第二十七話『アスナの思い、明日菜の思い』

「よぉタカミチ。火ぃくれねぇか。最後の一服…………って奴だぜ」

 目の前で、大切な人が死のうとしている。腹部に大き過ぎる傷を負った男は、自分のお気に入りの銘柄のタバコを一本咥えると、まだ皺も無かった頃のタカミチのライターで火をつけて、心の底からおいしそうに煙を吸い込んだ。この煙草の臭いは嫌いだった。

「あ――うめえ」

 男はニヤリと笑みを浮かべ、少女と青年に顔を向けた。口からも血が流れ出している。内臓もボロボロだった。もう、どんな名医も魔法も彼の命を救ってくれないだろうと、理解してしまった。

「さあ、行けや。ここは、俺が何とかしとく」

 男はアスナの顔を見ると、血を吐きながらも優しげな笑みを浮べてくれた。

「何だよ、嬢ちゃん。泣いてんのかい? 涙見せるのは……初めてだったな。へへ……、嬉しいねえ」
「師匠……」

 男の様子に、タカミチは震えが止まらなかった。ずっと、詠唱の出来ない自分を育ててくれた師匠。その死に際に、涙を堪えるのに精一杯だった。自分が居たから、泣けなかったのだろう。

「タカミチ、記憶のコトだけどよ。俺のトコは、二度と思い出さない様に念入りに消してくれねぇか?」
「な、何言ってんスか師匠!」

 タカミチは、男のあまりの言葉に叫んだ。

「これからの嬢ちゃんには必要ないモンだ」

 男はそれでも、頼むとタカミチに視線を送った。

「やだ……。フェイトが消えて……、ナギも居なくなって……。おじさんまで――ッ」

 アスナはキュッと男の手を握り締めた。震える手で、涙を流しながら。ふわりと、頭の上に重さを感じた。男の手が、アスナの頭を優しく撫でた。

「幸せになりな、嬢ちゃん。あんたには、その権利がある」

 ガトウの言葉に、アスナは力の限り叫んでいた。

「ヤダッ!! ダメ、ガトウさん!! いなくなっちゃやだ!!」

 アスナの願いをガトウは聞き入れてくれなかった。だから、自分も最後の願いを聞かなかった。この人の事を絶対に忘れない――そう誓った。

 意識を失い、糸の切れた操り人形の様に倒れ込む明日菜の体をネギが支えた。

「明日菜さん!?」

 ネギが血相を変えて呼び掛けるが、明日菜の視線は虚空に彷徨い焦点があっていない。口から涎が一筋流れ、微動だにしない。
 刹那が咸卦法を発動し、夕凪を右手に、上空に七首十六串呂を展開し、更に木乃香との仮契約によって得られた新たなるアーティファクトを左手に握り締めた。
【剣の神・建御雷】――――木乃香と刹那の実家であるここ、関西呪術協会の総本山である【炫毘古社(かがびこのやしろ)】で奉られている【火之炫毘古神(カグツチ)】と呼ばれる火神の血より産み出されし武神である。
 剣の神の名を有するそのアーティファクトは唾の部分に無色の球体が浮かび、柄と刀身が離れている不思議な形状の大剣だった。

「貴様、何をしたッ!!」

 刹那の怒声を受けながらも、フェイト当人すらも困惑していた。

「な、何で? 姫様!」
「稲交尾籠!」

 思わず叫んで駆け寄ろうとしたフェイトに、刹那の七首十六串呂が降り注いだ。瞬時に展開した岩の花弁が防ぎ切る。膠着状態が続いた。唐突にクッという笑い声が響いた。

「暴れるのはいいが、周りにも眼を向けてみたらどうだ?」

 愉快そうに微笑みながら、エドワードが顎を向けた先には、ネギ達を囲む無数の神鳴流剣士と呪術師の姿があった。正面を突破した時の比ではない。この状況で一斉に攻撃されれば、待っているのは全滅だけだ。

「刹那君……」

 タカミチが静かに諭し、刹那は舌を打ち、七首十六串呂を消した。キッとフェイトとエドワードを睨みながら、刹那はソッと明日菜を抱き抱えるネギを護る様に後退した。
 木乃香は明日菜を心配そうに見つめながらも、不安そうに周囲を見渡している。
 美空は殆ど諦めかけて現実逃避を始め、小太郎は刹那の隣にネギと美空を護る様に構えた。千草とタカミチがその後ろを護る様に立つ。

「さて、ご苦労だったな。天ヶ崎千草」

 エドワードの言葉に、ネギ達はギョッとした。何を言っているのかが理解出来ない。思わず、全員が千草に振り返った。千草は肩を竦めながら軽やかにフェイトの前に歩いた。

「どういう事だ、千草!?」

 カッと眼を剥きながら刹那が怒声を上げた。

「姉ちゃん!?」

 小太郎も何が何だか分からないという顔をしている。

「演技やった……ちゅうだけの話や」
「!?」

 愕然とするネギ達を尻目に、千草は一枚の符を取り出してニヤリと笑みを浮かべた。
 エドワードはその黄金の瞳を輝かせ、詠春は右手を掲げた。フェイトは勝利を確信した笑みを浮かべた。

