第二十二話『京都の再会』

 深夜遅く、森の木々がざわめく一角に三人の少年と少女が木の上の太い枝の上に立っていた。一人は眼鏡を掛けた真っ白なゴシックロリータを着た少女。一人は月明りにその美しい銀髪を濡らす少年。最後の一人は、薄汚い灰色のローブの合間から、血の様な真紅に濡れた髪と金色の眼が僅かに覗く。

「理解出来ないね。何故、この様な回りくどい手段を取るんだい?」

 まるで、どこぞの王に仕える騎士の様な服装をしている白髪の少年はジロリとローブを被った、金色の眼の少年を睨みつけた。

「おいおい、俺は確実に勝てる戦法を取っているだけだぜ?」

 金色の眼の少年がニヤつく様に言うと、白髪の少年は睨みを強めた。

「コチラには鍵があるんだ。力で押せば勝利は容易い筈だが?」
「馬鹿言え。アッチには、例の剣があるんだぞ? 未だに使いこなせてはいない様だが、警戒するに越した事は無い。だろう?」
「やれやれ、心配のし過ぎだと思うのだがね」

 白髪の少年が肩を竦めると、金色の眼の少年は鼻で笑った。

「無思慮な者が、怠惰の言い訳にする台詞だな。戦略だけでは、確実に勝利を呼び込む事は出来無い事も分からないのか?」
「戦術を戦略でカバーは出来るが、戦略を戦術でカバーをする事は出来ないという言葉もあるよ? 君は、戦術が戦略を越えられると言うのかい?」
「違うな、間違っているぞ。戦略と戦術は両方を巧みに操る事が重要なのだ。最終の目標に向けての戦力の配分、そして、目標に至る標ごとの策を練る。勝利を引き寄せる網の目は細かく強い方が良い」
「策士、策に溺れなければいいがね」
「その言葉の語源を知っているか? 曹操の知を巧みに利用した諸葛孔明の言葉だ。要は読み合いに負けた者が敗北する。向こうに優秀な軍師が居るならば、敗北も在り得るだろうが、居るのは十代の小娘と、策を使えぬ出来損ないだ」
「成る程、溺れる事は無いという訳か」
「その通りだ」

 金色の眼の少年は、森の先に見える光の灯る神社の様な場所に目を向けた。関西呪術協会の総本山である。

「関西呪術協会をまず落とす。四神結界と京都魔法陣の権限を奪い取り、奴等を京都に閉じ込め、最初に“警告”し、奴等に心を休める暇を与えずに疲弊させる。奴等の修学旅行の日程は既に調べている。恐らくは、警戒し友人を守る為に戦力を分散させるだろう。厄介なのは神鳴流とマジックガンナー、それにあの……黄昏の姫御子だ」

 白髪の少年から殺気が噴出した。歯を噛み締めながら、その瞳に狂気の色を称えて唸った。

「先輩はウチに下さいますぅ?」
「ああ、神鳴流は任せるぞ。アレの術式は厄介だからな」

 眼鏡の少女がホワホワした様子で言葉を発すると、金色の眼の少年はニヤリと笑みを浮かべて言った。

「俺は高畑.T.タカミチをやる」
「勝てるのかい?」
「俺を誰だと思っている? 元・ウェスペルタティア王国の聖騎士殿」

 少年は金の瞳をギラリと輝かせた。右手で前髪をかき上げ、見下す様に白髪の少年に視線を向けた。白髪の少年はフッと笑みを浮べた。

「君が負ける姿は到底想像出来ないな。古き血の吸血鬼――――エドワード・ウィンゲイト」

 エドワードはクスリと笑った。

「お前はネギ・スプリングフィールドと近衛木乃香だ。魔力タンクを奪えば、お前の目的の女の戦力も激減する。それなら、傷つける事なく捕らえられるだろう?」
「確かに――。必ず、解放してみせる……、姫様」

 決意を篭めた表情で関西呪術協会を睨みつける。

「まずは、最初の条件をクリアするぞ。関西呪術協会を落とす」
「やるからには、短時間で決めないとね」
「仮にも、サムライマスターと謳われた男だ。近衛詠春が動く前に決めるぞ」

 エドワードの言葉に、白髪の少年は黙って頷く。

「月詠、お前は残っていろ。魔術による掃討戦だ。お前の出る幕は無い」

 エドワードの言葉に、眼鏡の少女――月詠は不満気な顔をした。

「つまらへんなぁ」
「そうむくれるな。お前には、後々に活躍してもらうさ」

 月詠から眼を離すと、エドワードは口元を歪めた。瞬間、エドワードの眼前に小さな炎の球が発生する。

「初撃は任せろ。結界を破壊すると同時に呪術協会に混乱を巻き起こす。その間に侵入、一人残らず石化させろ。近衛詠春が現れた場合は殺すな。石化も却下だ。四神結界や京都魔法陣の権限を移譲させるからな」
「二つの権限は君が所有するのかい?」

 白髪の少年は怪訝な顔をした。

「不服か? お前は鍵の制御だけで限界であろう? ならば、俺が所有するのが自然な流れ。まさか、魔術師でもない月詠に渡す気か? それこそ、正気では無いぞ」

 エドワードの言葉に、白髪の少年は肩を竦めた。

「まさか、不服など無いさ。確認をしたまでの事。では、行こうか」
「ああ――フッ」

 エドワードは右手を掲げた。炎の球が一気に収縮し、ビー玉並みの大きさになると、まるで銃弾の如き速度で関西呪術協会に向けて放たれた。
 空間を歪め、空気が捩れ曲がっている。唐突に、炎の弾丸は動きを止めた。目に見えない壁に阻まれた炎の弾丸は、壁を突破しようともがく。不可視の壁は衝撃によって歪み、まるでガラスをハンマーで殴ったかの様に真っ白な無数の罅が広がった。螺旋回転をしながら、まるでドリルの様に関西呪術協会の教会に張られた結界が削られていく。
 関西呪術協会の、いち早く気がついた者も、呆然とその様子を眺めていた。不可視の結界に広がる大きな真っ白の皹を――。

