第四十話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に終わりを迎える聖戦

「狙撃手――――アーチャーが居るという事を失念していたのかね?」

 動いたのはアーチャーだった。異なる方角から同時に発射された銃弾をアーチャーは神業染みた動きで打ち落とし、銃弾の放たれた方角に向け、刹那に投影した矢を放った。
 アーチャーの眼に映るのはライフルのスコープを覗き込む女達。どの顔も一様に度を超えて美しく、それ故にアーチャーは彼女達の正体を看過した。

「動き出したか、衛宮切嗣」

 放たれた矢は桜と凛を射殺しようとしたホムンクルス達の脳天を貫き絶命させた。だが、それと同時に四方八方からさらなる銃声が響き渡った。
 悉くを撃ち落すが、次から次へと銃弾が少女達を狙い、アーチャーはその場に縫いつけられたかのように動きを制限された。投影した長剣で雨の如く降り注ぐ銃弾を嵐を防ぐアーチャーにライダーが言った。

「しばし、マスターを頼む」
「ライダー?」
「奴らの掃除は余が引き受けよう。余の眼では貴様程確実には銃弾を撃ち落せぬのでな」
「いいのか? 主の下を離れて」

 桜を一瞥し、問い掛けるアーチャーにライダーは笑って答えた。

「貴様は殺さぬだろう。殺す気ならばそもそも守ったりせんわ」

 ライダーの言葉にアーチャーは銃弾を防ぎながら器用に肩を竦めて見せた。

「しかし、もう少し距離が短ければ固有結界で纏めて捉えられるのだがな……。どうやら、固有結界の効果範囲を学習したらしい……」
「どちらにせよ、伏兵が潜んでいる可能性が高い以上、安易に目に見える範囲の敵を固有結界に封じ込めるというのは悪手であろう」

 言いながら、ライダーは腰に差した剣を引き抜き、雷鳴と共に己が宝具を呼び出した。
 神威の車輪に乗り込むと、ライダーは桜を一瞥した。
 桜は周りの状況など視界に入らないらしく、一心不乱に雁夜の名を呼び続けている。

「……マスターを頼むぞ」
「……ああ。現状を打破してから第二戦といこう」

 アーチャーの言葉にライダーは小さく頷くと獰猛な笑みを浮かべ、神牛の手綱を引いた。
 神牛は雷を纏う蹄で虚空を蹴り、一直線に一番距離の近いホムンクルスへ向けて疾走した。

「セイバーの魂が聖杯に注がれたわ」

 戦場である間桐邸から遠く離れた円蔵山中腹にある柳洞寺の一室でアイリスフィールは言った。
 キャスターはその言葉に眉を顰めた。

「セイバーの魂が来た……という事は、アサシンの魂に介入したのは間桐では無かったという事か? しかし……」

 キャスターは以前、アサシンが消滅した折にアイリスフィールの下にアサシンの魂が来なかった事を思い出し、今回、セイバーの魂が問題無くアイリスフィールの下へ来た事に疑念を抱いた。
 あの時は間桐の魔術師が聖杯戦争のシステムに何らかの手を加えたのでは無いかと考えたのだが、元々間桐のサーヴァントであったセイバーの魂がアイリスフィールの下に現れた事を省みると、どうやらその考えは誤りであったらしい。
 ならば、アサシンの魂の行方はどこなのか? という疑問が再浮上した。
 聖杯戦争のシステムに介入出来る人物として真っ先に候補に挙がるのは御三家の魔術師達だ。
 その内、アインツベルン、間桐の二家を除外すると、残っているのは遠坂の魔術師という事になる。
 よく考えてみれば、アサシンのサーヴァントは元々遠坂の陣営が保有していたサーヴァントだ。
 ならば、間桐の魔術師よりもむしろ遠坂の魔術師が何等かの手を打ったと考えるのが自然な考えなのかもしれない。
 だが、やはり違和感がある。
 その違和感とはセイバーの魂に立ち返る。
 アサシンの魂に介入したのならば、何故、セイバーの魂には介入を行わなかったのか? 
 この疑問に対する答えをキャスターは用意出来なかった。

