第一話「最後の真実」

第一話「最後の真実」

 とても哀しい気持ちになった。さっきまで、凄く楽しかったのに、今はもう全然楽しくない。
 吸魂鬼が私の幸福な気持ちを吸い取って行くせいだ。箒から落ちて、私は地面に真っ逆さま。あの時と一緒。また、死ぬんだ、私……。
 あの時も、本当は凄く怖かった。主人格の意思には逆らえなかったけど、本当は死にたくなかった。必死に手を伸ばした。だけど、誰も手を掴んでくれなかった。
 
「たす……けて」
「愛!!」

 私の名前を誰かが呼んだ。誰かが、私の手を掴んだ。
 主人格が……、ママがくれた私の名前を呼んでくれたのは、アル君だった。
 助けを求める私の手を掴んでくれた。愛しい愛しい勇者様が来てくれた。

「ああ、殺しに来てくれたのね」

 嬉しくて、涙が溢れた。身震いする程の悦びが全身に広がる。
 手に握っていた銃も杖も落としてしまった。涙で視界が歪んで、彼の顔が見えない。

「……お前、怯えてんのか?」

 アル君の酷く動揺した声が耳に入った。怯えてる。誰の事を言ってるんだろう。少なくとも、私じゃない。だって、私は快楽殺人鬼。そういう風に作られた人格。だから、殺し、殺される事が至上の悦び。
 この涙も震えも歓喜によるもの。

「助けてって、言ったよな……?」

 そんな事、言う筈がない。言う資格なんかない。

「愛……。お前は……」
 
 産まれた瞬間に血に塗れた私が誰かに助けを求めるなんて、許される筈が無い。
 私の役割はママの嫌な事を受け持つ事。ママは本当は誰かを傷つけるなんて嫌だった。知らない男の人に抱かれるのも嫌だった。傷つけられるのも嫌だった。
 だから、私が代わりになった。ママが傷つける代わりに私が傷つける。ママが抱かれる代わりに私が抱かれる。ママが傷つけられる代わりに私が傷つけられる。
 ママの代わりになる事が私の喜び。だって、私が代わりになれば、ママは幸せになれる。ママの幸せは私の幸せだ。だから、私は幸せなんだ。
 ママが死を願うなら、私も死を望む。
 でも、これが最期なら……少しだけ、我侭になってもいいよね。
 意識が薄れていく。吸魂鬼に襲われた影響が出ているのかもしれない。意識が完全に無くなったら、待ち受けているのは永遠の闇。もう、目覚める事の無い永久の眠り。
 完全に意識を失う前にこれだけは伝えたい。

「……ありがとう」

 言えた。私からお礼なんて言われても、きっと彼には迷惑でしかないだろうけど、それでも伝えたかった。
 ユーリィを救ってくれてありがとう。ママを救ってくれてありがとう。私の名前を呼んでくれてありがとう。私を助けてくれてありがとう。
 色々なありがとうが溢れて来る。

「お、おい!」

 ああ、もう意識が保てない。
 さよ……う……、なら。

 どうしてだろう。
 もう、二度と目覚める事が無い筈なのに、闇の中から私の意識は再び浮上した。死の間際に夢を見ているのかもしれない。
 薄っすらと開いた瞼の向こうから光が溢れ出し、その中にママの顔があった。

「マ……マ……?」
「……愛ちゃん」

 ママは微笑んでいた。ここはどこだろう。辺りを見渡すと、広々とした草原が広がっていた。
 これで、間違い無い。これは夢だ。だって、ママと私は同じ人間。同時に別の場所には存在出来ない。だから、こうして顔を見るなんて出来ない。
 生前の姿で私の隣にママは座った。
 ママが表に出ている間もママの存在やママの意思は伝わって来た。ママが表に出ている時、私は暗闇の底に居て、ママの声やママの聞く音、ママの見る景色を一緒に見聞きしていた。
 だけど、こんな風に同じ空間で隣同士で座るなんて状況はあり得なかった。
 話が出来る。一方通行じゃなくて、ここでなら、ママと話が出来る。例え、これが夢でも構わない。ママと話したい事がたくさんあった。
 
「ごめんね……、愛ちゃん」

 なのに、ママは私に頭を下げた。親子の会話が出来るかもしれないと、浮き立った心が萎んでいく。
 意味も分からない。ママが私に謝るなんて、道理に合わない。だって、謝る理由が無い。
 ママの姿はしていても、ママじゃない。夢の主である私すら騙せないなんて滑稽だ。

「私は全てをあなたに押し付けて、逃げてしまった……」

 こんなくだらない夢を最期に見る事になるなんて最低。
 
「本当にごめんなさい」

 止めてよ。こんな夢、もう見たくない。早く、終わらせて欲しい。

「愛ちゃん……」

 ママの偽者は私の頭をそっと撫でた。

「……あ」

 涙が出た。こんな風に頭を撫でられるのは初めての経験。
 優しい手つき。

「私が持って行くから……」
「……ママ?」

 ママは酷く嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「ママ……かぁ」

 泣きそうな笑顔。だけど、とても嬉しそう。どうして、そんなに嬉しそうなんだろう。

「愛ちゃん……。私があなたに押し付けた怒り、哀しみ、絶望、全部持って行くから。だから、どうか……幸せになって」
「ママ……、何を言ってるの?」

 分からない。ママが何を言っているのか分からない。

「ロックハート先生は素晴らしい先生だね」

 ママは言った。ロックハート。闇の魔術に対する防衛術の先生の名前。
 どうして、今、彼の名前が出て来るの……?