「砕け散れ――」

 エドワードがニヤリと笑うと、一気に結界が破られた。バキンッ! というガラスの割れた様な音が、関西呪術協会のある御山の全域に響き渡った。
 関西呪術協会の結界は崩壊し、瞬間、関西呪術協会にパニックが巻き起こった。関西呪術協会の総本山の結界が破られるなど、誰にも想像する事すら出来なかったのだ。関西呪術協会の奥にある、長の部屋で、慌てながら報告をした巫女に礼を述べると、詠春は小さく溜息を吐いた。

「来たか」

 独り呟くと、詠春は立ち上がった。大きく息を吸い込み、感情を殺す。
 自身の太刀を握り、詠春は歩き出した。周囲に響き渡る悲鳴。歩く先々で、石化した仲間達の姿を発見し、詠春は静かに怒る。
 外に出ると、そこには二人の少年が立っていた。詠春は殺意を漲らせる。

「ここを関西呪術協会と知っての狼藉か!!」

 詠春の怒声に篭められた憎悪と殺意に、エドワードは笑みを浮べた。

「さて、役者が違うぞ、無理はするな。俺達の目的は二つだ。京都を守護する“四神結界”と“京都魔法陣”、二つの使用権限を寄越せ。さもなければ――」

 エドワードは指を鳴らした。

「これだけで、石化した者達の肉体を滅ぼすぞ」
「巫山戯るな。ここに居る者は、とうに死など覚悟している。その程度の脅しに屈すると思うか!? 例え、皆が殺され様とも、私が貴様等――」

 瞬間、詠春の姿が消えた。甲高い金属のぶつかり合う音が響く。詠春の何時の間にか抜刀した剣と、何時の間にか現れた月詠の二振りの剣が激突していた。

「裏切りますか、月詠!」
「ご覧の通りどすぅ」

 頭上に迫る炎を回避し、詠春は距離を取った。

「ならば、町の人間ならどうだ?」
「何……?」

 エドワードが口を開くと、詠春は眉を顰めた。

「俺達ならば、京都の町を滅ぼす事も可能だ。京都魔法陣や四神結界を残ったお前一人で操れるなら別だが?」

 エドワードの言葉に、詠春は歯を噛み締めた。

「不可能だよなぁ? お前は魔術師では無い。ただの剣士に過ぎない。お前一人では、京都の民は護れない。どうする? 京都を見殺しにするのか? 正気か? 関西呪術協会の長、近衛詠春よぉぉ!」
「君は……、何者だ?」

 詠春は屈辱に歪んだ表情を浮べながら尋ねた。

「名乗る必要は無い。寄越せ、結界と魔法陣の使用権限!」

 詠春の敗北だった。非の打ち所の無い、完全無欠の敗北だった。仲間は全員石化され、自分一人では叶わない。京都の民を護る選択肢は一つだった――。

「無理だ。どちらも、権限の移譲には膨大な時間が掛かってしまう。それに、京都の魔法陣を全て、関西呪術協会が保有している訳ではないんだ」
「何だって?」

 白髪の少年は、詠春の言葉の真偽を探ろうと眼を細めた。

「だろうな。ま、予想は出来ていた」
「……どういう事だい?」

 金色の眼の少年の言葉に、白髪の少年は怪訝な顔をした。

「簡単な事だ。近衛詠春が関西呪術協会の長の座に着いたのは、ここ数年の事だ。元より、コイツは魔術師では無く剣士だ。そんなのに、京都を護る魔術の全権を預ける事を良しとはしないだろう」
「なっ!? では、この襲撃の意味は――」
「いいや、ある」

 エドワードの言葉に、白髪の少年が食って掛かろうとするが、エドワードはその切っ先を制して言葉を続けた。

「まず、これで関西呪術協会の機能は停止した。救援の要請をするにも、これで近衛詠春を石化させてしまえば、かなり遅れる事になる。最早、関西呪術協会という、最も現実となりうる第三者による強襲の可能性は消え去った。四神結界や、京都魔法陣も恐れる必要は無くなった。だが、これだけでは態々ココを襲撃した意味は無い。これより、俺達はココを拠点とする」
「ココを……関西呪術協会を拠点にすると言うのかい!?」

 白髪の少年は、あまりの事に驚愕した。

「その通りだ。この場所を拠点とする。フェイト、まずは近衛詠春を石化させろ」
「あ、ああ……」

 エドワードに言われるがままに、詠春にフェイトと言われた少年は石化の魔法を発動した。

「ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト。小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ。その光、我が手に宿し、災いなる眼差しで射よ。『石化の邪眼』」

 瞬時に、詠春の体が灰色の岩へと変化していく。石像となった詠春は憤怒の表情を浮かべていた。

「後は、使えそうなのを何人か選び出して洗脳するぞ」
「そこまでする必要があるのかい?」
「何、コイツ等を使って疲弊させる程度の事だ。それに、誘導や罠を仕掛ける等、使い道は無限にある。爆弾を腹に巻かせて、奴等に特攻させるという手もあるな」
「……君は恐ろしい男だね」

