第二十四話『京都争乱』

 眼が覚めると、ネギは体がやけに重く感じた。不安に心が揺らいでいた。今日、襲撃するのは敵の本陣なのだ。コンコンという音を聞き、顔を向ける。窓の向こうに、一本の杖が定期的に窓を叩いていた。
 杖は昨夜の内に呼んであった。埼玉県から京都府への遠距離飛行をこなしながらも、杖は確りとネギの元に辿り着き、一晩中窓をコンコンと叩いていたのだ。呪文によって眠ったネギ達は全く気がつかず、慌てて窓に駆け寄ると、窓を開き、冷たい風を感じながら杖を部屋に向かい入れた。杖はネギの目の前で静止した。杖の中心部を掴むと、ネギはやわらかく笑みを浮べた。

「長旅、ご苦労様」

 抱く様にしながら、杖に頬を当て、ネギは深呼吸をした。僅かに、ネギの体は震えていた。

「お父さん……」

 どこに居るのかも判らない父親を思いながら、ネギは大き過ぎる杖を畳の上に置き、鞄の中を探った。小ポケットに入れておいた指輪を身に着け、三枚のカードを取り出した。
 神楽坂明日菜、桜咲刹那、近衛木乃香。三人の仮契約の証であるカード。

「私って、何しに麻帆良に来たんだろう。平和に暮らしていたエヴァンジェリンさんを怒らせて、千草さんを挑発して、明日菜さんを巻き込んで、木乃香さんを巻き込んで、小太郎を巻き込んで……。卒業試験の指令に応える所か、逆に危険に曝して……」

 自分を嘲笑する様に呟きながら、溜息を零した。自分の体を見て気分が悪くなった。こんな事は初めてだった。馬鹿らしくなったのだ。女の体になってまで、ここに来て自分がやった事は何だったのかと自問して――。
 寂しい、そう感じた。誰でもいいから縋りたいと…………。

 午前七時半に、ネギは起きた明日菜、木乃香、刹那の三人と共にホテル嵐山の食堂に他のクラスメイト達と集まり正座をしながら号令を待っていた。新田とタカミチが今日の日程を話している。タカミチは僅かに顔つきが堅い事を、ネギ達は見抜いていた。真名の方は僅かに疲れが見えていたが、それでも超と談笑する余裕はあった。
 古菲は緊張した面持ちをして、楓にからかわれていた。楓にしても、古菲の緊張を解しながら、体内の気を整えている。
 明日菜はボーッとしている様子だが、頭の中では何度も茶々丸に教えてもらった事を反芻していた。今までの突発的な戦いと違い、自分達から仕掛けるのだ。少女達はそれぞれ緊張しながらも心を戦いに向けていた。
 豪勢な食事を味気なく感じながら、ごちそうさまをすると、奈良へ向かうバスにクラスメイト達が乗るのを見ながら“自分達が居ない事を当然と思う”ようにカモが魔法を掛けた。認識阻害の応用だ。
 タカミチは、騒がしい少女達を新田一人に任せる事に心苦しさを感じたが、残った少女達に顔を向けた。

「それじゃあ、行こうか」

 覚悟の有無を問う必要は無かった。タカミチが手配したもう一つのバスが来ると、そのバスの運転手にカモが幻術を掛けた。

「これで、半日後まで適当に時間を潰して戻って来る筈ッス」

 カモの言葉に頷くと、タカミチが最初に入り運転席に収まった。ネギが大き過ぎる杖を抱えながら入り、刹那は夕凪と七首十六串呂・イを手に袴姿でバスに乗り込んだ。その次に明日菜がハマノツルギを右手に入り、東風の檜扇と南風の末広を持った狩衣姿の木乃香が乗り込んだ後に、セブンリーグブーツを履いたまるで隠密の様に修道服で全身を隠した美空が乗り込んだ。
 バスは、後ろがパーティースペースで中央に机があり、その周りに最後部席と窓枠より僅かに低い背の椅子が横に並んでいる。明日菜達は窓を開くと、カーテンを結んだ。バスを襲撃される可能性が高い事を考慮し、即座に外に飛び出す為だ。
 カモが視覚防御の結界を張ると、それぞれ椅子に座り、何時でも戦闘出来る状態にした。バスは真っ直ぐに西に向かって走った。