「交代人格は感情や記憶が切り離されて、成長した存在。だから、根幹となる感情や記憶が消失すると、その存在も消えてしまう。救いを求める心や、逃げたいと思う心が満たされ、消失し、春と真紀は消えてしまった。この魂に残った人格は私とあなただけ……。だから、今度は私が消える番」
「……え?」

 何を言ってるのか分からない。だって、次に消えるのは私の番……というか、私はママと一緒に死ななきゃいけない筈。

「あなたは死なないわ」
「……え?」
「それに、消えるのは私」

 訳が分からない。そもそも、主人格が消えるなんて、ある筈が無い。
 だって、私や春や真紀の存在の根幹がママの感情や記憶なら、それらの根幹はママなのだから……。
 
「……感情や……【記憶】?」

 交代人格は感情や記憶が切り離されて成長した存在。
 頭の中で反芻する内に恐ろしい考えが浮かび上がって来た。

「……ママの方が……交代人格なの?」
「……気がついたのはついさっきだったわ」

 否定の言葉は返って来なかった。

「私は確かに冴島誠よ。その記憶と感情を全て持ち合わせている。ただ、殺意や悲しみや絶望だけを主人格であるあなたに残したまま、私は交代人格として育った。まるで、自分こそが主人格だと錯覚した」
「じゃあ……、私は……」
「あなたは残るわ。大丈夫。あなたの罪は私の罪。全部一緒に持って行くから、あなたは、ちょっと大変かもしれないけど、また一から頑張るの」
「……持って行くって、消えちゃうの?」

 不安と恐怖に押し潰されそうになる。私はママの為に人を殺し、男に抱かれ続けて来たのだと思っていた。
 それは間違いだった。私は私自身の為に人を殺して来た。男に抱かれて来た。
 嫌だ。一人になるなんて嫌だ。怖い。助けて、ママ。

「大丈夫」

 ママは私を抱き締めた。

「春や真紀に役割が与えられていたように、私にも役割があった。それは、冴島誠を人間に留める事。私の存在があるから、あなたは最後に死を選ぶ決断をした。でも、もう私の存在は必要無い。冴島誠は私が持って行くわ。だから、あなたは冴島愛として、新しく始めなさい」
「待って……」

 嫌だ。

「消えないで!!」

 一人にしないで。
 ママに向かって必死に手を伸ばす。だけど、ママの体が離れて行く。
 辺りが暗くなった。足下の草原もいつの間にか闇に変わっていた。沈んでいく。
 私の中から何かが消えて行く。
 ……私が消えて行く。あれ? 私って、誰だっけ……。

 ※※※※※

 ロックハート先生は杖を納めて立ち上がった。

「本当に、こんな事をして良かったのですか?」

 不安そうにダンブルドアに問い掛ける。彼は愛から誠の記憶を忘却術によって消し去った。
 それは、誠が求めた事だった。誠は自分ですら理解していなかった【最後の真実】に気がつき、愛を救う為に自分の根幹である冴島誠としての記憶の消滅を願った。
 ジェイクやドラコの死の原因を作った存在。多くの連合や死喰い人を死に追いやった原因を作った存在。けれど、ダンブルドアは躊躇うこと無く了承した。
 
【この子の決断は忘却による罪からの逃避では無い。愛する者の為に己の死を選んだ。それは覚悟と呼ぶんじゃ】
 
 忘却術の専門家を呼んだ。本職の人間以上に忘却術に秀でた教師がこの学校に一人居る。
 ロックハートは躊躇いながらも丁寧に記憶の除去を行った。対象となる記憶だけを消すのは容易では無く、繊細な術のコントロールが必要になる為にたっぷり一時間以上も掛かった。
 全ての処置が終わると、愛の瞼が動き出した。目覚める。

「愛ちゃん……」

 ユーリィが愛に声を掛けると、愛はゆっくりと瞼を開いた。
 キョロキョロと虚ろな目で辺りを見回す。

「ここは……どこ? わたし……あれ? わたし、誰……?」

 愛は不安そうに顔を歪めた。
 
「ジャスパー」

 俺は敢えて、愛をそう呼んだ。愛って名前は見た目に合わないし、記憶と殺人衝動の無くなった愛が本当に愛と言えるのか疑問だったからだ。

「ジャス、パー?」
「ああ、それがお前の名前だ。お前は記憶喪失なんだ」

 あらかじめ、決めていた台詞を口にすると、愛……いや、ジャスパーは目を丸くした。

「記憶喪失……? わたし……ジャスパー?」
「そうだよ。ジャスパー」

 ユーリィがジャスパーの手を取って言った。

「あなたは誰?」
「私はユーリィ。……あなたの家族だよ」
「家族……? わたしのお姉ちゃんなの?」

 お姉ちゃんと呼ばれて、ユーリィは少し驚いた様子を見せた。 
 だけど、すぐに冷静さを取り戻し、言った。

「そうだよ。私はあなたのお姉ちゃんなの。不安だと思うし、怖いと思うかもだけど、私がついているわ」
「……お姉ちゃん」

 ジャスパーは生まれたての赤ん坊のようにユーリィの手を胸に抱え込むと、涙を零し始めた。

「凄く……寂しいの。なんだか、分からないけど、寂しいの」
「……うん。分かるよ。でも、これからは私が居るからね」
「お姉ちゃん……」

 ジャスパーは泣き続けた。ユーリィはそれを見守り続けた。
 多くの人間が死に、絶望に陥った。誰かがジャスパーを責めるかもしれない。なら、俺が守ろう。
 誰だろうと、ジャスパーにもユーリィにも手は出させない。何と言っても、ユーリィがジャスパーのお姉ちゃんんあら、ジャスパーは俺の未来の弟になるわけだしな。

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