第二十二話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に苦しい思いをする人達の話

 ケイネスが部屋に入ると部屋の中央に置かれたベッドがカタリと音を立てた。ベッドに横たわる女はその瞳を真っ直ぐにケイネスに向けている。
 幾重にも魔術的拘束を掛けられているにも関らず、その瞳には恐怖の色も焦りの色も見えない。黒の髪、黒の瞳、人ならざる美しさを称える顔立ちを持つ女がベッドに縛り付けられている。

――――数時間前の事だ。

 ウェイバーを追い詰めていたケイネスはアーチャーに介入され、姿を晦まさず得なかった。だが、ただ姿を隠しただけでは無い。彼の最強の礼装はただ物を斬り、貫くだけが能では無いのだ。
の足では追い付けぬ速度で逃走するアーチャーを月霊髄液は見失う事無く追跡した。
 アーチャーは未だ人通りの多いショッピングモールに紛れ、姿を変えたが、月霊髄液は目で対象を追うのでは無く、対象の音や温度を感知し追跡する。服装だけでなく、髪色から目の色まで変貌させたアーチャーはショッピングモールを出ると人通りの少ない通りを歩きながら郊外に通じる国道へ向かった。
 その時点でケイネスはアーチャーがどこに向かおうとしているのかを掴んでいた。セイバー、キャスター、アサシンは遠坂陣営が保有し、ライダーはウェイバーの手にある。ランサーは己が所有している以上、残るバーサーカーとアーチャーの内のどちらか、または両方を所有しているのはアインツベルンをおいて他に無い。
 郊外に通じる国道を行った先にはアインツベルンが所有している土地があり、そこに強力な結界が張り巡らされているだろう事は予想に難くない。アーチャーはアインツベルンのサーヴァントである。その情報を得られた以上、追跡を続ける事に旨みは無い。ならば、せめて手数の一端程度は見定める。無論、サーヴァントを相手に人間の魔術など児戯にも満たないだろう事は承知の上だ。
 それでも手札を一枚程度は切らせて見せる。そう意気込み、ケイネスは月霊髄液にアーチャーを襲わせた。結果はご覧の通りだ。確かに抵抗はあった。人外染みた力と速さを誇っていた。だが、それはサーヴァントという怪物達と比すればあまりにも非力かつ鈍足であった。
 確かに、初めから違和感があった。目的云々の話では無い。何故、己を直接狙わなかったのか、という点だ。あの時、アーチャーがウェイバーを援護しようと動いたのは確定的に明らかだ。だが、それならば狙うは月霊髄液ではなくケイネス自身にすべきだ。納得出来る理由があるとすればそれは聖杯戦争を長引かせる為、両者共に生かす必要があったからと考えられる。だが、そこに納得がいっても、まだ納得出来ない点がある。それはアーチャーの矢だ。
 英霊の放った矢、それもアーチャーのクラスに召し上げられる程の英霊の矢ならば例え宝具でなくとも強大な力を持っていて当然。にも関らず、アーチャーの矢は月霊髄液の軌道を変える事は出来ても粉砕する事は出来なかった。両者を生かしたいならば月霊髄液を破壊するべきだろう。でなければいつまで経っても状況は変わらない。その点について納得出来る考えがケイネスには思い浮かべる事が出来なかった。だが、その理由も捕らえた今ばアッサリと解明する事が出来た。
 そう、このアーチャーを騙る人形はそもそもサーヴァントなどでは無かったのだ。ホムンクルスと呼ばれる存在。人間を模して作られた人形。それがこの者の正体だった。つまり、ケイネスの月霊髄液を破壊しなかったのではない、破壊出来なかったのだ。

「アインツベルンのホムンクルス。よもや解剖出来る日が来ようとはな」

 アインツベルンは永きに渡り外界との繋がりを断って来た筋金入りの魔術師の家門だ。
 彼の家門の魔術の秘奥たるホムンクルスをこうして手に入れる事が出来たのはまさにこの国の言葉で言う所の棚から牡丹餅といった所だろう。

