第十六話『麻帆良防衛戦線』

魔法生徒ネギま! 第十六話『麻帆良防衛戦線』

 月明りの下、麻帆良と外の狭間にある森のアチラコチラで巨大な爆風が起こり、竜巻が生じ、氷の柱ができ、雷が大地を蹂躙している。麻帆良は一つの街であり、その広さは埼玉県の約十分の一を占める。その広大な敷地の外周で、麻帆良全体の魔法使い、術師、剣士が戦闘を行っていた。
 人手不足の為に伝令以外は戦闘魔法使い以外の魔法使いまでも駆り出されている状況だった。麻帆良学園本校女子中等学校から一番近い境界の森でも、凄まじい戦闘が行われていた。

「クソッ、なんという数だ!」

 魔弾を眼前に犇めき合う様に蠢く魔物の群れに放ちながらガンドルフィーニは呻いた。

「黙って動け! 一体でも取りこぼせば生徒達に被害が及ぶんだぞ!」

 神多羅木の叱咤の叫びに、侘びを入れながらも、ガンドルフィーニの顔には苦渋が混じる。

「殲滅か……」

 それは、数分前に発せられた近右衛門による全魔法使いへの命令だった。
『今宵の敵は数が多く、実力も並では無い。現在全ての戦闘可能な者達を引退しておった者も含めて16歳以下の未熟な魔法生徒以外は全員出撃させておる。つまり、一体でも取りこぼせばそれが大惨事へ繋がる! よいか、今宵は殲滅戦じゃ。魔物も魔法使いも捕らえたり保護をするという考えを捨てよ! 今宵は殺害を許可する。16歳以下の魔法生徒に関しては拒否の権利を与えるが、その場合は戦闘に出る事を禁ずる。今宵は殲滅戦じゃ! 逃げる者は追わんでよいが、それ以外の者は生かすな! 隙を衝かれて学園内に進入されれば生徒達に危険が迫る! 繰り返す、今宵は殲滅戦じゃ!』
 それは、敵を人間も魔物も関係無く殺せという命令だった。その命令に拒否は許されない。何故なら、そうしなければ一般の生徒達に危険が迫るからだ。
 ガンドルフィーニと神多羅木の戦場から離れた場所で、一人の女性が雷光を纏った太刀を振るっていた。

「どうなってるのよ、今迄黙っていた連中まで……」

 一人口を言っていると、視界の隅で巨大な鬼が炎の塊を吐こうとしているのが見えた。

「雷光剣!」

 黄金の光が爆風の様に広がり、次の瞬間に女性、葛葉刀子の周囲には焼け焦げた木々と地面しか残っていなかった。

「折角今夜は彼とディナーの約束だったのに……、許さん!」

 刀子は凄まじい速度で森の中を駆け抜けながら容赦無く麻帆良に攻め込む敵の軍勢を駆逐していった。
 麻帆良学園全体の戦いは熾烈を極めていた。

「ディグ・ディル・ディリック・ヴォルホール! 渦巻け疾風『風爆』!」

 神多羅木の翳した掌の先に風の球体が発生し、神多羅木は風の球を目の前の悪魔の軍勢の中心に向けて放った。風の球体は一瞬ボーリングの玉程だったのをビー玉並みに小さくなり、次の瞬間に爆発した。風の爆発を至近距離で受けた悪魔は体を吹飛ばされ、木に叩き付けられたり、木の枝に串刺しにされた悪魔が元の世界へ還って行く。そのまま怒り狂い襲い掛かってくる悪魔や鬼、違う術者に召喚された者同士が一斉に神多羅木に襲い掛かるが、手首のスナップに気を乗せて次々と悪魔達の首を刎ねて元の世界へと還して行く。

「今の所強くて騎士クラスか……。だが――」
「ああ、恐らくは上位クラスの悪魔や鬼も現れるだろう……」

 神多羅木の呟きにすぐ傍で魔法を放っているガンドルフィーニが答えた。

「しかし、こう数が多くてはいずれ疲弊して、必ず見落としが出てくるぞ――」

 ガンドルフィーニが吐き捨てる様に言った。

「コッチが殺す気で戦ってるのに相手さんも気付いたのさ。それで尚逃げないのはつまり――」
「相手も殺陣の構え――という訳か」
「奥さんと子供も麻帆良市内だろ? 無理はするなよ?」

