第二話『ようこそ、麻帆良学園へ!』

「ネギ・スプリングフィールドと言います。イギリスから来ました。よろしくお願いします」

 腰まで伸びる柔らかな赤い髪を首の後で、鮮やかな紫の紐で縛っている、瞳の大きな美少女が、緊張しているのか、少し震えた声を発しながらペコリと頭を下げて挨拶をした。
 ネギの挨拶を聞きながら、教室中の少女達は一様に目を輝かせていた。新しい友達になる転校生に、彼女達の好奇心はクライマックスなのだ。今すぐにでも、ネギの事を知りたい! そう思っている視線がネギに集まり、ネギが頭を上げると、クラスの殆どの少女達が、まるで口裏を合わせたかのようにピッタリとハモッて返事を返した。

「よろしく~~~~!!」

 返事を返して貰えたネギは、安堵の笑みを浮かべ、その笑顔があまりに可愛らしく、ネギから見て右から二番目の最後尾の席に座る、黒髪を腰まで伸ばして、触覚の様な二本のくせっ毛がある眼鏡の少女が涎を垂らしたりしていた。
 ネギの視線の先で明日菜がニッと微笑みかけ、木乃香も小さく右手をパタパタと振り、刹那も薄く笑ってくれた。刹那の笑顔だけ、ネギは少し怖かったが、それでも安心感を得る事が出来、ネギは内心で感謝した。
 タカミチが口を開いた。

「時間が押してしまってるね。だけど、君達もネギ君の事を知りたいだろ?」

 タカミチが爽やかな笑みを浮べて聞くと、少女たちはコクコクと元気に頷いた。その反応に、タカミチはフッとニヒルに笑うと、明日菜が目を潤ませ、顔を赤らめているのに気付かずに口を開いた。
 ネギは緊張が解けたからか、タカミチから僅かにコロンの香りが漂っているのに気がついた。そんなに強い臭いではなく、あくまでも薄く、申し訳程度の様だったが、それでもタカミチのダンディズムを強調するにはピッタリだった。
 ネギは、昔彼が遊びに来てくれた時に見せてくれた『滝割り』に感激し、目指すべき漢として尊敬していた。まさか、女の子になって会いに来る事になるとは、その時は微塵も思わなかったのだが……。

「では、源先生に了解は得ているから、次の英語の授業はネギ君への質問コーナーにしよう。みんな、休憩時間は必要かい?」

 タカミチが聞くと、少女達は元気一杯に「いらな~~~~い!!」と叫び返した。
 その様子にククッと笑うと、そんな何気ない仕草からも、溢れ出るダンディズムが周囲に漏れ出し、明日菜は暖房の効いた部屋に放置したアイスクリームの様に蕩けきり、隣の席の木乃香が冷や汗を流しながら懸命に扇子で冷やしていた。

「それじゃあ、このまま質問コーナーに移ろうか。それじゃあ、質問のある者は……っと、和美君に代表で聞いて貰った方が早く終わるね」

 そう言うと、タカミチはネギから見て右から二列目の最前席に座る、赤毛を後頭部で髷にして、前髪を分ける為に右側をピンで留めている、活発そうな目に危険な光を宿している少女に声を掛けた。
 ちなみに、明日菜は射殺す目付きでハンカチを噛み締めて、タカミチに指名された和美を睨み付け、和美はそんな明日菜に気が付き冷や汗を流しながら胸中で「ごめんね、明日菜」と胸中で謝罪した。
 和美に心臓に悪い視線を送る明日菜は、隣の木乃香に取り成されていた。

「ほんじゃま、取材させてもらいますよ!」

 気を取り直し、和美はネギに顔を向けた。

「私の名前は出席番号三番! 朝倉和美よ。よろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」

 頭をペコンと下げるネギに。
 可愛いにゃ~、とちょっと萌えると、和美はコホンと可愛らしく咳払いをした。

「ちなみに、報道部に所属してるの。男の人に嫌な事された~ってな時は是非是非。私が報道的制裁を加えてあげるからね」

 邪悪な笑みを浮べてウインクする和美に、ネギは薄ら寒い物を感じて「ひゃ、ひゃい」と情けない声を出してしまった。

「ま、仲良くしてね。そんじゃ、質問するね?」

 和美はそう言うと、自慢の取材ノートを取り出した。
 それにしても迂闊だったわ~、まさかこの私が転校生なんて重大なもんを見逃してたとはね~、と和美は胸中で溜息を吐くと、ノートの何も書かれていないページを開いて、可愛らしいノック部分が熊の頭のシャーペンを顎で突いて芯を出した。

「そんじゃま、最初は基本的な事から誕生日は?」
「10月31日です。ハロウィンに生まれました」
「身長と体重と3サイズ」
「えっと、135cmの32kgです。えっと、その3サイズは……計った事なくて」

 ネギが思い出すように一生懸命応えると、和美は呆然としていた。

「え? あれ? あ、あの、私何か変な事言っちゃいました?」

 不安げな眼差しを向けるネギに、和美は燃え尽きた様な空ろな表情を浮べていた。

「ごめん、ちょっと待ってね。質問の内容考え直すから……」
「?」

 和美はそう言うと、ブツブツと頭を抱えながら一人で悩み始めた。ネギは心底不思議そうな顔で首を傾げると、他の生徒達は苦笑するしかなかった。
 ま、まさか、本当にアッサリ答えちゃう娘とは……、見た目だけでなく心もロリっ子!? うう……、変な質問出来なくなっちゃった……、と和美はドヨンとした影を背負うと、顔を上げた。

「えっと、じゃあ好きなお菓子は?」

 コホンと咳払いをして気を取り直すと、和美は聞いた。

「えっと、ファッジも好きだし、ホット・クロス・バンズもおいしいですよね。あ! でもでも、イングリッシュ・マフィンとクランペットも苺ジャム入りのアールグレイに合いますね。それに、クリスマスのクリスマス・ブティングは毎年すっごく楽しみにしてます」

 ニコニコと思い出す様に話すネギに、和美は面を喰らったが、ニコッと笑うと、全てをノートに書き込んだ。

「ファッジ、ホット・クロス・バンズ? マフィンやクランペットは分かるんだけど、ホット・クロス・バンズって?」

 和美が聞くと、ネギは親指と人差し指で丸い円を作り出した。

「このくらいの小さなパンケーキなんです。真っ白な糖蜜ヌガーが十字型に敷かれていて、ちょっと硬いんですけど、すっごくおいしいんですよ」

 ネギが言うと、和美はノートに書き込んだ。

「じゃあ、好きな食べ物は? 飲み物もオッケーよ」
「そうですねぇ、シェパーズパイも好きですし、ステーキ・アンド・キドニーパイやコーニッシュ・ペスティー、ミンス・パイやヨークシャー・ブティングで包んだローストビーフも大好きです」

 ちょっと涎を垂らしながら夢心地になりつつ答えるネギに和美は苦笑した。
 とりあえず、名前だけメモって後で調べるかな? にしても、食いしん坊キャラとは侮れん……、と和美は戦慄しながら質問を続けた。

「この時期に転校ってのも不思議だよね? 何でなの?」
「それは一身上の都合と言いますか……」

 さっきまでとは一変して答え辛そうにするネギに、和美は否応無く好奇心を刺激された。

「じゃあ、お父さんとお母さんは? やっぱり、イギリスから日本に一人で来たとかじゃないんでしょ?」

 更に質問をする和美に、タカミチは大きな咳払いをした。

「?」

 不自然な咳払いに、和美はタカミチを見ると、どこかバツの悪そうな顔をしていた。

「あの……、私の両親は……その」

 暗い顔をするネギに、和美は顔を青褪めさせた。さすがに報道部で磨き上げられた鋭い勘が訴える。自分は地雷を踏んだのだ……と。
 周りから白い視線を感じて、和美は居心地が悪くなった。

