第一話『魔法少女? ネギま!』

 日本の関東地方に麻帆良学園という日本最大級の学園都市がある。広大な敷地には様々な施設や学校、幼稚園、保育園が存在する。学内には、埼京線の電車のレールが伸びており、沢山の住民達が利用している。その住民の殆どが学生だ。駅のホームの時計が六時を指した時、駅に入って来た電車から一人の少女が降り立背中まで伸びる柔らかそうな赤い髪をゆるめに纏めている。少し垂れ気味の琥珀色で大粒な瞳が特徴的な少女。背中まで伸びる柔らかそうな赤い髪は首元でゆるめに纏めている。
 麻帆良学園本校女子中等学校の冬の制服に身を包んだ彼女の名前はネギ・スプリングフィールド。ネギは背中に自分の背丈にも、一般的な風景にも合わない不自然な程に大きくて、奇怪な形をした杖を背負っている。

 メルディアナ魔法学校の卒業式の日、魔法学校を卒業する生徒達には一年以上に渡る外の世界での修行を命じられる。卒業式の後、アーニャと二人で岩石のモンスターを退治したネギは意識を失ったまま、魔法学校の保健室に運ばれた。ネギとアーニャの怪我はコーネリウスが手配した癒術師によって直ぐに治された。目を覚ましたネギの目に最初に映ったのはアーニャの笑顔。アーニャが無事だった事に安堵したネギは従姉弟のネカネ・スプリングフィールドに抱き締められ、コーネリウスから卒業証書の授与式の時間が言い渡された。
 フェニックスの間で他の卒業生と合格を祝い合い、コーネリウスの言葉に耳を傾ける。

「それでは、これより卒業証書授与式を始める」

 朗々とコーネリウスが生徒達の名前を呼び、卒業証書を一人一人に手渡しながら声を掛けていく。ネギの番が回ってくると、アーニャの激励を背に受けながら祖父の前まで緊張した面持ちで向かった。

「ミスター・スプリングフィールド。この七年間よくぞ頑張ってきた。だが、これからの一年間の修行こそが本番じゃ。気を抜くでないぞ」
「ハイッ!」

 ネギは元気良く返事を返すと、卒業証書を受け取った。卒業証書授与式が終わると、同時に貰った修行先の浮き出る魔法の巻紙を手に、廊下に出た。
 廊下の外にはネカネが待っていた。少し待つと、アーニャも卒業証書を手に出て来た。早速、自分達の修行先の確認を行う事になり、直ぐ近くのテラスに向かった。
 アーニャが先に巻紙を開封すると、アーニャは一瞬目を丸くした後に顔を綻ばせた。

「ネギ、なんて書いてあるの? 私はロンドンの時計塔でロンドンの国家専属魔法使いの下でのお手伝いよ」

 アーニャが誇らしげに言った。ロンドンの時計塔、即ちビッグ・ベンとは英国の国会議事堂であるウェストミンスター宮殿にある時計塔の事である。国家専属魔法使いとは英国の首都であるロンドン全域の裏の管理人の事。世界には表と裏があり、魔法使いを含めた裏側を管理する事が国家専属魔法使いの務めである。時計塔や国の首都の管理を行う管理人は、時折、政府の政策に対して影から助言を行うなど、非常に名誉と責任のある仕事を行う。
 アーニャの修行先は見習いの魔法使いだけでなく、一人前の魔法使いが聞いても涙を流して悔しがるだろう程、皆が羨む修行地だ。何故なら、国の首都を管理する国家専属魔法使いに弟子入りをする事は魔法使いにとってはエリート街道を突き進むチャンスだからだ。アーニャの修行先を聞いて心底羨ましそうな表情を浮かべたネギは、ドキドキしながら自分の巻紙の封を開いた。最初は何も書かれていなくて、真っ白だったが、徐々に文字が浮き出てきた。アーニャとネカネもネギの修行先を見ようとネギの紙を覗き込んだ。

「なになに、『日本の女子校に潜入し、悪い組織に狙われている少女(複数)を影から護る事』……」

 ネギは聞き間違えじゃないかと思って自分でも読み返した。間違いなく、アーニャの読み上げた通りの内容だった。解釈の間違いも無い。
 アーニャは頭を抱えながらブツブツと何かを呟いていたが、突然、ダランと両手を垂らして虚空を見上げた。

「って、女子校に潜入ってどういう事よ!?」

 アーニャの叫びにネギは耳がキンキンとなった。ネギ自身、理解出来ずに混乱し、ネカネは冷や汗を流しながら何かの間違いじゃないかと紙を逆さにしたりしている。
 三人はコーネリウスの居る校長室に押しかけた。どういう事なのかと問い掛けると、コーネリウスは意地悪そうな笑みを浮かべて言った。

