第十六話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に企む人々

 戦いの幕が開いた。

「貴様の首級を頂きに来たぞ、ライダー」

 その言葉と同時にランサーはライダーに向かって赤い槍を突き出した。その速さたるや、ウェイバーの認識の埒外であり、ただランサーが移動した事により発生した風圧にウェイバーの体は弾き飛ばされた。地面を転がる間、ウェイバーは自分に何が起きたのかを理解する事が出来なかった。出来た事と言えば、咄嗟に強化の呪文を己に掛け、ダメージを減らす事のみ。
 漸く体が静止したのはランサーとライダーの戦場から三十メートル程も離れた場所だった。ランサーとライダーは既に激しい攻防を繰り広げている。スパタというキュプリオト族の王から献上されたという、本来は馬上にて振るう為の剣をライダーは巧みに操り、ランサーの双槍が織り成す嵐の如き槍撃を防ぎ切っている。

「余の首級を頂くとは中々吼えるではないか!」

 透視能力を通して看破したランサーのステータスはランサーのクラスに相応しい高い敏捷性と筋力が備わっていた。対抗するライダーも筋力では互角だが、敏捷性は圧倒的に劣っている。だと言うのに、どういうわけかライダーはランサーと互角に渡り合っている。
 その異常な光景に目を剥くのはウェイバーだけではなかった。

『何をしている、ランサー! よもや、キャスターばかりではなく、ライダーにまで遅れを取るつもりか!?』

 ランサーはラインを通じて叱咤するマスターの声にランサーは唇の端を吊り上げた。
 瞬間、それまで拮抗していた剣戟が止まった。

「様子見は仕舞いという訳か?」
「ああ、次は取りに行かせてもらう」
「ほう、ならば今の内に聞いておくとするか」

 ライダーはまるで同胞に向けるかのような笑みをランサーに向け、ランサーは怪訝な顔付きでライダーを見た。

「あの時はセイバーの奴めが短気を起こした故、聞けなんだったのだが――――」

 あの時、それがいつの事を言っているのかは誰にとっても明白であった。ランサーとライダーが最初に遭遇したあの夜。ライダーがセイバーとランサーの戦いに乱入した時の事だ。
 あの時、ライダーが何を考えてあのような真似をしたのか気になり続けていたウェイバーは聞き耳を立てた。ライダーはスパタを掲げた。

「我が名は征服王イスカンダル。此度の聖杯戦争においてはライダーのクラスを得て現界した」

 呆気に取られた。ウェイバーは口をあんぐりと開けたまま放心し、ランサーすらも言葉を無くし立ち竦んでいる。問いたい事があると言いながら、聖杯戦争に於いて攻略の要となる真名を堂々と名乗るなの正気の沙汰では無い。ライダーは真っ直ぐにランサーを見つめて豪快な笑みと共に言った。

「本来なれば、矛を交える前に問うておくべき事であったが、まあ、仕方あるまい。ランサーよ、うぬが聖杯に何を期するのかは知らぬ。だが、今一度考えてみよ。その願望は天地を喰らう大望に比して尚、まだ重いものであるや否やと」

 何を言いたいのだ、とランサーは眦を決した。

「貴様、何が言いたい?」
「うむ、噛み砕いて言うとだな――――」

 威風堂々とライダーは空いた手を大きく広げた。

「ひとつ、我が軍門に降り、聖杯を余に譲る気はないか? さすれば、余は貴様を朋友として遇し、世界に覇を唱え、征服する快悦を共に分ち合う所存である!!」

 自信たっぷりに言い切るライダーにウェイバーは漸く理解した。
 こいつは正真正銘の馬鹿であると。

「ふっざ――――」

 ウェイバーが怒鳴ろうと声を上げようとすると、それを遮るように笑い声が響いた。その声の主に目を向けると、ランサーは大きく口を開き、哂っていた。
 その形相とは裏腹に――――。

「な、んだ……?」

 ランサーの豹変振りにウェイバーは戸惑うばかりだった。だが、ランサーが不意に哂いを止め、ライダーにその視線を向けた瞬間、ウェイバーは直接睨まれたわけでは無いというのに危うく失神しかけた。
 あまりにも強烈な殺意にライダーすらも咄嗟に構えを取った。

「愉快だぞ、ライダー。そうか、貴様はそんな戯言を言う為に俺とセイバーとの決闘に乱入したわけか」

 言うと、爆音の如き音が響き、同時に金属がぶつかり合う甲高い音が鳴り響いた。だが、長くは続かない。
 数合防いだライダーだが、ランサーの狂気染みた槍撃に圧倒され始めた。

「ライダーッ!!」

 徐々に後退させられるライダーに向かって思わずウェイバーが叫ぶがライダーは答える余裕すら無い。
 それはまさに激流であった。全てを押し潰し、全てを喰らう。人の身で抗う事の出来ぬ絶対的な力の奔流。
 されど――――、