 フェイトはエドワードから顔を背ける様に、待たせていた月詠の居る方へと跳んだ。

「冷徹に成り切れていないな。だが、ここまではミスは無い。初期の条件は全てクリアされた!」

 フェイトが立ち去った後に、エドワードは一人呟くと、近衛詠春の石像の前に立った。

「壊しちまうのもいいが、元・英雄様の石像を部屋に飾るってのも悪くねぇ」

 そう言うと、エドワードは炎の転移魔法を発動し、周囲の石像を呪術協会内へ転送した。

「後は、イレギュラーが無ければ問題は無い」

 ネギ達の修学旅行の前日、関西呪術協会は落ちた――。

 早朝、まだ日は昇りきっていない時間にも関らず、ネギと明日菜と木乃香の三人は起きて朝食を食べていた。ピザトーストにコーンスープだけという簡単なものだった。
 今日から四泊五日の京都への修学旅行なのだ。あやかの提案で外国人の多い3年A組は日本の古都である京都にしようという事になったのだ。
 麻帆良学園の修学旅行は生徒の自主性を重んじられている。目的地は沖縄や北海道、京都などの国内以外にも、イタリア、ドイツ、合衆国、ハワイなどの海外も選択が可能だ。引率は担任のタカミチと国語の担当教師であり生活指導の新田だ。
 大宮駅に九時に集合で、時間はたっぷりあるのだが、自然と三人は目を覚ましてしまっていた。朝食を食べ終えた後、木乃香とネギが手早く洗い物を済ますと、ガスや電気、水道のチェックを済ませ、忘れ物が無いかを入念にチェックすると、戸締りを確りと確認して駅に向かう前にエヴァンジェリンの宅へ向かった。
 エヴァンジェリンのログハウスに到着すると、茶々丸とエヴァンジェリンが三人を出迎えてくれた。カモはタカミチと用事があると言って昨夜から居ない。刹那は龍宮真名と用事があるからと既に発っていた。

「そんな顔をするな。精々、楽しんで来い。一生は永いが、子供の頃の友との一時々々というのは存外に大切な至宝となる。こうしたイベントを心に刻んで来い」

 改めて、エヴァンジェリンと一緒に行けないのだと再確認し、ネギ達は涙が出そうになった。友達との一時を大事にしろと言うのなら、エヴァンジェリンが一緒でなければ駄目だ。
 その三人の思いが分かるからこそ、エヴァンジェリンはニヤリと笑みを浮べた。

「お前達は幸か不幸か分からぬが、私とは長い付き合いになるんだ。私がココから出られるようになったら、幾らでも付き合って貰うぞ?」
「マスターは京都に行ってみたくて仕方なく、昨晩も枕を涙で濡らし――」
「黙ってろ!」
「あ、うん……、あう……いけません、マスター……はぁん……そんなに巻かれては……ああ……」

 余計な事を口走る茶々丸を黙らせる為に、エヴァンジェリンは茶々丸の後頭部にネジを巻いた。

「と、とにかくだ。ネギ、京都にはお前の父親の使っていた別荘がある筈だ。お前が相続している筈だからな、行ってみろ。詠春には連絡をしておいてやる。ナギの使っていた机や椅子、もしかしたら日記やポエムなんかがあったりしてな」

 クスクスと笑うと、エヴァンジェリンはネギの頭に手を乗せた。

「お前の親父の名残がある筈だ。時間を見つけて行って来い。それで、ちょっとは泣いて来い。お前がちょっとでも成長して帰ってくる事を願っているぞ」

 フッと笑みを浮べて言うエヴァンジェリンに、ネギは涙腺が耐え切れずに涙を溢れさせた。

「エ、エヴァンジェリンさん……。一杯……、一杯お土産買ってきます!!」
「もう、何でエヴァちゃん一緒に行けないのよ~~!」
「いっぱい写真撮って見せてあげるから……せやから、うう……」

 共に命を懸けて戦い、ほぼ毎日の様に魔法や剣を教え、勉強を一緒にして、この一ヶ月間で、エヴァンジェリンとの関係は密接になっていた。本当ならば一緒に行きたい。そう思っても、エヴァンジェリンを連れ出すことは出来ない。

「……はぁ。何も、泣く事はないだろう? 師匠として、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが命じる、楽しんで来い。一杯、思い出を作って来い。沢山、学んで来い。ただし、勉強は怠るなよ?」

 エヴァンジェリンは、前日にネギ達に宿題を与えていた。数学と英語の宿題であり、毎日一時間分のプリントを教師に頼んで作って貰ったのだ。
 思い出した明日菜は呻いた。

「うう……、修学旅行なのに~」
「“修学”旅行だからだろうが……。まあ、そんなに難しいのじゃないさ。今までの復習問題ばかりだ。後は、向こうで回る寺や神社を頭に刻め。歴史を肌で感じろ。魔法使いなら、“歴史の価値”という存在(モノ)を知って来るんだ。それはとても大切な事だからな」

 エヴァンジェリンはログハウスの時計に視線を送った。

「もう、そろそろ行かないとな。もしも、問題が起きたらカモとタカミチの指示を絶対に守れ。いいな? それとネギ、お前にコレを渡しておこう」

 エヴァンジェリンの差し出した手には一個の見事な細工の指輪があった。

「魔法発動体だ。お前の指に合わせてある。杖を常時持ち歩いている訳にもいかんからな。前々から作っていたんだが、昨夜、完成した」
「エヴァンジェリンさん……」

 受け取ったネギは涙を止める事が出来なかった。自分の為に作ってくれた指輪をギュッと握り締める。嬉しさに体全体で喜びを示したかった。一緒に行けない悲しさで胸が張り裂けそうだった。