「なに、日本の女子校に潜入して、護衛対象に降りかかる火の粉を払うんじゃよ。勿論、女子校に潜入するのだから、バレないように女の子の格好になってのう」

 コーネリウスの言葉に、ネギ達三人は固まってしまった。巫山戯ているにしても性質が悪い。これは魔法学校を卒業した生徒が、外に羽ばたく前の下準備の為の期間なのだ。アーニャの様に、高名な魔法使いに弟子入りするなら分かるが女装して日本の女子校に潜入するなど、馬鹿にしているとしか思えなかった。
 ネギ達が憤慨した表情を浮かべていると、コーネリウスは真剣な顔でネギに問い掛けた。

「――――して、ネギよ。お主はどうするのじゃ?」
「え?」

 面を喰らった様な顔をするネギにコーネリウスは再び問い掛けた。ネギは困り果てた顔をしてネカネやアーニャを見たが、二人共頭を悩ませている。改めて、変装をして潜入護衛をする任務と考えれば、そこまでおかしい事では無いのではないか、という考えが浮かんで来た。
 勿論、女装をするのは気が進まないが、確かに、魔法使いになれば、変装して情報収集したり、身を隠して護衛をしたりする場合があると、魔法学校の授業でも聞いた事があった。
 そう考えると、これは巫山戯ているのでは無く、本当に自分の修行の為の課題なのだと確信する事が出来た。

「やります」
「本気なの、ネギ!?」

 ネギの決断にアーニャは呆気に取られた表情でネギを見た。アーニャの反応にネギは顔を顰めたが直ぐに毅然とした表情で頷いた。

「これは修行だから。外に出たら、嫌だからこんな任務は受けたくない、なんて言え無いし、それに変装して身を隠しながらの護衛の任務も魔法使いになればあるかもしれない。だから、僕はこの任務を受けます。校長先生」
 敢えて、お爺ちゃんとは呼ばずにネギは言った。覚悟を決めた眼差しで――。

 修行開始は二月からと言い渡されてから、ネギはある事に取り組まなければならなくなった。それは、女の子になる事だ。
 冗談染みているが、ネギが半年という修行までの猶予時間の殆どを費やさなければならなかった一番の難題だった。コーネリウスが性別を誤魔化す薬を用意してくれたが、万が一にも女装がバレたらそこでお仕舞いで、帰って来るという訳にはいかないのだ。例え、女装がバレたとしても、そのまま護衛の任務は継続しなければならない。女装趣味の変態扱いされた状態で一年間も年上の女性達に囲まれるなど、さすがのネギも御免蒙りたい。
 コーネリウスが用意した薬は青と赤の二色の飴玉の様な形をしていて、性別を誤魔化してくれるらしい。試しに飲んでみると、あっと言う間に効果が現れた。全身にゾワリとした不気味な感触が走り、服が少し大きくなった様に感じた。かと思えば、胸の辺りが僅かにきつく感じる。驚いて胸や股に手をやると、胸がプックリと膨らみ、股にあるべき物が無くなっていた。

「え、性別を誤魔化すって、周囲に誤情報を認識させるとかじゃないの!?」

 自分の体の変化に戸惑い、ネギの顔は真っ青になった。ある筈の物が無い。その喪失感は想像を絶する恐ろしい感覚だった。無い、無い、無いとネギは呆然と呟き、そのまま意識を失ってしまった。
 倒れてしまったネギを慌ててネカネが抱き抱えた。何か、恐ろしい事が起きたのではないか、ネカネは恐怖に慄いた表情でコーネリウスを見た。

「肉体の変化に混乱したんじゃろう。慣れるには時間が必要じゃな」
「お爺様、本当に大丈夫なのですか?」

 青褪めた表情で眠るネギの頬に手を当て、ネカネは不安げにコーネリウスに尋ねた。

「身体に悪影響は無い筈じゃ。もっとも、一ヶ月以上、薬を飲むのを断つと薬が効かぬ体になってしまうがのう」
「どうして、ネギにこんな試練を?」

 純粋に疑問に思い、ネカネはコーネリウスに尋ねた。

「ネギはいい子に育ってくれた。じゃが、無垢なままでは居れぬじゃろう。父親のナギは“|千の呪文の男《サウザンド・マスター》”と称えられた裏では“|赤毛の悪魔《レッド・デビル》”などと恐れられていた。母親の方は言うまでも無いじゃろう?」
「でも……、アリカ様は――――」
「そう、公的には何年も前に亡くなられておる事になっている。じゃが、情報というあやふやな物は掴む事が難しいと同時に捕らえて置く事もまた、難しいのじゃよ」

