第十話「決断」

 最近、俺の周りにはちょっとした変化が起きた。今年に入ってから、あのドラコ・マルフォイと少し距離を縮める事が出来たんだ。
 切欠は古代ルーン文字学の授業。俺はハーマイオニーと訓練や授業の合間の息抜きに創作料理の研究をしていたんだけど、そこにドラコが通り掛かって、話し掛けて来た。どうやら、僕らのノートが気になったみたい。彼は俺達が料理の研究をしているとは思わなかったらしく、 面食らっていたっけ。クラッブやゴイル達、所謂彼の取り巻きが居ないせいなのか、彼の雰囲気はいつもと少し違って見えて、俺達は新鮮な驚きを感じながら彼と料理を話題に話をした。
 ドラコ・マルフォイとの交流はそれで終わりでは無かった。あの会話を切欠に俺達は挨拶を交す仲になった。

「取り巻きが居なきゃ、そんなに悪い奴じゃないのかもしれないわね」

 いつものように古代ルーン文字学の授業の教室で軽く挨拶を交すと、ハーマイオニーはポツリと言った。
 あれが彼の本来の姿なのかもしれない。彼は彼の築いてきたコミュニティーを守る為にハリー達と敵対し、マグル生まれを蔑視しているように感じる。
 スリザリンという純血主義者が多く在籍する寮で一定の地位を築くにはそうしたパフォーマンスも必要なのだろう。一種の帝王学とでも言うのかもしれない。

「彼ともっと仲良くなれたら嬉しいね」
「……どうかしらね。少なくとも、面白く思わない人が何人か居ると思うわ」

 ハーマイオニーの懸念は当たっていた。
 ホグワーツの警備を担当する闇祓いに秘密の訓練を受け、お風呂で汗を流しながらアル達にドラコの事を話すと、四人は一斉に顔を歪めた。まるでナメクジを呑み込んでしまったみたい。

「マルフォイと仲良くなんて、君は正気かい?」

 吐き気を堪えるような顔でハリーは言った。
 まさか、正気を疑われるとは思わなかった。

「君。あんな奴と仲良くならなきゃいけない程、友達に不自由してないだろ?」

 ロンはまるで優しく諭すような口調で言った。
 確かに、アル達のおかげで今生では不自由しているつもりは無いけど、ソレとコレとは話が違う気がする。
 ネビルとアルは何も言って来ない。だけど、不満に感じている事は顔を見れば分かる。

「ネビルもドラコ君と仲良くするのは嫌……?」
「だって、アイツは前に君に暴力を振るったじゃないか!」

 ネビルの口調には怒りが滲んでいる。ドラコが俺に暴力を振るったのは随分と前の話だし、彼自身が俺を殴ったわけじゃないんだけどね。
 でも、俺の為に怒ってくれているネビルの気持ちが凄く嬉しい。

「ありがとう。でも、あれは随分と前の事だし……」
「僕は忘れないよ! 忘れられるわけが無いじゃないか! 僕を護って、君は怪我をしたんだ。僕はもう、君が傷つくのを見たくないんだよ」

 真剣な眼差しに思わず息を呑む。昔は俺よりもずっと背が低かったのに、最近だと彼の眼を見る時に少し顔を上げないといけなくなった。だから、こうして目と目が合う機会は中々無くなって来ていた。
 久しぶりに真正面から見た彼の目は昔のように自信なさげな弱々しいものでは無くなっている。しっかりとした意思を感じさせる眼差しに不思議な感慨を抱いた。
 二年目の事件の後、いつの間にか俺の背を抜いていたアルにも同じような想いを抱いたっけ。

「ネビルはかっこよくなったね」
「……へ?」

 素直に感想を言うと、ネビルは目を真ん丸く見開いた。

「大人っぽくなったっていうか……。体も大きくなったし」
「お、おい! いきなり、何言いだしてるんだよ!」

 アルが突然血相を変えた表情で詰め寄って来た。

「えっと、何て言うか……ネビルは順調に大人への階段を上がってるなーって思ってさ」
「大人への階段……?」

 ネビルはシャワーを頭から被ったまま、呆然と俺を見ている。もう、シャンプーは十分に流れているみたいだから、俺はシャワーを止めてあげた。

「そうだよ。だから……、ちょっと偉そうかもしれないけど、ネビルにはもっと広い視点で物事を見てもらいたいなって」
「広い視点……?」

 ポカンとした表情を浮かべる彼は思いのほか可愛い。訓練のおかげだろうか、体も以前のようなぷよぷよボディーとは違い、スッキリと引き締まり、顔にも精悍さが現れている。
 ハーマイオニーに聞いた話だと、密かに彼の女子人気は上昇しつつあるみたい。本ではダンスパーティーに誰も誘えなかったみたいだけど、今の彼なら引く手数多に違いない。