「さあ、見せてもらおうか、アインツベルンの秘奥を」

 ケイネスは魔術師としての好奇心を露わにし、ホムンクルスにメスを入れた。

 主が拠点とする冬木ハイアットホテル最上階にランサーが帰還したのは深夜0時を過ぎた頃だった。
 彼を出迎えたのは主の怒号では無く、主の婚約者たる女性の驚愕だった。ランサーの体は酷く疲弊していた。片腕は皮一枚で繋がっている状態であり、胴体の所々には酷い火傷の跡や切り傷が目立つ。ライダーの追跡の折、彼の宝具の真名解放の余波を受けたダメージは甚大であり、霊殻こそ無事ではあるが、サーヴァントと戦うには些か以上にハンデが大き過ぎる。拠点に戻るのがこうまで遅くなったのもそれが原因だ。
 現界ギリギリまで削られた分を回復しなければならなかったのだ。

「なんて酷い……、今直ぐ治癒の魔術を掛けるわ。横になって頂戴」

 ソラウに促がされながらランサーはソファーに横たわった。
 今は一刻も早く回復に努めなければならない。
 今敵に襲われればまともに時間稼ぎが出来るかどうかも怪しい。

「ソラウ殿」
「何かしら?」
「ケイネス殿は何処に?」
「その話は後で。今はそれよりも貴方の体の治癒が最優先。話していると手元が狂うわ」
「申し訳御座いません。感謝致します」

 ソラウの手当てを受けながら、ランサーはライダーを取り逃がしてしまった事に対する悔しさと己に対する憤りに顔を歪めながら押し黙った。
 ランサーは何とか落ち着こうと瞼を固く閉じた。
 ケイネスが部屋に現れたのは丁度ランサーの傷が癒えた頃合だった。

「戻っていたか」

 顔を顰めながらケイネスはランサーを睨み付けた。

「ライダーを取り逃がしたな」

 ケイネスの言葉にランサーは顔を歪めた。
 折角の主より与えられた名誉挽回の好機を無駄にしてしまった己に対する憤りに気が狂いそうになる。
 ケイネスはそんなランサーの胸中を見透かすか如く言った。

「もはや、貴様には何も期待出来ぬな」
「ケイネス殿……」
「言い訳は出来ぬぞ、ランサー。今宵の戦は前回とは異なリ、誰の横槍があったわけでもなく、純粋に貴様の力量不足故の結果であったのだからな」

 ケイネスの言葉にランサーは返す言葉も無く黙り込んだ。

「ケイネス、それ以上は……」

 ソラウがケイネスを宥めようと口を挟むがケイネスは鼻を鳴らしてランサーを見下した。

「使えぬ駒もそれなりに使い道を考えてやらねばな。ランサー、これからの戦いでは常に敵に一撃を加える事だけを念頭に入れよ」
「ケイネス殿?」

 ケイネスの言葉の意味を捉えきれずランサーは問い返した。

「一撃、必滅の黄薔薇にてダメージを加える事。それ以外の一切を禁ずる。一撃を加えたならばどれほど優勢であろうと――――そんな戦況が貴様の腕でありえるのであればだが、逃走するのだ。貴様の敏捷を活かし、逃げに徹するならばそう難しい事では無いだろう。全てのサーヴァントを少しずつ削り、必勝を期するまでに削り取れたならば刈り取る。それがこれからの我々の方針だ」
「なっ、何を仰られるのですか、ケイネス殿! そ、その様な――――」
「姑息な、そう言うつもりか? ランサー!!」

 ケイネスの怒号にランサーは喉下まで迫っていた言葉を飲み込んだ。

「誰のせいでこのような姑息な手段に訴えなければならなくなったと思っているのだ!? 私がその様な手段を嬉々として取るとでも思っているのか!?」

 ケイネスの言葉にランサーは沈痛な面持ちで俯いた。
 ランサーとて分かっているのだ。ケイネスはプライドの高い男だ。そんな彼がこのようなせせこましい手段を提案せざる得ないのはひとえに己の不甲斐なさ故なのだと。