「あっと、ごめん。この質問無し! えっと、別の質問をするね」

 そう言って、和美はもう二度と両親や転校の時期とかについては触れなかった。
 それでも、和美の質問は多く、結局英語の授業はそれで終わってしまった。

「それじゃあネギ君の席はエヴァンジェリン君の隣だ。目は大丈夫かい? 黒板が見えなかったりは……」
「大丈夫です」

 タカミチの言葉に、ネギは敬語を使って返事をした。公私を一緒にしてはいけない。タカミチと個人でならばいいが、教室などの先生と生徒の立場のときは、ちゃんと弁えないと駄目だ、そうカモに注意されたのだ。
 タカミチは頷くと、教室を出て行った。そして、ネギが着席すると、隣の席が空いているのを見た。

「この席は?」

 ネギが首を傾げると、前から一人の少女が歩いてきた。金色の滑らかな髪を膝まで伸ばした少女は、優雅な仕草で歩み寄ってきたのだ。

「そちらの席はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。エヴァさんの席ですわよ」
「ほえ?」

 ネギが顔を向けると、少女の金砂のような美しい髪が教室の電灯の明かりを受けて煌びやかな光を放っていた。眩しいほどに輝く少女を見上げるネギに少女はニッコリと微笑んだ。

「はじめまして。私は雪広あやかと申します。このクラスのクラス委員長をしてますの」

 右手を胸に当てながら、あやかは優雅な仕草で言った。その精錬された、まるで貴族の様な振る舞いに一瞬呆けてしまい、ネギは慌てて立ち上がった。

「こ、こちらこそ、よろしくお願いします! ネギ・スプリングフィールドです!」

 ネギが慌しく頭を下げると、あやかはクスクスと笑った。

「知っていますわ。さっき、前で申していらっしゃったではありませんか」
「あ、そうでした……」

 ネギが恥しそうに頭を掻くと、あやかはクスリと微笑んだ。

「とにかく、何か分からない事や、不安な事もあるでしょう? 困ったら是非とも頼りにして下さいな。ネギさん」

 ニッコリと、まるでバラが舞っている錯覚すら覚え、ネギはつい顔を赤らめると「あ、ありがとうございます!」と頭を下げた。

「可愛らしい方ですわね。教科書やノートは大丈夫ですか? エヴァさんは何時も授業をサボっていらっしゃるので、教科書が無いのでしたら、私のをお貸ししますわよ?」

 クスクスと微笑みながらあやかが言うと、ネギは「大丈夫です」とニッコリと自分の鞄を指差した。

「教科書もバッチリ持って来ましたから。雪広さん、ありがとうございます」

 ニッコリ笑顔で言うと、あやかはフフッと微笑んだ。

「私の事はあやか、とおよび下さいな。もしくは、そうですね、皆さんは委員長と呼びますわ。どちらか、お好きな方を」
「えっと、じゃああやかさんってお呼びしても?」
「ええ、勿論構いませんわ。私もネギさん、とお呼びさせて頂いても?」
「勿論です! 呼び捨てで大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。ですが、性分でして、どうしてもさんを付けてしまうのです」
「そうですか、わかりました。これから、よろしくお願いします、あやかさん」
「ええ、よろしくお願いしますわね。ネギさん」

 ニッコリと優雅に微笑むあやかの、そのあまりの可憐さに、ネギは顔が火照るのを感じた。すると、あやかの後から明日菜や木乃香、他にも沢山の少女達が集まって来た。
 和美がネギを後から抱すくめた。

「やっほ~い! ネギっち、私の事も和美でいいからね~。う~ん、髪の毛柔らか~い」

 ネギの頭に頬ずりする和美を、黒髪の長いポニーテールの少女が引き剥がした。

「やめなさい」

 呆れた様に注意する少女に和美は唇を尖らせた。

「アキラの堅物」
「堅物!? わ、私は転校生にあんまり馴れ馴れしくすると疲れてしまうだろうと思ってだな……」

 あわあわしながら自分の言い分を言う大河内アキラに、和美はムフフと笑うと、アキラに抱きついた。

「もう、アキラってば可愛いんだから。萌え萌え~」
「萌ってなんだ!?」

 キャハ~ッと逃げ出すアキラを追い掛けて、和美は教室から出て行ってしまった。

『嵐の様な方方だったスね』

 念話でカモが呆れた様に言うと、ネギも胸中で同意した。

「変な奴って、思わないでやってね?」

 すると、明日菜が言った。

「え?」

 ネギが顔を向けると、明日菜は腰を屈めて言った。

「あれでも、悪いと思ってるのよ。アンタの……その、両親の事聞いた事」
「朝倉なりに、ネギちゃんに元気出して欲しかったんやろうな」

 明日菜の言葉を、後でほんわかした空気を醸し出している木乃香が言った。
 その言葉に、ネギは「そっか……」と呟いた。

「和美さんは、優しい人なんですね。明日菜さんや、木乃香さんも」

 ネギがニコッとしながら言うと、明日菜はカッと顔を赤くした。

「あ、あんた、素直過ぎてちょっと眩しいわ……」

 訳の分からない事を言う明日菜に、ネギは首を傾げると、刹那とは反対の右側でサイドポニーにしている少女がクスクス笑った。

「や~い、明日菜ってば赤くなってる~」

 少女が言うと、無言で明日菜は睨み付けた。

「冗談冗談、怒んないでよ~。っと、ネギちゃん……う~ん、何か同級生にちゃん付けるって変な感じだし、呼び捨てでいい? 私は明石裕奈。私の事も裕奈でいいからさ」

 裕奈がそう言うと、ネギは「はい、裕奈さん」と言った。すると、チッチッチと、裕奈は人差し指を揺らした。

「ゆ・う・な、だけでいいの。友達になるんだから、さんなんて他人行儀はやめてよね?」

 裕奈の言葉に、ネギは「えっと、その……ゆ、裕奈」とどもりながら恐る恐る言った。

「うん! ネギ、よろしくね」

 ニッと微笑むと、裕奈は手を差し出した。

「は、はい! こちらこそよろしく、裕奈」

 ネギも手を握り返すと、次々に他の少女たちも自分を呼び捨てにする様に言った。桃色髪のツインの少女や、水色髪のショートカットの少女、浅黒い肌色の金髪中国的小娘などだ。
 ネギの机の前で、少女達が騒いでいると、和美がアキラと共に戻って来て、その後に黒髪のオールバックで、教室内だと言うのにサングラスを掛けた、ヤクザ風の男が入って来た。

「お前達、着席しろ」

 男の言葉に、慌てて少女達は自分達の席に戻った。あやかは去り際に「あの方は、数学担当の神多羅木先生ですわ」とネギに教えてくれた。

「ふむ、転校生君は…君だな」

 そう言うと、神多羅木はニヤリと笑った。その、どこか面白がる様な笑みに、ネギは首を傾げた。

「私は、数学担当の神多羅木だ。教科書は持って来ているか?」

 神多羅木が聞くと、ネギは「あ、はい!持ってきてます!」と言って、慌ててノートと教科書、それにペンケースを取り出した。
 その様子に、満足そうに頷くと、神多羅木はプリントを前の列の六人に渡し、後に配るように言った。