「前提から間違えているのかもしれない」

 キャスターの思考に水を差す様に切嗣が言った。

「アサシンは消滅した。従って、その魂は聖杯へ還る筈だ。その前提があるから僕達は何者かが聖杯戦争のシステムに干渉を行ったと考えた。だが、その前提が間違えっていたとしたら?」
「つまり、アサシンの消滅。敗退したサーヴァントの魂の行方。これらの認識に誤りがあると言いたいのか?」
「ああ、可能性としては二つ挙げられる。一つはアサシンの生存。だが、あの状況下でアサシンが生き残ったとは考え難い。ならば、二つ目、アサシンの魂の行方に関する認識の誤りだ」
「敗退したサーヴァントの魂は聖杯に還る。ここに誤りがあるとは思えぬが?」
「ああ、そこに誤りは無いだろう。つまり、僕が言いたいのはアサシンの魂が完全に消滅した可能性についてだ」
「魂の完全消滅……だと?」
「ああ、そうだ。あのアサシンの最期は覚えているかい?」
「無論だ」
「あの時、アサシンは宝具の影響で己の魂を削っていた。そう言ったのは君だ」
「……つまり、アサシンは己の宝具の影響によって自身の魂を完全に消滅させた。それ故にアイリスフィールの……小聖杯の下に還らなかったというわけか」
「その可能性は高いと思う。誰かが介入したわけじゃない。誰も介入していないんだ。だから、セイバーの魂は原則通りにアイリの下へやって来た」
「確かに筋は通る。だが、どうにも違和感が尽きんな……」

 キャスターは言いながら水晶で間桐邸の様子を映し出した。
 水晶に映し出されたのはランサーのサーヴァントが間桐雁夜の背中を紅の槍で突き刺した瞬間の光景だった。
 アイリスフィールは思わず息を呑んだが、キャスターと切嗣はその続きの光景に舌を打った。

「セイバーのマスターを治療するつもりか……」
「このまま、和解されるのは拙いな。アーチャーとライダーが万一にも手を組んだら面倒だ。何とか、今宵の内にライダーを仕留めたい。ランサーを動かすにしても、まずは奴をアーチャーと引き剥がす必要がある」
「なら、僕が行こう。残存戦力は既にあの区域に展開させてある。マスターを狙えば、アーチャーを足止めするくらいは出来るだろう。後は何とかライダーを引き剥がし、ランサーを使う」
「出来るか?」
「可能だ。あの二騎……、特にライダーの性格ならば上手く誘いに乗ってくれるだろう。まあ、出来ればライダーとアーチャーのマスターを諸共に殺せればベストだが……。アーチャーのサーヴァントを相手に足止め以上の効果は期待出来ないだろう」
「十分だ。空間転移で間桐邸から一キロ離れた地点に飛ばす。此方も確実にライダーを仕留められるように策を練っておく。頼んだぞ、切嗣よ」

 切嗣は小さく頷くとキャスターの魔術によって遠方へと転移した。
 元々、霊脈の集う地であり、天然の結界によって魔力の濃度が高い柳洞寺を更にキャスターが神殿化し、魔力の濃度を効率良く高める事が出来る様に細工し、今やキャスターはランサーを遠距離から強化しながら人一人を遠距離転移させるという離れ業を行使出来るまでに潤沢な魔力を蓄えていた。

「セイバー……、あの唐変木はトラウマを利用して打ち倒せたが、ライダーを相手に回復しきって居ない状態で連戦をさせて果たして勝てるかどうか……」

 切嗣は双眼鏡で間桐邸の中庭を覗き込んだ。
 魔術による細工の施された双眼鏡はまるで間近でその光景を直視しているかのようによく見える。

「絶対助ける……か、それは困るな」

 切嗣は無線機を取り出した。

「A-10はアーチャーのマスターを、C-6はライダーのマスターを撃て」

 切嗣が無線を介してホムンクルスに指示を出すと同時に双眼鏡のレンズの向こうで赤い外套のサーヴァントが動いた。

「これで、僕達の存在に気が付いたな」

 切嗣は片手で地図を開いた。そこには間桐邸の場所を中心に赤い十字が引かれ、十字の北西側に大きくAと書かれ、同様に北東側にはB、南東側にはC、南西側にはDと記されている。
 エリア分けされたそれぞれの区間に1から12までの数字が乱雑に記されている。