 コーネリウスは暫く思案した後、ネギを部屋のベッドに寝かせ、ネカネを校長室に招いた。自らが淹れた紅茶を勧め、困惑した表情のネカネに飲むように言った。

「お主にはそろそろ話してもいいじゃろう」
「お爺様……?」
「五年前の冬――。こう言えば、思い浮かぶ事があるじゃろう?」

 コーネリウスの言葉にネカネは無意識に体を震わせた。五年前の冬、彼女の村は燃えたのだ。親も友達も近所の人も魔法の力で石にされてしまい、この学校の地下に安置されている。
 ネカネにはあの日の記憶が殆ど無い。村が無数の悪魔に襲われて、気が付くと病院のベッドで眠っていた。助かったのは自分とネギの二人だけだった。自分の両親もアーニャの両親もスタンも今は物言わぬ石像として地下に安置されている。

「あの事件については未だ調査中じゃ。じゃが、間違い無くナギとアリカ様に対する怨嗟の矛先がネギに向かってしまったが故に起きたのだろうと考えられる。父王を殺し、自らの国を滅ぼした“災厄の女王”と“赤毛の悪魔”の息子であるあの子の人生は決して安寧を得る事の出来ぬ険しき道となるじゃろう」
「そんな……事って」

 ネカネの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。何故、あの子がそんな不幸な人生を歩まねばならないのだ。理不尽な現実に対する怒りに胸が張り裂けそうだった。

「あの子は強くならねばならんのじゃ。身も心も、その為には時間が必要じゃ。そして、頼れる仲間が必要じゃ」
「その為の試練なのですか?」

 涙を拭い、ネカネは尋ねた。

「あそこにはネギと同じく、理不尽にその身を狙われる子供達が居る。その子供達と共に成長し、絆を結んで欲しいんじゃ」

 それから瞬く間に時が過ぎた。ネギがイギリスを発つ日までの半年の間、ネカネが女体での過ごし方を丁寧に説明し、ネギはそれを素直に学んでいった。さすがに、トイレやお風呂では解毒剤を飲みたかったのだが、ネカネは『そう言う時が一番危ないの!』と注意した。
 最初の数ヶ月こそ、泣きたくなるほど恥しかったが、今では慣れたものだったが、解毒剤を飲んで男に戻ると、やはりホッとした。
 髪の毛は背中まで伸びて、ネカネが編んでくれた紐で縛っていた。ネカネが言うには女性の髪には男性とは違い魔力が宿るから、髪留めでその魔力が逃げないようにするのだと言う。

 そして、二月の上旬、ネギは一人でこの日本の埼玉県麻帆良市にある麻帆良学園へとやって来たのである。朝、まだ早い時間だからか、周囲には人影は疎らだった。
 緊張していると、突然ポケットがピョコピョコと動いた。中から白い物体が飛び出ると、そのままネギの肩に乗った。柔らかい毛皮のその生き物はオコジョたった。
 ただのオコジョでは無いのが一見しただけで分かる。そのオコジョの手にはオコジョは絶対に吸わない筈の煙草が握られていた。それを、ネギは自然な動作で近くのゴミ箱に捨てた。

「あ、酷いッス姉貴!」

 すると、何とオコジョは喋った。そのオコジョはオコジョ妖精と呼ばれる種族で、人語を解し、独自の社会を持ち、彼等の生態はかなり謎に包まれている。
 独自の魔法体系を持ち、その実力はかなりのレベルで、年齢を重ねたオコジョ妖精は人間の魔法使いとも渡り合う力を持つとも言われている。ちなみに、最初はネギの事を『兄貴』と慕っていたのだが、ネギが女体化して『姉貴』に変った。
 このオコジョ妖精、実はかなりの女好きで、オコジョなのに人間の女性の下着を盗んで捕まりそうだった過去があるのだが、ネギに対しては姉貴と呼ぶ以外はパンツも盗まないし胸も揉まない。それどころか、時々一緒に寝ていたのに就寝時に別の場所に行ってしまう様になり、ネギが寂しがったが、ネカネが聞くと『俺っちはそこまで落ちぶれちゃいやせんよ』と、呆れた様に返されてちょっとムカッとしたりもした。
 そんな彼とネギとの出会いは、ネギがウェールズの山奥で暮らしていた時に、山中で罠にかかった彼を救った事が切欠だった。
 このオコジョ妖精はかなり高レベルで、攻撃魔法は無いものの、霍乱や防御、契約魔法に関しては、一般的な魔法使いよりも卓越した技能を持ち、魔法に関しての知識は、ネギが彼から学ぶ事もある程だ。時々、ネカネのパンツを盗みに行っては笑顔でギュッと握られて反省させられる彼だが、今回ネギについて来たのは、ネギの修行先が女子校だから、というのは理由のほんの一部に過ぎない。
 実際、彼は心配だったのだ。生まれた頃から魔法使いに囲まれて育ったネギが、一般人に魔法をバラさないかどうか。一般人に魔法使いであるとバレると、魔法界の法律でオコジョにされてしまうのだ。それに、一般常識が一部欠損してる時もある。例えば、電子機器の扱いが全く駄目なのだ。それらを逐一説明したりしながら、『ついて来て正解だったぜ』と冷や汗を流していた。
 そんな彼の数少ない、女関係以外の趣味である煙草を捨てられて涙目になった。哀れみを誘う彼にネギは溜息を吐いた。

