第三話「ユーリィの願い」

第三話「ユーリィの願い」

 変身術の教室の隅に座るママはとてもやつれていた。私は皆に廊下で待っていて欲しいとお願いして、一人でママの前に立った。
 不安があった。私は変わってしまったから、ママに私が私なんだって、分かってもらえるか、凄く不安だった。グラストンベリー・トーに助けに来てくれたみんなは私の事を直ぐに分かってくれたけど、それはあの教会に居たのが私だけだったからかもしれない。
 いざ、ママに話し掛けようと思って、まごついた。どう、声を掛ければいいんだろう。つい、助けを求めてしまいそうになり、慌てて頭を振った。こんな時まで、アルに頼っちゃ駄目だ。深呼吸をして、ママに歩み寄った。すると、ママは私の存在に気が付いて、嬉しそうに顔を綻ばせた。

「おかえりなさい、ユーリィ」

 考えた台詞が一瞬で消し飛んでしまった。
 その後の事はあまり覚えていない。ママに抱き着いて、只管泣いていた気がする。気がついた時にはママの膝枕で眠ってしまっていた。
 誠の記憶のおかげで、女の子の体になった事を素直に受け入れられた。そう、勘違いしていただけだったんだ。本当は全然受け入れられてなんていなかった。
 ヴォルデモートに囚われているという極度の緊張が動揺を押さえ込んでいただけみたい。涙で爛れてしまった顔を洗おうとトイレで鏡を見た瞬間、私はパニックを起こして、ママに泣きついた。ママはずっと優しく撫でてくれた。ママとそっくりだった髪も目も全て変わってしまった私に変わらず接してくれた。
 ジャスパーの今後の事とか、いっぱい考えなきゃいけない事がいっぱいあるのに、私は幼い頃に戻ったみたいにママに甘えた。今日だけでいい。今日が終わったら、ちゃんとする。だから、今日だけはママに思う存分甘えたい。私の想いを察してくれたのか、連合の皆はそれぞれ突然仕事を思い出して、出て行ってしまった。
 
「ユーリィ」

 頭を撫でて貰っていると、ママは言った。

「あなたはこれからどうしたい?」
「これから……?」
「ママも……パパもユーリィの意思を何よりも尊重するわ。ユーリィがしたい事の為なら、何だって協力する。何か、やりたい事はある?」

 直ぐには答えられなかった。私はこれからどう生きて行けばいいんだろう。ユーリィ・クリアウォーターとして、生きて行っていいのかどうかすら分からない。
 だって、私の姿はすっかり変わってしまった。顔も体つきも完全に女性のものになってしまった。
 もう、学校にだって通えない……。

「何でもいいのよ。無理だって、自分で決めつけないで、言ってごらんなさい」

 まるで、見透かされているみたい。

「……学校に通いたいの」

 辛い事もいっぱいあったけど、私はホグワーツが好き。だって、ホグワーツには彼との思い出がたくさんある。
 彼とだけじゃない。ハーマイオニーやネビル、ロン、ドラコ。皆との思い出がいっぱいある。

「ユーリィ・クリアウォーターとして、生きたいの」

 ママとパパがつけてくれた私の名前。姿形は変わっても、私の名前は唯一つ。

「それに……」

 顔が赤くなるのを感じる。言うのが恥ずかしい。私は男の子だったのに、ママにこんな事を打ち明けるなんて、凄く気まずい。

「アル君とお付き合いしたいのね」
「マ、ママ!?」

 先に言われてしまった。恥ずかしさで死にそうになる。

「えっと……」

 ママは少し困ったような表情を浮かべた。

「アル君はユーリィの事を愛してるって、堂々と宣言してるわよ?」
「……え?」

 頭が真っ白になった。つまり、どういう事なの?
 ママは苦笑いを浮かべながら、私がヴォルデモートに攫われてからのアルの活躍や言動を語ってくれた。
 嬉しさ半分と、恥ずかしさ半分でのたうち回った。
 アルが私を愛してくれている。それは嬉しい。間違いなく嬉しい。だけど、そこまで堂々と公表しなくても良かったと思う。

「でも、少し前向きになれるんじゃない?」

 ママは言った。

「少なくとも、女の子になって、悪い事ばかりじゃないって事。アル君のお嫁さんになりたいんでしょ?」

 アルのお嫁さん。お嫁さん。

「お嫁さん……」

 真っ白なウエディングドレスを着た私と私を抱き上げるタキシード姿のアル。
 エプロン姿で彼にご飯を作って、彼と一緒に寝起きして、夜は彼と……子供は三人くらい欲しいかも。

