第三十八話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に始まった戦い

 全ステータス最高値同士の激突は大地を蹂躙した。
 周囲の建造物はただの一度の激突で粉塵と化し、二騎が動くだけで地面が抉れていく。キャスターとマキリの魔術による広域の人払いが無ければ二騎は互いに騎士としてこうも全力ではぶつかり合えなかっただろう。
 今宵、深山町は決戦場となり、そこに在るのは魔術師とサーヴァントのみ。彼らは皆、今宵こそが此度の聖杯戦争の天王山となる事を本能で、あるいは冷静な戦場分析によって理解していた。
 セイバーとランサーは互いに全力でぶつかり合いながらも全くの無傷だった。最高クラスの耐久力は宝具のぶつかり合いの中でさえその身を容易には傷つけさせはしない。だが、それ以上に彼らの身を守っているのは“極み”ともいえる各々の武勇。
 互いの技巧は音速を凌駕する速さの中で尚冴え渡り、己の身に相手の刃を決して届かせはしない。二人の攻防はその様相の激しさとは裏腹に拮抗し、戦況は停滞の一途を辿っていた。 
 停滞する戦場に一石を投じたのは大地の崩壊だった。二騎の激突は地盤に巨大な負荷を掛けていた。地下数メートル先に巨大な空洞の広がる上であれほどの立ち回りをされれば、如何に魔術による強化がなされていようとももはや意味は無く、セイバーとランサーは間桐の魔術工房へと降り立った。身軽に着地したランサーは思わず息を呑んだ。

「なんだ……、ここは?」

 その驚きは地下に広がる空洞に対してでは無い。
 ランサーの眼前に広がる地獄絵図に対するものだった。
 そこには死が広がっていた。
 ランサーは嘗ての戦場を駆けた英傑の一人だ。
 故にこそ、無数の屍を見て来た。
 だが、彼の眼前に広がる光景は彼が見て来たどんな戦場とも異なった。
 
――――蟲が人を喰らっている。

 狂気染みたその光景にランサーはセイバーを睨み付けた。
 セイバーは屍を貪る蟲の泉の上に立ち、真っ直ぐいランサーを見返している。

「ここは……、地獄か?」

 思わずそう呟くランサーにセイバーは鼻を鳴らした。

「地獄。……そうだ、地獄だ」

 セイバーは足元を這い回る蟲を己が聖剣で薙ぎ払いながら零す様にそう吐露した。

「体内を蟲に貪られ、死んでいく。その苦しみ、その絶望、如何様なものか……」

 地下の空洞内では連れて来られてから直ぐに死ぬ事が出来ず、今尚生き永らえてしまった運の悪い者達の嘆きと怨嗟の声が轟いている。
 吐き気を催すような惨状にランサーは顔を歪めた。

「我が主を、そして、主が守ると誓った少女を救う。その為に、私は負けるわけにはいかぬ」

 獰猛な眼差しを向けるセイバーにランサーは囁くような声で問うた。

「だから罪無き民草の命を奪うと言うのか?」

 ランサーの言葉にセイバーは凍てつくような殺意を放った。
 セイバーは肌を刺す怒気に曝されながら、ランサーはどこか落胆の色をその表情に浮かべていた。

「貴殿は誇りある騎士と信じていたが……」
「なんだと?」

 ランサーはセイバーの視線を涼しい顔で受け流しながら言った。

「たしかに貴殿の考えにも一理はある。主を救う為の手段として、貴殿がその手段を肯定したならば、それも一手だろう」

 だが、とランサーはセイバーを睥睨した。

「それは王道ではない。貴殿の剣にはどうやら、決定的に騎士の誇りが掛けているらしい」

 瞬間、空気が一変した。
 空間そのものが軋みを上げている。
 剣の英霊が放つ殺気は今までの比では無く、戦場は呼吸すら困難な緊迫に包まれた。

「我が剣に誇りが無い……だと?」
「事実だろう。英雄としての誇りを持つ者ならば、いかな理由があろうとも主の外道を見過ごす事など断じて出来はしない筈だ。なあ、裏切りの騎士よ」

