第二十八話『破魔の斬撃、戦いの終幕 ――決着を着ける女王の剣――』

 総本山の外の森に現れた巨神と戦うアスナの姿を見て、ネギは思わず飛び出そうとしたが、エヴァンジェリンが制止した。

「どうしてですか、エヴァンジェリンさん!?」
「手を出すな……。アレは神楽坂明日菜(アイツ)の戦いだ。無粋な真似は師として許さん」
「でも――ッ!」

 アスナが巨神の剣によって吹き飛ばされ、真上を通過して巨神と反対側の山の斜面に激突し、巨大なクレーターを作り出した。
 ネギだけでなく、刹那も夕凪と建御雷を構えて飛び出そうとした。

「言った筈だぞ。無粋な真似をするなと」

 底冷えするような声と共に、エヴァンジェリンの手から光の剣が刹那の目の前に伸びた。

「それに見てみろ」

 エヴァンジェリンはアスナがぶつかった山の斜面に視線を向けた。

「あの程度でくたばるような甘い鍛え方を茶々丸がする訳なかろう」

 クレーターからアスナが飛び出した。その手に握る聖剣に眩い光を発しながら。

「お前は神楽坂明日菜が信じられんのか?」
「明日菜さんを……信じる……」

 エヴァンジェリンの言葉に明日菜の言葉が甦った。

『私は自分の意思でネギを助けたの。助けたいと思ったから。だからさ、もっと私を頼って欲しいの』

 ネギは今まで自分が明日菜を巻き込んでしまった引け目を感じていた。だから、自分から明日菜を頼ろうとしなかった。

「神楽坂明日菜(アイツ)はお前にとって何だ? 護らなければいけないか弱い存在か?」
「明日菜さんは……私にとって……」

 もう何度も一緒に苦難を乗り越えて来た。その時間の中で彼女をどういう存在だと自分は思って来たのか……。
 エヴァンジェリンは言った。答えは明日菜の言葉の中にあったと。

「ああ、そうか……」

 ネギはポケットの中から一枚のカードを手に取った。初めて麻帆良学園に来た時に泣いていた自分を助けてくれた存在。危険を承知で一緒にエヴァンジェリンに立ち向かってくれた存在。
 刹那の時は刹那の命を助ける為だった。木乃香の時は木乃香が刹那と共に戦う為に力を欲した為だった。
 なら、明日菜の時はどうだった? 明日菜の時だけは“一緒に戦う為”だったではないか。

「明日菜さんは私の――」
『ピンチなら私を呼んで欲しかったって言ってるの! だって、私はパートナーである前にネギの友達なんだから!』
「――大切な友達で……パートナーなんだ」

 明日菜のカードの上にネギの涙が零れ落ちた。今迄一緒に戦って来たパートナー。今、そのパートナーが懸命に戦っている。自分の思いをぶつけ、フェイトの思いを受け止める為に。
 そんなパートナーに自分のすべき事は助けに行こうとする事じゃない。

「がんばって、明日菜さん!!」

 心の底から応援した。ただ、明日菜の勝利を信じて。

「大丈夫だよ。明日菜君は絶対に勝つ。あの娘が強い事はよく知っているだろう?」

 タカミチがネギの頭に手を置いて優しく言った。ネギは頷いた。ネギだけではない。刹那と木乃香も頷いた。知っているから。神楽坂明日菜は誰よりも強い事を。

「そういえば、茶々丸はどうしたんスか?」

 空気を打ち破るように美空がエヴァンジェリンに尋ねた。

「ん? ああ、茶々丸はクラスの護衛の方に向かわせたよ。あとでこっちに来させるさ。それより、詠春」
「ええ、皆さん、今回の件についてお話しますね」

 詠春の言葉にネギ達は顔を向けた。詠春は今回の事についての説明を始めた。

「まず、何から説明しましょうか……。そうですね、まずは彼女……神楽坂明日菜という少女について話しましょう」

 詠春の言葉にネギ達は固唾を飲んだ。知りたい事はたくさんある。フェイトが言った、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアという名前。それに姫様という言葉。ナギに助けられたという話。疑問はいくらでもあった。

「既にお気づきかと思いますが、彼女はとある国のお姫様でした。彼女は彼女の持つ特別な力……【完全魔法無効化能力】を戦争の道具として扱われていました」
「戦争の……道具?」

 想像もしなかった言葉にネギ達は呆然とした。

「こことは違うもう一つの世界……【魔法世界(ムンドゥス・マギクス)】と呼ばれる世界では昔、大きな戦いがあったのです。彼女の国である【ウェスペルタティア王国】も闘争の渦中にあり、彼女の力は戦争に利用されていたのです。当時、ネギ君の父君であるナギ・スプリングフィールドはその事に憤りを感じていました」
「父さんが……」
「私を含め、ナギが率いたパーティー【紅き翼(アラルブラ)】は当時ウェスペルタティア王国の王都であった【オスティア】を侵攻するヘラス帝国を圧倒的な力で撃退しました。そして、彼女を救い出しました。私達は彼女を彼女の住んでいたお城に送り届けました。ですが、そこに広がっていたのは地獄絵図でした」
「どういう……事なん、お父様?」

 木乃香が恐々と尋ねると、詠春は険しい表情を浮かべた。

「戦争の被害を受け、彼女の住んでいた城も城下町も壊滅していたのです。幼い当時の彼女はそんな惨状を見ても心を折らず……ウェスペルタティア王国を救う為、そして、戦争の切欠を作ってしまった父王の責任を取る為にヘラス帝国に自分を引き渡しました。それで、戦争を一時的に止め、その間に私達に当時、戦争の調停をしようと動いていた彼女の姉であるアリカ・アナルキア・エンテオフュシアを任せ、共に戦争を終わらせてウェスペルタティア王国を救ってくれと頼み……」
「そんな……」

 あまりの事にネギ達は言葉を失ってしまった。明日菜がその当時どんな思いだったのかを想像する事すら出来なかった。

「既にたとえ彼女の力を使ってもウェスペルタティア王国は敗戦に向かっていましたので、已む無く、彼女の引渡しは忌々しい程にすんなりと通りました。ですが、彼女はヘラス帝国の監獄の中から何者かに攫われ、姿を消してしまいました。ヘラス帝国はメセンブリーナ連合が取り返しに来たのだと考え、再び戦争は再開されました。戦争は長きに渡り、私達は彼女の意思を護ろうと新たに仲間になったメンバーとアリカ姫と共に戦争を止めようと動きました。そして、ある組織に行き着きました」
「ある組織……?」