「改めて、総本山の地形について話しておきます」

 刹那はそう言うと、総本山の周辺の地図を見せた。ネットで落とした衛星写真は総本山を写さないが、刹那が手書きで足りない部分を描き足したのだ。嵐山の山中に位置し、左右を丘に挟まれ、北に烏ヶ岳を眺め、南には地図の上に封印の湖と描き込まれていた。それぞれの丘、山、湖の上には色の違うサインペンでそれぞれに大きな文字が書き込まれていた。北の烏ヶ岳に黒で玄武。東の丘に緑で青龍砂、西の丘に白で白虎砂、そして南の封印の湖には赤で朱雀と書かれていた。

「関西呪術協会の総本山は、風水魔術の“背山臨水を左右から砂で守る”というのを汲んでいます。京都の四神結界と同じ物を関西呪術協会に張る為にこの地に総本山は置かれているんです。京都全体の場合は、北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とされています。更に、総本山のそれぞれの地点に祠が置かれているのですが、犬上小太郎にはコレの破壊をお願いしてあります」

 刹那の言葉に、アスナがキョトンとした顔で尋ねた。

「すると……どうなるの?」
「結界が崩れます。ただ、祠は結界内にあるので、結界に反応してしまう可能性のある我々には出来ない事であり、関西呪術協会の犬上小太郎と天ヶ崎千草にしか出来ない事なんです」

 刹那は若干、視線をネギに送りながら応えた。ネギが僅かに俯くのを見て、胸を痛めながらも、刹那は最善の手を打ったのだと自分を励ました。

「結界が崩れるタイミングは私が分かります。崩れた瞬間に結界内に突入します。犬上小太郎には、東の丘の祠を破壊してもらう手筈になっていますので、そのまま合流してもらい、総本山の正面玄関から一気に襲撃します」

 地図の総本山の東側を指差しながら刹那が言った。

「正面玄関って……、大胆不敵と言うか何と言うか……」

 美空は刹那の大胆な作戦に呆れた様な、感心した様な顔で頬を苦笑しながら掻いた。

「突入の際に、春日さんには敵の状況を探って来て頂きたいのですが……」

 刹那が遠慮がちに言うと、美空は肩を竦めながら了承した。

「分かってるって。戦闘開始になったら、私が出来るのは敵の翻弄だけだしね。本当は逃げたいけど、さすがにクラスメイト全員の命が懸かってる状況で逃走出来る程神経太くないから信用してちょ」

 美空の戯けた調子の応えにフッと微笑を洩らしながら、刹那は頷いた。

「天ヶ崎千草は?」
「彼女には、突入時の援護をしてもらう事になっています。結界内に入る時に森の中に潜んでもらい、そのまま突入と同時に激突した時に、道を切り開き易くする為に――」

 刹那がそう言った、丁度その時、タカミチがバスに備え付けられていたマイクで総本山の結界外周に到着した事を報せた。

「襲撃は無かったね」

 明日菜が言うと、ネギが頷いた。

「このバス自体にも刹那さんとカモ君が色々と細工をしていますから、遠見では発見されなかったのでしょう。間違いなく、結界が崩れたら洗脳された神鳴流剣士や呪術師、サムライマスターが来ます。警戒して下さい」
「うん」

 ネギの言葉に、明日菜はハマノツルギを強く握り締めた。所有者の心に応える様に、ハマノツルギの眩しい輝きが更に強まった。爛々と輝き、明日菜の頭にチクリと痛みが走った。