「さすがはランサーのクラスを名乗るだけの事は……あるのう」

 ライダーは軽口を叩き、後退する足を止めた。

「馬鹿な――――ッ!?」

 ランサーは己が槍撃を打ち返すライダーの剣捌きに目を見開いた。セイバーのクラスならばいざ知らず、敵はライダーのサーヴァントだ。拮抗する戦況にランサーは知らず笑みを浮かべた。
 怒りが収まったわけではない。騎士の決闘を穢し、己に主を裏切れと唆した目の前の匹夫をどうして許せようか。しかし、その強さには素直に敬意を払わずには居られない。
 ステータスで劣りながら己の槍撃と拮抗する剣捌きをする目の前の男は紛れも無く人の臨界を越えし者――――即ち、英雄である。怒りと共に芽生えた敬意が更にランサーの槍撃の鋭さを増していく。ただの激流であった槍撃の一つ一つがライダーの剣技を破らんとする技を伴い、ライダーは獰猛な笑みを浮かべ言った。

「やりおるわ。貴様程の槍兵は我が配下にもそう多くは無かったぞ。征服王たる余が貴様に類稀なる槍使いだ、と賞賛を賜ろうではないか!!」
「ハッ、礼儀を知らぬ男のようだが、その剣捌きをもっての賛辞は我が誉れとして素直に頂戴しよう。ついでにその首級も置いて逝け!!」

 一息の内に距離を取り合い、互いを賞賛し合う二人にウェイバーは感動すらしていた。互いに互いを認め合う歴史に名を残した英雄達。
 時空の壁を越え会合を果たした二人の向かい合う姿はまるで御伽噺のワンシーンのようで心が沸き立った。

「まったく、ライダー如きに遅れを取りおって。まあ、アレは私が数ある聖遺物の中から特に選別した一級の英霊であるからして、それも已む無き事か。まったくもって不愉快だよ。ウェイバー・ベルベット君」

 興奮のあまり、思わず射精してしまいそうになるウェイバーに冷や水を浴びせるが如く、氷のように冷たい声が響き渡った。

「本来ならばアレを操るのは私である筈だったというのに、君如きがアレの主である事がね」

 勃起した陰茎は瞬く間に力を失った。ウェイバーは息も出来ずにそろそろと後退した。ウェイバーの目の前に、何時の間に現れたのか、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが立っていた。

「ロ、ロード・エルメロイ……」
「怯えているのかね?」
「お、怯えてなんか――――ッ」

 口ではそういうものの、ウェイバーは震えていた。眼の前に立つ男は各国の魔術師達が集う魔術協会の総本山・時計塔にその名を轟かせる天才。
 魔術師の実力は血筋だけでは無い。そう論文に記したウェイバーであったが、目の前の男と自身を比べると、どうしても己の力不足を痛感せざる得ない。
 魔術師としての知識、経験、血の歴史、魔力量、魔術刻印の数。ウェイバーの魔術師の実力を量るためのそれら全てが圧倒的なまでにケイネスに劣っている。
 知恵や閃きなどでは決して覆しようの無い魔術師としての圧倒的な格の違いが眼前に立ちはだかっている。

――――僕は、間違っていたのか?

 そんな思いがウェイバーの胸に過ぎった時、離れた場所でランサーと戦うライダーの吼えるような声が響いた。

「坊主!! 無事か!?」
「だ、大丈夫だ!!」

 咄嗟にそう怒鳴り返していた。何か考えがあるわけではない。ただ、ライダーの声を聞いた瞬間、逃げてはいけないと思った。どこまでも豪快で、どこまでも馬鹿な巨漢の男。それがライダーに対するウェイバーの評価だった。だが、ランサーとの戦いを見て、感じた事がある。ステータスで劣りながら、己が真髄たる宝具も使わずに強敵に挑むその背中を見て、その在り方を見て思った。

――――ああ、僕もこうありたい。

 ウェイバーは思い出していた。どうして、この聖杯戦争に参加しようと思ったのか、その始まりを思い出していた。
 皆を見返したい。単純で、ちっぽけな願い。しかし、それがウェイバーの戦う理由だった筈だ。
 怯えたり、疑心暗鬼に駆られたりする為に来たわけではない。逃げる為にこの地に来た訳では無い。
 ライダーのようになりたい。例え、圧倒的に格上の相手であろうと逃げずに立ち向かう男でありたい。

「これは僕の決闘だ!! お前はさっさとランサーを倒しちまえ!!」

 叫んだ瞬間に後悔した。
 僕も馬鹿だ、と。それでも、膝を折らずに居られた自分が誇らしかった。ウェイバーの叫びに呆気に取られた表情を浮かべるケイネスが妙に面白かった。