「長かった。漸く、僕は姫様を――ッ!」

 フェイトの愉悦に満ちた声に、エドワードがクッと笑い右手を高らかと優雅に掲げた。

「今、この瞬間に条件は全てクリアした!!」

 身構えるネギ達を尻目に、フェイトは愛情に溢れた眼差しで眠っている明日菜を見た。

「これで――ッ!」
「お前を――」

 すると、エドワードは身構えるネギ達ではなく、フェイトを見ながら呟いた。

「――捕まえたぞ、小僧」

 そして、この場において最も在り得ない声が響いた。フェイトも、ネギ達も眼を見開いた。炎の魔法陣の中から、大きな二つの影が現れたのだ。そして、その影とエドワード、詠春、千草がフェイトの四方向から各々の目の前に魔法陣を展開し取り囲んだ。
 真紅に輝く陰陽道の魔法陣がエドワードの目の前の虚空に浮かんでいる。詠春の前には黄金に輝く魔法陣、千草の前には緑色に輝く魔法陣、そして…………紅蓮の炎の魔法陣から足を踏み出したその女性の目の前には青銀に輝く魔法陣が浮かんでいる。サラサラと流れる金砂の美しく長い髪が風に靡き、彼女の目の前に展開する魔法陣と同じ美しい蒼の瞳。漆黒のドレスに身を包んだ妙齢の女性の名は――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 四色の魔法光が混ざり合い、ドーム状にフェイトを覆っている結界の名は――【四神結界】
 関西呪術協会の地下に刻まれた総本山を護る四神結界の為の黄龍術式を利用し、四神を四人の魔法使いと陰陽師が担当する事で発動させた。

「エヴァンジェリンさん!?」

 驚愕したネギは思わずその名を叫んでいた。居る筈の無い、居て欲しい存在。一緒に来て、一緒に修学旅行を楽しみたいと願ったその女性が、だけど彼女に優しくない世界の為に一緒に来る事の出来なかった女性が、そこに優雅に立っていたのだ。

「ああ、大変だったようだな、お前達」

 優しく、エヴァンジェリンはネギ達に視線を向け笑みを浮かべた。

「久しいな、エドワード・ウィンゲイト」

 そして、戸惑うネギ達を可笑しそうに見た後、エヴァンジェリンは対面に居るエドワードに冷ややかな視線を送った。

「ああ、南海の孤島で一戦交えた時以来だからな」
「強さに執着していた小童が、随分と丸くなってるじゃないか」

 エドワードはその視線を受け流しながら思い出す様に言った。エヴァンジェリンの言葉に、エドワードは鼻で笑って見せた。

「世の中全部が敵だとか言ってた奴に言われたくはないな」

 肩を竦めながら言うエドワードの言葉に、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。そんな二人の様子に、ネギ達は呆気に取られた。

「エヴァンジェリンさん、一体、どういう事なんですか!?」

 ネギが説明を求めると、それまで洗脳されていると思われていた詠春がゆっくりと顔を上げ、少し困ったような、それでいて優し気な笑みを浮かべながら口を開いた。

「私もさっき聞かされたばかりなのだがね。どうやら、最初からこの結末に至る為にお義父さんとエドワード・ウィンゲイトが考えた策だったんだよ」
「全ては、造物主が創り出した世界を滅ぼす程の力を秘めた鍵、その脅威を封じる為だ」
 
 エドワードは言った。

「まあ、色々説明は長くなるから後でじっくり説明してやる。ネギ・スプリングフィールド。俺はお前の父親、ナギ・スプリングフィールドとは旧知でな。まあ、その縁で色々とあったわけだ」
「色々って?」

 ネギが更に詳しく聞こうとした時、拘束されたフェイトが怒りの篭った声が聞こえた。

「どういうつもりだい、エドワード・ウィンゲイト……。まさか、僕達を裏切る気なのかい?」

 フェイトはエドワードに殺気を放ちながら顔を向けていた。

「ああ、その通りだ。もう、やる事が無くなったからな」
「無くなった? 君は吸血鬼というだけで悪と断じ、迫害する人間に怒りを覚え、僕達の造る永遠の園……あらゆる理不尽、アンフェアな不幸のない“楽園”に吸血鬼達を移民させるという願いがあったのではなかったのか!?」

 フェイトの言葉にエヴァンジェリンが噴出した。

「アホか、貴様! この戦闘凶が、そんな殊勝な事を考えるわけが無いだろ! そんなのに騙されたのか!?」

 嘲笑を交えたエヴァンジェリンの言葉にフェイトは不快気に顔を歪めた。

「彼は十年前に僕達の仲間となったその日から今日まで共に願いのために動いてきたんだぞ!」
「お前の願いは黄昏の姫御子が二度と戦争に利用されず、永久(とわ)に幸せに生きられる事だったな」
「そうだ……。なのに、何故このようなまねをするんだい? 君の願いは――」
「アレはその女の言うとおり、ただの嘘だ」
「なんだって……?」

 エドワードの不遜な態度にフェイトは凍りついた。

「500年も生きるとどうにも暇を持余すのでな。旧き友人に力を貸す事にしたんだよ。ま、その仕事も終わって、一つだけ最後にやっとくべき事があってな」
「馬鹿な……。じゃあ、今回の作戦は初めから罠だったというわけかい? とんだ間抜けだな、僕は……」

 自嘲の笑みを浮かべながらフェイトは涙を流した。

「そんじゃ、グランドマスターキーを渡してもらおうか」

 エドワードが結界に拘束されているフェイトに言った。フェイトは顔を俯かせ、エドワードの言葉を無視した。

「大人しく渡せば悪いようにはしな――ッ」

 エドワードは突然後退した。何事かとネギ達がフェイトに顔を向けると、フェイトの手に杖が握られていた。先端に地球儀のような物が取り付けられているフェイト自身の身長と同じくらいの巨大な鍵の形をしていた。

「そいつを大人しく渡してくれないか?」

 エドワードが頬に一筋の汗を流しながら丁寧に頭を下げながら頼むと、フェイトは睨むような視線をエドワードに向けた。

「愚かだね。この程度の結界で“造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)”の力を封じられると本気で思っているのかい?」
「強がるのはやめておけ。お前を拘束しているその結界は四神と呼ばれる強大な力を持つ精霊の力を借りた強力なものだ。抜き身のままではこの世界ではグレートマスターキーといえど、その力は大きく制限される筈だろう?」

