円蔵山の中腹に位置する柳洞寺の一室でキャスターのサーヴァントは哄笑した。
キャスターの見つめる水晶球に映り込む景色はセイバーとランサーの戦場だ。
「……勝ったぞ、切嗣。この戦い、妾達の勝利だ」
それは確信だった。
キャスターは今この瞬間、自陣の勝利の為に必要な条件が全て揃った事を確認した。
「ああ、もう直ぐ叶う。妾の……、妾達の願いが」
◆
セイバーとランサーの激突は呆気無く終わりを迎えた。
令呪によるバックアップ。それがセイバーとランサーの拮抗する力に一石を投じる決め手となった。
令呪による爆発的な魔力によるブースト。それはセイバーの全ステータスを更に向上させ、一時的に評価規格外――――Exランクの力を発揮させた。
ただの一動作が周囲を塵一つ無い平野に変えた。無数の蟲も怨嗟の声も何もかもがただのセイバーの一歩によって消滅し、ランサーはセイバーの振り下ろした剣によって深手を負った。片腕が切り落とされ、愛槍の片割れは遠く彼方へと弾き飛ばされた。
「令呪によるバックアップか……」
ランサーは膝を屈し、力無く呟いた。互いの騎士道を懸けた決戦の結末を左右したのは本来彼らが持ち得ぬ力によるものだった。
それを残念に思ったわけではない。令呪というのはそれぞれのマスターとサーヴァントに与えられる公平な戦力だ。それをどう使うかは各々の判断による。ランサーとて、既に二度令呪を戦闘に用いているのだから卑怯などとは言わない。ただ、羨ましかった。
令呪とはサーヴァントに爆発的な力を与える重要な戦力であると同時にサーヴァントを律する鎖でもある。令呪をどう扱うかは主従の絆の深さが鍵を握っていると言える。セイバーのマスターは拮抗する戦況の中でセイバーの後押しをする形で令呪を発動し、ランサーのマスターは最後の令呪を鎖とすべく温存した。勝敗を決したのは互いの主との絆の深さだった。
「主の令呪はこれで三画を消費してしまった。だが、貴殿を倒せば後に残るはキャスターとアーチャーのみ。もはや、我々の勝利は揺るぎ無い」
「……私の敗北だな」
「ああ、そして、私の勝利だ」
唇の端を吊り上げ、ランサーの首を撥ねる為にセイバーは己が聖剣を振り上げる。
その瞬間だった。
ランサーの体が咄嗟に動いた。
己の意思で動かしたわけではない。
全身に浸透したキャスターの魔力が疲弊し切った状態のランサーの体を僅かに動かしたのだ。
己の残った方の手が握る紅の槍をセイバーの心臓に向けて突き出すのをランサーは驚いた様子で見つめた。
そして、セイバーもまた信じられないといった表情を浮かべて凍りついたように動きを止め、小さく呟いた。
「――――エレ、イン。何故、ここに」
セイバーの瞳にランサーの姿は消え、嘗て、己を愛し、己を壊した女性の姿が映った。
エレイン。
ランスロットの曇り無き騎士道に陰りを齎した美しい女。
嘗て、ランスロットは彼女の求愛を拒み、そして、彼女は自害し、ランスロットの心に消えぬ傷を与えた。
『私の騎士道は本当に尊きものなのだろうか……?』
そう、彼を迷わせた女の姿がランサーに重なった。
動かなくなったセイバーの心臓を紅の槍は易々と貫通し、セイバーは消滅した。
ランサーは茫然とした表情を浮かべ、セイバーの消滅を見届けた。
セイバーの姿が無くなり、嘗て蟲蔵であった空洞に一人佇む彼の脳裏に彼のマスターの声が流れ込んでくる。
『ランサー。地上に戻り、アーチャーとライダーのマスターを抹殺せよ』
冷徹な主の声にランサーは黙って頷く。
今、アーチャーとライダーは戦闘状態にあり、マスター達は無防備となっている。
騎士として、彼らと刃を交える事が出来ない事は残念だが、マスターを殺す事に対しては何の躊躇いも無い。
何故なら、彼ら、あるいは彼女達は殺し殺される立場にあると理解した上で戦場に立っているのだから。
セイバーとの決着に僅かな不満はあるものの、それを億尾に出す事は無く、ランサーは黙って蟲蔵を出た。
強大な魔力がうねる戦場をランサーは悠々と歩く。
『まずはライダーのマスターを片付けよ。万一にも逃げられては拙い。此度の戦の褒賞にも関わってくる。確実に殺せ』
マスターからの命令を受け、ランサーは深い藍色の髪の幼い少女に向けて歩を進める。