「痛ッ――」
「どうしたん?」

 木乃香が心配そうに尋ねると、明日菜は

「なんでもない」
と応えた。

『呼んで……』

 まるで、ノイズの酷いラジオから聞こえる様に、遠い場所から叫んでいる様な声が一瞬だけ響いた。
 またあの声だ。明日菜は、ハマノツルギを握っていると時折聞こえる不思議な声を頭を振って掻き消した。今は、それどころではないと。
 刹那は七首十六串呂を全刀展開し、空中に待機させた。それぞれの太刀が、刹那の気に呼応して僅かに震えると、まるで時間が静止したかの様にピタリと固まった。
 裏切り者の神鳴流。見つけ出して必ず殺す。冷徹な表情の内に苛烈な炎を宿した刹那は、神鳴流を裏切り、木乃香に刃を向ける二刀流の神鳴流使いの剣士に対し憎悪と殺意を爛々と燃え上がらせていた。
 木乃香は両手に東風の檜扇と南風の末広を持ちながら、父と子供の頃からよくしてくれた皆の事を思い、一刻も早く救い出したいと願っていた。そして、それとは別に心のどこかで激しい何かが渦巻いているのを理解していた。ハッキリとソレを怒りと断言する事は出来なかった。ただ、漠然と心の中に何かが渦巻いているのだ。
 一瞬だけ、木乃香の眼差しが強くなり、そのまま小さく息を吸い吐いた。

「お父様……」

 顔を上げて、結界が消滅するのを待った。
 タカミチは、神経を集中していた。

「左手に魔力を、右手に気を集中させる……」

 相反する二つの力を集中させる。左手に魔力を、右手に気を集め、結界が破れるのを待った。
 美空は、肩を落としていた。本当ならば、こんな命を懸けた戦場になんぞ立ちたくないというのが本音だ。だが、さすがにクラスメイト全員の命が懸かってしまっては逃げられない。
 数名程度なら逃げ出そうとも思うのだが……。それでも、完全に敗北すると確信すれば逃げるつもりだった。自分の命が第一であるし、刹那もそれは了承している。それにしてもと、美空は刹那を見た。

「刹那も中々やるなぁ」

 素直に感心していたのだ。ここまでの戦略と戦術を組み立てたのは、殆ど刹那だ。タカミチは手回しなどに奔走していて、策を練るのに口を出す余裕は無かったし、出す機会があっても出さなかった。

「何か変だねぇ」

 カモの様子もおかしいと感じていた。そもそも、最初の作戦の襲撃を待つというのも、カモの言葉を真っ直ぐに受け入れ過ぎたからだ。その後、コチラから攻める策について、カモは何も口出しをしなかった。

「なぁんか、落とし穴がある気がするなぁ」

 美空は逃走ルートなども総本山の偵察ついでに確認しようと決意した。
 ネギは、一刻も早く結界の崩れるのを願っていた。それはつまり、小太郎が無事に任務を遂行した事を示すからだ。ネギは、小太郎がこの戦いに参加するのが嫌だった。仮契約を解除されたと聞いた時、最初に感じたのは寂しさだったが、不思議と怒りは感じなかった。
 小太郎を、自分の戦いに巻き込みたくなかったからだ。それなのに、今再び同じ戦場に立とうとしている。それが、途轍もなく辛かった。だが、そう思いながらも、ネギの追い詰められた心のどこかが望んでいた。小太郎に会いたいと――。
 同い年の男の子の友達は本国にも確かに居た。だが、自分をサウザンドマスターの息子として何処か特別扱いをしていた。本当の意味で、自分を一人のネギ・スプリングフィールドとして扱ってくれたのはアーニャくらいのものだった。ネギは心のどこかで、小太郎を特別視していた。

 一方その頃、真名達が奈良に到着し、皆が大仏見学をしている途中、警戒していた真名の目の前に男は現れた。冷たい汗を流しながら、目の前の男が放つ冷徹な殺意を受けながらも勇敢に笑って見せた。

「神鳴流かい?」

 真名が問い掛けると、答えも言わずに男は持っていた長い太刀を真名の首を刈り取らんと振るった。徹夜と、一晩中止む事無く攻撃してきた敵の相手に疲れていた真名は反応が遅れてしまった。

