第二話「ダーズリー家」

 ドビーが霞のように消えて直ぐ、扉をノックする音が聞こえた。どうやら騒がしくし過ぎたみたいで、誰かが登ってきたらしい。
 少しして扉が開き、俺を家に招き入れてくれた女性……ペチュニア・ダーズリーが顔を見せた。じろじろと部屋を見回して、ドビーが自分をお仕置きする為に暴れた時に倒してしまった椅子に目を止めた。

「何をしていたか知りませんけどねぇ。あまりに目に余るようなら……」
 
 俺は慌てて頭を下げた。出来るだけ悪印象を持たれるのは避けなければいけない。ダーズリー夫妻はとにかく普通を尊ぶ人達だ。元々、バーノン・ダーズリーは会社社長であり、ペチュニア・ダーズリーは社長婦人だ。一般的なマグルよりもずっと社会常識や礼節を弁えている。魔法というマトモという言葉からかけ離れたものの臭いを出来るだけ抑え、礼儀正しく接すれば、ある程度は譲歩してくれる筈だ。
 その証拠に本で読んだ限りでも、しっかりとしたマグルの社会人としての常識的な立ち居振る舞いをしたキングズリー・シャックルボルトに対しては僅かばかりではあったものの敬意を払って接していた。
 ハリーを家に招待するにあたって、キチンと夫妻の了承を得る事が重要だ。一度許可を貰えれば、今後も無駄な軋轢を作らずにハリーを招き易くなる。
 無許可で連れ去ろうものなら、それはマトモではない。如何にハリーを疎んでいようとも、その手段がマトモでないなら、夫妻にとって、それは我慢ならないものとなる。ハリーが家を出る事すら許してもらえなくなるだろう。それにハリーに対しての風当たりは一層強いものとなるだろう。
 夫妻はダンブルドアも言う通り、ハリーにとって唯一の肉親なのだ。関係を少しでも悪化させるような事はしたくない。改善出来るようならそれに越した事は無い。
 出来る限り礼儀正しくあろうと心掛けてペチュニアに謝ると、それ以上は何も言わずに鼻を鳴らして出て行った。やはり、礼節に対して無闇に罵声で返すような人では無いらしい。
 ペチュニアが去った後、ハリーは深く深呼吸をしてから口を開いた。

「……それで、さっきのドビーが言ってた事だけど」

 ハリーは半信半疑のようだった。無理も無い。突然現れた奇妙な生き物に突然、自分にとって唯一の拠り所であるホグワーツに戻るな、と警告された。いきなり信じろと言う方が無理な話だ。
 だけど、俺はそれが事実であると知っている。ドビーは自身の屋敷しもべとしての本能や主人への忠誠から背を向け、危険を犯して主であるルシウス・マルフォイの計画を報せに来てくれたのだ。
 ドビーの行為は報われるべき事だ。そして、ドビーにとって、報われるとはハリーに信じて貰う事。そして、ハリーを危険から遠ざける事。

「ハリー。秘密の部屋を知ってる?」

 俺が問うと、当然ながらハリーは首を横に振った。
 俺は秘密の部屋について語れる限りを語る事にした。
 ホグワーツの創設者の四人の事に始まり、サラザール・スリザリンと他の三人の創設者達の確執。そして、サラザール・スリザリンがホグワーツに遺した秘密の部屋の伝説。
 俺の話を聞くハリーはまるで絵本を読んでもらっている子供のように瞳を好奇心に輝かせていた。ついつい楽しくなってしまって、気が付いたら空が茜色に染まり始めてしまった。

「もうこんな時間……。ハリー。うちに来る事、叔父さんと叔母さんに話しに行こう」
「え……? で、でも……」
「ちゃんと許可をもらって、送り出してもらおうよ」

 色々な感情が入り混じった表情を浮かべるハリーに俺は出来る限り優しい口調で言った。
 ハリーにとって、叔父と叔母に何かを頼む、という事はとても難しくて、とても辛い事なのだろう。
 それでも、俺はハリーにちゃんと家族に送り出してもらって欲しかった。取り返しがつかなくなってから、後悔しても遅いから……。
 どれだけ溝があっても、家族はやはり家族なのだ。血よりも濃い繋がりはあるかもしれない。けど、血の繋がりはただそれだけで固い絆になる。