 侮蔑を隠さぬランサーの物言いにセイバーはハッと嗤った。

「ならば、その精錬なる騎士道を胸に逝くがいい」

 セイバーが呟くと同時に両者の刃が激突した。
 その一撃によって、周囲に無駄がっていた蟲共は悉く粉塵となり、地下の大空洞を大きく揺るがせた。

「潔癖なだけの騎士道など――――」
「誇り無き騎士道など――――」

 二騎は互いを睨み付けながら叫んだ。

「私は――――」
「オレは――――」

 二人の声が重なり、二人の獲物が交差する。

「断じて認めない!!」

 戦場を地下の蟲倉に移し、セイバーとランサーの決戦の第二幕が切って落とされた。

 紺碧色の空、どこまでも続く砂塵。
 大地を踏み鳴らす無数の英傑達の足音だけが鳴り響くライダーの発動した固有結界内にありながら、紅の騎士・アーチャーのサーヴァントは臆した様子を欠片も見せずに軍勢を率いるライダーを睥睨している。

「これぞ我が軍勢だ」

 ライダーは胸を張り、誇る様に言った。
 王の呼び掛けに応じた英傑達は熱砂の風を吹き飛ばす程の雄叫びを上げた。
 時空の彼方より呼び寄せられた、嘗て王と共に夢を見た彼らの想念がこの空間を形成している。

「壮観だな」

 皮肉気に口元を歪めながら言うアーチャーにライダーは満面の笑みをもって応えた。

「夢を束ねて覇道を志す嘗ての英傑達の心象風景か」
「さあ、アーチャーよ!! 存分に戦を楽しもうぞ!!」

 ライダーが腰に携えるキュプリオトの剣を抜き放ち、軍勢は喝采を上げる。
 そんな中、アーチャーは囁くように呟いた。

「残念だが、我等の戦いは戦などと呼べる程上等なものではないよ、ライダー」

 
――――I am the bone of my sword.

 聞き取れない程に小さな声。
 されど、アーチャーの呟きを耳にしたライダーはアーチャーの口元が動くのを目敏く見つけた。
 
――――Steel is my body, and fire is my blood.

「何をするつもりかは知らぬが、そう易々と思い通りになるとは思わぬ事だな」

 ライダーはそう言うと剣をアーチャー目掛けて振り下ろした。

「蹂躙せよ!!」

 ライダーのその一声によって、軍勢は砂塵の大地を踏み鳴らした。
 舞い上がる砂煙を見据えながらアーチャーは動かなかった。
 
――――I have created over a thousand blades.

 迫り来る軍勢の中には軍神がいた。
 マハラジャがいた。
 以後に歴代を列ねる王朝の開祖がいた。
 一人一人が紛れもない英雄である彼らを前にしながら冷静さを失わないアーチャーにライダーは豪快に笑った。
 
――――Unknown to Death.

「矢を放て!!」

 軍勢の先陣がアーチャーに到達するより前にライダーの後方から無数の矢が放たれた。
 矢は一本一本が弓兵として英霊の座に招かれた英傑達の放ったものだ。
 故にその一撃一撃は低ランクの宝具にすら匹敵する威力を誇る。
 
――――Nor known to Life.
 まるで雨のように降り注ぐ矢を前にアーチャーは右手を前に突き出した。
 
――――Have withstood pain to create many weapons.

「熾天覆う七つの円環――――ロー・アイアス!!」

 大気を震わせ、アーチャーはその花の真名を謳った。
 何処かより出現した七枚の花弁はアーチャーを守護し、主を打ち抜かんとする魔弾の豪雨を悉く弾き返していく。
 熾天覆う七つの円環――――。
 かのトロイア戦争において、大英雄の一撃を唯一防いだ大アイアスの盾は花弁の一枚一枚が古の城壁に匹敵する防御力を持ち、こと、投擲武具に対しては無敵の概念を持つ結界宝具だ。
 この盾を前にしては、宝具クラスの力を持つ矢であろうとも塵芥に過ぎない。
 
――――Yet, those hands will never hold anything.

「多芸よな、アーチャー!!」

 だがソレはライダーの進軍を止めるものではない。
 目と鼻の先にまで迫ったライダーと彼の駆る漆黒の馬を前にアーチャーは最後の一節を口にした。
 
――――So as I pray, unlimited blade works.

