第十五話『暴かれた罪』

「千鶴さん! お前、その人に何したんや!?」

 小太郎の怒鳴り声にも笑みを絶やさず、ヘルマンは背筋を伸ばすと小太郎とネギは警戒心を露わに、それでも千鶴を気にかけているのが見て取れた。

「ネギ・スプリングフィールド君だね?」

 ネギはビクッとしてヘルマンの顔を見た。何が嬉しいのか、その顔には偽りのない笑みが刻まれている。

「貴方は……?」
「私の名はヴィルヘルムヨーゼフ・フォンへルマン。なるほど、随分と成長したようだ」
「え?」

 ヘルマンの言葉に、ネギは目を見開いた。

「さて、場所を移さんかね? ここでは色々と面倒だ」
「って、待てやおっさん!」

 ネギと小太郎の脇を通り過ぎるヘルマンに、小太郎が噛み付いた。

「何かね? 君には用は無いのだが……」
「そっちに無くてもコッチにはある! 千鶴さん離せや!」

 ヘルマンの腕の中には、未だに気を失っている千鶴の姿があった。

「お断りさせてもらおう。彼女を助けたいのならば尚の事私に付いて来る事だ。ネギ・スプリングフィールド君」

 ヘルマンは鋭い眼差しを向けるネギに微笑を漏らしながら言った。

「分かりました」
「ネギ!?」

 ヘルマンの言う事を聞くネギに小太郎は目を丸くした。

「駄目だよ、小太郎君。相手がどんな人か分からない……。下手に刺激して千鶴さんに何かあったら……」

 小太郎は俯いた。ネギが歯を食いしばり、皮膚が千切れて血が出る程強く拳を握っている事に気がついたのだ。

「……悪い」

 フッと笑みを浮べて歩き出すヘルマンの後を、ネギと小太郎は続いた。意図しているのか、全く歩みを止めず、速度も落とさずに自然な動作で進みながら、違和感を感じる程に誰にも会わなかった。教師や生徒に全く気付かれる事なく、ヘルマンは広い公園に入った。人は誰も居ない。

「――――ッ!?」
「おや、気がついたようだね」

 ネギはハッとなって遠くの空を見上げた。ヘルマンは振り返らずに言った。

「どうし……ッ! なんや!?」

 小太郎も気がついた。ネギの視線の向こうで、強大な魔力が蠢いているのを。

「どうやら、我が主も標的を見つけたようだ」
「標的?」

 ネギはヘルマンを見た。

「さよう、我が主は復讐者。先達の勤めとして……、一つ教授して進ぜようか」
「教授……?」
「やったらやり返される。当然の事でありながら、人はいつも忘れてしまう」
「やったら、やり返される……?」

 ヘルマンの言葉に、ネギは怪訝な顔をした。

「昔々のお話だよネギ君。ある少し大きな村に一人の子供が居りました。子供は親に捨てられ、掃き溜めの様な人生を送り、この世の地獄を垣間見たのです。ある日、真っ暗闇の中で枯れた涙を流す子供に一筋の光が現れました」
「い、いきなりなんやねん」

 唐突に始まったヘルマンの話に小太郎は戸惑った。ネギは怪訝な顔をしながらも好機と見て小声で杖を呼んだ。ヘルマンは無視して話を進めた。

「その男は敬虔な神の教えを請う信徒の一人でした。常に身を清らかにし、貞操を護り、神に祈りを捧げ、あらゆる者に救いの手を差し伸べ、慈悲を与える聖職者でした」
「――――」

 ネギは、耳に心地良さを感じた。あらゆる人に救いの手を差し伸べる者。それは、神に祈りを捧げる一辺を除けば、自分の理想その物だった。

「子供は男に救われ、食事の喜びを知り、睡眠の快楽を知り、人の温かさを知り、神の教えを知りました。自分を闇から光に引き摺りあげてくれた男を、子供が愛するのに時間は要りませんでした。ですが、男は子供に慈愛は与えても、性愛を向ける事は決してありませんでした」

 ヘルマンの話にネギと小太郎は聞き惚れていた事に気付き、同時に話の内容に顔を赤くした。

「男は“神の為に生き、神の為に死ぬ”。そう誓いを立てていたのでした。それでも、子供は只管に男を愛しました。それを男も知っていました。自分の残酷な行いを理解し、それでも神への誓いを裏切る事の出来ない男は、徐々に心を痛め精神を病んでいきました」

 ネギと小太郎は圧倒されてしまっていた。人から受ける愛と天秤に掛ける事の出来るほどの神への信仰心に。

「男はやがて自分の中で子供に惹かれている事に気がついてしまいました。子供はあまりにも美しく成長し、男に一途な愛を与え続けた事で、男の神への誓いに綻びが生じ始めたのです。男は自分の中に生まれてしまった感情は悪と断じました」
「どうして!?」

 ネギは思わず叫んでいた。人への愛が悪などと断じた男の心が分からなかったのだ。

「神への誓いに綻びを生じさせたモノであり、その感情そのモノが“神に対する冒涜”だったからだよ」
「神への……冒涜?」

 小太郎は意味が分からずに怪訝な顔をした。

「まあ、そこは話の筋にはあまり関係の無いので割愛させて頂こう。彼は悪と断じた感情を殺す術を探した。そうして彼が辿り着いたのは神の命を受け悪魔を断罪し滅する“神の力(エクスシアイ)”だった。彼は得た力と共に教会の深部に存在するある機関に入った」
「ある機関?」

 小太郎が聞くと、ヘルマンは言った。

「彼の所属するロシア教会の“殲滅機関”と呼ばれる部署だよ」
「――――ッ!?」

 ネギは目を見開いた。最近になって聞いた事のある名前だったからだ。“ロシア教会殲滅機関”、それは――。
 ネギは悪寒に襲われた。

「殲滅機関……?」

 小太郎が尋ねた。

「教会によって違うけど、魔法使いを異端として断罪する機関の事……って前に聞いた事があるよ」

 ネギが思い出す様に言うと、小太郎は目を細めた。

「さよう、男は異端……つまりは魔法使いや異端な生き物を滅する事で自身の内に生まれた“悪”をも殺そうとしたのだよ」
「そんな!?」

 幾らなんでも馬鹿げている。ネギはそう思わずにはいられなかった。

「馬鹿げていると思うかね?」
「え? それは……」

 まるで心を見透かしたかの様な言葉に、ネギは何も言えなかった。

「私はむしろ美しいとすら思うよ。それほどまでに神を妄信し、いつしか自身を悪に堕としてしまう。まさに彼はヒトだったのだよ。己が葛藤や欲望、信念によって容易く善にも悪にもなる。だが、報いはいつかやってくる」
「報い?」

 小太郎が尋ねると、ヘルマンは頷いた。

「殺されたのだよ。ある異端を狩る為に向かった北欧のある廃村でね」

 ドクンと心臓が跳ねた。ネギは目を見開き、段々と理解し始めた。

「その異端って……」

 ヘルマンはニヤリと笑みを浮べた。

「知っているようだね。異端の名は――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」

 そして、とヘルマンは指を鳴らしながら言った。

「男の名はアレクセイ・ヘス司祭。エヴァンジェリン討伐任務の末に殺害された男の名だよ」

 ヘルマンの背後に巨大な水球が発生した。警戒する小太郎とネギにヘルマンは苦笑を漏らした。

「安心なさい。彼女は私自身のお気に入りなのでね。人質にするつもりも何も無いのだよ」
「おっさん、何者なんや?」

 詠唱無しで巨大な水球を作り出したヘルマンに小太郎は警戒心を強めた。

「少し待っていたまえ」
「何する気や!?」

 ヘルマンは小太郎の叫びに答えず、千鶴の体を水球の中に入れて閉じ込めた。

「これで、心置きなく戦えるだろう? 安心したまえ、中で溺れるなどという事はない」
「安心なんて出来るか! 大体、お前の話意味分からんわ! 誰やねんエヴァンジェリンって。それに、ネギはその話に全く関係ないやんか!」
「あるのだよ。アレクセイ司祭の死の報せが届いた時、我が主はエヴァンジェリンへの復讐を決意した。すると、どうだろう? アレクセイ司祭の死後、同時期にエヴァンジェリンがある男と行動を共にしているではないか」
「それがなんやねん!?」
「ナギ・スプリングフィールド――それが、エヴァンジェリンと共に行動していた男の名前だ」
「なッ!?」