「ごめんなさい。ごめんなさい……、エヴァンジェリンさん」

 謝りだしたネギに、エヴァンジェリンは小さく息を吐いた。封印されている理由が自分の父だから、それが理由だろうと察して、エヴァンジェリンは右手でネギのオデコにデコピンをした。手加減をしたデコピンだったが、ネギは呆然とした。

「恨みはある。だがな、お前は関係無いんだ。お前が私の友を名乗るなら、そんな下らない事で謝るな、馬鹿弟子が」

 こうまで泣かれるとは思っていなかった。たかだか、修学旅行に一緒に行けない程度で――。エヴァンジェリンは余裕を取り繕う為に必死だった。
 自分と一緒に思い出を作りたい。そう思ってくれる少女達と、自分も思い出を作りたかった。この先、少女達は大人になる。今は、エヴァンジェリンと友達であっても、魔法使いの社会に出れば、この温かい時間が続くとは限らない。むしろ、終わってしまう可能性が高い。もしも、自分と一緒に居てくれるのだとしても、自分は時の流れから外れた存在である。少女達が年を取り、老衰していく姿を見るのは自分なのだ。若いまま、友の死を見取る。だからこそ、一つでも思い出を作りたかった。
 一生、抱いていられる思い出を――。自分のためにこんな風に泣いてくれる存在など、もう二度と現れないかもしれないから。ギュッと、エヴァンジェリンの体を明日菜が抱き締めた。

「絶対、いつかエヴァちゃんと旅行に行く。文句を言う奴は正義だろうと悪だろうとぶっ倒す。それが出来るくらい強くなるから……待っててね」

 エヴァンジェリンの顔が歪みそうになった。声が震えない様に慎重に口を開き、出てきたのはたったの一言だった。

「ああ、期待している……」
「ネギさん、木乃香さん、そして、明日菜さん。行ってらっしゃいませ。どうか、楽しんで来てください」

 茶々丸が深く頭を下げると、今度は明日菜は茶々丸の体を抱き締めた。

「茶々丸さん。行って来ます」

 茶々丸と一番接点の多い明日菜は、茶々丸とも一緒に修学旅行に行きたかった。だが、茶々丸がエヴァンジェリンと共に居る事を選んだのなら、何も言えなかった。
 ただ、抱き締めた。

「お土産、いっぱい買って来る。写真、いっぱい撮ってくる、行って来ます……、師匠」
「明日菜さん、行ってらっしゃいませ」

 ネギは右手の人差し指にエヴァンジェリンから貰った指輪を装着した。三人はエヴァンジェリンと茶々丸に手を振りながらログハウスを離れた。三人の姿が見えなくなった後、エヴァンジェリンは小さく呟いた。

「行きたかったな……。アイツ等となら、多分、楽しかった」
「多分では、無いと思います。間違いなく、楽しいでしょうね。マスター、大丈夫です。明日菜さんも、ネギさんも、木乃香さんも、刹那さんも強くなります。才に恵まれ、精神がとてもお強い方々です。いつか、あの方達がマスターを解放してくれます。そうすれば……」
「ああ、期待してしまうな。ナギが実際に生きているか分からないが……。いい女と結婚したようだ。息子……いや、今は娘かな? 娘はアイツとは比べ物にならないほど素直だ。きっと、母親の遺伝だぞ、アレは」
「マスター」
「母親……か。私には、一生縁の無いモノだな」

 淋しそうなエヴァンジェリンに、茶々丸は声を掛けられなかった。ネギにも母親が居る。それはつまり、ナギは一人の女を選び、結婚し、子を産んだという事だ。
 もし、生きていたとしても、もう、自分の居場所はナギの下には無いのだ。それを理解しているからこそ、エヴァンジェリンの気持ちを茶々丸は知ることが出来なかった。
 自分が機械である事をこれほど恨めしく思う事はありませんね。茶々丸は、エヴァンジェリンの為に今夜はご馳走を作ろうと決意した。

 麻帆良学園の学園内を通る電車に揺られる事一時間ちょっと。ネギと明日菜、木乃香の三人は大宮駅に到着した。既に、タカミチと新田、それに生徒達の殆どが集合していた。

「おはようございま~~す!」
「おはよ~~~!」
「おっは~~~!」

 ネギ達が手を振りながら近づくと、少女達も手を振り返した。

「おはよう、ネギ君、明日菜君、木乃香君。向こうに荷物を置いて集まっていてくれ。後、一時間あるから、朝食が未だなら、そこの食堂で食べてきてもいいし、売店でジュースやサンドイッチを買って来てもいいけど、あまり離れないようにね」

 タカミチは出席ボードの三人の名前の欄にチェックを入れながら言うと、ニコッと笑みを浮べた。ちなみに、大きな荷物は既に旅館に郵送されている。

「そう言えば、今更だけど、私達って関西地方に行って問題とかないの?」

 明日菜はフと思い出して言った。天ヶ崎千草の来襲した時に語った、東西の確執をおぼろげに覚えていたのだ。

「カモ君が言うには、大丈夫だそうです。西の木乃香さんのお父さんであるサムライマスター、近衛詠春さんが抑えてくださっているからって」
「お父様……」

 木乃香は複雑な表情をした。自分の父親の本当の仕事を知り、まだ、心の整理が出来ていなかったのだ。
 ネギは前日にカモが話した事を思い出した。
『前に、ちょっとした機会がありやして、近衛詠春が上手く配下の手綱を握れる様になったと聞きやした。だから、修学旅行は大丈夫ッスよ』
 “ちょっとした機会”というのが気になったが、ネギは特に気にしなかった。