 神多羅木の言葉に一瞬ポカンとすると、ガンドルフィーニは苦笑いを浮べた。

「だからこそ、一体たりとも中には入れられんのだから……、多少は無理しないとね」
「フッ――」

 神多羅木の風の魔弾が悪魔達の首を刈り取り、ガンドルフィーニが燃やす。悪魔も鬼も魔物も魔法使いも術師も関係無い。既に全力での戦闘をかなりの時間続けている。
 先の見えない状況で、ガンドルフィーニと神多羅木はさすがに疲労を禁じえなかった。悪魔達の攻撃が一斉に発射される。炎や雷、吹雪、岩石塊、礫、風あらゆる属性の攻撃が同時に放たれている。

「風よ、我等を!」

 神多羅木の手の先に旋風の障壁が顕現する。

「拙いな、避けた方が懸命だったか……」

 神多羅木は猛烈な魔力消費に舌打ちをしながら風の障壁の風の流れを読み、手首のスナップに乗せた気弾を空いている手で放った。

「一気に消し飛ばしたい気持ちで一杯だが………」

 ガンドルフィーニは風の障壁から抜け出して悪魔達に炎の魔弾を浴びせかけた。

「敵はまだまだ増える。馬鹿な真似は出来――――ッ!?」

 悪魔達の砲撃が止み、風の障壁を解除すると神多羅木は突然目の前に降り立った巨大な悪魔に一瞬体が固まってしまった。

「しまッ!?」
「神多羅木先生!」

 ガンドルフィーニが思わず振り返ると、その背後に一体の鬼が現れた。

「クッ!」

 ガンドルフィーニの脳裏に、一瞬麻帆良市内に居る妻と子の顔が過ぎった。

「終わりか……」

 魔法の発動が間に合わない。発動しようとしている間に自分は肉塊になってしまうだろう。それを悟ったガンドルフィーニは目を瞑った。

「すまん、二人共……」

 その時、どこからか少女の声が響いた。

「敵を喰らえ、『紅き焔』!」

 瞬間、自分の前方で途轍もない熱さを感じて目を開いた。ガンドルフィーニの眼前で、悪魔達が焔に焼かれながらのた打ち回り元の世界へ還っていく。神多羅木の方に視線を送ると、神多羅木の目の前には巨大な仮面をつけた漆黒のマントを身に着けたナニカが神多羅木を護るように君臨していた。

「あれはッ!?」

 ガンドルフィーニが視線を彷徨わせると、少し離れた場所で二人の少女が呪文の詠唱をしていた。助かったという安堵と同時に、寒気がした。

「何をしに来た!」

 悪魔達に焔の魔弾を浴びせながらガンドルフィーニが叫んだ。今夜の戦闘では16歳以下の魔法生徒は例外を除いて戦闘に参加させない意向だった。
 殲滅戦であり、下手をすれば未熟な精神が汚染されてしまう可能性があり、殺されてしまう可能性も高いからだ。二人の少女、麻帆良学園の聖ウルスラ女子高等学校に通う二年生の高音・D・グッドマンと麻帆良学園本校女子中等学校に通う今日から二年生に上がったばかりの佐倉愛衣だった。
 二人共正義感が強く、恐らくは今宵の戦いを放っておく事が出来なかったのだろう。高音は複数の陰を出現させ、数対を自分と愛衣を守る為に残し、残りを魔物の軍勢へ走らせた。愛衣は爆炎を巻き起こし、敵を駆逐していく。

「申し訳ありません。ですが、どうしてもジッとしている事が出来なくて……」

 高音の謝罪に視線を向けずに愛衣も謝罪する。正直言えば、二人が来なければ自分も神多羅木も生きては居ない。その事には感謝しても仕切れないほどだ。だが、このまま一緒に戦うという選択肢を取る事は大人として出来なかった。

「君達は帰りなさい。さっきは助かった。本当だ。感謝している。だが、今夜は殺人も已む無しの状況だ。相手もそう考えている。分かるね?」

 ガンドルフィーニは極力優しく諭す様に言うが、高音も愛衣も首を振るだけだった。

「私達は“立派な魔法使い”を目指しています……。自分の身近で戦いが起こっているのに、黙って安全な場所で眠っているなど出来ません!」
「お姉さまの言うとおりです。私達だって戦えます。先生達と一緒に戦えます!」