 ネギが尋ねると、答えはタカミチから返って来た。

「【完全なる世界(コズモエンテレケテイア)】という組織だよ。戦争を裏から煽っていたんだ。そして、明日菜君を攫ったのもこの組織だった」
「完全なる……世界」

 ネギが呟くと、詠春が頷き、再び口を開いた。

「そして、ある日、協力者だったメセンブリーナ連合の元老院の下に完全なる世界について報告に向かった時、彼に出会った」
「彼?」

 木乃香が首を傾げた。

「今、明日菜君が戦っている少年だよ」

 タカミチが巨神を操りながらアスナと戦っているフェイトを見ながら言った。

「フェイト……さんですか?」

 ネギが言うと、詠春が頷いた。

「私達は彼に罠に嵌められてしまい、メセンブリーナ連合の反逆者として扱われ、帝国と連合の両方から追われる身となり、その後、捕まってしまったアリカ姫を救出しに【夜の迷宮(ノクティス・ラビリントゥス)】という場所に向かいました。そこには帝国の第三皇女も捕まっており、共に救出して私達の味方になっていただきました。そして、長き戦いの果てに私達は汚名を雪ぎ完全なる世界を追い詰めました。激しい戦いの果て、私達は勝利しました。戦争は終わり、黒幕も倒し、彼女を救いハッピーエンドに終わる……筈でした」
「完全なる世界は滅びていなかったのだな……」

 エヴァンジェリンがどこか哀しげな表情を浮かべながら言った。

「ええ……。私は妻と結婚し、木乃香が産まれていた上、関西呪術協会の長となりナギ達に協力する事が出来ませんでしたが、ナギ達は今度こそ完全なる世界を完全に倒そうと動いていました。ですが、仲間の一人が大怪我を負い、当時、アスナ姫を引き取っていたガトウは殺されてしまいました」

 殺されたという言葉にネギ達は戦慄した。タカミチは拳を強く握り締め過ぎて手から血を流している。

「当時、ガトウの弟子だったタカミチ君はアスナ姫を連れて逃げ、ナギの父君の居るメルディアナ魔法学校に身を潜めました。そして、麻帆良に向かい、心が壊れかけていたアスナ姫の記憶を私の義父である近衛近右衛門が封印し、ただの少女としてアスナ姫は今日まで生きていたのです」
「初めて会った頃、アスナ……いっつも無表情やった。そんな事があったやなんて……」

 木乃香はあまりにも酷い話に涙を流した。刹那もやりきれない思いに顔を俯かせ、美空はまさかクラスメイトにそんな過去があったとは思っておらずショックを受けた表情で固まっていた。

「わたしは……明日菜さんが全てを捨てて得られた平穏を……」
「言うな。さっきの思いはどうした? アイツは過去を思い出して、それでも前を向いているんだ。お前が気にするのは神楽坂明日菜への冒涜になるぞ」
「……そう……ですね。ごめんなさい」

 エヴァンジェリンの言葉を受け、ネギは涙を拭った。

「話を続けましょう。十年前、ナギが行方不明になる寸前の話です」

 詠春の言葉にネギとエヴァンジェリンが肩を揺らした。

「イスタンブールで行方不明になる寸前にナギは――」
「俺の下を訪れた」

 詠春の言葉を遮り、エドワードが言った。

「エドワード……さんの下に?」
「ああ、俺は奴とは旧い知り合いだった――」

 エドワード・ウィンゲイトがナギ・スプリングフィールドと出会ったのは、ナギがまだ魔法学校を中退したばかりの頃だった。気に入らない教師をボコボコにして退学させられたナギはとにかく強い者を探して旅をしていた。その時に出会ったのがエドワードだった。
 嘗ては闘将とも戦神とも名を馳せたエドワード・ウィンゲイトだったが、当時は既に隠居の身となり、コツコツと趣味を作りながら生活していた。その頃は、芸術品の収集に力を入れていた。それを、事もあろうに屋敷ごとナギは雷の魔法で消し炭に変えてしまったのだ。呆然としていたエドワードに、ナギは挑みかかった。
 ここ百数十年掛けて集めていた芸術品の数々が一瞬にして消し飛び、茫然自失となっていたエドワードは、怒りも湧かずにナギを追い払った。軽く欝になったエドワードは、その後も嫉くやって来るナギに嫌気が差した。
 女子供であろうと、殺す気で掛かってくるからには殺す。それこそが、エドワード・ウィンゲイトが最凶の吸血鬼として恐れられ、五百年を生き永らえてきた理由であった。当時七歳になったばかりだったナギにエドワードは告げた『挑むのは構わんが、今日は殺すぞ』と。すると、在ろう事かナギは笑顔で返した。

『なら、死ななかったら俺を弟子にしろ。俺は強くなりたいんだ』

 そうのたまった。唖然となった。人の屋敷を人の苦労して集めた収集品ごと破壊しておきながら、何とも自己中心的な事を言う餓鬼だと、エドワードは苛立った。殺す気で放った紅蓮の龍は宙に浮かんだエドワードの眼下で地上をマグマに変えた。つまらなそうに鼻を鳴らしたエドワードは、その背後に気配を感じて振り返った。
 そこには、杖で空を飛び自分に笑いかける少年の姿があった。エドワードは言った。

『ローブが燃えているぞ』

 と。ナギは慌てて火を消そうとして……杖から手を離してしまった。エドワードは思わず噴出してしまった。落下する少年を自分の手元に転移させ、足首を握り喚く少年を落とすぞと脅して話を聞いた。
 傑作だった。教師をボコボコにして魔法学校を中退した七歳児がよりにもよって一人旅を始め、吸血鬼の根城と知って雷を落として宣戦布告をしたのだ。新しい暇潰しを見つけたと思った。新しい趣味は、弟子を取り育てる事になった。
 そんな感じの出会いだったが、三年後にエドワードは飽きてナギを放り出した。旧き友の伝で、麻帆良へ向かわせてそのままだった。それから数年が経ち、ナギは再びエドワードの下に現れた。一方的な頼み事をされ、スッパリと断ると、ナギは言った。

『多分、アンタの人生の中で一番刺激の強い十数年になるぜ。俺が保証する。暇潰しにはもってこいだ』

 エドワードは鼻で笑いながら言った。

『気が向いたらな』

 と。そして、一年後にエドワードはナギの訃報を聞いた。
 どうせどこかで生きているだろうとは思ったが、旧き友にも頼まれ、ナギの願いを聞き入れる事にした。完全なる世界を潰す為に力を貸した。
 旧き友の指示を受け、エドワードは完全なる世界に入り込んだ。旧き友が考えた設定通りに演じると、面白いほど簡単に事は進んだ。そんな時にエドワードはフェイトと出会った。
 最初はつまらん人形だと思っていたのだが、一つだけ人形のくせに面白い顔をする話題があった。それがアスナの事だった。
 イギリスのロンドンで完全なる世界のメンバーとして活動している時、ちょっとした出会いがあり、エドワード自身、飽きて来た事もあり、完全なる世界の内部調査を止めると旧き友に言うと、最後に一つだけと頼み事をされた。

「――それが今回の件だ。フェイトのアスナへの執着心を利用し、フェイトを捕まえ、フェイトの持つ鍵と情報を手に入れる為に今回の作戦を立案する事になったわけだ」
「話の最中に出た旧き友ってもしかして……」