「カモ君、煙草は嫌いなんだよ私。お願いだから肩とか頭の上とかで吸わないでね」

 ネギは一人称を私と言いながらカモに抗議した。ネギが日本語の勉強をする時に、カモが一人称は『私』がベストだと教えたのだ。ネカネもこれには賛成だった。
 どうせ、大人になれば男女関係無く『私』と言う。『僕』とか『俺』は、大人になると公式の場ではおかしい。

「それにしても、学園長室はどこかな?」

 ネギは地図を探しながらトボトボと歩いた。

「ソイツは地図を探さないとどうにも……。学園側も、案内人くらい寄越してくれりゃ良かったんスけどねぇ」

 カモは肩を器用に竦めながら言った。そんな動作の度に、ネギは時々彼が本当は人間なんじゃないかな? と思ったりもする。
 地図が何処にあるのかを探している内に、時刻は七時を回り、漸く地図を見つけたと思ったら、駅の方から凄い人数の生徒達が押し寄せてきた。

「なに!?」

 あまりの迫力に、ネギは直ぐ近くの柱の影に隠れた。人の波が落ち着いたのは三十分も後だった。震えて眼に薄っすらと涙を溜めながら、ネギは地図を見つめた。何となしに時計を見ると、もう学園長室についていないといけない時間だった。

「ううぅ、どうしよう……、怒られちゃうよぉ」

 心細さと不安に、ネギは泣きそうになると、突然後から声がかけられた。

「ちょっと、大丈夫?」
「ふぇ?」

 その声に振り向くと、そこには何処かネカネを思わせる少女が立っていた。オレンジの髪を鈴のついたちょっと変ったリボンでアーニャの様に両側で縛っている。その瞳は右が翠で左が蒼のオッドアイだとネギはすぐに気が付いたが、聞かなかった。呆然としていると、少女は近寄って来た。

「ねえ、どうしたの?」

 再び、少女は言った。その表情は、ネギを警戒させない為か、優しい笑顔だった。

「あの…、私、道に迷ってしまいまして…」

 ネギは不安を隠そうと努力しながら言ったが、目の前の少女にはお見通しだった。今にも泣きそうな顔は、とっても不安なんです! とハッキリ主張してるかの様に見えて、それを隠そうとしているネギの姿に、少女はつい苦笑してしまった。

「な、何ですか!?」

 ネギは、突然クスクスと笑い出した少女に憤慨すると、少女は「ごめんごめん」と謝った。

「で?貴女はどうしたのよ。もうすぐ授業が始まっちゃうわよ?」
「それが、その……に……ちゃって」
「え? 何?」

 ネギがボソボソと呟く様に言うと、少女は耳をネギの口元に近づけた。

「あわ!? あの……、迷っちゃって」

 一瞬、間近に迫った少女の顔に、ネギは顔を赤くすると、小さく呟いた。だが、今度は少女は聞き取る事が出来た。そして、つい少女噴出してしまった。

「そっかそっか、迷っちゃったんだぁ。って、ごめんごめん。謝るから怒んないで」

 ネギが膨れるのを見て、少女は慌てて両手を合わせた。

「貴女、もしかして転校生? 一年?」

 聞きながら、少女は自分のクラスの一部の女子の顔を思い浮かべた。
 同じ学年だったりして……まさかね。そんな風に数人の同級生に対して失礼な事を考えながら、少女は聞いた。

「あ、えっと、たしか……」

 ネギは、コーネリウスがした修行についての詳しい説明の時の護衛対象の生徒達が居るクラスを思い出した。

「二年生です。二年A組」

 ネギの言葉に、目の前の少女は目を丸くした。

「うっそぉ!? 私と同じクラスじゃない! 朝倉も何も言ってなかったのになぁ。ふぅん、ならさ、私が教室まで連れて行ってあげるわよ。っとと、自己紹介がまだだったわね」