 高音と愛衣の言葉に、ガンドルフィーニは涙腺が緩みそうになってしまった。自棄になっている訳でも無い。判断力が無い訳でも無い。状況が分かっていない訳でも無い。それでも、二人は戦うと言うのだ。麻帆良学園の為に――。
 立派だと感じた。尊重させてあげたいとも思った。だが――。

「駄目だ!」
「先生!」
「私たちは……」

 ガンドルフィーニに反論しようとする二人の少女に、ガンドルフィーニは優しく微笑みかけた。

「明日も学校があるんだ。今日は残業が長引く。君達は明日の為に寝なさい。今日は始業式で疲れているだろう? ここは――大人に任せなさい」

 ガンドルフィーニは敢えてそう言った。帰る理由と、大人に任せなさいという大人への遠慮を強要させ、二人を戻す為に。だが、二人は首を振った。

「私達は逃げません!」
「先生達と一緒に戦います!」
「しかし!」
「ガンドルフィーニ!」

 ガンドルフィーニが言う事を聞かない二人に声を上げると、神多羅木が叫んだ。やんわりとした笑みを浮べている。

「お前の負けだ」
「だが、今夜の戦いは!」
「俺達はなんだ?」
「は?」

 ポカンとするガンドルフィーニに、神多羅木はガンドルフィーニの背後に迫った鬼の首を落としながらニヒルに笑みを浮べた。

「大人だ。大人ってのは、子供を導き、子供を護り、子供の為に道を開くもんだ。そうだろ? 死なせなければいい、それだけだ。二人共、魔法使いを殺さなくていい。俺達がお前達をサポートする。やってみろ」

 神多羅木の言葉に、ガンドルフィーニは盛大な溜息を吐き、高音と愛衣は顔を輝かせた。

「はい!」

 二人の声が重なった。

「全く、これでますます、今夜は忙しくなるな」

 諦めた様に言いながら、ガンドルフィーニの顔には笑みが浮かんでいた。瞬間、周囲に凄まじい光の波が襲った。

「これは!?」

 ガンドルフィーニが驚愕の叫びを上げ、高音と愛衣が悲鳴を上げた。

「千の雷――学園長か!?」

 神多羅木の言葉に、ガンドルフィーニ達は天高く巻き上がった土煙が竜の形を象るのを見ながら寒気を覚えた。

「あれが学園長先生の魔法?」

 愛衣が呆然としながら呟くと、その背後に迫った鬼を神多羅木が還した。

「さあ、俺達は俺達の戦いに専念するんだ」

 神多羅木は最後にもう一度だけチラリと土煙の竜が暴れる遠方を見て、再び呪文を詠唱し始めた。手首のスナップに乗せた気弾を放ちながら。

 時刻を少し遡る。麻帆良学園と外を繋ぐ境界の森の一角で、木々が薙ぎ倒され、地面に幾つものクレーターが出来上がっていた。その中央に、一人の男が君臨している。その場を支配する王が如く。その口には余裕の現われか煙草が咥えられ、独特な香りが周囲を満たしている。

「さあ、実力の違いは分かっただろう――帰れ、これ以上戦うと言うならその命を奪わなければならなくなる」

 銀髪のオールバックに銀の薄縁の細眼鏡を掛けたブラウンのスーツを着て両手をポケットに入れている男――高畑.T.タカミチが最終通告を行っていた。それは懇願にも近い。命を刈り取る事を良しとしないタカミチのせめてもの慈悲だった。

「巫山戯るな! 今宵こそは麻帆良を落としてくれる!」
「西洋魔法使いの狗共が! 貴様等に臆する道理は無い!」

 魔法使い達の叫びにタカミチは歯軋りをした。

「馬鹿な……。近衛近右衛門学園長が戦線に立っているんだぞ!」
「なに!?」

 タカミチの叫びに、何人かの呪術師が反応した。近衛近右衛門――その名は日本の魔術師達にとっては畏怖と嫌悪と憧憬の象徴だった。西洋魔法使いに組した裏切り者でありながら、関西呪術協会の長の義父であり、日本最強の魔法使いでもある。