 小太郎は思わず隣に居るネギに顔を向けた。

「それがどうしたの?」

 ネギは睨む様にヘルマンを見た。

「ふむ。分からんかね?」
「つまり、お前の主はそのエヴァンジェリンとかいうのと一緒に行動しとったナギ・スプリングフィールドをも復讐の標的に定めたって事やな?」
「え?」

 ネギが目を丸くしていると、ヘルマンは心底嬉しそうに笑った。

「正解だよ、少年」
「そんな! お父さんは殺しても、エヴァンジェリンさんの手伝いをした訳でも無いのに!」
「そうなのかね? ああ、そうか……、君はエヴァンジェリンと親交を持っているらしいね。全く物好きなものだよ、君達親子は」
「な!?」

 ネギは怒りで声が出なくなってしまった。パクパクと口を開くネギにヘルマンは微笑を漏らした。

「さて、これで私が君を訪ねた理由は分かってもらえたかね?」
「要は、ナギ・スプリングフィールドが死んでるさかい、代わりにネギを標的にしたっちゅうこっちゃろ? アンタ、ほんまに何がしたいんや? 自分の主の馬鹿自慢してどないすんねん」

 小太郎の呆れたような言葉にヘルマンは苦笑した。

「馬鹿自慢と言われるとは心外だ。私は紳士なのでね。戦う相手に礼儀を払っているだけなのだよ。いきなり理由も分からず襲われては混乱するだろう? 戦うからにはお互いにパーフェクトなコンディションであらねばならないと常々思っているのだよ。それに、そろそろ君が呼んだ杖が上空で呼ばれるのを今か今かと待っているのではないのかね? ネギ・スプリングフィールド君」
「グッ」

 気付かれていた。ネギは忌々しげにヘルマンを睨みながら、上空に待機させていた杖を呼んだ。

「さて、では一手手合わせ願おうか」

 右手で帽子を押えながら、獰猛な獣の如き眼差しをネギに向けながらヘルマンは左手を掲げた。

「クッ、ラス・テル マ・スキル――」
「遅いな」

 杖を掲げて詠唱を始めるネギに、ヘルマンは掲げた左手に一瞬で膨大な魔力を集中すると虚空を殴りつけるようにして魔力をネギに向けて放った。

「犬上流・空牙!」

 呆然としているネギを抱えながら、小太郎が右手で気の斬撃を放ち僅かに魔弾の軌道をずらして回避した。

「小太郎君!?」
「少年、君を殺す理由は無いのだがね……。引いてはくれまいか?」

 ヘルマンは帽子から手を離すと肩を竦めながら言った。

「女に手ぇ出すなんざ、三流以下やでアンタ! 引く必要が無い。アンタにゃ俺は殺せへんよ」

 片目を閉じながら挑発するように言う小太郎に、ヘルマンは目を細めた。

「小太郎君、君は関係無いから下がって! 怪我だって完全に治ってる訳じゃないんでしょ?」

 ネギは小太郎を押し退ける様に前に出ると、小太郎に小突かれた。

「痛っ! 何するの!?」
「阿呆、お前じゃ相手にならへん。んな事、初撃で分かったやろ。お前こそさがっとれ。あんなんワイが片付けたる。んで、千鶴さんを助け出してやるで」

 小太郎はニヤリと笑みを浮べると、右手に気を集中させた。

「ふふ、血気盛んな事だな少年。いいだろう、相手をして進ぜよう」

 ヘルマンは左手を腰に、右手を前に出す構えを取った。

「待ってよ小太郎君! これは私の問題なんだから小太郎君を巻き込む訳には――」

 ネギが杖を構えようとすると、小太郎は左腕でネギを制した。

「小太郎だけでええって言ったんやけどな。女は後ろに下がっとき! こういう時は、男にかっこつけさせるもんや!」

 そう叫ぶと、小太郎は学生服のポケットから数枚の符を取り出した。

「『呪幻界』!」

 小太郎が符を放っると、符は光を発して、ネギの目の前に壁を作り出した。

「そこに入っとれ、いくでおっさん!」
「なッ!? 小太郎君!」

 ネギは突然閉じ込められて小太郎の名を叫んだが、小太郎は右手に漆黒の力を集中させると、ヘルマンに向かって駆け出してしまった。

「こんなの、ラス・テル マ・スキル マギステル! サギタ・マギカ、光の十三矢!」

 杖に魔力を集中して光の魔弾を見えない壁に放ったが、壁は微かに軋むだけで破壊する事は出来なかった。その間に、小太郎は右手に集中した漆黒の力をヘルマン目掛けて放った。

「狗神喰らえ! 疾空黒狼牙!」

 漆黒の力は狗の姿に形を変え、ヘルマンに襲い掛かった。

「面白い術だ。魔力とも気とも違う――これが東洋の外法か!」

 五体の狗の姿になった漆黒の力を、ヘルマンは右手を軽く払うだけで吹き飛ばした。

「狗神が!」
「ほう、狗神というのかね? 見た所、憑依術式かね?」
「ご名答ッ!」

 小太郎はヘルマンの背後に回りこんで狗神を纏った拳をヘルマンに振るった。

「遅過ぎるぞ、少年!」
「なにっ!?」

 拳が当る瞬間に、ヘルマンは小太郎の背後に移動して小太郎の肩を軽く叩きながら言った。

「さらばだ少年」

 ヘルマンは拳を小太郎に振り下ろした。

「狗音爆砕拳!」
「――――ッ!?」

 ヘルマンの拳は空を切り、そのまま地面を大きく抉った。瞬間、ヘルマンの背後から小太郎の声が聞こえた。ヘルマンは小太郎の狗音爆砕拳が当る瞬間に小太郎から遠く離れた場所に一瞬で移動した。小太郎は舌打ちしながら右手には既に気を集中していた。

「犬上流・狗音噛鹿尖乱撃!」

 無数の狗の形を模した気の弾丸がヘルマンに降り注ぐ。

「見事!」

 目を見開き、ヘルマンは迫り来る気弾を一瞬で全て弾き、直後に小太郎を地面に叩き落した。が、そこには小太郎の姿は無かった。

「経験が足りんな」

 ヘルマンの姿は掻き消え、直後にヘルマンの体を殴りつけようとして空を切った“二人の”小太郎の姿があった。

「東洋の神秘という奴か」

 二人の小太郎の背中をヘルマンは容赦無く殴りつけた。小太郎の姿は掻き消え、巻き上がった土煙の向こうから狗神が飛来した。

「面白い――」

 ヘルマンの姿は消え、狗神が放たれた方向に居る足に気を集中して瞬動を使おうとしている小太郎の前にヘルマンは拳を振り上げて出現した。

「――――ッ!?」
「だが、だからこそ残念でもある。前途有望なる若者よ……、私は才能のある少年が好きでね。幼さの割りに君は非常に筋がいい」
「何?」

 ヘルマンは小太郎の目の前で拳を制止させた。

「大人しく、引いてはくれれば……君をこれ以上傷つけずに済むのだがね」
「へっ、傷つけるやて? やれるもんなら……やってみい!」
「ぬっ!?」

 小太郎は叫ぶと同時に影分身を発動し、ヘルマンを六方向から同時に攻撃した。

「二人以上にもなれるとは……。それも幻影ではない、これが、影分身というやつか!」

 ヘルマンは凄惨な笑みを浮べると、目の前で拳を振り上げる小太郎を右手で殴り飛ばし、左手で薙ぎ払う様に回転しながら背後と右方向から攻撃を仕掛ける小太郎を一気に四人吹き飛ばした。