 フェイトとエドワードの言葉の端々にネギ達には理解出来ない単語が含まれていた。
 エドワードの言葉にフェイトは嘲笑の笑みを浮かべた。

「愚かだね。この鍵は造物主の創り出した鍵なんだよ? 常識に囚われた時点で君の敗北さ」

 フェイトの言葉と同時にフェイトの持つ鍵杖から光が溢れ出した。

「馬鹿な。大陰陽師・安倍晴明が張った結界だぞ。如何に造物主の力といっても大精霊クラスの力には逆らえまい」

 エドワードの言葉を尻目に鍵杖から迸った光が結界の壁に何度も衝撃を与える。

「あ、あきまへん……。ウチはもう――ッ」

 限界が来たのは結界では無く、結界を維持している人間の方だった。エヴァンジェリン、エドワード、詠春は余裕を保っていたが、元々、気を主体に使う陰陽師である千草の魔力では耐えられなかったのだ。

「なにっ!? 地下の“宝具”からのバックアップを受けている筈だろ!?」

 エドワードが愕然とした表情を浮かべると、千草の顔色がどんどん青褪めていった。

「まずいぞ、エドワード。衝撃が来る度にかなり削られている。バックアップで魔力は十分だが、人間の身で支え続けるのは不可能だ」

 エヴァンジェリンの言葉にエドワードは焦燥感を顕にした。計算違いだ。藤原の血を引く近衛家に伝えられ、現在は総本山の基点として使われている【とある宝具】からのバックアップを受ければ鍵を封じる為に必要な魔力は十分に龍脈から引き出せると踏んでいたのだが、一つ重大な見落としがあった。
 人間の身体を通せる魔力の量の限界値だ。詠春はナギと共に旅をしていた時代に魔力と触れ合う機会があり、魔力を通す容量は十分だった。だが、千草は魔力を扱う専門的な訓練は受けていない。独自にある程度操れるように修練を積んだだけだ。このままでは、千草の肉体が耐え切れず、死んでしまう可能性が高い。

「作戦は……失敗だ」

 エドワードの苦悶に満ちた声と共に千草の魔方陣が壊れた。エドワードが意図的に破壊したのだ。

「あぐっ……」

 千草がフラつき、倒れそうになるのを慌てて小太郎が支えに走った。

「こうなっては最後の策を取るしかない」
「最後の策?」

 フェイトを警戒しながらエヴァンジェリンが尋ねた。

「つまり、魔力無し、詠唱無しで強力な魔法をバンバン使う奴を相手に実力で勝利するって作戦だ」
「それは策じゃないだろッ!」

 エヴァンジェリンが怒鳴った瞬間、光の奔流が収まり、空気が螺旋状に渦巻き、暗雲が天空を包む始めた。

「なに……?」

 それまで話しの急展開についていけずにいたネギ達が呆然と周囲を見渡すと、大地が振動し、石粒や葉が宙に浮かび上がった。
 フェイトの立つ場所から一段と凄まじい波動が放たれ、既に身体がボロボロになっていた千草は気を失い、ネギ達は凄まじい圧迫感に包まれた。
 フェイトは地面を蹴り虚空に浮かんだ。憎悪に満ちた目でエドワードを睨み右手を掲げた。詠唱も無くフェイトの背後の空間が歪み始めた。まるで、水面から顔を出す様に、波紋を空間に広げながら、幾つモノ巨大な石柱が出現し降り注いだ。