「今ならば間に合う、逃げるなら追いはしない! だが、二度と戻るな!」

 タカミチの叫びに、何人かの呪術師が逃走を開始し、直後に天空から凄まじい雷が降り注いだ。

「――――ッ!?」

 一瞬にして悪魔も鬼も魔術師達も周囲の木々や草花や地面と共に一瞬にして蒸発してしまった。深く抉れた先に真っ赤に溶解している地面が見える。タカミチが絶句していると、その背後から声が響いた。

「逃げる者は追わんでいいと言ったが、逃がせとは言っておらんぞ?」

 声の主は誰あろう近衛近右衛門その人だった。凄まじいプレッシャーにタカミチの身が竦んだ。全くの無表情に冷水の如き冷たい口調が恐怖を誘う。

「だからお主は師に追いつけぬのじゃ」

 その言葉が重く圧し掛かった。歯を食い縛りながら、タカミチは別の戦地へと駆け出した。

「若いのう」

 しみじみと呟きながら、己の放った『千の雷』の余波で舞い上がった土煙に向けて掌を掲げる。

「契約により我に従え、砂漠の覇王……『砂塵の大蛇(ナーガ・ラジャ)』」

 近右衛門が手をグルグルと回すと、砂煙が集まりだし、やがて巨大な中国の伝承にある龍神の様な姿を象った。近右衛門は大地を蹴ると、遥か上空の砂塵の龍の頭に飛び乗り、下界を見下ろした。

「呪術師と魔法使いに何処か連携の様なものがみられる……。何者かが裏で操っておるのか――」

 一人呟くと、砂塵の龍を操りながら防衛線の穴を攻める敵達に近右衛門は右手を掲げた。

「来れ深淵の闇、燃え盛る大剣。闇と影と憎悪と破壊。復讐の大焔! 我を焼け、彼を焼け、そはただ焼き尽くす者……『奈落の業火』!」

 瞬間、大地が炎の海に沈んだ。あまりにも壮絶な光景だった。夜闇が炎の明かりによって紅蓮に染まる。やがて敵を蒸発させ尽くした炎は火種一つ残さずに消え去った。
 直後、近右衛門の砂塵の龍を囲う様に巨大な鬼が出現した。見上げるような、それでも近右衛門からは見下ろす形になるが、それでも巨大なビルの様な大きさの鬼が出現した。

「鬼神か……。全く、嫌われたもんじゃわい。じゃが、その程度じゃ麻帆良は落ちんよ」

 近右衛門は砂塵の龍を維持したまま呪文を詠唱し始めた。

「百重千重と重なりて走れよ稲妻。『千の雷』!」

 天空から稲妻の柱が伸び、鬼神を貫いていく。囲んでいた鬼神を数秒で滅ぼし尽くすと、小さく息を吐いた。

「さすがに衰えておるな……」

 連続した大魔術の連発の為に魔力を一気に放出した近右衛門は強い倦怠感を感じながらもそれを表情に出さずに砂塵の龍を操り境界の森を見回り続けた。どんな小さな人影も見逃さず、死体も残さずに焼却しながら――。

