第四十二話 夢の続き

「ここは……」

 暗闇の中へ引きずり込まれたかと思うと、アーチャーはいつの間にか見覚えのない場所に横たわっていた。

「ここは、冬木市民会館のコンサートホールだ」

 そう、直ぐ近くから声が響いた。
 顔を向けると、そこに己をこの場所へと引きずり込んだ少女が居た。

「貴様は……、キャスターか」
「ああ、妾は此度の聖杯戦争においてキャスターのクラスを割り当てられ、現界した。名はモルガンと言う」
「モルガン……。やはり、と言うべきか……。何とも、此度の戦には騎士王の縁者が集まったものだな」
「ああ、まったくだ」

 軽口を叩き合いながら、アーチャーは自身の状態を確認した。
 霊核が損壊し、徐々に現界を維持出来なくなりつつある。
 投影魔術は一度が限界だろう。

「キャスター」

 新たに加わった声にアーチャーは思考を中断した。
 ゆっくりと顔をその声に向けると、アーチャーは目を見開いた。
 そこには美しい女性が居た。
 銀色の髪、真紅の瞳、そういった、ホムンクルスの特徴を兼ね揃えた儚げな雰囲気の女性。
 そして、その隣には女性によく似た一人の少女が居た。
 アーチャーは少女を見つめ、少女もまた、アーチャーを見つめた。

「イリヤ……」

 アーチャーのその無意識の呟きに少女――――イリヤは目を見開いた。

「イリヤって……」

 驚くイリヤにアーチャーは済まなそうな顔を向け、キャスターに視線を向けた。

「何故、私に止めを刺さない?」
「まだ、貴様が必要だからだ。妾の願いを叶える為にはな」

 キャスターの言葉にアーチャーは首を捻った。

「どういう意味だ?」
「まあ、世界を滅ぼしたいだとか、誰かを呪いたいといった類の望みじゃないから安心しておけ」

 そう言うと、キャスターは銀色の髪の女性に顔を向けた。

「すまんな、アイリスフィール。先に妾の願いを叶えさせてもらう。万能の願望機として機能させるにはサーヴァントを最低でも五体は捧げねばならぬが、妾の願いを叶えるにはコヤツを使った方が確実だからな」

 キャスターがすまなそうに言うと、アイリスフィールは首を振った。

「まずは貴女の願いを叶えてちょうだい」

 アイリスフィールは言いながら、己の胸の前に両手を運んだ。
 瞼を閉じ、アイリスフィールは意識を集中させた。
 キャスターはそっとアイリスフィールに近づくと、アイリスフィールの胸に手を当て、ゆっくりと離した。
 すると、キャスターの手に引き摺られるように、アイリスフィールの胸から金色の光が溢れ出した。
 光の中には美しい杯の姿があった。

「これがアインツベルンの聖杯の真の姿か……。中々の趣ではないか、あの爺にしてはだが……。しかし、これは……」

 揶揄するように言いながら、キャスターはアイリスフィールの内より取り出した聖杯をその手に収めた。
 計り知れない魔力を保有する黄金の杯を手にしたキャスターは片手をコンサートホールの舞台上に向けた。
 幾何学的な光の模様が舞台上に浮かび上がり、キャスターはそこにアーチャーを引き摺った。
 抵抗する余力も無く、アーチャーは為すがままに魔法陣の上に置かれた。
 キャスター自身も陣の上に乗り、聖杯を陣の上に浮かばせた。
 すると、キャスターは不意に眉間に皺を寄せた。

「言峰……綺礼」

 キャスターの呟いた言葉にアーチャーとアイリスフィールが反応した。

「キャスター?」

 アイリスフィールが不安そうな声を上げる。

「切嗣がアーチャーのマスターを仕留めそこなったらしい。どうやら、言峰綺礼が動き出したようだ」

 その言葉にアーチャーは安堵した。
 この場に切嗣が居ない事で最初に浮かんだのは凛の安否だった。
 やはり、というべきか、切嗣は凛を殺害しに向かっていたらしい。
 だが、綺礼が保護したのであれば悪いようにはならないだろう。

「言峰……、綺礼」

 反対にアイリスフィールはその名に底知れぬ不安を感じた。
 言峰綺礼という男の名をアイリスフィールが最初に聞いたのは日本に到着するより以前の事だ。
 各マスターの情報を協力者の力を借りて収集した切嗣が特に注目した男。
 危険なヤツだ――――切嗣は彼をそう評した。
 その男が今、聖杯戦争の終焉の折に立ち上がった。

「キャスター」
「とにかく、切嗣をこの場に転移させる。妾は儀式に入るのでな。その間、切嗣にこの地の防衛を頼む。ホムンクルスもまだ数体残っているが、どうにも不安が残るな……」