「子供は三人くらい欲しいかも」
「……孫の名前は私も一緒に考えていいかしら?」

 そう言うママの顔はほんの少し、引き攣っていた。

「でも、アルのお嫁さんに……本当になれるのかな?」
「どうして?」
「だって、私って、今こんな状態だし……。法律上とか色々……」
「その辺りはきっと、スクリムジョールさんが何とかしてくれるわよ。なんていっても、あの人は今や魔法省大臣なんだし、きっと、相談に乗ってくれる筈だわ」
「……でも」
「アル君が本当にお嫁さんに貰ってくれるかが心配?」

 ママは苦笑いを浮かべている。
 私的には一番の懸案事項なんだけど……。

「アル君は間違いなくユーリィにゾッコンよ。それは間違い無いわ。まあ、告白してくれるかどうかは怪しいけど……。奥手とはとてもじゃないけど言えないけど、肝心な事を言わないタイプな気がするのよね、あの子。何て言うか、言わなくても伝わってんだろ! みたいな」

 出来れば、ロマンチックな告白とかされてみたい。だけど、アルにそういうのを期待するのは間違ってるのかな?

「試しに、彼に気持ちを聞いてみたらどうかしら? 同じタイプのエドにマチルダは熱烈アピールして、彼の心を鷲掴みにしたそうよ?」
「……それで、やっぱり元男は……って言われたら……」
「無いと思うけど……」
「だって、アルってモテるんだよ? 学年一の美人のパーバティが彼にアプローチしてるの」
「怖がっちゃだめよ。好きなら、彼の事を信用してあげなきゃ駄目。彼はユーリィを好きだと口にした。なら、その言葉を信じてあげなさい。彼はあなたを救う為に危険を冒して勇気を示したわ。なら、今度はユーリィが示す番じゃない?」
「……ママ」

 アルを信じる……。信じなかった事なんて無かったのに、初めて私は彼を疑っている。だって……、元々男だったなんて、あまりにもハードルが高い。
 どうして、初めから女の子として生まれてこなかったんだろうって、悔やみそうになる。でも、それは私を産んでくれたパパとママへの侮辱になってしまう。
 
「大丈夫」

 ママは私の頭を撫でながら言った。

「きっと、上手くいくわ。見た目は私にそっくりだけど、心はジェイクにそっくり。あなたの心にはジェイクから受け継がれた勇気がある。愛する人の心を得たいなら、戦いなさい」
「……パパ」

 涙が滲む。パパに会いたい。優しい笑顔で私の頭を撫でながら、私に愛を注いでくれたパパ。
 パパは私の為に勇気を示した。ヴォルデモートの心をも揺るがす勇気を示した。
 その息子なら……今は娘になっちゃったけど、勇気を見せなきゃ……示しがつかないよね。

「……頑張って見る」

 私は立ち上がった。私の勇気なんて、例えるなら今にも消えそうな弱々しい蝋燭の灯火。今、覚悟を決めなくちゃ。

「ママ……。わ、私、アルに会ってくる!!」

 ママは柔らかく微笑んで頷いた。

「二人でも、三人でも、それこそ四人だっていいから、ママに孫の顔を見せて頂戴ね」
「うん!!」

 元気良く頷くと、ママは拭き出した。何か、変な事を言っちゃったかな?
 とにかく、アルに会わないといけない。

「あ、少し待ちなさい」
「え?」

 立ち止まると、ママは杖を軽く振った。すると、顔の表面をふんわりした光が覆った。

「せめて、少しでも可愛くなってから行きなさい」

 泣きすぎてヒリヒリ痛んでいた目元からスッと腫れが引いていた。
 ママにお礼を言って、今度こそ、ママに言った。

「行ってきます!!」

 振り返って、扉から外に出て行く。外は暗くなっていた。
 もう、皆、寝静まっているのかもしれない。アルも、もう寝ちゃってるかも……。
 そう思って、グリフィンドールの寮の扉の前に立った。

「あらあら? 見掛けない子ね」

 太った貴婦人は目を丸くしながら言った。
 やっぱり、私がユーリィだと分からないみたい。当たり前だけど……。
 入ろうと思って、合言葉を口にしたけど、太った貴婦人は入れてくれなかった。合言葉は少し前に変わってしまったみたい。