「チッ!」

 小太郎は後退しようと地面を蹴った。

「ガッ!」

 背中に凄まじい衝撃を受け、小太郎は一気に吹き飛ばされた。ヘルマンが後退して小太郎が地面に着地する前に背後に回りこんで小太郎の背中を蹴り飛ばしたのだ。

「中々に楽しかったぞ少年。だが、チャンスを棒に振ったのは君自身だ。恨まんでくれたまえ。ナン・レシュ・ヴァウ・ナン・コフ・サメク・レシュ、合わせて666の数字よりネロの名において――」

 ヘルマンの詠唱に応じるかの様に、空気が凍りつく。大地に叩きつけられた小太郎は内臓が傷つき、吐き気と共に血の塊を吐き出しながら恐怖に固まった。
 逃ゲロ――本能が警鐘を鳴らすが、躯が言う事を聞いてくれない。ピシッ! 何かに亀裂が走ったかのような乾いた音が響いた。ヘルマンの掲げた右手の先の虚空が奇妙に歪んでいる。

「――赤龍の力をここに顕現する」

 瞬間、ヘルマンの手の先から真紅の魔力が真っ直ぐに立ち上り、湯気の様に広がると、丸い円を描いた。

「水の竜にして赤き鱗を持つ我等が王にして遥かなる未来に復活するモノよ」

 ヘルマンの頭上に展開する魔法陣が緩やかに回転を始めた。逃げないと死ぬ――そう、分かっているのに体が動かない。喉がカラカラに渇いている。背後で何かが聞こえるが知覚出来ない。耳からの情報も肌からの情報もなにも理解出来ない。圧倒的な“死”。

「手向けとして受け取るといい、少年。幼き身に大器を秘める君に敬意を示し、我が最強の一撃で君を葬ろう」

 ヘルマンの頭上の魔法陣が回転を止め、バシンッ! という音と共に、まるで強化ガラスをガラス割り様のハンマーで殴ったかの様に魔法円に罅が広がった。

「悪魔王の一撃を受けるがよい!」

 内側から、罅が膨らみ小太郎は呼吸が停止した。自分の体が肉片一つ残らず消滅する未来を幻視した。直後、背後でナニカが割れる音がした。

「“復讐の槍(ロンゴミニアド)”!」

 瞬間、公園が光の爆発によって昼間の様に明るくなった。

「姉貴!」
「加速!」

 気が付いた時、小太郎は遥か上空から公園から上空へ打ち上げられる様に凄まじい光の柱が伸びているのを見下ろしていた。公園は巨大な溝が出来上がり、上空を見上げれば、空を覆う雲が真っ二つに切り裂かれ、満天の星空が広がっていた。

「うっ……」

 小太郎は愕然としながらネギに抱き抱えられた状態で小太郎は胃の中の物を吐き出した。内臓を痛め、吐瀉物には血の塊が混ざっていた。

「大丈夫、小太郎君?」

 震えたネギの声が小太郎の耳に届く。

「ネギ……か?」

 未だに治らない吐き気に耐えながら、小太郎は自分を抱き抱えるネギの顔を見上げた。顔を真っ青にしながら、自分を心配そうに見つめるネギに、小太郎は情け無い気持ちで一杯になった。

 ネギとタカミチが退出した後、麻帆良学園本校女子中等学校の学園長室で、学園長の近衛近右衛門は机に肘を乗せ、両手を組んで椅子に座り、デスクの上に立っている真っ白な毛皮のオコジョ妖精に向かって口を開いた。

「して、話とは?」

 近右衛門は鋭い眼差しを向けた。カモは苦々しい表情を浮べている。

「アンタには色々言いたい事があるんだが――」
「かしこいお主は勿論その問答が意味の無い事を知っておる」

 近右衛門は机に置いてあるビスケットを一つ摘み、カモにビスケットの皿を差し出した。

「その通り。ああ、その通りさ。全くな! なんでだ? 姉貴はまだ10歳……数え年でだぞ!? なんで命懸けの試練を課す必要があるんだ!?」

 カモはビスケットに目もくれずに目の端を吊り上げて叫ぶ。

「お主は知っておるんじゃないのかね? 用とはそれに関するものなんじゃろ?」

 カモの言葉を柳に風という風に受け流すと、近右衛門はクランベリーソースをビスケットの上に塗りたくった。立ち上がると、少し離れた場所にあるティーポットからその隣にあるティーカップに熱々の紅茶を注いで、中にタップリと苺ジャムを落として掻き混ぜる。
 甘ったるいビスケットを甘ったるい紅茶で流し込み、近右衛門は満足気に笑みを浮べる。

「ああ、ああそうだよ。分かってるよ! だからって納得してる訳じゃねえんだよ!」

 カモは真っ白な毛皮を逆立てて怒鳴る。

「……全てが終われば、この首だろうが何だろうが持っていって構わん。じゃが、しばし耐えてはくれんか?」

 紅茶を置き、椅子に座ると近右衛門は目を細めて呟くように言った。

「本題に入ろう。最終的に誰も死なずにハッピーエンドだったらいいよな? 絶対在り得ないけどよ」

 ネギ達と対面している時からは想像も出来ない程に礼儀を欠いた柄の悪い態度でカモは鼻を鳴らした。

「はっ、さっさと本題に入れ」

 憐れな老人の姿を演出しても無意味だと理解し、近右衛門は話を進めさせた。カモは汚くわざと唾を飛ばしながら舌打ちをすると口を開いた。

「春休みに姉貴に帰郷させてもらったんだが……」
「おお、会ったか。して、内容は聞いておるか?」
「聞いてるさ。聞いてる……。やる事も分かってる。やるよ。なあ、どうしても姉貴じゃないと駄目なのか? なあ、考えてみようぜ? 世界平和の為に命を空き缶をポイ捨てするくらいの気持ちで捨てる奴がどれだけ居る?」
「問題は質じゃ」

 分かっておるのじゃろう? そう問い掛けるように近右衛門は苦々しい眼差しでカモを射抜いた。

「他にもあったんじゃねえのか?」
「そもそも明日菜君でなければあの剣は使えん。この問答は無意味じゃ。ほれ、用件がこれだけならばとっととネギ君の下に戻れ」

 厳しい口調で近右衛門が言った瞬間、近右衛門の目が大きく開かれた。

「どうしたんだ?」

 カモが不審気に尋ねると、近右衛門は険しい顔でカモを掴むと学園長室を出た。

「侵入者じゃ。それも凄まじい数じゃ――」
「姉貴は!?」
「待て、情報が錯綜しておる。一分黙れ」

 カモが黙ると、近右衛門は脳裏に次々と響く声による情報を凄まじい速度で処理し始めた。

「最初に少年の侵入者がネギ君と接触したらしい」
「何だと!?」

 カモは目の色を変えて近右衛門の手を振り切ろうとするが、近右衛門は離さなかった。

「待たんか」
「何してやがる! 急いで向かわねえと!」
「落ち着け! 情報を全て把握してからにせんか! 現状を分からぬままでは意味が無い。よいか? 少年は問題では無い。経緯は分からぬがネギ君と共闘しておる」
「は?」

 カモは一瞬呆けた様に固まってしまった。

「とにかくじゃ、現状分かっておる事を手短に言う。一回で覚えて走れ」
「――分かった」

 カモは渋々といった感じに暴れるのを止めると、二階建ての学園長室から出て外に出ながら近右衛門は口を開いた。

「現状、麻帆良全体で戦いが起こっておる。始まりはさっき言った少年じゃ。少年の侵入により警備が強化された。そこまでは良かったんじゃが、ここで別の侵入者が侵入した。現在、侵入者の召喚した悪魔と思われる者がネギ君と侵入者の少年と戦っておる。次に残りの侵入者本人じゃが、現在エヴァンジェリンと明日菜君、それに刹那君が戦っておる」
「なッ!? それじゃあ……」
「敵はかなりのやり手の様じゃ。しかも、その侵入者が侵入に成功した事で麻帆良の周囲で今まで時機を待っておった者達が同時に攻め込んでおる。くれぐれもネギ君を頼むぞ」
「こっちに何人か回せないか!? 千草の時と違って今回はアンタの思惑とは違うんだろ!?」
「――回せたら回す。じゃがあまり期待するな。敵の数が多過ぎる。儂も何人か引退しておった者達も引っ張り出す必要があるじゃろう。手が空けば直ぐに向かわせる」