 キャスターは片手を軽く振った。
 すると、アイリスフィールの直ぐ傍に光が走り、虚空から切嗣が姿を現した。

「切嗣」

 アイリスフィールが駆け寄ると、切嗣はアイリスフィールを抱き締め、イリヤの髪を撫でた。
 そして、キャスターに顔を向けると言った。

「言峰綺礼が来る。ここと間桐邸の距離を考えると、車を使っても三十分は猶予がある。その間に全てを終わらせよう」

 切嗣の言葉にキャスターは頷いて応えた。
 直ぐに魔法陣の中に戻ると、キャスターは横たわるアーチャーを見下ろした。

「さて、始めるとしよう」
「何をする気だ……?」

 アーチャーの問いには答えず、キャスターは聖杯に手を差し伸べた。
 眩い光がコンサートホールを包み込み、アーチャーは思わず瞼を閉じた。
 すると、瞼の向こうから美しい旋律が響いた。
 瞼を開くと、キャスターは歌うように呪文を紡いでいた。
 キャスターの詠唱によって、聖杯の光がキャスターの描いた魔法陣へと流れていく。

「さあ、見るがいい」

 その瞬間だった。魔法陣に流れ込んだ聖杯の莫大な魔力が一気に爆発した。
 アーチャーの視界は光によって満たされた。

「これ……は」

 光の中にアーチャーは不可思議な現象を目撃した。
 それは、己の過去であり、己の過去ではないもの。まるで、過去の1シーンを切り取ったような映像が無数に視界を埋め尽くしている。
 そこには幼い頃の己が居た。
 聖杯戦争に参加する己が居た。
 イリヤを見殺しにする己が居た。
 夢半ばに倒れる己が居た。
 桜と愛し合う己が居た。
 セイバーと共に戦う己が居た。
 戦争を練り歩く己が居た。
 絞首刑台に上がる己が居た。
 己が経験した過去がある。
 己が経験していない過去がある。

「これは……なんだ?」
「これらは触媒となったお前――――衛宮士郎という男の可能性だ」

 いつの間にか、アーチャーの直ぐ隣にキャスターは立っていた。

「可能性……?」
「さすがに無数の並行世界の中から目的の世界を選び出すのは万能の願望機に託す他無かったが、衛宮士郎が居る以上、その必要は無くなった」
「何を言っているんだ?」
「さあ、仕上げといくか」

 そう言って、キャスターは片方の手を掲げた。
 すると、眩い光と共に見覚えのある美しい鞘が現れた。

「全て遠き理想郷――――アヴァロン」

 キャスターの紡いだその宝具の真名にアーチャーは瞠目した。

「さあ、来い。このアヴァロンの下へ!!」

 瞬間、全ての映像が光の渦に消えた。代わりに、光の一部が消え去り、その向こうに深い森が見えた。深い森を一人の男が歩いている。
 アーチャーは言葉を失った。目の前の光景はあまりにも予想の範疇を超えていたからだ。

「オレ……?」

 深い森を歩く男は紛れも無く己自身であった。

「お前であって、お前ではない者。奴こそが妾の願い」

 キャスターの言葉に困惑した表情を浮かべるアーチャーにキャスターは微笑んだ。
 ゆっくりと自分達の居る光の世界へと歩を進める男を見つめながらキャスターは口を開いた。

「嘗て、一人の少女が居た」

 キャスターは朗々と語った。

「少女は選定の剣を手に取り、王となった。王は戦乱の世を駆け巡り、己を殺し続け、国を守護し続けた。だが、永遠不滅のものなど無く、やがて国は滅びの刻を迎え、王もまた、終焉の刻を迎えた」
「そして、王は己が存在の抹消を願った……」

 アーチャーの呟きにキャスターは「ああ」と頷いた。

「王は戦った。己の存在を消し去るという願いを叶える為に……」

 だが、とキャスターは微笑みと共に言った。

「そんな王を少女に戻した男が居た」

 キャスターは語った。

「永遠不滅のものなどない。王もまた、王で無くなる時が来た。一人の少女として、一人の少年を愛した。そして、王であった少女の夢は終わりを告げた」

 キャスターの言葉にアーチャーは目を見開き、やがて、安堵の息を吐いた。

「夢の終わりに少女は願った。もう一度、同じ夢が見たい……と。だが、それには二つの奇跡が必要だった。一つは時間。そして、もう一つは……」
「並行世界の壁……。だから、第二魔法か……」

 アーチャーは全てを悟った。
 つまり、キャスターの願いとは……。

「セイバーとセイバーを救った衛宮士郎の再会。それが、お前の願いか?」

 キャスターはまるで優秀な教え子を誇るかのように「ああ」と頷いた。

「時の問題はアヴァロンにその身を置く事で解決出来た。まあ、あの悪魔……、マーリンの奴が色々と小細工を弄しはしたがな。だが、もう一つの問題は如何にマーリンと言えど荷が重かった」
「何せ、私のマスターの家門が数百年単位で挑む難問だからな」