 木乃香が言うと、エドワードは言った。

「近右衛門だ。奴とも付き合いが長くてな。ま、最初に会ったのは奴がガキの頃だったがな。今でもガキだが……」

 一見すると自分達とそう変わらない年齢に見えるエドワードが近右衛門をガキ扱いするのはとても奇妙に見えた。

「じゃあ、今回のはやっぱりお爺ちゃんが……」
「まあ、奴も不本意な事だった。他に手段も考え付かずに仕方なくな」

 低い声で呟く木乃香にエドワードは冷や汗を流しながら説明を続けた。

 警戒心の強いフェイトに取り入る為に、近右衛門とエドワードは“フェイトをお姫様を救出する騎士”というフェイトの理想の姿を具現化させる事にした。それが、今回の事件の始まりだった。
 アスナが偽の記憶を植えつけられ、籠の鳥にされているという情報をエドワードに流させた。これによって、偽の記憶と偽の感情を持たされたフェイトは憤りを感じ、籠の鳥だったアスナが外の世界を見たいという願いを自分に話した事を思い出した。
 既に鍵があるからアスナの存在は完全なる世界にとってそれほど重要でも無かった。だが、エドワードは言葉巧みにフェイトを煽った。フェイトの信用も勝ち得て、フェイトにエドワードに作戦を任せるように誘導しつつ行動を起させた。
 計画に用いられる四神結界は、風水魔術の応用によって構築された京都を守護する大結界だ。そして、その結界と同じ条件を満たした立地条件と五つの基点、即ちは白虎、青龍、朱雀、玄武、黄龍の基点を置き、平安神宮に存在する黄龍術式をその下を通る龍脈を通して関西呪術協会の儀式場に同じ黄龍術式を刻み込み、京都を護る四神結界を関西呪術協会の総本山に張っているのだ。それを利用した。外に出さない事に特化した四神結界は、まさしくうってつけだった。エドワードが龍脈を操作し、黄龍術式の術式を変更し、四人の魔術師が四つの基点を担当する事で、関西呪術協会の総本山を囲う四神結界をフェイトのみを囲う様にしたのだ。
 ただし、強力な鍵の力を拘束する為の出力を出す為には総本山を囲う四神結界を消し去る必要があった。龍脈から流れる力、つまりは日本そのものの力ともいえるが、それに加えて四聖獣の力を持ってしても、京都と総本山、どちらか一方を解除しなければ力が足りなかった。だが、そんな事をすれば関西呪術協会の人間が反対するのは当然だ。何せ、総本山を護る要ともいえるのは四神結界なのだ。それを解除すれば、侵入者が襲い掛かって来る。かといって、京都の結界を解除するなど言語道断だ。それこそ、風水的に優れ、無数の魔術が組み合わさっているこの街が魔都になってしまう。故に、選んだ手段は関西呪術協会を“敵として手中に収める”という手段だ。面倒な手続きも説得も不要、後々、都合のいい様に記憶を修正する事も出来るからだ。
 朱雀の術式をエドワードが、白虎の術式を詠春が担当する事が決定していた。そして、残りの玄武の術式を担う者として、エヴァンジェリンが、青龍の術式を担う者として千草が選ばれた。
 エヴァンジェリンが水の属性の担当に選ばれたのはただ水の属性である氷を操れるからだけではない。【麻帆良学園都市】の【西洋魔法使い】の【闇の福音】である【エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル】がこの役を担う事に意味があるのだ。
 関西呪術協会を救う為に、麻帆良が力を貸し、西洋魔法使いが重要な役割を担う。これによって、この機会に現在関西呪術協会と関東魔術協会の間にある溝を埋めようという考えなのだ。それだけで埋まる程浅い溝ではないが、ここで【麻帆良】に【単身で攻め込もうとする程、西洋魔法使いを恨んでいる関西呪術協会の者】である【天ヶ崎千草】が【協力したという事実】が重要になってくる。
 これは、分かり易い構図だ。恨んでいた関西呪術協会の人間が西洋魔法使いを許し、西洋魔法使いが関西呪術協会の人間に力を貸す。つまり、現在の関西呪術協会と関東魔術協会の関係の未来図として分かり易く描かれたモノなのだ。関東魔術協会と関西呪術協会の溝を埋める足掛かりを作ったのだ。
 更に、闇の福音が関西呪術協会を救う為に、麻帆良学園の魔法使いとして協力したという事実は、後にエヴァンジェリンが外の世界へ旅立つ為の最初の一歩となるのだ。悪評を、こうした【正義を行った】という実績を積ませる事で消し去ろうという考えなのだ。
 エドワードは巧みにフェイトに怪しまれない様に演技をして洗脳した術師達を使う事でフェイトが動く必要を無くし、フェイトの力によってネギ達を一気に潰されるという恐れを牽制した。龍脈の調整には、関西呪術協会を手中に収めてからでなければ取り掛かれず、その為の時間稼ぎが必要であり、更に、ネギ達の成長を促す為に、それぞれに洗脳した戦力を分配した。そして、全ての条件がクリアされた時、四人がフェイトの四方向に自然と配置される様に演出を行った。

「――ってのが今回の件のあらましだ」

 エドワードが話を終えるとネギ達はどこかぼんやりとした気持ちになっていた。全てが誰かの掌で弄ばれたかのような気分の悪さを感じた。

「っと、どうやら終わったみたいだぞ」

 エドワードの言葉にネギ達がアスナとフェイトの戦場を見ると、巨神の身体が崩れ始めていた。
 巨神の体が完全に消滅して少しして、突然、凄まじい光が弾けた。光の塊が空へと翔け上り、上空に巨大な魔方陣を描いた。

「あれは――ッ!?」

 その魔方陣を見た瞬間、エドワードが声を上げた。瞬間、魔方陣から途轍もなく凶悪な魔力が吹き荒れ始めた――。

 咸卦の光を帯びて更に輝きを増したエクスカリバーを手にアスナは巨神に向かった。茶々丸との修行の中に巨人との戦いなんてものは想定した事が無かったがこれからは取り入れるよう提案する事を頭の片隅で考えながら巨神の振り下ろす拳を避ける。

「巨体の割りに速いわね」

 驚く程滑らかかつ素早い動きにアスナは苦戦を強いられていた。拳が地面に激突すると、地面に巨大な穴が空き、吹き飛んだ地面の土が無数の武具に変化してアスナに襲い掛かる。

「巨神から離れれば消せるけど――ッ」

 無極而太極斬で武具の弾幕を消しながら虚空瞬動で巨神の肉弾攻撃を避ける。弾幕に使われている武具の素材は魔素ではなく土だ。
 アスナの【無極而太極斬(トメー・アルケース・カイ・アナルキアース)】はエクスカリバーの周囲に展開している【完全魔法無効化場(マジック・キャンセル・フィールド)】を刀身に集中し、斬撃に乗せて飛ばす必殺技だ。
 だが、武具に変化させている魔法の構成を破壊しても土に還るだけなために直ぐにまた弾幕の弾丸に再構成されてしまう。弾幕のせいで視界がかなり悪く、巨神の攻撃に何度も直撃を受けそうになった。一撃一撃が必殺の威力を持っている。