 校舎の玄関に辿り着くと近右衛門はカモを放り投げた。

「なるべく早く救援を頼むぞ!」

 そう叫びながら、カモは見事に前足で地面に着地すると全速力で駆け出した。

「ネギ君と少年はここからそう離れておらん公園じゃ!」

 分かった、そう叫んでいるのが聞こえたが、カモの姿はもう視覚から外れていた。

「さて、儂の方も動かねばな……」

 そう呟くと、近右衛門は念話を飛ばした。

 時間を少し遡り、小太郎を取り逃がした事で腹を立てたエヴァンジェリンは瀬流彦を連れて飲み屋で飲んだ後に瀬流彦と分かれてから風に当っていた。適当に歩いていると、麻帆良学園本校女子中等学校の校舎へと続く道で明日菜と刹那に会った。

「あ、やっほー、エヴァちゃん」
「今晩は、エヴァンジェリンさん」
「神楽坂明日菜、そのエヴァちゃんというのは止めろ……。お前達、こんな所で何をしているんだ?」

 エヴァンジェリンが尋ねると、明日菜が口を開いた。

「私達、ネギを探してるのよ。今日は学園長先生に呼ばれてるからって言われて先に帰ったんだけど、全然帰って来ないから心配になっちゃって」

 明日菜の本当に心配そうな口調に、エヴァンジェリンはふむと腕を組んだ。

「恐らくは修行の件だろうが、こんな時間まで帰っていないのは妙だな」
「でしょ? だから、こうやって探してるわけ。一応学園長室に行ってみようと思って」
「何か、妙なトラブルに巻き込まれて居なければいいのですが……」
「妙なトラブルねぇ」

 刹那の呟きに、エヴァンジェリンは何となく小太郎の事を思い出した。

「――――ッ!?」

 その時、エヴァンジェリンは麻帆良内に新たな侵入者が現れたのを感じた。学園結界と繋がっているエヴァンジェリンは侵入者の存在を感じ取れる。

「二人か……、なにッ!?」
「どうしたの、エヴァちゃん?」

 突然叫んだエヴァンジェリンに明日菜が首を傾げると、エヴァンジェリンは僅かに焦った様に言った。

「侵入者だ。しかも、かなりの数だな。少し待っていろ――」

 目を瞑り、何事かをブツブツと呟くエヴァンジェリンに明日菜は首を傾げて刹那に尋ねた。

「何かあったの?」
「侵入者の様ですね。恐らくは麻帆良が襲撃されているのでしょう」
「ちょ、それどういう事!?」

 刹那は明日菜に麻帆良が襲撃を受ける地である事を説明した。狙われる理由がある事も。刹那が説明を終えると同時にエヴァンジェリンも目を開いた。

「念話で状況を伝えたが、後はタカミチ任せだな。私もッ!?」

 瞬間、上空から光の矢が明日菜達に迫った。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 『氷楯』!」

 エヴァンジェリンが咄嗟に展開した氷の障壁に光の矢が激突するが、最初の衝撃で全体に亀裂が走ってしまった。舌打ちをするエヴァンジェリンの脇で、刹那は制服から符を取り出した。真上に符を放ると、符は煙を上げて吹き飛び、代わりに四本の独鈷杵が明日菜、刹那、エヴァンジェリンを囲むように地面に突き刺さった。

「四天結界独鈷錬殻!」

 エヴァンジェリンの氷の障壁が粉砕した瞬間、明日菜達を護るように三角錐の結界が展開した。

「対魔戦術絶待防御の結界です。敵は……」

 視界が結界を破壊しようと暴れる光の矢のせいで完全に遮断されてしまっていた。明日菜はうっかり結界を消してしまわない様に必死に身を屈めている。

「あれ、もしかして私、隠れる必要無くない?」

 不意に自分の能力を思い出し、更にポケットの中身を思い出した明日菜はポケットに手を入れたが――。

「待て、この結界は簡単には壊れん。お前の能力は強力だが、相手に情報をやる事は無い」

 エヴァンジェリンは明日菜の行動を諌めて鋭い眼差しを結界の向こうに向けた。光の壁が消え、視界が復活して刹那は四天結界独鈷錬殻を解除した。薄っすらと輝く壁が消失すると、並木道の向こうに人影が見えた。

「やっと見つけた――」

 鈴の音の様にゾッとするほど美しい声が響く。明日菜は仮契約カードに手を伸ばし、刹那は竹刀袋から夕凪を取り出して抜刀した。夜闇の中で外套がチカチカと明滅して顔が良く見えない。

「女?」

 吸血鬼であるエヴァンジェリンは遠くに立つ人影をハッキリと視界に捉えた。背はあまり高くない。金砂の髪を月明りに濡らし、背中まで伸びる髪を風に靡かせている。紺色の修道服に身を包み、その瞳だけが禍々しい鮮血色に輝いている。
 エヴァンジェリンの脳裏に警鐘が響く。アレハマズイ――と。

「桜咲刹那、神楽坂明日菜を護って寮に戻れ……」

 小声で唇を動かさない様にエヴァンジェリンは言った。

「え?」

 明日菜がポカンとした表情を浮べる。

「エヴァンジェリンさん、ここは三人で戦った方が……。明日菜さんは一般人とは思えない程に強いですし……」

 刹那が提案したが、エヴァンジェリンは首を振った。

「桜咲刹那、神楽坂明日菜、アレは……人間じゃない」

 忌々しげに女……、というには未だ幼さを残している少女を睨みながらエヴァンジェリンは言った。

「私が戦う。お前たちは――ッ!?」

 エヴァンジェリンが何かを言い切る前に、突然視界が真紅に染まった。

「――――ッ!?」

 倒れ込む様に回避すると、真紅の光を称えた少女の右手を見てエヴァンジェリンは戦慄した。鋭利な殺気と共に、少女の右手をどす黒い魔力が包み込んでいる。

「斬光閃!」

 少女の背後から刹那の声が響き、気の塊が少女の背中にぶつかった。

「まずい!」

 エヴァンジェリンは無理矢理魔力を集中して詠唱を省略し氷の魔弾を少女に放った。氷の魔弾を受けた少女は何事も無かった様にそのまま背後に向けて右手の魔力を開放した。漆黒の魔力の爪撃は地面を大きく抉りながら道の先まで一気に駆け抜けた。

「すみません、エヴァンジェリンさん」

 エヴァンジェリンに押し倒される様に少女の爪撃から庇われた刹那は謝罪と感謝の念を同時に篭めて言うと気を篭めた斬撃を放った。

「百花繚乱!」

 一直線に気の斬撃が少女に向かう。

「どこを狙ってるの?」

 歌う様な声が――背後から響いた。

「アデアット!」

 明日菜の声が響くと同時に鋭い金属音が鳴り響いた。背後に顔を向けた刹那とエヴァンジェリンは明日菜のハマノツルギと少女の漆黒の魔力が覆う右手が鬩ぎ合っているのを見た。

「なんで、私のハマノツルギに当ってるのに魔力が消えないの!?」

 明日菜の驚愕の叫びが響く。エヴァンジェリンが舌打ちして魔力を集中すると刹那が右手に篭めた気を弾丸の様に少女の右手にぶつけ、一瞬の隙に明日菜の体を引き寄せた。

「『氷爆』!」

 少女の至近距離で氷の爆発が起こる。エヴァンジェリンは忌々しげに顔を歪める。少女の姿は一瞬で遥か遠方にあった。

「なっ!? さっきまでここに居たのに!? それにどうして私の能力が効かないの!?」

 明日菜の叫びに刹那が答えた。

「いいえ、明日菜さんの能力は効いていたと思います。ですが――」
「ならなんで!?」
「――消えた瞬間に魔力が復活したんですよ。前の天ヶ崎千草の時の蔦の壁の様に」

 明日菜は千草戦を思い出して悔しげに口を閉ざした。エヴァンジェリンの呪文が聞こえて明日菜はハマノツルギを握り締めた。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 連弾・氷の27矢!」