「今日はそれぞれの修学状況を図る抜き打ちテストをやる。転校早々ですまないが、君の実力も知っておきたいのでね。まあ、成績に関係は無い。気楽にやってくれ。ただし!」

 全員にプリントが行き届くのを確認すると、神多羅木はサングラスを光らせた。

「このクラスは非常に残念な成績の者が複数居る」

 神多羅木の言葉に、何人かが呻き声を上げた。

「さて、そんな訳で、今回のテストで下位5名に関しては、宿題を出す事にする」
「ええええ、私バイトがあるのに!」
「殺生アル!」
「うえぇぇん、部活があるのに~~」
「横暴です……」
「参ったでござるな~」

 明日菜や、先程ネギの机に集まった桃色紙の短いツインテールの元気一杯の少女、佐々木まき絵や色黒の金髪中国的小娘の古菲、背が他のクラスメイトとよりも一際高く、胸も大きな細めの首の後で白い布で腰まで届く黒髪を縛っている長瀬楓、それに前髪が短く、おでこの広い紫髪の少女、綾瀬夕映はあからさまな不平を漏らした。
 ネギの前の席の明石裕奈が、クスクス笑いながらネギに小声で呟いた。

「あの五人ってば、バカレンジャーって呼ばれてるんだよ」
「バカ……レンジャーですか?」
「そ、いつも成績が悲惨な五人組。今日も元気だバカレッドの明日菜、油断大敵バカブラックの夕映、カワズ飛び込むバカブルーの楓、食前食後バカイエローの古菲、みんな仲良しバカピンクのまき絵でバカレンジャーってね」

 ククッと笑う裕奈に、ネギはどう反応していいか判らず、「はぁ……」と曖昧な返事を返した。

『まぁ、このクラスの場合はシャレとして言ってるんでしょうね。普通の学校だったら虐めで問題になりそうッスけど、それだけ、このクラスは結束が強いって事ッス。姉貴も頑張るんスよ?』

 カモの言葉に、『うん』と念話で返し、ネギは神多羅木のテスト開始の合図と共に、テストに取り掛かった。結局、やはりと言うか、バカレンジャーに宿題が出された。

「ふむ、ネギ君は満点だ。フフ、優秀優秀」

 フッとニヒルに笑みを浮べながら言う神多羅木の言葉にクラスのみんなは「お~~!!」と歓声を上げた。

「天才少女だ!!」

 ガビーンという効果音を鳴らしながら、まき絵がほえ~っと感心した声を出し、裕奈も「やるじゃん!」と言った。遠くでは、
 明日菜が頭を抱えて、恥しそうにしていた。その姿に苦笑しているあやかの姿もあり、そのまま授業は終わった。その後も、現代国語の新田は、教科書の音読を、一文ずつ生徒にさせて、重要な語句を晩所させた。
 その後、日本に来たばかりのネギに、簡単に読める日本語の小説を何冊かピックアップし、その内の一冊である『誕生日(※注1)』と言う、内気な少女が兄や祖父母のおかげで強くなっていくかなり感動する物語をプレゼントした。
 四時間目は瀬流彦先生の現代社会で、瀬流彦先生は途中途中に雑談を交えて、何とか生徒達に飽きない授業をしようと一生懸命で、その姿が逆に微笑ましく、皆楽しそうに授業を受けた。
 特に、左から二番目の列の後から二番目の席の少女、柿崎美砂は熱い眼差しを瀬流彦に向けていた。

 お昼になると、お弁当など持って来ていないネギは、自分の財布を取り出して、中身を確認すると、席を立ち上がった。すると、明日菜と木乃香、刹那が手を上げて近づいて来た。

「ネギ、アンタ今日は弁当?」

 明日菜が聞くと、ネギは首を振った。

「持ってないので、食堂に行こうと」

 ネギが答えると、明日菜はニッと笑った。

「なら、一緒に行きましょ。私達はお弁当だけど、食堂で食べましょうよ」
「え? いいんですか!?」

 ネギが目を丸くして聞くと、明日菜はウインクした。

「勿論よ。てか、また迷子になって泣きべそかかれちゃたまんないしね?」

 クスクス笑いながら言う明日菜に、ネギは涙目になって「明日菜さん酷いです~」と抗議した。それを華麗に無視して、「ほら行くわよ?」と、明日菜はネギの手を掴んで教室の外に歩いて行ってしまった。すると、後から和美がやって来た。

「ちょい待った! 私も一緒に行くよ」
「朝倉も?」

 明日菜が驚いた様に聞くと、和美はニッと笑った。

「折角友達になったんだもんね。一緒にご飯食べたいじゃん」

 和美が言うと、ネギは嬉しくなって「ありがとうございます」と言った。すると、和美は呆気に取られた顔をして、すぐに笑い出した。

「あっはははははは!! やっぱりネギっち最高だわ。もう、可愛いんだから。いいのいいの、一々友達にお礼なんて言わないでいいのよ。こっちが無理矢理付いて来るんだしね?」

 和美の言葉に、「はい!」とネギは笑顔で答えた。
 廊下を進み、幾つかの角を曲がって、外に出た所の大きな食堂に到着した。

「うわ、広いですね!」

 ネギが歓声を上げると、明日菜は得意気に胸を逸らした。

「なんせ、ここの食堂は並みのレストランよりも味がいいって評判なんだから!」
「ここの食券な~、外の人達も欲しがって、凄く高額で取引される事もあるんよ」

 木乃香の言葉に、驚くネギを連れて、和美は「ゴーゴー!」と最初に席を決めた。人が多かったが、何とか五人分の席を確保出来た。そして、和食コーナーの所にネギは明日菜に連れられて向かった。
 明日菜は、まるで妹を持った姉の様に楽しそうにネギの世話をして、その様子に、木乃香はニコニコと笑顔で見守った。ネギは明日菜のお薦めで焼き魚定食を頼み、大根おろしの味を知り感激しながら、お昼ご飯は終了した。
 一々目を輝かせて「おいしい!」と歓声を上げるネギに、和美は「ハイ、チーズ!」っとカメラにその姿を納めたが、そのデジカメのメモリーデータは個人用と刻印されていた。何となく、他の人に見せる気にはなれなかったのだ。

 お昼の授業は、高畑の美術の授業だった。明日菜はタカミチを描きたがったが「いやいや、ちょうど偶数だからね」とタカミチは困った様な顔で諭した。
 仕方なく、明日菜はネギを捕まえると、お互いをモデルに絵を描いた。一々鉛筆で寸法を目測しながら真剣な表情でネギの絵を描く明日菜に、ネギも懸命に巧く描こうと奮闘した。

『姉貴、魔法陣の要領で描くんでさ。幾何学模様の魔法陣に比べりゃ、人間の輪郭なんざ、わかりやすいもんですぜ』

 素人考え全開のカモのアドバイスは何の助けにもならず、結局、少し歪な造形になってしまい、ネギは落ち込んだ。だが、明日菜の絵を見た時、そんな考えも吹き飛んだ。

「す、凄いです明日菜さん!! 上手です!!」
「えへへ、可愛く描けてるでしょ。これでも美術部なのよ、私」

 照れながらも、誇らしげに言う明日菜に、ネギは尊敬の眼差しを向けた。

「お、巧いくなっているね、明日菜君。デッサンも上手だし、今度のコンクールも期待できそうだ」

 タカミチはニヒルに微笑みながら、明日菜の絵を絶賛した。明日菜の描いた絵は、真剣な眼差しでアスナの絵を描こうと奮闘する、躍動感に溢れた芸術品だった。
 影のタッチから、輪郭の細かな太さの変化など、卓越した技術が垣間見る事ができた。