ランサーの存在を彼女達が気付いた時にはランサーは既に少女の眼前に立っていた。
紅の槍を振り上げ、一言だけ呟く。
「すまぬな」
紅の槍は振り下ろされ、鮮血が舞った。
◆
砂漠と荒野の入り混じる異界の戦場をアーチャーは駆けた。迫り来る嘗ての世に覇を唱えし英雄達の進軍から脱がれる為に。
ライダーの固有結界はアーチャーの固有結界とは性質が大きく異なっている。その違いとはアーチャーが無限の剣製を一人で維持しているのに対して、ライダーは彼の同朋達全員が一丸となり維持しているという点だ。
元々、汚染された聖杯から零れ落ちた災厄の業火に焼かれ、騎士王の鞘によってその身を新生させた事により固有結界の化身となったアーチャーはたった一人でありながらライダーの万軍が維持する固有結界に拮抗する事が出来た。
鬩ぎ合う世界と世界、心と心のぶつかり合いの均衡を崩したのはライダーだった。ライダーは己が世界を侵食されるのも構わずに軍勢をアーチャーに差し向けた。無論、アーチャーも無抵抗というわけでは無い。
虚空に無数の名剣、宝剣、聖剣、魔剣が浮かび、迫り来る軍勢目掛けて飛来する。征服王イスカンダルと共に戦場を駆けた英雄達は剣の豪雨の合間を縫う様に進軍するが、無血という訳にはいかず、既に多くの英雄達が座に帰還し、生存している英雄達も少なからず負傷している。世界は大きく無限の剣製に傾き、砂漠は剣の墓標へと姿を変える。されど、ライダーに撤退の意思は欠片も無かった。
固有結界の鬩ぎ合い、それは己よりもむしろ魔術師であるアーチャーに分があるものだとライダーは即座に判断を下した。ならば、己の世界が食い尽くされる前にアーチャーを打ち倒す。それがライダーの決断だった。軍勢は徐々にアーチャーと距離を詰めている。
アーチャーがライダーの固有結界を食い尽くすのが先か、ライダーがアーチャーを殺すのが先か――――。
「勝利は我等にあり!!」
「然り!!」
ライダーの雄叫びに応え、一人の勇士がついにアーチャーとの距離を詰めた。
片手に剣を握る嘗ての英雄はアーチャーの投擲する宝具の嵐を掻い潜り、アーチャーの首目掛け剣を振るった。
アーチャーは咄嗟に干将莫邪を投影し防ぐが、更なる敵が迫り来る。
瞬く間に周囲を取り囲まれ、されど、アーチャーは口元に笑みを浮かべた。
「間一髪だったな」
その瞬間、アーチャーの眼前から英雄達は姿を消した。
「あと一歩だったのだがな……」
ライダーは上空を見上げた。
蒼天は燃え盛る業火の色に代わり、武骨な歯車が回転する奇怪な様相へと変わった。
地表は砂漠から荒野に変わり、無数の剣が突き刺さっている。
「だが、余は死んでおらん。決着を着けようぞ、アーチャー」
ライダーの声に応えるようにアーチャーは一本の剣を手に取った。
「ご覧の通り、貴様が挑むのは無限の剣。剣戟の極地……。恐れずしてかかってこい、征服王!!」
ライダーは獰猛な笑みを浮かべると、消え去った愛馬の代わりに己が牛車に跨ると、アーチャー目掛け手綱を取った。
「我が疾走を止めてみせよ、アーチャー!!」
ライダーは神牛を走らせ、アーチャーは空いた手に弓を投影した。
「遥かなる――――」
「偽・螺旋――――」
その時だった。
両者が各々の宝具の真名を口にしようとした時、二人のラインを通じて、互いに主の危機感じ取った。
アーチャーは即座に展開していた固有結界を閉じた。
辺りは一瞬にして夜の住宅街へと変わり、アーチャーの目に飛び込んだのはランサーのサーヴァントが己の槍で誰かを突き刺している光景だった。
◆
「雁夜……さん」
桜は茫然と目の前で血を流す青年の名を呼んだ。
「ああ、良かった……」
雁夜は止め処なく溢れ出す自身の血に目もくれず、ただ、桜の無事を喜んだ。
雁夜は桜を庇い、ランサーの紅の槍を背中で受けていた。
心臓からは僅かにずれているものの、紅の槍は雁夜の胸を貫き、多量の血が零れ落ちている。
「周囲に展開して居た蟲のおかげで気付けたよ。まったく、忌々しい奴らだけど、少しは感謝してやらないといけないな……」
そう言うと、雁夜は地面に倒れ込んだ。
桜はイヤイヤをするように首を振り、涙を溢れさせた。
「アーチャー!!」
凛は叫んだ。