 その光景を遠目に見ながら、肌の黒い銀髪のシスターが小さく溜息を吐いた。

「どうしたんスか、シスターシャークティ?」

 傍で周囲を見渡しながらネギのクラスメイトである春日美空が不思議そうに首を傾げた。

「アレですよ」
「んん~?」

 シャークティの視線の先を見ると、そこに巨大な炎が巻き起こり、かと思えば凄まじい雷の柱が何本も出現し、その合間を縫う様に巨大な龍が宙を飛んでいる。

「何だあれ~~~~ッ!?」

 美空の叫びが周囲に木霊した。

「学園長ですよ。さて、貴女が騒いだおかげでどうやらお客様ですわ」

 シャークティが振り向くと、そこには視界を埋め尽くす程の大量の魔物の軍勢が犇いていた。

「って、いつの間に~~~!?」
「貴女は下がっていなさい」

 言うと、シャークティは大量の十字架を取り出して虚空に放り投げた。

「全く、魔法使いとの仲を取り持とうとしている私達の苦労も知らずに――。私達の苦労を水の泡にする事は断じて許しませんわ」

 放られた十字架が次々に増殖し、襲い掛かる悪魔達に対して壁になる。

「わたくしの術式は“十字架挙栄祭(ラ・クルシフィキション)”。さあ懺悔の時間です」

 両手を広げたシスター・シャークティに悪魔達が牙を剥き炎を吐き出す。

「天にまします我らの父よ」

 悪魔の吐き出した炎は十字架の壁によって防がれる。

「願わくは御名を崇めさせたまえ」

 シスター・シャークティは小さな小瓶を取り出し、その栓を抜いて中に入っている聖水を横に散らし、縦に振り撒いた。聖水の十字架が虚空に浮かぶ。

「御心の天になるごとく地にもなさしめたまえ」

 魔物達から苦悶の声が響く。体が溶けていくかのような苦しみに、魔物達はのた打ち回っている。

「始めに言があった、言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めてに神と共にあった。万物は神によって成った。成ったもので言によらずに成ったものはなに一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。――“無二還レ(イン・プリンシピオ)”」

 瞬間、暖かく柔らかく、どこか怖気の走る程に清らかな浄化の光が周囲を覆った。直後、視界を埋め尽くすように蠢いていた魔物達が一体残らず消滅していた。

「やった! さっすがシスター・シャークティ!」

 美空が大はしゃぎで隠れていた木から飛び降りてくると、シスター・シャークティは首を振った。

「未だ終わっていませんわ――」
「へ?」

 美空がシスター・シャークティの指し示した方向に顔を向けると、そこにはさっきと同じくらいの大量の魔物の軍勢が犇いていた。

「うぎゃ~~~~~ッ!!」

 耳を劈く様な悲鳴を上げる美空にシスター・シャークティは溜息を吐くとさっきと同じ様に十字架を壁にした。

「下がっていなさい美空」

 シスター・シャークティの言葉にコクコクと頷いて美空が隠れると、シスター・シャークティは右手を掲げて五本の十字架を十字架の壁から更に高い位置に浮かせ、十字架の形を取らせた。

「我はキリストの御名において厳命いたす。いかなる箇所に身を潜めていようとその姿をあらわし、汝が在るべき場所に還るがよい。消え去るべし、いずこに潜みおろうと消え去り、二度と神の創りし今世を求める無かれ。父と子と聖霊の御名により、今世から離れよ。さもなくば汝らの魂は彼の世ですらも拒絶される。それでも我は汝らの為に祈りを尽くそう。――“主よ、憐れめよ(キリエ・エレイソン)”!」

 シスター・シャークティの詠唱が終わると、いつの間にか魔物の軍勢の頭上に移動していた五本の十字架から光が溢れた。魔物達の顔に安らかな表情が浮かび、やがてその姿が陽炎の様に薄れていき――消え去った。

「かっけ~、てかこれって魔法なの!?」

 美空が目を輝かせながら騒ぐと、シスター・シャークティは小さく溜息を吐いた。

「これこそが信仰の力なのですよ。相手が何者であろうと許す。これこそが神の教えなのです。異端と言い、誰かを罰するというならば、只の一度も己が罪を犯さなかったのかを一度見つめ直さなければならないのです。悪魔や魔法使いもまた神の被造物なのです。ならば、全ての被造物には神の痕跡が見出されるのです。それに例外などなく――」

 シスター・シャークティは慈愛に満ちた表情を浮べた。

「――“汝らのうち、罪を犯した事のない者が最初に石を投げよ”。ヨハネ福音書八章七節の石打ち刑に処せられようとしていた女を主イエスが救った時の言葉です。神の教えを正しく理解せず、異端を狩るなどと――それこそが神に対する冒涜に違いないのです」

 キラキラと後光すら差して見えるシスター・シャークティに、美空はどこか遠い距離を感じた。

「何言ってるか分かんねえ……」

 遠い目で美空はシスター・シャークティを見ていた。

 同時刻、暗い森の中に絶え間なく銃声が鳴り響く。重なる悲鳴によって恐怖が伝染し、魔法使い達は躍起になって狙撃手を配下の悪魔達に探させている。

「私の居場所が分かるかな?」

 ニヒルな笑みを浮かべ、ネギのクラスメイトの一人、龍宮真名が改造の施された魔銃のスコープを覗き込みながら呟いた。スコープから覗いた先には怒声を上げながら周囲を見渡し続ける魔法使いや魔物の姿がある。