「叔父さんと叔母さんにちゃんと話そう」
「……でも、きっと許してくれない」
「許してくれなかったら、その時はその時だよ」

 俺の言葉にハリーは首を傾げた。
 俺はニッコリと笑って言った。

「その時は俺がハリーを無理矢理攫っていくよ。だから、まずはちゃんと話をしようよ。俺も一緒に居るから」
「……分かったよ」

 ハリーは深い溜息を零しながら頷いた。その後ももたもたするハリーを引っ張って、俺は一階に降りた。

第二話「ダーズリー家」

 居間の方で声がする。俺はゆっくりと居間に近づいた。
 ドキドキする。ハリーにはああ言ったけど、俺もダーズリー夫妻と話すのはちょっと怖い。
 だけど、これはハリーが感じている恐怖とは別種のものだ。要は友達の両親と話をするのだから、緊張するのは止むを得ない事だと思う。

「失礼します」

 居間に入ると、さっき会った丸顔の少年……ダドリー・ダーズリーが父親と思しき人物とテレビを見ていた。
 二人は俺の存在に気が付くとギョッとした表情を浮かべた。
 怖がっている。その事に気がつくと、俺は二人の気持ちが少し分かった気がした。
 十二歳の子供を相手に恐怖する。その理由は魔法がそれだけ得体の知れ無いものだからだ。拳銃のように人を殺すかもしれない。薬剤のように人を惑わすかもしれない。
 マトモじゃないから……。それだけでは無い。魔法の得体の知れ無さが二人に……否、ダーズリー家の人々にとってあまりにも大きな不安の種になっているのだ。
 考えてみれば当たり前だ。魔法について詳しく知らない彼等にとってみれば、俺に常に拳銃の銃身を向けられているように感じるだろう。そんな状態で会話をするなど到底無理な話だ。
 ただ礼儀正しいだけでは駄目だ。下手に出て、安心を与えないと、会話をする事すら出来ない。
 俺は深々と頭を下げた。

「この度は突然訪問してしまい、申し訳ありませんでした」

 俺の言葉にバーノンは目を丸くした。ダドリーは未だに警戒心を顕にしながらバーノンの後ろに隠れている。
 バーノンが落ち着くのを待って、俺は言った。

「実はこの度、ハリーを私の家にお招きしたく思いまして、その許可を頂きたく……」
「な、ならん!!」

 慌てたようにバーノンは立ち上がり俺の所まで駆け寄って来た。

「ならんぞ!! ただでさえ、あのいかれた学校でいかれた勉強をしているんだ。この上、貴様のようないかれた友達などと――――!!」

 バーノンの言葉を遮るようにハリーが後ろから飛び出して来た。憎しみの篭った形相にバーノンは思わずたじろぎ、その隙にハリーはポケットに手を突っ込んだ。
 何をする気なのかは直ぐに分かった。俺はハリーの腕を取って、最悪の事態を防いだ。

「ハリー。話をするんだよ?」
「でも!! こいつら――――ッ」
「こいつら、なんて言っちゃ駄目。ハリーの叔父さんと叔母さんなんだから、そういうのは駄目だよ」

 諭すように言うと、ハリーは渋々といった感じで杖を納めてくれた。

「あの、ダーズリーさん」
「な、なんだ!!」

 俺が声を掛けると、バーノンは飛び上がりそうな程驚いた顔で声を張り上げた。
 俺以上にいっぱいいっぱいになっているバーノンのおかげで努めて冷静になる事が出来た。

「不躾な事を申してしまい、大変申し訳ありません」

 俺が再び頭を下げると、バーノンは困惑したような表情を浮かべた。

「ですが、どうしてもハリーと一緒に夏休みを過ごしたいんです。どうか、ハリーの外泊を許して頂けませんでしょうか? お願いします」

 更に深々と頭を下げると、漸くバーノンは警戒心をやわらげてくれたのか、鼻を小さく鳴らし、俺に観察するような視線を向けた。

「……ああ、名前は何と言ったかな?」
「ユーリィです。ユーリィ・クリアウォーター。名乗りが遅れまして、大変申し訳ございません」
「……小僧をお前の家に招きたいと言ったな?」
「はい」
「……そこでまた怪しげな呪いや儀式に耽るというわけか、え?」
 