 茶化すように言うアーチャーにキャスターは鼻を鳴らした。

「一緒にするでない。理論だけならば生前に既に完成させてあった。元々、異世界たる妖精郷――――アヴァロンへの扉を開く為の知識はあったし、悪魔の異界常識を知る者も傍に居たからな。だが、実現するにはあまりにも莫大な魔力が必要であった。何せ、並行世界の壁に人一人が通り抜けられる程の大穴を開かねばならぬのだからな」
「その為の聖杯か……」
「まあ、お前が居なければどちらにせよ願望機に頼らざる得なかっただろう。無限に広がる並行世界から目的の世界を何の手掛かりも無く特定するのはさすがの妾にも不可能だからな。その点、己が幸運に感謝しているよ」
「そのアヴァロンは……?」
「あの娘が夢より持ち帰った物だ」
「何とも、複雑な経緯を辿ったらしいな」
「ああ、お前の持つ宝石同様にな。同じ世界にまったく同じ物が同時に存在しているなど、そうそうありはしないだろうに」

 そう苦笑しながら、キャスターが取り出したのはもう一つのアヴァロンだった。

「アヴァロンが二つ……」
「片方は妾が持ち去った物。もう片方はあの子が夢より持ち帰った衛宮士郎との絆。驚いただろう、アーチャー。この第四次聖杯戦争にアルトリアが居ない事に」
「……ああ」
「それも必然よ。既にあの娘は聖杯に祈る願いを持たぬ身。ならば、より優先されるのは聖杯を貪欲に望む者。故に衛宮切嗣はアルトリアでは無く、妾を召喚した。そして、それによりこの世界はお前の世界とは異なる歴史を歩んだ」
「そういう事だったのか……。なるほど、第四次聖杯戦争に私が召喚された時点で妙だとは思ったが……」

 キャスターは二つのアヴァロンを消し去ると、光の狭間に目を剥けた。
 異界の衛宮士郎は既にアーチャーとキャスターの居る光の世界の目前まで来ていた。
 俯きながら、衛宮士郎は光の世界へと足を踏み入れた。
 キャスターが魔術によって誘導しているらしい。
 一歩一歩、キャスターの下へ歩み寄り、やがて、衛宮士郎はキャスターの前で立ち止まった。
 キャスターは至福の笑みを浮かべると、まるで抱擁するように両手を広げた。
 キャスターの手から光の中で尚眩く輝く光が溢れ出し、その光はやがて衛宮士郎を包み込んだ。

「アルトリアを頼むぞ。衛宮士郎」

 瞬間、光の世界は元の薄暗いコンサートホールへと戻った。

「しかし、やはりと言うべきか……」

 願いを叶えたキャスターはしかし、憂鬱そうな表情を浮かべた。

「キャスター?」

 アーチャーは横たわったままキャスターに視線を向けた。

「魔力が淀んでおった。純粋な魔力として使うには問題無かったが……。これは……」
「キャスター!」

 苦い表情を浮かべるキャスターにアイリスフィールが声を掛けた。

「貴女の願いは?」
「ああ、上手くいったよ」

 アイリスフィールの問いにキャスターは硬い笑みで応えた。

「なら、早く僕達の願いを叶えてくれ。あまり時間に余裕が無い」

 切嗣は無線を手にしながら言った。

「ああ、直ぐに取り掛かろう」
「待て、キャスター!」

 アーチャーは思わず声を上げた。

「その聖杯は穢れているのだろう!? その状態で衛宮切嗣の願いをかなえれば、その先にあるのは――――ッ」

 アーチャーの叫びにキャスターは肩を竦めた。

「案ずるな。妾はキャスターのサーヴァント。稀代の魔術師であるぞ? この程度の穢れ、妾が御せぬとでも思うか?」
「しかし!!」

 アーチャーは必死に立ち上がろうとするが、キャスターの魔術によって動きが封じられ、指一本動かす事が出来なかった。

「妾は二人の願いを叶える。それが妾と共に戦ってくれた二人へのせめてもの恩返しとなる。さらばだ、アーチャーよ」

 そう言って、キャスターはアーチャーに右手の掌を向け、そこに魔力を集中した。
 そして、今まさに魔弾を放とうとした、その瞬間だった。

「あ……がっ……」

 キャスターの胸から一振りのナイフの穂先が突き出ていた。
 己の胸から溢れ出す夥しい血にも目をくれず、キャスターは信じられないといった表情で背後を見た。
 そこに浮かぶ白い仮面の姿にキャスターはゆっくりと己が考えの間違いに気が付いた。

「ああ……、そう、か……。誰かが……細工をしたのでは……ない。魂が崩壊した、わけでもない……」

 アーチャーはその存在に目を剥きながら呟いた。

「アサ……シン?」

 そこにアサシンのサーヴァントが立っていた。
 瞳に狂気を宿しながら……。

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