「ユーリィ……?」

 困っていると、後ろから声を掛けられた。
 暗がりから姿を現したのはネビルだった。

「どうしたんだい?」
「あ、えっと……」

 ネビルの手には御馳走がいっぱい。

「あ、実は今、中でパーティーをしてるんだ。その……ヴォルデモートが倒された記念に。……素直に喜ぶ気になれないんだけど、ほら、皆の浮かれた空気に水を差したくないからさ」

 ネビルは言い訳染みた事を言った。

「あ、もしかして、中に入りたいの?」

 慌てて、私は頭を振った。パーティーの真っ只中にこんな姿で行けるわけがない。

「……えっと、アルを探してるの」
「……そっか」

 ネビルは少し寂しそうな顔をした。

「どうしたの?」

 尋ねると、ネビルはニコリと微笑んだ。

「アルなら、天文台に居るよ」
「天文台に?」
「パーティーには参加する気になれないってさ。あそこで本を読んでたよ」
「本を?」
「あんまり本を読むタイプじゃなかったと思うんだけどね」
「えっと、ありがとう、ネビル。私、行ってみるね」
「……ユーリィ」

 ネビルにお礼を言って、踵を返して天文台に向かおうとすると、ネビルが呼びとめた。

「なぁに?」
「……えっと、その……」

 ネビルは何かを言いよどんでいる様子だった。

「どうしたの? 具合……悪い? 大丈夫?」

 心配になって、近寄ると、ネビルは首を横に振った。

「……ユーリィ。僕も君が好きだったよ」
「え?」
「幸せになって欲しい。誰にも負けないくらい幸せになって欲しい。幸せで幸せで毎日が楽しくて仕方が無いって思える毎日を送って欲しい」
「ネビル……?」
「アイツが君を哀しませるような事をしたら言ってよ!! 僕、アイツをぶん殴ってやる」

 私、馬鹿だ。ネビルの思いに、今になって気付いた。でも、いつからだったのか分からない。私が女の子になったから? それとも、それよりも前から?
 ただ、言える事は一つだけ。私は彼に応えて上げられない。

「ネビル……」
「ユーリィ。君にはその資格がある。だって、世界を救ったのは実質的に君だ。君はヴォルデモートを救った。そして、世界を救った。だから、誰よりも幸せになって良いんだ。誰かが文句を言ったら、僕を呼んで!! 誰かが君の幸せを邪魔しようとしたら僕を呼んで!! 僕、戦うよ!! 君の為に戦う!!」
「ネビル」
「……僕じゃ、君に幸せはあげられない。だから、僕は祝福するよ。他の誰よりも祝福する」

 謝りかけた。だけど、必死に思い止まった。
 言い掛けた言葉を呑み込んで、違う言葉を口にした。

「ありがとう、ネビル。大好きだよ」
「……僕も大好きだ。行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます」

 ネビルに手を振ると、彼は泣きそうな笑顔で手を振り返してくれた。
 こんな風に思ってくれる人が居たなんて知らなかった。ネビルの気持ちが凄く嬉しい。
 ネビルのおかげで、迷いは完全に絶ち消えた。
 必死に天文台に向かって走り、階段を駆け上がる。最後の一段を昇った瞬間、彼の姿が瞳に映った。
 月明かりを光源にして、一冊の本を読んでいた。あの背表紙は間違い無い。

「嵐が丘を読んでるの?」

 声を掛けると、彼は驚いた様子も見せずに頷いた。

「今まで、何度読んでも分からなかった」
「何が……?」

 アルは開いているページの一文を指でなぞりながら言った。

「ユーリィが気に入ってるって言ってた言葉……漸く、分かった気がする」

 アルは囁くような声で【その言葉】を謳いあげた。

“My great miseries in this world have been Heathcliff’s miseries, and I watched and felt each from the beginning: my great thought in living is himself.”
“If all else perished, and he remained, I should still continue to be; and if all else remained, and he were annihilated, the universe would turn to a mighty stranger: I should not seem a part of it.”
“My love for Linton is like the foliage in the woods: time will change it, I’m well aware, as winter changes the trees.”
“My love for Heathcliff resembles the eternal rocks beneath: a source of little visible delight, but necessary.”
“Nelly, I am Heathcliff! He’s always, always in my mind: not as a pleasure, any more than I am always a pleasure to myself, but as my own being.”

 そう、私の大好きな台詞。それは――――【I am Heathcliff】。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。