第十話『逃亡』

「さあ、私と共に来なさい」

 スクリムジョールが手を伸ばしてくる。
 その手を跳ね除けて、僕はアーサーの手からも逃れた。

『走れ』

 魔王の命令に一も二もなく応える。虚を突かれた大人二人が慌てて追い掛けて来るけど、僕は一目散に走り続けた。
 すると、僕の周囲にたくさんの人影が現れた。

「捕まえろ!!」

 様々な色の閃光が走る。

「やめろ!! 相手は子供なんだぞ!! やめろ!!」

 アーサーが悲鳴と怒声の入り混じった叫び声をあげる。

『右腕を俺様に委ねろ』

 右腕が勝手に動き出す。ポケットから杖を取り出し、次々に魔法を発射する。
 飛来する閃光を打ち落とし、追手の足元の草を急成長させて足止めをする。

「馬鹿な!? 振り向きもせずに、しかも無言呪文だと!?」
『魔法とは心で操るもの。覚えておけ、ハリー。呪文とは心の所作。魔法の効力は心の強さによって増減する』
 
 魔王は次々に呪文を使っていく。子供の足に大の大人が追いつけない。

『あの柵を超えろ。その先は隠れ穴の境界外だ』

 懸命に足を動かす。以前とは比べ物にならないくらい体力が付いている。この数ヶ月、ウィーズリー家の人達と一緒に過ごしたおかげだ。
 空腹を感じる事もなく、この庭でフレッド達と楽しく走り回った。その楽しかった記憶を思い出して、涙が溢れる。

「ビル……。みんな……」

 柵を超えた。

『最後だ、ハリー。今ならまだ間に合うぞ』
「決めたんだ。僕は魔王と一緒に行く!!」

 右腕が動く。すると、目の前の景色がぐるぐると回り始める。
 気付いた時には知らない場所に立っていた。

「ここは……?」
『リトル・ハングルトン。我が故郷だ……』

 第十話『逃亡』

「どういうつもりだ!?」

 怒りのあまり顔を真っ赤にしているアーサーを適当に振り払い、スクリムジョールは部下にハリー・ポッターの捜索を命じた。
 アルバス・ダンブルドアが介入する前にハリーの身柄を確保しておきたかった。
 まさか、《姿くらまし術》まで使えるとは思わなかった。アーサーが教えたのかとも考えたが、そもそもあの歳で操れる魔法ではない。
 天才という単語がスクリムジョールの脳裏を過ぎる。

「馬鹿な……。我々の魔法を悉く撃ち落とし、姿くらまし術まで使えるとなると、才能があるだけでは済まされない」

 何者かが背後にいる。それは確実だ。
 ダンブルドアではあるまい。彼ならば、闇祓い局がハリーに干渉する事を極力避けた筈だ。
 恐らく、強大な力を持つ闇の魔法使いの仕業。
 
「……アーサー」

 己に掴み掛かり、未だにガーガーと喚いているアーサーをスクリムジョールは睨みつける。

「あの子を最初に発見したのはウィリアムだったな?」
「それがどうした!?」
「話を聞かねばなるまい。ハリー・ポッターを発見した当時の事を……」

 あるいは、ウィリアムが鍵になっているのかもしれない。

 ◆

 報告を受けたダンブルドアは沈痛な表情を浮かべた。

「愚か者め……」

 漸く掴む事が出来たハリー・ポッターの消息。驚くべき事に、彼はウィーズリー家に匿われていた。
 失踪直後にウィーズリー家の神童、ウィリアムに保護され、ノエル・ミラーという偽名を使い、潜伏していたと言う。
 確かにハリーの行動にはいくつもの疑問がある。魔法による追跡から逃れ、ダイアゴン横丁に現れた事。変身術を使い、姿を変えていた事。杖を買うだけの資金を持っていた事。偽名まで使い、正体を隠していた事。
 だが、ウィーズリー家ならば信頼を置く事が出来た。ハリーも彼らには心を開きかけていたようだ。
 にも関わらず、闇祓い局が先走ってしまった。その上、ハリーの逃走を許して、再び所在が分からなくなった。

「……《姿くらまし術》まで操るとなると」

 事態は考え得る中で最悪の方向に進んでいる可能性が高い。ウィーズリー家に留まっていた事は奇跡に近く、だからこそ、決して逃してはいけなかった。
 報告によれば、ハリーは精強な闇祓い達を相手に呪文で足止めを行い、《姿くらまし術》まで行使したと言う。
 八歳の子供に出来る事ではない。そもそも、ハリーには魔法界の知識が与えられていない筈だ。誰かに教えられたとしても、そこまでの技量を得るには時間が足りない筈。
 
「やはり、トムか……」

 トム・リドル。後の闇の帝王ヴォルデモート卿は死を誰よりも恐れていた。それ故、彼は禁術に手を出していた可能性が非常に高い。
 |分霊箱《ホークラックス》と呼ばれる命の分割。死を克服する術とも呼ばれる穢れに満ちた魔法だ。
 殺人行為によって自らの魂を引き裂き、器となる物に封じ込める事でこの魔法は完成する。
 ハリーが彼を返り討ちにした時、ハリーの額には稲妻の形の傷跡が残った。その傷跡は年月を経ても薄まらず、今尚残り続けている。これは今のところ仮説に過ぎないが、ヴォルデモート卿がハリーに|死の呪文《アバダ・ケダブラ》を行使した時、彼を新たな分霊箱にしていたとしたら? 

「……いずれにせよ、見つけ出さねばならん」

 最悪の結末はハリーが第二のヴォルデモート卿になる事。加えて、本物のヴォルデモート卿が復活すれば、もはや……。

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