 氷の魔弾が少女に降り注ぐが、その姿は一瞬でエヴァンジェリンの目の前に現れた。

「『氷神の戦鎚』、解放!」

 瞬間、氷の塊が少女に迫る。少女は小さく笑みを浮べながらその自分に猛スピードで迫る氷の塊を指で突いた。

「『氷爆』!」

 たったそれだけで粉砕してしまった氷を利用してエヴァンジェリンが呪文を唱える。氷の爆風に合わせる様に、刹那が気を纏わせた夕凪で少女に斬りかかる。

「斬魔剣!」

 その対魔物用の術式が施された斬撃を、少女は冷たい視線を向けながら人差し指と中指で受け止めるとそのまま刹那を投げ飛ばそうとして、背後に迫る刃の無い方で斬りかかる明日菜のハマノツルギを反対の右手で掴み、二人を同時に反対方向に投げ飛ばす。地面のコンクリートを叩き割りながら跳ね回るように地面を滑る。
 明日菜はアーティファクトのアーマーが身を護ったが、体を襲ったあまりの衝撃に息が出来なくなった。刹那は何とか受身を取ろうとしたが、衝撃が強すぎて頭を庇った腕がズタズタになり、右腕は圧し折れてしまっていた。

「クソッ!」

 エヴァンジェリンはポケットから魔法薬を取り出そうとして、次の瞬間に少女に殴り飛ばされて遥か遠くにある建物の壁にめり込んでしまった。

「ガハッ!」

 背中に受けた衝撃に全身がバラバラになった様な錯覚を覚え、エヴァンジェリンは猛烈な吐き気と共に血の塊を吐き出した。

「クッ――」

 エヴァンジェリンは忌々しげに少女を睨み付けた。

「ねえ、貴女は本当にエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル?」

 その声が耳元に響いた。目を見開いたエヴァンジェリンの体は一気に遠く離れた場所で漸く呼吸が整い立ち上がろうとしていた明日菜の下に蹴り飛ばされた。咄嗟に障壁を張ったが、エヴァンジェリンの体は地面を抉りながら地面に当ってから数十メートルも滑った。

「エヴァ……ちゃん!」

 苦しげに呻きながら明日菜は立ち上がるとハマノツルギを杖代わりにエヴァンジェリンの下に歩き出した。

「エヴァちゃん!」

 砂煙が上がっている場所に明日菜が声を上げた瞬間、背後で刹那の声が響いた。

「雷鳴剣!」

 強大な雷光を纏った夕凪を血だらけの右手だけで握りながら刹那は明日菜の背後で魔力弾を至近距離から放とうとしていた少女に振り落とした。

「刹那さん!」

 明日菜は背後を向くと、左腕をブランとさせながら険しい表情で前方に居る少女を睨みつける刹那の姿があった。

「刹那さん……腕が!」

 ひしゃげている刹那の左腕を見て明日菜は絶句した。

「大丈夫です。痛覚は絶っていますから……。それよりも、油断しないで下さい。恐らくアレは憑依術式です。それも、かなりの上級霊との憑依術式……」
「恐らく、魔力の質を見るに……悪魔だな」
「エヴァちゃん!」

 背後に聞こえた声に振り向いた明日菜は全身傷だらけで頭部からも滝の様に血を流しているエヴァンジェリンに絶句した。

「操られているという線は?」

 刹那がエヴァンジェリンに尋ねるが、エヴァンジェリンは首を振った。

「あれは悪魔憑きじゃない。恐らくは黄金夜明けの召喚魔術。クロウリーの定義した召喚と喚起の内、召喚の方だろう。それに、ヤツは私を知っているようだ」
「エヴァンジェリンさんを!? あの修道服、まさか!?」
「え? 何? どういう事!?」

 一人話しについていけない明日菜は疑問の声を上げるが、一々説明している時間は無いとばかりに二人は完全に明日菜の言葉を無視した。

「貴様、教会の者か? 私を討伐にでも来たのか?」

 全身ボロボロでありながら、それをものともせずにエヴァンジェリンは真っ直ぐに少女を睨みつける。

「懲りん事だな。何度返り討ちにしても何度も何度も何度も……、ほとほと貴様達は私の平穏がお気に召さんらしいな」

 凄まじい殺気を迸らせながら少女を睨むエヴァンジェリンに刹那と明日菜でさえも身が凍る思いだった。

「そう、貴女はそうやって異端である貴女を討伐しに来た者を殺した。16年前の雪の日も、そうやってあの人を殺した……」

 エヴァンジェリンの殺気を受け流しながら、少女もまた憎悪と殺気の篭った視線をエヴァンジェリンに向けて言い放った。エヴァンジェリンは目を丸くした。

「雪の日だと?」
「私は、教会の命令で来たんじゃない……。私は愛しのあの人を殺した貴女に復讐する為に来たの」

 エヴァンジェリンは目を見開いた。呼吸が出来なくなった。久しく忘れていた感覚だった。あまりにも温い湯船に浸かっていた事を思い知らされた。
 これは――初めてでは無い。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが悪を背負う理由。それは、自分を襲撃した者の肉親や恋人、友人からの復讐の為だ。自分を一方的に悪と決め付けて襲ってくる者は別に構わない。返り討ちにした所で何の感慨も沸かない。それでも、返り討ちにした者にもその者を愛する者は居る。
 明日菜と刹那は声が出なかった。復讐。それがどういうモノか、知識でならば小学生でも知っている。

「お前の……名は?」

 エヴァンジェリンは震える声で呟くように少女に尋ねた。少女は目を細めると、答えた。

「フィオナ、フィオナ・アンダースン。貴女に殺されたアレクセイの仇を討ち、貴女に奪われたあの人の“神の力(エクスシアイ)”を取り戻す」

 少女――フィオナの言葉がエヴァンジェリンの脳裏に反芻される。

「あの時の……」
「覚えてるんだ……。ちょっと驚きかな」

 エヴァンジェリンの呟きに、フィオナは微かに笑みを浮べた。

「じゃあ、死になさい」

 瞬間、フィオナの手に漆黒の魔力が集まり、フィオナが軽く腕を振るうと巨大な漆黒の爪がエヴァンジェリンに迫った。

「エヴァちゃん!」

 咄嗟にハマノツルギを構えて飛び出そうとした明日菜を、エヴァンジェリンは手で制し、右手を漆黒の爪に向けた。

「お前達は手を出すな……あれは、私の罪だ」

 小太郎とネギが戦う麻帆良学園本校女子中等学校近くの公園。
 小太郎が傷つく度に、何度魔法をぶつけても破壊できない呪幻界にネギは焦燥に駆られた。耐え切れず泣きそうになった時、声が脳裏に響いた。
『姉貴、大丈夫ッスか!?』
『カモ君!』
 脳裏に届いたカモの念話にネギは僅かに顔に喜色を浮べた。瞬間、結界の向こうでヘルマンの詠唱が始まり、ネギは体の震えが止まらなくなった。

「なに、これ……?」

 結界のおかげなのか、完全には体が麻痺する事は無かったが、尋常でない圧迫感に体の震えが止まらなかった。
『姉貴、結界が邪魔で入れねえ! この結界を解除してくだせえ!』
『で、でも……この結界は小太郎君が張ったから私、何度も魔法をぶつけたんだけど解除出来ないし……どうすればいいの!? カモくん!』
『落ち着いてくだせえ! 時間が無い。あの野郎の使おうとしてんのは拙い……』
 カモの切羽詰った声に、ネギは焦りを高めた。
『どうすればいいのカモ君!?』
 ネギの悲鳴にも近い叫びにカモは一瞬結界を見渡してから念話を返した。
『姉貴、コイツは内側の符を破壊すれば壊せるタイプッス。強度を高める為か狭くなっている。『風花・風塵乱舞』で結界内全体を攻撃してくだせえ! それでどこかに隠れてる符を破壊して外に出られる筈ッス!』
 カモの言葉が終わる前に、ネギは呪文の詠唱を無意識的に開始していた。