「まずい!?」

 カモは、周囲に展開している洗脳された呪術師達を見て叫んだ。

「クッ、この人数を一気に転移など出来んぞ!?」

 焦燥に駆られたエヴァンジェリンの叫びに、ネギ達は戦慄した。

「なら、あの石柱を破壊します。ラス・テル マ・スキル マギステ――」

 呪文を唱え始めたネギの頭を誰かがポンポンと叩いた。

「え?」

 そして、その人物はそのままフェイトを見上げるとその手に握る剣を振るった。

「――無極而太極斬」

 オレンジ色の髪を靡かせた、碧と翠の瞳を持った勇猛果敢な少女が振るった斬撃は、冥府の石柱を一瞬にして消滅させた。剣自体が当っていないにも関らず――。

「あ、明日菜……さん?」

 ネギが呆然とその名を呼ぶと、明日菜はどこか儚げな笑みを浮かべながら口を開いた。

「ネギに言いたい事があるの」
「明日菜さん?」

 ネギに背を向けながら言う明日菜にネギは戸惑った。緊迫した状況だというのに、明日菜は凄く自然体で、それでいて酷く虚ろだった。

「私はネギに巻き込まれてコッチの世界に入ったわけじゃない」
「え?」

 明日菜の言葉に、ネギは戸惑いを見せた。

「私は自分の意思でネギを助けたの。助けたいと思ったから。だからさ、もっと私を頼って欲しいの」
「明日菜……さん?」

 恐る恐る名を呼ぶと、ハァッと拳に息を吹きかけて、ツカツカとネギの前にやって来ると、明日菜はネギの頭に拳骨を落とした。

「あの弓の呪術師と戦ってる時、ピンチなら私を呼んで欲しかったって言ってるの! だって、私はパートナーである前にネギの友達なんだから!」
「明日菜さん――ッ」

 ネギが見上げながら名前を呼ぶと、明日菜は優しい表情を浮かべた。

「それだけ言いたかったの。それじゃあ、気分もすっきりした所で、後はあのバカの目を覚まさせてあげないとね」

 明日菜はそう言うと、ハマノツルギを掲げた。そのまま、ハマノツルギをグルグルと振り回すと、ハマノツルギを地面に突き刺した。

「ガトウさん、貴方に教えてもらった力で、大事なモノを今度こそ溢さないで守り抜きます」

 毅然とした表情でフェイトを見つめるアスナに、ネギ達は眼を見開いた。

「神楽坂明日菜、お前……」

 エヴァンジェリンは、それまで以上に強いナニカを纏うアスナに戸惑った。

「待っててね。早くあのバカの目を覚まさせて、一緒に京都見物しようね、エヴァちゃん」

 思わず見惚れてしまいそうになった。あまりにも美しい笑みを浮かべたアスナは、両手を上げた。

『いいか? 左腕に魔力――、右腕に気……』

 早朝のイスタンブールの港町、そこで幼い頃のアスナはすぐ近くでタカミチに自分の技を教えているガトウの声を聞いていた。

『左腕に魔力……、右腕に……うわっ!』

 タカミチはガトウがやって見せた技を真似たが、相反する力を中々一つに出来ず、魔力と気を暴発させた。

『ダメだダメだ。いいか、タカミチ? 自分を無にしろ。そんな調子じゃ、五年は掛かるぞ』
『ハ、ハイ!』

 自分を無にしろ。自分の全てを失い、何も無い自分になら出来るかもしれない。そう思って、幼いアスナはガトウの言葉通りに左腕に魔力を、右腕に気を集中して混ぜ合わせた――。

「左腕に魔力、右腕に気を――――ッ! 咸卦法、発動ッ!」

 魔力と気の混ざり合った咸卦の力の波動が周囲の空気を弾き飛ばした。ネギ達は愕然としながらアスナを見つめた。咸卦の光が溢れ出すのをアスナは自然体のまま呼吸を落ち着かせて宥めた。咸卦の光がアスナの体を薄っすらと覆う程度にまで落ち着くと、アスナはフェイトに顔を向けた。

「フェイト、わたし、思い出したよ。フェイトの事」

 アスナの言葉に、フェイトは目を見開いた。

「姫様、本当に……?」

 呆然と呟くフェイトに、アスナは笑みを浮かべた。

「フェイト、聞きたい事があるの」
「なん……ですか?」

 喉がカラカラに渇き、フェイトは掠れた声で尋ねた。

「フェイトは“始まりの魔法使い”の仲間なの?」

 アスナの言葉にフェイトは肩を震わせた。アスナの真っ直ぐな視線を受けて、フェイトは後退りした。

「そう……なんだ。じゃあ――」

 アスナは顔を俯かせ、深く深呼吸をした。フェイトは恐ろしい思いを抱いていた。アスナが始まりの魔法使いについて知っているとは思っていなかった。

「ひめ……さ――」
「じゃあ、仕方ないわね。わたしがフェイトを始まりの魔法使いから奪い返す」
「…………へ?」

 フェイトは思わず口をポカンと開けてしまった。エドワードとエヴァンジェリンは面白がる様な表情を浮かべ、詠春とタカミチはフェイトに負けず劣らずの唖然とした顔をしている。ネギ達は事情が理解出来ずに混乱している。

「フェイト……、フェイト・フィディウス・アーウェルンクス!!」

 アスナはニカッと笑みを浮かべてフェイトの名前を呼んだ。

「は、はい!!」

 フェイトは反射的に返事をしていた。アスナは笑顔で

「よろしい!」

と言って、地面に突き刺したハマノツルギを引き抜いた。

「我が真名、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアの名に於いて命ず!! その真の姿を解き放て!!」

 アスナがハマノツルギの刀身に手を置きながら呪文を唱えると、ハマノツルギの刀身の光が弾けた。一気に視界全てが真っ白になり、唐突に光の奔流が止んだ。
 アスナの手にハマノツルギは姿を消し、代わりに黄昏の如く黄金に輝く西洋剣を握り締めていた。アスナは黄金の剣を軽やかに振り回し、地面に突き刺した。

「これが、破魔之剣の真の姿――【決着をつける女王の剣(エクスカリバー)】よ」
「エクス……カリバー?」

 刹那の呆然としたような声が異様なほどに響いた。全員が無言でエクスカリバーを見つめている。
【エクスカリバー】――その名を知らぬ者は居ない程のこの世で最も有名なアーサー王の振るった聖剣。あたかも松明を三十本集めた程の明るさを放ち、その光は仲間達の心を奮い立たせ、敵の眼を射た。あらゆる魔法、あらゆる護りを切り裂き、王に勝利に導き続けた最強の剣。最後の刻に王の忠臣がその剣を王に聖剣を贈った湖の貴婦人に返還したとされる至高の聖剣が、真の姿を取り戻し鼓動していた。

「えっと……、エクスカリバーって、マジ?」

 アスナの握るあまりにも神々しい輝きを放ち、まるで鼓動しているかのように光を波立たせている黄金の剣に魅せられたような表情を浮かべながら美空が恐る恐る尋ねた。

「だって、湖の貴婦人が持ってる筈でしょ? エクスカリバーは……」
「それは数ある伝承の一説だ」

 美空の言葉をエドワードが否定した。美空がギョッとした表情を浮かべるが、エドワードは構わずに続けた。

「エクスカリバーには幾つも諸説が存在する。最も有名なのが、王が決闘で選定の剣を折ってしまい、代わりに【湖の貴婦人(ヴィヴィアン)】の望みを叶える事を誓い、エクスカリバーを頂くというものだが、他にも【妖精の国(アヴァロン)】で鍛えられた、一振りで500人の軍勢を打ち倒したとされる【王者の煌剣(カリバーン)】がエクスカリバーと呼ばれるようになったという説もある。そして、こういう説もある。【魔術師・マーリン】がアーサーを民衆に王と認めさせる為に用意した真の王以外に引き抜く事の出来ない異界(アヴァロン)で鍛えられた選定の剣、それこそがエクスカリバーであり、王の最後の刻にエクスカリバーは蜃気楼の湖に落とされたという説だ」
「まあ、よく分からないけど、これがエクスカリバーなのは間違いないわ」