「昔は落書きみたいだったのに、よく頑張っているね。明日菜君」

 明日菜の髪を優しく撫でて言うタカミチはそのまま立ち去ってしまった。そして、残されたネギは、蕩けきったお餅のように垂れ切っている明日菜の姿に何となく分かった。

『明日菜さんって、タカミチの事が好きみたいだね』
『でしょうね。しっかし、分かり易いお人ッスね~。あ、でも、人の恋路にとやかく口をだすのはNGっスよ? 姉貴』
『え、どうして? 私はタカミチの友達なんだから、プライベートで少しお話したり出来るかも……』

 ネギが言うと、カモは『やっぱり……』と困った様な声を発した。

『姉貴。恋ってのは、駆け引きなんス。好きな人に振り向いて貰う為の険しい道。だけど、それを他人が手出ししていい道じゃないんスよ。余計に険しくしてしまう場合もあるんス』

 カモの言葉に、ネギは納得いかなげに『うん……』と答えた。だが、カモの言葉も最もだと思い、とにかく明日菜の介抱をする事にした。
 木乃香が団扇で困った顔をしながら明日菜に風を送り、ネギと木乃香は顔を見合わせるとお互いにクスクスと笑い合った。

「高畑しぇんしぇ~だいしゅき~」

 完全に垂れてしまっている明日菜の寝言に、ネギと木乃香は噴出してしまったが、本人には内緒にする事にした。 そして、ちょっとだけ分かった気がした、カモの言葉の意味が。

『そうだね。明日菜さんが頑張ってるのに、私が手を出すなんて駄目だよね?』
『姉貴……』

 ネギの言葉に、カモはポケットの中で、満足そうに微笑んだ。

 放課後になると、あやかが木乃香に何事かを告げると、その脚でネギの席に近づいて来た。木乃香は刹那を率いて、教室を出て行ってしまった。そして、あやかは教科書を仕舞うネギに、話しかけた。

「ネギさん。先程、高畑先生が、貴女の部屋については、準備が必要だから夕方に寮に戻る様にとの事らしいですわ」

 あやかが言うと、ネギは「そうですか、ありがとうございますあやかさん。でも困りましたね……、どうやって時間を潰せば……」と、少し困った顔で頬を人差し指で掻いた。

「でしたら、私がこの学園を案内して差し上げますわ。ここに来たばかりですから、未だ勝手が分からないでしょう?」

 あやがの言葉に、ネギは少し考えると、言葉に甘える事にした。だが、それを後から和美が待ったを掛けた。

「な、なんですの? 朝倉さん」

 あやかが眉を顰めて聞くと、和美は言った。

「委員長ってば、最近忙しくて大変そうじゃん。今日だって、久しぶりの休みなんだから那波さんに休む様言われてたじゃん」

 和美が言うと、ネギは目を丸くして頭を下げた。

「すみません。そんな事汁知らずに……」

 そんなネギに、あやかは慌てて顔を上げるように言った。

「お、お待ちください。私はクラス委員長としての仕事も確かに大変ですが、折角お友達になったのですから、ネギさんのお手伝いをしたいと本心から思っているのでして……」

 あやかが言うと、和美は「はいはい」とあやかをネギから離した。

「でも、委員長が倒れたりしたら大変でしょ? 安心しなって、代わりに私が案内するからさ。今日のところは、ね?」

 和美が言うと、「朝倉さん……」とあやかは感銘を受けた表情で和美を見た。

「ほんじゃま、この学園をネギっちに隅々まで案内してあるよん」

 そう言って、和美はネギを一日中連れ回した。基本的に、ネギも部活に入る事になるだろうと考慮して、部活動の場所を重点的に案内している。
 明石裕奈の在籍しているバスケット部や、大河内アキラの水泳部、春日美空の水泳部、桜咲刹那の剣道部、佐々木まき絵の新体操部、今日は部活には出ていないが、雪広あやかの馬術部、古菲と超鈴音の中国武術研究会、椎名桜子、柿崎美砂、釘宮円のチアリーティング部の順に、運動部の部活動を見て回った。
 そして、太陽が傾き、空が茜色に染まる頃には、クラスの皆の入っている運動部をあらかた見て回ることが出来た。
 最後に和美が連れて来たのは高台だった。そこは、麻帆良学園の全景を見渡す事が出来る絶景スポットだった。

「わ~~」

 夕日を浴びた学園都市の美しい姿に、ネギは感激の声を上げた。そして、そのネギの様子に、和美は満足気に笑った。

「どうだった? 邪魔するわけにはいかないから、遠目から見るだけだったけど。面白そうな部とか見つかった?」

 和美が聞くと、ネギはう~んと悩む様に唸った。その様子に「そっか」と言うと、和美は高台の柵に手を掛けて後に振り向き、背中を柵に預けた。

「来たばっかだもんね。他にも文科系もいっぱいあるし、もっと見て回らなきゃ分かんないよね」

 和美がウインクしながら言うと、ネギは申し訳なさそうに「はい……」と答えた。すると、和美はクスクスと笑った。

「さて!」

 和美は自分の取材ノートを開き、シャーパンの芯を出すと、クルクル回転しながらネギに近寄った。

「ではでは、ネギ・スプリングフィールドさん。今日の、私事朝倉和美の学園案内はいかがでしたかにゃ~?」

 シャーペンをマイクに見立てて、和美は取材の様に聞いた。ネギはニッコリと笑顔になった。

「とっても楽しかったです。私、和美さんとお友達になれて良かったって思ってます」

 ネギの素直な言葉に、和美は一瞬呆気に取られるとすぐに振り向いた。夕日の光に感謝する。
 あっちゃ~、私今……多分顔真っ赤だわ、と頬をポリポリと掻くと、和美はスゥッと深呼吸をして振り向いた。

「それはそれは、感謝の至りでございます。んじゃ、最後に取って置きの場所に連れて行ってあげる」

 ウインクして言うと、和美は当惑するネギを連れて、巨大な木の下に連れてきた。

「大きい……」

 ネギは、目の前の巨大すぎる木を見上げ、呆然と呟いた。

「神木・蟠桃。でも、私達は世界樹って呼んでる。この学園が出来る前から生えてるんだってさ。色んな噂や伝説があるんだよ?」
「伝説ですか?」
「そ、例えば、この木の下で告白すると、その恋が叶うの。他にも、この木は意思を持ってて、この学園の生徒を護ってるんだって伝説もある。この木を見てるとね、何となくだけど私も思うんだ。あ~、護られてるわ~って」