「――――ッ!」

 殺される。死を直感した真名の前に大きな手裏剣が飛来した。

「ぼーっとしていては駄目でござるよ」

 ニヒッと笑みを浮かべ、楓は真名を抱えると跳躍して距離を取った。

「唯者ではないな……」
「当然でござろう。あの御仁こそ、関西呪術協会の長、サムライマスター・近衛詠春でござる」
「なんだと!?」

 真名は驚きを隠せなかった。言われてみれば、昔、紅き翼の写真が載っている雑誌を読んだ時に見た近衛詠春の姿に目の前の男は若干老けてはいるものの、かなり似ている事に気が付いた。
 全く想像していなかった展開だ。想像出来る筈も無い。これは下策だと断言出来るからだ。敵の目的は、ほぼ全員が総本山に向かっている。ここに居る生徒達の存在意義など、ハッキリ言って人質程度だ。確かに、雪広財閥の令嬢も居るが、それで近衛詠春を差し向けるなど意味が分からない。人質にするならば、有効な策は数だ。こんな、一騎当千の単騎を向けるなど、意味が無い。それも、人質として使うには、タイミングが大切なのだ。こんな風に警護をしている人間の前に姿を現す理由は無い。
 真名が戸惑っていると、その隙に、詠春が動いた。詠春の太刀が三日月の如き軌跡を描いて真名の首を刎ねようと迫る。

「真名ッ!」
「問題無いッ!」

 真名は冷静にその手に握る銃身を盾にして剣戟を防いだ。

「まったく、敵は何を考えているでござるか……。サムライマスターをコッチに寄越すなど……」

 楓は、風の噂で聞いたサムライマスターの伝説を思い出しながら舌打ちをした。曰く、雷鳴を纏う剣は山を両断し、曰く、豪風を纏う剣は海を分断させると言う。疾風迅雷、抜山倒海。風の如く疾く、雷の如く迅い。力は山を抜き、技は海を倒す。無敵無類の侍。

「奴は任せろ。さっきは遅れを取ったが、もう大丈夫だ」
「真名……」
「信じろ」

 楓はしばし真名の顔を見つめ、やがて顔を伏せ、その場を去った。戦力をここに集中しているわけにもいかないからだ。
 真名ならば大丈夫。楓は彼女を信じ、己の戦場へ向かった。
 その途中、他の面々にサムライマスターの襲来を報告すると、超が真っ先に反応を返した。

「サムライマスターが襲来したのはいいとして、今、サムライマスターはどこネ?」

 超は冷静に、されど訝しげに周囲を見渡しながら尋ねた。

「真名が相手をしているでござる」
「さすがに一対一はまずいネ。了解ヨ。こっちで何とかしてみるネ」
「頼むでござる」

 超との連絡が切れると同時に古菲の姿が見えた。

「アイヤー、何だかやばい気配がそこらじゅうからするアルよ」

 ムムム、と難しい顔をしている古菲に楓は肩をそっと叩いて、穏かに笑みを浮かべながら言った。

「古菲殿。拙者達の役目はそう難しい事では無いでござるよ。只、クラスの皆を護る。それだけでござる」
「分かり易いアル!」

 楓の表情には焦りがあったが、古菲は敢えて気にせずに声を張った。
 その視線の向こうには特に危険な気を放つ存在が居る。
 その危険な存在と対峙しながら、真名は勇敢に銃を構えていた。

「私の為すべき事は単純明快だ。私達はそうはいかないだろうが、皆には修学旅行を最後まで何も知らずに楽しんで貰おう」

 真名は最強の侍を相手に不適な笑みを称えて言い放った。

 宮崎のどかは戸惑っていた。明日菜や木乃香、刹那、美空、タカミチ、そしてネギの六人がバスに乗っていない事に気がつき、夕映にその事を話してもそれが当然の様な返事しか返って来なかったのだ。ハルナや他の友人達に尋ねても同じだった。
 いち早く外に抜け出して、不安になった心を落ち着かせようとベンチに座っていると、胸の奥が熱くなった。

「なんだろう……」

 直後、突然目の前に一冊の本が現れた。

「え!?」

 のどかは目を見開いた。見覚えのある本だった。それは、以前に見た夢の中に出てきた本だったのだ。

「違う……アレは夢じゃなかった……?」

 目の前に、確かに本は存在していた。分厚く、水面の様に揺らめく青銀の輝きを持つ四つ角に銀の細工をあしらった表紙の本だ。本は鎖で閉じられていて、中央の禍々しい髑髏のアクセサリーによって封印されていた。のどかは恐る恐るその髑髏に指を近づけると、声が響いた。

「宮崎!」
「本屋さん!」

 声の主は朝倉和美と相坂さよの二人だった。さよの人形を抱えながら駆け寄ってくる和美に驚いたのどかはそのまま髑髏のアクセサリーに触れてしまった。

『Έχει εγκριθεί η έναρξη ακολουθίας. Ο σύζυγός μου και η μητρική γλώσσα θα μεταφραστεί σε γλώσσα σας.』