 その瞬間、アーチャーを中心として炎が走った。
 地面を走る紅蓮の炎は空を赤々と燃え上がらせ、壁となって境界を作り、世界を変貌させる。

「これは――――、余の王の軍勢と同じ!!」

 ライダーは眼前の光景に思わず動きを止めた。
 王の軍勢は今や嘗ての均整の取れた美しい世界では無くなっていた。
 砂塵の一部は荒野に変わり、空には不気味な歯車が回転している。

「固有結界――――リアリティ・マーブルとは本来は悪魔が持つ異界常識だ。人の身で為そうとすれば、世界からの修正が働く。抑止力による排斥対象となるわけだ」

 アーチャーは言った。
 ライダーは静かに耳を傾けた。
 ライダーは嘗て魔術を学んだ事がある。
 だが、深い知識があるわけではない。
 魔術の奥義にして、最大の禁忌たる固有結界の詳細など彼の知識には無かった。
 故にアーチャーの語る己の宝具の情報に興味を惹かれたのだ。

「仮に、固有結界の担い手が二人居たとして、同時に固有結界を発動すればどうなるか? 答えは簡単だ。世界からの修正は何重にも膨れ上がり、双方共に自滅する」
「だが、我等はこうして今尚健在ではないか。王の軍勢も貴様の固有結界も歪になってはいるが存在している」

 ライダーはまるで全く違う柄の布を適当に縫い合わせたかのようなちぐはぐな世界の様相を不快そうに見ながら言った。

「ああ、何事にも例外はある。それが貴様と私だ。そも、世界の修正とは世界にとっての異物を排除するための自浄作用だ。だが、我等の固有結界は英霊となり、世界によって己が能力として認められたもの。世界にとって、我等の世界は歪みに非ず、故に排斥対象とならない」
「なるほど、故にこそこの状況というわけか」
「我等の戦いは武勇を競うものではない。互いの世界を侵食し合う世界の食い合い、それが我等の戦いだ」

 アーチャーは炉に火をくべるが如く令呪によってもたらされた莫大な魔力を己が世界の拡大に向けて解き放った。
 蒼穹の空は瞬く間に茜色に染まっていき、砂塵の大地は荒野へと変貌する。

「我等が絆をなめるでないわ!!」

 対するライダーもまた、己が軍勢を鼓舞するが如く腕を振り上げた。
 それに応じる様に軍勢は声を上げ、茜色に染まる空を蒼穹へとお仕返し、荒野へと変わろうとする砂塵を再び広げた。

「この世界は我等が絆そのもの!! 時空をも超える決して切れる事の無い硬い絆こそがこの世界なのだ!! 貴様如きに打ち破れるものではないわ!!」

「アーチャーが消えた……。今のはライダーの宝具なのかしら?」

 挑戦的な視線を向けて問いを投げ掛ける凛に桜は答えなかった。
 令呪の存在がアーチャーの無事を教えてくれるが、凛は内心穏やかではいられなかった。
 密かに苛立ちを募らせる凛に桜は遠くを見つめる様に呟いた。

「ライダー……」

 桜の顔に浮かぶ感情は驚愕だった。
 訝しむ凛を尻目に桜はライダーの居た空間をじっと見つめている。
 互いに無言。
 聞こえる音と言えば彼方におけるセイバーとランサーの大地を揺るがす激突音のみ。
 凛はソッと手をポケットの中へと差し入れた。
 指の先に虎の子の宝石がぶつかる。
 偉大なる大師父の遺したという遠坂家の家宝。
 失われた臓器の蘇生をも可能とする強大な魔力が込められたその赤い宝石を握り締め、凛は真っ直ぐに桜と雁夜を見つめた。
 雁夜はその視線を真っ向から見返すと、残り一画の令呪の宿る手を持ち上げた。

「令呪をもって命じる。セイバー」

 雁夜の言葉に凛は戦慄し、咄嗟に自身の令呪を発動させようと魔力を集中した。
 だが、凛が令呪を発動させるより早く、雁夜は最後の令呪を発動した。

「勝て」
「……え?」

 雁夜の発した言葉に凛は呆気に取られた。
 凛だけではない。
 虚空を見つめていた桜までもが雁夜の行動に目を丸くしている。

「雁夜さん……?」
「セイバーは勝つ。そして、残るキャスターはセイバーの敵じゃない。なら、後は凛ちゃん。君か君のサーヴァントを倒せば、僕達の勝利は確定する」
「雁夜おじさん……」
「凛ちゃん。いこうか」

 雁夜の言葉を号令に、地下から無数の蟲が這い出した。
 数えるのも馬鹿らしくなる程の空を埋め尽くす蟲に対して、凛は臆する事無く己の切り札に魔力を流し込んだ。

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