 バーノンの言葉に俺は少し安堵の笑みを浮かべた。バーノンは明らかに態度を軟化させてくれた。
 なら、後は出来る限り誠実に話をするだけだ。

「ハリーが家に来てくれましたら、手料理を振舞おうと思ってます」
「手料理だと?」

 ポカンとした表情を浮かべるバーノンに俺は頷いた。

「手料理が趣味でして、家族以外の感想を聞きたいと常々思っておりまして……。是非、ハリー君に……と。それに、我が家の敷地の裏には私有の山がありますので、そこでキャンプを予定してるんです。水の澄んだ川も流れているので美味しい魚が取れるんです」
「ほう、私有の山か……。それにキャンプとは……、悪く無い趣向だな……。しかし……お前さんらの料理や釣りは杖を振り回すだけなんじゃないのか?」
「料理に杖の出番はありません。振るうのは包丁と鍋ですよ。それに、釣りは釣竿を使ってこそじゃありませんか?」
「……料理の腕前とやらに余程自信があるようだな?」
「色々な国の料理を個人的に学んでいますが、和食に最近凝っておりまして、少なからず自信があります」
「……日本のか……。アメリカに尻尾を振るだけが脳の国だが、食に関しては認めざる得んな」
 
 少しカチンと来たけど、表情に出さないように努めながら俺は話を続けた。

「ハリーにも是非日本食の素晴らしさを知って頂きたいと思っています」
「……なら、小僧に仕込んでやってくれんか?」
「……ええ! 是非!」

 バーノンの言葉に俺は一も二も無く飛びついた。後ろでハリーが驚いたように息を呑む音が聞こえる。

「……我が家では小僧に食事の準備をさせる事があるが、いかんせん上達せんでな」
「では、僭越ながら指導させて頂きます」
「……で、いつ連れて行くんだ? なんなら今すぐ連れて行っても構わんぞ」
「よろしいのですか? では、是非。一刻でも長く、ハリーと一緒に夏休みを過ごしたく思いますので」

 バーノンは少し驚いたようだけど、特に異論は挟まないでいてくれた。
 俺はおどおどとソファーに隠れているダドリーとキッチンから睨むように視線を向けてくるペチュニアに頭を下げて、ハリーを連れてハリーの部屋に戻った。

「信じられない……。あの叔父さんが許可をくれるなんて……」
「良かったじゃない。とにかく、荷物を纏めちゃおうよ。叔父さんの気が変わらない内に」

 二人掛かりで荷造りをすると、ものの三十分程で終わってしまった。
 忘れ物が無いかをハリーに確認してもらって、一階に降りると、バーノンとペチュニアが居た。その遥か後ろでダドリーが廊下を覗き込んでいる。

「くれぐれも! 近所で箒に乗ったり、怪しげな呪文を唱える事だけはせんように」
「もちろんです。帰りはパディントン駅からカーディフ駅まで電車を使います」
「……ならばいい。ではな」

 ぶっきらぼうなバーノンの一言にハリーは心底驚いた表情を浮かべた。
 呆気に取られた表情を浮かべるハリーの手を引いて家を出ると、ハリーはポカンとした表情を浮かべて言った。

「信じられない……」

 プリペッド通りからウェールズの中心街から少し外れの位置にある我が家までたっぷり四時間も掛かってしまった。
 出た時はまだ五時を回ったばかりだったんだけど、空はすっかり暗くなってしまっている。
 玄関を開けて中に入ると、途端に美味しそうな臭いが漂って来た。帰りの道中で電話――エドが便利だからと昔設置させたらしい――を掛けて、ハリーを連れて行くと報せておいたから、ハリーの分も準備している筈だ。先に家に上がると、俺は振り返っておどおどとしているハリーに手を差し伸べた。

「我が家にようこそ。いらっしゃいませ、ハリーポッター君」
「えっと……、お邪魔します」

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