「このままだとジリ貧か……」

 一瞬弱気になってしまった。その隙を突いて、巨神の拳がアスナを捉えた。

「――――ッ!?」

 咄嗟に回避するが、僅かに掠り、その衝撃でアスナは地面に叩きつけられてしまった。そこに無数の石の武具が降り注ぐ。アスナの身体に触れたものは元の土に変わるが、そのまま大量の土に覆われたアスナの上に尚も大量の武具が降り注ぎ、エクスカリバーの結界によって更に武具が土に変わりアスナの上に降り積もる。

「まず――ッ、このままじゃ……」

 大量の土に押し潰されそうになり、呼吸も出来ず、アスナの脳裏に諦めの文字が浮かんだ。その時だった――。

『がんばって、明日菜さん!!』

 頭の中に響く念話とは違う、心に響くネギの声が聞こえた。その瞬間、アスナは目を見開き、咸卦の力を爆発させた。 大量の土を吹き飛ばし、頭上に迫る巨神の拳に向かってエクスカリバーに咸卦の力を篭めて振るった。
 エクスカリバーには幾つかの能力がある。一つは術者を包み込む程度の大きさの完全魔法無効化場を常に展開する能力だ。エクスカリバーの完全魔法無効化能力はアスナの能力とは違い、善意、悪意関係無く、あらゆる魔法を打ち消す強力なものだ。そして、もう一つは優秀な媒介としての能力で、魔法や咸卦の力の出力を大幅に高めてくれる。
 エクスカリバーの能力によって増幅された咸卦の斬撃が巨神の腕を両断した。

「がんばって……か。信じて待っててくれるんだ、あのネギが私を信じて……」

 いつもアスナを巻き込んでしまったと自分を卑下していたネギ。そのネギがアスナの勝利を応援し、待っていてくれている。

「パートナーの信頼に応えなくちゃね!」

 心の中に熱い思いが溢れた。アスナは咸卦法の錬度が低い。当然だ、専門的な訓練をしたわけでもなく、ただ出来るかもしれないと思ったら出来たから使っているだけなのだ。
 咸卦法の使い方にムラが多く、魔力と気の消費も早い。

「時間を掛けてられない。一気にいくわよ、フェイト!」

 片腕を失った巨神がバランスを崩し倒れ込んだ。そこにアスナは咸卦の斬撃を放った。

「エクスカリバー(コレ)の持ち主だった王の姓は竜を意味するんだったわね。うん、決めた。エクスカリバーの力で増幅した咸卦の力を飛ばす斬撃。名前は――――【竜王斬】よ!」

 竜王斬を受け、巨神の体は斜めに切り裂かれた。

「僕は……、僕は――ウガアアアアアアアアァァァアアアアアア!!」

 フェイトの雄叫びと共に鍵杖から光が溢れる。巨神の肩から光のロープが何本も伸びて切り落とされた腕の断面を引き寄せ始めた。

「再生――ッ!?」

 アスナは再生される前に倒そうと竜王斬を振るった。突然、地面が捲れ上がり、巨大な壁となった。壁は硬い鉱石に変わり、竜王斬を受け止めた。竜王斬は分厚い高硬度の壁を切り裂いたが、かなり威力を削がれてしまった。巨神は弱まった竜王斬を受け止め、体の再生を終了させた。

「クッ、もう一度――竜王斬!」

 再び斬撃に咸卦の力を篭めて振るうが地面から伸びる壁に防がれてしまう。
 無極而太極斬は巨神には効果が無く、竜王斬は魔法を無効化する力が無い。

「なら、両方を同時に使えばいいじゃん!」

 アスナはエクスカリバーの破魔の結界を刀身に纏わせた。

「これに咸卦の力を更に纏わせ――ッ」

 咸卦の力を刀身に纏わせようとすると、最初に纏わせていた破魔の結界が元の状態に戻ってしまった。

「あっ、この! もう一回!」

 再び結界を刀身に纏わせ、咸卦の力を更に纏わせようとすると、やはり結界が元に戻ってしまった。諦めずにもう一度やろうとすると、巨神の拳が間近まで迫っていた。
 慌てて瞬動で回避するが、衝撃で遠くに跳ね飛ばされてしまった。

「いたたた……。落ち着いて……もう一回!」

 跳ね飛ばされたおかげで距離は取れている。呼吸を整え、神経を集中させる。エクスカリバーが張っている結界をエクスカリバーに集中する。

「この状態を保ちながら……、咸卦の力を刀身に――ッ!」

 巨神がアスナを目指して駆けて来る。今だけは意識から外す。目を閉じて、感覚を研ぎ澄ませる。
 無極而太極斬と竜王斬はエクスカリバーの別々の能力を使う。二つの能力を同時に使うという事は右手と左手で全く異なる絵を描くようなものだ。
 対極の力を慎重に絡み合わせる。破魔の力と破壊の力は別々に分離しようとする。無理だ、どうしても二つを融合させる事が出来ない。そう思った時、不意に閃いた。

「混ぜ合わせる事が出来ないなら……」

 巨神が目の前に迫り、アスナはエクスカリバーを握り締めた。いい加減、咸卦法を維持するための魔力と気が無くなってきた。逃げるという選択肢を破却した。
 大きく息を吐き、最初に咸卦法を刀身に纏わせた。嘗て、主の魔力を喰らい、軍勢をたったの一振りで壊滅させたとされる聖剣は元々の輝きに加え、咸卦の光を帯びて、殊更に輝きを増した。
 迫り来る巨神の拳から逃げる事を止め、迎え撃つ。跳び上がり、巨神の腕に乗った。そのままフェイトの立つ巨神の頭部に向かい、駆け出した。
 巨神の拳が地面に激突した。まるで隕石の落下の如き破壊の音と共に大地が抉れた。足場にしている巨神の腕が盛り上がり、鋭い刃となって真下から襲い掛かってくる。ギリギリの所で跳び上がり、迫り来る巨神の反対の腕の拳を虚空を蹴る事で躱す。
 巨神から離れた場所に着地すると、巨神が右腕を巨大な剣に変えた。
 全身の血が滾る。ここが正念場だ。失敗すれば、自分は巨神の剣に己の剣ごと両断されるだろう。精神を限界まで引き絞る。
 残りの魔力と気を全てエクスカリバーの刀身に纏わせた。収束する光の純度は果てしなく、直視する事は太陽を肉眼で見つめるのと変わらないほどだ。
 巨神は――フェイトはエクスカリバーの輝きに竜王斬が来る事を理解し、巨神の足を止め、目の前に幾重もの壁を作り出した。
 助かる。一度放てば、二度目は無い。魔力も気も底を尽き、自分は死に、愛した少年(フェイト)は取り戻せない。あのまま巨神が剣を振るっていれば、迎撃し、その腕と胴体をも切り裂き、消滅させる事も出来たかもしれない。だが、再び再生する事だろう。
 一撃で巨神を完全の消滅させなければならない。その為に万全の体勢で放つ必要がある。
 臨界点に達した原子炉のような凄まじいエネルギーを放つエクスカリバーにアスナの躯を包み込んでいたエクスカリバーの結界空間を収束させていく。森も空もありとあらゆる景色が白色に変わる。