「ラス・テル マ・スキル マギステル! 吹け、一陣の風。『風花・風塵乱舞』!」

 ネギの杖から凄まじい旋風が発生し、結界内を暴れ回る。

「きゃうッ!」

 身を屈めて結界の崩壊を待つと、一瞬結界の壁に衝撃が走ったかと思うと、次の瞬間に結界は崩壊していた。

「姉貴!」

 カモがネギの肩に飛び乗ったのを感じた瞬間、ヘルマンの魔法が展開しようとしているのを悟り、ネギは立ち上がらずにそのまま杖を飛ばした。

「加速!」

 小太郎を抱き締めるようにしながら杖を上昇させると、光の閃光が真下を駆け抜けた。恐怖に心臓が破裂しそうだった。

「うっ……」

 腕の中で小太郎が吐いたのを感じて正気に戻った。

「大丈夫、小太郎君?」
「ネギか?」

 辛そうな表情でネギを見上げる小太郎の体は怪我だらけだった。

「かっこ悪いな自分……」

 自嘲する様に呟くと、ネギは思わず首を振った。

「そんな事無いよ! あんな強い人にあんな風に戦えて凄いって思ったよ!」

 ネギの叫びに、小太郎はポカンとした表情を浮べると、笑みを浮べた。

「なら、もっと頑張らなアカンな……」

 小太郎が呟くと、ネギは首を振った。

「もういいよ、小太郎君」
「あん?」

 小太郎が胡乱気な表情でネギを見た。

「小太郎君は関係無いから……、これ以上戦って傷つく必要は……」
「なら勝てんのか?」

 小太郎の鋭い一言に、ネギは何も言えなかった。正直、勝てる気がしない。そもそも生物としての規格が違い過ぎる。

「なら、黙って手ぇ借りとけや。ええか? どっかで聞いた言葉なんやけど……」
「え?」
「いい女っちゅうのは、男を巧く使える奴を言うらしいで?」
「いや、私は……。って、それより小太郎君はもう怪我だらけじゃない! そんな体で無理したら……」

 ネギは自分の性別について少し反論したかったが、それ以上に小太郎の怪我が心配だった。元々大怪我を負っていたのだ。それなのに、関係無い自分の戦いのせいで更に怪我を負わせてしまい、ネギは涙が溢れそうになった。

「そんな顔すんなや。ワイは大丈夫や。せやから、泣くな。ワイは狗神使いの犬上小太郎や。奥の手もまだある。それにな、男ってのは――」

 小太郎はネギの頭に手を乗せてニヤリと笑みを浮べた。

「一度始めた喧嘩は絶対に逃げたらアカンねん。これはもうお前だけの戦いやない。ワイの喧嘩でもあるんや。せやから、頼むで……。さっきは一人で戦おうとして負けちまった。だから、今度は一緒に戦ってくれ。大丈夫や、お前はワイが傷一つ付けさせへん。男は女を護るもんやさかいな」

 ドクンと、心臓が弾んだ。それが何なのか分からない。ただ、体がポカポカと温かくなってくる。それまでの恐怖とか、そういう感情が霞が晴れる様に消えていた。ネギは小太郎に言い知れぬ頼もしさを感じ、呟くように言った。

「お願い……一緒に戦って、小太郎君」

 その言葉に、一番驚いたのはネギの肩で事の成り行きを戸惑いながら見ていたカモだった。ネギが誰かを自分から頼ったからだ。明日菜の時は、緊急事態であり、明日菜も逃げる事が出来なかった。刹那との時は、木乃香というお互いに戦う理由があった。
 今回は違う。逃がす事が出来る人間を頼ったのだ。それが、ネギ・スプリングフィールドにとってどれだけの異常事態か、ネギを長く知るカモにはよく分かった。呆然としているカモに、ネギが声を掛けた。

「カモ君、どうすればいいかな?」

 ネギの声に、カモは我に返った。

「なんや? この鼬」

 小太郎がカモを見て首を傾げた。

「鼬じゃねえ、オコジョ妖精だ。って、まあいい。犬上小太郎つったか?」
「お、おう……」

 可愛らしい外見の小動物から予想外に柄の悪い声が出て小太郎は目を丸くした。

「まずは……、ヤツの情報が足り無すぎる。姉貴、それに犬ッコロ!」
「誰が犬ッコロやねん!?」

 小太郎が噛み付くがカモは華麗に無視して話を進めた。

「犬ッコロ、お前は近距離が得意みたいだが……」
「遠距離も大丈夫やけど、近距離もいけるで」

 話の腰を折る訳にもいかず、小太郎はそうそうに犬ッコロを諦めた。

「そうか、なら基本的に魔法使いと戦士の王道パターンでいくぞ」
「俺が前衛でネギが後衛やな?」
「そうだ」

 カモはジックリと小太郎を観察していた。瞳に曇りが無く、ネギが信頼を置いている事から悪い奴では無いと判断し、わざと挑発する様な事を言って様子を見たが、一回激昂したが、すぐに冷静になってそれ以上は反応しなかった。その事から、小太郎が戦闘者としてかなり使えると判断した。
 状況を的確に判断し、如何なる時も冷静になれる。そして、直感に近いが、小太郎が言った必ず護るは文字通りの意味なのだろう。コイツは自分の言葉を曲げずに、ネギを護ると直感した。何故か危険な香りもしたがそんな馬鹿なと否定して小太郎を信じる事に決めた。

「まずは力を温存し、回避に全力を尽くせ。俺がヤツの力を解析する。まずは降りてくれ、姉貴」
「う、うん……」

 突然話を振られ、それまで小太郎とカモの話を聞いていたネギは慌てて頷くと杖を降下させ始めた。地面に到達し、ヘルマンが面白そうに笑みを浮べて待っていたのを見て、カモは目の前の存在がどういう性格かを理解した。
 自分に挑む者を歓迎するタイプだ。カモはヘルマンを見ると口を開いた。

「さっきの魔法……“赤い竜(ペンドラゴン)”の力……。それに、“神の御子殺し(聖ロンギヌスの槍)”から派生した円卓に聖杯と共に現れた血を滴らせる白い槍だな? 随分なもんを持って来るじゃねえか……。業が深すぎると思うが?」

 カモが挑発する様に言うと、ヘルマンは愉快そうに微笑んだ。

「なに、単なる伝承に基づいた魔法で構成された贋作に過ぎんよ」
「そりゃそうだ。本物の神の御子殺しはただの槍で、ただ神の御子が人々の罪を一身に受けて懺悔する為に完全無欠の肉体でありながら、自分を殺す事を許可したってだけのもんだ。神の御子やそれに連なる者を殺傷出来るってだけで、あんなビーム兵器な訳ねえよ」
「どちらかと言えば、赤龍の力の解放の為に赤龍に纏わるモノの名を使っただけの事だよ。“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”だと周囲一体が溶けてしまうしね」
「聖人であるゲオルギウスの討伐したラシアの悪竜のドラゴン・ブレスの事か? アレは赤龍とは違うだろ」
「なに、私が使える最上位がソレだというだけだ。それに、悪竜は聖ジョージに討伐された。アノ伝承は悪竜を異教徒に例えているのだ。赤龍の頭が何を意味するかを知ればおのずと分かるだろう?」
「神の御子を殺したのは聖ロンギヌスだが、実際はローマ政府だ。成程な……」