 アスナが言うと、エヴァンジェリンが目を見開きながら呟いた。

「あの剣は……、あの湖でナギが手に入れた剣じゃないかッ!?」
「え!?」

 エヴァンジェリンの言葉にネギが驚きの声をあげた。エヴァンジェリンに父の話を聞いた時にエヴァンジェリンとナギが麻帆良を訪れる前に最後に向かった謎の湖、そこで手に入れた謎の剣の事を聞いていた。それがアスナの握るエクスカリバーであると聞いて困惑した。

「どうして、ナギが手に入れた剣がアスナのアーティファクトとして――――ッ! もしかして、ネギの従者に渡るように?」
「たぶん、ナギからのメッセージなのかもしれない」

 アスナが言った。ネギとエヴァンジェリンは親しげにナギの事を語るアスナに目を丸くした。

「昔、わたしはナギに助けてもらった事があるの。この剣はきっと、今度はわたしにネギを助けてくれっていうナギからのメッセージなんだと思う」
「アスナさんが……父さんに?」
「だけど、その前にわたしがやりたい事を済ませちゃうね」

 そう言うと、アスナはエクスカリバーの剣先を戸惑いと困惑の表情を浮かべるフェイトに向けた。フェイトはショックを受けた表情を浮かべた。

「フェイト、これは命令よ! このわたしと全身全霊、フェイトの全てを掛けて戦いなさい!」
「ひ、姫様!?」

 フェイトは愕然とした表情になった。

「フェイトが勝ったら、わたしの事を好きにしていいわよ?」
「へ?」

 アスナの発言にその場の全員が凍りついた。

「そうねー、フェイトがしたいならエロい事だっていいわよ?」
「ブハッ!」

 アスナの大胆過ぎる発言にフェイトは思わず噎せ返ってしまった。刹那は反射的に木乃香の耳を塞いで顔を真っ赤にしている。タカミチはネギの耳を塞ぎながら白くなっている。
 美空は面白くなってきたーッ! と興奮し、エヴァンジェリンと詠春は凍りついたままだ。

「その代わり、わたしが勝ったらフェイト! フェイトはわたしのものよ! 始まりの魔法使いなんかに返さない。一生、死ぬまで、わたしに仕えなさい!」
「姫様……」

 アスナの真っ直ぐな目に見つめられて、フェイトは拳を握り締めた。

「僕は――」

 フェイトは嬉しかった。心の底から。目の前に立つアスナは間違いなく自分の知るお姫様だった。そして、お姫様は自分を欲しいと言ってくれた。だからこそ、フェイトは哀しかった。
 ただ、記憶を弄られ、偽者の人生を歩まされているお姫様を救いたいと我武者羅に願っていた時は何も考えずにいられた。だけど、正真正銘のお姫様を前にして、フェイトは現実と言う壁を幻視してしまった。
 自分はお姫様と一緒に居られる存在ではない事を思い出したのだ。フェイトは何度も口を開こうとして、その度に心が痛んだ。言えば、お姫様は二度と自分を欲しいなどとは思わなくなるだろうと理解して――。

「――ぼく……は、造物主(ライフメーカー)が姫様を監視する為に創った……人形なのです」

 フェイトは震えた声で言った。アスナは目を白黒させている。ネギ達も困惑した表情を浮かべている。

「【地】のアーウェルンクス。それが、僕の本当の名前です。僕は造物主が計画を完遂する為に創られた駒。お姫様に警戒されない為にウェスペルタティア王国ペガサス騎士団が第一師団の騎士団長、フィディウスの息子という偽の記憶と偽の心を持たされただけの傀儡なんです……」

 血を吐くような独白を続けるフェイトにアスナは顔を俯かせた。フェイトは哀しみと絶望を感じながら涙を流した。

「その涙も……偽者?」

 アスナが顔を俯かせたまま、フェイトに尋ねた。フェイトは一瞬、何の事だか分からなかった。目元に手を当てて驚いた。自分では、自分が涙を流している事に気が付いていなかったのだ。

「偽者です……。人形に感情などない」
「やっぱり、フェイトだね」

 アスナは肩を震わせながら言った。

「姫様……?」

 顔を上げたアスナは顔を綻ばせていた。フェイトは理解出来ずに戸惑いの表情を浮かべた。

「覚えてる? フェイト、わたしと一緒に会った時、紅茶に砂糖じゃなくて塩を入れたの」
「あ、あれは、姫様が塩と砂糖を一緒に置くから!」

 フェイトは思わず叫んでいた。すると、アスナは嬉しそうに笑った。

「偽者の記憶? 偽者の感情? そんなのどうでもいいわよ。監視してた? それもいいわ、許してあげる。だって、王宮でわたしと一緒に遊んでくれたのも、わたしの為に城下まで花や玩具を買って来てくれたのも、わたしが初めて好きになったのも、フェイトだもん。最初は確かに偽者の記憶と偽者の感情だったのかもしれないね。だけど、わたしと一緒に過ごした日々の記憶は偽者? 今、泣いているのは偽者の感情? フェイトは人形なんかじゃないよ」
「ち、違います! 僕は……造物主に創られた……」

 止めてくれと泣き叫びそうになった。どうして、自分の正体を明かしたのに自分にそんな言葉を掛けてくれるんだ、と。もしかしたら、またお姫様の騎士になれるかもしれない、なんて希望を抱いてしまいそうになる。
 自分は人形なのだ。だから、突き放して欲しい。そう願ったのに、お姫様は逆に抱き寄せようとする。フェイトはアスナから少しでも離れようと後退りした。

「フェイトは人形なんかじゃない。確かに、造物主に創られた存在かもしれないわ。だけど、今は心を持った人間よ。フェイトはフェイト。わたしが言うんだから間違いないわ!」
「やめ……くれ」
「フェイト?」
「止めて……下さい。僕は人形で……、姫様を監視してて……、僕は……」