「決闘?」

 言葉の意味が理解出来ないのか、怪訝な表情を浮かべるケイネスにウェイバーは言った。

「ああ、決闘だ!!」

 ウェイバーの宣戦布告の言葉にケイネスは漸く言葉の意味を理解した。
 理解したと同時に哀れみの篭った目をウェイバーに向け、片手で顔を覆い、大きな溜息を零した。

「やれやれ、勘違いをしているらしいな、ウェイバー君」
「ぼ、僕は勘違いなんかしてない!!」

 ケイネスのあからさまな侮蔑の視線にウェイバーは脊髄反射的に叫んだ。
 ケイネスは冷たい眼差しをウェイバーに向け、小脇に抱えている陶磁器製の大瓶を地面に落とした。

「勘違いしているとも」

 大瓶は地面に到達すると共に大地を軽く揺らした。
 目を向ければ、大瓶は地面にめり込んでいる。重量軽減の術が掛けられていたらしい。

「決闘? 違うな。Fervor mei sanguis」

 ケイネスが囁くような声でそう呟くと、地面にめり込んだ大瓶の口からドロリと鏡の様な光沢を放つ液体が零れだした。
 まるで自律して生きているかのようにプルプルと震えながらケイネスの隣で球状を保っている。

「これは――――」

 口元に笑みを称え、ケイネスは言った。

「――――誅罰だよ、ウェイバー君」

 ロード・エルメロイが誇る最高クラスの魔術礼装・月霊髄液――――ヴォールメン・ハイドラグラムが起動した。

 距離にして約一キロメートル。それがライダーとランサーの戦う戦場とアーチャーの立つ建造途中の新都センタービルとの距離だ。
 アーチャーは双眼鏡や望遠鏡といった道具を使わずに己が肉眼でもってライダーとランサーの戦いを見物していた。

「さて、どう動く?」

 アーチャーは誰も居ない虚空に視線を向けながら問い掛けた。
 しばらく待つと、気まずそうな声がアーチャーが視線を向けた方とは反対側から響いた。

「すまぬ……こっちだ」
「……相変わらず、見事な気配遮断だ」

 アーチャーの他には誰も居ないと思われた建造中のビルの屋上にいつの間に現れたのか、白い仮面が余闇に浮かんでいた。

「アサシンのクラススキルは伊達ではない。それより、しばらくは様子を見ろとの御指示だ」

 アサシンはラインを通じて主から与えられた指示をアーチャーに伝えた。

「まあ、そうだろうな」

 アーチャーは予想通りだと笑った。

「凜の修行がある程度進むまでは可能な限り戦闘行動を回避するべきだからな」
「ケイネス・エルメロイが倒れるならば良し。だが、ウェイバー・ベルベットには倒れてもらっては困る」

 アサシンの言葉にアーチャーは頷き返した。

「時臣の集めた情報からして、あのケイネスという男は間違いなくこの聖杯戦争における最強のマスターだ。仕えているのも三騎士であるランサー」
「引き換えにウェイバー・ベルベットは血の浅い未熟な魔術師だ。サーヴァントはそれなりの英雄のようだが、御するのは容易い筈」
「どうやら、ケイネスとウェイバーは遺恨関係にあるようだしな。序盤で清算させるには惜しい」

 アーチャーの言葉にアサシンは苦笑を漏らした。

「主も同じ考えの様だ。ああして、ランサー陣営とライダー陣営が派手に争ってくれれば、他のマスター達の目もおのずと奴等に向く」
「ならば一層、ここで決着がつくのはいただけないな」

 口の端を吊り上げて言うアーチャーにアサシンは愉しげに笑い、己は主の用意した望遠鏡を収納ケースから取り出し、覗きこんだ。
 近代になり、嘗て己が生きていた時代よりも遥かに進化したソレをアサシンは聖杯から与えられた知識によって巧みに操り、戦場を見渡した。

「始まったな」
「ああ、しかし……これは些か、一方的過ぎるな」

 遠く離れた高台、そこで行われているのは魔術師同士の決闘などという上等なものでは無かった。あまりにも一方的過ぎるそれは、ただの強者の戯れだった。
 ウェイバーは只管に逃げ続ける事しか出来ず、ケイネスはそんな無様な醜態を晒すウェイバーを弄ぶが如く銀色に輝く魔術礼装――――ミスティックコードを操る。

「これは……拙いな」

 未熟とはいえ、ウェイバー・ベルベットは彷徨海、アトラス院に並ぶ魔術協会の三大部門の一角たる時計塔に在籍している筈だ。
 魔術協会の総本山と呼ばれている時計塔であるが、内包している魑魅魍魎もピンからキリまでという事だろうか、アサシンは主にラインを通じて意志の確認を行った。

『このままでは決着がついてしまいます』
『――――致し方ないか……、少し待て』

 主が師に伺いを立てている間も戦況は圧倒的なまでにウェイバーが不利だった。そも実力が違い過ぎる。どこへ逃げようとも察知され、あらゆる防御がケイネスの魔術礼装の前では無力となり、攻撃が届く事も無い。
 ウェイバーが生きているは単にケイネスが遊んでいるからに過ぎない。ケイネスが遊びに飽きれば、その時がウェイバーの最後となる。

『――――了解致しました』

 主から命令が届き、アサシンがアーチャーに声を掛けようとした、その時だった。
 アーチャーは目を僅かに見開き、舌を打った。

「どうした?」
「一般人だ」

 アーチャーの言葉に望遠鏡を覗きこむと、ウェイバーは何者かと共に高台から雑木林へと駆け込んでいく所だった。

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