第三話「死喰い人」

第三話「死喰い人」
 日刊予言者新聞の記事は俺達に暗い影を落とした。闇の印はヴォルデモートが全盛期の時に被害者の家に打ち上げられた災厄の証。当時の魔法使い達は闇の印を恐れた。自分の家に闇の印が浮かんでいないかを確認し、一喜一憂する毎日。もし、闇の印が浮かんでいたら、家の中に残してきた家族が殺されているという事。誰々の家に闇の印が浮かんだと聞けば、今日は自分の家じゃなかったと喜ぶ。自分の家に闇の印が浮かんだ事を知れば、何故、自分の所なのだ、と嘆く。闇の印はヴォルデモートの力の強大さを分かりやすく世に知らしめ、死の恐怖を刻み込む死の刻印。
 ソーニャとジェイクは特に怯えている。二人は俺達とは違い、あの時代を生きた人達だ。闇の印が齎す恐怖を誰よりも知っている。マチルダも同様だが、彼女は闇祓いに在籍し、常に戦場に立っていた。今でこそ、結婚して引退し、かれこれ十年以上になるけれど、その精神は闇の印如きで揺れる程やわではない。
 俺はソーニャとジェイクに挟まれながら二人の握る手をそっと握り返して上げる事しか出来ない。どうして、こうなってしまったのだろう。俺はただ、本で読んだよりも良い方向に世界が変わればいいと思って行動して来たつもり。ネビルを助けた事やノーバートと賢者の石の事をダンブルドアに任せた事も良かれと思っての事。なのに、全てが悪い方向にばかり進んでしまう。たぶんではなく、間違いなく、こうなってしまったのは俺のせい。俺が何もしなければ、きっとヴォルデモートの動きはこうも加速したりしなかった筈。
 ハリーはヴォルデモートが復活しようとしていると言った。敵の血を欲していると。恐ろしい考えが頭を過ぎる。ヴォルデモートの復活が遅れたのはひとえにヴォルデモートがハリーに執心していたからだ。リリー・エバンスがハリーに掛けた古代の守護呪文を破る為にハリーの血が必要だったヴォルデモートはハリーの血を得ようとした為に復活が遅れた。
 ヴォルデモートがハリーに掛けられたリリーの守護に気がついたのは賢者の石の事件で彼がハリーに触れられず、返り討ちにあったからの筈。その事件をダンブルドアに任せてしまったから、彼はハリーの血に執心する理由が無くなり、適当な敵の血で復活してしまおうと考えているのかもしれない。すると、日刊予言者新聞の闇の印は更なる恐ろしい意味を持つ。ただの死の刻印では無く、ヴォルデモート復活の狼煙。闇の印が上がったクラウチ邸と言えば、バーテミウス・クラウチ・ジュニアが居る筈。ヴォルデモートに対する忠誠心の厚い彼が自由になったとしたら、いつヴォルデモートが復活してもおかしくない。
 でも、どうしてだろう。本ではヴォルデモートがジュニアの事を知ったのはバーサ・ジョーキンズを拷問して彼の生存を知ったからの筈。日刊予言者新聞は毎日読んでたけど、彼女の失踪のニュースはどこにもない。それに、クィレルもワームテールも無しに一体どうやって魔法省の高官の家で事件を起こす事が出来たのだろう。ロンの方に頭を向けると、彼はペットのネズミを大事そうに抱えている。ワームテールは間違いなくそこに居る。
 悩んでいると、突然暖炉に炎が燃え上がった。エメラルドグリーンの炎。誰かがフルパウダーを使ったみたい。一瞬、そこからヴォルデモートが顔を出すのではないかとあり得ない事を考えて身を竦ませた。炎の先から現れたのはスクリムジョールだった。スクリムジョールは一直線に俺に向かって歩いて来た。
 何事だろう。スクリムジョールは俺の前で立ち止まると、剣呑な眼差しを向け、俺の肩を掴んだ。

「本当なのだろうな?」

 わけが分からない。主語が無くて、何を言っているのかわからない。でも、聞き返したくてもスクリムジョールの睨みに萎縮してしまい声が出ない。何が、本当なのだろうな? なのだろう。
 アルがハッとした表情で立ち上がり、俺の肩を掴むスクリムジョールの腕を掴んだ。