 そう言うと、少女は眩しいほどの笑顔を浮べて手を差し伸べた。

「私は明日菜よ。出席番号八番の神楽坂明日菜。よろしくね」

 その笑顔が、とても綺麗で、ネギはつい見惚れてしまった。

「お姉ちゃん……」
「へ?」
「あ! ご、ごめんなさい!」

 つい洩らしてしまった言葉に、明日菜は眼を点の様にして、ネギは急いで謝った。

「えっと、一応言っておくけど……、私、お姉さまとか呼ばれるのは勘弁だからね?」
「は、はい!」

 頬をポリポリと人差し指でかきながら、眼を逸らして言う明日菜に、ネギは泣きそうになりながら返事を返した。

「それじゃ、行こっか? っと、その前に貴女、名前は?」

 明日菜の言葉に、ネギは小さく深呼吸をすると言った。

「私はネギです。ネギ・スプリングフィールド、イギリスのウェールズから来ました。よろしくお願いします」

 ニコッと笑顔を浮べて言うと、明日菜は少しだけ眼を見開き、すぐにニッと笑った。

「それじゃあ、ネギって呼ばせてもらうわね。私の事は明日菜でいいわ。じゃあ、行きましょう?」
「はい!」

 明日菜に連れられて、ネギは漸く麻帆良学園女子中等部の校舎へと辿り着いた。

「それじゃあ、私は学園長先生に先に挨拶に行かないといけないので」

 ネギが言うと、明日菜は首を振った。

「何言ってんのよ?」
「え?」
「一人で心細くて泣きそうになっちゃう娘を、中途半端にほっぽったり出来ないわ。見損なわないでよね? ちゃんと、学園長室まで連れて行ってあげる」
「でも、ご迷惑じゃ……?」
「何言ってんのよ。また途中で迷子になったりしたら、余計に迷惑よ。さっ、行きましょう。こっちよ?」

 そう言うと、明日菜はネギの手を握って歩き出した。すると、階段を上がり、幾つかの角を曲がると、明日菜は前方を歩く二人の少女を発見して声を張り上げた。

「木乃香!」

 すると、明日菜はネギを引っ張ったまま目の前の二人組みの少女の左側の、絹のように柔らかな黒髪を腰まで伸ばした少女に向かって駆け出した。木乃香と呼ばれた少女は「ほえ?」と振り向くと、明日菜に気が付いて「あ、明日菜や」とほんわかした笑顔で言った。

「あ、明日菜や、じゃない! もう、どうして起してくれなかったの?」

 明日菜が頬を膨らませて言うと、木乃香は困った様な顔をして言った。

「せやかて、明日菜、何度も起したのに全然起きへんかったやん」

 木乃香の的を射た言葉に、明日菜は言葉を失くすと、悔しそうに隣に静かに立つ左側だけ紐で縛っている黒髪のサイドポニーの少女に顔を向けた。

「桜咲さぁん。木乃香が優しくないよぉ」

 明日菜が泣きつくと、桜咲と呼ばれた少女は冷たい視線を明日菜に向けた。

「何を言いますか。お嬢様は何度も貴女を起そうとなさいましたよ?」

 冷たい言葉でバッサリと明日菜の言葉を一刀両断すると、明日菜はガックリと肩を落とした。

「うう……、私の周りは鬼ばっか」
『自業自得って言葉しか出ないッスね……』

 そんな明日菜の様子を見て、何時の間にかポケットの中に隠れたカモが念話を使って呟いた。
 ネギはそれに応えず、タハハ……と苦笑した。

「それで、その子は? かぁいぃなぁ」

 ネギに気が付いた木乃香がほんわかした笑顔でネギに顔を向けると、明日菜は唇を尖らせた。

「優しくしてくれない木乃香には教えてあげないもん!」
「もんって……、明日菜、子供や無いんやから……」

 子供の様に不貞腐れて意地悪をする明日菜に、木乃香は呆れた様な困った様な微妙な顔で言った。

「うう……、木乃香に冷たくされたら、私、生きていけないわ」

 わざとらしいモーションで顔を両手で覆いながら、明日菜が言うと、木乃香は呆れた様に「大袈裟やなぁ」と言った。すると、明日菜はクワッと顔をあげて言った。

「大袈裟じゃないもん! 朝ご飯やお弁当や夕飯においしい料理を作ってくれて、毎日起してくれて、時々私の分まで洗濯をしてくれる木乃香は私のお嫁さんになるんだもん!」
「お嫁さんって……、明日菜は高畑先生が好きやったんとちゃうん?」