 不思議な声と共にアクセサリーがバチンと音を立てて粉々になり、鎖が弾け飛んで、光の粒子へ変ると、ページが一枚だけ開いた。

「何語……? っていうか、大丈夫、宮崎!?」

 和美が心配そうに声を掛けると、のどかはゆっくりと頷いた。

「これって何なの?」

 和美が尋ねると、のどかは戸惑い気に本に顔を向けた。

「よく……分かりません。前に、ネギさんと一緒に図書館島を歩いていた時に迷い込んだ場所で貰った本だと思うんですが……、夢だと思ってたのに」

 のどかの説明がいまいちよく理解出来なかったが、次の瞬間、本のページが再び開いた。そこには不可思議な文が記されていた。

【この本は一体!? どうして浮いているんですか!? いえ、そんな事よりものどかさんは大丈夫でしょうか!?】
【なんか変だわ。何がどうって言えないけど、何か変!! それに、この本は何なの!? やばい臭いがぷんぷんするわ!!】

 心配そうにのどかを見つめる二人の心を写し取ったかのような文章。ご丁寧に二人のイラストまで描かれている。まるで、絵本のよう。
 不思議に思っていると、和観がギョッとした表情を浮かべた。
 丁度、本にも新たな一文が追加される。

【何、あれ!? 火の塊!?】

 和美はのどかを右手に、さよを左手に抱えると全力で走り出した。文屋として、毎日走り回っているおかげで、明日菜、美空に次ぐスピードを誇る和美だったが、人間一人を抱えて走るのは辛かった。だが、何とか炎が地面に着弾する前に効果範囲の外に出る事が出来た。

「何なのよ、一体……」

 和美は、バスを降りた時から様子のおかしかったのどかが心配になり、のどかが何かを聞いている様子だったので、のどかに何かを尋ねられていたクラスメイト達に何を尋ねられたのかを聞いた。すると、明日菜達がどうして居ないのかと問われたらしい事が分かった。
 何を当たり前の事をと思うと、さよが不思議そうに言ったのだ。

『そういえば、どうして明日菜さん達いらっしゃらないんでしょう?』

 当たり前でしょ? と言うと、さよが『どうして当たり前なんですか? 居ない理由が分かりません』と言われ、和美も当たり前だと思うのに説明できないという矛盾を覚えた。すると、当たり前では無い事にも気がつき、さよと同じく、そんな事を聞いていたのどかに話を聞きたくなってのどかの行き先を聞いて外に出たのだ。
 すると、のどかの目の前に突然本が現れて、それをのどかが触ろうとしていた。咄嗟に、直感で触るなと叫ぼうとしたが、遅かった。
 不吉な予感を感じさせる本に意識を奪われ、気がつくと、空に炎の塊が現れた。
 頭の中は混乱状態だ。訳の分からない本と謎の炎。だけど、疑問に対して深く考えをめぐらせている余裕は無かった。
 突然、拳銃の音が響いた。爆発の音と、今の拳銃の音に驚いた人々が徐々に集まりだした。

「こりゃぁ、ちょいっと不味いっぽいねぇ」

 両手にのどかとさよを抱えたままの和美が呟くと、唐突に誰かに抱えられて凄まじい重力に襲われた。しばらく呼吸が停止していると、目を開けた瞬間に和美は息を呑んだ。
 そこは東大寺の天井だったのだ。