 カモとヘルマンの言葉の応酬に、小太郎とネギはポカンとしていた。小太郎に至ってはコイツら何言ってんだ? という感じである。戦おうと身構えていたのに暢気にお喋りをしだした二人?に小太郎とネギはどうしていいか分からなかった。逆に、カモは内心でほくそ笑んでいた。
 説明好きって訳だ。わざわざ自分の質問に律儀に答える所を見て、カモはそう確信した。引き出せるだけの情報を引き出してやるぜ。カモは自分に出来る戦いに身を置いていたのだ。
 だが、カモの目論見はヘルマンの笑いによって消え去った。

「ハッハッハッハ、しかし君は只のオコジョ妖精にしておくには勿体無いな。それほどの知識を持つとは。では、私の正体は掴めたかね? 少しは塩を送らねばあまりにも一方的だから答えて進ぜたのだが?」

 ヘルマンの嘲笑にも似た笑いに、カモは歯軋りをした。つまり、ネギと小太郎が相手にならないから少しは自分の力を解析させて勝負を楽しめる様にしようと――そういう訳だ。

「もう一つ大サービスで教えてあげよう。ドラゴン・ブレスほどでは無いが、ロンゴミニアドも魔力を大幅に削る魔法だ。もう今夜中に再びは撃てないだろう」

 その言葉を真に受けるわけにはいかなかった。真実と虚像を見極めなければならない。

「さて、もういい頃合では無いかね? 君達の力を私に見せてくれたまえ」

 左手を腰に、右手を前に構え、挑発する様にヘルマンは笑みを浮べていた。

「ヘッ! なら、行くで!」

 瞬間、小太郎が飛び出した。五人に影分身してヘルマンを囲う様に襲い掛かる。

「影分身!? 東洋魔術かよ……」

 カモの驚愕の声が響く。

「足りんな。経験も、速さも!」

 ヘルマンは小太郎の攻撃が当る瞬間に、不可視の速度で飛び上がった。

「――――ッ!?」

 ヘルマン目掛けてネギの雷の矢が降り注ぐ。ヘルマンはフッと笑みを浮べると右手を軽く振るだけで全てを消し飛ばした。

「おおおおおおおお!!」

 背後から小太郎の拳が迫った。

「甘い!」

 ヘルマンは反対の手で魔弾を小太郎に放つ。直後、小太郎の背後から大量の狗神がヘルマンに襲い掛かった。

「フッ、やるな少年!」

 ヘルマンは笑みを浮べると空中で瞬動を発動した。

「虚空瞬動も使えんのか……」

 カモの言葉が響く。ネギはヘルマンが移動した先に杖を構えていた。

「雷の投擲!」

 凄まじい雷光を放つ槍が一直線にヘルマンに迫った。

「いい連携だ、ネギ・スプリングフィールド君!」

 ヘルマンは賞賛の言葉と同時に右手でネギの雷の投擲を叩き落した。その背後からさっき回避した狗神と、反対側からも小太郎の気弾が降り注いでいた。

「息もつかせぬ連続攻撃……正解だよ、少年少女よ!」

 両腕を左右に広げ、ヘルマンは強力な衝撃はを放った。それだけで狗神と気弾両方を消滅させる。その間にネギは詠唱を唱え続けている。

「吹け、一陣の風。『風花・風塵乱舞』!」
「狗神喰らえ! 黒狼爪牙・一閃!」

 ネギが範囲攻撃でヘルマンの動きを封じ、小太郎がヘルマンの命を狙う。即席とは思えぬ完璧な呼吸だった。

「だが弱い!」

 ヘルマンは地面を強く蹴ると――瞬間、地面が捲れ上がり、壁となってネギの魔法と小太郎の狗神を防いだ。それでも、二人は攻撃を止めない。

「連弾・雷の102矢!」
「狼月剣舞!」

 ネギの杖からは102本の雷の矢が放たれ、両腕を左右に広げて気を両手の爪に集中させた小太郎が腕を交差させる様に振り下ろすと、三日月型の気弾が無数に展開しネギの矢と共にヘルマンに迫った。それらをすべて右手だけで叩き落すヘルマンに小太郎が距離を詰める。

「破軍狼影!」

 両手を何かを持っているかの様に近づけ、両手の掌の間に狗神を集中させ、小太郎はヘルマンに向けて放った。巨大な狗の顔を象る狗神がヘルマンを喰らおうと口を開いた。

「なんと面妖な……。だが、面白い!」

 それを手刀で一刀両断にすると、ヘルマンは拳を小太郎に向けて振り上げた。

「合掌爆殺!」

 小太郎は一瞬で距離を詰めるヘルマンの拳が当る前に両手に気を集中させて両手を叩いた。瞬間、爆風が起こり、小太郎の体は遥か後方に吹飛ばされた。ヘルマンの拳は空を切り、小太郎は見事に着地して見せた。

「来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐 ”雷の暴風”!」

 すかさずネギの魔法がヘルマンに襲いかかる。雷を纏った竜巻は大地を蹂躙しながらヘルマンに襲い掛かる。

「これは避けた方が良さそうだな」
「避けさせへんわ! 大怨驚!」

 小太郎は両腕に気を集中させ連続で気弾を放った。

「この程度!」

 防ぐまでも無いとヘルマンは右手を縦にしたが一瞬動きが鈍った。その直後、ヘルマンに雷の暴風が襲いかかった。

「グオオオオオオオオオオッ!!」
「やった!」

 思わずネギが叫ぶと、次の瞬間に、小太郎がネギを抱く様に抱えて真横に跳んだ。直後、さっきまでネギが居た場所を直線状に地面が抉れた。雷の暴風が切り裂かれ消滅し、そこには服だけがボロボロになったヘルマンの姿があった。

「嘘だろ……」

 それが、小太郎のものなのか、カモのものなのかは分からなかったが、自分も同じ気持ちだった。ヘルマンの眼光は些かの衰えも無く、体についた埃を落とすかのような調子で服を叩いた。すると、破けていた服までもが修復されていく。

「化け物かよ……」

 カモの呟きに、ヘルマンは凄惨な笑みを浮べた。

「ああ、そう。私は化け物だ。人間では無い。嬉しいよ、ネギ・スプリングフィールド君。あの時は何も出来なかった無力な子供だったのが、ここまで力を付けるとは! ああ、見たい……もっとだ、君の力の全てが見たい。さあ、見せてくれ、君の実力を!」

 瞳に狂気を宿らせたヘルマンの叫びに、ネギは疑問を抱いた。

「あの……時?」

 ネギの呟きに、小太郎は眉を顰め、カモはハッとなった。

「そう、あの時だ! 覚えているだろう? この顔を……」

 瞬間、ヘルマンの姿が変った。老紳士の姿から、のっぺりした龍頭の人型の悪魔へと――。

「あ、ああ……」

 ネギはわなわなと震えた。眼を見開き、声が出なくなった。

「悪魔――しかも、アイツは!」

 カモはその存在をしっていた。ネギの記憶の中で最も色濃く巣食う炎の惨劇。その最終幕でネギの父、ナギ・スプリングフィールドによって最後に倒された、あの龍頭の悪魔だった。

「知っとるんか!?」

 小太郎が目を見開いてカモに声を掛けるが、カモはネギに声を掛けていた。

「姉貴! 落ち着いてくだせえ! 奴は仇かもしれねえけど、冷静さを欠いたら――!」

 カモの叫びに、ネギは全く反応を示さなかった。小太郎は眉を顰めた。反応が無さ過ぎた。さっきまでの震えも止まり、顔は俯いていて表情が見えない。

「オイ、アイツ誰なんや!? 何を知ってるんや!?」

 小太郎の叫びに、カモが答えた。

「数年前に姉貴の故郷は滅ぼされた。奴は、その滅ぼした奴達の一人だ」

 苦々しげに言うカモの言葉に、小太郎は目を見開いた。

「故郷を……滅ぼされた!?」

 耳障りな高笑いが響き渡る。一瞬、小太郎とカモはそれがヘルマンのモノだと考えた。だが、ヘルマンにしては声が近過ぎるし、何よりも声のトーンが高すぎた。
 笑っていたのは――ネギだった。瞬間、ネギの姿が掻き消えた。