 冷や汗を流しながら聞くと、明日菜は「勿論!」と断言した。

「高畑先生は好きよ。でも、木乃香は私の嫁よ!」

 そうビシッと木乃香に指を指しながら明日菜は高らかに叫んだ。突然空気が静まり返った。別に、明日菜がすべったとかではない。凄まじいプレッシャーに明日菜と木乃香、ネギとカモは動けなくなった。

「明日菜さん、本気ですか?」
「ふ、ふえ?」
「本気で、お嬢様を嫁にと? 冗談か本気かで対応が変るのですが」

 刹那の氷刃の如き冷たく鋭利な視線を受けて、明日菜は「嘘ですごめんなさい」と涙を流しながら謝った。すると、アッサリと殺気を抑えて刹那はクスリと笑って一言「冗談ですよ」と言って、木乃香の後に戻った。
 その時、その場の刹那以外の全ての人間とオコジョ妖精は思った。

『どう見ても本気だったよ、桜咲さん!』
『殺る目やった……、せっちゃん』
『あ、あの人、今本気だったよね?』
『ありゃあ、マジな目だったぜ』

 三人と一匹は冷や汗を流した。

「えっと、自己紹介せなね。うちは近衛木乃香。よろしゅうなぁ」

 苦笑しながら手を差し出す木乃香に、ネギは笑顔で握り返した。

「ネギ・スプリングフィールドです」
「私は桜咲刹那です。よろしく」

 木乃香の後に控えている刹那も会釈をした。

「よろしくお願いします」

 ネギが頭を下げると、刹那は薄く微笑んだ。

「あれ?そう言えば、木乃香は何してたの?」

 明日菜は思い出した様に聞いた。もうすぐ、始業のベルがなる。それなのに、こんな場所に二人で居るのは不自然だった。

「うちは高畑先生が遅いから迎えにきたんよ」

 木乃香が言うと、刹那も頷いた。ちなみに、職員室と学園長室は目と鼻の先なのだ。

「でも、そんなの委員長の仕事じゃないの?」

 明日菜が首を傾げると、木乃香は困った様な顔をした。

「それがなぁ、昨日は委員会の仕事で寝たのが遅いらしくて、やつれとったさかい、うちらが変ったんよ」

 木乃香が言うと、明日菜は思い出した様に言った。

「そっか、もう学年末だもんね。この時期は去年も忙しくしてたっけ」
「そうなんよ。せやから、ちょっと休ませたろ思ってな」

 木乃香が言うと、明日菜は「そっか」とだけ言うと、「んじゃ、とりあえず行こっか」とネギの手を掴んだ。

 職員室に行くと、高畑先生は学園長室に行ってるとの話で、木乃香と刹那も学園長室に向かおうとしたが、ちょうど学園長室の方から白髪のオールバックで、茶色のスーツを見事に着こなす男が歩いてきた。

「タカミチ!」

 すると、ネギは感激した様に叫んだ。その事に明日菜と木乃香はビクッとして、刹那は片目だけ上げてチラリとネギを見た。

「え? 何、知り合いなの!?」

 明日菜は目を丸くして聞くと、ネギは頷いた。

「お父さんの知り合いで、昔お友達になって貰ったんです」

 ネギが言うと、明日菜は突然頭を抱え込んだ。そして、ネギの肩を掴むとドヨンとした顔で詰め寄った。

「ねえ、信じていいのね?」
「ほえ?」
「お・と・も・だ・ち・ね?」
「は、はい……え? どうしたんですか?」

 訳が分からずに目を白黒させて聞くと、明日菜は「な、何でもないわ」とプイッと顔を背けてしまった。その仕草に、どこかアーニャにも似てるなと、ネギは思った。そして、タカミチと呼ばれた男は近づくと、口を開いた。

「木乃香君、刹那君、明日菜君、おはよう。そして、ネギ君も久しぶりだね」

 爽やかな笑みを浮かべ、タカミチはネギに視線を向けて言った。薄縁の眼鏡がとても似合う、ダンディーと言う言葉がこれほど似合う男もそうはいないだろうという程の男だった。

「転校早々で済まないんだけど、時間が無くてね。先に教室に案内するよ。教科書とかはちゃんと忘れずに持ってきているかい?」

 タカミチが聞くと、ネギは背負っていた薄いリュックサックを背負いなおす様にしてニッコリと笑った。

「万事抜かりは無いよ、タカミチ」

 ネギが言うと、「そうかい」と言って、タカミチは「ついて来たまえ」と言って、ネギ達が来た道を進んで行った。慌てて、ネギ達が続くと、徐々にネギの顔色が悪くなっていった。