「ドラコ君の事も彼の外面だけじゃなく、立場や剥き出しの彼の在り方を見てもらいたいなって」
「立場……? マルフォイの?」

 ネビルは困惑した表情を浮かべている。

「そうだよ。彼はスリザリンの寮の中でも中心人物なんだ。お父さんが純血主義者の筆頭的立場だし、スリザリン寮には純血主義者が多く在籍している。そんな中で彼が実権を握るには純血主義である事を誰よりもアピールしないといけないんだと思う。だから、取り巻きが居る前ではマグル生まれを差別したり、ハリーに攻撃的にならざる得ない。でも、取り巻きが居ない所でなら彼は彼なりの帝王学に乗っ取って行動する必要が無くなる。古代ルーン文字学の彼はきっと彼の素の顔なんだと思うんだ」
「ユーリィ」

 アルは怪訝な顔をして声を掛けて来た。

「お前、アイツの事を気に入ってんのか?」
「うーん」

 気に入ってると言われればそうなのかな?
 
「彼は行動原理が明快だし、一貫してるから、そういう意味だと安心感があるかな」
「安心感……?」

 訳が分からない。アルの顔にはそんな心情がありありと浮かんでいる。

「ドラコ君は基本的に純血主義者として模範的に行動しようとしている。多分、幼い頃からそういう教育を受けてきたんだろうね。だから、彼が誰かを傷つけるのは根底にある彼の帝王学に基づいている。そういう意図が明快な人は好ましく思うよ」
「意味分からねーよ。結局は人を傷つけるんだ」
「でも、明確な意図も無く人を傷つける人よりはずっと好ましいよ」

 俺は昔を思い出しながら言った。
 生前、俺を虐める人達はドラコほど明確な意思を持っていなかった。
 思い出そうとしても、いつから虐めが始まったのかを思い出す事が出来ない。だけど、ハッキリしているのは明確に意図を持って虐めてきたのが女の子のグループだったという事。
 どうして、俺が虐められるのか、分からなかった。ただ、少なくとも彼女達は俺に対して憎しみを抱いていたように思う。
 彼女達の虐めはエスカレートしていき、最初は俺を庇ってくれる人も居た気がするけど、段々とそうした人は居なくなり、いつの間にかクラス中が俺を標的にして虐めを行った。
 俺の性格が他人を苛々させるものだって事は理解している。でも、最初からこうだったわけじゃない。昔は今よりも明るかったと思う。
 あの頃、俺を虐めていた殆どの人達は明確な意図を持たず、ただ楽しいから俺を虐めていただけだった。彼らにとって、俺を虐める事は玩具で遊ぶ事と変わらない。壊れるまで遊んで、あとはほったらかしにする。そんな彼らに怒りも憎しみも抱いていない。ただ、好きにはなれない。 

「……ユーリィ」
「多分だけど、俺の考え方は偏ってるんだと思う。自虐するわけじゃないけど、昔は周りに俺を傷つける人しか居なかったから、その中で好き嫌いを分けてたんだ。……うん。ごめんね。俺の考え方を押し付けるべきじゃなかった」

 ネビルに謝ると、彼は怒っていた。当たり前だ。俺の特殊な価値観を押し付けられて、彼にとっては良い迷惑だったに違いない。

「本当にごめ――――」
「謝らないでよ」

 ネビルは刺々しく言った。

「謝る事なんて無いよ。君の言う事は理解出来るもの」
「ネビル?」

 ネビルは深々と溜息を零し、立ち上がると湯船に向かった。

「要は君は流されて人を傷つける人間は嫌いで、自分の意思を持って傷つける人間は嫌いじゃないって事でしょ? 極端だけど、分からないわけじゃないよ。僕だって、少なくとも前者よりは後者の方がマシに思うもん。どっちも【嫌い】だけど、どっちがマシかって言われたらね」
 
 泡一杯の湯船に浸かると、彼は続けて言った。

「だから、君の価値観を真っ向から否定する気なんて無いよ。君がマルフォイに好意を持ってるのも理解出来た。だけど、僕には無理だよ。アイツの立場を理解して、アイツの本質を見極めるなんて、無理だよ。僕はどうしても、アイツが嫌いだからね」
「ネビル……」