「アンタ、いきなり何してんだよ」

 スクリムジョールは一瞬アルに目を向けたけど、直ぐに俺に視線を戻した。

「答えなさい!! さもなければ君も幽閉しなければならん!!」
「幽閉!?」

 ソーニャが飛び上がってスクリムジョールに詰め寄った。

「どういう事!? どうして、私の子供を幽閉なんて!?」
「そうだ!! いくら闇祓い局の局長だろうがユーリィを幽閉するなんて許さんぞ!!」
「事情があるのだ!!」

 詰め寄るソーニャとジェイクに一喝し、スクリムジョールは言った。

「答え次第ではそうしなければならん。さもなければ、我々は敗北してしまう」
「どういう事だよ!? 第一、アンタは何を聞きたいんだ!? 本当なのだろうな? だけじゃ、何が何だかわからない!!」

 アルの言葉にスクリムジョールは大きく咳払いをした。少し落ち着いたように見える。

「……そうだな。質問を改めよう。ユーリィ・クリアウォーター。君に聞きたいのはつまり……、分霊箱についての情報を得たのが本当に日記のヴォルデモートからなのか? という事だ」
「え?」

 予想外の質問だった。夏休みに入る前、彼に分霊箱の話をした時、彼は直ぐに信じてくれた。なのに、どうして今になってそんな質問をするのだろう。戸惑い、答えに詰まる俺にスクリムジョールは瞳に危険な色の光を灯し始めた。

「ならば、お前がッ!!」

 そんな俺を救ってくれたのはエドだった。エドは俺から無理矢理スクリムジョールを引き剥がし、間に立ってスクリムジョールを牽制した。

「止めるな、エドワード!! これは重要な事だ!!」
「分かっている。だが、相手は子供だぞ。そんな風に詰め寄っては答えたくても答えられないだろ」

 エドの言葉にスクリムジョールは黙り込んだ。エドはスクリムジョールが落ち着いたのを確認すると、俺に向き直った。

「ユーリィ、済まなかったな。だが、とても重要な事なんだ。答えてくれ。君がホグワーツで局長に言った事が真実なのかどうかを。分霊箱の事。そして、その情報を日記のヴォルデモートから得たという事だ。真実だと俺の目を見て誓えるな?」

 心臓を掴まれたような気分になった。相変わらず、どうして、そのような質問をするのか分からない。でも、エドの目は真剣だ。俺は弱々しく頷いた。
 分霊箱の事は真実を話している。情報源は実際は違うけど、俺の答えにエドは満足した様子でスクリムジョールを見た。

「本当なのだな?」

 スクリムジョールは再度確認するように問い掛けてきた。もう一度頷くと、スクリムジョールは大きく溜息を零した。

「そうか……」

 安堵と失望の入り混じったような溜息だった。

「いきなり、どうしたんだ?」

 アルが問い掛けるとスクリムジョールは答えずに立ち上がり、再び暖炉に向かって歩き出した。

「エドワード。このまま私と来い。ファッジの奴が段々と煩くなってきた。今、我々の行動を阻害されるわけにはいかん」
「待ってくれ。今日はホグワーツに出発する日だ。キングス・クロス駅まで見送ってやりたい」

 チラリとこちらを見て、スクリムジョールは頷いた。

「よかろう。確かに、万一の事を考えると、護衛が必要だな。キングズリーも寄越す。ホグワーツ特急にも色々と策を講じねばな……」

 スクリムジョールが姿を消すと、ホッとした拍子にへたり込んでしまった。皆も唖然としている。ソーニャとジェイクに至ってはショックのあまり口をポカンと開けたままスクリムジョールの去った暖炉を見つめている。アルはエドに詰め寄った。

「どういう事なんだ!? なんだよ、あのスクリムジョールの態度は!?」
「答えられん」

 エドはバッサリと切り捨てた。

「答えられん、じゃねぇだろ!? 幽閉するって言ったんだぞ!! 答えろよ!!」

 アルはエドに掴みかかった。けれど、エドは動じた様子も見せずにアッサリとアルの手を振り解き、俺を見た。

「ユーリィ。君が真実を話しているなら問題は無いんだ。だけど、もしも……仮にだが、秘密にしている事があるなら、私でなくても構わない……。アルにでもいい。話してくれ。これはとても重要な事なんだ」

