願いの為に戦うのみ。貴殿も貴殿や貴殿の家族の為に戦う事に集中して下さい」
「そろそろ、行かねばなりません。衛宮切嗣。我等に対する思い、ありがたく頂戴致します。ですが、どうか迷わずに」

 女のホムンクルスはそう言うと表情を消し去り、硬い声で「行って参ります」と言い、小屋を出て行った。
 男のホムンクルスも後に続き、最後に舞弥だけが残った。

「舞弥……」

 舞弥に対して言い澱む切嗣に舞弥は冷たい眼差しを向けた。
 久宇舞弥。
 それは彼女の本当の名前では無い。
 切嗣が彼女を拾い、最初に作った彼女用のパスポートに記載した仮の名だ。
 元は戦場で少年兵として戦わされていたのを切嗣が救い、切嗣が自らの理想の為の駒となるよう様々な事を仕込んだ女だ。
 自身を切嗣の道具であると肯定し、彼の為に今日に至るまで生き続けた彼女に切嗣は何かを言おうと思うが、言葉が出なかった。

「何も言う必要などありませんよ」

 舞弥は言った。

「貴方は……このままで」

 冷たい目を一瞬だけ和らげ、舞弥は振り返りホムンクルス達の後を追った。

「舞弥!」

 声を掛けるが、舞弥は立ち止まらずに去って行った。
 切嗣は備え付けのベッドに腰を降ろし、頭を抱えた。

「本当に、これで良いのか……?」

 自身の理想の為に人を犠牲にする。
 その覚悟を持って、日本に来た筈だというのに、己は安全な場所で平穏を享受し、彼等や彼女達ばかりに犠牲を払わせようとしている。
 無論、戦略上で言えばこれが正しい。
 マスターたる己とサーヴァントたるキャスター、そして聖杯の担い手たるアイリスフィールが無事に生き残り、勝利するにはこれ以上の策など無い。
 何せ、負けようが無いのだから。

「迷うな……。迷うな!」

 己に言い聞かせるように、切嗣は叫んだ。
 そして、自覚した。どうしようも無く、己は弱くなってしまったと。
 家族で笑い合って生きられる。
 そのあまりにも幸福な日常がこれからも続けられる。
 その現実があまりにも強く衛宮切嗣を縛り付ける。
 切嗣から仮面を剥ぎ、牙を抜き、爪を丸くする。
 無責任で、愚かしくて、最低な事を祈ってしまう。
 どうか、舞弥もホムンクルス達も皆生き残って欲しいと……。
 己の欲望の為に犠牲を強いておきながら、身勝手極まりない願いを抱いてしまう。
 
――――ああ、僕は本当に弱くなってしまった……。

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