「ナンバー奇数はアーチャーのマスターを狙え。偶数はライダーのマスターだ」

 指示と同時に双眼鏡の向こうで紅のサーヴァントの動きが加速した。
 その間、幼い少女達は変わらずにセイバーのマスターに寄り添っている。
 その光景を見つめながら、切嗣は思った。

――――どうして、初めに僕は二発しか撃たせなかったんだ?

 初めから、全員に一斉に狙撃させればアーチャーの護りを抜け、片方だけでも始末出来た可能性がある。
 狙撃とは初撃必殺でなければならない。
 狙撃手の存在が標的に知られた瞬間、狙撃の成功率は格段に落ちるからだ。
 故に初撃こそ最大の好機であり、全員で一斉に狙撃させるべきだった。
 そうしなかった理由は単純だ。
 出来なかった。
 二人の少女に愛娘の姿が重なり、切嗣の判断力を鈍らせた。
 弱くなったという自覚は既にあったが、事この瞬間に於いて尚弱さを捨て去れない程に己の殺人者としての腕は鈍ったのかと下唇を噛んだ。

「ライダーが動いたか……。狙い通りだが、フィオナ騎士団随一の騎士の腕前、今度こそ見せてくれよ。色男」

 ライダーの宝具の疾走は狙撃手の一人たるホムンクルスを襲う前に大きく軌道を歪まされた。

「その形で余に挑もうというのか?」

 未だ片腕無き状態のランサーが紅の槍と共にホムンクルスの前に降り立った。
 ランサーはライダーの問いに応える事無く、地を蹴った。
 片腕を失い、負傷によってステータスは大きくダウンしているが、その速さは健在だった。
 一筋の雷光となり、ランサーは天を駆けるライダーの宝具へ迫った。
 ライダーは巧みに手綱を操りランサーを引き離すべくチャリオットを疾走させるが、嘗てのランサーとの戦いで神牛を一頭失った神威の車輪は目に見えてスピードが落ち、ランサーの接近を容易に許してしまった。

「貴様との因縁もそろそろ仕舞とするべき頃合いよな」
「ああ、貴様の死によってな!!」

 ライダーは一端ランサーを引き剥がすべく神威の車輪を天空へと駆け上がらせた。
 如何にスピードが落ちていようともサーヴァントの身で天を駆け昇るライダーの宝具の疾走を追える者など存在しない。
 雲を超え、月明かりを一身に浴び、ライダーは胸中で呟いた。
 
――――余の勝利は貴様と共にある。見ておるがよい。

 ライダーは神威の車輪を反転させると大声で吠えた。

「我が疾走、止められるものならば、止めて見せよ!! いざ、蹂躙せよ!! 遥かなる蹂躙制覇――――ヴィア・エクスプグナティオ!!」

 それは正しく落雷であった。ライダーの宝具はその真名を解放した事で雷神ゼウスの雷を纏い、大地に向かって音速を遥かに超えた速度で疾走した。地上からその光景を見上げるランサーはその口元に笑みを浮かべた。
 現在のランサーとライダーとの間の距離はおよそ40キロメートル程。ライダーの宝具の速度ならば無いに等しい距離だ。ライダーの渾身の魔力が込められた宝具の疾走。守りに入ればその絶対的な攻撃力によって圧倒されるだろう。
 故にランサーは己が渾身の魔力を脚部へと集中させる。守りに入れば敗北は揺るがない。だが、圧倒的な攻撃力は緻密な操作性を代償に生み出されたものだ。故に攻めに転ずれば付け入る隙が無いわけでは無い。