 チクリと胸が痛んだ。俺は心のどこかでネビルなら俺の考えを理解してくれると信じていた。
 卑しい考えだけど、ネビルは虐められ易い子だったから、俺の考えに一番同調してくれると思い込んでいた。
 でも、そうじゃなかった……。
 少し、寂しかった。

「ユーリィ」

 アルは言った。

「悪いが、俺もさすがにその考え方には同調出来ない。ってか、そんな考え方を捨てて欲しいと思ってる」

 ぶっきらぼうな口調で彼は言う。

「俺だって、他人を傷つけたりもする。だから、誰かを傷つける人間は全部【悪】だ。なんて言うつもりはねーよ。けどな……」

 真剣な眼差しを向けながら彼は言った。

「少なくとも、自分を傷つける奴には敵意を持つべきだ。好意なんて抱くべきじゃない」

 アルの言葉はきっと正しい。俺の考え方は間違いなんだ。
 でも……、俺の心に根付いた考え方はそうそう簡単には変わらないだろう。

「好意を持つべきはお前を傷つける奴じゃなくて、お前を護る奴に対してだ。マルフォイみたいな野郎を気に掛ける余裕があんなら……もっと、近場に居る奴を気に掛けろってんだ」

 不機嫌そうに言う彼に俺は思わず頬を綻ばせた。
 考え方は変わっていない。だけど、俺は決してドラコにばかり目を向けているわけじゃない。
 むしろ……、俺がドラコに好意を向けられる余裕が持てるのは……

「俺はアルが大好きだよ?」
「……はい!?」

 アルは吃驚した様子で顔を向けて来た。あまりに勢い良く首を捻ったものだから、パキッと音がした程だ。

「ネビルの事も、ハリーの事も、ロンの事も、ハーマイオニーの事も大好きだよ。だから、俺は視野を広く持てるんだ。心から信頼出来る友達が居るから、俺はドラコに対して、色々と考える余裕が持てるんだと思う」
「あ……おう。そうか、なるほど」

 シャワーを頭から被り、石鹸の泡を落としながらアルは深々と溜息を零した。

「……ま、ちょっとアイツの立場ってのも考えてやっかな」

 アルは言った。シャワーを止め、湯船に向かう。俺も後に続くと、ハリーとロンも湯船に入って来た。

「マルフォイの事情なんて知るかって思うけど……、まあ、ユーリィがアイツと友達になりたいって言うなら止めないよ」

 ハリーは言った。

「ただ、アイツの父親は死喰い人で、アイツ自身モヴォルデモートの配下として動くんでしょ?」

 俺の語った物語の内容を指しているんだろう。
 俺が頷くと、ハリーは眼を細めて言った。

「警戒はするべきだよ。アイツがいきなりフレンドリーになるなんて、裏がある気がしてならないんだ。君の言う通り、本来のアイツは悪い奴じゃないのかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。その事は忘れるべきじゃないよ。もしかしたら、ヴォルデモートの指示で君に近づこうとしているのかもしれない」
「そんな事は……」
「無いって言い切れるのかい?」

 ハリーは睨むように俺を見た。
 根拠の無い否定は無意味だと、その視線は語っている。

「僕も君が大好きだ。それに、ハーマイオニーの事を愛してる。だからこそ、君達に万が一の事があったら嫌だ。警戒は怠らないでくれ」

 ハリーの言葉に俺は頷くしかなかった。

「俺もハリーの意見に賛成だぜ」

 すると、浴場の扉の奥から声が響いた。ダリウスの声だ。
 ダリウスはホグワーツを警備する闇祓いの一人だ。夏休みに引き続き、俺達に訓練をつけてくれている。

「あいつの親父は筋金入りの死喰い人だ。飄々と罪から逃れてやがるが、奴の邪悪さはよく知っている。息子のドラコ・マルフォイも油断していい相手じゃない。むしろ、奴の狙いがハリーの懸念している説たとするのが一番納得出来る。奴の豹変振りは帝王に下った証だと考えた方がいいぞ」
「それは――――」
「奴は恐らく、お前の懐に入り込み、情報を得ようとしているに違いない。帝王の密偵って訳だ」
「ダリウス! いくらなんでも、証拠も無いのに――――」
「だったら、証拠を掴め」
「……え?」
「奴が無実だってんなら、その証拠を掴んで見ろ。逆にこっちが奴の懐に入り込んでやるんだ。上手くすれば、奴から帝王の情報を得られるかもしれないしな」