「だ、大丈夫? 何か、顔が青いんだけど」

 冷や汗を流しながら、明日菜はネギを気遣った。

「は、はい」

 ネギは、明日菜の優しさに感謝しながら俯いて少しずつ歩幅が短くなっていった。

「ほらほら、緊張してるの分かるけど、シャキッとしなさいシャキッと!」

 軽く背中を叩いて言う明日菜に、ネギは両手で頬を挟む様に叩き、大きくため息を吐いた。

「あ、そうだ」

 突然、前を歩いていたタカミチが戻って来た。

「明日菜君、木乃香君、刹那君、悪いけど先に行って皆を席に着かせておいてくれないかい? ちょっと、僕はネギ君に話しがあるから」

 タカミチが言うと、明日菜は目を輝かせた。

「は、はい! お任せ下さい! いくわよ、木乃香! 桜咲さん!」
「ほえええええええええええ! ネギ君またなァァァァァァ!」
「危ないですから手を離してくださいィィィィィィィィィィ!」

 木乃香と刹那の手を握ると、明日菜は凄まじい速度で走り去ってしまった。

「相変わらず元気だなぁ」

 クスクスと、どこか嬉しそうに呟くと、タカミチはネギを見つめながら数ヶ月前の事を思い出していた…。

 6ヶ月前の事だ。ネギの麻帆良行きが決定した翌日、タカミチは、学園長である近衛近右衛門の言葉に耳を疑った。

「今、何と言いました?」

 顔を引き攣らせて聞くタカミチに、近右衛門は表情を崩さずに言った。

「じゃから、言っとるじゃろ? 来年の二月から、ナギの息子を2-Aに迎えると」

 いい加減ウンザリする程繰り返された問答に、近右衛門は苦々しい顔をした。

「だから、おかしいでしょう? 何故、ネギ君を女装させて編入させる必要があるんですか?」

 タカミチが困惑した様に聞いた。

「ふぅ、タカミチよ。お主は何故あのクラスを任されているか、よもや忘れたのではあるまいな?」

 近右衛門の厳しい眼差しに、タカミチは喉を鳴らして頷いた。

「当然です。明日菜君、木乃香君、エヴァの警護と、裏の世界に関る真名君達援助をする為です」

 タカミチが当然の様に言うと、その姿はどこか誇らしげだった。だが、近右衛門は厳しい目でタカミチを見た。

「そして、超鈴音の監視もじゃ。じゃが、今はそれでもいいじゃろう」

 近右衛門の言い方に、タカミチは胸中で舌打ちしたが、表情には出さなかった。自分の生徒を監視しろと言う命令に、タカミチは本心では嫌悪感を感じていた。だが、魔法使いとしての彼は、その事を承知していた。それでも、完全に納得するのはかなり難しい事だった。

「ネギ君をこの地に迎えるのは、彼に戦いというのを経験させると同時に、彼を護る為でもあるのじゃ。彼の事は、彼の従姉妹のネカネ・スプリングフィールドの妹として戸籍を用意してある」
「――ッ! そういう事ですか」

 漸く、タカミチにも近右衛門の考えが理解出来た。

「うむ。あの子は立場が立場じゃからな。じゃから、彼が身を護れる力や、出来るならば仲間を持たせたいと思っておるんじゃ」
「仲間……? まさか、貴方は2-Aの生徒達を!」

 タカミチは、近右衛門の恐ろしい考えに嫌悪と憎悪に満ちた眼差しを向け怒鳴った。だが、近右衛門はそれを軽く流した。

「まぁ、お主の考えは遠からずじゃな」

 近右衛門の言葉に、タカミチは殺気を迸らせたが、それ以上の強烈な威圧感に言葉を無くした。

「話を聞け」

 近右衛門の凄まじい圧力を受け、タカミチは黙らされた。圧倒的過ぎる力の差を感じ、躯が動かなくなってしまったのだ。そして、近右衛門は言った。

「お主も分かるじゃろ。木乃香も、明日菜君も、エヴァンジェリンも、このまま平穏のままに人生を終えられる筈が無いと」
「そんな事は……」

 思わず反論しようとしたが、タカミチは声が出なかった。言い返す言葉が見つからなかったのだ。考えれば判る事だった。

「明日菜君……、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。『黄昏の姫御子』が、このまま平穏に生きる事が出来ると? 極東最強の魔力を持つ木乃香が、狙われないと? 異端の最たる存在である真祖の吸血鬼のエヴァンジェリンが教会やハンターに目をつけられていないと? 本気で思っておるのならば、儂はお主を過信し過ぎていたと反省するが、そうではないじゃろ」