「手元にあるのが破魔の紅薔薇だったのは幸いだったな」

 必滅の黄薔薇では雷と化したライダーの宝具に弾かれて終わっていただろう。だが、ランサーの破魔の紅薔薇の能力は魔力の流れを断つというものだ。如何に強力な魔力を帯びていようともその流れを断ち切る破魔の紅薔薇の切っ先を止める事は出来ない。
 ランサーは破魔の紅薔薇を構えると、大地を蹴った。ライダーの宝具の疾走には及ばないが、ランサーは視認出来る程の強大な魔力を纏い、光の矢となってライダーの宝具の軌道上を跳んだ。
 勝負は刹那に終わった。雷と光の交差は一秒にも満たない一瞬であり、両者は共に地上の民家を悉く粉砕しながら大地に降り立った。ライダーは瓦礫の山と化した民家から脱出すると、己の片腕に視線を向けた。
 そこに在る筈のものが無くなっていた。

「片腕を持っていかれたか……。ランサーめ、余の宝具の疾走を恐れずに向かってくるとは中々どうして面白い奴よ。だが、奴も無事では済むまい」

「どうして……」

 凛は震える声で呟いた。家宝である宝石の強大な魔力を注ぎ込み、雁夜の治療を行っていたが、雁夜の呼吸が落ち着き始めてからどうにも治療が上手くいかなくなってしまった。傷の修復が上手くいかず、血が流れ出すのを止める事が出来ない。まるで、何かに宝石の魔力を吸い取られているかのようだ。
 底の抜けた桶に水を貯めているかのような徒労感に凛は焦りを覚えた。雁夜を救わなければならない。雁夜を救えば、きっと昔の様に桜が自分に笑いかけてくれる気がする。けど、雁夜が死ねば、桜は今度こそ本当に取り返しのつかない所まで堕ちてしまうだろう。もう、桜の笑顔を見る事が出来なくなってしまうだろう。
 嫌だ。それだけは嫌だ。凛は更に宝石から魔力を解放した。凛の今の魔力の制御技術と魔術回路の強度では限界ギリギリの量の魔力を放出させる。僅かでも操作を誤る度に神経を焼かれるような痛みが走り、顔を顰めるが、手を休めるわけにはいかない。どれだけの時間が経過しただろう。
 凛の疲労は限界に近づいていた。既に破壊された心臓を修復出来る程の魔力を流し込んでいるにも関わらず、雁夜の容体は一向によくならない。不安が脳裏を過ぎり、自身の限界を超えた魔力を流し込もうとした時、凛の手を誰かが掴んだ。

「もう……、いいよ」
「雁夜……おじさん?」
「雁夜……さん?」

 凛の手を取ったのは雁夜だった。

「ごめんね。意識が朦朧としてて……、止めるのが遅くなった」

 雁夜は苦しげに微笑みながら言った。

「雁夜さん、どうして?」

 桜は涙を溢れさせながら問うた。
 どうして止めるのか、と。

「桜ちゃん。俺はもう駄目だ」
「そんな事――――ッ」

 桜は否定の声を上げようとするが、雁夜は首を振って制した。

「どうしようも無い。臓硯が凛ちゃんから送られる魔力を根こそぎ蟲共に喰わせて俺が延命しないようにしているんだ」

 桜と凛の眼を大きく見開かれた。

「どう……して……?」

 凛は震える声で問うた。

「セイバーを失った時点で俺は用済みという事なんだろう。加えて、セイバーとランサーの戦いで蟲共の殆どが消滅したらしい。その補填に凛ちゃんの魔力を使うつもりだ。凛ちゃん、臓硯はそういう奴なんだ。身内とか、そんなの関係無い。奴にとって、他人はすべからく己が欲望を叶える道具に過ぎない」

 凛は恐怖した。臓硯の悍ましさに対してでは無い。臓硯の思考は狂人のものでは無く、あくまで魔術師としての思考の範疇内にあるものだと悟ってしまったが故に凛は震えた。つまり、臓硯は魔術師として生きる者のある種の往きつく先なのだ。
 凛が魔術師として生きていけば、臓硯のようになる可能性もある。その事実に凛は恐怖した。