「もはや、手段を選んでいる場合ではない。令呪を二つ既に消費しているばかりか、貴様が三騎士どころかライダーやキャスターにまで遅れを取るような出来そこないのサーヴァントである以上、策を弄さずに勝ち抜く事など出来ぬ!! 遠坂の陣営にはサーヴァントが三体。ウェイバー・ベルベットにはあのライダーが付いておる。未だ見ぬバーサーカーとて油断出来るクラスでは無く、アインツベルンめもホムンクルスを使い策を弄している以上、こちらももたもたしては居れぬ。反論は許さぬぞ!!」
「……過ぎた事を言い申し訳御座いませんでした」

 ケイネスは舌を打つと立ち上がった。

「私は解剖部屋に戻る。人形の解剖も粗方済ませたが、まだ色々と検分したい部分がある」

 ケイネスがそう言い残し部屋を出た後、ランサーはソラウに尋ねた。

「人形とは?」
「ケイネスがアインツベルンのホムンクルスを捕らえたのよ。ライダーのマスターとの戦いに横槍を入れられて、追跡して捕らえたらしいわ」

 ソラウの言葉にランサーは拳を固く握り締めた。主が戦果を上げられたというのに己はただ失態を重ねるばかり。
 これでは役立たず呼ばわりされて当然だ。ランサーは不甲斐ない己に只管怒りを募らせた……。

――――臭い。

 酷い臭いがする。
 金気の多い、血の臭いが充満している。

「ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ」

 蟲が大人しくなり、僅かに意識を取り戻すと、あまりの悪臭に息を吸う度に酷い吐き気を催し、うっかり咳き込むと堰と一緒に胃の中身を吐き出してしまう。白い液体と赤い肉が混じり合った吐瀉物が床にばら撒かれ、直ぐに消える。
 自分の吐瀉物を貪る蟲共に対する感傷も最早無い。ただ、口の中がごわごわとして、気持ちが悪い。

「食事だ」

 誰かが来た。誰だろう、昔は名前を知っていた気がするけれど、思い出す事が出来ない。ただ、この人が来たら食事の時間なのだという事だけは脳裏の片隅に刻まれていた。
 体中に纏わりついていた蟲が離れて行き、白い粘着性のある液体を流し込まれるままに飲み込み、ぷよぷよとした肉片を口の中に含ませられるままに咀嚼する。
 苦味が強く、初めはこれがとても嫌いだった気がする。今はもう慣れてしまったけれど、この味は何の味だっただろう。
 お腹がいっぱいになる事は無い。常に空腹感を感じているから、口の中にどれだけお肉を詰め込まれても大丈夫。
 頭痛が酷い。この臭いのせいだ。腐臭と血の臭いが混じり合った臭いが吐き気と頭痛の原因だ。
 折角食べたのにまた口から白い液体と赤い肉が飛び出してしまった。
 ガツンと殴られた。液体と肉を吐いてしまった事を責めているらしい。床に引き倒された。顔をしたたか地面に打ち付けてしまった。痛くて顔を歪めると、吐いた肉を口の中に入れられた。咀嚼出来ないで居るとまた殴られた。痛いのは嫌だから必死にぐちゃぐちゃになった肉を咀嚼して飲み込む。
 肉を全て飲み込んだら、今度は吐いた液体が散らばる床に顔を押し付けられた。舐めなければいけないらしい。さっきまで吐瀉物を片付けてくれていた蟲達は遠巻きに蠢いている。この人が命じているのだろう。
 床が綺麗になると、また、全身に蟲が纏わりついた。頭がぷっくりと膨らんだ男性の陰茎を彷彿とさせる形状の芋虫は体の隅々に触手を伸ばし、毒を与えてくる。
 快楽という抗いようの無い毒を――――。
 股間の陰裂は既に蟲が入り易いように湿り気を帯びていて、あっさりと蟲の侵入を許してしまう。膣に数匹の蟲が入り込み、尿道にも小さな蟲が入り込んだ。
 肛門にも尻にぬるっとした感触が走ると同時に入り込んできた。また、止め処なく快楽の波に襲われ、数回目のオーガニズムと共に意識を手放した。