 フェイトが肩を震わせながら言うと、アスナが大きく溜息を吐いた。

「御託はもういいわ! フェイト、さっさと戦う準備をしなさい」
「え……? ひめ……さま?」
「言ったでしょ? フェイトが勝ったらいくらでも自由にしていいわよ。わたしもフェイトは人形なんだって、諦めてあげるし、自分は人形だなんだって好きなだけ泣き喚いてればいいわ! だけどね、わたしが勝ったら麻帆良に連れて帰る! それで、その腐った根性叩きなおしてやるわ!」

 アスナの怒声にフェイトはアスナの顔を見た。アスナは燐とした表情でフェイトにエクスカリバーの剣先を向けていた。

「僕は……」
「フェイト、久しぶりにアンタの実力を見てあげるわ!」

 アスナはそれ以上の問答を許さず、一気に地面を蹴った。

「クッ!」

 フェイトは咄嗟に飛び上がった。フェイトの立っていた場所にアスナが拳を振るっていた。咸卦の力の篭った拳の勢いで突風が巻き起こった。

「僕を……」

 アスナは再び地面を蹴ると、一気に上空に浮かぶフェイトの目前まで距離を詰めた。フェイトは咄嗟に鍵剣を起動させた。

「リ、リロケート!」

 フェイトの姿が掻き消え、アスナの蹴りが虚空を薙いだ。

「もう――」

 フェイトはアスナの頭上に転移した。泣きじゃくった顔でアスナに向かって叫んだ。

「僕を突き放してくれ――――ッ!」

 フェイトの悲痛な叫びと共にフェイトの握る杖から魔力が溢れ出した。カッとフェイトの瞳が開き、虚空に出現した巨大な岩石の拳がアスナに迫った。アスナはエクスカリバーを振るって消滅させる。

「ウアアァァァアアアアアア!!」

 フェイトの背後の空間が波立ち、凄まじい数の石の槍が出現出現した。

「これは――ッ」

 あまりにも多過ぎる。アスナは地上のネギ達を見て焦燥に駆られた。すると、真っ白なブリザードが吹き上がり、落下しようとしていた石の槍を全て一纏めにすると、凄まじい熱量を持った炎の龍が出現し凍結された石の槍を全て飲み込み消し炭に変えた。驚いて地上を見下ろすと、右手を掲げ、青銀の瞳を輝かせるエヴァンジェリンと、ポケットに手を入れたまま黄金の瞳を輝かせるエドワード・ウィンゲイトの姿があった。

「明日菜君!」

 タカミチの声が響いた。不思議だった。明日菜がずっとどうしようもないほど好きだったタカミチの声が、どこか遠く聞こえた。眼を見開き、胸が痛んだ。

「僕達の事に構う必要は無い! 君は、君の戦いに集中するんだ!!」
「私は――」

 神楽坂明日菜は高畑.T.タカミチを愛していた。心の底から好きだった。鈴のリボンを貰った時の事も、タカミチの煙草を吸う横に立っていた時の事も、全て思い出せる。木乃香に付き合って貰って、タカミチにチョコレートを渡した事も覚えている。だけど、今はタカミチを思う度にあの人の姿が脳裏に再生される。タカミチは、ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグに似ている。本人が自分から似せているのだから当たり前だ。彼の戦闘方法も、煙草を吸うのも、着ている背広のブランドや眼鏡のフレームの形から髪型まで、全てが彼の模倣だ。
 だから、自分はタカミチにガトウを被せて見ていたのか? 違う――。
 アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアはフェイト・フィディウス・アーウェルンクスが好きだった。
 だけど、神楽坂明日菜は――高畑.T.タカミチが好きなのだ。

「私はわたし。わたしは私……」

 上空では、錯乱したフェイトが次々に石の槍や剣を雨の様に降らせているが、エヴァンジェリンが冷気でそれらを一箇所に集め、エドワードが焼却していく。
 アスナは不意に涙が溢れた。アスナは地面に降り立った。

「だって、わたしは私だもん。明日菜として生きてきたのは本当だもん……」

 明日菜の瞳が揺れた。心が掻き乱され、突然、どうしていいか分からなくなった。記憶が甦り、昔の人格と今の人格が融合したのが今のアスナだった。アスナと明日菜、二つの人格が一つになった事で混乱が起きてしまったのだ。
 フェイトの事が好きなアスナとタカミチの事が好きな明日菜。二つの心に揺さぶられたアスナを見て、エヴァンジェリンがタカミチに顔も向けずに告げた。

「タカミチ、お前の口から言え。お前の思いを。ちゃんと、本音で――」

 タカミチはエヴァンジェリンの言葉に、頷いた。
 タカミチはスゥッと息を吸い込み、真っ直ぐに明日菜を見た。愛おしそう、慈しむように。

「明日菜君」

 タカミチは明日菜の名を呼んだ。彼女が、この数年間を生きた名前を。

「僕は、君があやか君や木乃香君達に囲まれながら元気になっていく姿が嬉しかった。君が僕に向けてくれる感情も嬉しかった」

 タカミチの声に、明日菜は顔を上げた。

「僕は……、僕にとって、君は――」

 タカミチは息を更に吸い込んだ。記憶の中の明日菜の姿が甦った。

『え……、プレゼント?』

 小学校に入学するその日、タカミチは鈴の付いたリボンをプレゼントした。髪の毛をそのリボンで結んであげても、アスナは詰まらなそうな顔をしたままだった。

『別に……、嬉しくない。こんなの』
『ハイハイ……』

 アスナの髪を結ぶのはタカミチの役目になった。いつも同じ椅子に座らせて髪を結ってあげていた。
 時が経つにつれて、アスナは感情を表すようになった。特に、あやかと喧嘩してよくボロボロになって帰って来た。