「桜ちゃんを救ってくれ」

 雁夜の言葉に凛はハッとした表情を浮かべた。

「雁夜さん!?」

 桜はイヤイヤと首を振り、雁夜の手を取った。

「私を置いて行かないで!! ……一人にしないで」

 絞り出す様に桜は言った。
 雁夜は苦しげな表情を浮かべ、必死に上半身を起こした。
 胸からは夥しい量の血が流れ続けているが、もはや死に近づく痛みや苦しみは雁夜にとって慣れ親しんだものだった。
 雁夜は空いた手で桜の頭を優しく撫でた。

「一人じゃない」
「雁夜……さん?」
「君にはお姉ちゃんが居るじゃないか」

 雁夜の言葉に桜は首を振った。

「違う……、違うわ……。私には雁夜さんしか……、貴方しか……」
「本当に、そう思うかい?」

 雁夜は言った。

「桜ちゃん。君を悲しませないために必死に僕を助けようとしてくれたのは誰だい?」

 雁夜の言葉に桜は苦しげに顔を歪めた。

「凛ちゃんは桜ちゃんの味方だよ。桜ちゃん。君は一人じゃないんだ」
「……違う。姉さんは……、違う」
「桜ちゃん。君ももう分かってる筈だ」

 雁夜の言葉に桜は体を震わせた。

「ただ、認めるのが怖いんじゃないかな? 自分がお姉ちゃんを今でも愛している事をさ」
「そんな事――――ッ」

 桜が否定しようと声を上げると、雁夜は桜の小さな体を抱き寄せた。

「桜ちゃん。君は幸せになるんだ。他の誰にも負けないくらい幸せに暮らすんだ。その為にまず、第一歩を踏み出そう」

 雁夜はこみ上がってくる鉄臭い衝動を必死に抑え、桜の顔を凛に向けさせた。

「凛ちゃん。桜ちゃんを頼む」
「……任せてください」

 凛は涙を溢れさせながら言った。
 雁夜は微笑みながら桜の髪を撫でた。

「桜ちゃん。きっと、凛ちゃんが君を救ってくれる。だから……、幸せに……生きてくれ」

 そう言うと、雁夜の体はグラリと揺れ、地面に倒れ込んだ。
 凛と桜が雁夜の名を叫ぶが、雁夜は体を僅かにも動かす事が出来なかった。

「桜……ちゃん。幸せに……なって、くれ。それが……俺の願いだ」

 雁夜の弱々しい言葉に桜は涙を拭いながら精一杯の笑顔を浮かべて言った。

「……はい」
「ああ……」

 桜のその一言で雁夜の表情はこの上なく幸せそうな笑みに変わった。
 地獄のような苦しみは今尚彼を苛んでいる筈なのに。

「安心した……」

 そう呟き、雁夜はゆっくりと瞼を閉じた。

「雁夜……さん。……雁夜」

 桜は唇を閉ざし、息を引き取った雁夜の唇にそっと自分の唇を重ねた。

「桜……」

 凛は何を言えばいいのかが分からなかった。
 雁夜を救えなくて、ごめんなさい。
 雁夜の言葉を忘れないで。
 雁夜はきっと幸福だった。
 どんな言葉も空しいだけだ。

「雁夜は死んだか……」
「ええ……」

 いつしか舞い戻ったライダーの言葉に桜は頷いた。
 銃撃はいつの間にか止んでいた。
 ライダーが根こそぎ狙撃手を潰したらしい。
 アーチャーは凛の傍に控え、沈黙を保っている。

「……姉さん」

 桜は凛に顔を向けた。
 凛は必死に胸中に去来する様々な感情を押さえつけ、桜の言葉に耳を傾けた。

「ありがとうございます」
「……桜」
「雁夜さんを助けようとしてくれて」

 助けようとしてくれて……。
 そう、助けたわけでは無い。
 凛のした事は結局、助けようとしただけだった。
 結局、凛は雁夜を助けられなかった。
 そんな自分が今ここで桜を助けるなどと口にする事がどうして出来ようか。
 何も言葉が出ない凛に尚も桜は言葉を続ける。