「――――ッ!?」

 三者が驚愕した。ネギは一瞬でヘルマンの頭上に現れると、凄惨な笑みを浮べて雷の魔力をヘルマンに叩き付けた。一瞬硬直したヘルマンはギリギリで回避すると、その背後にネギが一瞬で回りこんでその背中に直接雷の魔力を叩き込んだ。

「見つけた……見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた!!」

 あまりに異常なネギの姿にヘルマンまでもが目を見開き、ネギの姿を見失った。

「やっと見つけた――」

 背後からゾッとする程甘ったるい声が聞こえ、ヘルマンは背後に魔力を篭めた腕を振るった。その腕は空を切りネギの杖がヘルマンの腹部に当った。

「雷の暴風」

 ヘルマンは遠くはなれた場所に一瞬で移動したが、その表情は驚愕に染まっていた。

「正気か君は!? あれでは自分も消し飛ぶぞ!?」

 ヘルマンの声は、ネギの笑い声に掻き消された。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! 貴方に会いたかった。父さんが倒した貴方に。だって、貴方を倒せれば私は父さんに近づけたって事でしょ?」
「なに!?」

 ネギの言葉にヘルマンはおろか小太郎とカモも絶句した。まるで、村を襲った事などどうでもいいという風にすら聞こえたからだ。
 次の瞬間、それが間違いだと理解した。ネギの瞳に正気など無かった。その瞳は狂気に支配され、怪しい光が爛々と煌いていた。

「まさかアイツ……」

 小太郎は目を見開き、呻くように叫んだ。

「怒りと憎悪に精神が支配されて……“魔力暴走(オーバー・ドライブ)”を起している。精神が錯乱してるんだ……」

 ネギは杖を横に薙いで背後に一瞬で移動したヘルマンに顔も向けずに魔法の矢を放つ。ヘルマンは人間の姿に戻っていた。躍る様にネギのサギタ・マギカを避ける。拳で魔弾を叩き落しながら笑みを深める。

「まだまだ足りんな。それでは私に届かぬよ?」
「アハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 ネギは心底愉快そうに笑い声を上げると、詠唱を始めた。

「暴走していても詠唱はするか、とんでもないな」

 楽しそうに笑みを浮べながらヘルマンは呟いた。

「雷の投擲!」

 ヘルマンは手刀で雷の槍を真っ二つに両断した。瞬間、四方八方から光の魔弾がヘルマン目掛けて豪雨の如く降り注いだ。

「こんなものかな? これは少々買いかぶり過ぎたか……ッ!?」

 雷の豪雨を回避し、ネギの背後に現れたヘルマンはそう呟いた瞬間にネギの姿が崩れ、光の魔弾が爆発するように広がった。

「幻影!? 芸達者なモノだな!」

 一発被弾したが、傷一つ付かずにヘルマンはネギを賞賛したが、ネギは魔弾による攻撃を止めなかった。

「休む事無き連続攻撃――」

 雨の様に降り注ぐ雷の魔弾を避けながらヘルマンはニヤリと笑みを浮べるとネギに向かって一気に距離を詰めた。

「我が術式の特徴は“竜”。嵐と雨の敵対者にして、女神イナラシュに疎まれし、海の支配者よ『洪水の象徴(イルルヤンカシュ)』!」

 瞬間、ネギの体を巨大な水の檻が束縛した。呼吸が出来ずに苦しげにもがいている。
 ヘルマンは呆然として見ていた小太郎達も水の牢に閉じ込めた。ヘルマンは視線をネギに向ける。

「これほどの狂気を隠していたとはね――壊してみるのも一興か」

 笑みを浮べたヘルマンの声が響く。

「あの村で、私は多くの者の命を奪った。そう言えば、ナギ・スプリングフィールドと戦う前に一人の老人を殺したな――」

 その言葉に、ネギの体が一瞬震えた。

「中々に勇敢だったが、私の敵では無かった。虫けらの様に殺してしまったよ」

 ヘルマンの言葉に、ネギの目が見開かれた。

「君はあの惨劇の原因を知っているのかね?」

 水中の中でネギの動きが止まった。ヘルマンは愉悦の笑みを称え、口を開いた。

「君はあの日見た筈だ。根源を――」

 嫌だ、聞きたくない。そんなネギの心を読んだかのようにヘルマンの笑みは深まる。

「そう、君は理解しているのだ。あの事件が誰のせいか。君は私を憎んでいるのではない。――違う、憎む事が出来ない」

 止めて……聞かせないで……。ネギの心がギシリと軋む。
 今迄押し隠していたモノのメッキが少しずつ剥がれていく。ヘルマンの言葉は止まらない。

「さぁ、君の中にある闇を引き摺り出そう。懺悔の時だ、ネギ・スプリングフィールド君」

 ヘルマンの言葉が、ネギの傷を切開する。

「君は狂気に身を置いているが正気は失っていない。私と戦う事で父に手が伸びる。君は今、本心からそう思っているのだろうね。私を憎しみで対面できないで居るのだ。その理由は簡単だ。君が私を憎む――それ即ち自身の罪を認める事に他ならない」

 止めて止めて止めて止めて止めて止めて。心が拒絶する。けれども聴覚はより一層敏感になり、ヘルマンの言葉のメスを容易に心へ招き入れる。

「あの夜、多くの者が死んだな。老人や大人だけだったと思うか? あの夜にメルディアナに非難する筈だった子供達が全員キチンと脱出したと信じるかね?」

 呼吸が完全に停止する。“死”という名の逃げ道に誘われるが、ヘルマンは水牢を操りネギの呼吸を強制的に再開させる。

「死なせはしない。君の心の内を曝け出すがいい、ネギ・スプリングフィールド君。あの夜、ある数人の子供が居た。彼らはかくれんぼをしていたのだよ。だが、鬼役の子供は大人達に連れて行かれ、隠れていた子供達は鬼に見つかるのを恐れて出て来なかった。結果――、沢山の子供を同時に急いで逃がそうとした大人達はその子供達を見落とした」

 ――聞きたくない。止めて。それ以上話さないで。ネギの心のメッキが徐々に剥がれ落ちていく。分厚く張られた心の護りが壊れていく。

「子供達は殺された。ただ殺されただけではないぞ? 悪魔の中には嗜虐心の強い者も居る。拷問し、陵辱し、殺した。君に分かるかね? 生きながらに眼球を摘出され、爪を剥がされ、内臓を喰われるのを見せ付けられ、悪魔の種子を身に植えつけられながら絶望の内に死んでいく者達の嘆きが――」

 気付いていた。あの村で生き残った子供達の内、何人かが居ない事に――。

「あの日、男も女も老人も関係無く次々に無残な死を遂げた。それは一体誰のせいだったかね?」

 知っている。知らない筈が無い。あの夜、自分は会っているのだから。あの夜に惨劇を起した元凶に。あの日出会った、全てを狂わせた存在――。

「そうだ、あの日、君があの者を招いてしまったのだ。全て君のせいだったのだよ――。君があの日あの者に出会わなければ、あの村の者達は死なずに済んだ。そう、君の従姉妹の女性も死なずに済んだ――記憶を消して正気を取り戻した? いいや違う。殺したのだよ、あの日、惨劇に立ち会った君のお姉さんは死んだのだ。心を壊し尚も君を護り続けたお姉さんを君の父親は無残に殺したのだよ。記憶を消すという方法でね」

 ヘルマンが指を鳴らすと、ネギを捕らえていた水牢だけが崩れ落ちた。ネギの体が地面に叩きつけられるが、反応が無い。

「壊れたか、ならば――死ぬがいい。絶望を抱えて」

 そう呟きながら深い笑みを浮べたヘルマンが腕を掲げた瞬間、ヘルマンの体が遥か彼方に吹飛ばされた。

「ええ加減にしときや自分。こっからは、ワイが相手になるで」

 そこにはネギを護る様に、白い光を放ち、瞳が縦に伸び獰猛な金色の輝きを称え、牙を生やし、袖を捲くった腕に真っ白な長い体毛が見え、腰まで髪を伸ばした小太郎の姿があった。

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