「ネギさんは、乗り物酔いはするのですか?」

 クラスメイトの少女達の中に入って談笑に興じていると、あやかがネギに尋ねた。

「あまりしません。日本に来る時に飛行機や電車に長時間乗りましたけど、体調は崩しませんでしたから」
「迷って泣きべそはかいてたけどね~」
「あ、明日菜さん!」

 意地悪を言う明日菜に、ネギが頬を膨らませると、明日菜は
「ごめんごめん」
とニハハと笑いながら頭を下げた。
 全く、謝られた気がしなかったが、ネギは溜息交じりに許すと、超と五月、古菲、葉加瀬が売っていた肉まんをお詫びにと明日菜が買い一緒に食べた。頬が落ちるほどにおいしかった。
 時間が来て、タカミチの号令に従って新幹線に乗り込むと、刹那がギリギリでやって来た。

「あ、危なかった……」

 かなり時間ギリギリに、龍宮真名と共に到着した刹那は木乃香の隣に座り、木乃香からポカリと肉まんを受け取った。

「ありがとうございます、お嬢様」

 木乃香は瞳を輝かせて喜ぶ刹那に、慈愛に満ちた笑みを浮べる。肉まんをあっと言う間に食べ終えると、ペットボトルいっぱいに入っていたポカリを一気に飲み干して、ようやく一息を入れた。

「刹那さん、どうして遅くなったの?」

 明日菜が尋ねる。

「それが、真名と一緒に特別な装備を受け取りに行っていたのですが、発注していた業者と少し口論になりまして……」
「特別な装備って?ていうか、受注した業者と口論ってどういう事?」

 明日菜が怪訝な顔をすると、刹那は律儀に答えた。

「カモさんの話では、長が配下を完全に抑え切ったとの事ですが、何しろ、関西呪術協会の呪術師や剣士は数が多く、周辺の“魔術結社(マジックキャバル)”からも干渉が無いとは言い切れませんので、念には念を……と。業者というのは、魔術製品を取り扱う専門の業者が存在するんです。私の場合は、あまり関西地区の魔術製品の業者は頼れないので、この学園の魔法使いが発注しているのと同じ、英国に拠点を持つ魔法製品の業者である“OMC”という業者です。最近、ロンドンに吸血鬼の被害が出ているらしく、エヴァンジェリンさんの事で余計な事を言われ、ついカッとなりまして…………」

 思い出したのか、刹那は傍目に分かる程イラついた顔をした。

「ロンドンで吸血鬼!?」

 ネギが眼を見開くと、刹那は頷いた。

「なんでも、かなり猟奇的な殺人を行っているそうです。ロンドンの魔法使い達が討伐に乗り出したそうなのですが、詳しい事は分からないそうでした。だから、ここに居る吸血鬼も暴れるかもしれないから監視は確りと、問題が起きたら躾をしましょう。躾道具は取り揃えております……躾だ? 巫山戯た事を……」

 目に見えて殺意を漲らせる刹那を木乃香が必死に宥めるが、刹那の怒りは分かった。

「ちょっと待ってよ! 躾って何!?」

 明日菜も眼に怒りを湛えて不満を露わにしている。

「あの業者とは、付き合い方を考えた方がいいかもしれませんね」

 刹那は眼を鋭く尖らせながら言った。

「……………………」

 ネギは黙り込んだ。エヴァンジェリンを侮辱された事に怒りを感じているが、それ以上に気に掛かる事があった。

「あの……、ロンドンでの吸血鬼騒動というのは、事実なんですか?」

 ネギが尋ねると、刹那は頷いた。

「ええ、一般人も巻き込まれているそうです。ロンドン駐留の魔法使いが動いているらしいのですが詳しい情報は入っていないようでした」
「アーニャ……」

 ネギが心配しているのは、アーニャの事だった。ロンドンといえば、アーニャの修行の地である。そこで事件が起きている。
 吸血鬼を悪とは言わない。エヴァンジェリンを知っているから。だが、もしもアーニャも、件の吸血鬼の件に関っていたらと思うと、心配で仕方がなかった。
 アーニャは炎を操る戦闘に特化した魔術師だ。自分よりも半年早く修行に旅立った彼女は、後二ヶ月程度で修行が終わる筈だ。実力を身に付けていたとしたら、実戦に投入される可能性も少なくは無い。

「アーニャ? ネギさんのご友人ですか?」

 刹那が尋ねると、ネギは頷いた。

「アーニャは、ロンドンに修行に行った……私の親友なんです。私よりも半年早く修行に旅立っているので、実戦投入される可能性も少なくなくて……」
「それは……」

 刹那は言葉を選んだ。

「恐らくは大丈夫でしょう。ロンドンは優秀な魔法使いが特に多い。さすがに、修行中の見習いまで投入させなければならない程の事態にはなりませんよ。吸血鬼は単体だそうですし、専門機関が動かなくとも、対吸血鬼用術式は魔法使いの間でも構築されていますから」
「そう……、ですよね」

 ネギは窓の外を流れる景色を見ながら呟いた。

 東京駅で一度乗り換え、アナウンスが『次の名古屋には――』と流れている頃、明日菜はタカミチと自由行動の日に一緒に回る約束を取り付ける事に成功していた。

「おめでとうございます、明日菜さん」

 明日菜の頑張りに感動しながら祝福するネギに、幸せの絶頂と言う感じに蕩け切っている明日菜はわけの分からない事を言いながら頷いた。
 ネギはその後、裕奈に誘われてカードゲームに興じた。

「“クリムゾンVS”ですか?」
「そ、最近流行してるネットワークゲームをモデルに作られたカードゲームで今社会現象にも発展してるカードゲームよ。ふふ~ん、ネギっちとやる為に、ネギっち用に初心者デッキを組んであるんだぁ。プレゼント!」
「え、いいんですか? ありがとうございます!」