 和美の言葉にネギは世界樹を改めて見上げた。大きくて優しい空気を纏う、不思議な木。ネギは、ソッと世界樹に近寄った。

「ネギ・スプリングフィールドです。今日からこの学園に来ました。よろしくお願いします……なんて」

 頭を下げながらそう言うと、小さく舌を出しながら、悪戯っぽくネギは笑った。その姿に、和美は嬉しそうに笑った。

「今のいい! もう、可愛いんだから~、おじさんが持ってかえっちゃうよ~」

 ネギに抱きついて頬ずりをしながら言う和美に、ネギは「あわわわ」と慌てるが、ポケットの中のカモは、楽しげに、それでいて優しい笑みを浮べていた。

『お友達が出来て、良かったッスね、姉貴』
『そ、そうだけど助けて~~!』

 ネギの念話は、カモの楽しげな念話の鼻歌によってスルーされた。

「と・に・か・く、ネギっち」
「ふえ?」

 髪をボサボサにされたネギは、離れた和美に首を傾げながら向けた。
 すると、夕日を背景に和美は手を差し出していた。

「ようこそ、麻帆良学園へ!」

 陽が完全に落ち、数メートル置きに配置されている街頭の光が辺りを幻想的な空間に仕立て始めた。道々に在るお店も、生徒の最終下校時刻を過ぎてシャッターを閉じ始めた。
 麻帆良学園の店舗は、二階に居住スペースのあるお店が殆どであり、時折楽しげな声が通りに響いた。麻帆良学園女子中等部の学生寮に伸びるこの道をネギと和美は歩いていた。
 ネギと和美は世界樹を観てから、直接学生寮へと向かって歩き出したのだ。歩き出した時は未だ僅かに見えていた陽光も、今はまったく見えない。空を見上げれば、そこにあるのは優しい光を放つ真ん丸のお月様と、寄り添う様に存在感をアピールしているかの様に輝く星々だった。

「思ったよりも遅くなっちゃったね。ごめんね、荷物の整理とかもあるのに引っ張りまわしちゃって」
「いいえ、今日は本当に楽しかったです」
「ヘヘ、そう言ってくれると嬉しいな。案内した甲斐があったよっとと、見えたよ。あれが私達の学生寮よ」

 二人の歩く先には、まるでビルの様に巨大な建物の影があった。建物からは所々の窓から光が灯り、屋上からは煙が出ている。ネギが立ち止まり、学生寮を見上げていると、和美が学生寮の屋上を指差した。

「あそこから湯気が出てるの分かる?」
「湯気……あれって煙じゃなかったんですか?」

 ネギが驚いた様に聞くと、和美は「そっか」と手を叩いた。

「ネギっちはイギリスの人だから、日本の銭湯みたいな風習は無いのか」
「銭湯ですか、聞いた事はあるんですけど、実際には見た事がありません。たしか、共同浴場っていうんですよね?」
「そうだよ。部屋の掃除が終わったら案内してあげるよ。気持ちいいから、ネギっちもきっと気に入ると思うよ。皆と一緒にお風呂に入るって、とっても楽しいんだから」
「え、みんなと……一緒?」

 ネギは呆然となって聞き返した。

「そう、みんなと一緒。でも一応個別の部屋にもあるんだよ。アレの日とかは、そっち入ればいいよ。って、もしかして、今来てる……?」

 恐る恐る小声で聞く和美に、ネギは困惑した顔で首を傾げた。

「アノ日……ですか?」

 すると、和美は真っ白になって固まった。

「待った、それないわ……。え、だって、14歳……だよね? え、あれ~?」

 頭を抱えて左手をネギに伸ばしてヨロヨロと危うい歩き方をする和美に、ネギが困惑していると、ポケットの中のカモが慌ててネギに伝えた。

『あ、姉貴! アノ日ってな、女の子に必ずある生理現象の事なんでさ。中学二年生なら殆ど来てるんス』
『え、生理現象……?』

 ネギが念話で問い掛けると、カモは『ウグ――ッ』と呻いた。

『あっと、どっちにしても教えないと拙いッスから、後で説明しやす。今は、分かってる振りをしてくだせい!』

 カモの言葉に、ネギは戸惑いながら頭を抱えて挙動不審になっている和美に声を掛けた。

「あ、すみません! 日本語の言い回しだったので分からなかったんです。えっと、生理現象の事……ですよね?」

 さすがに生理現象という言葉を口にするのは恥しく、ネギは少し顔を赤らめて小さな声で言った。だが、その様子に和美は納得した様で、どこか胸を撫で下ろして見えた。ポケットの中で、カモは冷や汗を流しながら、乗り切ったぜ…、と安堵の溜息を吐いた。だが、その次の瞬間に、ネギに生理現象について説明しないといけない事に気付き絶望して真っ白になってしまったが、その事にはまるで気が付かないネギは、和美に連れられて寮の玄関に入って行った。
 ネギと和美の二人が中に入ると、すぐのエントランスホールに二人の少女が立っていた。

「おっそ~~~~~~~い!! もう、何時までネギを引っ張りまわしてんのよ和美!!」

 プンプンと怒っているのは、明日菜だった。腰に手を当てて待たされた事に憤慨している明日菜に和美は察しがついた。

「あそっか、ネギっちの部屋は明日菜達の部屋に決まったんだ~。残念、一緒の部屋が良かったのにな~」

 唇を尖らせて、心底残念そうにネギを見る和美に、ネギは首を傾げた。すると、明日菜の隣に居た木乃香がネギに近寄り腰を曲げてネギに視線を合わせた。

「ネギちゃん。今日からネギちゃんの部屋はうちと明日菜と同じ部屋に決まったんよ」
「そういう事! ベッドとか机とかも学園長先生が手配してもう運んであるわ。荷物の方も運び込んであるけど、私物だから手をつけてないから、部屋に行ったら整理ね。ちゃんと手伝って上げるから、終わったら屋上の大浴場に行きましょ! もう、大体皆入り終えてるから貸切状態よ」

 明日菜の言葉に、ネギは顔を青褪めさせた。元々、お風呂自体が苦手なのもあるが、何よりも女体になっているからと言って、女性と裸の付き合いをするなど許されるはずが無い、そう、ネギは思っているのだ。
 ハッキリ言えば、未だ二次成長を終えていないネギには女性の裸を幾ら見ようが好奇心を満たす事はあっても、発情する事は無い。だが、仮にも英国の紳士であるべき自分が、女性に変身して女性の園に突入するなど恥知らずにも程がある行為である。どうするか悩んでいると、カモの言葉が念話によって届いた。

『別にいいと思うんスけど、一緒に入るのは気が引けるんスね?』
『そ、そうなんだよ~。幾ら何でも拙いよ~』
『……姉貴の歳なら男の状態でも悪戯で済む年齢なんスが、まぁ、無難に「日本のお風呂に慣れていないので、慣れるまでは部屋のお風呂に入らせて下さい」って言えばいいと思うッスよ? さすがに、無理矢理お風呂に連れ込もうとはしないと思うッスから』

 カモの助言に、ネギはさっそくカモの考えた言い訳を使った。すると、明日菜達は残念そうな顔をしたが、ネギがイギリスから来たばかりだという事もあり、渋々ながらも不満を言わずに引き下がってくれた。

「でも、慣れてきたら一緒に入ろうね?」

 明日菜と木乃香の、そして、これからはネギの部屋にもなる643号室と書かれた札の掛かっている部屋の前で和美はそう言うと自室に戻って行った。申し訳なさそうに謝ると、和美は笑って許してくれたが、ネギはチクリと胸が痛んだ。

『まぁ、日本には裸の付き合いというのもあるッスからね。でもまぁ、その内には腹を決めるしか無いッスよ。というか、姉貴は自分の体で見慣れてる筈ッスから、特に問題は無いと思うんスけど、まあ倫理面での問題はこういう状況ッスし……。それに、外の世界に出れば、倫理の外れた事もしないといけないんス。厳しい事を言ってるのは理解してるッスが、敢えて言わせて貰えば、婦女子と湯浴みを同伴する程度の倫理外行動を体験出来るのは悪く無いんスよ。別に外道に落ちろとは言わないッスが、それでもある程度許容する事も大事なんス。俺っちの言葉……分かるッスか?』
『…………カモ君の言ってる事は何時も正しいよ。お姉ちゃんも、ちょっとカモ君の趣味に不安があっても、私と一緒に来れる様に取り計らってくれたくらい、カモ君を信頼してるもん。でも、私にはカモ君の言う事はまだ難しいよ……。』
『まぁ、姉貴は未だ若くて時間も沢山あるッスからね。ゆっくりでいいんス。悩みながら成長していけばいいんスよ』