 湿った密室に風が吹き込んだ。少女の吐息と蟲の這い回る音の他にコツコツという杖を突く音が混じり、蟲に嬲られ意識を失った少女の姿に興奮し、はち切れんばかりに膨れ上がった己の陰茎を慰めようと下半身を露出した男は体を強張らせ、恐々とした表情で不意に開かれた扉に視線を向けた。

「桜の具合はどうだ?」

 暗い密室に老人の低い声が不気味に響いた。
 少女の健康状態を心配しているわけではない。
 少女の調教具合について老人は尋ねているのだと男は理解している。

「まだ、戦闘には耐えられないかと……」

 男は老人に報告した。
 老人に少女の調整の方針転換について聞かされてから数日が経過したが、完成には程遠いその事が老人の反感を買ってしまったのではないか、そう考えると、男は震えを止める事が出来ず、同時に憎しみを募らせた。
 老人に対してではない。この様な悪臭に満ちた場所までわざわざ降りてきて調整をしてやっているというのに老人の機嫌を損ねかねない不出来な少女に対し、男は憎しみを募らせていた。

「明日から桜に蟲の使い方を教える。それまでにある程度で良い。動けるように仕上げておけ」

 そう言うと、老人は姿を眩ませた。後に残された男は蟲に包まれた少女に更なる責め苦を与えた。
 仕上げるためだけではなく、己が鬱憤を晴らす為に快楽では無く苦痛を与える。口元に愉悦を称える男による拷問によって地下の霊廟は少女の悲痛な叫びがこだまし続けた――――。

 酷い吐き気に襲われた。
 己がサーヴァントと共有していた視覚を無理矢理断ち切ったせいで視覚がストロボを焚かれたかのように白濁としている。
 横たわっていた体は汗に塗れ、少しでも呼吸をしようものならば途端に喉元まで胃の中身が逆流してくる。
 部屋を飛び出し、洗面所に駆け込むと堪らず洗面台に胸に渦まく物を吐き出した。

「く、ぁ――――」

 俯いたままの状態で肩を上下させる。

「殺した……。人を――――ッ!」

 呆然と呟く。
 実際に手を下したのはセイバーだが、命じたのは己だ。非力な少女を守ろうと必死になって震えていた少年を背中から刺し殺した。そのあまりの嫌悪感と罪悪感に正気ではいられなかった。
 映像は瞼に焼き付いてしまった。今でも少年の最後の姿が思い浮かぶ。ライダーのマスターは酷く困惑した様子で己――少女に化けたセイバー――を見返していた。

「殺して、しまった――――」

 なんと、愚かな男だろう。己が願いの為、他者を蹴落としていく。そんな事、初めに理解していた筈なのに、覚悟していた筈なのに、人の死を直視し押し潰されそうになっている。
 ライダーの慟哭が耳に残っている。己が主を殺された事に対する怒りと憎しみの想念が心に直接叩き込まれたかのようだ。

「く、か――――ぅく、ぁぁ――――」

 吐き気は止め処なく襲ってくる。
 胃の中が空になっても収まる気配は無い。
 洗面台が胃液と血に染められるのを見つめながら雁夜は己の仕出かした罪を頭に刻み込んだ。

――――忘れてはいけない。
――――お前は人を殺したのだ。
――――これで本当に後戻りは出来なくなった。
――――殺した人の命を無駄にしてはいけない。
――――歩みを決して止めてはいけない。

 そう、強迫観念に突き動かされるように雁夜は顔を上げた。

「何が何でも桜ちゃんを助けなきゃ……」

 その先が行き止まりであると分かっていて尚、雁夜には既に戻る道など残されてはいなかった。

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