「ここって……。って、楓!?」

 自分を抱えている人物の顔を見て、和美は驚愕した。

「いやぁ、まさかのどか殿と和美殿まで魔術サイドとは思わなかったでござるよ」
「魔術サイド?」

 楓の洩らした単語に、和美は咄嗟に食いついた。楓は

「これは失言でござったか……」

と困り顔をしたが、和美は鋭い眼差しで楓に迫った。

「ねぇ、あの炎は何だった訳? それに、さっきのって銃声? そもそも、魔術サイドってどういう事?」

 和美はのどかを抱えたまま楓を問い詰めた。抱えられているのどかは

「はにゅ~~」

とか

「助けて~~」

とか騒いでいるが、和美は全く気付かなかった。

「それは……」

 楓が言い辛そうにしていると、楓の携帯が鳴った。

「ちょっと済まないでござる」

 楓は和美に頭を下げると、携帯を受けた。

「ああ、真名でござるか。あい分かった」

 携帯を切ると、楓は和美に向き直った。

「失礼!」

 再び、和美が何かを言う前に和美の手からのどかを掠め取ると、右腕にのどかを、左腕にさよを抱いた和美を抱えて楓は跳んだ。その間に、何発かの銃声が響いた。

「ど、どうなってるの~~~~!?」

 和美は思わず叫んでいた。のどかはあまりの事態に目を丸くして固まっている。さよは

「はわわ~~、ジェットコースターみたいです~~」

と乗った事も無いだろうに大はしゃぎだった。
 楓がスタッと着地したのは、奈良公園の中心部だった。

「ちょっと、楓説明しなさいよ!」

 解放された和美が不満全開で怒鳴るが、楓は和美を尻目に、どこからか飛来した千本をキャッチした。

「隠密も居るでござるか。しからば、『影分身の術』!」

 右手で印を切ると、楓の姿がぼやけ、一瞬にして数十人の楓が現れた。

「え、ええ~~~~!?」

 和美とのどか、さよはあまりの事態に仰天して叫び声を上げた。

「ちょっと待ってるでござるよ。掃除するでござるから」

 そう言うと、数十人の楓は一瞬で跳び去り、木々の合間に消えてしまった。

「ど、どうなってるんですか~~?」

 のどかが怯えた様に和美を見上げた。

「和美さん、怖いです~~」
「あぁ、よしよし二人共。大丈夫よ~、怖くない怖くない。私が護ってあげるからねぇ」

 和美は怖がる二人の不安を取り除こうと、そう言ったが、現状を全く把握しきれていないのが歯痒かった。

「何が起きてるのよ……」

 争乱の渦に包まれている京の町から離れた場所で、当の仕掛け人は悠々と茶を啜っていた。

「あん? どうして、サムライマスターを向こうに差し向けたか?」

 現在、奈良に居る生徒達に向けた神鳴流、及び呪術師達以外の四分の一を侵入者の迎撃に向けている。エドワードは、炎の遠見の魔法でその様子を眺めていた。フェイトは、そんなエドワードの考えが読めずに尋ねた。

「そうだよ。サムライマスターを向こうにやる必要は無かった」
「向こうにも中々に厄介なのが居る。その証拠にサムライマスターは互角の戦いをさせられているだろう? あのマジックガンナーは中々の逸材だ。それに、奴をサムライマスターと戦わせていても、数で押している呪術師や神鳴流共は残った数人に防ぎ切られている。奴をコッチに寄越させるのは上策ではない」
「あの少女は何者なんだい?」

 フェイトはサムライマスターと戦っている褐色肌の少女を見て訝しんだ。

「油断のならない奴さ」

 エドワードは口元にニヤついた笑みが浮かべた。エドワードは以前纏っていたローブを脱いでいた。美しく整った顔立ちに長い濡れた様に艶めく睫。切れ長の眼に浮かぶ宝石を思わせる黄金の瞳。死人を想わせるかの様な白磁の如き肌は、見る者をゾッとさせる。線の細い体つきだというのに、エドワードには弱々しいという言葉が似合わなかった。真紅の血を思わせる赤髪は僅かにウェーブがかかった長髪だ。
 煙の出ない炎の先を見つめながら、エドワードはフェイトに顔を向けずに口を開いた。

「これは、ゲームだ。敵を完全無欠の敗北に陥れる為のな。実際、俺かお前のどちらかが出れば、戦いは終了するだろうさ。だが、それでは面白くないだろう?」
「な!?」

 フェイトは絶句した。これまで、散々策を練る必要があると言いながら、普通にやれば勝利が揺るがないから遊んでいるなどと言っているのだ。それこそ、逆に敗北の可能性を作っているのではないかという疑いを隠すことは出来なくなった。

「勘違いするな。ゲームと言ったが、所詮はワンサイドだ。勝利は決定している。ならば、その勝利までの過程で遊んでいるまでだ。奴等を疲弊させ、最大戦力を抑え込み、最後の最後で全軍を投入して囲む。俺とお前が戦う事になったらゲームは負け。戦わずに勝利すれば勝ち。つまり、そういう事だ」