 カモは、まるで老成した大人の様に、慈愛の篭った声を念話に乗せてネギに伝えた。

『カモ君……』

 カモの温かな言葉が胸を優しく包み込む。部屋の中に入ると、すぐに居間があった。

「こっちの扉が寝室よ。ベッド三つだからちょっと狭いんだけど勘弁してね」

 明日菜はそう言うと、寝室の扉を開いてネギを招き入れた。寝室は、確かに三つのベッドがほんの少しの隙間だけで、まるでキングサイズの一つのベッドの様に横に連なっていた。フカフカの掛け布団は柄がそれぞれ違い、若草色の金の葉の刺繍が施されたのが木乃香の布団で、真っ白な上に同じく金の花の刺繍が成されている布団が明日菜のだった。
 ネギの布団は明日菜の隣の壁際の薄桃色に同じく金色の葉や花の刺繍が施された布団だった。

「荷物はコッチにあるえ」

 木乃香がそう言うと、玄関のすぐ隣に大き目のダンボール箱が二つ並んでいた。

「洋服箪笥は丁度三つあるから、木乃香が左側だから右側の使っていいわよ」

 明日菜がそう言うと、洋服箪笥には三つの扉がついており、真ん中だけ少し狭い感じがした。

「え、でも、明日菜さんの場所が狭くなってしまいますよ。私が真ん中を使います」

 ネギが言うと、明日菜は「いいのいいの」と手を軽く振って言った。

「私ってさ、あんまり服って持ってないのよ。木乃香は結構持ってるんだけどね。ネギも結構持ってそうだし、遠慮する必要は無いわよ?」
「でも……」
「いいから。私がいいって言ってるの。文句ある?」
「いいえ……」
「よろしい」
「明日菜は強引やな~」

 ネギと明日菜の様子を微笑ましげに見ながら、木乃香はエプロンを付けると台所に向かった。その間に、明日菜は台所の入口から少しだけ離れた場所にある扉を開けた。

「今、木乃香が入ったのが台所よ。ガスや水道も通ってるの。んで、ここがトイレと浴場への入口よ。トイレは洗面所の奥で、浴場は入ってすぐ右の曇りガラスの扉よ」

 明日菜に言われる通りに確認すると、確かにトイレと浴場が確認出来た。トイレには芳香剤の香りが充満しており、浴場には市販で買えるのとは違う少し高級感のある石鹸やシャンプーがあった。

「シャンプーは、備え付けのよ。高そうに見えるけど、市販のと変んないみたい。で、石鹸は何と木乃香大先生の手作りよ」
「手作り!? この綺麗な石鹸がですか!?」

 ネギが驚いた様に聞くと、今の方から木乃香の嬉しそうな声が響いた。

「褒めてくれてありがとうな~。でも、夕食が出来たから戻って来てや」

 木乃香の言葉に、二人が居間に戻って来ると、小さな折り畳み可能なテーブルの上に、鯵の塩焼き、アサリの味噌汁、白米に肉じゃがが乗っていた。そのどれからも、お昼から何も食べていないネギのお腹を刺激するには十分な素晴らしい香りだった。
 見た目も美しく盛り付けがされていて、ネギは目を輝かせて木乃香を見た。

「これって、木乃香さんが作ったんですか?」
「せやで。ネギちゃんの歓迎の意味も篭めて、ちょっと豪華にしてみたで」

 木乃香がにこやかな笑みを浮べて見せると、ネギは感謝の思いで胸が一杯になった。

「ありがとうございます!」

 ネギが誠心誠意篭めて感謝を述べると、木乃香は満足気に微笑んだ。
 食事は賑やかに進み、ネギは気になった事を聞いた。

「木乃香さん、お風呂場にあった石鹸って、本当に木乃香さんが作ったんですか?」

 ネギは心底不思議そうに聞いた。

「せやで。石鹸作りはうちの趣味なんよ。香りのいい石鹸や、泡が沢山出る石鹸とかを作るんや。あと、お風呂で使うんは、肌に合わせて作るんやよ。明日菜とうちだと、肌の強さが微妙に違うさかい、別々に使ってるんやで。そうや!今度ネギちゃんのも作ってあげるえ」

 手を叩いて提案する木乃香にネギは目を丸くした。

「いいんですか!?」
「ええんよ。ネギちゃんは肌って弱い方?」
「えっと……、あんまり気にした事なくて」
「でも、お肌白いから、少しやさしめに作ってみるで。ちょっとずつ作って、肌に合う組み合わせを決めるんよ」

 木乃香は楽しげに石鹸についての講義を始め、明日菜は聞き流しながら魚の肉を箸で器用に掴んでは醤油に浸して御飯と共に食べている。
 すると、ネギのポケットが時折奇妙に動く事に気がついた。

「あら? ネギ、携帯電話が鳴ってるみたいよ?」

 首をかしげながらネギのポケットを指差す明日菜に、ネギは慌ててポケットを抑えた。

「あ、これは……」

 誤魔化す様にポケットを抑えるネギに木乃香は石鹸の話を中断されて残念そうな顔をしながら首を傾げた。

「電話じゃないん?」

 ブルブルと震えているポケットに入っている物などそれ以外には想像がつかない。
 すると、ネギが抑えていたポケットの口から真白なけもくじゃらが顔を出した。

「カ、カモ君!」

 慌ててポケットに押し込もうとするが、カモは無言でスルリとポケットから抜け出すと、食事の乗った机に自分の毛が入らない様に注意をしつつ、床に降り立つと尻尾を揺らしながらキュ~と鳴いた。

「何々!? 何なのこの小動物!?」
「ひゃ~~可愛ええ~~!!」

 すると、木乃香と明日菜は目を輝かせてカモを見つめた。カモは普通の一般オコジョを演じて尻尾を愛らしく振いながら近くのソファーにトコトコと歩き、その上に寝そべった。
 すると、カモは念話を通じてネギに言った。

『とりあえず、俺っちの事はペットとして通してくだせい。なぁに、大丈夫ッス。この学生寮はペットOKなのは調査済みッスから。お二人の様子から察しても、アレルギーとかの心配は無さそうッス』
「えっと、私のペットのカモ君です。その、どうしても連れて来たかったもので、あの、御迷惑でなければここで飼っても……」

 ネギが途切れ途切れに言うと、明日菜がニコッと笑った。

「何言ってんのよ、いいに決まってるじゃない。私も木乃香も動物は好きよ? 結構可愛いしね」

 そう言うと、明日菜は自分の解していた鯵の塩焼きを手に乗せた。明日菜の皿にはもう殆どが残っていなかったが、残りを骨から箸で削るように取った。
 手に乗せた鯵の塩焼きをカモの口に近づけると、カモは素直に口に含んだ。

「キャ~~食べた食べた!!」
「わ~~うちもうちも!!」

 すると、木乃香も自分の鯵の塩焼きを手に乗せるとカモの口元に持っていった。すると、カモはモキュモキュと口に含んで咀嚼し、木乃香の手を嘗めて感謝の意を示した。
 すると、木乃香は感激して台所に向かうと、無地の真白な皿の上に、缶詰のシーチキンを乗せて運んできた。それをカモの前に置くと、ドキドキと心臓を高鳴らせて、目を好奇心に輝かせながら見つめた。