「しかし、多過ぎるな。術者を狙っては居るが、さすがに全員は表に出てきていないのも居るか――」

 舌打ちしながら、魔銃の弾丸を新たに装填し直す。

「どんな調子ネ、龍宮さん?」
「超か? ああ、中々に使い勝手がいいな。だが、広範囲に影響を及ぼす弾丸が欲しい。術者だけを狙うにも限界があるのでね」

 背後に突然現れた団子髪の少女、超鈴音に真名は疲れた様に言った。

「いったんラボに戻ればあると思うネ」
「持ち場はいいのか?」
「“機体番号:T-ANK-α・試作型”達はハカセに任せてるヨ」
「そうか、なら頼むよ。代金は学園長に請求してくれ。今回は大仕事だからな、がっぽり報酬を貰わなければならんな」
「目玉飛び出る額を請求するといいネ。じゃあ、取ってくるネ」
「ああ、頼むぞ。さて、私は狙撃に戻るとするよ」
「がんばるよろし」

 超がラボに戻るのを見送ると、真名は小さく息を吸った。
 長時間の狙撃は骨が折れるのである。

 ――麻帆良学園内にある笠円山の『笠円寺』。

「まったく、近右衛門もいい加減に引退すればいいというのに――」

 遠目に見える砂塵の龍を見ながら呆れた様な口調で呟くのは一人の老僧だった。

「てか爺さん、アンタも歳なんだぜ? いい加減俺に任せて御山に戻ってろよ」

 黒の法衣に金色の袈裟を着けた老僧に、アロハシャツを着た長髪を首の後ろで縛っている金髪の青年が面倒そうに言った。

「馬鹿もん! 今夜は敵が大挙して攻めて来ておる。お前のようなうっかりした小童に任せてられんわ! 任せろというならまずはせめてその馬鹿みたいな髪を剃らんか!」

 老僧の喝が飛ぶが、青年は口笛を吹きながら聞き流す。

「へぇへぇ……ッと! 式が帰って来た。アッチに敵さんが集まってるらしい。爺さんはココで待ってな。俺が片付けてくるぜ」
「待たんか法生!」

 老僧の言葉に顔だけ振り向き法生はウインクするとジーンズのポケットから独鈷杵を取り出した。

「任せとけって、爺さん!」

 森の中を駆け抜け、式から得た情報にあた場所に辿り着くと、そこは既に戦場になっていた。

「臨める兵、闘う者、皆陣をはり列をつくって、前に在り!」

 九字を切り、刀印で中央を切り鬼達を相手にしているのは法生と同い年くらいの巫女服の女性だった。法生はその姿を見てやる気が一気に上がり口笛を吹いた。同時に、法生の式が素早い速度で女性を背後から襲おうとした悪魔を一瞬で切り裂いた。

「――――オンキリキリバザラバジリホラマンダマンダウンハッタ! オンサラサラバザラハラキャラウンハッタ!」

 法生の呪文を聞いた途端に、鬼や悪魔は苦しみだした。

「なに!?」

 女性が驚いて振り返ると、苦しみながら一体の鬼が女性に襲い掛かった。

「きゃあ!?」
「オンアミリトドハンバウンハッタ!」

 女性を庇う様に鬼と女性の間に体を押し込み、法生は呪文を唱えて独鈷杵を振るった。直後、鬼は火傷を負ったかのように煙を体から発して呻いた。

「オンビソホラダラキシャバザラハンジャラウンハッタ! オンアサンマギニウンハッタ! オンシャウギャレイマカサンマエンソワカ!!」

 呪文を詠唱し終え、法生が独鈷杵を地面に突きつけると、空間を眩い光が包み込んだ。

「浄化の光……不覚、寺の不良息子に助けられた」
「惚れると火傷すんぜ? 龍宮神社のバイトの梅ちゃん」
「梅って呼ぶな! 苗字で呼べ!」
「やなこった……っと、楽しいお喋りは今夜は無しかな?」
「楽しくないけど……今夜は忙しいわ」
「んじゃ、一緒に頑張ろうぜ?」
「一人で頑張ってなさい!」

 そう言うと、梅は一気に鬼達に向かって走り出した。口笛を吹き、式に援護させながら法生はその姿をニヤニヤ笑みを浮べながら見ていた。

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