 ダリウスは完全にドラコをクロだと思っているみたい。
 彼のここ最近の紳士的な態度は仮初の演技だと信じて疑って居ない。
 
「まあ、油断はするな。無理に踏み込む必要は無い。危険を感じたら、直ぐに逃げられるようにはしておけよ?」

 ダリウスの言葉に俺は素直に頷けなかった。
 俺はドラコと友達になりたい。料理の話や勉強の話をしている時、時折彼が笑顔を見せる。あの笑顔が嘘だとは思えないし、思いたくない。
 きっと、俺達は友達になれる筈なんだ。

 ドラコと会話をするようになってもう直ぐ三ヶ月に入ろうとしている。
 将来の展望を語ったり、レポートの感想を言い合う三人の時間はとても楽しかった。
 ハーマイオニーも満更じゃない様子で、俺達は彼を完全に信頼するようになっていた。
 ダリウスやハリーがあれほど忠告してくれていたのに、俺は自分の考えを正しいと信じ切っていた。
 だから、クリスマスが目前に迫ろうとしていたあの日、俺はノコノコと彼の呼び出しに応じてしまった。

『今度のレポートの事で少し話したい。あまり、俺達が一緒に居る所を見られるわけにはいかないから、人気の無い所がいい。暴れ柳を知っているか? あの近くに良い場所を見つけたから来て欲しい。 ドラコ・マルフォイより』

 彼からわざわざ誘ってくれたのが嬉しくて、俺は何の疑いも持たずに暴れ柳の所へ来てしまった。
 
「……悪いな」

 赤い光に意識を呑み込まれる寸前、彼の言葉が聞こえた。
 そして、次の目が覚めると、埃臭い小さな部屋に俺は居た。手足は縛られ、杖を奪われた状態の俺の前には彼が居た。

「僕にはもう、時間が無いんだ。こうするしかないんだ……」

 裏切られたとは思わない。ただ、少し哀しかった。彼が近づいてきたのはやはり、ハリー達の言葉通り、帝王の指示だったらしい。
 友達にはなれなかったみたいだ。

「闇祓いなら来ないぞ。ここへの通路は塞がれていなかった。奴等も知らないんだろうな。警戒も手薄だった」
「ドラコ君……?」
「だから、出来れば素直に話してくれ。そうしたら、帰してやる。本当だ……嘘じゃない。情報さえ手に入れば、きっと……大丈夫な筈だ。だから……、頼む。帝王が知りたがるお前の持っているという情報を僕に教えてくれ」

 ドラコの目を見た瞬間、俺は更に哀しくなった。
 間違えていた。友達になれなかったと思ったけど、そうじゃなかった。
 彼は苦しんでいる。俺を傷つける事を厭んでいる。

「……何があったの?」

 俺が聞くと、彼は震えた声で言った。

「……これを見ろ」

 彼は袖を捲くり、自分の腕を見せた。
 青白い肌に禍々しい黒の紋章が刻まれている。

「それは……」
「僕は帝王に誓いを立てさせられた。僕は……お前から情報を得なければならない。じゃないと……」
「もしかして……、人質を取られてるの?」
「……両親だ」

 苦渋に満ちた彼の顔に俺は涙が出た。
 彼は両親の命と俺との友情を秤に掛け、苦しんでいる。
 本来なら、秤にすら掛けられない両親の命と俺の友情を比べて、苦しんでいる。
 一方通行じゃなかったんだ。彼も俺やハーマイオニーとの三ヶ月を大切に思っているんだ。
 
「頼む……、話してくれ。じゃないと、僕は……」

 震える手で杖を握り、俺の胸元に押し付けながら、彼は懇願するように言った。

「お前は何を知っているんだ?」

――――さあ、君はどうしたい?

 頭の中で誰かの声が俺に囁いた。
 どうしたいかって? そんなの決まってるじゃないか。

――――なら、力を貸してあげるよ。ボクが力を貸してあげる。

 まだまだ、俺は閉心術を完璧にマスター出来ていないらしい。スネイプの授業は新学期になってからも続けているんだけどな。
 不思議な気分だった。意識がハッキリしているのに、まるで操り人形のように糸で操られているみたいに勝手に自分の体が動く感触は酷く奇妙だった。

「なっ!?」
「君はボク等をちょっと甘く見過ぎているね」

 口から飛び出した言葉に奇妙な感覚を覚えながら、俺はいつの間にか握っていた杖でいつの間にか発動していた呪文を使い、拘束から脱し、自分の意思で彼の杖を奪い取った。

「俺も少しは強くなってるんだよ」

 微笑む俺に反して、彼は酷く怯えた表情を見せる。どうして、そんなに怯えるんだろう。まるで、俺が恐ろしい怪物だとでも言うかのように彼は酷く怯えている。

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