第八話『闇の終焉』

 毎日が地獄だった。他の者には無い力を持っていた事で迫害され、化け物と呼ばれた。
 向けられる視線はどこまでも冷たくて、投げ掛けられる言葉はどこまでも残酷だった。
 光も届かない水底に沈んでいるような日々。少しでも認められたくて、必死に手を伸ばした。だけど、誰も応えてはくれなかった。

【お主は魔法使いじゃ】

 ある日、突然現れた老人が言った。初めは耄碌した老人の戯言だと思った。だけど、彼も己と同じ力を持っていた。
 初めて手を差し伸べられた。嬉しくて、その手を取った。
 導かれるまま、マグルの世界を捨てて魔法の世界に飛び込んだ。
 そして始まる、夢のような日々。今までの常識は一変し、己の真の居場所を理解した。
 飛び交う呪文。跋扈する魔法生物。囁き合う魔法使い。

【ようこそ、魔法界へ】

 その頃は純粋に彼を慕っていた。生まれて初めて優しくしてくれて、魔法の世界へ導いてくれた偉大なる指導者を崇めていた。
 ホグワーツの城を初めて目にした時の衝撃と感動は今も薄れていない。圧巻の光景と未来への希望に胸を焦がした。
 組み分け帽子に認められ、エリートの多いスリザリンに選ばれ、そこで多くの仲間を得た。
 順風満帆な日々。
 理想を語り合い、魔法の腕を競い合い、幸福な時間を過ごした。
 だけど、成長するに連れて、魔法界へ連れて来てくれたダンブルドア先生の己を見る眼に気がついた。
 見守るようなあたたかい瞳の裏に隠された警戒と疑念を感じ取ってしまった。
 どうして、そんな眼を向けるのか分からなかった。だから、必死に頑張った。優等生になれば認めてもらえる筈だと思った。なのに、彼の眼は変わらなかった。
 そして、識る。己の出生の秘密。スリザリンの大半の生徒がそうであるように、己も純血の魔法使いだと信じていた。だが、実際は違った。
 我が父は軽蔑すべきマグルだった。
 そこから先は恐怖の日々だった。もし、みんなが己の出生を知れば、またあの頃に戻ってしまう。
 冷たい眼で見られ、毎日が苦痛で仕方がなかった孤児院での日々。喘ぐように己を取り繕った。誰よりも魔法使いらしくあろうとした。
 闇の魔術に触れたのも、初めは純粋な探究心からだった。魔法の深淵に手を伸ばし、自分こそが真の魔法使いであると胸を張りたかった。
 そうした日々を過ごす内、ますますダンブルドアの眼は怖いものになっていった。軽蔑の眼差しに変化していった。
 分からない。どうして、そんな眼で見るんだ? ただ、認めて欲しいだけなのに……。

【トム。それ以上、闇の魔術に踏み込むのは止すのだ】

 ダンブルドアは事ある事にそう言った。まるで危険物を取り扱うような態度を取り始めた。
 徐々に彼に対する嫌悪感が募っていった。
 彼が憎むべきマグルを擁護し、その思想を魔法界全体に広げようとしている事を識った。そして、実際に広がり始めている事を知った。
 マグル生まれが歓迎され、純血主義を掲げるスリザリンは悪の手先のような扱いを受けるようになった。
 寮同士の仲も険悪なものになっていき、最もダンブルドアの思想に共感したグリフィンドールとは不倶戴天の敵となってしまった。
 このままではいけない。魔法界をあるべき姿に戻さなければならない。
 そして、深淵に触れた。サラザール・スリザリンの遺した秘密の部屋の存在を識ったのだ。その部屋で更なる闇に近づき、そして……、一人の女子生徒を死なせてしまった。
 恨みなど無かった。ただ、彼女は偶然居合わせてしまっただけだった。偶然、顔を出したバジリスクの魔眼を見てしまっただけだった。
 罪を隠そうとして、寮を超えた友人だったルビウス・ハグリッドを犯人に仕立てあげた。そして、それは驚くほど上手くいき、ホグワーツ特別功労賞まで手に入れてしまった。
 人を殺して得た栄誉。その時、全てが壊れ始めた。
 その夏、リドルの屋敷へ向かった。そこで、父親と初めて対面する。そして……、その男が如何に下劣で、母が如何に哀れな女であったのかを知った。
 気付けば父は息絶え、己は高笑いをしていた。壊れたラジオのように延々と嗤い続けた。
 