 エドの真剣な眼差しに俺はただ頷く事しか出来なかった。

「さあ、そろそろ夜明けだ。もう準備をしてしまおう!」

 エドはそう言うと話を締め括った。胸騒ぎがする。何か得体の知れない恐怖を感じる。スクリムジョールとエドは何を考えているんだろう。
 結局、その恐怖の意味が分からないまま時は進んだ。
 キングス・クロス駅に向かう時、スクリムジョールが予告した通りにキングズリーが現れた。彼も挨拶をそこそこに俺を訝しそうに見つめた。一体、何だと言うんだろう。
 エドの車に乗り込む時も俺の隣に座り、まるで監視をしているみたい。俺の秘密って何の事だろう。勿論、秘密にしている事はたくさんあるけど、闇祓いが躍起になって知りたがる秘密って何の事?
 分霊箱の情報源は確かに日記のリドルからじゃなくて、生前の本から得た知識だけど、そんな事、言っても信じて貰えないだろうし、信じて貰えたとしても皆に嫌われてしまう。万一にもスクリムジョール達がそんな想定をして語っている筈が無い。だとしたら、情報源として何を想定しているのだろう。もしかして、俺がヴォルデモートと繋がっているとでも思っているのだろうか。それこそまさかだ。
 ホグワーツ特急の中でも俺達はスクリムジョールの事が気になって、その事ばかり話し合った。だけど、答えは出ない。

「でも、幽閉なんて穏やかじゃないわ。敗北っていう言葉も気になるし」

 ハーマイオニーは苛々した様子で言った。凄く問題の難しいテストをノーヒントでやってるみたい。答えに繋がる手掛かりがまったくない。

「疑問って言えばさ」

 ロンはふと思いついたように言った。

「スクリムジョール達。よくハリーの夢を信じたよな」
「どういう事?」

 ハリーがムッとした様子で聞くと、ロンは慌てたように首を振った。

「ぼ、僕はもちろん信じてるよ。たださ、それは僕らが友達だからだろ?」

 そうだ。どうして、疑問に思わなかったんだろう。本の中ではハリーの言葉はロンやハーマイオニー、それにダンブルドアしか耳を貸してくれなかった。なのに、スクリムジョール達はアッサリとハリーの意見を取り入れた。
 普通、夢の話なんて信じるほうがどうかしてる。

「駄目だ……。スクリムジョール達が何かおかしいってのは分かってるのに、何がおかしいのかがさっぱりだ」

 額に手を当てながら悩むアルに声を掛けようとした時、突然コンパートメントの外が騒がしくなった。どうしたんだろう。廊下を覗くと、他のコンパートメントからも生徒達が顔を出している。遠くで誰かが悲鳴を上げた。何者かが乗り込んできたらしい。吸魂鬼だろうか? シリウスは脱獄していないけど、闇の印が上がった事でハリーの警護が強化された可能性はある。ヴォルデモートや死喰い人が真っ先に狙うとしたらハリーだから。
 だけど、少し様子がおかしい。吸魂鬼なら、入って来たと同時に寒気がする筈だ。だけど、コンパートメントの中は初秋の夜気特有の涼やかさを僅かに感じるだけ。
 また、悲鳴が聞こえた。一つ一つのコンパートメントを開けながら、入って来た何者かが近寄って来る。不意に誰かに引き寄せられた。

「ハリー、透明マントを出してユーリィとハーマイオニーと一緒に隠れていろ」
「アル!?」
 
 アルは杖を引き抜いて扉の前に立った。

「スクリムジョールの言葉の意味は分からない。だけど、あいつはユーリィが狙われる可能性を示唆していた。それに、ハリーも狙われる可能性は十分にある。入って来たのが何者かは知らないが、用心するに越した事は無い」