 フェイトは、エドワードの言葉に溜息を洩らした。人の命をゲームの駒にして遊んでいるのだ、この男は。洗脳した兵士に戦わせ、自分は高みの見物。まるで、テレビゲームだと、フェイトは思った。人形を操り、迫り来る者達を迎撃させる。自分は一切手を汚さず、一切労力を消費せず。

「それに、これならばお前がお姫様を傷つける事も無くなるだろう?」

 その言葉に、つい自然と笑みを浮べている事にフェイトは気がついた。自分が、姫様と戦いたくないと思っている事をお見通しなのだ。そして、その為にも、こんな回りくどい作戦を講じてくれたのだ。
 内心、密かに感謝の意を零しながら、フェイトは部屋を出て行った。出て行ったフェイトの閉じた襖を眺めながら、エドワードは嘲笑の笑みを浮べていた。

「さて、ここまでは完璧だ。後は、あの女だな。総本山でならば、召喚が可能な手筈だ。面白くなってきたな」

 起き上がり、拳を握り締めながら、エドワードは凄惨な笑みを浮べた。エドワードは瞳を閉じると、念話を送った。返ってきた返事に、舌を打つ。

「手間取っているのか。少し、時間を稼ぐ必要があるな。――月詠、来い」

 エドワードは、目の前に炎を爆発させた。炎は部屋のあちらこちらに飛び散るが、どこにも焦げ跡一つ付かなかった。そして、爆発した炎の跡に、月詠の姿があった。

「はわ~、お呼びどすか~?」

 のんびりした口調の月詠に、エドワードは鼻を鳴らした。

「出番だ。道を開く。全力で奴等と交戦しろ」

 命令を下すと、エドワードは腕を掲げ、人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばした。その先に、炎のゲートが構築され、襲撃者の姿が映し出されていた。月詠は、ようやくの戦いに狂気的な笑みを浮べた。

「行って来ます~」

 振り返りもせずに、月詠は二刀を持って炎のゲートを駆け抜けた。その瞳は、興奮のあまりに白目と瞳の白と黒が逆転していた。
 気を爆発させ、畳を吹飛ばした月詠を鼻で笑いながら、エドワードは四散した畳や舞った埃を炎で焼き尽くし、炎球を浮べて戦場を眺めた。

「手筈は整った。炎と樹、風と氷、そして、大地の力。その五つの力が揃わねばならん。月詠が上手く時間を稼げは良いが……さて」

 残りのクリアすべき条件は、たったの三つ。

「それまで、お前はせいぜい遊んでいろ」

 炎の球が映し出す光景は、近衛詠春と褐色の肌の少女――――真名の激突の様子だった。

 奈良の町を眼にも留まらぬ速度で疾走する二つの影。まるで、DNAの螺旋構造の如き動きで交差する度にけたたましい激突音を響かせ、空気を破裂させ、大地を抉り、壁を粉砕し、窓ガラスを割り、それでも尚、人々にその存在を気付かせない。
 “サムライマスター・近衛詠春”の握る退魔に特化した特殊銀製の刃を持つ太刀と褐色肌の少女の拳銃が金属音を響かせながら互いを喰らい尽くそうとばかりに互いを攻め立てる。両者は無言のまま刃と銃を構えている。詠春は高層ビルの壁を蹴り、一気に駆け上がりながらも何度も激突しながら屋上へ上がり、そのまま落下しながら真名目掛け、刀を振り上げ、激突した衝撃で距離を離す。

「……妙だね。どうにも」

 真名は攻撃の衝撃に痺れる手を軽く振りながら先程から付き纏う違和感について考えていた。
 戦闘開始から、詠春はこちらを殺す機会が何度もあったにも関わらず、ただの一度も決定打を打って来ない。操られ、論理的に思考出来ないにしても妙だ。

「まあ、そっちが手加減してくれるというなら是非も無いね」

 真名は決着をつけるべく、己の内に潜む禁忌の力を呼び起こした。

「悪いが、コレを使う以上、手加減は出来ないよ」

 瞬間、真名の姿は霞の如く消失した。

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