 第八話『闇の終焉』

 こんな筈ではなかった。策は完璧で、負ける筈など無かった。
 ダンブルドアを殺し、ハリー・ポッターを殺し、己の分霊に始末をつけて、ようやく理想を叶えられる筈だった。
 軽蔑すべきマグルも、マグルに傾倒する裏切り者もいない、純粋な魔法使い達の理想郷。
 あと少しだったというのに……。

「……許さん。こんな結末は断じて……」

 若き日の己が近づいてくる。まるで、己自身に否定されたような気分だ。
 
「俺様は間違えてなどいない。俺様は正しい」
「……もう、夢から醒めたらどうだ?」

 魔王は言った。

「俺様が気づけたのだ。同じ存在である貴様に気付けぬ筈がない」

 その瞳に宿る穏やかな感情に怒りが込み上げてくる。

「貴様……ッ」
「……俺達は認められたかった。居場所が欲しかった。だが、間違えた」
「間違えただと……? 巫山戯るな!! 俺様は間違えてなどいない!! 作るのだ!! 理想の世界を!!」
「それは……、ただ自分にとって都合の悪い人間を排斥しただけの残骸だろう。本当に望んでいた世界はそうじゃなかった筈だ」
「何を言っている……。貴様は何を言っているんだ!?」

 理解出来ない。同じ存在である筈の目の前の男が欠片も理解出来ない。

「ただ、俺を見てくれる人が欲しかった。愛してくれる人が欲しかった。純血の魔法使いでもなく、純粋なマグルでもない半端な俺を誰かに認めて欲しかった。だけど、マートル・エリザベス・ウォーレンを死なせてしまった……。後戻り出来なくなって、誤った栄誉を手に入れて、それで全てがおかしくなった。こんな筈では無かったのだ!! ただ、俺は誰よりも魔法使いらしく在りたかった!! 誰もが模範とするような、誰もが認めてくれるような真の魔法使いに……」
「止めろ……。違う……」

 否定する。否定しなければならない。
 魔王の言葉は今までの全てを否定する事だ。今までの道のりが全て間違いだったと認める事だ。
 
「いい加減、夢から醒めよう」

 魔王が杖を掲げる。

「……俺様を消すというのか? 貴様も消える事になるぞ!」
「それは貴様次第だ」

 杖が振り下ろされた瞬間、頭が割れそうになった。
 見知らぬ光景が脳裏に浮かぶ。それは魔王とハリー・ポッターが過ごした日々。
 まるで、己自身が体験したかのように鮮明に、強烈に心を揺さぶる。
 俺様が全てを奪った子供。幼い手を伸ばしてくる。振り払おうとしても、離れようとしても、その手はずっと……。

「ハリーは俺が欲しかったものをくれたのだ。全てを奪った俺を救ったのだ……」

 魔王の姿が消える。いや、その意識が俺様の中に入り込んでくる。

「止めろ!! 止めろ!! 止めろ!!」

 塗り潰されていく。

「出て行け!! 出て行くのだ!! 貴様は……、貴様など、俺ではない!!」

 何故だ。引き剥がす事が出来ない。
 俺が消えていく。まるで、それが正しい事のように心が魔王を受け入れる。
 呑み込まれていく。

【僕のすべてをあげる】

 心が侵食されていく。記憶も感情も全て……。

【僕を連れ出して】
 
 意識が埋め尽くされていく。オリジナルである筈の俺の意識が……。

【ありがとう、魔王】

 一人の少年の顔と声だけが反響し続ける。

【僕は魔王と一緒にいるんだ!】

 拒む事が出来ない。その子供との日々が羨ましくて堪らない。

【もっと、魔王の事を理解したい】

 それこそが望んでいたもの。焦がれていたもの。

【帰ろうよ、魔王】

 ハリー・ポッター。まるで、大切な宝物のように感じてしまう。
 抗う気力が吸い取られていく。その愛を俺も感じたい。その愛が欲しい。
 例え心と肉体を明け渡しても構わないと思う程、その輝きに憧れる。
 手を伸ばす。俺が欲しかったものはここに……。

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