 それならアルも隠れてよ。そう言おうとした俺に先んじてアルは焦ったように言った。

「早くしろ。変なマントの奴等が近づいてきた。ありゃ……、もしかして、死喰い人か!?」

 言葉を失った。まさか、こんな所に現れるなんて思わなかった。本の中でホグワーツ特急が襲われたのは三巻での吸魂鬼の来襲だけ。だから、咄嗟に対応が出来なかった。ハリーは慌てて手荷物の中から透明マントを取り出した。汽車に乗る前にマッドアイから手荷物として持っているよう念を押された。こうなる可能性を考慮していたのかもしれない。
 でも、死喰い人の狙いは誰? ハリー? それとも、俺?
 分からないまま、ハリーは俺とハーマイオニーを引き寄せてマントを被った。直後、コンパートメントの扉が開き、仮面を被ったマントの男が現れた。とても友好的な相手には思えない。アルは杖を袖に隠しながら仮面の男を睨み付けた。

「お前達はハリー・ポッターとユーリィ・クリアウォーターのご友人か」

 心臓を鷲掴みにされた気分。仮面の男はハリーだけでなく、俺の名前まで口にした。どこかで聞いた事のある声。どこで聞いたんだろう。仮面の男はゆっくりとコンパートメントの中を見回した。

「隠したのか? そう言えば、ハリー・ポッターは透明マントを所有しているらしいな」

 心臓が早鐘を打つように高鳴った。

「おい」

 アルが仮面の男に声を掛けた。止めて。相手が死喰い人なら、死の呪文を使う事に躊躇いなんて無い筈。下手な事は言わないで。

「ハリーだけじゃなくて、ユーリィの名前まで口にしたのは何故だ?」

 アルの言葉に仮面の男は微笑んだように感じた。仮面で実際の表情は読めないけど。

「ああ、君を知っているよ。ユーリィ・クリアウォーターを見つけねばならん。その人質にぴったりだ。君にちょっと苦痛を与えてやれば――――」

 そう言って、仮面の男は杖をアルに向けた。その光景に息が止まり、頭の中が真っ白になった。ただ、何も考えずにマントを抜け出した。

「馬鹿!!」

 アルが声を張り上げる。関係無い。アルに手を出すなんて許さない。杖を取り出す手間も惜しい。拳を握って殴りかかる。

「馬鹿な小僧め」

 仮面の男は軽々と避けて俺の腕を掴んだ。痛い。引き剥がそうと手を伸ばしたら、反対の手まで掴まれてしまった。

「ユーリィ!!」

 アルが杖を向けると、仮面の男は素早く杖を振るった。アルと男の間に火花が散る。

「その歳で無言呪文とはマッドアイの指導の賜物だな」
「なんでそれを!?」

 驚くアルの一瞬の隙を突いて、男はアルの杖を吹き飛ばした。

「しまった!?」
「ハリー・ポッターは次の機会としよう。とりあえずユーリィ・クリアウォーターだけで――――」

 その瞬間、ハリーが透明マントから飛び出した。突然のハリーの登場に仮面の男は隙を作った。

「サーペンソーティア!! 来い!!」

 ハリーの杖から光が溢れ出した。

「なんだと!?」
「嘘……」

 男だけではなく、ハリー自身が驚いている。ハリーの杖から現れたのはバジリスクだった。確かに、バジリスクも蛇だけど、サーペンソーティアの呪文で呼び出せるとは思わなかった。バジリスクは瞬く間に仮面の男に接近すると、その体を易々と吹き飛ばした。俺ごと……。

「ユーリィ!!」

 向かいのコンパートメントまで飛ばされ、あまりの衝撃に息が詰まった。必死に動こうとするけど、全身がバラバラになったみたいに痛くて視界もぼやけている。
 漸く視界が回復したと思うと、目の前にはエメラルドグリーンの鱗に覆われた俺なんて一呑みに出来そうな大蛇がいた。あまりのショックに声が出なかった。
 
「ユーリィ!!」

 あ、やばい。今来られるのは非常に不味い。

「大丈夫か、ユーリィ!!」

 アルは膝を折って俺を抱き起こしてくれた。出来れば、あんまり視線を動かさないで欲しい。

「気絶しているが、念の為だ」

 アルは俺を抱き抱えたまま麻痺の呪文を死喰い人に放った。

「なっ、こいつは!?」

 アルの驚く声に少し痛む頭を動かすと、そこに倒れていたのは予想外の人物だった。

「キングズリー!?」

 不死鳥の騎士団に入団し、闇の帝王と戦う筈の彼は死喰い人の姿で気を失っていた。

「どういう事……?」

 俺の問いに答える声は無かった。

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