「雁夜さんに言われて、気付きました。やっぱり、私は姉さんの事が嫌いじゃない」
「桜……」
「ええ、愛しています。今でも、貴女の事を」

 桜の言葉に凛は何も言えず、ただ湧き上がる歓喜の感情を抑えつけた。

「だから、私は嘘なんて、ついてない」
「……え?」

 桜のその言葉に凛は戸惑った声を発した。

「私が答えたのはその事だけ。だから、雁夜さんに嘘なんて……ついてない」
「桜……? 貴女、何を言って……」

 戸惑う凛を尻目に桜は偽臣の書を通じ、ライダーに命じた。

「ライダー。骨一つ、肉片一つ残さずに徹底的に私を殺しなさい」

 凛は咄嗟に桜を助けようと動いたが、その手が届く前にアーチャーに手を取られた。
 アーチャーは桜にも手を伸ばすが、桜は微笑みを浮かべ、その手を退けた。
 ライダーの宝具が顕現し、既に間近に迫っていたが故にアーチャーは離脱を余儀なくされた。

「桜!!」

 凛はアーチャーの腕の中から必死に桜に手を伸ばした。
 桜は最後に凛に微笑みかけると言った。

「ありがとう、お姉ちゃん」

 それが彼女の最期の言葉だった。
 神牛の蹄は容赦なく少女の肉体を踏み躙り、その身が纏う雷によって肉片一つ残さず焼き尽くした。
 そのあまりにも凄惨な光景に凛は絶叫した。

「桜……」

 アーチャーは少女の手を取れなかった己の手を見つめ少女の名を呟いた。

「ライダー」

 アーチャーはライダーに視線を移した。
 己が主たる少女を殺したサーヴァントは神牛の牽くチャリオットには乗らず、少女と青年の亡骸のあった場所を見つめていた。
 その胸に己が刃を突き立てながら……。

「あの化生を殺し尽くす事は出来なかったか……」
「ライダー……、貴様、何を?」
「マスターが死んだ以上、余の支配権はあの化生……間桐臓硯に委ねられる。隙を見て滅ぼす予定であったが……、こうなっては仕方無い。あの化生の操り人形となるよりは聊か不満は残るが潔く退場するとしよう」
「ライダー……」
「小娘の往く末を見届けるつもりだったのだがな。よもや、余が引導を渡す事になろうとは……。偽臣の書か……、偽物とはいえ、令呪に逆らう事は出来なかった。以前掛けられた二つの令呪の効力は使用用途が大雑把であったが故に徐々に薄まり、鎖として機能しなくなっておったが、完全に消え去ったわけでは無かったらしい」

 独り言のように呟くと、ライダーの体は徐々に光の粒子に変わり始めた。

「主を二人も死なせるとは、サーヴァントとして失格だな。今度こそはと思ったが、聊か、小娘の事を余は理解出来ていなかったらしい。反省したつもりであったのだが……」

 ライダーの脳裏に過るのは一人目の主であった少年との日々だった。

「まあ、またあの化生にちょっかいを出される前にさっさと消えるとするか。ではな、アーチャー」

 その言葉を最後にライダーは消滅した。
 その瞬間だった。目の前の空間が突如歪んだ。少女に嘆きの時間は与えられない。与えられるとすれば、更なる絶望の時のみ。
 捻じれた空間から現れたのは一人の女だった。アーチャーは咄嗟に凛を突き飛ばした。それは刹那の瞬間であったが、敵を前にするにはあまりにも大き過ぎる隙だった。その一瞬の隙に女は聞き取れない程小さな声で囁いた。
 アーチャーが振り返ると、そこには新たな存在の姿があった。その姿を見た瞬間、アーチャーの動きは止まった。あまりにも大き過ぎる衝撃に思考が停止し、ただ、震えた声でこう呟いた。

「セイ、バー……?」

 金砂の髪を月明かりで濡らし、騎士は一振りの剣を掲げた。
 彼女が持つ筈の黄金の剣とは異なる、されど、見る者の心を捉えずには居られないあまりにも美しい剣。
 嘗て、共に歩み、共に戦った、誇り高き騎士の顔がそこにあり、摩耗した記憶の中で尚輝ける出会いの光景そのままの声で騎士は謳った。

「我が終焉の戦場――――バトル・オブ・カムラン!!」

 そして、世界は一変した。

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