 “黄昏の仲間達デッキ”というのを渡されたネギは、裕奈に教えられながら、綾瀬夕映と対戦した。隣ではまき絵と風香が後ろの亜子と史伽にそれぞれ茶々を入れられながら対戦していた。

「それ出しちゃえば?」
「黙って亜子。真剣勝負なんだから、お菓子懸けてるから言っちゃだめー!」
「お姉ちゃん、ソコにはソレ! ソレですよソレ!」
「え~~!? ココだったらコレだよ~~!!」

 賑やかな状態で、カードゲームに興じていると瞬く間に時間は過ぎていった。

「いきます、1st“微笑の洗礼”、2nd“焼き尽くす蒼炎”、3rd“なんですと!”! GENERAL“志乃恐怖”!」
「なんですそれは!?」

 盾中心の夕映のデッキは、ネギの“志乃恐怖コンボ”によって、為すすべなく撃沈された。

 京都駅に到着すると、タカミチが点呼を取っていた。

「タカミチ、どうしたの?」
「え、何がだい?」

 ネギはどこか青い顔をしているタカミチを心配して声を掛けた。

「何だか顔色が悪いよ?」

 心配そうに見つめるネギにタカミチはどこか無理のある笑みを浮べると
「大丈夫だよ」
と言って、新田と話すためにネギから離れてしまった。
 カモの姿も見当たらず、ネギは漠然とした不安を抱いた。タカミチと新田の引率で駅構内からバスターミナルに出て、バスに全員が乗り込み、カラオケやクイズ大会をしながら、最初の目的地である清水寺に向かう途中で事は起きた。
 空間が凍結したかのようだった。青白い光が一瞬煌いたと思った瞬間にバスは停止していた。運が良かったのか、車の通りが少なく、車線も多い道だった。
 ネギと木乃香、タカミチ、明日菜、刹那、真名、和美、さよ、のどか、美空、ザジ以外の全員の動きが完全に静止しているのだ。突然の事に戸惑うのどかや和美に、突然タカミチと真名、刹那が立ち上がり、一瞬でネギ、木乃香、明日菜、美空以外を眠らせた。

「私も出来れば寝ちゃいたいんですけど……」

 美空が何かを言っているが、彼女がポケットから取り出した一枚のカードによってネギ達は美空が魔法生徒である事を理解した。驚いたが何かを口にする前に事態は動いた。

「貴様……、何者だ?」

 真名が鋭い視線を送りながら、どこからか取り出した銃を添乗員のお姉さんに向けていた。

「ちょっと、龍宮さん!?」

 明日菜が眼を見張るが、タカミチが首を振った。

「違うな、操られている……」

 タカミチは警戒心を露わにしながら、どこか壊れた表情を浮べる添乗員のお姉さんに視線を向けた。
『警告だ。我々は常にお前達を狙っている。お前達は警戒を緩める事を許されない。東京には帰ろうとしない事だ。さすれば、そうだな、新幹線諸共に吹飛ばしてやろう。さて、どれほどの死体の山が出来るかな?』
 添乗員のお姉さんの口から、僅かに掠れた高い声が響き、一方的に喋ると凍結していた時間が動き出し、添乗員のお姉さんは僅かに戸惑った様子だったが、何事も無かった様にバスは清水寺に向かった。ネギと木乃香、明日菜の三人は顔を真っ青にしていたが、刹那が首を振った。

「今は、何も出来ません。警戒を緩めない様に。清水寺についたら、高畑先生と相談しましょう。ああは言いましたが、いきなり襲い掛かる事は無い筈です。私達が警戒を怠らなければですが――」

 そう言うと、刹那は僅かに窓を開き、一枚の符を放った。

「オン」

 呪文を唱えると、バスの上にちび刹那が現れ、吹飛ばされない様に頑張りながら周囲の警戒を行った。

 清水寺に到着すると、長い階段を登り見晴台で楓が弁慶の錫杖を持ち上げて観光客から脚光を浴びているのを尻目に、ネギ、明日菜、木乃香、刹那、真名、美空はタカミチの下に集まっていた。タカミチの肩から飛び出したカモがネギの肩に飛び移った。

「カモ君!」
「おや、オコジョ妖精かい?」

 真名は興味深そうに尋ねた。

「私の親友なんです」

 ネギが僅かに得意気に言うと、カモはフッと笑みを浮べた。

「それにしても驚いたわね。龍宮さんと美空が魔術サイドだったなんて」
「うぅん、私はどっちかって言えば宗教サイドなんだけどね」
「え、でも、仮契約は魔法でしょ?」

 明日菜が美空に尋ねると、美空は答えに窮した。
 実際、師匠が宗教サイドの人間であるというだけで、神に対する信仰心など欠片も持ち合わせていない自分は魔術サイドの人間とも言えるからだ。

「今は、その話は後にしよう。済まないが、事は緊急だ。カモ君、さっき話した事を」

 タカミチが明日菜と美空の話を遮ると、カモに話を促した。

「ああ、全員、よく聞いてくだせぇ。真名の姉さんも、学園に帰ったら、給金弾んで貰えるように手配しやすから……」
「ああ、さすがにこの事態では仕方ない。力は貸すさ。元々、予想出来た事だしな。装備は揃えている」

 真名の言葉に、カモは満足気に頷いた。真名の戦闘能力は刹那と同レベルかそれ以上だと聞いていた。現時点では、タカミチの次に強い。

「とりあえず、現状の把握から……。既に最悪な状況だと理解して下せぇ。後手に回っちまった。現状、何時襲撃があってもおかしくない。それと、恐らく、関西呪術協会が落ちている可能性が高いッス」
「なっ!?」
「え!?」