己が従者に己が怒りを報せるが如く。そして、彼女の従者はその怒りを受け取った。
固有結界の解除と同時に無数の剣がランサーに襲い掛かる。一本一本が強大な魔力を保有する宝剣であり、ランサーは舌を打つと大きく後退した。
アーチャーは逃さぬとばかりに新たなる矢を投影する。螺旋を描く刀身を持つその矢の名は――――。
「偽・螺旋剣――――カラドボルグⅡ」
放たれた矢は軌道上にある民家を根こそぎ粉砕し、ランサー目掛けて突き進んだ。
騎士王の剣の原典ともされる一振りで三つの丘を切り落とした魔剣を防ぐ事など出来はしない。
魔弾が迫り来るさなか、ランサーはまるで死を受け入れるかの如く瞼を閉じ、
「ならば、避ければいいだけの事」
音速を超え、一筋の雷となり迫り来る魔弾を難なく避けて見せた。
ランサーのステータスは未だに衰えては居らず、音速を遥かに超えた程度の魔弾を避けるなど容易い事だった。
ランサーは反撃に転じるべく紅の魔槍を握り直し、体勢を整えた。
その時、脳裏に主の声が響いた。
『そこまでだ、ランサー』
「主……?」
『撤退しろ。セイバーを倒した以上、間桐のサーヴァントはライダーを残すのみとなった。後はアーチャーとライダーの戦いを静観し、疲弊した所を討つ』
「し、しかし――――」
ランサーは喉元に込み上げた言葉を必死に呑み込んだ。
「了解致しました」
ランサーが霊体化し、姿を消すと、アーチャーとライダーは倒れ込む男と男に寄り添う二人の少女に目を剥けた。
男は既に死に体だった。むしろ、今尚生き永らえている事に二騎の英霊は驚きを隠せない程だった。
全身を蟲に喰い荒らされ、元々、一月と生きられない体でありながらセイバーという強力なサーヴァントを従えて戦い抜き、英霊の槍をその身に受けた彼の肉体は数々の死体を見続けて来た英雄をして死体と見間違える状態だった。
「桜……ちゃん」
けれど、雁夜は必死に言葉を紡いだ。
桜は凛やアーチャーを警戒する間も厭い、雁夜の言葉に耳を傾けた。
「雁夜……さん」
雁夜の掠れた声に、桜は震えた声で応えた。
「ごめん……ね。約束……守れそうに……ないや」
「いや……、いや……、いや!!」
桜は蹲り、体を震わせた。
「死なないで……。死なないで、雁夜さん。お願い……、お願いだから、死なないで」
必死に懇願する桜に雁夜は一言「ごめん」と謝った。
「諦めないで!!」
凛は叫んだ。雁夜の傷口に凛は紅の宝石を宛がう。
「何を……?」
雁夜は不思議そうに凛を見つめた。
「助けてみせる……。この宝石の魔力なら、雁夜さんの命を救える筈……」
「本当……?」
凛の言葉に桜は顔を上げた。
その顔には希望に縋る必死な表情が浮かんでいた。
凛は妹に向かって力強く頷いた。
「お姉ちゃんに任せなさい。絶対、貴女の大切な人を死なせたりしない」
「小娘よ」
宝石に魔力を流そうとする凛にライダーは声を掛けた。
「その男は貴様の敵である筈だが?」
ライダーの存在を失念していた凛は怯えた表情を一瞬浮かべるが、直ぐに表情を引き締め、真っ直ぐにライダーを睨み付けた。
「敵じゃないわ」
凛は言った。
「私は最初から雁夜おじさんの敵じゃない。勿論、桜の敵でも無い」
「どういう事だ? 今宵、貴様は余の主を殺す為に訪れたのではなかったか?」
ライダーの問いに凛はライダーから視線を外し、再び宝石に魔力を流し始めた。
「私は桜を助けたいだけ」
「……え?」
凛の言葉に桜は戸惑ったような声を発した。
「桜には雁夜おじさんが必要だから、絶対に助ける」
決意の籠った凛の言葉にライダーはもはや口を開く事は無かった。
ただ、軽くアーチャーに向かって笑いかけるだけだった。
「お姉ちゃん……」
桜が無意識に零した声に凛は頬が綻ぶのを見られないように顔を俯かせた。そして、宝石に込められた膨大な魔力を雁夜に流し始めた。
未来の自分は心臓を破壊された一人の少年を救った。なら、自分もきっとこの人を助ける事が出来る筈だ。
そう、凛は必死に魔力を操った。
「絶対……、助ける!!」
柔らかい魔力が雁夜の体を包み込み、雁夜の息が整い始め、傷口が塞がり始めた。
「それは困るな」
そう、死神は呟くように言った。
それと同時に、二発の銃声が鳴り響いた。