『お、落ち着かないッスね。うまいんスけど……。さすがは日本ッスね、缶詰もなかなか……』

 溜息交じりに呟くと、カモはシーチキンを一口ずつ口に含んで消化した。その姿に、明日菜と木乃香はメロメロになり、食事も忘れてカモの食事を見つめた。
 ネギは二人の様子に胸を撫で下ろすと、自分の分の食事を食べ終えた。日本に行くと知ってから、ネカネがネギに箸の使い方を教えたので、ネギの箸の使い方は並みの日本人よりも上手に使えている。木乃香が洋食にせずに和食にしたのも、今朝の和美の質問の中に、お箸は使えるか? というのと日本料理に興味があるというネギの言葉に起因したのだ。
 ちなみに、カモも何故かお箸を使えるが、さすがにペットの振りをしているのにお箸を使う訳にもいかず、なるべく顔に付かないように慎重に下でシーチキンを口に運ぶのだった。カモがシーチキンを食べ終えると、木乃香はお皿を台所に運んで洗い始めた。
 ネギは手伝おうと思って、台所についていこうとすると、明日菜に待ったを掛けられた。

「アンタはまず荷物の整理をしなきゃ」

 呆れた様に言われ、ネギは恥ずかしくなると、ダンボールを開いた。中には、女の子用の洋服と下着、女の子も男の子も着れる短パンとシャツも入っていた。他にも、ちょっとした小物が小箱に入っており、そのどれもがネカネによって、ちょっとした御守りとして機能する魔法が掛けられている……と、カモが教えてくれた。
 寝具や洗面用具、筆記用具の替えから電卓やホチキス、のりなども入っていた。隣で一緒に覗き込んでいた明日菜は首を捻りながら中に入っていた変な包を取り出した。

「ネギ、これは?」
「何でしょう、ちょっと貸して下さい」

 ネギは明日菜が取り上げた包を広げると、中には小さな輪が入っていた。指輪にしても小指ですら入らない程小さく、そして、明日菜には分からなかったが、ネギには魔法の力が宿っているのを見てとれた。
 カモから念話が届いた。

『姉貴、ソイツは俺っちのッス。ちょいっとばかしネカネの姉さんに用意して貰った奴でして。俺っちの腕に嵌めて貰えますか?』
「えっと、カモ君の腕輪みたいです。あ、その、カモ君はオコジョなんですけど、オコジョ用のアクセサリーなんです」

 我ながら苦しい言い訳だと思いながら、ネギは冷や汗を流しながら言った。すると、明日菜は特に不信に思う事も無く納得した。イギリスの文化について詳しくないので、別に不思議に思う事も無かったのである。
 カモの腕に輪を嵌めると、カモはソファーの上で丸くなった。眠っている振りをして、明日菜や木乃香にちょっかいを出されない為だ。
 幾つかの魔法用品に関しては、魔法で隠蔽されていて、予備の杖はペンケースに鉛筆に擬態されていて、魔法薬などに関しても外見は紅茶の缶だ。ちなみに、ネギ自身の趣味として、紅茶を嗜むのもあるので、本物も混じっているが、ネギから見れば魔法薬の入っている缶は明らかだった。
 紅茶の缶を自分の机に並べていくネギに、明日菜は「紅茶が好きなの?」と聞いた。

「はい、自分で淹れるんですけど、どうやったら美味しくなるかな? って研究したりしてるんです。良かったら御馳走しますよ?」

 すると、明日菜は瞳を輝かせた。

「マジ!? 本場イギリス人の淹れる紅茶か~~!今日から我が家もブルジョワね~~!!」
「ブルジョワ……?」

 ネギが首を捻ると、カモが呆れた様に呟いた。

『ブルジョワジーの事ッスよ。中世フランスの裕福な商工業者を皮肉った呼び方なんス。日本人は時々勘違いしてるんスよ。ああ、別に正す必要は無いッスよ? 別に、明日菜の姉さんは海外に行くわけじゃないし、態々言葉を正すのは揚げ足取りって言われて、嫌がられるもんス。まぁ、海外でブルジョワ~~なんて言わないでしょうし、問題ないッスよ。ちなみに、正しく使うならセレブの方が合ってるッスね。ブルジョワは皮肉ッスけど、セレブは羨望の意味があるッスから』

 カモの無駄に長い説明を聞きながら、ネギはナイト・ティーの準備をしに台所に向かった。

「あれ? ネギちゃん、どないしたん?」

 木乃香が首を傾げると、ネギは持ってきたファーストフラッシュの缶を掲げて見せた。

「私、紅茶に凝ってまして、是非お二人に飲んで頂きたいと……」

 少し遠慮がちに言うと、木乃香は嬉しそうに声を上げた。

「ほんまに!? うわ~、うち、本場の人の紅茶が飲めるやなんて感激やわ~。せや、確かクッキーがあった筈やから準備しとくで」

 木乃香は戸棚に手を伸ばし、その中から一枚の大きめのお皿と、ティーセットを取り出してネギにティーセットを渡すと、別の戸棚に入っていた大き目のクッキーの入った四角い缶を取り出し、その中から適当にクッキーをお皿に移した。
 居間に行き、ワクワクしながら明日菜とカモにクッキーを食べさせながら待つと、しばらくしてネギが湯気が立ち上るティーポットと、カップを持って来た。

「お~、待ってました~!」

 明日菜は両手を上げてはしゃぐと、ネギはクスリと笑って机の上にカップを置き、ティーポットで注ぎいれた。

「そう言えば、紅茶って温度計使うのよね? へへ~ん、この前テレビで観て知ってるんだ~」

 明日菜が得意気に言うと、ネギは困った顔をした。

「いえ、温度計は確かに便利なんですが……」
「あれ? 違うの?」
「はい。本とかに載っている温度を丁度測ってもいいんですけど、紅茶には茶葉の種類が多種多様にあって、それに合わせて微妙に調整しないといけないんです。だから、自分の感覚で、どのくらい温めるのがベストか? って、調節するんです。ちなみに、ナイト・ティーなのと、日本は軟水なので茶葉はファーストフラッシュにしました」
「な、なんか必殺技みたいね……」

 ドキドキしながら明日菜は『ファーストフラッシュ!! !』と叫びながら手から凄まじい光線を出す光景を想像した。

「水の種類とかでも違いがあるん?」
「ええ、英国の硬水とは違い、日本の水道に流れる軟水は抽出力が強いんです。だから、少しサッパリしたファーストフラッシュでも、自然と深みが出るんです。他の茶葉ですと、匂いやクセが強くなってしまうので、他にはダージリンなんかがいいですね」

 ポカンとしながら聞いていた明日菜はうむむ? と首を捻った。

「硬水とか軟水って何なの?」

 すると、木乃香が呆れた様に溜息を吐いた。

「明日菜~、それは中一で習ったやん」
「基本的に、硬度の高いのが硬水で、低いのが軟水なんです。ちなみに、この硬度というのは、カルシウムやマグネシウムの内包量の事です。ちなみに、日本人はよく海外の水でお腹を壊すと言う話があるそうですけど、これは、硬水に含まれるマグネシウムが日本の軟水に比べて多く、それでお腹の調子が悪くなってしまうそうです」