 木乃香と刹那は絶句した。

「言葉遊びをする気は無いッスから、聞いて下せぇ。ここは京都だ。京都の町は四方を司る精獣による結界が張られているんス。東西南北と中央に存在する神社に基点が置かれる“四神結界”ッス。南方の城南宮に“朱雀”、西方の松尾大社に“白虎”、東方の八坂神社に“蒼竜”、北方の賀茂別雷神社に“玄武”、そして、中央の平安神宮に“黄龍”の術式が基点として刻まれているんス。それを管理しているのが――」
「関西呪術協会……。だが、詠春さんがそうそう後れをとるとは考え難いが……」

 タカミチは難しい顔をして言った。

「だが、結界を管理している関西呪術協会の長が俺達を攻撃する襲撃者に気付かない筈が無い。清水寺に到着しても、関西呪術協会から何のリアクションも無いとなると、そう考えた方がいいッス。だが、だとしたら事態はいよいよ深刻ッス……」
「どういう事?」

 ネギが尋ねると、カモは顔を引き攣らせた。

「京都の町は、その町並み自体が一種の魔法陣になってるんスよ。その他にも、過去に刻まれた大魔術の魔法陣が至る所に存在する。もしも、これらの魔法陣の使用権が敵に渡っていたとしたら――」
「どうなんのよ……」

 明日菜は唾を飲み込みながら尋ねた。

「はっきり言って、勝率0%の戦いを強いられるんス。出来る事と言えば、とにかく自分の命を最優先に、逃走だけに全力を尽くす。それでも、逃げ切る事の出来る可能性は0.1%以下ッス。結界の術式も相手に奪われていた場合は、更に下がる……」
「京都の結界は、侵入する事を拒むよりも、外に逃がさない事に特化していると聞きますからね」

 刹那は苦虫を噛んだ様な顔をしながら呟いた。

「とにかく、まずは確認が先だ」
「では、私の式を飛ばしましょう」
「頼むぜ、刹那の姉さん」

 刹那は頷くと懐から呪符を取り出して呪文を唱えた。呪符が煙を出し始め、煙の中から紙の燕が飛び出した。

「あれ? ちびせつなちゃんじゃないの?」

 明日菜が首を傾げると、刹那は苦笑いを浮かべた。

「今回は偵察なので、速度重視の式にしました。ちびせつなでは時間が掛かってしまうので」
「そうなんだ」
「とりあえず、刹那の姉さんの式からの報告が来るまでは解散だな。結界を解きやスから、それぞれ待って下さい。強襲に関しては、警戒は怠らない様に、最悪、サムライマスターと渡り合えるレベルの人間だと覚悟し、敵わないと感じたら直ぐに逃げる事。これを忘れない様に」

 そう言うと、カモは何時の間にか張っていた結界を解除した。スゥーッと何かが四散する気配を感じた途端に、あやか達がネギ達に近寄って来た。
 カモはネギのリュックサックの中に忍び込んだ。ネギ達は互いにアイコンタクトを取ると、適当に友人達と談笑し始めた。その顔に浮かんだ緊張が解かれる事は無かった。

「これが噂の飛び降りるアレ!」
「誰か飛び降りれっ!」
「では、拙者が!」
「おやめなさい!」

 裕奈が見晴台に出て叫ぶと、風香が叫び、楓が飛び降りようとするのをあやかが体を張って止めた。

「ここが、清水寺の本堂。いわゆる『清水の舞台』ですね。これは本来、本尊の観音様に能や踊りを楽しんでもらうための装置であり、国宝に指定されています。有名な『清水の舞台から飛び降りたつもりで……』の言葉どおり江戸時代実際に234件もの飛び降り事件が記録されていますが、生存率は85%と意外に高く……」
「うわっ! 変な人が居るよ!?」

 夕映が自身の知識を披露すると、裕奈が割りと失礼な事を言った。

「夕映は神社仏閣仏像マニアだからねぇ。興味持った事への探究心は、図書館探検部でも随一だよ」

 ハルナがニシシと笑いながら説明すると、周囲の皆は同じ事を考えた。このくらい勉強も頑張ればいいのに、と。
 全員で集合写真を撮ると、ネギは明日菜達や裕奈、あやか、のどか達と一緒に写真を沢山撮った。どこか硬い表情のネギ達に、裕奈やハルナは怪訝な顔をした。

「どうしたの、ネギっち? 何か表情硬いよ~?」
「分かった! 修学旅行楽しみで寝れなかったんでしょ~」

 裕奈が心配そうに言うと、ハルナがニャハ~とネギの頬を突っついた。ネギは曖昧に笑みを浮べながら頷いて見せると、気を取り直した。
 危険な状況ではあっても、裕奈達は関係が無く、むしろこの状況は自分達にこそあるのだと思い出した。
 いつも自分が原因だな、と俯きそうになるのを必死に我慢して、ネギは傍目には分からない上手な作り笑いを作った。
 命を懸けてもチップとして足りない。この数ヶ月間、既に命を懸けた戦いは何度も繰り返した。迷うなんて許されない。そんな余裕があるなら、皆を守る為に全力を尽くさないといけない。心が冷えていく。責任を感じるのを後回しにする。迷いを捨てる。何度も繰り返し、殆ど間も置かずに命を狙われ。自分のせいで他人がその度に巻き込まれて、ネギはどこか壊れ始めていた。
 迷いを唯一打ち明けられる存在であるカモが最近、ネギの傍を離れがちになった事が原因だった。明日菜やエヴァンジェリンにも心の深い場所は打ち明けられない。ネギの心は追い詰められていた。徐々に……。