「“破魔(エクス)――――”」

 刀身も鍔も柄も何もかもが目を焼く光の奔流によって見えなくなっていた。あらゆる魔を無効化させる結界で咸卦の力を乗せた刀身をコーティングした。
 大きく後ろに光の塊を引き絞る。あらゆる防御を無効化させる正しく必殺の一撃。フェイトはその脅威を悟ったのか、巨神の目の前に更なる壁や盾を用意する。その選択は誤りだった。
 この一撃の前では、無敵の盾も絶対の城壁も意味を為さない。アスナは残る体力を全て使い、剣を振るった――。

「――――竜王斬(カリバー)“!!」

 光が爆発した。視界など存在しない。世界が白く塗り潰された。絶待防御を掲げた壁も最強防護を名乗る盾もガラスのように砕け散った。
 正に一振りで470人の軍勢を薙ぎ倒したと云われる “最強の聖剣(エクスカリバー)”の名に相応しい一撃だった。

「う――――あっ?」

 光が収まり、アスナは全身の力が抜けて地面に座り込んでしまった。見上げると、巨神は尚も君臨している。だが、勝負は既についていた。鍵の力によって強化された巨神の躯に一気に皹が広がった。最初に腕が落ち、脚が粉砕し、巨神は大地に還った。

「わたしの……勝ちよ、フェイト」

 声に張りも無くなっていた。フェイトに聞こえているかどうかも自信が無い。

「っていうか、今のでフェイトまで消し飛んだ……なんて事ないわよね?」

 アスナの頭から一気に血の気が引いた。力の入らない躯に鞭を打ち、なんとか立ち上がる。脚が生まれたての小鹿のように震えてしまう。木を支えに巨神の崩れた場所まで歩いて行くと、そこにはフェイトが立っていた。

「フェイト! 良かった……」

 フェイトは間違いなく生きていた。安堵の溜息を吐きながら、アスナは一歩一歩フェイトに近づく。

「さ、フェイト。フェイトの本気を私は打ち破ったわよ? その鍵を渡して、負けを認めなさい」

 エクスカリバーを杖にしながらアスナはフェイトに言った。フェイトは鍵の力で再び魔法を使えるだろう。だが、アレだけの力を持った巨神を倒された直後だ。今の内に自分のペースに持ち込み、フェイトに負けを認めさせなければさすがにもう一回戦は無理だ。

「僕は……負けたんですね」

 フェイトは頭から血を流して、弱々しく微笑みながら負けを認めた。

「これでフェイトは一生私の物よ。文句ある?」
「……僕なんかが……本当に……」

 顔を俯かせるフェイトにアスナは拳を握った。

「目を瞑りなさい」

 ハーッと拳に息を吹きかけるアスナにフェイトは肩を震わせながら言われた通りに目を閉じた。殴られる事を覚悟して待っていると、いつまで経っても痛みは来なかった。
 代わりに、唇に柔らかい感触を感じた。目を丸くするフェイトにアスナは顔を赤らめながら言った。

「フェイトじゃなきゃ……駄目なのよ」

 アスナはフェイトの手を取った。

「ひ、姫様!?」

 アスナはそのまま自分の胸元にフェイトの手を押し当てた。

「分かる? わたしの心臓が高鳴ってるの」

 アスナは柔らかい笑みを浮かべながら言った。フェイトは掌にアスナの鼓動を感じた。

「……分かります。姫様……僕を姫様の……その……、また騎士にしていただけますか?」
「当然よ。フェイトは一生私に付き添いなさい」
「…………Yes, Your Majesty」
「それじゃあ、みんなの所に戻りましょ。さすがに疲れちゃったわ」

 アスナは疲労の限界が来て、フェイトの胸に倒れこんでしまった。フェイトはアスナを横抱きに抱き抱えた。

「僕がお連れしますよ。姫様」
「お願いね、フェイト」
「はい」

 アスナはアーティファクトをカードに戻した。フェイトも鍵杖を回収しようと巨神の残骸の方を見た。

「君は――――ッ」

 そこに予想外の人物が居た。白目と瞳の色を反転させ、巨神の残骸の上に倒れていた鍵杖を握り締めた一人の少女が立っていた。

「月詠、それを返してくれないかい?」

 フェイトは穏かな口調で言った。月詠はニタリと笑みを浮かべた。

「腑抜けましたなぁ、フェイトはん。そんなら、この力はもう要りまへんでっしゃろ? せやからウチが貰ってあげますえ」
「な――っ、それを渡すわけにはいかないよ」

 フェイトは石の釘剣を召喚して月詠に向ける。

「リロケート」
「なっ!?」

 月詠は深い笑みを浮かべながらさっきと反対の場所に居た。

「ずっとあんさん等の戦い見させてもらいました。鍵杖(コレ)の使い方も粗方分かりましたわ。ほな、ウチは退散させていただきます」
「逃げられる思ってるのかい?」
「フェイトはん等はコレの相手をしといてください」

 そう言うと、月詠は鍵杖から光を上空に飛ばした。すると、上空に途轍もなく巨大な魔方陣が出現した。上空に浮かぶ黄金の魔法陣は、複雑な見た事も無い記号や文字が並んでいる。

「コレは――――ッ」
「ほな、ウチはこれで。さいなら、フェイトはん。リロケート」
「待て――ッ!」

 フェイトが叫ぶが月詠は何処かへと姿を消してしまった。

「フェ……イト? どう……したの?」

 いつの間にか気を失っていたらしいアスナが目を覚まし、掠れた声でフェイトに尋ねた。

「少し……問題が起きました。姫様の仲間の下に参ります」

 フェイトはアスナを抱えたまま、森を駆け抜け、総本山へと戻った。アスナを抱えたフェイトの姿を見たネギ達は警戒心を顕にしたが、フェイトは構わずにアスナのパートナーであるネギの下に歩み寄った。

「貴様ッ!」

 刹那が建御雷と夕凪を構えてネギの前に出る。だが、ネギは刹那を静止した。

「待ってください。フェイト……さん。ここにアスナさんを連れて来てくれたという事は、アスナさんが勝ったんですね?」

 ネギが尋ねると、フェイトは穏かな表情でネギを見つめながら頷いた。

「僕は姫様に再び忠誠を誓う機会を頂きました。皆様へのご無礼、謝罪致します」

 フェイトが頭を下げると、ネギは恐縮したが何かを言う前にエドワードが口を挟んだ。

「フェイト、鍵はどうした?」

 エドワードが言うと、フェイトは険しい表情を浮かべた。その様子にネギ達は警戒心を抱いた。

「一瞬の隙を突かれ……、月詠に奪われた」
「月詠にだと!?」

 刹那は月詠の名前に殺気を放った。

「では、あれは月詠が?」

 刹那は上空に浮かぶ巨大な魔方陣を見ながら言った。

「そうです。ただ、何の術式かは……うぐっ」

 フェイトが上空の魔方陣を見ながら言うと、突然苦悶の声を上げて、仰向けに倒れた。

「フェイトさん!?」

 ネギが突然倒れたフェイトに駆け寄ると、エドワードがフェイトの額に手を当てた。

「……大丈夫だ。処置をすれば目を覚ます。それよりだ……」

 エドワードが上空を見上げながら顔を引き攣らせて言った。

「月詠……、あの愚か者め。土地神の召喚陣を置き逃げしていきやがった……」
「エドワード、あの術式が分かるのか?」

 エヴァンジェリンが上空を見上げながらエドワードに尋ねた。

「あれは本当なら千人の術師があの陣を取り囲んで行う儀式用の術式だ。本来は飢饉の時や災害が起きた時、土地を守護する神に呼び掛けを行い、救ってもらおうって術式なんだが……」
「なんだが……? 普通に出て来たら丁重にお帰り願えばいいんじゃないのか?」