『なんだい、最近ボロボロだね』
『いいんちょってバカがいて、つっかかってくるの、ホントにバカ』

 一緒に過ごす内にアスナは色々な感情を見せるようになった。

『タカミチ、タバコ吸ってよ。落ち着く……』
『アスナ君……、タバコは副流煙って言ってねー、体に悪いよ。僕の身体にも悪い……』

 覚えていない筈なのに、アスナはタバコを吸ってとせがんできた。タカミチは仕方なく吸い始めた。おいしくない。だけど、止められなくなった。アスナの落ち着いた表情とガトウの事を思い出して――。
 アスナがタカミチの家を出て、寮に住む事になった。久しぶりに会った時、アスナはタカミチと呼ばなくなっていた。

『あ……、久しぶり、タカミ……た、高畑さん』

 同室になった木乃香と一緒に挨拶に来て、初めてタカミチを高畑さんと呼んだ。その他人行儀な言葉に少しだけ寂しく思った。
 中学にあがって、いつも笑顔を振り撒くアスナの姿が嬉しかった。

『おー、制服似合ってるねー、アスナ君、木乃香君』
『あ、こんにちはー高畑さん! きょ、今日から私達の担任ですね。今日から、高畑先生って呼ばせてもらいます!』

 初めて会った時とは比べ物にならない程、元気な笑みを見せてくれた。
 今でも一緒に旅をした時間、一緒に住んだ時間、一緒に過ごして来た時間を隅から隅まで思い出せる。
 てっきりすぐに自分の好きな物に替えてしまうと思っていたのに初等部から中等部に上がる時も……彼女はずっと自分のプレゼントしたリボンを付け続けてくれた。

 アスナの頭を優しく撫でながら、タカミチは穏かな笑みを浮かべながら言った。

「本当の……“娘の様に”愛しているよ」

 アスナは体から力が抜ける気分だった。もう、明日菜の思いは叶わない。そう、告げられたのだから。だからこそ、明日菜とアスナが一つになる為に、明日菜は叫んだ。

「高畑先生……。私は、神楽坂明日菜は! 高畑先生が……大好きです!」

 大声で、全身全霊を掛けて叫んでいた。瞳から止め処なく涙を溢れさせて、明日菜は叫んだ。

「鈴のリボンをくれた時の事も、煙草を吸う姿も、高畑先生の全てが大好きです!」
「明日菜さん……」

 ネギは、瞳から溢れ出す涙を止められなかった。

「明日菜……」

 木乃香は、親友の姿を眼に焼き付けた。

「明日菜さん……」

 刹那は、俯きそうになるのを必死に堪えて明日菜を見上げた。

「明日菜……」

 美空は、戸惑いと心配と眼差しを向けた。

「神楽坂明日菜……」

 エヴァンジェリンは、ギュッと拳を握り締めた。そして、タカミチは大きく息を吸い込んだ。

「ありがとう、明日菜君」

 ギッと歯を噛み締めて、タカミチは告げた。

「そして……、すまない」

 明日菜の瞳が見開かれた。涙が止まらない。分かり切っていた事だったのに、心が壊れそうな程辛い。虚空に出現した巨大な岩石の刀剣にも反応しない。炎の龍が、その刀剣に噛み付き、そのまま遠い場所で噛み砕いた。黄金の瞳を輝かせながら、エドワードは明日菜の姿を見た。

「ありがどごじゃいまじだ!!」

 呂律も回っていない。ただ、エクスカリバーだけが輝きを増していく。まるで、主人を元気付けているかのように。涙を拭い、アスナは何度も深呼吸をした。本当は泣き崩れてしまいたかった。
 それでも、懸命に心を震わせてフェイトを見つめた。上空に現れた石柱を切り払う。そして、一瞬だけタカミチの顔を見つめて、フェイトの下へと飛び立った。

 飛び去るアスナを見つめながら、タカミチはポケットから煙草を取り出した。すると、突然現れた炎が煙草に火を点けた。一瞬眼を見開くと、タカミチは穏やかな顔になった。

「ありがとうございます」
「勿体無い奴だな」

 黄金の瞳を輝かせながら、上空に待機させた炎の龍を消してエドワードは呟いた。

「分かっていますよ。でも、あの娘の成長が嬉しいと感じる僕のこの気持ちは……これがきっと親心ってやつなんだと思うんです」
「嫉妬していた奴の言う事か?」

 炎の遠見で覗いていたエドワードの言葉にも、タカミチは笑みを称えたままだった。

「僕は……」

 タカミチはネギの頭に手を乗せた。

「この子達とは並び立てない。それが……悔しいと思ったのは本当ですよ」
「タカミチ?」
「これからの時代は、君達の世代が導くんだ」

 タカミチの言葉に、ネギはよく理解出来なかった。それは、勉強が足りないとか、そういう事じゃないと分かった。

「うん……」

 ただ、そう答えた。その時、まるで大人から渡された様だった。
 時代という名のバトンを――。

 アスナは、カッと眼を見開いた。

「もう、迷わない!」

 アスナはフェイトに斬りかかった。フェイトは眼前に幾つもの頑強な盾や剣を召喚するが、悉くアスナの剣によって消滅していく。そのまま、総本山の壁の向こうの森に向かうアスナとフェイトを見ながら、詠春はクスクスと笑った。

「いやぁ、お姫様も活発になったね」

 微笑を称えながら、詠春は木乃香達も元にやってきた。

「お父様!?」

 木乃香が詠春に抱きついた。

「木乃香、久しぶりだというのに、色々と済まなかったね」

 詠春は優しく木乃香を抱き締めると、その頭を愛おしそうに撫でた。

「刹那君。君もご苦労でしたね」

 詠春が刹那に労わりの言葉を掛けると、刹那は恐縮し跪いた。

「い、いえ! 勿体無き御言葉、恐れ入ります」
「そうかしこまらないでください。この二年間、木乃香の護衛をありがとうございます。私の個人的な頼みに応え、よく頑張ってくれました。苦労をかけましたね」