「どうやら、カモさんの推測は当たってしまった様ですね……」

 刹那は式を通して森の木の枝の上から関西呪術協会を眺めていた。視線の向こうでは、最低人数の見張りが居るだけで様子におかしな点は見られない。
 だからこそ、おかしい。今日は、京都に関西呪術協会の長の娘である木乃香が帰って来ているのだ。なのに、何も特別な様子が見られないのは明らかに妙だ。

「――――ッ!?」

 突然、式との繋がりが切れた。どうやら、式が破壊されたらしい。

 同時刻、関西呪術協会の森の木の枝の上にフェイトが千切れた呪符を手に取りながらエドワードに念話を送っていた。

『どうして、わざわざ異変を教えたんだい?』

 フェイトの念話を受け取ったエドワードは、関西呪術協会の大広間で横向きに寝転がっていた。フェイトが尋ねると、エドワードは満足気に笑みを浮べた。

「これで、奴等はここを俺達が拠点にしていると理解出来た筈だ。そして、力の差を見せ付けた。空間凍結とバスガイドを操っての警告だけじゃ、奴等の警戒心を最大まで上げる事は出来ないだろう?」
「態々警戒を促す為に?」
「そうだ。これで、最大まで警戒心を強めた奴等は、常に緊張状態を強いられる。小娘共の精神力で何時まで保つかな」

 ククッと笑みを浮べると、エドワードは起き上がった。

「一人、適当な術者を夜の宿に走らせるぞ。深夜に襲撃があれば、奴等は眠る事も出来なくなる筈だ。睡眠を取れない場合、人間の集中力や思考力は激減する。体力や反応速度も大幅に下がる。明日は団体行動だった筈だ。明日の夜も同様に一人送る。そして……、後日の自由行動日、攻めるぞ。分担は先に言った通りだ。だが、勝とうとするな。奴等を引き込むのだ。関西呪術協会の総本山へ」
「簡単に言うが、そう都合良く誘いに乗るかい? 敵の拠点だと教えていながら……」
「来る。そういう精神状態に陥らせるのだ。敵の全員が一箇所に集まろうとしている。そこが敵の本拠地だ。自分達も集合出来る。ここで終わりにする。そういう心理が働く筈だ。だからこそ、分散している明後日に行動を起すんだ。二日間の徹夜に、常時緊張状態を強いられれば、一刻も早い解決を望む筈だからな」
「関西呪術協会の者に深夜襲わせるのは、謎の敵ではなく、呪術協会が襲撃している可能性を示唆する訳だね。そうすれば、近衛木乃香の存在がある。近衛詠春と接触出来ればなんとかなる。そういう考えを持たせるのも狙いの一つだね」

 フェイトの言葉に、エドワードは満足気に頷いた。

「ここに誘い込む事で、呪術協会の人間を人質にし、尚且つ戦力とする事が出来る。お前や月詠、そして俺の戦力もある。これで、チェックメイトだ」

 音羽の滝でクラス全員が縁結びの水を飲もうと押し合いをして、一般の観光客の人達に迷惑を掛けた事で新田先生に怒られたネギ達一行は、そのままバスで北上して南禅寺へと向かった。

「……………………」

 ネギは無言で睨んでいた。

「えっと……、お、お久しぶりやな!」

 目の前で湯豆腐を取り皿に取って食べる寸前だった犬上小太郎は、冷や汗をダラダラと流していた。

「久しぶりだね、小太郎」

 南禅寺を見学し、昼になって高畑と新田の引率の下、ネギ達一同は南禅寺の直ぐ傍にある湯豆腐の老舗に入った。テーブルに案内されている途中、発見したのだ。湯豆腐をおいしそうに食べている犬上小太郎を――。
 ネギは、別れも告げずに一方的に去った癖に、こんな所で幸せそうな顔をして湯豆腐を食べている小太郎に無性に理不尽な怒りを感じた。スッと、列を離れて小太郎の下に行くと、他の少女達は何事かと言う調子で様子を眺めていた。
 名前を呼ぶと、不思議そうに顔を向けた小太郎は、冷たい表情で自分を見下ろしている少女の存在に驚愕のあまり口元に運んでいた湯豆腐をポロリと落としてしまった。ネギの聞いた事もない様な冷たい声の響きに、少女達は戸惑いながら、それでも好奇心に満ちた表情で眺めていた。
 新田の怒声も、色恋沙汰に敏感な少女達の前にはなすすべなく、二人の引率教師は困った顔をした。数十人の少女達が通路で固まっているのは、普通に迷惑だが、店員の女性達は咎める視線というよりも、好奇心に満ちた表情を浮べている。

「えっと、どうしてここに居る……のですか?」

 あんまりにも吃驚したので、小太郎はつい敬語になってしまい、それがネギの神経を逆撫でした。

「ど・う・し・て? 修学旅行だからだよ。それより、私、君に言いたい事があるんだぁ」

 目元がピクピクと動いている。カモはリュックサックの中で怯えていた。
 小太郎の背筋に冷たい汗が流れる。

「いや……、あの……、あの時は……」

 声が裏返ってしまった。ギロッと、ネギは小太郎を睨みつけた。

「ヒッ!?」

 小太郎は折角、ご馳走を食べに来たのに、いきなり追い詰められた状況に陥り泣きそうになった。

「あれまぁ、久しぶりやないの」

 すると、ネギの背後から何処かで聞いた事のある声が聞こえた。

「あ、貴女は!」
「お久しぶりやね。ネギ・スプリングフィールドちゃん?」

 そこに立っていたのは、天ヶ崎千草だった。

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