 エヴァンジェリンが言うと、エドワードは苦笑いを浮かべた。

「普通は神と対話する為に神の意識の表層だけを呼ぶんだ。そもそも、千人の術師が力を合わせてもその程度しか出来ないからな」
「それで、お前はなんでそんなに顔を引き攣らせてるんだ?」

 エヴァンジェリンが絶望の表情を浮かべているエドワードに恐る恐るといった感じで尋ねた。

「普通の儀式では眠っている神のご機嫌を伺いながら慎重に起すんだ。だが、アレは鍵の力で神を叩き起こすようなもんだ。しかも、表層どころか本体を完全に召喚しちまう程の魔力が篭められてやがる……」
「ちょっと待て……」

 エヴァンジェリンが恐怖に慄くように体を震わせた。エヴァンジェリン以外にも、詠春、刹那、ネギ、フェイトといった漸くエドワードの恐怖している理由を理解した者達は愕然としている。

「じゃあ……なんだ? このままだと、叩き起こされた神が暴れ回るっていうのか? この地で!?」
「まあ、ぶっちゃけるとな」
「えっと……今、どんな状況?」

 アスナがフェイトの腕の中で目を覚ました。

「大丈夫ですか、アスナさん?」

 ぼんやりとした顔のアスナにネギが心配そうに声を掛けた。アスナは笑みを浮かべながらそのおでこに人差し指を突き立てた。

「当然! だけど……」

 そう言って、アスナは上空を見上げた。

「あれって……」
「土地神の召喚の陣だ。しかも……、数多存在する京都の土地神の中でもとびっきり危険な貴船の龍神を召喚する気だ」
「高淤加美神か!?」

 エドワードの言葉に、エヴァンジェリンは目を見開いた。

「エヴァンジェリンさん、タカオカミノカミって一体……?」

 ネギが尋ねると、エヴァンジェリンは顔を顰めた。

「日本の三大龍穴の一つが存在する貴船神社に奉られている水神だ。元は総本山(ココ)で奉られている迦具土神(カグヅチ)の血から生み出たとされる神の一柱でな。祈雨の神であり、同時に丑の刻参りの呪詛神でもある」
「丑の刻参りってアレか!? 丑の刻にカーンカーンって藁人形に釘を打つ……」

 小太郎は恐々と尋ねた。

「まさにそれだ」

 エヴァンジェリンの言葉に、全員が戦慄した。よりにもよって呪詛の神など冗談じゃない。

「アスナさん、あの魔法陣を破壊出来ませんか!?」

 刹那がハッとなってアスナに尋ねるが、アスナも上空の魔法陣を見ながら悔しげに首を振った。

「高過ぎるわよ。あんなとこまで虚空瞬動で移動してたら何時間掛かると思う?」
「なら、私の翼で――ッ!!」

 刹那が提案するが、アスナは尚も首を振った。

「無理、時間が無さ過ぎる……」

 アスナの言葉に、刹那は俯いた。

「召喚されたら終わりだ。アレは祈雨の神だ。あれを倒す訳にもいかない……」

 エドワードが言った。

「倒せるかどうかは別にして、アレは水神ですからね。アレに手を出せば、この地域は干上がってしまう」

 詠春の言葉に、ネギ達は愕然とした。

「じゃ、じゃあ、召喚されたらもう手を出せないって事ですか?」

 ネギが恐怖の色に染まった声で尋ねると、詠春は頷いた。その時、小太郎が思い出した様に叫んだ。

「せや、ネギ! 『千の雷』や!!」
「ふえ?」

 突然の小太郎の言葉に、ネギだけでなく、アスナやエドワード達も顔を向けた。

「前に、ヘルマンのおっさんの“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”の魔法陣に『千の雷』を喰らわして発動を止めたやないか! アレなら、あの魔法陣も破壊出来るんとちゃうか!?」
「魔法で魔法陣の構成を破綻させる気か!? だが、あの魔法陣はかなり複雑だ。破綻させて、もっと恐ろしい魔術が発動する可能性も――ッ」

 エドワードが小太郎のとんでもない意見に眼を剥きながら呟いた。

「ですが、高淤加美神が召喚されれば、私達は手が出せない。無抵抗のまま、召喚された高淤加美神が暴走したら、被害は恐ろしい事になります」

 刹那の言葉に、詠春冷たい汗を流した。

「確かに、召喚者が居ない状態で召喚されれば、高淤加美神は怒り暴れるでしょうね。そうなったら――」
「だが、時間も無い。可能性がコンマ1%でもあるならば懸けるまでだ。全員の最大魔法を一点集中し魔法陣を破綻させる。後は……運任せだな」

 エドワードが黄金の眼を輝かせ、虚空に炎の球を出現させながら言った。

「…………それしか道が無いなら、グダグダ言っていても始まらない」
「あの高度まで向かわせるなら――リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、小柄なる者が打ち鍛えし貫くものよ、我が血を喰らいて我に従え! 万象を穿つ一条の赤の煌きよ、最果てに至る全てを真紅に染め上げ、終幕を告げよ! 其は大神の右腕にして万里を越える滅びの矢とならん!!」

 上空を見上げたエヴァンジェリンは、右手を掲げ、恐ろしく長い詠唱を唱えた。漆黒の闇が収束し、真紅の輝きを灯す。やがて、エヴァンジェリンの魔力によって輝きは増していき、紅く染まった螺旋状の穂先の魔槍が顕現する。邪悪な魔力と巨大すぎる圧力を発するソレは神が振るいし百発百中の槍の模倣。