 ネギが淡い紅色の紅茶を明日菜に差し出しながら説明するが、明日菜はポカンと口を開けて右から左へ情報が零れていってしまっていた。
 その様子に木乃香は苦笑しながら紅茶を口に含むと、まったりした様に大きな溜息を吐いた。

「おいしぃ」

 苦味が無く、躯の芯まで温まり、心地良い香りに身を任せるとそのまま眠ってしまいそうだった。爽やかな香りが鼻腔を擽り、ホッとする紅茶だった。
 明日菜もゴキュゴキュと一気に飲むと、まるでビールを一気飲みしたオヤジの様にプハ――ッ!! と息を吐くと、「うまい!!」と満面の笑みを浮べた。
 二人の様子に満足気に笑みを浮べると、ネギも自分の紅茶を飲んだ。明日菜がお代わりをせがむので淹れ直していると、突然居間から明日菜の悲鳴が響いた。

「ど、どうしたんですか!?」

 ネギが慌てて今に顔を出すと、明日菜が涙目でネギに縋り付いた。

「あわわわ、あ、明日菜さん!?」

 ネギが慌てると、木乃香が呆れた様な口でネギに説明した。

「明日菜な~、宿題やってないんよ。神多羅木先生の」

 ネギは今朝の神多羅木の授業を思い出して、そう言えば宿題出されてたっけと思い出すと、涙目の明日菜がネギを見上げてきた。

「たしゅけて~~~~!!」

 ネギのお腹に顔を擦り付ける様に懇願する明日菜に、ネギは大慌てで「分かりました、分かりましたから止めて下さい~~~~!!」と悲鳴を上げた。
 よく分からない刺激と女の子に抱きつかれたと言う意識に、変な気分になりそうだったのだ。顔を上げると、明日菜は目を輝かせて「大好き~~!!」と叫ぶと、残像の見える様な速さで鞄から宿題を取り出すと、準備万端だぜ!と言う様にシャーペンを取り出した。
 木乃香が突然明日菜の頭にチョップした。

「明日菜のあほ~! ネギちゃん、この学校に来た初日なんやで? 疲れてるに決まってるやん! 第一、宿題は自分の力でやらなあかんで!」

 木乃香のお説教が始まり、明日菜は「ひぎゅ~~!」と悲鳴を上げると、ネギに子犬の様な眼差しを向けると、木乃香はネギに見えない位置で明日菜に顔を向けた。
 すると、「――――ッ!!」と、声にならない悲鳴を上げて、明日菜は顔を青褪めさせた。
 クルッと顔を向けると、ニッコリと笑顔で木乃香は「ネギちゃんはお風呂入ってきいや」と言った。
 ネギは言い知れぬ迫力にコクコクと頷くと、入浴の準備を整えて、最後にもう一度、木乃香に見張られながら涙目で宿題に向かう明日菜に申し訳なさそうに頭を下げるとお風呂場に入った。シャワーを出すと、気持ちの良い温かなお湯が飛び出してきた。
 この半年、『一週間もお風呂に入らない女の子はいません!!』とネカネに言われ、お風呂トレーニングをみっちりさせられたおかげで、なんとかシャンプーハットを卒業したネギだったが、やっぱり流れてくるお湯が目に入るのが怖かった。
 念話でカモが話しかけてきた。

『いや~、優しそうな人達ばっかで安心したッスね』
『うん、私、何とか頑張れそうだよ、カモ君』
『その意気ッスよ。それより、実は今朝気になった事があったんスけど……』
『気になった事?』
『エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……、知ってるッスか?』

 ネギは髪をシャワーで濡らすと、シャンプーのボトルから少しだけシャンプーの泡を手に乗せてゆっくりと伸ばした。

『知ってるよ? だって、私の隣の席の人だよね?』

 紐を解き、流れる様に広がる長い髪を梳く様に石鹸に優しく馴染ませる。

『エヴァンジェリンさんがどうかしたの? カモ君』

 お湯でシャンプーを流しながら首を傾げると、カモは声のトーンを落として言った。

『俺っちの記憶が正しいなら、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは吸血鬼ッス。それも、真祖と呼ばれる種であり、闇の福音と恐れられている童姿の闇の魔王……』
『――――ッ!?』

 ネギは、木乃香に使っていいと言われた深い翠色のガラスの様な美しい石鹸を取り落としそうになった。

『きゅ……吸血鬼って!?』
『吸血鬼……つまり、ヴァンパイアの事ッス。しかも、真祖ッス。いいッスか? 真祖ってのは、自分から人の身を外れた外道の事ッス。しかも、数年前まで600万ドルの賞金も掛けられ、何時の間にか行方が分からなくなり、指名手配も解かれていた謎の多い人物ッス』

 カモの深刻そうな言葉に、ネギは戦慄した。
 常に余裕を持ち、ちょっとの危険ならばネギの緊張感を解そうと楽しいギャグで和ませてくれる彼が、これだけ深刻そうに、冗談も交えずに語る存在というのは、本当に危険な人物なのだろうとネギの脳裏に警鐘を鳴らした。
 だが、カモはネギの考えを察知した様に否定した。

『姉貴、別に現状は問題無いッス。何せ、ここは魔法使いの溜まり場ッス。それに、魔法使い達も当然、エヴァンジェリンの事は知ってる筈ッス。それでも放置しているのには、何か理由があると思うんスよ。それに、担任にはタカミチも居るんスから、警戒する必要は無いッスよ』

 姉貴はね、その言葉を胸に仕舞い、カモは戯けるように言った。

『ただ、万が一を想定するのは魔法使いには必要なスキルッス。一応、彼女の事は念頭に入れておいて下さい』

 ゆっくりとした動作で体を洗い終えると、ネギはシャワーで体を流し、湯船に浸かった。お湯の中に顔を沈めると、頭を振りながら湯船から飛び出した。その滑らかな一糸纏わぬネギの素肌から、湯船に向かって雫が零れ落ちた。どうやら、蒸発したお湯が天井に溜まり、重さに耐えかねて落ちてきた様だ。
 ネギは換気扇を回すのを忘れていた事に気がつき、湯船から上がると、少しだけドアを開けて換気扇を回した。シャワーで体を一回流すと、ネカネの選らんだ可愛らしい薄桃色のシルクのパジャマに着替えた。
 最初は慣れなかったが、最近では肌触りが気に入り、これ以外の寝間着だと眠れなくなってしまった。お風呂から上がると、思ったよりも長湯になってしまったのか、時刻は入ってから一時間が過ぎていた。
 部屋には誰も居なくなっており、机の上にはメモ書きが置いてあった。

『ネギ、アタシ達はちょっと屋上の大浴場に行って来るわ。留守番お願いね。先に眠っててもいいから』

 明日菜の字で、メモにはそう書かれていた。ネギは少し考えたが、猛烈な眠気に教われ、言葉に甘える事にした。歯を磨いて布団に入ると、何だか心細い気がしたが、すぐに意識は闇へと落ちていった。

 朝になると、ネギはすぐ近くから猫の様な悲鳴が轟き、驚いて目を覚ました。少し離れた場所で掛け布団に包まった明日菜が、「お姉さまは嫌……、お姉さまは嫌……、お姉さまは嫌……。わ、わた……、私はソッチの世界の人じゃないもん! うにゃ~~~~ん!!」と叫んで、部屋から飛び出して行ってしまった。

「はれ? 明日菜、どうしたんや?」

 木乃香も眼を覚まして首を傾げると、ネギも「さあ……」と心配げに、明日菜の去って行った寝室の扉の先を見つめて首を傾げながら言った。

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