 近右衛門の言葉に、タカミチは歯を噛み締め、拳を血が床のふかふかの赤い絨毯に紅い染み作り出すほど出る程の強さで握り締めた。否定は……出来なかった。

「最近になり、例の組織が再び動き出しているという噂もある」
「奴等は……、間違い無く、ネギ君を狙うでしょうね。奴等だけじゃない、あの老人達もナギとアリカ様の息子である以上は……。それでも、納得は出来ませんよ。明日菜君……いや、お姫様に平穏な暮らしをさせたいと願ったガトウさんの気持ちを踏み躙る事になるかもしれない」
「感情に身を任せるのも時には正しいじゃろう。じゃが、現実をキチンと認識せい!」

 近右衛門の苛烈な怒鳴り声にタカミチは凍りついた。

「来るべき時が来たんじゃよ。新たなる翼を羽ばたかせねばならん。ネギ君だけでは無い。ガトウ殿に任せられた明日菜君。婿殿に預けられた木乃香。ナギがこの地に隠したエヴァンジェリン。彼女達の平穏もここまでが限界なのじゃ」

 近右衛門は苦渋を飲むかのように言った。

「それにじゃ。まだ若いネギ君に下手な魔法使いの師を授けて、間違った考えを植えつけられたらどうする? ラカン達、紅き翼のメンバーに預ける案もあった。じゃが、ラカンはあの通りの性格じゃし、行方も掴めん。婿殿は西を治めるのに忙しい。アルビレオは今は治療中じゃ。ゼクト殿もガトウ殿も亡くなり、もう手は無かったんじゃよ。それに、ナギに息子が居るというのは、もう世界中に広まってしまっておる。じゃからこそ、女生徒とすれば、彼は血縁関係はあれど、ナギの直接の子供では無いと言い張れるじゃろ? それに、お主もおる」

 近右衛門の言葉を聞き、タカミチは自分を恥じた。短慮が過ぎた。近右衛門は、日本の西洋魔術の魔術結社全てを取り仕切る長なのだ。その卓越した明晰な頭脳が、ただの巫山戯などで、ネギの人生を弄ぶ筈も無い。
 近右衛門は口を開いた。

「儂は、残酷な事をするじゃろう。恐ろしく身勝手なエゴを子供達に押し付ける。じゃから、儂は彼らを護る資格はないのじゃ。タカミチよ、ネギ君の事、2-Aの生徒の事、頼むぞ」

 近右衛門の言葉に、タカミチは真っ直ぐに近右衛門の目を見返した。

「はい!」

 そして、現在に至る。最初に見た時は驚いてしまった。元々小柄で、どちらかと言えばナギの様な精悍さとは程遠い可愛らしい顔立ちで、どう見ても女の子にしか見えなかったからだ。
 だが、すぐに当たり前だろ、と自嘲した。ネギは10歳であり、今は女体化の薬を飲んでいるのだから。そして、タカミチは隣を歩く少女の姿をした尊敬する最強の魔法使いの面影を残す少年、ネギ・スプリングフィールドに顔を向けた。変な顔をしていたのか、ネギは不思議そうにタカミチの顔をみつめていた。

「ネギ君。不安かい?」
「だ、だいじょうびゅ……」

 言葉を噛んだネギの様子にタカミチは苦笑しながら、ネギの頭を優しくポンポンと叩いた。
 そして、目を細めて言った。

「まずは、修行については考えなくていいよ」
「え?」
「最初の仕事は皆と慣れる事だからね。お友達を作りなさい。年上で、気後れしてしまうかもだけど、それでも、きっと、楽しくなるよ」

 ニコッと微笑みながらタカミチが言った。すると、ネギは不安そうに呟いた。

「僕、ちゃんと出来るかな?」

 不安を口にするネギにタカミチは優しく言った。

「大丈夫だよ。君はいい子だからね。それに、クラスの子達もいいこばかりだ。きっと、大丈夫。一杯友達を作りなさい」

 タカミチの言葉に、ネギは大きく息を吸うと、「うん!」と元気良く応えた。その顔は、どこか引き締まって見えた。
 教室に着くと、明日菜達がキチンと仕事をこなしたらしい。静かな教室に、先にタカミチが入り、しばらくしてタカミチがネギを呼んだ。緊張しながら中に入ると、そこには好奇心に目を輝かせる女の子達で一杯だった。

「じゃあネギ君。自己紹介を」

 タカミチが言うと、ネギは「は、はい」とドキドキと爆発する様に跳ねる心臓を押えて笑顔を作って言った。

「ネギ・スプリングフィールドと言います。イギリスから来ました。よろしくお願いします」

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