「”戦神の槍(グングニル)”――――ッ!!」

 呪文を唱え切った途端に空間に亀裂が走った。凄まじい真紅の魔力が、今正に爆発せんと溢れ出している。

「あの高度……残念ですが、私達の術では到達出来ません。ネギ君、頑張って下さい」

 詠春がネギに声を掛けた。ネギは頷くと杖を構えた。瞳を閉じ、全身の魔力を練り上げる。

「頑張れや、ネギ」

 小太郎の声援に笑みを浮かべて頷くと、ネギはキッと頭上の魔法陣を見上げた。

「ラス・テル マ・スキル マギステル! 契約により、我に従え高殿の王! 来れ巨神を滅ぼす燃ゆる立つ雷霆! 百重千重と重なりて走れよ稲妻。『千の雷』!!」

 ネギの詠唱に応える様に、天空を覆う雲が蠢き、雷雲を集め、雷を呼び寄せる。凄まじい威力の雷のエネルギーが上空に顕現した。

「刹那さん、ちょっとお願いがあるんだけど……」

 アスナは刹那に声を掛けた。アスナの言葉に刹那は目を見開くと頷いた。

「分かりました」

 刹那の返事に

「ありがとう」

と返すと、アスナは上空を見上げた。既に、魔法陣は発動間近だった。
 そして――。

「放て――――ッ!!」

 エドワードの轟く様な叫びと同時に、エドワードの真っ直ぐに伸びるビームの様な紅蓮の炎とエドワードの雷の槍とエヴァンジェリンの必中の槍とが同時に放たれた。
 上空から三人の魔法の着弾地点に向けて、魔法陣の反対側からネギが千の雷を落とした。ほぼ同時に、四つの魔法が魔法陣に激突した。あまりにも巨大な衝撃音に大気が弾け跳び、凄まじい爆発が巻き起こった。目も開けられない程の凄まじい魔力の閃光。誰もが成功を確信した。それ程の凄まじい破壊力だった。
 あまりの衝撃に、地上にまで突風が吹き荒れ、立つ事すらままならなかった。ほぼ全ての魔力を出し切ったのかエドワードが洗脳していた関西呪術協会の面々の洗脳が解け、各々が戸惑った様に上空を見上げ始めた。世界を分断するかの様な光の爆発はやがて収束した。

「馬鹿な……」

 それは、誰の呟きだったのだろう。魔法陣は健在だった。だが、僅かに歪の様なモノが出来ている。

「あと、一撃足りない――」

 エドワードの切羽詰った声が響く。だが――。

「もう……魔力が」
「今の一発にすべてを叩き込んだんだぞ……」

 ネギもエヴァンジェリンも、エドワードすら魔力が一気に底をついてしまっていた。

「後一発、あの歪に中てれば術式の構成に破綻が起こる筈なんだ!! クソッ!!」

 後一歩、あまりにも歯痒い。本当に、手を伸ばした先にあるのにほんの僅かに届かない。

「嘘……、これで終わり?」

 ネギは、仮契約に持っていかれ続けた魔力と今の一発で立つ事すらままならなくなり、その場に座り込んでしまった。

「クソッ! こうなったら……木乃香、私と仮契約しろ!! お前の魔力でもう一度グングニルを発動すれば!!」
「駄目だ、もう間に合わん!!」

 エヴァンジェリンの最後の手段も、エドワードの声に遮られた。今から仮契約をして詠唱をしていては間に合わない。その時だった――。
 突如、男の声が響いた。

『契約により、我に従え高殿の王よ。影の地、統ぶる者、スカサハよ。我が手の三十の棘を持つ槍に来れ、巨神を滅ぼす千重の雷。雷神槍“巨神ころし”』

 遥か上空に現れたその真っ白なローブに身を包んだ顔の見えない男は、右手を高らかに魔法陣に掲げると、途轍もなく巨大な雷の槍を作り出した。

「何者だ、アレは!?」

 エヴァンジェリンはその凄まじい力を放つ魔法に眼を見開いた。

「あの呪文……、まさか、『千の雷』と『雷の投擲』の合成魔法!?」

 ネギはあまりの事に呆然とした。ただでさえ、最強レベルの千の雷に更に魔法を合成するなど常識では考えられない。その常識外れな魔法が、発動しようとしている。
 ネギはジッとその魔法を見続けた。男の手から放たれた魔法は、一直線に魔法陣に発生した歪に向かった。
 “巨神ころし”が激突した瞬間、魔法陣全体が波打った。巨大な雷の槍は弾ける事もなく、魔法陣を侵食していく。徐々に、魔法陣を抉っていき、やがて魔法陣を貫通した。

「魔法陣の構成が……破綻した」

 エドワードの言葉に、全員が緊張した。

「上手くこのまま崩壊してくれれば……」

 詠春は額から汗を垂らしながら木乃香を抱き寄せながら唾を飲み込んだ。全員が祈る中、エドワードが地面を踏みつけた。

「クソッ!」
「エドワード……、どうなったんだ?」

 エヴァンジェリンが尋ねると、エドワードは悔しげに言った。

「よりによって最悪だ……」

 上空を見上げるエドワードにつられて、ネギ達も上空を見上げた。すると、謎の男はいつのまにか消え、魔法陣にはまるでガラスをトンカチで叩いた様に無数の細かい皹の様なモノが広がっていた。その皹の奥から凄まじい殺気が降り注いだ。

「嘘……やろ?」

 小太郎は、その存在を知っていた。

「“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”――――ッ」

 カモの絶望の呟きに、ネギはゾッとした。

「嘘……でしょ?」
「ドラゴンブレスって……?」

 木乃香はエヴァンジェリンに尋ねた。

「聖ジョージという聖人が滅ぼしたラシアの悪竜のブレスだ。その毒を纏った滅びの光は街一つを易々と飲み込み消滅させる――」

 エヴァンジェリンはガチガチと歯を鳴らしながら上空の魔法陣を見上げた。

「高淤加美神の脅威が無くなったら、今度はラシアの悪竜か……。余計に被害を拡大させたかもしれんな」

 エドワードは舌を打ちながら魔力を掻き集め始めた。

「ここに居る人間を全員は無理だな……」
「何を考えているんですか?」

 詠春はエドワードの呟きに眉を顰めた。

「転移させられるだけの人間を効果範囲外に逃がす。それしかもう手立ては無い。京都は捨てるぞ」
「そんな!?」

 エドワードの言葉に、ネギと木乃香、美空は愕然とした。

「ワイのせいか……。ワイが余計な事言ったから……」

 小太郎は眼を見開き、カタカタと震えた。

「違う! それは違うよ、小太郎は可能性を見つけてくれたんじゃないか! ソレを活かせなかった……」
「その通りだ。運が悪かった。元々、分の悪い賭けだったんだ。何もしなければ、どちらにせよ京都は滅びていた。それに、責任があるとすれば、この計画を立案した俺達にある……」

 ネギの言葉にエドワードは悔しげに言った。

「女子供が優先だ! エドワード、どれだけ逃がせる!?」

 エヴァンジェリンが尋ねると、エドワードは苦い表情で呟いた。

「魔力がギリギリだ。転移は二人が限度だな……」
「私も一人転移させられるかどうかという所だ……」

 エヴァンジェリンが拳を握り締めながら言った。

「なら、子供達だけでも逃がすぞ」
「待て、神楽坂明日菜と桜咲刹那はどこだ!?」

 エドワードの言葉を遮り、エヴァンジェリンが叫んだ。アスナと刹那の姿が何処にもないのだ。

「え、明日菜さん!? 刹那さん!?」

 ネギが眼を見開いて周囲を見渡すが、二人の姿が何処にも見当たらない。すると、木乃香が突然小さく悲鳴を上げた。

「どうした、木乃香!?」

 エヴァンジェリンが顔を向けて叫ぶと、木乃香が上空を見上げた。そして、ふるえながら指を指した。
 木乃香の指差す先に、小さな影がどんどん高度を上げて魔法陣に迫っていた。