 詠春の労いの言葉に、刹那は顔を上げた。

「いえっ! お嬢様の護衛は元より私の望みなれば……。勿体無いお言葉です。しかし、申し訳在りません。私は……、末席の身でありながら……」
「仮契約の事ならば……それを問う気は無いよ」

 詠春の言葉に、刹那は驚愕に眼を見開いた。

「君の忠義、本当に感謝しているんだ。組織への忠誠ではなく、木乃香に忠誠を誓ってくれている君だからこそ、木乃香の護衛を頼んだ。君に任せて、本当に良かったと思っているんだ。これからも、よろしくお願いします」

 そう言うと、詠春は頭を下げた。組織の長である者が頭を下げる、それは途轍もない事だ。
 刹那は眼を白黒させ、慌てて頭を上げる様に懇願した。そして、刹那は誓いを立てた。

「長、長に頂いた夕凪とお嬢様に頂いた建御雷に誓い、必ずお嬢様をお守りいたします」
「ええ、よろしくお願いします」
「む~、せっちゃんてば、お嬢様やなくてこのちゃんって呼んでや」

 頬を膨らませながら言う木乃香に
「し、しかし!?」
と詠春の顔を恐々と見ると、クスリと笑みを浮かべて詠春は言った。

「五月蝿い事を言う者も居るでしょうが、構いませんよ。少なくとも、私の前では普段の二人を見せてください」

 ニッコリと笑みを浮かべながら言う、詠春に、刹那は顔を真っ赤にしながら木乃香に顔をあわせて
「このちゃん……」
と小さく呟いた。

「うん、せっちゃん」

 木乃香が返事を返す。

「おい、それよりもいい加減にコイツ等に事の真相を話してやれ」

 そこに、エヴァンジェリンが一喝した。何がどうなっているのか聞きたいが、邪魔をする訳にもいかないし、という表情を浮かべているネギ達に詠春は咳払いをした。

「そうですね。キチンとお話しなければなりませんね」

 そう、詠春が呟いた瞬間だった。アスナとフェイトが向かった先で巨大な魔力が爆発し、巨大な人型が起き上がった。

「ハアアァァァアアアアアッ!!」

 アスナの剣が振り下ろされる。黄金の光を放つ両刃の剣が障害となるあらゆるモノを切り裂き、アスナの拳がフェイトに迫る。正気を失った眼で、狂った様に雄叫びを上げるフェイトに、アスナは眼を細めた。
 明日菜としての自分の気持ちに区切りをつけた。明日菜もアスナも一人のアスナ。今度こそ、ぶれずに一直線に歩み寄る。

「フェイトッ!!」

 上空に飛び上がるフェイトを追い、アスナは森の木の天辺に躍り出た。フェイトは魔獣の如き唸り声を上げると、上空に手を翳した。波紋を広げながら、まるで水中から顔を出す様に、無数の武器が上空を覆い尽くした。刀・槍・斧・鎌・杭・槌ありとあらゆる武装が降り注ぐ。

「武具の豪雨ってとこ?」

 無数の武器がアスナに向かって降り注ぐ。それは、まさしく豪雨だった。銀色の刃が、金の矛先が、その一撃一撃が人を殺す為の武器としての機能をもっている。

「ただ武器を降らすだけじゃ、私には勝てないわよ! 無極而太極斬ッ!!」

 エクスカリバーから放たれる光の波紋が次々に武具の豪雨を消し去って行く。

「本気で来なさい!! アンタの本気を、私にぶつけなさい!!」

 その声が通じたのかは分からない。だが、フェイトはそれまで以上に大きく、力強く吼えた。凄まじい魔力の嵐が爆発する。
 フェイト・フィディウス・アーウェルンクスの本気が来る。それを理解したアスナは笑みを浮かべた。

「それでいいんだよ。本気のアンタを倒さなきゃ、アンタを取り戻せないもん。じゃあ、いこうか、エクスカリバー。私も全力、フェイトの思いの全てを受け止めてみせる」

 黄金の剣の輝きが増す。それは、最早光の塊だった。あまりにも眩い煌きは、上空に浮かぶのとは別の、もう一つの太陽だった。

「来なさい、フェイト!」

 フェイトの魔力がうねる様に広がった。大地が揺れ始めた。地面が割れ、裂け目から二つの巨大な岩石の腕が出現した。そして、徐々に巨大な人型が姿を現した。 土人形(ゴーレム)と呼ぶには大き過ぎる岩石の巨神。そう、まさしく巨神だった。フェイトはその巨神の頭部に降り立つと、鍵杖を巨神の頭部に突き立てた。
 地の魔素で編まれた巨神は腕を剣に変えてアスナに襲い掛かった。アスナはエクスカリバーで巨神の剣を切り裂こうとするが――。

「エクスカリバーを受けて消滅しない――ッ!?」

 巨神の剣はエクスカリバーと衝突していながら、その存在を消す事無く、アスナを吹き飛ばした。あまりにも強烈な力にアスナは凄まじい勢いで総本山の上空を越え、山の斜面に叩きつけられた。
 咸卦法を使っていなかったら木っ端微塵になっていたところだった。全身がバラバラになりそうなほど痛い。それでも、アスナはエクスカリバーを構えて、巨神の下へ飛んだ。

「その巨神には私とエクスカリバーの能力は効かないわけね……。でも、わたしもエクスカリバーも破魔の力だけじゃないのよ!」

 頭から血を流し、息絶え絶えになりながら、アスナは咸卦の光をエクスカリバーに集め始めた。

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