「まさか――ッ!?」

 タカミチは絶句した。

「“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”を無効化する気か!?」

 ネギ達が魔法を放ったと同時に、アスナは刹那に頼んで上空へ飛翔していた。万が一の場合に、少なくとも関西呪術協会の総本山だけでも護れるように――。
 そして――。

「アスナさん、お嬢様に連絡を取りました!! あの術式は“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”だそうです!!」

 アスナを抱き抱えながら凄まじい速度で高度を上げていく刹那は叫ぶ様に言った。
 アスナは引き攣る顔で無理矢理笑みを浮かべた。

「上等じゃない!! 絶対にぶち壊してやるわ!! 刹那さん!!私を全力で魔法陣に向けて投げて!! そしたら直ぐに、地上に向かって!! 全速力で!!」
「分かりました!! 御武運を!!」

 アスナと刹那は同時に咸卦法を発動させた。既に体力も魔力も欠片程度にしか残っていないが、それでも身体を護る分だけ搾り出す。
 アスナは解除した仮契約のカードを右手に握り締めると、左手を刹那の両手に握らせた。グルグルと咸卦の力で増幅された刹那の力によって凄まじい回転が巻き起こる。

「行きますよ――――ッ!!」
「お願い!!」
「でああああああああああああ!!」

 刹那は腕が引き千切れる程の勢いでアスナを魔法陣に向けて投げ飛ばした。そのまま、一気に地上に向かって急降下していく。放り投げられたアスナは、勢いが落ち始めると、カードを上に掲げて叫んだ。

「アデアットッ!!」

 アスナの服が光の粒子となって再構成されていく。麻帆良の指定制服が左右非対称の甲冑鎧に姿を変わっていく。魔力によって編まれた鋼鉄の靴の底に力場を作り、アスナは更に上空へと駆け上っていく。
 右手にエクスカリバーを握り締め、対流圏を駆け上り、徐々に冷たくなっていく空気を咸卦の力で防ぎ、一直線に既に半分近く発動し、魔法陣の向こう側から現れようとしている真紅の瞳を持つナニカに向かって顔を上げる。まだ地上と魔法陣との間の半分程度しか来ていない。

「それでも――――ッ!!」

 フェイトとの戦闘で、咸卦法に回せる魔力も気も殆ど無い。ネギも限界ギリギリまで魔力を搾り出し、もう供給は望めない。

「それでも、やるっきゃない!!」

 幸いな事に“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”は着弾すれば効果範囲は尋常でない広さを誇るが、着弾する寸前は巨大なレーザー光線だ。僅かでも、エクスカリバーで触れさえ出来れば消す事が出来る。
 ドラゴンが真下にブレスを放ってくれれば問題無い。もしも違う方向に放たれたら――――その時は、本当にお終いだ。
 そして、魔法陣は発動した。巨大なドラゴンの顎門が開かれる。それは、世界の黄昏を告げる龍の咆哮だった。あまりにも凄まじいその咆哮は、既に音ではなく衝撃だった。
 魔力が口の中に収束していく――そして。

「そんな――――ッ」

 アスナは愕然とした。ドラゴンは真下ではなく、斜めの方向にある京都に顎門を向けているのだ。

 アスナが諦め掛けた、その時だった。地上のエドワードが、儀式場にあった巨大な布を掴むと、赤眼を輝かせ、炎を生み出すと、その中に布を放り込んだ。すると、上空のアスナの真上に炎が現れ、アスナに布が被さった。

「え? ちょ、何!?」

 アスナがもがくと、再び炎が上空に現れた。エドワードの声が脳裏に響く。

『その布に包まって跳べ!!』

 その声に、咄嗟にアスナは布を体に巻きつけると、次の瞬間にアスナはラシアの悪竜の狙う先に居た。転移するなら魔法陣まで一気にやってくれと言おうとすると――、

『ドラゴンの放つ魔力で場が安定していないんだ。下手に間近に転移させようとすれば、バラけるぞ?』

 アスナは自分の体がバラバラになる様子を想像して顔を青褪めさせた。
 次の瞬間、ドラゴンの口から光が放たれた。
 歯を食い縛りながら、エドワードが魔力を搾り出して結界を生じさせる。アスナがドラゴンブレスを消滅させるまで、ドラゴンブレスの纏う毒から関西呪術協会の総本山を護る為に地面に膝をつきながら、紅蓮の壁を京都の町を護る様に発生させる。光が放たれた瞬間、結界は一瞬だけ毒を遮ると呆気なく粉砕した。
 だが、その一瞬ですべてが終わった。エクスカリバーに激突した瞬間、ドラゴンブレスはガラスが割れる様な音を響かせると、魔法陣とドラゴンごと消滅した。毒も消滅し、周囲に沈黙が降り立った。すると、遠目にアスナが落下しているのが見えた。

「――――ッ! 召喚、神楽坂明日菜!!」

 ネギが咄嗟に仮契約カードの能力の一つである召喚を発動すると、アスナが目の前に召喚された。

「アスナさん!!」

 ネギが声を掛けると、アスナは弱々しく笑みを浮かべた。

「私、凄いでしょ?」

 アスナの言葉に、ネギは一瞬キョトンとすると、すぐに

「はい、とっても凄かったです!!」

と叫んだ。すると、アスナは震える手でネギの額を指差した。

「私は凄いんだから……もっと頼る事。分かった……わね?」

 それっきり、アスナは意識を失ってしまった。だが、アスナが眠っているだけだと確認すると、ネギも視界がグラついた。そして、アスナを抱えたまま眠ってしまった。

「さすがに……私も疲れました」
「ウチもや……」

 全てが終わり、安堵した瞬間に刹那と木乃香も崩れ落ちた。背中を寄せ合い、そのまま疲労に任せて意識を手放した。

「さて、子供達が頑張ったのですから、ここからは大人が頑張りましょう」

 詠春は眠ってしまった少女達に微笑み掛けるとパニックに陥っている呪術師達を見た。

「フェイトの方は俺が処置をしておこう。専門的な処置が必要なんでな。悪いが身柄を預からせてもらう」

 エドワードは額から滝の様に汗を流しながらも言った。

「敵をあの魔法陣のドラゴンにしておけ。俺とフェイトについては記憶を消してある」

 疲労を隠せない様子でありながら言った。

「分かりました。それから、エヴァンジェリンさんには“今回の巨大な魔法陣の発動から京都を護るのに尽力して頂いた事に感謝を示したい”のですが」
「ああ、“感謝されてやる”よ」

 詠春の言葉に、苦笑しながら、エヴァンジェリンは言った。

「さて、もう一踏ん張りですね」
「僕も出来る限りお手伝いしますよ」

 タカミチがニッコリと笑みを浮かべながら言った。

「助かるよ。タカミチ君の手伝いがあれば、色々とスムーズに行くだろうからね」

 詠春は、これからの仕事に苦笑いを浮かべて言った。呪術師達の事や、総本山の修繕、結界の修繕、京都の市民への措置、他にもやる事は無数にある。ここからが大変なのだ。
 詠春は最初の仕事をする為に、混乱する呪術師達の下へ歩いていく。最後に、詠春はチラリと振り返って言った。

「皆さん、お疲れ様でした」

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